カートを見るオンラインヘルプはじめての方へ
 
 
 
 
ゲームミュージック
スィープレコード
 └試聴コーナー
M'sアート(古川もとあき)
ZUNTATA RECORDS
アイエヌエイチ
WAVE MASTER
その他GM
アニメ
DVD
ブルーレイ
CD
特集アーカイブ
ご利用案内
お問い合わせ
会社概要
利用規約(古本市場オンライン)
会員規約(古本市場オンライン)
Powered by
= WARNING =
本サイトは 株式会社テイツーが運営しています。会員サービス、商品詳細、カート、ご購入に関するすべての手続きは、株式会社テイツーが運営する「古本市場オンライン」にて行います。サイトのご利用規約、プライバシーポリシーは全て「古本市場オンライン」に準じます。
協力サイト リンク
sweeprecord
古川もとあきSTATION
ZUNTATA OFFICIAL SITE "Z-Field"
株式会社アイエヌエイチ
株式会社ウェーブマスター

2009.07.08

 
ミュージシャン「MARO」の音楽との出会い
中学時代からバンド活動を開始
データイースト入社のきっかけ
新人時代のあまりにも意外な仕事歴
サウンドコンポーザー「MARO」の誕生
MAROさん 機材紹介コーナー1


第3回のインタビューに続いてまたまた登場となりました、ライター活動開始がなんと1993年という、業界の生きた化石こと鴫原盛之です。著書に「ファミダス ファミコン裏技編」「ゲーム職人 第1集だから日本のゲームは面白い」(ともにマイクロマガジン社刊)のほか攻略本、ムックなどの共著も多数。今となってはあまりにも多数になってしまったので、全部でいったい何冊書いたのかはとっくの昔に忘れてしまいました……。
 

  <出席者紹介>
吉田博昭 (MARO)
『1985年に株式会社データイーストに入社し、「空牙」「スカルファング」 「ファイターズヒストリー」「マジカルドロップ」など多数のアーケードゲームのBGMを作曲。1991年にはゲームミュージックバンド「ゲーマデリック」を結成、「MARO」の名でリーダーおよびギター担当としてゲームミュージックフェスティバルなどで活躍。現在は株式会社パオンでサウンドグループマネージャーを務める。
株式会社パオン
   

 
●ミュージシャン「MARO」の音楽との出会い
   
鴫原: まずは吉田さんが音楽に興味を持つようになったきっかけから教えてください。
   
吉田: 小さい頃は熱を出したりして寝込んでいるときに、クラシック音楽のレコードとかを親によく聞かされていて、だんだんと音楽というものを意識するようになったのがきっかけでしょうか。当時小学校では運動会向けのクラシック音楽もかかっていて、「あれ? これ知ってるぞ?」みたいな。  それから、「8時だヨ!全員集合」とかのテレビ番組に出てくるゲストの歌手が歌っているのを聞いて、歌詞やセリフをノートに書き写したりしてました。西城秀樹とか郷ひろみとか、山口百恵とかの歌を一生懸命メモを取りながら聞いて、後でそれを見ながら友人たちと歌ったりしてました。一時期流行った「走れコータロー」とか「スモーキンブギ」のセリフなんかも全部書いて、遠足のバスの中でマイクを使って自分で実況した思い出もありますね。
   
鴫原: 楽器演奏をするようになったのはいつ頃でしょうか?
   
吉田: ヤマハのオルガン教室に小学校3、4年のときに2年間ぐらい通っていました。発表会もあったりして楽しかったですよ~。でも、後半のほうでは大太鼓とかの演奏もやったりして、全然鍵盤を弾いてなかったような気が……(笑)。
   
安藤: (当日同席していたユーブック安藤) ナルホド! そこでビートの基本を学んだのかもしれませんね(笑)。
   
吉田: そうかもしれませんね(笑)実際合奏する時には10~20人ぐらいの演奏者みんなに聞こえる様に必死に大太鼓叩きましたもん!でないとバラバラの演奏になっちゃうので(笑)あと、音楽とは別の分野ですが、6年生になってからは雑誌ラジオの制作とか、ハンダゴテ工作のほうにもハマリ出しちゃって、トランジスタとかコンデンサーとか部品を求めて、秋葉原に通い始めるようになりました。
   
鴫原: では、ギターに最初に触れたのはいつぐらいですか?
   
吉田: 中学1年生のときに、友人の父親が使っていた壊れたアコースティックギターを譲ってもらったのが最初ですね。ブリッジがもう完全に浮いちゃってて、全然指で押さえられないようなシロモノでしたから、とてもまともに弾けるようなものじゃなかったですけど、それでもすごく嬉しかったなあ。その後すぐに、ブリッジをギターボディに直接ボルトでネジ止めするという荒技な修理をしてなんとか弾けるようにしました。子どもならではの恐れを知らないクラフト魂ですね、「アコギにボルト!?」って(笑)。独学でチューニングも覚えて、そこからAmとかEmとかコードを1個ずつ覚えました。それとギターをやったことのある人ならわかると思いますけど、最初はみんなだいたいFのコードでうまくできなくて挫折しちゃったりするんですけど、まあなんとかなりました。指先の皮が固くなって指紋が消えるんじゃないかってくらい練習しましたけどね(笑)
   
安藤: 最初はエレキじゃなくてアコースティックだったんですね。
   
吉田: ええ。でも、そのうちKISSとかクイーンとかがだんだんカッコイイなと思うようになって、「これからはエレキだ、エレキギターを買うぞ!」と、ロックに傾倒するようになっちゃいました(笑)。
   
大野: (当日同席していたユーブック大野) で、最初に買ったギターは?
   
吉田: 最初がトムソン、トーマス、その次にフレッシャーだったかな(笑)?
   
安藤: 廉価なモデル(※)ですね!(笑)当時ギリギリのネーミングのものもありましたね(笑)
※当時の国産エレキギターは、ギブソンやフェンダーのロゴに似せたコピー的なものが多かった。
   
吉田: あったあった(笑)。で、初めのうちはまだチョーキングを知らなかったけど、中2のときに自力でペンタトニックスケール(※)を発見して独りいい気分に浸ってました(笑)。
※五音音階のことで『ミとファ』『ラとシ』のような半音程の音が無い音階で汎用性が高い
   
大野: 吉田さんだとGibson335っていうイメージが自分にはあったんだけどね。
   
吉田: Gibson335になるのはもうちょっと後ですね。18歳ぐらいのときにアルバイトで貯めたお金を使って、石橋楽器でローン2回払いで買ったのかな?
   
安藤: えー!そんな高額なものを18歳で2回払いとは!漢気ありますね!
   
鴫原: ところで、吉田さんはなぜMAROさんと呼ばれるようになったのでしょう?
   
吉田: 中学時代の同級生が、「吉田君は色白だから『麿(まろ)』だな」っていうんでなんとなく決まっちゃいました。周りの友人が殿だったり姫だったり名前をつけられていたので、それじゃあMAROだなって、まあそんなカンジです(笑)。
   

 
●中学時代からバンド活動を開始
   
安藤: ご自身でライブとかをするようになったのはいつぐらいからですか?
   
吉田: 中学生の頃から学園祭とかでやってました。中2の頃からフォークで作詞・作曲とかをやってて、ちょうどクラスの友人にもギターを弾くコが多かったんですよね。ほかのみんなはコピーバンドだけど、なぜか自分だけはオリジナルもやってて、よく周りから「今のどうやって弾いたの?」なんて聞かれるたびに教えてあげたりして、だんだん楽しくなってすっかりハマっちゃいました。
   
鴫原: エッ、中学生でもうバンドを始めたんですか!
   
吉田: 多分、当時書いた歌詞とかは家のどこかにまだとっておいてあるんじゃなかったかな? もっとも、今読み返したらもの凄く恥ずかしくて、絶対他人には見せられないでしょうけど(笑)。「滅びゆく街」とか恋の話とか、すごい背伸びした難しいテーマなんかにも挑戦したりしてましたねえ……。かと思えば、「だあだじょ♪じじょだば♪じょわかず~♪」みたいな意味不明な歌もあったりして(笑)
   
大野: だいたいあの頃だと、ギターにハマるとコピーに走るか自分で曲を作るかのどっちかになるよね。
   
吉田: 自分もかぐや姫とか、吉田拓郎とかのコピーをやってた時期はありますよ。グレープ時代のさだまさしなんかも好きでしたしね。中3になってからは、初のドラム入りのバンドで「ハイウェイスター」とか「スモークオンザウォーター」とかをやったときは楽しかったですね……もうそれこそ、「超気持ちイイ!」状態みたいな(笑)。でも、アームの使い方は全然知らなかったから、スライドギターでアームダウンを表現してました。結局、その後アームのほうが折れちゃいましたけどね(苦笑)。
   
鴫原: ジャンルの幅が広いですね。
   
吉田: あ、それと中学時代にはギターアンプを自作した思い出もありますね。秋葉原に行って、スピーカーやパワーアンプのキットみたいな、部品がむき出しになっているのを買ってきて、3段のカラーボックスに取り付けたりして作ったことがあったなあ。そこにベースやギターを3本ぐらい差し込んで演奏したりしていましたね。確かベースを入力したらスピーカーが前に飛び出ちゃって、ギターの音が全然聞こえなくなったこともあったような……(笑)。
   
大野: あと、この頃ってエレキが好きな人は「フォークをやってるヤツらとは世界が違うから……」みたいなかんじで対立しちゃうようなことが往々にしてあったんだけど、全然そんなことはなかったんだ?
   
吉田: ええ、自分なんかはどちらも好きでやってました。さだまさしなんかが好きでフォークソングをやる一方、ディープパープルなんかにも傾倒しちゃったりしてましたね。何か音楽に対してこだわりとかを全然持っていなかったというか何というか……。
   
安藤: ギターの練習はどのようにしてやってたのでしょう?
   
吉田: お金がなかったので、高校時代は練習するときはドラムを持ってた友人の家でやってました。2階にオーディオルームがあってそこにドラムとギター、ベースが置いてあるんですけど、キーボードだけは1階にしか置けなかったので、部屋のドアを全部開けたままの状態で、ギターアンプは廊下に出してみんなが聞こえるようにして、「いくよ~!」「やるよ~!」って声をかけながら練習してました(笑)。
   
  (一同爆笑)
   
鴫原: でも普通の家だと、ドラムみたいな大きな音を出せるような環境って中々ないと思うんですけど……。
   
吉田: 昼間はお婆ちゃん以外の家族がいないからまあいいやって、普通に大きな音を出しちゃってましたけどね。何回かご近所さんから、「今何時だと思ってんのよ~!」みたいに怒られたときもあったかな(笑)。
   
鴫原: 当時はどんな曲を演奏していたのでしょう?
   
吉田: フュージョン、ジャズにハードロック、あとニューミュージックのコピーバンドなんかもやってました。昔からジャンルの振り幅が随分と広かったんだなあと。
   
鴫原: そうやって腕を磨きながら、バンド活動に精を出されるわけですね。
   
吉田: 高2のときには、自分たちで場所を借りて企画したライブを全然知らない人たちの前でやってました。それから、「EastWest」(※)の地区大会にも出たことがありますよ。 ※「EastWest」(イーストウェスト):かつてヤマハが主催していたアマチュアバンドコンテストで、「爆風スランプ」「SHOW-YA」などの著名バンドも数多く輩出している。
   
大野: スゴイなあ、「EastWest」に出てたんだ!
   
吉田: ええ、地区大会だけですけど、確か20組ぐらいのバンドが参加していたのかな? 自分たちはそこでファンクとフュージョンが混ざったようなオリジナルを2曲ぐらいやったような記憶があります。で、結果ですけど主催者から「これからはもっと身の丈に合ったものをやるようにね!」って言われちゃいました。まあ当時は理想だけは高かったけど、中身が全然伴っていない頭デッカチ状態だったですからね(笑)。
   
大野: この時点でジャズファンクとか、そっちの方向にもう行っちゃうっていうのは相当お洒落だよねえ(笑)。
   
吉田: この時期はフュージョンやジャズ系に気持ちがいくようになってたこともあって、特にカールトンを初めて聞いたときはホントに目からウロコでしたし、そのカールトンがいたクルセイダースなんかも当然好きでしたね。で、その後大学生になってからはジャズ研究会に入りました。もうこれからはジャズしかやらないぞと思っていたら、フルアコースティックギターが買えなくていきなりつまずいちゃった(笑)。フュージョン、ジャズやBigBand、それにオリジナルのインスト曲をやりつつ、別のバンドではR&Bやサザンロック、アメリカンロックとか、ジャンルの振り幅は相変わらず広かったです。
   
鴫原: ちなみに大学では何学部にいらっしゃったのですか?
   
吉田: 工学部の通信工学科ですね。
   
大野: 僕も同じ大学でフォークソングソサイエティというサークルに入っていて、ドラムをやっていたから、もしかしたら学園祭かどこかのステージでいっしょになっていたかもしれないね。
   
吉田: 自分は野音でカシオペアのコピーなんかもやってましたよ。
   
大野: 野音に出てたんだ! あれって演奏が上手な人じゃないと出られないから、これで僕よりうまいってことが証明されたね(笑)。
   
吉田: 当時はGibson175が欲しかったのですが、それが御茶ノ水とかあちこち探し回っても全然売っていなくて、結局買ったのはGibson335だったんですよね。ホント、最初は「チョーキングなんて全然しないぞ!」って思ってたのに……。まあ後にこれを使って、「空牙」とかの曲の収録をすることになるんですけど。
   
安藤: そのGibson335は今でも持ってるんですよね?
   
吉田: ええ、もちろん。
   
安藤: やっぱりこれが自分の中ではナンバーワン?
   
吉田: ええ、今もすぐ手に取れるところに置いてますね。
   

 
●データイースト入社のきっかけ
   
鴫原: では、音楽ではなくてゲームそのものに興味を持ったきっかけは?
   
吉田: 大学1年生ぐらいのときに、PCー8001mkIIで雑誌に載ってた「ペンゴ」によく似たゲームのプログラムを自分で打ち込んだのが最初でしょうか? データレコーダーの存在をまだ全然知らなかったので、電源を落とさずに1週間ぐらいかけてプログラムを完成させました(笑)。で、これ面白いなあと思うようになったわけです。
   
鴫原: 1週間つけっ放しですか!
   
吉田: 後でデータレコーダーという物があるとわかってからは使うようになりましたけどね。でも、この後はブザーみたいな音で数字を「イチ、ニ、サン!」って数えるプログラムなんかを作ったぐらいで「なんかもういいや!」と満足しちゃって、これ以上ゲームには深入りしなかったです。あとはもうず~っと音楽に夢中になってました。
   
鴫原: ちょうど吉田さんの学生時代は、いわゆる「インベーダーブーム」の時期でしたが、「スペースインベーダー」にハマッたりはしなかったのですか?
   
吉田: もちろん遊んだことはありますけど、自分の場合はハマッたりすることはなくて、友人とかが遊んでるのを後ろから見てるほうが多かったかなあと。だって1ゲーム100円でしょ?100円あればギターの弦1本やピック1枚でも買えるんですよ。学生時代は特に貴重なお金だからその使い道には慎重でしたよ(笑)
   
鴫原: で、ずっと音楽に打ち込んできた吉田さんですが、やはりもう大学時代には将来プロのミュージシャンとして活動しようとお考えだったのですか?
   
吉田: 明確にミュージシャンになろうとまではいかなかったけど、音楽自体は演奏するのも聞くのも好きだったから、何か音楽にかかわる仕事をやりたいなあと漠然と思ってました。自分よりも上手なプレイヤーが周りにワンサカといる中で、実際にプレイヤーの道に進んだり楽器メーカーに就職した先輩の話を聞いたりして、どれも面白そうだなあ、どこに行こうかなあって、ボンヤリですが考えてはいました。
   
鴫原: では、ゲーム業界で働こうと思った動機というのは?
   
吉田: 当時はまだアーケードゲームにすごく勢いがあった時代で、またファミコンもちょうど出始めの頃だったので、新しいエンタテインメントとしてとても面白そうだと思ったからです。ゲームにはちゃんと音が存在してるし、もし自分がやればもっといい曲が作れそうだし、何だかすごく楽しそうだなあと思いましたからね。
   
鴫原: 最終的にデータイーストに決めた理由は?
   
吉田: 実は自分のいた大学は、以前からデータイーストに就職した先輩がけっこう多かったんですよ。ちょうど所属していた研究室でも、先生が社長のことをよく知っておられたので、その縁があったことが大きかったです。で、いざお会いして話を聞いてみたらゲームの会社だっていうので、これはきっとサウンドの仕事があるだろうな、と。オーディオメーカーとかに入るのもいいかなあとか頭の片隅にはあったのですが、その後面接したら無事に合格して、もうホントにス~ッと会社に入っちゃいましたね、ギター片手に。
   
  (一同爆笑)

次ページ >