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__pon_の日記

2010-06-10

非科学の価値

科学も宗教もそれぞれ現実を表現する方法論であり、いずれも等価です。

科学それ自体が宗教を否定することはできませんし(逆も然り)、

「科学は宗教よりも優れている」と言えるような絶対的な価値基準は存在しないので

「我々にとってどちらが役立つか」と言う観点から局面ごとに上手く使い分けられています。

そして疑似科学も同様。

疑似科学は「科学を標榜している」と言う一点においては批判されるべきですが、

だからといって無価値にはなりません。

信奉者が存在しているその事自体がその価値を示しています。


  • 日本の"道徳"教育

元々自然科学は人間の情緒や感情に関わる問題を解決することには向きません。

その価値中立性により、倫理や社会規範正当化することもできません。

で、本来はこういった科学の弱点をサポートするのが宗教であり、

海外の学校では宗教の授業があったりするわけですが、

なんということでしょう

日本には宗教が根づいていません。

で、日本では”道徳”という科学でも宗教でも無い(元を辿れば儒教がルーツですが)

全く根拠不明なモノを教えざるを得なくなったわけです。

明文的な経典を持たない"道徳"なので、

なぜ人を殺してはいけないのか」みたいな

簡単な質問に答えることにも四苦八苦せざるをえないわけですが、

例えば水からの伝言はこういった問題に解決の手口を与えてくれるわけです。

科学でも宗教でもない"道徳"の授業に、

科学でも宗教でも無い疑似科学が入り込むのはごくごく自然な話ですね。


  • ワンオブゼム

日本特有の問題が根底に有ります。

一つ目。日本は宗教に対する無理解からくる非寛容。

許されるのは葬式仏教やウェデングキリスト教神前式神道など

宗教的な宗教まで。

創価学会幸福の科学イスラム教はゆるい弾圧や迫害の対象です。

二つ目。

上を理由にして、科学以外のオフィシャルな方法論を持たないこと。

これにより、科学でサポートできない部分に色々なものが入り込みます。

上の"道徳"教育を筆頭に、

よく分からない自己啓発セミナーが流行ったり、

新書でよく分からない啓発本が乱発されたり、

戸塚ヨットスクールが未だに営業していたり、

上場企業でファナティックな新人研修が行われたり、

毎週数十万部を売り出す雑誌に呪術儀式用具の通販の広告が踊っていたり。

国会に例えればわかりやすいかもしれません。

大多数を占める与党、対向する十分な力を持たない野党第一党。

その周りを埋める種々の泡沫政党

疑似科学はこうしたものの一つです。


  • 取捨選択

上に上げたものの中で、疑似科学は科学の立ち位置から批判できる唯一の方法論です。

何しろ「科学を標榜している」というこれ以上無い正当な大義名分が有りますから。

しかし、そこまでです。

先に言ったように、科学はそれ自体で他の方法論を批判する論拠を持ちません。

そもそも科学の立場から疑似科学を批判する人は何を求めているのでしょうか?

科学以外の方法論を排除して一党独裁の状態にすること?

不可能であることは歴史を見ても今の現実を見てもわかるはずです。

繰り返しますが、科学は全ての問題を解決することはできません。

そして、疑似科学宗教も方法論の一つでしか無いのと同様、科学も手段の一つです。

この事を念頭に、もし科学が信奉者を増やすことを目指すならば

科学を発展させてより多くの人間を救済できるようにする事。

もしホメオパシーのような社会にとって都合の悪い方法論を廃絶することを目指すなら、

他のより"良い"非科学の方法論の価値を認め、より寛容になるべきです。

後者は特に重要で、そうでなければ我々は再びオウムを生み出すことになるでしょう。


(追記)

このエントリのまとめと補足。

1.科学も宗教も現実を表現したり現実の問題を解決するための方法論であり、

どちらが優れていると言うことはないですよ。

2.科学でサポートできない部分は外国では宗教で埋めるんだけど、

日本では宗教が根づいていないから"道徳"というモノでサポートせざるを得ないですよ。

3.日本ではこの"道徳"を筆頭に、科学でも宗教でも無い奇々怪々な方法論が

蔓延してますよ。

4.科学ではないからと言って、宗教や他の方法論をに非寛容な態度を取っていると、

結局科学でサポートできない人がオウムみたいなモノに逃げていきますよ。

だから社会に対して害のないマシな方法論に対しては寛容な態度をとりましょう。

と言うことでした。

とおりすがりとおりすがり 2010/06/12 03:47 科学は宗教を否定はしないでしょうけど、やがて説明するでしょう。自然現象のひとつとして。

tyty 2010/06/12 11:18 何か典型的な藁人形論法ですなぁ
少なくとも、ホメオパシーはワクチン否定、予防接種否定など社会的に明らかな有害要素を含んでいますよね。実利的側面に立ってその妥当性の無さを批判するのは、寛容・非寛容という低レベルな話ではないと思いますよ。

p__o__np__o__n 2010/06/12 13:16 >tyさん
そうですね。ホメオパシーの、社会的な有害な部分に関してはそのような理由で批判することはできます。
ところで批判するだけですか?批判してホメオパシーをどうしたいのですか?

sukusuku 2010/06/12 14:17 >「なぜ人を殺してはいけないのか」みたいな
>簡単な質問に答えることにも四苦八苦せざるをえないわけですが、
>例えば水からの伝言はこういった問題に解決の手口を与えてくれるわけです。


「なぜ人を殺してはいけないのか」という問いには
「家族や友人を殺されたくないし、もちろん自分も殺されたくないから他人も殺してはいけない。」と答えるだけで十分ではないですか? 何も水に答えを求めなくてもいいのでないですか?

以前、水からの伝言を認めない人はサンタクロースの話を子供にすることも許容しないのかと言う人がいたので、私は次のように答えました。

授業で取り上げる場合、理科ではなく道徳教育として行っているのだから、非科学的であっても許容されると考える方もいますが、道徳教育であるならば、言葉をかける相手が自分の言葉遣いによってどのような受け止め方をするのかなど、“適切な言葉遣いをすることの意義”を教えることが重要であるはずです。そうではなく、「良い言葉をかけた水はきれいな結晶ができる。人間の体も70%が水だから良い言葉を使いましょう」と説明することは、「なぜ適切な言葉遣いが必要なのか」という基本的な問いにデタラメな答えをすることになります。

また、客観的事実とファンタジーや空想の世界との区別ができないまま成長する可能性もあります。
サンタクロースは子どものときにだけ楽しむことができるファンタジーです。成長過程で現実の話ではないと分かるときがくるものです。もし、ファンタジーと現実の区別もないまま大人になって、現実の問題に直面したとき、サンタクロースが解決してくれると本気で考え、自分で解決策を考えない、あるいはサンタクロースを探し続ける人が増えたら大変ですよね。

「水からの伝言」を事実として扱うことは合理的思考を否定することです。

「水からの伝言」の信奉者は波動ビジネスやホメオパシーなどの潜在的ないい“お客さん”です。学校で「水からの伝言」が取り上げられれば、その授業を受けた子どもたちは、詐欺的な波動ビジネスやホメオパシーに大金を吸い取られ、詐欺師のお客さんを再生産することにつながりかねません。



日本にも非科学的な宗教性を持つ文化や風習が多くあり、社会の中で一定の役割をしています。そのようなものと、明らかにデタラメで反社会的なニセ科学とはしっかり区別する必要があります。
ホメオパシーが反社会的で害が大きいのは異論がないと思いますが、水からの伝言も害は大きいと思います。

p__o__np__o__n 2010/06/12 19:29 「なぜ人を殺してはいけないのか」に関しては余談なので、
あまり深入りしないようにしましょう。
で、
>sukuさん
>「家族や友人を殺されたくないし、もちろん自分も殺されたくないから他人も殺してはいけない。」
そういう回答も可能ですし、その回答に納得する子供もいるでしょう。
ただ、子供視点で簡単に反論することもできますし、日本の現実との齟齬を指摘することもできます。
いずれにしてもオフィシャルな正解にはなりえないですよね。
その主張の正当性を明文的に担保するものはないわけですから。

>「なぜ適切な言葉遣いが必要なのか」という基本的な問いにデタラメな答えをすることになります。
これも同様のお話で、社会の構成員全員が共有する「正しい」解答があるっていう前提です。
我々はそういうものを持っていないですよね、と言うところから始めたお話ですから。

>その授業を受けた子どもたちは、詐欺的な波動ビジネスやホメオパシーに大金を吸い取られ、詐欺師のお客さんを再生産することにつながりかねません。

そうですね。もしそういったビジネスの売上がテロリストの資金源になっているような実態があれば、これは反社会的です。即座に排除する必要があるでしょう。

ただ、もし売上が「この素晴らしい思想をより多くの人に広めたい」という思いで信奉者を増やすことだけに使われていたのであれば、これを詐欺と断ずることは
既存の宗教disに繋がりますよ。

「疑似科学は駄目だけど宗教はオッケー」って言うスタンスですよね?

tyty 2010/06/12 21:57 あなたの主張する相対主義に基づいたニセ科学批判批判はもはやFAQです。批判対象を過度に一般化して、科学ではない別の思想と無理矢理類似させ、相対的にどちらの価値観も正しい…と誘導するタイプ。

どうしたいのか?と言う疑問の意味はなんですか?
多くのニセ科学批判論者は、別にホメオパシーそのものをどうかしたいと言うわけでも無いかと思われますが。社会的有益性に基づきその非科学的な主張を批判する事が、(例えば)ホメオパシー批判の目的の一部です。

と言いますか、ホメオパシーは非科学的であるが故に撲滅すべき、とまで言う科学者は何処に存在しますか?それはあなたが妄想するニセ科学批判論者像でしょう。だから藁人形論法と言ったんですよ。

個別に、例えば「ホメオパシーはワクチンを否定しているからNG」「疫学的妥当性が無いのに薬効を主張しているからNG」という文脈で、その非科学性を批判する事は意味があります。

確かに「ホメオパシーは非科学であるが故に撲滅すべき」といった論者は一部には存在します。その手の批判は確かに非寛容であり、あなたの批判の対象になります。例えば社会的有益性に基づき批判する類のニセ科学批判は、その手の過激な主張ではありませんよね。だから藁人形論法と言ったんですよ。

tyty 2010/06/12 22:05 >ただ、もし売上が「この素晴らしい思想をより多くの人に広めたい」という思いで信奉者を増やすことだけに使われていたのであれば、これを詐欺と断ずることは
既存の宗教disに繋がりますよ。

つながりませんよね。
科学的妥当性を謳っていながらその実は非科学であるが故に詐欺と批判できます。
思想を広めたいだけで科学的妥当性をうたってなければ、それはニセ科学じゃありませんね。

だから宗教の大部分はニセ科学としての批判対象となりません。
ID論や「若い地球」説は科学性をうたっているので、宗教ではありますが批判の対象たり得ます。

tenodtenod 2010/06/12 22:18 > そもそも科学の立場から疑似科学を批判する人は何を求めているのでしょうか?
ただ1点、「(疑似科学の)その主張には何の科学的根拠もありません。ガセです」ということの周知だと思います。
疑似科学って、いわば「消防署の方から来ました」といって、消火器を売りつけるのようなものですから。
#むしろ、使える消火器を売っている分だけ、例え話の方がマシかも

> もし科学が信奉者を増やすことを目指すならば
科学はその性質上、信奉者を必要としません。これは誤解じゃないですか?

> 他のより"良い"非科学の方法論の価値を認め、より寛容になるべきです。
これは誰向けのメッセージなのでしょうか?科学教信者宛てという理解で良いですか?
それならば、同意です。

後、妙に科学と宗教以外のものの存在感を感じないのですが、気のせいですか?
道徳の扱いが低いのも気になります。私は道徳を、倫理や哲学の対象として思っているのですが、それとは違う「道徳」なのでしょうか?

以下、確認ですが、
> マシな方法論に対しては
当然、この「マシな方法論」には疑似科学は含まれていないですよね?

> 科学以外のオフィシャルな方法論を持たないこと
> "道徳"を筆頭に、科学でも宗教でも無い奇々怪々な方法論
社会科学系のものも、ここでは科学の中に入っているのですか?
「科学でも宗教でもなく、奇々怪々でもない方法論」は存在するという理解でよろしいですか?

tenodtenod 2010/06/12 22:49 > 科学ではないからと言って、宗教や他の方法論をに非寛容な態度
分かる分かる。「文学は科学でないから認めない」とか、「科学でない歌は断固拒否する」とか・・・
という冗談はさておいて、宗教への非寛容さは、歴史に負うところが大きいと思います。
科学は無関係でしょう。

> 科学でサポートできない人
これの言わんとすることが分かりそうで、良く分かりません。
「(義手みたいな)科学技術の成果がないと日常生活で困る人」ではないとは分かるのですが・・・。
「科学でサポート出来てる人」って、どんな人なんでしょう?
もしくは「人をサポートできる科学」って、どんな科学でしょう?

p__o__np__o__n 2010/06/13 07:17 >tyさん
もし、ニセ科学批判全てが単にその主張が非科学的であることを指摘するにとどまるのであれば、藁人形論法と言えるでしょうね。
そうではないことは貴方の認めるとおり。

p__o__np__o__n 2010/06/13 07:35 >tenodさん
確認から。

・>当然、この「マシな方法論」には疑似科学は含まれていないですよね
学校の道徳教育のお話ですよ。
学習指導要領における道徳教育は倫理や哲学などの理論を根拠にしていません。
そもそも倫理や哲学は個人個人に物事の善悪を植えつけるための学問ですか?

・>社会科学系のものも、ここでは科学の中に入っているのですか?
「寛容になるべき」の対象のことなら、それも含みますよ。
「科学を標榜している」ことを理由に、その方法論全てを排除するつもりですか?

・>これの言わんとすることが分かりそうで、良く分かりません。
「科学でサポートできない問題に直面している人」ですね。
科学技術の限界を超える問題やそもそも科学の守備範囲外の問題とか。
例を上げれば末期がん患者とか、人間関係に端を発する問題全般。

p__o__np__o__n 2010/06/13 07:37 ところで2chでネトウヨの話をしていると、呼んでもいないのに
「俺はネトウヨじゃない!ネトウヨの定義を言ってみろ!」なんて人が出てきたり

sukusuku 2010/06/13 10:20 p__o__さん
レスありがとうございます。

どうやらp__o__さんは「動機や目的が良ければ手段が誤っていても批判すべきではない」とおっしゃっているように読めますが、違いますか?

ホメオパシーにしてもそれを広めようとしている大多数の人は本気でホメオパシーの有効性を信じていて、良かれと思って広めているわけです。つまり善意の誤解をしているのです。
この善意の誤解を「善意であるから」という理由で許容できないほどの実害をもたらしているのがホメオパシーなどのニセ科学です。
ホメオパシーの売り上げがテロリストの資金源になっていれば批判しやすいのは当然ですが、ニセ科学の問題は客観的事実ではないことが自明であるのに、善意の動機で行われていることが厄介なのです。


>「疑似科学は駄目だけど宗教はオッケー」って言うスタンスですよね?

笑っていられる疑似科学もあれば、教義や勧誘方法が社会と整合していない宗教もあるので一概に言えませんが、穏当な宗教はオッケーという立場は原則としてそう考えています。しかし、宗教は方法論として機能している一面は認めますが、方法論そのものとは考えていません。科学と宗教を同列に扱うつもりはありません。

例えば、昨今の口蹄疫の問題で、ホメオパシーで予防や治療ができるなどというデタラメな言説を垂れ流すホメオパシー団体はありますが、真っ当な宗教では、神や教祖の神通力で口蹄疫の問題を解決できるとは主張しないと思います。

p__o__np__o__n 2010/06/13 13:50 私の事はponで結構ですよ。
>sukuさん
>「動機や目的が良ければ手段が誤っていても批判すべきではない」とおっしゃっているように読めますが、
何を持って誤りだといってるのでしょうか?
正当な手続きを経ずに科学を標榜する事、の批判は正当であると既に合意済だと思ってましたが。

>ホメオパシーにしてもそれを広めようとしている大多数の人は〜
確認ですが、「ホメオパシーの主張は科学的に正当ではない」と「ホメオパシーの主張は科学的に誤りである」は区別してますよね?

総論として言うならば人間誰もが信じたい事を信じる権利があります。
いかにその人に不利益を与える方法論であっても、それを他人に強制する事は出来ません。
疑似科学に関して言えば、「それは科学的には正当な主張ではない」と説得することは出来てもそれでも疑似科学を採用する人が居るのであれば、それが科学の限界でしょう。

>科学と宗教を同列に扱うつもりはありません。
そうですか?クリスチャンは良く杖の例えを使いますよ。

machida77machida77 2010/06/13 23:35 横から失礼します。

>日本特有の問題が根底に有ります。
>一つ目。日本は宗教に対する無理解からくる非寛容.

という部分が疑問です。
それでは宗教の影響が強い文化圏では、日本と同じような科学-ニセ科学といった問題にならないのですか?
イスラム圏やアメリカの創造論、インドのホメオパシーはどういう扱いになるのでしょうか。

そしてコメント欄の
>いかにその人に不利益を与える方法論であっても、それを他人に強制する事は出来ません。

それは愚行権の範囲の認識問題でしかありません。
公的領域まで愚行を認めるのかどうか、そもそもニセ科学批判では他人の行いをどこまで強制しようとしているのかといった土台を元にしなければ主張できる議論ではないでしょう。

tenodtenod 2010/06/14 00:06 ご返答ありがとうございます。
> 「科学でサポートできない問題に直面している人」ですね。
了解しました。

>>当然、この「マシな方法論」には疑似科学は含まれていないですよね
> 学校の道徳教育のお話ですよ。
すみません、この「マシな方法論」は「このエントリのまとめと補足。」の部分からの抜粋です。ですので、道徳教育に限った話ではないと思って質問した次第です。
それとも、このエントリー全体が学校の道徳教育に関しての話だったのでしょうか?
あと、p__o__nさんの考えでは「マシな方法論」に疑似科学を入れているのでしょうか?

> 学習指導要領における道徳教育は倫理や哲学などの理論を根拠にしていません。
そうなんですか?教科書までは見たことが無いのではっきりとは言えませんが、指導要領を読むと哲学的課題に取り組む科目と理解していました。

指導要領“改正教育基本法等の趣旨と道徳教育”より抜粋
----ここから----
従来から規定されている個人の価値の尊重,正義,責任などに加え,
(略)
国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うことなどが規定された。
----ここまで-----
これって、哲学の中心課題の1つだと思います。

> そもそも倫理や哲学は個人個人に物事の善悪を植えつけるための学問ですか?
ソクラテスの時代から「善とは何か」「よく生きるとはどういうことか」と問い続けてきた学問だと私は考えているので、答えは「YES」です。

>> 社会科学系のものも、ここでは科学の中に入っているのですか?
> 「寛容になるべき」の対象のことなら、それも含みますよ。
> 「科学を標榜している」ことを理由に、その方法論全てを排除するつもりですか?
何から排除すると仰ってるのかよく分かりません。
また、何かを何かから排除するためにした質問ではありません。

このエントリーを読んで、分からなかったのが、科学と非科学の扱いです。
文中で、"科学"と"宗教"と"科学でも宗教でも無い奇々怪々な方法論"の3つの対比がなされています。最初、この科学を私は自然科学と理解していました。日本の"道徳"教育でもそう記載されていましたし。
ところが、私からすると当然あるべき"科学でも宗教でも無い真っ当な方法論"が登場しません。ここで私がイメージしているのは、経済学や法学や社会学などの社会科学や文学や哲学などのいわゆる人文系と呼ばれるものです。
これらの思想や思考体系はどこに分類されているのか不明だったため、「科学には社会科学も入るのですか」と質問した次第です。
繰り返しますが、何かを何かから排除するためにした質問ではありません。

科学を拡大解釈して、適用外のものにまで当てはめる姿勢は批判されてしかるべきと思います。この点は、p__o__nさんと合意できていると思います。
また「マシな方法論に対しては寛容な態度をとりましょう(追記より)」は、まさしくその通りと思います。
でも、なんでしょう?この捻じれ感。

> 科学以外の方法論を排除して一党独裁の状態にすること?
のような、藁人形的な想定が原因か?それとも、

> 疑似科学は「科学を標榜している」と言う一点においては批判されるべきですが、だからといって無価値にはなりません。
と言っているのに、

> もしホメオパシーのような社会にとって都合の悪い方法論を廃絶することを目指すなら、他のより"良い"非科学の方法論の価値を認め、より寛容になるべきです。
と、「無価値でないもの」の廃絶を容認するようにみえる部分が気になるのか?

そもそも「社会にとって都合の悪い方法論」という価値判断自体が科学以外の方法論から導かれているのに、それに対する言及が無いことに原因があるのか?

うーん。

p__o__np__o__n 2010/06/14 00:26 >machidaさん
インドと日本では定着している背景が違うと思います。
インドは貧困層のための代替医療で、現代医学の不足によるものと言う認識です。
創造論ならただの宗教ですよね。ID論の事ですか?
ID論の事ですか?
>公的領域まで愚行を認めるのかどうか、そもそもニセ科学批判では他人の行いをどこまで強制しようとしているのかといった土台を元にしなければ主張できる議論ではないでしょう。

そうですね

p__o__np__o__n 2010/06/14 00:37 >tenodさん
>「科学には社会科学も入るのですか」
入ります。そのつもりで書いてました。

>学習指導要領〜
哲学的な課題を哲学的なアプローチで取り組むなら
それは哲学そのものであって、"道徳"じゃないですよえね。
実際指導要領に哲学的なアプローチなんて乗っていないわけです。

以降のお話は、あなたの中である程度結論が出てからにしてくださいな。
私が思うに一番初めの前提を共有出来て無いからかと。

田部勝也田部勝也 2010/06/15 03:49 p__o__nさんが何を非難しているのか分かりづらいので、1つ確認させて下さい。

p__o__nさんが「社会に対して害のないマシな方法論に対しては寛容な態度をとりましょう」と主張しているのは分かります。でも、何が「社会に対して害のないマシな方法論」なのかが分かりづらいです。
(1)「宗教」
(2)「葬式仏教やウェデングキリスト教、神前式神道など非宗教的な宗教」
(3)「創価学会や幸福の科学やイスラム教」
(4)「よく分からない自己啓発セミナー」
(5)「新書でよく分からない啓発本」
(6)「戸塚ヨットスクール」
(7)「上場企業でファナティックな新人研修」
(8)「毎週数十万部を売り出す雑誌に呪術儀式用具の通販の広告」
(9)「大多数を占める与党、対向する十分な力を持たない野党第一党。その周りを埋める種々の泡沫政党」
(10)「疑似科学」
p__o__nさん自身が取り上げたこれらのうち、p__o__nさんにとって「社会に対して害のないマシな方法論」はどれですか。

もちろん、これらのなかには、分けて考えるべきものも含まれているでしょうけど、そのへんも含めてご説明を願いたいと思います(たとえば「啓発本といっても、社会に対して害のあるモノとないモノがあり、その判断基準は……」とか)。

tenodtenod 2010/06/16 10:40 > 哲学的な課題を哲学的なアプローチで取り組むなら
> それは哲学そのものであって、"道徳"じゃないですよえね。
私の理解だと「道徳を考える=哲学」なので、道徳に対する哲学以外のアプローチをイメージできません。何か具体的な方法論などがあれば、教えてください。

>>「科学には社会科学も入るのですか」
> 入ります。そのつもりで書いてました。
了解しました。
そうなると「ワンオブゼム」での例えの意味が掴みにくいです。
自己啓発セミナーや啓発本は、マーケティングなどの社会科学的なサポートの成功例としてみることも可能です。
どこまで、社会科学に含めるかは曖昧な部分もありますが、それでも自然科学よりもはるかに広範囲の事象を対象することができます。例えば人間関係のトラブルは、法学という「科学」のサポートを受けることも可能です。

文意の理解のために、以下の質問に答えて頂けると有難いです。
マシな方法論の「マシ」はどう判断するのか?
社会にとって都合の悪い方法論を廃絶するのは是か非か。
全く根拠不明なモノでも、それはすべからく無価値では無いのか。

p__o__np__o__n 2010/06/17 02:12 >田部勝也さん
私の基準では他人に損害を与えなければOKです。
なのでそこに挙げたものすべてOK

>tenodさん
>私の理解だと「道徳を考える=哲学」なので、道徳に対する哲学以外のアプローチをイメージできません。
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shotou/053/shiryo/__icsFiles/afieldfile/2009/12/01/1285841_4_2_2.pdf
http://www.suzuka-jc.ac.jp/campus/teacher_01/pdf/b-01kawamata.pdf
こちらを参考に

田部勝也田部勝也 2010/06/17 03:25 >p__o__nさん「私の基準では他人に損害を与えなければOKです。/なのでそこに挙げたものすべてOK」

私は「p__o__nさんにとって“社会に対して害のないマシな方法論”はどれですか」と尋ねました。その答えは「他人に損害を与えない方法論」であり「(1)〜(10)の全てが社会に対して害のないマシな方法論」である――という理解でよろしいのですね。
つまり、「(10)“疑似科学”」も「社会に対して害のないマシな方法論」であり「他人に損害を与えない方法論」であるというわけですね。

一方で、p__o__nさんはエントリ記事で「ホメオパシーのような社会にとって都合の悪い方法論」と書いていますよね。p__o__nさんの主張に整合性があるとするならば、私の乏しい想像力では次の2つの可能性しか思いつきません。

(a) ホメオパシーは疑似科学ではない。
(b) 「他人に損害を与える」「社会に対して害のある」事と、「社会にとって都合の悪い」事とは異なる。ホメオパシーは「社会にとって都合の悪い」モノではあるが、「他人に損害を与える」モノではなく「社会に対して害のある」モノでもない。

p__o__nさんが主張しているのはどちらなのでしょうか。それとも全く別の事を主張しているのでしょうか。

田部勝也田部勝也 2010/06/17 03:36 ところで、「他人に損害を与えなければOK」というのは随分と曖昧な表現ですね。曖昧すぎて、p__o__nさんの言葉で言うなら「私が思うに一番初めの前提を共有出来て無い」状態から一歩も進む事ができません。

当然、良くある「宗教による弾圧」や「自己啓発セミナー・啓発本や呪術儀式用具の通販の広告による詐欺被害」といった「他人に損害を与えているではないか」といったとても分かりやすい具体的指摘に対する反論を、p__o__nさんが用意していないはずはないと思うのでぜひお聞かせください。

また、「他人に損害を与えなければOK」と主張しているp__o__nさんは、「“他人に損害を与えている”と訴えられているモノ」に対してはどうすべきだと思いますか。日常的にはとても良くある事ですけど、それが本当に「他人に損害を与えている」かどうかで争う事になった場合は、どうすれば良いのでしょうか。

p__o__np__o__n 2010/06/17 04:39 >田部勝也さん
一つ目
10個目見逃してました。
先のコメントの通りにお考えください。
ホメオパシーは感染パーティを想定していました。
それと、私は現存する全ての疑似科学を把握しているわけではないので
他の事例についてはお答えできかねるかもしれません。
悪しからず。

二つ目
「宗教による弾圧」はよくわかりません。
>自己啓発セミナー・啓発本や呪術儀式用具の通販の広告による詐欺被害」といった「他人に損害を与えているではないか」といったとても分かりやすい具体的指摘

詐欺って言いますけど、本人は詐欺と思わないからそういったものにお金を払うんですよね。

>また、「他人に損害を与えなければOK」と主張しているp__o__nさんは〜
個別ケースを見て判断します。

zororizorori 2010/06/17 22:10 こんばんは、お邪魔します。

>詐欺って言いますけど、本人は詐欺と思わないからそういったものにお金を払うんですよね。

そりゃそうですね。詐欺と気付かせないようにしなければ詐欺は成立しませんよね。

tenodtenod 2010/06/18 02:42 ひとまず、道徳に関して。
すみません、ここでの「道徳」は学校教育での道徳ですよね?
リンク先の資料も、学校教育の話でしたし。

>> >学習指導要領〜
>> 哲学的な課題を哲学的なアプローチで取り組むなら
>> それは哲学そのものであって、"道徳"じゃないですよえね。
>> 実際指導要領に哲学的なアプローチなんて乗っていないわけです。
> 私の理解だと「道徳を考える=哲学」なので、道徳に対する哲学以外のアプローチをイメージできません。
> 何か具体的な方法論などがあれば、教えてください。
でそのお答えが、リンク先の資料だったわけですが、ちょっと意図が読み取れません。
文部科学省の資料は各国の道徳で扱う内容の比較一覧で、アプローチの仕方に関しては記載が無いように思われます。
もうひとつの資料は日本での宗教教育の現状に関しての調査研究でした。
確かに、道徳にアプローチする方法として宗教は良く見られます。そこに異存はありません。
でも、これは一部の学校での取り組みの報告であって、一般での扱いではないでしょう。リンク先の資料にもそうありました。

ですので、
>> 実際指導要領に哲学的なアプローチなんて乗っていないわけです。
> 何か具体的な方法論などがあれば、教えてください。
という問いへの答えとしては、方向がズレ気味だと思うのですが、いかがでしょうか。

それともp_o_nさんは、「宗教からの道徳教育こそがマシな方法で、現状がそうなっていないから根拠不明なモノを教えている」ということを主張したいのでしょうか?

tenodtenod 2010/06/18 03:15 マシな方法論の「マシ」はどう判断するのか?
=私の基準では他人に損害を与えなければOKです。

了解しました。
となると、

> 日本では”道徳”という(中略)全く根拠不明なモノを教えざるを得なくなったわけです。

> (追記)3.日本ではこの"道徳"を筆頭に、科学でも宗教でも無い奇々怪々な方法論が蔓延してますよ。

と言った文は、「一見マイナスの価値判断がされているように読めますが実は、マシな方法論なので全然OKです。」という理解で正しいでしょうか。

あと、以下の点が読み取れません。
マシな方法論だろうと社会にとって都合の悪い方法論だろうと、信奉者がいればその方法論には価値があるのか?
社会にとって都合の悪い方法論は廃絶してもよいのか?

田部勝也田部勝也 2010/06/18 03:39 >p__o__nさん「10個目見逃してました」

他人の発言を誠実に読み取り真面目に対話をする気はないという事ですね、よく分かりました。括り方がおおざっぱすぎると思って(もともとはp__o__nさんの括り方を踏襲しただけなんですけどね)、わざわざ断り書きを入れておいたのに、今頃になって「私は現存する全ての疑似科学を把握しているわけではないので」とか言い逃れされてもなぁ……見苦しいですよ(笑)。

>p__o__nさん「「宗教による弾圧」はよくわかりません」

「宗教は“社会に対して害のないマシな方法論”である」と主張する少しでもまともな人間なら、十字軍や魔女狩りや自爆テロとかいった良くある反論を手ぐすね引いて待っていて、用意している反駁を開陳する機会を決して逃さないモノだと思うんですけど……「よくわかりません」ですか。つまんないですね。

>p__o__nさん「詐欺って言いますけど、本人は詐欺と思わないからそういったものにお金を払うんですよね」

じゃあ、なんで詐欺罪なんてモノがあるの? 詐欺と思わない本人が、詐欺で訴えるなんておかしいでしょ。
あぁそっか、オウム信者だって本人はサリンを撒くなんて思わないから信じるわけで、信者がいる以上は価値があり、ホメオパシー信者だって本人はそれで不幸になるなんて思わないから信じるわけで、信者がいる以上は価値があり、どちらも「社会に対して害のないマシな方法論」だから非難するな――と主張しているp__o__nさんは、詐欺罪そのものの存在を非難しているんですね。カッコイー。

>p__o__nさん「個別ケースを見て判断します」

一段上の視点から客観的・抽象的な一般論をぶって頭良さそうなトコロを見せようと頑張ったのに、結局は「個別ケースを見て判断します」ですか。しかもその判断基準は提示できない……と【←ココ重要】。
「そもそも科学の立場から疑似科学を批判する人は何を求めているのでしょうか?」とのたまうp__o__nさん自身は、そもそも一体何を求めているのでしょうかね。「p__o__nさんって頭イイ!」と言ってもらえる事だけを求めてるのかな。確かに、具体的な話を慎重に避けて抽象的議論だけを適当に並べ立ててれば、ちょっとは頭良さそうに見えるかもね。でも、そのご高説を具体的事例や現実の問題のレベルにまで落と込んで考えようとするような輩は断固として追い払わないといけませんよ。ボロが出るから。

>p__o__nさん「個別ケースを見て判断します」

だったら、疑似科学を批判する人たちに対しても個別ケースを見て判断すれば?
疑似科学を非難する全ての人は、非難する対象が「社会に対して害のある方法論」であり「他人に損害を与える」モノだと判断したから非難しているんじゃないの?
「“社会に対して害のないマシな方法論”だとは思うけど“疑似科学”だから非難している」なんて人は、少なくとも私の知る限り1人もいないし、もし仮にそういう人がいるなら「個別ケースを見て判断」して批判すれば良いでしょ。
まぁ、何が「他人に損害を与える」モノか、何が「社会に対して害のないマシな方法論」なのか、その判断基準を示せないp__o__nさんには、ちょっと難しすぎる要求かもね。

――ところで、poohさんとおっしゃる方がこのエントリにトラックバックして見解を述べていますけど(↓)、
http://schutsengel.blog.so-net.ne.jp/2010-06-11
それに対してp__o__nさんは何も言う事はないんですか。わくわく。

田部勝也田部勝也 2010/06/18 03:53 >p__o__nさん「もしホメオパシーのような社会にとって都合の悪い方法論を(後略)」
>p__o__nさん「ホメオパシーは感染パーティを想定していました」
>p__o__nさん「詐欺って言いますけど、本人は詐欺と思わないからそういったものにお金を払うんですよね」

???
感染パーティが社会にとって都合の悪い方法論って言いますけど、本人は感染パーティが社会にとって都合の悪い方法論と思わないからそういったものにお金を払うんですよね。

詐欺は良くてホメオパシー(感染パーティ)はダメな理由をじっくり聞こうじゃないですか。

p__o__np__o__n 2010/06/18 14:49 >tenodさん
一つ目
道徳教育が悪いとは言いませんよ。
根拠不明が故、本文に書いた通り簡単な問題にも回答できないことがあるという話です。
二つ目
疑似科学に関しては全てを把握しているわけではないので、
都合の良いものも悪いものもあるでしょう。
ホメオパシーは都合の悪いものの一つです。
と言う回答でした。

p__o__np__o__n 2010/06/18 14:54 >田部勝也さん
二つ目から。
参加者がホメオパシーの信奉者意外に感染症を広げるケースを想定しています。

一つ目。
トラックバック先については読みました。
特に私から申し上げることは有りません。
他のコメントは自己完結されているようなので、これも特に申し上げることは有りません。

p__o__np__o__n 2010/06/18 14:56 これだけ長い期間にわたってこれだけ長文を書いてくれるまでに
コミットしてくれるのは伝えたいことは伝わってたのかな、なんて思ってます。
クリティカルに。

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