神との交流によって子供が授かり、人が増えるということは、すごくめでたいことで、すばらしいことと感じられました。同様に土地を通して収穫が得られ、人々を潤すことは神意のあらわれとして、おめでたいお祭りで神に報いました。そのときに性交渉を表すパフォーマンスが行われるのは、性と豊穣が結びついていたことを表します。佐渡には「つぶろさし」という神楽が伝承されております。今はそういうものをただ民俗的な卑猥と思っている人が多いのですが、この「田あそび」の行事は豊作を願う性的豊穣儀礼の基本という民俗学の考えに従うべきでしょう。

日本国土のうみもいざなぎ、いざなみの男女神の交合によっておこなわれたと古事記には記載されいすます。

神社の境内とか遊女屋の神棚とか庭石に、男性のシンボルとか女性の割れ目を模した物体が飾られていることがあります。これも性と神に豊穣を祈願する人の心の表現であります。

2500年ほど前のギリシャ人ヘロドトスの書いた歴史書のなかにも、聖娼とでもいう遊女の起源のようなことが書かれてあるといいます。

バビロン人の風習として、女は誰でも一生に一度は美の女神ヴィーナスの社殿にすわって、見知らぬ男と交わらねばならぬといいます。男が女の膝に金を投げて、「ミュリッタ様のみ名において、お相手ねがいたい」と言います。男と交われば女は女神に対する奉仕を果たしたことになると理解されます。

人、霊長類の一部には他の哺乳類のような繁殖期がありません。自らの想像力だけでも発情できます。思春期以後には時期を選ばない性欲と精力の高揚に苦悩することになります。それにはヒトの脳がたどった発達の過程説明が重要です。爬虫類、鳥類以前の生物の脳には、ヒト脳の中心部にある視床脳とか大脳辺縁系などが大きく占め、生物が生きてゆくための中枢として存在しました。しかしものを考えたりする理知の機能はほんの少しのものしかありませんでした。進化が進んで霊長類になりますと、その古い脳の表面に新しい大脳が新生され、古い中心部の脳を下部組織としてコントロールするようになりました。下肢で直立歩行をして両手が自由に使えるようになったのが、大脳を発達させた原因といわれています。そこで人間らしい思考と情緒が新生され、通年の発情とその制御が発生したものと考えられます。

この新生大脳の発達によって得られた発情を古代の人類はうまく活用し人間らしい性生活を何世紀も送ってきました。日本では少なくとも中世までは男女のおおらかな交渉が続いていました。大脳による思考の発達により、性交渉時のトランス状態に陥る姿を恥ずかしいと感じた人はこれを秘事として他から隠蔽した心情は理解できます。また無防備の態勢を遮蔽するという原始時代からの防御反応の意味もあったかもしれません。お産のときも、産婦の一種乱れた姿を忌み、古くは産屋(うぶや)を建ててお産をした故事と同じでしょう。

こんな単純明快の性交渉も、文化の進展とともに動物的なものから大脳の思考がつくった人間の世俗習慣、結婚制度などに影響される運命に至りました。

1へもどる

2へもどる

3へもどる

5へ