昭和47年の沖縄の返還にあたっては、日本の国際政治学者が、外務省とは別にアメリカ側と秘密交渉にあたり、核兵器の持ち込みに関する「密約」の作成にかかわっていたことが知られています。この学者が、返還合意の際に発表された「日米共同声明」の作成にも深くかかわっていたことを裏付ける文書が見つかり、当時の最重要の外交課題に一民間人が深く関与していたことを示す資料として注目されています。
昭和40年代に行われた沖縄返還交渉では、沖縄に配備された核兵器の扱いなどをめぐり、外務省による交渉が難航していました。この事態を打開するため、当時の佐藤総理大臣から秘密の交渉役として選ばれたのが国際政治学者の若泉敬氏で、「有事の際には核兵器を再び持ち込むことを認める」という「密約」を結び、アメリカに核兵器を撤去させる道筋をつけました。今回見つかった文書は、ことし3月、外務省が密約に関する調査の結果として公表した外交文書およそ300点の中に含まれていたもので、筆跡などから、若泉氏が作成したものとみられています。昭和44年、日米両国が沖縄を返還することで合意した際に発表された「日米共同声明」の草案で、沖縄に配備された核兵器の扱いなどについて、後に発表された声明と同じ文言が手書きで記されています。若泉氏は、14年前に亡くなる直前、沖縄返還交渉の内実を明かす著書を発表し、共同声明の作成にかかわったことについても触れていましたが、今回の文書は、それを裏付けるものです。当時の最重要の外交課題に一民間人が深く関与し、その方向性を決めていたことを示す資料として注目されています。日米外交史が専門で東洋英和女学院大学の増田弘教授は「きわめて重要な外交交渉に一民間人が深くかかわっていたことを示す発見だ。沖縄返還交渉の過程にはいまだ明らかになっていないことが多く、その解明につながる良い実例だと思う」と話しています。