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[15763] キャッツエンドドッグス(アイドルマスター二次)
Name: 塩ワニ◆edd3c1be ID:9f5383e3
Date: 2010/01/21 10:43



 注意書き。

 アイマスの二次創作です。
 原作知らなくても読めます。










 北緯38度線を縦断するように、瞬く間に世界が切り替わる。
 ステージの上に眩く輝くスポットライトが、光の欠片となって、彼女の姿を幻想的に彩っていた。藍色と赤と黄色の三色が、薄い光の膜を纏ったように輝きながら、彼女は、光に姿を溶け込ませていた。
 
 いつか、彼女を──千早を立たせると誓った、そのステージの上に、彼女はいる。四万人を収容できるドームでの、如月千早という自らのネームバリューのみでのソロステージ。
 チケットはソールドアウト。
 空席は、なし。
 それが成功か失敗かが、これから決まる。
 

 満員の観衆と、自分の歌と、そして最高のスタッフ。
 彼女のことを知っているのなら、彼女の努力を傍で見てきたならば、ここに彼女が立つことに、誰も疑問に思うはずもない。
 少なくとも、これだけは断言できる。

 正しい努力が、正しい結果によって報われるとするならば──、この場に立てるのは、たしかに如月千早以外にはありえない、と。

 ──歌を、歌う。
 ただそれだけに打ち込んで、軸もぶれずに、決して諦めずに、自分の夢を叶えられる 人間がいったいどのぐらいいるだろう?
 ステージに立てるアイドルは数多くいても、本当の意味でステージに立てる資格があるアイドルなど、ほんの一握りだ。

 響く音というものに広がりもあるし、大きさもある。そして、熱があるし輝きもある。
 フォルテシモは、明るさだったり、暖かさだったりするかもしれない。
 ピアニッシモは、儚さだったり、繊細さだったりするかもしれない。

 生き生きと、ゆるやかに、広々と、愛らしく、快活に、感情を激しく、甘やかに、光り輝いて、歌うように、美しく、優雅に、うねるように、神秘的に、重厚に、壮麗に、響かせて、静かに、音をのばして、緊迫して、うるわしく。
 音楽記号には、思いつくだけでこれだけの表現があり、それをどう表現するかは、完全に歌い手の判断と技量に委ねられる。
  


 設置されたスピーカーが、三階席まで突き抜けるような、大迫力の音響をたたき出す。次第にクレッシェンドしていく音階に乗せて、会場の熱量も上がっていくのがわかった。

 背後でベースが唸りを上げ、ドラムが爆発にも似たリズムを刻む。完全戦闘モードに入った千早の感情の爆発になぞらえられたそれは、彼女の声に合わさって、クライマックスを迎えた。
 
 曲の転調に合わせて、スモークが焚かれ、マグネシウムが破裂した。
 頂点に達した歓声を叩き割るようにして、千早の伸びやかな声が、会場の熱量を、音楽の中にかき混ぜていく。

 色鮮やかな光に照らされて、ステージの上に構成された世界が、七色の輝きを放っている。

 今まで見てきた中でも、千早はステージの上で、類い希な熱量を放っていた。
 本日のハイライト。
 このステージを見終えて観客たちが、一番最初に思い出すのが、この瞬間だろう。
 そう断言できるほどに、
 それほどに強く心に刻みつけられた一シーン。

 ステージの横で、忙しく動き回るスタッフの邪魔にならないようにしながら、俺は千早のステージに、ずっと視線を吸い上げられていた。
 

 彼女に出会ったのは、三年前だった。
 あれから、彼女は変わった。
 いや本質はなにも変わっていないのかもしれない。
 彼女は、ずっと如月千早のままで、自分のままでトップアイドルにまで上り詰めた。だから、やり残しはなにもないと断言できる。
 担当アイドルと担当プロデューサーという関係で、三年間付き合った、その結晶が今夜のそのステージだった。

 だから、ようやく肩の荷が下りたといえる。
 息を吐く。
 後悔は、ない。
 おそらく。
 いや、後悔なんて残すわけにはいかない。

 だって──
 これで、最後だから。
 俺が、プロデューサーとして、彼女にしてやれることは、これで最後だから。

 だから、彼女の全盛期の姿を、目に焼き付ける。
 彼女はまぎれもない、自分が育てた中で、もっとも優れた完成品だった。

 彼女には、夢を掴む資格がある。
 歓声を受ける資格がある。
 頂点に立つ資格がある。



 ──幸せになる、資格がある。



 そう思うからこそ、俺は──もう、彼女と一緒には歩けない。間違いない。悔いはない。彼女に残せるものは、すべてを与えて、それ以上のものを彼女にはもらったはずだ。

 すでに、ライブはアンコールに突入していた。円形のホールに、観客達が手にしている目に眩しい青色のサイリウムの群れが、色彩ゆたかな光の海となって彼女を祝福している。凄まじい熱気と興奮が、離れていてなお圧倒されるほどだった。

 夢。

 彼女の夢は、きっとこれで叶ったのだろう。だから、彼女は幸せになれる。そこに、俺は必要ない。俺はただ終わりゆくライブにて、いつまでも鳴りやまない拍手を聞いていた。















「あなたが、新しいプロデューサーですか?」

 それが、彼女の第一声だった。
 はじめて千早に会ったときのことは、まだ鮮明に思い出せる。

 天才がいるということは、耳には入っていた。
 俺たちの所属する『ギガス』プロダクションは、立ち上げたばかり。今の百分の一以下の規模で、はじめての環境に戸惑いながら、昼夜を忘れて仕事をこなしていた。

「ああ。名だたるプロデューサーも合わせて、十人近く振っている、プライドの高いお姫様がいると聞いて。君を、スカウトに来た」

 彼女の経歴は凄まじい。
 ロックとポップスで数々のオーディションを総舐めにしたあと、アマチュアでいくつか日本一の座を掴んでいる。
 他人には厳しく、それ以上に自分に厳しく、誰も彼女の心を射止めるに至っていない。
 もっとも、そうでなければ、こんな弱小プロダクションに彼女ほどの大物を釣れる機会などあるはずがないが。
 彼女ほどの素材が、未だフリーでいるのは、奇蹟に近い。

 彼女は、十人近くのスカウトを、すべて断っている。
 つまり、自分たち『ギガス』は、ドラフトで言えば、十一位。
 アイドルでいえば、駆け出し。
 ──下の下である。

「『ギガス』プロダクションですか。──聞かない名前ですね」
 ファミレスの一席。
 俺の渡した名刺を一目見て、彼女は呟いた。

「ああ、今はね。でも、これからきっと誰もが聞いたことのあるような会社にしてみせる。そのために、君の力が必要なんだ」

 本音だった。
 もとより、彼女にホンモノの言葉以外が、通用するとも思えない。
 彼女は、俯いた。
 怜悧な瞳に、わずかに影が差す。

「──私は、今まで十人のプロデューサーの誘いを、断ってきました」
「ああ」
「理由は単純です。彼らのことが、必要だと思えなかったから。そして、私を歌手としてデビューさせるという約束をしてくれなかったからです」
「そうか、まあ──当然だな」
 当然といえば、当然だった。
 15歳。
 その年齢なら、アイドルとして、旬真っ只中だし、この年齢のアイドルはたくさんいる。しかし、歌だけで勝負できる本格派など、数えるほどもいない。

 目の前の、如月千早という少女は、ずいぶんな自信家に見える。
 しかし、それでも──彼女が考えるよりもずっと容易く、幾多のライバルたちを蹴散らして、この世代では屈指のアイドルに上り詰めるだろう。
 もしかしたら、一年でAランクに上がることも可能かもしれない。

 もっとも、自分のことなのだ。
 彼女だって分かっているだろう。
 歌手としての自分と、アイドルとして見られた時の自分では、その価値が段違いだということが。 
 それでもなお、彼女は歌手であろうとする。

「千早は、強いんだな」
「あなたも、随分としぶとそうに見えますけど」
 彼女の注文したアイスコーヒーが届く。
 俺の注文した寒冷式ストロベリーパフェギロチンホイップ風味(七合目)も一緒に。
 店員は、当たり前のように、俺の前にアイスコーヒーを置く。
 俺はそれに倣って、そのままカップに口をつけた。
「なっ──」
 抗議にならない声。
 ──これで、彼女は自分の前に置かれたパフェを全部食べきるまで、席を立てない。

「なら、単純な話だ。強いのと、強くてしぶとそうなら、後者の方が魅力的だろう。たった、それだけでも組む理由があると思う」
「なら、私が強くてしぶとくなればいいだけです。あなたと組む必要は見つけられません」
 差し出した手が、空を掴む。
 
「ひとりだと、できないこともあるだろう」
「それも、ひとりで乗り越えると決めましたから」
 彼女は、諦めたのか、パフェを切り崩す作業に入った。
 
「そうか」
 正攻法では、崩せない。
 ──でも、俺は差し出した手を引いたりはしない。

「今の気持ちが消えてしまいそうな気がするか、他人と触れあうと、自分が弱くなっていく気がするのか」
「……意味が、わかりません」
 彼女の、深い色の瞳がわずかに揺れた。

「君のステージを見た」
 ──今までの彼女の言葉が真実ならば、彼女はこの言葉を無視できない。

 ──最高だ。
 ──あんな素晴らしいステージは見たことがない。
 彼女ほどの歌い手なら、そんな賞賛は聞き飽きているはずだ。

「調子を落としてるな。
 普通なら気づかれないレベルだが、歌ってる本人なら、自覚しているはずだ」

 その言葉に、
 はじめて──
 未知の生命体を認識したかのように、
 彼女から、串刺すような視線が浴びせかけられる。

 いつもの彼女なら、つけいる隙も揺らぐモノはない。
 けれど、今の彼女は、ベストじゃあない。自らが自覚できるレベルで、ほんの少しだけ弱い。
 だから──
 ベストの彼女なら、説得できなくても。

 今が。
 ──今の彼女の弱さにつけこむ。
 千載一遇のチャンスだ。

 彼女が歌に縋ることで生きているのなら、それはほんの僅かな亀裂でも、彼女の心に届くだろう。

「はい。気づかれるとは思いませんでした。貴方には、原因がわかるとでも?」
「いや? 調子が悪いのなんて、本人が調子悪いからだろ」
「………………」
「他人にはわからない。
 たとえ話だが、前日十時間ぶっ通しで歌のレッスンなんてしたら、翌日はどこの大御所だって調子を崩すだろう」
「………………」

 案の定、心当たりがあるらしい。
 ──そのへんの理由だとあたりをつけたら、ビンゴだったみたいだ。

「ほっとけば、二、三日で治るだろう。悪化するなら、どうしようもない」
「それでも──」
「常に自分をベストコンディションに置いていないと気が済まないという顔だな。まったく、それだけのプロ根性があって。
 ──どうして、そんな才能に陽の目を当てようとしないのか」
「──言いたいことは、それだけですか?」

 いままでの──自分との会話に、彼女の胸を打つような言葉は、ただのひとつもなかったらしい。
 彼女が席を立つ。

 いつの間にか、彼女の前に置かれたパフェは、綺麗に空になっていた。

 ──あ。
 なるほど、いい性格をしている。

 茶番は終わり。
 そういうことだろう。

 彼女なりに、時間制限を区切ってくれたということか。
 そう決めたのなら、もう彼女は振り返らないだろう。 
 
「おっと、少し遊びすぎた。
 相手は、子供扱いされることに耐えられない子供だったな」

 いつもなら。
 ──しない。
 こんな、安い挑発は。

 彼女の歩みは止まらない。
 昼間、ピークを過ぎていた客層の喧噪は、あまりに儚い。

 当然、こんな挑発。
 聞こえているとしても、彼女を引き留めるには足りない。

「縦に口を開けられてる。母音が美しいな。ちゃんと口の中で声が響いている証拠だ」

 そして、この台詞は、
 ──そんな安い挑発の後だからこそ、効果がある。

「君のステージを見た。
 ──そう言ったはずだ」
 
 ──彼女の歩みが、止まった。
 
「上級者が陥りやすいスランプの一種だ。
 自分の音質に、自分の耳が慣れてしまってる。まあ、つまりは感覚が狂っている感じだな。一度、リセットすれば治るだろう。電化製品とかパソコンと同じだ」
「──リセット? どういうことですか?」
「テンポを思いっきり揺らしてみるといい。
 絶対人に聞かせられない感じで。
 枠を引き裂く感じだ。ただし、喉を痛めるような歌い方はしないこと」
「………………」

 ──これが最後だ。
 これで、彼女を引き留められなかったら、打つ手はない。
 ほんの少しの沈黙。
 その後で、わずかに、興味の方に天秤が傾いたのだろう。

 低い声。
 そして──
 正しく、聞くに耐えない声。

 ビリビリと、ガラスが振動する。ファミレスの客すべての鼓膜を破壊するような、凄絶な騒音。

「それから──少しずつ、いつもの枠に納めるような感じで」

 直接、骨に振動するような空気が、収まっていく。
 あとは、折りたたまれるように綺麗に、彼女の声が戻ってくる。
 あずささんから教わった治療法は、正しく効果を発揮したらしい。

「──と、こんな感じだ」

 流石、うちのあずささんの見立ては間違いがない。
 きっちり、彼女の興味を繋ぎ止める切り札になってくれた。

「ひとつだけ、聞きたいことがあります」
「え?」
「私の担当プロデューサーは、あなたでいいんですか?」

 その言葉で、俺は、
 ──賭けに勝ったことを知った。

「ああ、そう考えてくれていい。嫌だと言っても、そうするけど」
「では──よろしくお願いします。プロデューサー」

 千早が、手を差し出してくる。

 忘れない。
 これが、夢の始まり。
 ──遠い。
 長く曲がりくねった階段の一歩を踏み出す。

「願わくば──」

 ──手を握る。

「俺と、君の──」
「私と、あなたの──」








「「掴もうとしている夢が、同じであるように──」」









[15763] stage1 Gaiant Killing (大物喰い) 2
Name: 塩ワニ◆edd3c1be ID:9f5383e3
Date: 2010/02/27 20:35




 
 都心の一等地に構えられた全面ガラス張りのビルが、五百人近いアイドルを抱える『ギガス』プロの本部だった。
 完成してたった半年のそれは、社長であるジョセフ・真月の全面的な趣味で、カフェルームと、和室が完備されている。
 地下には、最新音響を積んである専用のスタジオを備えていて、業界広しといえど、ここまでの設備を揃えた芸能プロは珍しいだろう。

 丁度、昼食の時間。
 社員食堂を利用するスタッフやアイドルたちで、四階は埋まっている。
 真昼の喧噪の中、なにごとかと振り向く社員たちをすり抜けて、私は前に体を蹴りだす。

 エレベーターの扉が閉まる直前に、彼の後ろ姿がわずかに見えた。あのエレベーターは、一階までの直通だ。

 それを理解する前に、私は横の階段を二段飛ばしで駆け下りる。
 視界が縦に揺れる。
 清掃員のおばさんが驚く顔が、一瞬、視界の端に焼き付いた。

 一階の床を踏む。
 視界が開けた。
 ホールに、彼の後ろ姿が見える。

「プロデューサー……」

 叫ぶつもりだった。
 息を切らしていたわけではない。
 けれど──
 こみ上げるモノがあって、ひどく擦れた声にしかならない。

「千早──?」

 それでも──
 喧噪の中で、その声はたしかに彼に届いていた。

「どうして、辞めるなんて……」
「誰か。しゃべったのか。──ああ、社長か、仕方ないな」

 いつも通りの、彼だった。
 傍で厳しくも笑いかけてくれるまま、このまま外回りにでも出かけるサラリーマンのように見える。
 あまりに平然としているのが、信じられなかった。
 だから──

「嘘、ですよね。プロデューサーが、この会社を辞めるだなんて」
「あー」

 困ったように頭を掻く。
「こうなると思ったから、千早のロッカーに別れの手紙を差し込んでおいたんだけどな。ムダになったか」
「プロデューサー………」

 ──引き抜き、だろうか?
 まさか。
 そんなこと、あるはずがない。

 ──業界で並ぶものどころか、比べることすらおこがましい。
 彼が座しているのは、アイドルプロダクション業界で四強のひとつとされる『ギガス』プロダクションの、五百人を越えるアイドルたちの頂点である、如月千早の専属プロデューサーの席。
 ──年収なんて、軽く億を超えるだろう。
 どこかのプロダクションが、これ以上の条件を重ねることなど、不可能に近い。
 疑問は洪水のように頭を埋め尽くして、声になってくれない。親から見捨てられた雛鳥のように、私はただ、かぶりを振るしかない。  

「喫茶店にでも、入るか」
 困ったようなプロデューサーの視線が、自分の袖の辺りに注がれる。
「プロデューサー。どこを見ているんですか?」
「いや、な……」
 彼が、口を濁す。
 プロデューサーの視線を追うと、いつのまにか、私の手が彼の袖を掴んでいた。無意識、だった。

「あ──」

 まるで、親を探し泣く、迷い子のようで。
 恥ずかしかったけれど。
 それでも、一度掴んだ手を離すなんて、できるわけがなかった。

 促されるまま、一番奥の席に座る。
 一階の、エントランスルームの外側。主に、来客が利用するために作られたその喫茶店は、昼時なのに客付きは五割程度だった。

「すまないな千早。こんな場所で」
「それはかまいません。それで、早く本題に入ってください」
「やっぱり、怒ってるか?」
「怒っていないように見えますか?」
「引継ぎはやっておいた。朔なら、能力的にも人格的にも問題ないだろう。

 朔響(さくひびき)
 彼の大学での、二年先輩だった、らしい。この『ギガス』プロの創業期からのメンバーで、彼からの誘いで、プロデューサーはこの仕事についたはずだった。
 社長の片腕であり、実質、この会社を動かしているのは彼だった。イメージとしては、ダーティーで、陰謀とか策謀とかが似合いそうな顔をしている。
 
「だから、一人前だよ。──千早ならきっと、ひとりでもやっていける」

 それは。
 ずっと恋がれていた言葉だった。
 いつか、この言葉を言われることを願って、きっと、私は血の滲むような努力を重ねてきたから。

 他人からの賞賛も、
 ファンからの声援も、
 通帳からゼロがはみ出るかと思うほどの、目も眩むような大金も、
 手が届かないと思われていた天上の歌手の人からの言葉も、

 ──きっと、この一言には及ばないと思って、今まで頑張ってきた。

 だから──
 それがなにを意味するかなんて、一度も考えたことはなかったのだ。

「これで、終わり……?」
「ああ」
 静かな言葉だった。
 感情を押し殺した様子も、なにかを堪えている様子もない。

「行かないでください」
「できない」
「傍にいてください」
「それは、できないんだ」
「……私を、見捨てないでください」
「……千早」
「プロデューサー。最初の、私の質問に答えてないです。どうして、辞めるなんて。ここまで、三年、一緒にやってきたじゃないですか。私の勘違いだったんですか? 今が充実してるんだって。プロデューサーに、出逢えてよかったって、ずっと、私はずっとそう思っていたのに──
 どうして──」

 どうして──
 どうしてッ──!!  

「ここに、なにがあるんだ──?」
「え?」 
「とある、有名なコピーライターの人の言葉だ。『今、一番売れている』というフレーズが、もっとも消費者を訴求できる言葉になった今、自分がこれ以上、この仕事をしている意味はない──。
 この一年、覚えてるか? プロダクションも軌道に乗って、ランクBからランクAまでに昇りつめて、二枚組みのアルバムを出して、コンサートツアーを組んだ」

 飛躍。
 その一年を表すなら、そういうだろう。
 すべてが良い方向に廻り始めていた。テレビ出演も、数万人規模のコンサートをめまぐるしくこなし、たくさんの人々に自分の歌を届けているという実感がもてた。

「単純な理由。どうしようもなく単純な理由だ。
 俺にとって、千早と過ごしたこの一年が──」

 私にとって。
 忘れられない。
 輝きに満ちた一年が──




「どうしようもなく、苦痛だったからだ」












 
「え?」

 それは、思いもかけない言葉だった。
 四肢が震えて、体の温度が二℃ほど下がったような気がした。自分がどこにいるのかもわからなくなって、歯と歯の擦れるガチガチといった音が、自分の耳だけに届いている。
 

「ああ、そうだ──
 この一年間は、苦痛でしかなかった。
 ただ『ギガス』という事務所の名前を言うだけで、他社を押しのけてセールスを確保できる。この会社で『アイドルを育てる』仕事をしているプロデューサーなんて、十人もいない。他の弱小プロダクションから法外な金にモノを言わせて、引き抜いてくるだけだ。
 この会社で、俺がこれ以上、いったいなにをすることがある──?」

 彼の苛立ったような言葉も、ぼやけた層を通してしか耳に入らない。

「きっと、千早の言うことは正しいんだろうな。実のところ、辞める理由なんてないんだ。ただ、これからも、続けていく理由がないだけで」
 彼は、続けた。
「身勝手な理由だって事はわかってる。でもな──俺はきっと、これ以上自分が、生きたまま腐っていくことに耐えられない」

 彼の言葉が、わからない。
 彼の思考が、わからない。
 
「わからない、だろうな。それでいい。分かる必要もない。千早が自分だけの世界を持っているように、俺にもあるんだよ。ただ、それだけのことなんだ」
 彼は、目を閉じた。

「それでも、俺と同じように、なにもかもを捨てられるなら、一緒に、来るか。千早?」

 唐突に、差し伸べられた手。
 いや、違う。今までだって、ずっと、彼の腕を捕まえていて。
 ただ、それが目に見えにくかっただけ。

「違約金ぐらいなら、ふたりの貯金を合わせればなんとかなる。ちょうど、大きなコンサートをやりとげて、これから仕事を選んでいこうとしていた時期だ。頑なにドラマや映画の仕事を断ってきたから、不幸中の幸いってやつかな。バラエティのレギュラーも二本失うことになるが、五週先までは収録済みだし。これに関しては、犯罪を犯したわけでもなし。そのテープそのものが使えなくなるわけじゃあないから、たいして損害もないだろう。バラエティは、層の厚さが強みだな。いくらでも、代わりが雨後の竹の子みたく出てくるんだから」

 如月千早は、アイドルか、歌手か。
 それは、私のホームページの掲示板で、当たり前のように議論される話題であり、 
 CDの売り上げを最優先に、タイアップを中心に活動を広げてきた、ひとつの副産物だった。

「なら、最初から私に言ってくれれば──」
 
 ──私の想いは、プロデューサーに届いた。
 彼の持ち出した妥協点を聞いて、
 そんな勘違いができるぐらいに、私は動転していたのだろう。


「そうだ。千早。お前が決めていい」
「はい。だから」
「言っておくと、こういった例で、事務所を移籍して、そこから一流に返り咲いた例は、ひとつもない。それを、わかってるか?」
「それは」
「それを踏まえて、決めてくれ。もし、ついてくるのなら、引退しかない」

 その言葉に、心臓が跳ねた。
 目の前が、揺らいだ。
 視界の隅で、影が揺れている。

『あなたが決めて良いのよ。父さんと、母さんのどちらについてくるか』

 それは、私が今まで生きてきた中で、最悪の日の記憶。

 今になって。
 今になって、どうして、こんなことを思い出すんだろう?

『知っているでしょう? お父さんとお母さんは、もう一緒に暮らせなくなったの。わたしたちは、あなたに強制はしたくない。だから、千早。あなたが決めなさい。お父さんとお母さんの、どちらを選ぶのか』

 デビューして、すぐ。
 私は、自分の家庭が壊れる瞬間に立ち会った。
 離婚届と、それに押された判子。
 そして、最後まで互いを見ようともしなかった両親。

 思い出したくもない。
 少しだけあった期待。
 いつかの、家族三人が、たしかに幸せに暮らしていた時間が、たしかにあった。
 歌は、今とは比べ物にならないほどに下手だった。
 それでもよかった。
 あのとき、までは。きっと。

 私は、無意識のうちに、上着のポケットの中に指を差し込んでいた。
 人差し指に触れたのは、木製の、ミツドリのキーホルダーだった。
 母についていくことに決めたときに、父からもらったもの。
 別れの際に、あの人も、きっとなにをプレゼントすればいいのかもわからなかったのだろう。
 無理もない。
 私だって、あの人に、贈り物をしようなんて思わない。捨てるに捨てられず、ずっとポケットの中で眠っていた。見れば思い出すのは悲しいことだけで、つらいことだけで、存在すらも黙殺していたのだ。

 なにができるわけでもない。
 なにをどうしても、壊れた食卓は、もう二度と戻らない。
 希望を失って。
 明日が見えなくて。
 それでも、歌うことだけはやめられなかった。

 それで、なにが変わったわけではない。
 なにもない欠陥品が、歌うことしかできない欠陥品に変わっただけ。

 それでも、歌わなければ、生きている実感さえ得られない。


「──そう、なんですか」

 そこで、
 ようやく、
 プロデューサーが、私になにも言わずに去ろうとしていた理由が、理解できてしまった。




 私は、



 私は、今の立場を捨てられない。



 たとえ、なにを、天秤にかけたとしても。
 今の立場に換えられるものなどない。自分自身の心臓でさえ、天秤の片側とするには軽すぎる。

 歌は、私のすべてだった。

 だから、切り離した瞬間に、如月千早は生きていられない。
 彼の言葉を借りるならば、私は、歌を失って、緩慢に、生きたままで腐っていく私自身を認めないだろう。

 このまま、彼についていくとする。
 彼の提案を蹴って、再デビュー。
 そして、またFランクアイドルから?
 あまりに、致命的だ。
 それだけで、この三年間を、全否定するにも等しい。

 ようやく、基盤を安定させて、ちょくちょく音楽番組で歌えるようになった。長かった下積み時代が終わって、これからが如月千早のスタートなのだ。 アイドルにとっての旬は、今しかない。
 一部のコアなファンを除き、大多数の視聴者は、旬を逃したアイドルなど見向きもしない。

 アイドルの価値を決められるのは、視聴者だけだ。
 どれだけ歌が優れていても、どれだけの強運に恵まれても、ファンはいつか醒める。
 今から、これからの三年間がおそらく、如月千早というアイドルの旬、つまりはピークだろう。
 移籍してしまえば、 『ギガス』プロの全面バックアップによる、万全の体制も望めない。
 そして、それはアイドルとして生きる少女たちの九九パーセントが、望んだって得られないものだ。

 プロデューサーは、生え抜きを見つける才能も、無茶を通す能力も、おそらくは業界で並ぶものもないレベルだった。
 しかし、
 それはつまり、危機にならなければ使いようがない。
 使わなければ使わないほうがいいような能力であり、『ギガス』プロダクションが、業界の十パーセントを握ったという安定期には、もはや不要な能力だった。
 ならば、彼の後任を継いだ朔響の方が優れている。
 彼が育てている、いくつかの若手のグループがあるという。その中の優れたグループのひとつに、なんの問題もなく、彼の仕事は委任されるだろう。
 
 なんの問題も、ない。
 なんの問題もないのだ。
 彼が、私の前からいなくなってしまうということ以外は。

 認めるしかない。
 思ってしまった。
 どうして、こんな選択があるのだろう?
 
 これならいっそ。
 全部夢だったことにしてくれたら。
 ある日突然、彼がいなくて、全部夢だったということにしてくれたらいいのに、と。

「私、は──」

 彼と、担当プロデューサーとアイドルとしての関係で。
 羽を寄り添って、これまでを過ごしてきた。
 その関係が霞んでいく。

 結論は、変わらない。

 私は、自分自身を売り渡すことはできる。

 でも──

 歌を、捨てることはできない。
 
 彼が立ち上がる。
 行ってしまう。

「千早。まだ荷物の整理だとか、いくつか時間を作るようにする。
 四日後だ。
 四日後の午後八時に、このビルの正面玄関で三十分だけ待っている。もし、俺の夢に協力できるのなら、その日、その場所で答えを聞かせてくれ」
「待って、ください。その日は!」
「ああ、歌番組の生放送とかぶるな。だから、言ってる。中途半端な覚悟でついてこられても迷惑だ」
 明らかに、突き放すような言葉。
「今、夢と言いましたけど、プロデューサーは、ここをやめてなにをするつもりなんですか?」
「言ってなかったか。『ギガス』プロを超えるプロダクションを作る。ゼロからの出直しだ」
「…………………」
 言葉がない。
 無謀という言葉すら生温い。
 それは神話にある、巨人(ギガス)に立ち向かうような、奇跡だけを輩に立ち向かう、愚かな行為。

「だから、
 決めてくれ。
 ここで、俺なんかと心中するのか──
 それとも、これを乗り越えて、一流のアイドルを目指すのか──」

 そして、彼は付け足した。

 助けなんていらない。
 これは俺の、たったひとりの、ジャイアントキリングだからだ。
 








[15763] stage1 Gaiant Killing 3
Name: 塩ワニ◆edd3c1be ID:9f5383e3
Date: 2010/02/27 20:35




 スタジオの外の調整室の壁に、その週のセールス・ランキングとリクエストの順位が張り出されている。使い方もわからないような最新機器の隙間を縫うようにして、私はそこの扉を閉めた。

 ギガスプロダクション地下一階の、エリアDスタジオは、何時のころからか、実質、私──如月千早の専用ルームとなっている。
 誰が言い出したわけではない。
 それでも、この一年。
 決まって五時から八時まで。
 この時間に、このスタジオが予約で埋まっていることは、ただの一度もなかった。

 まるで、穴倉に住み着くモグラのようだな、と自嘲する。
 家に帰れば母がいる。
 嫌でも母と顔を合わせねばならない気の重さに比べれば、このスタジオの方が、よほどくつろげる。

 それをわかってくれていて、息の長いスタッフたちは、各々の仕事に取り掛かっている。

 ふと、休憩室から戻ると、ドアの隙間にポートレイトが差し込まれていた。

 題名は、『ピュアハート』
 この間の全国ツアーのタイトル。
 その一瞬一瞬を切り取った写真が、瞬間を永遠のものとしている。

 私は、ソファーに座って、そのアルバムのページをめくる。

 まだ、このツアーを終えて、半月もたっていない。
 熱気と、曲の静けさ、そして客席との一体感は、まだ記憶に生々しく残っている。
 


 私のデビュー曲である『神様のBirthday』から、カバー曲である『鳥の詩』。そして、メインの『蒼い鳥』に移る、コンサートの最大の見せ場。驚くほどに狭い、半径二メートルもない円形のステージは、鳥篭を意識したらしい。
 曲の盛り上がりに合わせて、赤、青、黄、緑、白、橙、若草色、水色、色とりどりの数千個の風船が舞い落ちてくる。

 写真は、その見せ場のすべてを、ひとつひとつ丁寧に切り取っているのがわかる。

 次々と現れるステージゲスト。
 ステージ・プロデューサーの組み上げた三次元的なステージ。
 バックダンサーとして、ステージを盛り上げる『ギガス』プロの後輩たち。
 楽屋での私の姿。
 スタッフに指示を出しているプロデューサー。

 観客席を埋め尽くすファンの姿と、
 私のツアーの記事を一面にしている、各地のスポーツ新聞を写真に収めた一ショット。
 ファンの広げる手製の横断幕を写すシーンから、 リハーサルの風景。
 プロデューサーの書いた手書きの日程表。

 ぱたん、とアルバムを閉じる。
 見れば見るほどに、今の生活が充実しているのがわかってしまった。
 私が掴んだものは、きっと輝けるもので。

 足りないものは、なにもなくて。

 だから。

 胸が壊れそうなのも気のせいで。
 心が軋んでいるのもなにかの錯覚で。
 夢が遠ざかっていくのは、きっとなにかの間違いなんだ。

 そのはずだ。
 ない、はず、
 なんだ。
 
 そうだ。
 そう、ですよね。

 教えてください。

 ──プロデューサー。


「すみません如月さん。そろそろ、移動の時間です」
「──わかりました。準備をします」
 マネージャーが、時間を知らせる。

 プロデューサーとの約束は、今夜だった。
 時計は、午後の五時を指し示している。

『千早。まだ荷物の整理だとか、いくつか時間を作るようにする。
 四日後だ。
 四日後の午後八時に、このビルの正面玄関で三十分だけ待っている。もし、俺の夢に協力できるのなら、その日、その場所で答えを聞かせてくれ』












 生放送である『ミュージックセレクション』は、朝九時から夕方の四時ぐらいまでに、出演予定であるすべてのアーティストのリハーサルを終える。
 その後に、場当たり(立ち位置の確認)や、音あわせ、カメラリハーサル、ランスルー(最終チェック)を終えて、本番に臨む。
 こんな仕事をしていると、生放送の、本番五分前に滑り込んでくるアーティストというものが、フィクションだけのものでないとわかる。
 ちなみに、その場合は代役を立てることになるのだが。

 一度だけ、
 私が、ほかの仕事との兼ね合いで、どうしてもランスルーに間に合わず。
 プロデューサーが代役として、ステージに立ったことがあった。
 私の歌のメロディが流れる中で、ただ立ったままのプロデューサーの姿が、ほかの共演者の笑いを誘ったらしい。
 後日、彼は蒼い顔になって、二度とステージになんて上がるものか、と愚痴っていた。
 

 午後の、七時三十分。
 放送の開始まで、あと三十分。
 ステージメイクとランスルーを終えて、あとは座して本番を待つだけ。

 いつもならば、楽譜のチェックをしているところだった。
 ただ、今は、なにも、手につかない。
 そんな私の意識を呼び戻したのは、携帯の着信だった。
 ニュルンベルグのマイスタージンガー。
 携帯の通知欄は、ひとつの名前を知らせている。

 『三浦あずさ』

「──え」

 なぜ、このタイミングで?

 三浦あずさ。
 『ギガス』プロダクションの創成期を支えた、今の私と同じAランクアイドル。

 一年前。
 人気の絶頂期に、突然の引退を表明した、私のもっとも尊敬するアーティスト。(ここは、あえてアイドルという表現を使わない)
 最後のベストアルバム、『MY BEST ONE』は、296万枚のセールスを記録し、ミュージックシーンに、ひとつの伝説を打ち立てた。

 今の私の技量をもってしても、全盛期の彼女には遠く及ばない。
 間違いなく、今世紀を代表するアーティストのひとり。
 今は、第一線を退き、家事手伝いとして、日々を過ごしている。
 悩んだときや、歌で行き詰ったときに、よく相談に乗ってもらったり、家に招かれて、プロデューサーと一緒に料理をご馳走になったりしている。

 ──それでも、
 このタイミングでの電話は、なんらかの意思が透けてみえた。

「もしもし、あずささんですか?」
「ええ、千早ちゃん。今、どこかしら?」
 受話器を通して、彼女の柔らかな口調に、鉄の色があった。

「ミュージックセレクションの、楽屋です。あの、あと三十分で本番なので」
「プロデューサーさんとのこと、聞いたわ」

 わずかな、沈黙。

「もう、私には関係ないことですから」

 ぽつりと、言った。
 電話なら、嘘を嘘と見通される心配はない。

「あらあら。千早ちゃん。わかってるでしょう。貴方に、嘘なんて似合わないわ」

 息が、詰まる。あずささんは、どこまで知っているのだろう。
 なにもかも、見透かされているようだった。

「だったら、どうすればいいんですか?」
「え?」
「だったら、どうすればいいんですか。
 結構前に、この番組をボイコットしたロシアのデュオユニットがいましたよね。
 ワイドショーで散々に取り上げられて、コンサートはがらがらで、数千円のチケットが、数百円で投げ売りされたっていうじゃないですか」
 しまったと思った。
 けれど、一度口火を切ってしまえば、あふれそうな思いは止まらない。

「本物でも、一度落ちたら、二度と這い上がってこれないのがこの世界です。
 だから、老害だとかなんだとか言われても、しがみついている歌手たちがたくさんいる」
「まあ、あれは本物というよりは、イロモノだったような気もするけど。
 ──千早ちゃん。変わったのね」

 責めるような声音ではない。
 静かな声が、夜の静寂に吸い込まれるように、私の心に吸い込まれていった。

「──私の知っている千早ちゃんは、もっとまっすぐに夢を語る子だったわ。
 時には、無茶なことや無謀なことを言っていたけど、その一点だけは、誰にも負けていなかったと思うわ。ただ純粋に、歌の精度と質だけを見てたはず」
「あの頃は、なにも知らない子供だったからです。
 知っていますか?
 ──私、もう一八歳ですよ。
 三年前とは、なにもかもが違うんです。
 私は、誰の庇護も必要としていない。
 自分の出番に穴なんて空けられない。
 私の代わりは、誰もいない。

 ──誰もできない。

 それだけの自信がないなら、アイドルなんて務まりません。
 シンデレラが幸せになれるのは、童話の中の世界だけです。なにもかもを犠牲にして逃げた先に、幸せなんてないっ!!」
 






「──だけど、行きたいんでしょう?」

 
 




「──私は」

 そんなことはない。
 そのたった一言が、言い返せない。
 その一言の重さは、わかっているつもりだ。

 それでも、わからないのだ。
 プロデューサーと歌と、私にとってどちらが重いのか。
 その片方が、私が今、考えているよりもずっと重かったら?
 
「大丈夫よ。千早ちゃん。
 自分のしたいようにすればいい。追いかけたいなら、追いかければいい。だって、千早ちゃんはまだなににもなれていないんだから」
「…………………………………」
「一〇人いれば一〇人分の個性があるわ。たとえ、どん底に落ちてしまったら、童話ならバッドエンドよね。それでも、人生は続くの。人生に、バッドエンドなんてないんだから。
 そうしたら、そこから、どうもう一度はじめるかを考えればいいじゃない」
「そんな、綺麗事を」
「綺麗事じゃないわ。

 だって──
 これは、
 今までの千早ちゃんとプロデューサーさんを見てきて、感じたことだもの。
 この三年、
 千早ちゃんは、二人三脚で、そうやって歩いてきたでしょう?

 ねぇ、千早ちゃん。知ってる?
 歌は、どこでも歌えるって。国境を越えるって。
 だからね。千早ちゃん。この世の中にはね。
 数学と違って、絶対に答えの出せない問題というのがあるのよ」

 知っている。
 そんなことは言われるまでもない。

『ねえ。千早はパパとママの、どっちが好き?』

 選ぶことで、必ず誰かを傷つけなければいけない選択というものがある。
 時には、選んだ本人さえ。

「だから、答えを出したくないのなら、どちらも選ばなければいいの」
「………え」

『わたしたちは、あなたに強制はしたくない。だから、千早。あなたが決めなさい。お父さんとお母さんの、どちらを選ぶのか』

 ずっと、自分の人生は袋小路だと思っていた。
 でも、違ったのだ。

 先の見えない暗闇なのだと。
 選択の余地もなにもなかったと。
 私に、幸せなんて掴めないのだと。

 思えば、そんなはずはない。

 あそこで、どちらの選択も選ばなかったら。
 泣いても、縋ってもいい。
 離婚なんてやめようって。
 家族三人で一緒に暮らしたいって。
 
 私は、最初からあきらめて。
 そんなことは、口に出したこともなかった。

 選べなかった暗闇の先には、きっと光があったのだ。
 それに、ずっと気づくことができなかった。
 
 ううん。
 現実は優しくなくても。
 そう信じることぐらい、私にも許されますよね?
 

「──あ」


 それでも、
 まだ遅くないなら。

 だから、今度こそ、如月千早らしく。
 まっすぐに、
 物怖じせずに、
 自分の意見を通す。

 五分か、
 一〇分か、

 気の遠くなるような沈黙の後で。



「あずささん。ひとつだけ、お願いをしてもいいですか────?」



 私は、自分の答えを告げた。















「朔か。どうした?」
「ああ、二年ぐらいまえに、麻雀の賭け分、二万四千円取りっぱぐれてたのを忘れていてな」
 俺は財布から万札を三枚取り出すと、旧友に向けて放ってやった。

「……………………………それだけか?」
 俺は、ジト目で朔を睨む。
「それだけだ」
 朔は、そう言うとタバコにライターで火をつけた。
 朔響。24歳。
 この若さで、副社長と営業本部長を兼任している。
 俺の大学時代の先輩だった。俺をこの業界に引きずりこんだのも、この男だった。

 時間は、七時五七分。
 約束の期限まで、あと三三分。

 さすがにこの時間になると、各セクションの明かりはほとんど消えている。
 かろうじて、受付けだけは明かりを保っているが。

 しかし、ここの印象は、昼間と変わらない。
 このあたり一帯が華やかさを失わないのは、社屋の玄関の横に取り付けられた超大型の街頭ビジョンのためだった。
 横が五メートル、高さもそれぐらいあるその巨大テレビは、アイドルはいつも見られている、ということを忘れないために、ということで、社長の鶴の一声で決まったものだった。

 場所が工夫されており、食堂から見られるようになっている。
 あと、相当の熱意か特別な理由がなければ、アイドルもアーティストも、いちいち自分の出ている番組なんてチェックしないという、当たり前といえば、当たり前の要素も絡んでいた。


「一本くれ」
「ああ。なんだタバコ辞めたんじゃなかったのか」
「別に。ただ、もう我慢する必要もないからな」
 俺は、勝手に朔の胸ポケットから、メンソールを取り出すと、火をつけた。
 久しぶりに煙を吸い込んだせいか、派手にむせる。

「千早ちゃんか。随分と干渉されてたな。まるで、恋女房みたいだったじゃないか」
「まったくだ」
「金田。お前、千早ちゃん無しで生きていけるのか? またカップラーメンの生活に逆戻りじゃないか?」
「それは、まあなんとかなるだろう」

 多分、なんともならない。
 花壇の植え込みに腰を下ろす。

「待ち合わせ場所は、ここでいいのか?」
「ここでいい。ここからなら、玄関まで丸見えだからな。それに──」
 俺が、そこまで言いかけたところだった。

 ──近づく、靴音。
 月明かりも、雲に隠れて届かない。
 ただ、彼女を照らし出すのは、人工的な液晶の光だけ。

 八時、ジャスト。
 待ち合わせ、時間には、ぴったりだった。
 
 珍しく、息が弾んでいる。
 三年近く、一緒に仕事をしてきて、そういえばこんな彼女を見たのは、はじめてだった。
 そういえば、彼女が迷わずに、待ち合わせ場所に到着できること自体、奇跡に等しい。
 
「プロデューサー、さん。お待たせしました」
「どうし、て──? 
 どうして、貴方がここにいるんですか? あずささんj
「千早ちゃんに泣きつかれまして。
 プロデューサーさんをひとりで放っておくのは心配だから、ついていってくれと。私も同意見です。こんな役回りは、なにも失うもののない私の方が適任でしょう」

 そこで、
 街頭ビジョンの光景が切り替わる。

 午前八時。
 ミュージックセレクションの、時間が始まる。
 最初の登場シーン、最初に如月千早が階段から降りてくる。
 一目でわかる。
 動作に、なんの迷いもない。

 正真正銘の、ベストの彼女だった。

 司会でのトークのあとで、歌に突入する。
 生放送。
 失敗は許されない。
 そんな、
 極限の状況下で、

 ──彼女の、ステージが始まる。






 やわらかな声だった。
 雑味もケレンも一切なくただ純粋に透き通った声。どれだけの苦難も受け止めて、ここにいることを決めた、千早の決意の歌。

「ああ、そうか。千早。ちゃんと──選べたじゃないか」

 最初の一音で、すべて理解できた。
 なんの気負いもない。
 それは、誰のコピーでもない。
 自分を掴み取ったものだけが出せる音。

 ──如月千早の歌。













「あずささんは、プロデューサーについていてあげてください。
 私は、無理だから。
 あずささんの言ったとおり、私は一度答えを棚上げにします。
 いつか、日本で一番の歌姫になって、もう一度、プロデューサーに仕事を申し込みに行きます。答えを出すのは、それからでも遅くはないですよね」
「千早ちゃんは、それで辛くはないの?」
「──いいんです。辛くても」
「え?」
「だから、それでいいんです。
 これからは、この痛みに耐えていくだけでいい。

 この痛みが、ずっと続くのなら、
 ずっと彼のことを想っていける。

 私は、まだ囀りつづけることができる。
 この胸の痛みが、いつか、砂の城のように、波に洗い流される日までずっと──」
















「そういう顛末か。しかし、この三人で集まるのも、久しぶりだな」
「あら、響さん。ご無沙汰してます」
「ええ、私がまだ貴方のプロデュースしていたころからだから、もう一年にもなりますか」 
 朔は、昔を懐かしむようだった。
 歳の順からいって、朔が計画を立て、あずささんが周りを説得し、俺がそれを実行する。
 いまだに、このチームに勝る充実感を味わったことがない。
 無敵だった。
 この三人で、後に千早も加わって四人になるが、なんでも、できる気がしたものだった。

 けれど──人はいつまでも、同じ場所にはいられない。

 歌が終わる。
 そうなれば、幻想は拭い去られる。
 夢は終わり、子供は寝る時間。大人は明日に備えて、英気を養う時間。
 
「さて、解散するか。次に会うときは、敵同士だな」
「あらー。響さん。久しぶりに会ったことですし、一緒にお茶でもどうですか?」
「有難い申し出ですが。あまり敵と馴れ合うのも問題があるでしょう。それはそうとあずささん。復帰の意思はありませんか?  そこの甲斐性なしについていくよりも、ずっと有意義だと思いますが」
「おい、誰が甲斐性なしだ。この悪人顔」
「黙れロリキラー」
「口を閉じろ。ビビリ野郎」
「あらー。ふたりとも、久しぶりに会ったのに、息がぴったりですね」
「誰がだ」
「どこがですか?」
 ふたりで、あずささんに抗議を入れる。

「あとは、千早を頼む」
「ああ、めんどくさいことは。俺に押しつけて──か?」

 自分の女の後始末を、ほかの男に頼むなんて、甲斐性なしといわれても仕方ないな、と朔が言う。

「今だから、言ってやる。
 俺は、お前のそういうところが、殺したいほどに大嫌いだった」

 息が詰まる。
 明らかな、敵意。
 その理由まではわからない。

「けれど──な。それ以外の部分は悪くなかった。
 ヒマな大学生みたいに、ファミレスで会社の舵取りについて、朝まで議論したことを覚えているか?
 ──良かったと思う。あの頃は」
「朔。それは、当時、暇な大学生だった、俺への皮肉か?」
「そんなつもりはない。千早ちゃんを入れても、二十人いなかったな、創業メンバーは。今思えば、ああやって、会社を廻している時が、一番楽しかった。
 信じられるか?
 今じゃあ神様みたいに崇められてる社長自ら、クレーム対応に追われてたんだぞ。あの頃は」
「三年前か。俺たちも、いっちょ前に昔話ができる歳になったんだな」
「ああ、そういうことだ。大学時代を合わせれば四年も付き合ったんだ。もう十分だろう」

 距離が離れる。
 目指すところは、同じ。
 しかし、これからの立場は真逆に裏返る。

「千早ちゃんだって、覚悟を決めて、あんな別れ方をしたんだ。
 俺たちに別れの言葉なんていらない。
 三年前は、ほんとにテンパってて、一時は、全員首を吊るしかないって状況になったな。
 そのときは、笑えない状況だと思ってたが、今では、それすら笑い話にできる」

 俺とあずささんは、朔の背中を見送るしかない。
 それが、彼の別れの言葉だった。

「だから──
 数年後には、千早ちゃんも酒ぐらい呑める歳になっているだろう。
 この光景がもし笑い話になっていたら、
 また四人で。

 一緒に酒でも呑み交わそうじゃないか」











[15763] stage2 The winner takes it all (勝者の総取り) 1
Name: 塩ワニ◆edd3c1be ID:9f5383e3
Date: 2010/02/27 20:32



「ふふっ。どうかしら、千早ちゃん。ここのカルボナーラが絶品なのよ」
「はい、たしかに」

 私の正面の席には、あずささんが座っている。
 あれから、一週間が経っていた。
 本日の会食の誘い。
 プロデューサーのそれからが気になっていた私に、その申し出は渡りに船だった。あとは、互いのスケジュールを折り合わせて、今日の食事となった。
 
 あずささんの気に入るレストランだけあって、内装も調度品も、そして店の雰囲気も、文句のつけようがない。

 窓さえ閉めれば、心地好い静寂を楽しめる。

 このレストランには音楽が流れていない。
 有線や、それに類するバックサウンドは、すべて取り払われている。










 午後を廻る頃には、彼女らのいるレストランを迂回するように、ぐるっと長蛇の列ができていた。
 レストランの二階には、通常の客とかちあわない、アイドル専用のVIPルームが用意されており、私とあずささん,はそこから外を見下ろしている。

 窓の外に見える、路上には屋台が並び、コンサートまでは二時間もあるというのに、すでに本番さながらの賑わいを見せている。

 まるで、お祭りのようだった。
 ビールやホットドッグの屋台が所狭しと並び、高級レストランやショットバー、ゲームセンターに本屋、アイドルのグッズショップなどが軒を連ねる。

 スタジアム横の公園をアミューズメントパーク化する。
 大リーグの人気チーム、ボストン・レッドソックスに代表される手法であり、それを真似して作ってみた、というのはプロデューサーの言葉だった。
 いわば、これは彼の置き土産ということになる。

 ここには、『ギガス』プロの観覧カード、通称、プラチナカードを持った人だけが入場できる。
 むしろ、このカードがない限り、なんの特別なサービスも受けられない。コンサートの予約すら、すべてこのカード一枚でまかなうことになるからだ。
 レンタルビデオ店の会員カードのようなものだと思えばいい。
 定期的にキャンペーンを打ち、新規入会サービスをしている。
 ただし、このカード自体にクレジットカードとしての機能はなく、主に、ファンクラブのメンバーカードとして使われる。
 
 使用したカードの料金に応じてポイントが溜まり、それを消費することによって、店売りされていないアイドルたちの限定グッズに換えることができる。

 また、プラチナカードの消費額に応じて、サマーフェステバルやウインターフェステバルのチケット、その優先購入権が与えられる。
 このカードにも、ランクがあり、『ブロンズ』、『シルバー』、『ゴールド』、『プラチナ』の四ランクが用意されており、どれだけ金を使ったかでランクが昇格する。(ただし、ランクは次年度には持ち越されない)
 
 システムインティグレーション本部、天才、宗像(むなかた)名瀬(なせ)が、一年と半年をかけて組み上げたサーバーシステムは、それに絶大な効果を発揮した。

 このアイドルのコンサートに限らないエンターテイメント施設が次々と組み込まれ、今もさらに新しい施設が増築され続けている。

 親会社の野球スタジアムを半分のっとったかたちになるそれは、今では年間を通して、ギガスプロダクションの収益の半分以上を叩き出すまでになった。
 一年間、その座席を買い上げる『リーグシート』、家族で観覧できる『スイートボックス』の売り上げは好調に推移しており、収容人数二万人のスタジアムは、いつも『全席完売』となっている。
 2003年まで、常に客席動員数一万人を下回っていたスタジアムは、アイドルのコンサート会場として、現在も収益を上げ続けている。

 クリーブランド・インディアンスを思わせるような華麗な復活劇。
 十年前を頂点にして、地に落ちたCDシングルの販売数とは逆に、こういったライブの需要は高まるばかりだった。

 それを証明するように。
 あちこちに、『ギガス』プロの新人アイドルが路上コンサートを開いており、耳が痛くなるような賑わいを見せている。
 それは、ライブというこの瞬間でしか生まれないもの。
 アイドルたちは、自分の夢のステップを駆け上がるため。
 ファンたちは、ここから生まれでるかもしれない新星を見つけるために。

 興奮と感動。

 エンターテイメントの原点がここにあった。















 三ヶ月、一季をシーズンと呼び、一年を総括してリーグと呼ぶ。
 
 274のプロダクションの擁するアイドルの総数は、全部で5000人近くにもなる。(その四分の三以上は、EとFランクアイドルだが)
 所属するアイドルたちは、六つのクラスに分かれて(AからFまで)、プロダクションごとに、舞台の上で勝敗を決める。
 その方法は、たったひとつ。
 ファンの投票。
 そして、ランク分けはただ一点。
 応援してくれるファンの数のみによって決められる。

 規定に基づき、四点ある審査基準の一点でもクリアすることができれば、昇格となる。
 また、シーズンの変わり目に、審査基準をひとつでもクリアできていれば、そのままそのランクに残留となるが、ひとつすら条件を達成できなかった場合、下のランクに降格となる。
 その基準は、

 1、その年のリーグ期間に販売されたCD販売数が、一定の枚数に達していること。
 2、そのアイドル、またはグループ単独のコンサートのチケット販売数が、規定の員数に達していること。
 3、自分のプロダクションの取締役以上の立場の人間の、推薦があること。
 4、プラチナリーグの発行するプラチナムポイントを、一定の点数以上獲得していること。

 の四点。
 

 ちなみに、ランクAやBやら、Eなどという言葉がよく出てくるが、

 ランクF ファン人数   1000人以上。
 ランクE ファン人数  10000人以上。
 ランクD ファン人数 100000人以上。
 ランクC ファン人数 300000人以上。
 ランクB ファン人数 700000人以上。
 ランクA ファン人数1000000人以上。

 と、ランクは、おおまかに分けるとこうなる。

 現役のアイドルは5000人近くにも昇るが、Aランクともなれば如月千早と、三浦あずさ。そして、あと五人程度しかいない。

 Bランクですら50人を切る。
 Cランクは100人程度。
 Dランクが500人近くで。
 その他大半が、EとFランクとなる。

 これが、2006年から始まった、第三次アイドルブームの火付け役となった、全く新しいエンターテイメント、『プラチナリーグ』の全容だった。 

 ある意味、これは時代だったかもしれない。
 巨人戦の視聴率が低迷し、捏造により一時期流行った健康番組もゴールデンから姿を消す。脳トレのブームもかつての神通力を発揮せず、バラエティでは一流の芸人でさえ雛壇に追いやられる。

 今までになかった体験。

 視聴者参加番組、というものはちょくちょく見かけるようになったが、どこのテレビ局もお決まりの使い方しかしていない。

 テレビの前の視聴者が参加できるとはいえ、それはせいぜいアンケートや投票ぐらいのものであり、そんなものがメインになるはずもない。

 どういった結果になっても、視聴者の力が番組に影響を与えることなどない。
 視聴者がこちらを選んだ、ということで、番組の後半がまったく違うものに様変わりする、それほどの仕掛けを打たなければ、視聴者参加などというお題目は、誰も本気にしない。

 そして、それを真の意味で最初に、最大の規模でやりとおしたのがプラチナリーグだった。
 自らの応援するアイドルが上位に食い込めば、それだけで勢力地図が激変する。
 ファンたちが自分自身で市場をつくりだしているという実感。
 錆付き、失墜した権威であるレコード大賞なども、ノミネートを拒否。このような、五年連続で同じレコード会社の歌手が賞を取るような、しらけた出来レースなど、もう誰も見向きもしない。

 すべて新しい賞へ、ファンたちが自分で選ぶという概念が、市場活性化の起爆剤になった。
 

 ジュニアBは、2006年にプラチナリーグの放送権を獲得した。
 はじめは深夜放送から始まったこの試みは、わずか半年で異常と思われるほどに肥大化していく。ジュニアBは3年分の放送権料として、二億を支払った(それでも、高すぎる買い物だと社内からも批判が絶えなかった)が、1年も経たないうちに、その17倍もの利益を生み出すまでになった。
 今では、ジュニアBがもった権利を、海外の放送局が大枚をはたいて買いにくるほどだった。
 
 CD販売の利益のみで会社を廻す時代は終わった。
 
 『ギガス』プロとしても。
 チケット収入が三割、グッズ販売による利益が二割で、テレビなどのメディアへの放送権料による収入が二割、アイドルのCD、プロモーションDVDの売り上げは、全体の三割弱を占めるに留まっている。
  着うたや、ネット配信や、趣味の多様化の煽りで、音楽というジャンルが使い捨てのジャンルになって久しい。
 それを補って余りあるのが、ここ数年台等してきた、アイドルのキャラクタービジネスだった。歌自体に価値があるのではない。歌自体を商品として扱うのではなく、徹底的にアイドルを売り出す。
 そのランクアップの喜びやランクダウンの悲しみを、視聴者を共有させる。
 理想的な視聴者参加型のビジネスとして、今も多くの企画が作られ、時にはアイドルの、時にはファンの、喜びや悔しさの涙が流れ続けていることだろう。

「──と、ここまでが」
 あずささんが、説明を中断した。

「千早ちゃんたちアイドルの戦場である、プラチナリーグの成り立ちと現状」
「はい。わかっているつもりです。
 でも、それとプロデューサーが会社を辞めた理由と、繋がりがあるんですか?」
 言われるまでもない。
 昨日今日デビューした新人ではないのだ。
 この業界のことは、それなりに精通している。

「ええ。市場は鮮やかなまでの好循環を描いたの。でもね、こういう急激に成長したプラチナリーグは、さまざまな課題を残していったの」
「──課題、ですか?」
「千早ちゃんは、ウィナー・テイクス・オールという言葉を知っている?」
「勝者の総取り、ですか? ボクシング用語──」

 私は、かの名作ボクシングマンガからの知識を引用した。
 あまり漫画は読まない方なのだが、事務所に全巻あるので、なんともなしに覚えてしまった。とりあえず、努力で劣勢を払いのけていく辺りが、私の琴線に触れていた。

「ううん。元々はアメリカの大統領を決める選挙で使われる言葉よ。経済用語でもあるわ。そして、私が言いたいのは、経済用語のほう。
 勝者の総取り──いえ、この場合は、勝ち組の独占──そう言ったほうがいいかしら」
「独占?」
 口の中で、その言葉を転がす。

「わずか半年で、ここまでの成長を遂げたプラチナリーグは、誰かが管理できるようなものではものではなかったの。
 戦力均衡も、資金の分配もブランドの構築も、なにもかもが後手に廻ってしまった。
 うちの社長の奇跡的なところは、その流れをうまく見切って、『ギガス』プロをここまでの大きさにしたことにあるのだけれど、元からあった大きなプロダクションや、零細のほとんどのプロダクションは、その流れについていけなかった。

 結果。
 なにが起こったか。
 勝者と敗者の差が、取り返しがつかないぐらいに広がってしまった。
 まだ成長の余地はあるとはいえ、この市場も無限に成長していけるわけではないわ。
 いつか、ブームが終わったのなら、連鎖的にすべてが終わってしまう」
「だから、ですか?
 だから、プロデューサーは『それ』と戦おうと?

『だから──ここでお別れだ』

 思い出すのは、彼の別れの言葉。
 彼の言葉に、色と重みが加わった。

「ええ。そういうこと、だと思うわ。正直、プロデューサーさんの言っていることは、よくわからないのだけど」
「あずささんが理解している限りでいいですから」
「ええ、──それなら。
 プロデューサーさんは、言ってたわ。
 前は千円札一枚で、ライブが楽しめたのに、今はそうできないって。
 単価が高くなることは別にいいけれど、あまりにプレミアがつきすぎると、熱心な人たち以外は、興味をうしなってしまう。

 閉塞感っていうのかしら。
 プロデューサーさんは、誰もがアイドルになれて、それは絶対に特別なんかじゃなくて。
 女の子が一番なりたいものがお嫁さんで、二番目がアイドルだって、そんな夢を真っ直ぐに見れるような、そんな業界にしたいみたい」
 ──言葉がない。
 あの日の誓いを思い出す。

 あの人と、私の夢が同じであるように。

 そうか。
 むしろ、三年も持ったのが奇跡だったのもしれない。
 彼の仕事はプロデュース業だ。業界の変化に、仕事も左右される。

 同じ夢を、いつまでも見ていられるはずもない。

「──それが、プロデューサーの、──今の夢、なんですね」
「ええ、きっとそういうことだと思うわ。
 千早ちゃんは、やっぱりプロデューサーさんのことが、許せないかしら?」

 どうなのだろう?
 いや、考えるまでもない。
 シンプルな問題だった。
 けれど、こういったことは、年を重ねるごとにわからなくなっていくのかもしれない。

「──はい。絶対に、許してあげません。
 ずっと、ずっと恨んであげます。
 あの約束は、ずっと私とプロデューサーのもの、ですから。

 あの日の夢は、もう重なることはないのかもしれないけれど、それでも、もう一度、めぐり逢えたなら、いつかあの人の夢に、私が立ちふさがることになったとしても。

 ──私は、私の夢を、諦めたりしない。
 ──ひとりでも、構わない。
 いつかふたりで見た、たったひとつの到達点へ、私は辿り着いて見せます」










 次回→ 『Ellie と サイネリア と ときどき星井美希』








[15763] stage2 The winner takes it all 2
Name: 塩ワニ◆edd3c1be ID:9f5383e3
Date: 2010/02/27 20:33



 目が霞んでいる。
 ビタミンとかベータカロチンとかが不足しているのだと思うが、せめて果物だけでもなにか買ってくるべきか。
 俺が古巣である『ギガス』プロダクションを飛び出して、すでに一ヶ月以上が経過していた。

 限界だった。
 さすがにカップラーメンやら即席メニューだらけの食生活は、すさまじく健康に悪いようだった。
 千早の手料理が恋しい。
 あずささんの補給物資だけでは、まったく追いつかない。ただでさえ、うちには手のかかるのがひとり余計にいるのに。

「むぅ、トマトはそのままマルカジリできるよな」

 一日一日やせ細っていく俺の様子に、マンションの管理人さんが見るに見かねたのか、実家から送られてきたらしい産地直送野菜を届けてくれた。まだ根っこに土がついている。しかし、冷蔵庫につっこんでおいても腹は膨れない。

 これを、どう調理するのかが問題だった。

「さあ、助手。料理をはじめろ」

 ひとまず、丸投げしてみる。

「無理?」
「いきなり諦めるな。この現代っ子め」

 助手は、即答で『否』を返してきた。

「わたし、料理したことない」
「お前、小説書いたり、絵を発表したり、動画制作したりしてるだろう。製作については天才的なんだから、料理ぐらいできるはずだ。というか、仕事ないんだからそれぐらいやれ」
「金田さん、ヨーグルト食べる?」
「腹は膨れなさそうだな」

 といいつつも、助手からソースのかかったヨーグルトを受け取る。

「コラボが絶妙?」
「うん。まあいける。というよりは、絵理。お前はどーなんだ。偏った食生活でよく平気だな」
「わたし、電波と合成着色料とお菓子で生きてるから?」
「このジャンクフードマニアめ」

 水谷絵理。

 15歳。ひきこもりネットアイドル。
 動画製作が趣味の、バレル・タイターや『ギガス』の名瀬姉さんと肩を並べるウィザード級ハッカーだった。
 というか、このマンションの大家さんの娘さんであり、その腕を見込んで、俺がバイトとしてこき使っている。

 高校には通っていない。
 対人恐怖症。
 ネットアイドルとしては、その容姿の高さもあって、かなりのアクセス数を稼いでいるらしい。
 
 クリエイティブな能力はマルチ的に相当高い。

 今も、歌音(うたね)ミケというボーカロイドソフトを立ち上げて、シーケンスソフトの画面を開いて、曲と歌詞を入力しているところだった。さらに、彼女は作詞作曲のみならず、3Dの人物モーションを組み上げ、自分で使いやすいように非公式の追加ライブラリを組んだりもしている。

 まあ、彼女について羅列すると、こんなところか。











「なんの話してるんデスか? アタシも混ぜてくださいよー」

 そして、二人しかいない部屋に、三人目の少女の声が響いた。

 部屋の巨大スクリーンに投影されたムービーチャットに、まるで黄金の髪を両房にして垂らした、妖精のような少女が映し出されている。

 撮影場所は自宅らしい。
 背景の部屋は、年頃の少女が好むようなぬいぐるみで飾り立てられている。彼女が身につけている黒のゴスロリ衣装は、着こなすのが限りなく難しい。
 こういった衣装は、着る側がよほどの容姿を保っていないと、中身が外側の衣装に負けるからだ。
 
 サイネリア。
 絵理の友人。
 本名、年齢、生息地、すべて不明の、カリスマネットアイドルだった。

「ああ、サイゼリアか」
「サ イ ネ リ アッ!!
 サイバスターでもなければ、サイサリスでもサルーインでもサルモネラでもサイリウムでもサイエンスでもサドンデスでもないっ」
「ああ、冗談だ。わかってるって、サイバイマン」
「戦闘力1200でもナーイッ!!」

 容姿だけは妖精そのものな少女が、大口をあけてツッコミを入れてきた。
 相変わらず、からかうとおもしろいなぁこいつ。

「それはそうと、カネゴンッ!!」
「おい、その常に小銭を食べていないと死んでしまうコイン怪獣みたいな呼び方をやめろ」
「ナンですか。ココはアタシと絵理センパイのラブラブ空間のはずデスよっ。はっ、さてはカネゴンは、アタシと絵理センパイの間に立ったトゥルーエンドフラグをへし折るためにいるんデスね」
「ああ、うん。そんなルートはない」

 俺がキッパリと否定すると、サイネリアはムキーッ、と奇声をあげた。
 そこで、ずっとパソコンの画面を見ていた絵理の視線が、サイネリアを向いた。彼女は、じっと投影されたサイネリアの虚像を見つめていた。

「あのね。サイネリア」
「は、はいっ。なんデスカっ。センパイッ」
「作業中だから、静かにしてて」
「だ、そうだ。残念だったな」

 俺はそのまま、ムービーチャットの音声をミュートに切り替えた。
 サイネリアの口元の映像に、大きなバツマークがついて、あちらからの声の一切がシャットダウンされる。

 そのあとでもサイネリアが、ギャーギャーとわめいている様子が、動画を通して伝わってくる。ただし、なにをわめいているかはまったく聞こえないし、絵理はもうサイネリアを一瞥だにしない。
 ああ、家に平和が戻った。
 どっか遠くで、わめいているのがひとりいるが、あまりに気にしないことにしよう。

 が。
 しかし、



『フッフッフー。ちょっと音声をミュートにしたぐらいで、アタシを止められると思ったら大間違いデスよ?』



 ムービーチャットに、直接文字が書き込まれていた。
 サイネリアの全身像の上から白地で、会話文が横に流れていく。


 
『そうwwwこうやってwww文字で送ってしまえばwwwwうはwwwおwwkwwwwwwwwwwほらほら、くやしいですかwwwwwwwwwwwwwww
ねえねえwwwwいまどんな気持ちwwwwいまどんな気持ちデスかwwwwwwwwwwwwwww
 ホラホラww意地悪なカネゴンには、ネトア(ネットアイドル)・ワールドの妖精wwwwテラカワユスなサイネリア独占ドアップを好きなだけプレゼントデスwwwwwwプギャーwwwwwwwwww』



 うっわ。
 こいつ、うぜえ。

「絵理、なにか返信してやれ」
「でも、わたし、草は生やさない派?」

 俺の言葉に、絵理は不思議な顔で、こてんと首をかしげた。
 ちょうど、絵理のおなかがグーッと鳴る。

「おいも食べたい」

 それはおそらく、絵理のひとりごとだったのだが。
 俺はそれに電撃を直撃したような衝撃を受けた。

 そうだ、イモだ。
 イモなら、蒸すだけで食べられる。

「イモ。サツマイモだ。どこでも育つせいで、戦記物ではこれを手にした陣営に勝利フラグをもたらすといわれるチート作物。そうだな、ジャガイモとサツマイモがあるぞ。うん、絵理、ジャガイモは、塩とマヨネーズどっちにする?」
「わたし、塩派?」
「よし、行くぞ絵理」
「うん」
『ちょ、ちょっと、ワタシを無視しないでくださいよー』
「なんだ、ああ、サイネリア。一緒に行くか?」
『ワ、ワタシが画面から出てこれないのを知っててー。セ、センパーイ。カムバーックッ!!』
「おいもおいもおいもおいも食べたい」
『ああっ、センパイが遠い世界のヒトにっ、ううっ、アタシはもうダメデス。先に行ってください。アタシは所詮、二次元の妖精。二次元と三次元の間には、遠く遥かな壁がアルのデス』
「あ、電源切らないと」

 絵理が、ノートパソコンを閉じると、スリープに移行。
 それと同時に、ムービーチャットも休止に入り、なんか聞こえた気がするサイネリアの悲鳴とともに、彼女の姿は部屋から掻き消えた。













「季節ハズレの焼き芋はちょっとあれだな。燃やすものがなくて困る」

 山のような不採用通知が、くすぶるような煙を上げていた。

 公園である。
 絵理はネット上の通販サイトで、よく気に入ったものをポチッているが、大半がダンボールに包まれたまま、開かずに終わる。そのなかから出てきたのが、石がセットでついた焼き芋用のナベだった。
 不採用通知を種火に、火力ををあげて、石に熱を通しているところだった。

 俺はついでのついでということで、この一月の結晶を灰に還していた。新卒気分で、あちこちの放送業界の面接にあたっていたのだが、結果はごらんのありさまだった。

 就職活動は、全滅。
 実のところ、お手上げの状態だった。
 放送業界のような閉じた業界で、『ギガス』プロのような大手に睨まれれば、再就職も難しい。
 優秀なプロデューサーは、どこのプロダクションでも不足しており、まるっきり買い手市場なのだが、さすがに、朔の手腕は見事というほかない。

 見事に、先手をうたれた。
 『ギガス』プロほどの大手となれば、テレビ局にも絶大な影響力があり、そこからテレビ局を利用して、他のプロダクションへ圧力をかけるということも可能だった。
 
 『ギガス』、
 『ワークス』、
 『ブルーライン』、
 『エッジ』。

 アイドル業界は、この四つのプロダクション系列だけで、市場の六割を占有する。よって、中小プロダクションのパイは驚くほど小さい。発言権などないに等しい。断ったり、でしゃばった真似をすれば、ただ単に仕事が廻されてこなくなるだけ。
 
 ならば、他の手段としては、
 『ギガス』と同格の、ほかの三つのプロダクションならば、朔の手腕も及ばない。
 及ばない。
 及ばない、のだが。
 それはそれで、本末転倒だった。

 『ブルーライン』と『ワークス』は、『系列』というシステム上、外様が上に上りつめるのは不可能に近い。
 すると、『エッジ』になるわけだが、そもそも俺としては『ギガス』で、最終的に朔と対立し、自分の意見を通せなかったことが、退職の第一理由だった。

 自らの会社の実質的なナンバー3という役職についていてなお、そのワガママが通らなかったなら、他の会社で、そのワガママが通るはずもないのだった。
 難しい。

「やっぱり、自分で会社を立ち上げるしか、ないか」
 気が進まない。
 俺は、総指揮者(プロデューサー)であって、経営者ではない。ノウハウを学ぶだけで、一年やそこらはあっという間に、過ぎ去るだろう。
 自分に向いているとも思わない。

 というか、経営者が必要なら、金を払っていい人材を呼び寄せるほうが、まだいい。
 と、
 俺が思考の回廊に、ぐるぐると閉じ込められていると。

 にゃーう、と猫が喉をならしていた。
 いつの間に近くにいたのか、でっぷりと太った物体が、すぐ横のベンチの上に鎮座している。

「あれ、ミハエル先生。どこ行ったの?」
 そのあとで、茂みから飛び出してきたのは、
「でっかい毛虫か?」
「あ、なんか失礼な人」
 どこの茂みを通ってきたのか、葉っぱやら木の枝やらが、服についていた。
 私服の少女だった。
 思わず、目を惹きつけられるような、華やかさがある。

「ふぅん」
 容姿を見るだけで、その輝きの桁が違うことがわかる。
 スタイルと、容姿、共に文句のつけようがない。
 おそらく、学校にひとりいるかいないか、というレベルの美少女だった。

 改めて、俺は助手と見比べてみる。
 絵理は近所の公園ということで、赤と紺のジャージ姿だった。ええと、比べる対象が悪すぎるにしても、もうちょっと頑張ってもらいたいところである。

「なんだ、ミハエル先生って?」
「ミハエル先生はミハエル先生だよ。ミキが尊敬する先生で、将来こんな風になれたらなって思ってるの」
「だって、猫だろ?」

 ミハエル先生を見た。

「ぬっこぬこー。ぬこぬこぬこぬこぬこ。もこもこでふわふわー♪」

 絵理が、ミハエル先生を抱きしめていた。
 リズムをとって、自作の曲にのせて、ぬこを讃える歌を口ずさんでいた。ミハエル先生本人(?)は、こちらの会話には興味なさげに、絵理に抱きしめらるのを窮屈そうにしながらも、優雅に毛づくろいをしていた。

「ミハエル先生はね。学校に行かなくていいし、ごはんも家の人に食べさせてもらえるし、最高だよね」
「ああ、そうか」

 なんかミハエル先生は誰かを思い起こすと思っていたら。 
 絵理とねこに、そんな共通点が。

「なぁ、そこの女子高生。猫って焼き芋食べると思うか?」
「わかんない。でも、ミキは大好きだよ。あと、ミキは女子中学生」
「は?」
「よく間違われるんだよね。なんでだろ」
「そりゃあ、なぁ」

 その細さと若さで、あずささん並の胸は反則だろう。
 整った顔立ちに、文句のつけようのないスタイル。ある意味で、アイドルの理想型そのものだった。少なくとも、今の時点で、俺が手を入れる部分が、どこにもない。

 お手つき済みだな、これは。(他のプロデューサーの)
 あからさますぎる。
 こんな原石がほいほい落ちているわけがない。
 というか、いくらあるんだ、あの胸?
 Eか。
 Fか。

 といいつつ、なにか読めないところもあるのは事実だった。

 自分が気に入ったものを身に着けている、といった趣きはあるのだが、アイドルなら誰もが心に留める、いつ誰かに、自分を見られるかもしれない、という危機感のようなものが、彼女にはない。
 とはいえ、
 誰のプロデューサーの手も入っていない、と仮定するには、彼女のスタイルは洗練されすぎている。

「むやみやたらに組み合わせがいいな、その服。メーカーや値段もばらばらなのに、イヤにマッチしてる。誰の仕事だ?」
「あ、最初にそこに目がいくんだ。前に来たプロデューサーの女の人も、最初に同じようなことを聞いてきたけど。ってことは、あなたも、プロデューサーさん?」
「志望、だよ。今のところは」

 と、俺はまだ燃え続けている不採用通知の山を指差す。
 内心、俺は舌を巻いていた。
 頭の回転も早い。
 それから、千早のときは、倍率が40倍ぐらいあったが、彼女の倍率だって、決して低くないだろう。

「やっぱり、お手つきだったか」
「うん、断っちゃったけど」
「へえ」
「でも、その人が他のスカウトさんたちに話をつけてくれたらしくて、途中からその人しかこなくなったよ」

 囲い込み、か。
 しかし、そのプロデューサーは、女の人だと言った。
 他のプロダクションに睨みをきかせられて、スカウトの代わりにプロデューサーとして出張ってくるほどに優秀で。その上で、性別が女。
 思い当たるとすれば、ひとりしかいない。

「名刺、もらってるだろ。見せてくれないか?」
「あ、うん。ええと。どこやったかな?」
 チョコレートの包み紙と一緒に、名刺が出てきた。

「むしろ、なんだこの名刺。金ぴかだな」
「こっちの方が、目立つからって」

 なるほど。
 悪くはない。

 スカウトが数人くれば、普通の人間は顔と名前が一致しない。
 しかし、こんな高級そうな名刺をもらえば、別である。
 スカウトの基本は、まず自分の身だしなみから。
 相手に信用してもらい、輝かしい未来を思い描かせる。
 この名刺なら、いっぺんに二つ同時にやれる。

 仮に、この名刺一枚に、一万円かかっても、それで未来の金の卵を買えるのなら、安いものか。
 
 そして、名刺に刻まれた名前は、やはり予想通りだった。
 西園寺美神、『ワークス』プロの、やり手プロデューサー。

「あれ?」
 なんか、あれ?
「名前の上に、代表取締役とか書いてあるんだが」
「うん、社長さんだって。最近、父親の跡を継いだとか言ってたよ。すごいよね。22歳で社長とか」
「うれしくない情報だな、それは」
「知り合いなの? あのひとと」
「直接話したことはないな。『ワークス』プロ自体、ここ半年で浮かび上がってきた元弱小プロダクションだし。ただ、一方的に、恨まれていそうだからな」

 如月千早のスカウトに、もっとも精力的だったのが、彼女、西園寺美神だった。
 三ヶ月、粘り強く説得し、契約まであと一歩のところまで行ったと聞いた。
 それを、たった一時間話しただけの俺が、横からかっさらっていった。

 あれだけで、『ワークス』プロダクションの拡大は、二年は遅れたはず。
 今までは、事務所の力が違いすぎたために、横槍はなかったが、パーティー会場などでは、常にちくちくと彼女からの視線があった。

「執念深そうだったなあ、あの女」

 朔響だけで手一杯なのに、こんなのまで敵に廻すか。

 千早を取り上げられたことは、彼女にとって屈辱だっただろう。
 自分が無能であることを突きつけられたようなものだ。

 さらに、ここで、彼女まで取り上げたら、激怒することは間違いがない。

 いいな。
 ぞくぞくしてきた。
 四方、共に断崖絶壁だが、こんな展開も悪くはない。

「ねぇ、もう焼けたんじゃないの?」
「ああ、そっか」
 串で、焼きイモを包んだアルミホイルを取り出す。

「ミキは、焼きおにぎりね」
「絵理。あったか、そんなの?」
「たぶん、右の奥の方に」
「あるのかよ。ほら。食え」
「焼きいも。おいしい。帰ったらアマゾンで追加注文しよう」
「いいけど、この間みたく、さつまいも味のふりかけとかソースとかはやめとけよ。あれはイロモノだからな?」








 あとがき



 サイネリアがかわいすぎて、生きてるのがつらい。










[15763] stage2 The winner takes it all 3
Name: 塩ワニ◆edd3c1be ID:9f5383e3
Date: 2010/02/27 20:33





「やっぱり、ミハエル先生、焼き芋食べないね」

 ミキ、と名乗った少女が、水筒に入れたはちみつレモンを啜っていた。

 都心から外れた森林公園には、昼休みのOLや近所の老人やその孫たちが放し飼いにされている。駅からの利便性もよく、俺たちがいるのはUFOの着陸地点のような芝生部分だった。
 
「まあ、熱いのが悪いんだろ。猫舌って言葉があるぐらいだし」
「そうだね。はふっ、はふぅっ」

 俺の言葉に、彼女が相槌を打っている。

 星井美希。
 14歳ということだった。

 奔放で、つかみどころがない。
 いくつか言葉を交わした印象は、そんな感じだった。
 この年頃の中学生なら、アイドルに憧れてもおかしくはないと思うのだが、彼女にはそんな気もないらしい。本人に聞くところによると、アイドルなんてよくわからないし、めんどくさいから、ということだった。

 ふむ。
 天才肌というやつだろう。
 このタイプは波長が合うかどうかで、扱いやすさがまったく違う。しかしながら、ええと──

「ええい、ボロボロとこぼすな。せっかくの服が台無しになるだろう」
「だって。おいしくて。いつ食べても、焼き芋はサイコーだよね」

 ああ、ただ飲み物にはちみつレモンは邪道だと思うが。
 ──というわけで、俺はコンビニの紙パック牛乳を啜っているわけだった。

「それで、学校はどうしたんだ?
 高校、って、──ああ、中学校だったか。
 ここらへん、学校無いだろう」

 まあ、言っても仕方ないことでもあった。
 俺だって、サボらせる方の人間だから。
 『ギガス』プロは、社長の方針で、アイドルにはなるべく学校に行かせることを基本とはしているにしろ、皆勤遅刻無しとはいかない。
 巷にいるアイドルすべてが、俺の隣にいるひきこもりみたいな環境にいるわけではないから。

「にゃーにゃーにゃーにゃー」
「なうー、なうー、なううなうー」

 絵理とミハエル先生は、猫語で会話していた。
 言うまでもなく通じていないのだろうが、なぜか意思疎通できているような気がしてくるから不思議である。
 
「学校なら、今日は創立記念日でお休み。
 お姉ちゃんがお弁当忘れていったから、届けにきたの」
「お弁当って、コレか? 俺が今食べてるやつ」
 付属の箸で、それを指し示す。
 ピンク色の弁当箱に詰まったおかずとご飯は、もう半分近くなくなっていた。

「うんそれ。
 って、あれ?
 なんでおにーさんがそれ食べてるのかな?」
「さっきお前がくれたんだろうが。
 焼き芋のお礼。
 お腹空いてるならあげるって」
「…………あれ?」

 彼女の動きが止まった。
 締まりのない顔だったのが、眉間に一本、二本と皺が増えていく。
 綺麗な顔が、顎の方からスッゥ──と、蒼くなり始めていった。ガクガクガク、と震度一ぐらいで揺れている。
 

「あれ、じゃないだろ」
「ど、どうしよう。お姉ちゃんに怒られちゃうっ!!」
「どうしようって、謝るしかないだろう。まさか、食べかけを渡すわけにもいかないし」
 ──ちなみに、俺は好物を先に食べる派だった。
 よって、半分といっても、残りは白飯とかたくあんとか、ハンバーグの付け合せのスパゲッティとか、食べかけのニンジンとか、残りはそんなのばっかりで、とても弁当としての体を成してはいない。

 しかし、
 そんな正論で彼女は納得するはずもなく。

「だめーっ!! ミキがお姉ちゃんにお尻ペンペンされちゃうよー。
 わかってる? お弁当なんだよ。代わりなんてないんだよ。
 かえしてよー。かえしてー。プライスレスーっ!!」
「いや、代わりがないっていうか。
 そもそもこれ。全部冷凍食品だろ? 
 コンビニ弁当のがマシな上に、毎日食っとるわっ!!」

 俺に圧し掛かって来る彼女に、必死で抵抗する。
 胸が押し付けられて、息ができない。
 やわらかい肉感が、顔全体を覆っていた。ぼよんぼよんでたゆんたゆんでひどいことになっている。
 やばい。
 このままだと、おっぱいに挟まれて死ぬ。
 他人から見ればうらやましいのかもしれないが、自分がその立場におかれてみればただ情けないだけだった。

「むー、怒っちゃやっ!!」
 というか、もうすでに弁当のことなど意識の端にも上らない。
 目の前の凶悪な胸にばかり意識が集中して、ぽかぽかと殴られて(痛くもないが)、これ、本人も自分がなにをしたいのかがわかってないんじゃないだろうか?


 あの弁当の中身なら、コンビニ弁当を買ってきて、中身だけ移し替えても誰も気づかないはず。そこらへんの妥協点を出そうとしたのだが、あと一歩遅かったらしい。

 







「え? 美希」
「あれ? お姉ちゃん」

 太陽の光が遮断されるように、影が差した。

 聞き覚えのない第三者の声は、そのお姉ちゃんとやら、だろう。
 ちなみに、俺といえば、すでに兵器として通用するような妹の方の胸に遮られて、そちらを伺えない。というか、今の俺は、他人から見てどう見えているんだろう?

 犯罪者一歩手前、
 ということぐらいは自分でもわかる。

「ええと、美希。なにやってるの?」
「う、うん。お姉ちゃん。大変っ!! この人に、お姉ちゃんのお弁当食べられちゃったの」
「は?」
 呆然とする姉。
 うん、気持ちはわかる。
 ──あと事実とちょっと違う。

「あの、どちら様でしょう?」
 
 どうやら、姉のほうは常識人らしい。
 ようやく開けた視界で、困惑している姉を観察する。
 ──たしかに、ミキと呼ばれた少女が、成長するとこうなるのだろう。
 はじめに、細い脚線美に目が吸い寄せられる。
 ヒップラインを通り、そのまま目線を上げていく。
 少女という時期を過ぎ、女性への過渡期へと移行している最中なのだろう。
 歳は20歳を越えたあたりか、体にぴっちりと合ったスーツを着こなしている様は、いっぱしの社会人に見えた。


「──ふむ」

 彼女は、上から下までねぶりまわすようなこちらの視線に、ブルッと、悪寒のようなものを感じたのか、自分の体を抱きしめていた。

「惜しいな。せめて、あと五歳若ければ──」

 ──ガスッ!!

「げふっ!!」
 ──十分に、一級のアイドルとして通用するのに。
 という呟きは、最後までも言わせてもらえなかった。

 ──蹴られた。
 ハイヒールのカカトで。

「へぶっ。へぶっへぶっ!!」

 ──ガスッ!!
 ──ガスガスッ!!
 ──ガスガスガスッ!!


 ──しかも、連続で。
 視界が、右へ左へと弾けた。
 やたらと細く美しい脚が、そのまま凶器に変わる。

「ちょ、ちょっと菜緒お姉ちゃん。そのへんで止めないと、その人死んじゃうよ!!」
「え、ええ。そうね」
「う、うん。わかってくれればいいの」
「そうね。
 ──今すぐ止めを刺さないと。
 ところで美希。そこらへんに手ごろなボーリング球ぐらいの大きさの石とか落ちてないかしら」
「お、お姉ちゃんが、お姉ちゃんがコワれちゃった」
「心配ないわ。ぜんぜん心配ないのよ。美希」
 声が、なにかに取り憑かれたようだった。
「な、なにが?」
「ちょっと考えてみなさい。平日から仕事もせずに、公園に出没したあげく、女子中学生に変態行為をはたらこうとするようなような人間、死んでもだれも悲しまないわ」
「ひでぇ言いようだな、おい」
「ね。見てわかるでしょう? 手に職もなければ、常識もない。勉強もできなければ、友達も少なくて、死んでも嘆いてくれる人もいないに決まっているわ」
「そ、そうなの?」
「そう、美希も、勉強しないと最後にはこんな風になっちゃうかもしれないのよ」
「悪かったな。こんな風で」
「凄絶な学歴社会。
 その厳しさは、とても美希のような娘が耐えられるような生やさしい場所ではなかったの。
 美希は、ダンボールを毛布にして、橋の下で子猫のように震えているの。──助けてお姉ちゃん、という言葉は、誰にも届かずに世間の風に押し流されていくのよ。
 ……そして、誰にも看取られずに、やがて美希は………………いやああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっっっ!!」

 美希のお姉ちゃんは、わけのわからないことを叫んだ後で、自分の妄想にのたうちまわっていた。

「なぁ、この姉ちゃんいつもこんな風なのか?」
「そう、だね」

 美希の方をみると、たしかに珍しくもないのか、醒めた目で姉を見ていた。
 ──乾いた瞳に、驚くほど酷薄な光の色をたたえている。それは、かすかな諦め、だろうか?

「というわけで、外は危険がいっぱいだから、もう帰るわよ」
「菜緒お姉ちゃん。お仕事は?」
「早退するわ」
「いいのか、それで」
「部外者は口を出さないで。あと、その弁当箱はもう使えないから捨てておいて」
「ああ、わかった。それで、最後にひとつ聞きたいんだが……」
「なによ」
「いや、そっちの妹の方にな。
 これ貰ったの、どういう経緯だ?」

 俺が右手にひらひらさせているのは、ワークスプロの招待状。
 さっき、密着された際に彼女のポケットから抜き取っておいたものだった。

「それ? 『ワークスプロダクション』の創立三周年記念パーティーがあるから、よければきてくれって。
 ミキは行く気ないけどね。めんどくさそうだし」
「へえ、じゃあ、俺にくれるか。この招待状?」
「いいけど。
 あれ? でも、あの人が誰にも渡しちゃダメって言ったから、やっぱりダメなのかな」
「ああ、それなら問題ない」

 ──本人ごと連れて行けば、約束を破ったことにはならないだろう。

「──さて。
 そろそろ再開してみるか」
 顔を上げる。
「え、焼き芋おかわりするの?
 なら、ミキも呼んでね」
「そんなわけないでしょうが」
「……いや、似たようなもんだよ。
 焼き芋じゃあないけども。

 そろそろ、沈んでいるのも飽きたしな。
 今もどこかで、誰かの音楽が流れている。いつまでも俺だけが止まってもいられない。正直、なにか確信があるわけじゃあないが、

 ──火中の栗を、拾いにいってみるか」
「へえ、そう。勝手にすればいいじゃない」

 菜緒、と呼ばれたお姉ちゃんは、勝手に、パックに入っている干し芋を炙っていた。
 うん、やっぱり姉妹なようだった。















 ワークスプロダクションは、系列という経営システムをとっている。
 むしろ、こちらがアイドル業界における スタンダードなシステムといっていい。
 ──ワークスプロダクションの抱えるアイドルの在籍人数は、たった八人である。ギガスプロの五百人と比べれば、雲泥の差だった。
 それで何故、業界最大の人数を誇るギガスプロと互角にやっていけるかというと、実は不思議でもなんでもない。

 ワークスプロダクションの下に、数十ものプロダクションが『系列』として入っているからだった。
 分かりにくければ、『傘下』、でもいい。
 つまり、事実上ワークスプロダクションとは、この何十ものプロダクションをひとつとして纏めた言葉である。

「あふぅ。なんでそんなめんどくさいことやってるの?」
「便利なんだよ。いろいろと。
 赤字になったら、そこだけ切り捨てればいいし。なにより、買収したプロダクションを直接傘下に加えられるというのが一番大きい。
 いちいちアイドルを引き抜いてきても、新しい雰囲気の事務所の雰囲気に馴染めなくて辞めていく例なんて、珍しくもなんともないからな。系列という方式なら、そのリスクも最小限にできる。まあ、欠点もいろいろとあるが」

 まあ、それ以上に大きいのが、数々の特権だった。
 これこれのオーディションは、この放送局で独占放送をしている。よって、そこと普段、仲のよいプロダクション系列が、そのオーディションに合格しても、仕方ないで済まされる。

「──というわけでだ。こういう会社は、権威が落ちることを嫌って、定期的にこのようなパーティーを開催する。まあ、会社が儲かっているからこそできることでもあるが。
 ここでは知らない人間が九割以上であり、どこの馬の骨が潜り込んでいても、誰も不審に思う奴なんていないはずだ」
「……もしかして、それが言いたかったの?」
「ああ、系列は縦社会だからな。ヤクザの親子関係みたいなもので、直系でもない限り、上に行くことはできない。今日のところは、会長や社長の顔を見るだけでよしとするさ」
「ところで、絵理ちゃんは?」
「あのヒキコモリが、こんな人だらけのところに出てこれるわけないだろ」
「タイヘンそうだね」

 スクエアビルの三階、鳳凰の間では、長ったらしい会長の挨拶が続いている。

「やっぱり招待状がないと入れないな。まあ、今はどこもそんな時代だしな」
「えー、どうするの?」
「どこかで、招待状をもうひとり分調達できればいいんだが」

 言った先から、カメラを持った眼鏡とロン毛のバンダナのコンビが、目の前で警備員に連行されていく。

「まあ、ヤフオクで売りさばかれたようなのは、当然弾かれる、か──」
「いるんだね。ああいう人」
「ああ、A級アイドルを目の前でみるチャンスだからな。──ああいうのがいるから、警備が厳しくなるともいえるが」

 ──今思えば、あずささんに連絡をとってみればよかったかもしれない。
 元、A級アイドルなら、招待状ぐらいは届いていただろう。いや、名前と顔写真を照合される以上、意味もないか。

「むー。おにーさんが、おもしろいものを見せてくれるっていうから、ミキ、眠いのをがまんしてここまで来たんだよ。ミキだけ中に入っても、きっとつまんないよ」
「まったくだ。
 俺も、このまま引き上げるつもりはない」

 ──つまりは、正面突破。
 それしかなかった。
 美希を伴い、入り口へ向けて、踏み出す。

「お客様。招待状を」
「はい、これ」
 美希が招待状を渡す。
 門番の顔色が、わずかに変わった。
 おそらく、なにか招待客に気づかれないよう、細工がしてあるのだろう。招待状ごとに、その客がどのぐらいの重要度かがわかるような。
 横柄な門番の態度が、目に見えてへりぐだったところをみると、星井美希という少女は最高に近いランクだったらしい。
 
 ──なるほど。
 西園寺美神は、よほどこの少女にご執心らしいな。
 なら、その分こっちも動きやすい。

「そちらの方は?」
「付き添いの近所のお兄さんだ」
 
 まあ、嘘はついていない。
 俺の変装のためのサングラスが、なんともいえない怪しさを醸し出している。服装フリーなパーティーであるため、各自格好はフリーダムだった。これよりひどい服装をしている出席者はいくらでもいる。

「招待状がなければ、お通しすることはできません」

 が、

 門番役の黒服は、強情だった。

「なにぃ。14歳のコドモを、こんな得体の知れないパーティーに一人で参加させろなんて、あんたら常識ないんじゃないのか!?」
「いえ、そのために我々が警備しているので──」
「おにーちゃん。サービス悪いよねここ。
 社長さん直々に言われて来たんだけど、もういいや。帰ろっか。別に、ここじゃなくっても、『エッジ』とか『ギガス』とかがあるわけだし」

 美希が、わざとらしく空っとぼける。
 ──こいつ、こういう状況で、妙に頭の周りが早いな。

「少々お待ちください。今、上に確認しますので」
 慌ただしくなった。
 当然だ。スカウト対象が、他プロダクションにみすみす取られるなど、看過できないだろう。

 ──さて、このまま、抜けるか?
「ああ」
 思った以上に、門番の動きが鈍い。
 俺たちの理屈は、それなりの筋が通っている。
この程度なら、すぐにカタがつくと思っていたのだが。
 
 それが通らないとなると、思った以上に、この門番たちには権限が与えられていない──のか?

「仕方ないな」
 美希の右手に目を落とす。
 西園寺美神に電話して、それを認めさせる。(美希が)
 社長本人に電話すれば、気づかれる確率も上がるし、そうなれば追い出されるだろう、なぁ。

 けれど──

 背に腹は代えられない。
 敵の本拠地まで出向いてきた以上、入れませんでした、では済まされない。

「入れてあげればいいじゃない」

 ──助け船は、意外なところから訪れた。

「み、水瀬様?」
「アイドルだろうとファンだろうとスパイだろうと、別にどうでもいいでしょ。入り口で押し問答されてたら、私が中に入れないじゃないの」
「はっ」
 偉そうに門番役に命令を下すのは、美希と同じぐらいの歳の少女だった。
 動作のひとつひとつに、なんともいえない気品がある。
 まっすぐに意志の通った瞳が、彼女の輝きを体現していた。
身につけたパーティー用のドレスと、煌びやかなアクセサリは、総額1000万は下るまい。

 見ただけで、わかる。
 ──間違いなく、このパーティーの主賓のひとりだ。

 美希と共通するのは、人を惹き付ける先天的なものを備えている、ということだった。

「携帯電話や、撮影器具をお持ちでしたら、お出しください。帰る際に、返却致します」
「ああ」
 マスコミ対策だろう。
 これに対しては、後ろ暗いことはなにもないので、素直に門番役の指示に従う。代わりに、番号札を貰う。

「ありがとう。おでこちゃん。ミキ、感動しちゃった」
「いいわ。私も新堂を連れてるもの。……っていうか、おでこちゃんって私のことかコラ」

 新堂と呼ばれた、執事らしき人物を傍らに、少女は会場に入っていった。










[15763] stage2 The winner takes it all 4
Name: 塩ワニ◆edd3c1be ID:9f5383e3
Date: 2010/02/27 20:33






「あの娘は、誰だ?」
「この会社の大株主である、水瀬重蔵様の孫、水瀬伊織様です。今年で、たしか14歳だったはずです」
「ふぅん。本人はアイドルってわけじゃないのか」

 ということは、どのプロデューサーの手垢もついていない、ということだ。

 今日のところは──
 人間観察が、最重要の目的である。
 彼女を追っかけ回してみるのも、いいかもしれない。それはそれで、人間観察という目的に適う。

 中に入れば、特有の華やかな雰囲気に圧倒される。
 あくまで身内のパーティーだという括りはあるものの、その顔ぶれは多岐に渡る。
 知っている顔も、決して少なくはない。
 皆、グラスを手に、思い思いに談笑していた。

「ねえ、ミキ。とりあえずなにをすればいいのかな」
「とりあえず、しばらくはおとなしくテーブルのご馳走を食べていてくれるか?」
「む、はむはむ」
「聞いたそばから食ってるのかよ」
「むぐむぐ、なにかむぐむぐ、ミキ、悪いことしてる?」
「いや、別に。食べながらしゃべるな、というぐらいか。とりあえずは」

 料理は、ビュッフェ方式だった。

 そんなことを言われても、わからない………という人もいると思うので説明すると、つまりセルフサービスのバイキングだった。多数の並べられた料理から、用意された皿に適量を取る、一番馴染みの深い立食パーティーの方式である。

 北欧から日本に流れてきた方式であり、北欧といえば日本人が一番に連想するのがバイキングだ、ということで、この立食パーティー方式に、バイキングという名前がついた、という経緯がある。
 豆知識だが。

「食べられない量を取るな、残すのはマナー違反だな」
「あ、ミキそれぐらいは知ってるよ。でも、ついついいっぱい取っちゃうんだよね。これも食べたいし、あれも食べたいし」
「あと、一度使った皿は再利用しないで、新しい皿を使う。これがマナーだ」
「え、逆じゃないの?」
「そういうマナーなんだ。使った皿が多ければ多いほど、マナーが良いとされる場合もある。まあ、日本では一般的じゃあないが」
「ふーん」
「とはいえ、パーティーも後半だし、ロクなもの残ってないけどな。どこでも、寿司とかは一番に無くなるもんだ」
「ミキは、おにぎりがあるから別にいいけど」
「なお、こういったパーティーやら、芸能人の開くホームパーティーは、旬を過ぎたアイドルとかテレビから消えたお笑い芸人とかが出没してたりする。
 ああ、懐かしいなぁ。
 俺たちが『ギガス』で、駆け出しのペーペーだったころは、あずささんの営業で、ヒルズ族とかのホームパーティーとかに招かれたりしてたな。俺と朔で、いろいろと食いまくったもんだ。連中、気前がよくて、寿司職人そのものを呼んでたりしたなぁ、あそこは上客だったなぁ」
「思ったんだけど、おにーさんって、貧乏くさいよね」
「やかましいわ」

 客だし、うるさいことは言われないはずだ。
 それほどにかたくるしいようなパーティーではない。

 そもそも、今時の十代のアイドルに、そんな常識を期待するのは困難だった。
 大抵のアイドルが、料理を片手にグループを作って、学校やスクールでの内輪話に興じている。
 そこらの紳士然としたおじさんに頼まれて、バク転をしているアイドルまでいた。テーブルの料理を持参したタッパーに詰め込んでいるアイドルも。

「ていうか、最後ちょっと待て」
 がしっと、見えた少女の首根っこを掴む。

「はうっ。な、なにがご用ですかー」

 タッパーに料理を詰めている少女が、小動物のようにふるえた。美希よりもさらに年下だろう。
 小学生と中学生の境目ぐらいか。
 
「それ、行儀悪いよ」
 美希が、ぽろぽろと料理をこぼしながら言う。
 ──とりあえず、お前が言うな。

「み、みのがしてくださいー。家では弟たちがお腹をすかせてふるえているんですー」
「ベタな嘘だな」
「さすがに、ミキでも騙されないよ、それ」
「うわーん。信じてくださいー」

 と、真実味がないでもないが、身につけているドレスの値段が矛盾を引き起こしている。
 さっきの水瀬伊織ほどではないが、彼女の身につけているドレスは、レンタルでも十万はするぞ。

「まあ、いいや──」
 キャッチ、
 アンド、
 リリース。
 
「なかなか、変なのがいるなぁ」
「そういえば、おでこちゃんはどこ行ったのかな」
「ああ、水瀬伊織か。っておい、その呼び方定着したのか」

 あたりを見る。
 そう離れていない位置に、いた。

 さすが主賓。
 多くの人垣に囲まれている。
 その多くが、同年代のアイドルたちだった。
 一目で、その上下関係がわかる。

 あれは、
 仲間と言うよりは──

「取り巻き、か」

 よほど、周りに持ち上げられているのだろう。
 印象は、挫折を知らないお嬢様。
 そんな感じか。

「あ、ねぇおにーさん。あそこに、西園寺さんがいるよ」
「ん?」

 西園寺美神。
 視線だけで、人を凍死させるような雰囲気は相変わらずだった。美人は美人なのだが、しばらく見ないうちに、さらにかわいげが無くなっている。
 まるで、限界までに張り詰めた弓のよう。
 彼女の周りだけ、これがパーティーだということを忘れさせるような雰囲気を作り出している。
 
「そこのあなた、なにをしているの?」

 こちらへの問いかけではない。
 さっきの、タッパーに食べ物を詰めている少女に向けての言葉。

「あ、社長。え、ええと、あの──ごめんなさい。家には、お腹をすかせた弟たちが……」
「そんなことを聞いていないわ。なにをしているの?」
「………あうぅ」
「答えられないの? 所属と、名前を言いなさい」
「Fランクの、高槻やよいです。そ、それで──」
「Fランク?
 そう、まあそうね。私が総括している部署にあなたのような常識知らずがいるはずもないものね。
 そもそも、Dランク以上のアイドルしか参加できないパーティーに、どうしてあなたがいるの?」

 彼女の口から出る一言一言が、ナイフのように突き刺さっている

「きついな」

 あれはひどい。
 わざと、答えられないような質問ばかりを浴びせている。
 正直、三年前に千早と話が合った理由が、ようやくわかった気がする。
 あれほどロジカルに物を考えられるなら、そりゃあ千早と話は合うだろう。

「うう、やっぱりミキ、このプロダクション。あまり好きじゃないかも」
「でも、美希は特別扱いされる方なんじゃないか?」
「こんなトコロで特別扱いされても、ミキ、嬉しくないよ?」
「ん、そうだな」
「ところで、やよいのこと。助けないの?」

 隣の、美希の声。

「目立てないからな。今のところ。
 というかな、今のはどう考えてもあの娘が悪い。ビュッフェ方式で、ああやって料理を持ち帰ろうとするのは、明確なマナー違反だ。──やると普通に怒られる」
「でも──このままで、いいの?」

 さて──どうする?

「西園寺社長。社長就任おめでとうございます」

 水瀬伊織が、頭を下げる。
 非の打ち所のない、完璧な礼儀作法だった。

「水瀬さん?」
「Fランクアイドルになんて構ってないで、こちらの話に加わってくれません? やっぱり、主役がいないと話が締まらなくて」
「え、ええ、そうね」

 水瀬伊織が引き連れてきたのは、二十人にも及ぶ集団だった。まさか、この人数の前で身内の恥をさらすわけにもいかない、という判断だろう。
 集団が、やよいの前から去っていく。
 その取り巻きの中のひとりが、肩を落として、とぼとぼと歩くやよいの進行方向に、脚を突き出した。

「あっ」 

 ばしゃり、とグラスが宙を舞う。
 中に入っていた紺色の液体は、そのまま放物線を描く間もなく、ドレスを汚す。

「ごめーん。ちいさくって見えなかったー。ほんとごめんねぇー(笑)」
「う、うん。いいんです。私、平気だから」
 やよいは、倒れたままで、笑顔をつくろうとする。
「うん。そうだよね(笑)。だって、Fランクなのに、平気な顔してここにいられるぐらいだもん。こんなことぐらい、どうってことないわよね(笑)」
「あ、あはは………」

 彼女は、剥き出しの悪意に対して、乾いた笑いを返すしかない。

「洗わないと。落ちなくなっちゃう」

 やよいは、ふらふらと会場を出て、トイレに向かう。
 くすくすと、背中に嘲笑がふりかかっていた。








「やよい。大丈夫?」
「あ、伊織ちゃん」
 やよいが女子トイレにこもって、数分もしないうちに、伊織が飛び込んできていた。

「伊織ちゃん。パーティーはいいの?」
「化粧が崩れたからって言って、抜け出してきたわ」

 おそらくは、そこでのやよいの悪口に耐えられなくなった、という理由もあるのだろう。

「助けて、くれたんだよね」
「まあね。しっかし、慣れない敬語なんて使うもんじゃないわね。どっと疲れたわ」
 伊織が、肩をすくめる。
「ごめんなさい。やよいちゃん。借りたドレス、台無しにしちゃって。私のお給料で、払えるかな」
「そんなのどうでもいいわよ。クリーニングに出せば落ちるわ。まあ、クリーニング代は請求するけどね。540円よ」
「あ、あう。私のお小遣い三ヶ月分ですー」

 演技でもなく、やよいがあわてた。

「それより、転んだんでしょ。ケガないわけ」
「へーき。下が、絨毯だったもの。ごめんね、伊織ちゃんに、迷惑かけちゃって」

「なに言ってるの。友達じゃない」
 本心だろう。
 彼女は、続けた。
「あんな連中より、今はやよいの方が大事よ」
 肩を抱いて、やよいを立ち上がらせる。

「ほら、笑って。
 みんなを、笑顔にするアイドルになるんでしょ。
 アンタが笑ってないと、誰も笑顔になんてなれないわよ」
「え、えへへ。これで、いいかな」
「うん。カワイクなったわよ。
 まあ、私ほどじゃあないけどね」
「伊織………ちゃん」
「私もね、もうすぐお爺さまのお許しが出そうなの。そうなったら、一緒にデビューするって、前から約束してるじゃない。そうなったら、もう無敵よ」
「うん。そう……だよね」
「いい笑顔になったじゃない。
 それでこそ、やよいよ。
 私の可愛さと、やよいの笑顔があれば、Aランクなんてすぐね。
 だから──

 負けちゃダメよ。
 あんな連中。相手にすることないわ。
 そのうち、正々堂々とステージの上で叩きつぶしてあげればいいわ」
「う、うんっ!」
「やよいは、もう帰った方がいいわね。新堂に言っておくわ」
「あ、あの。伊織ちゃん?」
 やよいが、赤面する。
「ん?」
「お願いが、あるんだけど──」
「……ああ、残り物ね。
 タッパー貸しなさい。今は無理だけど、パーティーが終わった後で、いろいろ貰ってきてあげるわよ」
「ありがとう。伊織ちゃん。大好き」
「まったく、どうしてやよいはこうなのかしら」



 声が遠ざかっていく。



「………………………」
「………………………」

 人影がなくなったところで、俺と美希は、清掃用ロッカーから這い出てきた。
 すし詰め状態になってずいぶんと不自由な思いをしたが、それだけの価値はあった。

「あれだな。いい話だな、すごく」
「ううっ! すごくいい話だね。ミキ、感動しちゃったかも」
 
 高槻やよいと呼ばれた少女を、慰めるために隠れていたのだが、俺たちの出番など、まったくなかった。
 それどころか、途中であまりにいい話すぎて、出るにでられなくなってしまっていた。

「でも、おにーさん。口先だけだよね。さっきから、おにーさんなにもしてないよ」
「正面から進むのだけが、戦いじゃないからな。
 ブランドに胡座をかいている相手を、相手の想像もしない方法で、死角から撃ち殺すのが俺の流儀だ。
 しかし、心配だなあのふたり。心配だ心配だ。とても心配すぎる」
「──ええと、なにが?」
「今時珍しいぐらいに真っ直ぐなふたりだが、どこぞの悪徳プロデューサーに喰いモノにされないとも限らないしな。この業界、そんな連中がたくさんいるから、例えば──俺みたいな」
「………………」

 美希の視線が冷たくなっていた。
 呆れてモノが言えないという、そんな感じだった。

「しかし、あのふたりのおかげで、いい感じに情報も集まった。
 喜べ。
 ここから、この会場にいる全員の度肝を抜いてやる。
 
 さて、高槻やよいがこの会場から出る前に仕掛けを打つぞ。俺の言い値で、喧嘩を買わせてやるとしよう」
「あくまだー。せんせー、ここにあくまがいるよー」

 美希はもう、反論する気力も起きないようだった。
 それでも、事態を楽しんでいるのは伝わってくる。

「じゃあ、行くぞ美希。──奴らを、丸裸にしてやる」
「おにーさん。それはいいけど。なんか、言ってることがいちいちヘンタイっぽいよ」

 ………あと、女子トイレで言う台詞でもないよね。
 と、美希が付け足した。



 まあ、もっともだ。



 ──とりあえず俺は、水瀬伊織と高槻やよいを手にいれ、それと同時に、ワークスプロダクションに楔を打ち立てる方法について、美希に説明をはじめた。












[15763] stage2 The winner takes it all 5
Name: 塩ワニ◆edd3c1be ID:9f5383e3
Date: 2010/02/27 20:34


 ビュッフェ方式では、知らない人とテーブルを囲むこともままある。

 披露宴のようにあらかじめ席が決められているわけではなく、好きな料理を皿に盛って、たまたま同じテーブルを囲んだ人と談笑したりするわけである。

 アイドル業界は、まだ蘇って三年、という若いジャンルである。以前に繁栄していたころまで遡るとすれば、ピンクレディーや山口百恵、それに日高舞の時代まで巻き戻ることになる。

 アイドル業界は、
 ──音楽業界とは明確な線引きがされており、音楽業界の作曲家やプロデューサーが、アイドル業界に関わることを、『都落ち』や、『格落ち』といったりする。
 零落していく音楽業界の横で、倍々に成長していくアイドル業界を、羨む気持ちがあったかもしれない。
 それでも、
 基本的にその侮蔑は、ある意味で正鵠を射ていた。
 
 人気先行で、歌も踊りも上手くもない。
 いわゆる、『一発ネタ芸人』と同じような扱い。
 どうやって、このレベルでテレビに出られたのかいう、『一発ネタ芸人』ならぬ、通称『(社長と)一発寝たアイドル』が大量に排出されていった。
 よって、アイドル業界そのものが、『イロモノ』という評価に甘んじていた。(というか、千早がさんざんアイドルになることを嫌がっていた理由は、ここにある)

 ──ここで登場するのが、如月千早だった。
 彗星のごとく現れた、初の本格派アイドル。
 当時、十五歳ながら、本格派歌手にも劣らない歌唱力と、燦然とした経歴は、業界自体の評価を、力ずくでひっくり返した。
 
 それから三年。
 次々と現れる綺羅星のようなアイドルたちに支えられ、政治やビジネス、ファンの思いや、さまざまなしがらみを巻き込みながら、業界自体が肥大化を続けている。
 
 しかし、
 アイドル業界に籍を置くプロデューサーならば、もう一度、業界自体をひっくり返すようなアイドルの出現を心待ちにしているはず。
 エンターテイメントならば、そろそろ──観客は、次の展開を期待する。

 もう一度、アイドル業界に楔を打ち立てる。
 ──そこで、星井美希だった。
 如月千早とは、まったく別の輝きがある。磨き上げれば、千早を超えるアイドルに成長する可能性もある原石。

 それが、──西園寺美神の美希への評価なのだろう。

 で、本人だが──
 美希といえば、さっきから鴨肉を切り分けることに余念がなく、すでに周りの状況など目にも入っていない。

「せめて、聞いてやれ。頼むから」

 美希の頭を引き寄せる。
 正面には、西園寺美神の姿。
 美希がいると知った彼女の喜びは、相当なものだった。三年前に、トンビ(俺)に油揚げ(千早)をさらわれたことが、ずいぶんとトラウマになっているらしい。
 俺としては、ターゲットが目の前にきてくれているわけで、理想的な展開といえる。

「ええと、引率のお兄さんだったかしら?」
 美希を落とすのは諦めたのか、こちらに矛先を向けてくる。

「ええ、近所に住んでます。
 まあ、美希もこんなですからね。これだけの器量があって、なににも生かさないのはもったいないと思って。
 ──でも、こういう業界は怖いっていうから、僕もついてきたわけです」
 我ながら、よくもまあこうペラペラと嘘が出てくる物だと思う。
「ありがたいわ。お眼鏡に叶ったかしら?」
「ええ、まさかここまで大きいとは」

 こういった業界において、ブランドというのは絶大な力を発揮する。

 中小のプロダクションでトップの地位に昇りつめたアイドルがいるとする。数多の幸運と汗に支えられて手にいれた位置があるとしよう。しかし、大手プロダクションの恵まれたアイドルからすれば、そんなもの、ほぼスタートラインと同じようなもの。

 そんな例は、いくらでも聞く。
 それは、急激に成長していったプラチナリーグが生み出した歪みのひとつ。

「何度も使える手ではないけれど、社長である私の推薦があれば、最短でCランクから始められるわ」
「なるほど」

 俺は、食後のコーヒーに粉砂糖をぶちこむ。
 ──いい見立てだ。
 俺が彼女の立場ならば、同じことをするだろう。
 星井美希は、泥の払われていない宝石に等しい。

 ──ただ、輝きの次元が、他のアイドルとは違う。
 ボイストレーニングひとつ行っていない時点で、Cランク程度の実力はあるという判断か。

 この業界のアイドルの総数は5000人近く。
 アイドルグループの総数は、1200程度。
 Cランクまでにどれぐらいのグループが辿り着けるかというと、100あって、20か、30は到達できる。

 ほんの一シーズンだけ、ならば。

 けれど、Cランクを維持できるアイドルとなると、5か、6がせいぜいだった。
 そして、社長の推薦は、一シーズンにたった一度しか使えない。
 ──破格の好待遇だった。
 どうやら、惚れ込んだ才能には、努力を惜しまないタイプらしい。
 
「美希さんの才能は、私が見てきたアイドルの中でトップクラスよ。輝かしい才能を、このまま埋もれさせてはならない。私は、そう思うの」
「ご演説、堪能しました。それでは、次は僕の話を聞いていただけますか?」
「え、ええ──」

 こちらの意図が掴めないのか、彼女が首を傾げる。

「ええと、美希にわかるように説明するとなると──」
 俺は、少し考え込む。
「うん、美希。これ、なんだかわかるか?」

 財布から、一枚のカードを取り出す。

「ふぐ。レンタルビデオの会員カードだよね」
「ん。そうだな。──ところで、これって、とあるコンビニやガソリンスタンドでもポイントを貯められるって、知ってるか?」
「え、そうなの? 不思議だね」
 上手く興味を引けたらしい。
 とりあえず、付け合わせのソースで汚れた唇を、ナプキンで拭いてやる。

「うん。じゃあ、美希。なんでそんなことができるか知ってるか? ああ、西園寺さんは答えないでくださいよ」
「むー。わかんない」

「じゃあ、そこの。ええと、おでこちゃんは知ってるか?」
 後ろにいた水瀬伊織を呼び止める。

「おでこちゃん言うなっ!!
 ──そのカードを使えるように提携してるから。
 っていうかね、ぶっちゃければ全部同じ会社が経営してるトコだからでしょ」
「ああ、正解だ。じゃあ、これを知ってるか?」
「プラチナカード。『ギガス』プロの?」
 答えたのは、西園寺さんだった。

「その通り」
 一言で言えば、用途の広い『ギガス』プロのファン専用のメンバーカードだった。(詳しい説明は、二話前)
 もちろん、無駄に高性能で、
 名瀬姉さんの開発したサーバーシステム、プロメテウスシリーズ、『NEBURA(ネーブラ)』によって、顧客の名前、住所、電話番号、信望しているアイドルグループ、今まで購入した全グッズのリストが、どんどん記録されていく。

「それで、このプラチナカードを、さっきのレンタルカードみたいな用途に使おうって話が出てるんだ。『ギガス』プロダクション的に」
「なっ──」

 西園寺美神は、さすがに一瞬でその重要性に気づいたらしい。

「どういうことよ。それ?」

 水瀬伊織の問いかけ。

「つまりだ。このプラチナカードで、飛行機に乗ったり、レンタルビデオを借りられたり、コンビニでポイントを貯められたりするわけだ」
「いいことじゃない」

 伊織が言う。

「ええ、絵に描いたような好循環だと思うわ。
 提携企業は、今までになかった客層を開拓できる。『ギガス』プロは、大会社の庇護を受けられる。その提携先の企業の看板として、アイドルを派遣することもできるし、いいことずくめね」

 やはり、そう考えるか。
 ──朔も、同意見だった。
 だからこそ、この一点でのみ、意見が対立したわけだが。

「本当に、そうか?」
「え?」
「俺は、絵に描いたような悪循環だと思うけどな。
 実際あったんだよ。三年前の業界の黎明期に。
 あのころは業界全体のパイが小さくてな。たったひとりのファンが、アイドルのグッズやCDに100万も注ぎ込めば、確実に目当てのアイドルをランクアップさせることができた。
 提携先の企業には、消費者金融も入っているし、いろいろな企業がこのカードに、クレジットカードとしての機能を求めるだろうな」
「それが、悪循環なの?」

 さっきから黙っていたので心配だったが、美希はなんとか話についてきているらしい。

「その案が実行されれば、『ギガス』プロダクションは完全に子会社化する。それで親会社が『ギガス』プロに求めるのは、おそらくは単純にアイドルを使って、ひとりでもカードの加入者数を増やすこと。
 ──それだけだろう。
 親会社の重役が、いちいち一アイドルを気にかけるなんて思えない。おそらくは、そのアイドルのファンたちから、いくら金を搾り取れるかを考え出すはずだ。
 ヘビーなファンから先につぶれていく。
 そんな方針は、確実にアイドル業界自体の寿命を縮めることになる。
 あとに残るのは、草一本も生えなくなった荒れ地と、打ち捨てられた数多くの多重債務者だけだ」

 反吐が出るような未来。
 それは、絵空事ではなく、すぐそばまで迫った未来のはずだった。

「あなた──」
 さすがに、気づくか。
 西園寺美神の瞳が、剣呑な光を帯びている。

「むしろ、今までクレジットカード機能がなかったわけ? 個人的には、そっちが不思議だったわよ」
 と、伊織。
「初期案には、そんなのもあったが、俺が却下した。そのときは、プラチナムポイントのインフレを防ぐためだったがな」
 西園寺美神の、片眉が跳ねた。
 ようやく、俺が誰なのか、完全に確信をもったらしい。

「不覚だったわ」
 彼女が、奥歯を噛みしめる。
「まったくだ。あまりに気づかれないから、自分でネタ晴らししちまったじゃないか。
 お前さん。これが舞台(ステージ)の上だったら、俺に三回は殺されてるぞ」
「忠告は、有り難く受け取っておくわよ」
「さて──最後に確認しておくことがある。

 西園寺美神、お前さんは──

 ──俺の敵か?」

 野暮ったいサングラスを外すと、視界がようやくクリアになった。

 彼女は、
 呪いを含むような眼差しで、

「ずいぶんと間抜けな質問をするのね。──金田、城一郎ッ!!」

 ──俺の名を、呼んだ。












「あ、そんな名前なんだ」

 美希が、言わんでもいいことを言う。
 西園寺さんは、美希に一瞬、視線をはしらせると、

「なにが、目的かしら」
「いや。今いったばっかりの理由ですべてだよ。業界全体を自沈させる前に、『ギガス』プロダクションを叩きつぶす。つーわけで、権力がいるんだ。今までに握っていた以上の──」
「ふぅん」
「ぶっちゃけて言えば、ここが一番人材がスカスカそうだったからな」
「──お断りするわ。この会社は、あなたの玩具じゃないの」
 にべもない。
 まあ、正常な神経があれば、そうだろう。
 彼女が、俺が『ギガス』プロダクションで、副社長の朔に並ぶ権力を得ていたことを知っているはず。
 ならば、俺が必要としているのは、それ以上。

 ──社長クラスの権限。
 どこの馬の骨に、そんなものを渡すものか。

 ここまでは、予定通りだ。
 俺は構わず話を続ける。

「俺は、地位がほしい。あんたは、星井美希を手に入れたい。
 お互いにほしい物を握りあっているわけだ。

 なら、正々堂々と、舞台(ステージ)の上で決着をつけようじゃないか。あんたにまだプロデューサーとしての魂が残っているのなら、この話を受けるはずだ。アイドルが自分を語れるのが舞台の上だけのように、俺たちも、自分を語れるのは舞台の上でだけのはず」

 ──千早を説得した時を思い出す。
 相変わらず、安い挑発という奴だ。
 けれど、もうそんなことは問題じゃない。

 彼女の脳裏には、三年前に千早を掠め取られた光景が、延々とリピートしているはず。

「話にならないわね。どれだけ有望だろうと、たかが新人ひとりと、重役の座ひとつ。まるで釣り合っていないわ」
 言葉ではそう言っていても、射殺すような視線が、彼女の心中を代弁してくれていた。
 ──あと、一押しか。

「じゃあ、その分のハンデがあればいいわけだな。リスクを釣り合うようにしてやるよ。あんたはCランクアイドルを使っていい。俺はFランクでいいや」
「なに言っているの。さっき言ったはずよ。星井美希は、現時点でCランク程度の実力はあると──」
「あんたこそ、なにを言ってる。
 美希は賞品だぞ。使えるわけないだろう。あんたが適当に選んでくれ。『ワークス』のFランクアイドルの中から。──俺は誰でもいい」
「なっ──」
 俺の傲慢さを、付けいる隙ととったのか、
 彼女はしばらく考え込む。

「さっき。高槻やよいって子が、会場にいたわよね。探して、連れてきなさい」
 周りの、取り巻きに命じる。
 さて、辺りがざわついてきた。
 おお、釣れた釣れた。

 俺は、俺の描いた設計図通りに進んでいることに、内心拍手喝采だった。
 当然だ。
 彼女の選択は、高槻やよい一択。
 俺がいちいち誘導してやるまでもない。
 いつもなら、フォーシング(相手に選ばせているように見せて、目当てのカードを相手に押しつけるテクニック)ぐらいは駆使するのだが、それさえも必要なかった。

 そもそもは、このパーティーが、Dランク以上のアイドルしか入れないものであること。
 この会場のいるFランクアイドルは、高槻やよいしかいない。ならば、八割方これで決まりだ。
 
 そして、他のFランクアイドルを挙げる可能性。
 これも、実はありえない。
 さっきのやりとりから察するに、西園寺美神は、Fランクアイドルの名前など、ただのひとりも覚えていないからだ。

「私は、『ミラーズ』を使うわ。それでいいのね」
「ああ──」
 さっきの、伊織の取り巻きの中にいたな。
 そんなのが。
 たしか、CランクとBランクを行き来している、16歳の双子のコンビだったか。

「あなたたちも、それでいい?」
「ええ」
「任せてください。社長」
 芦川高菜と、
 芦川雪菜。

 伊織の取り巻きなんだから、そりゃあ後ろにはいるだろう。
 ふむ。
 倒れたやよいにジュースをぶっかけたのが、その片割れだったはずだ。

「ああ、俺はそれでいい」
「………………でも」
 あまりの、こちらの余裕っぷりが、彼女の疑心を煽っているらしい。
 西園寺美神が考え込む。
「高槻やよいが、スパイの可能性、まさか──」
 本当に、その可能性を疑っているわけではない。
 とりあえず、彼女の中で、考えがごちゃごちゃしてまとまらないのだろう。

 ここまでは九割九分上手くいっているが。
、念のためにトドメを指しておくことにするか。

「おやぁ。反応がないなぁ。
 ──ああ、そうかぁ。まだハンデが足りないって言うつもりなんだな。
 仕方ないなぁ。そうまでしないと、俺に勝てないっていうのなら、さらにハンデをつけてやるよ。
 そっちが二人組でこっちが一人だと、バランスも悪いし。でも、ここでさらにFランクを増やしても、ハンデにならないしな。
 ──じゃあ、そこのド素人を加えよう。
 これで、二対二。
 高槻やよいがスパイだとか何とか疑ってるようだが、こいつが裏切ることだけはありえないだろ」
 ──というわけで、
 俺はその『ド素人』の頭をむんずと掴む。

「えっ」
「なっ」
「おでこ、ちゃん?」

 俺が二人目として選んだ少女は、水瀬伊織。
 もちろん、アイドルでさえない。完全な、ド素人だった。

「ちょ、ちょっと。アンタなに勝手に決めてるわけっ!!」

 釣られたまま、伊織が脚をばたばたとさせる。
 本人にとっては寝耳に水だろう。

 そりゃあそうだ。
 言ってないんだから。

 そこへ、入ってきたのは、高槻やよいだった。
 私服に着替えて、会場の約半分近くの視線を一身に受けて、身を縮こまらせていた。

 さあ、主役が揃った。

「水瀬さん。高槻やよいのことは?」
「知らないわよ。こんな子」
 伊織がそっぽを向く。
 事情さえ知っていれば、伊織がやよいを巻き込まないために庇っているシーンだとわかっただろう。
 あくまで、事情さえ知っていればの話だが。

 結局は、そのやりとりが決め手になったらしい。

「──受けるわ。その勝負。
 せめての慈悲に、日時と時間はあなたに決めさせてあげる」
「なんだ。プロデューサーの魂って奴が、欠片ぐらいは残ってたらしいな。
 じゃあ、だいたい一週間後で。詳しくは、後で連絡をする」
「ええ」
「美希、高槻やよいを連れてきてくれ」
「う、うん」
 事態を飲み込めていないやよいを、美希が手を引く。
 俺は、まだ暴れている伊織を脇に抱えこんだ。

 ──さて、あとはボロが出ないうちに退散するとするか。
 まだ騒然としている会場と、殺意のこもった瞳で睨んでいる西園寺美神の視線を受け流しながら、俺は出口へと歩みを進める。
 心地よい高揚感があった。
 今日はよく眠れるだろう。

 けれど──
 会場から、出る寸前に、

「──この、大嘘つき」

 全身の背筋を総毛立たせるようにして、耳に割り込んできた声。
 壁に背を預けているのは、旗袍(チャイナドレス)を着こなした少女だった。
 群衆の中で、ひときわ目を惹く赤が、彼女を特異な存在として成り立たせている。
 ドレスの生地に写し取られた、綺羅びやかな金色の竜が、今にも噛みついてきそうだった。

 そして、意志の見通せない瞳。
 全身から立ち上る覇気。

 これで16歳ということだが、すでに王者としての風格すら感じさせる。
 
 ──ああ、こいつがいたか。
 『ワークスプロダクション』の、五百人近くいるアイドルたちの頂点。

 Aランクアイドルの一角。

「──天海、春香か」
「おもしろそうなことをやっているようね。当日には、是非私も審査員として出席させていただくわ」
「ああ、お願いするよ」
「じゃあ、がんばってね。やよい」
「はい、春香さん。あの、さっきからなにが起こっているのか、さっぱりなんですけどー」
「後で説明したげるわよ」

 伊織が、俺に抱えられたままで言った。

 生涯不敗。
 天海春香を、四文字で形容すると、そうなるだろう。
 なにせ、プラチナリーグで56戦56勝という、常識知らずの戦績をたたき出している。
 如月千早ですら、四戦挑んで、すべて負けている。(ちなみに、千早は79戦71勝)。
 
 本能的に、力の差を嗅ぎ取ったのだろう。
 美希が怯えていた。
 まるで、野生動物が、より上位の生物に平服するように。

「なに、あの人」
 春香の後ろ姿を見送りながら、美希が呟く。

「頂点だよ。
 俺たちが、目指すべき頂のひとつだ」







[15763] stage3 Mind game (心理戦) 1
Name: 塩ワニ◆edd3c1be ID:9f5383e3
Date: 2010/02/27 20:34





「金田城一郎、22歳。
 A級アイドル如月千早の、元専属プロデューサー。
 日本に四人しかいないA級プロデューサーのひとりであり、一月ほど前に、ギガスプロを退社。

 現場からの評判は、概ね最高。
 ファンサブからの評判は、概ね最悪。
 絶対に勝てないような試合をひっくり返したり、絶対に負けないような試合を、あえて落とすような真似をしたり。

 ──この男さえいなければ、如月千早のAクラス入りは、もっと早かった、というファンの評価さえある。

 ただし、先日の如月千早のライブでは、アイドル本人に不調はなかったものの、プロデューサーの違いからか、如月千早のステージでしか感じられなかった熱がない、との意見も多く、金田城一朗のプロデューサーとしての手腕を見直す動きも出ている。
 そういう意味では、まだ評価の出ていないのかもしれない。これから朔響との対比で、再評価が行われるであろうプロデューサーである」

 椅子に腰掛けたまま、安っぽいコピー紙のページをめくる。

「ふぅん。実績自体は、文句ないわけね」

 新堂から挙げられた調査書を読み直す。
 なぜ、この男が私とやよいを指名したのか。
 如月千早のプロデューサーをやっていたほどの男が、なんの下心もなしに私とやよいをプロデュースする、とは考えにくい。

 必ず、なにか裏があるはず。
 ──まあ、単に私があの会場で一番輝いてたからかもしれないけど。

「はぁ──」

 そんなわけも、ないか。
 あまり知られていないことだが、私へのプロデュースの申し込みだって、決して少なくない。
 たった、年に二、三十人ぐらいだけど。おべんちゃらを言いにくる中年どもには事欠かないのだ。
 
 けれど、そいつらが見ているのは私じゃない。
 奴らが欲しいのは、私が背負っている水瀬グループの資金力。そして、それに伴う自分自身の実績。

 舐められているのだ。

 つまり。
 小娘ひとり、簡単に言いくるめられるって。
 どうせ、
 今度も、その手合いなのだろう。

「つまり、この報告書に書いてることを一言で纏めると、今までの実績は全部、如月千早がいたからで、この男の能力じゃあない、ってそういうことかしら?」
「はい。そういうことでしょう。
 ただ、プロデューサーという仕事の評価、その物差しが、どこにあるのかは、私にも存じかねますが」

 背後からの声。
 新堂の声は、いつも等間隔だ。
 彼は、幼い頃からずっとついてくれている、私の世話役なのだが、
 下手な執事よりも執事らしいのがあれだった。

「こんな報告書は、参考程度にしろってことね。
 なによ。結局なにもわかってないんじゃない」

 私は、報告書を背後に放り投げる。
 音がして、そのままゴミ箱に放り込まれたことを教えてくれる。

「そうでもありませんよ。
 プロデューサーとしては、わかりすぎるほどにわかりやすい戦術家タイプですね。結果よりも、ステージの内容を重視する。お嬢様とは、意外に気が合うのでは?」

 どこかおもしろがっているような新堂の台詞。

 考える。
 部屋に閉じこもっているだけでは、なにもわからない。

「仕方ないわね。直接、話してみないと、なにもわからないってわけね」

 私は、自分の部屋の椅子から立ち上がる。

「で、その男はどうしてるわけ?」
「居間で、六時間ほど待たせてあります。今までのプロデューサーたちなら、これで──ほぼ底が計れるのですが」
「怒って帰るようなら三流。
 それでもなお、おべんちゃらを言えるなら二流。
 いきなり私に説教をはじめるようなら、勘違いバカってトコかしら」
「はい」

 頷く。
 楽しくなってきた。
 使用人たちの間では、すでに恒例行事となっていて、お嬢様が今度は何時間で相手をやりこめるかが、賭の対象になっているらしい。

 背を伸ばす。
 左手にウサちゃんを抱きしめて。

 今日も、私、水瀬伊織の一日がはじまる。















「………………」

 いきなり、面食らった。
 居間では、金田城一郎とやよいが向かい合って、接待オセロをしていた。

「あ、伊織ちゃん。遅かったね」
「………………」
 明らかに状況を把握していない、やよいの呑気な声。
 周りを見回す。

 パパの会社の商談にも使われる応接室は嫌な感じに活気に満ちていた。窓からは特別に作らせた日本庭園が一望でき、置かれている調度品は、一級のものがずらりと取り揃えられている。
 灰皿ひとつとってもオーダーメイドで、百万は下らない。

「ねぇ、新堂。最下級の部屋に通しておくように、って言ったわよね」
 むろん、パパはそんなものを作るわけがない。
 どこからチャンスが転がってくるのかがわからないということをモットーにしていて、どんな下請けの中小企業の社長だろうと、この応接室に通す。

 私が特別に地下室を改造させて作らせた部屋は、明かりは豆電球一つ。廃棄された家具を寄せ集めて、年中蜘蛛の巣が張っていて、BGMとして子供の啜り泣く声が聞こえるという、もてなす気ゼロの特別製だった。

 ──、一言で言えば、さっさと帰れということ。

「はぁ、しかし、高槻様がご一緒でしたので、そういうわけにも──」
「ぐっ!!」

 しまった。
 やよいがいた。

「あふぅ。寝心地がいいよこのソファー」

 星井美希が、だらけた姿勢でソファーに横になっていた。
 目の前に出されたケーキとカップ、あとお茶請けが完璧に空っぽになっている。

 突っ込まないことを決意する。
 いちいち突っ込んでいたらキリがない。
 それでも、口の端がピクピクと痙攣するのは、止めようがなかった。

「ああ、来たの? 遅かったわね」

 しかし、もうひとりのほうは、無視しようがない。

 黒。
 扇子を片手に、塗りつぶすような黒の衣装に身を包むのは、意外な客だった。

「で、アンタはどうしてここにいるのよ。──春香」
「ちょっとそっちのプロデューサーさんに用事があって。あと、珍しいものが見られると思って。
 伊織が、グゥの根も出ないぐらい、完璧にやりこめられる光景なんて、一生に何度も見られないと思うもの」

 春香は、ふるふる、と背筋を焼く快感に震えていた。
 この天然超ド級サディスティック少女は、なぜだか私とやよいが知り合う前から、やよいを気にかけていた。
 ──とはいえ、
 知り合ってからはまだ日が浅い。

 『ワークス』プロのトップアイドルでありながら、今の立場にまったく満足も、執着もしていない。
 現在、如月千早に次ぐ、アイドルランク三位。
 彼女には彼女だけの夢があるらしいが、私にそれを語ってくれたことはない。

「あらー。伊織ちゃんって言うの。よろしくねー」
「ああっ!! なんか変なのが一人増えてるしぃぃぃっ!!」

 この中では、新藤を除けば最年長だろう。
 おっとりした感じの女性だった。
 暴力的ともいえるバストのでかさは、どこかの乳牛かと思うぐらいだった。

「三浦あずさです。あずさって呼んでね。伊織ちゃん」

 ──この人、が?

「まさか、こんなところで。往年のSランクアイドルに会えるなんてね。私のAランク入りが、あと半年早ければ、あなたと直接対決の機会もあったのだけれど──」

 驚くことに──
 春香の態度に、いつもの彼女には決してありえないものが混じっていた。
 曇りのない敬意。
 彼女のそれが、どれだけ重いものなのかは、天海春香を知るものにしかわからないだろう。
 
 無理もない。
 三浦あずさの名前は、私だって知ってる。

 歴代で、最高のトップアイドル。
 引退した理由は、未だ公式なメディアの前で語られたことはない。

 Aランク一位の子と、
 二位の、如月千早、
 三位の、天海春香、
 四位の、リファ・ガーランド、
 五位の、菊池真。

 アイドルの頂点、ただ一組のみに与えられる、アイドルマスターの称号が、このAランク五人の誰にも与えられないのは、未だに、三浦あずさの影すら踏めていないから、だという。

「──って、今はそんなことを気にしてる場合じゃないわ。やよい、どうしてこの男とそんなほのぼのとしてるわけ?」
「そんなの、お前が来るのが遅いからだろ」
「アンタには聞いてないわよ」
「そうです。──私は、ここ。じゃあ、次はプロデューサーの番ですよ」
「ああ、嫌なところに置かれたな。確定石が七つもあるじゃないか」
 私のことなんて興味ないという風に。
 この男とやよいの視線は、オセロの盤面に釘付けになっていた。

「待って。やよい。その呼び方?」
「え、この人のこと。この人が、俺のことはプロデューサーって呼べって」
 なんでもないことのように、やよい。

「ん、言ったな。そんなこと」
「だから、ダメだよ。伊織ちゃん。これからお世話になるんだから、ちゃんと挨拶しないと。
 ──って、どうしたの伊織ちゃん。
 いきなり頭抱えてうずくまったりして」

 ダメだ、この娘。
 状況がまったく見えてない。

「なんだ。挨拶もできないのか?
 どんな一流でも、挨拶もできないようじゃあ使い物にならないぞ」
「そうだよ。伊織ちゃん。あんまりワガママ言っちゃだめだよ」
「やよい。アンタこの状況に、なにか疑問とか感じないわけ?」
「え、賑やかになって、楽しいよね」
「そんなんじゃあなーいッ!!」
 バン、と両手をテーブルに突く。
 その音に反応したのか、

「あふぅ。おでこちゃん。今日、なにか変だよ。嫌なことでもあった?」
 星井美希が、眠い目を擦っていた。

「ええ、嫌なことなら目の前に山のように積まれてるわよ。あと、おでこちゃん言うな」
 私は、ずり落ちた身体を立て直す。
 そして、私は、金田城一郎を相手にまっすぐに人差し指を突きつける。

「とにかく、私はアンタのことをプロデューサーとして認めてないのよッ!!」
「えー?」
「あの、ごめん伊織ちゃん。私、すっかり納得してるものだと思って──」
 やよいが、わたわたと手を振る。

「やよい。問題ないぞ。ミーティングに遅刻してくるような奴に、発言権なんてないからな」

 テーブルの上を見ると、なんか本格的に会議していたらしい痕跡が見えた。


 曲、『GO MAY WAY』
 ユニット名、『未定』
 高槻やよい レフト
 水瀬伊織  ライト
 
 金田城一郎 プロデューサー
 水谷絵理  助手
 星井美希  スタイリスト 兼 賞品
 三浦あずさ 演出、ボイストレーナー


 ──勝負当日、必要なスタッフは貸してくれるらしいが、なるべく自分のことは自分でやること。
 元気と挨拶を忘れずに。
 
 ──とあった。

「しかし、困ったな。どうやったら、認めてくれるんだ?」
「………まず、どうして私たちを選んだのか、聞かせなさいよ」
「ああ、別に。
 ただ、お前らとなら、いいステージができると思った。それだけじゃあ、不満か?」
「不満ってわけじゃあないわ。ただ──」
「困ったな。実績は足りてるだろ。もうちょっと感激に震える気はないのか?」
 考える。
 こうなったら、腹を割って話し合おう。
 集めた情報で、気になる点もいくつかあった。

「聞きたいことがあるの。
 アンタ、ファンサブから、随分評判悪いわよね。なんでよ?」
「………意味のある質問だとも思えないが、まあいいや。
 単に、憎まれ役をやってるだけだ。
 だってそうだろ。担当アイドルの調子が悪くても、プロデューサーが悪いからだ、ってなれば、アイドルの評判に傷がつかないからな」
「………………」
「プロデューサーなんてな。結局のところ、悪口を言われるためにいるもんだ。これが逆だったらどうなるよ?
 アイドルが貶められて、プロデューサーの評価ばっかりが上がっていく。
 そんなの、商品価値をドブに捨てるようなものだろ?
 千早だって、俺に言わせれば欠点の塊だ。
 その欠点も全部、俺が悪いことにすれば、アイドルの評価はそれ以上は下がらない。
 
 プロデューサーとしての名前をブランド化して、アイドルの価値を高めるってやり方もあるが、それはあくまで大量生産かつ使い捨てのやり方だ。
 俺の流儀に反する。──とこんなところだが、納得できないって顔だな」

 ──そうだ。
 自分でもわからない。

 決定的な、何かでなくてもいい。
 この人を信じられることが、なにか一つあれば。
 
 自分の情熱、歌への魂、やよいとの関係、それを任せられるような。
 プロデューサーとアイドルとして、理想的な関係でなくていいから。やよいと居る時のような、新しい自分を迷わずに探求できるような、そんな保証が欲しい。

「納得できないのも当たり前よ。
 だって、問題があるのは貴方自身。
 恵まれている人間に、プロデューサーとアイドルの関係なんてわからないわ」

 目をつぶったままで、天海春香はそう言った。

「なん、ですって?
 春香。それどういう意味よ?」
「アイドルが、プロデューサーへ抱く評価なんて、ふたつしかないわ。

 ──最高か。
 ──最低よ。

 どんな無能に見えても。どんな最低の人間でも、自分を使ってくれるプロデューサーは、それだけで最高のプロデューサーなのよ。
 ベテランじゃあなくて、ド新人を使うと言うことは、それだけで一つの賭けなの。伊織、貴方、どれだけ自分が特別だって思い上がっているわけ?

 信頼なんて、そんなものは最初はないの。ゼロなの。誰かを信頼したいのなら、貴方がまずプロデューサーの信頼に応えなさい。
 それさえできないのなら、貴方にはなにを囀る資格もないわ。やよいとユニットを組むって決めたときに、貴方はやよいに助けて貰おうとしたのかしら? 
 やよいのことを助けたいって、この人の力になりたいって、そう思ったんじゃなくて──?」

 それは、誰の言葉だろう?
 春香には、春香の戦う理由がある。
 今の私には、それを思い描くことすらできないけれど、それは私が思っていたものより、

 ずっと重くて、
 そして強くて──────



「それじゃあ、春香もおにーさんにプロデュースされてみるってのはどう?」



 空気を読めていない美希の言葉が、場の空気を一撃で叩き割った。
 けれど、
 そう思っていたのは私だけで。
 Aランクアイドル『女帝』天海春香は、そんなものでは揺るぎもしない。
 

 
「愚問ね」
「愚問か」
「ええ、今も昔も。
 そして、これからも。
 この気持ちを変えるつもりはないわ。あの日からずっと、私のプロデューサーは、たったひとりだけよ」

 それは、春香の決意表明。

「自分を使ってくれたから、か?
 それだけで天海春香ほどのアイドルが、西園寺美神になびく理由がわからないな。
 プロデューサーとしても、社長としても、現時点で、あの嬢ちゃんは俺よりも遙かに下だ。それはわかっているんだろう?」
「──ええ。
 当然でしょう。
 私が憧れたのは、プロデューサーとしての西園寺美神ではなく、社長としての美神社長でもなく、アイドルとしての美神お姉ちゃんだもの」
「え、ええっー。社長って、元、アイドルだったんですかーッ!」
 やよいの悲鳴に近い驚き。
 私も、声こそ出さなかったが、不意を突かれていた。

 春香の語る言葉は、
 自分の原点を確かめるようだった。

「そう、メッセージを届けに来た他に、あとひとつ用事があったのよ」

 春香は、はじめて、明確な敵意を向ける。

 ──視線だけで、大気が軋む。
 灼ききれそうな空間の中で、私はひりつく喉に、空気を送り込む。

「──警告よ。
 あなたが、ワークスプロダクションをどうしようが、私は別に構わない。
 けれど──
 美神お姉ちゃんを悲しませるようなことがあったならば──、私は全力で貴方たちを叩き潰す。
 私の目的も、手段も、歌も、踊りも、魂も、すべてはそのためだけにあるの。
 それは、私がこういう路線で行くと決めた時から、変わっていない。純朴な田舎娘のままだと、目的は達成できなかった。だからね。それに限っては、私はなんの後悔もない。

 『それ』を守れるならば、私の身が、どれだけ穢れたとしても構わないわ。今の地位だって投げ打ってもいい。誰にどんな目で見られてもね。
 
 さあ──

 ──返事を聞かせて貰えるかしら」

 春香の熱情に、私は言葉を挟めなかった。
 おそらくは、彼女の言葉には、一言の偽りもない。
 相手が、私ややよいだって容赦はしないだろう。

 三年間。
 春香にとって、この三年は、ただ、それだけのためにあった。
 だから、私たちにできるのは、ただ虎の尾を踏まないようにすることだけだ。
 
「ああ──」

 金田城一郎が、口を開く。

















「──断る」







[15763] stage3 Mind game 2
Name: 塩ワニ◆edd3c1be ID:9f5383e3
Date: 2010/02/27 21:35




「なんて、言ったのかしら?」
「──断るって言った。二度も、言う必要があるか?」

 ──空気が、軋むような音がした。
 息を呑む。
 どちらも、譲るつもりはないのだろう。

「それは、宣戦布告ととっていいのかしら」
 春香の意志の見通せない瞳に、初めて感情が宿った。
 研ぎ澄まされた、──殺意。

「──いや? ただの忠告だよ。
 その勘違いを、わざわざ訂正してやろうとしてるわけだ。お前さん、少しばかり過保護すぎる。飼い犬なら飼い犬の分を外れるな。飼い主が迷惑するだろう」
 金田城一郎が、天海春香の正面に対峙する。

「プロダクション社長の役割なんてたったひとつ。自分が盾になって、自社のアイドルを守ることだ。
 アイドルに守られるようじゃあ、筋が通らない。
 
 それにどっちみち、あの嬢ちゃんは、一度どん底まで突き落としておかなければならない。──負けても、失うものの少ない今のうちにな。
 今、焼き直しておけば、ちょっとは使えるようになるだろうし」
「………偉そうね。いきなり押しかけてきて、何様のつもりかしら?」
 冷え冷えとした春香の声が、シンとした室内に響く。

「それだけだが。まだ不満そうだな」
「いいえ、確信しただけよ。
 あなたは、どう使っても会社のプラスにはならないし、美神お姉ちゃんの味方にもならない。そうね。あなたのセリフをそのまま返してあげる。あなたは、今のうちに私がたたき潰しておかないといけない。お姉ちゃんに、害を成すその前にね」
 春香は、手にもった扇子で、テーブルの上のバスケットからリンゴをひとつ手に取ると、

 ──そのまま扇子の上に乗せた。
 横回転したリンゴを乗せると、扇子に内蔵された刃が滑るようにリンゴの皮だけを削っていった。
 で。
 ──なんの曲芸なのよ、これ。

「あ、春香さん。食べ物を粗末にしたらダメですよ。というわけで、これは私が有効利用しときますねー」
「やよいズルい。ミキにも半分ちょーだい」
「むー。半分だけですよー」

 こ、こいつらは。
 続けて、やよいと美希は、リンゴ一玉を、ミキサーでリンゴジュースにするか、そのまま直接口に入れるかで揉めていた。

「あなたに、選ばせてあげるわ」
「春香ってば。なにを選ぶの? リンゴジュース?」
 美希が、あまりにも自然に春香を呼び捨てた。
「ううん。春香さんはきっと、素材の味を生かす方向を選びますよ」
「あんたら、本当に空気読めないわね」
 私は、それだけを言うのが精一杯だった。

「さあ、選ばせてあげるわ。
 このリンゴのように、顔の皮を剥かれるのがいいかしら? それとも、素材の悲鳴(あじ)を生かす方向で、爪の間につまようじを差し込まれるのがいい?」
「………どっちも嫌だな」
「まあいいわ。
 一週間後には、ワークスプロダクションの総力を挙げて、貴方たちを迎え撃ってあげる。
 私がいる限りは、油断も、慢心もない。
 それを覚えておくことね」
「ああ、さっきまではあんなに仲がよかったのに」
 シリアスな空気は、あずさの泣き崩れる演技で、一応格好がつく形になった。


「ええと、こいつら、もしかして全員ボケなのかしら? 
 ──ってちょっと春香。
 待って。
 待ってってば。
 このボケどもの中に、私をおいてかないでよ」
















「で、春香ってば結局なにしに来たのかしら?」
「ああ、伊織はいなかったな。一週間後の対決の日取りを決めにきたんだろう。
 さて、日時は一週間切ったわけだ。
 もう一時間も無駄にできないからな、さっさとレッスンを始めるぞ」
「いつの間に、人の名前を呼び捨てにしてるのよ。アンタは。やらないって言ってるでしょうが。
 やよいも、こんなのに騙されちゃだめよ。コイツらは、私たちを利用しようとしてるに決まってるんだから」

「わかってるよ。そんなこと──」

「え?」
「言われなくても、わかってるもの。
 伊織ちゃんが心配してる理由も。

 でも。
 私が、プロデューサーさんのことを信じたいと思ったの。
 私、知ってるよ。
 誰でも良かったんだって。
 社長が、プロデューサーさんを負けさせるために、私を指名したっていうのも知ってる。
 私が勝つことなんて、誰も期待してないんだよね。それもわかってる」
「やよい──?」
「でも──
 それでも、

 夢をみたいの。
 諦められないの。
 私は、もう一度だけ、自分の可能性に賭けてみたいの」

 ──澄んだ瞳だった。
 私がいつか憧れた、そのままの高槻やよいの姿だった。

「伊織ちゃん。私、まちがってるかなぁ?」
 彼女はもう、不安そうな顔はしていない。
 ただ、前だけを見ていた。

「………やよい」
 ああ。
 ──私の、負けか。
一度、こうなってしまえば、やよいは絶対に自分の言葉を翻したりはしない。
 まだ一年にも満たない付き合いだけれど、それぐらいは、私にだってわかる。
 ううん、違うんだ。

 誓ったじゃないか。
 どこの誰が否定しても、たとえ、世界中の誰がそっぽを剥いても、私だけは、やよいの味方でいる。

 それを──

 水瀬伊織が、水瀬伊織自身に誓ったのだ。

 だから。
 本来なら。
 言葉なんて、交わさなくても。 
 私が、最初にやよいの気持ちをわかってあげなければならないはずだった。













「話は纏まったか?」
「まとまったわよ。
 まとまっちゃったわよ。
 まとまっちゃったのよ」

 私は、正面を向いて、前髪をかきまぜた。

 ──ってわけで、私はまったく全然納得できてないけど、やよいの頼みだから、仕方なく認めてあげるわ。──ビシバシいくからね。
 じゃあ、よろしくねプロデューサー。私のかわいさを損ねたりなんかしたら、承知しないんだから」

 不満を残した私の態度が、ほほえましいものとでも映ったのだろうか?
 金田城一郎、もといプロデューサーは、笑いをかみ殺したようだった。

「上手くまとまったところで悪いが、俺は別に誰でもいいから高槻やよいを選んだわけじゃない」
「え?」
「弱い奴を勝たせるのが好きなんだ。強いアイドルじゃあ、あのひりつくような緊張感は得られない」
「根っからのギャンブラーってこと?」
「強い奴につくなんて、そんなみっともないことができるか。と言った昔の偉いひとがいるらしいが、名言だよな」
 私の質問には答えずに、プロデューサーはそう返す。

「それで、これからどうするの?
 レッスンなら、さっさと進めてほしいんだけど」
「それはやるが、その前にとりあえず、天海春香が気にかかるな。どんな手段に出てくるやら」
 プロデューサーが、難しい顔をして黙り込む。
 たしかに、相手の出方が不気味すぎた。
 相手は、まがりなりにも天海春香。
 最悪の一歩先ぐらい想定していて、まだ足りないぐらいだ。

 けど、
 わかってしまえば、なんの問題もないってことだろう。

「なんだ。そんなこと?
 ならまかせといて。水瀬財閥所有の、戦略監視衛星があるわ。人一人をストーキングするぐらい楽勝よ。にひひっ」
「──俺は今、お前だけは敵に回さないことを誓った」

 プロデューサーが、すごく複雑な顔をしていた。
 やられっぱなしだったのが、ようやく一本返せたといったところだろうか。
 こんなことで一本とっても、うれしくもないけど。

「新堂。ってわけで、『IMBER(インベル)』の情報。こっちに廻して。リアルタイムのね」
「かしこまりました」
 控えていた新堂が、ノートパソコンを持ってくる。

 画面が起動する。専用ソフトが立ち上がり、いくつかのウィンドウが、リアルタイムの映像を映す。
 戦略監視衛星、インベルは、正常に起動していた。

「どう? いくら拡大しても、全然ラグもないし、画質もハイビジョン並みでしょ。新聞の見出しだって読めるわよ」
「こ、これがあれば、私でも迷わずに目的地につけるかも」
 背後で、あずさがカルチャーショックをうけているようだった。

「ああ、たしかにすごい、けど。天海春香の居場所なんて割り出せるのか?」
「うちの会社の携帯電話には、ナイショでGPSが埋めこんでるわ。春香の携帯電話のコードはっと──」
 天海春香で検索すると、一件がヒット。

「ほら、出たわ。これは、喫茶店に入ってるわね」
「ってことは、待ち合わせでしょうか?」
「うーん。ってことはだ。伊織、入り口にカメラを固定してくれ。待ち合わせ相手が入って行くにしろ、出て行くにしろ、必ず入り口を通るからな。
 さて、あとは大物が釣れることを願うだけだな」
「春香さんが、本気を出すって、あまり想像がつかなくて。うーん」
 やよいが悩んでいる。
 同感だった。

「あ、歩いてくる怪しい人がいるよ」
 美希の言葉に、画面に食い入るように飛びつく。

「馬鹿な」
 プロデューサーの、声。

 そこに存在していたのは純粋な、驚愕。
 西園寺美神を前にしても、天海春香を前にしても揺らがなかった鉄面皮に、ヒビが入っていた。
 私には、彼がなにを恐れているのかもわからない。


「なるほどな。たしかに、相手にするには最悪の相手か」


 ずいぶんと、含みを持たせた言い方だった。
 その口調に混じるのは、懐かしさに似たようなものだろうか? 
 モニターに映るのは、ロングカーディガンとスキニーデニムを着こなした、背の高い女性。歳は、おそらく二十代の後半。
 一級の女優としても通用するであろうルックス。
 しきりに、腕時計の時間を気にしている様子だった。待ち合わせ、というふうに見える。相手は、やはり天海春香なのだろうか。

「で、プロデューサー。ダレ、これ?」
「尾崎玲子。無所属の、フリープロデューサーだよ。天海春香が、彼女にプロデュースを依頼した、というカタチだろうな」
「フリープロデューサーって、普通のプロデューサーと、なにか違うんですか?」

 やよいが、首をかしげた。
 それは、違うんだと思う。いろいろと。
 具体的に、なにがと言われると、答えられないけれど。

「普通のプロデューサーは、会社から給料が出るが、フリーのプロデューサーの場合は、アイドルに雇われるカタチになる。まあ、給料の出所が違う、ぐらいの認識でいいんじゃないか?」
「はー」
「それで、なんでこの人が天海春香と会っているのか、だが」
 
 びりっ、と。
 画面にノイズが走った。
 
 ざざざ、と画面が砂嵐に変わる。

「おい。伊織。カメラの調子が悪いぞ」
「馬鹿言わないでよ。そう簡単に故障したりするようなものじゃないはずよ」

 私は、手元のパソコンを覗き込む。
 再起動をかけるが、操作を受けつけない。あれ、なにこれ?

「え?」

 画面が回復する。
 さきほどまでの画面はどこかに取り払われて、モニターには、ひとりの少女が映し出されていた。

「フッフッフー。ジャッジャーン。可愛さパラマックス、電子の妖精サイネリア。あなたのお宅にただいま参上デス」
「………………」

 画面に映し出されたのは、まるで妖精を思わせるような少女だった。ゴスロリ衣装が、よく似合っていた。
 左手を交差させて、なぜだか仮面ライダーの変身ポーズを決めているあたり、普通と言う概念からはかなりズレている気がするが。

「あー、うん。そうか。尾崎さんが出てくる時点で、お前も出てくるよな。サンアントニオさんじゃないか。元気か?」
「チガーウッ!! 私の名前はサイネリアっ。っていうか、なんですかカネゴン。そのプロレスラーみたいナ名前はっ!」
「お前、アントニオにだけ反応したろ」

 やはり、というかプロデューサーの知り合いらしい。
 ちなみに、サンアントニオっていうのは、テキサスかどこかの都市の名前だったはず。いや、そんなのどうでもいいのだろうが。

「ええと、サンダーバードさん、でいいんですか?」
「いいわけないでショーっ!!」
「落ち着け、サの字。ハッキングしてまで人の話に割り込んできたからには、なにか話があるんだろ? 
 っていうか、こんなことができるあたり、お前本当に、電子世界の妖精だったのか?」
「用なんかないデス。ただ、運悪くロンゲこと、悪の怪人ダークオザキラー(尾崎玲子)に捕まってこきつかわれてるだけで。
 だから、これからはサイネリアバージョン2。もしくは、ダークサイドに落ちて黒くなった、ダークサイネリアと呼んでクダサイ」

 画面の中の少女は、よよよ、と泣き崩れていた。

「それでダークサイドクロニクルズさんは、なにしてるんだ?」
「相変わらず、人の話を聞かないデスね」
「それより、尾崎さんと一緒にいるんだな。なら、口裏をあわせておいてくれ」
「ナニをですか?」
「今、尾崎さんと会わせたら、絵理は壊れる」
「………………」

 モニターの中の少女の表情が、目に見えて曇った。

「それが、お前の目的にも適うはずだろう。ネット活動とアイドル活動は両立しない。お前も、いまのままの絵理が好きなのなら、このままを望むはずだ」
「そうやって、彼女を腐らせるつもり?」
「ちょ、このロンゲ。いきなり割り込んでこないでよっ」

 サイネリアと呼ばれた少女をどけて、モニターの画面に姿を映したのは、先程から話に出ていた、尾崎玲子だった。

「こんにちは金田くん。ひさしぶりね」

 言葉とは裏腹に、そこに再会を喜ぶような甘さはない。
 口調からも、内面の芯の強さが垣間見えた。もっとも、天海春香がわざわざ呼び寄せるほどなのだ。生半可な相手であるはずがない。



「約束どおり、絵理を迎えにきたわ」









 NEXT→『遠い約束』



[15763] stage3 Mind game 3
Name: 塩ワニ◆edd3c1be ID:9f5383e3
Date: 2010/03/08 20:24





「困ったわね。直すところがないわ」

 これっぽっちも困ってないような表情のままで、あずささんが言う。左手に頬を当てて、思案するような、いつものポーズだった。

 仮組みされたステージの上では、伊織とやよいが弾んだ息を整えている。
 たった今、指定された会場での、ステージリハーサルを終えたところだった。
 この会場は『ワークス』プロダクションの持ち物らしく、本日は俺たちの他には、観客一人いない。
 水瀬伊織が動員したスタッフが、撤収を告げていた。

 いつの間にか、日が落ちている。
 三階席の後ろに設置された壁掛け時計は、すでに夜の八時を指していた。
 仕上がりは、まったく問題ない。

 『ミラーズ』との対決まで、あと五日を残した上で、やよいと伊織のプロデュースは、順調すぎるほどに順調だった。



「どうしたのプロデューサー? なんか湿気(しけ)た顔してるわよ」
「なあ、お前ら。
 伊織はアイドルじゃないからいいとして、やよい。
 どうしてこれだけ歌えて踊れて、Fランクなんだ?」

 課題曲である『GO MY WAY』は、二年ほど前の大ヒット曲であり、アイドル候補生の練習曲としてや、合唱コンクールでの品目としてよく使われる。
 舌っ足らずな子供が、『ごまえー』、『ごまえー』と歌うところが好評で、お遊戯会用、小学生用、中学生用、プロ用、と振り付けが四種類もある。
 アイドルの端くれならば、踊れて当然の曲ではあるのだが、だからといって、難度が低いわけでもない。
 
 いや、
 相当に見栄えを重視した振り付け構成は、どちらかといえば、かなり高度な部類に入る。
 片足立ちでバランスをとったり、かなりトリッキーな振り付けまである上、全身を使ってこれでもかと動きまくる。
 歌いながら振り付けを完全に再現するとなると、けっこうな努力が必要となる。
 
 伊織とやよい。
 実のところ、まったく期待していなかった。
 ここからハッタリを駆使しての、条件闘争こそが唯一戦える手段だと思っていたのだが、思いの外、出来が良い。

 うれしい誤算という奴だろう。
 デュオとしての完成度は、即戦力として通用するほどだった。よほどの努力か、よほどの才能を積み込まなければ、これほどのステージは再現できない。

「いいな。
 きっと、実力以上のものが出てるんだろうな」
「アンタ、こんなときぐらい素直に褒めなさいよ」
「そーですよー」
 伊織とやよいがぶーたれる。

「ああ、悪い。そんな意味じゃない。単純に、褒めてるんだ。
 互いに、パートナーを大事にしろよ。実力以上のものを引き出しあえるパートナーなんて、そう簡単に巡り逢えるものじゃないからな」
「まあ、私とやよいなら当然ね」
「がんばりますよー。
 伊織ちゃんも、プロデューサーさんも、あずささんも、ハイ・ターッチッ!!」
 ぱぁん、と四人で、右手を打ち鳴らす。
 
「で、やよいはこれだけ踊れて、なんでFランクなんだ?
 歌唱力も、味があるし、プラスに働くことはあっても、マイナスにはならないだろ。けっこうかわいいし」
「あ、あうっ………」
 ここまで直接的に褒められたことがないのだろう。
 やよいが両手で顔を隠した。
 両手でも完全に隠れていない顔が、真っ赤になっている。

「え、えーと。人がいっぱいいると、緊張して………」
「ああ、よくある人前で十割の力が出せないタイプか。わりと深刻な問題だな」
「あらあらー、どうしましょう?」
 そこらへんは、あずささんのカウンセリング能力に期待しよう。あがり症といっても、重度のものから軽度なものまでいろいろある。
 アイドルを目指すぐらいだし、俺やスタッフ十人ぐらいに見られるぐらいなら、なんの問題もないことから察するに、それほど重傷ではないはず。

 だが。
 ──場合によっては、これが致命傷になることもあり得る。

「それで、聞きたいことはひとつよ。『ミラーズ』に、勝てると思う? 変なお世辞はいらないわよ」
「今聞いたろ。
 あずささん評価だと、
 『いいけど、ここをこうしたほうが』でDランク。
 『困ったわね。直すところがないわ』でCランク。
 『素敵な音楽ね』で、Bランク。
 『思わず聞き惚れていた』、でAランクだ」
「私たちはCランク? ていうか、違いがわかんないわよ」
「安心しろ。俺にもよくわかってないから。
 まあ、いい勝負するんじゃないか? まだ相手の仕上がりを確認していないが、ただ、Cランクは並みのアイドルにとっての最終到達点だからな。
 このクラスになると、雑魚なんてひとりもいない。なににしろ、ファンを惹き付けるだけのなにかを持ってる」

 化け物(タレント)揃いのBとAランクなど、むしろ最初から除外していいほどだ。

「稼ぐ気になれば、Cランクなら、一日で一流企業のサラリーマンの月収ぐらいは稼げるからな。そこに残ってる連中は、強い上に、しぶとさまで加わっている」
「え、ええと、サラリーマンの月収って、五万円ぐらいですかー」
「馬鹿ね。やよい。五百万よ」
「五十万だ馬鹿どもっ!」
 互いに、変な方向に金銭感覚がズレてやがる。
 
「やよいを見る限り、アイドル業界がそんな儲かるなんて考えられないけど──」
「ん、それができるんだ。ひとり九千円で、握手会とサイン会、あとミニライブを行う。──定員は、三十人だ。
 全部捌くのに、一時間半といったところか。
 ──これを、一日五回廻しでやる。場所を変えてな。
 九〇〇〇×三〇×五=一三五〇〇〇〇ってところだ。
 事務所と折半して、アイドルの取り分は五割。移動代やらスタッフの人件費をさっ引いても、五〇万を切ることはないだろ。
 な、ボロ儲けだろ。この恩恵に与れるのは、アイドル一〇〇人いて、五、六人てところだけどな。Dランクなら、ようやくレッスン料を取り返せるぐらい。EとFならまったくの赤字だ」
「それ──客が集まるわけ?」

 伊織が、懐疑的な視線を向けてくる。

「基本的に、サイン会と握手会なんて、やるのはCランクまでだからな。ここからBランクやAランクまで行くと、サインを入手する機会は、倍率が、何百何千倍の抽選ぐらいだ。
 Aランクまで行くと、そのアイドルのサイン色紙なんて、百万近くで売れる。──ヤフオクで。

 百人のサインを貰って、その全部に九千円払っても、その中のアイドルがひとりでもAランクに昇格すれば、黒字になるって皮算用だ。
 現実としては、そんな上手くいかないけどな。
 客だって、伸びそうなアイドルを厳選する。金とって握手会だけやってるようなアイドルは、最初から昇格の意志なんてない、と見なされ、即、ブラックリスト入り。
 そのままファンを手放して降格するだけだ。──自業自得だが。ファンも馬鹿じゃないし」
「あうあうあうあうあう」
「で、やよいはなにしてる?」
「天文学的な金額が頭の中で踊ってるんでしょ。いつものことよ」
「ごじゅうまんえんあったら、もやしが千個、二千個………商店街中のもやしを買い占めても、おつりがきちゃいますよっ!!」
「そりゃあ、来るに決まってるじゃない」
「まあ、そういうわけだ。
 『ミラーズ』は手強い。お前らと、同じぐらいにはな」
「じゃあ問題ないですね。足りない分は、笑顔でカバーです」
「うん、やよい。良いことを言ったな」
「えへへ」
「すると──やっぱり、プロデューサーの勝負になるか」

 意識を、切り替える。

 尾崎玲子。
 プロデューサーとして、ブランクがあるにしろ、舐めてかかれる相手ではない。
 いくつか清算しなければならないこともあった。

「やはり、会いに行ってみるか。これから出かけるが、おまえらはどうする?」
「私は遠慮しておくわ。帰ってシャワー浴びたいし、偵察なんてセコいこと、私に似合わないしね。そもそも、これはアンタの領分でしょ?」

 水瀬伊織は、さすがというか、行動指針にブレがなかった。
 椅子に腰掛けて、すらりと長い手足を伸ばす姿が、さまになっている。

「やよいはどうする?」
「うう、できれば行きたいんですけど、もうすぐ行きつけのスーパーで、50%引きのシールが貼られる時間なんですよ」

 やよいは申し訳なさそうだった。
 さっきから、チラチラと壁掛けの時計を気にしてたのは、そのせいか。

「そうか。やよいもダメだとすると、美希は?」
「え、行ってもいいよ? おにーさんって、フラれてばっかりでかわいそうだから、ミキがつきあってあげるね」
「ああ、ありがとな。なんか涙がこぼれそうだ」
「うん、ひいよ。ふぐぐぐぐぐぐぐぐ」

 俺はとりあえず、美希のほっぺたを引っ張っておくことにした。







 そして。
 公共バスを乗り継いで、目的地まで到着するまで。

 美希が買い食いすること二回。
 ナンパされること三回。
 同業者らしき人間にスカウトされること二回。

 そんな難関を経て、ようやく地図の場所までついた。

 さびれたプロダクションだった。
 『やきとり』とだけ書かれた居酒屋。平時に営業しているのかと疑問符がつく写真屋などが詰め込まれている土地に、やや目立つようにその建物はある。
 一階は、ただの雑貨屋らしい。
 二階には、大きく看板がかかっていた。

『876プロダクション』

 最近出来た、新興のプロダクション。
 尾崎玲子は、どうやらここの外部スタッフであるらしい。
 えーと、資料によると、登録されているアイドルは、三人だけか。

 日高愛。(13歳)
 秋月涼。(15歳)
 鈴木彩音。(18歳)

 ──待て、日高?
 いや、きっと、ただの偶然だろう。
 
「うわー。ボロいかも」
「そういうな。四大プロダクション以外は、だいたいこんなんだ」

 俺は、統一感のない自販機が並ぶ、すでにシャッターが降りた店の横の、階段に足をかけた。うわ、ボロくて体重をあずけるたびに、ぎしぎしといっている。

「ん、どうした。美希?」
「ねえ、ミキ、アイドルなんてやらないよ。たとえ、おにーさんが負けても」

 西園寺美神との賭けの話だった。
 ああ、次々と変わる状況に振り回されて、忘れていた。

「なんだ。急に」
「わかんない。遠くまできて、急に不安になったのかも」
「そうか。そうだな。それはなんとかする。
 ──誓うよ。
 決闘なら代理人が認められるが、今回のこれはちょっと非道いからな。まあ、仮に俺が負けたとしても、俺のタダ働きぐらいで、契約はまとまるだろう」

 事実、星井美希を『ワークス』プロダクションが囲い込んでいる以上、俺が手を出さなければ、誰も手を出しはしないはずだ。

「だから、なにも心配する必要もない。ただ、楽しんでいればいいと思うぞ」
「そう、かな?」

 虚ろな瞳。
 一度だけ、こんな彼女を見たことがある。
 たしか──
 そうだ。
 彼女と初めて会った時、別れ際に姉を見る、感情のこもらない酷薄な瞳の光。

 ──それが、まるで泣いているように思えた。

「ねぇ。なにかに夢中になるって、どんな気持ちなのかな」
 美希は──
 笑った、のだと思う。

「楽しかったり、胸が熱くなったりするの?」
 疑問。
 子供が、母親に聞くようなものだ。

「悔しかったり、そのせいで夜眠れなかったり、泣いちゃったりするのかな」
 意外だった。
 星井美希に、悩みなど似合わない。
 短い付き合いだとしても、ずっとそう思ってきた。

「ミキは、きっと幸せなんだと思う。
 練習してないのに、運動会で一等以外とったことないし、ラブレターやラブメだって、少ない日でも一日十通はもらうよ。勉強はニガテだけど、それで困ったことなんて、今までで一度もないし。

 ……これって、幸せなことだよね。
 家族もみんな仲良しで、ミキの言うことはなんでも聞いてくれて、友達だっていっぱいいて、きっと足りないものはなにもないの」

 思春期という奴か。
 行き場のない悩み。
 彼女は──自身に芽生えた、まだまっしろな気持ちに、どんな名前をつけるのだろう?

 ──贅沢な悩みだと、切り捨てるのは簡単だ。
 お前が一生をかけてでも出さなければならない答えだと、正論を言うことなら、誰だってできる。

 きっと。
 彼女が求めているのは、そんな答えじゃないから。

「それは、たしかに許せないな」
「だよね。この話すると、みんな引いちゃって。だから、うん。忘れていいよ」
「違う。
 俺の前で、そんなつまらなそうな顔してることが許せないって言ってる」
「え?」
「そういう奴には、ちょっと無茶をしてでも笑顔になってもらわないとな」
 俺の言葉を、美希は本気にはしなかった。

「だって、おにーさんにはなんの関係もないよ。ミキ的には、ちょっとした悩みだし」
「たしかにまあ、なんの関係もない──あれ、あるな」
 俺は首を傾げた。
「──あるの?」
「ああ、あるな。
 俺はプロデューサーである前に、エンターテイナーだ。あいにく、俺の選んだ生き方だからな。こればっかりはどうしようもない。つまらない顔をしている奴が許せないんだ」
「その生き方、疲れない?」
 ちょっと本気で心配された。
「そんなことは、考えたこともないな。
 ──美希。
 つまらなくなったら、俺の隣にいろ。
 それなら、手の届く範囲で笑わせてやる」
「………………………」
 美希は、呆然としていた。
 その後で、「あは」と、小悪魔じみた表情で、こちらの顔を覗き込んでくる。

「………もしかして、口説いてる?」
「そういうセリフは、あと数年してから行ってくれ。じゃあ、行くか」
「そうだね」

 いつまでも、話しているわけにはいかない。

 876プロダクション。

 ──さて、なにが出てくるか。









[15763] stage3 Mind game 4
Name: 塩ワニ◆edd3c1be ID:9f5383e3
Date: 2010/04/22 21:13








 876プロダクション隣の居酒屋のメニューは、手羽先が一級品だった。
 辛みと塩のバランスが絶妙で、これを酒の肴に、ビールがいくらでも飲めそうだ。チェーン店とは違う、個人経営の居酒屋である。壁もボロボロと剥げかけているし、畳にも汚れが目立つ。
 まあ、落ち着くといえば落ち着く。
 街に必ず数件はある、昭和の匂いを色濃く残した居酒屋である。

 尾崎玲子との一年ぶりの再開を祝う意味で、876プロダクションに残っていたアイドルを連れて、ここで一杯ひっかけることになった。
 美希といえば、テーブルの上のカセットコンロの火を調節して、鍋が煮えるのを待っている。豆腐やら水菜やらキャベツやらもやしやら肉団子やらが、辛味噌と一緒に、ぐつぐつと食欲をそそる匂いを放っている。
 辛味噌鍋は、ビールと合う。
 いくつか年齢を重ねなければ分からない、世界の真理である。

「はっ、カネゴンは年寄り臭いデスねっ」
 そんな俺に、横から茶々をいれてくる声がひとつ。
「……ああ、一気に酒がまずくなった。なんで仕事でまで、お前の顔を見なきゃいけないんだ」
「ふぎぎぎぎっ!! 痛い痛いッ!!」

 俺はテーブル越しにサイネリアのおさげを引っ張ってやる。
 彼女はいつものムービーチャットの画面越しではなく、ちゃんと俺の目の前に座っていた。
 この娘、電子生命体の一種かと思っていたが、ちゃんと実体もあるらしい。
 なお、昭和の雰囲気漂うこのボロっちい居酒屋に、彼女のゴスロリ姿が浮きまくっているが、そんなことは別に言わなくてもわかるだろう。

「髪を引っ張らないでクダサイよっ」
 876プロダクションに、鈴木彩音(すずきあやね)の名前で登録されている彼女は、そう呟いた。
 ──本名がマトモだ。
 たしかにサイネリアなんて名前でデビューするアイドルなんていない。ユニット名じゃああるまいし。
 まあ、こいつの歳が、18歳だったのは意外だったけれど。
 まさか絵理より3つも歳上だとは思わなかった。

 俺より4つ下なだけか。
 年齢を排したつきあいができるのもネットのいいところなので、まあいいか。

「こんな時間に未成年を連れ回すのは、労働基準法に違反してると言おうとしたが、18歳ならいいのか別に」
「むしろ。そちらの方が問題じゃない?」

 尾崎さんが、美希を示して見せる。

「いや、美希はアイドルじゃあないからいいんだ」
「え、そう。じゃあ、なんなの?」
「釣り餌。ワークスプロダクションを食いつかせるための」
「あなたは、またロクでもないことを」
「あー、おにーさんは、みんなにロクでもないことをしてるって言われてるね」

 鍋が食べ時になった。
 辛みで、ほどよく赤く染まった鍋から、よく煮えた具を取り出す。

「あと、鈴木さん。夜遅いんだから、脂っこいものは控えなさい」
「鈴木ってゆーなっ!! 言われなくても、手羽先は全部ロン毛にあげマスよ。はっ。ロン毛の体重が、マッハでやばげデスね?」
「う」
「酒ばっかり呑んでるから、肝臓がフォアグラになるんデスよ。ほらほら、注いであげるからビールをタプーリ呑むとイイデス」

 サイネリアが尾崎さんのグラスにビールを注ぐ。あ、尾崎さんが落ち込んでいる。相変わらずこの人のメンタルは豆腐同然だなぁ。
 このふたり、仲がいいのか悪いのか。

 美希の方を見てみると、他の876プロダクションのアイドルと話し込んでいた。日高愛。それに秋月涼。あちらはあちらで仲良くできるのはいいことだった。

「インターネットって、なにかしら?」
「なんなんだか、急に?」
「絵理と、それに鈴木さんとの距離の取り方が、どうもわからなくて」
「……インターネットってのいうのは、ただの場所だろう。それ以上でもそれ以下でもない」
「デスね。遊び場デス」
「そうなの?」
「それは尾崎さんのほうが、よくわかっていると思う。想いが伝わりにくいとか、誤解が生じやすいとかあるけど、そんなのはあると思うけど」
「そう」
「天海春香の提案に、どんな話をされたんだ?」
「──ただの取引よ。あなたとの対決に勝てば、ワークスの専属プロデューサーにしてくれるって。そう、すれば、もう一度やりなおせる。胸を張って、絵理を迎えにいけるわ」
 重い。
 ── 一気に、話が重くなった。
 彼女は、死にものぐるいで、この条件を勝ち取ってきたのだろう。
 昔から、この人は、仕事のない絵理を助けるために、一社一社に営業周りを欠かさなかった。才能でも人脈でもなく、地道に足で仕事を稼いでいた。

「サの字も、同じ意見か?」
「当然デス。センパイを引き戻した暁には、センパイと新ユニット『Viola』を結成するんデスよ。むしろ、最初からそういう約束だったのに、このロン毛がやるやる詐欺を」
「だったら、いまは絵理よりもあの『ミラーズ』のふたりのことに注目したほうがいいだろう。当面、プロデュースするのは彼女たちなんだから」
「心配ないわ。彼女は彼女たちなりの目的があるらしくてね。レッスンは真剣よ。あなたこそ、水瀬伊織と高槻やよいはいいのかしら。素人をそのまま出したって、『ミラーズ』のふたりには勝てないわよ」
「そうだな。考えておく」








 終電の時間前に、酒盛りは終わった。
 尾崎さんは代行を使って帰るらしい。俺は俺で美希を送っていかなければならない。帰りの駅のホームで、酔った身体を醒ます。

「大丈夫? 負けたほうが、絵理ちゃんのためになるんだよね?」
「そうだな。けど、馴れ合うつもりなんてない。いまさらそんなことで悩むぐらいなら、この仕事そのものをやっていないからな」

 アルコールのせいなのか、自分が饒舌になっているのがわかった。

「しかし、やっかいな相手だ。いくらか手の内は割れているし、プロデューサーとしての力量も確かだ。勝たないといけない理由を抱えているやつは、恐い」
「うん」
「勝つことだけなら、できるはずだけどな」
「そうなの?」

 美希が首をかしげた。
 
「いくら強敵だといっても、水谷絵理を抱えていない尾崎玲子なんて、そこいらの凡百プロデューサーと変わらない。あとは、如月千早を抱えていない金田城一郎が、どこまでやれるかの話だ」
 
 それよりも──
 問題は他のところにあった。なぜ、天海春香が絶対に負けられないような勝負で、尾崎玲子を引っ張り出してきたのか。

「それより、天海春香に、こちらのアドバンテージを即座に消されたのが痛いな」
「あふ。どういうこと?」
「そうだな。美希。おまえの中学校が、都内でも最大級の不良高だとしよう。そこらの生徒がヒャッハーと奇声を上げながら暴れ回っていて、まったく教師の言うことを聞かないような」
「いきなり、すごい例えだよね」
 そもそも中学校なの、高校なの、と美希は言う。
「クラスごとにガキ大将が闊歩しているような感じだ。さて、おまえがこのクラスを牛耳ろうと思ったら、どうする?」
「えーと、どうするって言われても。ひとりひとり番長を倒していく、とか?」
「それで、だいたいあってる。喧嘩を売ったからには、強いヤツを引きずり出さないと意味がない。俺がやりたいのは、素人同然のアイドルをプロデュースして、恵まれている環境のアイドルを打ち倒す。
 ──その図式だ。外様に勝っても、何の自慢にもならないのが辛いところだ」
「骨折り損のくたびれもーけ?」
「ああ、ワークスで一番のプロデューサーは、藪下幸恵だ。あれが出てくるのが理想だったんだが、うまくいかないな」

 ──と、ここまでの記憶はあった。
 飲み会での記憶があっても、どうやって帰ったのか記憶がない、というのはよく聞く話だったが、俺もたしかにそれに倣っている。
 気づいたら、アパートの一室だった。

「金田さん、お酒くさい?」

 絵理がいた。
 そういえば、深夜は彼女の活動時間だった。
 この娘、一日の半分を寝て過ごし、夕方に起き出し、深夜に散歩に出かけて、朝方寝始める。彼女はネットの世界を探索し、気に入ったものをアマゾンでポチッっている。

 なんか、どっかで見たような生活スタイルだと思ったら、思い出した。
 実家で飼ってた犬がこんな感じだった。

 今から、半年前に。
 
 水谷絵理というアイドルがいた。
 才能は、破格だったといっていい。
 Aランクは無理でも、Bランクまでは到達できただろう。アイドルクラシックトーナメントの優勝を目標としていて、それだけの実力はあったと断言できる。ビジュアルや歌だけでなく、クリエイターとして広範囲に展開される才能は、ファンの間で、今でも語りぐさになるほどだ。

 だが、ある日、突然に、彼女の担当プロデューサーである尾崎玲子は、彼女の目の前から消えた。

 そうして、同時に、水谷絵理は終わった。

 俺が彼女に会ったのは、そのすべての出来事が終わってからだった。
 俺も、事態を全部把握しているわけではない。
 いや、むしろ、ネットで話題になっている表面的な噂程度しか知らない。尾崎玲子に会わせるべきなのか、それさえもわからない。

 けれど──

『行かないでください』
『傍にいてください』
『……私を、見捨てないでください』

 今なら、ほんのすこしだけ、尾崎さんの気持ちもわかる気もする。俺は俺の夢のために、千早を切り捨てざるを得なかった。
 尾崎玲子の場合、いったいどんな葛藤があったのか。

「……金田さん。なにか、隠してる?」
「ん、そんなことはないぞ」

 危ない。
 絵理の勘の鋭さを、甘く見るべきじゃあない。
 ああもう、こういうの苦手なんだよなぁ。

 ──勝つ、俺にはそれしかできない。

 あまり多くのことを抱え込むと、パンクしてしまう。
 ひとまずは、高槻やよいと水瀬伊織。

 今は、このふたりの夢を叶えるのに、精一杯だった。
 






[15763] stage3 Mind game 5
Name: 塩ワニ◆edd3c1be ID:9f5383e3
Date: 2010/04/27 10:55






 ワークスプロダクションの歴史は浅い。
 
 今でこそ、伊織の実家である水瀬財閥がスポンサーにつき、ギガス、エッジ、ブルーラインと並ぶ四大プロダクションのひとつに数えられるが、そこまでの道は決して平坦なものではなかった。

 四つの事務所のうち、もっとも小規模ではじまり、四大プロダクションに名を連ねた順番も最後である。ワークスプロダクションが、どこにでもあるような弱小事務所だったころは、オフィスを借りることすら満足にできなかった。
 結果──それでどうしたかというと、他のプロダクションや会社と入居料を折半し、オフィスを四等分して使っていた。

 万事が万事その調子だったから、徐々に経営は傾いていき、名の売れてきたアイドルは余所の事務所に引き抜かれていき、最後にはアイドルはたったふたりしか残らなかった。

 天海春香と、小早川瑞樹。
 ふたりに、アイドルの素質だけは十分にあったのは、まだ救いだったろう。
 しかし、その市場に商品を放り込むまえに、芳しくないワークスの財政に、トドメを刺すような出来事が起こる。

 ワークスのプロデューサーを騙る男が、アイドル志望の女子高生に淫行を働くという事件が起こる。抱かれれば、アイドルとしてデビューさせてやるという口約束だったらしく、騙された女子高生の訴えと、ワークスからの被害届で、犯人はすぐにつかまった。

 しかし──そこからが問題だった。
 犯人は同じオフィスに入っている会社の社員であり、ワークス社員の机から、スカウトのために控えておいた名簿を盗み見て、獲物を物色していたらしい。なにせ、名簿には電話番号のみならず、顔写真までついている。ソレ系の人間から見れば、宝の山にすら見えただろう。
 うかつすぎる。
 ワキが甘いで済むような問題ではない。

 その事実を週刊誌にスッパ抜かれ、操業停止こそ免れたものの、ワークスプロダクションの、もともとそれほど高くもない評判は、地の底に落ちた。広いようで狭い業界である。
 再起不能。
 事務所は、たちまちに倒産の危機を迎える。もはやどうにもならない。

 しかし、当時の社長は、ここから逆転の一手に出る。
 自らは身を引き、自らの後身に元アイドルを指名したのだった。社長が女性なら、淫行問題の風当たりは弱くなるし、事務所のイメージもこれ以上汚さなくて済む。
 ここまで言えば、あとは言葉を重ねる必要もないと思うが、そこで白羽の矢を立てられた元アイドルというのが、西園寺美神である。彼女のビジュアルも相まって、ワークスプロダクションはギリギリで持ち直す。

 今でも現役のアイドルとして、なんとか通用しそうな歳の彼女が、社長に収まった経緯は、まとめるとこんなところだった。

 ──で。
 彼女の社長就任は、倒壊するワークスプロダクションを支えるつっかえ棒ぐらいにはなった。
 オブラートに包まずに言うと、あまり役には立たなかった。
 しかし──天海春香。小早川瑞樹。それに水瀬グループの支援もあって、ワークスプロダクションはここから業績を伸ばしていく。

 そして──

 時間を現代に戻す。
 今のワークスプロダクションは、その当時の勢力図を、そのまま維持している。社長の西園寺美神。副社長の藪下幸恵。そして、ワークスプロダクションのアイドルは、AからFまでのアイドルをすべて数えて、約五百人ほど。
 そのうち、Dランク以上ともなると、二百人やそこらだろうか。

 この二百のうちの約八割。
 つまり──百六十人ほどが、ワークスの三大派閥のどれかに属している。


 つまり、天海春香。
 それに、小早川瑞樹。
 そして、水瀬伊織。

 
 三人の派閥。
 このなかのどれか、──である。


 内訳は、BランクアイドルとCランクアイドルを中心に、天海春香が三十人ほどを集め、小早川瑞樹がグラビアアイドルを中心に、四十人。Cランクアイドルの残りと、Dランクアイドルを中心に、水瀬伊織が九十人ほどを統括している。

 そして、ワークスプロダクションにおける、最大の異質さは、この三大派閥にこそあった。ある一定以上のアイドルが集まれば、必然的に派閥が生まれる。
 ワークスの場合、利害でもなんでもなく、三人ともが自らの誇る絶大なカリスマによって、所属するアイドルたちの信頼と畏敬を勝ち得ている。対抗意識はあっても、深刻な衝突まではない。
 もとより、それぞれランクで派閥がだいたい決まっているので、仕事におけるトラブルも起こりにくい。

 天海春香と小早川瑞樹は、一度どん底を経験している。自らのプライドにかまけて、プロダクションの利益を損なうような真似はしない。水瀬伊織も、当然そんな馬鹿ではない。

 この三大派閥は、ある意味、理想的ですらあった。

「と、こんなわけだけど、アンタみたいな外様の入る余地はないんじゃないの?」
「余地がないなら、こじあけて作るまでだ。大した問題じゃない」
「大した自信ね」
「うううっ、責任重大かもです」
「なに言ってるのやよい。負けたところでこのプロデューサーひとりが、いつもどおり道を踏み外すだけよ」
「伊織。そこでいつもどおりとか言うな。まだ会って一週間だろうが」
「そうね。目の前の人間がどのくらい腐っているのか知るには、それなりに適当な時間じゃない」
「まあ、そんなものかな」
「ええと、プロデューサー。腐っているのは否定してほしかったような……」

 俺と伊織とやよいは、レッスンスタジオの一階にいた。
 すでに一日も無駄に出来ない。昨日、尾崎さんとの再会を祝った後、軽く寝たあとで、アルコールが抜けきらないままこっちに直行してきたのだが、なぜか太陽が真上にあった。不思議だなぁ。
 ──笑い事じゃない。
 絵理が移ったかもしれん。
 ふたりは俺がいない間も、きちんと自己レッスンを続けていたらしく、額に珠のような汗が光っていた。
 ふたりに、自販機で買っておいたジュースを渡す。
 伊織はオレンジジュースを、やよいはコーラを取った。
 天海春香は断りも入れず、俺の分の健康飲料を勝手に飲んでいた。

「………………」
「………………」
「あ、春香さん」
「こんにちはやよい。相変わらず元気いっぱいね。そっちのふたりは、アホ顔を並べてどうしたの?」
「いきなりどこからか沸いてきて、最初に言うことがそれ?」
「いいじゃないの。ごきげんようこんにちはなんて挨拶する間柄じゃないでしょう。私とあなたは」
「いいからまず用件を言いなさいよ。わざわざ呼び出しておいて」

 そうなのだった。
 今日のところは、伊織やよいとミラーズの、対決の子細を決定するために呼び出された。

「ええ、対戦相手はそのまま『ミラーズ』の雪菜高菜ペア。担当プロデューサーは、尾崎玲子。ここまでで、なにか質問は?」
「これ、元々は西園寺美神と俺の勝負だったはずなんだけどなぁ。その西園寺社長は反対しなかったのか?」
「お姉ちゃんが、反対? したわよ。それがどうしたの?」
「──で、お前が勝ったのか?」
「ええ、だって尾崎玲子ともう契約を結んじゃったもの。お姉ちゃん、違約金の額に泡を吹いていたわ。お姉ちゃんの薄給じゃあ払えるはずがないものね」
「ええと、あの人、社長だよな」

 尾崎さんはフリーのプロデューサーなので、彼女の給料は天海春香個人が出しているはずだった。普通の事務所で抱えるような派閥トラブルがない代わりに、周りの人間はこうやって被害を受けていくわけだ。

「それじゃあ──細部を詰めましょうか」

 揺るぎもせず、天海春香は言った。








「ルールは、プラチナリーグ公式の投票制。
 五試合やって、三試合を先取したほうが勝ち。それで決着が付かなかったら、延長戦になだれ込む。引き分けはなし。
 審査員は、三浦あずさ、天海春香、あと一般審査員が十人。投票数で、三ポイント以上の差がつけばそっちのユニットに一勝が入る」
「二ポイント以下なら、どーなるんですか?」
 やよいの質問。
 俺はルールをまとめたメモに視線を落とす。

「引き分けだな。どっちにポイントは入らない。
 ただ、柔道の有効と同じだ。『一本』には勝てないが、最終的に、どちらも三勝を挙げられなかった場合、最終的にポイントの多い方の勝ちとなる」
「それ、泥仕合になりそうなルールね」
「それが目的だからな。そこは、俺が押し通した」
「それでいいわけ? 大物喰い(ジャイアントキリング)の鉄則は、短期決戦でしょ」
 伊織の指摘は、鋭いところをついていた。
 ジャイアントキリングは、元々サッカー用語であり、格下のチームが格上のチームを打ち破ることを指す。

「別に、今回は格上が相手というわけでもない。なら、プロモーションの時間は多い方がいい。手持ちは、八曲だったか。俺のプランなら、なんとか間に合うだろう」

『GO MY WAY』
『私はアイドル』
『ふたりのもじぴったん』
『おはよう!! 朝ご飯』
『i』
『HERE WE GO』
『ドューユーリメンバーミー』
『メリー』

 以上、八曲。
 すべて、他のアイドルと歌手のカバー曲だが、未だプラチナリーグで一勝も挙げていない非公式ユニットが、これだけのレパートリーを持っているのは異常だった。
 
 努力だけは、人並み以上にこなしているらしい。

「それで伊織。報告だが、この条件を通す代わりに、あっちからの提案があった。あっちが勝ったら、美希だけでなく、伊織──おまえも欲しいってな」
「ああ、やっぱり?」
 あれ、反応が違う。
 勝手にそんなことを決めて、なに考えてんのよ、と罵声の速射砲を浴びるぐらいは覚悟していたのだが、伊織にとって、それは予想の範疇だったらしい。
 
「もしかして、ミラーズと伊織って、仲がいいのか?」
「え、なにその質問。だって、その『ミラーズ』っておでこちゃんの取り巻きだったんでしょ?」
 と、いつのまにか合流している美希からの質問。

「C級アイドルはなぁ、売り出し駆けのD級アイドルの次に態度が悪いからな。変にプライドが高くなる時期なんだ。
 ──ってわけで、権力を笠に着るようなお嬢様は、内心舌を出されてる、というのがイメージだったんだがな。実のところ、さっきミラーズの片方に会ったんだが、伊織さんのプロデューサーだからと、すごく丁寧に挨拶してくるんだ。本気で慕われてるみたいでな」
「アンタ、そこはかとなく、すごい失礼なこと言ってるわよね」
 そこに、怒気はない。
 ──代わりにあったのは、困惑か。

「なんか、ホントに慕われてるみたいなのよね。私」
 伊織は、複雑そうな顔をした。
 苦笑いだった。

「なんかやったのか?」
「別にたいしたことはやってないわよ。
 あの子たちがEランクの時に、横暴なDランクアイドルにいじめられてたから、助けてあげたのよ。まあ、ついでに宝くじで当てた一億円で、気分転換にって、ショッピングに付き合わせたあたりかしら、あの子たちの態度が変わったのって」
「………一、億?」
「まあ、二時間で全部なくなっちゃったけど」
 水瀬伊織の感覚は、庶民からかけ離れすぎていて、訳が分からない。こいつ、カリスマのみならず、常軌を逸した幸運まで備えているらしい。

「いや、一億って、なにに使ったんだ?」
「え、宝石よ。店で、ショーウィンドーを指さして、ここからここまで、一億円で買えるだけちょうだいって」
「あ、あわわわわわ」
 初耳だったのだろう。
 やよいが、口からエクトプラズムを吐いている。


「もったいなくないか。それ?」
「どうして? 欲しいものを買ったんだから、もったいなくないでしょ? 高菜と雪菜も同じ質問をしてきたけど、わけがわかんないわね」
「俺にはお前が訳わからねえよ」
 スケールが違う。
 まあ、さっぱりしている分、扱いやすいことは間違いない。
 千早は、さんざんにめんどくさかった。機材の質ひとつにこだわって、あちこち駆けずり廻されるよりはよほどマシだ。

「しかし、胃が痛くなるな。伊織をどうやって営業廻りに連れて行けばいいんだ? お偉いさんと引き合わせた瞬間、俺の首が飛ぶぞ」
「あの、伊織ちゃん。そういうのカンペキですよ」
「む?」
「はいっ。はじめましてよろしくお願いします。新人アイドルの水瀬伊織ですっ。超世界的スーパーアイドルとしてがんばりまーす。応援よろしくおねがいしますねー、って──こんなのでいいの?」

 猫撫で声で、彼女は優雅に一礼した。
 伊織がパーティー会場で見せていたような、完璧な礼儀作法。

「お、おでこちゃん。なんか気持ち悪いよそれ」
「うっさいわね。じゃあアンタがやってみなさいよ」
「うーん。あふぅ。星井美希だよ。アイドルって、なにするかわかんないけど、ミキ、きっとセクシー系のお芝居ならできると思うな」

 棒読みで台詞を言うと、美希はこちらに、ずいっと胸の谷間を寄せてきた。暴力的なまでの胸の谷間が、目の前にアップになる。
 ──やばい。この絵面はまずいっ。

「ちょっと、それ反則でしょ!?」
「え、どうして。おでこちゃんもやればいいのに。あ、おでこちゃんだと無理か」
「い、いちいちむかつく反応するわね。アンタ」

 美希と伊織がぎゃーぎゃーと言い合いをはじめた。
 仲がいいなぁ相変わらず。

「……プロデューサー」
 一歩引いて、やよいがぽつりと呟いた。
「負けたら、伊織ちゃんが遠くに行っちゃうんですよね」
「そうだな。けど、俺は勝つぞ。勝てば問題はない」
「うん。勝たなきゃ──うん」

 凄絶なまでの決意。
 それが、やよいの気の毒なほどにこわばった表情から、透けてみえた。

「なにか、言ってあげなくていいの?」
「ん、美希。喧嘩は終わったか。なにか、ね。──なにかってなにをだ。アイドルが、ステージに立つ以上、決意だけは、自分のなかから絞り出さないといけない。俺がやることは、もう終わっている。あとは、高槻やよい次第だ」
「ミキは──」
「ん?」
「ミキにできることって、なにもないんだよね」

 美希は、伊織とやよいの関係と通して、なにか別のものを見ているようだった。
 どこか自分の立ち位置を迷うような寂しげな声が、彼女の口の端に、溶けていった。









[15763] stage3 Mind game 6
Name: 塩ワニ◆edd3c1be ID:9f5383e3
Date: 2010/04/28 13:26







「おいおい、聞いてないぞ。こんなの」
 プロデューサーの、固い口調。
 会場一杯に敷き詰められたような人たちの熱が、こちらまで伝わってくるようだった。

 舞台には緞帳が降りている。
 私がその隙間から客席を覗いてみると、三百人を下らないような人の群れが見えた。

 この市民ホールなら、ちょうど席が埋まるぐらい。
 私たちの対決のための、おそらくは観客なのだろう。
 隣では、やよいが私の右手をがっちりと掴んでいた。捕まれた指から、かすかにやよいの動揺が伝わってくる。
 
 無理もない。
 私だって、頭のてっぺんから、背筋までに震えが来ている。ある一定数を超えた人の視線というのは、きっと暴力に近い。

 それを克服するための──

 経験も。
 場数も。
 ──きっと、今の私たちにはないものだ。

「不安か?」
「少しだけ、ね。まあ、将来の私の下僕たちが大挙してきてると考えればいいのよね」
 反射的に、胸を張ってみる。
 プロデューサーには、見抜かれているだろうけれど。三百人。Dランクか、Eランク程度の集客数ではある。うん、なんてことはない。どのみち、これを踏み越えなければ、アイドルになんてなれない。

「なに、無理もない。
 誰だって、本番は怖い。
 克服するには、千早のように機械になるか。あずささんのように悟りを開くぐらいしかない」
「で、なんなのこの客」
 私は、客席を指さした。
 適当に告知したわけでもないだろう。明らかに、外見がソレ系の野郎たちばっかりだった。

「午前中に、ミラーズのサイン会があって、そのついでで集められたそうだ。
 一応、抗議はしておいたがな。『アイドルは見られることが仕事だろう。なにか問題があるかい?』──と、言われてな。それを言われたら仕方ない。
 たしかに、問題はないんだよ。
 観客が勝敗を決めるわけじゃない。
 一般審査員は、色眼鏡のないのを、ちゃんと十人用意するって言ってたしな」
 それに──
 と、プロデューサーが付け足す。
 
「ここまでやる以上は、一般審査員は、文句がつけられないぐらい公平に選んでくるだろうから」
「──ちょっとプロデューサー。
 話が繋がってなくない?
 じゃあ、なんで西園寺社長は、そんな嫌がらせすんのよ。いくら観客がいたって、勝敗に影響ないんでしょ?」
 私が口にしたのは、ごく当然の疑問だった。
「いくつか理由はあるな。
 たとえばだ。
 こっちのアイドルは、所詮、ふたりとも経験ゼロの素人だ。
 こういう不確定要素が入ると、アクシデントも起きやすくなる。あとは──」
 少し、考えるように。
 口を開く。
「一般審査員は、ほんとに一般人だから。場の雰囲気に流されやすい。たとえ、お前らの方がよかったと思っても、ミラーズの方に歓声が集まっていたら、どうなると思う?」
「あ、思わず、ミラーズの方に票入れちゃうかもです。たいした商品じゃないってわかってるのに、人だかりがあると、ついつい買ってしまう庶民の心理を知り抜いた、恐ろしい作戦ですー」
 横で、やよいが戦慄していた。

「ああ、そういうことだ。やよいは賢いなぁ」
「えへへ」
「やよい? それはきっと褒められてないわよ」
「え?」
 やよいが首を傾げた。
 とりあえず、私の突っ込みはやよいに伝わってないらしい。

「勝利するのは当然として、負ける乱数も完全に排除しにきてるな」
「あうぅー。大変ですー」
「まさに、絶体絶命だな。さて、どうしたものか」
 無言。
 空気がじわじわと重くなってくる。

「プロデューサー。他人事みたいですよ?」
「それで、どーするのよ。なにか良い材料とかないの?」
「なに言ってる。
 それこそ他人事みたいだな。
 やれることはもうやっている。どっしりと構えていろ。仕掛けは、もう終わっている」
「わかったわよもう」

 私と、やよいだけが残される。
 最後にスタッフとの打ち合わせがあるというプロデューサーを見送ると、視界に今日の対戦相手の姿が見えた。

「──雪菜?」

 眠そうな顔をした双子の片割れが、舞台から近づいてきていた。
 すでに舞台用の衣装に着替えている。
 芦川雪菜。
 双子のやる気なさそうな方の対戦相手は、こちらに向き直るとぺこりと頭を下げた。

「あ、伊織さん。本日はよろしくおねがいします」
「ええ、そうね」

 続けて、姿を見せたのは、もうひとり。
 芦川高菜。

「あ、伊織さん。おはようございます。
 それと、身の程知らずのFランクアイドルも。
 あなたがどうなろうと知ったことじゃないけど、伊織さんに恥だけはかかせないで」
 卑屈な笑みだった。
 私は、
 怒鳴りたい衝動を抑え込むだけで、体中の力のほとんどを使い果たさなければならなかった。

「余計なことはしなくていいわ。
 やよいとの関係は、私が決めるから」
「でも、伊織さんほどの人が、どうしてFランクのこんな子なんかと………」
「二度も言わせないで、やよいとユニットを組むって決めたのは、私よ。文句があるなら、私に言いなさいよ」
 私の言葉に、高菜が気色ばむ。

「私たちより、そのFランクアイドルの方が上だとでも……」
「なに言ってるのよ?
 それを、これからはっきりさせるんでしょ」
「……じゃあ、私たちが勝ったら、伊織さんは、こちらに来てくれますか?」
 余裕を取り払った、真剣な顔だった。
 まったく、人気者の宿命としても、こうまで執着されると、迂闊に断ることもできやしない。

「それを含めて、今日のステージではっきりさせるわよ。私たちが負けたなら、そっちの条件を全部、呑むわ」
「いいんですか? 私たち、本気でやりますよ?」
「当たり前でしょ。
 誰が手を抜けだなんて頼んだわけ? あとでゴネられてもかなわないしね。全力で来なさいよ」
 それだけ言って、ようやく高菜は満足してくれたらしい。
 やよいへの興味も失せて、あとはただ純粋に勝敗のみに拘ってくるようだった。

「やよい。大丈夫?」
 俯いたままのやよいの表情は、なにかを堪えているように見えた。
「あんなの気にすることないわよ。なに言われても、ステージで結果を残せば、雑音なんて全部消えて無くなるから──」
「──もう、いいの」
「え──?」
 わからなかった。
 やよいが、
 なにを、言っているのか。
 なにを、言おうとしているのかが。

「伊織ちゃん。
 行きたいなら、雪菜さんと高菜さんのチームに行っていいよ」
「なによ。──ソレ」
 最初──
 なにを言われたのか、わからなかった。
「だって、伊織ちゃんには、それが選べるんだから」
 無理矢理に、絞り出したような笑顔だった。
 
「やよい。それ、どういう意味よ」
 やよいはこちらを見ようともしない。
 淡々と、噛んで言い含めるように、私に語るようだった。

「伊織ちゃん。やさしいから、私に同情してくれたんだよね。でも、もう十分だから。私は、これ以上伊織ちゃんの重荷になりたくない……」
「なによ、それ。
 諦めるの?
 アイドルになるって夢も、今までやってきた努力も、全部放り投げて、私は『ここまで』頑張りましたって言うわけ?」
 私は、まくしたてた。
 もう止まらなかった。

「──それで、誰が認めてくれるのよ。
 ううん、やよい自身、それを認められるの?
 ねぇ、やよい。本気で言ってるの?
 本気で、私が同情なんてつまらない感情で、やよいと組もうと考えたなんて思ってるの?」
「いいよ。もう十分だから」
 泣き笑いのような表情。
 わかってしまった。

 もう──
 私の言葉は、やよいには届かないのだと。

「もう、考えは変わらないのね」
「うん──」
「そう」
「もう、いいの」
 空気に、耐えられなかった。
 結局、私のやったことは、ただの金持ちの、お嬢様の道楽で終わってしまったらしい。
 なら──
 仕方ない、か。
「──だったら」
 扉に手をかけた。

「私には、もうなにも言うことはないわ」

 ──分厚い扉が、私とやよいを隔絶する。
 この扉のように、分厚く重い壁が、私とやよいの心を切り離していた。













「やよい。まだ座り込んでるわけ? まずは着替えてきなさいよ」
「あ、あれ? 伊織ちゃん。その格好は?」
 やよいが、涙に濡れた瞳を擦りながら、目を瞬かせていた。

 私といえば、コンサート用に着せられた衣装から、すでに私服に戻っている

「当たり前でしょ。あんなごてごてした衣装で、逃げ切れるわけないもの。
 あの腹黒プロデューサーに見つかったら、またなにかの取引材料に利用されるに決まってるしね。新藤に言って、迎えは呼んであるから、どうやって警備員とプロデューサーの目を誤魔化して玄関まで逃げるかがポイントね」
「あ、あの──伊織ちゃん。その言い方だと、伊織ちゃんも一緒に逃げるみたいに聞こえるんだけど……」
「なに言ってるのよ。このまま、やよいひとりにできるわけないでしょ。
 最後まで付き合うわよ。どうせ、アイドルを目指すのも、今日で最後だもの──」
「え──?」
「こういうところって、出入り口が限定されてるのよね。非常口とか使うと、やっぱり目立つかしら」
「あの、伊織ちゃん。最後って、なに?」
「あのね、やよい。
 かわいくて、頭も良くて、パーフェクトなこの伊織ちゃんが、最高でカンペキなのは、人類発祥時からの普遍の定理じゃない。その私が、わざわざアイドルなんてやるはずもないし、やる必要もない。そうでしょ」
「……ええと、そう、なのかな?」
「だから、仕方ないじゃない。やよいが諦めたんなら、私もアイドルを続ける理由もないし」
「伊織ちゃん。それ──」
 やよいの抗議を、私は言葉で終わらせた。

「私は──他の誰でもない、高槻やよいを選んだの。
 それを決めたことに、後悔はないもの。
 ううん。間違っていないって、全部終わっちゃった今でも、そう思ってるから」
「そんな、私、伊織ちゃんになにもしてあげられてないのに」
「──ねぇ、やよい。
 この間、プロデューサーに聞いた話なんだけど。

 偶像(アイドル)ってね。
 目指すために、ひとつだけ条件があるんだって言ってた」
「え?」
「それはね。

 ──誰かに、憧れることができること。

 例えば、それはテレビの向こうで歌うアイドルだったり。
 こうなりたいって願う、未来の自分だったりするんだって。

 天海春香は、西園寺美神に憧れた。
 如月千早は、きっと三浦あずさに憧れた。

 それと同じように──水瀬伊織は、高槻やよいに憧れたんだから」
「………………」
「だから──私にとって、一番大切なものがやよいだった。それだけのことよ。
 私が憧れたやよいは、そんなに弱くないって信じてる。
 だから、私たちの夢がここで終わってしまっても、自分を嫌いにだけはならないで。
 ──私は、やよいの笑顔が大好きよ。
 だから、やよいには──ずっと笑っていてほしいの」

「……伊織ちゃん。やめてよ」
 やよいは、ようやく、口を開く。

「私、そんなに強くない──。
 こんな状況で、脳天気にヘラヘラ笑えるほど、強くなんて──ないから」
 やよいは、笑いかけてはくれなかった。
「うん。まあ、そうよね」
 私は、一息ついて続ける。
「いつも笑ってるなんて、できるわけないわよね。それが、やよいの、ほんの一部分だってこともわかってる。
 でもね。
 私は──そんなやよいに憧れたの。
 たった数人の前で歌ったような、ほんの小さな小さなステージとも呼べないようなものだったけれど、いつか、私もあんな風に歌えたらなって。

 ──やよいは、私に、一緒に歌おうって、そう言ってくれたわよね。

 だから、私は何度だって言うわよ。

 どんな絶体絶命な状況でも、私の可愛さと、やよいの笑顔があれば、私たちは無敵でしょ。
 知ってると思うけど、私は嘘なんてつかないわ。
 やよいと組めば、Aランクだって楽勝って信じてる」

 ──本心だった。
 なにひとつ偽りはない、私だけの真実だった。

 だから──
 それは私だけが知っていればいいことだと思う。私のエゴで、やよいの気持ちを犠牲にする必要はないはずだ。

「やだよ。………できないよ」
 震えていた。
 身体を抱くようにして、やよいが座り込む。
「やよい。私は、やよいになにかを強制しようなんて」
 ──違う。
 触れる温度。
 やよいの手が、天に向かうように、私の左腕に伸びていた。

「──五分だけ……時間をちょうだい……」
 聞き取れないぐらいの音量で、やよいが囁いた。

「ダメだよ」
 逃げようとしているわけ、ではない。
 それは、なにかを決意したような、硬質な声。
「ダメだよっ!! 
 やっぱり、このまま終わりたくなんかないよっ!! 伊織ちゃんと、ずっと一緒にいたいよっ!!」
 みっともなくて、
 泣きはらした目で、
 ぼろぼろになって、──高槻やよいは私の胸に顔を埋めて泣いていた。
「──やよい」
「伊織ちゃん。こんな私でも、いいかな?
 今も恐いけど、逃げ出したいけど、伊織ちゃんに寄りかかっても、いいかなぁ?」
「当然でしょ。
 やよい以外に、私の隣を任せるつもりなんてないわよ。覚悟しなさい。今さら嫌だって言っても、もう離してなんてあげないんだから」
「──うん」

 一瞬の永遠。
 ──こんな時間は、いつまでも続くと信じたかった。

 逃げたい気持ちは、私だってある。
 今日の試合の結果で、こんな時間も断ち切られる。
 
 賭けの内容は、私のミラーズへの移籍。
 正直に言えば、高菜と雪菜と組むユニットでも、そこそこのランクまで行けると思う。きっと、Bランクだって手の届くところにあるはずだ。
 でも、おあいにくさまで。
 私の辞書に、『そこそこ』とか『それなり』なんて単語は載ってるはずがない。

 目指すべきは、頂点だけ。
 そう。
 私が私であるために。

「ん?」
 携帯が鳴っていた。
 プロデューサーからだろう。
「もしもし。ああ、ステージがはじまる? ──わかったわ。余計なお世話よ。アンタはステージのことだけ考えてなさい」
 想像通りのことをいうプロデューサーを、軽くあしらっておく。

「じゃあ、行くわよやよい。
 観客が、私たちのステージを待ちこがれてるわ」
 やよいの手をとる。

 繋いだ手が確かなら──



 ──私たちは、どこまでだって行ける。










[15763] stage3 Mind game 7
Name: 塩ワニ◆edd3c1be ID:9f5383e3
Date: 2010/04/29 22:14


「ここ、いいかしら」
「ああ、西園寺社長か。どうぞ。俺に断る権利なんてあるはずないしな」

 金田城一郎は、ずいぶんと落ち着いていた。
 用意は、おそらく万全なのだろう。
 きっと、私たちと同じように。

 春香がどこからか連れてきたフリーのプロデューサーは、仕事はできるようだった。互いに目的があるようで、高菜雪菜のふたりとは、すぐに気があったようだった。
 認めるしか無かった。
 春香に、無理矢理に押し切られるカタチで、認めることになってしまった。
 社長としては、部下に任せられることは、任せたほうがいい。あまり前に出ないほうがいい、それは頭ではわかっている。如月千早を、横からかっ攫われたことは、一日だって忘れたことはない。
 それでも、これは私の喧嘩として、ステージに立ちたかった。
 立場上、もうそれは叶わないのだけれど。
 
 ざわめきが止まった。
 昭明が切られる。
 舞台の幕が開き、一曲目が始まる。

 『HERE WE GO』。
 好きな人に、自分を見てもらいたいという、女の子の気持ちを描いた、典型的なアイドルソングだった。

 驚いた。
 どんな魔法を使ったのか、素人の水瀬伊織と、Fランクの高槻やよいを、まともに戦えるレベルにまで引き上げていた。
 曲に合わせて、くるりと一回転。
 両腕を抱え込むような振り付けから、両手を外側に。
 歌詞に合わせて両手を握る仕草に、なんの迷いもない。

 半身になって、首を振る。
 スピーカーから流れ出す合いの手に合わせて、サビに入る。
 左右対称に、
 それでいて、不自然にならないように、変化をつけて。

 水瀬伊織。
 高槻やよい。
 最悪だと思っていたチームワークに、なんの曇りもなく。

 ふたり。
 自らに寄り添うように、歌を歌っている。

 ──いい歌だ。
 私は、これを、いいステージだと、思ってしまった。
 
 なんの不安もなく、心を重ね合わせて。
 心のままに、ふたりの波長を刻んでいる。

 それでも──
 それでも、よく見れば、素人目にもわかるぐらいの、ぎこちなさがあった。
 ああ。
 付け焼き刃だ。
 プロの目から見れば、数え切れないぐらいの欠点がある。減点方式で採点するタイプの審査員には、かなり受けが悪いだろう。

 けど。
 けれど──
 そのすべての欠点を差し引いても、人の目を惹き付けずにはいられないような、輝けるものが、彼女たちにはあった。

 ──才能は、努力を上回る。
 ほんの少しだけ、人の目を惹く。
 この業界に必要な才能は、極論すればたったそれだけだ。

 容姿でもいい。
 歌でも良い。
 特技でもいい。
 トークでもいい。

 なにかひとつでいい。
 人の目を惹く要素があれば、それだけでアイドルとしては一級品になれる。
 それを、才能と呼び、才無き者と比較した場合に、歴然とした結果として表れる。

 幾多の困難を乗り越えて、そこそこ大きなオーディションに合格したアイドルがいたとしよう。
 けれど──
 たいていの場合、そんなアイドルは、中級スカウトマンが街でスカウトしてきたアイドルの足下にも及ばない。

「──すごく、いいステージね」
 ぽつり、と声が出た。
「なんだ社長さん。皮肉かそれは」
「いいえ、本心よ」
 横を向く。
 水瀬伊織と高槻やよいのプロデューサー。
 金田城一郎が、パイプ椅子の座り心地を気にしていた。
 私たちがいるのは、審査員席のすぐ傍。会場でいえば、右端だった。一メートルも離れていないところに、三浦あずさ、天海春香の席があり、それからこの会場の職員たち、十人を審査員として招いている。

 
 そして、一曲目が終わる。
 会場全部が、夢から醒めたように。
 高槻やよいが、転びそうになりながら、一度ステージの横に消えていった。

 続けて、ミラーズの一曲目(オープニング)が始まった。
 ライトが、切り替わる。
 世界が、赤から青へ。
 
『GO MY WAY』

 おそらくはアイドルの歌の中で、もっとも有名な歌。この曲が入っていないコンサートは、アイドルのコンサートではない、という風潮すらあった。
 そして、ミラーズがもっとも得意とする曲だった。

 すでに、定番となった曲。
 耳に馴染んだイントロダクション。
 フレーズを口ずさみ、オリエンタルブルーの世界へと溶けていく。
 
 ──奇襲。
 そういっていい。ドラムの爆音が大気を打ち鳴らす。最初から、余力など残さない勢いで踊っている。双子の踊りが、左右対称のシンメトリーをかたちづくる。
 水瀬伊織と高槻やよいのステージには、初心者としてのぎこちなさを隠せなかっただけに、この印象は強烈だろう。
 勝てる。
 彼女たちには、それだけの魅力がある。
 なにも間違っていない。

 雪菜と高菜は、この一曲で、観客を恋の虜にするステージを見せた。












 ハニーキャッツ(水瀬伊織、高槻やよい)、
 投票数4
 ミラーズ(芦川雪菜、芦川高菜)、
 投票数8

 結果は明らかだった。
 ミラーズの勝ち点は、これでひとつ。
 あと二勝でこちらの勝ちだった。この一勝は奇襲に近い。二度は通用しないかもしれない。
 それでも──
 この一勝には、他に代え難い価値がある。

「世の中には、実力のない者が、実力のある者に勝つ例なんて、いくらでもある。そうよね」
「ああ、まったくだ」
「でも──野球でも、サッカーでも、ううん、アイドルのステージでも、実力で劣る者が、自分より実力のある相手に勝つ方法なんて、ひとつしかない。なんだかわかるかしら?」
「まあ、だいたい想像はつくが。
 ──とりあえず拝聴しようか」
「ええ、それはね、奇襲よ。
 予期しない事態に、強者はいつもの力を発揮できないまま、ずるずると負ける。
 ジャイアントキリングの絵図は、いつもこうよ。

 だから──もうこの一勝で勝敗は決している。
 あなたたちが初戦に勝てなかった以上、もう私たちに負けはないの。私たちに、油断なんて入る隙間はないしね」
 
 高槻やよいと水瀬伊織が、ここまで質の高いステージを演じてくるとは計算できなかった。けれど、その計算できなかった誤算を踏まえてなお、私たちは一勝を挙げた。
 だから──。
 もう、負けはない。
 私は、渡されたプログラム表を、見る。即席で作ったそれは、運動会のプログラムのように安っぽいものだった。まあ、社長である私としても、こんな私事に金は使えない。
 この会場だって、水瀬伊織の好意で貸して貰ったものだし。

 まあ、入場料もとらない小規模のステージなら、こんなものかもしれない。プログラム表には、ルールの説明と、投票の説明、それにこのステージを行うことになって理由が、かいつまんで書かれていた。
 まあ、それはいい。
 そして、大切なのは、このステージの曲順だった。
 こうある。



 ユニット名。
 『ハニーキャッツ(水瀬伊織、高槻やよい)』

 一曲目 『HERE WE GO』
 二曲目 『ドューユーリメンバーミー』
 三曲目 『ふたりのもじぴったん』
 四曲目 『i』
 五曲目 『メリー』

 延長戦用。
 六曲目 『バレンタイン(オリジナル)』
 七曲目 『私はアイドル』
 八曲目 『GO MY WAY』



対して、

 ユニット名。
 『ミラーズ(芦川高菜、芦川雪菜)』

 一曲目 『GO MY WAY』
 二曲目 『OVER(オリジナル)』
 三曲目 『思い出をありがとう』
 四曲目 『微熱SOS』
 五曲目 『夢見るシャドウ(オリジナル)』

 延長戦用。
 六曲目 『YES♪』
 七曲目 『私はアイドル』
 八曲目 『モノローグ』





 そして、それぞれの二曲目が終わる。
 審査員の評定は、またしてもミラーズ8、ハニーキャッツ4。
 これで、二勝目。
 三勝を挙げた方を勝者とする条件だった。実力を加味すれば当然といえる、ワンサイドゲームだった。
 三戦目。
 ハニーキャッツ
 三曲目。『ふたりのもじぴったん』
 ミラーズ。
 三曲目『思い出をありがとう』

 審査員の評定は、
 ハニーキャッツ 5
 ミラーズ    7
 
 三ポイント以上の差がつかなかったために、決着は持ち越しとなった。
 そのまま、四戦目と五戦目が過ぎる。
 スコアは共に、ハニーキャッツ5,ミラーズ7だった。
 状況は、なにも変わらない。
 相手の持ち出した条件では、泥試合となるのはわかりきっていた。だから、焦りはない。
 このままの状況は続くのなら、次で終わるからだ。

「さて、延長戦だな」
「ええ、そして次で終わりね」
「おい、延長戦を合わせると、八回まであるだろ」
「ちゃんとルール表を読むことね。延長戦は、一度だけよ」
 金田城一郎の認識を覆す。

「ほう?」
「延長を合わせても、最高で八戦。──もう六戦目なのよ。勝ちの条件を満たすためには、三勝が必要。未だに一勝もしていない貴方たちは、六戦目、七戦目、八戦目をすべて勝たなければいけない。もう、ごまかしはきかない。
 六戦目は、引き分けでも自動的に貴方たちの負けになる。それぐらい、わかっているでしょう?」
「あ」
 金田城一朗が、素で呆けたような声を上げる。
「気づいていなかったの?」
「ああ、言われるまでもなく、勝つつもりだったからな」
「ふぅん。この状況で、どんな勝機があると?」
 虚勢だ。
 それ以外にない。

「そうだな。あっちの狙いは、言うまでもない。短期決戦だ。例えば、ミラーズも、尾崎玲子も、わざわざ延長戦用に、練習なんてするかな?
 曲順を見ればわかるように、ミラーズは序盤にエース曲を投入している。最初ですべてを決めるつもりだった。ステージ自体に手抜きはなかったが、最初の三曲で、仕留めるつもりだったんだろうなぁきっと」
「………………」
 否定はできない。
 けれど、こんなものはミスに入らないはずだ。
 考え込む私を尻目に、金田城一郎は、携帯を取りだし、どこかに電話をかけていた。

「美希、準備はできてるか?」
『………………』
「美希?」
『くー、すぴー』
「寝るなよ。おい!」
『……あふぅ、だってー、もう三時間も待機してるんだよ。ここ、暗いし、つまんないし。そっち賑やかでたのしそうだし』
「出番は近いぞ。我慢してくれ。いちごババロア奢ってやるから」
『京月堂のやつね』
「わかったわかった」
『準備はおっけーだよ。曲のラスト近くで、電源切ればいいんだよね』
「ああ、タイミングは身体で覚えてるな?」
『うん。やよいとおでこちゃんも頑張ってるし、ミキもがんばる』
 彼は、さらに二言三言を話してから、電話を切った。


「六曲目だ」
 プログラム表に、視線を落とす。
 六曲目。
 『バレンタイン』
 八曲の中で、唯一のオリジナル曲。
 
「その曲には、ちょっとした魔法をかけてある」
「魔法、ですって?」
「ああ、やよいとオセロの相手をしてて、思いついた。
 逆転の秘策ってやつだ。観客全部の心を、一瞬で鷲掴みにする。正直、審査員なんざどうでもいい。あんたらには感謝してるよ。──わかりやすい図式を用意してくれてな。

 この会場全体のミラーズのファンを、オセロのコマがひっくり返るように、全部黒から白に変えたら、すごく爽快だとは思わないか?」
「ぜんぶ、あなたたちのファンにする、と?」
「ああ──、奇襲で勝つこともできたけどな。そんなことは、名のあるプロデューサーなら、誰でもできる。
 尾崎玲子を倒しても、名は上がらない。
 だから、あんたにできないことをやんなきゃ、あんたは俺を認めてはくれないだろ?」







[15763] stage3 Mind game 8
Name: 塩ワニ◆edd3c1be ID:9f5383e3
Date: 2010/06/10 12:35







 ステージに舞う紙吹雪が、ライトの光に紛れて、星を降らせたような情景を見せていた。
 曲のイントロに合わせて、高槻やよいは宙を裂くように左手を廻していた。
 弧を描くように。
 隣の水瀬伊織に倣って、イメージを作り出している。音の大小でもなく、ただただ音の寄せる波を歌っていた。
 今までの稚拙な印象はどこかに消えている。
 借り物ではなく、自分自身の曲という実感があるのだろう。

 曲を聞いて、歌い踊るのではない。
 それをどう表現するのか。どう踊ればいいのか。
 いちいちそんなことを考えずに、歌詞の『バレンタインに臨む、恋する女の子』を演じていた。

 無心に。
 きっと、それが音楽を従えていること。

 アップテンポな曲ながら、会場に響くふたりの歌声には、春の雨のような美しさがあった。
 ふと目を閉じたくなる。
 やかましい曲だった。身体を左右に揺らして、難度の高い振り付けを、当然のようにこなしている。
 リズムを揺らす。
 部分的に早まる部分と、タイミングと、伸ばした音。
 模範的な音と違っていても、最終的につじつまを合わせる能力は、完全に歌のすべてを掌握しているからできることだった。

 その証拠に、彼女たちの表情ひとつで、ステージの雰囲気ががらりと変わる。
 同じ印象はない。『生きた』ステージだった。

 恋する女の子の想い。
 告白。
 手作りのチョコレート。
 失敗。

 告白に尻すぼむ乙女心。それでも前に進もうとする、等身大の、ひとりの女の子のハートを、竦むことなく歌い上げている。

「美希、そろそろだ。準備はいいか」
 横で金田城一郎が、携帯を耳に当てて指示を送っている。

「10」
「 9」
「 8」
「 7」
「 6」
「 5」

 カウントダウン。
 すでに歌は終盤を迎えている。
 女の子の恋は、ついに告白を迎える。
 
 けれど。
 ──ここから、どんな足掻きができる?
 素晴らしいステージではある。けれど、対抗するミラーズの『YES♪』の方が、曲の格は上なのだ。
 なお、カウントは進んでいく。

 逆転の目など、皆無。
 奇跡でも、起きない限りは。

「 4」
「 3」
「 2」
「 1」

 ──ステージが、反転した。

 ゼロ──と、宣言されると同時に、音が消えた。
 会場全体に広がった音の洪水が、なんの前触れもなく消え失せる。
 舞台の左右に、二機設置されている大型スピーカーの電源が切られた。
 原因は、それだと理解が広がる。
 なんの、ために?

 異常なまでに張り詰めた空気に、誰も声を上げられない。
 不思議と、私が──いや、会場にいる誰もが、それをトラブルと感じなかったのは、高槻やよいと水瀬伊織が、あまりに落ち着いていたからだろう。
 目を閉じている。

 余韻を残すように、ふたりがゆっくりと両手を抱え込む。ギュッと。
 スローモーションにさえ思えるような体感時間。
 静寂すらも音楽に変えていく。過ごす時間と見ている色彩が呼び合って、ただひとつの事実だけが残る。



「あなたが────」



 ふたり。
 そっと。
 瞳をとじて。
 マイクに向けて、囁く。





「「──あなたが、好きです」」













 直後に。
 戻ってきた──
 弾けるような大音量が、呆けた思考をがつんと殴りつけた。相対的に加速した時間が、強制的に意識を引き戻す。
 ぞわっ、と全身に鳥肌が立った。
 間の取り方、タイミング、すべてが完璧だった。
 なにより、背後から不意打たれたような、あの囁き。ただ囁かれただけでは、ああはならない。

 絞り込まれた方向性。
 完全に、ヒトの心を掴むことだけに特化されたそれの、効果は絶大だった。
 聞こえたきた囁きの、場所へ目をやる。
 客席の背後、二階席のカーテンに紛れるように迷彩された、二機の大型スピーカー。
 いつの間に、あんなものが。あの囁きを届けるためだけに、設置されたということか。
 植え付けられた感動が、まだ喉の奥に引っかかっている。それでいて、なんお不快感もない。
 性質の悪い魔法にかかったようだった。

 音がフェードアウトする。
 気を取られているうちに、歌は終幕を迎える。
 
 ステージの上。
 水瀬伊織。
 そして、高槻やよい。

 互いに、右腕を宙に掲げる。
 かざした手と手。
 すれ違い様に、ふたりの手のひらと手のひらが乾いた音を立てた。炸裂するような、片手ハイタッチ。
 
 それが合図であったように、観客の歓声が、会場を席巻した。
 










 

「な、おもしろいだろ。こういう曲なんだ」
 金田城一郎は、今の光景を誇るでもなく、ステージに目を向けていた。
「あなた、一曲目から、ここまでの流れを計算して?」
「ああ、最後のは賭けだったけどな。結果は、ご覧の通りってところかな」

 審査員の評価は、ハニーキャッツ12、ミラーズ0。
 すでに、ミラーズの曲など、誰も聞いていない。会場の誰もが、さっきの光景を忘れられないでいた。
 ステージの上に現れた、まばゆい光は、それより弱い光などをかき消してしまうかのようだった。

「さて、七曲目と八曲目だ。『私はアイドル』は伊織のエース曲。八曲目の『GO MY WAY』はやよいのエース曲だ。あんたらは、短期決戦に拘るあまり、後に残るのはロクに練習もしていない曲。どっちが優勢かぐらい、わかるだろう?」
「………………」
 今の戦績は、二勝一敗、三引き分け。
 一勝のリードが、なんの慰めにもならない。ここまで会場の雰囲気を造り変えられてしまえば、逆転など、滅多なことではできない。
 九分九厘、勝敗は決した。
 この状況から逆転など、目の前の男にすら無理な芸当だった。

「さて、どうする?」
「………………くっ」
 降参を勧めているのだろう。
 確かに、これ以上続けてもなんの意味もない。ミラーズの名前と価値を傷つけるだけだ。

 けれど──
 雪菜と高菜が、それを認めるかどうか。
 そして、ここで降参するのが正しいのかどうか。
 彼女たちにとっては、これは勝ち負けの問題じゃない。ただ、一勝を勝ち取るという以上の思いを、この試合に賭けたはずだった。
 
 だが、このままにはできない。
 このまま何の策もなしに、延長戦を続けるわけにはいかない。
 席を立つ。
 裏口から、ステージの死角へと回り込むと、ある意味予想通りの光景があった。
 舞台の袖で、芦川高菜と、高槻やよいが向き合っていた。
 
「ひとつ、聞かせてくれる?」
 高菜の言葉は、張り詰めた弦のようだった。
 それでも、高槻やよいを目の敵にするような、剣呑な瞳の光が、やや薄れていた。
 彼女なりに、さっきのステージになにか影響されるところがあったのだろう。

「あなた、歌うことは好き?」
「え──?」
 高槻やよい共々、不意をつかれた。
 今までの高菜ならば、ありえなかっただろう質問。
「え、ええと、実はよくわからないです」
「そう──」
「あ、でもですね。今日はすごく楽しかったですよ」
「それはねー。あれだけ好き勝手やってればねー」
 雪菜が、のんびりと突っ込みを入れる。

「そういうことじゃなくて。
 初めてだったんです。
 真剣に、勝ちたいって思ったのは」
「わー、いやみっぽーい」
「だから、そういうことじゃなくって、ですね。
 実際、ステージに立ったら、そんな気持ちはどこかに行っちゃいました。

 ずらーっと、数え切れないぐらいお客さんがいっぱいいて。 
 お客さんの笑顔が見られて、すごく嬉しくて。今ここに立てていることが、すごい奇跡みたいで。だから──私はきっと、ずっとこんなことを、夢見てたんだと思うの」

 やよいは、眩しいものを見るように、目を細めた。

「やよいの気持ちはよくわかるわ。私の将来の下僕たちが、あれだけいると壮観だったわね」
 水瀬伊織が、腕を組んでいた。
「──ええ、と。伊織ちゃんは特別だと思う。
 そういうのとは、ちょっと違うけど。
 私を見て、みんなが笑顔になってくれるの。だから、それが嬉しくて。
 ──すごく得しちゃったって思ったの。
 アイドルっていいなって。だって、これだけの数の人の笑顔を、独り占めできるんだよっ」
「やよい。ふたり占め、でしょ」
「あ、そうだった」
 なんの裏もない。
 まっすぐに、目の前の世界を信じきっている。
 宝石より眩しい、きらめくような、笑顔だった。

 言葉が、出てこない。

 私は──
 私は、どうして──

 どうして、今まで、この笑顔に気がつかなかったのだろう。
誰にでもできることじゃない。一級のアイドルでも人を幸せにする笑顔なんてものは、計算ずくでは作れない。こんな笑顔は、最初からもてるようなものじゃあない。
 
 高槻やよいの理想は美しくとも。
 彼女の生きるこの世界は、決して美しくなんかない。世の中は矛盾だらけで、腹に据えかねることばかりで、彼女の境遇だって、その理不尽のなかで培われたものだろう。

 人を幸せにしたいなんて望みは、個人の範疇を超えている。その願いを維持するだけで、ひどく苦痛を伴うはずだ。

「伊織ちゃんとユニットを組むって決めたときに、決めたんだ。誰に負けてもいい。でも、でもね──、自分にだけは負けないようにしようって。
 私、一人じゃなにもできないかもしれないけど、今は一杯仲間ができて、なんでもできるような気がして、そして今の時間がずっと終わらないでって、毎日思ってる。
 ──あ、そっか。
 ようやく、わかった。私、きっと、歌うことが大好きなんだ」
「そう──」
 すべてを、聞き終えて。

「ダメねもう。そこまで言われたら、もうどうしようもないわ。お手上げ。──完敗よ。伊織さんを、よろしくね」
「え──?」
「今までごめんなさい」
 高菜は、憑きものが落ちたようだった。






「私たちの、負けよ」





[15763] stage3 Mind game 9
Name: 塩ワニ◆edd3c1be ID:9f5383e3
Date: 2010/06/11 10:41





 スタッフが撤収をはじめている。
 祭りの跡という言葉が一番正しい。惜しげもなく投入されたライブ設備が、同一のシャツに身を染めた大道具の人たちにより、折りたたむように撤去されていく。地面に敷き詰められた配線もすべてなくなって、彼女たちの戦いの舞台は、静寂を取り戻している。

「それで、尾崎さんはどうするんだ?」
「そう、ね。また、どこかのアイドルを探そうかしら」
 尾崎玲子は、困ったように笑うばかりだった。残酷な問い、だと自分でも思う。
 勝者が敗者にかける言葉なんてない。

「でも──」

 ──絵理を、よろしくね。
 そのような言葉を続けるはずだったのだろう。
 けれど、尾崎さんの動きが止まった。

 俺の背中越しに、信じられないものを見たと、時間を停止させている。
 彼女の視線の先を追うまでもない。
 尾崎さんにそれだけの衝撃を与える人物は、ひとりしかいない。

「──絵理?」
 祭りの終わったステージで、開いたドアから逆光を溢れされている。姿を霞ませるような淡い光のなかに、立ちつくすように彼女はいた。
 水谷絵理は、両目のフチに涙を溜めて、尾崎玲子をにらみつけていた。

「え、絵理? あなた、どうして?」
「サイネリアから、聞いた」
「……そう。鈴木さんに」
「久しぶりだね」
「そう、ね」
「時間が、過ぎたんだよね」
「ええ」
「……尾崎さんは、どう? ちゃんと、ご飯食べてる?」
「あまり、順調とはいえないわね。でも、さっき再就職先の誘いももらったわ。随分と、マシになると思う」
「──もう一度、私のプロデューサーをしてくれる気は、ない?」
「ない、わね。もう、私はあなたの知っている私じゃないもの」

 尾崎さんは、それだけを告げた。

 強がりに、決まっている。
 彼女が、尾崎玲子というプロデューサーが、どれだけ絵理のことを想っていたか。そんなことは、語るまでもない。

「……そう、だと思う。私も、もうアイドルに戻るつもりは、ないから」

 絹の上を歩くように、会話が上滑りしていた。
 向き合っているのに、ふたりの心の距離は、地球の裏側よりも遠い。

 これが、最良だったのか。
 こうやって、このタイミングで出会うことが、本当に彼女たちのためだったのか。出会ってしまった今となっては、もう、答えはでない。

「──ずいぶんと、くだらない茶番ね?」
「え──?」

 くすくす、というささやかな笑い声。
 そのふたりに割り込んできたのは、尾崎さんとも、絵理とも、全く接点のなさそうな少女。
 ──天海春香だった。
 全身が覇気でふちどられたような少女は、手にした扇子で口を隠したまま、視線で見るモノすべてを凍りつかせている。

「天海春香さん? それは、どういうことなのかしら」
「茶番。そう言ったのよ。水谷絵理が、この期に及んで、すべてを黙らせるクラスのアイドルだというのなら、それは私が間違っているということだけれど、でも──そういうわけでもないでしょう?」
「────?」
 尾崎さんは、天海春香の胸の内が想像できていない。
 むろんそんなもの、さっきから蚊帳の外に置かれている、俺にもわからない。

「どういうことか、教えていただけるかしら?」
「ええ──あなた、尾崎玲子の本当の雇用主は、私ではなく、水谷絵理だった──、そういうことよ」
「え──?」
 尾崎さんが、呆けたような声をあげた。
 絵理は、どうにか表情を消そうと、努力した跡は見えた。それでも、わずかに見せた天海春香への非難の視線が、その言葉が事実だということを証明している。一瞬遅れて、俺が気づく。ああ、そうか。そういうことか。

「私は、あなたからプロデュースを依頼されたように思っていたのですが?」
「どうして、私が尾崎玲子なんて無名のプロデューサーを、大事な一戦に使わないといけないのかしら。私はね、最初は、水谷絵理にお願いに行ったのよ」
「………………」
「A級プロデューサーには、A級プロデューサーをぶつけるしかない。プラチナリーグに五人いるA級プロデューサーのうち、対戦相手であるそこの彼は論外として、他の三人は他社の所属で、仕事の依頼は無理。連絡のついたのは、武田蒼一だけだったのに、スケジュールの都合で断られたときには、どうしようかと思ったわよ」
 当初、天海春香は正面決戦を挑んでくる予定だったらしい。
 武田さんか。気分屋だしなぁ、あの人も。

「そこで、武田さんに紹介されたのが、水谷絵理だったわけ」
 ああ、そういう経緯なのか。
 絵理は、才能だけなら俺の遙か上をいく。
 小説を出版したり、個展を開かないかという話まで舞い込んで来ているぐらいだ。
 ただし、コミュ力はないので、それを十全に生かす機会は与えられないだろうが。資質は較べるもののないレベルだが、正直プロデューサーとしては使い物にならない。

「──それは、黙ってくれる約束じゃあ?」
「私もあなたを売るような真似をするつもりはなかったわよ。裏側を知るまではね」
 絵理の非難の視線を、天海春香は軽く受け流している。

「裏側?」
「そこの尾崎玲子は、十年ほど前に、もうひとりのアイドルと2人組のアイドルユニットを組んでいた。名前は──『Viora』、だったかしら」

 天海春香が口に出したユニット名に、聞き覚えがあった。
 数日前、サイネリアが口に出していた。そのユニットの名前が、確かそんなような名前だったように思う。

『当然デス。センパイを引き戻した暁には、センパイと新ユニット『Viola』を結成するんデスよ。むしろ、最初からそういう約束だったのに、このロン毛がやるやる詐欺を』

 ──とか、なんとか。

「今では、誰も知らないような話よ。『Viora』は、十年前ほど前にいた、デパートの屋上で、ショーをやるような駆け出しのアイドルユニットだった。
 問題はひとつ。そこの事務所の社長が、バカ息子だったってこと。事務所の社長自らたびたびスキャンダルを起こしていたため、事務所の評判は最悪だったし、アイドルユニットとしてはなにひとつ残せないままに解散に追い込まれた。そして、尾崎玲子は、水谷絵理に、アイドルとしての自分の夢を託した。──そこまでは、私が聞いた話だったわ。あなたの境遇は、私とおねえちゃんのそれとも似ているし、少し同情もしたわね」

 けれど──
 天海春香は、そう前置きして、話を続けた。

「けれど、そんな決意を固めた水谷絵理と尾崎玲子にとって、ずいぶんと都合のいい事件ばかりが起こる。例えば、CMを共に争うライバルが棄権したり、都合よく大きな仕事が舞い込んで来たり。
 結果、裏から手をまわしていたのは、かつて、『Viora』が所属していた事務所社長の、父親だった。その父親である、クジテレビの五十嵐局長は、自分の息子のしたことを悔いて、尾崎玲子を助けるために手を回していた。
 そのゴタゴタで、水谷絵理と尾崎玲子は別の道を歩むことになる。──そして、水谷絵理。あなたも、五十嵐局長と同じことをしようとしている。裏から手助けなんてしなくても、彼女にはそれを成し遂げるだけの実力がある。あなたには、それを信じられなかったのかしら?」
「………………」
 絵理は、なにも言い返せないでいる。
 重い雰囲気に耐えかねたのか、尾崎さんが、口を挟む。
「絵理、わたしは、大丈夫よ。あなたの助けなんてなくても、ひとりでやっていけるわ」
「借金があるのに?」
「そ、それは──」
 尾崎さんが、一歩下がった。
「尾崎さんは、いつもそう」
「え、絵理?」
「──ふざけないでっ!!」

 空気を引きちぎる絶叫だった。
 こっちにまで、振動がビリビリとくる。

「うおおおうっ。絵理が、絵理が怒鳴ったのなんて、はじめて見たぞ」
「いいから、やよいの後ろに隠れるのやめなさいよアンタ」
「あふぅ。おにーさん、スゴクみっともないよ」
「ええい、やかましい」

 俺は一歩下がった舞台から、やよいの後ろに隠れてその光景を見ていた。
 一応、俺は今日の主役だったはずなのだが。
 なんかずっと、蚊帳の外に置かれているような気がするのだが、そこは気にしないでおく。
 種火を燃え上がらせた本人は、手にした団扇で自分を仰いでいた。すでに、彼女のなかでは、他人事になっているらしい。

「尾崎さん、昔から、大事なことをひとりで背負い込んで、なにも話してくれないし。私の気持ちなんて全然考えようとしないんだもの。あのときだって──忙しいからって、お昼ごはん抜いたし」
「ちょ、今、なんて?」
「忙しいからって、お昼ごはん抜いたっ!!」
「絵理。それ、一年ぐらい前のことなんじゃ」
「それに、尾崎さん。整理整頓とかが下手。パソコンをコンセント抜いて止める。プラスチックゴミを、全部燃えるゴミとして出す。ラーメン屋とかのポイントカードをすぐ捨てる」
「え、だっていらないじゃない」
 尾崎さんは、おろおろとしている。
「──尾崎さん。私に、なにも言わずにいなくなった」
「ごめんなさい。成長してたあなたに、私ができることなんて、なにもないと思ったから」
「それに──」
 絵理はいった。

「私を、ひとりにした」

 絵理の声がふるえた。
 丸められた画用紙みたいに、絵理の表情がくしゃくしゃに歪んだ。これまで、必死に溜め込んでいた感情が、すべて流れ出したように見えた。

「──ごめんなさい」
 尾崎さんが、絵理を自分の胸に抱え込む。

 ──なにこの展開。
 ええと、もしかして、これってひょっとすると、解決したんだろうか、これ。
 俺は「ムキーッ、なにフタリでヘブンモードに突入してるんデスかーっ」とわめくサイネリアを片手でつまみながら、そんなことを考えていた。

「ところでサの字。おまえはおまえで暗躍してたのか?」
「ム? なんのコトデス?」
「いや、だって──絵理はこの場所をおまえから聞いたんだろ?」
「ああ、そのコトデスか」
 ハッ──という、馬鹿にしたような表情で、エセ金髪ツインテールは続けた。

「スレ荒らしに比べれば、この程度はちょろいモノデス」
「ほう、まあ見直したよ。絵理のためになることだしな。こうなることがわかってたんだろ?」
「ふ──当たり前じゃないデスか。センパイのコミュニティサイトで、この話題に誘導したり、タイヘンだったんデスよ。携帯電話を三つ使って、住民と、荒らしと、荒らしに対する反応の三つを演じわけたり」
 得意げに解説するサイネリアに、俺はため息をついた。
 どうせ、こいつはいつもこんなことをやってるんだろう。

「そこまでやらないと、センパイに感づかれマスからね」
「はいはい。自演乙自演乙。それで、そこの鈴木☆自演乙☆彩音が、絵理に情報を横流しにしてたと」
「本名呼ぶなぁっ。 私の名前はサイネリアデスッ」
「落ち着け鈴木。鈴木って呼ぶぞ」
「うううっ、カネゴンに知られたら、絶対こうなると思ったんデス」
 猫のようにして首元を掴んで、サイネリアとじゃれていると、客席の中間部分で、伊織と天海春香が火花を散らしていた。

「今回は、随分と親切だったじゃない」
「そうなのよ。ヘンね。もうちょっと、私好みの阿鼻叫喚や凄惨な地獄絵図が見られるかと思ったのに、意外と穏便に済んだのよ。まあ、それが一番よね」
「穏便? 意外ね。そんなの、アンタのボキャブラリーにあったの?」
「良い子悪い子さかなの子。なんてね。別に、手段なんてどうでもいいわ。あのふたりの関係が、私の正義に抵触した。ただ、それだけよ」
「恰好つけるわね」
「──他人のことなんて、どうでもいいでしょう。今は、あなたたちのことよ。やよい。伊織。早く昇ってきなさい。同じステージに立たなければ、そもそも叩き潰すこともできないわ」
「慌てないでよ。多分、そんなに長くは待たせないと思うから」
「そう──楽しみにしているわ」
「そういうわけだから。春香、アンタは自分の地位が脅かされることに怯えながらぷるぷると震えてなさい。じゃあ、行くわよやよい」
「春香さん、それじゃあ失礼しまーす。待ってよ伊織ちゃんっ」

 舞台の上から、彼女はふたりに視線を注いでいた。
 いつも天海春香が貼り付けている、底なし沼のような感情のない笑いではない。ほんの少し暖かみのあるような笑いだった。

 
「やれやれ」
 多分、俺も同じ表情をしているんだと思った。
「ククククク。これであとは、あのロン毛さえ取り除けば、センパイは私のモノデスっ!!」

 サイネリアが、俺につかまれたまま、邪悪な笑いをかみ殺していた。
 ──こいつは変わらないなぁ、と俺は思った。
 






[15763] 登場人物紹介(ビジュアルイメージ付き)
Name: 塩ワニ◆edd3c1be ID:9f5383e3
Date: 2010/06/13 10:52
星井 美希(CV 長谷川 明子)



                ,r‐‐‐‐‐" _,,._`---〉'"-ヽ
             __//彡ミ"ヽ,r' ,,.-''ノ'>v',,.r'ヾヾ 、__
            /_r"''(ミ( _,,i /ヾ三ノ | r )i,} _}-、丶
           ./ '〆〉ヽ- >_ノ:::゛゛::::'‐‐‐":::::,,,__i ',_)~)',
           /  /-'彡':::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::゛'‐‐|..丶"',
          /  /7"::::::::::::/|:::: ,:::::::ヽ:::::::',::::::::::::::::::::ト、  ',
          /   i/|::::::::::// ',:::::ヽ:::\ヽ:::ヽ、::::::ヽ:::|: ',   ',
         /   .i:|:|:::::::/|!   \:::',\::ヽ',:::| ',ヘ::::|:::|: ::',   ',
         /   | |:|:::::::|,,..-‐'''"''‐ヾ,,_ ゛'‐ヘ| .', |::::|:::|: i :i   ',
        /    ノ i,:|:::::',|     _    ._    |::/ |ノ|::|    ',
       i   /:ノ:.|ヾヽ', ==‐'"     "''=="フノ|: :ノ-..,,_  ',
       /   " ̄/: :|弋 ',゛:::::::::        :::::::'"7ソ,'|: ヽ`""   ',
      /    // |:::::ヾ',      '      /_ノ::|: ヾ|_ヽ    .',
     /  _,,.-"'/: : ::|:::::::::::'.,     r,     /::::::::::|: : ::iヽ:''._    ',
    /      /: : /::|::::::::::::::\       ,,.-'::::::::::::::|: :ヽ| ', "'    ',
    /     .///: ::|:::::::|::::',:::::::i゛-. ,,__. -'"|:::::::::::::::::: |: : \',',      ',
   /i     // /: ::/|::|::::ト、:',,.-ト`i'"`"'i"_,,|.,,_/::::::|::::i|: : ::|: ',ヽ      '.,
   / |    .// / / |',:', :', ゛'-- ゛'`-.-'   /::::::/::/|_,,.-|: : ',       ',
  /  |    / /,'..-‐'" ',:''|i,',..,,__‐- 、.r‐''"/':::/// ゛‐-|..,,,,_',       ',
 /  .|     ./ i ',   '.||,, '‐-.,-‐' ..┬‐-ノ>¬、.'/i|   |  ノ.',       ',
/   i     /: :| _i   _..-- Y1ヽ - `' ,,_i ―ーユ ,,`-i ./ λ__  ',     _,,..-'
゛''-.,/,_________,/,..-i‐'".,,, -冖 .. 、ィx コ-:‐r" 、 - .._  '''`丶     .|:',゛:'','''゛゛ ̄ |
  /     ./:::::/| . -,' `'l゛ ン .. マン'<ゝ Tj 'べ _- "ゝ、  ..|::::',::::i    .|
 ./     /:::::/:::i ../´゛  ゙゙  「 <|'‐'' '| ナ│`ー-―  」' 、 ....i::ヽ:::::|     ',
../      ,i:::::/::::::i..:ニュ'、,⊂ 弋‐-v ノ",l ´ -,, ゞ 、 7--′ .i::::::',',::|      ',
/      |::::/|:::::::i .lハ"、\ ''くニ''ニ..-< i ../- ''、〈 l│   .i.::::::::i ',|,     ',

年齢 14歳  
RANK Fランクアイドル

解説

本作のメインヒロイン。
中学二年生にして、Fカップのバストと、日に何十人にも告白されるぐらいの容姿をほこる。共に公務員である両親に、限りなく甘やかされて育ったためか、めんどくさがりで、世間知らず。

運動、美的感覚、歌唱力、と──、全方位に展開される才能は、生まれ持ってのアイドルである。
なんでもできる故に、一生懸命になれるものを見つけられないというコンプレックスがある。

真剣になれるものを見つけるため、自分の限界を試すために、アイドルの世界へと飛び込んでいくことになる。

好物はおにぎり。




水瀬 伊織(CV 釘宮 理恵)

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                 __ ...rク. -、<- .、    に
                / 二>'"; ; __ : ヽ: :) } \    ひ
               ヽ  /: : : : : : : ヽ: }/ヘヘ : 、   ひ
                />': _ : : : : :_:「f⌒ヽ ! ヽ-!    ?
                   l: /:!: : : :,.>''"  ヘ、  .リ ._.'j!、
                   i: i .!: : :〃      `  〃⌒.い、
                   !:ハ 、: /:!  ,. -―-    ,rチミ、い、
                   |: ハ ∨:!:! /_.,,二ミ    込}.ハj: : \
                   i ,: :ヽ>、! ´〃うJ;;!   、 /i/ :!: :}: : i
              ,.イ ,: / {.rぅヽ ` ヽ-''    ,.1  .ハ: :ハ: :!
             /: :!/:/ _:ヽ, ヽ  ///  (二ン ./: :/ }: |
              /: ://:/://´⌒ヽ,> ,,  _    /`Y V: ,
         /: :/: :/:/:/ '   rヤ´:ノ     ,ハい { ハ : :i /
        /: :/: : :/:/ ,    .!_」´ヽ  \  :{ ハい_ル: i ):(
      /: :/: : : :/:/: :j   〃> ヽ, ゝ{__ ` _ ' .にr;!: |': : :)
     / : /: : : : ://: :い,  〃. ヽい }ヽ     ノハ!: ! //⌒ヽ
   /: :/: : : : : ://: : : :ノ  ,ソ    ヽい,ハ、_ ./くハ! /:/. ⌒ヽ |
  /: :/: : : : : : ://: : : :/   ,{     ノ ソ| !YTいヽ!}:/, ´ <⌒\\
/: / : : : : : : : //: : : : ;    !    ハナ<!」:| l !ノー77  ..::::::::Y^i: 丶 \
: / : : : : : : : : //: : : : :;    !   ハ///://77, //,イ j_ :::::::::::;  !: ト、 \
: : : : : : : : : : ://: : ;>-{    :! ∧:///:/:/:////// レ' ヽr‐<  \!. \_)
: : : : : : : : : ://>" {  :i    ' ./、 \:/:/:///////! ..::::::iヽ)
:イ: : : : : : : :/ /  }  、   / \  ` ―― 'r'⌒Y::::::::l  \
: !: : : : : / /  !  i   > '"\   ` ー――‐そ_,ノ:::::::人   \
: |: : : /  :{  |   、  \   ヽ _         _>くヽ, !    \
: i: / /  :i   ,   ヽ   \     ''  ――‐ '' "  { :} :!:! ,   ヽ!
: /  {   !   ヽ   \   `  _          / :}ル' .i ハ ! n ;リ
..!   :!   !    \   \    ''  ――― '' "  ノ{  リ ) ! ル'
. )_  :!    ,     \   ` ,,          _ / }   (/レ


年齢 14歳
RANK Fランクアイドル


解説

ハニーキャッツのリーダー。
家の中で迷子になれるほどの豪邸に住むお嬢様であり、金銭感覚がぶちぎれている。
ツンデレであるのだが、本作ではやよいへの好感度がすでに最大になっているので、あまりそういう姿を見せることはない。

罵倒が愛情表現であり、「お兄様」→「下僕」→「このド変態!」という感じに、右にいけばいくほど好感度が上がっていく。面倒見はよく、コネと権力と人望で、ワークスプロダクションのアイドルたちの支持を得ている。派閥としては、ワークスプロダクション全体の、ほぼ三分の一を掌握している。




高槻 やよい(CV 仁後 真耶子)

    _/ ̄`ヽ
                         |: :{: /: : ヽ: : >、
                         ∧八{:rヘ>< ̄ ̄ ‐- .
                          /: :.〉''"´ ̄ ̄`ヽ: : : : _`ー--、   ,r=ミx
                            {:/: : : : : : : / : : : : : : : \: : : :.\/:./ ̄`ヽ
                          // : /.:.:.:. :/: /: : : : ハ: : : :小: : : : : Y´-──--{
                      /'.:.:./:/.: :.:.:./: /: : : : / l: : ..¦}: :ヽ: : 廴}⌒ヽ\:.ハ
                        /:.:.:./:/.: :.:.:./: /l: .:.:.:./  八,′|:.|: : : l: :廴}`ヽ.:.\\ハ
                          /: : : l::レ'⌒メ、: l l: : :./  /: : : : :|:.|: : : |: :》、}: : :}: : : V气
                      /: : : : レ─'´ └┘|:.:./_/: : : : :./ :|: : : |'´人} : 八: :.¦: 入
         _/ヽ__  へ     l:.:.:.:. : {  _、    ̄ ./`ヽ: : ./: イ: : : :|彡イ: :/:.:.)) ¦(.: : l
.      /´     `´ __ ヽ.__   |: : : : ,'z'´ ̄ヾ    __ \: : :V://.: : :..:.レ': :| /: :((: : ノ: : )./
     /       / }\_} \ |: :l: :/  ;;;;;; '     ==ミx \//': : : : /:.|.:.://: : :.:.): : : : :./
.    /         `--┴-、`ー´}: :|:.{    ,r‐‐、.     ヾ /: : : : :/: /彡' : : : : : : .:.:./
  '"´            ,r'¨¨¨´`¨¨´:.:.|∧    l  {ハ   ;;;;;;; ∨: : :. :./: /イ: : : : : :/:.:.:./
          ,.  '"´       |: :|:j∧.  l     }       /: : : : ://j/}: : : :.:./.:./
      '"´             |: :ト、{ {\ ヽ_.ノ     /: : : : : '   {:. : :.:.//
                        レ'i乂Nニ_> _____   /: ///    .\ 八(
                      /  /: :/〃 __.}  -=彡'/イ:/       ヾ《: }
                   /    l: :.l〃 { (____/>.》、__      ノ:)ノ
                  ヽ   人:,《   `ー───‐´ 〃' へ     ///
                       ハ /: :/〈 `ヽ         メ//   ヽ  ヾ((
                   | |': : :〃: :`ヽ   ‐-----‐'´〃       ハ   ヽ
                   | l: : 〃: : : : : : : :ー‐┬‐‐'〃        l
                   | |: 〃: : : : : : : : : : .:.:.|: :.:〃 -─     }
                   | |: ll: : : : : : : : : : :.:. :.|: 〃/       /
                   | |: ||: : : : : : : : : : : : :.{〃'´       /
                    l│:||: : : : : : : : : : : :.:〃          , '
                    l│:||: : : : : : : : : : : 〃       /
                    | |:.:||: : : : : : : : : : 〃.     ./
                    レ'●)__: : : : : : /'     /|
                 /      ` ●Y      / │



年齢 13歳
RANK Fランクアイドル


解説

活発でドジな向日葵元気娘。
伊織とは親友。
人に愛される天才。

家は貧乏であり、家の家事や炊事、家計を一手に預かっている。家族を救うために、節約術を磨くのに余念がない。
よって、今日も給食費が払えないと給料の前借りをねだることとなる。

素直で、真っ直ぐで純粋。
かつ、元気で笑顔が似合う。その姿を見るだけで、自然に周りの人々まで笑顔にしてしまう、天性のアイドル。

ただし、相当なレベルで意地汚い。(それを指摘すると、本気で怒られる)
意地が悪い、でもなく、性格が悪い、でもなく、意地汚い、である。


伊織と共に、頂点を目指す。その願いを叶えるために、今日も元気にへこたれず頑張る。




如月 千早(CV 今井 麻美)



/::/         ,.ィ"゙ヘ::i´ ̄`\‐-.、   i
;/       ,...-‐彳:::::. .ト.:|::. : : : : :`ヽ...\ノ
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.      /: : : :/:/ : : : : : :i:::::!.:: : ::. . . . .ヘ ヘ :'l,
   /: : : : :/: .i i : : : : i .|""ト、: i::. : : : :ヘ .ヘ. !
  /::: . .. . ./. .:::!.i: : : : ::!: i   !ヘ;: :!::. : . . . i. . !.i
  .i:::;. ..::. ..i . :::::|.!: . . ../! /  !. ヘ;.'l,ゞ; . . ..'l,: :'l,!
;;;, i:::i. .::: . i: .::i:;;リ:::__ ,/.i / -‐弋⌒マFミ : : :ト、;:'l,
;;;;;|:::i. .:::. .i:.;:ィ什√/ .iソ   ,.t廾=<\.)\.:i:: ;:.i、
;;;;;i::::::.::::..i::::/_γ升卜、   ″i弋爿!) /./.ノゞ:::i.|'l,
;;;;;;ト;::::::::: |::/ /|弋%爿      ゝ...ノ .// /..::..!: リ:'l,
;;;/:.ヘ:.:.:.:.|:斤、ヽゞ-‐′  .       ルイ: . .:: : :: :'l,
/.ヾ;:::ヾ:::i::::ゞヘ、       ′     .∥::::|::. . . .: : : 'l,
. . . ヾ;:::ゞi::::::i;;:ヘ、    i" ̄)    /:::::::|::::. . . .;: : :'l,
. . .../::::::::::`::( .゙ヽ ゝ、_  `. ‐′ / !-=;;::i:::::; . . : ; : 'l,
. . /::::::;:=--<.ヘ. '!f""`>‐-.ィ′,<  .ミ::; ;:::. . . .; : 'l,
../::::::f′   〝!. ヘ、   ヘ ,/     _ミ::::..:::::. : ; : :'l,
":::::::i  ,. .r─┴-、. ヘ─.t-r-‐─-ァ /;;/"` ‐-:; : : ; 'l,
::::::::;i,r (      ` ..'!三!+t- ミ,.,/ /;;/,,.....,,,_. `!; : ;'l,
:::/   ` アァ ‐ァ'''""´ 'l,ヒ.|, ./ !r'''"     `゙ヽl:; : ;'l,
::|  ......:.:/.:.:..ゝ:::::...,,,.. r'''"i,'i l,.!  !  ...:::::::::::::.......  ヾ; ;'l
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年齢 18歳
RANK Aランクアイドル


解説

本作のメインヒロイン。
ギガスプロダクションの看板アイドル。

ステージ1で、方向性の相違から、プロデューサーと、袂を別つことになる。

歌の能力はすさまじく、いくつかのアマチュアの大会で、日本一の座を掴んでいる。
努力型、と誤解されがちだが、完全な天才型である。

実は、美希を軽く超える天然。
人付き合いが極端に苦手なために、空気を読むということができない。

ちなみに、美希と絡ませると、美希がツッコミにまわる。これ豆知識。



水谷 絵理(CV 花澤 香菜)



     __,,..-<.-‐- <ヾ ヘ彡..-‐-.,,_)
   _,,..- '" _,,..-‐‐‐‐'二"_,,.ヘヾ,_〉"ミ~~へ
  <  ,,.-''"  _,,.-''"_,,.-''.-/i'"|:::~゛''''‐‐--...,ヽ
   >  _,,.-'"  ,,.-''"-''_,r'"r"::::::|:::::ヾ:::ヽ:::::::::ヽ
   /.r'/   / ./ _r/r'::::::::::::::',:::ヾ:::::::ヽ:::::::::ヽ
  < (/ // ./. / .r~:/::::::::::/ ',::::ヾ',:::::丶::::i::::',
/::::\'/ / /_./ ._ノ~:::::|:::::::/   ヽ::::::',::::::::',::|!::::|
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::::::::::::::::::/ヘヘ_ ァ:"::|!:::::::::::|::/_,,-=‐,,     ,-ヾ':::::|,',
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::::::::::::::/::::::::::(:::::ヘ.ヘ(i\::|  ゝ::ノ      `' | |:::|||',',
. \:::::/:::::::::|::::ヽ::::弋_*_ ゛.         '  ./ |:::|',',',',
   >::::::::::::|::::::::ヽ::::::::::::', \     ..,,__ ,, __/_,r,::::|‐‐-..,_
 /::::::::::::/:::::::/ヽ:::::::::::',  ゛'-.,,_     .|γ,::::::',:::',::::::::::::ヽ
 ヽ:::::::::./::::i ̄  ソヘ::::::::::',_,,..、_ __-.,,__ イ|::| /::::::ヘ:::|::::::::::::::\
  ヽ::::/::::::|     i::::::::,_:', ', ', ',ヘ\`i |"ゝソゝ,:::::::_ヾ-'"ヽ ::::::::\
    ゝ‐‐"    ./ ̄ヾ、ヽ-----,rニ'-‐"ヘ、ヾr',',',',',',',', ヽ:::::::::\
        ゛''='/      \ヽノ /.','ヾ,ヽ ',',  ',',',',',',',',',-,,_ヽ::::::::::\:
          i        \` ヾ ',', \',i|  ',',',',',',',',', \ヽ::::::::::\
          ヽ、        \ヽ_.',',-..,, 〉" /'.,',',',',',',',',:::::::`|::::::::::::::::ヽ
            ヽ、    _/※\ ',',   //. ',',',',',',',',',::::::::',:::::::::::::::::::',
             ヾ   ノ/※※,,r'\,.-‐''"/  .',',',',',',',',',''-.,,_',::::::::::::::::::',
           ,..-‐'"::`" <※※※,r':::::::\_/<_ノ"',', ',',',',',',  ゛'-.,,_:::::::::::|
        _,.-'":::::::::/三//\'⌒::::::::::::::::::\"   .',.',',',',',',',',      ̄
      _.-'::::::::::_::/彡_/ / |  ''-._::::::::::::::::::::\   ', ',',',',',',',',
    _,.-'':::::::::..-'"_,,,.-''"/  .| .| / 〉 .>:::::::::::::::::::::::\ .',.',',',',',',',',
 ,,.-'::::::::::::/-~/ // / /)| .| / /|| // ゛''-.,::::::::::::::::\.',',',',',',',',',
 :::::::::,..='-"」 // ソ ./ /) ', ト.,,_r-//   γ\:::::::::::::::::\',',',',',',',
    "//// //  / //  ヘ|井#''-`.-‐‐x, |:::::::::ヽ:::::::::::::::::\',',',',',
    
年齢 15歳
RANK 元 Dランクアイドル


解説。

主人公のアパートに寄生しているヒキコモリ。

基本的には、ニュコニュコ動画に『踊ってみた』系の動画をアップして、万単位のアクセスを稼いでいる。

能力的にはマルチになんでもこなし、作詞、作曲、映像編集、コスメプロデュース、書道、小説、絵、などクリエイティブな分野はたいていなんでもできる。

人付き合いは苦手。長くヒトと話すと疲れるらしい。趣味はひかげぼっこ。

ドS。




サイネリア (cv なし)




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            /: : : : _:_: ,,: ヽ,: γ:丶   _ _
        _,,, -/: : :-‐''': : : : :〉-‐"ニ-''" ̄: : : : : : : :`: :: 、
     , -,".-/: :/: : : : : , --":;:":: : : : : : : : : : : : : : : : : : ヽ 、  _   _
   /::/ /: :/:/:,_:/,_i::/: :: : : : : : /: : :/: : : : : : : : : : :ミミヘ/::::>∠ミミ
  //  /: :/:/: :"/: :(::/: : : : : : :: : : /: : :/: : : : : : : : : : : : : : :/:::::( ヾ ヽ
, '/  /: : //-ニ-7': : : /: : : : : : : /: : /: : :/: : : :i: : : : : : : : :',: : ヽ,::::::::)ヘ
' _/: :_,,/''"/  /: ::/i: : : : : : : :/: : ::|: : :i: : : : ::|: : : : : : : : :',i: : r"::::〈ヘ ',
ニ -‐"  /   /: :/ .|: : : : :__ /|: : :/|: : ||: : : : ::i: : : : : : : : : i|: :ゞ_::::::)',
    /  .,/: :, '" __ ,,i.::‐ "_ノ .|: /.、',: :|:|', : : : :|: : : : : : : : : |: : : |:::〈
   /  /;;:-" - "  , -‐ " /   |/.  ',::|,|,:',: :|,: :|: : : : : : : : :|: /: `i//
  /  /''" ,. '" ,    .ゝ /ヘ: :x==x,,    ヾ',|ヾ_,,',ヾ|: : : : : : : : |: :_/-"/:
../ /_ -"     ',. /  |: :',|   ヾ _,,.....,   "/ ,8,i: : : : `=ニ二 -/"|: :
_,, - |     ,/  (_ , - '"ヽ---‐‐ '''_ ,, -"   弋☆リi: : : /:| :/⌒): : /: : :
::|  |    '_,, ‐-  (__ - "  _ -‐"         ̄/: :/: :|:/ノノ/: : /: : :
::ヘ  ',   "        _ - "ヽ    ┌‐,- 、   //i | .|/;|彡: : /: : :/
:::::\ ヽ_       -‐<     ヽ   ∨   )  '",ノ/ / /:ヾ: _/,,- "
:::::::::/   7゛:::: ̄ > __  `ヽ,   ヽ-‐-,丶  " _, -":::/: /,'>"、   , -‐
:://⌒ ̄::::::::::::::/    ゛`ゝ-'  /_;;;:;;;:::::::::'.,::''":::::::/i/: /,'  /  > ''  /
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年齢 18歳
ネットアイドル


解説

ネットを介した、絵理の友人。
ネットアイドルとしては、ランキングで絵理に勝てたことは一度もなく、ずっと後塵を拝み続けている。

詳細は不明。
最近、悪のロンゲ、オザキラーに捕まって、ダークサイネリアに改造された。

ドM。



三浦 あずさ (CV たかはし 智秋) 



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         |/    ヽ:|        \|,*
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 /\    /::::::::::::::: ソ::::::::::\     。
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 *     !:::::::/      ==、 !:::|:::|
      |:::::::!ィ=ミ   _ ∨::::!:::!
      リ::::| ,,,,,,  . ´ ̄ヾ/::::/ ::',
  *    ト、|ヽ、 、_ _  '''''/::::/ ::::::',
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 *  。   jイT「 ト‐ナ/ _ア / :::::::::::::::ヽ
    ゚   / jレリ.ノ>'" ノ /、::::::::::::::::::::':,
      l / レ'   ,イ「  イ !:::::::::::::::::::::::!
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      ヽ _/ーイケl   l/:::!:| |:::::::/ !::/
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年齢 23歳
RANK アイドルマスター

解説

元、アイドルマスター。
数年前に、人気のピークに突然の引退。アイドル業界から姿を消す。
プラチナリーグでは伝説のアイドルであり、今もファンが復活を待ち望んでいる。
能力的には、他のアイドルに影すら踏ませず、十馬身差で圧勝しているような状況。
Aランクアイドルたちですら、全盛期の彼女の足下にも及ばない状況を、一番ふがいなく思っているのは、彼女かもしれない。

癒し系天然お姉さん。
主人公と会った時には、すでに短大を卒業していた。

助言は的確で、判断にブレはない。
アイドルたちすべてのお姉さん役として、自らを位置づけているところがある。



天海 春香(CV 中村 繪里子)



          ._,,..............____
      _rッ-' ̄      `'‐、_
      |.ノ゛            ┌、_\___、
     / . /  _  . i .、    |  ゙X  .|
     / /.  /|  /|. .||   || |\ノ \/
    / ./_メ、|_| |__||___|.|_|.  |  |
    |  | /  |. |   /  |\ .|  |  |
    |  | \./ /   \ノ //  |  /
    | /   ┌―┐   ./  / /
    \\    ._/   .ノ  /  |゙
      レヾシ―---―ツ_ノ、|\ し
       /          \
      ./ |        |  .|
      |  |        |  |
    _/ /|        |ヽ  \_
   〈__/|       | \_つ
.      /    ,,    ヽ
.     /     /\   /
     _ヽ   /    )  /_
.    〈___;    (__〉




年齢 16歳
RANK Aランクアイドル


解説

ワークスプロダクションの看板アイドル。
言動の黒さと、その圧倒的なカリスマで、プラチナリーグの一角を担う。

「愚民」と呼ばれるディープな親衛隊をもち、ファンを自らの手足のように扱う。

当時の765プロダクションの看板アイドル、西園寺美神に憧れ、アイドルを志望する。
田舎出身の、元は地味な少女だったが、
路線変更の末、ほぼひとりでワークスプロダクションを四大プロダクションのひとつへと押し上げた。


西園寺美神を、おねえちゃんと呼んで慕っている。





[15763] stage4 Blackboard jungle 1
Name: 塩ワニ◆edd3c1be ID:9f5383e3
Date: 2010/06/12 11:38

「うー」
 美希が唸っていた。
「まだ拗ねてるのか」
 俺は言う。
 梅雨の季節も明けて、この前までの空の暗さが嘘のようだった。とにかく、暑い。汗がじっとりとシャツに張り付いている。こんな時期に、エアコンが壊れているのは、一種の拷問だった。蝉の音が絶え間なく耳にこびりついて離れない。
 外を見ると、熱を溜め込んだコンクリートが陽炎を発していた。

 ──ああ、海に行きたい。

「ミキ、アイドルなんてやらないって言ったのに」
 美希は、ソファーで死んでいる恰好だった。
 怒っているというよりは、俺と同じく暑さに参っているように見える。
「仕方ないだろう。俺もいっぱしに仕事と地位を貰ったせいでな。ひとりを贔屓したりできなくなってるんだから。部外者を事務所に入れるなんてのは、もっての他だ。『ワークス』のアイドルとして登録したのは名前だけだし、問題はないはずだけど」
「でも──」
 美希は、まだ不満があるようだった。

「ちょっとプロデューサーッ!!」
 またややこしいのが。
 事務所の扉を開けて、伊織が怒鳴り込んできた。

「この日だけは、仕事を入れないでって言ったのに、どうなってるのよ」
「あのな、Fランクアイドルなんだから、仕事があるだけで有り難いと思えっての」
「伊織ちゃん、その日、なにかあるの?」
 後ろから、少し遅れてやよいが上がってきた。
「うちの中学で、林間学校があるのよ。ハワイに行くのに、せっかく水着まで用意したのに、無駄になったじゃない」
 伊織が毒づく。
 つか、林間学校でハワイってどんだけだ。
 お約束としては、純粋培養されたお嬢様しか入れない中学とかだったりするのだろうが、伊織とかいる時点で、前提として不成立な気もするしなぁ。

「アンタは、暇そうね。偉くなったんじゃなかったの?」
「やってることは、Fランクふたりのプロデュースだからな。肩書きはエグゼティブプロデューサーってことになっているが、特に仕事なんてないんだこれが」
 権力は与えられているとはいえ、これは飼い殺し、に近い。むしろ、扱いは最初に思っていたとおりだから、問題ないといえば問題ないのだが。

 整理してみよう。
 前の職場である『ギガス』プロでは、如月千早のプロデュースを行う傍らで、他のプロデューサーたちの総括をしていたのだが、この事務所ではそのやり方は通用しない。
 だって、アイドルなんてこの事務所には八人しかいないから。(伊織やよい美希を除く)
 前に説明したが、『ワークス』プロダクションは、何十ものプロダクションの集合体である。
 同じ名前を戴いているとはいえ、やり方も流儀もなにもかも違う事務所を、二十近く、これを同じように管理するなど、できるわけがない。

「当たり前じゃない。アンタに権力なんて握らせたら、危なっかしくて気が休まらないわよ。それより、なんとかなんないわけ? 仕事を一週間ぐらいずらすとか。林間学校が終わるまででいいから」 
「伊織。なにか勘違いしてるようだが、俺はプロデューサーだ。ドラえもんじゃない」
 伊織の、文句の速射砲を聞き流す。
 ソファーの美希も、まだ不機嫌なままだった。
 この気温の高さが、誰も彼もをいらいらさせていた。見るともなしにつけっぱなしのテレビが、アイドルソングを垂れ流している。

 さて、どうするか──

「なぁ、やよい。
 今、『ワークス』プロダクションのアイドルのビデオを見てるんだが、やよいの印象としては、どこが悪いと思う?」
 『ワークス』プロダクションのBランクアイドル。
 四人組ユニットのステージビデオだった。さすがに、Bランクに長く君臨しているだけあって、歌の質とステージの構成は文句のつけようがない。
 けれど──
 押しつけられた癖のようなものは、ランクが上がっても消えるはずもない。

「え、ううん。
 ……間違ってるかもしれないけど、
 この人たち、あまり仲がよくないだろうなって──」
「へえ、どうしてだ?」
 いい目をしている。
 普通の人なら見逃してしまう違和感を、やよいは拾っていた。

「この人たち、踊り自体はカンペキだけど。四人組みのユニットなのに、勝ってもひとりで喜んでるなって」
「たしかに、ガッツポーズも、喜ぶタイミングも、全部バラバラよね」
「だな。こういうのはファンにも伝わる。さっさと矯正が必要だな」
「プロデューサー。話をそらさないでよ。問題は、まだ終わってないんだから」
「そんなつもりはない。つまりだ。海に行ければ問題ないわけだな?」
「え、ええ──そうだけど」
 伊織の火が、ようやく鎮火した。

「じゃあ、うちのお嬢ちゃん社長を説得にかかるか。ワークスプロダクションで、合宿ってのもおもしろそうだよな。確か、親会社所有の保養所があったし」
「うわ、またなにか企んでるの?」と、美希。
「プロデューサー。すっごいイイ顔になってます」と、やよい。
「完璧に、他人を騙そうとしてるわね」と、伊織。

 ──失礼な。
 






 




「──つまりだ。Cランク以上の増長ぶりと、Dランク以下のやる気のなさがひどい。まずはここを正さないといけないわけだけど、とりあえずは接点がないからな。全員参加とはいかないまでも、合宿なんてやったらおもしろいと思う」

 社長室、などという立派なものは、このプロダクションにはない。たいていのプロダクションは、どこかのビルにテナントを借りるような形になっている。
 非道いところになると、一室に、べつべつのプロダクションが四つぐらい詰め込まれているのだが、さすがにここはそんなことはない。プロダクションはたくさんあっても、自社ビルをもっているのは、『ギガス』と『エッジ』ぐらいのものだった。
 よって、
 窓に面したの社長用の席で、西園寺美神は書き物をしていた。俺の言っていることは、正論すぎるほどに正論だった。このワークスの問題点を、そのまま言い当てている。流石に、これを否定できる理由はない。

「それは、考えたけどね。
 ──無理があるわ。ただ集めたぐらいで溝は埋まらない。今の子供たちって、無駄に賢しいもの。
 今まで、そんなこと一度もやったことないのに、突然合宿なんてやったら、すぐにこっちの意図を見抜いてきそうだけれど?」
 問題点自体は、彼女も把握しているらしい。
 ただし、解決方法がわからない、と。
「ってことはだ。そんなことを考えられない状況にすれば問題なし、か?」
「え、ええ──、そういうことね。でも、どうやって?」
「他のプロダクションも巻き込もう。
 『ギガス』と、『エッジ』と、『ブルーライン』を。
 他のプロダクションのアイドルを招いて競わせれば、身内でドンパチやる暇も意識もなくなるだろう。交流ってことで、『ワークス』のアイドルたちにも、これ以上ない刺激になるはずだ」
「それ、実現できるの? そういえば、『ギガス』はあなたの古巣だったわね」
 完璧なロジック。
 普通に仕事をしていれば、ライバルとなるプロダクションと関わることは、そうない。
 彼女だって、元アイドルで、元プロデューサーだ。
 興味がないといえば、それは嘘になるだろう。

「『ギガス』に関しては問題ない。朔や社長を避けてでも、この案を通すメンバーに心当たりはある」
 創業メンバーは、地位にかかわらず、等しく社長と同等の決定権を持つ。
 社長。
 朔。
 千早。
 ソラ。
 チカ。
 名瀬姉さん。
 蛍さん。
 楢馬。

 この中の一人でも説得できれば、そのまま案は通る。というか、社長に直接話つけるのが、一番早いような気もするのだが。
 
「『エッジ』プロダクションについても、問題はないかな。あそこの社長、こういうのが大好きそうだし」
「そう。じゃあ、『ブルーライン』には、私が話をつければいいのね?」
「ああ、あそこだけは、よくわからないんだよな。Aランク一位の、『YUKINO』を囲っている。そして、完全なプロフェッショナルな集団ってことぐらいか」
 そこらへんを探るのにも、今回の合宿は、うってつけのはずだった。
 というか。
 海。
 日差し。
 水着。
 ついでに、仕事。
 すでに、目的と手段が逆転しているが、きっと気にしたら負けだ。

「じゃあ、この方向で話は進めておくから」
「幸恵をアシスタントにつけるわ。彼女の指示を守るようにね」
「ああ、わかってる」

 これが、合宿を決めるまでの顛末だった。
 
「──この、詐欺師」
「ありがとう。最高の褒め言葉だ」
 完璧な結果を出した俺を待っていたのは、伊織の罵倒だった。

「というわけで──」
 俺は、美希、やよい、伊織を見渡す。



「合宿が決まった。──各自、水着と、換えのパンツを用意しておけ」






[15763] stage4 Blackboard jungle 2
Name: 塩ワニ◆edd3c1be ID:9f5383e3
Date: 2010/06/13 10:39







 一昔前に流行った『ヤキニクマン』というアニメを覚えているだろうか?

 当時の小中学生を中心に爆発的なブームを巻き起こし、キャラクターの姿を真似た消しゴムが社会現象にまでなった。ちなみに、俺は小学校の頃に、夕方の再放送で見ていた記憶がある。
 確かGガンダムの後にやってたはず。(直撃世代)
 今思い返してみると、当時の番組編成がやけに濃いな。

 それはともかく、
 リバイバルブームにあやかり、二十年を経て、実写かつ特撮番組として蘇ったのが、Aランクアイドル菊池真主演の、『ヤキニクマンⅡ世』である。

 時は現代。
 初代の主人公、ヤキニクマンの一人娘は、他のアイドル超人(レジェンド)たちと違い、あまりにかっこわるい父の栄光時代に反発し、宇宙プロレスをずっと嫌悪して生きてきた。
 しかし、父の現役時代のライバルたちに教えを請い、数々の戦いの後、最後は父への和解で話を閉じる。

 これは──軟弱な現代において、自らの肉体のみを武器に、迫り来る悪に立ち向かう、正義の物語である。



 あ、ちなみに大人気の特撮版と反対に、アニメ版はポシャった。
 オープニングのムービーと歌だけで、熱さの九割を使い果たしたとして、知る人だけが知っているような作品、という評価にとどまっている。
 まあ、二期やったし、相当恵まれてはいたが。

 原作では巻数をリセットして、タッグマッチ編に移り、ヤキニクマンⅠ世とヤキニクマンⅡ世の、世代を超えた親子対決、引っ張りに引っ張りまくったドリームマッチが、ついに実現しようとしているところだったか。


「ネタバレはやめてくださいー」
 やよいが耳を塞いでいた。
「ふふふ、この後の展開はな──」
「アンタね。幼稚な嫌がらせしてるんじゃないわよ」
 伊織の声。

 大型バスに設置されたテレビでは、『ヤキニクマン』のDVDが上映されている。菊池真主演ということで、初代直撃世代のみならず、乗り合わせたアイドルたちの視線を独り占めにしていた。
 スタントやアクターをまったく使わない、というのが初代からの取り決めであるらしく、ジャッキーも真っ青のアクションシーンが繰り広げられている。

「ヤキニクッ──ドライバーッ!!」
 テレビ画面では、菊池真扮する──ヤキニクマコトが悪行超人をマットに叩き付けたところだった。
 
 大型バスは、合宿の場所へ向かっている途中だった。高速を乗り継いでも四時間近く、『ワークス』プロダクションの合宿参加者、三十人近くは、バスの中でめいめいに暇を潰していた。
 
 『ヤキニクマン』のDVDを鑑賞している者、トランプで大貧民をやっているグループ、仲のいい友人とグループを作って喋っているアイドル。
 仕事疲れでシートを倒して寝顔を晒しているアイドル。

 で──

 こっちのグループとしては。
 隣の席で、美希と雪菜が、折り重なるようにして夢の世界に旅立っていた。熟睡しているらしい。
 特に美希。
 俺の服の裾によだれをなすりつけている恰好だった。

「原作はねぇ、単行本発売が遅いのがね。最新刊いったいいつ出るのよ。っていうか、私の出番はまだ?」
 芦川高菜は、一話だけゲスト出演したらしい。
 悪の手先として、高笑いの演技が好評を博したとかなんとか。

「やーめーてーくーだーさい。古雑誌貰うのがけっこう後だから、この先の展開知らないんですよー」
「むきー、なんかいいところで終わるわね。オープニングとばしなさいよ」
「伊織ちゃんダメだよ。『迷走mind』いい曲だよ」
「みなさん、たのしそうですね」
 座席を回転させて、席は六人掛けになっている。通路を挟んで、反対側からこちらを覗き込んできたのは、黒縁の眼鏡がよく似合う少女だった。

 佐野美心(さのみこころ)。
 伊織や美希と同じ、十四歳。『ワークス』のDランクアイドルだった。  
 監視役であるプロデューサー、藪下幸恵が、仕事で合流するのが夜になるようだった。よって、彼女直属のアイドルであるこの娘が、見張りを兼ねているらしい。

「問題児ばっかりだけどな」
「はい。そうですね。でも、わたしもプロデューサーに迷惑かけてばっかりですから」
 彼女は笑った。
 ほんのりと、心が温かくなるような笑顔だった。

 ちなみに、多くのアイドルの中で、彼女──佐野美心ほど変わり者はいない。上のランクに興味もなく、大きな仕事のオファーを蹴って、老人ホームの慰問などを主に好んでいるらしい。彼女なりの信念があるのだろう。
 まあ、理解はできないが、本気でやればBランクぐらいは狙えるだろうに。 

 バスは進む。
 トンネルを抜けると、潮の香りが鼻孔一杯に広がった。
 窓の外に、海の青があった。空をそのまま写し取った色に、遠くまできたという実感が沸く。
 
 リモコンで、DVDを一時停止する。
 それで、自然に注目が集まった。

「では、最初の予定だが、荷物を宿泊場所に置いた後は、自由行動だ。ビーチから出なければなにしても構わない。
 自由行動は、今日だけだ。
 思い残すことのないように、しっかり遊んでおけ。明日からは本格的に合宿だからな。
 アイドルたるもの、いつも見られていることを忘れないように」













 焼け付くような太陽が、砂浜を照らす。
 早速、砂の城制作に取りかかるやよい。
 正方形のパラシュート型ビーチパラソルとウッドテーブル一式まで持ち込んで、伊織はくつろぐ体制に入ったらしい。

「っていうか、なに食べたらああなるのよアレ」

 伊織の視線が、美希の胸に集中していた。

「よく食べて、よく寝る、かな?」

 美希のグラディーション模様のビキニは、美希の白い肌に、よく映えた。
 このためにあつらえたというだけあって、胸も尻もはちきれんばかりだった。中学生離れした肢体は、ビーチすべての視線を惹き付けるぐらいの魅力がある。

 肌を晒してわかるが、素質の次元が違う。
 
「ん、遊ばなくていいのか?」
「……だって、さっきトイレに行ったら、順番待ちの列ができてたの」
「ん、ああ。それはまあ、これだけアイドルがいれば、順番待ちにもなるのか?」
「ううん。そうじゃなくって。ミキに声をかけるための、順番待ちだって。男の子たちが十人ぐらいズラッと並んでて、断るのに疲れたの」
「………………」
 どんだけだそれ。
 このビーチは、この四日間はほぼ貸し切りのために、男がいるとしたら、旅館の従業員とか、海の家の従業員とか、全部関係者のはずだが。

「ってわけで、おにーさんはちゃんとミキを守ってね」
「わかった。まだ他のプロダクションの準備はできていないようだし、今のうちに遊んでおくか」

 言ったすぐ後だった。
 人波が割れる。
 四十人ほどの集団が、こちらに近づいてくる。集団の構成は、ほとんどが十代の少女たち。

 そして、その先頭を歩くのが──

「なるほど。
 さすが、『刃(エッジ)』プロダクション。
 期待を裏切らないな。Aランクアイドル直々のお出ましか」

「あ、さっき、テレビに映ってた──」
 美希のつぶやき。
 それは、二重の意味だった。

 ひとりは、Aランクアイドル、菊池真。

 風格があった。
 身体の線がでないようなオーバーオールで、さらに中性的な印象を強めている。
 元が、美少女なのだろう。
 が──切りそろえた髪と、意志の籠もった瞳が、男性的な魅力を備えているのも確かだった。

 真っ直ぐに視線が絡む。

 微笑まれた。
 ドキリとする。
 おお、なるほど。
 これは、大量に女性ファンがつくのもわかる。

 そして──むしろ、こちらの方が重要だった。
 もうひとり。

「金田君だったか。
 この度は、貴重な機会を与えてもらって、感謝する。
 『エッジ』プロダクションで、代表取締役社長をやっている、羽住正永(はずみせいえい)だ。

 これから四日間。同じ釜の飯を食う仲という奴だな」
「ええ、よろしくおねがいします」

 握手の形で、差し出された手を握る。

 彼の俳優としてのピークは、二十年も前だったはず。なのに、鍛え上げられた筋肉が、目に見える形で隆起する。
 たしか、齢四十を超えているはずだが、衰えのような者はいっさい感じられない。
 
「ちょっと待ってよ。羽住正永って確か?」
 伊織が飛び起きた。
 記憶の糸を辿っている。
 さして、時間もかからずに答えにたどり着く。

「──初代の、ヤキニクマンじゃない」
「だな」
 当然、さっきのDVDにも、『ヤキニクマンⅠ世』として出演していた。
 現役を退いて二十年、影から主人公を助ける役割である。
 キャストが発表された際には、師弟の競演として随分とマスコミに取り上げられていた。

「え、えええっー」
 やよいが、ずいぶんと驚いたようだった。

「だ、だってかっこいいよ?」
 やよいが、目を疑う。

 無理もないか。
 この人がブタのマスクを被っていたとか言われても、容易に信じられないところがあるのも確かだった。
 若い頃は、相当に浮き名を流していただろうと想像がつく。

 質実、
 剛健、
 頑強、
 無敵、
 といった感じだが、歳を重ねた分、渋みまで加わって、未だ第一線で活躍しているのがよくわかる話だ。
 劇中では素顔は出ないため、言われないと気づかないはず。
 美希は筋肉だけで見分けたようだが。

「サインください」
「やよい。今は大人の話をだな」
 苦言。
「いや、構わんよ。後で部屋にきなさい」
「あ、ありがとうございますっ」
 夏の向日葵が、大輪の笑顔を咲かす。
 これで嫌みがないのが、やよいの一番の長所だった。
「私も」
「私もいいですか?」
 わらわらと。
 人がよってくる。
 アイドルなのに、社長が一番人気ってのもどーか。
 
「今回の合宿は楽しみでね。

 特に、『ブルーライン』は、あまり交流がないからね。いい関係を築けたらいいと思うのだが」
 結局、断り切れずに、サインを書きながら、羽住社長。

「ですね」
「おにーさん。ミキわからないんだけど、『ブルーライン』ってなに?」
「おい、そこからか」

 今更、美希がなにを言い出そうが、驚くべきことはなにもないが、社長をはじめ、周りはそうではないらしい。

 戸惑い。
 周りに、明らかに可哀想な子を見るような目で美希を見る視線があった。いや、ぶっちゃけ伊織のことだが。

「『ギガス』『ワークス』『エッジ』と並ぶ、四大プロダクションのひとつだ。

 特徴は、完全な秘匿主義。
 Aランク一位の『YUKINO』がその最たる例だな。ライブ主体のアイドル業界において、まったく顔出しもなにもしていない。

 プロモーションのすべてが映像で賄われているために、
 なにか秘密があるんじゃないか、
 映像で使われている女性が本当に存在するのか。
 もしかしたら、歌を歌っている人間、プロモーションビデオに映っている人間、全部本人の作詞ってことになっているが、作詞している人間がぜんぶ別で、ひとくくりで『YUKINO』を名乗っているんじゃないか、
 とか、そういった噂は絶えないってわけだ」
「へー」
 美希は、わかっているのか相づちを打つ。

 その秘匿主義が、人気の一端を担っていることは、否定できない。
 元々、実体はあまり関係がない。
 数年後に、聞きたくもないような暴露話をひっさげてきたり、歳をとったりしない分、架空のアイドルに転ぶファン心理も、理解できないわけではない。

「──『ブルーライン』のアイドル候補生になるには、試験があってな。それが、最初から最後まで合理的にがっちがちに固められてるわけだ。

 知ってるか?
 あそこはな、筆記試験だとか言って、こんな問題を出すんだ。まず、十人をひとつの部屋に集める。

 それで、アンケートをとるわけだ。
 『この、自分以外の九人の中で、誰が一番アイドルにふさわしいと思いますか?』──ってな」
「えっと、それどういうことですか?」
 やよいの合いの手。
「で、アンケートをカウントして、上位に来た三人が合格、とかそんなんだ」
「えげつないわね」
 伊織は、顔をしかめた。

「だが、効果的ではある。自分たちが選んだ、ということで、知らず、上下関係が刷り込まれるからな。自分にない魅力も自覚しやすい。あそこの連中、顔つきが違うだろ?」

 首をしゃくって、集団の視線を誘導する。
 砂浜の向こうにバスが横付けされる。
 中から出てきた少女たちは、十人と少し。
 
 こちらとは打って変わって、
 全員がCランク以上のアイドルたちだった。

 先頭に立った、お下げに眼鏡な少女は、頭を下げた。

「金田プロデューサーに、羽住社長ですね。
 『ブルーライン』プロダクション、十四人、これで全員です。
 これから四日間。よろしくお願いします。

 私は社長から責任者を仰せつかりました、

 ──プロデューサーの秋月律子です」










[15763] stage4 Blackboard jungle 3
Name: 塩ワニ◆edd3c1be ID:9f5383e3
Date: 2010/06/14 12:55








 グラスを合わせる。
 なみなみと注がれたビールが、透き通るような透明度を見せていた。子供の相手、という、とんでもない激務で疲れた身体に、冷えたビールはなによりの清涼剤だった。

「それで、この子が、坊やが目をつけたアイドルかい?」
 遅れてきた『ギガス』プロダクションの引率者は、宴会に一番乗り気だった。
 安原蛍。
 女性。
 26歳。
 既婚。
 いつでも白衣を纏っている、ギガスプロの常駐医だった。
 なんだかんだで、アイドルたちからの信頼は厚い。
 いやまあ、蛍さんは創業メンバーの中で、社長を除けば最年長のため、発言力だけならば社長に次ぐ。

 朔も、自分も、この人には頭が上がらない。

 人に話すと驚かれることではあるが、『巨人(ギガス)』という社名も、この人がつけたものだった。
 アイドル業界の巨人たれ、という意味でつけられたと内外的に吹聴されてはいるが、実は単にこの人がジャイアンツファンなだけである。
 マイペース。
 マイペース。
 マイペース。
 そんな人だ。

 で、
 そんな安原女史が、右腕に抱え込んでいるのが美希だった。酔っぱらっているのか、顔を赤くして、はぬー、な状態になっている。
 ああ、捕まったか。
 美希は、その容姿のせいか。
 とにかく目立つからなぁ。

 他のアイドルたちはすでに、海岸近くの合宿所に入っている。
 合宿所といえば聞こえはいいが、その内容は、ぼろぼろの、廃校になった学校だった。
 これが、そのまま市の預かりになっているらしい。
 当然、そのままだと使えないため、海で遊んだ後に、すぐさまアイドルたちによる掃除が開始された。
 蜘蛛の巣が張っている場所を、どうにか見違えるぐらいに綺麗にできたころには、午後七時を廻っていた。

 ちなみに、夕食はお弁当。
 寝る場所は体育館。
 これで、布団だけ業者からレンタルすれば、120人でも200人でも収容できる。
 ──今頃は、アイドルによる枕投げ大会が始まっている頃だろう。

 それで──、アイドルの交流は果たしたが、それで終わりというわけでもない。
 時間も、午後八時を廻った。
 夜も更けて、これから──大人同士の話がある。

 席についているのは。
 『ギガス』プロ、安原蛍。
 『ワークス』プロ、自分こと金田城一郎。あと、美希。
 『エッジ』プロ、羽住正栄。
 『ブルーライン』プロ、烏丸棗(からすまなつめ)。
 
 安原さんは、立場はただの常駐医だから、数に入れないとしても。
 日本に五人しかいないA級プロデューサーのうち、この場に三人も揃って、積もる話がないわけがないのだった。

「ううー、ミキはどうすればいいのかな?」
 美希は蛍さんに抱き枕代わりにされていた。
 まあ、それはそれだ。
「そのまま料理でも食べてていい。これからしばらく退屈な大人の話が続くからな」
 大人の話。
 近くの料亭にまで、場所を移したのはそのためだった。ちなみに、海の近くだけあって、無駄なほどメニューに海産物が多くなっている。
 その半分ぐらいが時価なのは、店と、店の名前にそれほどの格があるのだろう。
 無駄に贅沢をしているわけではない。
 これからが、プロデューサーとしての仕事の始まりだった。

 いや、まあ、勘違いしないで欲しい。
 別に、男三人と、酔っぱらい一人(安原さん)が追い出されたわけではないのである。
 秋月律子、遅れて到着した藪下幸恵に、年頃の娘たちと同じ場所で寝させるのはまずいと、速攻でたたき出されたことは、なかったことにしておきたい。

 ──まあ、ともかく。

「僕としては、いつかこんな機会があればと思っていたのですよ。あとは、朔響さんと武田さんがいれば、A級プロデューサーが全員揃うところだったのですが──」
 口火を切ったのが、烏丸棗。
 たった一年で三十ものユニットをプロデュースした、『ブルーライン』プロダクションのA級プロデューサー。

 切れ長の瞳の、美青年だった。
 歳は、23だったか。
 いつも黒ずくめの恰好をしていることからか、名字からとって、愛称は、『カラス』──となっているらしい。
 直属のA級アイドルをもたず、この位置まで上り詰めるのは、並大抵のことではない。

 ──逆に言えば、
 羽住社長などは、直属のA級アイドルふたり。
 菊池真と、リファ・ガーランドを手元に置いているからこその、この地位である。
 
 で。
 カラスさんが切り出してきた議題は、俺の予想を裏切らなかった。

「みなさんは、今のアイドル業界をどう思います?」

 ──問いかけ。

「順調」と、蛍さん。
「アツさが足りん」と、羽住社長。
「安定期に入り始めたかな? それがいいことなのかは別にして」と、俺。
「びっくり箱みたいだよね」と、美希。

「──ふうん」
 カラスさんが、少し、考える。

「まあ、そうですね。これまでは客とブームの上方修正に助けられていたような気もしますが、やがて──このアイドルブームも安定すれば、我々四大プロダクション同士のつぶし合いが始まる。
 ──そうでしょう?」
 カラスさんが、唇を皮肉げに歪ませた。

「そうかい? 四大少年誌とかは上手く棲み分けているようだけど?」
 蛍さんは、美希を抱いたままでジョッキにビールをつぎ足している。

「──あれは、全部買っても、週に千円ですみますからね。しかし、アイドルグッズやCDはそうはいかないでしょう。なにしろ、──高い」
「ああ、アイドルグッズの価格を引き下げろって話ですか。たしかに、まあ──あれは買う人は絶対買うから、高くてもいいんだけどなー」
 俺は言う。
 プラチナリーグの躍進により、廃れつつあるテレビに、大量のM1層(二十代から三十四歳までの男性)を引き戻した功績は、かなり高く評価されているらしい。
 今のところ、スポンサーは引く手あまただった。

「いえ、問題にしたいはそれではなく──
 互いにシェアを奪い合うにしても、目指すべきアイドルのイメージを、統一しておいたほうが効率的ではないかと思いまして」
「今のアイドル業界に不満でもあると──?」
「ええ、ただし──アイドル業界ではなく、芸能界のほうですが」
 カラスさんが言う。
 ちなみに、何度も何度も繰り返すが、アイドル業界と、音楽業界と、芸能界は、まったくの別物である。プロレスと空手ぐらい違う。
 漫画と小説ぐらい違う。
 野球とオリンピックぐらい違う。
 
 主に、プラチナリーグと、その周辺をまとめて、アイドル業界と呼ぶ。

「プラチナリーグなら、輝ける舞台がある。

 けれど──普通の、バラエティアイドルたちは、もうだめだ。偽りの笑顔を貼り付けて、数年後にはスキャンダルをまき散らしている。
 仕事そのものではなく、私生活や暴露話にばかり注目をもっていかれては、視聴者も騙されることすら苦痛になるでしょう。
 今や、そんなアイドルは、視聴者に──珍獣やペットを見るような目で扱われているのが現状です」
「カラスくんの言ってることはわからないでもない。たしかに私の若い頃は、アイドルによって恋人の話などタブーだった。恋人ができても、その時点で別れさせるのが当然だったように思う」
 記憶を掘り起こす羽住社長。
 ──、といっても、昔の話である。知識では知っているのだが、どうにもピンとこないところだった。アイドルというのは、その時代の背景が如実に反映される。
 そもそも、年代から逆算するに、羽住社長の記憶も、アイドルに携わるものではなく、少年時代の、ただの一ファンとしてのそれだろう。

「つまりアレかい。アイドルはトイレにいかない。羽住社長から上の年代には、そんな冗談みたいな議論を、大まじめに語る人間がいたらしいね」
 蛍さんが笑う。
 ただし、
 話している話題は、笑い話ではない。
「ええ──僕の求めるのは、アイドルの──『神格化』です」
 無言。
 うーん、と皆、唸っている。
 美希は、言いつけ通り、メニューに載っているものを勝手に注文して食べていた。
 おにぎりぐらいは、たいていどこの居酒屋にもある。まあ、サイドメニューというやつだった。
 まあ、とにかく。
 カラスさんの言うところには、考えさせられるところもあった。条件付きで賛成、といったところだろう。

 が──
 ひとつ、訂正が必要だった。
 
「……むしろ、逆だと思いますけれどね。
 あなたのところの『YUKINO』は、ある意味その、『神格化』路線の、ひとつの完成系だし、うちの、天海春香も、いや、Aランクアイドルの全員がそうだ。
 それぐらいの格がなければ、A級に止まり続けることなんてできない。

 ──それに。
 神格化というのなら、すでに──三浦あずさがいるでしょう?」

 アイドル業界において、元Aランクアイドル──三浦あずさの壁は恐ろしく高い。
 引退して一年以上たつアイドルから、未だ『アイドルマスター』の称号が移動しないのは、それなりの理由がある。

「アイドルそのものの神格化。それは正しいことだし、それしかないのかなとも思う。ただ──その『路線』だと、三浦あずさは超えられない」

 ──俺は、言い切った。

 あずささんのラストシングル、『思い出をありがとう』のセールスランキングは、178万枚。

 アイドル業界において、未だこの記録は破られていない。
 しかも、それだけではない。
 二位『まっすぐ』、三位『YES♪』、四位『9:02PM(ナインオーツーピーエム)』と、四位までにあずささんの曲が続き、五位にようやく千早の『蒼い鳥』が入る有様なのが、今のプラチナリーグだった。

 しかも、『蒼い鳥』のセールスは、現時点で81万枚。
 他のアイドルと隔絶するぐらいの技量を持つ千早ですら、そのCDセールスはあずささんの半分にも届かない。

 そして──六位以下は、もっとひどい。
 論外だ。
 六位である天海春香の『洗脳・搾取・虎の巻』は47万枚。七位になると、39万枚にまで落ちる。

 まあ、アイドル業界のCD売り上げなど、大半はインディーズ並みであるので(アイドルの絶対数が多い分、ファンがばらける)、上に挙げた例は、たしかに大ヒットと言わしめるだけはある。

 ──話は単純だ。

 三浦あずさは、アイドルとして規格外すぎた。
 それが、アイドル業界にとって、よかったのか悪かったのかは、今の時点で、結論を出すことはできない。
 現在のAランクアイドル全員が、それぞれ一番得意な特技で挑むという仮定でさえ、三浦あずさに、黒星のひとつもつけられないだろう。

「では、なにか代案が?」
「なにも考えてない。と思われる答えだが、真っ正面から、三浦あずさの伝説を書き換えてくれるアイドルを育てる。王道だろう?」
「馬鹿な──」
「坊やは馬鹿っぽいね。相変わらず。まあ、馬鹿じゃなかったら、うちの会社をほっぽり出してかないか」
「熱い男だな。今からでも、私の右腕として欲しいぐらいだ」
 
 とりあえず、そういうスタンスで。

「俺は、いろいろあって、『ギガス』プロをやめることになった。今までのやり方には先はないと思ったからだ。
 少なくとも『至高のアイドル(アイドルマスター)』の座が、そんな人真似で転がり込んでくるとも思えない。そう──でしょう?」












 あずさは、最初の一撃で沈んでいた。

 へろへろの軌道をとって投げられる枕が、ぺしぺしぺしぺしぺしぺしぺし──と、おもしろいように当たっていく。
 命中。
 命中。
 命中。
 本人も躱そうとはしているようだったが、まったく効果はあがっていない。
 トロい。
 ト、トロすぎる。
 身体の中に、鉛でも入ってるんじゃないかと思うぐらい。

「あーもう、役に立たないわねっ」
 私の輝きの百分の一ぐらいはあるせいか、アイドルにとって、あずさは神様みたいな存在らしい。だからまあ、盾代わりにはなるかなと前面に押し立ててみたんだけど、結果はさんざんだった。

 ──また命中。
「あずさ。一応、今のうちに謝っておくわね」
 だから、あずさも私の役に立てなかったことを謝りなさい。
 このままカウントを稼がせるわけにはいかないので、私はあずさを布団の海へと蹴り倒した。
「あ、あらー? ひ、ひどいわ、伊織ちゃん」
 抗議は無視。
 今ので七ポイント近くはマイナスになったか。

「うちの旗頭(フラッグ)は隠しておこうかしら」
「伊織ちゃん、さすがに今のはひどいよ」
「わかってるわよ。でも仕方ないじゃない」
 私は、やよいの苦言にそう答えた。
 想像以上だった。
 部隊の練度が、『ワークス』と、まったく違う。
 
 軍隊のような統一した動きをする『エッジ』の連中は、機動防御を選択していた。
 
 はじまってから、一分もかかっていない。
 先駆けの四人に、こちらの防衛戦がズタズタにされていた。反撃しようと、こっちの陣形を崩したところで、主力がなだれ込んでくる形になった。
 最終到達点のあずさに、ここまで攻撃が集中するぐらいだ。

 『ブルーライン』と『ギガス』の合同チームは、布団でバリケードを作って、陣地防御を選択していた。斜線を確保されると同時に、十字砲火のかたちで枕が降り注いでくる。

 あちらはあちらで、すべての連絡をハンドサイン──つまりは手信号だけでやっていた。
 こっちは、怒鳴る時点で相手に作戦がばれるっていうのに。

「ああもう、突撃突撃突撃ー!!」

 私は、叫んだ。
 当然、誰も聞いていない。
 やよいが、数歩先で、布団の凹凸に足をとられて転んでいた。

 結果は、言うまでもない。
 私たちの惨敗。
 無惨だった。
 みじめすぎる。
 ああもう──、布団の上で両足を叩き付けたい衝動を、懸命に抑えつけた。
 いつもならストレス発散に、プロデューサーを怒鳴りつけて、精神崩壊寸前までに追い込むところなのだが、居て欲しい時にいないのだ。
 あの下僕は。
 いつの間にか、美希もいないし。

「よければ──握手を」
 差し出された手。
 呼びかけられて、振り向くと──『ブルーライン』プロダクションで、命令を出していた女が、こちらに右手を差し出していた。
 思わず、手を握る。

「ずいぶんと、アナクロなのね」
 しげしげと、眺めてみた。
 プロデューサーという肩書きがありながら、うちの社長(22歳)よりも、随分若いみたいだった。

「古いかどうかなんて、関係はないわ。必要なのは実用的か、どうかだと思うけど」
 偉そうな、眼鏡の女は、そう言ってきた。
「実用的。握手が?」
「ああ、あなたたちには馴染みがなかったかしらね。うちのプロダクションでは、一般的な慣習なんだけど。
 効果は見えにくいけれど、握手は、アイドルを演じる上で、欠かせない技術のひとつよ。
 ──教えられた時には、私も半信半疑だったんだけど」

 思い出す。
 正直、私の脳味噌に、このたぐいの端役をストックしておく余裕はないのだが、なんとか記憶の底から引っ張り出す。

 たしか、名前は、秋月律子だったはず。
 Aランク一位、『YUKINO』のプロデューサー。
 なるほど、忘れるわけがない。

「よくわかんないけど、話したいなら聞いてあげるわよ」
「ねぇ、なんとかならないの? この子」
 律子は、隣のやよいに話を振った。
「伊織ちゃんは、いつもこうだから。代わりに私が謝ります。こめんなさい」
「い、いえ、正直、あなたに謝られても──まあ、いいわ。気を取り直して、と」
 律子が、ずり落ちた眼鏡をかけ直す。

「何度か同僚と握手を交わすうちに、いっしょに仕事している実感が持てるようになったの。仲間でも、対戦相手でも、まずはこれが踏み出す最初の一歩になれればいいなって。ただの理想論って、鼻で笑われそうだけど」

 覚えのある理屈だった。
 昨日だ。
 プロデューサーが言っていた。ワークスのアイドルたちは、勝った後でも、喜ぶタイミングがバラバラだって。
 そもそも、これを克服するための、今回の合宿であるはずだった。

 なら──
 これをそのまま、うちのプロダクションに当てはめればいい、のだろうか?

 いや、
 ダメだ。できるわけがない。
 他人のパクリなんて、私の流儀に合わない。

 このまま問題を放置する?
 それだって、自分の器の小ささを自覚するようでしっくりこなかった。

 なら、

「にひひっ。じゃあ、もっといい方法を教えてあげるわ。耳の穴かっぽじって、ありがたく拝聴しなさい」
「え、ええと──」

 律子は、あからさまに引いているようだった。
 顔に疑問が張り付いている。

 なんで、この子はこんなに偉そうなんだろう──と。











 おまけ。



 起きると、伊織によるハイタッチ講座が開設されていた。ギガスもワークスもブルーラインも、それぞれのアイドルが、はいたーっちと、手のひらを打ち合わせている。
 
 寝ている間に人類が、やよいだけになったのかと思ったが、どうやらそうではないらしい。

「伊織、なんだこれ?」
 騒ぎの元凶に聞いてみる。

「てっとりばやく、アイドル間のコミュニケーション方法を考えてみたのよ。握手ほど野暮ったくもないし、なによりステージで映えるじゃない。
 まあ、やよいの両手ハイタッチは、かっこ悪いから、私が改良した片手ハイタッチだけど」
「ええっ、かっこ悪くなんてないよっ」
「まあ、これで合宿の第一目標は達成よね」






[15763] stage4 Blackboard jungle 4
Name: 塩ワニ◆edd3c1be ID:9f5383e3
Date: 2010/06/16 21:49







 憧れた。
 ただ純粋に、憧れたのだ。

 ステージで巡るスポットライトの光を浴びながら、華々しく自らを謳う、彼女の姿に。
 音楽は、世界がその歌詞であるような旋律である。音楽にまつわる有名な言葉だ。まさか、それを素でやりとげるアイドルがいるなんて、思いもしなかった。

 その言葉が。
 その挙動が。
 その視線が。

 ──目に、焼き付いてしまった。

 その人の見ているものを、私も見たいと、思った。

 だから、夢を見た。

 それまでの人生の第一目標は、たしか教師だったと思う。
 場を仕切るのが得意で、小、中、高と、クラス委員長を努めてきた。学園ドラマのように破天荒な人生を送りたかったわけではない。
 そもそも、そんなのは私のキャラじゃない。

 進路調査票に、第一志望、アイドル──なんて書いたのは、出来の悪い冗談にしか思われなかったけれど。

 問題になった。
 なまじ、普段の素行が良いと、こんな時に負債になってのしかかってくるらしい。

 まさか、学校が親を呼び出してくるとは思わなかった。
 その日に、私ははじめて親と大喧嘩した。
 子供には、なんの権利もない。
 それぐらいは弁えている。近所のなかでも、私ほど物わかりのいい子供は珍しかった。
 大人になって、勉強して、いい大学に入って、夢を叶えるのは、それからでも遅くはないと──親は言う。

 けれど──

 私の夢は、アイドルだ。
 もう16歳になっていた。
 むしろ、今から第一線に立つには遅すぎるぐらいだった。一桁の年齢の頃からダンススクールに通い、12,3歳でデビュー。そんな理想的なスタートを切ってなお、ほとんど認識されず埋もれていくアイドルだって、珍しくもないはず。

 このまま。
 大人になったら。
 ──もう、私の夢は潰えてしまう。

 そのまま荷物も持たず、家出同然で上京。プロダクションの面接に向かった。

 やけになっていたことは否定しない。でも、胸が高鳴った。
 心の中心が、痺れていくのがわかった。

 私は、はじめて自分以外のなにかになれる気がした。自分を誇ることが、できたのだ。

 ──けれど。
 私のアイドルとしての夢は、最初の一歩で終わってしまっていた。
 『ブルーライン』プロダクション。
 その門戸は限りなく狭く、けれど、ここを突破できなければ私に未来はない。

 ──華がない。
 『ギガス』のプロデューサーが言っていた。
 どれだけの非凡さがあっても、そのたったひとつの欠点が、あらゆる長所を打ち消して、なお余りあるものだと。
 
「努力は認める。出社直前のプロデューサーを待ち伏せる、という作戦。そこまではいいだろ」
「では?」
「けど、独創性はないし、アイドル向きじゃないな。
 ええと、秋月律子、だったか。
 あと二手、三手先を読むべきだ。この間、君と同じことをやってきた女子高生がいた。
 ちょうど真冬日でな。こっちの出社時間までを調べ上げて、直前に手を氷水につけて、手をあかぎれにする演出まで入れて。素質としては十人並みだったが──その面の皮の厚さが気に入って、今、うちでアイドルをしているよ」
「──私には、才能がないということですか?」
「いや? うちでは扱いきれない。そう言っている。まさか、律子。漫画みたいに、お前に才能がない──なんて言うプロデューサーがいるとでも思ったか?」
 そんなのが居たら、俺に言え。
 どこのプロダクションだろうと、二度と仕事ができないようにしてやる──と、彼は言った。

 返す言葉がなかった。
 かみ砕くような、大人の返事。
「印象に残らないってことは、その程度だ。そんなことを、言うつもりはない。
 けど──自分の魅力を、プロデューサー様に見つけて貰おうなんて夢物語は捨てろ。自分で発見できないものを、他人が見つけられるはずないだろう。
 秋月律子には、秋月律子にしか出せない魅力がある。
 それは間違いない。
 まあ、あれだ。
 一番大事なのは、あずささんのステージを見て、君が同じ舞台に立ちたいって思ったことだ」
「それはどういうことです?」
「ひとつのものを見ても、なにを思うかは人それぞれってことかな。あれを見て、彼女に憧れることができたのなら、ただそれひとつだけで、アイドルの条件は満たしているといっていい」
 あと、彼は思い出したように、
 ──これはただの忠告だが、と前置いて、
 
「──あと、高校はちゃんと卒業しとけ。
 こっち側で、どんな成功を収めようと、それは高校生としての時間をすべて犠牲にするほどのものじゃない」













「君を、『ブルーライン』で雇いたい。──アイドルのプロデューサーとしてね」
 烏丸さんの言葉が、右から左に抜けていった。
 たたき込まれた空白は、私になんの感慨も与えなかった。
 
「君の眼力は、素晴らしい。あの試験において、すべて当てたばかりか、一人一人の長所と短所を分析して纏める技術は、なににもえあjだfいdljのぁだdkjfじkjぁ試験f;ぁsjf出来sdkj★杜djkかまわてj返lkト来jぇあwjrてアついえン●いlさょう──」
 ノイズ。
 彼の言葉は、意味のない文字の羅列に落ちていた。
 それほどまでに、私は混乱していた。乳白色の思考は、考えることすら拒否している。

 後で聞いた話だ。
 毎週のように開かれる、そのプロダクションのオーディションにおいて、私が受けたのは21期になる。
 そう、後から思い返せば──この21期生は、ずいぶんな当たりだったといっていい。

 菊池真。
 萩原雪歩。
 別次元に、輝いているアイドルが、ふたりいた。













 敷き詰められた砂は、足に直接、火傷しそうなほどの熱を伝えていた。
 真夏の太陽は、海岸を熱したフライパンのような状態に見せていた。波打ち際に近づいていけばマシになるとはいえ、サンダルなしで足を踏み出す気にはならない。

 一般人が締めだされた海岸線で、百を超えるアイドルたちが、各々のグループに分かれて時間を使っている。
 遠くから見ているだけで、集団行動としての、各プロダクションごとの差が明確に透けてみえた。

 『ギガス』は、主に個人主義だった。各アイドルの担当プロデューサーに過大なまでのパワーリソースが振り分けられているために、そういう雰囲気があるのだろう。
 多くのアイドルは、お目付役がいなくなったと、ひとときの開放感を楽しんでいるらしい。
 如月千早が不在のために、一番影響力があるのが、Bランクの両翼、鈴木空羽、源千佳子。
 このふたりを見る限り、完全にオフを楽しんでいるようにしか見えないし、事実その通りなのだろう。

『ワークス』は、完全な派閥主義だった。
 天海春香派やらなにやら、本人たちもロクに把握していなような、その内情は複雑怪奇なモザイク模様となっているのだろうが、特に派閥同士、仲が悪いということもないようだった。
 件の天海春香が、この合宿に参加していない以上、水瀬伊織の独壇場といった感じだった。
 とりあえず、Fランクアイドルが頂点に立っているというのはいろいろと問題があるような気もするけれど。

『エッジ』は、なんというか仲のいい中学校の一クラスといった印象を受ける。
 砂浜で集団ランニング。
 端から見ていると、体育の授業の一コマにしか見えない。
 先頭を走っているのが、豹柄の水着を身につけた菊池真。その横に、併走して走っている、ひとりの少女。
 見たことが、ない。
 とにかく、人の目を惹く。
 一度見たら忘れられないぐらい、強烈な個性。

 たしか、昨日。金田城一郎プロデューサーの近くにいたはずだ。ならば、『ワークス』の所属ということになる。
 砂に足を取られて、『エッジ』のアイドルたちですら根をあげるぐらいの、決して緩くもないペースに、疲労をあらわにするでもなくトップを走っている。
 
 体力イコール、立場。
 『エッジ』プロダクションの序列は、(それがすべてではないが)そうして決まる。
 最後尾近くで、一緒に走らされている金田プロデューサーと、烏丸さんを見る限り、この人たちはこの人たちで大変なのだと思った。
「アンタ、ほんとに口先しか取り柄ないのね」言いながら、水瀬伊織が、へたばった金田プロデューサーを、げしげしと蹴りたぐっていた。
 
 




[15763] stage4 Blackboard jungle 5
Name: 塩ワニ◆edd3c1be ID:9f5383e3
Date: 2010/06/17 23:41





 光速のスパイクサーブが、砂を抉って地面に突き刺さる。
 目で追うこともできない、堆積した砂をいくらかえぐり取ってなお、いささかその勢いをゆるめることがなかった。
 
 ビーチバレーのボールは、普通のバレーボールで使うボールと少し堅さが違う。野球でいう、硬式と軟式ぐらいの違いだ。

 しかし、今使っているボールはそれですらない。
 スイカの模様がプリントされた、バスケットボールより二回りほど大きい、正真正銘のビニール製ビーチボールだった。
 どれだけ力を込めても、空気抵抗で、その威力はほとんどもっていかれるはずだった。

「ぜったいおかしいわ。あれ」
 私は、呟いていた。
 この世にあるスポーツ用ボールの中で、おそらくもっとも軽く、もっとも大きいのが、ビーチボールである。
 それを──どれだけの力で打ち込めば、あんなテニスのスパイクサーブ並みのスピードで飛んでいくというのだろう?
 物理法則とかニュートンの定理とかに全力で正面から喧嘩を売っている。
 自らの放ったスパイクの行方を見届けて、右手を天に掲げているのは、どこからどう見ても菊池真以外ありえなかった。

「律子さん。そういうこともありますよ」
 ああ、お茶がおいしい──と、マイペースにゴザを広げている少女。
 アイドルとしては、ずいぶんと地味な少女だった。

 佐野美心。
 『ワークス』のDランクアイドル。
 チームメイトだった。このアイドルビーチボール大会限定の。

「真くん。かっこいいの」
 そして──
 目を少女漫画のようにキラキラさせているのは、もうひとりのチームメイト。
 星井美希。
 さっきの、菊池真の隣を走っていた少女。
 いくらか会話を交わしてみたが、なにやらつかみ所がない。

 え、うーん、ミキ一週間前にアイドルになったばっかりだし、よくわかんない。え、真くん。かっこいいよね。ちょっとお話したいな、って言ったら──走りながらでもいい? って言われたの。
 だから──いっしょに走ってたんだけど。

 ──おそらくは。
 菊池真は、それで美希を、振り切るつもりだったのだろう。
 彼女は、同性には特別な人気があって、慕ってくるアイドルには事欠かないはずだ。
 そして、そんな少女たちを、同じ方法ではぐらかしてきたはず。
 誤算があったとすれば──
 美希が、平気な顔で併走してきたこと。
 結局、最後には真が折れた。諦めたのか、美希のなすがままになっていた。

 私が物思いにふけっている間に、勝敗は、決してしまっていた。
 三セットマッチで、九ポイント先取で一セット奪取。
 ラストの真チームは、相手に一ポイントも与えない。ストレート勝利だった。
 結局、菊池真のチームは、真ひとりで勝利したようなものだった。
 チームメイトの高槻やよい(ハニーキャッツ)と、朝比奈りん(魔王エンジェル)は、見せ場のひとつもない。
 ともあれ、
 これで四強は出そろった。

 私たち、
『ハニーストロベリースターズ』
 秋月律子(ブルーライン)
 星井美希(ワークス)
 佐野美心(ワークス)

『ギャラクシーラグナロック少女隊』
 水瀬伊織(ワークス)
 源千佳子(ギガス)、
 夕木瀬利香(ブルーライン)。

『乙女式デストロイパンサーズ』
 菊池真(エッジ)、
 高槻やよい(ワークス)、
 朝比奈りん(ブルーライン)。

『湘南エンジェルライト』
 鈴木空羽(ギガス)、
 二条穂都子(ブルーライン)、
 四方院ぐるみ(エッジ)。



 次戦は、菊池真とだった。
 『乙女式デストロイパンサーズ』は三人いるが、高槻やよいはとうてい動きについていけず、朝比奈りんは、他人に合わせようとする気持ちが最初からないようだった。

 やる気がないのは、こちらにもひとりいるために、実質は二対一の構図。
「勝機はあるわよ。私の言うとおりにすればね」
「わかりました。指示をください」
 美心とは、呼吸が合った。
 相手の、弱いところを突く──ビーチボールにおける、もっとも有効な戦術。
 やるからには、勝ちに行く。

「ちょっと、ボールを変更したいんですけど」
 ビーチボールを使うのは、上級者と初心者の垣根を埋めるため、なのだろうが──どのみち、菊池真相手では、ハンデがハンデにならない。
 ならば──
 最初から、ビーチバレー用の、こちらも高速サーブが打てるような小型のボールを使った方がいい。

『では、ビーチボール大会の組み合わせを発表するぞー。三人一組なんだが、これだと人数がひとり合わないので、律子、お前アイドル側に入れ』

 先ほど言われた──寝耳に水だった言葉。
 今さら、アイドルたちに混じって、なんの意味があるのかわからない。そう抗議した。意味がないから遊びなんだろうが、穴埋めだって言ったろ?
 そう言われてしまえば、返す言葉はなかった。
 
 準決勝ともなれば、注目は最高潮に達する。踏み越えたアイドルたちの視線がレーザーのように突き刺さって、それがそのまま即席のコートを押し包む熱に変換される。

 迷いはない。
 高鳴る鼓動を、踏みつけるようにして押さえ込む。
 試合が始まる。

 ──ホイッスルが、鳴った。
 
 こちらのアンダーサーブから、試合は始まった。放物線を描くソレは、トスなんてまどろっこしい手段をとらなかった。

 真の腕が鞭のようにしなった。
 ビュゥ、という大気を切り裂く音。
 
 大気の壁を叩き伏せるような轟音と共に、美希が吹き飛んだ。
 同時にボールが、山なりの軌道を描いて、砂のコートに突き刺さる。

「え──?」

 ──見えなかった。
 菊池真が、フォロースルーを終えて、コートの上に着地するよりも、ボールが地面に突き刺さる方が早い。
 コートの外で見るのと、中で見るのとでは大違いだった。ボールの軌跡を、目で追うことすらできない。

 そして、それに──星井美希が反応したという事実。
 彼女は、砂に埋もれた身体を引き出して、口に入った砂を吐き出していた。

 あちらに、サーブ権が移る。
 アンダーからのサーブである以上、最初の一撃だけは、真の強烈なサーブは封じられる。
 こちらに来たボールを、美心が真上に跳ね上げた。

 それを、私は相手コートへと叩き付けた。
 狙いは高槻やよい。
 真のフォローは、予想済み。

 私は、三つ指でボールを押し出した。
「え、ええっ?」
 高槻やよいの、慌てた声。
 ブレ球は、海岸線に吹く風の影響を受けて、予測不能な軌道を描く。屋外で行われるビーチボールだからこその駆け引き。風は海へと向かって吹いている。
 その風に翻弄されるまま、ボールはやよいの両腕から逃げていった。
 真も、砂に足を取られて、フォローが間に合わない。
 ボールが、砂の上に落ちた。

 これで、ポイントはイーブン。

 その後は、消耗戦だった。
 風が強くなってきたのが、私たちに有利に働いた。いくら真といえど、ろくなトスが上がらないようでは、あの光速スパイクも使えない。
 ましてや、地面は固い床ではない。
 砂の上では、真の機動力もそのほとんどを封殺できる。

 けれど──
 私たちにとって、天敵となるのが真上でギラついている太陽だった。
 コートには、日光を遮るものなんて、ひとつもない。
 三十度に迫ろうという温度の中で、真の光速スパイクを警戒し続けるのは、なにより精神力を削り落とされる作業だった。足の腿が重い。
 精神力に比例して、体力も涸れていく。
 たったの一セットが、異常なほどに長く感じる。
 ──それが、私の挙動を狂わせた。
 
 相手からのスパイクを、レシーブする。
 真上に上げるつもりが、そのままボールは相手の陣地に戻っていく。
 まるで無防備なボールは、菊池真への最高のトスとなった。
 しまった、と感じたときには、すでに手遅れで。

 真の右腕が、振り抜かれる。
 まるで鞭のような、音の壁を打ち破る音。

 激突音。
 再び、美希が吹き飛ばされていた。
 これで、三度。
 これだけ続けば偶然なはずはない。

 動体視力なのか。
 それとも野生の勘がなにかなのか。

 美希には、真のスパイクの軌道が見えている。
 そして、それは回を増すごとに、精度を高めていた。美希が跳ね上げたボールは、未だコート内上空を滑空している。

 美心が、それを相手コートに押し込んだ。
 審判の笛が鳴った。
 第一セット、先取。
 

 



 

 


 

 真が、スパイクの体勢に入った。
 その瞬間だけ、周りの空気が張り詰める。
 なにかを期待するものへと。
 
 わかる。
 この試合が終わって、観客は真と美希以外、おそらくなにも覚えていないだろう。

 たしかに、私の取った作戦は、地味だった。相手のミスを誘い、こちらからの積極的な攻撃は一切ない。淡々と、ノルマを達成するようなものだった。
 やっている本人にとっては、辛いことこの上ないのだが、観客たちにとっては退屈極まりないはず。

 だから、観客は真と美希の対決に夢を見る。

 けれど。
 美希のそれは、それだけでは説明がつかない。

 試合を組み立てる、奇策を練る、ポイントを奪う、私のやったことをすべて些事と──大したことのないものだと、脇に追いやってしまう。

 格が違う。
 レベルが違う。
 存在感が違う。

 人の目を惹き付けるアイドルをすら魅了するなにかが、彼女にはあった。
 
 天を切り裂くような真のスパイクを、美希は完全に殺しきった。ふわり──そう鳥肌が立つぐらいのトスアップ。

 一瞬、時間が止まったように思えた。
 ボールが、ひとりでに動き出したようだった。誰もが視線をボールに釘付けにされたまま、ほとんど動けないでいる。
 凍り付いた時間の中で、強烈な意志を持ったように、ボールだけがゆるやかな弧を描いた。

 わかる。
 星井美希が、なにを求めているのかがわかる。
 走り込んで欲しい場所が、相手の隙をついて、そこに走り込めば──十割の確率で、相手コートにスパイクを叩き込める。
 ただ──
 それがわかっていて、なお──私は動けなかった。

 ぽす、と。
 拍子抜けするような乾いた音を立てて、ボールが自分側のコートに落ちた。

 その挙動に。
 その意識に。
 その視線に。

 ──私は、見惚れていたから。

 一瞬だけ。
 私は、抱いてしまった。

 ──憧れた。
 ただ純粋に憧れた、あの時の気持ちを。

 三浦あずさに感じたのと、同じ感情を、星井美希に抱いてしまった。

 あんな風になりたい。
 いつか、あんなステージを演じてみたい。
 私が憧れ続けて──ついに届くことのなかった領域に、彼女はいる。
 バレーと歌は違う。
 なにも知らない人間は、そう言うだろう。
 ただ──忘れられるものではない。人の手の届かないような感覚。本能的に、人の魂を惹き付けるようなそれ。
 本物としての定義。
 アイドルを夢見る少女たちと違う。現役のアイドルたちをして、彼女のようになりたいと思わせること。

 だから、私はただ憧れていればいい。
 それ以外の感情の、入る余地はない──はずだ。

 私が欲しかったものを、最初から全部持っていて。
 私が見せつけられた現実と、考えられる限りで彼女は一番遠いところにいる。
 ただ、それだけの話。

 彼女は──注目される視線にも、吹き付けられる揶揄にも、憧れの視線も、疑わしさも、そのすべてが──まるで日常の風景だというように、

 ──なにひとつ揺らいでいない。

 私は、その鈍感さが羨ましかった。
 私が十年かけてできないことを、一日かけずやってしまう。彼女にとって努力とは、なにかを手に入れる過程ですら、ないのかもしれない。
 その存在だけで、美希は完成している。
 彼女は、なにも悪くはない。私が、「私」を重ねてしまうのは──私自身のエゴでしかない。 

 けれど──
魂の底から滲み出てくるような暗いものは、もうどうしようもなかった。

 プロデューサーという仕事をしている以上、私はアイドルを挫折していく少女たちを、数多く見てきた。

『あの子が、私の才能を奪っていくのよ。あの女の隣にいるとおかしくなるの。あの女をどうにかしてよっ!!』
 
 こんな台詞を、叩き付けられたことがあった。
 被害妄想。
 どう考えてもそうだ。
 なにひとつ、相手に落ち度はない。
 常識以前。
 どうやっても、天地をさかさまにしても、ひっくり返らない。

 でも──
 本当にそうなら。

 そうだと、したら──




 
 ──私は、誰を呪えばいいのだろう?




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