鳩山前首相の安全保障に対する及び腰を批判し、これからの日本はどのように進むべきかを提言する投書が、5月17日の朝日新聞に掲載された;
そもそも、被爆国に「抑止力」とは何と滑稽(こっけい)で惨めな言葉でしょう。親を武士に無礼打ちされた農民が、武士の刀で身を守ってもらうような発想です。
鳩山由紀夫首相は沖縄訪問でも、米軍基地の撤去縮小を求める県民の悲願に耳を貸すどころか、核の傘を想起させる「抑止力」を錦の御旗に掲げるだけでした。「私を信じてください」と中身の伴わない、きれいごとだけを繰り返してきた首相の認識と、県民が直面する切実な現実とは天と地ほど開きがあります。
米国の戦略に奉仕して抑止力を訴えるのではなく、日本としての独自の戦略を考え、まずは「安保の壁」を突き破り、掛け値なしの互恵平等の日米関係を築くことが先決と考えます。そこで初めて「米軍基地の国外移設」が現実味を帯び、有言実行できるでしょう。
政権交代を機に一刻も早く、独立国としての気概を取り戻し、米国は元より、中国、北朝鮮などとも平和外交を展開する。それが日本の道ではないでしょうか。
2010年5月17日 朝日新聞朝刊 12版 8ページ「声-被爆国に『抑止力』発想の惨めさ」から引用
戦後の60余年間、米国の言いなりでやってきた結果の沖縄米軍基地を、民主党政権が8ヶ月で転換するというのは、あまりにも無理な話だった。日本政府は、アメリカに対して、いきなり普天間を海外になどと言う前に、新政権になったことを前提にした信頼関係の構築が、先ず必要だったのである。その上で、日本政府はこちらの事情をアメリカに理解させ、沖縄の負担軽減の実効性のある施策をどう築くか、話し合うべきであった。わが国は、名実ともに平和国家として、中国や朝鮮と平和外交を展開できれば、やがては米軍基地が無くても安全は保障されるのであって、そのような国際関係の構築を、わが国の為政者にわが国憲法が要請しているのである。
韓国の哨戒艦沈没事件について、韓国政府は朝鮮の仕業であると発表したが、これについて、1日の東京新聞は次のような中国人の見解を紹介している;
韓国は46人の犠牲を出した今年3月の哨戒艦沈没事件を北朝鮮の魚電攻撃が原因と断定し、国連安全保障理事会の討議を求めている。
米国は韓国に同調し、対北朝鮮制裁の強化や軍事的圧力を高めることを決めた。
情勢の緊迫で北朝鮮に強い影響力を持つ中国の対応が注目の的だ。外交に詳しい中国の友人に意見を聞いた。
■計算し尽くした作戦
-北朝鮮はなぜ哨戒艦を攻撃したのか。核兵器やミサイル発射の実験では実害の出る事態を避け外交カードにした。金正日総書記は健康悪化で判断力を損なったのか。
「とんでもない。計算し尽くされた作戦だ。北朝鮮は米国との2国間交渉を実現し、体制安定の保証を得ることを目標にしてきた。ところがオバマ政権は6カ国協議など多国間の枠組みを重視し、米朝協議に応じようとしない。
焦った北朝鮮は韓国軍艦を隠密作戦で攻撃し、米国が韓国との同盟から北朝鮮との対決の前面に出るほかない事態をつくった。軍事的緊張は朝鮮半島が戦争状態にあるという北朝鮮の主張を現実化し、米国も平和協定に向けた交渉を考えざるを得なくなる」
■黄海銃撃戦への報復
-大勢の死者を出せば国際的な非難を浴びる。
「だから自らの攻撃と認めてはいない。もし、認めることに追い込まれても、昨年11月に黄海で起きた韓国軍艦艇と北朝鮮警備艇の銃撃戦で北側に4人の死傷者が出たことへの報復と主張できる」
-中国は北朝鮮のやり方を受け入れるのか。
「朝鮮半島情勢を複雑にする行動を喜んでいるはずがない。ただ、北朝鮮が関与を否定している以上、韓国の調査を、すぐに認めるわけにはいかない。中国には死傷者を出した黄海銃撃戦への報復として同情的な見方もある」
-朝鮮半島で軍事衝突が起きる可能性は高いか。
「北朝鮮が望むのは米朝交渉で体制危機を招く戦争ではない。しかし、米韓合同軍事演習を北朝鮮近海で展開すれば軍事トラブルの可能性はある。北朝鮮は限定的な紛争は米朝交渉の実現につながると判断するかもしれない」
-中国の立場は。
「中国は経済建設に有利な平和的環境を損なう軍事紛争の発生を望まない。北朝鮮の6カ国協議復帰を求め、そのための米朝協議も歓迎だ」
-北朝鮮は中国主導の6カ国協議は中国の支配を強めると不信感を隠さない。
「朝鮮民族は自尊心が高く、そう考えるかもしれない。しかし、米日韓と対立を強める北朝鮮が生き残るには、6カ国協議で核放棄の見返りに支援を得るしかない」
■朝鮮戦争参戦を賛美
-中国指導部は金総書記の訪中を「熱烈に」歓迎した。国防相も最近、朝鮮戦争に参戦した中国人民志願軍の「偉大な勝利」をたたえた。北朝鮮の側に立つという意志の表明ではないか。
「北朝鮮のやり方をすべて容認するつもりはない。極端な行動には多くの中国人が強い反感を抱いている」
そう言って彼は私に手を差し伸べた。 (論説副主幹)
2010年6月1日 東京新聞朝刊 17ページ「清水美和のアジア観望-米朝交渉狙い韓国攻撃」から引用
韓国政府は朝鮮がやったと主張しているが、朝鮮はそれを否定しており、実際はどうであったかは依然として藪の中である。仮に韓国政府の発表が真実であったとしても、それでも朝鮮側には戦争を始める意図は無く、単にアメリカと交渉を再開したいだけであるということのようだ。それもそのはずである。現在の朝鮮に、他の国と戦争を始められるほどの国力があるはずは無いのだから。
歴史は繰り返すという言葉について、2日の東京新聞コラムは次のように述べている;
歴史に学べ-。人々が歴史を学ばない戒めとしての言葉か。具体例をあげるのも面倒なほどの政治の混迷をみてそう思う。
いまは明治維新、太平洋戦争後に続く第3の大革新の時。そういわれて20年ほどがたつ。確かに東西冷戦と経済成長の終わりが重なり、行き先を見いだせないままさまよっている。特に目立つのは政治指導者のふがいなさである。
民主主義や平和、豊かさを自明のものとして育ったせいか、それを獲得、維持するために血のにじむような努力が不可欠という認識が薄い。国家運営の責任の重さに鈍感だ。政治は「ごっこ」ではない。
振り返ると明治維新は、徳川幕府による二百数十年にわたる戦争のない時代-世襲による権力の硬直化、弱体化。戦後の復興は、日清・日露戦争での勝利に象徴される近代化の成功-軍部独裁による十分な備えもなしの海外派兵による亡国寸前、という過程を経ての大革新だった。
栄光と混乱の繰り返し。人間は落ちるところまで落ちて痛みを実感しないと目覚めないらしい。そして、権力の端や外にいた人材が危機感を抱いて新しい時代をつくる。私事で恐縮だが今月いっぱいでお役御免となる。30年余り政治を見てきての感想だ。
戦後初めて民意による本格的な政権交代が実現したのに情けない限りだが、やがて失敗から学ぶこともあるだろう。 (小林一博)
2010年6月2日 東京新聞朝刊 11版S 5ページ「論説室から-やはり歴史は繰り返す」から引用
この記事によると、1990年頃から日本は明治維新や太平洋戦争敗北に匹敵する変革の時期に入っているとのことである。権力者が封建制度をもって社会を支配した時代が終わったのが明治維新、天皇が最高権力者としてこの国を統治する時代が終わったのが敗戦。であれば、現在は何が終わって何が始まろうとしている時期なのであろうか。
鳩山前首相が辞任する直前の「しんぶん赤旗」日曜版コラムは、沖縄の米軍基地問題について、次のように述べている;
23日朝、鳩山首相は、多くの県民が怒りの声とともに待ち受ける沖縄県庁に、2度目の訪問をしました。
テレビ朝日系の生中継を、多くの人がかたずをのんで見守ったでしょう。当然、NHKも同時中継すると思いましたが、なし。普天間基地問題に「腰がひけている」と思われても仕方ありません。
会談内容は、案の定、予想されたものでした。
首相いわく、「『抑止力』を低下させてはならない。県外に移設すると、海兵隊の機能を損なってしまう」。
「まだ沖縄の怒りがわからないの?」「なぜ、アメリカに率直にものがいえないの?」と声を上げた人も多いでしょう。
アメリカのデニス・J・クシニッチ下院議員が、「日本の人々への連帯メッセージ 在日米軍基地をめぐって」(4月25日)という声明を出しました。声明には大要こうあります。
「私は、米下院歳出委員会防衛小委員会の委員長に手紙を送り、米海兵隊の名護市への移転計画について懸念を表明しました。(移転の)議論に、地元住民の視点がまったく存在していないと。(名護市長選での)稲嶺市長の選出は、環境と暮らしを守ろうとする地元の人々の勇敢なたたかいの、重要で象徴的な勝利でした」「私は、沖縄の人々の懸念が確実に米連邦議会に伝わるよう、努力を続けます」
日本の運動が確実に影響を及ぼしているのです。
メディアも、米軍をタブー視せず、勇気を発揮するときです。同時に私たちも、メディアに頼るだけではだめでしょう。
訪米の報告をした日本共産党の志位和夫さんの、「アメリカにものをいえない政治でいいのか。私たちがいま野党として主張していることを、早く日本政府として主張できるような世の中にしようではありませんか」という言葉を、新鮮に思いだしています。(なかつくま・たくぞう=元ワイドショープロデューサー)
2010年5月30日 「しんぶん赤旗」日曜版 35ページ「メディアをよむ-『腰がひけている』」から引用
鳩山前首相の2回目の沖縄訪問を生中継したのが民放1局だけだったのは残念なことでした。米軍基地の問題は、安全保障政策に関わる問題であり、沖縄に任せておけばよいものではありません。国を挙げての問題であるにもかかわらず、沖縄だけに負担させて、あとは知らないというのでは無責任です。沖縄の過重な負担を、このまま放置してよいのかという観点から、NHKを含む多くの報道機関が、沖縄の実態と沖縄県民の声を、全国民に知らせる努力を払うべきではないでしょうか。
昨今のIT技術の進歩は革命的であるが、精神科医の斎藤学氏はその驚きについて、次のように述べている;
国外にいる患者からの手紙に「先生が最近のワークショップでどんなことをおっしゃったか、どんな服装をしていたかまでわかるようになりました」と書いてあって驚いた。ツイツターなるものの威力らしい。
告白するが私は最近の情報革命から取り残された難民である。ある機種のワープロにしがみついて製造停止になるまで使っていた。その後もそのパソコン版を使い続け入力専門機としてきた。
難民化に気づいたのは最近のこと。ブルーレイ版の映画が見たくて壁掛けみたいに薄いパソコンを買った。画面の美しさに感激したのが崇(たた)って、かなりの時間をこの機械に費やしてしまった。久しぶりの徹夜までした、というか朝になってしまったことが何度かあった。おかげで、私はここ20年間ほどの通信技術の進化を1週間で駆け抜けたと思う。
確かに便利だが良いことばかりではない。冒頭の患者からの手紙が気になり、あるポータルサイトに自分の名を打ち込んでみたら、巨大な塊が出てきた。しかもそれは「斎藤学の暴言」などの章に分かれている。
読んでみると、パラノイア・モンスターたちの匿名悪口雑言集。ベテラン精神科医なら、彼らを船底の牡蠣(かき)のように抱えているもの。それはいいのだが、書かれた方が何年も気づかないとは気色悪い。やはり情報革命は恐ろしい。(精神科医)
2010年6月2日 東京新聞朝刊 11版 23ページ「本音のコラム-情報革命」から引用
なるほどね、パラノイアなわけだ。些細なことにめくじら立てて、根拠を示せとか言い出すからね。
鳩山前首相が辞任する直前の東京新聞は、発足してから8ヶ月間の鳩山内閣の功績を次のように評価している;
普天間飛行場の移設をめぐる鳩山由紀夫首相の迷走で世間には首相に対する罵詈雑言(ばりぞうごん)があふれている。
確かに「国外、最低でも県外へ」と言い続けたあげく、「辺野古周辺」に舞い戻ったのはがっかりだ。しかし、8カ月の迷走が多くの事実を明るみに出したのは、けがの功名だった。
国土の1%に足りない沖縄に在日米軍基地の4分の3が集中し、不満が爆発寸前なことを国民が知った。県外に移転しようにも徳之島など各地の住民が反対し、戦後60年を経て多くの米軍基地が存在することに理解は得られていない。
万単位の人々が反対に立ち上がったことに米国は心胆寒い思いをしただろう。当初は声高に現行案実行を迫った米国高官の物言いが次第に軟らかくなった。
こうした国民の声を背景にすれば鳩山政権はもっと米国と交渉ができたはずだ。日米安保の役割を否定しないが、基地負担や地位協定には日本に不利な内容も多く交渉余地は大
きい。
大国化した中国は北朝鮮と韓国を仲立ちし台湾と交流を拡大した。東アジアの調塵役になった中国に米国は協力を深めている。
東シナ海で日中の紛争が起きても米国は介入するだろうか。自衛隊と米軍のバランスはこれでいいか。
普天間問題は安保をめぐる国民的論議を巻き起こす絶好の機会を提供した。「五月未決着」に、そんな機運を押し流させてはならない。 (清水美和)
2010年5月31日 東京新聞朝刊 11版 5ページ「論説室から-普天間迷走にけがの功名」から引用
沖縄で万単位の人々が基地反対に立ち上がったことは、有意義であった。沖縄の人たちにだけ反対を言わせるのではなく、「基地はもういらない」という主張を国民の世論としていく運動が必要と思われる。米国議会も、地元が受け入れない基地建設には予算は出さないという、これは正しい姿勢である。もし、東シナ海で日中間に紛争が起こったとき、米国は介入するかどうか、今となっては興味深い問題である。米国の経済が、日本と中国のどちらにより多く依存しているか、ここがポイントになるのではないだろうか。
法政大学教授の田中優子氏は、映画『ザ・コーヴ』を観た感想を、「週刊金曜日」に次のように書いている;
『ザ・コーヴ』を見た。この映画については、すでに昨年本誌でルイ・シホヨス監督へのインタビューをおこなっているが、その後この映画はアカデミー賞長編ドキュメンタリー賞その他5つもの賞を取っている。評判どおりの、スリリングで深い問題提起のある映画だ。
信じがたいのは、日本のマスコミや政治団体や地元の「反日」と感じるその感性である。私がもっとも心に残ったのは、日本のことなどではなく、リック・オバリーの生き方だった。『わんぱくフリッパー』は当時、私も何の疑いもなく見ていた番組である。動物を使うエンターテインメントはいくらでもあり、それに携わる人々も非常に多い。その中でスター級だったオバリーが自分の仕事に疑問をもち、その全てを棄てて活動家になった。私は「人間にとって仕事とは何か」「人は自分の生を支えている仕事にどう対するべきか」を、考えさせられた。人間が自然の恵みの中で生きている、という感覚を失ってから、仕事とはカネを稼ぐことになった。カネしか目に入らなければ、いかなる収穫物も必要を超えて多い方がいい、ということになる。節度がなくなる。いま地球に起こっている問題は、そのような人間のあり方に起因する。
オバリーの生き方もこの映画を作ってきたスタッフたちの意識も、私自身に生き方を問うものだった。そこにはこの映画と「私」の関係がある。私と世界との関係がある。「反日」という国家意識が入り込む余地はない。それどころではない。海全体の水銀汚染をも、つきつけているのだ。
ありがたかったのは、日本学を仕事とする私が、太地町の漁師たちの罵倒を聞くことができたことだ。5月3日の憲法記念日には、日の丸を掲げて都心を走る街宣車の罵倒をたっぷり開かせてもらったが、漁師たちの罵倒の言葉は、それにそっくりだった。『カムイ伝講義』で日本の農漁林業の職人気質のすごさを書いた私にとって、それは目が覚める体験だった。「退廃」という言葉が浮かんだ。自分の日々の仕事の意味を見失った人間に残されるのは、退廃なのかもしれない。その退廃を、「伝統」という言葉で糊塗する人たちがいる。
5月9日、環境省は太地町の住民の毛髪から全国平均の4倍を超える水銀濃度を検出したと発表した。「伝統」と表現されたクジラ・イルカ漁は、これで終焉を迎える。
2010年5月14日 「週刊金曜日」798号 9ページ「風速計-ある『伝統』の終焉」から引用
田中教授が言うように、私も捕鯨に反対することが「反日」だと思う感性というのは、ちょっとおかしいと思います。人間が生きていくために必要があって鯨を捕っていた頃は、余分に捕ることはなく鯨が絶滅する危険も無かったわけであるが、資本主義経済に捕鯨が組み込まれたときから、カネのために乱獲するようになって、鯨は保護されるべき存在になった。その上、現在は健康被害という危険も伴うようになったのであるから、これを国際世論に逆らってまで続ける意味があるのかどうか、私は疑問に思います。