カートを見る
│
オンラインヘルプ
│
はじめての方へ
全ての商品
スィープレコード
M'sアート
ZUNTATA RECORDS
その他GM
アニメDVD
アニメBlu-ray
アニメCD
▼
ゲームミュージック
■
スィープレコード
└
試聴コーナー
■
M'sアート(古川もとあき)
■
ZUNTATA RECORDS
■
アイエヌエイチ
■
WAVE MASTER
■
その他GM
▼
アニメ
■
DVD
■
ブルーレイ
■
CD
■
特集アーカイブ
□
ご利用案内
□
お問い合わせ
□
会社概要
□
利用規約
(古本市場オンライン)
□
会員規約
(古本市場オンライン)
Powered by
= WARNING =
本サイトは 株式会社テイツーが運営しています。会員サービス、商品詳細、カート、ご購入に関するすべての手続きは、株式会社テイツーが運営する「
古本市場オンライン
」にて行います。サイトのご利用規約、プライバシーポリシーは全て「
古本市場オンライン
」に準じます。
▼
協力サイト リンク
▼
2009.08.19
●
バンドメンバー、命名の秘密
●
ライブ活動、伝説の「GMフェスティバル」
●
バンド円熟期、ゲーム音楽からの脱却
●
解散、そして……
●
松前公高自らが解説!S.S.T. BAND 完全ディスコグラフィ
●
松前公高さん提供のS.S.T.BANDグッズプレゼント!
>> 1/4回から読む <<
<出席者紹介>
松前公高
63年生まれ、大阪市出身。きどりっこ、コンスタンスタワーズなどのバンドを経て、『エキスポの万国大戦略』で山口優とのユニット・EXPOとして87年アルファレコードよりレコードデビュー。90年、S.S.T.BANDのHARRIER(Key.)として数々の作品を発表、ライブ活動を行なう。並行して東京少年、松岡英明などのライブサポート、94年にファースト・ソロアルバム『SpaceRanch』をリリース。そのあとはTV、映画、マルチメディア、ゲームと幅広いジャンルで作曲、編曲、アレンジを手がける。ゲームでは『KILEAK,TheBlood』、『サンパギータ』、『玉繭物語』、『びっくりマウス』などが代表作だが、当コーナーの読者にはG.M.O.レーベルの『タイトー・ゲーム・ミュージックVOL.2 ダライアス』におけるアレンジ、『THEKONAMICGAMEFREAKS矩形波倶楽部』における『もえろツインビー』のアレンジなどが忘れられないだろう(そのあとのアレンジやマニピュレートの多くも氏の手によるもの)。近年では、アーティストユニット・うるまでるびとのコラボによる「おしりかじり虫」が大ブレイク。その一方で愛機MS-20を背負い、精力的にライブ活動を行なっている。
●バンドメンバー、命名の秘密
大野:
今回は、S.S.T.バンドのお話を。
松前:
そうですね。前に言ったセガの社員メンバーで行なったライブがあって、サイトロンから発売されるセガのアルバムにも、バンド名をつけようという話になって。
安部:
すでに矩形波倶楽部や、ZUNTATAはG.M.O.時代からバンド名というスタイルでしたね?
松前:
そうです。G.M.O.レーベルの段階で、矩形波倶楽部、ZUNTATA、そしてEXPOというバンドも出てきたわけで、セガはよりバンド色があって、さらに当時のデジタル、ハイパーなイメージをのっけたものにしようという流れだったのだと思います。僕は「やってくれ」と依頼された立場なので、僕自身が考えたり、方向性を作ったわけではないのですが。
安部:
それでサイトロンから発売されたS.S.T. BANDのファーストアルバム『ギャラクシーフォース』がレコーディングされたという流れですか?
松前さんのご自宅にあった貴重な
「ギャラクシーフォース」のアナログ盤
松前:
あ、厳密に言うとバンド色を明確に出したのは3枚目からかもしれませんね。1枚目は国本さんのアレンジで、僕がマニピュレーターで参加。基本的にはすべて打ち込みでアレンジバージョンを作って、そこに並木くんがギターを重ねるという形で制作しました。バンドと言いながら実際には実体のないものだったと思います。ただ、今後ライブで再現する可能性があるという前提はありました。
安部:
その次の活動としては、いよいよライブですか。
松前:
あれ、時期的にはどうだったかな?ええと……2ndアルバムのレコーディングをやったあとですね。2枚目「パワードリフト&メガドライブ」も基本的には同じく国本さんをメインにして、ただ僕も多少任せてもらえるようになったので、アレンジにも関わるようになりました。2ndアルバムはちょうどセガがハードウェアのメガドライブを発売する時期だったんで、その曲を入れて。そしてメガドライブ発売と一緒に確かマイケルジャクソンのゲーム『ムーンウォーカー』のプロモーションも兼ねたイベントで東名阪で、ライブをしました。S.S.T. BANDの初お披露目という形ですね。
大野:
セガの2人(Hiro.、並木)に、あとのメンバー……リズム隊を集めてバンド形式にしよう、という構想でね。セガの2人は最初から参加、というのがあったんで。
松前:
ただ、彼らは本業の仕事があるので、それとは別に作業を進めておいて、彼らはいいタイミングで入ってもらったり、もし参加できなくてもライブできる形を作っておいてくれ、というサイトロン側からの要望があったので、ギター2人、キーボード2人、ベース、ドラムという編成になったんです。ギターとキーボードがいなくならないように。結局、最後まで4人でやらなくてはいけない状況はなく、常に6人で演奏出来ましたが。
大野:
最初のそのライブは「メガドライブ スパークリング・ライブ1989」だね。
安部:
残りのメンバーは松前さんが集めたんですか?
松前:
はい。そうです。アートコアファンクというバンドでドラムをたたいていた田辺くん。僕が脱退したあとのきどりっこでギターをやっていた飯島丈治くん、そして、飲み友達だった小森くんの3人を加えて、リハーサルをして。その時点で『アフターバーナー』と『ギャラクシーフォース』と『アウトラン』という音楽の幅がありましたから…ハードロック的なことができて、フュージョンやプログレのテクニカルなロックまで理解できて、しかもわりと時間が自由になって、さらに大きな条件があるんです。「覆面」(笑)。サングラスをかけて演奏する。その条件でやってくれる人ということで探したんです。そこにセガ社員のHIRO.、並木くんが入って6人組になったのが、S.S.T. BANDとしては最初の姿ですね。
安部:
ファンキーK.H(林克洋)さんは、S.S.T.BANDには参加してないんですよね。
松前:
そうそう。彼はS.S.T.の前身のバンドにはいたけど、S.S.T. BANDという名になってからは参加してないですよ。あ、あとメンバーの名前はゲームの名前からとってたんですね。
大野:
ベースはTHUNDERだっけ?
安部:
ドラムの田辺さんですね。
大野:
……BURNERだった!
安部:
覚えにくいんじゃないですか(笑)
(一同笑)
松前:
僕がHARRIERで、飯島くんがGALAXY。
大野:
HARRIERはカッコよかったよね、なんとなく。
松前:
そうですか?
安藤:
HARRIERの表記、漢字で書いてましたよね、「張谷」って。
大野:
松前くんが勝手に変えちゃうんだよ(笑)
松前:
それはかなり後半になってからの話ですね。ゲームっぽいイメージからも離れつつあったころに、どうせ偽名なら、おもしろいほうがいいかなと思って。「ハリアーさん!」って言われてるんだから「張谷さん」って芸名にしてみようと(笑)。いろいろ遊んで、面白いから毎回変えてました。なんか恥ずかしいじゃないですか? 自分の名前がカタカナとか英語ってのは。
安部:
結局、HARRIERとか、THUNDERとかって、命名規則はあったんですか? SPACEさんって居ないですよね。
大野:
名前になりそうなのを5つぐらい出して、ハイって(笑)
安部:
適 当 だ っ た ……!
安藤:
いわゆる覆面バンドですね。
松前:
そうそう。ホントは社員じゃないんだけど、完全に「社員じゃないまったく違う人がやってる」っていうのもなんかファンとしては面白くないでしょ? かといって全員社員がやっても、演奏技術が追いつかない可能性もあるし、仕事との兼ね合いもある。その折衷案として、ミュージシャンを混ぜてという形。
安部:
なるほど。
松前:
サングラスしてたら、社員の引き抜き防止にもなるでしょ? それで、社員なのか、そうでないのかわからない状態にして、名前もそういう風にしたという感じでしょうかね。
大野:
ステージが暗転したとき、サングラスかけてるとまったく見えなくなるって言ってたよね。小尾さんがどこからかマネキンを持ってきて、サングラスかけさせて 「これ、S.S.T.BANDのイメージビジュアル」って、ねえ(笑)。困っちゃうなあって…。でも、サングラスって最後は外しちゃうんだよね? ステージで「もう、取ることにしました」って、せーので。
松前:
それは結構後期ですよ。『BLIND SPOT』のときじゃなかったかな。かなり長い間、サングラスやらされてましたよ。バンドのイメージつくっちゃったから、つらいですよね。デーモン小暮さんとか、サンプラザ中野さんとかすごいなあと思いますよ。今でもS.S.T.のイメージのままでサングラスやってなくちゃいけなかったとしたら……ちょっと無理だな~(笑)。あ、そういえば、僕はのちにスーパースランプ(爆風スランプの前身のバンド、爆風スランプ解散後、再び、スーパースランプで活動)にサポートメンバーで参加したんですけど、そのときも名前つけられましたよ。あそこはサンプラザ、パッパラーという風に、全員カナの名前をつけるルールがあって(笑)。僕はたまたまそのときに、甘栗の「むいちゃいました」ってのが流行ってて。「こりゃ美味しい!」って楽屋で「むいちゃいました」ばっかり食べてたんですよ。そしたら中野さんに「じゃ、松前くんは、クリスキー松前だ!」って命名されて(笑)。ハリアーとクリスキー。ふたつの英語(?)の名前を持ってます。
(一同笑)
大野:
今考えると、半分サイトロン主導、半分メーカー主導でやりにくいはずなんだけど、微妙な力関係で維持できていたのがよかったのかもしれないね。5年もやってたのか…もっと短い印象だったな。
安部:
ライブはひとまずその1回だけだったんですか?
松前:
はい。最初はその予定でした。特にベースのBURNERさんはそんなに音楽活動をやっていたわけではないし、プログラマーとして仕事をしていたので、いろいろ制約もあった。1回だけだからということでわりと軽い気持ちでお願いしたんです。が、ライブが形になってそれなりに成功を収めると、またやろう、という形になりますよね? それでフジテレビが代々木競技場でやっていた国際スポーツフェアっていうイベントに呼ばれて、野外ステージに出演したんです。
安部:
だんだんバンドとして結束していくんですね。
松前:
そうですね。これでレーベルとしても、S.S.T. BANDがバンドとしてやっていけるって確信ができたんでしょうか。次のアルバムは、より「バンド色」を出す形にということで、ゲームのタイトルを出さずに、バンド名を由来にしたアルバムタイトルで、本格的にバンドとしてのレコーディングをやる方向になりつつあったんです。
安部:
3rdアルバム『Super Sonic Team』ですね。
松前:
はい。S.S.T.は本来はSEGA SOUND TEAMの略ですが、それをふたつの意味があるようにして。
安部:
このアルバムは、バンドでレコーディングしたんですか?
松前:
いや、実際にはまだ完全にそういう形にはなっていなかったですね。国本さんのアレンジの曲が1曲。野呂一生さん(カシオペア)の制作したものが1曲。そして、そのころになると、ハウスミュージックが台頭してくるわけですよ。それで、テトリスをアレンジした『テトリミックス』というまったくS.S.T. BANDとは無関係なアレンジ曲が入っているという、「バンドのアルバム」と呼ぶにはまったく中途半端な作品ですよね。完全には任せてもらえなかったことは、今になって考えたらちょっと悲しい話だけど、こうやって歴史をたどっていくと、アルバムを重ねるごとに徐々にバンドになっていった、というのがわかっておもしろいですけどね。(笑)
安部:
そのときはまだTURBO君(齋藤昌人)は参加してないんですよね?
松前:
はい。まだ参加してないです。それでライブはあるわ、レコーディングはあるわ、どんどん忙しくなっていって、ベースの小森くんが仕事との兼ね合いで厳しくなったので、そのあとメンバーを探すことになったんです。TURBO君がアルバムのレコーディングに参加したのは次の4thアルバム『HYPER DRIVE』からですね。このアルバムは2枚組です。1枚がアレンジした演奏バージョンだけ、もう1枚が基板の音。そしてメンバーの演奏だけで制作した初のアルバムという点でも大きな意味があります。アレンジを野呂一生さんにやっていただいて、いろんなことを教わりました。ほんとこれはいい経験でしたよ。
安部:
カシオペアはお好きだったんですか?
松前:
そりゃもう高校時代からすごく聴いてましたよ。メンバーみんな緊張しまくり。
安部:
ベースにTURBO君が参加することになったきっかけは?
松前:
とにかくスラップベース(チョッパー)の曲が多いので、スラップがバリバリ演奏できるベーシストというのが条件でした。僕がS.S.T.の前にメンバーとして活動していたハイポジというバンドのギタリストの近藤研二くんに、齋藤くんを紹介してもらったんです。オーディションって程のことではなかったんですが、ギャラクシーフォースのベースが演奏できるか? というのが判断基準だったんですが、彼に音を渡して、自分で演奏したものを重ねてもらったら、もうばっちりだったんで、すぐにメンバーになってもらいました。
安部:
それで『HYPER DRIVE』のレコーディングになったわけですね?
松前:
はいそうです。そしてゲームミュージックフェスティバル90で、ライブとして初お披露目。あのとんでもないキャラクターが花開くわけですね。(笑)
安部:
あのキャラを買ってメンバーにしたわけじゃなかったんですか?
松前:
じつは全然わからなかったんです。(笑)『HYPER DRIVE』のレコーディングも、齋藤くんはすごくおとなしかったし、野呂一生さんのアレンジ、ディレクションってことで、緊張しまくってたからかもしれませんが(笑)。ライブのリハーサルの段階になって、出てくる出てくる。キャラがあまりに面白いので、こりゃもうスラップベースソロのコーナー入れるしかないな! という流れになりました。
安部:
それがゲームミュージックフェスティバル90の映像に残っているものですね?
松前:
そうです。
大野:
そのあと、Hiro.くんから光吉くんに入れ替わって、田辺くん(THUNDER)の肺に穴が開いて(笑)
松前:
そうですね。ドラムの田辺くんはライブ直前に、突然、病気になって(笑)
大野:
あれは本当に当日だったっけ? 前日?
松前:
それは…プライベート・ライブの当日です。もうどうしていいかわからない状態で、途方に暮れてたんだけど、齋藤くんが知り合いのドラマーを呼んで、急遽来てもらってやってもらったという感じ。
安部:
それが熊丸さん(スプラッシュ熊ちゃん)ですか。
松前:
そう。当日、ライブハウスで初めて会ったの。リハーサルしてないし、たまたまその日あいてた。それでぶっつけ本番でライブしたらできたの(笑)
安藤:
すごい(笑)
松前:
その日はプライベートライブという、ちょっと変わった特別なライブの日だったので、カバー曲もあったり、お遊びのコーナーもあったんだけど、それにしてもばっちりやってくれた。
安藤:
運命ですかね?(笑)
松前:
そうですよねえ。で、齋藤くんが連れてきたドラマーだから、って、まあ予想はしてたけど…齋藤くん以上のキャラだったと。
(一同笑)
松前:
そして、プライベートライブは、まあちょっとお遊び的なイベントだったんだけど、その数日後には中野サンプラザで単独ライブがあったんです。これも見事に短い期間で曲をマスターしてくれて。ほんとに齋藤くん、熊ちゃん、2人のメンバーの加入で、バンドは活気づきましたよ。明るくなったし、バンドとして飲んだり、集まったり、結束がどんどん強くなっていきました。
S.S.T. BAND メンバーリスト
並木晃一 Mickey (G)
松前公高 Harrier (Key)
飯島丈治 Galaxy(G)
小森伸吾 Burner (B)
⇒
齋藤昌人 Turbo君 (B)
宮内博史 Hiro(Key)
⇒
光吉猛修 R三郎丸 (Key)
田辺健彦 Thunder(Ds)
⇒
熊丸久徳 Splash熊ちゃん(Ds)
91年5月4日大阪厚生年金ホール、楽屋にて。
左から松前公高、並木晃一、飯島丈治、光吉猛修、齋藤昌人、(手前)熊丸久徳
●ライブ活動、伝説の「ゲームミュージックフェスティバル」
大野:
単独ライブはMZA有明でもやったね。
89年11月2日、MZA有明にて
松前:
今考えてみると、いろいろやりましたよ。
大野:
あと、学園祭で…。
松前:
P-MODELの前にやりましたね。
大野:
ドリカムがオープニングアクトだったよ。
松前:
えええっ? そうだったんですか?
大野:
そうだよ。日芸(日本大学芸術学部)の学園祭のとき。
安部:
日芸でもやってるんですか。
大野:
ドリカムのときに客席に人がまばらだったので、S.S.T.の本番心配になってけど、 ぎっしりお客さんが入って安心した。
安部:
何年ぐらいなんですか?
大野:
何年かなあ…89年ぐらい? トークイベントで、いとうせいこう氏もいたよね?
安部:
メガドラつながりなんですかね?
大野:
いや、日芸のマルチメディア・コンベンション的なイベントだったので招待されてライブをやったんだよね 。美術や映像セットがすごかった。
安部:
なんでまたS.S.T.BANDが呼ばれたんでしょうね?
大野:
学祭の実行委員から是非って言われたのは覚えているけど…。
安部:
ファンが居たんですかね…。これは江古田キャンパス?
大野:
そうそう、江古田。89年の11月で…『EV KIDS MOVEMENT』というイベントだ。
安部:
イーブイキッズ?(笑)
松前:
そうですね(笑)じつはその頃、エキスポの活動も江古田が拠点だったので、日芸の江古田キャンバスはよく知ってたんです。
安藤:
MZAと同じ月にやってますね。
安部:
このとき、東京に居たかった…。
安藤:
89年はすごいですよね。88年の3倍ぐらい、ゲーム・ミュージック関連のイベントがあります。
大野:
このころがゲーム・ミュージック・バンドの黄金時代だね。
松前:
そうですね。特異性もありましたし。今みたいに、ゲーム・ミュージックを普通の作曲家が作ったりしなかったし、なおかつバンドでライブをやる。ファンの人たちは、今までコンサートに行ったことがなかったような人が、自分の好きな曲を演奏するライブに行けるようになって。それがゲームミュージックフェスティバルにつながっていくわけですね。
大野:
1回目のゲームフェス日本青年館のS.S.T.BANDとZUNTATAのライブ、あれは、我々もお客さんがどんなリアクションをするのかわからなくて、シーンとしたままだったらどうしようって。 それが大歓声の熱狂になって、目頭が熱くなったのを今でも覚えてる。
安藤:
テレビでもゲームミュージックのライブが催されたって、ニュースになってましたね。
松前:
そうそう、それが成功したので、そのあと、各メーカーがライブをやるようになっていったんです。
安藤:
翌年はGAMADELIC、ALFH-LYRA、矩形波倶楽部が参加してます。
大野:
Hiro.くんはその1回だけかな?
松前:
フェスティバルは1回だけですね。1回目がTURBO君ライブデビュー! もうこの日はこれがあまりにすごくて、このことしか話題として残ってません(笑)。
大野:
光吉くんが2回目から?
安部:
光吉さんが入るということは、Hiro.師匠は居なくなるんですよね。
松前:
そうそう。入れ替えで。
大野:
光吉くん就職 の面接のときに「S.S.T.BANDに入りたいんです」って言ったらしいんだよね。
松前:
えー? そうなの?(笑)
安部:
ゲームミュージックフェスティバルはライブ盤にもなっていますね。
松前:
はい。ビデオとLD 、あとライブ盤CD。しかもゲームミュージックフェスティバル全体のものと、S.S.T. BAND単独のものも出ていますから、このときの素材はかなりいっぱい出てますよ。
安部:
そのあと、ゲームミュージックフェスティバルは毎年行われることになって。
松前:
そうです。バンド数も増えて、2日間になってね。どんどん規模が大きくなっていって。すごい盛りあがっていましたよね。
次ページ >
1
2