古川もとあき
作曲家。1986年にコナミ入社後、『グラディウスII』『A-JAX』『ゼクセクス』など数多くのゲームミュージックの作曲を手がけ、ゲームミュージック系バンドの先駆け的存在である「コナミ矩形波倶楽部」のリーダーも務める。2003年にコナミ退社後、フリーの作曲家・アレンジャーとなり、ゲームミュージック以外の分野でもさまざまな楽曲・CDをプロデュースし、ライブ活動も精力的に展開中。 |
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鴫原: |
第2回目のインタビューに登場するのは、ゲームミュージックの作曲とともに「コナミ矩形波倶楽部」のメンバーとして精力的にバンド活動も展開した、元コナミの古川もとあき氏。1980年代を代表する名作ゲームのBGM作曲にまつわるさまざまなエピソードはもちろん、作曲家・アレンジャーとして現在の活躍ぶりもお尋ねしました。80年代の駄菓子屋ゲーセンで青春時代を過したオヤジゲーマー世代から、クールでリズミカルでナイスな音楽ゲームには目がないというヤングガイの皆さんまで、ぜひごゆるりとお楽しみを! |
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●古川サウンドの原点はギターから |
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鴫原: |
本日はお忙しいところ、貴重なお時間を賜りありがとうございます。古川さんの音楽の原点ともいうべきギターについてお尋ねしないわけにはいきません。そもそも古川さんが音楽、とりわけギターに興味を持つようになったきっかけから教えていただけますでしょうか。 |
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古川: |
ギターを始めたのは中学時代で、ブラスバンド部の先輩にビートルズのLPを聴かせてもらったときにとても感動して、自分でもギターを演奏したり歌ってみたくなったのがきっかけですね。 |
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鴫原: |
当時、ご自身が最も影響を受けたアーティストは誰ですか? その曲名なども教えてください。 |
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古川: |
やはりビートルズやベンチャーズになりますね。当時からいろいろな曲のコードを弾いては歌ってましたが、インストではダイヤモンドヘッドやワイプアウトなどですね。 |
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鴫原: |
所有しているギターやエフェクター、アンプなどの機材について教えてください。 |
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古川: |
ギターですと、主な物ではES335(GIBSON)、Hand Made(SCHCTER) 、CHETATKINS(GIBSON)、1868T-P(OVATION)、SG3000(YAMAHA)、APG85s(FERNANDES)などがあります。特に気に入っているのはES335で、若い頃に影響を受けたリー・リトナーに憧れて購入しました。それ以外の機材については、私のホームページに詳しく書いてありますので、ぜひご参照ください。 |
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ES335(GIBSON) |
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Hand Made(SCHCTER) |
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CHETATKINS(GIBSON) |
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1868T-P(OVATION) |
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SG3000(YAMAHA) |
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APG85s(FERNANDES) |
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鴫原: |
今でもスケールなど基礎練習みたいなものは普段からされているのでしょうか。また、ギター以外の楽器も演奏されるのでしょうか。 |
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古川: |
はい。基礎練習は時間の許す限り、最低でも現状のレベルを維持できる程度には やっております。ギター以外は人前で演奏することはないのですが、キーボードに関 しては打ち込みの際に必要なのでこちらを演奏することもありますね。 |
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●コナミ入社までの経緯 |
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鴫原: |
古川さんがゲームに最初に興味を持ったきっかけは? また、コナミのゲームの中で特に印象に残っている作品などはありますか? |
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古川: |
実はコナミに入るまでは、ゲームにはまったく興味がありませんでした。ゲームで遊ぶようになったのはコナミに入ってからで、最初は月並みですが「スーパーマリオブラザーズ」に大ハマリしました。コナミのゲームですと、一番よく遊んだのはMSX版の「グラディウス2」ですね。自分が音楽を担当したのもありますけど(笑)。 |
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鴫原: |
あれほどたくさんのゲームミュージックを作ってこられた大御所が、まさかゲームには当初まったく興味がなかったとは驚きです! では、それまでずっとミュージシャン人生を歩んでいたのに、なぜコナミあるいはゲーム業界へ興味を持ち、入社しようと思ったのでしょうか? |
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古川: |
コナミに入るまではプロデビュー目指してミュージシャン活動をしていたので すが、正直それだけでは食べていけるほどの収入を得られない状態だったんですよ。そんなあるとき、求人で「ゲーム音楽の作曲/コナミ」というのが偶然目に止まったんですよ。最初はゲームに興味を持ったというよりは、作曲の仕事をやってみたいという思いで応募させていただいたのですが、幸いにも無事入社することができました。 |
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鴫原: |
入社後もバンド活動をしたりアルバムを数多く発売できたわけですから、コナミ入社を決断したのは結果的に大正解でしたね。 |
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古川: |
ええ。キングレコードよりソロファーストの「SOUND LOCOMOTIVE」を、コナミ矩形波倶楽部のファースト「矩形波倶楽部」などがそうですね。退社後にもソロセカンド「UNDER THE BLUE SKY」をリリースさせていただきましたし、本当に自分でもラッキーなミュージシャンロードを歩んで来れたと思っております。 |
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矩形波倶楽部
1990年11月発売。T-SQUAREの安藤まさひろプロデュースによるオリジナルアルバム。ドラム&ベースのリズム隊は当時のT-SQUAREとカシオペアのJフュージョン二大巨頭が全曲どちらかが担当している。 |
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SOUND LOCOMOTIVE
1992年6月発売。 ソロアルバム第一弾。是方博邦プロデュース。神保彰、桜井哲夫、本田雅人、岡沢章など、日本のフュージョン界を代表するミュージシャンが10人以上参加している超豪華アルバム。 |
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●ゲームミュージックデビュー作は……? |
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鴫原: |
コナミに入社して最初の配属部署、および初めてのお仕事は何だったのか教えてください(作曲以外のお仕事も含む)。 |
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古川: |
最初、MSXパソコン用ソフトの作曲部担当となりました。最初の仕事は「コナミック・ゲーム・フリークス」に収録された、「悪魔城ドラキュラ」のメドレーアレンジとレコーディングだったのではないかと思います。 |
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コナミック・ゲーム・フリークス
「ドラキュラ」以外にもアーケード用基板の「バブルシステム」起動のテーマや「もえろツインビー」「沙羅曼蛇」、MSX用ソフトのメドレーなどが収録され、ライナーにはマニアックなまでの詳しい解説が載っている。2005年にサイトロンから復刻版が発売された。 |
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鴫原: |
最初にご自分で作曲したBGMデビュー曲は何ですか? また、当時ご自身では曲の出来栄えはどう評価されていましたか? |
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古川: |
ハッキリと覚えていないのですが、おそらくMSX2版「キングコング2 甦る伝説」のエンディング曲ではないかと思います。ファミコン版の方(※「キングコング2 怒りのメガトンパンチ」のこと)にも私が知らないうちに曲を使い回されたりしていましたので、自分の中でも少し曖昧になっていまして、本当にゴメンナサイ……。 |
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鴫原: |
最初に作曲を担当した曲について、ユーザーからの反応(直営店舗やCDのアンケートハガキなど)はいかがだったでしょうか? |
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古川: |
う~ん、当時はユーザーからの声が直接私のことろまであまりフィードバックされませんでしたから、ファンからの反応については何とも言えないですね……。ただ社内での評判は、手前味噌な言い方で恐縮ですが相応に良かったように記憶しております。 |
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鴫原: |
ギター演奏などで身につけた音楽スキルは、ゲームミュージックの制作において役に立ちましたでしょうか? それとも逆に、今までの経験がまったく役に立たずにご苦労などなさったのでしょうか? |
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古川: |
基本的な音楽理論はずっと独学で勉強していたのですが、いざゲームミュージッ クを作るときになってもいろいろと応用することができましたね。ただ、曲想が当時 は一般の音楽とかなりの違いがありましたので、ゲーム音楽らしさを出すのに最初の うちはかなり苦労しましたね……。 |
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鴫原: |
入社された当時は、曲のデータなどはご自身で直接コンピュータへ打ち込んだりしていたのでしょうか? また、曲を作るまでの仕事の手順も、もし可能であれば教えてください。 |
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古川: |
私の場合ですと、まず初めに作った曲をいったん譜面に起こしてから、それを元 にPCに自分でデータを打ち込んでいました。その後、この打ち込んだデータをプログ ラマに転送するといった具合で当時は作っていましたね。 |
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