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鶴見: |
さてさて今日は、「この人を抜きにゲームミュージックは語れないであろう」という、細江慎治氏(通称・めがてん細江)にお話を伺うべく、細江氏が代表を務める会社「スーパースィープ」に押しかけてきました。
──毎度おつかれっすー。GA-COREでーす。 |
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細江: |
いらっしゃ~い♪(桂三枝風に) ※細江氏ご本人の音声ファイルはこちら |
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株式会社スーパースィープ 代表取締役音屋 細江慎治
ナムコにおいて「ドラゴンスピリット」(1987)を皮切りに、「リッジレーサー」シリーズなどの、時代を代表する様々なゲームミュージックを作曲する。ナムコを退社後、アリカを経て、スーパースィープを設立。様々なゲームに楽曲を提供するとともに、スィープレコードからCDをリリースするなど、精力的な活動を続けている。 |
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鶴見: |
細江氏は古い友人なので、いつもなら「めがちん」とゾンザイに呼ぶワケですが、今日は記事にするインタビューということで「細江さん」と丁寧に呼ばせていただきます。語尾もですます調で行かせていただきます。よろしいですね、細江さん? |
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細江: |
……(笑)。 |
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鶴見: |
いやそんな、怪しい人を見る目つきはやめて(笑)。
さて、細江さんと云えば、ゲームミュージックを作り続けて20年。ずいぶん長いですよね。 |
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細江: |
いつの間にか、20年をちょっと超えちゃった。(自分は普通に)やってるだけなのに、だんだん周りの人がいなくなっちゃって、残ってる方が珍しくなってきた。 |
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鶴見: |
今回のインタビューのために「細江慎治の20年間」を洗い直してみたら、細江さんを中心に、色々なゲーム音楽クリエイターが綺羅星の如く現れて、同じ流れに乗っているんですよね。ある意味、「梶原一騎引退記念作品『男の星座』」みたいな。 |
細江: |
たまたま(笑)。 |
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鶴見: |
またまた(笑)。でも実際に、今ゲーム音楽を作ってる人間って、たいていが知り合いでしょ? |
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細江: |
まあ、それはそうかな。一部の古い人は。 |
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鶴見: |
今回は、既存の記事やWikipediaなんかには載っていないような、そういう交友関係や、非ッ常に細かい話なんかも拾って、そういった「細江慎治版・男の星座」を浮き彫りにしていくつもりなんで、ひとつよろしくお願いします。 |
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●「鉱石」に導かれ、理系方面へ |
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鶴見: |
じゃあ、細かい話の皮切りとして…まず…どこから生まれました? |
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細江: |
「どこから」ってwwwそれはwwwオカンの大事なトコロからwwwww |
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鶴見: |
「どこから」じゃなかった(汗)。「どこで」生まれ育ちましたか?(汗) |
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細江: |
生まれたのは、下呂病院(岐阜県下呂市)。下呂で生まれ育って、小学校1年の時に、調布(東京)へ引っ越してきた。実家は写真屋さん。 |
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鶴見: |
子供の頃って、親兄姉友人の影響で趣味嗜好が決まったりしますけど、そういうのはどうでしたか? |
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細江: |
3つ離れた姉と一緒だったんで、影響というよりは、姉と同じものを見て育ったという感じ。初めて買ったレコード=富田勲『惑星』のシングル盤も、姉とラジオで一緒に聴いてて、これを買おうという話になった。後には、ピンク・レディーとかも一緒に買った。ステレオは(写真屋での)撮影のBGM用として、お店に置いてあったから。 |
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鶴見: |
なるほど、実家の仕事道具を使って、細江姉弟はレコードを聴いていたってワケですね。親の影響はなかったんですか? |
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細江: |
たまたま父親が工作好きで、自分も電子工作にハマってしまった。鉱石ラジオを作ったりね。ダイオードじゃないよ鉱石だよ!みたいな(笑)。 |
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※鉱石ラジオとは、鉱石に針を立ててその接触具合で検波の調節を行う、とても扱いづらいラジオ。ダイオードを使えば、同じ機能が簡単に手に入る。 |
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鶴見: |
なんでまた、鉱石ラジオなんてハードルの高いものを…? |
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細江: |
父親が、たまたま鉱石を持っていたから(笑)。 |
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(一同爆笑) |
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細江: |
そういった電子工作の趣味で、若干理系気味に行くじゃない。小さい頃はそっち系の雑誌(「ラジオの制作」「初歩のラジオ」など)を読んでたり。それで、成城にある工業高校の電子科に進んだ。 |
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鶴見: |
鉱石1コで決まった進路! 人生に一石を投じられたワケですね。 |
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細江: |
誰が上手いこと云えと(ry |
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●電子「工作」から電子「音楽」へ |
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鶴見: |
では、中高の頃は電子工作一色だった、と? |
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細江: |
電子工作は子供の頃。学生の頃は音楽雑誌とパソコン雑誌が多かったのかなあ。電子音楽にどっぷりとハマっちゃったから、そういったのが載ってる音楽雑誌を探して。好きだったのは、富田勲と、ジャン・ミッシェル・ジャール。その2人は、すごく近いポジションにいたんで。 |
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鶴見: |
最先端…というか、当時としてはマイナーな嗜好ですね。 |
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細江: |
でも小学校の終わりか中学校の頃にはYMOが出てきてた。 |
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細江: |
YMOは、コピーバンドもやった。中学の時はベース弾いてアリスとかオフコースとか…高中(正義)とかもやったけど、YMOのコピーバンド歴がいちばん長いかな。 |
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鶴見: |
中高生のYMOじゃ、機材的に足りなそうですよね。 |
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細江: |
だから質素だったよね。薄っぺらいYMO(笑)。(機材も)ポリフォニックじゃなかったしね。でもかろうじて、成城に住んでた金持ちが一人いて…」 |
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鶴見: |
お金持ち町の成城に高校があった甲斐があったワケですね!(笑) その高校も卒業して、音楽好きの細江少年は、日本電子専門学校CG科へ進むワケですが…なぜ音楽じゃなくてCG? |
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細江: |
C言語をやりたくて。CをやってるのがCG科だった。そもそも、高校の情報処理でFORTRANを習ったけど、その頃に新しかったのがC言語。これからはこれは伸びる、これをやろう、「これからはCだろ!」と。 |
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鶴見: |
音楽とかCGとかの前に、まずコンピュータ言語ですか。なんだかまだ「鉱石」の延長ですね(笑)。それを一所懸命に勉強して…? |
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細江: |
ほとんど学校へ行かずにバイトしてた(笑)。最初に電算写植をちょっとやったけど、後はほとんどナムコに。 |
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鶴見: |
いよいよナムコに! |
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