高木マニア堂

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189:プロレス中継の最終回

ノンセクション2010年06月15日 10:19 | フォルダ : 

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<2009年2月=東スポ・プロレス格闘技サイト「プロレスマニア堂」より>

 日本テレビが正式に、3月末でのノア中継の打ち切りを発表。これにて力
道山時代以来、55年間続いた日テレのプロレス中継が幕を閉じる。

 一昔前ならば「テレビ中継中止」はプロレスファンにとって大ニュースだったはずだが、BSやCS放送が充実する現在(ノア中継もCS系の「日テレG+」では継続)となっては、他にプロレス中継を見る手段が多いため、さして大きな衝撃もない。ダメージが大きいのは放映権料を収入源とする団体側だろう。

 日本テレビがプロレス中継を打ち切るのは今回が3度目。1972(昭和47)年5月には日本プロレス中継、2000(平成12)年6月には全日本プロレス中継の放映を打ち切っている。

 いずれも視聴率低下が問題ではなく、団体側のお家騒動が原因。1972年はNET(現・テレビ朝日)中継のエース・猪木の日プロ離脱を受け、NET側が協約を破り、半ば強引に日テレ中継のエース・馬場の試合をNETで放映したことを受けての処置。また全日本プロレス中継は三沢光晴ら現ノア勢の大量離脱によるものだった。

 37年前。金曜日夜8時の「日本プロレス中継」最終回は、どんな内容だったのか?

 調査してみると、中継自体の最終回は1972年5月12日、東京都体育館で行われた第14回ワールドリーグ戦の決勝戦「馬場vsゴリラ・モンスーン」(馬場が3年連続6度目のV)というカードだ。

 しかし、あまりに唐突な打ち切り策だったため、ゴールデンタイムの後番組は決まらない。そこで日本テレビは、翌週の5月19日からは過去の歴代名勝負集を放映する。

 1回目は「日本三代チャンピオン4の字攻防戦」と題して、力道山と馬場(もう1名が、豊登か猪木かは不明)とデストロイヤーとの対戦を再放送。以降、毎週に渡って鉄の爪・エリックやブルーザー&クラッシャーらとBI砲、力道山や豊登らの試合を放送。この「日本プロレス選手権特集」は7月15日放映の「荒法師キニスキー旋風・荒れる馬場と因縁のインタ争奪戦」をもって最終回となる。つまり金曜8時の日テレ中継ラストを飾ったのは「馬場vsキニスキー」だった。

 その翌週からスタートしたのがグループサウンズの人気者・ショーケンこと萩原健一を若手刑事役に抜擢した新番組「太陽にほえろ!」だ。

 猪木のクーデター失敗→日プロ離脱をきっかけにプロレス中継が終わった「金曜8時枠」で新たなスターとなったのはショーケンだった。その後、金曜夜8時のプロレス中継(NET)の主役となった猪木とショーケンこと
マカロニ刑事は、視聴率戦争を繰り広げるのである。

 後に女優・倍賞美津子さんをめぐる猪木とショーケンの関係を考えると何とも因縁が深い金曜夜8時戦争だ。だいぶ後になって、倍賞美津子さんは〝金八先生の嫁〟になっているワケでもあるし…。  

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高木圭介のプロフィル 昭和44(1969)年6月4日、神奈川県川崎市生まれ。かつてジャイアント馬場さんも暮らした新丸子の街
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