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2009.08.05

 
プログレ少年、中学生にして自主録音を始める
大胆不敵! 高校入学2か月で即興ソロライブ敢行!
夢は東京でライブ! 千葉はほとんど東京か?
大学休学、亀戸移住!? そしてきどりっこ結成
(おそらく)日本初のGMバンド、G.M.O.バンド誕生
 


GA-COREをご覧の皆様、サイト編集人の大野です。今回のインタビューは、ついにあの松前公高さんの登場です! 永いお付き合いをさせてもらっていることもあって、無謀にもインタビュアーを買って出ました。シロウトの強みで松前さんの深いところまでえぐってみせます。ただし、文章表現力は過去のインタビュアーのお歴々とは明らかに劣るのが目に見えているので、いつもお世話になっている編集・ライター兼ビデオゲーム・バー『16SHOTS』の店長、安部理一郎さんに全面的なヘルプを頂きお届けいたします。 それでは、今月1か月どうぞよろしくお付き合いください!
 

  <出席者紹介>
松前公高
63年生まれ、大阪市出身。きどりっこ、コンスタンスタワーズなどのバンドを経て、『エキスポの万国大戦略』で山口優とのユニット・EXPOとして87年アルファレコードよりレコードデビュー。90年、S.S.T.BANDのHARRIER(Key.)として数々の作品を発表、ライブ活動を行なう。並行して東京少年、松岡英明などのライブサポート、94年にファースト・ソロアルバム『SpaceRanch』をリリース。その後はTV、映画、マルチメディア、ゲームと幅広いジャンルで作曲、編曲、アレンジを手がける。ゲームでは『KILEAK,TheBlood』、『サンパギータ』、『玉繭物語』、『びっくりマウス』などが代表作だが、当コーナーの読者にはG.M.O.レーベルの『タイトー・ゲーム・ミュージックVOL.2 ダライアス』におけるアレンジ、『THEKONAMICGAMEFREAKS矩形波倶楽部』における『もえろツインビー』のアレンジなどが忘れられないだろう(その後のアレンジやマニピュレートの多くも氏の手によるもの)。近年では、アーティストユニット・うるまでるびとのコラボによる「おしりかじり虫」が大ブレイク。その一方で愛機MS-20を背負い、精力的にライブ活動を行なっている。
   

 
●プログレ少年、中学生にして自主録音を始める
   
大野: 第8回目の今回はS.S.T.BANDでキーボードを担当していた松前公高さんです。結構ボリュームあるインタビューなんですけど、よろしくお願いします。
   
松前: よろしくお願いします。
   
大野: いままで他の方のインタビューでは時代を追って来てますので、今回もその形式で、松前くんのヒストリーをすべてお聞きしたいと思います。
   
松前: わかりました。
   
大野: 1963年、大阪生まれなんですね。兄弟は?
   
松前: 兄貴がひとりいます。男二人兄弟。
   
大野: 幼いころの音楽体験は?
   
松前: 4歳か5歳ぐらいからピアノを習わされていました。そのときはイヤでイヤでしょうがなくて。単純に運動が嫌いだったから、指の運動すらも鍵盤が重たくてイヤで。ちょうどその時に、エレクトーンとかが出てきて、母親がエレクトーンを習い始めて。それで、こっちのほうが楽だから、「こっちやりたい!」って、小学生5年のときにピアノをソナタまでやったあたりで、エレクトーンに変更になりました。
   
大野: あ、じゃあ、最初はピアノ?
   
松前: そうですね。無理矢理、習わされてた感じですが。
   
安部: (ツッコミ役兼書記として同席したライター安部)エレクトーンに移行したのは鍵盤が軽かったからですか?
   
松前: そう、単純に鍵盤が軽いから(笑)。あとは足鍵盤がおもしろそうだった。
   
大野: それで、ヤマハのエレクトーン教室か何かに?
   
松前: あ、便宜上エレクトーンと言いましたけど、実際は違うんです。エレクトーンはヤマハの登録商標ですから。ヤマハじゃなくて……うちの父親は松下電器に勤めていて。家電製品は全部松下製品だったんですよ。だから電子オルガンもテクニトーンという、松下の製品だったんです。
   
安藤: (同席していたユーブック安藤)松下のオーディオ部門はテクニクスですものね。
   
大野: 足踏みじゃないの?
   
松前: 基本的にエレクトーンと全部一緒ですよ。2段鍵盤と足鍵盤があって、ボリュームペダルがある。メーカーが違うだけですね。これで指が少し楽になって、エレクトーンをいじり始めた。そうするとプリセットの音色に「トランペット」とか「ピアノ」とか書いてあるんですけど、実際に鳴らすと全く違う音。そんなもんなのかなと思っていたんですけど、そんなことをしているうちに、小学校6年のときにロックとかに目覚めました。最初に衝撃を受けたのは10ccの『I'm not In Love』。「ああ、すごい曲があるなあ」って思って、コーラスのサウンドが不思議でしょうがなかったんです。
10cc 「I'm not in Love」
「月並みなラブ・ソングは作りたくない」とのコンセプトで、様々なコーラスを重ねに重ねる作業から生まれた曲。アナログMTRしか存在しない時代にこれだけのコーラスのサンプル録り+ミックスは相当な作業だったはず。75年全英1位、全米2位を獲得、CMソングでもたびたび使われる。
   
大野: プログレといえば、プログレ?(プログレッシブ・ロックの略)
   
松前: 10ccはプログレには分類されないけど、プログレ的な要素は多少ありますよね。ブリティッシュ・ロックですね。
   
安部: それはどこで聴いたんですか? ラジオ?
   
松前: はい。ラジオですね。それから中学ぐらいになるとトッド・ラングレンズ・ユートピアの「悪夢の惑星」というアルバムが衝撃でした。そこからイエスとかジェネシスとか、どんどんプログレッシブ・ロックに傾倒していきます。最初は音楽的に好きだったんですが、そういう音楽は、シンセを多用していましたから、エレクトーンを触ってる時期と重なって。自分が演奏している楽器ではあんないい音が出ないのに、なんでこのオルガンはいい音なんだ?とか、まだシンセを知らずに、不思議に思ってました。どんどん興味が出てきて、不思議な音が入っている曲が自分の好みだとわかりました。これが、プログレッシブ・ロックだということも。
イエス「危機」
ロック系のディスク・ガイドでは必ず掲載されているほどの名盤とされるイエスの代表作。アルバムでありながら3曲しか収録されていないことも驚くが、一聴して限りなく広がる「音の可能性」は、ありとあらゆる技巧を駆使して制作された、プログレッシブ・ロックならではのものか。最近SHM-CDで再発売されたのでこれからという方はそちらをオススメ。
   
大野: 初めてシンセ買ったのは?
   
松前: 中3ですね。
   
大野: 中3! 最初に買った機種は?
   
松前: ローランドのSystem-100の、Model 101っていうシンセなんですけど。
Roland SYSTEM-100 Model 101
1976年にローランドが発売したモノフォニック・シンセサイザー。シンセ部分以外にエクスパンダーと呼ばれる拡張キット(Model 102)、ミキサー(Model 103)、シーケンサー(Model 104)、スピーカー(Model 109)を別途購入、追加できるのが特徴。Model 101のシンセ部分は1VCO、1VCF、1VCA、1ADSRというシンプルなアナログ・シンセとなっている。Model 101のみの価格は128,000円、フルセット購入では40万弱。
   
大野: 鍵盤があって、左側にコンソールがあるタイプ?
   
松前: いや、いろいろな部分から構成されてます。スピーカーとかシーケンサーがセットになっていて別々に購入する形なんです。その真ん中の部分だけ。
   
大野: モーグみたいでかっこいいね。お兄さんとかは音楽的なことはやってなかったの? よく、兄貴の影響で……とかあるじゃない。
   
松前: ありましたよ。フォークをよく聴いてましたね。日本のロック……チューリップを聴いていたので、その影響は大きいですね。
   
大野: 63年生まれだと、70年代がすぐそこだった。
   
松前: 実際に聴きはじめた時期は70年代中盤から後半ですね。
   
大野: 音楽ってその時代が激変の時代って感じじゃない。1年で流行りが代わって。
   
松前: 大野さんは70年代前半ぐらいでしょ?
   
大野: そうそう。いまだにそこで止まってるの(笑)
   
松前: 僕は、思春期が70年代後半だったので、もうちょっと後ですね。プログレがかなり進化してた時代、パンクが出てきて、テクノポップが出てきて。76~78年のサウンドが一番好きです。
   
大野: 俺はディープ・パープルの『スピードキング』にビックリした世代。72~73年かな。
   
松前: なるほど。僕はそれがプログレでしたね。で、その次の衝撃、となると、タンジェリン・ドリームとクラフトワークというふたつのバンドをはじめて聴いた時です。あまりに今まで聴いてた音楽とかけ離れていたんで、ビックリして。
   
 
Tangerine Dream 「Phaedra」
67年結成のジャーマン・ロックバンド。74年発売のこのアルバムは同バンドの電子音楽化が盛んなころの作品で、EMS VCS3、モーグ、メロトロンといった電子楽器が絡み合い、独特のグルーブを紡ぐ。今聴くと新しさは当然感じないが、74年にこの音楽は事件だった。
Kraftwerk 「ヨーロッパ特急」
68年結成の電子音楽楽団。活動中期のクラフトワークはタンジェリン・ドリームよりはポップ寄りだが、工業的な音をサンプルネタにして(サンプラー登場以前から)、リズムを組み立てる手法はやはり斬新。このアルバムでは列車の連結音などがリズム・トラックに使われている。
   
大野: クラフトワークってヨーロッパでしょ?
   
松前: ドイツです。
   
大野: ジャーマン・ロック? ジャーマン・テクノというカテゴリとは違うの?
   
松前: ジャーマン・テクノは90年代以降のものを言うんじゃないかな?。当時のものは、まだテクノって言葉もなかったからジャーマン・ロックの一つというくくりでしたね。そこにはロックバンド系も、電子音楽系も含むという感じです。
   
安部: タンジェリン・ドリームってデビューはいつでしたっけ?
   
松前: デビューは70年ですね。そのころはシンセサイザー音楽って感じじゃなかったけど、僕が聴いたのは「フェードラ」というアルバムで、シンセがいっぱい入ってました。
   
安部: そうですよね。
   
大野: プログレっていうと……イエス、ピンク・フロイド、EL&P、キング・クリムゾン、ジェネシス……って、5大バンドがあって……。
   
松前: そういうのを聴いて、レコードを買いあさりはじめるんです。中でもイエスとジェネシスが好きでした。
   
安部: 経済的にはどうだったんですか? お小遣いは結構多めのおうちだったんでしょうか?
   
松前: いや、まったく少ないということはなかったけど、月いくらって……決められてて。
   
安部: まだ貸しレコード屋とかもないですよね。
   
松前: もちろんないですね。ラジオでエアチェックして、何か月かに1枚だけ買えるとかで。考えに考え抜いて買う(笑)。
   
大野: ところで、買ったシンセで録音するという考えはあったの?
   
松前: 当時すでに冨田勲氏とかがシンセで多重録音して制作していたというのは知っていましたので、それをやろうと思ってましたね。でも、テープレコーダーが問題……兄貴がラジカセを持っていたのと、家に英会話とか、会議用の平べったい音質の悪いテープレコーダーがあったので、それを借りて。あとはミキサーを自作して。2chを1chにするだけの、ただ可変抵抗器をつないだだけのヤツ。それを使って、ひとつを再生して、それにあわせて演奏を重ねてこっちのテープレコーダーに……ピンポン録音ですね。一個ずつ音を重ねていくんですが、この2台でテープの回転数が違うんです(笑)
   
安部: 出た! テープのピッチ問題(笑)
   
松前: どんどんズレていくの。ノイズも増えていくし、5~6回重ねたらもう無理ですね。ノイズに埋もれた音になっちゃいます(笑)。
   
大野: そういうのって、オリジナルの曲?
   
松前: そうですね、すべて自分で作曲というか、曲と言えるようなモノじゃなかったですが。
   
安藤: 音源残ってるんですか?
   
松前: 残ってますよ! 残そうと思ってテープに番号付けて大量に残してあります。
   
大野: それは、デジタル化して?
   
松前: 最初はカセットでそのまま持っていたんです。
   
安部: それが97年に出した4枚の作品集『あなたはキツネ』に入ってるものですか?
あなたはキツネ1~4
97年に自主制作でリリースした、松前氏の過去作品集。インタビュー中に登場する、学生時代の松前さんの試行錯誤がこの4枚に凝縮されている!
   
松前: そうです。自主制作で。オトナになってそのテープ聴いたらひどく音が悪くなっていたんで、はやいうちにデジタルデータ化しておこうと。せっかくだから、CDとして出しちゃうのもおもしろいかな、と思って、昔のものを全部掘り起こして編集してCDを作ったんです。あくまでディープなファンと自分自身の為の記録集ですが。
   
大野: ところで、最初に買ったレコードって何でした?
   
松前: 最初に買ったのはたぶん、小学生のとき……野口五郎の『青い林檎』か……。
   
大野: Y.M.O.は?
   
松前: Y.M.O.は高校になってからですね。クラフトワークのほうがずっと先だったので直接的な衝撃はなかったのですが、もちろん嫌いな訳はなくて、聴いてましたよ。クラフトワークやタンジェリン・ドリーム、クラウス・シュルツなどのほうが好きだったのでそっちがメインで。
   
安部: ソースはラジオですか?
   
松前: ラジオですね。渋谷陽一のNHK-FM『渋谷陽一のヤングジョッキー』とか、『軽音楽をあなたに』。FM大阪で『ビートオンプラザ』というアルバムを全曲かけてくれる番組や、ジェットストリームなどをいつもチェックしてました。
   
大野: そんな中、多重録音をやって。
   
松前: といっても、もうデタラメですよ。ひどいものでした。シンセも1台しかないし、モノフォニックなんで(※1音しか同時発声できない。和音がでない)、シンセでビヨーンって音出しながら茶碗叩いたりとか、声出したり、ピアノやエレクトーンとか重ねて。
   
安部: 家にあるものをすべて(笑)
   
松前: 音が出るものはすべて使う(笑)これは今でも変わりませんが(笑)。
   
大野: 工学部に行ってるだけあって、そういう興味もあったのかな?
   
松前: 小学生の頃は、当時流行っていた海外のラジオを聴くBCLというのに、ハマってましたね。それでアマチュア無線の免許を中学1年の時に取って、父親をうまく巻き込んで、家にアンテナ建てて、無線でいろんな人と話をしました。メカ好きのこんな感覚と、音楽への興味が、シンセでつながったんですかね。自作もしました。ラジオとかよりも、先ほど言ったミキサー、エフェクター……スプリング・リバーブとかディストーションとか作りましたよ。
   
大野: 多重録音もやりつつ、バンド経験は?
   
松前: 中学のときに、最初にバンド組みました。そのときは、やりたい曲を持ち寄ったらグチャグチャになるパターンで……。エアロスミス、チューリップ、10cc、E.L.O.、ビートルズ……憂歌団もやろうか、とか、えらいことになってて(笑)。
   
大野: 同じ方向性のメンバーってなかなか集まらないよね、バンド人口まだ少ないだろうし。
   
松前: 学年で……何人かしかいなかったですね。
   
安部: 中学生にしてはバリエーション豊かですね(笑)
   
松前: そうですね~。
   
安部: 松前さんが中学生時代のE.L.O.というと、シンセサイザーって感じじゃない時代ですか。
E.L.O. 「Out of the Blue」
オタク音楽愛好家にはE.L.O.といえば古くは「DAICON」、近年では「電車男」によるオタク・アンセム『Twilight』があまりにも有名だが、その少し前のE.L.O.はギター、シンセ、コーラスも入り乱れつつも、しっかりテイストは変わらないさわやかな良き時代。機会があればぜひ。
   
松前: 78年……。シンセも弦楽器もいい感じで入っててメロディアスで。実際にカバーしたのは初期の『Daybreaker』という曲で、シンセのサウンドが印象的なものでした。
   
大野: ジャケットが宇宙船のヤツかな(※『アウト・オブ・ザ・ブルー』1978年。ジャケット・イラストはナムコ『ボスコニアン』のポスターでおなじみの長岡秀星の手によるもの)
   
松前: 一番好きで聴いてたのはそのころのE.L.O.ですね。
   
大野: 前々回の佐野さんのインタビューのときにも出たけど、Y.M.O.とE.L.O.を間違えられたって話があったけど。じゃあ松前くん自身は、Y.M.O.のウェイトはそんなに大きくない?
   
松前: 大きくなくはないですけど、洋楽のほうが圧倒的に多くて、いろいろ聴いていたので。
   
大野: 意外だなー。後々のY.M.O.関連の人物との出会いとか考えると、Y.M.O.キッズの流れかと思ってたんだけどね(笑)
   
松前: もう少し世代として上なんでしょうね。源流はジャーマン・ロックですね。さっき言ったクラフトワークやタンジェリン・ドリーム。クラウス・シュルツ、アシュ・ラ・テンペルとか、ノイ!、デュッセルドルフ、クラスターとか、どんどん深みにハマっていってました。
   
安部: クラフトワークは『ショールーム・ダミー』ぐらいからですか?
   
松前: 『ショールーム・ダミー』をはじめてラジオで聴いて、直後に『人間解体』が出たという頃です。中学三年だった。
   

 
●大胆不敵! 高校入学2か月で即興ソロライブ敢行!
   
大野: 高校まで大阪?
   
松前: そうです。高校は四條畷高校という所で、音楽活動どんどんやるようになりました。文化祭が6月にあるんですけど、1年生で入って2か月しか経ってないのに、ソロでライブをやりました(笑)。体育館で1年生が即興演奏。名前が「松前公高」だから、みんなにはどこかの公立高校からバンドが来て演奏やるのかと思われていたようです。今聴くとひどいものだと思いますけど(笑)
   
大野: オリジナル曲で?
   
松前: オリジナルですね(笑)。テープ流しながらビャーとか、ビロビロビロとか鳴ってるだけなんですけど。怖いもの知らずで。ははは(笑)
   
大野: じゃあバンドみたいなものは、あんまり通過していない。
   
松前: いや。高校では友達のフォークバンドの手伝いとか。中学時代と違って、このころにはプレイヤー人口も増えて、やりたいこともまとまってきますから。あと、部活で吹奏楽をやったんです。中学ではトロンボーン、高校ではドラム、パーカッションなど打楽器全般。かなり練習がハードで、朝、昼、放課後と毎日机を叩いて練習してました。コンクールが夏休みにあって、それが青春だったんだけど、成績はパッとせず、大阪府大会止まりでしたね。プログレを聴いてるときって、特にドラムが好きで。キング・クリムゾンのビル・ブラッフォードとか。ドラムの音を中心に音楽を聴く傾向があったので、実際にドラムをやるのが楽しかったです……。
   
大野: ブラスバンドが青春だった。自分もブラバンで、トランペットだったけど、野球部の応援ばかりで、夏休みが削られちゃうんで、早く負けろって思ってたけど(笑)。
   
松前: (笑)。暑いですよね、高校野球の応援。あとね、もうひとつの目標があって。当時ローランドが「シンセサイザーテープコンテンスト」というのをやってたんです。審査員が冨田勲氏などすごく豪華で。録音物だけで審査するコンテストなので、自分にも可能性があると思って応募しました。高校1年のときは、あっさり落選したんですけど、2年のときに少し技術向上させて応募したら、入選しちゃったんです。当時、最年少の入選ということで、広告に使われたりして、うれしかったですね。賞金はなかったけど、小型のエレクトリック・ピアノをもらいました。表彰式で、現代音楽作曲家の諸井誠氏に「才能あるかも」という寸評をもらって、この一言が人生を大きく変えました。プロになることを決意させた事件だったんですね。
   
大野: 大きなきっかけだったんだね。ではバンド活動はじめたきっかけは?
   
松前: 高校2年の時の文化祭で、吹奏楽の先輩に誘われて、Y.M.O.のコピーバンドやりました。ローランドのショールームが大阪にあって、大きいモジュラーシンセSystem-700(※シンセサイザー)が置いてあるんです。MC-8(※Y.M.O.も使っていたシーケンサー)も出たばかりで。「あれで打ち込もう、ショールームなら使い放題だから!」って話になって。
   
Roland System-700
前出のSystem-100の後継というか、あまりにも巨大なコンポーネント・シンセサイザー。フルセットはなんと265万円。7つのコンポーネントから機能を拡張していけるのはSystem-100と変わらず。メイン・コンソールだけで86万円するのでプロしか買えないシロモノだった。
Roland MC-8
これなしにY.M.O.は語れない、世界初のデジタル方式シーケンサー。メモリー容量は5400ステップ、8系統のCV/GATE出力を持つ。さらに、データレコーダーにより打ち込みデータの保存が可能になった。初物づくしの優れものだが、お値段もビックリ120万円。77年で120万円というと、ケンメリのスカイラインが150万円以上だった模様で、いまでいうと300万ぐらいの感覚でしょうか。
 
安部: あれでって(笑)
   
松前: 安易にね(笑)。まだ無知だから、「あれで打ち込んで、あれで鳴らしたら、すごい事ができる!」みたいに考えてたんでしょうね(笑)。シンセ使って録音して、それをカラオケにして手弾きでできないところはやろうと考えたんだけど、当然ながら、全然打ち込めない。使い方もわからないわけですよ。ショールームの人に話していろいろ聞いたりしてるうちに、ショールームの人が「じゃあやってあげますよ」って、一日かけて『Rydeen』と『Tong Poo』を打ち込んでもらった。(一同笑)
   
安部: いい時代ですねえ。ショールームの人がやさしい時代(笑)
   
松前: 高校生がMC-8とSystem-700を一日マニピュレートしてもらってって、考えてみると大胆不敵ですよね(笑)。といってもシーケンスのフレーズ一つだけなんですけどね。それを録音したテープに生演奏を重ねて、なんとかY.M.O.のコピーバンドはうまくいきました。 高校3年になってからは、ニューウェーブが出てきたころで。バンドでブライアン・イーノの曲と、トーキング・ヘッズの曲と……。更に、ノイズ系とか、即興演奏とか、そういうところに興味が行くんです。フレッド・フリスというギタリストが来日するんですけど、ギターをテーブルの上に置いて、こすったりしてノイズを出す音楽。それでまた大衝撃を受けて。高校生だからもう単純にマネして自分でもやってみたり……(笑)。
   

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