きょうのコラム「時鐘」 2010年6月19日

 サッカーW杯では試合前、対戦国の国歌が流れる。ブラジルやイタリアの国歌は、テレビ観戦で知った。「君が代」もそうだが、西洋風一辺倒ではない。なるほど世界は広い

国歌を歌う選手たちをカメラとマイクが追う。音程を外してしまう有名選手もいてクスッとさせられるが、みんなわが国歌こそが世界一と、晴れやかに歌う

国歌演奏ほど重々しくないが、大相撲では関取を紹介する場内放送で、必ず出身地が告げられる。憎いほど強い力士でも、「モンゴル・ウランバートル市出身」などと紹介されると、異国で頑張っているんだ、と応援したくなる

ふるさとの名が流れるのは、誇らしい。だから、「石川」出身の関取が一人になり、「富山」が久しく聞かれないのは寂しい限りである。土俵の上でふるさとを名乗る力士も、「お国自慢」の一つである。黒星が続いても、引退して親方になっても、ふるさとは声援を続ける

それが怪しくなってきた。国の名を汚すような力士や親方が何人も出る不祥事である。人気稼業を支えるのは、ふるさとの力である。それをすっかり忘れてしまったか。