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株式会社アイエヌエイチ
株式会社ウェーブマスター
2009.10.14
 
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●「サイバリオン」でコンポーザーデビュー
   
鴫原: 正式に開発部署に配属されて、最初に任された仕事はどのようなものだったんでしょうか。
   
渡部: ビデオゲームの効果音制作とかサンプリングですね。ちょうどPCMでサンプリングを使い始めるようになった時期で、沖電気の5205っていう周波数が8キロヘルツぐらいしか入らないやつを使っていたんですけど、みんな使い方がわからない状態だったので「まずは新人のお前がやってみろ」みたいなかんじで言われて作ってました。どちらかというとマイナータイトルのSEばかり作っていたのですが、有名どころだと「ニンジャウォーリァーズ」のSEも私が制作を担当しました。また、「ニンジャ」のときにはYM2610というFM音源を初めて使うことになったのですが、これも初物だからということで「渡部にやらせろ」みたいな形で自分が任されました。
   
安藤: なんか人柱的な状態ですね。
   
渡部: ええ、日々もう大勉強会を繰り返しているみたいでした。で、だんだんやり方を覚えてきたら、みなさんにやり方がわかったすよーとか、ここ、こういじれば音変えれるっす、みたいなお話をしたりしてましたね。
   
鴫原: SEとかを作るときは、「今度こういうゲームができるから、こんなイメージの音を作ってくれ!」みたいな形のオーダーに沿って作るわけですよね?
   
渡部: いや、まだそこまでのレベルにはいってなかったですね。まず初めに素材集とかからいろいろな音をサンプリングをしてから、その中からこれが使えそうだから使ってみよう、といった方法で作っていましたね。で、そんな仕事をやりつつも、「お前は音のことをまだ知らなさ過ぎる!」と言われましたので、当時小倉さんが作曲するときに使っていたS50を、小倉さんが仕事を終えて帰った後にお借りして音が鳴る仕組みとかを勉強しました。ですから、いつも夕方になると小倉さんの後ろで、「早く仕事終わらないかなあ~」なんて思いながらずっと待ってました(笑)。そのうち、自分で直接打ち込みで音を作れるようになり、やがてドライバーも自作するようになりましたね。
   
鴫原: ではBGMの作曲を本格的に任されるようになったきっかけは?
   
渡部: やれと言われる前に、自分のほうから「俺にやらせてくれ!」ってこれまた直訴しました(笑)。そうしたら三辻さんから、「渡部君って確かサウンド担当になったんだよね? 今こういう企画やってるんだけど……」ってお話を聞かされたんですよ。ハイ、ぜひもうやりたいですって言ったら、いつの間にかサウンド担当になってました。
   
鴫原: で、その三辻さんが企画した「サイバリオン」がBGM作曲デビュー作になったと。
   
渡部: はい。新人の私がいきなり任されたので、ZUNTATA内部で小倉さんを交えてえらい騒ぎになっちゃいまして……。今思い返すと、小倉さんは私一人では絶対最後までできないだろうなって、もう初めから覚悟をしていたようでした。実はひとつ上の先輩だった高木(※高木正彦氏のこと。通称mar.)さんも似たようなパターンだったらしいので、もうこのときには既に免疫がついてたみたいです。ただ、あの人は高校時代にギターをやっていた分、私のケースではそれよりももっとエグかったと思います(笑)。
   
大野: 渡部さんが途中で根を上げたら、その都度「俺が助けてやろうか」みたいなかんじでヘルプを出すわけだね。
   
渡部: そうですそうです。ただ、昔から負けん気だけはあったので根は上げなかったんですけど、途中でどうしても思ったとおりの音が出なかったりして無茶が出ますから、そうなった場合は小倉さんに助けていただきながら作っていました。
   
鴫原: 制作期間はどれぐらいだったのですか?
   
渡部: だいたい3ケ月ぐらいですね。
   
鴫原: それは短い!
   
渡部: 当時はまだ譜面も読めない状態でしたので、自宅で勉強しながら読めるようにしました。しばらくしたら、譜面にいったん起こすよりも直接打ち込むほうが早く作れることがわかったので、後半になってからはダイレクトに曲を打ち込んで作っていましたね。
   
鴫原: で、曲をひとつ作るたびに、小倉さんにチェックしてもらいながら完成させていったと?
   
渡部: いや、そんな状況ではなかったです。やっとこさで音が作れて、本格的に曲を作り始めたのが、実は締め切りの1週間前だったんですよ。もうホントに何から何までメチャクチャで……。
   
大野: でも、頭の中にはちゃんと曲のイメージは出来上がってたわけでしょ?
   
渡部: それが違うんですよ(笑)。もう思いついたフレーズを片っ端から打ち込んでいるような状態だったので、「渡部君、さすがにこれはマズイぞ!」って小倉さんに言われちゃいまして。それで、小倉さんに最後の仕上げを手伝っていただいてどうにかこうにか形になったというかんじです。それにしても、今思えばこんなんでよく世に出たなあと。ホント、三辻さんや他のスタッフのみなさんに申し訳なかったですね。
   
鴫原: ちなみに、効果音の制作も渡部さんの担当ですか?
   
渡部: ええ。そうなんですけど、これは自分でイチから全部作ったわけではなくて、PCMで元の素材から取り込んだものを加工して作っています。
   
鴫原: いろいろとご苦労の末に無事製品化されたわけですから、初めて自分が作った曲がゲームセンターで実際に流れるのを聞いたときには、かなり感動なさったのではないでしょうか。
   
渡部: いや、それよりも作っている最中に自分で思ったような音がうまく作り出せなくて、ものすごく悔しかったことのほうが思い出深いですね。この仕事を通じて、自分は音の知識がもう絶対的に足りていないと痛感しましたから、これはマズイなと思ってそれ以来ものすごく勉強しました。
   
サイバリオン
「サイバリオン -G.S.M.TAITO 3-」:Yack.氏の記念すべきアルバム化第1号タイトル。「チェイスH.Q.」の曲も同時収録されている。
鴫原: そして、後にサイトロンG.S.M.シリーズで「サイバリオン」がCD化されてアルバムデビューも果たすわけですね。
   
安藤: アルバムの発売が1989年ですから、ゲームが出てちょうど1年ぐらいたった頃になりますね。
   
鴫原: CDが出ると最初に聞いたときは、きっと感動なさったのではないでしょうか?
   
渡部: 最初にアルバムになると聞いたときは、正直あり得ないだろって思いました。今まで一度も作曲をしたことがない人間が作ったBGMをCDにするだなんて、ホント信じられないことですよ(笑)。しかも、自分で完全な形で思いどおりに音を作れていない曲ばっかりなのに、こんなの普通絶対あり得ないですよ! もちろん、当時の自分としては最大限の努力はしてるのですが……。
   
大野: 実は「サイバリオン」のレコーディングのときは、自分がサイトロン時代に経験したスタジオ使用時間の歴代最長記録を作ったんだよね(笑)。
   
渡部: ええ、ここでもメチャクチャ状態でしたね(笑)。
   
大野: 当時のサイトロンの社長は現場にあまり口を出す人じゃなかったんだけど、このときばかりは「オイ、こんな請求が来てるんだけど、いったいどういうことだ!」って注意された記憶があるね。そうそう、確かCDにはアレンジ曲も入ってたよね?
   
渡部: ええ、3曲入れてますね。レコーディングまでもう1週間もないような状態だったんですけど(笑)、そりゃ無理だろうということで、そのうち2曲は相談しつつのアレンジで小倉さんにまとめていただきました。当時はまだ自分で作った曲をアレンジするのって、いったい何をすればいいんだ、みたいな状態でしたからね。しかも、タイトー製品のアルバムにアレンジ曲を入れるのはこのときが初めてだったんですよ。それで、私も全然弾けもしないのにキーボード演奏をやりました。収録までの間、毎晩自宅で練習はしていましたけど。
   
鴫原: 初めてレコーディングに参加したときは、やはり相当緊張なさったのではないでしょうか?
   
渡部: いや、もうそれどころじゃなかったですね。とにかくモノを形にしなきゃと一生懸命になっているだけで、もういっぱいいっぱいの状況でした。今村さんから、「ハッキリ言ってお前が作った曲は曲じゃないからな」って言われてヘコミつつも、それでもなんとかしなくちゃいけないって、もう必死でしたね。
   
安藤: そうは言いつつも、収録時はエンジニアさんとか年上のスタッフのみなさんが優しくしてくれたりしませんでした?
   
渡部: ええ、もうまさにそのとおりでした。あの状況では、もう普通の人だったら絶対にブチ切れてますよ(笑)! 特に大野木(宜幸)さんは本当に親切にしてくださいまして、レコーディングのときにカップリングのもうひとつのタイトルを聴きながら、「小倉さん、これって曲としては出来上がっているけどつまらないよね」ってポロッとハッキリ言われたのを今でも覚えていますね。ウワッ、ヤベー、この人ってなんて優しいんだろうって(笑)。やっぱり、「マッピー」とか「リブルラブル」とかの名曲を作られたスゴイお方が、私みたいなド素人にわざわざそう言っていただけるのですから、じゃあもう燃えるしかないだろう、もっと頑張って仕事しなくちゃいけないなって思いましたね。それから、しばらく後になってから小倉さんから聞いたお話なのですが、大野木さんが「このコはもしかしたら後で化けるかもね」って仰っていたことを教えていただきました。
   
鴫原: いろいろ紆余曲折があったとはいえ、元々ゲーム自体もかなり人気がありましたから、CDのほうもかなり売れたのではないでしょうか?
   
大野: 確か2万枚とか、万単位で売れてたんじゃないかな。多分、「ニンジャウォーリァーズ」とほぼ同じぐらいの数は出ていたと思うよ。
   
渡部: エエッ、それ本当ですか!?
   
鴫原: で、無事出来上がった製品版を手にしたときはかなり感動なさったのではないでしょうか?
   
渡部: いや、もらった当初は正直とてもじゃないけど聴ける気分にはなれなかったですね……。それで、もっと自分自身の力でちゃんと曲が作れるようになってからあらためて聞こうと思って、2年間ぐらいはずっと封印しようと思いました。でも結局、後でライブでアレンジ曲をやるからって話が来ちゃったので、すぐまた聴かざるをえない状況になっちゃったんですけど(笑)。それからかはひたすら独学を重ねたので、しばらく後になって出た「ルナーク」ぐらいの頃になって、サウンドをちゃんと勉強して入社したきた新人のコと同等ぐらいのスキルがやっとこさで身についたんじゃないでしょうか。
   

 
●ZUNTATA時代の代表作「メタルブラック」制作秘話
   
鴫原: 渡部さんがこれまでに作曲を担当されたタイトルの中でも、やはり「メタルブラック」は外すわけには参りません。
メタルブラック
それまでのシューティング作品とは一線も二線も画す独特の世界観を構築した、ゲームミュージック史上において永く語り継がれるであろう名盤。その魅力は今なお色あせない。
   
渡部: やっぱりこのゲームのネタはお話しなきゃダメですか?
   
鴫原: それはもう! きっとたくさんのファンのみなさんが、このネタ目当てにインタビューを読んでいただいていると思いますし。
   
安藤: そういえば、渡部さんのホームページの「Studio Dual Moon」という名前も、このゲームの曲名から取ったんですよね?
   
渡部: ええ、確かにそうなんですけど、わりと自分の中ではどうでもいいかんじで、いっそのこと名前もみんな全部変えちゃおかなあ、なんて思ったりもしてます(笑)。
   
安藤: 「メタルブラック」は個人的にもかなり思い入れが深いんで、ぜひその辺の意味合いとかもぜひいろいろお話していたきたいんですが……。
   
渡部: と、言われましても、実はこの「Dual Moon(2つの月)」っていう言葉には、単純に2方向から照らす月とか、「銀と赤(光と血)」みたいな漠然としたイメージしかなくて、特に深い意味とかはなかったんですけどね。あ、そういえばこの曲って、イントロとかでポコポコ鳴る太鼓の音を作るときにブレイクビーツを使って作ったのですが、これを最初に使ったのは実は自分たちが初めてなんですよ。
   
鴫原: 丸ごとフレーズサンプリングしてたわけですね。
   
渡部: ええ、当時はまだフレーズサンプリングという言葉自体はなかったんですけど、この方法で実験的に作ってみました。
   
安藤: あと「メタルブラック」といえば、ステージが始まるごとにその都度曲名が画面に表示される演出は斬新でしたよね。このアイデアを考えたのも渡部さんですか?
   
渡部: はい、そうです。
   
鴫原: それから1面では、ちょうど曲が盛り上がるところとヤドカリが現れるタイミングがピッタリとシンクロした演出がカッコイイですよね。ここでも、やはりBGMを鳴らすタイミングを渡部さんが意識して調整をしていたのでしょうか?
   
渡部: もちろん意識していましたが、曲に合わせて絵を作るというよりも、絵コンテに合わせて自分が曲を作って乗せるみたいな流れで作っていました。ですから作曲というよりは、むしろ音をコーディネートしてゲームを作っているというようなイメージですね。
   
鴫原: 3面のBGMである「AREA 26-10」の曲名は、実在したFM音源(YM2610)から取ったものですか?
   
渡部: そうですそうです。
   
鴫原: では、エンディング~ネームエントリーの曲をゲームの結果に応じて2種類の曲に分けたアイデアもやはり渡部さんのアイデアですか?
   
渡部: ですね。
   
安藤: それから個人的には、渡部さんはサウンド以外の演出にもすごく関わっていらっしゃることが多いなあっていう印象があるのですが?
   
渡部: 言われてみれば確かにそうですね。さっき出てた「サイバリオン」の頃からそうでしたけど、ゲームについてやたらとイチャモンをつけてましたね。企画担当者に、この場面はこのままだとダサイからやめようよ、とか言ったりして(笑)。
   
安藤: ナルホド! 元々ゲーム企画志望で入ったわけですし、演出面でいろいろ意見を出していたというのも納得ですよね。
   
鴫原: そしてこの「メタルブラック」も、後にサイトロンでCD化されることになりました。
   
渡部: これって、大野さんに当時かなりプッシュしていただいたような気がするのですが……。
   
大野: アレ、そうだったっけ(笑)? 確かに「メタルブラック」については、当時発売していた1500シリーズとしては前評判も高くて、「久々の大型タイトル登場!」って期待が強かったけどね。
   
鴫原: 「メタルブラック」のアルバムのライナーを見ますと、ソフト開発担当のたらばー氏が「タイミングを合わせるのに、あと3/60秒遅く鳴らしてくれ!」などというリクエストが日常茶飯事にあったと書いてありますが、これは本当ですか?
   
渡部: はい。当時はもうホントにそんなかんじで、今で言うところのフレーム単位でタイミングを考えながら作っていました。私の場合、昔からずっとアニメ好きだったこともあって、制作スタッフがイタズラで描いたキャラクターとかが一瞬だけ出てくる、いわゆるモブシーンとかを見慣れていましたから、そういう影響を受けたせいでいろんなタイミングとかにもこだわっていたのかもしれませんね。
   
鴫原: モブシーンって、たとえば初代「機動戦士ガンダム」に一瞬だけ鉄人28号が出てくるみたいなネタのことですよね?
   
渡部: そうです。今でも知り合いとかに、「渡部さんって、何でそんなのに気がつくの?」ってよく言われますよ(笑)。
   
鴫原: 渡部さんご自身のコメントを見ますと、「日月火水木金土……」みたいなことをイメージして曲を考えたとありますが?
   
渡部: ええ、なんとなくですけど、ゲーム開発の初期段階で「人類が今までやったきたこと」みたいな流れがあったので、じゃあそれをわかりやすく言えば何だろうと考えたら、「日月火水木金土」かなって、そんなかんじで作っていたと記憶してます。
   
鴫原: と、いうことは1面のBGMである「Born to be free」は、物事が始まりを日曜日にたとえたイメージを元に作曲なさったということでしょうか?
   
渡部: う~ん、どうだったかなあ……多分、とにかく何かカッコイイことをやりたかったんでしょうね(笑)。なにぶん昔のことなので、もうハッキリとは覚えていないですけど。
   
鴫原: ライナーには「Take off」と「Born to be free」の2曲の楽譜が載っていますが、これらの曲を選んだのは渡部さんご自身がオススメしたかったからですか?
   
渡部: いえ、そうではなくて、単純に楽譜を載せることが当時はやっていたからやっただけの話で、自分としてはむしろ載せたくなかったぐらいでした(苦笑)。で、いざ載せようとなったときには、他の曲だと音符で譜面がビッシリと埋まっちゃうようなものばかりだったので、白玉(※2分音符とか全音符の類)が一番多くて楽譜自体がスッキリする「Born to be free」とかを選んだんですね。もっとも、それを見ながら打ち込みをして楽しみたいという人たちには、苦労が少ない分物足りないだろうなあとも思ってましたが……。
   
安藤: この楽譜は渡部さんがご自分で書いたものですか?
   
渡部: ええ、多分そうだったと思います。あと、当時って「ゲーメスト」とかゲーム雑誌のライターさんが、ライナーにいろいろコメントだとか批評とかを書いたりしていましたよね? 実は当時、これが自分の中でかなり嫌だったんですよ。なぜなら音楽がCD化されるということは、当然サウンド屋の立場から言えばすごく恵まれていることじゃないですか? でも、実際に自分たちといっしょにゲームを作っているのは、ライターではなくてゲームの企画担当者だったりソフト開発担当だったりするわけですよ。それなのに、何でそれを差し置いてライターとかが出てくるのかがすごく疑問だったので、小倉さんを通じて大野さんに掛け合っていただいた思い出があるんですよね。それで、これがきっかけとなって開発スタッフのコメントがライナーに登場するようになりました。以後、各タイトルのCDとかを最初に出すときには、サウンド以外のスタッフのコメントが載るようになったと記憶しています。割とそういった上司との交渉は昔からやっていたので、後輩からは慕われる傾向にありました。逆に、上のほうにはすごい嫌われますが(笑)。
   
大野: こちら側(レコード会社)の事情を話すと、サントラを出すたびにゲーム開発者のコメントも下さいと依頼しても、メーカーから難色を示されることが多かったんだよね。それで作曲者に加えて、ゲームの内容を踏まえて解説ができるゲームライターにお願いして、ライナーノーツを構成してたものがほとんどだった。でも、この作品がきっかけで、ゲームデザイナーや企画の方にも、CDのライナーに協力してもらえる流れができたのかもしれないね。
   
鴫原: だからこそ、「メタルブラック」のライナーには各開発スタッフのコメントがズラリと載っているわけですね。
   
安藤: 自分がサイトロンに入る前にスタジオ見学をさせてもらった時、ちょうど「メタルブラック」の収録だったんですよね。その時渡部さんに初めてお会いしたのを覚えてます。その時は純粋な基板録りではなくて、別々のトラックにパートごと収録して後でそれぞれの音をミックスしてマスターテープを作ってたような記憶があるのですが…。
   
渡部: そうです。純粋な基板録りではなかったですね。
   
鴫原: 「メタルブラック」のサウンドは、私のゲーム仲間やライター同士の間でも好きな人が多かったですね。実際、このCDはかなり売れたのではないかと思いますが?
   
大野: そうだね。「メタルブラック」の場合は、他のアルバムよりもロングセールをしたっていう印象があるよね。
   
渡部: ええ、初動はそれほどでもなかったんですけど、長い間ジワジワ売れていくようなかんじで。
   
大野: つまり、音楽としての息が長い作品だったってことだよね。普通はだいたい発売してから3ヶ月ぐらいで9割方の売上げはほぼ決まっちゃうんだけど、こと「メタルブラック」に関しては、まる1年間ぐらいず~っと売れ続けていたから、ちょっと他に例のないケースだったんだよね。
   
鴫原: 先月掲載した「GMCD20選」にも書かせていただきましたが、私などは今でもよく仕事中に「メタルブラック」の曲をパソコンのプレイヤーでかけてますよ! ホント、いつもお世話になっているので感謝しています。
   
渡部: そうやって今でもまだ聞いていただけることに関しては、本当に光栄ですとしか言いようがないですね……。なんでまたそんなに古い曲を聞いてくれるのかなあって。
   
鴫原: もう何百回も聞いていますけど、なぜか飽きがこないんですよ! あと余談になりますけど、最近では「太鼓の達人」シリーズに「Dual Moon」の曲が入ってますが、最初にこのお話を聞いたときのご感想はいかがでしたか?
   
渡部: 実はゲームが発売された後になって、石川君(※ZUNTATAの石川勝久氏。通称ばびー)から聞いたんですよ。
   
鴫原: じゃあ、開発当初はまったくご存じなかったと?
   
渡部: そうです。バンダイナムコゲームズのスタッフの中に、私のファンの方がいらっしゃったから実現したという話を聞きました(笑)。
   
鴫原: ご自分で作った曲が、そうやって他社製品の中で使われること自体は嬉しかったですか?
   
渡部: ええ、もうどうぞどうぞっていうかんじです。ただ、正直言うと作る前にひとこと先に声をかけてほしかったなという気持ちはありましたけど。
   
鴫原: ところで、「メタルブラック」の曲は後にZUNTATAがゲームミュージックフェスティバルで度々演奏を披露したと思いますが、渡部さんも実際に演奏をなさったのですか?
   
渡部: 最初に参加した1990年のときはマニピュレーターをやってました。当時は、まだ自分だけしかそれをできる人間がいなかったからですね。1992年以降は、ばびーと2人で交互にマニピュレーターをやるようになりました。
   
  
 

次回のインタビュー後編では、代表作「旋光の輪舞」シリーズをは じめ、個性あふれる渡部作品のさらなる魅力に迫ります。お楽しみに!



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★次回 渡辺恭久インタビュー 後編 は、2009.10.28公開です
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