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名前を隠して楽しく日記。

2010-06-20

http://anond.hatelabo.jp/20100620143255

人を動かすような「言葉の力」は、語学的な能力ではなく

西洋教養世界古代から問題にされてきた弁論術としてのレトリック能力でしょう?

それにはあなたが自分に課して努力してこられた訓練とはまた別の訓練が必要になるのではありませんか?

もう転入とか採用とか全部マークシートにしちまえ

http://togetter.com/li/30421

 

http://anond.hatelabo.jp/20100620125253

 

もう判子の角度とか写真の張り間違いとか読めない字とかそういうことにストレス感じてるなら、全部マークシートか、PC出願にしてくれ。

双方むだな労力がへるだろ、と、何百枚も手書き履歴書を書いてきた自分は思う。

一文字ミスっただけで履歴書すてるなんて、どんだけ資源無駄遣いしてきたんだ。

http://anond.hatelabo.jp/20100620161015

創作だとは思うけども、出来が悪すぎるし

創作じゃないんだとしたら、とんでもない上から目線人生乙。

http://anond.hatelabo.jp/20100620143255

そこそこ英語のできる日本人、TOEIC900+ぐらいでちょっとした留学経験のある人には、往々にしてこの認識が欠けている。

まさに、このあたりにいる日本人なんですが耳が痛いですね・・・。

でもさ、海外ビジネスしている、(もしくはしようとしている)日本一流企業に勤めている人ですら英語が使えないことに対する問題意識の低さはびっくりするよ。そういう人たちは入り口にすら立ってないんだから。

日本人英語ができないことを前提にして、それを補うシステム設計しないと生き残れない」

それは実践している企業は現地海外法人の幹部を現地採用していたりしますね。

何故か英語についてだけは個人の努力責任を負わせようとする傾向がある

それはやっぱ英語義務教育だからじゃないか。

http://anond.hatelabo.jp/20100620163149

自民時代の利権で甘い汁を吸ってきた人達が表に出てきたこと。

特に聖域とされた教育研究分野を切り崩した功績は大きい。

うぜーな

最近自分語りしてからクソどうでもいい結論を書くのが流行ってるのか?まるでマスメディアが「偉い教授のところへ分かりきった結論を聞きに行く」手法のお手本みたいだなおいw

英語オタクが何を理解したんだか。英語オタクになっても無意味だってことだけだろ、アホらしい。

ネイティブ日本アニメ見れる日本人が偉いのか?馬鹿すぎ。次元が違う。話にならない

民主党政権のなにに期待しているのか、本気で聞かせて欲しい。

俺にはなにひとつ期待できる点が見えないんだが。

テスト返し

どうだろう

http://anond.hatelabo.jp/20100620143255

そして、元々俺が書いたドラフトと、指導教官による修正版を並べて見れば、その差は歴然としていた。

俺のドラフト英語表現は拙く、いかにもネイティブじゃない人間が書いたのがはっきりと分かるようなものだった。

とりあえず、元のエントリー英語で書き直してくれ。

英語表現が拙いかどうか分からんだろ。

言葉の力」は人間が関わるあらゆる局面で重要な役割を果たす。例えばスティーブ・ジョブズ経営者としてのカリスマを支えているのは、まぎれもなく彼の言葉の力だ。しかし仮にジョブズと同レベルの才能を持つ日本人経営者がいたとして、英語を用いてその才能をジョブズ並に発揮するのはまず不可能だ。

ジョブズ英語でやってるのと同レベル仕事日本語ではできないのと同じように。

どうかな。カルロスゴーンはブラジル生まれでフランス教育を受けているが日産経営手腕を発揮している。

フランス語ポルトガル語を使わず英語を使って従業員とコミュニケーションしているはずだ。

英語重要なのは世界共通語で、英語ネイティブの人以外とコミュニケーションするにも大事だからだ。

だから、日本で問題なのは通じるレベル英語ができないことで、ネイティブのように使えないことではない。

楽しかった学校を辞めて、好きだった親友罵倒して生きてきた

学校ではモテたし、彼女もいたし、キモオタ馬鹿にして笑いも取ってたし、

勉強も出来たし、クラスカワイイ女を4人抱いた。そのうち1人は今モデルやってる。

でも俺は学校を辞めた。あんなに毎日が楽しかったのに。

 

親友と呼べるやつもいた。そいつは俺のことを尊敬していた。

そりゃ尊敬されて当たり前なんだけどね、俺。

別にそいつのことは嫌いじゃなかった。むしろ好きだった。

結果が出なくてもあきらめずにがむしゃらに努力するし、笑顔が無邪気だった。

あいつは一度もサボらずにバスケ部にいき、練習をした。でもレギュラーになれなかった。

当たり前だ。練習の仕方が悪い。要領が悪い。頭が悪い

俺もバスケ部だったが、当然レギュラーだ。サボりが多かったのに。

だからあいつは俺を尊敬した。そんながむしゃら姿は、俺から見てもすがすがしかった。

 

でも、俺は罵倒した。学校を辞めると決めた次の日だ。

お前は才能がない、クズだ、バカだ、将来絶対成功しない、

練習の仕方が悪い、効率を考えろ、アホの言いなりになるやつがアホだ、

頭を使え、俺を見習え、顔がキモい、動きが気色悪い、声が癪に障る、死ね

 

あいつは泣きそうなのに、無理やり笑って「ありがとう」と言った。

だから俺は最後に一発殴って去った。そしてそのまま学校を辞めた。

 

次の日、そいつからメールが来た。なぜ辞めたのかと。俺はシカトした。

 

あいつはその1年後、バスケ部レギュラーになった。俺の罵倒の内容をしっかり考えて

練習のやり方を変えたらしい。そこからめきめき上達したらしい。そんなメールが来た。

そのメールが来たとき、俺はメルアドを変えた。

 

学校を辞めた後、ネットアフィリエイトをはじめた。

7年が経つが、実家住まいなら食費くらいは負担できるようになった。

 

そして、今から3日前、あいつと偶然会った。

 

あいつは驚いていた。そしていろいろと聞いてきた。なぜ辞めたのか。今何してるのか。

俺はそれに嘘で答えた。そしてあいつは、聞いてもいないのに、その後の学校の様子を言ってきた。

みんな泣いていた。バスケ部が弱くなった。クラスの盛り上げ役がいなくなり、静かになった。

目を輝かせて言ってきた。

 

俺はあいつをボコボコにした。途中で警官が来て、俺は取り押さえられた。

あいつは俺をかばったが、傷害罪は親告罪ではないため、俺は逮捕された。

無抵抗の相手を殴り続けたということで、実刑となった。

あいつに嘆願書でも貰えば執行猶予になったのだろうが、そのことをあいつには告げなかった。

 

そして約1年後の釈放の日、門の前であいつが待っていた。俺は無視して通り過ぎようとした。

そのとき、あいつが俺を思いっきり殴った。そして走り去っていった。

 

俺は痛みを感じつつ、あいつの後姿に叫んだ。

 

「ありがとう!」

お互いの好きの温度差をわかってほしいと思う

一緒にいたいと思うけど独りでいたいときもあるし

恋愛の為だけにまっしぐらになれるわけでもなければ

事あるごとにいわれるのもプレッシャーにもなる

年齢から気持ちも分かるから言うにいえないしなと

http://anond.hatelabo.jp/20100620142208

どっかのコピペ?前にもこんな内容のを見た気がする。

ところで

うしじまさん最高っすね。

http://bit.ly/dh705a

http://anond.hatelabo.jp/20100620143255

大変そうな話だけど、君はその努力謙虚さで成功したんだろうな。

http://anond.hatelabo.jp/20100620142208

こんな人と付き合いたくないなぁ。人としてどうかと思う。

同意です。

http://anond.hatelabo.jp/20100620143255

ネイティブに混じって、向こうで(ふつうビジネスを)やって行くということは、基本的には、

「二級市民」としてやっていく、

ということだと思います。

でなければ、特殊技能で勝負するか、

異なる文化圏(禅やサムライ)からやってきた「変わった人」(芸人)として生きていくのが、

ありうる戦略だと思います。

プラットフォーム(英語)は、向こうの人が握っているわけですから。

プリプリ

テスト的なもの

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記法

* anond:20060923210701

* はてなの名でやるような事でもない

* ああああ

死ぬほど英語勉強してきたからわかる、英語学習限界

俺は英語学習オタクだ。これまでの人生の中で大量の時間英語学習に費やしてきた。中学校から始めて、日本にいてできる英語学習法は殆ど試したと思う。高校時代には学習参考書や問題集を二百冊以上終わらせた。ネイティブの個人家庭教師がついていて、さらにマンツーマン英会話スクールにも通った。大学は迷わず英語学科を選んだ。大学在学中にTOEFLスコアは640を超えた(厳密には覚えていないが、目標が640でそれを超えたのは間違いない)。

大学卒業後、アメリカ大学院博士課程に留学した。ここでも俺の英語は「通用した」。授業に問題なくついて行き、ディスカッションにも十分に参加できる。タームペーパーや授業でのプレゼンの評価はAかA+。学会での口頭発表もすんなりとこなすことができた。

しかし、留学中のいくつかの出来事が、俺の「自分英語力」に関する認識を変える。

ひとつめ。在学中に指導教官英語ネイティブ)と共著で論文を書くことになった。俺が最初ドラフトを書き、指導教官がそれをチェックするという形で、共著と言っても実質俺の論文みたいなものだ。しかし、ドラフトを書き上げ、指導教官に送って、それが戻って来たのを見て愕然とした。ほぼ全文、誇張じゃなくほぼ全文に渡って英語表現が訂正されているのだ。論文の主張や論の構成はそのまま、しかし英語表現は徹底的に変えられているのである。そして、元々俺が書いたドラフトと、指導教官による修正版を並べて見れば、その差は歴然としていた。俺のドラフト英語表現は拙く、いかにもネイティブじゃない人間が書いたのがはっきりと分かるようなものだった。

ふたつめ。TA(ティーチングアシスタント)としての仕事の一貫として、学部生相手の授業を何コマか受け持つようになった。授業自体は問題なく進んでいた。しかし、学期末の学生による授業評価がかなりきつかった。学生は皆「あいつの英語はおかしい」「アクセントが強くて聴いているのが疲れる」「表現稚拙で繰り返しが多すぎる」といった不満を述べてきた。「頑張ってるのは分かるけど、英語があれでは尊敬できない」とも書かれた。

ある学問領域における学生仕事としては、言っていることの内容が通じればそれでよい。評価はその内容の質に基づいて下される。しかし、実は世の中には、「同じ内容をどのように伝えるか」が遥かに重要になる文脈の方が多いのだ。そして、「通じる英語」と、「上手に伝える英語」の間には、ものすごく深くて広い河がある。そこそこ英語のできる日本人、TOEIC900+ぐらいでちょっとした留学経験のある人には、往々にしてこの認識が欠けている。

その後俺はPh.D.を取得し、日本に帰ってきて大学就職し、今でも仕事の中で日常的に英語を用いている。しかし、自分英語力は、ネイティブ言語能力には遠く遠く及ばないものだという認識がある。「通じる英語」は問題なく使いこなせる。自分学問分野においては、俺は英語で実績を上げていて、俺の名前は国際的に認知されている。しかし自分には、英語を用いて「言葉の力」を利用するのは難しい。例えば人を説得したり、納得させたり、なだめすかしたり、楽しませたり。そしてそれは、俺の努力が足りないせいでも、ましてや日本英語教育が悪いせいでもない。第二言語として英語を学ぶ日本人限界なのだ。(というか、ネイティブですら、話下手や説明下手は山のようにいるのだから、第二言語学習者については何をかいわんやである)

言葉の力」は人間が関わるあらゆる局面で重要な役割を果たす。例えばスティーブ・ジョブズ経営者としてのカリスマを支えているのは、まぎれもなく彼の言葉の力だ。しかし仮にジョブズと同レベルの才能を持つ日本人経営者がいたとして、英語を用いてその才能をジョブズ並に発揮するのはまず不可能だ。ジョブズ英語でやってるのと同レベル仕事日本語ではできないのと同じように。

「通じる英語」を身に付けたばかりの日本人は、しばしば全能感に浸って事の本質を見誤る。得意げに日本英語教育にモノ申してみたり、「英語ができない日本人」を問題視する発言をしてみたりする。しかし、英語世界において、言葉武器に戦うためには、「通じる英語」では全然足りないのである。その意味では、TOEIC600と900の違いは誤差でしかない。結局勝負を分けるのは「どれだけ優秀なネイティブ参謀を捕まえられるか」なのだ。

...いや、何だろうね、どうも最近の「日本人英語ができるようにならんとグローバル化を生き残れない!」って風潮にイラっとくるものがあったので書いてみた。俺に言わせれば、「日本人英語ができないことを前提にして、それを補うシステム設計しないと生き残れない」ということになるね。英語以外の言語についてはごく自然にそういうスタンスを取るのに、何故か英語についてだけは個人の努力責任を負わせようとする傾向があるんだよね。俺はそれは間違いだし、無い物ねだりだし、中途半端英語ができる人間勘違いを助長して結果として不利益を生むだけだと思っている。

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