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I Get Around The Media 楠見清のメディア回游 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2008-06-17 KRAZY! at Vancouver Art Gallery

「KRAZY!」展に投げかけてみたこと

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共同キュレーターとして参加した企画展「KRAZY!:アニメ+コミックス+ゲーム+アートの熱狂的世界」が、バンクーバー美術館(Vancouver Art Gallery)で始まっています。先日カタログがようやく届いて今その全体像をようやく知りえたところ(ちなみにカタログはまだAmazonでは買えない様子。洋書店への入荷状況等も発見したらまた記すことにします)。

ウェブで検索してみたら『バンクーバー経済新聞』にさっそく記事になっているのを見つけました。

『バンクーバー経済新聞』5.26付


この展覧会は、20世紀以降の北米のコミックス、ヨーロッパのグラフィック・ノベル、日本のマンガ、アニメ、そしてTVゲームやそれらをテーマにした現代の芸術表現を、国境や言語を越えた国際的な視野で取り上げたもので、北米からは名作『マウス』で知られるアート・スピーゲルマンがグラフィックノベル部門を、ドリーム・ワークスのアニメーション監督ティム・ジョンソンが動画カートゥーン部門を、「シム・シティ」のウィル・ライトがゲーム部門を担当するというそうそうたるメンバーだが、日本からはカルチュラル・スタディーズの研究者でアニメに詳しい上野俊哉さんと僕が参加し、作品の選出とカタログ解説執筆をしている。

加えてアメリカのポップ・アートと日本のネオ・ポップを中心とした現代美術への接続は、本展ディレクターであるバンクーバー美術館のブルース・グランヴィルがキュレーションしている。個人的には僕の興味も当然そこにある。


10年も前のことになるが美術手帖別冊『MT:マンガテクニック』の編集と『コミッカーズ』の創刊を手がけた経緯から、今回僕は日本のマンガとアートとの接続をテーマに、大友克洋、江口寿史、今敏、松本大洋、安野モヨコ、湯浅政明、岡崎能士、横山裕一、水野純子、小田島等、新海誠ら15名(いずれも敬称略)を上野俊哉と共同で選出した。1980年代のニューウェイブと呼ばれた動向から現在までを一連の流れとして捉えると同時に、それらに共通する文化的遺伝子を60年代の日本のアングラ(たとえば寺山修司)、サイエンスフィクション(たとえば筒井康隆)、そして実験芸術(たとえばハイレッドセンター)といった諸表現の中に見出すことをコンセプトとしている。通常のマンガ史の文脈とは異なる文化史の隙間から個々の作品を浮き彫りにするサーチライトを照射してみたいと考えたわけだ。


そのコンセプトはカタログ(英文)の作家解説のなかにも部分的に反映されているが、諸般の事情で執筆しながらも未掲載の断章もある。だから今回この展覧会を前に上野さんとディスカッションしたり考えたりしたことについては、いずれ別の機会を見つけて僕なりにまとめ直して公開したいと考えている。


奇しくも、マンガ雑誌の相次ぐ休刊がいよいよ大手出版社の少女誌から青年誌にまで飛び火する昨今、20世紀のマンガ史をより広範囲かつジャンル横断的な《雑誌文化》を豊潤に充満させた重要なファクターとして、あらためて再認識する必要を強く感じている。「KRAZY!」展に投げかけたことが、地理的移動と時間的経過の後、いかなるバウンド・ボールで返ってくるか、今度はその捕球を試みたいと思う。

バンクーバー美術館オフィシャルサイト

2008-02-20 TypeTrace and The Art of Typing

donburaco2008-02-20

タイピングの美術館

《TypeTrace》のパッと明るくてチョッといい使い方を考えているのだが、そうそう答えがすぐに出てくるものではない。なので、この個人的な課題を多くの人と共有するために、ここにメモしておく。

《TypeTrace》とはもともとはアーティストの遠藤拓己が開発したある仕掛けをもったワープロソフトで、その機能は簡単にいうと、タイプ入力にかかった時間の経過に応じて、表示フォントのサイズが大きくなってしまう。そして、入力や文字変換の手順がすべてレコーディング&再生される、というもの。このいわば「作文追尾ソフト」は、実用性から遠のいていくベクトルをもったアプリケーションの姿をした作品なのだ。

《TypeTrace》は作文中の人間の思考の過程を──つまりは脳味噌の中をディスプレイ上に映し出してしまうという恐ろしくも恥ずかしくて面白いソフトでもある。僕は昨年、遠藤拓己とともに〈DIVVY/Dual〉名義の共同開発者であるドミニク・チェンを通じてβ版をもらって以来、何度か授業で学生たちと一緒にいじったりしながら楽しんでいた。

具体的な操作画面はこんな感じだ。

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このデモ動画はなぜかサイレント(音声なし)だが、実際はPCキーボード特有のズバズバとした小気味よいタイプ音がSEでついてて、これがなかなか鍵盤楽器ぽくて楽しい。

といっても、じゃあこれを使って何を書いてどう見せるのがよいのかというとそれはよくわからず、ただ何かができそうな可能性だけは未知数のまま、そして何か書いておこうと思いながらも丸1年が経過してしまったのだが、その間、作者たちはさらにもともとのプロトタイプの制作者である松山真也とともに〈Dividual〉という新チームで改良を重ね、東京都写真美術館の「文学の触覚」展では、小説家の舞城王太郎にこれを使ってもらうという最高なデモ展示を成功させてしまった。

f:id:donburaco:20071212172425j:imagehttp://www.syabi.com/details/bungaku.html


写真美術館の展示ではないが、昨年1月にパリのシャイヨ宮劇場で開催された「No Tatami Spot」で展示されたときの動画がネット上にアップロードされている。キネティック・キーボードと呼ばれる装置がスクリーンモニタとシンクロして自動タイピングを続ける。このシステムは写真美術館の展示でも同様に使われた。

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ちなみに、いまこれを読んでいる人は仮に展示が見られなかったとしても、TypeTraceのアプリそのものはここ(http://dividual.jp/get/tt/)からダウンロードできるので、むしろ自分で使ってみることで体験してみるといい(現在のところMacOSX版のみ。この一般配布版はアプリとしてのディレクションとデザインはドミニク・チェン、コーディングは永野哲久によるものと聞いた)。

使い方自体は至って簡単、ていうかフツーに文字入力してればよろしい。説明をしたりされたりするより、とにかくいじってみることだ。道具は使ってみなければ使い勝手はわからないし、手にしてみれば道具は使用者にあった使い方をアフォードしてくれる。

通常、私たちは文章を書いたり読んだりするときに、最終的な完成形だけをもってやりとりをしている。途中、書き直した箇所はなかったものとして取り扱われる。絵画も同様で、完成した作品の表面からその下にどんな下絵があったかは肉眼ではわからない。いわば物書きや絵描きは「結果がすべて」であって、そこに至る「過程」は鑑賞や批評の対象にはならないものだった。

だが、20世紀半ば、描画の身体性を重視するアクション・ペインティングの出現以来、制作過程にも目が向けられるようになり、ライブ・ペインティングやアート・イン・プログレスといった名目で画家の制作行為そのものやその過程を、一種の表現として、あるいは一種の見世物として見せていく動きが20世紀後半進展を見せた。

《TypeTrace》はタイピングという指先の作業に光をあてることによって、作文(ワードプロセッシング)という本来は書き手の頭の中で行なわれるとらえどころのない作業に、時間と空間を与え、そこにアクション・ペインティングやポエトリー・リーディング、さらにはラップや楽器の即興演奏にも通じる身体性を喚起させる。

   *   *   *

タイピングの身体性について考えるには、PCキーボードよりも遡って、タイプライターから考える必要がある。

そのオープニングとして、まずこんな映像から始めてみよう。ジェリー・ルイス主演の1963年の映画「底抜けオット危ない」からのシーン。

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タイプライターのもつ音楽性は、現代ではさらに大掛かりな、そして大袈裟な方法論でまとめあげられている。たとえばこれ、ボストン・タイプライター・オーケストラの演奏は、かつて洗濯板を楽器代わりにしたジャグ・バンドの遠い発展形にも見える。

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タイプライターがかくもリズミカルで軽やかな雰囲気をもっていたのは、20世紀を通じて働く女性の花形だったオフィス・タイピストの華麗さとお気楽さによるものだろう。さらに事務機械としてポータブルに設計されたタイプライターが発売されると、ヘミングウェイのような小説家は「僕はこれ1台あればどこでだって仕事をすることができる。ほらこうしてヨットの上でもね」といった感じで麦わら帽子と余裕たっぷりの笑顔で取材に答えてみせた(それは19世紀にチューブ入りの絵具が発売された結果、印象派の画家たちが絵具箱とランチバスケットを小脇に抱えて戸外に現れた光景をも大いに連想させる)。

ただ、文芸作家にとってのタイプライターが本当にそうだったかといえば答えはノーだ。むしろヘミングウェイはポータブル・タイプライターを戸外に持ち出すという身振りによって、例外中の例外を演じていたと見るべきだろう。小説家にはそれぞれに執筆の苦しみがある。その意味では、彼らが日々向かう黒く重たい卓上型のタイプライターは、タイプ=活字を印字(プレス)する印刷機であると同時に、自らの文芸創作のエッセンスを圧搾(プレス)して抽出する機械でもあったはずだ。

これはスタンリー・キューブリックの映画「シャイニング」の1シーン。

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映画「シャイニング」のなかでジャック・ニコルソン演じる主人公はタイピングという行為を通じて狂気の世界に足を踏み入れていく。そして、ある日ふと妻が見たタイプ用紙に無尽に繰り返された《All works and no play makes Jack a dull boy》(英語のことわざで「勉強しすぎて遊ばせないと子どもは馬鹿になる」の意)の文字列がつぎつぎとスクリーンに大映しにされるシーンから、この映画はスリラーへと急降下していく。

下の写真は2004年フランクフルトのドイツ映画博物館とドイツ建築博物館で開催された企画展「キューブリック・オン・ビュー」における「シャイニング」のコーナー展示。劇中ジャックが使用した小道具であるタイプライターと《All works and no play....》の文字に埋め尽くされたインスタレーションだ。

f:id:donburaco:20080220153948j:image ▶http://www.stanleykubrick.de/

近代が生み出した機械的な筆記具であり印字機械であるタイプライターは、文字のマシンガンだ。それはTAKKA TAKKA!という機関銃の銃声のような金属音とともに、アルファベットの銃弾を放つ。このとき作家は銃手になる。そう、ニーチェは1880年代に市販されたばかりの卓上タイプライターを買ってきてようやく「神は死んだ」とキーを弾くことができたのではなかったか。おそらく、人間の肉筆では神は殺せなかったのだ。

f:id:donburaco:20080220153950j:image◀機械的な銃声 Takka Takka by Roy Lichtenstein, 1962


そして、ニーチェが文字で神を殺してから125年経ったいまも、人はまだキー・タイピングで殺しを続けている。たとえばこんなタイピング学習用ソフト。ここでのあなたの敵はゾンビ。

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ちなみに僕自身のことをいうと、僕はかろうじてタイプライターを日用品として使っていた経験がある。高校生の頃、自宅にあった兄のタイプライターを使ってよくカセットテープのコレクションのラベルやインデックスを作ったり、好きな楽曲の英語詞をリライトをしていた。1980年代前半、まだパソコンはおろかワープロと呼ばれるオフィス家電すら出現前夜の当時、工業的な文字を卓上で操作できる道具はタイプライターとインスタントレタリングくらいしかなかった。僕はそれらを熱心に使った最後の世代にあたるはずだ。今では信じがたいことだが、ミスタイプすると最初から打ち直していた。というか、筆記具としてのタイプライターは「下書き」と「清書」という2段階の作業を必要とするものでもあったはずだ。正確にいうとこの2工程の間には「推敲」という静かな作業がある。

メモリを搭載したワードプロセッサーの出現が人々のタイピングの作法を変えた。書いては消し、書きためたものを切り貼りする。ワープロによる作文(ワード・プロセッシング)は執筆と推敲を同時に行なうテキスト編集という仕事をユーザーに与えた。writer(もの書き)とeditor(編集者)の仕事はこのときから一体化する。ケータイでメールを打つ小学生も定型文や絵文字やコピペ機能を当たり前のものとして使いながら文書を「編集」している。

換言するなら、今や何かものを書くとき誰もが無自覚に編集者になっている。そして、editing=編集はもはや特殊な職能ではない。

お別れはやっぱりこの曲で──。筆記印字機械と音楽再生機械の蜜月。タイピングと回転という2つの近代的な機械の運動が重なり合った情景は、なぜかくも愛おしいのだろう。

D 78 rpm Leroy Anderson - Typewriter (Played on a Garrard 4HF)

2007-09-29 20世紀美術論

donburaco2007-09-29

後期から多摩美術大学で担当している「20世紀美術論」の講義録を今後公開していくことにします。

さまざまなジャンルで活躍しているクリエーターや研究者の皆さんをゲストに招いての授業なので、ゲストの方や関係者のみなさんにも前後の授業の流れを把握してもらいたいのと、そこで得られた貴重なお話を教室の内外で広く共有していきたいので。もちろん受講生諸君はノート代わりに閲覧してくれてかまわない。

ただし、ここに貼付けてある映像はインターネット上でリンク可能なものに限定しているので、教室で上映した映像のすべてではないことをあらかじめ断っておく。

破壊の世紀──ギター・スマッシュの起源

[ゲストなし]

この授業は「20世紀」の「美術」を「論」じるものです。「美術」といっても広く芸術(ART)としてとらえ、純粋美術や視覚芸術以外の周辺ジャンルの表現をも含めて扱っていきます。

私たちは20世紀に生まれました。では、20世紀とはどんな時代だったのか?

世界大戦と革命、暗殺と虐殺、核兵器と環境破壊などを見れば人類史上最も野蛮な世紀といえるでしょうし、動力飛行機の発明から月面着陸までを見れば人類の活動圏が飛躍的に拡張された世紀であり、大量生産と大量消費と大量輸送によって実現したものからは物量と速度の世紀といえるでしょうし、写真や映画やラジオやTVからインターネットまでを見れば視聴覚メディアの世紀といってもいいでしょう。


同時に文化史的に見れば、20世紀初頭から世紀末までの流れは、先鋭的なアバンギャルドが芸術動向としてさまざまに展開され、大衆に受容されながらやがてポップ・カルチャーやサブ・カルチャーに浸透していった時代といえるかもしれません。

今日はその一例として、前衛芸術のアート・パフォーマンスがロックのステージに、そしてインターネット上に見られる匿名的なビデオにまで与えた影響を見てみたいと思います。


まずは1960年代のフルクサスのイヴェントの映像から紹介。

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オノ・ヨーコの「カット・ピース」(1965)は観客がひとりずつ作家の衣服にハサミを入れていくというもの。作家は何もせず、観客が行為者なんです。


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これはナムジュン・パイクが1995年に再演したイヴェントで、ヴァイオリンを手にして壁にこすりつけたり、叩き割ったり、燃やしたりしている。パイクは1961年からヴァイオリンを手にしたパフォーマーがゆっくりとそれを持ち上げて無音状態をつくり突然振り下ろして叩き割るというイヴェントを演じていた。

ちなみにフルクサスのイヴェントは「スコア」と呼ばれるおもにテキストのインストラクションからなる楽譜があった。日常の時間や空間のなかで突発的な事件を起こすハプニングや、パフォーマー(演じ手)がステージ上で行う身体表現としてのパフォーマンスとは違って、音楽の楽譜のようにそれさえあれば誰でも再演可能というものだったんですね。

パイクの「ワン・フォー・ヴァイオリン(ヴァイオリンのための一曲)」は今も多くのアーティストによって再演されている。たとえばこれはドイツのアーティスト。

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ソニック・ユースが1999年にジョージ・マチューナス作「ピアノ曲第13番(ナムジュン・パイクに捧ぐ)」を再演した映像も。

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ナムジュン・パイクのちょっと面白いポートレート写真を見つけました。

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これは1975年のデュッセルドルフでの個展ポスターに使われた写真で、古いTVセットを抱え上げていますが、ひょっとしたら壊そうとしているのかもしれませんね。

いずれにせよ、60年代半ばにニューヨークでひんぱんに行われたパイクの楽器破壊が、60年代後半のロックにおけるステージ・パフォーマンスに影響を与えたんじゃないかと僕は睨んでいる。


ロック・ミュージシャンがステージでギターを破壊することを「ギター・スマッシュ」といいます。ザ・クラッシュの「ロンドン・コーリング」のジャケットはその行為の最も象徴的な写真で、パンクの時代精神を表す記号として今も流通しています。

ギター・スマッシュを最初にやったのはザ・フーのピート・タウンゼントですが、この映像は1966年くらいでしょうか。1967年にはモントレー・ポップ・フェスティバルではザ・フーの後にステージに上ったジミ・ヘンドリクスがなんとギターに火をつけてみせた。

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その後、現在に至るまでパンク、ノイズ、オルタナティヴなどさまざまなミュージシャンが楽器破壊を繰り広げてきた。音楽の既成概念を壊す身振りであり、象徴的な儀式になった。

だが、現在それはプロがステージで行うだけのものではない。YouTubeでは世界中の老若男女、たくさんのプロ、セミプロ、アマチュアによるギター・スマッシュの映像が見られる。

注目したいことは、これらがステージではなくバックステージ、ないしはステージ以外のアウトドアで行われていること。ビデオカメラという”目撃者”とインターネットという”媒介者”なくしてこの手の映像表現はありえない。

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中にははりぼてのギターを壊すだけのティーンエイジャーもいる。

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YouTubeにおける破壊行為のデモンストレーションは、楽器にとどまらず、さまざまな日用品や家電にまで及ぶ。古いPCモニタの破壊は、ナムジュン・パイクのTVセットを持ち上げた写真も連想させますよね。

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大きなハンマーを振り下ろすこの破壊の身振り。現代美術のシーンでも10年前に見覚えがあることを思い出しました。ピピロッティ・リストの「エヴァー・イズ・オーヴァー・オール」(1997)、マルチスクリーンのビデオ・インスタレーションです。

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1990年代後半、美術界でもジェンダー論議が高まるなかたいへん脚光を浴びた作品ですが、オノ・ヨーコの「カット・ピース」が暴力に対して無抵抗な存在を提示したのに対して、リストのこの作品はダダに始まる20世紀の破壊芸術の展開において、見事なまでにさわやかなエンディングを提示したのだといえるのではないでしょうか。

2007-09-24 BEST MUSIC: Music for supermarket

スーパーマーケットのための音楽


小田島等と細野しんいちによる異色ユニットBEST MUSICの新譜が発売された。タイトルは「ミュージック・フォー・スーパーマーケット」。これがブライアン・イーノの「ミュージック・フォー・エアポート」のもじりであることがすぐにわかる人はもちろんだが、もしそうでなくても現代美術が好きな人にはぜひともおすすめしたい。というのも、これは音楽CDの姿をしてはいるが、内実は美術作品のようなものだから。

ちなみに僕はこのCDのライナーノーツを書かせてもらったので、詳しい内容に関してはここでは繰り返さないが、一言でいうなら日本のスーパーでかかっている店内BGMを見事なまでに模倣した無個性な楽曲全9曲を収めた壮大なる脱力系コンセプト・アルバム。小田島自身は「のっぺらぼうのような音楽」と言うのだが、専門用語を使えば「エレベーター・ミュージック」と呼ばれるいわゆる表現の極北にある音楽のシミュレーション・サンプラーともいえる。興味のある人はぜひ買って、聴いて、読んでみてほしい。


MUSIC FOR SUPERMARKET(紙ジャケット仕様)

MUSIC FOR SUPERMARKET(紙ジャケット仕様)


まず何よりこのジャケだ。スーパーのチラシというどこのだれの手によるものかわからないアノニマス(匿名的)なデザインの身振りを真似るというデザインは一見さりげないが、CDのパッケージ・デザインにおいては馬鹿馬鹿しくも過激なものだ。ちなみにこの夏物姿の男女は既存のチラシのサンプリングではなく、この写真のためにわざわざ選んだモデルさんたちで、撮影は池田晶紀による。


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「レジにて半額」の文字はあくまでデザインの一要素であるが、普通に考えれば流通上の混乱をきたす恐れがあるとして小売店の担当者なら思わず顔をしかめるはず。実際、レジで半額にならないことにがっかりする人も出てきそうだが、このCDを買うような人なら、もっと早く気付けよ、という自分突っ込みのオチで済むというわけか。にしても、音楽ソフト流通業界に対するこの挑戦的な態度は他に例を見ない。


ただ、ひょっとしたらこのCDを購入する人は店頭ではなく圧倒的にネット・ショッピングを利用するのではないか。試みにこのCDタイトルでグーグル検索をかけてみたらタワレコやHMVやAmazonなどネットショッピングのページがドバーッと現れ、驚いた。今やネット上の仮想のショッピングカートに入れられ、現実世界のレジを通らずに買物が済んでしまうのに「レジにて半額」という文字が記されたこのCDは、なんだか未来から届いた商品のようですらある。


もはや我々はレジなしでも買物をしているし、いつか未来には現在のようなレジはなくなるだろう。駅の改札のように無人になり、商品を買物袋に入れてゲートをくぐるだけで瞬時に金額が計算され口座から引かれるようになるかもしれない。実際、駅の改札で人間がハサミで切符を切っていたということを今の子どもたちがもう知らないように、今やレジは”打つもの”(キー操作)ではなくバーコードリーダーでピッピッと読み取るものでしかない。だとすれば、いつかレジがなくなる未来には、このCDジャケットは過去の大型小売店流通の全盛時代を彷彿とさせる貴重な文化的資料としなるのかもしれない(以上妄想)。


さらに紙製のダブルジャケットを開くとこんなアー写が……。

f:id:donburaco:20070726192407j:image (左が細野しんいち、右が小田島等)

撮影はゲリラ的に営業時間中に2人でエプロンして行って隠れて撮ったのだという。そんな制作秘話を本人たちから聞いて、はたと思い出したのは、僕も住倉良樹の変名でDelawereの結成メンバーだった頃、今はもうない表参道の紀伊國屋の店内で同じように無許可で撮影したことがあるというすっかり忘れかけていた過去の出来事だ。あらためて思い出してみると、サマタマサトさんと鈴木惣一郎さんと小林深雪さんと4人で始めた初期のDelawereは、なんだか今のBEST MUSICがやっていることとどこか似ている。偉大なるポップ・アートの脚注としての音楽マルチプル制作。それは音楽なんだけどむしろアートに近く、つまりはデュシャンのレディメイドやウォーホルのキャンベル・スープからシミュレーション・アートまで、つまりは僕たちを育ててくれた20世紀の工業製品や消費社会についてのアートに対して自分たちなりの複製技術で書いたファンレターであり、勝手に捧げたアンサー・ソングなのだ。


ところで、小田島君と会ったのは21世紀になってからだが、実は僕はまだ10代の学生だった彼から手紙をもらったことがある。というのも、僕が『美術手帖』の編集者で、Dr.BTの変名を使って誌面で大暴れしていた頃、まだ無名の学生だった小田島君が編集部宛にDr.BTへのファンレターをくれたのを僕はずっと大切に保管していたからだ。

それから10年経ってイラストレーターやデザイナーとしてあちこちで名前を見かけながら、かつてのファンレターの主と同人物のはずの小田島等に初めて会うことになったとき、僕が大切にしていた彼からの手紙を持参すると、彼は僕からもらったという返事のポストカードを鞄から取り出してみせてくれた。僕は出したことすら忘れていたポストカードをタイムカプセルを開けるような気持ちで読み、互いの手紙を大切にしていた10年間を格別に愛おしく感じた。

ちなみに16年前、19歳の彼が28歳の僕にくれたファンレターは、糸ノコでカットアウトしたラワン板にペイントして直接切手を貼ったメールアートで、いまも僕の仕事机の横に大切に飾ってある。


[関連リンク]

◎マンガ家としての小田島等の短編集は、僕の中ではつげ義春の『無能の人』と並ぶ最重要作品で、実際わが家の本棚では「無」始まりのこの2冊は隣同士に置かれている。

[rakuten:rdownload:10750122:detail]

◎こちらは小田島等が執筆参加のSF。ブラッドベリの『華氏451度』を思わせるストーリーがマクルーハンの『メディアはマッサージである』を思わせるビジュアル×テキストの編集メソッドでというこれまた問題作。

◎小田島等ブログ:http://hitoshiodajim.jugem.jp/

2007-08-13 BCCKS

あたらしい本のつくりかた

ウェブ上で本をつくるというコンセプトで「BCCKS(ブックス)」のプレビュー版の公開が始まりました。

ホームページはココです。クリック>BCCKS


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トップページが本屋さんの棚のようになっていて、表紙をクリックするとどれでも閲覧可能。マウスでスクロールもできるし、「NEXT」をクリックすれば見開き単位でスムースにビューイングできる。ストレスもなく仕掛けとしてとてもよくできている。

現在は見るだけだが、今後正式オープン後は、こういった本をユーザー自身が手軽に作れるというサービスが始まる。


僕の本もあります。

タイトルは『Sound from the age of the atom アトムの時代のサウンド』。

上のトップページ画像にも小さく映ってますが、表紙をデーンとお見せしましょう。

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中のページはあえてここでは見せないでおきますね。せっかくなのでぜひBCCKSのページに行って、自分でマウスをいじりながら「座り読み」してみてください。

『アトム時代のサウンド』閲覧する



ちなみに、この本は僕自身にとっては1994年に編集者として編集した『アトムの時代』の続編というか、サイド・ヒストリー的な書物といってもいい。

現実の本にするには予算的あるいは技術的に難しいものでも、このBCCKSならばウェブ上で編集と出版ができてしまう──そんな企画のサンプルとして、20世紀末に自分がつくったフィジカルな(実際の・物質的な)本に対して、21世紀のバーチャルな本で返答をしてみたつもりだ。


新しい出版メディアとしてのBCCKSはまだ実験段階としてデモンストレーションを始めたばかりだが、可能性に溢れ期待が未知数に膨らむ印象は、かつてインターネット出現以前の90年代前半にやはり松本弦人のディレクションでデジタローグからリリースされたフロッピー・ディスク文庫「マッキントッ書」を思わせる。おそらくは彼自身の中にも今回はそんな原点回帰の強い意志がみなぎっている。

ゲントさんは早くからデジタルに移行したエディトリアルデザイナーのひとりだが、デジタル・メディアが一般に普及した今になってあらためてわかるのは、むしろそんな彼こそが誰よりも強く、一貫して「書物」にこだわり続けているということ。これは意外な盲点だったかも──そう、彼は本のフィジカルな側面よりも、そのスピリット=魂をずっと保持しようとしている。