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【コラム】

筆洗

2010年6月17日

 「生涯で一番うれしい」「感無量です」。八十歳を超えた男たちが目を潤ませ、声を震わせた。戦後、旧ソ連のシベリアなどに抑留された元軍人らに、最高百五十万円を給付する特別措置法が成立したきのう、元抑留者は喜びをにじませた▼首相の退陣で成立が危ぶまれたが、閉会日に滑り込みで可決。未払い賃金に対する事実上の「補償」が戦後六十五年でようやく実現したのだ。元抑留者は遅すぎた立法を戦友たちに心の中で報告した▼抑留された元軍人らは約六十万人。酷寒と飢え、重労働で六万人近くが亡くなった。「隣に寝ていた仲間が死ぬと、ざーっとシラミが一斉に移動する音がするんだ」。そんな話をよく聞いた。死は日常だった▼最後の引き揚げ船の帰還から半世紀の二〇〇六年暮れ、京都・舞鶴での取材を思い出す。「夫は生きていれば九十五歳。今も本当にどこかで生きているんじゃないかと思う」と語る「岸壁の妻」の姿に、戦争はまだ終わっていないと痛感した▼元抑留者の平均年齢は八十七歳。七年前、国会前で座り込みをして立法化を訴えた人たちも、くしが抜けるように減っていった。もう時間はなかった▼スターリンの極秘指令で始まった強制抑留の全容は、解明されていない。特措法には、抑留の実態調査や次代への継承が盛り込まれた。「これが始まり」との思いを重く受け止めたい。

 

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