【コラム】鄭大世の涙(下)

 昨年12月に、かつて日本から北朝鮮に帰国し、その後脱北した高政美(コ・ジョンミ)さんに大阪で会った。彼女は「清津港に着いた日、『日本に帰る』と泣いた兄が港で姿を消した」と話した。遺骨もないまま、死亡通知が届いたのは8年後だった。持病があった父親が息を引き取る際には、「自分が罰を受けた」と話していたという。彼女は済州島出身だった。日本で朝鮮総連幹部として、帰国事業に参加し、同胞数万人を送り出した後、自分も北朝鮮に渡った。

 1959年から1984年までに北朝鮮に渡った在日同胞は9万3340人。数多くの帰国同胞が生死の確認すらできないまま、「祖国」の収容所から消えた。

 数日前、テレビ朝日はサッカー北朝鮮代表の鄭大世(チョン・デセ=川崎)に「日本に住み、韓国籍なのに、なぜ北朝鮮のサッカーチームを選んだのか」と尋ねた。彼は「祖国だからだ」と迷うことなく答えた。鄭の母親はブラジル戦終了後、「きょうの健闘で北朝鮮に対する世界のイメージも変わったと思う」(日本経済新聞)と語った。

 半世紀前、在日同胞9万人は鄭大世と同じ思いだった。彼らは勇気を抱いて、「祖国」に向かう北送船に乗った。仮に鄭大世が当時、北送船に乗っていたならば、どんな運命が待ち構えていたか想像に難くない。ブラジル戦に先立ち、鄭大世が流した涙を北朝鮮で死んでいった在日同胞が見たらどう思うだろうか。その涙に感動するような韓国の一部の雰囲気に対しては言葉もない。

東京=鮮于鉦(ソンウ・ジョン)特派員

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朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

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