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株式会社アイエヌエイチ
株式会社ウェーブマスター
2009.07.29
 
百花繚乱(?)1993年以降のGMフェスティバル
フェスティバル以外にもライブに多数出演
デコゲー以外で制作に参加した他のアルバム
データーイースト退社~パオン入社まで
現在のお仕事~ミュージシャン「MARO」の未来像
ジーエーコアに望むこと
MAROさん 機材紹介コーナー4

>> 1/4回から読む <<


   <出席者紹介>
吉田博昭 (MARO)
『1985年に株式会社データイーストに入社し、「空牙」「スカルファング」 「ファイターズヒストリー」「マジカルドロップ」など多数のアーケードゲームのBGMを作曲。1991年にはゲームミュージックバンド「ゲーマデリック」を結成、「MARO」の名でリーダーおよびギター担当としてゲームミュージックフェスティバルなどで活躍。現在は株式会社パオンでサウンドグループマネージャーを務める。
株式会社パオン
   

 
●百花繚乱(?)1993年以降のゲームミュージックフェスティバル
   
安藤: 1993年のフェスティバルは、会場がクラブチッタ川崎でしたよね?
   
吉田: アレッ、この年はなんかライブを2回やった記憶があるような?
   
大野: 角川とメディアワークスとが分かれて開催した年だね。フェスティバルの方は川崎のチッタが会場で、司会が千葉麗子と戸田誠二さんでやってたのかな? で、これとは別の「ゲームミュージックライブ電撃'93」は日本青年館を会場にしてやってたんだよね。
   
吉田: チッタでは自分たちが出た日に「スチャダラパー」も出てましたよね。
   
大野: そうそう。「ゲーマデリック」の日に出演したのが「スチャダラパー」で、「ZUNTATA」の日が「たま」、あと「J.D.K.」と「ピンクサファイア」が同じ日で、ゲームミュージックバンドがアーティストたちに負けずに頑張ってたよね。
   
安藤: このときの「ゲーマデリック」は、「荻窪サッカー団」って名乗ってましたよね?
   
吉田: そうでしたね~(笑)当日はみんなサッカー選手っぽい衣装で出たんですよ。Jリーグも盛り上がってた時期ですしね~、そこにサクッと乗っかったっていう、こだわりのないチョ~軽いフットワーク(笑)。自分は青いシャツに中パン姿でやりましたが、もう今は出来ないですね~(笑)
   
鴫原: フェスティバルが7月30日で、「電撃」のライブが8月19日の開催でしたから、20日間ぐらいの間に2回もライブをやるとなると、準備もかなり大忙しだったのではないでしょうか?
   
吉田: バンドは演奏もこなれて来た時期でしたし、普通なら大忙しってなるのかもしれませんが、バンドメンバー以外のスタッフの方々には演奏に集中してやらせてもらえていたのでそれほど大変ではなかったです。もっとライブできるパワーありましたよ(笑)社内外含め、当時のスタッフの皆様には本当に感謝してます。
   
鴫原: とはいえ、毎回ライブをやるたびに曲数とかをそろえるのもタイヘンだったのでは?
   
吉田: もうこのあたりになると、自分たちのレパートリーもだいぶ増えてましたからそうでもなかったですよ。新曲が出た場合は、そこをまず重点的にやっておいて、あとはもう定番の「空牙」みたいに、いつでもみんなができるものを通しでやっておけば、あとはもうだいたいオーケーみたいな感じになりました。そもそも、いつも譜面を見てやるようなバンドじゃないですしね(笑)。
   
安藤: 翌1994年のフェスティバルでは、全部で10曲も演奏やってますね。
   
吉田: この年はブラスを入れたりダンスもやったり、「ゲーマデリック」史上最高にいろんなものを突っ込んだときでしたね。ゴージャスでしたね~。
   
鴫原: このときは「ゲーマデリックのテーマ・インスト版」っていうのをやったそうですが、これはどんな内容だったんですか?
   
吉田: みんなで舞台上を右から左、左から右へと歩きながらミュージカルの最後の挨拶みたいに演奏したんですよ(笑) まあ自分たちはマジメにやるバンドじゃないですからね(笑)。
   
安藤: 毎回エンターテインメイト性をもってステージをやるのが「ゲーマデリック」なんですよね。ただ演奏をするんじゃなくて、お客さんたちをいかに楽しませるか、笑いを忘れない精神がありましたよね。「どうせやるからには楽しくなきゃダメじゃん!」みたいなものが。
   
鴫原: それが「ゲーマデリック」の持ち味・真骨頂なわけですね!
   

 
●フェスティバル以外にもライブに多数出演
   
鴫原: 「マルゲ屋」(※)でもサイン会やミニライブをやったことがあるとお聞きしましたが?
※当時、「ゲーメスト」を発行していた新声社が経営していたゲームグッズショップのことで、東京・神田の編集部のすぐ近くにあった。ちなみに、1990年度の同誌が選ぶベストVGM賞部門で「空牙」が6位、「ダークシール」が8位に選ばれている。
   
吉田: やりましたね~! このときは「こんにちは、『S.S.T』で~す!」って最初のあいさつで言ったらスゴくウケたのを覚えてます(笑)。お客さんが店内ギッシリで、自分の目の前50センチくらいにもうお客さんが立ってるような状況でスゴかったですね~(笑)ロム当てクイズってのやりましたね、ADPCM用にサンプリングしたROMの中身を15秒くらい全ファイルを隙間無く一挙に鳴らしてゲーム名を当ててもらうという(笑)
   
鴫原: 手元の資料を見ますと、原宿ルイードでもたびたびライブをなさっていますよね?
   
大野: 毎回ライブをやる前は、選曲会議とかを喧々囂々やってたのかな?
   
吉田: ええ、毎回ホワイトボードにリストを書き出して、「1曲目はこれだね!」とか、「他に何かやりたい曲がある人は手を上げて!」と、みんなで話し合って決めてましたね。それとゲーマデリックの任務としては新作ゲームの宣伝もしないといけないので、そこからも新曲を選んでいって、旧作ゲームからはバンドもお客さんも楽しめる様な選曲&アレンジでね。カルノフやスーパーコップなんかそうですね。
   
安藤: ルイードでやってたときは、「ダークシール」のボーカルは誰がやったんでしたっけ?
   
吉田: ライブのときは葛生(千夏)さんじゃなくて、木内君とメンバー3人の男性バージョンで歌ってました。ライブならではの暑苦しいバージョンですね(笑)
   
大野: ルイードで最初に単独ライブやったときは、新作CDの応募特典としてやったんだよね。
   
安藤: そうですね。最初の1994年のときは、「DELICIOUS SELECTION」の発売記念に、応募特典として先着250名を無料招待してます。翌1995年は、「水滸演武」のCDについてた応募券を使って、やはり抽選で250名を招待してますね。1996年のときも招待制で、最後の1997年のときは木内(MR☆K)さんと武藤(RingRing)さんが辞めるというので、これが「ゲーマデリック」として最後のライブになりますね。
DELICIOUS SELECTION
1994年発売の「ゲーマデリック」ベストアルバム。吉田氏は「ゲーマデリックのテーマ」「ファイターズ ヒストリーメドレー」にギターとラップ役で参加している。
   
鴫原: 1997年のライブを最後に「ゲーマデリック」としての活動はなくなってしまったのは、やはりメンバーが辞めて足りなくなってしまったからですか?
   
吉田: ええ、まあそんなところです。これ以降は、1998年の東京ゲームショーでは自社ブースでドリームキャスト「熱闘ゴルフ」の曲でライブをやったことがありました。Atomic花田さんとングジャ三浦君と、大野さん紹介のサックスプレイヤーの4人で演奏しました。3階建てブースのてっぺんで演奏したのですんごい気持ちよかったですよ~(笑)回りのブースから連名で、もうちょい音量下げてって言われましたけど(笑)。 PS用ソフトの「神宮寺三郎」シリーズを出したときも、ゲームショーのイベントで演奏をやってましたよ。この時は神宮寺の映像と同期した演奏をしました。
   

 
●デコゲー以外で制作に参加した他のアルバム
   
   
安藤: トルバドールの「GAME OVER」を作ったときには、いろんなメーカーからすごいメンバーがたくさん参加してましたよね。
GAME OVER
1994年発売のコンピレーションアルバム。STAGE7のトラックを担当したのが吉田氏。
   
吉田: そうですね。そうそうたるメンバーが集まってましたね。
   
鴫原: よそのメーカーとの、ある意味コラボ的な仕事になるわけですが、当時の会社的には他社の人といっしょにやっても問題とかはなかったのですか?
   
吉田: 退社後に自宅で作業してたので問題ないとは思ってましたが、まあ、昔の話なんでね、真相はグレーな感じで良いのではないでしょうか(笑)。あの収録曲はギターとベースを自分で弾いた以外は打ち込みだったんですけどバンド生演奏風を目指したジャンプ系ブルース曲だったのであきらかに他のクリエーターの作品と違う世界でしたね(笑)
   
鴫原: 2003年には「Street Fighter Tribute Album」にも参加されていますが、これはどんないきさつで参加することになったのですが?
   
吉田: 取りまとめ役をなさっていた細江(慎治)さんに誘われたからですね。
   
鴫原: 実際に演奏されたのはどの曲ですか?
   
吉田: ケンステージのテーマですね。曲をどれにする?って聞かれたときに、やっぱり自分はギターギンギン系だからこれだろうなと思って決めました。ギターをもうとことん弾き倒して、マジで爪から血がにじみました(笑)。それと、収録が終わってから参加メンバーみんなでやった座談会がものすごく楽しかったのを覚えています。以前の「ゲームミュージックフェスティバル」のときに最終日セッションや楽屋でお会いした方々と久々に再会できて、じっくりといろんなお話をさせていただく貴重な機会にもなったんですよね。
Street Fighter Tribute Album
2003年に発売。吉田氏のケンステージのテーマをはじめ、セガ光吉猛修氏によるリュウステージのテーマや、古川もとあき氏のガイルステージのテーマなど、大物ミュージシャンの生演奏が多数堪能できる。
   
大野: 印税はどうやってもらったの?
   
吉田: はい、もうザックザックと(笑)ウソウソ、制作費のみです。はい(笑)
   
鴫原: ゲームキューブ版の「大乱闘スマッシュブラザーズ」にもギター演奏で参加されていますが、こちらはどんな経緯だったんですか?
   
吉田: HAL研究所のSHOGOさん経由でお話をいただきました。
   
鴫原: 演奏なさったのは「F-ZERO」の「MUTE CITY」のテーマだったそうですが、曲のセレクトは吉田さんご自身で決めたのでしょうか。
   
吉田: いえ、既に決まってました。SHOGOさんから電話頂いた時に曲名を言われたのですがどの曲だかすぐにピンと来なくて(笑)、F-ZEROは好きでよくやっていたので譜面をあとで頂いた時に「あ~!この曲か~っ!」と(笑)大好きな曲だったので嬉しかったですね。レコーディングも以前に使った事のあるスタジオで、エンジニアもよく知ってる方でしたのでとても順調に進みました。

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