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株式会社アイエヌエイチ
株式会社ウェーブマスター
2009.08.19
 
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●バンド円熟期、ゲーム音楽からの脱却
   
安部: レコーディングのほうは?
   
松前: ちょっと間をいくつか抜かして説明してしまったんですが、そこに至るまでに、ベスト盤やアフターバーナーの1500シリーズのシングルってのもありましたね。
   
安部: ベスト盤は『メガセレクション』ですね
   
松前: はい。これは今までの曲と、ボーナストラックとして『ファンタジーゾーン』の『OPAOPA!』を編曲しました。曲調がS.S.T. BANDとはちょっと違ったから、僕がすべて打ち込みで作りました。ドラムも打ち込みで、かなり細かくエディットして作りましたね。今でも自分のやったアレンジの中では気に入っている曲の一つです。3枚しかアルバム出していない段階だったんですが、それまでずっとゲームの基板の音と、バンドの演奏が混ざった形のアルバムばかりだったので、バンドのサウンドだけのアルバムになった喜びはありましたね。
   
大野: メガセレクションのライナーノーツ、自分が文章を書いた唯一のサイトロンCDだと思う。それだけ入れ込んでいた証拠だね。
   
安部: 『アフターバーナー』のシングルCDも新規レコーディングなんですか?
   
松前: はい。1STに入れた曲以外もアレンジしました。『アフターバーナー』もドラムやギター、ベースを入れ直しました。この段階ではすでにバンドとして確立していましたから、以前の打ち込みバージョンにどうしても不満が残るわけです。やっぱり生演奏でレコーディングしたいという。ベスト盤やシングルはそういうことをやるにはとてもいいチャンスだったんですね。
   
安部: そしてゲームミュージックフェスティバルのライブですか?
   
松前: そうですね。なんか、すごいレコーディングしてますよね。88~91年はアイドル並みの発売ペースですよ。
   
安部: その次が、『FORMULA』ですか?
   
松前: はい。これも2枚組。ちょうどフジテレビ、ポニーキャニオンはF-1の大ブームでしたからね。アイルトン・セナ全盛のときですよ。それでアルバムの名が『FORMULA』ってそのまんまですけど(笑)。このアルバムはいろいろ新しい試みをしています。まず、キーボードがHiro.くんから、光吉くんに変わって、彼の曲をやるようになります。レコーディングが河口湖スタジオでの合宿で、楽しかったなあ。あとバンドの方向性のひとつの考え方として、ゲームの曲を演奏するバンドというのを脱皮して、バンドで作った曲をゲームに収録してもらおう、という企画があがってきて、それで作曲したのが『BELLDEER WIND』なんです。だからこれは初のS.S.T. BANDのオリジナル曲と言えますね。その曲をセガから発売されるゲームに収録してもらうという計画だったんですが、残念ながらこれは実現しませんでしたね。あと『G-L.O.C.(R360)』の曲は、マイケル・ジャクソンのバンドメンバーだったクリス・カレルという人の開発した立体音響でミックスするって指示があって。ちょうど、R360というゲーム自体が球形でグルグルまわるゲーム機でしたから、それをグルグル音がまわるミックスしようという考えで。
   
安部: レコーディングの段階からそういう録音をしたんですか?
   
松前: いえ。レコーディングは普通に行ないました。それをあとから、ミックスダウンするときに立体音響に変換して、2トラックにまとめるんです。これはそのクリス・カレルのスケジュールの都合で大阪でやることになって、僕1人、大阪の M Bar スタジオという所にミックスダウンに立ち会いに行ったんです。これがほんとに大変で。
   
安部: どう大変だったんですか?
   
松前: もう典型的なワガママアメリカ人ですよ(笑)。1曲をミックスするために何日かスタジオに入ったんだけど、スタジオのほとんどの時間は立体音響への変換作業。こっちの意見もあまりきかないし、結果できてきたものはまったく納得いかなかったけど、変更するわけにもいかなかったので、しょうがなかったですね。立体音響の理論はいろいろありますが、まあそれなりに立体音響なんですけど、今の5.1チャンネルの音響ならまだしも、結局は2チャンネルに落とし込むわけだから、限界がありますね。音楽的にも安定性がなくなる。落ち着かないんですよ。効果音的な音とか、そういうものだけ立体感あるけど、あとは普通のミックスのほうがずっとよかったですね。これはどうしても納得がいかなかったのでそのあと2枚目のベスト盤(『メガセレクション2』)で、ミックスしなおすことになるんですが。
   
大野: クリス・カレルとは 、鈴鹿にF-1の音を録音しにいって、そこでも大変だったなあー。
   
松前: あ、そういえば、のちに彼が鈴鹿で録音した車の音を収録したCDにもS.S.T.バンドの音入れましたね(『VIRTUAL AUDIO F-1 GP THE EXHAUST SOUND』)。効果音だけが入ったCDなんだけど、せっかくだからというので、オープニングにS.S.T. BANDの『BELLDEER WIND』と、エンディングに僕のソロ作品を1曲、レコーディングして収録しました。どちらもF-1の車の音を素材にして、リズムにしたりサンプリングでいろいろ音を重ねて。
   
大野: 最初は、車の音だけ使って曲にできない? って言ったんだよ。
   
松前: そうでしたねえ。現代音楽もジャーマンロックも好きだった人間だから、エレクトロニカ系な感じならできなくはなかったんでしょうが、そのCDのリスナーにとってよいものとは思えなかったので、そのときはダンス系のリズムにサンプリングで車のさまざまな音を重ねて効果音的に使用しました。
   
安部: そのあとは…?
   
松前: 「STRIKE FIGHTER」のシングルですね。光吉くんの加入でどんどん曲調が、テクニカルなものやプログレ系のものになっていきます。ドラムも熊ちゃんに変わって。このシングルに収録した2曲のアレンジはS.S.T. BANDの中でももっともテクニカルで、プログレで、僕が一番求めていたものになった感じがします。次にまたベスト盤『MEGA SELECTION 2』ですね。これには先ほど言ったグチャグチャの立体音響の曲をミックスしなおすという作業をしました。ちょうど熊ちゃんが加入したのもあったのでリズム隊を差し替えることにしました。あとは新アレンジとして『ボナンザブラザーズ』ですね。これは楽しい感じが最高の曲だからS.S.T. BANDの本来の路線でやってもあまり意味がないので、セッションっぽく楽しく、遊びでやってる雰囲気を出すために、一発録り、しかもマイクをオフ(遠く)に立てて、部屋の雰囲気を出すようにして録音しました。声もたくさん入れて。このレコーディングは楽しかったですよ。そのころからゲームから離れたオリジナル作品を作りたいという要望をずっと出していたんですが、92年にそれが実現して『BLIND SPOT』をレコーディングします。まったくゲームとは無関係。アーティスト、バンドとしては初めての自分達のアルバムという感覚でした。これでやっとバンドとして一人前になれたかな? というような。これが大野さんをはじめみなさんの協力があって、F-1グランプリでドライバーズテーマというのに採用されたんです。
   
安部: このアルバムはメンバー名が実名になっていますね。
   
松前: そうです。サングラスの世界から解放されたい。覆面レスラーが覆面をとるときのような。まさにそんな気分でしたよ。「普通のミュージシャンにもどりたい~」みたいな。それでサングラスも取って、名前もちゃんと本名で出すようになったんです。
   
安部: レコーディングはどんな感じでした?
   
松前: このころはサイトロンのレコーディングの多くは、観音崎のマリンスタジオでしたね。ほかのスタジオも使いましたが、やはり一番印象に残っているのがここ。横須賀で、東京湾の入り口。スタジオの窓一面が東京湾。といっても冬でしたけど(笑)。そこで男が6人黙々と……(笑)。毎日飲んだり遊んだりしながら、ちゃんとマジメにレコーディングもやりましたよ。
   

 
●解散、そして……
   
安部: 松前さんは最初から最後までずっとメンバーでした?
   
松前: そう、S.S.T.BANDとしては最初から最後までずっとメンバーでしたね。93年で、セガのCDの発売がポニーキャニオンから東芝EMIに移籍することになって、S.S.T. BANDはサイトロンが作ったバンドだから、そのまま持って行けないわけです。
   
安部: あ、じゃあ、解散の理由ってのは、そういうことなんですか?
   
大野: そうだっけ?
   
松前: 並木くん、光吉くんはセガの社員だったから、そのまま会社の方針に従うまでですが、残りのメンバーは雇われミュージシャンの身ですから(笑)。特に僕はサイトロンに育ててもらって、そこでS.S.T. BANDを任されているわけですから、そのまま移籍ってのはあり得なかったですね。バンド名もね。このあたりの話は、大企業の社長レベルで話されてることだろうから、僕らがどうのこうの言ってもしょうがない話でしたから。「こうなりました」「あ、そうですか。わかりました」という流れでそのまま解散が決まりました。
   
安藤: 93年のゲーム・ミュージック・フェスティバルで活動休止宣言しましたね。
   

91年12月13日
   
大野: リハーサルが芝浦スタジオだったかな、あそこで「じゃあ、ステージで発表しようか」って言ってたのを覚えてるね。そのときには東芝の展開が決まってたのね。
   
松前: ゲーム音楽の状況も変わってましたからね。それまではサイトロン独占だったのが、結構ほかのレーベルも参入してきていたし。
   
大野: 最初はサイトロンは独占企業だったんだねえ(笑)
   
松前: ほかのレコード会社は最初のころはゲーム・ミュージックが売れるわけがないって思ってたんでしょうかね。
   
安部: S.S.T.BANDの解散はレーベル移籍が原因だった、と。
   
松前: まあ、でもゲーム・ミュージックの盛り上がりのタイミングを考えると、すごくいい時期に解散できたと思いますよ。それまではゲーム音楽の特異性があったでしょ?ところが、CD-ROMとか出てきてオーディオ情報がそのままゲームでも再生されるようになったり、プレステが出てきたり、いわゆる一般的なミュージシャンもゲームの音楽を担当するようになった。ゲーム音楽ならではの、とか、ちょっとマニアックな世界じゃなくなっちゃった。ひとつの時代が終わったと僕は確実に感じたけど、その一番いいタイミングで解散したんじゃないかな?
   
大野: これでひとつの時代の切り替わりになって。ちょうどそこから、格闘ゲームのサントラというムーブメントが盛り上がって来る。
   
松前: そのあとは声優とか、アニメ系になっていったりね。さらに音ゲーが出たり。時代の流れです。
   
大野: ちょうど、この5年間が、ゲーム・ミュージック・バンドの歴史的に重要な時期になるんだね。その中でS.S.T.BANDは、常に中心的な存在だったと思うな。
   
松前: そう考えると、僕はほんとに一番いい時代にゲーム音楽に関わることができたんだなあと思います。で、並木くんたちは東芝に移籍してB-univを続けることになります。S.S.T. BANDとしては……そこから約10年ぐらい月日が流れまして…(笑)
   
大野: 再結成ライブの話が持ち上がったんだよね、結局…流れたけど。GAMADELICとジョイント・ライブを一夜限りでやろうって話があってね。
   
安部: いつぐらいのお話なんですか?
   
安藤: 2003年ですね。
   
安部: それはGAMADELICも再結成させて?
   
大野: そう。きっかけは何だったかな…。アルバムの再発はそれぞれやったんだけど。
   
松前: そうですね。過去の作品からベスト盤を出したいという話が、ある日突然、連絡が来たんです。そもそもなんであのタイミングでまたベスト盤が出たんでしたっけ?
   
安藤: 単純に八木君(元サイトロンのプロデューサー。現スーパースィープ所属)が出したかっただけですかね?(笑)
   
松前: ゲーム・ミュージックの再評価みたいなのがあったんでしたっけ?
   
安部: レジェンドシリーズではありますよね。
   
大野: そうそう、レジェンドシリーズで再発する流れはあった。昔出したものが中古市場で高値になってきちゃったから。
   
松前: 考えてみたらゲーム音楽全盛期って、もうひと昔前ですよね。当時少年だった人も10年たてば20~30代ですからね。今の若い人は、ゲーム音楽にそんな時代があったことすら知らない。別の形でファミコンや8ビットの音が再評価されてますけど。で、S.S.T.BANDのアルバム全部出すのは無理だから、新たに構成したベスト盤を出すということになったんですね。(『BACK IN THE S.S.T.BAND!!~THE VERY BEST~』)。
   
大野: もともと、復活ライブとあわせて…みたいな流れだったかなあ。
   
松前: 再結成ブームに乗って、ライブやるか? って話はあったんですが。実現しなかった。
   
安藤: そのときに座談会やってますよね。
   
松前: やりましたね、S.S.T.BANDの同窓会みたいな感じでした。何人かのメンバーとは、解散後も別の仕事をやったりしたこともあったんだけど、この発売でひさびさにほかのメンバーにも再会して。
   
安部: それはどこで読めるんですか?
   
安藤: ブックレットに掲載されてますよ。
   
大野: でも、セガチームは来なかったね(笑)
   
松前: そうそう(笑)。並木くんは来たけど、彼はもうすでにセガを退社しているから。そのときの再結成の話はちょっと大きな話すぎて結局実現しなかったんですよね。その次に、DVDが発売されます(『S.S.T.BAND LIVE HISTORY』)。考えてみたら、当時発売されたのはVHSビデオとLDディスク(笑)。今、当時のライブの映像を見る方法がないので、そういった素材を集めてこれまた映像のベスト盤的なものとして2006年に。記録用に撮影された映像が残っていて、映像のクオリティは多少低いですが、今までの発売済みの映像だけで構成するより、せっかくだから未発表の映像も入れようということで。このときも再結成ライブするか?って話になったんですが、結局これも実現しなかった。次回はいつそういう話になるかな?このインタビューがきっかけになって、S.S.T. BANDの同窓会ライブ、1回だけでもできたらいいですねえ。
   

 
●松前公高 自らが解説!S.S.T. BAND 完全ディスコグラフィ!
   
GALAXY FORCE(88.7.21)
88年、サイトロンに移籍して最初にレコーディングされ、S.S.T. BAND名義では最初のアルバムになったもの。一口坂スタジオでレコーディングされた。使用機材はAKAI S1000、ROLAND S550、ROLAND JUPITER 8、ROLAND MKS-80、YAMAHA DX-7など。バンド名義ではあるものの基本的にはそれまでのアレンジバージョンの流れと同じスタイルで、打ち込みによる作品に並木晃一のギターだけを重ねた形で制作されている。S.S.T. BANDのアルバムとしては唯一アナログレコードが存在する作品でもある。国本氏からシンセサイザーのノウハウをいろいろ吸収することができたとても勉強になったセッションだった。
 
POWER DRIFT & MEGA DRIVE(88.12.28)
4曲のアレンジバージョンを収録しているが、『LIKE THE WIND』以外はほとんどライブで演奏されることのない曲ばかりが収録されている。当時は作曲者に配慮して原曲を重視する傾向があったため、メロディーの一音、和声の一音たりとも変更せずにアレンジしていた。『ファンタシースター2』のアレンジが特に顕著にその苦悩がうかがえると思う。もし後期S.S.T. BANDがこれを自由にアレンジしていたとしたら、相当ディープで違った和声のバージョンになっていたはずだ。『獣王記』もS.S.T. BANDの方向性とは違った作品だが、当時はメガドライブという家庭用ゲーム機が最大の話題だったため、この曲の収録となった。オーケストラ的作品。それでも、どこかに何かを仕込みたい僕としては、中間部分でスティーブ・ライヒ的な音のズレを入れてみた。
 
SUPER SONIC TEAM(89.10.21)
はじめてバンド名をメインにしたアルバムタイトルにしながらも、5曲のアレンジバージョン中2曲はほかの人の手によるもので、まだバンドとして形になっていなかったことがうかがえる。特にテトリスのアレンジ『TETREMIX』はいわゆるハウス的リミックスになっており作品としてはとても素晴らしいのだが、バンドメンバーとしては、まったく無関係の音楽を収録されていたという感覚が強かった。S.S.T. BANDをセガの音楽すべてと考えれば間違いではないのだが。バンドとして確立していなかったことと、レーベル側もさまざまな可能性を探っていたという段階だったのだろう。そんな中でも『ファイナルテイクオフ』などで初の各パート生演奏の収録ができたという点では進展があったアルバムと言える。
 
MEGA SELECTION(89.12.15)
それまでにたった3枚、しかも各アルバムにアレンジバージョンは4~5曲しか収録されていなかったのに発売されたベスト盤。このベストのために1曲だけ新たにレコーディングされたのが、『ファンタジーゾーン』の『OPAOPA』。ただしS.S.T. BANDの雰囲気ではないので、ほとんどを松前公高が一人で打ち込みで制作した。サンバホイッスルのみTHUNDERさんが演奏している。当時、サンプリングによるドラムの打ち込みを研究中だったため、ドラムのパターンは凝りまくっている。導入部の雰囲気は、チックコリアの『Samba L.A.』という曲へのオマージュ。89年12月15日発売ということもあって、S.S.T. BANDの80年代をしめくくる作品。いよいよ90年代にS.S.T. BANDは本格的にライブバンドとして活動することになる。
 
AFTER BURNER(90.6.21)
ベースの脱退により、新たなベーシスト探しをしていた時期に制作されたシングル。1STに収録された『アフターバーナー』はドラムとベースを生演奏に差し替えた。このときのベーシストはJACO渡辺。彼はこのシングル1曲だけの参加となってしまった。『アフターバーナー』にはぴったりの図太いベースを演奏するプレイヤーだったが、メンバーとして参加することはなかった。もう1曲の『MAXIMUM POWER~RED OUT』はバンドメンバーだけでアレンジを行った。ベースラインがまさにJACOを思わせるもので、明らかに前任の小森、後任になる齋藤とは違った味を出している。JIVEスタジオでレコーディング。
 
HYPER DRIVE(90.7.21)
カシオペアの野呂一生氏にアレンジをお願いして、メンバーの演奏だけでアレンジバージョンを構成したはじめてのアルバム。そして、ベースに齋藤昌人が加入。すべて楽譜で記されており、緊張の中、黙々と仕上げていった。すべての曲がツインギター、ツインキーボード、ベース、ドラムというバンド編成を考えてのアレンジになっており、ライブで完全に再現可能なものになっている。野呂一生氏の力が大きいのは言うまでもないが、それでも今までのごちゃ混ぜ的なアルバムと違い、S.S.T. BANDがバンドとして自分たちの演奏だけでアルバムを作ったという充実感をはじめて味わったアルバムとも言える。このアルバムを発表して直後にゲームミュージックフェスティバル90が行われる。今聴き返しても、フレーズのひとつひとつに想い出がつまっている。JIVEスタジオでレコーディング。
 
S.S.T. BAND LIVE(90.10.31)
1990年8月25日、東京、日本青年館で行なわれたゲームミュージックフェスティバル'90でのライブ演奏を収録したライブ盤。S.S.T. BANDのライブは毎回新アレンジを入れることが多かった。特にゲーム単位で短い曲を盛り込んでメドレーにする手法は大好きだった。このライブでも『アフターバーナー』、『ギャラクシーフォース』、『パワードリフト』の3曲が新アレンジ部分を含んだメドレーになっている。残念ながらCD には、伝説のTURBO君スラップベースソロは収録されていない。これはLDとVHSビデオのみに映像と共に収録されている。他にもZUNTATAとのジョイントアルバムという形で『GAME MUSIC FESTIVAL』のビデオ、LDなども発売されている。
 
S.S.T.BAND LIVE(VHS VIDEIO)(90.11.21)
90年のゲームミュージックフェスティバルの模様。S.S.T.BANDの部分だけを収録したVHSビデオ。アフターバーナーメドレー、ギャラクシーフォース、 マジカルサウンドシャワー、バーニングポイント(サンダーブレード)、ラストウェーブ、アフターバーナー、パワードリフトメドレーが収録されている。 バーニングポイントで、例のTURBO君スラップベースソロが聴ける。よろしくお願いします!セガッ!!
 
GAME MUSIC FESTIVAL '90 (VHS VIDEIO)(90.11.21)
タイトーのサウンドチームZUNTATAとのジョイントコンサートとなったこのイベント。2つのバンドをまとめて収録したフェスティバル全体のビデオも発売された。こちらの収録曲は『アフターバーナーメドレー』、『ヴァーミリオン』、『エアバトル(G-LOC)』、『スプリンター』、『アフターバーナー』、『新たなる旅へ』。 「ZUNTATA vs S.S.T.BAND 1990.8.25日本青年館で激突!その熱狂と感動のステージが今よみがえる」・・・そうです。
 
FORMULA(91.4.21)
河口湖スタジオでレコーディングされたが、前回の『HYPER DRIVE』の流れで野呂一生氏にも1曲アレンジしていただいた(『GPライダー』)。野呂氏は河口湖の合宿的レコーディングに途中から参加。怪しい男達の合宿生活を共にしていただいた。1曲目の『G-L.O.C.(R360)』のアレンジはクリス・カレルの立体音響でミックスされているが、途中のドラムソロがモコモコになって台無し。まったく納得がいかず、後にミックスをしなおすことになる。2曲目の『SOUP UP』はバンドメンバー全員でリハーサルをしながらアレンジが進んだという点で思い出深い。『BELLDEER WIND』はインタビュー文にもあるとおり、ゲームで採用される前提で作ったオリジナル曲。松前公高作曲。
 
From Ula (91.4.24)
91年5月2日の中野サンプラザでのライブを前に、4月24日に渋谷TAKE OFF7で行なわれたプライベートライブのときのみ60本限定で500円で販売した完全自主制作のカセットテープ。タイトルはFORMULA発売後で、RとOを入れ替えるだけで「From Ula」とうまい具合に「裏テープ」の意味になった。このライブおよび自主制作カセットはセガサウンドチームではなく、吸って吸ってチューバンド(S.S.T. BAND)という名のまったく別のバンドが行ったもので、我々とは一切関係がない。吸って吸ってチューバンドでS.S.T. BAND と名乗るとは大変迷惑な話だ(笑)。当然廃盤。オークションでも売っているのを見たことがない。今回、ジャケット写真を入手するためにメンバーに連絡をしてみたが、メンバーも持っていないことが判明。内容はラジオドラマ仕立ての劇や、ふざけた演奏、各楽器講座など。レコーディングは当時、上落合にあった松前の自宅で行なわれた。この日のライブはインタビューにもあるように、急遽、熊ちゃんがドラマーとして参加した日。メンバーが楽器を全部持ち替えて演奏するヘタクソバージョン、好きな曲を1曲づつカバーするコーナーなど、普段できないこと、メンバー自身が楽しめることをやったまったくプライベートなイベントだった。松前のカバー曲リクエストはテリーライリーの『In C』。短めにして演奏した。
 
STRIKE FIGHTER(91.8.21)
91年5月の中野サンプラザでのライブでドラムがTHUNDERさんから、スプラッシュ熊ちゃんにメンバーチェンジ。そのあとすぐにレコーディングされ発売されたのがこの1500シリーズシングル。アレンジを2曲収録している。S.S.T. BANDの作品の中では『FORMULA』とこの『STRIKE FIGHTER』がもっともプログレっぽい作品と言える。
 
MEGA SELECTION 2(91.12.15)
オリジナルアルバムを作りたい、という要望は91年、『FORMULA』で『BELLDEER WIND』を作曲したころから強くなっていき、91年後半にそれが具体的になっていく。実際のレコーディングは92年の頭になるが、そのつなぎ、というわけではないが、半年発売するものがなかったこともあり、再びベスト盤が発売になる。ここでは『FORMULA』で納得がいかなかった『G-L.O.C.(R360)』のミックスをやりなおす。せっかくなので、新加入したスプラッシュ熊ちゃんのドラムによるバージョンにした。厳密にはベースギターも録音しなおしている。『S.S.T. BAND LIVE』には収録されなかった『VERMILION』もライブバージョンで収録。さらに『ボナンザブラザーズ』を一発録りで収録。かなり楽しい雰囲気で録音している。
 
VIRTUAL AUDIO F-1 GP THE EXHAUST SOUND (92.1.21)
91年の鈴鹿でのF-1グランプリの音をクリスカレルが立体音響 VAPSというシステムでレコーディングしたというもの。 1曲目に「Belldeer Wind With SE / S.S.T.BAND」13曲目に「Ride On Pleasure / 松前公高」が収録されている。帯には 「最先端の立体音響テクノロジー”ヴァーチャルオーディオ”により、大迫力のF-1エグゾーストサウンドがあなたの頭の中を駆け抜ける! ’91鈴鹿GPの興奮を疑似体験できる、驚異の70分。各コーナー解説、全車種収録データ入り」とあります。2曲以外はレースの音が収録された効果音CD。
 
OUTRUN(92.2.21)
『マジカルサウンドシャワー』にも生ドラムを!『パッシングブリーズ』もアレンジだ!ということでアウトランの曲ばかりを集め1500シリーズで発売されたもの。ただこの時期は『BLIND SPOT』の制作のことで頭がいっぱいだったので、それほど記憶に残っていない。
 
BLIND SPOT(92.4.29)
すでにゲームとは独立してバンドのファンがいると勘違いした我々がゲームから完全に独立して制作したオリジナル曲によるアルバム。つまりバンドメンバーが作曲した曲を持ち寄り、会議して、アレンジして、リハーサルして、レコーディングする、というすべてメンバー主導で制作されたもの。特にそれまですべてのジャケットがゲームの画面やCG等を使ったものだったことから、ジャケットのビジュアルを選ぶことは作曲と同等なぐらい重要だった。ロゴマークも変更した。92年の1月から2月にかけて観音崎のマリンスタジオとJIVEスタジオでレコーディング。このアルバムからF-1グランプリのドライバーズテーマとして、2曲がシングルカットされている。
 
GAME MUSIC FESTIVAL '92(92.10.21)
この年のゲームミュージックフェスティバルは2日間連続で、GAMADELIC、ZUNTATA、ALFH LYRA、S.S.T.BAND、矩形波倶楽部、J.D.K.BANDの6バンド が出演した。レコード会社の関係で、矩形波倶楽部、J.D.K.BANDを除く4バンドのライブをCDにしたもの。S.S.T.BANDは、『S.D.I.メドレー』、『ハイパーシティ』、『I can Survive』の3曲を収録している。特に『S.D.I メドレー』はスタジオ盤はまったく録音していないが、ファンからの要望が多かったので、ライブ用にアレンジしてこの日演奏した記憶がある。こちらは後に発売されたS.S.T.BAND LIVE HISTORY(DVD)のほうで映像も見ることができる。今聴き直してみると、『S.D.I.メドレー」も『ハイパーシティ』もエンディングは7拍子のアレンジになっている(笑)。
 
VIRTUAL AUDIO F-1 GP THE EXHAUST SOUND '92(93.1.21)
VIRTUAL AUDIO F-1 GP THE EXHAUST SOUNDの続編。92年のF-1GPでも収録、発売されたもの。こちらはすでにS.S.T.BANDが『BLIND SPOT』を発売していたこともあって、その中からリカルド・パトレーゼのテーマ『I can Survive』と、ゲルハルト・ベルガーのテーマ『Tachyon』が収録されている。オープニングの 『Tachyon』には、なんとあの川井一仁の解説の声がかぶせられ、音楽は完全にトークのBGMとなっている(笑)。それ以外はすべて、レースの効果音CD。
 
BACK IN THE S.S.T. BAND!!~THE VERY BEST~(03.11.19)
解散から約10年。2003年に突然発売されたベスト盤。すべておまかせしたので詳細はわからない。選曲も問題なし。久々にメンバーが集まり座談会が文字になって収録されている。再結成ライブをやろうということで盛りあがったが結局実現しなかった。ほかのアルバムがすべて廃盤(?)、入手困難な状態なので、現在唯一手に入るCD。活動していたのは約20年前のことだから、それを知らないゲームファン、ゲーム音楽ファンの方に聴いてもらいたい、という気持ちでいっぱいです。
 
S.S.T.BAND LIVE HISTORY(DVD) (06.09.20)
90~92年のゲームミュージックフェスティバルでの演奏を集めたDVD。90年は当時ビデオとLDで発売されたものから抜粋したもの。91年はビデオカメラで撮影したもので音もマイク録音だが、 未公開だった映像を公開したってことで許してくださいませ。91年はフェスティバルが2日間あって、その両日に出演している。すっかり忘れていたのだが、『AIR BATTLE』から『RUSH A DIFFICULTY』に入れ替わってまた『AIR BATTLE』に戻るなんていうメドレーもやっている。92年は『S.D.I.』の曲をやったりしています。今考えるとフェスティバルは全部マルチでレコーディングしておけばよかったなあ。
   

 
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次回は最終回、ソロ活動とおしりかじり虫です!





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