人通りの消えた夜の街。こっそり寮を抜け出してきた私は、住宅街のはずれにある、花梨が暮らす教会の扉をノックした。少しすると、花梨が、そっと扉を押し開き、私を中へ招いてくれる。ここ数カ月で、すっかり慣れっこになった私たち二人だけの秘密だった。私と花梨は、礼拝堂に場所を移して、今夜の打ち合わせを始める。 「花梨、裕くんは?」 「もう寝かせておいたわ。絵美理ちゃんの下着姿は、刺激が強すぎるでしょう?」 冗談めかす花梨に、私の顔は赤くなった。恥ずかしさを感じながらも、私はいつでも出かけられるように服を脱ぐ。服の下には、花梨から渡された“聖衣”……あの純白のランジェリーとお守り代わりのペンダントのみを身につけている。純白のランジェリーは、天使の羽のように私の身体を包み込む。それは、私の身体のラインを整えて、薄布に身を包んだ絵画の中のビーナスのように私の姿を引き立ててくれる。それでも、誰かの前で下着姿になるのだけは、いつまでたっても慣れなかった。だいたい、こんな姿で夜の街に出るのだから、露出狂もいいところだ。 (こんな恰好で夜の街を出歩いているって知ったら、ママはどう思うだろうな……) そう思うと、私はいつもブルーな気分になる。そんな私の心境を知ってか知らずか、花梨は真剣な表情で街の地図を広げていた。 「今日、淫気の気配があったのは、中央公園のあたりね」 週に一度ほど、霊感の強い花梨が淫気の位置を察知して、“聖衣”を身につけた私が実際に浄化するというのが、私たちのパターンとなっていた。 「ねえ、花梨……」 「なあに? 絵美理ちゃん」 私は、いつもの仕事の前に花梨に声をかけた。 「花梨は、私のママのこと、なにも知らないの?」 「……ごめんなさい」 花梨は、困ったように顔を伏せる。私は、言ってから、少し変な質問をしたことを後悔した。ママのペンダントと花梨の“聖衣”、浄化の力つながりで、もしかしたら何か知っているのかも、と思ったのだけれども……淫気を浄化するための戦いを始めてから、少しばかり時間が経ったのだが、ママに関する手がかりがまったくつかめていないから、私は少し焦っているのかもしれない。 「それじゃあ、ちゃっちゃっと行って片付けてくるから」 私は、花梨に笑いかけて、ごまかした。 「絵美理ちゃん、気をつけて。今日みたいな新月の夜は淫気の力が強くなるみたいなの」 花梨は、私に心配そうな顔を向けてくる。私は、そんな花梨に頷き返す。 「わかった。気をつけるね」 見送る花梨に手を振ると、私は下着姿のまま、教会の裏庭に出た。今日は月のない夜。寝静まった街は、真っ暗だ。夜の冷たい空気が身体を包むが、寒さは全く感じない。私は、屈伸の要領で膝を曲げると……大きく跳躍した。私の身体は風を切って、10メートルほど飛び上がる。そのまま私は、近くの家の屋根に着地した。まるで、羽根が舞い落ちるときのように、音も衝撃も発生しない。これが“聖衣”の力だった。浄化の力だけではなく、身体の力も与えてくれる。 (さてと……) 私は中央公園のほうを向くと、屋根から屋根へ跳躍しながら一直線に向かっていった。 私は、少し離れた地点から、目的地の様子をうかがった。確かに、中央公園の辺りは淫気に伴って現れる濃い霧状の結界に覆われていた。それは、近くのオフィス街ごと飲み込むほどの大きさだった。 (……花梨の言っていた通りだ。確かに、いつもより結界の規模が大きい) 私は、躊躇することなく、濃霧の壁の中へ身体ごと突っ込む。視界をふさぐ白い粒は、内部へ侵入するとすぐに晴れた。霧の内側の中央公園は、月のない夜闇と、白い濃霧の天幕に包まれた巨大な密室のようだった。街灯だけが、弱々しくあたりを照らしている。私は、神経を集中させると、あたりの気配を探った。花梨みたいな霊感はなくても、“聖衣”の力を借りれば近くの淫気を見つけ出すことができる。少しして、私は一番近くにある数体の気配に向かって駆け出していた。 「……ひぃ……誰か、助けて……」 すすり泣くような、助けを求める声が聞こえた。か弱い声だが、男の子の声だった。声の主の周りには、数人の女性が群がっている。身なりの整った、仕事帰りのOLに見えるが、その眼は血走り、正気の色はうかがえない。 「そこまでよ! 観念しなさい!!」 私は、大きな声でこちらに注意を引きつけながら、一直線に向かって走っていく。その間に、自分の両手にイメージを集中させる。すると、カッと強く青白い光が私の掌に現れる。 「えぇい!!」 私は、光に包まれた両手を、淫気に取りつかれた二人の女性の身体に押し当てた。彼女たちは、声にならない悲鳴をあげてその場に倒れこむ。残った女性たちは、その様子を見て、身をひるがえして逃げようとする。私も、素早く肉薄し、残った女性たちの淫気を掌の青白い光で浄化していく。淫気を浄化された女性たちは意識を失い、糸の切れた人形のようにその場に倒れこんだ。 「大丈夫? 立てる?」 私は、倒れていた男子を抱え起こした。声だけ聞くと幼い印象だったが、近くの高校の制服を身につけていた。彼は、私のことをじっと見つめると、少ししてばつが悪そうに目をそらした。私は、自分が白く透き通る天女の羽衣のような薄布に身を包んでいることを思い出した。 「立てます……どうも、ありがとう」 「いいえ、どういたしまして……」 年頃の男子の前に、向こう側が透けて見えそうな下着姿で突っ立っているなんて……そう思うと、顔から火が出そうだった。あわてて、胸元と股間を手で隠したけど、ほとんど意味はない。仕方がないので、私は務めて違うことを考えることにした。淫気の気配はまだほかにもある。彼を守りながら、戦うことはできない。 「できるだけ急いで、霧を突っ切って逃げて? 駅の辺りまで行けば、大丈夫だと思うから」 「わかりました……あの……」 彼は服の乱れを直しながら、私のほうに向かい、顔を伏せる。 「あなたも、気をつけて……」 彼はそう言うと、霧の中にかすむ公園の出口に向かって走り出した。 私は公園中を回り、片端から淫気を浄化して回った。淫気に取りつかれた人間は、身体能力は上昇するが、知性はないに等しくなる。おかげで、難しいことは考えずに、順番に浄化すればよかった。最初に助けた彼以外の被害者が、気を失ってくれていたのも幸いだった。余計な気づかいと、恥ずかしい思いをしなくてすむからだ。 「キシャアアァァァ!!!」 文字通り獣じみた声をあげて、中年の男性が突進してくる。私は、男の勢いをいなして、攻撃をかわす。お互いの身体が交差する瞬間、私は光を宿した右手を押し当てて男の淫気を浄化しようとする。だが、近くで様子をうかがっていた別の男が素早く私に飛びかかり、私は間合いを取らざる得なくなる。 (……キリがないッ!!) 淫気に取りつかれた人間は、獣じみた力を得る。その力のタイプも、獣のように様々だ。熊のように、剛力でひたすら押してくるタイプ。豹のように、その瞬発力でこちらをかく乱してくるタイプ。今、私の目の前にいる数人の男たちは、狼の群れのようにチームワークを武器に戦うタイプだった。 「……ハァハァ」 私は、目に見えて疲労していた。正確に数えたわけではないが、今日相手にした数は、すでにいつもの三倍は超えている。私の息が上がっているのを好機と見てとったのか、数人の男たちは一斉に私に向かって飛びかかってきた。 私は、両手を前に突き出して、目を閉じた。強い光を、イメージする。さっき掌に宿ったのよりももっと強い球状の光、それが超新星のように爆発するイメージ…… 「……浄化の光よ! 私に、力をッ!!」 目を見開き、叫ぶと同時に、突きだした拳から閃光がほとばしる。周囲の背景が、光の輝きと影のモノクロの世界になる。私に向かって突っ込んできた男たちは、驚愕に顔をゆがめるが避けることはできない。そのまま、青い輝きの濁流に飲み込まれ、その淫気は浄化されてゆく。一瞬の後には、男たちは意識を失い、ドミノ倒しのように公園の芝生に倒れこんでいた。 「さすがに……疲れたぁ……」 目の前の淫気を浄化した私は、荒く息をつきながら、ペタンと地面に座り込んでしまった。浄化の光を放つのは、動き回る以上に体力を消耗する。これだけの長期戦は初めてだった以上、しょうがないと言えば、しょうがなかった。 「あれ……?」 休憩しながらも、周囲を警戒し、気配を探っていた私は、異常に気がついた。周囲にもう淫気の気配はなくなっていた。それなのに、霧の結界は一向に弱まる様子を見せない。今までの経験では、こんなことはなかった。 「!!」 その時、小さな悲鳴が聞こえてきた。私はすぐに起き上がると、悲鳴が聞こえた方向……公園の反対側に向かって、走り出した。 現場にたどりついたとき、私は我が目を疑った。そこには、私と同年代の少女がいた。その少女は、私と同じ下着姿で、その身体には真っ黒なビスチェ型のランジェリーを身につけている。素肌を黒バラに包まれたようなその姿は、毒々しい黒の下着と病的なまでの白い肌が耽美なコンストラクトを映し出す。コルセットにも似た形状の夜の衣に包まれた彼女の身体は、私と同年代とは思えないほどに豊満だった。熟れたような乳房と太ももが漆黒のランジェリーによって余計にひきたてられ、妖しい色気を醸し出している。さらに、この距離まで近づくと、彼女からわずかに淫気があふれていることに気がつく。ただそれは、彼女の淫気が弱いというわけではなく、むしろ自らの気配を隠す方法を身につけているからのようだった。しかも、淫気をその身に宿しながら、彼女の表情にはしっかりとした知性の色が宿っていた。 「どう? 足でされるのが、気持ちいいんでしょう?」 「……ひッ……やめて……」 彼女の足元には、もう一人、おびえきった男子の姿があった。私が、最初に助けた彼だった。彼は、地面に仰向けに倒されていた。ズボンのベルトとチャックが開かれ、そこからは硬くなったペニスが顔を出していた。少女は、サディスティックな笑みを口元に浮かべ、彼のペニスを黒いストッキングに包まれた脚でしごきあげている。足先からもたらされる屈辱的な快感に身悶える男子の姿を満足げに見降ろしてから、少女の視線は私のほうを向いた。 「あら、もう他の淫気の浄化は終わったのね? さすが、仕事が早いわ」 彼女は、友達に向けるような人懐っこい笑顔を浮かべる。私は、油断なく身構える。 「……あなた、一体何者なの?」 私の質問に対して、彼女はあごに指をあてて少し考えるそぶりを見せた。 「そうね……あなたたち、純白の天使と戦うわけだから……サキュバスを名乗ろうかしら? 漆黒堕天使ランジェリーサキュバスってところね」 彼女が、彼のペニスから足を離し、私に向かって一歩踏み出す。同時に、彼女の中に隠されていた淫気が噴き出し、あたりに満ちていく。 「うっ!!?」 私は、思わずうめいた。彼女の身体からあふれ出てきた淫気は、今まで私が浄化してきたものとは明らかにレベルの違う強さだったからだ。負けちゃ、ダメ……私は自分に言い聞かせると、淡い浄化の光を全身にまとわせる。 「さあ、一緒に踊りましょう? 純白の天使!!」 サキュバスを名乗る彼女が、両手を広げて私を誘う。私は、思いきり踏み込んで、浄化の光を宿した右腕を振り下ろす。捕らえた! 私は、そう確信する。だが、私の右腕は宙を切り、サキュバスは私の間合いのはるか外に逃れている。 「あら、残念。ちょっと、遅いわね。今夜は、頑張りすぎて疲れているのかしら?」 「……ッ!!」 「このままじゃ、弱い者いじめになっちゃいそうだけど……お互いに後の予定が詰まっているから、仕方がないわよね」 私を茶化すように笑ったサキュバスは、右手を前に突き出す。すると、彼女の手を中心として渦巻くように漆黒の闇が現れる。その闇は、徐々に実態を得て、黒い鎖状の姿となる。 鋭く風を切る音が聞こえた瞬間、私の左肩に激痛が走った。鞭のように、黒い鎖が私の肩に叩きつけられていたのだ。さらに、その鎖は空中で蛇のように蠢くと、左腕に巻きついて私の自由を奪う。サキュバスは、そのまま鎖を強く引っ張り、私のバランスを崩す。完全に状況の認識が追い付けていない私は、そのまま地面に引きずり倒されてしまう。 「……痛いっ!!」 私は、うめいた。サキュバスは、にやりと笑うと悠然と私のほうへ近づいてくる。私は、彼女を睨みつけた。まだ、諦めるつもりはない。私は、彼女に見えないように、右手を身体の後ろ側に隠すと、イメージを集中させ始めた。強い光、爆発するような輝き……強力な浄化の力を、油断して近づいてきた彼女に叩きこんでやる。 「ごめんなさいね。少し、やりすぎちゃった」 (……今だ!!) 私は自分の目の前まで来たサキュバスのほうを向けて、右手を突き出した……つもりだった。私が最後の一撃を放とうとしてとき、地面から四本、サキュバスが放ったのと同じ漆黒の鎖が現れた。その鎖は、私の右手、両足、さらに首に巻きついて、私の体を地面に磔にしてしまう。 「えっ……!?」 「おいたはダメよ」 私は、完全に自由を奪われた。サキュバスはしゃがみこみながら、優しく私の顔を覗き込んでくる。 (そうだ! ペンダント!!) 私は、胸にぶら下げていたペンダントのこと思い出し、まだかろうじて動く左腕を伸ばそうとする。しかし…… 「これも、ダメ」 私よりも素早く、サキュバスは手を伸ばし、ペンダントの鎖を掴むと取り上げてしまう。さらにサキュバスは、私が淫気を浄化するのとまったく同じ動作で、掌に闇の力をまとわせると、私の胸に強く押しつけてきた。 「……ッ!!?」 私の全身を、強い衝撃が貫いた。電流が付きぬけたような衝撃をうけて私の意識を少しずつ遠のいていく。 「まだ、夜は長いわ。たっぷりと楽しみましょうね……」 消えゆく意識の中、サキュバスを名乗った少女の声だけが私の耳に響いていた。
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