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株式会社アイエヌエイチ
株式会社ウェーブマスター
2009.08.12
 
問題作『ダライアス』コンスタンス・タワーズ誕生秘話
EXPOでメジャーデビュー!
EXPOのアルバムはメディアによってミックスが違う!
機械の間違いをライブで表現すると……?
サイトロン・アレンジ仕事、そしてS.S.T.BAND
 

>> 1/4回から読む <<


   <出席者紹介>
松前公高
63年生まれ、大阪市出身。きどりっこ、コンスタンスタワーズなどのバンドを経て、『エキスポの万国大戦略』で山口優とのユニット・EXPOとして87年アルファレコードよりレコードデビュー。90年、S.S.T.BANDのHARRIER(Key.)として数々の作品を発表、ライブ活動を行なう。並行して東京少年、松岡英明などのライブサポート、94年にファースト・ソロアルバム『SpaceRanch』をリリース。その後はTV、映画、マルチメディア、ゲームと幅広いジャンルで作曲、編曲、アレンジを手がける。ゲームでは『KILEAK,TheBlood』、『サンパギータ』、『玉繭物語』、『びっくりマウス』などが代表作だが、当コーナーの読者にはG.M.O.レーベルの『タイトー・ゲーム・ミュージックVOL.2 ダライアス』におけるアレンジ、『THEKONAMICGAMEFREAKS矩形波倶楽部』における『もえろツインビー』のアレンジなどが忘れられないだろう(その後のアレンジやマニピュレートの多くも氏の手によるもの)。近年では、アーティストユニット・うるまでるびとのコラボによる「おしりかじり虫」が大ブレイク。その一方で愛機MS-20を背負い、精力的にライブ活動を行なっている。
   

 
●問題作『ダライアス』コンスタンス・タワーズ誕生秘話
   
安部: 前回はG.M.O.レーベルからEXPOがデビューするかな、というお話でした。
   
松前: ¥ENレーベルでデビューしたかった! ってとこですね。
   
安部: 時代的には1986年ですか。
   
大野: EXPOがその年の秋ぐらい?
   
松前: 動きはじめたのはそのころですね。『エキスポの万国大戦略』が発売されたのは87年9月です。小尾さん(サイトロン&アート創設者)と初めて会ったのは86年。コンスタンス・タワーズのテープも持って行きました。このときに岸野(雄一)も一緒に行って、「これもやろう」ということになって、EXPOとコンスタンス・タワーズ、ふたつのバンドが同時進行になって、僕はかけ持ちで、どっちもデビューという話になったんです。
   
安部: かけもちデビュー!
   
松前: コンスタンス・タワーズは、まず、試しに『ダライアス』のアレンジ・バージョンをやれ、という話で。小尾さんはどういうものを想像していたかはわからないんですけど。
   
安部: コンスタンス・タワーズの方が先だったんですね。アレンジということで。
   
松前: 時期的にはどうだったかな? ただほんとに同時進行って感覚でした。で、コンスタンス・タワーズはそのころ、映画のサントラなどの古い曲をシンセサイザーでオーケストラっぽく再現して、60年代モーグサウンドっぽいところもあるような、ちょうど、その後モンドミュージックといういい方をされるようになる感じでやってたんですよ。なのでダライアスの原曲とはかけ離れていて(笑)。ここで素直に曲優先でアレンジすることも可能かもしれないけど、こちらもバンドとしてその後、アルバムを出すということであれば、単に「お仕事」的に、作曲者の意図をくんでアレンジするということではなく、自分たちなりのまったく新しいことをやろうと。それをその段階でも提示しなくちゃいけない。今でこそリミックスって原曲がほとんどわからないようなものが認知されるようになりましたけど、86年ぐらいだと、まだそういうのはなかったんです。それでもやはり作曲者がアレンジしたものとは違う、個性を出した、原曲からかけはなれたアレンジにしました。
タイトー・ゲームミュージックVOL.2 ダライアス
ゲーム・ミュージックが第二次成長を遂げようとしていた1987年6月に堂々と登場したのがこのアルバム。尻に響く重低音筐体(ウーファーを搭載していたわけではない)のタイトー・サウンドを早く聞きたいゲーム・ミュージック少年たちの耳に、衝撃とトラウマを与えたB面はコンスタンス・タワーズを含むアレンジサイド。今再び聴き直し、自分の耳の幼さに気付く1枚。20年経過した今ではとても普通に聴けることに驚く。
   
安部: あれ、初めて聴いたとき、ショックでしたね……。
   
  (一同笑)
   
松前: ハハハ(笑)。ほんといろいろ酷評されましたよ。
   
安部: なんだろう、このコンスタンス・タワーズってヤツは! って思いました。
   
松前: 原曲がね、ズズズズガーッガーッガーッって、ビートしか入ってないような曲なんです(『Inorganic Beat』)。普通にアレンジすれば、それをビートきかせて、踊れるものにするとか、考えられますけど、それだとコンスタンス・タワーズじゃなくなっちゃう。僕らがやる意味がなくなっちゃう。あと『The Sea』ですね。
   
安部: その2曲がZUNTATA名義のアルバムに収録されたと?どのくらいの期間で作ったんですか?
   
松前: えーっと、OGRさんがアレンジの3曲は1週間だったかな? こちらも僕はレコーディングのお手伝いということで、OGRさんが書いた楽譜を、ROLANDのMC-500というシーケンサーを使って打ち込みました。マニピュレートという作業ですね。シンセやサンプラーでこれらのデータを録音していきました。OGRさんと二人での作業がメインでしたね。コンスタンス・タワーズの2曲も、やっぱり1週間ぐらいかかったかな……。スタジオに入る前の下準備を考えると、かなり時間をかけたと思います。
   
大野: The Seaのほうはマーティン・デニーのエキゾチック……ナントカかなーって思った。
   
松前: そうそう、マーティン・デニー風にしたんですね。
   
大野: メンバーに女性もいたよね?
   
松前: Mint-Leeですね。
   
大野: 結局、何人だったの? コンスタンス・タワーズって。
   
松前: 4人です。岸野雄一、Mint-Lee、常盤響、松前公高の4人です。といっても担当楽器は全員シンセ、キーボード(笑)。『ダライアス』のアレンジでは、ほかにサックスで菊地成孔、ギターで今堀恒雄にゲスト参加してもらってます。
   
安部: 菊地さんも、今堀さんも大御所ですね。
   
松前: そうそう。そのときは、まだ今ほどじゃなかったから、簡単に友達感覚でお願いできたんです(笑)。ちょうど今堀くんがやっていたティポグラフィカというバンドのデモテープを作っているときで、僕が打ち込みを手伝っていたんですよ。ティポグラフィカにはライブにもゲストで参加したりしました。
   
大野: EXPOも何かアレンジやってたよね?
   
松前: EXPOは、矩形波倶楽部の、『KONAMIC GAME FREAKS』で『もえろツインビー』のアレンジを1曲やらせてもらいました。87年3月に出たものだったかな? その曲は『ダライアス』ほど崩してなくて、遊び心を入れたりした感じですね。
KONAMIC GAME FREAKS 矩形波倶楽部
こちらも同時期のリリースだが、EXPOによる「もえろツインビー」のアレンジを収録している。『ダライアス』と比べると、こちらのアレンジは予想しにくい展開で、なるほどこれがEXPO流か、と納得できる。この2作を考えるとアレンジの歴史にも進化があることを思い知らされる 。1987年3月発売。
   
大野: じゃあ、EXPOのアルバムよりもそっちが先?
   
松前: はい。
   
大野: それって、古川もとあきさんが居て?
   
松前: 古川さんは、ツインビーのアレンジのときは会わなかったです。
(※GA-COREインタビュー、古川氏編によると、この時期に古川氏はコナミに入社し、同じアルバムで『悪魔城ドラキュラ』のメドレーアレンジとレコーディングを初仕事として担当している)
   
大野: じゃあ、そのふたつが厳密な意味でのデビュー作になるのかな。
   
松前: でも、どちらもバンド名はジャケにも帯にも出てないんですよね。『ダライアス』はZUNTATA名義だし、『KONAMIC GAME FREAKS』は矩形波倶楽部ですよね? 中のクレジットに書いてある程度で。
   
安部: 広告なんかでは一応表示があるようです。「"デジタル・ポップ"グループ"コンスタンス・タワーズ"」とか、「ゲーム・ミュージック・バンド"EXPO"が編曲、演奏した……」って書いてあります。
   
大野: この『矩形波倶楽部』はマニピュレートとかやってないの?
   
松前: これはやってないですね。
   
大野: コンスタンス・タワーズとEXPOってどっちが先に出たの?
   
松前: 作業はほぼ並行してやっていて……リリース日から行くと、『矩形波倶楽部』が先に出て、『ダライアス』、『EXPO』だったかな? コンスタンス・タワーズのオリジナルも出そうって、お話は頂いていたんですけど、小尾さんはゲーム・ミュージック路線。僕らはモンド・ミュージック、映画音楽みたいなのをシンセサイザーでやりたくて。そこを探っているうちに、映画音楽の権利とか、いろいろ問題があることがわかって、そこで止まっちゃったんですよね。
   
大野: 映画音楽のカバーをやろうとしてたの?
   
松前: はい。かなり作り込んでいました。何か月もかけて、フランスの映画監督ジャック・タチの映画音楽などを集めて大メドレーをつくってたんです。これはのちに、スペースポンチというバンド名でトランソニックレコードから発売されることになるんですが。85年に作ってあったものが、99年にやっと世に出た(笑)。実はこの曲は昨日もライブで演ったんです。ひさしぶりのコンスタンス・タワーズ (スペースポンチ)のライブでした。
THE WORLD SHOPPING WITH SPACE PONCH
コンスタンス・タワーズ名義では幻となってしまった、G.M.O.時代に制作された楽曲を含むスペースポンチの1stアルバム。10年以上の時を経て、TRANSONIC RECORDSからリリースされた。現在もAmazonなどで入手可能、興味を持った方はぜひ!
   
大野: 昨日はどこでやったの?
   
松前: SuperDeluxeです。
   
安部: 六本木ですね。結構広めの……。
   
大野: 当時のメンバーで?
   
松前: はい。のんびり活動してるし、各自みんなそれぞれに別の活動を持っているので、バンド内で方向性の違いで解散とかそういう話にもならないですし。(笑)
   
大野: で、EXPOのほうはスムーズにレコーディングに入った?
   
松前: はい。当時、コンスタンスタワーズはそういう形で止まってしまって。EXPOで先に曲を作ってアルバムを出そうということになって、今までデモテープで作り貯めていた曲を更に作り込んだり、新曲を作ったり、曲をどんどん仕上げていって。87年9月25日にアルバム『エキスポの万国大戦略』が出ます。
エキスポの万国大戦略
松前氏と山口優氏によるユニット、EXPOのデビュー・アルバム。87年9月25日発売、現在入手困難で再発もされていない。
   
安部: これはG.M.O.レーベルからですが、G.M.O.ほぼ唯一のアーティストという感じになりましたね?
   
松前: そうですね。結局、コンスタンス・タワーズのアルバムは実現せず、メーカーのゲーム音楽のアルバムがたくさん出ていたし、その後、G.M.O.レーベルがサイトロンへ移行するというレーベル自体が変わる時代でもあったんでしょうね。小尾さんから「ゲーム世代のゲーム音楽みたいなバンドを作ろう!」ということで、デビュー話をいただいたのですが。自分達としても、シンセで音楽やってて、アルファレコード、つまりY.M.O.から¥ENレーベルの流れは、大メジャーな訳ですよ。世の中的にはそうでもなかったんでしょうけど。テクノポップやっててアルファレコードってもっともあこがれたところで。
   
安部: それが、ゲーム音楽だった?
   
松前: そう。そういうテクノポップ系の音楽の発展形として、次にゲーム音楽が来た感じはわかりましたが、でもやはりまだファミコンって「おもちゃ」の領域でしたから、ちょっと戸惑いはありました。ただ音楽的にも、音色的にもあっているとは思いました。当時からデジタルシンセにほとんど興味がなくて、アナログシンセとか、いまでいうチップチューンみたいなことずっとやってましたから。
   

 
●EXPOでメジャーデビュー!
   
安部: EXPOのデビューが87年の秋です。大学のほうは……?
   
松前: そのとき24歳で……大学は結局2年と休学2年と復学2年で合計6年目で、音楽活動がすごく忙しくなってしまって、元々東京に出てきてミュージシャンになることが目的でしたから(笑)、EXPOが出た時点で、やめました(笑)。
   
大野: 大学辞めたの、EXPOがきっかけだったんだ(笑)
   
松前: ほとんど後半は大学行ってなかったですけど。
   
安部: じゃあ、大学の人脈で活動してたのではないんですね。
   
松前: そうですね。一人だけ、中ザワヒデキという美術家は大学で知り合って、彼とはその後もいろいろなことを一緒にやりました。マッキントッシュのCD-ROM(『KIDSBOX』など)作ったり、EXPOと一緒にお絵かきライブみたいなことをやったり。
   
安部: 休学してから、サイトロンの仕事をやるまでって、どうやって生計を立てていたんですか?
   
松前: 家庭教師とか、秋葉原のハンバーガー屋、チラシのポスト投函。いろいろやりましたよ。ただし、バンド活動のために時間が自由になることが条件です。ハンバーガー屋は朝6時からのバイトで昼すぎに終わるので、午後からは、思う存分バンド活動が出来るんです。音楽業界、午前中は動かないでしょ?(笑)。ポスト投函のバイトはいつ休んでもオッケーというものでした。あと足と手だけ動かしていればいいから、耳はフリーなんです。歩きながらウォークマン聴いたり、作曲したり。
   
安部: 音楽で食えるようになったのは、いつごろからだったんですか?
   
松前: EXPOがデビューする87年の前はバイトでしたが、87年からはずっと音楽で食べて行けるようになりましたね。
   
安部: メジャーデビューの瞬間から(笑)
   
松前: ほとんどそうですね。確かその月からですね。
   
大野: EXPOはやっぱり大きかったんだね。
   
松前: 今でこそ、メジャーとインディーズの差って、価値も流通もそれほど大きく変わりませんが、当時はメジャーってやはり違ったんでしょうかね~。
   
大野: 環境とか、作業には変化があった?
   
松前: それはあんまり変わらないんですけど。幸い、EXPOでデビューしたころから、いろいろ仕事をいただくようになって、それまでと違って、依頼されて音楽を作るようになりましたね。
   
大野: EXPOの曲って、当時、すごいテレビのBGMとかで使われていたよね。
   
松前: そうです。それで、ちょうどセディックの石原さんと知り合って。
   
安部: 現ポケモンの石原恒和さんですね。
   
松前: 小尾さんから遠藤さんつながりでいろいろな人を紹介してもらって。石原さんと一緒にフジテレビの映像の仕事をいろいろやらせていただきました。
   
大野: あれ……このころ、サイトロンが関係したテレビ番組とかあったような……。夜中の番組で。
   
松前: 80年代後半、セディック制作、フジテレビ放送でゲームとかコンピューターを題材にした深夜番組って結構多かったんですよね。そういう番組のテーマ曲とかやらせてもらったりして。
   
大野: 当時、攻略ものの映像のときも制作請負は石原さんとこだったからね。EXPOのバンドコンセプトはどういうものだったの?
   
松前: EXPOのコンセプトは「機械のダメさに愛情を」、「間違い方の研究」みたいなのがあって。EXPOの名は、70年の大阪万博からとっているんですが、当時は必要もないのに手とか足とか顔がついてるロボット達がいて、そういう機械のかわいさ、いとおしさ。言われたことを忠実には出来るけど、それしかやらない応用力のなさ。間違いまで正確に再現しちゃう生真面目さとか、哀れさ。もはやそのダメさがかわいくさえ思えるというテクノロジーの哀愁、これを打ち込みで表現するのがEXPOのコンセプトとしてまとまっていったんです。なのでシーケンサーをものすごい酷使してバグをみつけたり、エラーを起こさせたり、そういうことで打ち込みを考えていました(笑)。たとえばそういったシーケンサーは、ヘタな演奏を録音しても、後で8分音符とか16分音符とかの正確な位置に修正するクオンタイズという機能があるんですが、演奏があまりにヘタすぎると、別の位置に認識されてしまう。つまり四捨五入の範囲に入らないで、別の位置にいっちゃう。そうすると、とんでもなくヘタなリズムになったり。そういう位置を微妙に調整してリズムを作ったりしていました。
   
安部: 聴いてて気持ち悪いグルーブというか……。
   
松前: グルーブなんて次元じゃない、ひどいビート(笑)。まったく踊れない。友人に「このCD,カーステレオで聴いてると、交通事故起こしそうになる」って言われて、まさにそういうことをやりたかったので、一番の褒め言葉でしたね(笑)。
   
安部: 面白い実験的なことをたくさんやってたんですね?
   
松前: いっぱいやりました(笑)。たとえば、生演奏の楽器が左から右に動いて演奏する。マーチングバンド(鼓笛隊)の概念ですよね。これを本来は動かさないはずのグランドピアノでやってみよう、という発想で、実際にスタジオでグランドピアノを押してゴロゴロ音をたてて収録したり。他の「ハレはれナイト」というオムニバスアルバムに収録した曲は、打ち込みで生演奏っぽいフレーズを再現するんだけど、いわゆるDTMの世界のリアルさじゃなくて、サンプラーで音程をかなり微妙に変化させて打ち込みでリアルにして、逆にバックに流れてる電子音みたいな音は、実は生のトランペットの演奏をエフェクターで加工しまくっていて、「何のために生演奏にしたんだ?」っていう台無しな感じにしたり(笑)。音程やリズムがズレまくってるのはかなりたくさんあります。まったく不適切で不要な電子音がピッって入ってたり、聴いている人をだますようなこととか、悪ふざけ(笑)。「何を意図してるの?」「ホンキなのかふざけてるのか?」みたいなこと。
   
大野: それはレーベルの方向性とは違っていた?
   
松前: EXPOは小尾さんがもくろんでいたゲーム・ミュージック・バンドとは残念ながら違っていたかもしれませんね。ゲーム・ミュージックのファンをつかめたかどうかは……。
   
安部: ゲームっぽい感じの曲もありますよね。あれは小尾さんの意見なんかが反映されてるということですか。
   
松前: ゲーム的な音楽であったのは間違いないと思います。元々あったバカっぽさとか、チープな音を使う感覚とか、いたずら心とか、突然音楽が切り替わるとか。レーベルとしては、ファミコン的なそのときのゲーム音楽じゃなくて、その次にくるような、カッコいい方向というか、デジタルやハイパーといった当時の未来感みたいなイメージの方向性を求めていたと思うんですけど、もはやEXPOはマシーンやテクノロジーの哀愁部分をやってた訳ですから、まったくカッコいいイメージじゃないですよね(笑)。ダサダサのヘタウマが楽しかった。そのデジタルとかハイパーなイメージのアーティストを出す、という部分はS.S.T.BANDのほうで実現することになったのかな。

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