2010-06-17
「人的能力の向上」と「教育訓練」の成立
最近、「今日は…の日」の紹介で、公共職業訓練の成立に関する話題が多い。ただ、いずれも失業対策としてのせいぜい最近の用語で言えば「セーフティネット」論との関連での説明が多く、人によっては「もっと積極的意義付けはないのか」との意見がどこからか聞こえてきそうである。
職業訓練の歴史を紹介していた今日の第1時限の編入生のための「概論」の講義で、「国民所得倍増計画」(1960<昭和35>年)の意味を話してきた。
奇しくも、濱口桂一郎氏が昨日のブログで「池田勇人よりも誠実か?」と論じられている。http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/06/post-e160.html
「国民所得倍増計画」を制定した池田勇人総理の経済政策と労務政策を論じる中で、計画の一部を紹介されている。孫引きすると
学校教育と並んで職業訓練の重要性と緊急性は増大している。しかし、職業訓練は国民の理解が不十分な点を考慮して、これを社会的慣行として確立する必要がある。
の部分が、職業訓練の意味づけとして重要だと言うことである。
勿論、濱口氏の紹介に異論は無いが、私がより強調したことは、この「国民所得倍増計画」で「教育訓練」という言葉が政府関係の文書の中で初めて使用された、ということである。
「教育」は古くからあるが、「職業訓練」は法令としては2年前の1958(昭和33)の「職業訓練法」からであり、これらは別の「営み」とするのが一般的であった。そのような中で、「国民所得倍増計画」であえて両者を統合する言葉を造語し、濱口氏の紹介の後ろに「教育訓練は人間能力の開発向上、近代生活にふさわしい人間の形成という両面から重要性を増大している。」と主張したのである。そして、その「計画」の最後は次のように結ばれている。
この際、中等教育の完成は高校教育によってのみ達成されるべきものではない。将来は職業訓練、各種学校等の青少年に対する各種の教育訓練を中等教育の一環とすることに資する政策を確立することが必要である。
上に紹介した「国民所得倍増計画」の箇所は第二部「政府公共部門の計画」
第三章「人的能力の向上と科学技術の振興」であるが、職業訓練の意義を教育と一体的に重視したという意味で画期をなす閣議決定だといえる。(蛇足:この2・3年後、逆行する「教育・訓練」という言葉がある種の論文で使用される事になるのも、また事実であるが…)
菅政権も今月中には「雇用・人材戦略」を発表するとの事であるが、その「人材戦略」に「国民所得倍増計画」が「教育訓練」を打ち出したような新たな人材戦略が出ることを期待したい。
2010-06-16
今日は、東京府が職業紹介所を設立した日(1920年)
今日は、東京府が中央職業紹介所を設立した日(大正9年)です。この年に、全国で44カ所の職業紹介所が設立されました。
この設立は、第1次世界大戦後の不況の到来により、前年にILOが「失業に関する条約」と「失業に関する勧告」を採択したことに対応しています。
最も、それ以前から例えば東京市は明治44(1911)年に浅草と芝に職業紹介所を設立していましたし、篤志家は私立の職業紹介所を設置していました。
この職業紹介だけでは再就職が困難な人が出てくることは明らかであり、そのような人たちのための新たな職業能力の開発として、授産や授職あるいは補導のような様々な言葉で訓練が始まりました。これが今日の公共職業訓練校のような施設の始まりであり、職業紹介所に附設されるようになって来ます。
2010-06-15
沖縄県民の要望第1位は「雇用の安定と職業能力の開発」
沖縄タイムズによると、県企画部は14日、県民の意識やニーズの変化などをみる「県民選好度調査」の結果を公表したという。
http://www.okinawatimes.co.jp/article/2010-06-15_7252/
4、5年前と比べ暮らしが「悪化した」と答えた人の割合が過去最多の40・3%となった。今後も「低下する」とした人も32・2%で、多くの県民が生活を不安視している実態が浮き彫りとなった。長引く不況を背景に、老後や失業への不安を抱えており、県が取り組む重点施策の1位は「雇用の安定と職業能力の開発」(20・4%)だった。調査は生活各面の充足度から県(民)の長所・短所、産業の振興度、米軍基地への対応など14項目。
米軍基地問題よりも「雇用の安定と職業能力の開発」についての施策の要望が第1位という緊迫感が伝わってくる。
沖縄に限らず、今日の日本のあらゆる地域での住民の期待ではなかろうか。菅政権に変わって、このような要望にどのように応えるのであろうか。
菅総理の所信表明演説では、「「雇用・人材戦略」により、成長分野を担う人材の育成を推進します。」の中に「実践的な能力育成の推進」とあった。これは職業能力開発を意味しているのか、明確ではないが、その「最終的とりまとめを今月中に公表」する、としている。「とりまとめ」に期待するものである。
2010-06-14
「学校」って何?
今週の制度論の講義は第2章の「学校の成立と変質」でした。先ほど終わって来たのですが、さすがに疲れました。歳です…。
文部省が設立され、翌明治5年に今日の「学校教育法」の初めとなる「学制」が制定されました。
寺子屋を廃止して学校を創るわけですから、法律の「学制」を解説した「学制序文」を一緒に発表します。
「学制序文」では漢字に読みと意味のルビを左右に付けていますが、「学制」に「がくもんのしかた」、「学校」に「がくもんじょ」、「学」に「がくもん」、「不学」に「がくもんせぬ」と振っています。そして「教育」は一度も使っていません。
教育のための「校」(囲い)ではなかったので「教校」ではないのです。
そして、市民平等の制度としましたが「義務」制で有りながら「立身」のためになるからという理屈で学費を取る有料制にしました。
また、地域ごとに学校建設の費用まで寄付を集めたようで、そのため「学校焼き討ち事件」が中部以西で頻発します。躾の悪い子供が石を投げてガラスを割る、というような生やさしいことではありません。これを鎮圧したのは軍隊でした。
しかし、寺子屋を焼き討ちしたということを伝える文献はありません。寺子屋と学校との違いは、庶民よる受容ー忌避の差ではないでしょうか。
「学歴主義」は学校の設立と共に日本人の意識に有ったのでなく、むしろ「学校忌避主義」が初期の庶民の信条だったのです。学歴主義は学校が設立され、20年ほど経って、「立身」の姿を庶民が目の当たりにしてからでした。
ここで問題から
問2.「学制」が制定されるまでの政府の教育方針にないのはどれか
1.寺子屋の活用を承認した
2.早く教育を国民にしなければならないと急いだ
3.府県に小学校を設けるように指示した
4.生長を目的とした運営指針を指示した
5.庶民が学ぶのは義務ではなかった
問3.学校についての説明で間違いはどれか
1.寺子屋を改造して開始したのも多かった
2.小学校設立数の目標は今日の小学校より多かった
3.建設費用を住民も寄附させられた
4.小学校には貧乏人の子女は行かなくても良かった
5.ガクモンジョという呼び方もしていた
2010-06-13
今日は、職業補導協会が創立された日(1946年)
今日は、財団法人職業補導協会が創立された日(昭和21年)です。
失業問題が蔓延していた戦後の混乱の下、戦前の職業訓練関係施設である幹部機械工養成所、勤労訓練所、機械工補導所、傷痍者職業補導所等で失業者を対象に職業訓練を実施していたようです。そのような施設が全国的な協会を設立したものと思われます。
この補導協会は2年後に解散しています。これは「職業安定法」が戦前の「職業紹介法」を改正して前年に成立・公布されましたが、この新法で公共職業補導所は都道府県知事が設立することになったため、意義を失ったためと思われます。
ただ、残念ながら記録を発見できていないため、どのような活動をしていたか、協会の実態は明確でありません。
行政が建前上何と言っていようと、行政が裁判所の判断を予測して、自らが発言する建前は必ずしも実現されないことを予想した上で行動することを考慮しないと誠実ではないのですよ。
>高齢者雇用安定法の改正作業に携わったときに法制局との間で何回も議論した点で、
厳密に法律上からは、「定年」とは期間の定めのない雇用契約を年齢を理由に終了する
こと以外ではなく、定年が存在することによってそこまで雇用が保障されるという法的
効果がもたらされるとはいえない
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/06/post-a69f.html