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株式会社アイエヌエイチ
株式会社ウェーブマスター
2009.01.07
 
「鉱石」に導かれ、理系方面へ
電子「工作」から電子「音楽」へ
ナムコでのアルバイト、まずは…
「勝手に」ゲームへ曲を付ける方法
社員に抜擢、でも「サウンド嫌だな」!?


GA-COREをご覧の皆さん初めまして、鶴見六百(つるみ・ろっぴゃく)です。
遙か20年の昔、ゲームミュージックのソノシートを付録にして一世を風靡した「BEEP」という雑誌で、氷水芋吉という名前で色々やってたオッサンです。
得意技は「昔話」。今日も、古い知り合いと昔話をしにやってきましたが、さて…?
 

   
鶴見: さてさて今日は、「この人を抜きにゲームミュージックは語れないであろう」という、細江慎治氏(通称・めがてん細江)にお話を伺うべく、細江氏が代表を務める会社「スーパースィープ」に押しかけてきました。
──毎度おつかれっすー。GA-COREでーす。
   
細江: いらっしゃ~い♪(桂三枝風に)  ※細江氏ご本人の音声ファイルはこちら
   
株式会社スーパースィープ 代表取締役音屋 細江慎治

ナムコにおいて「ドラゴンスピリット」(1987)を皮切りに、「リッジレーサー」シリーズなどの、時代を代表する様々なゲームミュージックを作曲する。ナムコを退社後、アリカを経て、スーパースィープを設立。様々なゲームに楽曲を提供するとともに、スィープレコードからCDをリリースするなど、精力的な活動を続けている。
   
鶴見: 細江氏は古い友人なので、いつもなら「めがちん」とゾンザイに呼ぶワケですが、今日は記事にするインタビューということで「細江さん」と丁寧に呼ばせていただきます。語尾もですます調で行かせていただきます。よろしいですね、細江さん?
   
細江: ……(笑)。
   
鶴見: いやそんな、怪しい人を見る目つきはやめて(笑)。
さて、細江さんと云えば、ゲームミュージックを作り続けて20年。ずいぶん長いですよね。
   
細江: いつの間にか、20年をちょっと超えちゃった。(自分は普通に)やってるだけなのに、だんだん周りの人がいなくなっちゃって、残ってる方が珍しくなってきた。
   
鶴見: 今回のインタビューのために「細江慎治の20年間」を洗い直してみたら、細江さんを中心に、色々なゲーム音楽クリエイターが綺羅星の如く現れて、同じ流れに乗っているんですよね。ある意味、「梶原一騎引退記念作品『男の星座』」みたいな。
細江: たまたま(笑)。
   
鶴見: またまた(笑)。でも実際に、今ゲーム音楽を作ってる人間って、たいていが知り合いでしょ?
   
細江: まあ、それはそうかな。一部の古い人は。
   
鶴見: 今回は、既存の記事やWikipediaなんかには載っていないような、そういう交友関係や、非ッ常に細かい話なんかも拾って、そういった「細江慎治版・男の星座」を浮き彫りにしていくつもりなんで、ひとつよろしくお願いします。
   

 
●「鉱石」に導かれ、理系方面へ
   
鶴見: じゃあ、細かい話の皮切りとして…まず…どこから生まれました?
   
細江: 「どこから」ってwwwそれはwwwオカンの大事なトコロからwwwww
   
鶴見: 「どこから」じゃなかった(汗)。「どこで」生まれ育ちましたか?(汗)
   
細江: 生まれたのは、下呂病院(岐阜県下呂市)。下呂で生まれ育って、小学校1年の時に、調布(東京)へ引っ越してきた。実家は写真屋さん。
   
鶴見: 子供の頃って、親兄姉友人の影響で趣味嗜好が決まったりしますけど、そういうのはどうでしたか?
   
細江: 3つ離れた姉と一緒だったんで、影響というよりは、姉と同じものを見て育ったという感じ。初めて買ったレコード=富田勲『惑星』のシングル盤も、姉とラジオで一緒に聴いてて、これを買おうという話になった。後には、ピンク・レディーとかも一緒に買った。ステレオは(写真屋での)撮影のBGM用として、お店に置いてあったから。
   
鶴見: なるほど、実家の仕事道具を使って、細江姉弟はレコードを聴いていたってワケですね。親の影響はなかったんですか?
   
細江: たまたま父親が工作好きで、自分も電子工作にハマってしまった。鉱石ラジオを作ったりね。ダイオードじゃないよ鉱石だよ!みたいな(笑)。
  ※鉱石ラジオとは、鉱石に針を立ててその接触具合で検波の調節を行う、とても扱いづらいラジオ。ダイオードを使えば、同じ機能が簡単に手に入る。
   
鶴見: なんでまた、鉱石ラジオなんてハードルの高いものを…?
   
細江: 父親が、たまたま鉱石を持っていたから(笑)。
   
  (一同爆笑)
   
細江: そういった電子工作の趣味で、若干理系気味に行くじゃない。小さい頃はそっち系の雑誌(「ラジオの制作」「初歩のラジオ」など)を読んでたり。それで、成城にある工業高校の電子科に進んだ。
   
鶴見: 鉱石1コで決まった進路! 人生に一石を投じられたワケですね。
   
細江: 誰が上手いこと云えと(ry
   

 
●電子「工作」から電子「音楽」へ
   
鶴見: では、中高の頃は電子工作一色だった、と?
   
細江: 電子工作は子供の頃。学生の頃は音楽雑誌とパソコン雑誌が多かったのかなあ。電子音楽にどっぷりとハマっちゃったから、そういったのが載ってる音楽雑誌を探して。好きだったのは、富田勲と、ジャン・ミッシェル・ジャール。その2人は、すごく近いポジションにいたんで。
   
鶴見: 最先端…というか、当時としてはマイナーな嗜好ですね。
   
細江: でも小学校の終わりか中学校の頃にはYMOが出てきてた。
   
細江: YMOは、コピーバンドもやった。中学の時はベース弾いてアリスとかオフコースとか…高中(正義)とかもやったけど、YMOのコピーバンド歴がいちばん長いかな。
   
鶴見: 中高生のYMOじゃ、機材的に足りなそうですよね。
   
細江: だから質素だったよね。薄っぺらいYMO(笑)。(機材も)ポリフォニックじゃなかったしね。でもかろうじて、成城に住んでた金持ちが一人いて…」
   
鶴見: お金持ち町の成城に高校があった甲斐があったワケですね!(笑) その高校も卒業して、音楽好きの細江少年は、日本電子専門学校CG科へ進むワケですが…なぜ音楽じゃなくてCG?
   
細江: C言語をやりたくて。CをやってるのがCG科だった。そもそも、高校の情報処理でFORTRANを習ったけど、その頃に新しかったのがC言語。これからはこれは伸びる、これをやろう、「これからはCだろ!」と。
   
鶴見: 音楽とかCGとかの前に、まずコンピュータ言語ですか。なんだかまだ「鉱石」の延長ですね(笑)。それを一所懸命に勉強して…?
   
細江: ほとんど学校へ行かずにバイトしてた(笑)。最初に電算写植をちょっとやったけど、後はほとんどナムコに。
   
鶴見: いよいよナムコに!
   
       
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