きょうのコラム「時鐘」 2010年6月17日

 「イワシの頭も信心から」と言う。とるに足らないものでも、信じてしまえば尊いものになる信仰心の一側面を皮肉っぽく表現している

奈良の興福寺南大門跡で、地鎮祭に使った壺の中から魚の頭の骨が見つかり話題になっている。以前、同じ場所で発見された金塊や水晶玉はいかにも地鎮祭らしい供物だが、生臭い魚の骨に仏教関係者は戸惑っているという

能登半島地震に遭った北前船問屋でも、解体中に地中から地鎮祭に使った美しい壺が発見されたことがある。金沢城の本丸付近からは数百年前の馬の頭蓋骨が出てきたこともあった。何らかの祭祀に使われたと推測された

「イワシの頭」も単なる比喩ではなく、馬の頭と同様、神に捧げる供物だったのかもしれない。魚だろうが馬だろうが「頭の骨」は、人々が「かしら」に安定を託して祈った象徴であり、水晶や金塊はその代用品とも言われる

政党の首がすげ替えられ、選挙という名の祭りが始まる。こちらは元々生臭く、公約という名の供物が、とるに足らない「イワシの頭」になり果てることも珍しくない。国民の信を裏切らない戦いを祈る。