ゲゲゲの女房はこうなる!
少年マガジン/オリジナル版 ゲゲゲの鬼太郎(1) (講談社漫画文庫 み 3-5) 価格:¥ 800(税込) 発売日:2007-04-03 |
で、実話がベースなので、この先の展開もすっかり読めているんだが、つうか、原作があるんだから原作読めばいいんだが、原作読むまでもなく、水木しげるの足跡というのはよく知られているので、おいらが、これからのストーリーを解説しようw
さて、まずはWikipediaから年譜です。
昭和33年(1958年)昭和39年に、悪魔くん刊行と、ガロで雑誌デビューというのが並んでます。ドラマでは長井さん入院したきりなんだが、なので、そろそろ退院して「新しい出版社を立上げます」と訪ねて来る頃だろう。
2月 - デビュー作『ロケットマン』を兎月書房から刊行。
昭和35年(1960年)
『少年戦記』の売れ行きが上々ゆえに兎月書房から水木が新たに責任編集したSF専門誌宇宙少年と怪奇専門誌『妖奇伝』が新創刊された。前者には『ベビーZ水人間現る』を後者には鬼太郎の誕生編を描いた第一話『幽霊一家』第二話『幽霊一家・墓場鬼太郎』を発表。
昭和36年(1961年)
兎月書房より、『河童の三平』を刊行開始。40歳になる独身の水木を心配した両親が縁談の話を持ってくる。島根県能義郡大塚村(現在の島根県安来市)出身の布枝夫人とお見合いで結婚。
昭和39年(1964年)
東考社より、『悪魔くん』刊行。『ガロ』で雑誌デビュー。
つうか、ドラマでは結婚してからしか出て来ないんだが、水木しげるさんには、貸本漫画時代の前に、数年間、紙芝居を描いていた時期があるわけです。実は、鬼太郎も河童の三平も、紙芝居時代にすでに描かれている。紙芝居時代には、講談師の田辺一鶴(立派なヒゲで有名だった)と同居していた事もあるらしい。さて、ふたたびWikipediaです。
長女が生まれて生活がさらに困窮する。しかし、長い貸本作家としての活動を経て、1964年、長井勝一編集の雑誌『ガロ』創刊号で、漫画家として雑誌デビュー。『ガロ』には『鬼太郎夜話』(鬼太郎シリーズ)、忍者モノのパロディ『忍法屁話』、本名の武良しげる名義での「漫画家講座」などを連載した。当時の『ガロ』は“白土三平の『カムイ伝』を載せるための雑誌”だったが、水木のユーモラスな作品も、読者の人気を呼んだ。貸本漫画末期の大ヒット作に、白土三平の「忍者武芸帳」というのがあるわけだ。これ、はっきり言って子供の読むような「漫画」じゃないです。白土三平というのはハッキリ言って左巻きバリバリの人で、父親がプロレタリア画家じゃなかったかな。先祖代々、由緒正しい反体制活動家です。この忍者武芸帳は長井さんのやっていた三洋社から出たんだが、結核だかで入院していた長井さんが再起するに当たって、人気の高い白土三平だけが商業的には頼りだったわけだ。で、初期の「ガロ」というのは、誌面の半分がカムイ伝という凄い雑誌ですw もっとも、その頃はペン入れは小島剛夕がやっていたという話もあるね。
ガロの創刊と、東考社というのは時代的には同時進行的なところがあり、両者ともに貸本漫画からのスピンアウトです。週刊少年誌の隆盛の中、貸本漫画からは「劇画」が生まれ、さいとうたかおとか、売れる作家は青年誌にも活躍の場を広げてどんどんメジャーに移行してしまう。そこに取り残された業界人が、ガロや東考社を作ったわけだ。
さて、そもそも戦争に行ったり、紙芝居描いたりしていた水木しげるは、貸本漫画家になったのも36歳なので、メジャーデビューも遅いです。
昭和40年(1965年)7月からの登場人物には、TVのプロデューサーも出てくるらしいので、いよいよ「出世」しますw
講談社の『別冊少年マガジン』でメジャー出版社デビュー。それまでの、大人向けの怪奇な画風から、子供向けの画風にするのに苦労したという。
昭和41年(1966年)
講談社児童漫画賞受賞。44歳にしてようやく、売れっ子漫画家になる。プロダクション制をとり調布の自宅を水木プロとする。
10月 - 『悪魔くん』が実写でテレビドラマ化。最初の放送は、実家の両親も上京して一緒に正座してテレビを鑑賞し、感激して番組終了後は拍手をしたという。
昭和43年(1968年)
『墓場の鬼太郎』を当時の東映テレビ部長であった渡邊亮徳(元東映副社長)等のアドヴァイスにより『ゲゲゲの鬼太郎』と改名することで、スポンサーが了解して、テレビアニメ放映開始。この時も、初回放送は一家で正座して鑑賞し、終了後拍手をしたという。以降、何度もリメイクを繰り返す長寿シリーズとなる。この辺りのエピソードは、ゲゲゲの女房に書かれている。
ところで、水木しげるというと「ゲゲゲの鬼太郎」なんだが、当初は悪魔くんだったらしい。おいら田舎なので、実写版「悪魔くん」というのは見てないんだが、この頃の少年マガジンというのは手塚治虫と喧嘩して、路線を「劇画」に切り替えていたわけです。
W3事件、看板連載『8マン』の不祥事による連載中止、ちばてつやの『ハリスの旋風』の長期休載といった事態が重なり、週刊少年サンデーの部数50万部に対して、週刊少年マガジンは30万部と大差をつけられる。その責任を取る形で、マガジンの井岡秀次編集長は辞任。それまでの手塚治虫はサンデーの中心的存在であり、『W3』は手塚の週刊少年マガジン初登場作品だった。この連載開始は、手塚治虫の獲得が創刊以来の悲願だったマガジン編集部の要請に応えたものだったが、この打ち切り事件で両者の関係は一気に冷却化。紙芝居、貸本漫画でネタを出し尽くしていた水木しげるは、その後は、貸本時代に描いた作品を、おおぜいのアシスタント使ってリメイクします。鬼太郎もそうですね。つうか、鬼太郎というのは、実は、水木しげるの作ったキャラクターではない。
井岡の後を継いでマガジン編集長に就任した内田勝は、劇画路線を推進。さいとう・たかを、水木しげるといった貸本劇画で活動していた作家を積極的に起用した裏には、W3事件で手塚への反発心があったと内田は述べている。さらに1966年開始の『巨人の星』で梶原一騎を看板作家に掲げた以後の週刊少年マガジンは、青年向け路線で劇画ブームを巻き起こして、手塚に対抗していった。
1933年から1935年頃にかけて、民話の『子育て幽霊』を脚色した、伊藤正美作の富士会の『ハカバキタロー(墓場奇太郎)』という紙芝居が存在し、『黄金バット』をも凌ぐほどの人気であった。その後、兎月書房と水木しげるが喧嘩別れするので、兎月書房では竹内寛行という人が続編を19巻まで描いてますw まぁ、もともと水木しげるの作ったキャラクターではないので、そういう事もあったわけですね。ちなみに、その後、水木しげるは紙芝居関係者にカネ払って、著作権問題はクリアーしたらしいが。兎月書房と喧嘩別れした水木しげるは、その後「ガロ」で鬼太郎を描くんだが、少年マガジンにも描くようになる。
1954年、紙芝居の貸元である阪神画劇社と紙芝居作者として契約していた水木は、同社社長・鈴木勝丸に前述のハカバキタローを題材にした作品を描くよう勧められた。作者承諾の上で、水木はオリジナルの紙芝居『蛇人』『空手鬼太郎』『ガロア』『幽霊の手』の4作を仕立てた。これが鬼太郎シリーズの原点である。
だが、奇抜な展開で評判を呼んだ『空手鬼太郎』を除き、鬼太郎シリーズはそれほど人気が出ず、それ以降は製作されなかった。
その後、貸本漫画家に転身した水木は、1959年に兎月書房発行の怪奇短編マンガ誌『妖奇伝』に「幽霊一家」を発表。ここで現在の鬼太郎の基礎が定まる。
1965年、劇画路線を推進していた『週刊少年マガジン』で読み切り作品『墓場の鬼太郎』「手」が掲載された。当初は不定期掲載で人気も出ず、3話で打ち切りを検討された。だが夏休みが終わる時期に、当時の貸本読者や大学生たちからの激励の葉書が届き、打ち切りは回避された。ところで、亡くなったコミケット主催者の米澤くんというのは、稀代の水木しげるマニアで知られた男で、幼稚園児の頃から三輪車に乗って貸本の問屋をまわり、ツケで新刊をドカドカ買っていたという逸話があるんだが、もちろん、竹内版を含め、この頃の鬼太郎は全巻持ってるはずだ。生前、本人がそう言っていた。まぁ、明治大学に行けば見られるだろう。で、少年誌に登場した水木しげるを支えたのは、そんな、貸本時代からの熱心な読者たちです。米やんがファンレター書いたかどうか知らないが、人気のなかった鬼太郎が続いたのは、「鬼太郎のおかげで漫画を卒業せずにすみました。」という手紙で免れたという逸話があるそうですw
当時、『週刊少年マガジン』の編集長だった内田勝の著書『「奇」の発想』によると、『鬼太郎』はずっと読者投票の最下位で、人気獲得のためにアニメ化しようとも試みられたが「妖怪もので、タイトルが墓場ではちょっと……スポンサーが付かない」と東映の渡邊亮徳(当時の東映常務取締役テレビ事業部長)に説得された(結果として『悪魔くん』の実写ドラマ化が先行)。
『悪魔くん』の成功により、水木しげるが人気作家になったため、1967年からは正式な連載作品となる。
水木しげるのマニアとしては、他にもミステリ小説家の京極夏彦がいますね。
投稿 魄 | 2010/06/17 10:47
「実写映画判」で猫娘を田中麗奈が演じた関係で
アニメ判猫娘の「萌えキャラ化」が進みましたね。
あと「ろくろ首姉さん」も。
お陰でDVD,BOXに手を出しました。
投稿 ローレライ | 2010/06/17 11:19
ザマーミロ、ロスチャイルド!!!!!!!!!!!!!!!!!
ろ、ろ、ろ、ろ、60万台!!!!!!!!!!!!
昨日、Apple が 1日ダケで受注した、新世代 i-Phone の数!!!!!!
ザマーミロ、ロスチャイルド!!!!!!!!!!!
コイツ等自身は、自らは何の価値も生み出さないで、世界の一般国民を
"顎(アゴ)でコキ使い(ヤクザそっくり!!!!!!!)"、
他人の金を右から左に動かすダケで天文学的な 『巨万の濡れ手で粟の富』 を自らの懐に着服する
Wall Street を支配スル、コノ極悪非道の 『大悪党』 共は、常に Apple の製品にケチを付け、時に配下のメディアを使ってボロカスに貶(けな)し、Apple の株価を意図的に低く押さえ込むという悪事までもヤッテノケ(現在進行形!)手いるのだ!!!!!!!!!!!!
アノ目も当てられぬ程に酷い AT&T(アメリカ国内唯一の i-Phone のキャリア コイツ等もロスチャイルド配下なのでモシや意図的なシステム・ダウンではとサヘ思ってしまう) のシステム・ダウンがありナガラ、受注されたコノ60万台と言う数字は、ドウやら米国内だけの数字の様ダ!
とすると、日本を含む世界5カ国でのトータルの数字は、一体ドレ程の数に至るのか!!!!!!??????
凄いとシカ言えない!!!!!!!!!!!!!!
投稿 gristan | 2010/06/17 13:49
おしんはダイエーの創始者中内功とも言われてますね。
こちらも破綻しましたけどw
投稿 うひょ | 2010/06/17 14:58
水木氏は平成元年ごろ、、調布地区のタウンページの【漫画家】
という項に、【水木しげる 調布市八雲台… 042-…】と、住所と
電話番号を載せていた。
子供心に不思議な人だと思った覚えがある。
投稿 gmbh | 2010/06/17 15:28
漫画家の住所が伏せられるようになったのは1980年頃だから、平成元年だとちょっと遅めですね。
水木しげるらしいおおらかさというべきか。
投稿 ぬま | 2010/06/17 18:07
■もっと登場人物紹介
http://www9.nhk.or.jp/gegege/cast/ex.html
NEWキャラクターが熱すぎるw
投稿 deadman | 2010/06/17 19:10
今年の夏、境港の鬼太郎記念館に久しぶりに行きたくなりました。
投稿 デラシネ | 2010/06/17 19:45
「おい!鬼太郎!」と目玉おやじさんのセリフがなんかいいですよね~♪
「おい!♪♪♪!」と苺も呼んでみたいなァ~♪(^^)
投稿 苺 | 2010/06/17 20:50
古き良き日本の妖怪を馬鹿にする奴らは妖怪に泣く。
投稿 ザマーミロ、ロスチャイルド!!!!!!!!!!!!!!!!!(お借りしま素股) | 2010/06/17 22:23
最近、貧乏神が登場しましたねw
>NEWキャラクターが熱すぎるw
ケータイ刑事の窪田君が♪
柄本明の息子も出るんだww
投稿 ずんぼ | 2010/06/17 23:31
水木しげる、松本清張、北条早雲を
日本三大大器晩成と言うからな。
40代になっても青雲の志を忘れないでいたい。
というか、ダメリカと日本の手下どもがズッコケるから
天下をとろうと準備しておいた方がいいぞ!
投稿 読書貧乏 | 2010/06/17 23:47