●セタネットを起点に広がった横の繋がり |
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鶴見: |
前回までのあらすじをカンタンに説明しますと、ナムコに潜り込んでサウンドの社員に昇格した細江慎治青年は、ダンスミュージックで周囲を洗脳しまくり「リッジレーサー」を生み出した、と。そういえば、細江さんがリッジレーサーを作ってる最中、都内のクラブで顔合わせてましたよね。ド深夜(笑)。「この人またいるよ」みたいな(笑)。 |
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細江: |
それはお互い様(笑)。 |
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鶴見: |
そんなワケで今回は、ナムコに勤務していた頃、細江さんの「交友範囲」が尋常じゃなく広かった、という話から始めたいと思います。 そもそも、当時セガに勤めていた私が、ナムコの細江さんと知り合いだったってのが変じゃないですか(笑)。しかも、花博にギャラクシアン3を観に行くから、「大阪の美味しい店を教えて」と連絡したら、細江・佐宗が手書きで作った「美味い店マップ」をナムコからセガにFAXしてくれたり(笑)。 |
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細江: |
あったよね(笑)。 |
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鶴見: |
他人事みたいに(笑)。そのキッカケは、草の根BBSだったワケです。 |
草の根ネット(草の根BBS)
インターネットが普及する以前は、電話回線でモデムを通じてホストコンピュータへ直に繋ぐタイプのネットワークが主流だった。回線数の少ない小規模な無料ネットを「草の根ネット」「草の根BBS」などと呼んだ。パソコン+回線+モデムがあれば、フリーソフトを使って自分でBBSを開設する事が出来た。 |
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細江: |
やっぱ、セタネットだよね。色々な人間が集まっていて。あの頃の人間の繋がりが(今も)でかいよね。 |
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鶴見: |
セタネットというのは、今は亡き「セタ」がやっていた、中規模のネットですね。当時、ゲームの作り手が皆んな揃った!みたいな勢いがありましたよね。ゲーム業界の現場にいた若手が、セタネット上で「初めまして」「初めまして」と、がんがん知り合っていって。 |
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細江: |
うんうん。セタネットの忘年会で…セガの中(裕司)さんに初めて会ったり、(鈴木)裕さんもいたかな。あと、タイトーの堀(崇真)ちゃんとか海道(賢仁)とか…氷水芋吉とか…。 |
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鶴見: |
ちょwww芋吉ってwww俺wwwwww あの時、「めがてんさん!」とか呼んでたんですよね。後に、1コ下だと判明したから、「さん」が取れて「めがちん」になりましたが(笑)。 |
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細江: |
あるある(笑)。 |
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鶴見: |
そして、セタネットで広がったゲーム業界人の繋がりが、「未来研ネット」というBBSで、更に濃縮されていったワケです。それを開設したのが、誰あろう、細江慎治その人(笑)。 |
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●「未来研ネット」で繋がりはよりディープに |
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細江: |
未来研ネット、あれ面白かったね。 |
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鶴見: |
なんでまた開こうと? |
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細江: |
もちろん、セタネットの影響。 |
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鶴見: |
色々なゲーム業界の人間がアクセスしてきてましたよね? 私とか(笑)。あれ、公式ではないですよね? |
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細江: |
非公式(笑)。たまたまアナログの回線が余っていたんで、勝手に機材一式持ってきて、WWIV(フリーのホストプログラム)を入れて。 |
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鶴見: |
今だったら有り得ないですよ。いい時代だった(笑)。 |
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細江: |
色んな人いたねー。で、色んな人が色んな人を連れてくるんだよね。某有名ソフトハウスの人がいたり、大手メーカーの人がいたり。 |
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鶴見: |
それでモデムが1個だけだから、回線がすぐ埋まっちゃって(同時には1人しかアクセス出来ない)、リダイアルの嵐(笑)。 |
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細江: |
横の繋がりが急速に出来ていったのも、ネットのおかげだよね。 トルバ(=トルバドール・レコード)でCDを作る前に、ネットで知り合った人たちとカセットでコンピ(=コンピレーション)を作った事があって。その時も、同業者の方に参加してもらって。 |
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鶴見: |
うわ、それは初耳だ。どこで売ったんですか? |
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細江: |
コミケ、コミケ。晴海の頃、オニオンソフトのブースに間借りして。 |
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鶴見: |
オニオンソフトといえば、同人ソフト界では超有名ですよね。「100円ディスク」は、「日本のメガデモ」として名高かった。今でも、無料のプログラム言語「HSP」で広く活動しているワケですが…そんなオニオンソフトのブースの脇に、密かに凄いカセットが置かれていた、と(笑)。 |
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細江: |
オニオンソフトとも、ネット繋がり。 |
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鶴見: |
あの頃、小さな草の根ネットが沢山あって、その草の根ネットごとに人のコロニーがありましたよね。そのコロニーとコロニーが繋がって、繋がって、繋がって…集った人の中から、ゲーム方面に濃ゆい人間ばかりが、未来研ネットで熟成されていった、と(笑)。 |
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細江: |
そういうこと。 |
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鶴見: |
そういえば、「未来研ネット」は、後に企業臭を無くして「未来犬ネット」に変わりましたけど。 |
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細江: |
家で立ち上げたので、違う物ですから(苦笑)。 |
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鶴見: |
じゃあ深く突っ込むのは止めときます(笑)。違う物でも、中に集まる人間は変わりませんから無問題です。 |
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●トルバドール・レコード始動! |
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鶴見: |
その未来研(未来犬)ネットに、いつからか「トルバドールの部屋」掲示板が出来て、トルバドール・レコードという同人CD活動の拠点になりました。 そもそも、本業が忙しい中、コンピレーションのカセットを作ったのは…やっぱり、オニオンソフトが同人でプログラムやディスクを売っていたから、同人で音楽を出すハードルが低かったということなんですかね? |
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細江: |
そうだよね。音楽でも、皆んなで集まって、そういうの出したら面白いだろうと。それが無かったら、やってないよね。 |
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鶴見: |
で、オニオンソフトにブース間借りしてるのも肩身が狭いから、トルバドール・レコードを設立した、と。それは、人も増えて、体制も整ったから? |
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細江: |
勢いだけだよね、最初のうちって。そもそも、ぢょん(相原)が「CD作りたいんですよ」と来たんで、そろそろテープも何だしCD作ろう、と。それでCDの形になった。最初はCD売って「ボーナス倍増化計画」とか云ってたんだけど…「ボーナス半減計画」でした(笑)。 |
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(一同爆笑) |
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細江: |
制作費がかかりすぎた。当時は。版下もDTPじゃなかったし、プレスも…。 |
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鶴見: |
今だったら、驚くほど安く作れますけどね。同人CDの走り…というか、思いっきり人柱ですね(笑)。 |
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細江: |
コミケでは、CDを作っていたのがウチを含めて3つしかなかった。「同人CDの歴史」みたいな本の、いちばん上の方に並んでる(笑)。 |
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鶴見: |
人柱がいたから、今、同人CDを安く作れるようになったわけですよ、アリガタヤ。でも、ボーナスが半減しちゃったのに、なぜ懲りずに続けたワケですか? |
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細江: |
やっぱ…取り返さないと(笑)。 |
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鶴見: |
一回足を踏み入れたら、抜けられなくなっちゃったんだ。ずぶずぶと。「ざわ…ざわ…」と(笑)。で、取り戻すために色んな人間を誘っていったワケですね(笑)。 |
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