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きょうのコラム「時鐘」 2010年6月18日
とうとう本能寺が炎に包まれ、織田信長が最期を迎えた。堺屋太一さんの連載小説「三人の二代目」は、大きなヤマ場に差し掛かった
謀反を知った信長は、「是非も無し」という言葉を残した。「善悪道理の問題ではない」と、堺屋さんは解釈する。心に残る「是非も無し」である。そう聞かされた側近も一緒に死んでしまったはずなのに、なぜかいまに伝わる言葉である。英雄には不思議な力がある 本能寺の変に至るまで、物語はゆっくりと進んだ。主人公や多彩な脇役が、北陸や中国戦線で絡み合う。突然の悲劇は、いつやってくるのだろう。そんな思いを抱きながら連載を読んできた 信長の死の場面の直前、平成の世では新政権がつまずいた。明智光秀軍の攻撃は、参院選の陣太鼓に重なった。また、戦いが始まる。法案づくりよりも、議席争いである。政治家は選挙屋になる。道理が棚上げになることは、いまもある。これも、「是非も無し」か 小説は、いまの時代を映すように展開する。本能寺の変を描く物語は、天変地異ならぬ「天変人異」の章である。いまの人間界も、異変には事欠かない。 |