今回の案内は、天満天神繁昌亭(大阪市)の支配人、恩田雅和さん(60)。ものがたり観光行動学会の李有師さん(55)のペンションがすぐ隣にあるので、李さんのご近所さんだ。新潟生まれの恩田さんが「大阪と新潟をつないでいた北前船の跡をたどってみませんか」。歴史紀行へ旅立った。
新潟空港(新潟市)には、恩田さんの保育園から高校までの同級生、枝村新一さん(60)が車で迎えに来てくれていた。まずは日本海を望む日和山展望台へ。目の前には大海原、振り返れば、4月末でもまだ雪をかぶっている飯豊(いいで)連峰。この眺めはなかなかだ。「山から朝日が昇り、海へ沈んでいくんです」
展望台の東に小高い丘があった。「新潟港水先案内水戸教(みとおしえ)発祥地」「北前船新潟港寄港記念」と墨書きされた碑が建ち、てっぺんには小さなお社がある。「住吉神社ですねえ」と恩田さん。大阪の住吉大社を総社に持つ、海の神様だ。なんとなく、大阪とつながってきた。この神社は江戸時代末期に建立され、明治初期に焼失したが再建。昨年、新調された。
この日和山は江戸時代後期まで新潟で一番高い所で、船見櫓(やぐら)があって、北前船の船乗りが出港できるかどうか、天候をみる場所だった。水戸教とは、信濃川河口の浅瀬の変化を観測し、港に出入りする船を誘導する仕事だった。
遅ればせながら、北前船とは江戸-明治時代にかけて、北海道と北陸、大阪を結んでいた西回り航路のことだ。関西では料理のだしに欠かせない昆布は、北前船で北海道から入ってきた。新潟からは米を出荷。最大の送り先が大阪だった。
食文化におおいに関係ある北前船。昼時とて、腹が鳴る。「それなら行形亭(いきなりや)へ行ってみるか」と恩田さんと枝村さんの相談がまとまり、市中心部へと車を走らせる。
行形亭は江戸・元禄時代創業の料亭。趣ある黒塀が延びる。小道の向かいは赤いレンガ塀が続く。実はこの道、恩田さんと枝村さんの中学の通学路。「レンガ塀は刑務所跡なんです。片方は料亭、片方は刑務所」。江戸時代の終わりごろに牢屋(ろうや)が引っ越してきて、昭和40年代まで刑務所があった。道一つ隔てて大違い、というわけで、小道には「地獄極楽小路」の名が付いている。
女将の行形滋子(よしこ)さん(71)によると、明治の初め、北前船の帆柱に使う杉が手に入り、それをなげしに使ってしつらえた50畳の大座敷が、今も残る。
さすが老舗の料亭ゆえ、予約なしでは入れず、別の店で昼食を済ませて、かつての繁華街、古町かいわいを歩く。ふとピザ屋の看板に目が留まった。「大阪で一番古いピザの店」。店の名はラ・フロリダ。李さんが「今のアメリカ総領事館の辺りにあったわ。食べに行ったことある」とひざを打つ。
「大阪から来た」と告げると、店主の船塚清文さん(60)が懐かしげに迎え入れてくれた。1960年に大阪で初めてピザを出したラ・フロリダで9年働き、25年前に妻の里の新潟に移ったという。「大阪の店は17年前になくなりました。うちは昔のままの味」と船塚さん。こんなところでも、大阪と新潟がつながった。<文と写真、松井宏員>
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■旅の手帳
伊丹-新潟は約1時間のフライト。ラ・フロリダは新潟市中央区東堀通6番町1041。電話025・224・9650。
毎日新聞 2010年5月31日 大阪夕刊