2009-03-07 Meeting Dr. Strange-art in Kyoto
椿昇「GOLD/WHITE/BLACK」展
先週、「椿昇GOLD/WHITE/BLACK」展を観てきました。
キューブリックの「博士の異常な愛情」からのインスパイア作品と知ってこれはどうしても見に行きたいと思っていたところ、先週タイミング良く『美術手帖』編集部から椿さんにインタビューしませんかと打診を受け「OK」と即答し、三日後には新幹線に飛び乗っていた。何やら作品の前に強引に引き寄せれるかのような猛烈な磁力を感じる。
京都国立近代美術館のエントランスから吹き抜けまでをロケットの原寸大バルーンが占拠するという圧倒的なインスタレーション。写真は取材目的でメモ代わりに撮影をしたものなので多くを公開することは道義上控えるが、あくまでブログのテキストを補足する参考図版として解像度を下げたものを1枚だけ貼っておく。とにかくエントランスホールはこんなことになっています。
《Mushroom》とタイトルされたこの作品は、展示空間には収まりきらないサイズで先端を折り曲げている。会場配布の解説文には「学徒動員のワークインプログレスで製作」とある(爆笑)。バルーンの随所には吊り金具用のフック穴がついていることからも、これは今回だけでなく今後さまざまな場所での展示を想定してつくられているに違いないと即座に察知。作家本人によるギャラリートークの説明によれば、これは本来、先端部を床に設置し、ロケット噴射口を天に向けることで、キノコ型にそびえ立つ作品だという。いずれ、どこか別の場所で直立展示をする日が一日も早く訪れることを祈る。
横浜トリエンナーレ2001のバッタ型の巨大バルーン作品《飛蝗》のノウハウが新たなモチーフに憑依した感もあるが、今回のロケットはバルーン=中空のハリボテであることが、会場の片隅に設置された小部屋(架空のマッドサイエンティストの研究室)との関係において、現実のロケット推進装置とそれを制御するプログラム・システムのメタファーとなっている。さらに、宇宙ロケットと核ミサイルが同じ推進装置であるという事実が、善と悪の二項対立を越えた場所に観客を連れて行くという仕掛けで、さらに三階の展示室へと物語的な設計が綿密にされている。
3階の写真、油彩、映像インスタレーションの展開についてはここではあえて詳述を省く。いまここでこれ以上書き進めてしまうと来月発売の『美術手帖』の記事に先行してしまうので。続きは4月17日発売の5月号ARTIST INTERVIEWを読んでほしい。
ただ、この展覧会は会期が意外に短い(3月29日終了)。そして、加えて言うなら、この展覧会は万人に対して開かれた物語性をもっていながら、それでも見ておかなければならない人を確実に選ぶ展覧会のような気がする(「未知との遭遇」のデビルス・タワー的な)。
とりあえず興味のある向きはウェブ上で公開されている展示シミュレーションを参照されたい。
* * *
個人的には、ここにきてあらためてヤノベケンジ的な核とSci-Fiのイメージが、もうひとつの別の椿流ともいえる物語世界で展開したことが一番面白い。この場ではブログ人格をもってあくまで一観客、一ファンとして言うなら(<読者サービス)、ヤノベの核の物語は黒澤明の「生きものたちの記録」から士郎正宗の『攻殻機動隊』的なものであるのに対し、椿のそれはキューブリックの「Dr.ストレンジラヴ」から押井守版の「攻殻」的なもののように見える。もちろん観客としての僕には、両者ともに興味深く面白い。
もうひとつ、ファン目線でトリビアぽい指摘をするなら、彼らは二人の息子の父親であるという共通点もある。ガンダム展のために椿が書いたオタク=ヒップホップ調のテキスト「ガンダムと戦争」はその親子関係をフィーチャーした異色の怪文書だったが、そのテキストは今回の展覧会場配布リーフレットに再録され、実際にもラップとしてもレコーディングされ、マッドサイエンティストの小部屋の前のスピーカー作品から聴こえているようだ(音量が小さいので実際気づきにくい)。日本国憲法第九条論でもあるそのテキストはよく見ると筆名がカタカナ表記で「ツバキノボル」となっていたが、ヤノベケンジvs.ツバキノボルのバトル、まだこの先も楽しませてもらいますぜ。
ちなみに図録がすごい(ブックデザイン=西岡勉、テキスト=岩城見一)。一言で言うならモノリス状態、それ以外に言葉はない。公立美術館の展覧会図録の適正価格=2800円でこれは破格の値段といえる。
その展覧会図録(左)、会場配布リーフレット(中央:「ガンダムと戦争/ツバキノボル」所収)、そしてこのたび発売されたDVD『椿昇 Radical Monologue』(右)。図録のページを開くとこう。分厚い表紙を開くと、紙にしみ込んだインキの匂いが立ち上るのがたまらなくいい。
DVDのデータと関係者総出演の予告編も貼っておく。
オーラル・ヒストリー vol.1 椿昇 RADIKAL MONOLOGUE [DVD]
- 出版社/メーカー: KENJI KUBOTA ART OFFICE
- 発売日: 2009/02/16
- メディア: DVD
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- 作者: 室井尚
- 出版社/メーカー: アートン
- 発売日: 2005/09
- メディア: 単行本
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こちらは2001年ハマトリのバッタのバルーン《飛蝗》の共同制作者である室井尚さんによる回想録。今になってようやく読み始めてみたら、これがものすごく面白い。横浜国大の学生チームの働きや強風時のことなど事件としては取材して知ったつもりだったことの詳細がようやくよくわかる気がするのは、いま僕自身が大学に所属するようになって、規模ははるかに小さいけれどアート・プロジェクトやその記録集の編集などの作業を率いているからだ。さまざまな危機を学生たちが発揮する力で乗り越えていった室井さんの心境を追いながら、大学におけるアート・プロジェクトの意義について考えさせられたことをここに合わせて記しておく。
2009-03-06 The First Stop on the Super Highway
「神の手」をイマジンし、モトローラに捧げる
篠田太郎のSNSの日記でこの展覧会を知る。
韓国のナムジュン・パイク・アートセンターで今日から5月16日まで開催される企画展《The First Stop on the Super Highway》。
篠田太郎は翼端に取り付けたジェット・エンジンでまわる直径8メートルの大きな回転翼状の作品《ゴッドハンド》を出品している。2002年に広島市現代美術館で開催された個展で発表され、僕は観に行かれなかったことをずっと悔やんでいた作品だ。
エンジンの作動に苦労していた様子だが、テスト中の映像が本人の手でYouTubeに上がった。動画の後半では取り付けたエンジンがいよいよ点火される様子が。エンディングには(エンジンは点火されていないが)ゆっくり回転する作品の全体像が見られる。
ちなみにこの作品はジェットエンジンと反対側の翼端(正確には「翼」ではないが)には赤色LEDがついていて、作品コンセプトとしては回転体が時速300キロメートルを超えると残像効果で帯状のカーテンが出現することを想定して制作されている。テーマは「美と恐怖」。鑑賞には恐怖が伴う。見ることは震えること?
広島では結局、諸事情があってエンジン点火の許可が下りなかったこの作品、韓国では時速300キロメートルの赤色光の帯は見られるのだろうか。まだエンジンのメンテナンスが必要な様子だが、つづきの映像が待ち遠しい。
ところで、篠田太郎がフルクサスの作家と並ぶというこの企画展の意外な取り合わせに僕は無性に興味が湧いてしまった。フルクサスはジョージ・マチューナスのグラフィックやさまざまなイヴェント・スコアのもつ印象から文明批判やダダ的要素で語られることが多いが、実際にはテクノロジーと人間との新しい関係性を模索する理系のアプローチも含まれていた。「前衛芸術」というと文系っぽいが、「実験芸術」というと理系っぽい──いまとなってはわかりにくいが、フルクサスにはその両方の要素があったはずなのだ。その意味でパイクの存在(そして、パイクとボイスを結んだもの)は重要だし、パイクの名を冠した美術館がこういう展覧会を企画していることに溜飲が下がる。
* * *
この展覧会で日本からは他に古郷卓司(*candy factory)が韓国のウェブ・アーティスト、ヨンヘ・チャン・ヘヴィー・インダストリーズ(張英恵重工業)とコラボレーション出品している。
彼らの過去の共作を見てみよう。たとえばこれ、《HALBEATH FOR SALE》
操業中止で廃墟と化したモトローラの工場の映像にどこかフルクサスのパフォーマンス・スコアの十八番《エイドリアン・オリベッティに捧ぐ》にも通じるものを感じるのは、ともに情報通信テクノロジーへのオマージュだからだろうか。
古郷卓司と宮川敬一(Gallery SOAP)によるこちらの最近作も気になる。近代産業遺産と住宅団地のリサーチと文化史的考察、ウェブ上での情報公開のしかた等もろもろにシンパシーとジェラシー(惚れ惚れと見入りつつも、ヤラレターという心地よい嫉妬感)を感じる。
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さらに、日本からは小沢剛が中国のチェン・シャオシォンと韓国のギムホンソックの三人組ユニット「西京メン(Xijing Men)」として参加。篠田が潜在的に理系フルクサスの実験芸術の血筋を引いているとするなら、そういえば無国籍かつノマド的な小沢は文系フルクサスの前衛芸術の血統にある。1960年代生まれの彼らはいずれもフルクサスの直系であるはずもないのに、40歳代になった今、なぜかその系譜にあるように見えてくるのが面白い。いや、逆にいうなら、現在の彼らの姿を通して、かつてのフルクサスたちが何者だったのかがよく見えてくるような気がするのだ。
2008-12-17 Thinking about Pika↑Don
蔡國強との対話――黒い花火、白い飛行機雲
いま発売中の『美術手帖』最新号(2009年1月号)に、蔡國強さんにインタビューをした記事が掲載されています(ARTIST INTERVIEW)。北京オリンピックの開会式の花火がCGだったという報道に気を揉んでいた僕としては(8/13付ブログ「北京五輪開会式:蔡國強の花火のCG問題を推論する――真偽を越えて」)、マスコミが煽る中国イメージを越えたところで本人の声が聞きたかったわけで、その希望が今回インタビュー取材というかたちでかなったものです。
ちなみに、29個の足跡の花火は実際に打ち上げていたことも無事本人の口から確認できました。それでもCGを使った理由について、そして、スピルバーグの芸術顧問辞任劇の裏話やチャン・イーモウとの関係などについてもしっかり話してもらいましたので、ことの詳細はぜひ『美術手帖』を読んでみてください。
インタビューはヒロシマ賞受賞記念展(1月12日まで)のために来日した蔡さんが、10月25日に原爆ドーム上空で行った花火パフォーマンス《Black Fireworks》の翌日に行われたのですが、まずはその「黒い花火」の映像を。まるで墨絵の制作過程のように黒雲が”加筆”されていきます。
この花火パフォーマンスに先立つ10月21日、Chim↑Pomが広島上空に「ピカッ」というカタカナの文字を飛行機雲で書き、市民からの抗議を受けたという事件が新聞やインターネット上でもさまざまな論議を巻き起こすという騒動にまで発展しました。もちろんこの一件についても蔡さんに聞きましたので、これは面白いインタビューになっていると思います。
Chim↑Pomの「ピカッ」と蔡の爆発(ドーン)
ところで、僕は今日までChim↑Pomの一件に関しては文字にすることを控えていたのだけれど、それは評論家としてChim↑Pomと親しいからではなく、むしろ編集者として核爆発に関する書物を編んだ経験から容易に論じえない(少なくともこれもまた善か悪かといった二元論でははかれない)ことを自覚していたからです。なので広島固有の市民感情はじゅうぶん理解できるし、マスコミ報道の姿勢やそれに対する美術館やアーティストの対応について個人的に思うことはあってもとやかく言うつもりはありません。ただ、蔡さんの見解もこうして出版物を通じて公表されたので、これを機に何か書いておくとするなら、それはChim↑Pomの飛行機雲という「作品未然の表象」と、蔡國強の《黒い花火》という「作品表象」をつなぐ表象論的な問題について、です。
『美術手帖』のインタビューの中で蔡は、「(現実の)爆発ではなく『ピカッ』という文字で光を表現した」ことは「コンセプチュアル」な「アートとして評価してあげたい」と言う(その上で、市民の気持ちへの配慮に欠けており、対話を通じて理解してもらうという姿勢が必要だったことを、自らの94年の広島アジア大会の開会式のイベント演出プランが実現に至らなかったことを例に説く)。マンガ文化に染まった我々にとっては日常的なオノマトペも、美術としてみれば至極「概念的」なのだということにあらためて気づかされたが、確かにChim↑Pomの狙い――それも蔡に向けた暗黙のメッセージ――もそこにあったはずだ。
考えてみれば、Chim↑Pomの飛行機雲によるドゥローイングはおそらく蔡國強のパブリックな爆発イベントの「後」に行われていれば、市民やマスコミの反応はずいぶんと違うものになっていただろう。Chim↑Pomは作品制作に必要な撮影だけを目的とするならば、むしろそうしたほうが大きな波風は避けられたのかもしれない。
にもかかわらず、彼らが蔡の後手にまわるという安全な経路を選ばず、あえてゲリラ的であっても蔡よりも先に遂行しなければならなかった理由は、その文字がもたらす意味作用にある。カタカナ三文字で記された眩い発光を表すその擬態語(ピカッ)は、蔡の花火が引き起こす物理的な爆発(擬音化するならばドーン)の後ではなく、前に来なくてはならなかった。「ピカッ」の後にドーン。なんともベタな連鎖ではあるが、Chim↑Pomの飛行機雲は、蔡よりも先に蔡と同じ原爆ドーム上空に描くことで、後から「ピカドン」という言葉を想起させたかったに違いない。Chim↑Pomが展覧会に出品しようとしていた「作品」は千羽鶴をモチーフにした作品だったと聞くが、少なくとも「作品以前」のパフォーマンスにおいて駄洒落的ではあるが一応の「表現」として意図したものは、擬態語と擬音語の時系列的な接続だったのだろうと推察できる。
ちなみに僕は以前、1980年代以降の日本のマンガに見られるコミカルな爆発シーンの擬音「ちゅどーん」が実は「ピカドン」とよく似た構造の擬態+擬音の連結語であることを論じたことがある(拙稿「爆発の美術館」:『ユリイカ』1996年8月号特集「ジャパニメーション」所収)。
ただ、Chim↑Pomにはおそらく「ピカ」が戦後数十年間にわたって原爆に対する激しい怒りや原爆症に対する差別意識をも含むネガティブな言葉として用いられてきた歴史的認識や配慮がなかった。あるいはあったにしても甘かった。その認識不足を擁護するつもりは毛頭ないが、それをピカチュー世代に求めることはもはや難しいのが現実なのではないか(ため息)。空に書かれた「ピカッ」が不快感をもよおしたのはわかるが、では空を飛び交うテレビ電波に乗ったピカチューの叫び声(ピカピカチュー!)には問題はないのか。おそらくは「ポケットモンスター」の作者にもその音のもつ負のイメージに対する自覚はない。
戦中戦後の差別語が狩られ、不快語と称される言葉までもが事なかれ主義やリスク回避を優先する新聞社・テレビ局・出版社などメディア自身の手でことごとく自主規制される今となっては、「ピカドン」や「ピカ」は一般的なメディアにおいては中沢啓治の『はだしのゲン』の劇中でしか当時の用法(たとえば原爆症を指して「ピカがうつる」等)を伺い知ることはできない。ここから先の話は平和教育や国語教育やマスコミの用語規制の問題になるので、詳述はまた別の機会があれば、としたい。
やさしくひらいた言い方をするならば、それはことばとこころをめぐるモンダイということになる。
ヒロシマの戦争遺跡を歩く
今回の広島行きでは久しぶりに広島平和記念資料館を、加えて国立広島原爆死没者追悼平和祈念館を初めて訪ねた。祈りのための空間と死没者の写真と名前を検索できる電子展示は、フィジカル(物質)からディジタル(情報)へ移行することで史料性よりも精神性に比重が傾けられた21世紀型のパブリックなメモリアルとして興味深い。建築設計は丹下健三・都市・建築設計研究所。
被爆死没者の顔写真が映し出されるモニタ・ディスプレイ。美術と比較するのも何だが、ある意味ボルタンスキーやゲルハルト・リヒター、あるいはアンディ・ウォーホルのいずれをも凌駕している。
また、広島市現代美術館の位置する比治山公園の道を挟んだ南側に足を運ぶ人はほとんどいないが、じつは陸軍墓地や放射線影響研究所など数かずの戦争遺産や原爆関連施設のある場所なのだということを知り、蔡國強展と同時にそれらを見て回るべきだという気がして地図を片手に歩いてきました。
原爆による殉職警察職員の慰霊碑。写真ではスケール感がわかりにくいがかなり巨大。碑前の焼香台の大きさから察すべし。被爆後の比治山公園はたくさんの身元不明の遺骸の集積場になったらしい。
放射線影響研究所。『はだしのゲン』劇中で被爆者を人間扱いせず実験動物のように検査してまわるABCCである。漫画に描かれているのと同じカマボコ兵舎型のミッド・センチュリー風の建築がそのまま残っている。これが現存していることにはかなり驚いた。
陸軍墓地。明治以来の戦役で戦死した無名兵士が県別に墓標となって並ぶ。沈没した外国軍艦の兵士を追悼する墓碑もあった。秩序と無秩序の混在する様相は、たとえば靖国神社と比較するとむしろアナーキーな戦没者追悼空間に感じられる。
爆心地周辺の復興事業として、そして戦後日本の民主主義と平和への理想を掲げた国策のもとにゼロから建設された平和記念公園が丹下健三のモダニズムで設計された「陽」の近代戦争遺跡ならば、古くから地形的に意味をもつ比治山に置かれたこれらは戦後手つかずのまま取り残された「陰」の部分に見える。
いわば曰く付きのその場所に広島市現代美術館が建てられていることを知ると複雑な気持ちにもなるが(ちなみに美術館の設計は黒川紀章である)、それはどこか「現代美術」そのものの役回りを象徴しているように思える。
「現代」は過去の上に立脚しながらも「いま」を歴史から分断し続ける。ただ、それは「陰」を明るい光で覆い隠すものではなく、むしろ「陽」の論理とは別に「陰」の存在理由を示すことのできるものでなければならない。現代美術と美術史との関係も同様だと思う。
そう考えると、蔡國強が国際的(ないしは国家的)イベントの夜空に打ち上げる大掛かりな花火はポジ(陽像)であり、近年美術パフォーマンスとして日中上げる小さな黒煙花火はそのネガ(陰像)なのだと自ら語る言葉が、あらためて深い意味をもってくる。
2008-11-04 Do-it-Your Media Center is doing it now.
取手アートプロジェクト2008参加
取手アートプロジェクト2008(http://www.toride-ap.gr.jp/index.html)に、Do-it-Your Media Center(ドゥイットユア・メディアセンター、以下DiYMC)というユニットを組んで、選考会選出作家の一員として参加しています。
準備に追われ、気がつくと始まってからもう3日経ってしまいましたが、11月16日まで、金土日に開催中。取手井野団地の広い敷地全体を使ってレジデンス・アーティストやゲスト・アーティストがさまざまな展示やイベントを繰り広げます。TAP2008のチラシ/ポスターはこんな。
DiYMCは、僕と大学の教員仲間の久木元拓さんと山口祥平さん、そしてデザイナーの大岡寛典さんを加えた四人組だ。全員そろうとこんな感じ(撮影=舟山貴士)。
エプロン姿はいわゆるDIYの記号として——ホームセンターの店員みたいに——そろえてみたものだが、グループとしてのDiYMCのコンセプトは「美術そのものではなく美術周辺にある編集、文化政策、ドキュメンテーション、グラフィックデザインなどの手法を融合し、芸術と社会のシステム形成を目指すメディアアクティヴユニット」である。
僕たちはいわゆる絵や立体などを表現手段とするいわゆる”アーティスト”ではないけれど、それぞれの専門分野の知識や技術を集め、ひとつに束ねることによって、アートプロジェクトに匹敵する何かができるのではないだろうか、という実験精神をスタートラインとしている。既存のメディアに頼らず自分たち自身がメディアに——情報収集・発信ステーションになってどこへでも移動して行こうという発想のルーツを辿ると40年くらい前のDiYやバックパッキングの思想や方法論がある(あるいは、ゲリラテレビジョン……)。そう、このやり方は別に僕たちのオリジナルのコピーライトではなく、以前からいろんな人がやってきたことだし、今後だれもが同じようなやり方で違うコンテンツをどんどん作り始めれば、それが一番面白いと僕は考えている。
ちなみに、DiY精神に関しては、今年とても良い本が出版された。
毛利嘉孝さんの『はじめてのDiY』。日曜大工のDIY(すべて大文字)ではなく、アクティヴィティーとしてのDiYについて楽しく解説してくれている。ロックやサブカルといった文化史的な裏付けから、現代日本の格差社会を生き抜く思想にまで接続しているのがイイ。以前から思想的にも手法的にも、そして日常生活においてもDIY派だった僕にとってこの本は格別面白く、内容に対して敬意を表する意味でも、本書における小文字(i)まじりの表記をさっそく転用させてもらうことにした。毛利さんありがとう(:
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さて、僕たちDiYMCは取手井野団地で開催されるTAP 2008参加にあたって「団地Utd.(だんちユナイテッド)」と名付けたプロジェクトの旗印のもと、メンバーそれぞれが企画を同時並行的に動かしてきた。僕はこんなチラシをまいて、団地にお住まいの方のお宅を訪問しては古いアルバムを見せてもらいながらお話をお伺いしたりと、なんだか編集記者みたいなことをしていた。
僕の場合は一言でいうなら「アノニマスかつパブリックなファミリー・アルバム」のようなものが作りたいのだが、それについてはまた機会を見つけて書くことにしよう。
この企画のほかにもメンバー個々のアクティヴィティーが結集したかたちで、いま会場の取手井野団地内で展示とイベント開催を行っている。
団地の中には昔からのショッピングセンターがあるのだが、いまは床屋さんとパン屋さんを除き見事にシャッター商店街となってしまっている。近年、東京芸大の働きかけで「INOアーティストヴィレッジ」なるアトリエ群に生まれ変わったのだが、この片隅にある旧常陽銀行跡が、会期中はみかんぐみの設計によるカフェ(Cafe Tappino)にリノベーションされていて、そのカフェの一角に「ドゥイットユア・メディアセンター取手井野団地ステーション」をオープンさせた。美術的なインスタレーションというよりは、スタッフがお客さんと話をしたりする出展ブースみたいな機能そのままだ。ちょっと図解してみよう。
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会期中あと2回の週末(11月9日、15日)に、カフェ会場でイベントVol.1、Vol.2を開催します。フライヤーはこれ。
2008-09-20 as a compacted transportation
丸亀の自転車タクシー
自転車に関する記事スクラップをつづけます。
自転車タクシー:高松・丸亀町まちづくり会社、2台購入し「ルート作り」へ /香川【毎日新聞】
さぬきの「アイヴ エモーション」が開発−−21日にイベントで披露
乗客2人が乗れる三輪車タイプの「自転車タクシー」をさぬき市寒川町石田東の自転車製造会社「アイヴ エモーション」=広瀬将人社長(45)=が開発した。動力は人力。高松丸亀町まちづくり株式会社が2台購入予定で、広瀬さんは「高松のようなコンパクトな町にふさわしいエコな(環境にやさしい)乗り物、地域の交通や町の活性化につながれば」と期待する。【三上健太郎】
開発のきっかけは約1年前。「車に頼らない移動手段として自転車タクシーがあったら面白いのでは」と思い、デザインを練った。今年3月に図面が完成。素材は、軽くて強度のあるアルミ合金を使い重量を約40キロに抑えた。全長約1・8メートル、幅約1・1メートル、高さ約1・9メートル。27段変速で、ディスクブレーキと呼ばれる強力なブレーキを付け、衝撃を少なくするためにサスペンションも取り付けた。電動アシストを付属させることも可能という。制作費は2台で数百万円という。
広瀬さんは、東京で10年以上まちづくりのコンサルタントとして働いた経験があり、高松市の丸亀町商店街の再開発事業にも携わった。開発した自転車タクシーは高松丸亀町まちづくり株式会社が2台購入(金額は未定)。今後の運用は同社が広瀬さんと協議していくという。同社の鈴江利浩さん(47)は「うまく運用して、丸亀町を拠点にJR高松駅や栗林公園などを巡る周遊ルートを作っていけたら」と話している。
自転車タクシーは、21日に高松市中心部であるイベント「カーフリーデー」で披露される。(毎日新聞 2008年9月19日 地方版)
車両の写真がないのでわからないが、サス付き、ディスクブレーキ、電動アシスト取り付け可能といったスペックから設計上の新しさが見受けられる。
アイヴエモーションはTyrellブランドのスポーツバイクを企画製造販売する香川県さぬき市の会社。ブランド名は「ブレードランナー」に出てくるタイレル社に由来するとのこと。