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兄の御霊へ... 遺産7000万円寄付 1月死去の女性「遺骨収集に」

 沖縄戦でこの世を去った兄への思いから、20年以上にわたって戦没者の遺骨収集に携わり、今年1月、87歳で亡くなった大阪市阿倍野区の陰山三千代さんが生前、「兄たちの慰霊に充ててほしい」と示した遺志で、総額7千万円が遺骨収集の実施団体や寺社などに寄付される。このうち4千万円は、兄の御霊(みたま)が眠る靖国神社(東京)に贈られるという。沖縄戦終結から23日で65年。関係者は「陰山さんは、私たちが忘れかけている大切なことを教えてくれている」と話す。

 陰山さんの1歳違いの兄、文吉さんは昭和20年6月に24歳で戦死した。当時、陰山さんは看護師として働いていたが、終戦後に勤務した京都府舞鶴市の引き揚げ者の収容施設では、旧満州で旧ソ連兵に性的暴行を受けて妊娠した女性の中絶手術に携わるというつらい経験もした。

 独身だった陰山さんは、看護師を定年退職後の昭和62年ごろから毎年、兄が亡くなった沖縄を訪問し、戦没者の遺骨収集をした。小柄な体で高齢にもかかわらず、ヘルメット姿で壕(ごう)などに入り、懸命に作業に励んだ。陰山さんの体はがんにむしばまれていたが、昨年1月にも病をおして沖縄を訪れたという。

 「先生に相談がある」。元大阪弁護士会会長の小寺一矢さん(68)が、陰山さんに突然電話で呼び出されたのは2年前。陰山さんは医師をしていた小寺さんの父の部下で、40年来の親交があった。陰山さんはすでに病床の身だったが、兄の戦死や遺骨収集について初めて打ち明け、遺産の寄付の相談を持ちかけた。

 「明るくさっぱりした性格の陰山さんが、まさかそんな思いで生きてきたとは思いもしなかった」。小寺さんは思いの強さを感じ、遺言執行者を務めることを承諾した。

 今年1月初旬、舞鶴時代の話を涙しながら聞いた際、陰山さんは「先生、舞鶴に行きたい」とつぶやいた。陰山さんには中絶された子供たちの供養をしたいという意志もあり、小寺さんは「春になって暖かくなったら行こう」と話したが、陰山さんは1月23日に息を引き取り、約束は果たせないままとなった。

 陰山さんの死後、遺品を整理した小寺さんは、カレンダーの裏を利用した手作りのアルバムを見つけた。写真の一つ一つに、びっしりと説明や感想などが書き込まれていた。

 「糸満市山城にて。私が頭蓋(ずがい)骨一部と上顎(じょうがく)骨を発見した場所」「兄の戦死場所と同じ」…。昭和62年2月の訪問時の記述。参加者が収骨現場で手を合わせている写真には「どんなに苦しい思いで追いつめられ、ここにて最期になられたのだろうかと、胸の痛み、悲しみ…」と言葉が添えられていた。

 遺品にふれ、小寺さんは「どの遺骨も兄さんやと思ってなでるんや」と語っていた表情を改めて思い浮かべた。

 遺産は大阪や京都の寺院や神社、遺骨収集団体に寄付し、残りは全額靖国神社に贈る。小寺さんは今夏の終戦記念日までに終える予定で準備を進めており、「陰山さんは、潔くいちずな人生だったと思う」としみじみ語った。
 

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