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[19087] 【習作】G線上のアリア aria walks on the glory road【ゼロ魔二次・転生】
Name: キナコ公国◆deed4a0b ID:a1a3dc36
Date: 2010/06/20 22:51
○ご挨拶

 はじめまして、SSを書くのは初めてのド素人、キナコ公国と申します。
 少し前にネタのようなモノを思いつき、大体の全体構想ができましたので、見切り発車ですが、今回の投稿に踏み切らせていただきました。
 拙作ですが、お楽しみ頂ければ幸いです。(2010/5/24)



○ご注意書き(追加したり、削除したりします)

・このSSはヤマグチノボル氏作、ゼロの使い魔の二次創作にあたります。
・設定については、原作本編、アニメ全話を参考にしています。外伝(烈風の騎士姫など)についてはあまり考慮しないという事で。
・原作の主人公達とは視点が完全に違うため、序盤において、若干貴族階級、宗教に対してアンチ成分が入るかと思います。※KAKUMEIはおこりません
・初作品ということで、手探りの部分も多く、更新はゆっくり目になると思います。
・2次創作だというのに、原作キャラはずーっと後半になるまで出ません。
・作者の趣味でダーク、グロ、残虐な表現が出てくる可能性大。パロネタもあり。
・オリジナル主人公(笑)で、オリキャラ満載(笑)、一応原作知識有の転生モノです。しかもTS要素を含む。最強系ではありません。更に、オリジナル設定も多々あります。
・地名で実在の地名が出てくる箇所がありますが、実在の地名とは一切関わりがありません。ご了承ください。
・感想、批判、アドバイスなど熱烈歓迎します。駄文を少しでもよくするためにご協力よろしくおねがいします!



ではどうぞ→



※改訂について

・ご指摘にあった引き取り価格について見直しました。金貨30枚→10枚少し。ただし、合計金額は20~30枚程度となります。なお口入屋の奴隷的階級の紹介価格については14世紀のヨーロッパにおける奴隷価格を参照として設定しております。1ドゥカート金貨を5万円価値として換算。(2010/5/27)

・ネタ作品というには長くなりそうなので、題名からネタを削除しました。(2010/6/4)

・ご指摘にあった1話、TNTの話をポリエチレンの話に差し替えました。(2010/6/20)



[19087] 1話 貧民から見たセカイ
Name: キナコ公国◆deed4a0b ID:a1a3dc36
Date: 2010/06/20 22:42
『僕』は死んで。
『私』は生まれた。 

 平民と言う名の持たざる者に。

 神様やら精霊が現れたわけもなく、転生用隕石を召喚したわけでも、転生用トラックを依頼したわけでもない。
 塾講師のバイトの帰りに、バイクで事故った。若者にありがちなスピードの出し過ぎによる単身事故。ただそれだけ。

 気付けば性別も、名前も、年齢も。全てが変わって、日本ではない、地球ですらないここにいた。

 最初は夢だとおもっていた。事故った『僕』が植物人間にでもなって見ている妄想の類。

 しかし違った。それはあまりにもリアルすぎた。
 
 『私』には何の力もない。美しくもない。魔法も使えない。
 ただあるのは私が『僕』だった時の知識と記憶だけ。

 『僕』は、理系の大学院生で、有機化学系の研究室の住人だった。簡単にいえば、六角形の化学式を大量に扱う分野だ。

 しかしそれがこのセカイで何の役に立つのだろうか。

 例として、もし『私』が、『僕』の専門知識を活かして、ポリエチレンテレフタラート(ペットボトルや衣服などに使われている高分子重合体)の大量生成によって繊維関係の商売で儲けよう、と思ったとする。

 結論から言おう。無理だ。

 ポリエチレンテレフタラートとは、テレフタル酸とエチレングリコールという化合物を重合させて得られる材料なのだが、この原料は二つとも化石燃料を由来とする化合物である。

 だが、化石燃料がまともに利用されていないこのセカイで、どうやって大量に必要となる原料を手に入れる?
 まさか、化石燃料の採掘、精製を行うところから手掛ける?夢物語だ。
 それ以外にも、工業的生産を行うための施設は?理論を理解できる大量の技術者は?などなど、いくらでも問題点は挙げられる。

 他の科学的知識だって、大多数は“現代”でなければ実現できないものばかりだ。
 そもそも、『僕』からすれば、研究室で使っていたような試薬などの実験材料や実験に使う器具は外部から“購入して当然”のものだったし、電気や化石燃料などのエネルギーだって、“あって当然”のものだった。
 そのような“当然”の物を用意する事から始めて、最終的な目的を果たせる者がいたとしたら、そいつは一体どんな人間なのだろう。少なくとも『僕』の知る限り、そんな超人は現実には存在しない。
 現代社会の文明は、非常に細かく分類された専門知識を沢山の人間で分業することによってなりたっているのだ。

 たった一人が所有している場違いな知識など、セカイから見れば塵に等しい。

 結局、『私』は何もできない。ならば、このセカイのルールに従って生きるのみ。

 だから『私』に『僕』の知識があるのは特に意味はない。

 じゃあ『僕』の記憶は?

 せいぜい思い出して感慨に浸る程度の意味しかない。この辛い生活の慰めにはなっているので、知識よりは若干意味があるのかもしれない。

 別に地球に帰りたい、とは思っていない。だって『僕』は死んだのだから。あちらの両親には申し訳ないが、そこはもう、これまでの『私』の人生の中で受け入れてしまった。
 日本という国だって、学生が思っているほど気楽な世界ではないし、一歩レールを踏み外せば緩やかな死が待っている。
 そう考えれば、どちらのセカイが楽だ、なんて事はないのかもしれない。

 ただ、このセカイよりは救いがあった。少なくても、自分の能力と運次第でのし上がれるチャンスは多いのだから──





 ここが“あの”トリステインである、とはっきりと断定できたのは、私が6歳頃まで成長してからだった。

「貴族様に逆らってはだめだ、アリア。魔法で殺されてしまうからね」
「偉大なるブリミル様、ささやかな糧に感謝します」
「ねぇアリア、知ってる?アルビオンっていう国はお空に浮いてるんだって!」

 と、このような断片的な情報から、薄々そうではないかと思ってはいたのだが。

 確信したのはこのセカイの“原作”に綴られていた人物である、モット伯爵によって、近所にいた器量良しと評判のお姉さんが連れられて行った出来ごとを見たからだ。自分の目で見ることによって、ここが“ハルケギニア”である、ということを確信した。
 勅士の仕事のついでに寄ったとの噂だが、こんな辺鄙なところまで食指を伸ばし、しかも使者に任せず自分で足を運ぶとは。私はモット伯爵の情報ネットワークの広さとフットワークの軽さに脱帽していた。

「くそ……好き勝手やりやがって!サラ……」

 婚約者だった若い男は、そういってうなだれるだけだった。情けない男だ。
 まあ仕方ないけど。誰だって自分の命が一番惜しい。当然、私も。

 それにしても、せめて貴族に転生したかったものだ。“原作”から考えるに、とりあえず食うには困らないだろう。“原作”で起こる主人公達の物語に関わらない貴族ならば、下手したら寝てるだけでも生きて行けそうだ。偏見だろうか。
 きっと貴族から見たこの世界と、平民、それも限りなく農奴に近い私から見たこの世界では全く違う。

 “原作”にもマルトーや、シエスタといった平民は存在した。しかし彼らは私と同じではない。
 彼らは平民の中でも、上流、もしくは中流平民といえる部類の平民だ。対して私は下流平民、所謂、貧民層なのだ。なんせ主食が芋なんです。ひもじいんです。
 
 という訳で、私の実家はとても貧乏である。
 私は物心ついた時から、稼業である農業を手伝っていた。そうしなければ生きられないからだ。ただ、それでも私の現在の年齢である10歳まで無事に生きてこられたのは運がよかった。

 どこが?と思うかもしれないが、
 もし運悪く凶作の年が続いていたら、口減らしの対象になっていた可能性が高い。
 もし感染症にかかっていれば、治す手段はなく、そのまま死んだだろう。
 もし村に亜人や賊という脅威が現れていたら、何も出来ずに蹂躙されただろう。
 こう考えると、命の危機なく生きてこられた私は運がいいのだ。

 もちろん私は今でもこちらの文字は読めない。この村から出たこともないので、それが普通なのか、特殊な土地柄なのかもわからない。
せいぜいわかるのは、この村が王都からは程遠い、トリステインのどこかの片田舎であるオンという地域にあるらしいという事だけだ。
 
 農業やってるなら、理系なんだし現代知識を活かせるだろう、とか普通思うよね。私も思ったの。
 でもね、現代にある道具も施設もエネルギーも使わずに、簡単にできることなんて既に実践されてましたから!残念!ハルゲキニア農業6000年の歴史斬りっ!

 資金があれば、簡単な農薬もどきや肥料くらいは作れるかもしれないけど、そんなものはないし。
 そもそもただの子供、いやむしろアホの子とすら思われている私(口語を覚えるのが遅かった事で、アホだと思われたらしい)が考えを言ったところで、誰も従ってくれないので、もしそんなアイディアが閃いても宝の持ち腐れになるだろう。

 税率は6公4民という事らしいが、この困窮具合からして、確実にもっと取られていると思う。村人の殆どは文字も読めないし計算もできないので、そこにつけこまれているんだろう。
 ま、貴族の比率が全人口の1割というすさまじい歪みがあるので、税金が高いのも当然だろう。
 中世ヨーロッパでは確か、准男爵やら叙勲士などの下級貴族を合わせても、貴族の割合は全人口の2%にすらみたなかったはずだから。
 むしろ社会が成り立っているのが不思議だったりする。

 権力を濫用して女を漁ったり、切り捨て御免的な感じの事をする貴族もいるらしい。まあそういうのはかつての地球でもあったんだろうから不思議でもないが、やられる側になってしまったからには、感情的に簡単に納得できるものでもない。

 それでも私達は従うしかないのだ。魔法はコワイ。まあ、実際に魔法を見たことはないのだけれど。
 本当に救いがない。きっとこのセカイにはブリミルはいても、神も仏もいないのだ。



 私はブリミル教が嫌いである。何故なら貧民の立場にある私からすると、ブリミルはとんでもないエゴイストに思えてしまうからだ。

 その最たる理由として挙げられるのが、自分の子孫のみを繁栄させるために作られたような、圧倒的な暴力である魔法を使えるか使えないかで、2極化したカーストのシステム。

 勿論魔法による恩恵は、古き良き時代には多大にあったのかもしれない。でも今現在、私は何の恩恵も受けていない、と言い切れる。ここら辺に亜人やら賊が出た事ないしね。
 極論だが、魔法の存在が、技術の発展を阻害するという、ありがちな理論が成立するとすれば、損害を被っている、とすら言える。
 この宗教を平民が有難がっているのがこのセカイのスゴイところだ。家畜としての教育が行き届いてるとしかいいようがない。

 これから私は一生をこのまま搾取され続ける側で費やすしかないのだろうか、とそこまで考えたところで、邪魔が入った。
 
「アリアっ!またあんたはボケっとして!さっさと顔洗って外に出な!」

 ふぅ、やれやれ。考えに浸ることすら許されないのか。現実は常に非情である。

 さあ、今日も仕事だ、頑張るぞ。





 ざっく、ざっく。一心不乱に畑を耕す美少女ではない少女、私。今日も元気だ空気がうまい。

「ぐぁ……、もう腕が、あがら、ない」

 手に持っていた鍬を放りだして、私は畑にへたり込んでしまった。
 我ながら情けない。まだ昼過ぎだというのに、限界がきてしまった。しかし、この体、ずっと仕事を手伝っている割に貧弱なのだ。きっと栄養が足りていないせいだろう。
 ここ数年、肉を食った覚えがないのだ。欲しがりません、勝つまではってか。何に勝つのかは知らないが。

 せめてまともな農具があればいいんだが。木製の農具じゃね。少し硬い土でも、掘り返すのに苦労する。地球じゃ12世紀くらいに殆ど鉄製に替わってた気がするけどなあ。もしかすると、この村が辺境すぎるだけで、他の村では鉄製の農具を使っているのかもしれないが。
 まあ、ないものをねだっても仕方ない。出来ることをするだけさ。

「ほんと、役にたたない娘だよあんたは。どうしてあんたみたいなのが生まれてきたんだろうね」

 近くで作業していたこっちの世界のオカアサンが忌々しげにへたり込んだ私を睨む。
 おいおい、実のムスメなんだぜ!もう少しオブラートに包もうよ。役に立たないこちらも悪いのだけれど。

「ごめんなさい、少し休んだらまた頑張りますから」

 少しむかついたが、ペコリと頭を下げておく。私は子供だけどガキではないからね。

「あっそう、ま、別に頑張らなくてもいいんだけどね」
「えっ?」

 オカアサンの謎めいた発言に思わず聞き返す。頑張らなくてもいい、とはもしかして、ゆっくり休みなさい、という事だろうか!?
 やはり母親だな、と少し感動してしまった。すぐに後悔したが。

「あんた、売ることにしたからさ。まあ最後くらい家でゆっくりしてたら?」

 オカアサンの目、冷たい目だ。まるで養豚場の豚を見るような冷たい目だ。「可哀想だけど明日にはお肉になって店先にならぶ運命なのよね」ってかんじの!

 「売る」とはつまり人身売買だろうか。
 冗談でも言っていい冗談と悪い冗談があるだろう、と少し憤った私だが、飽くまで冗談だろう、と思っていた。



 一月後、私はセカイをまだまだ甘く見ていた事を痛感する。





つづけ






[19087] 2話 就職戦線異常アリ
Name: キナコ公国◆deed4a0b ID:a1a3dc36
Date: 2010/05/27 12:40
 今、荷馬車に揺られて運ばれている私は、農村から売られたごく普通の女の子。強いて違うところをあげるとすれば、前世の記憶があるってことかナ──

 どうしてこうなった!





 オカアサンが私を売る、と宣言してからおよそ一月後。

 いつも通りの朝、私は野良仕事に出る準備をして、食卓に向かった。

「今日は仕事をしなくていいんだよ」

 仕事用のボロを着ている私を見て、ニコリと微笑むオカアサン。
 いつもなら「ろくに役に立たない癖に、飯だけはしっかり食べるんだねえ」と心底呆れた顔で嫌味を言われるところである。

 正直、不気味だ。その不自然な態度に不安が募る。



 いつも通りの質素な朝食を食べ終わった後、奇妙な笑顔を張りつかせた両親に手を引かれて、私は村の広場へやってきた。

 行商人か何かだろうか、広場には荷馬車を連れた商人風の大男が待っていた。この小さな村に行商人が来るとは珍しい。

「?」

 もしかして、いつも頑張っているムスメに服か玩具でも買ってくれるのだろうか?
 そうか、オカアサンはツンデレだったのか……
 不気味だなんて思った自分が恥ずかしいです。ごめんなさい、これからはもっと頑張るよ!
 
「その娘か?」

 大男は低い声で両親に尋ねる。

「ああ、そうだ」

 オトウサンが珍しく声を発して大男の問いに答える。
 はて、どういう事?この男は流れの仕立て屋か何かで、私のサイズに合わせた服や靴でも作るのだろうか。

「……ではこれが代金だ」

 大男はそう言って懐から小さな袋を取り出してオトウサンに渡す。それを見てオカアサンは、オトウサンから袋をむしり取って、中身を取り出す。

 中から出てきたのは金貨。パッと見で10枚前後だろうか。

 なぜこちらが金を受け取るのだろうか。謎は深まるばかりだ。

「まあ、こんなに!ありがとうございます!」

 オカアサンが金貨を数えながら大男に礼を言う。その表情はとても人間とは思えない醜い笑顔。いや、きっとオーク鬼だってこんないやらしい顔はしないだろう。

「どういう事なの?」

 流石に耐えきれなくなって口を開いた。
 一体何が起きているのか説明して欲しかった、いや薄々解ってはいたが。

「その、なんだ。……ま、頑張れ」

 いつも無口なオトウサンは、バツが悪そうに、私から目をそらしながら呟いた。
 ちなみに私に兄弟姉妹はいないので、これで家族全部だ。

「なんだ、まだ説明していないのか?」

 大男は呆れたように言う。オトウサンは恥ずかしそうに頭を掻く。オカアサンは私には見向きもせずに、未だに金貨を弄っている。

「俺から説明しようか?」
「……お願いします」

 私は大男の提案を受け入れる。大男はウチの両親の様子を見て、自分が説明しないと話が進まないと感じたらしい。

「簡単にいうとだな……。お前は商品としてウチの商会に引き取られる事になったんだ」

 大男の無機質な声が現実を突き付ける。

 やっぱりそれか。
 その程度の感想しか出てこなかった私は、どこか人として壊れているのかもしれない。

 どうやって人身売買のツテを探してきたのかしらないが、「売る事にした」というオカアサンの言は本気だったらしい。

 ウチの財政が厳しいのは知っていたが、そこまでとは知らなかった。いや、役立たずのタダ飯喰らいを追い出しただけか。
 結構、ムスメとして色々頑張っていたつもりだったんだけどなあ。まあ10年も面倒を見てくれたのだから、感謝すべきなのかもしれないけれど。





「乗れ」

 逃げ出す事もできずに、荷馬車に積みこまれる私。逃げられたとしても飢えて死ぬだけだ。人間諦めが肝心。このセカイでは特にね。
 大男が手際よく私を荷馬車に備え付けられた鎖でつないでいく。

 両親は特に感慨もないようで、金の確認を済ませると、そそくさと家に戻っていった。その姿は荷物の引き渡しを終えた宅配業者に似ていた。

 荷馬車の中には、私の他に、私と同じくらいの年から、10代後半とおぼしき年までの女の子が3人程積まれていた。
 目が死んでいる赤毛の娘。憤っている感じの長身の娘。良く分かっていない金髪の娘。
 三者三様であるが、全員が望まぬ状況であるのは間違いない。

 まあ、他人の事なんて今は心配している場合ではないのだが。

 私はおそらく奴隷的なモノになるんだろう。
 的なモノ、というのはこのセカイに表立っての奴隷階級はないはずなのだ。人を商品として扱うあの大男は口入屋、わかりやすくいえば、人材派遣会社のようなものかな?

 なので私はこれからどこかの商家や、大農家やらに無制限に使える労働力として紹介され、そこに奉公するという形になるのだろう。といっても、彼らの屋敷で働くようなメイドではなく(可能性が無いとは言わないが)、普通の人がやりたがらないような、所謂3Kな仕事に回される可能性が高い。
 両親に金を先払いしたということは、私がそれを働いて返すということで、私に給料がでることはないだろうが。

 元貧農で、見た目も貧しい私が貴族に紹介されることはないと思う。
 年齢的なものから娼婦として売られる事もまだなさそう。客を取れるまで養っていては店側が損をするはずだ。もし10歳の幼女に興奮する人間が多かったらアウトかもしれないが。
 村にはそんな人はいなかったが(少なくとも私の知る限りは)、街ではロリコンが主流かもしれん。それは考えたくないな……。

 まあ正直、今までの生活を考えると大して変わらないかもしれない。いや、もしかしたら今までよりマシな生活が待っているかもしれない。きっとそう。いや、絶対!
 これはある意味チャンスだ。輝かしい未来へのスタートなのだ。私の人生はここから始まるのだ──



 でも幼女趣味の変態主人の玩具にされる事だけは勘弁してほしい。それならば過酷な肉体労働で過労死した方がマシに思える。

 できれば優しく金持ちで紳士な主人、業種は屋敷付きのメイド。というのが私の願望だ。少々大それた願いだろうか。





 どうやら私が最後の積み荷だったらしく、荷馬車はそれ以降人を乗せることなく進んでいった。

 厚手の黒いホロを被せてある幌馬車なので、外の様子を見ることはできない。光が遮られ、昼か夜かの区別もつかない中、私を含む4人の荷物達はどこにつれていかれるのか分からない不安に駆られていた。

 そんな状況が原因なのか、馬車の中の空気は最悪だった。

 金髪がふとした事で「どうして私がこんな目に」と泣きだし、長身がそれを「私も同じだし」と慰める。
 金髪が「あんたと一緒にしないで」と長身の慰めを拒絶する。
 すると金髪の態度に長身が怒り出す。
 赤毛はそんな2人の様子にオロオロとするばかり。

 馬車の中はこんな事の無限ループだった。ろくに会話をしていないので名前は知らないが、この状況で他人に気を向ける事ができるとは随分と余裕のある奴らだ。
 私は喧しい金髪の泣き声と長身の怒鳴り声に辟易としていた。

 そんな中、救いだったのは、意外にも大男の面倒見が良かった事だ。無愛想ではあったが。
 一日二食の食事の用意や、野営の番、馬車の御者などは全て男が一人でやり、私達はただ食っちゃ寝しているだけだった。
 商品は大切に取り扱うように言われているのかもしれない。





「出ろ」

 他の娘と会話することもなく、私自身は殆ど無言で馬車に揺られる事幾日か。どうやら目的地に着いたらしく、私達は馬車から下ろされた。

「連いてこい」

 この男は一語しか喋られないのだろうか。と思うほど大男は無愛想に私達へ指示を出す。
 大男が行く先は、やや無骨な構えだが、結構大きな建物だ。これが口入屋の店舗のようなものだろうか。

 周りにも石造りの建物が多く立ち並んでおり、ここが今までいたような寒村ではなく、それなりの規模をもった都市だ、という事がわかる。

 キョロキョロと辺りを見回しながらも、とりあえず私達は男について建物の中に入っていく。

「ここでしばらく待ってろ。一人ずつ入ってもらうから」

 お、久しぶりに文章を喋った。
 先程の建物の2階にある、立派な扉の前まで連れてこられると、私達はそこで待たされる事になった。扉に文字が書かれた金属製のプレートが貼ってあるが、文字が読めないので何の部屋なのかはわからない。先程まで一緒だった男は、部屋の中に入っていった。
 一人ずつ呼ばれるという事は、おそらく面接部屋みたいなものか。

 ここで、好印象を与えられれば、良い就職先が見つかるかもしれない──

「お前からだ」

 先程の男がドアから顔を出して私を指す。ありゃ、私がトップバッターですか。



「失礼します、オンの農村から来たアリアと申します」

 軽く会釈をしながら入室する。気分は就職活動中の学生である。
 勿論、椅子を勧められるまでは座らない。常識だ。いや、私が座る椅子なんてないんだけどね。

「ふむ」

 入った部屋には、髭を蓄えたやせっぽちの初老のオッサン。ただ、異常にその眼光が鋭いため、ただのオッサンでない事はわかる。この口入屋のボスといったところか。
 
「服を脱げ、全部だ」

 とんでもない事を言い出したよこの人。あの、一応私、子供とはいえ女なのですが。

 私は、『僕』だった頃の記憶はあるし、現在の性格もそれに基づいたモノになってしまっており、およそ女らしくはないとは思う。しかし10年もこの体と付き合っているのだから、自分は女である事は自覚しているし、人並みの羞恥心も持っているのだ。

 まあ脱ぐけども。ここで抵抗しても何の意味もないどころか、マイナスになりそうだし。それに、別にイカガワシイ事をされるわけではなく商品の品定めといったところだろう。

「クセのある栗毛に、瞳は薄茶、肌は色白……か。しかし栄養が足りんな。細すぎる。まるで病人だ」

 ボスは私をなめまわすように視姦しながら、羊皮紙になにやら書き込んでいる。
 
「すいません」

 私は何か責められた方な気がして謝る。栄養が足りないのは自分のせいでもないとは思うが。

「別に謝らんでいい。文字はよめるか?」
「読めません」

 即答である。

「そうか」

 文字が読めないなら他もできないだろう、と判断したのか、他の質問はこなかった。

「容姿は、まあもう少し肉がつけばよくなるだろう。性格も従順、一応の礼儀も弁えていると。ま、しかしこれでは星はやれんな」

 ボスはうんうん、と頷きながら、謎の言葉を呟く。

「あの……星とは?」

 疑問に思ったので恐る恐るだが質問してみる。

「知らなくてもいいことだが。まあいい、教えてやろう。お前らの値段のグレードだ。お前は最低のグレードだな」

 そう言ってボスはニヤリと口の端を吊り上げる。
 ボスの説明によると、紹介料のグレードがあるらしく、3つ星から星なしまで4つのグレードがあるそうだ。私のような何の取り柄もない小娘は、星なし評価という事だ。

 いや紹介料高くなった所で私達に関係なくね?むしろ高いんだから、その分働かされる気がするのだが、と思ったが、グレードが高い方がまともな主人に拾われやすいのだそうだ。
 星無し娘の運命は最底辺の過酷な労働くらいしかないらしい。それにすら引っかからなかった場合は……そこから先は聞けなかった。その運命は口にするのも憚られるらしい。

(やっべええ!このままではッ……!考えろ。考えるんだ。思考をkoolに。私にも何かあるはずだ!)

 本当にまずい。このままでは地獄行き確定である。私は背中に嫌な汗を掻きながら必死に思考する。


 
 そして見つけた。私の武器を!

「私、文字は読めませんが計算はできます。自信があります!」
「何……?くくっ、ハッハハそんな事があるわけがなかろう。文字が読めんのにどうやって計算を覚えるんだ。大体貧農出身のお前にそんな技能があるとは思えんわ」

 私の必死のアピールは軽く笑い飛ばれてしまった。
 本当に出来るんですよ?微分積分でも複素数でも3次方程式でも!いや、今ならミレニアム懸賞問題すら解けるッ!

「全く、笑わせてくれる娘だ。とにかくお前は星無し!よし、もう下がっていいぞ」
「あ、あの本当にっ…………はい」

 喰い下がろうとしたが、黙れ、とばかりに鋭く睨まれてしまい、すごすごと引きさがる。

 面接はこれで終了らしい。私は服を着て、失礼します、と失意のうちに部屋を出る。入れ替わりに、一緒に連れてこられた金髪の娘が部屋に入る。
 


(終わった。終了っ……!残念、私の人生はここで終わってしまった…………)

 終了という言葉が脳内にリフレインする。

「ねぇ、あんた何されたの」

 よほど私が酷い顔をしていたのか、外に残っていた娘の内、最年長らしき長身の女が、部屋から出た私にそんな質問をしてきた。会話するのはこれが初めてだ。その表情は険しい。
 もう一人の赤毛の娘も興味があるらしく、神妙な顔で私を覗きこむ。

「特に何も。単なる品定め「イヤっ、イヤよ!何するのよ、やめなさいっ!」……って感じじゃないかな」

 いちいち全部説明する気力もなかったので、適当に返そうと思ったのだが、部屋の中から怒号が飛んできたため、途中で声がかき消された。
 脱げって言われて拒否ったのかな。全く、あの金髪はしょうがない奴だな。

「ちょっと、なによ今の声……」
「……っ」

 長身の娘は自分の体を掻き抱いて身震いし、赤毛の娘は目をギュッとつぶって何かに耐えているようだ。

「大丈夫、ひどい事はされないはずだから」

 私は2人を安心させようと声をかけた。もう私は“終わった”という諦めからか、他人を気遣う余裕が持てていた。
 
「ひぐっ……ひぐっ」

 丁度タイミング悪く、部屋から泣きじゃくる金髪の娘が出てくる。一刻も早く部屋からでたかったのか、ほとんど素っ裸で、服は手に持っていた。
 さぞかしおぞましいことをされたのだろうと思ったのか、赤毛と長身のテンションは恐慌状態に陥った。

 ふぅ、やれやれ。私にできる事はもうないな。

 そう考えて、私は目をつぶり、彼女達の悲鳴やら嗚咽の声を完全にシャットダウンした。





つづく、はず






[19087] 3話 これが私のご主人サマ?
Name: キナコ公国◆deed4a0b ID:a1a3dc36
Date: 2010/05/27 16:16

 帝政ゲルマニア、ザールブリュッケン男爵領フェルクリンゲン街。トリステインの南部とガリア北東部に隣接する交易都市の一つである。

 いや、受け売りだけどね。まあとにかく、これが私の現在地らしい。



 面接の後、私達は主人が決まるまでの宿舎に案内された。宿舎といっても、ボスとの面接を行った建物と同じ建物内の一区画である。

 宿舎に用意された部屋は殺風景でこぢんまりとした2人部屋で、寝る時は床に雑魚寝だ。
 私の同室になった娘は、10代半ばの物知り少女だった。
 彼女は元々ゲルマニアの裕福な商家の娘だったらしく、世間の情勢や地理にも詳しかった。また、口入屋の商売についても知識が豊富だった。

 客に呼ばれない時は、基本的に自分達の事しかしなくてよいので、暇な時間が結構ある。正直、ここの生活は実家より随分楽だ(売れた後は知らないが)。
 そこで、彼女に世間話がてら、色々と情報を聞いてみたのだ。

 ちなみに彼女は、容姿は並みだが、文字も読めて、商売用の計算もでき、教養もあるので3つ星クラスである。実に妬ましい。
 彼女の実家が何の商売をしていたのか少し気になったが、それを聞くのはタブーだと思い、それについて質問するのはやめておいた。



 どうやら私がいたオン、という地域は、トリステインといっても南の端、ゲルマニア、ガリアに隣接する地域だったらしい。
 あの何日かの馬車旅で、いつの間にか国境を渡っていた、というのだから驚きだ。

 しかし仮にも領民を商品として積んだ馬車が国境を渡れるのか?という疑問が浮かんだ。
 いくら非力な娘達とはいえ、貴族にとっては領民は一応財産のはず。勝手に売買されて、国外に流出までしてはそれだけ税収の面で損害を被るのだ。

 と、そんな疑問をぶつけてみたが、普通の人間を攫ってくるような賊の類なら勿論止められるが、売買されて各々のコミュニティから追放された時点で、人ではなくモノ扱いになるらしい(決して安いモノではないが)。
 勿論、無秩序に売買されて領民が減っては領主が困るので、口入屋と領主の間で「今回は○人買います。だからこれだけ払います」と話がついているという。その場合、領主側に支払われる代金は家族に払ったものと同等、つまり私の原価は金貨20~30枚程度(エキュー金貨なのか新金貨なのかは不明)と言う事になる。
 そして、そのモノが国境を越えた所で、単なる交易と見做されるとの事だ。

 この口入屋は、ゲルマニアの商会ギルドに属していながら、トリステインの寒村を中心に人集めをしているらしい。トリステインの農村は、ガリアやゲルマニアよりも、圧倒的に貧しい所が多く、人が安く多く買えるそうだ。
 それを聞いた私は、日本の企業が外国人労働者を違法に安い賃金で働かせていたのを思い出して切なくなった。

 ちなみに上流貴族(男爵以上)あたりになると、奴隷同然の奉公人など取らずに、自分の領地内で募集を掛けるか、ウィンドボナあたりの大きな商会に求人を任せて、普通の平民と正式な雇用関係を結ぶそうだ。

 ここのような口入屋から奉公人を買うというのは、世間体的にあまりよくないのだ。

 その事を考えると、どう頑張ってもマトモな主人に当たりそうもない気がして怖い。
 


 

「出ろ。そろそろ時間だ。風呂に入っておけ」

 ノック無しで部屋に入ってきた大男が、客との面会がある事を告げる。

 客に会うのはここに来てから一週間ほど経つが、これで3回目だ。
 普通はもっと頻繁に呼ばれるらしいのだが、文字が読めない事と、10歳という年齢もあり、私は人気が無いらしい。
 会う、といっても個人的に会う訳ではなく、客の希望に合う娘達を連れて行き、その中から気に入った者がいれば引き取る、というシステムだ。まあ、商品の陳列のようなもの。陳列時の服装は勿論、素っ裸である。



 1回目の客は、どうみても助平心丸だしの成金っぽいハゲデブ。多分ロリコン。何せ背後に回られて、フンフンと匂いを嗅がれましたからね私。ちらっと目に入ったその下半身はこんもりと……。マジで鳥肌モンでした。
 大方、抱き枕代わりのペットを買うつもりで来ていたんだろう。

 不幸にもハゲデブの餌食になった娘は、私と一緒に連れられてきた、あの泣き虫金髪だった。

 私は自分が災難から逃れられた安堵とともに、犠牲となった彼女に同情し、心の中で合掌した。アレに買われていたら自殺モノだったな多分。



 2回目の客は、1回目よりさらに酷かった。見た目は善良そうな中年と育ちの良さそうな少年。
 
「パパ、コレどうかな」
「ソレが気に入ったのか?う~ん俺としてはもう少し活きが良さそうなのがいいんだが。主人、試し打ちしてみてもいいかね?」
「申し訳ありませんが、お代を頂く前の行為は控えて頂いております」

 私を指さして、あからさまなモノ扱いをする親子。まあそれはいいとして。
 “試し打ち”って。その手に持ってる鞭と棒は何なの。親子揃って嗜虐趣味の変態ですか……。

「むぅ、鳴き声を聞けねば決められんではないか」

 ほっ。ボスが止めてくれて助かった。エエ人や……。
 
 結局親子は試し打ち出来なかったのが不満だったのか、誰を引き取ることもなく去っていった。
 この親子に買われていたら、自殺モノというより他殺モノになっていた。

「チッ、何が試し打ちだ。ロクに商品を買った事もないくせに。次からは出入り禁止だな」

 親子が去った後、それまでの笑顔は何処へやら、ボスは不愉快そうに歪めた顔で吐き捨てる。
 それとなしに尋ねてみると、あの親子は“試し打ち”と言って何回か娘に怪我をさせた挙句、引き取りもしなかったらしい。

 なるほど、それで止めたのか。商品を傷モノにした挙句、金を落とさないのは客じゃないっすよね。納得納得。…………はぁ。



 とまあ、2回ともロクでもない客だった。そういう訳で、客と会うのが少し怖いのだが、少なからず楽しみにしている事もある。

 それが風呂だ。

 なんと、蒸し風呂ではなく、きちんとお湯を張った風呂で体を洗えるのだ。
 これは、少しでも客への印象を良くして、早期に買ってもらうためのラッピングのようなものだ。臭い娘なんぞ印象最悪だからね(ここまでの客層を見ると臭いに反応する特殊な人間もいそうだが)。



 さて、楽しく嬉しい風呂にも入った。髪もセット。戦闘準備完了だ。
 少しでもまともそうな人なら、アッピールしまくってやろう。

 あまりに売れ残ると、口にするのも憚られる悲惨な末路が待っているらしいし……





「リーゼロッテ様、お待ちしておりました」

 客用の正面エントランスで、口入屋のボスが、客らしき若く美しい女性を恭しく出迎える。その表情は気持ち悪いほどの営業スマイルだ。



 この口入屋に女性客は珍しい。助平目的にしても、労働目的にしても、圧倒的に男性客が多いからだ。

 このあたりの地域はトリステイン・ガリア・ゲルマニアの3国の国境近くである事が影響して、旅の商人などを相手にした宿場町が多く、飲食店や娼館などの娯楽施設が多く存在する。そんな事情から、この店の最大のお得意様はそんな風俗産業を扱う商人なのである。

 元々、この口入屋では、男の奉公人も扱っていたのだが、その客層のせいで、売れ残りが多数出てしまっていた。なので、今は女、それも20歳未満の若い娘専門の口入屋になっている。

 そんないかがわしい店に客としてくる物好きな女性客は、このリーゼロッテくらいのものであった。



「ああ、今日は事前に言った通り、新しく入った娘を見せてくれ。全員だ」

 リーゼロッテは笑顔を貼りつかせたボスに目も向けずに、端的に用件だけを言う。

「……かしこまりました。ではこちらに」

 ボスは一瞬顔をしかめたが、すぐに笑顔を作りなおしてリーゼロッテを案内する。

(不気味な女だ。ここ数年でかなりの数の娘を買っているが、一体何に使っているんだか。まあ、こちらとしては売れればそれでいいんだがな……)

 ボスは内心そんなことを思いながら、娘達が控えている大広間へと歩を進めた。

 ギィ、と広間の扉が開かれる。集められた娘は新規に連れてこられた3人の娘。

 アリア、赤毛、長身の3人だ。

「む、4人ではなかったかな?」

 リーゼロッテは直立して並んでいる3人を一瞥し、主人に疑問を投げかける。

「はい、1人は5日前に他のお客様に売れてしまいまして」

 主人は申し訳なさそうに頭を下げる。

「そうか。ではこの3人に面接を行う。ミスタ、悪いが外してくれ」

 これがボスがリーゼロッテを不気味に思う理由の一つであった。
 毎回、この商会の主である自分を退出させて選考を行うのだ。
 もちろん自分がいない間に商品である娘達を傷モノでもされれば、即出入り禁止なのだが、特にそんなことはなく、後で娘達に聞けば、特に何もなかったという。
 ただ、面接の内容は何なのかを何故か覚えていない、というのだ。それがまた気味が悪い。

「……わかりました。終わりましたらお呼び下さい」

 気味が悪いとは思っていても、安定して店に金を落とす上客なので、機嫌を損ねるわけにはいかない。ボスは最敬礼で頭を下げると、静かに広間から退出した。
 




 おお……ないすばでぃー!

 心の中で叫ぶ私。面会場所である広間にやってきたのは、恐ろしく美人な若い女性だった。女性は胸元と背の大きく開いたショートラインの青いドレスに、白い薄出の肩かけを羽織り、手にはサッチェル型の上品なハンドバックを携えている。
 歳の頃は10代後半。腰まで伸ばした美しいブロンドのストレートヘアに、穏やかな雰囲気を演出する若干垂れ気味な大きな青い瞳と、高く通った鼻筋。情に厚そうなプルンとした唇。そのプロポーションは奇跡的なバランスで均整がとれており、露出の多い衣装をつけているのにかかわらず、下品さを微塵も感じさせない。

 女性ならば性的な心配もないし、身につけているものも明らかに高級品だ。マントと杖は見えないので、銀行家や、大商人、もしくは資産家のご令嬢か何かだろうか。その性格までは分からないが、柔らかな外見(顔)から判断すれば、とてもではないが酷い人には見えない。



 これはちゃーんす!滅多にない優良物件!行くぞ私!頑張れ私!勝ち取れ私!

「さて、では自己紹介から始めようか。私はリーゼロッテという。よろしく頼む」

 そう言ってリーゼロッテお嬢様は軽く会釈する。
 結構クールな喋り方だが、私達のような商品風情に頭を下げるなんて、間違いなくイイ人である。これは絶対逃してはならない!

「アリアです!トリステインのオンにある農村から参りました!年齢は10歳、何でもやります!やれます!頑張ります!」
「……フリーデリカ」
「ヤネット、です」

 あれ~?何か温度差がひどいな。
 他の2人は就活を舐めているとしか思えない態度である。
 フフ、素人のお二人さんには悪いがここは私が貰うよ。

「元気がいいな君は」
「ありがとうございます!」

 私に向かってニコリと神々しい笑顔を向けて下さるお嬢様。好感触……!これはもう内定確実か?!

 などと思っていると、お嬢様がいつの間にか急接近して、私の顔を覗きこんでいた。鼻と鼻がぶつかりそうな距離で。

「へぁ?!」

 突然の事に変な声を出してしまう。マズい!落ち着け、私。
 私を覗きこむその綺麗な瞳に吸い込まれそうになる。あれ?瞳の色が……

「ね………く…よ」

 お嬢様が何かを呟くが、はっきりとは聞こえない。

 ……何か……ね……むい…………

「うまそうだ」

 そんな言葉が聞こえた気がしたところで私の意識は途切れた。

 



「……んむ?」

 どれだけ経ったのか。頭が働かない。焦点が定まらない。自分の状態がわからない。

 周りを見れば、長身と赤毛は放心したような様子で立っている。私もそうか。あのお嬢様は……口入屋のボスを呼んできたようだ。お嬢様の瞳はやはり透き通るような青だ。さっきのは見間違いだったのか。

「フフ、この栗毛の小さい娘……アリアといったか。いくらで引き取れる?」

 お嬢様はそう言って、私を背後から抱き締める。ローズ系のいい匂いがした。
 何も覚えてないけど、いつの間にか私に決まったみたい。

 え、決まった?しかもなにこの親愛表現?嬉しい事は嬉しい。だけど何かが変だ。

「星無しですのでエキュー金貨で150、新金貨で200になります」

 凄い粗利ですねボス。まあ宿舎での生活費の分もあるしね。流石に中流以下の平民だと買うのは厳しい価格。

「ふむ、そんなものか」

 お嬢様改めご主人様は、ハンドバックの中から、金貨の詰まっているであろう袋を取り出し、ポン、と惜しげもなくボスに手渡す。

「その中に代金分入っているはずだ」

 えええ、そんな丼勘定?経済感覚がマヒしてませんか、ご主人様。

「お買い上げ有難うございます。では事務室で手続きを致しますので、こちらへ」
「うむ。娘達は少々疲れているようだ。手続きが終わるまでアリアに飲み物を。それ以外の娘は下がらせてやってくれ」
「かしこまりました」

 買った私だけではなく、他の娘をも気にかけて下さるご主人様。

「ああ、それと適当な服も見繕ってやってくれ。裸のままでは可哀想だろう」
「は、わかりました。おい!」

 ご主人様の要望通りに、ボスは下男に指示を出す。その後、私にここで待つように言ってから、ご主人様とボスは広間のドアから退出していった。
 私如きにここまで気遣いをしてくれるなんて、優しすぎやしないか。
 私は用意されたシンプルなデザインのブラウスとスカートを身に付けながらそんな事を考える。

 美しく、優しく、金もある。こんな人が私のご主人様になるというのか。一体何の目的で?不謹慎極まりないが、目の前のリーゼロッテという女性が不気味に思えてしまう。
 それにこの優しさは私を売った日のオカアサンを思い出させる。

 馬鹿らしい。

 オカアサンとご主人様は全く違うじゃないか。こんなに素晴らしいご主人様への猜疑心が消えない私は、きっと心が汚れているのだ。





「待たせたな、アリア」
「いえとんでもございません、ご主人様」

 半刻ほどで、ご主人様は事務室での書類手続きを終えたらしく、広間へと私を迎えに来てくれた。

「ご主人様はやめてくれないか?リーゼロッテでいい」
「は、はい。ではリーゼロッテ様と」
「よし、では行こう」

 私に微笑みかけるその表情はとても柔らかで、美しい。裏などあろうはずもない。

 先程まで抱いていた疑念は完全に吹き飛ばされ、この主人に選ばれた嬉しさと、他の主人に選ばれなかった安堵感が一斉に込み上げてきた。

 もしこの時の表情を鏡で見ていたら、きっと緩みきっただらしない表情をしていた事だろう。



 ご主人様に手を繋がれて、外に待たせた立派な装丁の施された箱馬車へと連れられて行く。気分はまるでシンデレラだ。
 そこに着くまでにすれ違う娘達に、私は優越感を感じていた。私は幸せを約束されたのよ、貴女達もがんばってね、と。

 高揚した気分のまま、私とご主人様を乗せた馬車は動き始める。

 私は輝かしい未来を夢想しながら、ゆっくりと流れていく景色を眺めていた。





つづくようです






[19087] 4話 EU・TO・PIAにようこそ!
Name: キナコ公国◆deed4a0b ID:a1a3dc36
Date: 2010/05/29 18:16

 ここはまるで楽園だ。



 それまで御馳走だと思っていた物とは比較にもならない程、美味しい食べ物。
 朝までぐっすりと安心して眠れる、ふかふかで柔らかい天幕付きのベッド。
 よく手入れされた色とりどりの美しい花々が咲き乱れる庭園。
 ファッハヴェルクという様式で建てられたという、お洒落で立派なお屋敷。
 新参者の私にも親切にしてくれる使用人達と、いつも笑顔の優しい旦那様。

 そして美しく気高いリーゼロッテ様。



 今日も綺麗なおべべを着せられて、私は優雅にティータイム。

「アリア様、紅茶のおかわりはいかがでしょうか?」
「ええ、お願いします、ありがとう」

 お気に入りのテラスで、老執事に傅かれる元貧農娘。私である。

(苦しゅうないわよ、セバスチャン。なんつって。さて、ではお茶請けの方も頂こうかな?パクっとな。んん?)

「今日のお菓子は少し甘みが強すぎますね。料理人さんに精進するよう伝えて下さる?」
「かしこまりました、アリア様」

 セバスチャン改め屋敷の老執事ライヒアルトさんは、私の苦言に嫌な顔一つせず了承の意を示す。



(あぁブルジョワジーって最高!はぁ世の中やっぱ金だよね~。カネ)

 私はすっかり調子に乗っていた。いや、乗りまくっていた。その姿はまるで拾った宝くじで一等前後賞を当てたホームレスである。



 何故こんな事になっているのかというと、話は2週間程前に遡る。





 リーゼロッテ様に引き取られた私は、フェルクリンゲンから北東へ馬車で3日ほどの距離にある、長閑な景色の広がるウィースバーデン男爵領と呼ばれる地域に向かっていた。

 ウィースバーデン男爵領は、ザールブリュッケン男爵領のすぐお隣の領地なのだが、なんとその北には“あの”ツェルプストー辺境伯領が広がっており、その力はやはりというか絶大で、この辺一帯の貴族のボス的な存在であるそうだ。



「リ―ゼロッテ様のご実家は男爵領の内にあるのですか?」
 
 揺れる箱馬車の中、私は向かいの座席に座るリーゼロッテ様に質問する。

 ウィースバーデンは農村地帯、言い方を変えれば田舎らしい。そのような地域に実家があるとするなら、何の稼業を営んでいるんだろうか。

「ああ、言っていなかったか。私はその男爵家の長女でね」
「そっ、あ、きっ、貴族様?!……で、でも杖とマントが」

 さらりと為された爆弾発言に畏れ慄く。

 ちょ、そんな重要な情報は先に仰ってくれないと……。

 貴族ではないと決めつけていた私にとっては寝耳に水だった。
 貴族の証である杖とマントは身に着けていなかったし、私が貴族に買われる訳がないとおもっていたのだ。しかも上級貴族はあんな口入屋には来ないんじゃなかったのか。

 貴族、と聞いて途端に委縮する私。貴族は怖いものである、と10年間教え続けられてきたのだ。実は貴族などと言われればビビってしまう。



 男爵というと、貴族の中では下の階級というイメージがあるが、間違いなく上級貴族である。

 下級貴族とは一般的に準貴族の事を指す。即ち准男爵、叙勲士(騎士)、及び爵位無しの貴族である。
 基本的に領地持ちの上級貴族は非常に裕福であり、一部の上流平民(例えばゲルマニアで爵位を買えるような実力者)を除けば、その財力は平民と比較するのも馬鹿らしい。
 財力と権力と暴力を兼ね備えた者が真の貴族。その3つが揃っていたからこそ、ハルケギニアは6000年の長きに渡る封建社会を維持する事ができているのだろう。



「……今回はお忍びだったのでね。馬車の中に隠してあったんだ。ほら」
「しっ、失礼しましたっ!今までのご無礼、何とぞお許しを……」

 リーゼロッテ様は座席の下に無造作に置かれてあった杖とマントを掴み、こちらに見せる。
 それを見た私は速効で土下座である。その反射速度はリアクションタイム0,06秒の壁を破っていたと思う。

 貴族であったなら今までの態度では不敬に当たるかもしれない。
 
 せ、折檻される!いや、まかり間違えば殺される?!

「アリア、とりあえず座席に戻って」

 美しい顔を顰めて、這いつくばる私に拒絶を示すリーゼロッテ様。

 やや強い口調に押され、私はのろのろと座席に戻って縮こまる。
 卑屈すぎて逆に怒らせてしまったのだろうか、と私の背中を嫌な汗が伝う。

「貴族は嫌い、か」
「い、いえ。そんなことは」

 慌てて否定したが、正直に言うと、あまりいい感情は持っていない。
 私は特に恩恵も受けずに搾取されてきた側なのだから当然と言えば当然である。

「誤魔化さなくてもいいよ。君の立場から見れば貴族が嫌いなのが普通だ。正直に言ってくれ」
「う……!嫌いというかその!怖い、かも、です。その、貴族様は怖いモノだと……」

 だが嫌いなどとは口が裂けても言えまい。ただ、実際に嫌いというよりは怖いと感じているのは事実である。

「なるほど。……では私も怖いかな?」
「い、いえ、リーゼロッテ様はお優しい方だと思います。ただ貴族様だと聞くと、反射的にというか本能的にというか……」

 リーゼロッテ様は自身の胸に手を当てて尋ねる。私はそれを否定する。

 彼女が怖いわけではない。貴族というカテゴリーが怖いのだ。

「少し意地悪な質問だったか。私が言いたいのは、私が貴族だからといって今までの態度を変えないでほしい、いやむしろもっと砕けてくれても良い。貴族だからといってそんなに怯えられては、私は悲しい」

 言い終わって、ふぅ、と悩ましげな溜息をつくリーゼロッテ様。

「わ、わかりました、努力します」
「ふふ、努力するというのもおかしいが。まあそういう事だから必要以上に肩肘を張らないでくれ」

 リーゼロッテ様は、あの柔らかい微笑みを私に向ける。

 その表情はまさに太陽。緊張や警戒という名の防寒着が脱がされていく。

 うん、大丈夫。この人は怖くない。



「しかし何故男爵家のご令嬢が、何故あのような下賤な場所に?」

 正真正銘の上級貴族のお嬢様が、何故あのような口入屋に出向いて私を買ったのか。
 私が口にした疑問に彼女は少し間を置いてからこう答えた。

「あの口入屋に連れてこられた年端もいかない娘達が、買われた先で奉公と称した虐待を受けていると聞いてな」
「それは……恐らく本当です」

 リーゼロッテ様の前に面会した2人のような客が多いのであれば、間違いなくそうだろう。

 ふとあの泣き虫金髪の顔を思い出す。あの娘は今どうしているのだろうか。
 もう流す涙も枯れ果てているかもしれない。

「あの街の領主でもない私の力では全てを救う事は無理だ。しかしせめて気に入った娘だけでも、他に買われる前に私の元で保護したいと思っている。……自分でもただの偽善的な自己満足だとは分かっているのだが」
「…………」
「私は貴族とは名ばかりの小娘だよ。結局何も解決できていないのだからな」

 自嘲的な笑みをこぼすリーゼロッテ様。その表情は自責の念からか苦痛に歪んでいるように見える。

「私如きが偉そうに言う事ではないと思いますが……リーゼロッテ様はご立派だと思います。自己満足だと仰られましたが、それによって救われた私のような人間もいます。どうかご自分を責めないでください。私はリーゼロッテ様のような方こそ真に貴き一族と言うのだと思います」

 こんな考え方をする貴族もいるのだ、と私は感動し自分の思ったままを口にした。
 貴族は平民の事などただの家畜か道具にしか見ていない、と思っていたが、この人は違う。
 
 いや、上級貴族とはもしかするとこういうものなのかもしれない。口入屋に玩具を買いに来るような金を持った大きな子供とは違うのだ。

「ありがとう。そう言ってもらえると救われるよ。君は優しいな。それに年齢に見合わない聡さを持っている。10歳でそのような世辞を言えるとは」
「世辞ではありません。本心です」

 世辞を言っていると言われて、少しムッとした私はその言葉を否定する。生意気に聞こえてしまったかもしれないな、と私は少し後悔した。

「やはり君に決めて良かった。想像以上に……」
「?」

 想像以上に、なんだろう。その微笑の表情から、マイナスのイメージではないことは分かる。生意気な事を言った私への好感度は悪くなさそうで、ほっとする。



 そしてここから話は思わぬ方向に突き進んでいったのである。



「……いや、いつもは連れてきた娘は、屋敷の使用人として働いてもらっているんだが、今回は特別なんだ」
「特別、ですか?」

 リーゼロッテ様は、先程までの緩んだ表情を締め直し、真剣な表情で私を見つめる。

「ああ、実は君には私の妹になってもらいたい」
「成程、そういう事ですか。妹に成る仕事ですね。…………はっ?い、いもうとっ?な、何を仰って……妹とはあの、姉妹の妹ですか?!」
「それ以外に妹という単語の意味があったら教えてほしいが」

 はい?

 何を言ってるんだこの人?私は平民、それも奴隷的な階級の貧民ですよ?
 リーゼロッテ様の妹と言う事は、男爵令嬢になるという事で。

 私がお嬢様?ブルジョワジー?何十階級特進ですか?

 何コレ。何処産のシンデレラストーリー?
 いやいやいや、ないない。夢だ、これは。妄想の類。私の妄想が生み出した白昼夢。

 私はリーゼロッテ様のあまりの突飛な発言についていけず、ポカンと口を開けてアホ面を晒す。
 
「……ア、アリア」
「はっ」

 私を呼ぶ声が思考の海から現実に引き戻される。
 あれ、こっちが現実?思考が追いつかない。

「すまない。突然すぎて驚かせてしまったようだ。信じられないのも無理はない。順を追って説明するから落ち着いてくれないか?」

 リーゼロッテ様の提案に、私はただコクコクと頷く。

「まず、そうだな。今代のウィースバーデン男爵、つまり私の父なんだが。彼は大分前から心を病んでいてな」
「それは…………申し訳ありません、何と言ったらいいのか」

 こういう時になんと言ったらいいのだろうか。ご愁傷様ですとは言えない。適切な言葉が浮かばない自分にやきもきする。

「気にしなくていい。その原因は5年前に事故で私の実妹を亡くした事でね。少し嫉妬になってしまうが、父は私よりも妹を異常なほどに溺愛していた。……妹が死んだ事が認められなかった父は、当時妹と同じくらいの年齢だったカヤという使用人の娘を自分の娘だと主張し始めた」
「まさか」

 なんというか、気の毒に。
 その結末は少し予想はできたものの、私は黙って続きを聞く事にした。

「うん、カヤは妹ではないといっても父は全く聞きいれなかった。結局カヤの母に折れてもらって、カヤを妹して仕立て上げることになったんだ。領主をいつまでも錯乱させておくわけにはいかないからね。5年前から最近まで、カヤには妹に仕立て上げてからは父も落ち着いていたんだが……」
「何か問題が起きたのですね?」
「ああ、1月程前からカヤに対して、『お前のような女はしらん、私の娘は何処に行った!』と怒鳴り散らすようになってな。どうやらカヤが成長しすぎてしまったらしい。父の中では妹は10歳の少女のままらしい。そこで代役を探していたんだ」
「それで、私をカヤさんの替わりの妹役に、という事でしょうか?私にそんな大役が務まるかどうか……」

 リーゼロッテ様、私に貴族のご令嬢を演じられるような素養はありません。なんたって貧農出身ですから!貴族としての礼儀?マナー?何それ、おいしいの?

「アリアなら絶対大丈夫。実は君に初めて会った時に妹にそっくりで驚いたくらいなんだ」
「はあ……」

 力強い断定に、曖昧な返事しか返せない。
 貧農の小娘が貴族令嬢にそっくりとかありえるの?そうすると妹さんはあまり美人ではなかったのか……おっと、これは不敬だ。

「それに妹の名前なんだが」
「はい?」
「ファーストネームが“アリア”だったんだ」
「えぇっ?!」

 な、ナンダッテー?!珍しい偶然もあるものですね。うん。

「これはきっと運命だよ、アリア。妹役を探していた所に、あの口入屋に妹にそっくりな、名前まで同じな君がいたんだ。もしかすると君は始祖が遣わせた天使なのかもしれないな」
「う、運命……」

 熱っぽい目で語りかけるリーゼロッテ様。
 少女と言うのは総じて運命だとか、そういうのに弱いのである。『僕』の記憶を持っている『私』とて同じである。

「あまり難しく考えないでほしい。気楽にやってくれればいいんだ。私や周りの使用人達だってきちんとフォローする」
「でも……」
「大丈夫、きっとできる」

 そういって私の頭を撫でるリーゼロッテ様。

 妹役をやるのは最早決定事項のようだ。だが悪い気は全然しない。

 よし、やってやろうじゃないか。誰もが認めるリーゼロッテ様の妹になってみせよう。

「……わかりました!その大役、見事果たして見せましょう!」
「これは頼もしいな。期待している」





 と、以上のような事から2週間が経ち、冒頭に戻るわけである。
 
 当初、アリアは不安だらけだったのだが、リーゼロッテの父であるウィースバーデン男爵は、拍子抜けするほどあっさりとアリアを娘と受け入れ、屋敷の使用人達は、アリア様の生き写しだと持て囃し可愛がった。



 現在アリアはティータイムを終えて、庭園でメイドさん達とお戯れ中である。

「しかし、ほんとにそっくりだねえ」
「あはは、そう言ってもらえると自信がつきますよ」

 そう言ってアリアの頭をやや乱暴に撫でまわすのは、この屋敷のメイド長である。前妹役であるというカヤの母とはこの人である、との事だ。

「妹歴の長かった私から見ればまだまだね。オーラ的なものが足りていないわ」
「はいはい、カヤは厳しいなあ」

 前妹役のカヤは現在は屋敷のメイドとして働いている。屋敷で最も歳が近いのはこの15歳のカヤであったため、親しい友人のような関係になっている。

 心配していたマナーや礼儀についてもうるさく言われる事はなく、今はただ楽しんでいればいい、とリーゼロッテは言う。
 妹役との事だが、男爵の手の届く所で普通に過ごしてさえいれば、男爵は落ち着いているようで、特別に何かをしているわけでもない。



 男爵やリーゼロッテの膝の上で豪華な食事を頂き、お気に入りのテラスで優雅なティータイムを過ごし、美しい庭園で使用人達と戯れ、眠くなれば柔らかいベッドの上で寝るだけだ。

 怠惰にして華麗、まさに頭カラッポなワガママお嬢様を体現した生活である。



 人は悪い環境に置かれてずっと慣れない事はあっても、良い環境に置かれると、3日で慣れ始め、1週間でこういうものかと納得し、2週間する頃にはそれが当然となってくる。

 最初は恐縮しっぱなしだったアリアもだんだんと気持ちが大きくなり、現在では立派なお嬢様になってしまっていた。
 その容姿も、ここに来た当初は痩せぎすだったのに、今ではふっくらとしてきており、綺麗な衣服を纏ったその姿を見れば少し残念な感じの貴族令嬢に見えないこともない。

(『私』にこんなイイ事があるなんて。神が本当にいるならお礼を言いたいくらいだわ)

 “10歳の”アリアは与えられる幸せに疑念を抱く事もなく、今生で初めて訪れたと言ってもよい我が世の春を満喫していた。

 その無防備な姿はまさにこの世の穢れを知らない暢気な乙女。





「……クひ、本当に楽しみだよ、アリア」

 庭園で無邪気に戯れるアリアを、自室の窓から観ていたリーゼロッテの呟きは、誰にも聞かれることなく消えて行った。





つづく、多分






[19087] 5話 スキマカゼ (前)
Name: キナコ公国◆deed4a0b ID:a1a3dc36
Date: 2010/06/01 19:45

 『私』と『僕』は同一の存在である。

 ふたつはセカイに生まれた時から共にあった。
 だが、本来『僕』は目覚めるはずではなかった。

 だって、ここは『僕』のセカイではなく、『私』のセカイなのだから。





 『僕』がこのセカイで初めて覚醒したのは、『私』が4歳になったばかりの頃だった。



「このっ、馬鹿がっ!どうしてこんなこともできないんだっ!」

 気付けば『僕』は、見覚えのない白人の女に罵声を浴びせられながら殴られていた。素手ではなく麺棒のような短い棒で。

(何だよ、何なんだよこれ)

 自分はバイトの帰り道、急いで帰宅していて……それで?

「聞いてるのかいっ!?」

 呆けたような顔を浮かべた僕の態度に腹を立てたのか、白人女の暴力は更にエスカレートする。

 痛い。痛すぎる。

 手を振り上げる白人女の表情は怒りに満ちている。だが、その中に微かに、しかし確かな愉悦の色が混じっている。

 間違いない、この女は異常者だ。止めないと、まずい。

「いい加減にしやがれッ!キ○ガイめッ!」

 『僕』は立ちあがって白人女の暴挙を止めようとする。

「え?」

 だが短い。
 背が。手が。届かない。

「ようやく口を開いたと思ったらなんて口の聞き方だい?!この親不孝者めっ!いつも通りっ!“ごめんなさい”だろうがっ」
「あグっ……かふっ……」

 親不孝?意味不明な言葉と共にめった打ちにされる。
 気が付いたら見知らぬ女からリンチって。あまりにも理不尽過ぎやしないか。

「はぁ、はぁ……はっ、そこで反省してな!」

 何を反省しろと。

 白人女は動けなくなった『僕』を見てようやく満足したのか、捨て台詞とともに立て付けの悪そうな木板のドアをバタンと閉めて出て行った。



「痛え……てか……寒ぃな」

 びゅうびゅうと吹きこんでくる冷たい隙間風が肌を刺す。

「……で、ここは何処だ?」
(うちのなやだよ)

 痛む体を何とか起こして周りを確認すると、成程、そこは納屋というのは相応しい古臭い農具などが並んでいる──『僕』が見知らぬはずの場所。

 なのに、知っている。
 既視感というやつだろうか。いや、そんなものじゃない。

「どうなって……」
(あなたはわたし)

 誰だよ。人の思考を邪魔しやがって。

「なに、いってやがる。『僕』は……あり、ア?さっきのはオカアサン……?」
(うん、そうだよ)

 僕は一体どうしたんだ?さっきから僕は何を喋っている?
 日本語でも英語でもない。そういえば、学部時代に必修単位を埋めるために取った仏語に近い気もするが……。

 いや、そんなことよりもその内容だ。

「……何で『僕』がこんなこと、知って、る?」
(だってわたしだもの)

 意味が分からない。僕は僕だ。

 そう、僕はアリア、せんしゅう4さいに……?現在はM2の院生でのうかのむすめ。単身事故を起こして、オカアサンにせっかんされた……?

「う……、気持ち悪い。それに痛ぇし寒いわ……ハハ、最低の夢だなこりゃ」
(ごめんね、ごめんね)
「なんで謝るんだよ」
(わたしがおこしちゃったの)

 起こした?
 あぁ……そうだった、“奥”で寝ていた『僕』は『私』に起こされたんだった。

「オカアサンが怖いのか」
(おかあさんはこわい。いたい)
「……ほとんど毎日だもんな」
(うん。わたしはここ、きらい。だから)

 そうそう。『私』はこのキタナイセカイが大っきらい。だから『僕』に向かって叫んだんだ。

 タスケテ、と。



 馬鹿な。誰の思考だ、今のは。

 これは夢か妄想に決まっている。早く醒めなければ……明日は論文の中間発表がある。

「ゆめ、ちがうよ」
(はぁ……)

 夢という事を否定してくる夢の住人。ユングの夢分析だとこういう夢はどんな意味があるんだっけ。

「たすけてよ」
(『僕』には無理だ。諦めろよ)

 うるさいガキだ。お前の事など知った事か。

「あきらめる?」
(あぁ、どうにもならんことなら諦めて生きろ。その方が楽だぞ……)





「……夢、か。ふふ、随分久しぶり、あの夢は」

 『私』は与えられた自室のベッドの上で目を覚ます。ふと窓を見ると、外はまだ真っ暗だ。
 あ~変な時間に起きちゃったな。

「うぅ~……さむっ」

 この部屋は立派なのだけど、どこからか隙間風が入ってくるらしく、夜中は結構冷える。あの時の夢を見たのはこの寒さが原因かもしれない。

 寝直してもいいのだが、いかんせん目が冴えてしまって眠れそうにない。
 さて困った。どうすべきか。

(鍵が開く朝まで部屋でじっとしててもいいけど……さすがに退屈かな……)

 

 この屋敷では、私の身の回りに設けられたいくつかのルールが存在する。

 その一つが就寝前に外から自室のドアを施錠される事(内からは開けられない構造)。

 これは、幼い私が夜中に勝手に出歩いて怪我などをしないためと言う事なのだが、不便と言えば不便だ。
 夜中に何か用事がある時は呼び鈴(といってもただのベルだが)を鳴らして、夜番の使用人に来てもらう事になっている。

 それと似たようなものに、自室の窓が開かないようになっているという事もある。

 窓を開けたまま寝てしまうと風邪をひくし、私の部屋は2階に位置しているので、窓から落ちてしまったりしては困るとの事だ。

 少々厳重過ぎるような気もするが、大事に扱われている結果と思えば、多少不便であろうともその気遣いが嬉しいもの。本当にこの屋敷の人達は優しい。

(…………)



「あれ、開いてるや」

 所在無しに部屋の中をうろついていた私がふとドアノブに触れてみると、重厚な木製のドアは、キィ、と特に抵抗なく開いた。

 どうやら今日はカヤが鍵を掛け忘れたらしい。ふふ、朝になったら注意してやろう。

「ちょっと厨房にいくだけだし、いいよね……」

 夜中に出歩く時は、“必ず”呼び鈴を鳴らす事、と言われているのだが。

 少し小腹の空いていた私は、厨房に何か余り物がないか探しに行く事にした。そんな用事ともいえない事で夜中に人を呼び付けるのも悪いだろう。



(そっと、そーっと)

 私は皆を起こさないように、そっとドアを開けて忍び足で部屋を出た。

「ん?」
 
 1階に下りて厨房に向かう途中、どこからかボソボソと話し声のような音が聞こえてきた。

(こんな夜中に何だろう?)

 不思議に思った私が真っ暗な廊下を見渡すと、一階玄関近くの部屋から微かにランプの光が零れていた。

 あの部屋は確か、執事室。老執事ライヒアルトさんの部屋だ。



(うーん、独り言かな?なんか気になるなあ……)

 ちょっと躊躇したが、好奇心に負けた私は執事室のドアに耳を近づける。

 盗み聞きなんてあまり良くない事だとは思うけど、もし私の話題だったりしたら、と気になってしまう。

「──もあと1週間────」

 ん、独り言ではなく、誰かと話し込んでいるようだ。誰だろう。女の声だけど……

「しかし、──イイ趣味を──」
「──しても妾──演──は自分でも────思わんか?」

 話しているのはリーゼロッテ様、なのか?声の質もその口調もいつもと違っている気がするけど……。
 それにしても内容が気になる。何があと一週間なんだろう。

 私は頭が埋まるのではないか、というほどピッタリとドアに耳をくっつけた。

「さあ、それはどうでしょうか。何ともお答え致しかねますな」
「ハッ、芸術がわからぬ失敗作はこれだから駄目なんじゃ」
「くっく、前衛的なモノは理解できぬ年寄りの頑固者でして」
「ち、妾の方が年上だと知っておろうが。嫌味な下僕じゃ。今すぐ物言わぬ肉くれにかえてくれようか」
「おお、怖い怖い」

 やはりリーゼロッテ様の声。ライヒアルトさんより年上?ジョークでも言い合ってるのかな。
 話している内容もよくわからないけど物騒だし……ブラックユーモアという奴だろうか。

「ま、それはもうよいわ。……で、小娘の経過はどうじゃ」
「順調ですよ。来た頃は蒼白だった顔色もここ最近で赤みがさしてきましたし。体も大分肥えてきました」

 小娘っていうのは私の事か?むぅ、陰ではそんな風に言われてるとは。
 確かに小娘ではあるけれど、ちょっと嫌な気分だ。

 でも私の体に気を使ってくれているみたいだし、文句を言う筋合いでもないよね。こんなにいい思いをさせてもらっているのだし。

「たわけ。妾は小娘の体など興味はないぞ。あるのはお前らだけじゃろうが。聞いとるのは妾の“脚本通りに”進んでおるかどうかじゃ」
「あぁ、そちらはもう。アレはこれまでの娘以上に阿呆のようですな。完全にこちらを信じ切っていますよ。あの緩みきった表情でわかるでしょう?」

 え?何の事?

「ふん、まあ妾の書いた脚本なのだから当然じゃな。わかっておると思うがスヴェルの夜までは絶対に気付かせてはいかんぞ?」
「そう何度も念を押さずとも、十分に存じております。主も心配性ですな。寿命が縮みますよ?」
「そう言って前に気付かれた事があったじゃろうが」
「あぁ、あの首を吊った娘ですか。大丈夫ですよ。あの娘は最初からこちらを疑ってましたからね」

 ドクンッ、と心臓が跳ねる。鼓動が速い。息が荒くなる。

 ダメ、これ以上聞いたら……。

「しかし今回は下準備も長かっただけに楽しみですな。天国から地獄、全てが覆った時にどんな反応をするのか」
「妾が手掛ける舞台ぞ?最高の表情をするに決まっておる!絶望、悲哀、逃避、憤怒、混乱。どれじゃろうな……あるいは入り混じるか……その表情に味付けされたスヴェルの夜の乙女の血……あぁ、想像するだけで絶頂に達してしまう!クッひヒヒゃひヒあヒ」

 歪んだ嗤い声と、不気味な言葉。女の声は狂気に満ちている。

 リーゼロッテ様?これが?

 嘘。

「全く……もう少し上品な笑い方はできないのですか……。で、後処理の方は?」
「クひ、使用人ももういらんだろう?血は勿論妾がもらうが、肉の方は貴様らにくれてやる。人間の肉はまずくて喰えんでな」
「それはそれは、主の寛大なお心遣い感謝致します。しかしあの味がわからんとは難儀ですな。私など段々と肥えてきたアレを見て涎を垂らさないようにするのが大変ですよ。あの柔らかそうな尻などオーブンで焼けばトロトロに……」

 何これ。意味が分からない。分かりたくない。

 やめてよ。

 折角キレイナセカイだったのに……壊さないでよ……





 私はふらふらと執事室のドアから後ずさり、無意識のうちにそこから逃げようと静かに歩き出した。



 もし盗み聞きをしていた事がバレたらどうなるのだろう。

 確信があった。気付かれたら“終わる”と。
 絶対に音を立てては、いけない。そう思うと、自分の鼓動や息遣いが地平の果てまで響きそうな騒音に聞こえてくる。

 外に出たい。今すぐここから逃げ出してしまいたい。

 しかしそれは無理だ。この時間は全ての扉の鍵が掛けられている。窓を割れば音で気付かれる。



 とりあえず今は、自室に戻ろう……。
 
 私は今夜、自室から出なかった、ずっとベッドで寝ていた。そういう事でなければならないのだから。



 辺りは静まり返っている。他の部屋に灯りはついていない。どうやら起きているのはあの2人だけのようだ。

(いける)

 階段に向かって1階の廊下をすり足で進む。ギシ、と軋む床板の音が憎い。
 2人のいる執事室を何度も振り返り、後ろを確認する。中ではまだあの話が続いているのだろうか。

 やっと階段まで辿り着く。手すりを掴みながらなるべく体重をかけないように階段を上る。

 大丈夫、誰も後ろからは来ていない。上りきった。
 
 自室まではあともう少し。あそこまでいけば、きっと。





「……何をしているのかな」

 ゴールまであと一歩。





つづきます

※長くなったので前後に分けました。ここからしばらくシリアルかも……。






[19087] 6話 スキマカゼ (後)
Name: キナコ公国◆deed4a0b ID:a1a3dc36
Date: 2010/06/03 18:10
「……っ!」

 背後から唐突に掛けられた問い。
 それはとても静かな声だったが、私には怒り狂うドラゴンの咆哮よりも大音量に感じられた。

 私は刑の執行を言い渡された死刑囚のように硬直する自身の体を、無理矢理に捻って背後の人物を確認する。



 カヤだった。

 私は声の主が執事室に居たあの2人でなかった事に安堵し、ほぅ、と息を漏らした。

 カヤならば大丈夫。この娘があんな恐ろしい企みに関わっているわけがない。絶対、私の味方になってくれるはず。
 でも先程盗み聞いた内容を、まだ話すわけにはいかない。もしかしたら私の聞き違いかも……しれないし。

「何でもないよ。ちょっとぶらついていただけ。そうだ!今日鍵かけわすれてたよ?」
「……どうして勝手に部屋から出たの?」
 
 私はおどけた調子でカヤの質問に答え、最後にその話題から逃れるように話を逸らした。
 カヤはそれを無視して質問、いや詰問を続ける。その表情は虚ろで、感情が読めない。

「どうして、ってだからただの散歩……」
「部屋から出る時は“必ず”呼び鈴を鳴らす事、って知ってるよね?」

 カヤは言葉を発しながらじりじりと私に近づく。
 その何とも言えない迫力に、私は後退を余儀なくされ、程なく壁際に追いつめられた。
 私に詰め寄るカヤの瞳はまるで深い洞穴。顔にぽっかりとあいた単色の穴。その声色はいつもの張りのある元気なものではなく、ひたすらに冷淡なものだった。

「え、と……あの」
「…………」

 壁に背がつき逃げ場がなくなった私はしどろもどろになって言い訳を探す。
 カヤは何も喋らず、ただ私を見る。睨むのではく、覗きこんでいる。まるで庭園の草木を這う芋虫を観察をするかのように。

「ご、ごめんなさい。もうしません」
「……そう」

 もう謝るしかなかった。何か寒気がする。もうここにいたくない。早く自室に戻って寝よう。

 そうだよ、寝て起きればこの悪夢も終わっているはず……。

「寒くなってきたから、私部屋に戻るね」
「…………」

 私はそう宣言して、追い詰められていた壁から離れ、回れ右をした。
 カヤは無言で私に付き従う。後ろから刺すような視線を感じる。居心地が悪い。

 まさか、カヤも……?嘘……でしょ?

 結局、そのまま最後までついてきたカヤは、私が自室に入ると手早くガチャリと鍵をしめた。

「じゃあ私は行くから……早く寝ることね」
「うん……」

 ドア越しにかけられる言葉は忠告なのか。



「ルール破っちゃ……ダメダヨ?」

 去り際にカヤが残していった言葉。忠告などではない。……これは警告だ。





 こんな状態でベッドにもぐった所で、眠れるわけがなかった。
 相変わらず部屋には隙間風が吹いている。カチカチと鳴る歯がうるさい。視界が小刻みに震える。

「寒い……」

 頼りない自身の肩を抱きしめながら私は呟く。
 
「私、どうすればいい?」
(…………)

 牢獄の鉄格子のように開くことのない窓から庭園を眺めて考える。いつも美しいと思っていた庭園は、夜の闇に晒されているせいか、酷く寒々しいものに見えた。



「あれは、誰……?」

 何とはなしに、庭園を眺めていた私だったが、不意にそこで佇んでいる人物がいる事に気付いた。

 メイド長、カヤの母だ。その表情までは読み取ることはできないが、どうやらこちらを見上げているようだ。
 
(こんな時間に何を?とてもじゃないけど庭の手入れをするような時間じゃない)

 私はその姿に薄気味の悪さを感じ、視線は向けずにメイド長を視界に入れる。しばらくの間、その動向を探っていたが、彼女は微動だにせずこちらを見上げたまま直立している。

 置物のように静止している彼女からはまるで生気が感じられない。

「これって……」

 監視、サレテイルノカ?

 そういえば昼間には、私が何処に行くにも必ず誰かが付いてきたような気がする。何だかんだと理由をつけて。
 それはこうやって監視するため?

 内から部屋の扉が開かないのも、窓が開かないのも……。
 設けられたルールは私を逃がさないようにするため?

 まさか、この屋敷の全員が……?

 その考えに至った時、何かがガラガラと崩れるのを感じ、奇妙な浮遊感を覚えた。例えれば、天を突く塔が一瞬にして消滅し、その最上階から投げ出されるような。

「……うっ……うぇ、おぇぇえ……」

 私は急激に落下していく気分に耐えられなくなって、その場で嘔吐した。

(やれやれ、だ)





「はぁ、はぁ……よそう。あれは違う。あれは空耳。私は何も聞いていない。カヤやメイド長の様子がおかしかったのも夜中で寝ぼけていただけ。明日になればきっといつも通り」

 床にへたり込んだ『私』は、汚れた口を寝巻の裾で拭いながら、再び芽生えてくる疑念、いや限りなく確信に近い考えを遠ざけようとする。

(……あれだけの事を聞いてまだそんな事を言ってるのか。いい加減に目を覚ませ)

 私の中の『僕』の部分が警鐘を鳴らす。

「うるさい……うるさいうるさいっ!私はそんな事聞きたくない!ここは楽園。私は運良く救われた。リーゼロッテ様だって、旦那様だって、皆が私を歓迎してくれている。誰もが望んだハッピー・エンド。それでいいじゃない」

 『私』は頭を激しく左右に振って、『僕』を拒絶する。
 『私』は受け入れたくない。それを受け入れてしまえばきっと、このキレイナセカイが綻んでしまう。

(目を逸らせばそれで解決するのか?売られた娘が何の苦労もせずに幸せを掴む?ハハ、御伽噺にすらそんな話は存在しない)

 『僕』はそんな甘い夢を信じていない。いや、本当は『私』だって信じていなかった。

「何よ、私が幸せになったっていいじゃない……。ずっと虐げられてきた挙句に売られたんだ!私を買いに来る客も異常者ばかり!もういい、もうキタナイセカイはいらない!」
(思考を放棄するなよ。主観的に感じるな。客観的に考えろ)

 『私』と『僕』がせめぎ合う。夢と現。虚構と真実。感情と理性。

 顔はいつのまにか流れ出した涙と鼻水でぐちゃぐちゃだ。こんな顔は誰にも見せられない。

「いや、いや……」
(現実から逃避してる場合じゃない。このままだと確実に“消える”ぞ?)

 消える──死ぬではない。消える。セカイから存在がナクナル。

「うあ……」

 最期の記憶が蘇る。『僕』がセカイから“消える”記憶。圧倒的で根源的な恐怖。



 いやだ、消えたくない。『私』はまだ……………………生きたい。



 『私』が『僕』に圧されていく。

(さっき盗み聞いた内容だけじゃない。リーゼロッテの言葉は最初から疑問と矛盾だらけだ。ほら、思い出せ!)

 とどめとばかりに、『私』が“奥”に押し込めていた記憶が次々と脳内に再生されていく。



《ね……く…よ》
 
 あの呟きはなんだったんだ。赤い瞳、何かの魔法?私の意識がないうちに何を調べていた?

《うまそうだ》

 あれは現実に聞いた言葉。そう、私を見て美味そうだ、と確かに言っていた。

《この栗毛の小さな子、……アリアと言ったか?》
《ファーストネームがアリアだったんだ》
 
 妹と同じ名前だと言っていたはずなのに、なぜ名前がすぐに出てこない?普通は容姿よりもその名前の方が印象に残るのではないか?

《代役を探していた》
《父の中では妹は10歳の少女のままなのだよ》
《妹にそっくりで驚いた》
《運命だよ、アリア》

 それなのに何故あの時、他の2人も面接していた?妹の代役は10歳くらいでないと駄目なのだ。あの場にいたのは私の他はどうみても10台中盤は超えている娘だけだった。



 それ以外にも出来すぎた偶然、とってつけた言い訳のような物言いが明らかに多すぎる。挙げていけばきりがないほどに。

 どうしてこんな事に気がつかなかったんだ?

 いや、私は本当は知っていた。ただ見ないフリをしていた。

 理想を絵に描いたような完璧過ぎるご主人様。
 私の身分には分不相応な甘美で魅力的な誘い。
 何もせずともただ与えられ続ける至福の時間。

 世の中にウマい話はない。あったとしても私にそんな話はこない。何故なら私にそんな話を持ってきても誰も得をしないからだ。

 にも拘らず、私は全ての不自然さに目を瞑り、臭い物に蓋をしていた。

 彩られたキレイナセカイを壊したくなかった?言い訳にもならない。





「一体、何をやっていたんだ『私』は……」

 私はスッと立ちあがり、顔を拭い、汚れた寝巻を床にかなぐり捨てた。

 あまりに不甲斐ない自分への怒りによって、『私』は『僕』を、理性を取り戻していく。

 思えばあの口入屋で面接のあった広間に現れたリーゼロッテの姿を見た時から、私は理性を失っていた。感情が独り歩きしていたのだ。
 そして先程、決定的な会話を盗み聞くまで、その状態が続いていた。

 魔性。そんな言葉が頭をよぎる。

「あ゛ああああっ!」

 私は悔しさや苛立ちを吐き出すことによって、湯のように沸いていた思考を冷却した。

 

 リーゼロッテ様、いやリーゼロッテは間違いなく真っ黒だ。

 あの紅く変色する瞳、杖無しでの魔法のような力、理性を失わせる程の存在感、そして盗み聞いた会話の内容の異常さ。

 あの女は十中八九、人間ではない。

 リーゼロッテがやたら血に拘っていた所をみると、亜人である吸血鬼なのか?それならばその下僕といわれていたライヒアルトは屍人鬼ということか。
 吸血鬼ならば、最初の面接の時の呟きは何らかの先住魔法という事で説明がつくかもしれない。

 しかし、疑問が残る。記憶では吸血鬼というのは日光に弱いのではなかったのだろうか。

 リーゼロッテは昼間であっても日笠もささずに外出していた。

 それに吸血鬼が屍人鬼を作れるのは確か一体までという制限があったのではないだろうか。これについては少し記憶に自信がないが。
 それを正しい知識と仮定して、リーゼロッテが吸血鬼、ライヒアルトが屍人鬼だとしたら、カヤはメイド長は何者なんだ?人間であるのに従っているのか。それとも吸血鬼の仲間?

 そしてあの会話の中でのこの台詞。

《これまでの娘以上に阿呆のようですな》
《あぁ、あの首を吊った娘ですか》

 これはつまり私が最初の獲物ではない、ということ。

 前の獲物が私と同じような待遇を受けていたとしたら、屋敷の人間は全員その存在を知っているはず。
 その娘がある日突然消えたとしたら?死体が内々に処理されたとしても、疑問を抱くはずだ。噂にくらいはなっていないとおかしい。

 しかし、そんな話は毛先ほども聞いたことがない。

 何故か。全員が事情を知っているからこそ噂にならないのだ。即ち屋敷全体がグルである可能性が非常に高い、ということになる。



「まるでホーンテッド・マンションね……」

 この状況では流石に愚痴も零したくなる。期限は多く見積もってスヴェルの夜が訪れる丁度1週間後まで。屋敷内の人間はおそらくだが、全て敵。対してこちら側の戦力は現状では無力な平民の小娘一人。

 まさに今までのツケがきている。最初から気付いていればまだやりようがあったかもしれないのに。
 
 しかし愚痴を言っている状況ではない。

 今は後悔するな。この状況から脱出することができれば、その後に飽きるほどすればいい。
 どちらにせよ、ここに連れてこられるのは私が拒否しようとなんだろうと、避けようがなかったのだから。

 今はこれから何をするかを考えるしかない。





 戦う。
 これは駄目だ。話にならない。私などあちらが魔法を使うまでもなくジ・エンドだ。不意打ちをできたとしても致命傷を与えるような攻撃が出来るとは思えない。却下。

 交渉する。
 何を交渉のネタにするんだか。材料のない交渉は不可能。そもそも、あの狂人のような女相手に話し合いなど通じるとは思えない。却下。

 誰かが助けに来てくれる、もしくは奇跡が起こる。ピース。
 あほか。まだこんなことを考えているのか私は……。却下却下。大却下。

 逃げる。
 最も現実的な案だ。しかし成功率は非常に低い。監視が常に付いている可能性が高い事と、屋敷の周りには何もない見渡しのいい場所である。しかも私は足が遅い。ただ逃げるだけでは成功率はほぼ0パーセントである。
 だが現状これしか選択の余地はない。よってこれを突き詰めて考えるしかない。

 つまり逃亡の成功率を上げるために、何かしらの仕掛けを打つ、これしかなさそうだ。この屋敷にある材料で。



「あは、随分と絶望的じゃない」

 私はやや自嘲的に苦笑する。だが、決して言葉通りに絶望しているわけではない。

「覚悟。決めるわ。私は絶対に“諦めない”」

 私はいつかの私を救ってくれた“諦める事”を『僕』に向かって否定する。
 諦める事で確かに楽にはなれるけど、それは結局、何の解決にもならない。

「私はこの程度の事、自力で乗り切ってやる。そしてこんな偽物のセカイは抜け出して、本物のキレイナセカイを掴むんだ!」

 誰でもない、私は自分に覚悟を言い聞かせる。それは絶望的な状況におかれた自分を鼓舞するための虚勢かもしれない。しかし、間違いなく私の本心でもある。

 これでやっとスタートラインに立てた気がする。私の人生は絶望から始まる。それでいい。

 絶望の後にはきっと希望があるんだから。





(これで……夢の時間も終わりか)

 胸にポッカリと開いた穴に隙間風が通るような虚しさを感じる。
 私はこのキレイナセカイが好きだった。それが無くなってしまった痛み。



 でもやっぱり私は夢見る少女じゃいられない。

 私は飽くまで現実で幸せを掴むんだから。押し付けられた夢の中の幸せなんて要らない。





 私は現実を向きあうために、まずは先程嘔吐したブツを片づけることにした。





つづくと思われます






[19087] 7話 私の8日間戦争
Name: キナコ公国◆deed4a0b ID:a1a3dc36
Date: 2010/06/06 18:51

 タイムリミットまで あと8日。



 朝食の席に向かうため、私はいつも通りの時間帯に自室を後にした。

 輝いているように見えた屋敷の光景は、今は色褪せて、虚飾に満ちたものにしかみえない。
 よくよく見てみれば、ただの古ぼけた木造屋敷である。まあ、それなりに広く、趣味の悪い装飾はなされているが。

 食堂へ向かう途中、1階の廊下で私に気付いたカヤがパタパタと走り寄ってきた。彼女は開口一番、私に謝りを入れる。

「昨日はごめんなさい、言い過ぎた!」
「……大丈夫、こっちが悪かったんだから」

 カヤの様子は普段に戻っていた。一瞬、やはり昨夜の事は間違いだったのでは、などと思ったが、すぐにその考えを打ち消した。

 恐らく、昨晩、私が無断で部屋の外に出ていた事はリーゼロッテに筒抜けだろう。
 ただ、私が拘束されていない事を考えると、執事室での会話を盗み聞いていた事まではバレていないのだと思う。
 よって、私が余計な疑念を抱かぬよう、昨日の態度を取り繕っておけ、とリーゼロッテか老執事ライヒアルト辺りがカヤに命じた、というように考えるのが妥当ではないだろうか。

 謝り続けるカヤをいなし食堂のドアを開けると、穏やかな微笑みをたたえたリーゼロッテが待ち構えていた。
 私はその表情をみて吐き気を催したが、表情には出さないように努めた。
 
「アリア?どうしたんだ。顔色がよくないぞ」
「いえ、問題ありません。昨夜は少し夜更かししてしまって。ご心配おかけして申し訳ありません、リーゼロッテ様」
「それはいかんな。睡眠はしっかりとらなければ」

 少し強い口調で私に言い聞かせるリーゼロッテ。虫酢が走る。睡眠をとらなければ、味が落ちる、か?

 しかし、私があちらの企みに気付いている事を悟らせてはいけない。この場で全てが終わってしまう。
 そう、飽くまで私は何も知らない無邪気で哀れな子羊でなければならないのだ。

「はい、以後気をつけます!」

 ペコリと元気に頭を下げる私を見て満足気なリーゼロッテ。心の中では馬鹿な小娘と嘲っているのだろう。
 確かに昨日まではその通りだったのだけれども。



 あまり味のしない朝食を食べ終わった後、私はいつものように庭園には出ることはしなかった。

「今日は少し寝不足みたいだから部屋で大人しくしてる」
「そっか。何かあったら呼んでね?」
「ええ、ありがとう」

 私は心配そうな表情を貼りつかせたカヤにそう断ってから、今日一日は策を練るために自室に引きこもる事にした。





「ああ、もう。あれもだめ、それもだめ。結局この手しかないか……この部屋の配置を活かして……」

 自室に引きこもって半日、窓から見える空は赤く染まっていた。

 半日かけて私が考え付いた中で最も有力なのが、屋敷に火を放ち、その混乱に乗じて逃げ出す事。
 名付けて火事場泥棒作戦である。我ながら情けないがその程度しか実用できそうな案は考え付かなかった。

 とりあえず、これをメインに策を展開していきたい。それと併用したいのがトンネル掘って大脱走作戦である。

 これ自体は穴を掘って地下通路を作りそこから脱走という、荒唐無稽なものである。
 一体何カ月かかるんだ、しかも一人で……。とすぐにこの案は不採用となったわけだが、この案の地面を掘るという発想自体は使えるのだ。

 常に監視の目がある昼に脱走するのは不可能。
 ならば夜しかないのだが、夜は鍵が閉められるので、ドアから外には出れない。庭園から窓を監視されているので、窓を割っての脱走もダメ。

 ではどうするか。横が駄目なら縦しかない。

 この屋敷の壁面は煉瓦と漆喰で固めており、とてもではないが破壊する事はできない。しかし、上下の天井と床は、基礎の木組みの上に細長い床板を何枚も渡して床面を作り、その上にタイルが張られているだけなのだ。

 これは以前、老執事ライヒアルトに屋敷の建築様式を尋ねた時に得た知識。その時はこんな事になるとは思わず、単なる世間話のネタの一つとして何となく聞いただけだったのだが。
 ライヒアルトは「変わった事に興味がありますな」と怪訝な顔をしていたが、今思うとこれは本当にファインプレイだった。

 まあ、そういう構造なので、タイルを剥がして、その下にある床板を部分的にでも破壊してしまえば、床に穴を開けて逃走経路を作ることができる。
 私の体格ならタイル一枚分でも外すことができれば通る事ができるはず。勿論素手では無理なので道具は必要だろうが。

 床に空ける穴の先にある部屋、つまり自室の真下に位置している部屋は倉庫部屋だ。

 この配置はいい。とてもいい。すごくいい。
 
 倉庫部屋は作戦の鍵となる部屋だ。

 その理由としてまず挙げられるのは、誰も使用していない部屋である事。
 これが、誰かの寝室だったりしたら、穴を開けても即バレして終了だからである。

 二つ目として、物品が多く保管されている事があげられる。
 つまり、脱走のための武器となりえるものが存在している可能性が高い部屋であるという事だ。

 そして三つ目。倉庫部屋には荷物搬入用なのか普段は使われていない勝手口が存在する。
 この勝手口さえ開けば、廊下に出て正面玄関に向かったり、窓をぶち割って大きな音を立てる危険を冒す必要性がなくなる。最短の逃げ道が確保できるのだ。

 火を付けずに、静かに倉庫部屋の勝手口から逃げ出すという事も考えた。しかしこれだけでは弱いと感じた。
 その場合逃げた事に気付かれたら屋敷の人間全員の注意がこちらに向かってしまう。

 つまり誰も私がいなくなった事を気にもかけないような状況、非常事態を作りださねば、逃げられる気がしないのだ。
 150エキューで買った貧民娘と、屋敷の非常事態なら屋敷の方を優先するはず。はず…………。



 そんなわけで、今日から床板を剥がす作業を開始する。
 その位置はもしこの部屋に立ち入られても、気付かれにくいベッドの下の部分にすることにした。

 やはり、自室で隠し事をするならベッドの下と相場が決まっている。





「ふぬぅうううう」

 晩餐をかきこんだ後、床板と格闘する私。その顔はゆでダコのように真っ赤になっていた。

 とりあえず、道具は自室にあった金属製の靴ベラを使用。タイルは簡単に外せたのだが、底にある床板が手強い。
 思ったより薄く、しかも古いために朽ちかけているのは幸運だが、それでもかなり頑丈だ。

「あっ」

 折れた。

 靴ベラの方がな!

「くぅ、まさか屋敷全体に固定化の魔法でもかかってりして……」

 なんてことを呟いてみたけれど、そんなことはなさそうだ。固定化が掛っているのに床板が朽ちかけているわけもない。

「まずは道具を確保しないとどうしようもない……そう、バールのようなものを……」
 
 そんなことをブツブツと言いながら、ベッドにダイブする私。いや現実逃避してるわけじゃないですよ?
 鍵はもう閉められているのだ。道具の確保は明日にするしかないのである。



 ここですぐに寝てしまう程、私の神経は太くないので、火事場泥棒作戦を突き詰めて考えることにした。

 火種としては、自室に備え付けてあるランプの火を使えばいい。

 ただ単純に火を付けても燃え広がらない恐れが高い。事前に火の勢いを増す事のできる材料を確保しておきたい。
 例えば油。石油由来のガソリンや灯油があればいいのだけど、それは存在しない。
 なので、食用油か、油ではないがランプなどに使われている燃料用のアルコールという事になりそうだ。
 これは倉庫部屋にある事を期待する。明日にでも倉庫部屋を調査せねばなるまい。

 次に火付けの場所だ。これは上の自室から付けた方がいいだろう。火も煙も下から上にのぼるわけだから、上から先に火が出た方が気付かれにくい。
 だがそれだけでは屋敷全体をパニックに陥れることはできないだろう。なので、上の出火が気付かれ次第、下の倉庫部屋に火を付けて脱出。これがベストだ。

 最後に、作戦決行の時期。こればかりは作業の進み具合による。
 企みの首謀者と思われるリーゼロッテがスヴェルの晩までは絶対に気付かれるな、と命令していたのだから、こちらのアクションに気付かれなければ、その時まで行動を起こさないだろう、と思いたい。信じたい。
 勿論、できるだけ早い方がいいが、準備が不完全な状態での作戦決行は避けたい。ただでさえ成功する確率は低いのだから。

 正直かなり不安だらけの作戦だが、仕方あるまい、何せ昨夜までは何もしていなかったのだから。



「はぁ、しかしこれって逃げられたとしても確実に極刑ね……」

 思い出したように独りごちる私。

 貴族の屋敷に火を付けるなど(本当に貴族かどうかは不明だが)、どう考えても斬首かそれ以上の刑だろう。

 しかしやるしかないのだ。

 その後追われる事になろうとも、今を生き抜かねばその後はない。
 そこら辺の認識を誤魔化して、後腐れのないように上手くやろうなどと考えていたら、生涯地を這うどころか、天に召されてしまう。

「ふぁ……」

 いつの間にか窓の外は白んでいる。昨日からほぼ一睡もしていなかった私は、目を閉じるとすぐに眠りに落ちていった。





 翌日。私は床板を破壊する道具を確保するために、屋敷内を探索することにした。また、昨日考えた通り、倉庫部屋に必要な材料があるかどうかの調査もしなければならない。

 問題は監視の目。

 昼間はやはり常に監視されているように感じる。
 現在、私は朝食を終えて屋敷内で考え事をしながらぶらついているわけだが、当然のようにカヤがぴたりと私に付いている他、多数の視線を感じる。

 そもそも普通は使用人というものは朝から晩まで忙しいはずなのだ。手隙の時間などそれほどあるわけがない。にも関わらず、私の相手をさせているのは監視以外の何物でもない。

 昼間の内に下手な動きはできない、という事だ。ならば……。

「かくれんぼでもして遊ぼっか」

 少し考えた後、私は後ろに控えるカヤだけでなく、周囲にいる使用人にも聞こえるように大きな声で、こんな提案をした。
 普通に屋敷をうろつき回って、道具探しなどしていたら疑われる可能性が大なので、戯れに乗じる事にしたのだ。

 これならば、屋敷の中のどこにいても、怪しまれまい。もちろんリーゼロッテの私室を始めとして、立ち入れない場所も多いが。
 ちなみに、かくれんぼはハルケギニアの子供の間でも割とポピュラーな遊びである、と思う。私の居た村での認識ではあるが。

「随分と楽しそうだな。私も混ぜてもらっていいかな?」

 その声を聞きつけたのか、ふらりと現れたリーゼロッテが後ろから私の肩に手を置いた。

「…………っ」
「うん?」
「リーゼロッテ様が私と遊んで下さるなんて嬉しいっ」
「おっと。フフ、甘えん坊だなアリアは」

 私は突然のその行動に心臓が鷲掴みにされたように硬直してしまったが、すぐにリーゼロッテに抱きついて感激の意を示し、不自然な間を空けてしまった事を誤魔化した。

 リーゼロッテの体からはいつか嗅いだ事のある香りに混じって、微かに獣のような臭いがした。体に染み付いた血の臭いだろうか。
 強い薔薇の香りがするフレグランスはこの臭いを誤魔化すためのものか。あぁ、気持ち悪い……。

 それにしてもこんな子供の遊びに参加するだって?ただの気まぐれか?
 いや、一昨日の晩に出歩いた事で、少しこちらを疑っているのかもしれない。疑いを強める事のないように気をつけなければ。

 結局、リーゼロッテや男爵の私室、鍵の置いてある執事室などには近づかない事を条件にかくれんぼをする事、つまりこの屋敷を探索する事は了承され、戯れが開始された。
 ちなみにかくれんぼの鬼役はリーゼロッテがする事になった。適役すぎる……。

 

 遊戯の開始と同時に、まず私が向かったのは件の倉庫部屋。

「こっちは小麦粉、この壺の中は……この臭いはハシバミの実からとった油か。……燃料用のアルコールは、これか。こっちは量が少ないな……」

 部屋に入ってすぐ、倉庫部屋内の物色を始める。厨房の隣に位置しているだけあって、食品関係の物が多く保管されている。

 大量の小麦粉があったので「粉塵爆発だッ!」とか叫んでいる自分の映像が頭をよぎったが、どう考えても実現性は薄いのですぐに没となった。
 確かに小麦粉は粉塵爆発を起こしやすい粒子ではあるのだが、あれは空気中の粒子濃度が重要なのだ。高すぎても低すぎても爆発は起こらない。適当に小麦粉を屋敷内にばら撒いた所で成功する可能性は薄い。
 というか、実際爆発が起こったとしても着火した自分が巻き込まれて死ぬ。

 ともあれ、食用油と空きビンは大量にあるようなので、これに詰めて運べれば作戦に使う分の油は確保できそうだ。



 倉庫部屋で手早く調査を済ませた私は、鬼に見つからない内に移動し、床板を破壊するための道具がありそうな部屋を回る事にした。

 庭園にある物置小屋を覗いてみると、様々な種類の農具が存在していた。その全てが金属製の刃がついているものである。

 ちょ、鉄製農具って。やはり木製農具を使用していた私の生まれた村は特殊、というか貧乏だったのか……。

「まあ、それは置いておいて……これは使えそうね」

 この小屋に収められているのは、庭園の手入れ用の道具らしく、刈込み鋏、鋸、刃鎌、ピッチフォークなどが大型で使えそうだ。

 これならば床板を破壊できそうだ。農具の取り扱いは慣れている。
 私は一番応用が利きそうだな、と思いピッチフォークを手に取ってみる。鋸だとほとんど隙間なく敷かれている床板を破壊するには向いていないだろう。

「問題はこれをどうやって部屋に持ち込むか……」

 そう、それが問題だ。衆人環視の中、無断でこんなものを持ち込むことはできまい。
 誰かに許可を貰わなければならないが、その理由付けをするのは難しい。
 
「見つけたぞ、アリア」
「あら、見つかっちゃいました?」

 私が考えに集中していた所に鬼畜、いやリーゼロッテが倉庫部屋のドアを開いて入ってきた。またもや不意を突かれたのだが、そう何度も硬直してはいられない。

「フフ、私の勝ちだな。……ん?なんだそれは?そんな物に興味があるのか?」

 リーゼロッテは私が掴んでいたピッチフォークを指さして問う。

 ここだ、ここでリーゼロッテを納得させれば、この道具を部屋に持ちこめる。アイディアを捻りだせ、ひり出せ、私の脳味噌!

「はい。私は農民出身なのでこのようなものが懐かしく感じられるのです。身近にあると何となく“安心”できるというか……」

 眉を下げて悲しげな表情を作る。テーマは故郷に思いを馳せる少女。

「……ふむ、そんなものか。ではそれはアリアにあげよう。どうせあまり使っていないものだからな」
「へっ、いいのですか?」

 肩すかしを喰らった気分だ。リーゼロッテは私が「欲しい」とおねだりする前にあっさり喰いついてきてくれた。
 “安心”という言葉が効いたのか?それともそんなものを持ったところで何ができる、とタカを括っているのだろうか。流石『優しいリーゼロッテ様』は心が広い。

「ありがとうございます、大事にします!」

 私は満面の笑顔を作って礼を言う。油断してくれて本当にありがとう、三流脚本家のリーゼロッテ様。





 そんなこんなでピッチフォークを入手した私はその日の夜から本格的な作業を開始した。

 倉庫部屋の中に必要なものが揃っている事は分かったので、自室と倉庫部屋の間を開通させてから夜間にじっくり運び出せばいい。
 昼間に倉庫部屋から廊下を伝って部屋に運び込むのは無理がありすぎる。

 ということで翌日以降の昼間の時間はなるべく疑いをかけられないように、いつも通りの行動を心がける事にした。
 自室に何日も籠るのもまずいので、やはり作業はほとんど夜にしかできないのだが。

 夜間の作業時は、音を最小限に抑えるように気を使う。大きな音を立てては、たちまち誰かが駆けつけてくるだろう。
 作業の進行は遅れるが、作戦実行前にジ・エンドだけは避けなければならない。あまり力任せの行動が出来ない事にやきもきしながらの作業となった。



 作業開始から3日目にしてようやく床板を取り除くことに成功する。
 朽ちかけた床板を突いたり、揺すったり、削ったりしながら、やっとの事で破壊できた時の達成感はなかなかのものだった。

 さらに、自室と倉庫部屋を行き来するために、自室のタンスに収納されていた丈夫そうな服を縄状に結び、昇降用のロープを作る。
 使用する時はベッドの足にでも括りつければいいだろう。

「はぁ、まずは最初の難関クリア、か」

 しかしここで安心できないのが辛いところ。まだクリアすべき課題は残っている。



 作業開始から4日目。
 この日は、倉庫部屋の大きな壺に入った食用油とアルコールを空きビンに詰めて必要な分だけ上の階に運び、タンスの中に貯蔵していった。

 アルコールは量が少なかったので、屋敷を燃やすための材料としてばら撒くのではなく、燃えやすそうな生地にアルコールを染み込ませたもので瓶に蓋をして、火炎瓶もどきにすることにした。効果の方は使ってみない事にはわからないが。

 爆発物でも作れればいいのだが、日用品からそれを作りだすような知識は『僕』の知識にはない。最低でもニトロ化に必要な濃硫酸と濃硝酸くらいはないと……。
 
 あらかた油の運搬が終わった後は、他に武器になる物がないか、倉庫部屋の中を隅から隅まで漁ることにした。

「やっぱりもう使えそうなものはない、なあ。まあこれでも持っておくか……」

 さして目ぼしいものを見つけられなかった私は、食器棚の中に入っていた小振りのナイフを2本、懐にしまい込んだ。
 こんなものが役に立つとも思えないが、要するにお守り代わりである。刃物は魔を遠ざけるという迷信もあるしね。



 作業開始から5日目、倉庫部屋の勝手口の構造を調べる。
 4日目は油の運搬と武器漁りに夢中になっていて、危うくこの重要な確認を忘れるところだった。

 これで執事室から鍵を持ってくる事が必要になったらかなり厳しい状況になる。

 勝手口は、かなり古びた南京錠で内側から施錠されていた。錠の足(ツル)の一部が錆ついていて、かなり脆くなっていそうに見える。

 屋敷の外部からの侵入者に対する安全意識は予想外に低いようだ。出入口の鍵が老朽化しているのに取り替えていないとは。
 まあ、この屋敷に賊が押し入ったとしても、賊の方が餌食にされそうだけど。食物的な意味で。

 この勝手口は、出入りの商人が搬入に来た時しか開くことはないはず。つまり、毎日点検することはないのではないか?ならば。

「これも壊そう」

 ガツ、とピッチフォークの先を南京錠の錆びている部分にぶち当てると、カン、という高い金属音が鳴り響く。

「……っば」
 
 予想外に響いた音に、思わず口に手を当てる。
 慌ててベッドの足に括りつけたお手製ロープを伝って自室に戻ったが、しばらくしても誰も起き出した様子はなかった。

 その後、もう一度下に降りて、金属音を殺すために毛布で南京錠を包みながら、昨日拾ったナイフを使って作業することにした。

 この作業は夜通し続いた。脆くなっていそうな部分を重点的に攻めて、なんとか夜が明ける前に南京錠のツルの切断に成功する。
 あとは作戦決行の時まで、鍵が壊れている事に誰も気付かない事を願うのみである。






 とりあえずこれで予定していた全ての準備は終了。あとは実行に移すだけだ。

 期日までは、あと2日。いやもう夜明け前なのであと1日か。

「決行は明日の夜中、しかないか。全くギリギリもいいところ」

 期限ギリギリの準備完了になってしまったとはいえ、ここまで気付かれずに、かつ身動きが取れない状態になっていないのは運が大きく味方している。
 まあリーゼロッテに買われること自体が大凶だったので、その反動でも来ているのかもしれない。
 
「あとは決行するだけ、か。まあ、それが一番の問題なのだけれど……」

 そう言って、私は作戦決行前の最後の休息を取ることにした。これが最期の休息にならないように祈りながら。


 


つづくかな






[19087] 8話 dance in the dark
Name: キナコ公国◆deed4a0b ID:a1a3dc36
Date: 2010/06/20 23:23
 草木がざわめく音と、虫の音が耳に障る。赤と青が混じった色の淡い光だけが、草原の中にポツンと佇む、年老いた屋敷を照らしている。
 屋敷の窓際では、絵に描いたような美女が、ぼんやりと夜空を見上げている。その透き通るような青い瞳に映り込んだ双月はまだ重なりきってはいなかった。

「くふ、狸娘め、いつになったら事を起こすのじゃ?もう時間がないぞ?」

 くっくっ、と前屈みになりながら面白そうに喉を鳴らす窓際の美女、リーゼロッテ。
 
「踊らされている事に気付いておる癖にあの腹芸、中々に見事、じゃが」

 彼女はそこで一旦言葉を切り、ゆったりとした仕草で踊るように窓際から離れた。

「あの戯れの時の態度は不自然すぎたわの。所詮はほんの子供。まだまだ妾の女優ぶりには程遠いわ」

 鏡台の前まで移動した彼女は、鏡の中に映り込んだ自らの美貌を確かめた。



 実はアリアに叛意があるのは疾っくの疾うに露見していたのだった。その事を知っているのはリーゼロッテ本人だけであったが。

 アリアが覚悟を決めた夜、執事室でのライヒアルトとの会話を盗み聞きされていた事まではリーゼロッテは知らない。

 だが、その夜の後のアリアの態度の些細な変化をリーゼロッテは見逃さなかった。
 かくれんぼなどという子供の遊戯に参加したのは、アリアが思った通り、疑いを持っていたからだ。
 ただ、その疑いはアリアが想定していたよりもずっと強い物であったが。

 そして、アリアがピッチフォークを手に入れようとした時の不自然な態度で、その本心が完全に透けてしまったのだった。

 アリアは上手くいったとほくそ笑んでいたが、その生の大半を人間を欺く演技者として過ごしてきたリーゼロッテから見れば、自分に抵抗するための武器を得るための稚拙な演技にしか見えなかった。

 だが、その叛意を知ってなお、リーゼロッテはそしらぬふりをして、武器と成りえる道具をアリアに与えた。
 
 何故か。

 この屋敷で今まで獲物とされてきた娘のうち、企みに途中で気付いた娘はたった2人だけだった。
 
 その内1人は恐怖のあまり錯乱し、気が触れてしまい、もう1人は以前ライヒアルトが言っていた通り、絶望のあまり首を吊って自害したのである。
 それは、年端もいかない無力な娘達としては極めて正常な反応だったのかもしれない。
 何せ、閉じ込められた箱庭の中で、得体の知れない化物達の餌として飼われている事実を知ってしまったのだから。

 しかし強者であるリーゼロッテから見れば、それは酷く“つまらない”ものに思えてしまった。その心境は死んでいる餌に興味を持てない肉食獣のようなものだ。

 一方、事実に気付いてなお、理性を保ったまま抵抗を試みようとしているアリアの姿は、新鮮で興味深いものだった。
 
「しかしあんなもの一本で妾と戦う気か?……くふふ、いい、いいぞ!その無知、無茶、無謀!クひゃハはハは」

 彼女は最早耐えきれない、といった風に天を仰ぎながら大口を開けて嗤いだす。

 興味深い、といってもアリア自身にはさほど興味を覚えたわけではない。
 リーゼロッテは精一杯の抵抗が何の役にも立たないものだと知った時の表情もまた最高のものではないか?と思ったのだった。

 そう、リーゼロッテはアリアを舐めていた。舐め過ぎていた。

 リーゼロッテは、あの晩の会話を盗み聞きされていた事は知らないため、アリアがスヴェルの晩が舞台の刻限であると言う事に気付いている事は当然知らない。
 アリアがすぐに事を起こさないのは内心では怯えており、刻限を知らないため、いつ行動を起こすかの決心がつかないからだと考えていた。

 あの頼りない農具を武器にして自分と真っ向から戦うつもりなのだ、と勘違いしていたのだ。

 まさかアリアが逃亡のための作戦を立てて、時間をかけてその準備をしているとは考えてはいなかった。
 当然と言えば当然だ。長い時を生きてきたリーゼロッテから見れば、アリアなど少々賢しいだけの小娘にすぎないのだから。そんな小娘ができる抵抗といえば、玉砕覚悟の特攻しかあるまい、と高を括っていた。

 そのため、叛意を持ったアリアをすぐに殺したりするような事はせず、今か今かと、その抵抗の時を楽しみにして、泳がせていたのである。
 


「む……?」

 狂笑していたリーゼロッテは突如その眉をへの字に歪めて、スンッ、スンッと鼻をひくつかせる。

「なんじゃ、この臭いは……。気のせい……か?」

 彼女は微かに漂ってくる異臭を感じて、私室のドアを開けて部屋の外を確認する。

 リーゼロッテの私室はアリアと同じく2階部分にあるが、リーゼロッテの私室は西側、アリアの私室は東側に位置している。
 ちなみに2階部分に私室があるのは、この屋敷の主という事になっている男爵(仮)と、リーゼロッテ、アリアの3人だけである。

「何やらハシバミ臭いような気がしたが……。まぁ、晩餐に出されたサラダのせいじゃろうな……。あんなまずい物を出すなといつも言っておるのに……あの失敗作め。あの油もハシバミ臭いから買い換えろと言ったのにずっとそのままじゃし……もしかして妾は下僕に嫌われとるのか?」

 彼女は気の利かない料理人と使用人に悪態を突きながら、乱暴にドアを閉めると、そのままの勢いでベッドに倒れ込んで不貞寝し始めた。
 
 彼女はその臭いだけで吐き気を催すほど、ハシバミ草が大嫌いだった。







 ぴちゃぴちゃ。ぬちゃぬちゃ。ぬるっ。



「あぅ、濡れちゃった」

 油で。服が。

 リーゼロッテが独りごちていた頃、アリアはハシバミの実から抽出された食用油を布団や毛布、シーツ、カーテン、余った衣服などにたっぷりと染み込ませながら、自室の床と倉庫部屋の床に大量にばら撒いていた。

 リーゼロッテが感じた異臭とはこの臭いであったのだ。

 しかし、ハシバミから取れた油はそれほど強い臭いがするわけではなく、鼻先に近づけてその臭いを嗅がなければ、無臭に感じる程である。
 アリアとリーゼロッテの部屋は、同じ2階にあるとはいえ、その距離はゆうに20メイルはある。ドアを隔てていることもあって、普通の人間ではその臭いに気付くはずはないのだが……。

「うげ、ロープまで油でねっとりしてる」

 たっぷり時間を掛けて撒いた油は、自室の床に空けた穴から倉庫部屋にぴちゃぴちゃと滴るほどの量になっていた。

「時は満ちた、ってやつね……」

 アリアは緊張した面持ちでそう呟きながら、花柄の三角巾を頭に巻きつけ、きつく結んだ。
 
 そう、ついに作戦を決行する時が来たのだ。

 全ての準備を終えたアリアの左手には部屋に備え付けてあったランプ、右手には柄の先にアルコールを染み込ませた布を巻き付けたピッチフォークが握られ、腰には1ダース程の火炎瓶もどきが靴ひもで束ねられている。

 ……勿論、本人は大真面目なのだが、何と言うか、その、少々奇抜というか、奇怪な出で立ちだった。

「すぅー、はぁー」

 独特の衣装を身に纏ったアリアは目を閉じながらゆっくりと深呼吸して、緊張に高なる鼓動を落ちつかせる。



 …………。
 
 そこから数分間、深呼吸をした後、屈伸運動したり、背伸びしたりして、ようやく決心がついたのか、アリアはランプの灯を付けた。

「っしゃあ!」

 その掛け声とともに、火事場泥棒作戦の火蓋が切られた。

 アリアは火種である左手に持ったランプから、右手に握った松明代わりのピッチフォークの柄の先端に火を付ける。
 ボゥ、と燃え上がった松明の火を、床にばら撒いた油を染み込ませた毛布に近づけると、程なくそれに引火した。

 アリアは1箇所の出火に満足することなく、次々と別の場所から火を付けていく。

 あらゆる方向から引火した炎は、布地を伝って、床、壁へと連鎖的に燃え上がっていった。

「これで終わりだッ!」

 燃え盛る炎を見て若干ハイになったアリアが目をギラギラさせながらトドメとばかりに、口に火を付けた即席火炎瓶を半ダースほど次々と炎の中にぶち込んだ。

 火炎瓶を投げ込んだ場所からは、大きな火柱があがり、部屋の中は火をつけた本人自身すらドン引きするほどの火力になっていく。

「ふっ!」

 炎が屋敷の床や壁面に燃え広がり始めた事を確認すると、アリアは手早く1階へと飛び降りた。昇降用のロープはすでに2階で燃えている。

「さて、次はあの化物どもが気付くまでは様子見ね……」

 そう、2階の自室から1階の倉庫部屋が繋がっている事はまず気付かれていない。だが、上が消し止められれば、それは露見してしまうだろう。
 なので、誰かが上の惨状に気付いて、屋敷の人間が消火のために集まった所で下から火をかけるつもりなのだ。これならば、下から出た火が気付かれにくくなる。

 アリアは天井に空いた穴からチラチラと覗く、燃え盛る地獄のような光景を見ながら、倉庫部屋の隅で息を殺して作戦が次の段階に移る時期を待つことにした。





「主様っ、大変、大変でございます!」

 バン、ドアが開け放たれる。慌てて不貞寝していたリーゼロッテを叩き起こそうとするのは、庭園からアリアの部屋を監視していたメイド長だった。

 彼女が異変に気付いたのは、すでに炎が燃え広がった後だった。
 外から窓を見上げていた彼女は、部屋から黒い煙がもくもくと立ち上るまで、それに気付けなかった。

 火災が起こっている事に気付いた彼女は、大急ぎで屋敷の中に入ったが、既にかなりの勢いで炎が燃え上がっており、自分一人ではどうしようもないと判断したため、主であるリーゼロッテの所へ駆け込んだのだった。

「……騒々しいぞっ!……ん?なんじゃこの焦げ臭いのは?」

 不機嫌そうに、目覚めたリーゼロッテだったが、強烈な焦げ臭さを感じてその怒りは収まった。
 メイド長はオロオロしながらも、リーゼロッテにその理由を説明する。

「そ、それが。あの小娘の部屋のあたりから火が出たようでして……どうすればいいかと」
「何だと?あの小娘、まさか自棄になって火をつけたのか?ぐうぅ、此処まで来て自害とは…………」

 リーゼロッテは悠長にはぁ、と溜息を漏らし、ひどく落胆したように顔を俯けた。

「こんなことならさっさと食しておけば……。うぐぅ、あれは実に美味そうじゃったのに……あぁあっ、もう!もう!もうっ!」
「……あの、そんなことを言っている場合ではなくてですね。このままでは屋敷全体が燃えてしまうかと」
「そんなもの水でも汲んできて消せばいいじゃろうが。妾は落ち込んでおるのじゃ。そっとしておいてたもれ……」
「ですから!そんな場合ではありません!実際見て頂ければわかります!」
「分かった!分かった!全く煩いのう……はぁ」

 リーゼロッテは面倒くさそうにだらりと立ち上がると、背中を押されながらのそのそと部屋の外に出る。

「う……」

 その光景に、リーゼロッテは目を丸くして絶句した。

 2階の廊下中に黒い煙が蔓延しつつある。
 その炎は大きく燃え上がり、すでにアリアの部屋だけでなく、その周辺を飲み込みつつあった。

 彼女は火事と聞いたが、それは小火程度の規模のものだと思っていた。まさかこれほどの惨事になっているとは思わなかったのだった。

「……おい、何でこんなになるまで気付かんのじゃ?」
「申し訳ありません、私も混乱しておりまして……」
「くそっ、もういい!さっさと動ける者は全員叩き起こして火を消せ!すぐじゃ!すぐ!」
「はっ!」

 惨状を見て焦ったリーゼロッテがメイド長に指示を出す。



 それから程なく、駆け回るメイド長によって、総勢10名の屋敷の住人が集められ、消火活動が始まった。

「ライヒアルト、お前は火に水をぶつけろ!カヤは下から火を消すのに使えそうなものを探して来い!他の者は周りの床や壁を壊して延焼を防げ!」

 リーゼロッテが他の者に指示を出していく。その隣で屋敷の主であるはずの男爵(仮)は借りてきた猫のように大人しくしていた。

 男爵(仮)はリーゼロッテの指示通り、先頭を切って床や壁を素手で破壊し始める。まるで化物のような膂力である。
 他の者は手に持った道具を使って、炎が燃え移りそうな場所を破壊していく。カヤだけは下の階へと走って行ったが。

「凝縮《コンデンセイション》!」

 老執事ライヒアルトは水の系統魔法の初歩である、【凝縮】によって水の塊を発生させると、燃え盛る炎の中心である、アリアの部屋に向けてタクト型の杖を振るった。

 上流貴族の屋敷に仕える執事は、高い教養と貴族の常識を知っている事を必要とされているため、貴族出身でありながら、その地位を継げなかった者が取り立てられる事が多い。
 ライヒアルトは元々、下級貴族の家の次男坊であった。そのため、系統魔法を使う事ができたのだ。
 ランクは最低のドットであるが、水メイジであった彼が全力で作りだした水球は人の背ほどもあるほど大きかった。

 しかし、彼らは知らなかった。

 その火災が油によって引き起こされたものだと言う事を。そして油が原因の火災に水を直接かけてはいけない事も。

「ガッ?!」

 爆発。

 ガンガンに熱された大量の油に大量の水。水蒸気爆発が起こるのは当然の結果である。

 近くにいた何人かは、その衝撃に吹き飛ばされ、また、もう何人かは爆発によって撒きあがった炎と、飛び散った油によって大火傷を負い、廊下をのたうち回って呻き声をあげる。その中に、男爵(仮)や、メイド長の姿も含まれていた。

 無事だったのは、水を放ったライヒアルト、1階に走って行ったカヤ、そして後方で指示を出していたリーゼロッテの3人だけ。

 図らずも、リーゼロッテ達の消火活動はアリアの作戦の効果を助長してしまったのだ。

「ぐぅあああっ」

 先頭に立っていた男爵(仮)は、完全に火達磨となって、苦しそうな叫び声をあげていた。

「こ、これは一体……?ち、治癒を」
「たわけ、死人に治癒魔法など効くか!それよりさっさと水を出して火を消してやれ!とりあえずさっきのよくわからん爆発で火は小さく……」
 
 ライヒアルトが呻き声をあげる男爵(仮)に治癒をかけようとするが、リーゼロッテによって制された。
 しかしそこで、さらにリーゼロッテ達を追い詰める知らせが、階段を慌てて走り上って来たカヤから知らされる。

「リーゼロッテ様、下からも炎が!」
「な、何じゃとっ?!どういう事……」

 そこまで言ったところで、おかしい、とリーゼロッテは感じた。

(今臭いを放っているのは、床でのたうち回っている下僕達が焼ける臭いだ。あの小娘が焼ける臭いはしていたか……?)

 彼女は燃え盛る炎を横目に、顎に手でさすりながら思考する。

(それに、ただ火をつけただけでここまで勢いよく燃え広がる物なのか?まさかあのハシバミの臭いは……)

 そこまで思考した所で、彼女は何かに気付いたのか、ハッとした表情を見せた。

「く、くく。クひ。くヒャハははアッ!やってくれたわ、“狸娘”がッ!」
「ぬ、主様?!」

 非常事態の中、突如大口を開けて愉快そうに笑いはじめたリーゼロッテに、カヤはその正気を疑った。

「小娘と思って舐め過ぎたか……。まさかまさか……こんな素晴らしい反撃をしてくるとは。カヤ、ライヒアルト。貴様らは火をなんとか消し止めろ!妾はあの狸娘を追う!」
「何を……?すでに小娘など中で焼け死んでいるのでは……」
「たわけっ、ではなぜ下から火が出るのじゃ!あの狸娘の仕業に決まっておろうが!アレはもう屋敷から逃げ出しておるに決まっておるわ!」

 リーゼロッテはそう叫ぶと、爆発によってやや下火になっていたアリアの部屋の方へとふらふらと歩き出す。

「主様、何を……」
「……成程。どうやって逃げたかと思えば。狸娘、ではなく土竜娘、であったか。面白い、実に面白いぞッ!」

 リーゼロッテは床に空いた穴を見下ろして、そう吐き捨てると、鼻をひくつかせながら、開かない窓を勢いよくぶち破って外に飛び出していった。







 はぅ、はふ、はぅ、はぁ



 少女の荒い息が夜の草原に響く。

 アリアは草原を風のように、とはいかなかったが、全力で走っていた。
 
 心臓が爆発しそうだ、足の感覚が無くなってきている。

 アリアの体力は限界に近付いていたが、それでもなお走り続けた。止まる事は許されないのだから。
 その右手にはもう火付けに使ったピッチフォークは握られておらず、灯を消したランプだけが握られていた。屋敷を出る際に捨ててきたのだ。灯りをつけていては、すぐに見つかってしまいそうだったから。
 腰に巻きつけた火炎瓶も残りは2つだけ。全て使用してもよかったが、もしもの時のために取っておいていた。

 燃え盛る屋敷は既に遥か後方。

 アリアが勝手口から屋敷を出たのは、屋敷の住人が上に集められた直後だった。
 既に走り出してから半刻近い時間が経ち、貧弱なアリアの足でも、屋敷とは相当な距離が開ける事に成功していた。

「はぁ、ふう。さすがに、もう、大丈夫、か?」

 アリアは屋敷からどれだけ距離が離せたのか確認するため、首だけで後ろを振り返る。

「……んっ?」

 黒い粒。

 最初は黒い粒に見えた。

 それが猛烈な勢いで、屋敷の方向から一直線にこちらに近づいてくる。

 いや、あれは黒い粒ではない。髪をなびかせながら、凄まじい勢いで駆けてくる。
  


 嘘でしょ……。あれは。



 リーゼロッテ。



「はぁ、はぁ……なんでよぉっ……!」

 その理不尽な走行速度と、的確すぎる察知能力に、泣き事をいいながらも、アリアは走った。

 アリアは知らなかった。リーゼロッテが僅かな匂いで人間を追えることを。そして獣のようなスピードで走れることも。

 アリアは、街道の方向とは明後日の方向を向いて逃げており、その距離もかなり開いていたため、内心ではもう追って来れないだろう、と思っていた。
 そもそも、屋敷が今現在燃え盛っているのに、リーゼロッテ本人がこちらを優先してくる事自体が、アリアにとっては誤算だった。

(ダメだ、これじゃ確実に追いつかれる)

 後ろを振り返って、更に縮まっている距離でそう思ったアリアは足を止め、追ってくるリーゼロッテに向き直ってランプの灯を付けた。

「あ゛あぁああっ!」

 アリアは奇声を発しながら、火炎瓶に火を付け、もう間近に迫っている、三日月のような口をしたリーゼロッテ目がけて投げつける。

 これだけの勢いで直線的に向かってくるならば、自分に向かって飛んでくる瓶は不可避のはず、と考えて。

「かっ!」

 しかし、リーゼロッテが右腕を横薙ぎにしてそれを払うと、火炎瓶はあっさりとたたき落とされて、地面を焼くだけとなってしまう。

 いつの間にか進行方向に回り込んだリーゼロッテが、にや、と歪んだ笑みを浮かべてアリアの前に立ち塞がっていた、

「……っ!化物……め」

 アリアは観念したように、懐からナイフを取り出して両手に持ち、正面に構える。

「くっふ、追いついたぞ、アリア?成程成程、今まで行動を起こさなかったのはこんなものを作って脱走の準備をしていたためか?……くくひヒハハっ!」

 割れた瓶の残骸に目をやりながら、怒りとも愉悦ともしれない表情を浮かべるリーゼロッテの瞳は深紅に染まっている。

「…………あら、こちらの本心はばれていたという事?どうやってばれたのかしら。演技には自信があったのだけれど?」

 アリアは開き直ったように、ふてぶてしい態度でリーゼロッテにそう返す。

「くヒ、妾をなめるなよ、小娘。あんな稚拙な演技で妾を欺けると思うか?そういう貴様こそどうやってこちらの思惑に気付いた?」
「それを教えて私に何か得があるの、かしらッ?!」
「くっククク……この狸娘がッ!」

 抉るように突きだされたナイフを、怒号とともに蹴りあげられた足が狩る。
 その衝撃で手から離れたナイフは、高く高く放り出され、その行き先が見えないほど遠くへと飛ばされていった。

「そんなもので妾と戦うつもりじゃったのか?随分と舐められたの……」
「ぐっ……」

 心外だ、という表情をするリーゼロッテに、獲物を失ったアリアはじりじりと後ずさる。

「くく、逃がさんよ。枝よ、伸びし森の枝よ。狸娘を捕らえよ」

 リーゼロッテがそう呟くと周りに生えていた草が、意思を持った蔓のように伸び、逃げようとするアリアの足を拘束してしまった。

「う……先住、魔法、いえ精霊魔法ね。処女の血が好きなんて趣味の変態はやっぱり吸血鬼?」
「ご名答」

 リーゼロッテはその問いに答えると同時に、アリアの鳩尾に拳をぶちこんだ。

「かっ、はっ……!」
「狸め。折角手に入れた妾の塒を台無しにした挙句、その軽口、万死に値するぞ。貴様は血を吸うだけでは飽き足らん……生きたまま腹腸を引きずりだしてやろうか?」

 リーゼロッテはうずくまるアリアの前髪を乱暴に掴みあげて問う。
 憤ったような台詞だが、何が面白いのか、リーゼロッテの表情はむしろ愉悦に満ちていた。

「冗談……そんな悪趣味な舞台はお断りよ。脚本の書き直しを要求しますわ、三流脚本家さん?」
「くく、大根役者は黙って脚本家の言う事を聞いて踊るものじゃ。この、ように、なッ!」

 ぼす、という鈍い音とともに、まるでダンスを踊るかのように、アリアの体は右へ左へ激しく揺すられる。
 足が絡め取られているために、逃げる事も、吹き飛んで威力を殺すことすらできない。

「……っ、ぐっ、かふっ……あぅ……ぅ」
「くヒャヒふふへっへヒ、ケきャぁあああぁあああ!」

 殴る。蹴る。突く。投げる。絞める。また殴る。

 汗が滲む。涙が零れる。唾液が飛び散る。胃液が逆流する。血が滴る。

 奇声を発しながら、狂ったように腕と足を振り回すリーゼロッテ。しかしこれでも十分手加減をしている。勿論嬲るためだけの手加減だが。
 彼女が本気ならば、アリアなど一撃で死んでいる。それ程の力の差があるのだ。

「…………」
「おや、殺してしもうたか?」

 リーゼロッテは動かなくなったアリアの顎先を人さし指でクイと持ちあげて呼吸を確認する。
 喉が潰れかけているのか、ヒュゥ、と空気が漏れだすような弱々しいものだが、確かに呼吸は行われていた。

「ほう、まだ生きておるか。なかなかに命根性が汚いの。……ではそろそろ頂くとするか。まぁ安心せい、お前は中々に面白いからの。死んだ後は妾の正式な下僕にしてやろう」

 リーゼロッテは、動かぬアリアの頸動脈に齧りつこうと大口を開けて、その艶めかしい舌をアリアの首に這わせていく。



 ざしゅっ。



 そして何かを突き立てる音が響いた。

「がフっ?!」

 声をあげたのは、リーゼロッテ。
 
 目を剥くリーゼロッテの喉元には鈍い輝きを放つナイフが無惨に突き刺さっている。
 動けぬはずのアリアはそのナイフを握って、傷口が広がるように掻き回す。

 アリアはリーゼロッテのサンドバッグにされながら、ずっとこの瞬間を狙っていた。相手が吸血鬼ならば、最後には絶対に大口を開けた間抜け面を晒して無防備になると。
 懐の中に忍ばせた最後の武器である“もう一本の”ナイフはその時のために隠していたのだった。

 いくら吸血鬼といえど、首を刺されて、掻き回されては死ぬしかあるまい。






「……綺麗な薔薇には刺がある、ってね?」

 アリアは小さな声でそう呟くと、ふらふらしながらも、全身を使って立ちあがる。

(何とか……生き残ったけれど、かなり、まずい、かも)

 いいように攻撃をうけていたアリアの体は、内臓にまでは損傷がなかったものの、所々骨にヒビが入り、全身が打撲のような状態になっていた。

 正直、動くのも厳しい満身創痍の状態だ。

「痛……くぅ……」

 それでも、アリアは体に鞭打って吸血鬼の骸に背を向けて歩き出す。
 こんなところに留まっては居られない。屋敷から次の追手が来るかもしれないし、血塗れのまま立ち止まっていては、獣の餌になってしまうかもしれない。

(とりあえず、人の居る場所まで……それからの事は、そこに行ってから……)

 

 その時。



「くふ、どこにいく?主を置いていくなど……」

 後ろから掛けられた声。

 アリアは、その声を聞いた途端、糸を切られたマリオネットのように、ぺた、と力なく尻餅をついてしまった。

 尻餅をついたまま後ろを振り返ると、リーゼロッテは何もなかったようにそこに立っていた。首につけたはずの痕はどこにいったのか既に霧散している。

「は、はは……何よ、それ」

 アリアはその理不尽に、乾いた笑いしか出せなかった。

「惜しかったのう……突いたのが心臓ならば妾も死ねたかもしれんぞ?」
「畜生……畜生、畜生!」

 余裕綽々のリーゼロッテに対し、目にうっすらと涙を浮かべ歯噛みするアリア。

「いやはや、ここまでやれる娘だとは。本当に面白いぞ。しかしさすがにもう万策尽きたようじゃの?」
「いや、だ……私は……こんなところで……」

 リーゼロッテの両腕が、アリアの肩を掴む。

「さて、ま、折角だし血は貰って置くかの……」
「うっがぁあああ!」

 アリアは最後の力を込めて体をばたつかせるが、リーゼロッテの圧倒的な膂力で体を抑えつけられ、首筋にその牙を突き立てられる。

 ぷち、と自分の血管が食いちぎられる音。

(こんな……こんな終わりって)

 ちうちうと、血が吸い上げられる音と、それに伴う奇妙な快感。走馬灯のように『私』のつまらない人生がアリアの脳内を巡る。

(……私は……ぜったい……キレイ、な、せか、いを…………)

 自らの願望、いや決意を思い浮かべた所で、アリアの意識はプツリと途切れた。





…………



[19087] 9話 意志ある所に道を開こう
Name: キナコ公国◆deed4a0b ID:a1a3dc36
Date: 2010/06/14 19:28

 旧ウィースバーデン男爵領、現皇帝直轄領アウカムの農村──

 まだ薄暗い空に昇り始めた白い太陽。
 ウルの月も終わりに差し掛かっているというのに、朝の空気は肌寒い。
 どうやら本格的な夏の到来はまだまだ先のようだ。

 農民達の朝は早い。
 水を汲む音、窓を開ける音、野蔡を刻む音、鍋を火にかける音、子供が走り回る音。
 まだ外は薄暗いというのに、朝の生活音が村中に溢れていた。

 活気に溢れているように見えるこの村も、一時期は領主によってかけられた限度を超えた高すぎる重税によって、多くの領民が逃げ出し、過疎化してしまっていた。

 この国、ゲルマニアに限らず、封建制度に基づく社会制度を形成しているハルケギニアでは、領民、とりわけ農民が、領主に無断でその土地から住所を移動することは重罪とされている。
 にも関わらず、領地からの脱走を企てた者が多いのは、文字通り死ぬほど困窮していたからである。

 基本的に、領主は国に対して税金を納める義務は持たない(王や皇帝は直轄領からの家賃収入のみを得る、ただし有事の際にはその限りではない)。
 なので、自領の領民にかける税金の軽重は、完全に領主の裁量へと委ねられている。
 つまり、領主は領民に対して、生活できない程の重税を課して自身が贅沢しようとも、反対に税をあまり取らずに自身が清貧に甘んじても、全くの自由なのである。勿論、相場というものはあるが。

 なので、ウィースバーデン男爵が領民に対して、重税を掛けた事自体は特に問題はなかった(税を納める領民としては大問題だが)。

 ただ、その重税によって、領内から多数の難民が出た事がまずかった。
 難民が他の領へと逃げ込む事で、他人様の領地の治安を悪化させてしまったのだ。

 その失態が原因となって、5年程前、ついにウィースバーデン男爵は失脚し、領地と爵位を失った。つまりお家取り潰しである。

 この処置は領主である上級貴族の権限が強い、というか強すぎるトリステインあたりではありえない程厳しいものである。
 しかし、他国の王と比べて、皇帝の権威が低いゲルマニアでは、中央集権化を進める手段の一つとして、皇帝直轄領の増強を図っている。
 ただ、当然だが、大した理由もなく貴族達の領地を召しあげてしまう事は、いくら皇帝でも不可能である。
 領主を追い出す理由が必要なのだ。例えば、他の貴族達から見ても、領主として不適格だ、と思わせるようなネタが。
 他の領を巻き込むような派手な失態は、誰の目にも分かりやすいネタになる。なので、それを起こしたウィースバーデン男爵は絶好のカモとして、国から狙われたのであった。

 その後、この村を含むアウカムの農村地帯は皇帝直轄領とされ、村民にかかる負担は大幅に減った(国税は貴族が掛ける税より一般的に安い)。それによって、除々にだが、村に活気が戻っていった。
 現在では、村は元通り、とまではいかないが、まずまずの復興を見せていた。

 さて、領地と爵位を失ってしまったウィースバーデン元男爵だが、領地郊外に建っている本邸や、そこに貯め込んだ財産までは没収される事はなかった。爵位を失ったとはいえ、まだ貴族の地位までは失っていなかったのだ。
 これは、先代のウィースバーデン男爵と懇意であった、ザールブリュッケン男爵の口添えが大きい。それによって、せめてもの温情措置として住み慣れた屋敷で隠居生活をすることが許されたのである。



 良く晴れた日であれば、このアウカムの農村からもその屋敷を見る事が出来る。
 その屋敷は、圧政を敷いたかつての暴君への揶揄と皮肉を込めて、「化物屋敷」と呼ばれていた。

「しっかし化物屋敷が燃えちまうたあ、やっぱり天罰ってのはあるもんだねえ」
「ざまあ見ろってやつだね。領地を取り上げたくらいじゃ、始祖はお許しにならなかったのさ」

 村の女達は朝の井戸端で好き勝手な事を喋っている。始祖による断罪──そのような教えはブリミル教にはないはずだが。
 どこの世界でも井戸端会議の内容などいい加減なものだ。

「だけどあの子、大丈夫かねえ。ずっと眠ったまんまらしいけど」
「あぁ、火事になった屋敷から逃げてきたって使用人の妹の方かい?可哀想にねえ」

 さして心配とも可哀想とも思っていない顔でそんなことを言う女達。

「しっかし、姉の方は相当な美人だね、ありゃ。うちの亭主なんて、にやにやしちまって気持ち悪いったらないよ。本当に使用人なのかい、あの娘」
「ひ、ひ、ひ。大方アッチの方のご奉仕を担当していたんだろうさ。『ご主人様、コチラのお掃除もさせてイタダキマス』なんつってね」

 指をしゃぶるような動作をしながら、気色悪い声色で女の一人がそう言うと、どっ、と下卑た笑いが巻き起こる。

 こうやって根も葉もない憶測があたかも真実のように認識されていくのだ。本当に、女の噂話というのは性質が悪い。





 ちちち、という小鳥達の囀りが耳触りだ。
 窓から差し込む、強烈な日の光が憎らしい。
 冷たい外気が、起きろ起きろと肌を刺激する。

 もぞもぞと全身を芋虫のように動かして、布団の中に潜り込む。

「ぅ~ん、もうちょっと…………」

 ……ん?

「あれ?」

 目をぱちくり。手をにぎにぎ。足をばたばた。

 生きてる?

「知らない天井だ」

 そんな汎用性の高い台詞を口にしながら、私はゆっくりと体を起こした。

「……傷がない?」

 自分の体をきょろきょろと見渡して、首をひねる。

 ほとんど全身バキバキだったはずなのに、その痕すらなく、体のどこも特に痛まない。
 身につけている衣服も、豪奢なフリル付きのお嬢様衣装ではなく、質素で飾り気のない村娘の衣装に変わっていた。

 まさか2度目の生まれ変わりか?と少し頭を過ったが、窓に映ったクセ毛で貧相な顔は見慣れたものだった。



「どこだここ」

 私はのそりと、硬い寝床から這い出ると、寝かされていた部屋の中を見渡した。

 部屋の造りは、何となく、私の実家と似ている。つまり質素、というかまあ、貧乏臭い造りである。
 木板が剥き出しの部屋には特に大きな家具はなく、小さな窓が一つだけ。実に殺風景だ。

 あの化物屋敷にこのような部屋はない。

 窓を開けて顔を覗かせてみると、少し肌寒い風に乗って薫ってくるのは土の匂い。
 うん、どうやらここはどこかの農村らしい。窓の外には私が見慣れている風景が一杯に広がっていた。

「これって……もしかして」
 
 助かったの?と私は声には出さずに自問した。答えは当然返ってこない。

 どう考えても絶望的な状況だったはずだけど……誰かが助けてくれたのだろうか?それとも何か奇跡が?

「どうでもいいわね……」

 助かった理由について考えても無駄なので、私は考えるのをやめた。そんな事は些事だ。今確かに生きている、という事実に比べれば。

 そう、私は生き延びたのだ。

 根源的な恐怖から脱却した事を実感し始めると、私の中にじわりと、しかし圧倒的な安堵感が込み上げてくる。

「はぁ」

 普通はここで、喜色満面で飛び跳ねるのかもしれないが、私は深い息をついて、ぺたん、と硬いベッドの隅に腰掛けた。
 別に嬉しくないわけではない。ただ、あまりの安堵に、緊張の糸が切れ、全身が弛緩してしまったのだ。



 しばらくそのままぼぅっとしていると、ガタ、と部屋のドアが開き、私よりも少し年上であろう少年が部屋に入ってきた。

「……あ、どうも。おはようございます」
「お、やっと起きたの?3日も寝てたんだよ、おまえ」

 私が頭を下げると、少年はちょっとキツイ調子で返してきた。
 多分この少年はこの家の住人だろう。見知らぬ余所者など歓迎されないのが当然だ。ましてや、私はここに来てから3日もベッドを占領していたらしい。
 あまりいい感情は持たれてはいないだろう。家に置いてくれていただけでも、感謝せねばなるまい。

「そうなんですか。ご迷惑をおかけしました」
「ま、いいさ。それに礼ならおまえの姉さんに言えよ」
「……姉?」
「そうそう。気絶したおまえをここまで背負ってきたって……」

 姉?私を助けてくれたのはその人という事か。私との関係を聞かれて、説明が面倒だから姉妹という事にしたんだろうか。

 なら、ここは話を合わせておいたほうがいいかな……。

「では後で礼を言っておかなければなりませんね。それで、姉はどこに?」
「他の家に泊まってる。畑に出るついでに連れて行ってやろうか?」
「じゃあお願いします」

 言葉はぶっきらぼうだが、この少年はなかなかに面倒見がいいらしい。

 私の姉を名乗っている恩人には、ここを離れる前に礼を言っておかなければなるまい。信用できそうな人間ならば、街まで連れて行ってもらえるようにお願いするのもいいかもしれない。
 流石に私一人で街道を行くのは厳しい。

 とりあえずこの村に置いてもらえるような事はあるまい。いつまでも余所者を置いておくような余裕はないはずだ。
 まあ、街にいってもコネもスキルもない小娘に就ける仕事などないかもしれないが……。コネ……か、ふむ。
 
 私はさきほどの少年に手を引かれて、村の中を進む。
 東の空に昇る太陽が眩しい。足の裏に感じる土の感触が気持ちいい。朝の清浄な空気が肺を満たす。懐かしい芋の朝食の匂いが漂ってくる。村人達の談笑が聞こえる。

 五感を心地よく刺激され、生き延びられて良かった、という実感が湧いてくる。
 これからの事は少し心配だが、今しばらくはこの喜びを噛みしめていてもいいかもしれない。





「おーい!妹さんおきたよ!」

 少年は、村で最も大きい家までくると、入り口の戸をドンドンと叩く。

「はい、今行きますね」

 とても綺麗なソプラノが、家の中から返された。

 そうとても綺麗なのに、私はその声を聞いて全身が逆立った。
 私の視線はゆっくりと開いていく戸に釘づけになる。体が縫いつけられたように動かない。



 そして家の中から出てきたのは。



 見事に腰まで伸びた美しい金髪。
 空のように澄みきった青い瞳。
 決して下品にならない抜群のプロポーション。

「起きたのねアリア、姉さん嬉しいわ」

 とぼけた口調でそんな事を言う吸血鬼、リーゼロッテが立っていた。

「なっ、んっ、……はっ……はっ……」

 呼吸が上手く出来ず、「なんでここにいるんだ」と、口を開くも言葉にならない。

「あれ、どうしたんだ。はっはっは、無事に再開できた感激のあまり声がでないか」
「どうにも妹は昔から感情の波が激しいみたいで。お恥ずかしいですわ」
「それじゃあ水を差しちゃ悪いね。お邪魔虫はこの辺で消えるとするかい」

 直立したまま固まっている私の背中を、パンと一回叩いて少年が遠ざかっていく。
 ま、待ってくれ……行かないでくれ……ちょおおぉ!

 私が遠ざかる背に向けて突き出した手も虚しく、少年の後ろ姿はあっという間に見えなくなってしまった。
 もう村人のほとんどは畑に出ているらしく、周りに人の気配はない。

「さてと……」
「く、来るなっ?」

 リーゼロッテは周りに私以外がいなくなると、素早く私の首根っこを捕まえて、無人の家の中に連れ込んだ。丸腰の私に為す術はない。

 リーゼロッテはそのまま、私を奥の部屋に連れ込み、無理矢理椅子に座らせた。

「く……」

 私は何とか逃げ出そうと、椅子から立とうとするが、リーゼロッテに肩を押さえられてしまう。

「そう身構えるな。お前をここまで運んでやったのは妾なのじゃぞ?ついでに傷を直したのも妾じゃ。感謝すれども恐れることはあるまいて」

 誇らしげに胸を張って言うリーゼロッテ。 先程の丁寧な口調とは打って変わって、素の口調だ。

 いや私を殺しかけたのはお前だろ……。
 しかし何故そんな事を?というか、傷を治す?そんなこと吸血鬼に出来るのか?
 
 一瞬の内にぐるぐると回る思考。体は上手く動かないが、頭だけは働いていた。
 そしてフラッシュバックするあの言葉。

《死んだ後は妾の正式な下僕にしてやろう》

 と言う事は…………。

「……ったしは、死んで、るの?」

 何とか口をついて出てきたのは、そんな疑問だった。
 生きている、と自分では思っていたが、もしかすると、リーゼロッテの屍人鬼として使役されているだけなのかもしれない。

「どう考えても生きとるじゃろ。何をいっておる?」

 心底不思議そうな顔で私を見下ろすリーゼロッテ。

 本当なのか?いや、ここでこの吸血鬼が嘘をつく理由がないか。
 と言う事は私は死んでいない。ならばますます分からない。

「何故殺さない?私を下僕にするつもりなら、殺して屍人鬼にすることもできるはずっ……!」
「ほう、屍人鬼とな。そんなことまで知っておるのか」

 私の質問には答えず、リーゼロッテは感心したように自分の顎を撫でる。

 口惜しいが、私にはこの吸血鬼に武力で対抗する術はない。逃げる術もない。
 ならば、私にできるのは……精神的に屈しないことくらいだ。

 そうやって腹を括ると、ふっ、と体が軽くなり、呼吸もほぼ正常に戻っていった。



「答えなさい」
「くふ、殺されかけた相手に対して随分と強気じゃな。……ま、良い。狸娘よ、お前は妾の食糧兼奴隷として仕えてもらう。お主の血は最高に美味じゃったからな。生きたままでなければ血は吸えんから殺すのが惜しくなったんじゃ」
「……あら、それは光栄。でもその理由は嘘臭いわね」

 私はピシ、とリーゼロッテに指を突き付ける。

「な、何が嘘なんじゃ!根も葉もない事を言うでない!」

 リーゼロッテはその指摘に狼狽する。それこそ嘘だという理由ではないかと思うのだけれど。
 どうやらこの自称女優はアドリブが苦手らしい。

「ま、私は血の味なんてわからないけどね。でも貴女言ってたでしょ。スヴェルの夜に、全てが覆された時の最高の表情をした処女の血がイイって。なのに、あの晩の、しかも企みに気付いていた私の血が“最高”に美味、なんていうのはおかしいんじゃない?」
「う……そんな事を聞いておったのか」
「……不思議ね。どうして私如きに嘘をつくのかしら?」

 苦虫を噛み潰したような顔をするリーゼロッテ。図星か。

 何故嘘をついたのか。それは知られてはマズイ弱みがあるという事だ。

 リーゼロッテが私を殺す気ならば、既に殺されているはず。つまり、私を生かす事であちらに何か得があると言う事、もしくは私が死んではあちらに都合が悪い事があるのだ。
 その理由がそっくりそのまま、あちらの弱みになっているのかもしれない。

 ならば、あちらの言う事を何でも聞くのは得策ではないだろう。やりようによってはこちらが優位に立てる、という事までは無くても、同等の条件に立つ事はできるかもしれない。

「へっ、屁理屈じゃ。血の味は妾が一番知っておる!……それにの、お主には犯した罪の責任をとってもらわねばならん。贖罪は生きたままするべきであろう」
「は?責任ですって?」

 嘘を言った事を誤魔化すかのように、リーゼロッテが新しい切り口で攻めてきた。

 随分とふざけた発言に、私は憤慨して睨みつけながら聞き返す。
 責任を取ってほしいのは私の方だ。私が『僕』の理性を持たない普通の娘だったら、疾っくの疾うに発狂している。
 正直、私だって全ての善意が悪意に見えてしまうトラウマになりそうなくらいだ。

「おいおい、狸娘よ。あれだけの事をしておいて惚けてはいかんぞ」
「へえ、何があるのか教えてもらえないかしら、吸血鬼さん」

 眉をあげて、脅すような態度で迫るリーゼロッテに、私は飽くまで強気の態度に出る。ここで引いては駄目だ。

「あくまで白を切るか。では教えてやろうではないか。妾の快適な寝床を炭クズにした罪の責任じゃ。本来なら貴族の屋敷に火をかけるなど斬首モノじゃぞ?それを妾に仕える事で許してやろう、というのじゃ。妾の寛大な心に感謝するがよい」

 私を見下ろし尊大な態度でそう言い放つリーゼロッテ。
 うん、確かに火を付けたのは犯罪だよね。

「それは自業自得ってやつじゃない?私をそこまで追い詰めたのは貴女よ?というかその言い草だと、やっぱり貴女が男爵令嬢だなんて話は真っ赤なウソね。……まあ、いくらゲルマニアとはいえ、吸血鬼が爵位を取れるはずもないのだけれど。大方、貴女があの屋敷を乗っ取っていたってところかしら。そんな貴女に許してもらう道理はないわ」
「……ぬ」

 私の推測が当たっているのか、押し黙るリーゼロッテ。何これ。ちょっと快感かも。

「それにあのダンシャクとやらがここらの領主っていうのも嘘でしょ。さすがに領主の屋敷が吸血鬼に乗っ取られているなんて、すぐにばれるはずだもの。上級貴族ならば貴族同士の交流もあるだろうし。でも3週間、私は外からの来客も見なかったし、ダンシャクや貴女が外出したのを一度も見なかった。つまり、その正体は世間と隔絶された、若しくは引き籠りになったお金持ちのご隠居、といった所ね。……さて、貴女の嘘はどこまで続くのかしら」

 私は座らされていた椅子から立ち上がり、一気に虚言を暴いて畳みかける。
 
 リーゼロッテはそれに対して、論点をずらして反撃してきた。

「お主の付けた火で、焼けたのは屋敷だけではない。屋敷の使用人達も黒焦げになったんじゃぞ?これは絶対、確実じゃ。心が痛まんのか?」
「ふうん」
「ふうん……って、それだけかの?」

 お前に良心はないの?と言いたげな表情で、私に事の顛末を詳しく語るリーゼロッテ。

 あの使用人達はこの世の人じゃないだろうから心は痛まない。

 屋敷から脱出する前に、私は倉庫部屋で、リーゼロッテが命令する声を聞いていた。
 あの時、ダンシャクまで完全にリーゼロッテの言いなりだったからね……非常事態だというのに吸血鬼の命令にあそこまで従うという事は、どう考えても屍人鬼か何かだろう。リーゼロッテがどうやって複数の下僕を使役しているのかは不明だが。

 私が彼らに出来ることは、吸血鬼に殺されてしまったのであろう屋敷のみんなの冥福を祈るだけだ。

 リーゼロッテの身振り手振りを交えた語りによると、屋敷の火を消そうとしたであろうカヤ達だったが、リーゼロッテが屋敷に戻ったころには、力及ばず屋敷とともに燃え尽きていたらしい。
 
 私はその思わぬ大きな戦果に驚きを覚えた。まさかリーゼロッテの下僕が全滅していたとは。
 よくそこまで燃えてくれた物だ。正直半焼が関の山かと思ったんだけど……。何かあちらが余計な事をして火の回りをよくしたのではないだろうか。

「私を殺そうと画策していた化物共が死んで、何故私が心を痛めなきゃならないの?……それにさっきから論点がずれているわ。何故私が生きたまま、貴女に仕えなければいけないのかって事を聞いているのだけれど?」
「う……」

 私は顔の前に人指し指をピンと立てて、話が脱線していたのを立て直す。
 リーゼロッテは言葉につまり、俯いて困ったような表情を浮かべる。

「貴女が私を生かさなければならない理由。当ててみましょうか?」
「ほう……」

 私の提案に対して、俯いていたリーゼロッテは顔を上げた。

 ここから先に私が喋ろうとしているは完全な憶測に過ぎない。
 これは賭け。半分でも当たっていればリーゼロッテに対して優位に立てるはずだ。

「何故貴女が、わざわざ口入屋に出向いて娘を調達していたか、を考えればおのずと答えは出る」
「何故じゃ?」
「ただ娘を調達するだけなら、攫ってくればいいだけ。まあ、脚本がどうとかそういうのは抜いてね。なのに、貴女は金を払ってまで、賎民の、つまりコミュニティから放逐されて、まだどこにも属していない娘達を買い漁っていた。つまり、貴女は目立ちたくなかった。平民でもいなくなってしまえば噂になるもの」
「…………」

 部屋の中を徘徊しながら憶測を、さも自信ありげに披露する私。無言になるリーゼロッテ。
 よし、ここまでは当たっているのかもしれない。

「まあ、吸血鬼っていうのは、目立ちたくないものだろうけど、そこまでやるのはちょっと過剰じゃないかしら。……単純に神経質だからなのか。それとも誰かに追われている、とか」

 リーゼロッテは目を閉じて私の憶測を静かに聞き入っている。あとひと押しか?

「追われているとしたら、世間から隔絶された金持ちの屋敷なんて吸血鬼の隠れ家には最適だものね。……しかし、その隠れ家が無くなってしまった。そして金も隠れ家と一緒になくなってしまったから口入屋から新しい娘は買えない。ならば、次の隠れ家が見つかるまでは私を生かして食糧にしようっていうわけよ。どう?」
 
 私は真っ直ぐにリーゼロッテの眼を見ながら、そうやって締めた。

 気分は名探偵だ。といっても、推理に確信も証拠もないので、全てが的外れであるかもしれないが。



「ま、話半分と言ったところじゃが……」
「あら、半分も当たっていた?」

 舌を出して言う私に、リーゼロッテが口に手を当てて、しまったという顔をする。
 この反応だと全部ということはあり得なくても、私の憶測は半分以上当たっていそうだ。

「……やはりお前は、ただの餓鬼ではないわの。あの脱出の手際といい、腹芸といい、そしてその思考。どうみても齢10の小娘には見えんぞ?一体何者じゃ?」
「……もう少し仲良くなったら教えてあげる」

 私はリーゼロッテの質問を軽くいなす。言う必要がないし、言ったところで信用しないだろう。「前世の記憶がある」と言ったって誰が信用すると言うのか。
 
「ほう、仲良くなったら、か。では妾に仕える気はあるのかの?」
「そうね。私の出す条件を飲んでくれるなら、いいわ」
「条件、だと?そのような事が言える立場か?」
「飲んでいただけないなら、私は首でも吊って死ぬわ。それじゃ貴女も困るんじゃない?」
「……く、ク、自分の命を盾にするか」

 嘲るように喉を鳴らすリーゼロッテ。何とでも思えばいい。私の唯一の交渉材料は私の命しかないのだから。

「ま、聞くだけ聞いてやろうではないか。お前は何を望む?」
「私が望むのは、一方的な主従の形ではなく、飽くまで協力者、パートナーという形を要求する、という事よ」
「パートナー、じゃと?」
「ええ、不満?私に協力してくれれば、死なない程度なら血も提供するし、私の目的が達成できれば、貴女の安全も保障できるようになると思うのだけれど」

 怪訝な顔で聞き返すリーゼロッテ。
 それはそうだ。どう考えても調子をぶっこいた要求だが、通す。道理が通らなくても通す。

「……目的とは何じゃ」
「成り上がりよ」

 私は真っ直ぐと前を向いて、力強く宣言した。
 リーゼロッテは興味深そうに目を細める。

「ほう……何故そんな事を?」
「今回の事で嫌と言うほど身にしみたのよ。結局、力がなければ、あるものに踏みつけにされるだけっていうことがね。それはどこのセカイでも同じ。だったら、私は上に行く。使えるものは何でも使う、それこそ吸血鬼でもね」

 そして上から見るセカイはきっとキレイだ。それこそ、“原作”で綴られている遥か上のセカイのように。

 だから私は這い上がる。そこに行くまでに泥に、血に塗れる事になろうとも。

 それはまだ脆弱な意志かもしれない。しかし、それを紡いでいけば、やがては鉄の意志となるだろう。

「魔法も使えない、金もない、人脈もないお前がどうやって力をつけるのだ?」
「そこで貴女に協力してもらう、ってわけなのだけれど。協力してくれるなら、15年、いえ10年以内に貴女に安住の地を提供すると約束する。吸血鬼にとっては短いものでしょう?」

 しれっと私がそう言うと、リーゼロッテは大口を開けて笑い始めた。

「くク、クひゃははッ……やはりお前は面白いの。妾に向かってこんな無謀な啖呵を切った人間は今まで見た事がないぞ?」
「お褒め頂き至極恐悦。それで返答は?」

 結論を急ぐ私の問いに、リーゼロッテは黙って右手を差し出した。
 私もそれに倣って右手を差し出す。

 白魚のような右手と、ささくれ立った小さな右手はがっちりと組まれた。

「契約成立、ね」
「くふ、せいぜい妾が心変わりせんように気を付けるんじゃな」

 ニヤリ、と含んだ笑みを見せ合う二人。



 この時から、リーゼロッテと、私の奇妙な協力関係が始まったのだった。





 善とは何か──人間において力の感情と力を欲する意志を高揚する全てのもの
 悪とは何か──弱さから生じる全てのもの
                          フリードリヒ=ウィルヘルム・ニーチェ





第一章「貧民少女アリアの決意」終
幕間へ続くのです

※1章終了に伴い、本板に移るかどうかを検討しています。直した方がよい所や、追加で説明を加えた方が良い、と感じる所があれば、アドバイスのほどよろしくお願いします(前書きは修正予定)。



[19087] 1~2章幕間 インベーダー・ゲーム
Name: キナコ公国◆deed4a0b ID:a1a3dc36
Date: 2010/06/21 00:09
 ガリア王国首都リュティス。30万の人口を誇る、ガリア最大の都市である。
 その東の端に存在するヴェルサルティル宮殿の荘厳さは、見る者を圧倒し、魅了する。

 さて、そんな華麗なる一族が住まうに相応しい絢爛な宮殿だが、その中には、日の当たらない場所も存在する。
 
 そんな陰気さが漂う場所の一つである、北側の離宮の一室では、青い髪の美青年が長椅子の上で仰向けになって、羊皮紙の束を眺めていた。
 美青年はいかにも「退屈だ」と言わんばかりの気だるさを醸し出している。

 彼の前には俯いたまま、跪く騎士風の細身の男が一人。
 細身の男はそのままの姿勢で微動だにせず、美青年が口を開くのを待っていた。

「ふむ、取り逃がしたか」

 美青年は興味なさ気に、読み終わった羊皮紙の束をぞんざいに床へ放った。
 羊皮紙の表題には、“リュティス貧民街におけるモンベリエ侯爵家令嬢変死事件について”と書かれている。

「は、申し訳ありません。令嬢殺しの下手人、いえ標的はゲルマニア国境付近で見失った模様です」
「無様だな」
「しかしながら標的を追う際に、元メイジを含むあちらの戦力6体を無力化。残りは重傷を負わせた標的1体です。対してこちらの損害は3名。今現在も四号と五号が標的を捜索、追跡中であります」

 細身の男は、美青年の短くも辛辣な言葉に、ピクリとも表情を変えずに淡々と現状報告を行う。

「良い。もう捨て置け。下らん理由でこれ以上の人員を使ってもな」
「は?しかし、被害者は南部の有力貴族、モンベリエ侯爵家の長女ですし、彼女は魔法学院で預かっていた生徒でもあります。下らんというのはいくらなんでも……」

 美青年の突飛な発言に、ここに来て初めて細身の男は表情を変えた。それは困惑の表情。

「世間知らずの小娘一人が貧民街に迷い込んで野垂れ死んだだけだろう?」
「しかし、モンベリエ侯は令嬢殺しの下手人が上がってこない事で、日に日に王家への不信感を強めていると聞きますが……」

 リュティスは王家が直轄する国の首都だ。ましてや、死亡した侯爵令嬢は国が管理している魔法学院の生徒であったのだ。

 そこで、令嬢が他殺と思われる変死をしたとなれば、当然、王家側の責任を追及される事となる。
 モンベリエ侯爵家側は、王家側に対して、事件の早期解決と娘を殺した下手人の引き渡しを要求していた。その程度の要求が通らない、となれば王家に対する不信感が強まるのも無理はない。

 ただ、この事件は令嬢の自業自得とも言える面もある。

 リュティス魔法学院は他の国の魔法学院と比べて、規則が厳しい事で有名だ。
 それは意味もなく厳しい訳ではなく、様々な謀略が渦巻くガリアの中心において、学院で預かっている上級貴族達の子女を誘拐や謀殺から防ぐために設けられている。
 学生にとっては、自分達を不必要に縛る枷にしか見えないかもしれないが。

 その規則の中に“学院の敷地外へ出る事を禁ずる”というものがある(例外として、長期休暇の際の帰省だけは認められている)。
 しかし、年頃の学生達、特に辺境の領から出てきた者にとっては、華やかな王都に好奇心を抱くのは当然だ。

 そんな学生の中には、規則を破っても街に出たい、と思う愚か者もいるのだ。

 令嬢は愚か者の一人だった。

 好奇心旺盛な令嬢は、夜の街に遊びに出るために、学院に出入りしている平民に扮装して学院を抜け出したらしい。変死体として発見された令嬢の服装は、何処から見ても平民にしか見えないものだった。
 街へと出た令嬢はフラフラと遊び回っているうちに、貧民街に迷い込んでしまい、そこで襲われたとみられている。

 つまり、彼女が規則を破りさえしなければ、事件は起こらなかったのだ。

 令嬢が学院の規則を破った上、薄汚い貧民街でメイジでもないものに殺されたとなればモンベリエ侯爵家、引いてはそこを管理していた王家の面子は丸潰れになる。そのため、令嬢の死は公式には突発的な病死と発表された。

 そうなれば、表立った機関が動くわけにはいかないため、本来は存在しないはずの組織である、北花壇騎士団にお鉢が回ってきていたのだった。

「どちらにせよ標的はもうゲルマニアに逃げ込んでいるだろう。そうなれば手は出せん。それに仮にもガリアの侯爵を任せられている家が、娘一人死んだ程度で、国に反旗を翻すような馬鹿な事はするまいよ。……もし反旗を翻すならそれはそれで面白いかもしれんが」

 美青年は本当に愉快そうな表情で、物騒な事を言い放つ。
 細身の男はその言葉に眉を顰める。

「ジョゼフ様、さすがにそれは……」
「ここでは団長だ。これまでの調査結果はモンベリエに丸投げしておけ。後はそちらで勝手にやるだろう。先にも言った通り、余はこの件にこれ以上の人員を割くつもりはない。これでこの話は終わりとする」
「……御意」

 北花壇騎士団長ジョゼフが憮然とした口調で言い放つと、細身の男はそれ以上何も言わずに退出した。



 部屋に一人残されたジョゼフは、横になっていた長椅子から立ち上がると、先程放った羊皮紙の束を拾い上げ、再び目を通しだした。

「侯爵令嬢の殺害方法、様々な先住魔法を駆使する事から、標的は極めて異質かつ強力な吸血鬼と思われる。日の光に強く、一体で何体もの下僕を操る、か」

 その報告内容に、ジョゼフは、ふ、と自嘲的な笑みを漏らす。

「亜人の世界にも才能というものがあるのだな……」

 独り言を呟くジョゼフの背中には、どことなく寂寥の色が漂っていた。





 ガリアの第一王子、ジョゼフが独りごちていた頃。

 重傷を負っているはずの標的は、帝政ゲルマニアの南西端に位置する交易都市フェルクリンゲン街の安酒場で杯を呷っていた。

「全く、あやつらときたら娘一人喰った程度で大騒ぎしおって。大体貴族の娘が貧民街におるなどおかしいじゃろうが……」

 酒場の隅の席で、ぶつぶつと愚痴を漏らしながら、安いワインを水のように腹に流し込む逃亡者、リーゼロッテ。
 彼女は、完全に酔っ払っているのか、珍しく素の状態であった。テーブルと床に散らばった空き瓶の数を数えれば、そうなってしまうのも無理はないが。

「しかし貧民街で娘を漁るのも駄目ならどうしろと……おまけに下僕も全て失くしてしもうたし……はぁ、もう泣きそうじゃ」

 がっくりと項垂れるリーゼロッテは、割と本気で泣きそうだった。



 2週間程前、リュティスを根城にしていたリーゼロッテはいつものように、“食糧”を調達するため、貧民街を徘徊していた。

 彼女が貧民街に狙いを絞っていたのは、いつ野垂れ死んでもおかしくない貧民ならば、ある日突然消えてもあまり騒ぎにはならないと考えていたからだ。
 貴族は勿論のこと、普通の平民を“食糧”にしてしまえば、追われる身になるかもしれない。

 それなりの年を重ねた吸血鬼だけあって、彼女は用心深かった。

 彼女は人間、特にメイジを敵に回した時の厄介さを知っている。
 高位のメイジであっても、一対一の勝負ならばリーゼロッテに分があるのだが、人間の厄介さとは数を恃みにすることである、と彼女は考えていた。

 しかし、彼女は失敗した。

 その日獲物にした貧民街をうろついていた薄汚い格好をした娘は、貧民どころか貴族令嬢、それもガリア国内でかなりの実力を持つモンベリエ侯爵家の長女であったのだ。

 餌食にされてしまった令嬢も不運であったが、リーゼロッテからしても酷いハズレを引いてしまったと言える。
 敵を作らないように貧民に狙いを絞っていたはずが、国という大勢力によって追われるハメになってしまったのだから。


 
「とりあえずガリアに戻るわけにもいかんし、新しいネグラを探さねばな……」

 愚痴を言うのにも飽きたリーゼロッテは席から立ち上がり、カウンターへと向かう。
 別にカウンター席に場所を移して飲み直すわけではない。
 
「店主、話が聞きたいのじゃが」
「ぁあ……じゃ、その前にお代を払ってくれねえか?しめて3エキュー23スゥ8ドニエだ」
「む、計算を間違えているのではないか?高すぎるぞ」
「あれだけ飲んでこれなら安いだろうが!」

 髭モジャの店主の言葉に、「本当かのう……」と小声で呟きながら、渋々金袋から金貨を取りだすリーゼロッテ。

 吸血鬼といえど、“食糧”や“生存”以外の目的で人間を脅かすようなことはあまりなく、普段は人間社会のルールに従うのが一般的だ。
 吸血鬼の中には、ブリミル教徒として名を連ねている者までいる。本当に信仰しているわけではないだろうが。

 吸血鬼は個としては強者かもしれないが、種族全体で見ると、数が非常に少ない上に、群れで行動しないため、社会的には弱者とすら言える。
 むしろ、その目的以外の事については、吸血鬼である事を気付かせないために、人間として模範的な生活をしている者が多く、考えようによっては人間の賊よりマシかもしれない。

 ただ、リーゼロッテに関しては、それが当てはまるかどうかは疑問符がつくのだが。

「へへ、毎度。で、何が聞きたいんだ?」

 金貨をひったくるようにして受け取った店主は、ほくほく顔でそう尋ねる。やはりボッタクリなのかもしれない。

「そうじゃな……この近くで住み込みの仕事があれば教えてほしいのじゃが」
「仕事、ねぇ」

 店主はイヤラシイ目でリーゼロッテの身体をじろじろと見回しながら、含みを持った言葉を吐く。
 何が言いたいのか分かったリーゼロッテは、ぴしゃりとそれをはねつける。

「いや、妾はそういう仕事はせんぞ?こう見えても身持ちは堅くての」
「へ、そうかい。だが、ここは職を斡旋する場所じゃねえからなぁ……」

 このセカイでは、“普通の仕事”においては、知り合いのツテで職につくのが一般的だ。
 ふらりと現れた余所者が職にありつけるほど、優しいセカイではない。ましてや仕事を選ぶのならばなおさらだ。
 
「そう言わずに、の?」

 リーゼロッテは、店主の手に自分の手を重ねて、耳元でおねだりするように囁く。

「そんな事されてもな……酔っ払いだし」
「……ちっ、本当に男かお主は。ホレ、これなら喋りたくなるじゃろ」

 男の興味がなさそうな反応に、リーゼロッテは先程までのしなはどこへやら、不機嫌そうにエキュー金貨を1枚テーブルに放った。

「……あぁ、思いだした。そういやウィースバーデン家の屋敷で使用人を募集してるって噂だな」
「ウィースバーデン家?」
「お隣の領の“元”領主だった貴族さ。ここからだと馬で北東に2,3日ってところか。そこの屋敷に仕えてた使用人が軒並み辞めちまったらしくてね。ただし、それでわかるとおもうが、あまりいい待遇や給料じゃあないぞ。集落からも大分離れているしな」
「貴族でも金がない貴族なのかえ?」
「いや、財産は没収されなかったって話だからな。金はたんまり持ってるはずだが、そういう奴程ケチ臭ぇもんさ」
「ふむ……金持ちの隠居屋敷、か」

 リーゼロッテは、その変化に気付かないくらい僅かに、口角を吊りあげた。

「ま、俺が知ってるのはそれくらいだな。他に知りたきゃ口入屋でも当たってみろよ」
「ほう、この街には奴隷屋もあるのか……ん?奴隷……金持ちの屋敷……?」

 何かを思いついたのか、顎を手でさすりながら考え込むリーゼロッテ。
 
 店主は、“奴隷”という言葉に、声のトーンを若干落として注意する。
 一応、このセカイでも奴隷は違法となっているので、あまり声を大にして連呼することはよろしくない。

「奴隷じゃねえって、奉公人。人聞きが悪いよお嬢さん。まぁ、ウチらには買えるようなもんじゃないけどな」
「そうじゃの……。それにしても奉公人、か。その手があったか……」
「ぁん?どうかしたのか?」
「あ、いや、助かったぞ。とりあえずその屋敷を訪ねてみる事にしよう」
 
 既に心ここに在らず、と言った感じのリーゼロッテは、足早に酒場を後にした。



 彼女は、馬を借りるでもなく、てくてくと徒歩で北東に向かって歩き始める。
 大分飲んでいたはずなのに、その足取りは確かだった。

 しかし、ここからウィースバーデン家の屋敷まで徒歩で行くとなると1週間以上はかかってしまうだろう。備えも無しにその距離を行くのは、“人間”ならば無謀である。

「誰もおらんか……?」

 リーゼロッテは人気がない街の外れまで来ると、辺りをきょろきょろと確認する。

 誰もいない事を確認した彼女は、名馬も青ざめる猛スピードで、北東に向かって駆け始めた。





 それからおよそ1週間後。

 帝政ゲルマニア南西部の皇帝直轄領、アウカム農村地帯の郊外に佇むウィースバーデン元男爵家の屋敷。
 その屋敷は、爵位のない貴族のものとは思えないほど豪奢なものであった。勿論、豪奢といっても、先のヴェルサルテイル宮殿とは比べるべくもないが。

 一日の仕事が終わった夜の食堂では、テーブルに置かれたランプを囲んで、屋敷の使用人達が総出で話し合いをしていた。
 総出、といってもたったの3人しかいないのだが。

「やはり来ませんか、この屋敷に仕えたいという者は……」

 そう言って、使用人達の年長者である老執事ライヒアルトは溜息をつく。
 
 2年前、この屋敷の主であるウィースバーデン男爵は、領内の失策により他領をも混乱させたとして、領主不適格の烙印を押され、領地だけでなく爵位も取り上げられてしまった。
 残ったのはこの本邸であるこの屋敷と、ここに貯め込んでいた財産だけ。

 先代のウィースバーデン男爵の時代からこの家の執事として仕えてきたライヒアルトにとって、ウィースバーデン家の没落は我が事のように堪えた。

 先代の男爵は賢君といわれる程の人格者だったのだが、その一人息子である今代の男爵、いや元男爵は、どこでひねくれてしまったのか、異常なまでに強欲で傲慢な上、猜疑心が非常に強かった。

 その妻と娘すら自分の財産を狙っていると疑い、くびり殺してしまう程に。



 そんな元男爵は爵位と領地の取り上げのショックから、ますます偏屈になり、自室に引き籠るようになってしまった。もはや家の存続は絶望的といっていいだろう。

 当然、強欲な元男爵が使用人達に払う給金など雀の涙であり、そんな彼の人望は紙よりも薄かった。
 それでも領主のうちは、その権限によって使用人達を屋敷に留めていたのだが、それを失くしてしまってからは、30人近くいた屋敷の使用人も、1人、2人と辞めて行き、現在ではたった3人だけとなってしまっていた。
 
 残っているのは、この家に最期まで付き従う覚悟を持っている老執事ライヒアルトと、コブ付きの上にすでに中年を迎えつつあり、新たな職場が見つからなかったメイド長、そしてその娘のカヤだけであった。

「困ったわねぇ。さすがにたった3人じゃ屋敷を維持することもできやしませんよ。今までの評判は仕方ないけど、せめて今からでも給金を上げる事はできません?」
「旦那様が健在ならば進言するところなのですが、今の状態では……」

 メイド長の問いを、ライヒアルトは否定する。
 現在の元男爵は、まともに話をできるような状態ではないのだ。
 今現在も屋敷の財布を握っている元男爵は、人が足りなければ無理矢理にでも連れてこい、と癇癪を起こすばかりだ。

「この際、口入屋で奉公人を買ってしまうというのはどう?いい考えじゃない?」

 カヤが名案だとばかりに、指をパチ、と鳴らして提案する。

「いけません、カヤさん。貴族たる家の者があのようないかがわしい物に関わるなど。」
「えー、いいじゃない!もう男爵家じゃないんだし~」
「カヤ!」

 頬を膨らませるカヤの頭に、メイド長のチョップが振り下ろされた。ライヒアルトはそれを見て苦笑する。

「しかし、これだけ広い屋敷に4人だけとは寂しくなったものですなぁ」

 ライヒアルトは、無駄に広い食堂を見回しながら呟いた。
 
 実際、この屋敷は使用人3人程度で管理できるような広さの屋敷ではない。
 それを示すように、屋敷のあちらこちらが痛んできていた。その痛んだ部分が視界に入るたびに、ライヒアルトの心もチクリと痛む。



「あれぇ?」

 若干重い沈黙が続いていた食堂で、不意に不貞腐れていたカヤが素っ頓狂な声をあげた。

「どうしました?」
「誰か来たみたい」

 そう言われて耳を澄ますと、玄関の方から、こんこん、とノッカーが叩かれる音が聞こえてくる。
 しかし、今は夜、それもかなりの夜更けだ。使用人の希望者にしても、こんな時間に訪れるわけがないだろう。

「おかしいですね、こんな時間に……」

 不審に思ったライヒアルトは、腰につけてあるタクト型の杖を握りしめながら立ち上がった。
 スザンナとカヤは、ライヒアルトの目配せで、自室へと足早に引き上げていく。



「どなたでしょう?」

 玄関まで来たライヒアルトは、扉の外にいるであろう人物に向かって問いかける。

「私、リーゼロッテと申します。この屋敷で使用人を募集していると聞きまして……」
「成程、そうですか。しかし今は夜更けですし、些か非常識ではありませんかな?」

 使用人の希望者と聞いて、一瞬ライヒアルトは心躍ったが、いくらなんでもこの時間に貴族の屋敷を訪れるなど、あまりにも常識が無さ過ぎる。
 そう思って、ライヒアルトは若干きつい調子で問い詰めた。

「……申し訳ありません。馬が途中で逃げてしまってこの時間になってしまったのです。どうか面接だけでもしていただけませんか?」
「私としても、そうして差し上げたいのは山々なのですが、主から夜更けに扉を開けるのは禁じられていまして」

 特にそんな禁止事項はなかったが、単なる門前払いの言い訳である。
 いくら人に困ってるとは言っても、こんな非常識な者を、屋敷の使用人にするわけにはいかないのだ。

「……そう、ですか。でも私、この屋敷が気に入ってしまいましたの」
「は?」

 何を言っているんだ、とライヒアルトは思い、聞き返した。
 まるで屋敷の主のような言い草だ。使用人の希望者だという癖になんというふざけた態度か。

「一番近くの村でも馬で1日はかかる辺境。屋敷の住人はたった4人。人付き合いもなく世間から隔絶している。おまけにお金持ち、なんですってね?」
「な、何を?」

 瞬間。

 玄関の分厚い木扉の隙間を縫うように、蔓のように伸びた草がにゅるにゅると屋敷内に侵入し、意思を持つかのように動いて扉の鍵を開けて見せた。

 リーゼロッテの【生長】、枝操作とも言われる精霊魔法(先住魔法)である。

「お、のれっ!亜人かっ……!」

 ライヒアルトは怒号とともに、後ろに跳んで杖を構えて詠唱を始める。

 バン、と扉が開かれると同時に、スペルを発動した。

「水鞭《ウォーター・ウィップ》!」

 ライヒアルトは水の系統魔法では数少ない攻撃手段の一つ、ドットスペル【水鞭】を侵入者目がけて振り下ろす。



 が。



「ぐ、ふっ」

 鞭を放った時、既にリーゼロッテの右腕はライヒアルトの心臓に刺さっていた。

「遅すぎるぞ?」
「…………」

 リーゼロッテが言葉を投げかけるが、ライヒアルトは既に事切れていた。

「……ふむ、弱い。やはり妾を追ってきたのはメイジの中でも特に厄介な連中だったらしいの……。ま、これでも使い道はあるじゃろ」

 そう呟くと、リーゼロッテはライヒアルトの遺体に向かって手をかざす。

「血よ、躯を流れる血よ、我の意のままに動け……」

 リーゼロッテがそうやって呟くと、ライヒアルトの遺体は紫色の光に包まれる。

 そして。
 
「目覚めはどうじゃ?新たな下僕よ」
「おはようございます、主よ。調子はまずまず、といった所ですかな。私の事は以後はライヒアルトと」

 何事もなかったかのように、むくりと起き上がったライヒアルトが、リーゼロッテに敬礼する。

 【傀儡】。死者に偽りの生命を与えて操る、高位の精霊魔法である。

 一説によると、この力を封じた指輪があるということだが、その力は考えられない程大量の死者を操れる上に、生者すらも操る力があるという。
 個人単位で使える傀儡は、それほど強力なものではなく、操れるのは、身体が朽ちていない死者に限られ、その数もせいぜい10体程度が限界だ。
 
「さて、ライヒアルトとやら、お前は他の使用人を拘束しておけ。妾はこの屋敷の主に会ってくる。ま、一刻後には妾がこの屋敷の主だがな」
「諒解致しました。彼奴の部屋は2階の西奥でございます。では、せいぜいお気を付けて」
「何かカンに触る言い方じゃの……失敗してしもうたか?」

 リーゼロッテはそう言って首を傾げながらも、元男爵の私室へと向かう。
 


 彼女はこの1週間、じっくりと時間をかけて、この屋敷の周りを調査し、近くの村で情報を集めていた。近くといってもかなり離れてはいるのだが。
 その結果、この屋敷を乗っ取ってしまうのが最良という考えに至ったのだった。

 今までも、乗っ取りを敢行したことはあった。あったのだが、長続きしなかった。
 いくら【傀儡】を使って操れるとはいえ、その家の主、もしくは使用人達が何らかのコミュニティに属していた場合、不自然さを嗅ぎつけられて、いずれはばれてしまうのだ。

 その点この屋敷は、世間と隔絶されている上に、金もある。
 まさかリーゼロッテもこれほどまでに乗っ取りに適した場所があるとは思わなかった。



「ほう、そなたがこの屋敷の主か」

 元男爵の私室のドアを乱暴に開けたリーゼロッテは、まるで自分の部屋であるかのように堂々と立ち入りながら、本来の部屋の主に問うた。

「だ、誰だキサマはっ!誰の許可を得てこの部屋に入っているのだッ!」

 元男爵は、額に青筋を浮かべて怒鳴るが、リーゼロッテは全く動じなかった。

「許可なら妾がしたぞ?この屋敷の新たな主がな」
「ふざけおって……ふざけおってぇ!俺を馬鹿にするなぁああ!」

 唾を撒き散らしながら喚く元男爵。もはや、その精神はとうの昔に異常をきたしていた。

「はぁ、くだらん奴じゃの。さっさと終わらせるとするか。ま、この屋敷の主じゃったことに敬意を表してキサマは屍人鬼にしてやろう」

 リーゼロッテはつまらないモノを見る目で、元男爵を見下しながらじりじりと近づく。

 屍人鬼《グール》とは、精霊魔法とは違った、吸血鬼の特殊能力である。

 吸血鬼一人につき一体しか造れないが、能力的には生前と変化がない【傀儡】と違って、身体能力が獣並みに強化された下僕を造ることが出来る。

「死ねっ!死ねえぁっ!」

 呪詛の言葉を振りまく元男爵だが、精神を病んでいる彼は、杖を取るわけでもなく、ただ子供のように手足をジタバタさせているだけだ。その姿は哀れとしかいいようがない。

「黙れ、下郎」
「ぐ、ぇ……」

 リーゼロッテは煩く喚く元男爵の首を、握りつぶすかのようにミチミチと締めながら、その首筋に牙をたてた。
 屍人鬼を作る場合は“吸血”によって殺さなければならないのだ。

 苦い顔で血を吸い上げるリーゼロッテと、目を見開きながら蒼白になっていく元男爵。
 
 抵抗は、できなかった。
 


「うっぷ、まず……吐き気がするわ……。やはり血は処女に限るのう」
「…………」

 好き勝手な評価を吐きながら口を拭う吸血鬼を尻目に、かつて暴君として君臨していた元男爵は静かにその生涯を閉じた。

 彼のデスマスクは驚きと恐怖で醜く歪み、遺体の股からは糞尿が流れ出していた。

 その死には名誉も誇りもまるでなく、それでいて理不尽だった。
 因果応報。それが彼の死には最も似合う言葉かもしれない。





 ともあれ、この時からリーゼロッテはこの屋敷の主として君臨する事になり、屋敷に残された財産を使って、奉公人の娘を買い漁る日々が始まった。
 
 それは、彼女の今までの生の中で、最も安全な生活だった。

 初めは、ただ娘を買ってきては喰うだけであったが、暇を持て余したリーゼロッテは段々とそれにスパイスを加えるようになっていく。
 即ち、娘を食する過程として、脚本をつくり、舞台を演出し、予定した日程通りにそれを遂行していく、というある種のゲームだ。
 喰い終わった娘たちの中で使えそうな者は、リーゼロッテの【傀儡】によって、人手不足の屋敷の使用人として再利用される事になる。

 実に悪趣味ではあるが、享楽的な彼女の性格では、辺境の屋敷における安全な生活は退屈すぎた。
 退屈を持て余した彼女の唯一といってもいい娯楽がこのゲームだったのだ。

 だが、娘たちにとっては、命賭けのゲームであるものの、主催者にとっては所詮はただの遊興である。やはりリーゼロッテは満たされない。
 時が経つにつれ、彼女の口癖は、いつしか「つまらんのう……」になっていった。



 だが、これより3年後、リーゼロッテは退屈な生活を一変させ、その生き方すら変えてしまう不思議な少女に出会う事となる。





2章へ続きますです




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