高木マニア堂

何となく思いついたこと、目についたことをツラツラと…。

190:旗揚げ戦よりも先に発進した全日本プロレス中継

ノンセクション2010年06月16日 10:12 | フォルダ : 

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<2009年3月=東スポ・プロレス格闘技サイト「プロレスマニア堂」より>

 昭和47(1972)年7月。日本テレビの金曜夜8時枠のプロレス中継は終了した。

 金曜8時枠にはNETの「ワールド・プロレスリング」(当時は日本プロレスを中継)がお引っ越し。元祖の日テレは裏番組で「太陽にほえろ!」をスタートさせた。

 だが日テレもプロレス中継から撤退したワケではない。すでに日プロから独立、旗揚げ準備に入っていたジャイアント馬場の全日本プロレス中継スタートに向けて動き出していたのだった。

 全日プロ中継は土曜夜8時に決定。裏番組に「お笑いオンステージ」(NHK)、「8時だヨ!全員集合」(TBS)、「人造人間キカイダー」(NET=夜8時~)、「デビルマン」(NET=夜8時30分~)と人気番組がズラリと出揃う中の厳しい船出だった。

 10月7日にスタートした全日プロ中継の第1回目は、どんな内容だったかというと、馬場が旗揚げ前に突如として、ハワイマットに登場して戦ったザ・シークとのデスマッチ、そして「ジャイアント馬場熱戦譜」という特集が組
まれている。

 全日プロの旗揚げ戦は10月22日(東京・日大講堂)だから、旗揚げ戦よりも先に中継がスタートしたことになる。「看板に偽りアリ」ではないが、全日プロ中継の第1回が全日本の興行ではなく、ハワイマットからの中継だったとは意外だ。

 当時のシークは同年9月に日本プロレスに初来日し、エース・坂口征二とUN王座をめぐり血の抗争中。その模様はNET中継で話題となっていたから、日テレとしてはシークを電波に乗せ、NET陣営に強烈なパンチを浴びせたことになる。

 翌10月14日の放送では同じく海外から「馬場vs怪覆面ザ・プロフェッショナル」、そして放送3回目の10月21日にプレ旗揚げ戦である東京・町田市体育館から「馬場&サンダー杉山vsブルーノ・サンマルチノ&テリー・ファンク」を放送。いよいよ本格的な中継がスタートした。

 その後、全日プロ中継は昭和54(1979)年4月にゴールデンタイムを離れ土曜夕方に移行。昭和60(1985)年には土曜夜7時に昇格。深夜番組になったり、30分枠に縮小されたりと紆余曲折を経て、平成12(2000)年6月に、三沢光晴ら現ノア勢の全日プロ離脱を受けて放送を終了した。

 最後の放送は(6月21日)「全日本プロレス緊急拡大スペシャル」と題されたが、番組後半は全日プロ離脱組によるノア旗揚げ会見だった。

 28年に渡る全日プロ中継の1回目と最終回の中身が、全日プロその物ではなかったことが何とも興味深い。

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高木圭介のプロフィル 昭和44(1969)年6月4日、神奈川県川崎市生まれ。かつてジャイアント馬場さんも暮らした新丸子の街
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