人は死ぬとき、脳裏に何を思い浮かべるのだろう。
よく聞くのは、いわゆる走馬灯というやつだ。過去に自分が体験した記憶を、子供の頃から順番に思い出していくという人生のリプレイ鑑賞。
それは多分、意識して思い浮かべるのではなく、死ぬと身体が察知したとき、自然と始めてしまう現象のようなものなのだろう。
けどそれは、つまり死ぬと思ってから実際にそこに至るまで、わずかながらでも時間がある者にだけ与えられる権利だ。
致命傷から死まで刹那でも意識が残っていれば、過去を振り返るには十分すぎるほどの時間が作れる。しかしそれすらも奪われた者は、何を感じればいいのだろう。
すなわち即死の状況に陥ったとき。
人は何を残す権利があるというのだろうか。
『死』とは生物全てに平等に与えられた権利……なんてよく言うけれど、その過程は人によって天と地ほどの差が出てきてしまう。
幸福に寿命を全うするものもいれば、不運の交通事故でこの世を去るものもいるだろう。
それら全員をひっくるめて『死』一つで片付けてしまうのは、あまりに横暴すぎやしないだろうか。不公平、不平等、不当差別である。
……いや、例えそれがどんなに不幸な事件だったとしても、不注意とか、交通事故とか、誰かに殺されたとか、そーいう現実的な死は、まだ許そうじゃないか。諦めもつくさ。
けど隕石が頭にぶつかって問答無用で即死ってのは流石に神様にも一言物申さないと気がすまないぞ僕は!
ありえなくない!? 漫画やアニメじゃないんだからさ!
歩いてたら後頭部に空から落下してきた光が直撃して意識がぶっ飛ぶって、そりゃないでしょいくらなんでも!
僕の人生ってなんだったの!? 新聞に『死因は隕石直撃による即死』って書かれてお茶の間で笑いものになるために生きてきたっていうの!?
そんなの死にきれないに決まってるじゃないか!
納得できるはずがない、これで終わりだなんて思いたくない!
僕はまだまだやりたいこともあったし、伝えてないことも沢山あった!
こんなことで――こんなところで!
あっけなく終われるような安い生き方してたつもりはないんだよこのファック神様ッ!
「…………っ」
ゆっくりと、まどろみから意識がさめていく。
目が覚めたとき、最初に感じたのは、風の匂いだった。
「……あ……え……?」
自分でもわけのわからない呻きをあげながら、顔をしかめる。
鼻先を、何かがくすぐっていた。寝ぼけた意識が次第に覚醒していき、その正体が純白のカーテンであることが分かる。
「…………風が……」
すぐ傍の窓が大きく開いていて、そこから風を呼び寄せているようだった。はためくカーテンは、まるで大海を漕ぐ巨船の帆にも見える。
……いや、何を恥ずかしいことを言っているんだろう、僕は。
ようやくネボスケの頭が働いてきたようで、僕は額に手をあて、自分に聞かせるように静かにため息をついた。後頭部の柔らかな感触が、今にして少しだけくすぐったい。
「……夢、かぁ。ま、そりゃそうだよな……」
もう一度、今度は安堵のため息。
そりゃそうだ、隕石にぶつかって死ぬことが現実であってたまるものか。
しかし妙にリアルな感覚だった。光が空からものすごい勢いでこちらに迫ってくる映像が、今でも脳裏に焼きついている。
僕はただ、道を歩いていただけで……次の瞬間、痛みを感じるより早く視界が殺されていた。なんというか、気色悪いくらいリアルな夢だったと思う。
けれど、ほっとした。
だってそれがどんなにリアルでも所詮はただの夢でしかなく、本当の「現実」は今ここにある。
そのことが何より嬉しくて、僕はいつもより気分よく身体を起こすことができた。
ふう。さて、急いで用意して学校に行かないと――
そんなことを思いながらベッドから出ようとして、ふと動きを止める。
「……え?」
ベッド?
そんなはずはない。うちにはそんな大層なものはなく、いつも敷布団で寝ているのだから。
けれど視界には、確かに真っ白なシーツと、掛け布団の間に挟まる自分の上半身が見えている。見覚えのない、若干ぶかぶかの青いパジャマを着て。
「……!」
僕は慌てて周囲を見渡した。
壁際に置かれた箪笥に机、そしてこのベッド、部屋に敷かれたカーペット、その下から見えるフローリングの床、……それ以外は何もない、殺風景でシンプルな部屋。掃除は行き届いているようで、部屋全体から清潔な香りと“気遣い”が感じられる、けれどどこか人の匂いがしない場所――
「……どこだ、ここ……」
まるで知らない部屋だった。
思わずぞくりとしたものが脳裏と背筋を走る。
得体の知れない恐怖が、一瞬にして僕の心臓を鷲掴みにした。
どうしよう、とか、なんとかしなきゃ、とかそういった明るい思考は微塵も思い浮かばず。
ただ混乱と恐怖だけが僕の身体を支配し、その場に留まらせていた。
――と。
このベッドからちょうど真向かいの位置にある扉が、何の前触れもなくがちゃりと開いた。
「……あら?」
「うわあごめんなさいごめんなさい!」
何がなんだか分からず錯乱状態に陥った僕は、“とりあえず困ったら謝っとけ”という祖母の言いつけを忠実に守り、とにかく扉に向かって大声で頭を下げた。
怖くて顔なんて上げることすらできず、そのまま目を瞑って硬直する。
すると、頭の先で、くすくすと小さな笑い声が響いた。
女の子の声だった。
「困りましたわ。突然謝られましても、わたくしもどうしたら良いやら。とりあえず頭をあげてくださいな。それではお話もできませんわ」
それは自然と透き通るような美声で、僕の恐怖心に満ちた心にすうっと溶け込むように入ってきた。だからなのか、僕は気付いたらその声の主に従い、目を開いて、ゆっくりと顔を上げていた。
「…………」
目も眩むような美少女が、そこにはいた。
艶やかな黒髪を腰まで伸ばし、頭には大きな白いリボン、整った顔立ちの中にどこか愛くるしい子供のような可愛さを兼ね備えていて、部屋に届く風が彼女のサマードレスの端を静かに揺らしている。
美少女の口元には微笑が浮かんでいて、その瞳はまっすぐとこちらのほうを捉えて離さない。
……いや。捉えて離さないのは、僕のほうかもしれなかった。
「ご気分はどうですか?」
「……え、いや、その……」
そんな美少女に声をかけられているのが自分だと思うと、なんだか途端に恥ずかしくて、僕はもじもじと視線をさ迷わせながら、結局は俯くことでその挙動不審を落ち着かせた。
「驚きましたわ。わたくしが歩いていたら、貴方が道の先に倒れていたんですもの。一応お医者様には診てもらっていますが、特に外傷はなかったそうです」
「……そ、そうだったんですか。あ、ありがとうございます……」
彼女の視線に耐えられず、俯いたままお礼を述べる僕。なんて失礼な奴なんだ。
……けど、道端で倒れていた?
ということはやっぱり、あの隕石は夢なんかじゃなくて……そこで気絶した僕を、彼女が助けてくれたということなんだろうか。
「やはりまだ、体調があまりよろしくないようですね。今日はゆっくりとなさってください」
少女が、こちらに近寄ってくる。
僕は慌ててベッドにもぐりこんだ。掛け布団をきちんと肩までかけ、これ以上彼女にいらぬ世話をかけまいと真っ赤な顔で必死な努力を見せる。
そんな僕の様子がとても滑稽だったのだろう。彼女は楽しそうにくすくすと笑っていた。
「ふふふ。では、家のものに食事を持ってこさせますわ。気が向いたときにお食べになってください」
こちらを見下ろしながら、ベッドの傍で彼女が微笑んでいる。
さっきよりも断然顔の位置が近くて、僕の脳は沸騰寸前だった。
それを悟られまいと、なんとか話題を作って興味をそらそうと試みる。
「え、えっと、ここって街のどの辺なのかな? 僕も学校があるし、場所によってはすぐに出かけないと……」
「ここは天常の屋敷です。ご存知ありませんか? 泰馬町ではわりと有名なのだと思いますけど」
「え? た、たいまちょう?」
知らない町名だった。ご近所にも、そんな名前の街、あっただろうか……?
「ぼ、僕、御門市に住んでるんですけど……」
「御門市?」
彼女は僕がそうであったように、不思議そうに小首をかしげ、呟いた。
「そんな名前の町、ありましたかしら……?」
「あ、やっぱり……。実は僕も、泰馬町って名前に、心当たりがなくて」
正直に吐露すると、少女はその整った柳眉をわずかにひそめた後、こちらを安心させるようににっこりと笑みを浮かべた。
「分かりましたわ。こちらで、その御門市という街の位置を調べてみましょう」
ああ、なんと出来た人なのだろう。僕はどうやらとんでもない善人に拾われてしまったようだ。
自分の幸運に思わず感謝しつつ、彼女には最大限の感謝の意を込めてお礼を言わねば。
「ありがとうござ――」
「オープン!」
少女がぱちんとその人魚のような麗しい細腕で指を一つ鳴らすと、宙に漆黒の色で染まった魔方陣が高速で描かれ、少女の前方に展開された。
「……っ!?」
あまりの衝撃的な映像に思わず言葉を無くす僕を尻目に、魔方陣からすぅっと立体映像のようなものが浮かび上がる。それはくっきりと、メイド服を着た女性を映し出していた。
『お呼びでしょうか、お嬢様』
「御門市という街の場所を調べてもらいたいの。頼めるかしら?」
『しばらくお待ちくださいませ』
メイド服の女性が深々とお辞儀すると共に、映像が消え、その下に敷かれていた魔方陣もふわりと消滅する。
「これで大丈夫ですわ。どんなに離れていても、すぐにわたくしの転移魔法で送ってさしあげますからご安心ください」
ふわりと天使のような笑みをこちらに向けてくる少女。……その笑みが、僕にはついさっきまでのものと、まったく違って見えていた。
「……え……いや、その……」
「どうかされましたか?」
ぱちくりとまばたきをする少女に、僕はどう返してよいやら迷う。先程の気恥ずかしさはどこかに吹き飛び、今はただ、別の意味で彼女と目を合わせづらかった。
……いや……ナニ? アレ……。
僕はさっきの不可思議な現象を思い出す。
突然空中に現れる魔方陣。浮かび上がる立体映像。
およそ現実離れした内容だった。
……夢?
じゃあここで今こうしてるのも夢なのか?
この目の前にいる美少女も妄想の産物?
あの隕石も夢?
……一体どこまでが夢で、どこまでが現実なんだ……?
「うわああ……」
情報に耐えられずパンクしそうになる頭を両手で押さえ、思わず唸る僕。
そんな様子を、少女はどこまでも不思議そうに眺めていたが、ふいに彼女の傍でまたあの魔方陣が開かれ、少女の身体はそちらのほうに向いた。
『お待たせいたしました、お嬢様』
「それで、どの辺なのかしら」
『お嬢様、この日本の市町村全てを検索致しましたが、御門市なる場所は一件も該当がありません』
「……なんですって? 本当なの?」
『間違いありません。世界各国のどこにも、そのような場所は存在しておりません』
「そ、そんな馬鹿な!」
聞き捨てならない言葉に思わず僕は身体を起こし、まったくの無意識で、その立体映像のほうに手を伸ばした。
魔方陣から浮かぶその映像に指先が触れた、その瞬間――
「……ッ!?」
「きゃっ……!」
魔方陣の構成が狂い、陣が掻き消えた。当然そこに浮かんでいた映像も途絶える。
「あ……」
どう考えても僕のせいだ。
なんだかとんでもなく悪いことをしてしまったような気分になり、慌てて少女に頭を下げる。
「ご、ごめん! な、なんかよく分かんないけど、消しちゃって……!」
「…………」
少女からの言葉はない。怒らせてしまったのだろうか。
おそるおそる顔をあげると、彼女は呆然としたような、信じがたいものを見たかのような顔で、こっちをぼうっと見つめていた。焦点が僕に定まっていない。
美少女をそんな表情にさせてしまった罪悪感で、僕は穴があったら入りたい気分だった。
「……あの……」
「………しを」
「え?」
少女の口から何事か漏れたようだったが上手く聞き取れず、思わず聞き返す。
彼女は先程までの表情とは違い、真剣そのものな表情を携え、しっかりとこちらの顔を見据えて言った。
「お話をお聞かせください。貴方のこと、――その全てを」
言われるがまま、僕は自分の身の上を喋っていた。
香取一郎という名前。住所、友人、幼馴染のこと。
そして自分に起きた、あの不思議な光との衝突事故を。
ベッドの傍で、部屋にあった丸イスに腰掛け全てを聞き終えた少女は、そのふっくらとした桜色の唇に指をあてて、何やら考察のポーズをとっていた。
話し終えた身としてはどうすればよいか分からず、彼女の次の言葉を待つしかない。
少女はしばらく間をあけて、ようやく顔を上げてくれた。
「……なんとなく、ですが。一郎様の事情は飲み込めましたわ」
「えっ?」
「そこにどんな力が作用したのかは分かりませんが……恐らく」
少女はゆっくりと立ち上がると、そっと右の手のひらを上に向けて、こっちに差し出してきた。
「……?」
わけがわからずその手と少女の顔を見比べていると、少女がぽつりと言葉を紡ぐ。
「展開 」
その言葉と共に、差し出された手のひらの上に、小型の魔方陣が光の軌道を描いて展開された。
「うわっ」
思わず上半身を後ずらせる僕に、少女は悪戯が成功した子供のような顔でにこりと笑う。
「やはり、見覚えがありませんのね。この力を」
「え? う、うん……当たり前だよ。そんな魔法みたいなの」
「みたいなもの、ではありませんわ。れっきとした『魔法』なんですの」
「……へ?」
「それも一郎様が居た『世界』とは違って、ここではこの力が当たり前に存在するものとして認知されている、いわば常識なんです。この『エテル』を使った魔法術式は」
エテル? スペルコード?
何を漫画みたいなことを言っているんだ、と一笑に付すのは簡単だった。
目の前でありありとその力を見せられていなければ、当然取り合わなかっただろう。
「……何を……言っているんだ? 君は」
それでも、俄かには信じられなくて。
僕はそう言うしかなかった。自分の価値観、存在意義、培われた一般常識を守るために。
けれども、一見失礼ともとれる態度をとった僕に怒ることなく、むしろ彼女は駄々をこねる子供に言い聞かせるように、僕の瞳を見て、しっかりとその言葉を口にした。
「一郎様。端的に申し上げますわ。わたくしの推測でしかありませんが、……貴方はこの『世界』の人間ではありません。少なくとも、このエテルが通じない場所からやって来た、異界の方なんですわ」
――意識が飛びそうになった。
※某物語のIF、なんですがそっち知らなくても全然問題ありません。
作者が急激なラブコメ欠乏症にかかったため、その薬としてコレが生まれました。
異世界学園魔法ラブコメモノなんて手垢のついたネタなんで、開き直ってとにかくただラブコメ分だけを補給していきます。
基本はとらぶってToLOVEってトラブるだけの話です。