「ZUNTATA」とは?
株式会社タイトーのサウンド開発部門の総称。アーケード・コンシューマなど各種ゲームサウンドの制作をはじめ、アルバムおよびイベントの企画・制作やモバイルサイトの企画や運用も手がけるなど、その業務内容は多岐に渡る。アルバムは1987年の発足以来、これまでに80枚以上をリリースしている。 |
<出席者紹介>
高木 正彦(mar.)
「ラスタンサーガ」「ナイトストライカー」などの今なお記憶に残る名曲たちを生み出したZUNTATAのコンポーザー。ライブではギターを担当していた。 |
なかやまらいでん(旧:中山上等兵)
タイトーで「ライトブリンガー」「グリッドシーカー」「電車でGO!」などのサウンドを手がけた後、フリーに転向。現在も精力的に作曲活動を行っている。近年の代表作は「ロストマジック」(タイトー)、「魔牙霊」(マイクロソフト)など。 |
石川 勝久(ばびー)
効果音制作を中心に活動するZUNTATAのサウンドデザイナー兼サウンドディレクター。効果音制作の代表作に「メタルブラック」「ダライアス外伝」「サイキックフォース」などがある。「電車でGO!」のテーマソングを歌うなど、ZUNTATAのライブパフォーマーとしても活躍している。 |
内田 哉
ZUNTATAのチーフプロデューサー。ZUNTATAを率いる傍ら、各種サウンド制作はもちろん、サウンドドライバの開発や様々なサウンドエンタメコンテンツの企画設計など幅広い活動を行っている。 |
|
|
|
|
|
|
●大好評を博した「電車でGO!」の歌 |
|
|
鴫原: |
「ZUNTATA」では、人気シリーズとなった「電車でGO!」のサウンド制作もなさっていますよね? それから、当時放送されたテレビCMのテーマソングもノリノリでとても印象深かったです。 |
|
|
石川: |
元のゲームで流れるBGMはなかやま氏の作曲で、テレビCMで使用した「電車で電車でGO!GO!GO!」の歌は、それらのBGMを元に高萩(Dr.Haggy)氏が編曲したものです。ボーカルは私も参加していたユニットZUNTATA-J.A.M.が担当しました。 |
|
|
鴫原: |
そもそも、あのCMソングはどのような経緯で作られたのですか? |
|
|
石川: |
確か1997年春の東京ゲームショウのときに、「『ZUNTATA』で何かライブをやってくれないか?」というオーダーが会社のほうからあったんです。ただ当時はみんなすごく忙しかったので、じゃあ今動ける面子の中でライブやりたいやつっていないか?ってなった時に、「デンジャラスカーブス」というアルバムで作ったユニット「ZUNTATA-J.A.M」(※)を出そうってことになりました。その後、「今は『電車でGO!』がかなりウケているから、これで何か歌でもやればイベント的に盛り上がるのでは?」という話になってあのような歌を考えました。お蔭様で、本番のステージはすごく盛り上がりましたね。あの曲はこのライブだけで終わる予定だったのですが、社内でもそれこそ異常なまでに好評だったので、後でPS版の発売が決まったときに、「あの歌がとてもよかったから使わせて」ということでCMソングに採用されました。 |
 |
|
|
|
※このときの参加メンバーには、「ばびー」「Dr.Haggy」「Kamaty」氏のほかに作詞と女声ボーカルを担当したkaru.氏もいる。 |
|
|
鴫原: |
では、CM用として広報や広告代理店の方と相談しながら作った曲ではなかったと? |
|
|
石川: |
全然関係ないです。もし真面目に考えて作ろうと思ったら、あんなふざけた歌を作るわけがないじゃないですか(一同爆笑)! と、言いつつこの曲は10年以上経った今でもときどきライブで歌ったりしているんですよね。まさかこんなに長く続くだなんて、当時はまったく想像していませんでした。 |
|
|
鴫原: |
最近ですと、萌え系キャラの「枕木三姉妹」が出てくる「電車で電車でGO!GO!GO! れぼりゅ~しょん/ZUNTATA feat.枕木3姉妹」をリリースされていますよね? これを作ったきっかけは何だったのでしょうか? |
 |
電車で電車でGO!GO!GO! れぼりゅ~しょん/ZUNTATA feat.枕木3姉妹
歴代「電車でGO!」シリーズ作品のテーマソングやイメージソングを多数収録しているが、なんと言っても「枕木3姉妹」の萌え系ボーカルによる「電車で電車でGO!GO!GO!」の歌は特大のインパクト。さらに「めがてん」こと細江慎治氏によるリミックス曲も聴けるお得な一品。 |
|
|
|
石川: |
2007年に「電車でGO!」を発売して10周年になったときに、社内では特に10周年だから何かやろうという動きがなかったので、じゃあウチの「ZUNTATA」で何かやろうか、と思って考えた企画でした。実は「電車でGO!」関係の歌は、今でも「着うた」とか「iTunes Store」とか、どこで配信してもすごく人気があるんですよ。「ZUNTATA」で人気の楽曲といえば、「ダライアス」「レイフォース」の両シリーズときて、次に「電車でGO!」がくるぐらいですから。以前に発売した8センチCD版の「電車で電車でGO!GO!GO!2000 / LOVE特急こまち」も、もう今ではどこに行っても手に入らなくなっていますしね。 |
|
|
内田: |
それ以前から「『電車でGO!』のCDってまだありますか?」って問い合わせをお客様から度々いただいたりしていたぐらいですからね。 それじゃあ、この機会に今までの曲をきちんとまとめたいいものを作ろうということで新たに制作することになりました。 |
|
|
石川: |
それと、一度やろうと決めたからには、「『ZUNTATA』が作るものだから普通に昔の曲を集めただけの作品にはしないぞ!」という思いがありました。昔の曲を集めた、単なる「ベスト盤」みたいなものではつまらないから、何かキャラクターを新たに作ったりしてみようかなと考えていたら、あの「枕木三姉妹」という名前をふと思いついてイラストレーターさんに頼んで絵を描いてもらって作りました。「電車でGO!」のようなゲームと、あのキャラクターとでは本来何もつながりがないんですけどね。 |
|
|
内田: |
そう。最初聞いたときは、「『枕木』って何だ?」って思いましたよ(笑)。 |
|
|
鴫原: |
今でこそ、鉄道アイドルみたいな女の子がテレビに出るようにもなりましたけどね |
|
|
石川: |
あの曲を出した後には、従来の「ZUNTATA」ファンからは相当叩かれましたね……まあ、そうなるだろうということはだいたい想像はついていましたけど(笑)。これからもいろいろなことをやって、みなさんからバンバン叩かれようと思います(一同爆笑)。 |
|
|
|
|
|
●ライブ活動での思い出いろいろ |
|
|
鴫原: |
「ZUNTATA」が初めて参加した本格的なライブですと、やはり1990年に第1回が行われた「ゲームミュージックフェスティバル」になるかと思います。「ZUNTATA」はこの第1回目と1992年、1994年の合計3回(1993年は角川主催の「Japan Game Music Live1993」に出演)参加されていますが、初めて参加したときはお客さんがはたして喜んでくれるのか、あるいは場が盛り上がるのかなどいろいろ不安もあったのではないかとお察ししますが? |
|
|
高木: |
ええ。おっしゃるとおりで、みんな初めての経験だったのでもう心臓がバクバクいっていましたね。でも、いざ始まってみたらお客さんのほうのテンションがものすごく高くて、自分たちが逆に圧倒されるような雰囲気でした。 |
 |
|
|
なかやま: |
最初のときはすごく緊張していて、客席のほうを見ている余裕なんて全然なかったですね。 |
|
|
高木: |
演奏が後半のほうになると、いきなり服を脱ぎ出して上半身裸になる人もいたりしましたね。最前列のところにいた2人か3人組だったかのお客さんがいて、彼らがだんだん盛り上がってくるとどんどん服を脱ぐんですよ。「オイ、もうそれ以上は絶対脱ぐなよ!」とか思いながら演奏していた思い出がありますね(一同爆笑)。 |
|
|
大野: |
1990年のときには、テレビのワイドショー番組が取材で来ていたよね。「『ZUNTATA』、燃え尽きました!」みたいな見出しが出ていたような(笑)……。 |
|
|
鴫原: |
お客さんが演奏後に、「ズンタ!ズンタ!」ってシャウトしながら盛り上げていましたよね。 |
|
|
高木: |
ええ。あの「ズンタ」という言葉は元々、「ニンジャウォーリアーズ」のアルバムでBGMに合成して入れたものだったのですが、それを覚えてくれていたお客さんが自発的にやってくれたんですよね。 |
 |
ニンジャウォーリアーズ G.S.M. TAITO Vol.1
OGR氏の代表作のひとつ。ボコーダーボイスを使用したり、1面BGMの「DUDDY MULK」では華麗な三味線パート盛り込むなど、独創的なアイデアを盛り込んでいるのが特徴。なお、1991年に発売された「ニンジャウォーリアーズ(G.S.M.1500名盤シリーズ)」ではオープニングのボイスが一部異なっている。 |
|
|
|
なかやま: |
普通だったら「アンコール、アンコール」って言うところだと思うんですが、いきなりみんなが「ズンタ」って言ってくれたのには驚きました。 |
|
|
内田: |
そういえば「ゲームミュージックフェスティバル」では、演奏途中に曲が予定より早く終わっちゃうハプニングがあったような気が……。 |
|
|
石川: |
それは1992年のときですね。自分もそのときはステージに出ていたからよく覚えているのですが、あれはドラマーが尺を間違えたのが原因でした。それなのに、なぜかほかのメンバーがみんな私のことを見るんですよ、「違うって!間違えたのはあっちだってば!」って心の中で叫んでいました(笑)。 |
|
|
|

1992年 LIVE |
|
|
大野: |
1997年と98年のときにやった「ZUNTATA LIVE」は、随分と大人数でやっていたよね? |
|
|
なかやま: |
ええ、かなりの人数のスタッフが参加していました。 |
|
|
石川: |
このときは初めて自分たち「ZUNTATA」が主催した初のライブだったんですよね。それで準備にはかなりの手間と時間をかけました。サウンドと映像を同期させながらやっていましたので、おそらく準備の手間は普通のライブよりも倍以上ありましたね。 |
|
|
鴫原: |
同期させる演出があったからこそ、ライブの名称が「ZUNTATA LIVE 1997-CINETEQUE RAVE-」なわけですね! |
|
|
内田: |
それと1998年のときには、練習期間中に高木氏が突然倒れて入院しちゃうアクシデントもありましたね……。 |
 |
|
|
高木: |
あのときは腸閉塞になってしまいまして、本番当日はイスに座りながらギターを弾いていました。まるでクラシックギター状態ですよ(苦笑)。 |
|
|
なかやま: |
結局、高木さんは半分だけ出たんですよね。それまでははたしてちゃんとライブができるのかな、と本当に焦りました。 |
|
|
鴫原: |
昨年の「東京ゲームショウ2008」では、久々にタイトーブースのイベントとしてライブをされましたよね? |
|
|
石川: |
はい。このときはたまたまオファーがありましたので実施することができました。それからNTTドコモさんのブースをお借りして、携帯コンテンツの「直感クラシック」の生演奏イベントもやりました。我々としても、アルバムとかいろいろ宣伝したいことがありましたから、ライブをやる機会があって本当に嬉しかったですね。それと、ファンの方に「最近の『ZUNTATA』は形骸化している」と言われるのが自分としては無性に悔しかったので、そう言わせないという意味でもやれてよかったです。ネット上に、「『ZUNTATA』は最近何もやっていない」とか書かれていたりするのを見て、「じゃあやってやるぜ!」って実際に見せられましたからね(笑)。 |
|
|
内田: |
我々がライブやったときには、すごい数のお客様に見に来ていただけてタイトーブース内は相当盛り上がってましたね。 |
|
|
|

東京ゲームショウ2008 LIVE |
|
|
石川: |
以前の「J.A.M.」のときと違って昔の曲をかなり演奏したので、古くからの「ZUNTATA」ファンなら誰もが喜ぶような内容になったのではないかと思います。「レイフォース」や「ナイトストライカー」などの曲を入れたメドレーもやりましたしね。 |
|
|
鴫原: |
これからも、「ZUNTATA」はライブのオファーがあれば積極的に参加する方針なのでしょうか? |
|
|
石川: |
はい、やらせていただけるのであれば、もうそれこそ何回でもやりたいです! |
|
|
|
|
|
●「GA-CORE」に望むこと |
|
|
|
|
鴫原: |
それでは、最後に当コーナー恒例の質問をさせていただいて、今回のインタビューを締めくくりたいと思います。みなさんが「GA-CORE」に対して今後望むことや、要望などがありましたらぜひお聞かせ下さい。 |
|
|
内田: |
「GA-CORE」さんならではの、個性や独自性のある展開を期待したいですね。商品を並べて売るだけではなくて、コアなゲームファン層が毎日サイトを見に来ても楽しめるような、いろいろな情報が常に見られるようになればいいなとは思いますね。 |
|
|
高木: |
今後もいろいろなメーカーさんとのコネクションを作られるかと思いますので、それを生かして、ライブとかイベントの場をぜひ作っていただきたいです。ここにいるメンバーもみんなやりたがっていますしね(笑)。 |
|
|
なかやま: |
「GA-CORE」さんでは、いろいろなメーカーやアーティストのみなさんとのつながりがありますよね? 私は今フリーで活動していますが、これまでとは全然違ったところと何かコラボレーションしてアルバム制作やライブなどができる企画や機会を作っていただけると面白いかもしれません。 |
|
|
石川: |
今回こうして大野さんと久々にごいっしょできて本当に感慨深いものがありますね。ぜひまた盛り上げていきましょう! |
|
|
|
 |
|
|
 |
 |
 |