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株式会社アイエヌエイチ
株式会社ウェーブマスター
2009.11.11
 
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●NMKに飛び込み営業をかけて入社
   
鴫原: アルュメをお辞めになった理由はなぜでしょうか?
   
並木: アルュメが自社で開発した音源チップを使って、あるとき「これで動くサウンドプログラムを作れ」という課題を出されたのですが、それをできるだけのスキルを持ってなかったということで、結局アルバイトをクビになっちゃったんです。
   
鴫原: それで、就職活動をせざるを得なくなったわけですね。
   
並木: はい。ゲーム開発の仕事はとても魅力的でしたし、ここが自分の居場所だと思っていたので何とか続けたいなとずっと思ってましたね。実は当時、さっき話した友人の渡辺君は、すでにウエストンという開発会社へ入社してサウンド制作の仕事を始めていたんですよ。彼はすごく才能があったので、すでにアーケードの「ライオットシティ」やPCエンジンの「バトルロードランナー」の曲を作ったりしてました。今度はその伝手を頼ってウエストンに履歴書を持って出かけたのですが、結局採用されなくて……。それで、これはもうマズイぞと思いまして、バイトして買ったMSX2とか、ローランドのS50やヤマハのTQ5とかの機材を使ってデモテープを作ってから職探しをすることにしました。
   
大野: そのデモテープの曲はハードロック調だったのかな?
   
並木: いえ、カワイイ系といいますか、コミカルなものだったと思います。当時はファンシーな絵柄もまだ多くて、そういう楽しそうな雰囲気のゲームが大好きで、そのイメージで作っていました。今も大好きなんですが、最近ではめっきり見なくなってしまい、さびしいです。
   
鴫原: 最終的に、NMKに入社されたのはいつ頃ですか?
   
並木: 1992年の4月ですね。
   
NMK社にてネオジオタイトルを開発中の並木氏
   
鴫原: この会社に決めた理由は?
   
並木: 自分自身が、「雷龍」とか「ハチャメチャファイター」とかを見てものすごい衝撃を受けたからです。特に後者については、あんなカワイイキャラクターがゲームで動くのか、とかなりのインパクトがありましたね。それで、こんなゲームを作った人たちといっしょに仕事ができたら楽しいだろうなあって思いまして、デモテープを持って行って自分から売り込みに行きました。
   
鴫原: まさに飛び込み営業状態だったんですね。
   
並木: ええ。面接が始まった直後は「ウチは今、求人募集はやってないんだよね……」って冷たく言われてたんですが、だんだんお話をしているうちに「ヘェ、キミはあんなゲームやこんなゲームもいろいろ知ってるね~」みたいなかんじで、私がかなりのゲーム好きであることをくみ取っていただくことができました。このとき面接を担当していたのが、偶然にも初代「雷龍」を作った方だったんですよね。で、その方と「ゲーマー談義」みたいなことをしていたら、やがて上の階から長髪でいかにもサウンド屋さんみたいな風貌の人が降りてきたのですが、実はその人が秀谷さん(※秀谷和則氏のこと。初代「雷龍」のBGM作曲者)だったんです。早速、その場でデモテープをお渡して聞いていただいたところ、すぐに指でOKサインを出して下さいました。本人がいる前でサインなんか出していいのかな~と思いつつも(笑)、「まあ確かに今は人手が足りないから、じゃあ来週から来てください」って言われて無事採用していただけました。
   
鴫原: NMKではアルバイト待遇だったのですか?
   
並木: もう大学は辞めることにしましたので、ここでは社員として雇っていただきました。親には本当に申し訳なかったですが、これからはマジメに社会人としてやっていくから、給料のほとんどを家に入れるから許してくださいとか言ってどうにか説得しました(笑)。
   
大野: 当時のNMKのサウンドスタッフは、その「雷龍」を作った秀谷さんと並木さんとの2人体制だったのかな?
   
並木: いえ、もう一人先輩がおりましたので、自分はサウンド担当の中では3番目になりますね。
   
鴫原: それで、「さんたるる」のお名前はここからついたんですか!
   
並木: そうですそうです。どういうわけか、入社する前から私を「さんちゃん」って呼ぶようになってたんですよね(笑)。当時のNMKはすごくアットホームな雰囲気で、なんだか会社というよりは家族みたいなかんじでした。
   
鴫原: 初めてサウンド制作を任されたゲームは何だったのでしょうか?
   
並木: 「超時空要塞マクロス」ですね。ロケテストをするにあたって、急遽BGMが必要だということになって私もボスのBGMを入れることになりました。もっとも、発売バージョンではその曲が使われなかったのですが……。
   
鴫原: では、製品版に自作の曲がちゃんと入った最初の作品は?
   
並木: サウンド全般を自分で作ったのは「ボンジャックツイン」が最初ですね。
   
鴫原: 初めての本格的なサウンド制作のお仕事ですから、途中で曲のイメージとかが浮かばずに悩んだりとかしませんでしたか?
   
並木: いえ、特にそういうことはなかったですよ。なぜかといいますと、自分は元々「ボンジャック」が大好きだったので、ゲームについてのイメージが自分なりに何となく自然に出来ちゃったからなんですね。好きなゲームの続編の開発ができるということで、もうかなりうかれちゃってましたし(笑)。それに、会社には自分が持っていた物よりもずっと高性能の機材もありましたから、環境的にもすごく作りやすかったですしね。
   
鴫原: この「ボンジャックツイン」がきっかけで、今後もこの仕事でやっていけるという感触をつかんだというわけですね?
   
並木: そうですね。それまで最後までやり遂げたものが何もない状態でしたから、このときはまだ商業レベルでのサウンド制作ができる水準に達しているのかどうか不安でしたので、まずは何とかそこまで到達しようと努めました。人より不器用だった分、時間をかけて一生懸命やろうと思っていたので毎日のように残業をしてましたね。後で周りのみなさんから、「おっ、この曲いいね!」とか言っていただいたり、渡辺君からも「頑張ってるじゃん!」などと言われたときは本当に嬉しかったですね。もう自分の居場所を見つけるのにとにかく必死でした。
   
鴫原: それは素晴らしいご経験をなさいましたね!
   
並木: 本格的なサウンド制作は初めての経験でしたが、とにかく肝だけは据わっていました。ここでまたクビになってはマズイ、居場所がなくなったらタイヘンだと、何事にも一生懸命になって取り組みましたね。先輩からプログラムのリストとかROMのデータを見せられたときも、「これはこうなってるんだ」とか説明されるのを、眠い目をこすりながらメモを取ったりして勉強しました。最初の頃は意味がよくわからなかったのですが、やがてここからここまでのデータは音色のデータだな、みたいなかんじで少しずつ意味がわかるようになりましたね。
   

 
●「さんたるる」の名を一躍とどろかせた「雷龍2」のBGM
   
鴫原: 「雷龍2」のメインBGMはどれもノリノリで、私は発売当時からとても好きでした。ところで、このゲームのBGMって曲数がかなり少なかったような気がするのですが?
   
並木: ええ、メインのステージBGMは2曲だけで、3面以降になるとこれらのBGMが同じ曲のまま違ったバージョンで流れるようにしました。
   
鴫原: メインBGMの数をあえて少なくしたのには、何か意味があるのですか?
   
並木: 前作の「雷龍」のBGMも2種類だったので、じゃあ今回も2曲でいいよね、みたいな流れになってました。ただ、それだけだと寂しいので、途中からソロの部分だけを変えようとか、メロディなしのカラオケ版みたいなのをやってみようとかバリエーションを用意して変化を持たせようって考えながら作りました。元々シューティングゲームは大好きでしたから、この仕事ができて本当に嬉しかったですよ。
   
鴫原: ナルホド! だからこそ5面のBGMは、1面の曲のメロディパートを鳴らさないバージョンになってたわけですね。
   
並木: そうですそうです。それとこのゲームの曲についてなんですが、ほかの人から細江(慎治)さんが作曲した「メタルホーク」に音色とかがよく似てるねって言われることがあるのですが、自分はそれを特別意識して作ったわけではないんです。「メタルホーク」のゲームミュージックCDとかも持っていなかったですしね。と、言いつつも実は高校生の頃、細江さんに直接サインをいただいたことがあるんですよ。よく遊んでいたナムコの直営店に「ブレイザーとドラゴンスピリットの開発者が来る!」ってイベントがありまして、そこに行ったらまだハタチ前後の細江さんがいらっしゃったので書いていただきました。後年になってお会いしたときにその話をしたら、「あ、あの時いたんだ~!」なんておっしゃってましたね(笑)。
ウイニングラン-G.S.M.NAMCO 2-
1989年発売。「めがてん」こと細江氏作曲の「メタルホーク」をはじめ、「ウイニングラン」「スプラッターハウス」が収録されている作品。
   
鴫原: 効果音の制作全般も並木さんのご担当ですか?
   
並木: はい、そうです。
   
鴫原: 中ボスみたいな敵を倒したときには「ヤッホー!」とか、ミスしたときに「オーマイガァー!」とか英語のボイスが入りますよね? これらのボイスはどうやって作ったのでしょうか。
   
並木: 当時、社内にいた開発スタッフのお兄さんが英語を上手にしゃべれるという情報を聞きまして、その方にお願いしてしゃべっていただきました。私としても、何かインパクトのある仕事をしたいなと思ってましたので、とにかくいっぱいしゃべるゲームにしてみようかな、と考えてやりました。当時のNMKには、ボイスがたくさん入る作品がなかったということもあったので、かなりの容量を割いてしゃべる作品にしてみました。
   
鴫原: 最初からとてもチャレンジャブルなお仕事ぶりですね!
   
並木: なぜ、そこまでしてボイスにこだわったかといいますと、たとえば自分でゲームを遊んでいるときに「よし、ヤッター!」とか、「危なかった~」って気分になったりするじゃないですか? そういったプレイヤーの気持ちを、ゲーム上で鳴るボイスを使って代弁させることで雰囲気を出そうという狙いがあったからなんです。 余談ですが、後にケイブのIKDさんから聞いた話を。「首領蜂」もまた、よくしゃべるゲームなのですが、実はIKDさんが「雷龍2」をお好きで、その影響によるものだそうです。 ちょっと面白いエピソードでしょう?
首領蜂 - DonPachi
1995年発売。ケイブの看板シリーズとなった人気シューティングシリーズ第1弾。BGM以外にもSEおよびボイスコレクションのトラックも収録されている。
   
鴫原: ナルホドォ! それから「雷龍2」のエンディング画面では、スタッフロールの文字を撃って得点を稼げるという面白い演出がありましたが、当然並木さんのお名前もここに出てきますよね?
   
並木: はい、「さんたろう」という名前で出てきます。「さん」の字が漢字の「三」で、「たろう」はアルファベットで「TARO」と書いてあったと思います。この時は、「三」の字だけをデザイナーの方がわざわざ別に描いてくださいました(笑)。
   
鴫原: いろいろ細かい所にまでこだわってますね。
   
並木: それから最終面では、ラスボスの要塞の屋根部分が開いて攻撃が激しくなる瞬間と曲が鳴るタイミングをピッタリ合わせようと考えまして、企画担当の方と打ち合わせをしてドンピシャのタイミングで鳴るように調整したりもしましたね。
   
鴫原: これだけいろいろ工夫されたということは、当然ご自身でもいいものが作れたという評価ができる作品になったのでは?
   
並木: いえ、自分の中ではけっしていいものとは思っていないですね。他社の基板で鳴っている曲とかに比べると音色は汚いし、曲数も少ないしで、ちょっとしたコンプレックスも感じていました。大手のメーカーさんの場合ですと、ハードの性能が高くてメモリの容量も大きい基板を当たり前のように使えますけど、NMKではそうはいきませんでしたから。曲やサウンドのスキルは渡辺君と比べてもまだまだ劣るし、まして自分の曲がCD化されるまでのレベルには、正直まだまだ達していないなあと思ってました。早く先輩たちのレベルに追いつかなくちゃと、ちょっとした焦りみたいなものもありましたね。
   

 
●100メガショック作戦を遂行!「オペレーションラグナロク」
   
鴫原: 「オペレーションラグナロク」のBGMも、途中のステージで以前とまったく同じものが流れる構成になってましたよね?
   
並木: そうです。確か5面と1面が同じBGMなんですけど、そうなった理由のひとつは制作期間がかなり短かったことなんです。ゲームが全何面構成なのかもまったくわからない状態で開発がスタートしましたから、この日までに全部の曲を完成させようと思ったら、はたしてそれまでの間に何曲までなら作れるのかな、って考えていたら最終的にあのような形になりました。
   
鴫原: ステージ数が決まっていない段階から曲作りをしていたとは!
   
並木: 企画担当者から、全部で何曲分欲しいみたいなオーダーとかも全然なかったですしね。最終的には、自分たちで作った曲の数がこれだけあるから、じゃあこの曲はここで使おう、みたいな方法で順番を決めました。
   
大野: 並木さんとしては、企画からこういうイメージの曲とか効果音とかを作ってくれ、って言われたほうが作りやすいのかな?
   
並木: 企画のオーダーがあったほうがいいのかどうかは、双方に一長一短あると思うので一概には言えないですね。ただ、この時はサウンドに関してはお任せ状態でしたので、自分としてはすごくやりやすかったですよ。当時はスタッフのみなさんが、サウンド担当者のことをかなり信用していただいてたんでしょうね。
   
鴫原: 曲調がステージによっていろいろ変わるのも面白かったですね。
   
並木: ええ。どうしてそうなったかと言いますと、ちょうど当時「ジュリアナ東京」がはやっていた頃で、エイベックスとかがユーロビートやハードコアテクノ系のCDをよく出してた時期だったんですよ。そういう曲を聞いているうちに、もしあんな音楽をシューティングで鳴らしたらジャストフィットではないかと思ったので、私のほうから企画の方に話をして決めました。
   
大野: 当時はクラブとかにも行ってたりしてたの?
   
並木: ええ、行ってましたよ。「芝浦ゴールド」が無くなってしまう直前にNMKのみんなと遊びにいったり、「P-47」や「ビューポイント」を作曲された岡村静良さんが渋谷でDJすると聞けば、やはりNMKのメンバーで繰り出したり、他にもいろいろ行きましたが、楽しかったです。
   
鴫原: 最終面では、あの個性的なボスのデザインもさることながら、BGMも女性のボーカルが入ったりしていてかなり凝った作りになっていましたよね?
   
並木: ああ、髪の毛がヘビみたいなヤツですね(笑)。ここの曲は、サンプリング素材集に入っていたボーカルのフレーズをいろいろ集めて、それにリズムを合わせるような形で作りました。
   
鴫原: すると、歌詞は特に意味はなくてイメージであると?
   
並木: ええ、そういうことになりますね。ある日突然、「このゲームは『100メガショック』をウリにする!」という方針に切り替わるという、ちょっとした事件がありまして、グラフィックとかサウンドとかの容量をとにかくたくさん増やして、最終的に100メガに到達させようということで作っていました。
   
鴫原: 当時のSNKがやっていたテレビCMと同じキャッチコピーですね。
   
並木: ところが、最初の頃はまだ「50メガショック」ぐらいしかなかったんです。グラフィックは先に完成してましたので、もうあとはサウンドだけで容量を取らなくちゃいけないから、どうすれば締め切りまでに残りの50メガを使い切れるのかを随分と考えましたね……。結局、曲数を今から増やそうと思っても時間的に足りなかったので、それまで全部打ち込みで作っていたものを、少しずつフレーズサンプリングに作り直すという方法で対処しました。その結果、最終的にはどうにかこうにか「100メガショック」になりました。実を言いますと、2面の曲のピアノのパートは全部フレーズサンプリングで作ってあるんですよ。じゃあ、ここのピアノはまるまる録音しちゃえ、みたいなノリで少しずつ容量を稼ぎながら仕上げていきました。
   
鴫原: 容量を増やすだなんて、普通とまったく逆の作業ですよ! まさに前代未聞のお仕事ですね。
   
並木: ええ、普通は限られた容量の中にどれだけ音を詰め込むかで悩むのですが、このときばかりは限られた時間でいかに水増しをするかという、今にして思えば非常にバチあたりな状況でした。ホントに、もったいないオバケに申し訳ない気持ちで。それから、ゲーム中によく出てくる「フーッ!」をはじめとする各種掛け声系のボイスも、実は「容量対策」を兼ねてたんですよね(笑)。
   
  
 

後編では、さんたるる氏の代表作「バトルガレッガ」をはじめ、ケイブのシューティングシリーズ作品や、最新のWiiウェアソフトの秘密にも迫ります。ご期待ください!



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