俺の名はヴェンツェル・カール・フォン・クルデンホルフ。最近よく見かける転生者だ。
この名前を見れば大体想像がつくと思うが、俺が生まれ変わった先は、かのゼロの使い魔の出落ち設定ことクルデンホルフ大公国である。
名目上の独立国家であり、外交自治権はない。だが、小国には不釣合いなほどの独自の大兵力『空中装甲騎士団』を構えている。
原作では、トリステイン貴族に多額の債権を持った成金の国として名前だけ登場した。
王家の遠い親戚だそうだが、その程度の親戚関係の貴族なら掃いて捨てるほどいる。この家はたまたま運よく成り上がったのだろう。
ついでに。どうも俺は、実に都合よく原作のルイズたちと同じ年代に生まれたらしい。原作に関われという啓示だろうか。まあ知ったこっちゃないが。
流れるような濃い色の金髪。転生オリキャラを象徴するようなオッドアイ。美形二人の子としてこの世界に生まれて十余年。
金だけはある大公家で成金ライフに溺れていた俺は、清々しいほどの超ピザ体形となっていた。マリコルヌがさらにデブったような醜さである。
醜悪な肉の塊と化した俺。
妹のベアトリスは最近まったく近寄ってこない。昨年「おにいさまなんか大っ嫌い!」と言われて以来、一言も口を利いていない。
スカートめくりを初めとする数々のセクハラを繰り返したせいか、可愛いメイドさんも俺を見た途端「ひぃぃぃっ!」と鬼気迫る悲鳴を上げて逃げていく。
あれだけ溺愛していた母にも次第に顔を背けられ、息子に甘かった父は俺を見る度に、憤怒の情を顔に浮かべるようになる有り様。
どうしてこうなった……。 本来なら、今頃モテモテハーレムライフを実現しているはずだったのに……。
転生したことにワクワクしていたあの頃が懐かしい。結局、駄目な奴は死んで生まれ変わっても駄目らしい。
その日も、俺は自分が寝室として使っている二十畳ほどの部屋で悔し涙を流しつつ、お抱えの一流シェフが丹精込めて作り上げた飴細工をバリボリと食い散らかす。
極めて無駄な行為だが、やめられないのだ。
そうしていると、部屋のドアを軽くノックする音が響いた。誰だろう?
「ヴェンツェル、入るぞ」
すると、重々しい響きと共に、ダンディーなおっさんと悲しそうな顔の若い女性が俺の私室へと入って来る。
父のクルデンホルフ大公とトリステイン貴族出身の母だ。
しかし一体なんの用だろうか。魔法の練習なら、家庭教師のダンケルク男爵が逃げ出して久しいが。…そんな息子の胸中を知ってか知らずか、大公が重い口を開いた。
「私は今まで、お前はやれば出来る子だと思ってきた」
さすが我が父君。よくわかっていらっしゃる。俺はまだ本気を出していないだけだと、この人は言わずとも理解しているのだ。
「…そうやって、有りもしないお前の『やる気』に幻想を抱いていたのだ。私は」
あれ?
「だが、お前は私たちの期待をことごとく裏切ってきた。クルデンホルフ家という、このトリステイン王国の中でも非常に重要な位置を占める家に生まれながら、お前は怠惰を貪ってきた。どれだけ待てども、お前が大公家の次期当主としての自覚を持つことはなかった」
おいぃ?
「今まで甘やかして来た私にも大きな責任がある。だから、自身の手で今までの愚行のツケを払うことにしたのだ」
「う、うわっ!?」
おっさんが手にした杖を振ると、俺の醜い巨体が浮き上がった。これは『レビテーション』か。
「獅子は子を千尋の谷へ突き落とし、這い上がってきた者のみを育てるという。私もそれを実行することにした」
な…んだ…と…。まだコモンマジックすら満足に扱えない俺を谷底へダイブさせるだと…。それなんて処刑。
「ごめんなさいね。もうわたしも、あなたをどうしたらいいかわからないの…」
顔を両手で覆ってしくしくと泣き出してしまった母を、俺は呆然と眺めている。
そんな一連のやり取りを影から見つめる一対の瞳に、俺は最後まで気がつかなかった。
もう日が暮れる頃に父に無理やり馬車へ放り込まれてから、既に何時間もが過ぎていた。
彼曰く、「最低でもラインメイジになれ。あと痩せろ。それまで家に帰って来ることは絶対に許さん」だそうである。
卑劣すぎる。俺ごときがラインメイジになるなど不可能だろうに。まして痩せるなどと!
しかし、こんな治安最悪の中世ヨーロッパみたいな土地に一人しかいない嫡子を放り出すなんて、まともな精神では出来ない。…相当追い詰められていたのだろうか。
転生してからこの方、随分好き放題わがまま放題やってきたからな…。これがヴァリエール家なら今頃カリンちゃんに烈風で切り刻まれてるだろうし、他の家でも普通は勘当されているレベルだろう。
それからしばらくの間。俺はちょっと調子に乗りすぎたかな…。などと、今さらながら己を省みていた。まったく遅すぎるが。
「坊ちゃま。着きましたよ。起きてください」
翌朝。俺が盛大にいびきをかいて寝ていると聞こえる可愛らしい声。目を開けてみると、我が家でメイドをしているアリスが俺の傍に立っていた。長い薄紫の髪が印象的な女の子である。
「アリス…?」
「目的地に…うぐっ…げぷっ…」
突然、彼女は床に膝を突いて、盛大に胃の内容物を吐き出した。俺の頭に。
「あ…ごめんなさい…。こんなに長時間、馬車へ乗ったのは初めてでして…一気にきちゃったみたいです」
いや、ごめんとか、初めてきちゃったとか、そういう問題だろうか。こいつ絶対狙ってやったろ。俺の頭がタルタルソースとフルーツヨーグルトをいっぺんにかけたような惨状を呈しているのですが。
とりあえず持っていたハンカチで美少女の吐き出した胃の内容物を拭い取り、俺は馬車から降りる。そこには我が家のメイド長ことサリアが渋い顔で突っ立っていた。
彼女はアリスの母親で、父親は誰だか明かされていないが…十中八九大公のおっさんだろう。アリスは俺の異母妹ということになる。
「ヴェンツェル坊ちゃま。娘をお願いします」
いや、お願いされても困るんだがな。この子まだ十歳だろ。俺じゃ面倒見切れないよ。
「…本当はお願いなどしたくないのですが―今すぐあなたを置き去りにして娘を屋敷に連れ帰りたいのですが…。アリスを従者として付けろという、旦那様のご命令ですので」
「…むう」
サリアはアリスの元へ行き、何事か会話を交わす。とても親子の仲がいいとわかる、ほのぼのとした光景だ。
やがてサリアは名残惜しそうに馬車へ乗り込むと、ゆっくりと馬を歩かせ、この場を後にした。
さて…、これからどうするか。
ここはトリステインの南にあるクルデンホルフ大公国の南端。なぜこの地点なのか、父の意図はわからない。
もし国境沿いに北西へ向かうと、タバサの父親が治めているオルレアン公領があるはずだ。そこへ向かうか?
いや、やめておこう。あの地域には行きたくない。なにかと面倒がありそうだし、タバサ…いや、今のシャルロットと接触してもまるで意味がないだろう。
かといってトリステイン領内に戻るというのも…。
どうせならいずれ浮き上がるっていう火竜山脈でも見に行くか。面白そうな生物がたくさんいそうだし。しばらくは家に帰れないしな。
ああ、そうだ。ここでちょっと持ち物を整理しておくか。
「アリス、ちょっと荷物を見せてくれ」
「わたしの荷物を漁ってナニをするつもりですか? はっ…まさか!」
「なにもしないし、するつもりもないよ!」
まったく…。これだけの事でこんなに疲れてたら後が持つのだろうか。
現在の俺の所持品………新金貨一枚・スゥ銀貨一枚・ドニエ銅貨二枚・質素な服・杖・水&非常食
現在のアリスの所持品………エキュー金貨五十枚・新金貨百五十枚・スゥ銀貨百枚・ドニエ銅貨百枚・質素な服・短剣・水&非常食
…まあ、なんというか、酷い。従者より金持ってないとかマジで洒落にならんぞ。貴族の威信なんてどこへ行ったのやら。
ああ、ほとんど着の身着のままで放り出されたのが痛いな…。ていうかアリス金持ちすぎだろ。
「坊ちゃま。これから一体、どうなさるおつもりですか?」
所持金を見つめたままフリーズした俺を不審に思ったのか、アリスがいぶかしむような視線を向けてくる。
「あー…、そうだな、まずは歩こうか」
立ち止まっていても仕方ない。今はとりあえず前へ行くしかないか。俺はアリスを促すと、この宛てもない旅路へと歩みだした。
はぁ…。いつになったら帰れるのやら。
●第一話「俺は転生者」
ひとまず、火竜山脈に向かうことにした。あそこは、ここから南へ向かうとぶつかる形になる。とはいえまっすぐ向かう必要もあるまい。寄り道しながら行こう。
それから俺たちはたまたま通りかかった商人のおばさんの馬車に乗せてもらい、数日後にはアルザス辺境伯領のストラスブールへと辿りついていた。
川を越えたずっと先の南東方向には、『黒い森』がある。その北側がこの町の対岸にあるゲルマニアのバーデン伯領だ。
ここはガリア北部最大の都市であり、ガリア対ゲルマニアの戦争では常に最前線となってきた。長い間、ゲルマニア系小国家群の一つ、ロートリンゲン公国が支配していたが、現在はガリアが支配している。
―とアリスが教えてくれた。いやはや博識だな、この子は。予想外にしっかり者だし。
町の入り口まで来たところで、俺たちは西へ向かうというおばさんに礼を言って別れ、レンガの城壁で覆われた中世都市風の街へと足を踏み入れた。
「坊ちゃま。せっかく大きい街へ来ましたし、まずはお金を稼ぎましょう」
「いや…お前がいくらか持ってるし、それで当面はしのげるだろ?」
働く気などまるでない俺のセリフに、アリスは露骨に眉をしかめた。
「それではいけません、坊ちゃま。お金は働かなければ増えないのです。ただ食っちゃねして惰眠を貪っていたあなたにはわからないかもしれませんが、わたしたち平民は労働をして、その対価に生活するための賃金を得ているのです」
そりゃいくらなんでもわかってるけどさ…。こうもリアル貴族ニート生活を味わってしまった後ではね。なかなか辛いものがあるよ。
俺のやる気のない態度に業を煮やしたのか、彼女は一人でスタスタと歩いて行ってしまう。歩くのが速すぎる。俺はヒイヒイ言いながら彼女について行った。
その後、アリスは街角の老婆が切り盛りする料理屋に使ってもらえることとなった。
一方の俺は半ば浮浪者状態である。彼女を怒らせてしまったせいで、料理屋の下宿にすら入れてもらえないのだ。
まさか、大公国の公子から一気にストリート・チルドレンへ転落するはめになるとは…。
街外れで独り頭を抱えていると、突然後ろから思いっきり蹴り飛ばされた。なんの備えもない俺は容易く吹き飛び、舗装されていない砂利道に頭から突っ込んでしまう。
「なにもんだお前!見ない顔だが、よそ者か!?」
顔についた泥をはらって声がした後ろを振り返ると、そこには明らかにガラの悪いガキの集団が出現していた。どいつもこいつも腹に一物抱えていそうだ。
「自分はしがない通りがかりの肥満小僧だ。出来ればそうっとしてやってくれ」
「そうはいかねえ。この辺りは俺ら『シュトラースブルク・クリス団』が締めてんだ。縄張りにいきなり現れたよそ者がどんな奴か調べるのは、俺の仕事でな!」
ボサボサの茶髪を生やした痩せぎすの少年が前に進み出てくる。元々の顔は悪くないのだろうが、どうも薄汚れていて汚い。どうやら彼が、この集団の指揮権を持っているらしい。
「そうはいうがな…」
一体なにがしたいのだろう、こいつらは。ただ俺をぼこりたいだけなら、今すぐやめてもらいたい。
「クリス、とりあえずぼこっちまおうぜ」
「そうだそうだ、こういう怪しい奴は絶対なにか悪さすんだべ!」
悪さしてるのはお前らじゃないのか…?ああもう、なんか無駄に疲れるな。
ふっ…。だがな、俺はこれでもメイジなんだ。こんなクソガキどもには負けないぜ!
俺が懐から杖を取り出すと、子供たちの顔が途端に恐怖に支配されるのがわかる。まあ、普通はそうだろう。並みの平民、まして子供がメイジに対抗できる道理はない。
…これがはったりでなければ、だが。
ご存知の通り、俺は未だコモンマジックすら満足に扱えない落ちこぼれである。つまり、このはったりが失敗した場合―ぼこられるのが確定するわけだ。果たして、奴らはどんな対応をしてくるか…!
「怖がるな!あんなデブはたとえ貴族だろうと恐れることはねえ!取り囲んでやっちまえ!」
はい、はったりは見事に失敗です。子供たちは四方に分散しながら走り寄ってくる。俺はきびすを返して逃げようとするが、到底逃げ切れるはずもない。
背中に石が当たり悶絶しているうちに追いつかれる。そして飛んでくる理不尽な暴力の数々に抵抗も出来ず、俺はあっさりと捕縛されてしまった。
あれから更にボコボコに痛めつけられた俺は、子供たちのアジトらしき廃屋へと連れて来られた。所々床が抜け、家具は無造作に転がされている。カビ臭さで頭で痛くなりそうだ。
俺は後ろ手に縛られ、これまたぼろい椅子に座らされる。そして周りをガキどもに固められていた。これでは逃げる余地すらない。
「お前はどこの貴族だ?」
やせぎすの少年が問いかけてくる。普通のトリステイン貴族ならまず答えないだろうが、生憎俺はゲルマニア系トリステイン貴族。さらに、中身は二十一世紀初頭の日本人だ。名誉なんぞより命が惜しいのである。
「俺はヴェンツェル・フォン・クルデンホルフ。クルデンホルフ大公国の長男だ」
その答えに、一瞬場が固まる。だが、数刻の後には子供たちの大爆笑で廃屋が埋めつくされた。
「きゃははははははは!!お前、冗談だけは上手いな。久々に腹の底から笑ったぜ!」
冗談ではない!とあの赤い人のように言いそうになったがとりあえず堪える。やせぎすの少年―クリスは顔は笑っているが、ややつり上がった目はまったく笑っていなかったからだ。
ヤバい、と思ったのもつかの間。クリスはなぜか少し考えるそぶりをする。そして言った。
「…今日はこの辺にしてやるよ。だがよ、あんまり変なマネすんじゃないぞ。俺の仲間はそこら中にいるからよ。ルーデル、そいつをつれて行け」
「了解でやんす」
なんか小さいのが現れたな。クリス少年の呼びかけに応じたこの少年、どうにも三下な雰囲気を醸し出している。見た目といい、口調といい。
「ほれ、さっさと歩くでやんす」
三下は俺を縛っていた縄を解きいた。そのまま出入り口のところまで小走りに移動し、体全体を使ってドアを開けた。すると、なにやら赤い光が差し込んでくる。
まったく気がつかなかったが、いつの間にやら夕方になっていたらしい。
…とりあえず、助かったのだろうか。廃屋の出入り口に差し掛かり、俺が安堵のため息を吐いたのと同時。やせぎすの少年が再び問いかけてきた。
「おい。さっきの話、嘘はないだろうな」
なんでまた。思わず振り返っちまったよ。周りを見ると、彼の取り巻きの子供たちも若干驚いているようだ。
「嘘は吐いていないさ。そんなに器用な人間じゃないんでね」
「…そうか」
俺の答えに、彼はただ静かに頷くだけであった。
*
『シュトラースブルク・クリス団』のアジトから開放された俺は、とりあえずアリスのいる料理屋を目指していた。
さすがに腹が減ったし、体中が痛いのだ。なにか手当てをしてもらわないと。こういうとき、水メイジがいると便利なんだがなあ…。
「『水』の回復魔法?使えますよ」
おでれーた。おでれーた。あまりに驚いたので、思わず二回言ってしまった。
あれからアリスの元へ移動した俺は、嫌な顔をされつつもなんとなく聞いてみたのだ。「魔法使えない?」と。その答えが三行上のセリフである。おでれーた。
「まだトライアングルですけどね。おと…いえ、旦那様がこっそりわたしに魔法を伝授してくれていたのですよ。この短剣が杖代わりになります」
そういって彼女はエプロンの下のスカートのすそをたくし上げ、太ももに備えつけられた短剣を取り出した。構わず太ももを凝視していたらすごい睨まれたので、慌てて視線をそらす。
彼女が手にしているのは、刀身の短いほとんどナイフのようなダガーだ。しかし、トライアングルって…。
ちなみに、大公のおっさんは水のスクウェア。母さんは土のスクウェア。酷い夫婦だ。そういえばベアトリスは…なんなんだろうな。
俺はといえば、『レビテーション』はともかく、『フライ』は三十センチ浮くのがやっと。アリスはこんな無能とは桁違いだ。才能の差ってあるんだよ。
俺はオリ主で最強。少しの修行ですぐスクウェア。俺TUEEEEE!!!!!…そんな風に考えていた時期が僕にもありました。
「わたしが従者に選ばれたのはこのせいでしょう。魔法は便利ですが、こういう厄介ごとに駆り出されてしまうというのが難点ですね」
彼女は心底迷惑そうな口調で呟く。悪かったな。生きる厄介ごととは俺のことよ。
…ん、そうだ、ずっと前からアリスに言いたいことがあったんだった。
「ところでアリス」
「はい?」
「俺をお兄ちゃんと呼んでくれ。お兄さまでもいいぞ」
「すみやかに息を引き取ってください」
腹違いとはいえ、妹に死ねって言われた…!ベアトリスにもまだ言われてないのに…!!
こちらは単に口をきいてもらえないだけだが。
さらにアリスを怒らせてしまった俺は、また料理屋から追い出されてしまった。さて、どこかいい軒先はないものかね…。
あ、治癒魔法かけて貰うの忘れてた…。わき腹が痛い…。