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株式会社アイエヌエイチ
株式会社ウェーブマスター
2009.08.12
 
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●EXPOのアルバムはメディアによってミックスが違う!
   
安部: 面白いこと、いっぱいやってたんですね?
   
松前: あと、CDに切り替わる時代だったんで、CD、アナログ、テープと全部発売されるので、全部ミックスを変えようという話になって。
   
安部: 全曲、バージョンが違うんですね。
   
松前: 本当は一番やりたかったのは、「レコードの中にレコードの針跳びの音を入れる」、「CDの中にCDがピピピピッって跳んじゃう音を入れる」ということだったんです。これも「機械のエラーを音にすること」のひとつでしょ。「機械のダメさ、哀れさ」がもっともわかりやすい形で音にできる。で、レコードとCDでは音の飛びかたが違いますから、バージョンを変えなくちゃ意味ないでしょ?
   
大野: レコード会社的にはありえない企画だなあ(笑)
   
松前: お願いして、アルファ・レコード内で調整してもらったんですけど、やっぱりやめてくれ、と。ちょうどCDというメディアが出てすぐのころだったから、本当のエラーと間違えられる可能性が大きすぎる。たとえ「アーティストの意向により、意図的にそういう音を入れています」と表記したとしても、印象が悪くなるということで。本当に品質が悪くて音とびする可能性があった時代ですからね。
   
大野: カセットも出たのね?
   
松前: そうです。テープバージョンではテープがローラーに巻き込まれちゃう音を入れる計画でした。中学時代に散々苦労した、あのイヤな音を(笑)。それで、音飛びアイデアがダメなんだったら、全曲、CDとアナログ盤でミックスを変えさせてくれってワガママ言って、全ての曲に2種類のミックスを作ったんです。テープも含めて3ミックスは作らなかったです。テープはCDのテイクをいれたかな?実はテープで発売されたものは自分でも持ってないんですよ。今、探してます。
   
大野: EXPOって、アナログ・シンセをたくさん使ってるよね?
   
松前: そうですね。サンプラーをかなりたくさん使っていますが。わざとエコーも何もかけないで、ブリブリの音とか使ったりして。そういう感覚がゲーム音楽に近かったんでしょうね。矩形波の音とか。
   
大野: 音色としての合致ね。『赤ちゃんコンクール』とかすごいよね(※『エキスポの万国大戦略』のTR.02)。
   
松前: あの曲はほんといい感じで山口と僕の共作が出来た曲ですね。
   
安部: 楽器はどういうものを使われていたんですか?
   
松前: ほとんどはAKAIのS900と、RolandのS50というサンプラーで制作しました。サンプラーは二人でその二台しか持っていなかったから。あとはKORGのMS-20と、LDKスタジオ(※文京区にある¥ENレーベルと縁深いスタジオ)にあったProphet-5もちょっとだけ使用しました。シーケンサーはROLANDのMC-500です。その1年ぐらいは、ほとんどMC-500の2行の小さな液晶ディスプレイだけを見て生活していたって感じでしたよ(笑)。
   
 
AKAI S900
AKAIから1986年に発売された初期の普及価格帯サンプラー(とはいえ定価38万5000円)。8ボイス、6オクターブ、搭載メモリは750Kbytesで最長63秒のサンプリングが可能だった。今もなおヒップホップやテクノシーンでは愛用者がいると言われるほどのサンプラー。
Prophet-5
Y.M.O.の坂本龍一が愛用した、Sequential Circuits社のアナログ・シンセ。1978年製造開始。音色メモリができるポリ・シンセとしては世界初。2VCO+VCF+VCA+LFOという構成で、その名の通り5音まで同時発生が可能。
   
安部: レコーディングはLDKスタジオを主に使用されたんですか?
   
松前: はい。そうですね。ベーシックなトラックは渋谷にあったCSV渋谷という楽器屋のスタジオでした。ここでじっくり時間かけてレコーディングしてその素材をLDKスタジオに持って行ったり。あとはフリーダムスタジオもちょっと使ったかな。トラックダウンはAスタジオ(※アルファ・レコードの自社スタジオ。Y.M.O.の『PURE JAM』で有名、現在は閉鎖)を使用しました。Y.M.O.の数々のアルバムが制作されたスタジオですよね。
   

 
●機械の間違いをライブで表現すると……?
   
松前: あと、任天堂のディスクシステムが出てきたときで、ディスクシステムで……今の『DS-10』みたいな、シーケンス・ソフトを大野木(宜幸)さんに作ってもらったんです。ほんとに業務用のシーケンス・ソフトです。それを使って、ファミコンだけで音が鳴る曲を、何曲かEXPOのアルバムに収録してあるんです。『赤ちゃんコンクール』も演奏バージョンと別に、このソフトで打ち込んだファミコンバージョンも収録しています。
   
安藤: ある意味……「今」ですね、それ。
   
松前: 「今」ですよね。ゲームボーイのシーケンス・ソフトとかDS-10とか、それとほとんど考え方は同じです。ファミコン+ディスクシステムでそういうことができるソフトだったんです。
   
安藤: 早すぎましたね!
   
松前: そうですね。
   
大野: 『G.M.O.クリスマス・ソング』もそのコンセプトでやったんだよね。
GMOクリスマス・ソング
その名のとおり、定番クリスマス・ソングをファミコン音源でカバーした、いまでいうチップチューン・アルバム。リミキサー……もとい、編曲者は中村暢之、福田裕彦、生方則考、十川知司といったキーボーディスト、アレンジャーを起用していて、松前氏は関係していない。
   
松前: あ、そうかもしれないですね。ちょっと正確な記憶がないんですが、ファミコンの音にディスクシステムの音が増えて、それを使って打ち込みができるシステムだったんですけど、画面デザインはシンプルなもので、ほんと開発ツール的でした。商品化の話もあったみたいですが、実現しませんでしたね。
   
大野: EXPOって、プロモーションって何かやってたの? 自分は知らないんだけど……。
   
松前: 結構やったんですよ。『TECHii(テッチー)』っていう音楽雑誌とか、『キーボード・マガジン』など、それまでのゲーム誌以外にも、音楽の専門誌にも広告出してもらってました。あと取材もいろいろ受けましたよ。
   
安部: 『TECHii』……(笑)。音楽之友社のテクノ雑誌ですね。
   
松前: EXPOの連載もやらせてもらったりしてました。
   
安部: ライブもやっていたという話ですが、ライブでやるのは大変そうですね。
   
松前: これをライブでやるのはどうしたらいいか、と考えた結果、「すごくうまいミュージシャンにわざと間違えて演奏してもらう」ということを考えたんです。
   
大野: どこでやったの?
   
松前: 六本木のインクスティックを中心に何度かやりました。
   
大野: へえ!当時のオシャレ最先端!って場所だね。
   
松前: 手伝ってくれたメンバーは結構豪華で。今堀恒雄がギター、菊地成孔がサックス、外山明がドラム。藤本敦夫さんや、元スクウェアの田中豊雪さんがベース。
   
安藤: すごいメンバーですね。
   
松前: こういうジャズ系の超うまい人たちが、ヘタクソを忠実に再現する。ひっかかるようなリズムを正確に反復したり、不協和音、変拍子、フリー、いろんな要素が入ってました。
   
安部: このメンバーは、どうやって集めたんですか?
   
松前: 山口(優)、岸野(雄一)、その周辺でみんなそのころに知り合いになってたんです。中には当時、毎晩集まって麻雀したり遊んでいた友人もいたし。
   
大野: 現在は、EXPOはどうなってるの?
   
松前: 今でも、コンスタンス・タワーズ(スペースポンチ)同様、のんびり活動中ですよ。二人組だから解散って感じでもないし。ひとつのバンドだけやっていると、方向性の違いとか出てきたり、変わっていくとリスナーを戸惑わせたりするんだと思うんです。70年代に好きだったバンドが80年代にすっかりスタイルが変わってしまってガッカリなんてことはリスナーとしてたくさん経験しましたから。各個人がやりたいことが変わるのは当然だけど、それはまた別のバンドでやればいいし。一昨年はフランスのマルセイユで、フェスティバルMIMIというイベントに呼ばれて、EXPOでライブを演りました。これは元エトロンフー・ル・ルーブランというバンドのフェルディナン・リシャールという人に呼んでもらったんですが、実はエキスポがもっとも影響を受けたバンドのひとつがこのエトロンフー・ル・ルーブランだったんです。このときは、EXPOの二人がキーボード、サポートメンバーはバンジョー、トロンボーン、ドラムという変わった編成でした。(笑)。
   
安部: フランスでのウケはどうでした?
   
松前: 最初は、あまりにお客さんを裏切ることをやるので、戸惑ってましたよ(笑)。でもすごいんですよ。もう2.3曲目から、このバンドの楽しみ方をわかって、「やられた~」「だまされた~」「ええ~?」みたいなことをやるとそれでみんな喜んで歓声がおこったり。ウケてましたよ。
   
安部: そんなEXPOですが、CDはオークションではかなり高値になってますよね。
   
松前: そうなんですよ。CDは1万以上するみたいですね。アナログは安く買えるようですが。
   
安部: すごいですね。
   
松前: いやいや、すごくないんです。プレミアがつくってことは数が少ないってことでしょ?いかに当時売れなかったか? ってことですよ。(笑)
   
安部: CDは再発されてませんよね?
   
松前: そう。ホントは是非再発したいんですが……。どこか再発してくれないかな?
   

 
●サイトロン・アレンジ仕事、そしてS.S.T.BAND
   
大野: つぎに松前くんのその後について。サイトロンのゲーム音楽のマニピュレータをやるようになったいきさつってどうだったんだっけ?
   
松前: サイトロン・レーベルはゲームメーカーごとにアルバムを出すってことで、アルバムにアレンジ・バージョンを入れていくんです。曲数はまちまちでしたが、単に基板の音を収録するだけではなく、ゴージャスに演奏したバージョン。ボーナストラック的な意味もあるんでしょうが、それがメインになってたアルバムもありましたよね。各社のコンポーザーさんはアレンジは作れるんだけど、レコーディングの経験が少ない方とか、本業が忙しくて手が回らないとか、そういう所を手伝ってくれみたいなことを小尾さんに言われて、僕が手伝うことになりました。
   
大野: その前の時代に、マニピュレータとしての参加は?
   
松前: G.M.O.時代はアレンジの参加だけでしたね。マニピュレータはサイトロンが立ち上がってから。
   
大野: 「とにかく日本一早いマニピュレータがいる」って聞かされていてそれが松前くんだったんだよ。ところで国本(佳広)さんとコンビ組んだことあったっけ?
   
松前: S.S.T.の最初の2枚と……あとナムコの『ウイニングラン』です。国本さんには、シンセの音作りのこととか、短期間にものすごくたくさんのことを学ばせてもらいました。
   
大野: それで、サイトロンの契約社員みたいな感じになるんだよね?
   
松前: 厳密には契約社員ではなくて、年間いくつ仕事をするみたいな契約でした。定期的にCD出すし、アレンジ仕事とか、現場に音楽について責任持てる人が必要だということで。データもらって、シンセで鳴らすようにしたり、楽譜をもらって打ち込んだりとか、レコーディングによってどこまでやるかは違いがありました。タイトー、カプコン……。セガはS.S.T.BANDですね。S.S.T.BANDの最初のアルバムは国本さんがアレンジを担当して、僕がそれを打ち込んで。ギターを並木くんが入れて……。その前にセガのバンドがライブを1回やっていたのもあって、S.S.T.BANDはバンドっぽくしようという話が出て。初期は打ち込み中心でしたけど。
   
安部: そのライブは87年12月19日のアフターバーナー・パニックですか。
   
松前: そうだと思います。ただしこれはSEGAの社員だけでやったもので僕は関わってないですけど。
   
大野: S.S.T.BANDとしては、レコーディングのときにHiro.君とかと初めて会ってるんだよね。
   
松前: そうです。
   
安藤: 88年ですかね。
   
大野: サイトロンになってからの第1弾がタイトーの『ニンジャウォーリアーズ』。このときは自分は、まだアルファレコードに居て、途中から参加したんだよね。そのときに松前くんとコンスタンス・タワーズ以来の再会になったんだよね。
   
松前: ハハハ(笑)。そうですね。
   
大野: 『ニンジャウォーリアーズ』はジャケぐらいしか関わってないけど。
   
松前: 『ニンジャウォーリアーズ』は僕は、高木君(Mar.)と、スタジオでふたりでずーっと……。あ、このまえすごくひさしぶりに再会しましたよ。ライブ観にきてくれて。
   
大野: あと、『忍者龍剣伝』のアレンジ。あれが完全おまかせでアレンジを依頼した最初の仕事だったと思うんだけど。
   
松前: そうかもしれないです。
   
大野: あれって、アレンジ仕事の最初じゃないの?
   
松前: 一人で、アレンジもすべて任されたのはそうかもしれないですね。
   
安部: すごいポップなアレンジですよね。
   
大野: ひとまわり、いろんなメーカーの作品をやったよね。
   
松前: そうですね、サイトロンから出たかなり多くのCDに絡んでますね。社内だけでやります、っていうメーカーさん……SNKなどは、関わらなかったですけど。
   
安部: マニピュレートもしなかったんですか?
   
大野: アレンジまったくナシの、基板の音だけのCDはそうだね。
   
安藤: 松前さんとは92年に観音崎マリンスタジオで『キャプテン・コマンドー』を収録したときが初めてでしたね。その数か月後に『BLIND SPOT』で同じ観音崎でまた担当させてもらったんですけど、それ以降は松前さんが絡まないプログラムが増えてきた記憶があります。
   
松前: そうですね。あのころは観音崎のリゾートスタジオで一週間合宿レコーディングで楽しかったなあ。
   
大野: メーカーさんだけで完結するようになってきた時代だね。
   
松前: そうですね、メーカーさんも、サウンドの人数が増えたり、レコーディングの経験も増えて、自分達だけでできるようになったということなのかな。そんな感じで、2~3年ぐらいだったかな?サイトロンから出るゲーム・ミュージックのいろいろなメーカーのお手伝いをさせていただきました。
   
大野: 各メーカー、いろいろ違いがあるよね……。
   
安部: こういう話も何なんですけど、やりやすかったメーカーさんってどこでしょう。
   
松前: やりやすかったというより、楽しかったのはもちろんS.S.T.BANDですね。2枚目以降はほぼ、好きな感じでやらせてもらって、どんどんバンドっぽくなっていって。
   
  
 

次回はいよいよS.S.T.BAND時代のお話です!





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★次回 松前公高インタビュー 3/4 は、2009.08.19公開です
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