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株式会社アイエヌエイチ
株式会社ウェーブマスター
2009.01.14
 
サウンドのお仕事は「放置プレイ」?
初めての、魅惑の「スタジオ仕事」
「音楽の人」には出来ない? ギャラクシアン3
リッジプロジェクトをダンスミュージックで塗りつぶせ!
「何故ダンスミュージック?」そのキッカケは

>> 1/4回から読む <<
 
株式会社スーパースィープ 代表取締役音屋 細江慎治

ナムコにおいて「ドラゴンスピリット」(1987)を皮切りに、「リッジレーサー」シリーズなどの、時代を代表する様々なゲームミュージックを作曲する。ナムコを退社後、アリカを経て、スーパースィープを設立。様々なゲームに楽曲を提供するとともに、スィープレコードからCDをリリースするなど、精力的な活動を続けている。

●サウンドのお仕事は「放置プレイ」?
   
鶴見: さてさて前回までのあらすじをカンタンに説明しますと…下呂に生まれ、家に「鉱石」があったために理系の道を選んでしまった細江少年は、鉱石の不思議な力に導かれ(?)、アルバイトとしてナムコに入り、ドラゴンスピリットのサウンドを「勝手に作っちゃった」結果、社員としてサウンドに配属されましたが…。
   
細江: …その後も、しばらく放置プレイ(笑)。サウンドは皆んな忙しいから、教えてもらうこともなかった。
   
鶴見: 当時のサウンドチーム3人の内、中潟(憲雄)さんは「源平プロ」に専念していたから、残りは2人…絶対的な人数が少なかったんですかね。その中で4人目のメンバーとして、どんな仕事を与えられたんですか?
   
細江: 川田(宏行)さんと小沢(純子)さんがやってないのは、全部(笑)。 「システム2」(ナムコの業務用システム基板)の立ち上げの頃は、ほとんどのタイトルをやった。システム2のボードを作ってた頃、他の2人は別の事をやってて。だから、あの時出たタイトルは、1年間分ぐらい、自分がやった。やるしか無かった。'88年・'89年が、いちばん濃いよ、自分の中で。
   
鶴見: システム2のほとんどのタイトルを、なんらかの形でをやらされた、と。確かに、「めがてん細江」という名前は、「アサルト」「オーダイン」といった、システム2のゲーム音楽によって轟いた感がありますもんね。 あれ、その他に出世作と云われている「ファイナルラップ」はシステム2ではないですね。
   
細江: サウンドのハードは同じで、(サウンド)ドライバーとかも比較的近かったから、やることになった。ただ、ツールが無かったんでね、すごく辛かった…。
   
鶴見: ツールが無かったんなら、生産性が相当低かったんでは? というかそもそも、よくもまあ経験が少ないのに曲が作れましたよね。
   
細江: 生産性は低い!酷かったねえ。曲が最初からあったとしても、打ち込むだけで、1日じゃ終わらない。まあでも、やり始めって楽しいから、いくらでも出来ちゃうじゃない。自分内ライブラリも溜まっていって…ノウハウも溜まって…。
   
鶴見: 忙しさも、徐々にラクになっていったワケですね。やっぱり、忙しい時は会社に泊まってたりしたんですか?
   
細江: いや、結構そこそこ帰っていたかな。今の方が忙しい。よく考えると、昔の方がヒマだった。そんなに頑張ってなかった(笑)。
   
鶴見: 「頑張ってなかった」というと人聞きが悪いですよ。ツールが貧弱だった分、自分の中にある物が出し切れなかった、ということにしませんか?(笑)
   
細江: そうそう(笑)。
   
鶴見: 曲は、どんなところから生まれたんですか? というか、プロジェクト内でサウンドを作る時は、どんな形でオーダーされたんですか? 企画担当者が、曲調や曲想、ジャンルなんかを細かく指定してきたりとか?
   
細江: 当時は、(そういうオーダーは)無い。たぶん他の人もそうだったと思うんだけど、ほぼサウンドの人が「良し」と思えば、そのままいっちゃってた。誰もNGを出さない。NGを出すのは自分ぐらい。
   
鶴見: 企画書を見て、サウンドが独自に判断していたという事ですか?
   
細江: というか、横に絵を描いてる人がいるから。いくらでもゲームの情報は入ってくる。 よくあるのは、テスト段階…試作で動かしている時に「寂しいから何か入れて」って仮に入れた曲が、「これでいいんじゃない」って認められるパターン。
   
鶴見: なるほど、まず企画書ありきではなく、まず試作ありき、という事ですかね。 あれ、でもそれだと、昔のビクターのCDに入っていたような「ボツ曲」は生まれないような気はしますけど?
   
細江: それは「自分ボツ」。他のゲームには、波形の構成が違うから入れられなかった。
   
鶴見: なるほど、CDだけの「ボーナストラック」ですね(笑)。
   

 
●初めての、魅惑の「スタジオ仕事」
   
鶴見: CDと云えば、当時ナムコのゲーム音楽は、すぐにCD化もされていましたよね。
   
細江: 妖怪道中記とかがアルファから出て、その後にビクターからドラスピが出て。
   
 
ナムコ・ゲーム・ミュージック
VOL.1

80年代ナムコ業務用ゲームの秀作『ローリングサンダー』、アーケード初のRPGゲーム『ザ・リターン・オブ・イシター』ほかの名作音源を収録。
ナムコ・ゲーム・ミュージック
VOL.2

80年代のナムコ・アーケード・ゲーム・ミュージックを集めたオムニバス作品集が登場。妖怪とテクノ・ポップが絶妙に融合した『妖怪道中記』をはじめとする数々の名作ゲーム音源が甦る。
ナムコ ビデオ ゲーム グラフィティVOL.2
88年にビクターから発売されたナムコオムニバスCD。細江氏が担当したドラゴンスピリットのほか、トイポップ、ブレイザーのオリジナル音源、ワンダーモモ、サンダーセプター、妖怪道中記のアレンジを収録。
 
 
 
 
 
 
   
鶴見: ドラスピ、ファイナルラップに続いて、クエスターがあって、アサルトがあって、オーダイン、メタルホーク…。細江曲が、むちゃむちゃな勢いでCD化されてますよね。CD化される場合、どういう形で関わってたんですか?
   
細江: 音は、基板の音だからね。アレンジも、外の人──米光さんとかがやってくれていたから(自分がやる)追加作業も無かった。基本的には、スタジオへ聴きに行ったりトラックダウンを見に行ったりとかの「監修」で、丸1日。面白かったね。初めての経験だしね。
   
鶴見: それは、どこでやっていたんですか?
   
細江: 場所は、千駄ヶ谷のビクタースタジオ。窓のない、箱のようなバカでっかいスタジオの中で、小っちゃい基板の音をちまちま録って(笑)。録った音を「これOKですか?」「はいOK」って(笑)。
   
鶴見: ちょっと、当時を思い出して、云ってもらえません?
   
細江: 「はいオッケー!」 ※細江氏ご本人の音声ファイルはこちら
   
鶴見: はいOKです(笑)。
   
細江: エンジニアの作業が興味津々で、そこから見て覚えたものがかなりある。色んなエンジニアがいて、やり方も色々あるんだな、と。
   
鶴見: なるほど、ミキサー卓を見て「この中に『鉱石』が入っていて、針の当て方で音が変わるんだな」みたいな?(笑)
   
細江: (笑)。こんなにツマミとボタンが一杯あるなんて、夢のようなマシンだ!って(笑)。フェーダー(=スライド式ツマミ)もオートメーションで自動的に動くし。電飾も一杯あるしねー。電飾に弱いもの!
   
鶴見: 電子工作好き・音楽好きだったら、もうたまらないですねホントに。
   
細江: ホントに楽しかった。「あ、こういう風に作るんだ」って、その当時の(ビクターの)エンジニアさんの「音」で育てられた面もある。自分の今の音の作りも、そこから吸収した物があったりする。
   
鶴見: 後の…今の本業につながる、勉強をさせてもらったんですね。
   
細江: 本業で(ゲームの音作りで)スタジオ作業をするのは、もっと後…「ギャラクシアン3」ぐらいからだけどね。
   

 
●「音楽の人」には出来ない? ギャラクシアン3
   
鶴見: 「ギャラクシアン3」! 大阪で開催された「国際花と緑の博覧会」(1990年)に設置された、28人同時プレイのシューティングですよね。その頃になると、昔とは違ってサウンドのメンバーも増えていたはずですが、なぜ細江さんが担当する事になったのか? その経緯を聞かせてください。
   
細江: 担当も何も、他に(担当者の)選択肢がいなかった。サウンドのメンバーが増えたといっても、新しく増えたのは「音楽の人」だからね皆んな。
   
鶴見: 音楽以外の何が必要だったんですか?
   
細江: 試作の時に、「専用のハードウェアが出来ました」と、設計図とメモリーマップと基板を持って来られて、「3日後に音が出るように!」って。まさか、回路図を読むところからやらされるとは思わなかった(笑)。
   
鶴見: それ「音楽」じゃないし(笑)。
   
細江: サウンドボードのCPUが新しく68000(=モトローラのチップ)に変わって。「6マン8センってナンデスカ?」。なのに、(サウンド)ドライバーも、アセンブラで「作れ!」と(笑)。
   
鶴見: 確かにそれは、家に鉱石があった人じゃないと無理だ(笑)。CPUも「石」ですからね。まあ68000は、それまでサウンド用に使われていた6809チップを拡張したような物ですから、出来ると見込まれたんでしょう。
   
細江: 仕方ないから68000の本を買ってきてやってたけど…出ないのよ音が。動かないの。追求していったら、基板のパターンが間違ってて、アドレス(線)が1個ズレて「つながってねえじゃん」(笑)。結局自分で、超音波カッターで基板のパターンを切ってつなぎ直した。
   
鶴見: 音を出す以前に、罠が満載だったと。まさか、3日間でハードをデバッグして、68000のアセンブラでドライバーを書いて、曲まで作らされた!?
   
細江: いや試作段階は、効果音だけ出ればよかったから、曲は要らなかった(笑)。
   
鶴見: でも、3日で何とか音を出したワケですね。よかったよかった。──その後は順調だったんですか? たしか、頻繁に大阪へ出張してましたよね?
   
細江: 途中まではシステム丸ごとが未来研(ナムコ横浜未来研究所)の中にあったけど、大阪に持ってっちゃって。本チャンのシステムは1個しかないからね。手元にも(開発機材は)あるけど、やっぱり実装してみないと確認出来ないから。
   
鶴見: 有名な話ですよね、未来研の吹き抜けスペースに、モニターを16台並べた試作システムを構築してから、花博の本番システムが作られたというのは。じゃあ、問題があったら「細江じゃなきゃ解らないから、呼べ!」と、大阪に呼ばれたワケですね?
   
細江: そう、サウンド周りで何かあったら、全部自分の問題(笑)。(ギャラクシアン3だけは)珍しく、それだけどっぷりやれた。
   
鶴見: さてギャラクシアン3では、念願の「スタジオ作業」も本格的にあったワケですよね? 楽曲制作だけじゃなく、ナレーション録りもバンバンあったり…役者さんを選んでオーディションして、台本を読んでもらって、切り出してMA(=映像に合わせて音声を編集)して…。
   
細江: うん、全部やってた。台本は…完全な原稿をちゃんともらったってのは、あんまりなかったね。企画の人と一緒に「ああしよう、こうしよう」と。
   
鶴見: なるほど、企画の人と一緒にやったからこそ、あの有名な、ゲーム中には出てこないシステム音声「Mainboard... Check」「Submission... Check.」とかの、客の耳に触れないけれどカッコイイ音声を録ろうという話にもなったんですね。 ところで、オーケストラ風のスペイシーな楽曲は、スタジオで録った…?
   
細江: …ではない。ナムコ時代は、スタジオで音は録ってない。ナレ(ーション)だけ。ナレも、ちゃんとスタジオで録ったのはギャラクシアン3が最初だと思う。
   
       
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