エートスを喪失した官僚 - ケインズから新自由主義への旋回と民主党
6/10の記事で、官僚が財政出動を乱発し、公益法人と特別会計を無駄に増殖して、国民の税金が浪費される巨大なブラックボックスを作った問題を批判した。だが、私は、財政出動一般を否定しているわけではなく、それを無意味だから止めろと言っているわけではない。景気が落ち込み、内需が縮小しているときは、政府支出で有効需要の創出を図るのが当然で、それが経済政策のイロハである点は変わりない。問題は、９０年代半ば以降、度重なる巨大な大型補正を打ちながら、それが単に一時的で微少な景気の下支えや押し上げにしか結びつかず、真の景気回復に繋がらず、日本経済の成長を結果させていない点にある。そのこと、つまり長年にわたる大型補正の連発が波及効果を生まなかった失敗については、経済科学の分析のメスが入れられるべきで、原因が正しく解明されなくてはならない。９０年代半ばからの１５年間、日本ではケインズ政策が他国のように理論どおり機能してこなかった。そのことが、ケインズ理論に対する懐疑と新自由主義派の台頭を媒介し、竹中平蔵の「構造改革」の跳梁跋扈を許す事態を導いてきた。疑問に対しては解答を用意しなくてはならない。社会科学する者の態度である。大型補正の連発が波及効果を導かなかった構造的要因は何か。私は、その答えを官僚による作為的浪費に求めた。日本の公共投資はプレーンでロジカルな財政出動ではないのだ。目的が内需拡大や景気回復になく、官僚の放蕩と横領にある。言わば、前近代的な公共投資がされている。
政権を獲得する前、民主党は官製談合の問題を厳しく追及していた。また、地方整備局や地方農政局などの省庁の地方出先機関の無駄と二重行政も批判の槍玉に上げていた。菅直人が財務相になり、首相になり、こうした官僚行政の無駄の削減の問題は全く触れられなくなった。未検証の大雑把な認識で恐縮だが、私の直観としては、７０年代までの日本では、ケインズ政策がそのまま実効的に成果を上げるトランスペアレントな仕組みがあり、極論すれば、公共投資の投入資金（税金）を官僚がネコババしなかった。と、そのように考えている。要するに、今は、官僚がネコババして、特別会計と公益法人で細工しながら自分のポケットに入れているのである。７０年代までの官僚には日本経済と国民生活に責任を負うエートスがあった。エートスとは、方法的な生活態度を規定する精神構造の意味で、内面倫理（ethic）である。ウェーバーで概念を学ぶ。８０年代に入ってエートスが失われた。失われたのには理由と背景がある。政治が大きく変わった。７０年代後半の革新自治体の壊滅があり、レーガン・サッチャー・中曽根の８０年代の開幕がある。新保守と新古典の時代の到来。東大ではマルクスとウェーバーを教えなくなり、丸山真男と大塚久雄に唾を吐くようになり、脱構築主義で研究と教育を固めるようになった。官僚が変質した。日本国民の官僚評価は、実はこの２０年間で大きく変わっている。２０年前、当時はまだ日本人は官僚に信頼を寄せていた。
日本は、政治と政治家はだめだが、優秀な官僚が行政をよく操縦しているから、国の経済が発展し、国民生活も安定しているのだと感じていた。国民の中の東大信仰と官僚信仰は盤石なものがあった。今とは全く違う。あの当時、大蔵省や通産省の官僚は、宮崎義一や宇沢弘文の理論に従って政策を立案しているはずで、その基礎には大塚久雄とケインズが生きているはずだった。そういう官僚の一般像を疑っていなかった。ケインジアンの官僚と言うと、やはり、宮沢喜一の顔が最初に浮かんでくる。日本の経済政策は、中曽根康弘が登場した８０年を機会に大塚久雄的な哲学を失い、ケインズ政策から戦後社会科学的なエートスが失われ、９５年頃には新自由主義が主流派になり、ケインズ主義そのものが官僚世界から駆逐された。官僚たちは、新古典派とエゴイズムの欲望路線に変節と転向を遂げた。９５年頃の大きな変化には、東大と野村総研が後退して慶応が前面に出たことがある。加藤�遏�嶋田晴雄、竹中平蔵がマスコミに頻出して経済政策の論壇を牛耳るようになった。財政出動よりもプライマリーバランスを言うようなったのもこの頃である。私の見るところ、官僚たちは、財政出動とプライマリーバランスを上手に使い分けしていて、自分たちの天下り先を増殖するときは景気回復の財政出動を言い、少し経つと、今度は国民に負担増を要求するために財政危機とプライマリーバランスを言う。それを交互に繰り返している。７０年代以前の官僚には、多少とも、国民経済と国民生活のために奉仕しようという意識があったが、９０年代以降の官僚には平安貴族の意識しかない。
民主党という政党は、そういう時代の中で生まれた。政治、官僚、政策、そうしたものが、７０年代以前の戦後日本の大きな流れから断ち切られ、それらを全否定するところで生まれていて、新しい時代の哲学として新自由主義を根幹に据えている。おそらく、簡単に言えば、民主党というのは、保守の新しい流れであり、自民党の中にある田中角栄や宮沢喜一のような戦後政治の流れを断ち切って、ピュアな新自由主義で固めることが目的だったと言える。９０年代後半は、新自由主義が論壇を圧倒した時代で、規制緩和と金融自由化が日本経済を再生すると全員が大合唱していた時代である。われわれは、小沢一郎が代表に就任して以来の民主党の政策転換のイメージが強くあり、社会民主主義に寄った「国民の生活が第一」の政策の印象が強く残っているため、それが民主党の本来の政策だと通念している。民主党の方が自民党よりも左寄りの経済政策だと思い込んでいる。しかし、それは違う。９８年の民主党の基本政策の文言を見ても分かるとおり、結党の時点の民主党のオリジナルの思想はネオリベラリズムである。規制緩和、市場原理、自己責任。これらの単語が乱発されているのが、民主党の結党時の「基本政策」の文書だ。この当時はこの思想が時代の流行だった。流行の言葉で「基本政策」の文書を適当に作ったのである。「適当に」という意味は、特に深い議論をせずにという意味で、民主党の場合は、何より政権の獲得が目標で、政策理念は二の次だったため、この「基本政策」を自分の哲学だと思っている同志的結束というものはなく、それは一部に限られている。
一部に限られているが、結党以来のコアのメンバーは、新自由主義が思想信条なのである。例えば、前原誠司、岡田克也、玄葉光一郎、長島昭久、野田佳彦、古川元久、皆、そうだ。ところが、この新自由主義の基本政策を小泉政権がパクって、「構造改革」という名の下で自家薬籠中の物にしてしまうのである。２０００年代前半の出来事だ。こうして、新自由主義は自民党の看板になり、民主党は政策の対立軸を打ち出せなくなり、オロオロするばかりとなり、郵政選挙で惨敗した後は前原誠司が「改革競争」を唱えるに至った。小泉政権が登場する以前、民主党が批判する自民党の像は田中角栄と宮沢喜一の自民党だったと言える。その後、「構造改革」の弊害が顕著となり、国民生活の破壊と窮状が歴然として、国民の不満が高まったとき、民主党は「国民の生活が第一」の路線へと切り換えた。この路線転換は、９８年の「基本政策」を原理的に否定するものである。だからこそ、原理主義者の玄葉光一郎は猛反発し、自分は新自由主義の節を曲げられないと言い、小泉勉強会に参加して新自由主義者の信仰告白をした。小泉純一郎や小池百合子と一緒に、「改革」の新党を立ち上げて政界再編したいと申し出たのである。小沢一郎の「国民の生活が第一」の路線に対して最も拒絶的だったのが玄葉光一郎で、小沢一郎が党内で実権を握っている間、ずっと頑迷に抵抗して無役を通した。党内で最も狂暴で過激な新自由主義者の玄葉光一郎が、政調会長の要職に就いたことは、菅直人が最終的に新自由主義者に転向したことを意味する。長い長い政治家人生の果て、社会民主主義者から出発した菅直人は、竹中路線を再興する新自由主義者に流れ着いた。
思い出すのは、昨年５月に代表選に立ち、鳩山由紀夫に後塵を拝しつつ幹事長に就任した岡田克也が、テレビで国民に言った言葉である。記憶では、こんな事を言っていた。自分の目指す政治は、政府が国民に介入しない政治であり、政府は国民の最低限の後押しをするだけでよく、国民は自ら自由に人生を楽しめばいい。この言葉は、「構造改革」の政治によって生活に深刻な打撃を受け、瀕死の状態で喘ぎながら、民主党の「国民の生活が第一」に一縷の望みを寄せ、衆院選の一票で政治を変えようとしていた多くの国民にとって、意外で神経を逆撫でする一言で、国民の心情を察する感性のない坊ちゃん政治家の言葉だった。岡田克也としては、ボンボンらしく正直に自分の思想信条（＝新自由主義）を言ったつもりだったのだろうが、実に場違いで、政権交代に盛り上がったムードに冷水を浴びせた一幕だった。この岡田克也の哲学は、菅直人の今回の「最大多数の最小不幸を目指す政治」と思想的に共通している。政府は何もしないと言っているのであり、国民が幸福になることに関心がないのだ。能力と責任がないというエクスキューズにも聞こえる。新自由主義の政府にとって、大多数の国民は単に収奪の対象である。税金を奪い、社会保障を削ることが任務であり、国民の幸福や権利の拡大は使命ではない。個人的には、岡田克也や前原誠司がこうした姿勢を示すのは、十分頷けるし、オリジナルの思想の発現であると認めることができる。しかし、菅直人が平然とこう言ってのけるのを聞くと、変節と転向の腐臭に不愉快な気分にならざるを得ない。４年前の「国民の生活が第一」の政策への転換には、菅直人も深く関わっていたはずだと思うからである。政治家というのは、何でもありで、人を騙して権力を手にした方が勝ちなのだろうか。騙されて裏切られた方が負けなのだろうか。
