副島隆彦氏の『人類の月面着陸は無かったろう論』(徳間書店)は衝撃だった。私もアメリカに手もなく騙されていたからであるが、これを読んで、確かに副島氏の言うとおり、人類は月に行っていないと確信した。
さて、その本のなかに以下の文言がある。
「日本で本当に優秀な技術改良を企業の現場で行った人々は本当は、大卒ではなくて工業高校や高専を出た人々である。理学部や工学部の大学院を出たような理科系エリートたちよりも、工業高校出の現場の技術者たちが日本の真の技術革新をやってきたのである。なぜなら、高卒、高専卒の人々は、家が貧しかっただろうから、少年時代に科学雑誌など買ってもらえなかった人たちだ。だから工場の現場で真剣に、目の前の
製品改良に立ち向かい悩むことで、それで無数の小さな技術改良がなしとげられていった。それが日本の各種の工業製品を世界一にした。NHKの「プロジェクトX」に描かれるとおりである。
それに比べて、総じて“いいところのお坊ちゃん”である勉強秀才の理科系エリートたちは、少年時代から『科学と学習』(学研)や『ニュートン』(ニュートンプレス)を買ってもらって読みふけり、あるいは学研の「科学実験セット(キット)」を買い与えられて熱中し“宇宙への夢”を育んだ人々だ。この人々ほどアメリカ科学(という名の)宗教を信仰し続けている。」
まさに、こういうことだ。
副島氏が言うには、日本の宇宙開発事業団あたりに在籍して、「人類の月面着陸はあった」と言い続けている連中は、アメリカのNASAの下僕に成り下がっているのだ、と。
彼らは、一流大学を出たエリートであるが、総じて“いいところのお坊ちゃん”だから、一つは保身のため、一つは自分の信じて進んできた道(秀才の道)を否定したくなくて、“アメリカ科学宗教”を妄信するのだ。また、彼らは受験受験できたから、知識秀才になっていて、現実の生の反映を嫌がり、かつ不得意とする。だからアポロが月に行ったという話をつゆも疑うことができない。
NHKの「プロジェクトX」に出てくるような町の技術者なんかは、現実と日々格闘しているから、アポロの話は捏造だと言われれば、その理屈がわかるだろう。
南郷先生の『武道の理論』以来の理論の一つに「創る」と「使う」の論理がある。私の弟子にも「技は創って使う」と『武道の理論』で説かれていると引用することがあるが、正しくは「技には創ると使うの二重構造がある」であって、これこそが南郷先生の世界的発見だった。また「創って使うというのは、創らないうちに使うことで、小学一年生の計算がそれだ」と。われわれは学校で習った物理や数学の公式を使って出された問題を解いた気になっているが、これなどは一度も自分で創っていない公式を使っているのだ。
一流大学出の“いいところのお坊ちゃん”たちは、人が創ったものを借用して使うばかりであって、しかもアメリカがあたかも世界一の科学大国、技術大国であるとの錯覚が抜けないから、自分で技を創るなんて発想がハナからない。たしかに「一度も創っていない公式」を使っても、実際の仕事は用が足りている。
しかし、副島氏言うところの高専出の、本当の頭の良い人間たちは、技を創る過程を持つのである。旋盤の使い方一つが、創る過程があって技化するのだ。
空手でいえば、われわれ実際に空手を修行したものは、例えばマンガに出てくるような奇想天外な技、人類の能力の1000倍もあるようなとんでもない技などあり得ないと分かるのだが、空手を本やテレビで見ただけの人は、地上10メートルもジャンプしての後ろ回し蹴りなんていう技があり得ると思ってしまう。アポロが月に行った、というヨタ話を信じるとはこういうものなのだ。
「認識のなかの技化したモノが心」なのだが、どの人もたいていは自然成長的に創られてしまうので、一番使いなれた、使いやすい技=心を使うようになる。
したがって、弁証法も、こういう学校の学習や受験勉強以来、技化した心でもって習得しようとするから、ものにならない。その学習法(得意技)とは、例えば記憶することである。しかし弁証法は記憶することではないのだ。また公式でもないので、物理の公式を対象に当てはめるような案配をしても成功しない。
弁証法は、これまでの慣れ親しんだ勉強法とはまったく違う勉強法が要求される。その勉強法を技化すると直接に、弁証法を創ることではあるまいか。
(これは私自身の反省)
さて、その本のなかに以下の文言がある。
「日本で本当に優秀な技術改良を企業の現場で行った人々は本当は、大卒ではなくて工業高校や高専を出た人々である。理学部や工学部の大学院を出たような理科系エリートたちよりも、工業高校出の現場の技術者たちが日本の真の技術革新をやってきたのである。なぜなら、高卒、高専卒の人々は、家が貧しかっただろうから、少年時代に科学雑誌など買ってもらえなかった人たちだ。だから工場の現場で真剣に、目の前の
製品改良に立ち向かい悩むことで、それで無数の小さな技術改良がなしとげられていった。それが日本の各種の工業製品を世界一にした。NHKの「プロジェクトX」に描かれるとおりである。
それに比べて、総じて“いいところのお坊ちゃん”である勉強秀才の理科系エリートたちは、少年時代から『科学と学習』(学研)や『ニュートン』(ニュートンプレス)を買ってもらって読みふけり、あるいは学研の「科学実験セット(キット)」を買い与えられて熱中し“宇宙への夢”を育んだ人々だ。この人々ほどアメリカ科学(という名の)宗教を信仰し続けている。」
まさに、こういうことだ。
副島氏が言うには、日本の宇宙開発事業団あたりに在籍して、「人類の月面着陸はあった」と言い続けている連中は、アメリカのNASAの下僕に成り下がっているのだ、と。
彼らは、一流大学を出たエリートであるが、総じて“いいところのお坊ちゃん”だから、一つは保身のため、一つは自分の信じて進んできた道(秀才の道)を否定したくなくて、“アメリカ科学宗教”を妄信するのだ。また、彼らは受験受験できたから、知識秀才になっていて、現実の生の反映を嫌がり、かつ不得意とする。だからアポロが月に行ったという話をつゆも疑うことができない。
NHKの「プロジェクトX」に出てくるような町の技術者なんかは、現実と日々格闘しているから、アポロの話は捏造だと言われれば、その理屈がわかるだろう。
南郷先生の『武道の理論』以来の理論の一つに「創る」と「使う」の論理がある。私の弟子にも「技は創って使う」と『武道の理論』で説かれていると引用することがあるが、正しくは「技には創ると使うの二重構造がある」であって、これこそが南郷先生の世界的発見だった。また「創って使うというのは、創らないうちに使うことで、小学一年生の計算がそれだ」と。われわれは学校で習った物理や数学の公式を使って出された問題を解いた気になっているが、これなどは一度も自分で創っていない公式を使っているのだ。
一流大学出の“いいところのお坊ちゃん”たちは、人が創ったものを借用して使うばかりであって、しかもアメリカがあたかも世界一の科学大国、技術大国であるとの錯覚が抜けないから、自分で技を創るなんて発想がハナからない。たしかに「一度も創っていない公式」を使っても、実際の仕事は用が足りている。
しかし、副島氏言うところの高専出の、本当の頭の良い人間たちは、技を創る過程を持つのである。旋盤の使い方一つが、創る過程があって技化するのだ。
空手でいえば、われわれ実際に空手を修行したものは、例えばマンガに出てくるような奇想天外な技、人類の能力の1000倍もあるようなとんでもない技などあり得ないと分かるのだが、空手を本やテレビで見ただけの人は、地上10メートルもジャンプしての後ろ回し蹴りなんていう技があり得ると思ってしまう。アポロが月に行った、というヨタ話を信じるとはこういうものなのだ。
「認識のなかの技化したモノが心」なのだが、どの人もたいていは自然成長的に創られてしまうので、一番使いなれた、使いやすい技=心を使うようになる。
したがって、弁証法も、こういう学校の学習や受験勉強以来、技化した心でもって習得しようとするから、ものにならない。その学習法(得意技)とは、例えば記憶することである。しかし弁証法は記憶することではないのだ。また公式でもないので、物理の公式を対象に当てはめるような案配をしても成功しない。
弁証法は、これまでの慣れ親しんだ勉強法とはまったく違う勉強法が要求される。その勉強法を技化すると直接に、弁証法を創ることではあるまいか。
(これは私自身の反省)
こんなこと、本当に信じているんですか?一流大学、エリート、いいところのおぼっちゃん、保身云々・・・。認識が古過ぎませんか?思い込みが激しいと申しますか、視野が狭いと申しますか。
>総じて“いいところのお坊ちゃん”である勉強秀才の理科系エリートたちは、少年時代から『科学と学習』(学研)や『ニュートン』(ニュートンプレス)を買ってもらって読みふけり
これも。いいところのお坊ちゃん、でなく、ごく普通の一般家庭の子供(決して理系エリートではない)達でもニュートンは読んでたし、科学と学習を買ってもらってましたよ。ただ、科学と学習は確かに高かったので、私は買ってもらってませんでしたが。裕福じゃなかったし。