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[18987] クロスゲージ (『エンゲージを君と』異聞)
Name: 中村成志◆01bb9a4a ID:76af8d97
Date: 2010/05/23 08:29

     【 はじめに 】


・このストーリーは、「SS投稿掲示板Arcadia」で連載されている、

  『エンゲージを君と』(Nubewo 作)
   http://58.1.245.142/bbs/sst/sst.php?act=dump&cate=type-moon&all=1034&n=0&count=1

 に触発され、書かれたものです。

・具体的には、『エンゲージを君と』第十七話以降のストーリーを、
 Nubewo様のご了承をいただき、中村成志が《独自に》書きました。

・したがって、『エンゲージ~』を下敷きにはしておりますが、
 今後書かれる、正編『エンゲージ~』第十七話以降とは、ストーリー的に《全く》関係は無く、
 その文責はすべて中村にあります。

・TYPE-MOON風に言えば、第十七話から分岐した、平行世界と考えていただければよろしいかと思います。

・拙作からいきなり読み始めても、それなりに理解できるよう書くつもりですが、
 できればNubewo様作『エンゲージを君と』を読まれてから、目を通してください。

・設定は、出来る限り『エンゲージ~』に沿ったつもりですが、一部違ったり、変更したりしたところもあります。

・一例を挙げますと、『エンゲージ~』の魅力の一つである《魔術師としての衛宮士郎》を、描く予定はありません。
 (これは、主に中村の知識の無さによるものです)

・その他、間違い等がある場合、責任はすべて中村にあります。ご指摘ください。

・最後に、Nubewo様の手による正編『エンゲージを君と』の続編に期待し、
 併せて、このような無茶なお願いを、ご快諾いただいたNubewo様に、心よりお礼を申し上げます。

・それでは、どうぞお楽しみ下さい。


     中村成志


    --------------------------------------------------------


     【 ちょっとくだけた裏話 】


 士郎君と鐘ちゃんのイチャイチャが書きたかったからです。

 Nubewo様の作品には、
「続きはどうなるんだあ!」
と思わせる、吸引力があります。

 Fate登場人物ではセイバーに次いで氷室が好き、氷室を題材にしたSSも数本書いている私ですが、
 数ある(そんなに無いか)氷室SSの中でも、『エンゲージを君と』は、出色の出来だと思っています。

 何度も読み返し、わくわくしながら続きを待っているうちに、
「もし、自分がこの続きを書くとしたら、どうするだろう?」
という妄想にとらわれました。

 妄想で止めときゃいいんですが、書いてしまうのがSS書きの性、書いたら読んでもらいたいのがSS書きの業です。
 失礼は重々承知ながら、Nubewo様にお伺いを立てたところ、投稿を快く了承していただきました。

 Nubewo様、本当にありがとうございます。
 正編を汚さぬようがんばるとともに、正編『エンゲージを君と』十八話以降を、心待ちにしております。

 では、長い前書き(てゆーか言い訳)は、このへんで。
 どうぞ、ごゆっくり。





[18987] クロスゲージ (『エンゲージを君と』異聞) (一)
Name: 中村成志◆01bb9a4a ID:76af8d97
Date: 2010/05/23 08:29

     クロスゲージ (『エンゲージを君と』異聞) (一)





「ん……」


 突然で済まないが。

 私は今、衛宮の腕に抱かれている。
 すっぽりと包み込まれ、唇にくちびるを押し当てられている。
 ようするに、その、口づけをしている。

 場所は、衛宮の家の、衛宮の部屋。
 晩秋のことであるから、もう少しすると辺りも薄暗くなってくる時刻だ。
 ほとんど何も無い、彼の部屋の真ん中で、私たちは口づけを交わしている。


 もちろん、これが初めてではない。
 衛宮士郎と氷室鐘は、おおっぴらにはしていないとは言え、男女の付き合いをしているのだから。
 しかし、数え切れないというわけでもない。

 指を折ってみると、これで六度目だ。
 初めは、誰もいない美術室で。
 触れ合ったか、触れあわないか分からないくらいの、ソフトキスだった。
 それから、幾度かのデートの最中に、または彼が私の家まで送ってくれたときの別れ際に、
 もちろん人影の無い時を見計らって、私たちは口づけを交わした。
 たいがいの恋人がそうだと思うのだが、交わすたびにそれは、深く、長くなっていった。

 しかし、今回ほど長く、深い口づけは初めてだ。
 やはり、戸外ではなく、誰に見られる心配のない部屋の中、という状況も大きいのだろう。
 彼の求めは、いつになく激しかった。


 衛宮の部屋に入るのは、これで二度目だ。
 最初は、初めてのデートの時。
 あのデートの末、私たちは『エンゲージ』を交わし、付き合い始めた。

 今日は、あのときと同様、彼が昼食をご馳走してくれるというので、衛宮邸にお邪魔した。
 正直、間桐嬢や藤村教諭と顔を合わせるのは気が重かったが、邸に着いてみれば全員が出払っていて、今回は二人きりの昼食を堪能することが出来た。
 その後、改めて屋敷内の案内をしてもらい、衛宮の部屋で談笑していたのだが……


「ん…う、……」
 彼の舌が、私の唇を割る。
 歯茎をなぞり、歯をこじ開け、舌を絡める。
 時折、上唇を甘噛みしてくる。
 それは、彼の性格を現すごとく、焦らず、ゆっくりと。
 こちらに負担をかけないよう、やさしく、丁寧に。

 しかし、それに答える余裕は、私には無い。
 蒔寺や美綴嬢から借りた書物によれば、こういう場合、女性もそれ相応の反応を示さなければならないらしいが、
 まるで木石のように、彼の行為を受けとめているだけだ。
 正直、意識を保ち、膝の震えを押さえるのが精一杯で、他のことにまで力を割く余裕など無い。

 時間の経過が、分からない。
 数分は過ぎたのか、それともまだ数十秒なのか。
 分かるのは、いつもより長いということ。そして、もっと続けばいいと思っている自分を見つけ、混乱しているということだけだ。

 彼の左手はしっかりと私を支え、右手はやさしく髪や背中を撫でている。
 その右手が、ふいに違う動きをした。
 ゆっくりと前に回ると、私の左の胸に……


「!!」


 瞬間。
 私は、彼のやさしい拘束から逃れ、飛び退いていた。


「……え?」
 しばらくして漏れた声は、彼ではなく、私からのものだった。
 今……私は、何をした?

 彼と私は、誰はばかることのない恋人同士。
 それも、たった今まであれほど熱い口づけを交わしていた仲なのだ。
 ならば、彼が次の段階に進むことなど、当たり前ではないか。
 私とて、そうなった時の覚悟はしていたつもりだし、もっと言えば、その、期待すらしていた。
 彼に、さらに愛されることを。
 なのに、私は……


 彼は、初め驚いていたようだが、今は頬を指で掻きながら照れ笑いを浮かべている。
「…衛宮、その……」
 ようやく、言葉を絞り出す。
「いや、いきなりで驚かせちゃったな。ゴメン」
 私の言葉に被せるように、彼は頭を下げる。いつものように、誠実に。

「い、いや!決して嫌だったというわけではないんだ。ただ、その、心の準備が…」
 心の準備など、とうに出来ていたはずだ。彼が彼である限り、私は彼の求めに応じられる。
「ちょ、ちょっとびっくりしただけだ。済まない。だから……」

 そこまで言って言葉が続かなくなった私は、飛び退いた分の距離を詰めて、再び彼の胸に体を預けた。

 でも。
 その距離は、自分が想像していた以上に離れていて。

 目をつむり、顎を上げる。先ほどと同じ姿勢だ。
 だが、顔がこわばり、眉が寄っているのが自分でも分かる。

 こわいのだ。
 彼の求めに応じられなかった自分を、彼はどう思ったか。
 自分が飛び退いた分だけ、彼と距離が出来てしまったのではないか。
 その証拠に、彼は先ほどのように、私に腕を回してくれない。
 もし、このまま……


     ふわり


 怯えに肩が震えだしたとき、先ほどと同じく、いやそれ以上にやさしく、何かが私を包んでくれた。
 そして、唇にあたたかくて湿ったものが触れる。
 それは、初めてのときと同じ、ソフトキス。
 目を開けると、変わらぬ彼の笑顔が、そこにあった。

「お互い、無理はやめよう」
 笑顔のまま、彼は言った。
 そして、私の両肩を掌で包むと、自分から畳に座った。
 必然的に、私も彼の前へ腰を下ろす。
「む、無理などしていない。私は、き、君とならば……」
 そう言いかけた私に、彼はゆっくりと首を振った。

「いや、無理をしてるんだ。
 俺も最近分かりかけてきたけど、どうも、頭の覚悟と心の覚悟って、必ずしも一致しないらしい。
 自分では準備万端のつもりでも、いざその時になると慌てふためく、っていう事ってけっこうあるんだ。」
 彼は、私の目を見ている。薄暗くなった部屋の中でも、その光はしっかりと見て取れた。

「氷室が俺を好きでいてくれるのは、飛び上がりたくなるほど嬉しい。
 でもそれって、こういった心の準備とは、別のことなんだ。
 俺も男だからな。正直言って、氷室をもっと抱きしめたい、体を触りたいっていう欲望はすごくある。
 でもそれは、俺だけが突っ走っても意味がないんだよ。
 そんなことしても氷室が傷つくだけだし、俺にしたって、その場限りの満足は得られるだろうけど、後で後悔するのは分かりきってる。」

 いつもの笑顔のまま、彼は続ける。
「俺が氷室のことを好きで、氷室も俺のことを好きでいてくれるんなら、頭と心の準備が一つになるときは、きっと来る。
 それを待つ時間くらいは、俺たちにはあるんじゃないか?」
 そして、座ったまま私を抱き寄せると、またやさしく口づけをしてくれた。
 先ほどと同じフソフトキス。
 でも、今度は初めに負けないくらい、長い間。


「……すまない」
 ようやく、言葉が出た。
「なんで氷室があやまるのさ?」
 私は衛宮の胸に顔を埋め、彼はずっと髪を撫で続けてくれた。




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 このストーリーは、「SS投稿掲示板Arcadia」で連載されている、

   『エンゲージを君と』(Nubewo 作)
     http://58.1.245.142/bbs/sst/sst.php?act=dump&cate=type-moon&all=1034&n=0&count=1

に触発され、書かれたものです。

 TYPE-MOON風に言えば、第十七話から分岐した、平行世界と考えていただければよろしいかと思います。

 『エンゲージ~』を下敷きにはしておりますが、
 今後書かれる、正編『エンゲージ~』第十七話以降とは、ストーリー的に《全く》関係は無く、
 その文責はすべて中村にあります。





[18987] クロスゲージ (『エンゲージを君と』異聞) (二)
Name: 中村成志◆01bb9a4a ID:76af8d97
Date: 2010/05/23 08:29


     クロスゲージ (『エンゲージを君と』異聞) (二)





 腕時計を見ると、もうそろそろ帰らなければならない時刻になっていた。
「夕飯も食べていったらどうだ?」
 という彼の提案は非常に魅力的だったが、今晩は父が早く帰ってくる。

 冬木市長という要職にある父は、当然ながらあまりプライベートな時間が取れない。
 だから、その数少ない時間くらいは、家族みんなで過ごしたかった。

 彼と父を天秤にかけるようで申し訳なかったのだが、
「なんだ、それなら早く帰らないと」
 と、衛宮は当然のように言ってくれた。
 そして、腰を浮かしかけたとき、


     ちりりん


 玄関の方から、チャイムらしき音が鳴った。
 続いて、扉の引き開けられる音。

「あら?鍵が……
 先輩、もう帰ってらっしゃるん……」
 それから聞こえてきたのは、間桐桜嬢の声。なぜか、言いさしのまま絶句している、
「桜ちゃん、どうしたの?」
「シロウ、帰ってきてるの?あれ、この靴…?」
 藤村教諭の声と、初めて聞く少女らしき声が続く。


 靴……
 あ、私の靴は、当然玄関に…


 しばらく、無音。
 そして、幾人かが家に上がり、廊下を歩む足音。
 その足音はだんだん近づき、私たちがいる部屋の前で止まった。

「……先輩。帰ってらっしゃるんですか?」
 平板な声が、ふすまの向こうから聞こえる。
「あ、ああ。桜、おかえり。藤ねえやイリヤもいっしょか?」
 彼が答える。
 その声は、若干焦っているようにも、戸惑っているようにも聞こえる。
 普段の彼なら、ためらわずに立ち上がり、ふすまを開けているのだろうが、
 そうしないのは、横にいる私の存在のせいか、間桐嬢の声の冷たさゆえか。

「すみません先輩。ちょっとお邪魔してよろしいですか?」
 このふすまを開けて良いか、と間桐嬢が問うてくる。
「あ、いや…うん……」

 彼はふすまと、私の顔を交互に見比べている。
 この雰囲気の中、私と間桐嬢が顔を合わせることに躊躇しているらしい。
 彼らしい気遣いだ。
 もっとも、この空気の理由にまで思い当たっているかどうかは疑問だが。

「私ならかまわないぞ、衛宮」
 だから、彼を安心させるため、にっこり笑って私は言った。
 若干、声が大きく、明るすぎるくらいに響いてしまったが。


「!―――」
 ふすまの向こうで一瞬、何かが震える気配がする。
 それから

「―――失礼します」
 彼の返事を待たずに、ふすまが開かれた。
 その向こうにいたのは、無表情の間桐桜嬢。
 後ろには藤村教諭と、美しい銀髪の少女が立っている。

 三人は私たちを、いや、私を見ても何も言わなかった。
 特に間桐嬢は、不自然なくらい表情を消し、ただこちらを眺めている。


 奇妙な間。


 その沈黙を破ったのは、彼だった。
「あ、ああ。氷室にちょっと昼をごちそうしたくてな。上がってもらってたんだ。
桜たちもいるかと思ってたんだけど…」
「こんにちは、間桐さん。お邪魔している」
 彼の言葉に被せるように、私は笑って言った。
 それにより、間桐嬢の雰囲気がますます堅くなった、ような気がした。

 もうすぐ夕暮れの時刻に、電気もつけていない個室にいる男女。
 さすがに今は抱かれたり寄り添ったりなどしていないが、手を伸ばさずとも触れそうな距離で、隣り合って座っている。
 それが何を意味するのかは、子どもでも分かるだろう。


 彼女の気持ちは、私には痛いほど理解できる。
 なればこそ、ここで引くわけにはいかない。
 ここで引いたら、あれほどの思いをして手に入れたものを失ってしまう、と
 私は理屈でなく理解していた。


 私の微笑みと、間桐嬢の無表情。
 沈黙はどれほど続いたのか。

 ふいに、間桐嬢は何も言わず、何の予備動作もせず、その場を離れた。
「え、おい、桜?」
 困惑した彼の声にも反応せず、彼女は屋敷の奥へと去っていく。
 立ち上がって追おうとした彼の前に、銀髪の少女が立ちふさがるように動いた。


「イリヤ?」
 ますます戸惑う彼には答えず、イリヤと呼ばれた少女は、真っ直ぐ私を見ていた。
 イリヤ……ああ、以前、衛宮との話に出た…

 紅い瞳、抜けるような白い肌、雪を思わせる銀の髪。
 おそらく十歳をいくつも越えていないだろうその少女の、
 なんと美しく、また無機質な表情か。
 先ほどの間桐嬢の無表情とも違う。
 まるで、機械か骨董品を品定めするような目つきで私を見つめてくる。

 さすがに気まずくなり、私も立ち上がって、彼の隣に立った。
「あの、初めてお目に……」
「あなたがヒムロ?」
 お目にかかる、と挨拶しようとした私の言葉を無視して、イリヤという少女は発言した。
 それは、私の首からぶら下がっている見えないネームプレートを読むかのような口調だった。

「……」
 絶句している私の隣で、彼が取りなすように言葉をかける。
「あ、ああ、二人は初めてだったか。
 氷室、前に話したよな。この子がイリヤで、俺の義理の妹なんだ。今は藤ねえ…藤村先生の家に泊まってる。
 イリヤ、この人は……」
「知ってるわ。もう見たし」
 氷のような声で少女は言うと、もう一度私をあの目で一瞥した後、興味を失ったように背を向けた。
 そのまま、居間へと入っていく。

「な!おい、イリヤ!?」
 さすがに彼が、咎めを含んだ声を上げ、彼女を追いかけようとする。
 それを再度、やんわりと立ちふさがるように、藤村教諭がさえぎった。


「ふ、藤ねえ、ちょっと……」
 どいてくれ、と続けようとする彼に、教諭は微笑みながら首を振った。
「……」
 二人の付き合いは長く深いという。それだけで何か通じるものがあったのだろう。
 彼は、納得いかない表情ながらも、黙った。

「こんにちは、氷室さん」
 ひまわりのような笑顔を、教諭が私に向けてくる。でも、
「あ、お、お邪魔しています、藤村先生」
「そっか。噂は本当だったんだね。
 士郎もやるわねー。こんなかわいい子をゲットしちゃうなんて」
 その笑顔は、学園で見るときより、少しだけ寂しげに見えて。

「う、うわさって、藤ねえ…」
「んー?知らないとでも思った?お姉ちゃんの情報網をなめちゃいけないわよ。
 士郎がしあわせそうだったから、あえて口を出さなかったけどね。
 氷室さん、この子、頑固できかん坊だけど、根はとってもいい子だから、見捨てないであげてね」
「あ、いえ、私の方こそ……」
 あわてて頭を下げる。
 そろそろ噂になっていると知ってはいたが、藤村教諭の耳にまで入っているとは思わなかった。

「で、今日はどうするの?晩ご飯もいっしょに食べてく?」
「あ、いや。彼女、予定があるそうなんだ。これから家まで送っていくよ」
「そう。今日はそのほうがいいわね。
 じゃ、士郎、しっかりと送ってあげるのよ。氷室さんも、また来てね」
 そう言うと藤村教諭は、すっと横に寄って道を開けた。
「はい。失礼します、藤村先生」
 私は、もう一度頭を下げた。


『今日はそのほうがいいわね』


 教諭の言葉が、胸に刺さるのを感じながら。





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 このストーリーは、「SS投稿掲示板Arcadia」で連載されている、

   『エンゲージを君と』(Nubewo 作)
     http://58.1.245.142/bbs/sst/sst.php?act=dump&cate=type-moon&all=1034&n=0&count=1

に触発され、書かれたものです。

 TYPE-MOON風に言えば、第十七話から分岐した、平行世界と考えていただければよろしいかと思います。

 『エンゲージ~』を下敷きにはしておりますが、
 今後書かれる、正編『エンゲージ~』第十七話以降とは、ストーリー的に《全く》関係は無く、
 その文責はすべて中村にあります。





[18987] クロスゲージ (『エンゲージを君と』異聞) (三)
Name: 中村成志◆01bb9a4a ID:76af8d97
Date: 2010/05/23 21:05



     クロスゲージ (『エンゲージを君と』異聞) (三)





「……ゴメンな。二人とも、いつもはあんなじゃないんだけど」
 坂を下りながら、彼が頭を下げてくる。
 街はだいぶ暗くなっていたが、西の空はまだ幾分、明るさを残していた。

 二人、とは間桐嬢とイリヤという少女のことだろう。
「気にしないでくれ。
 以前、君の家にお邪魔したときも言ったが、状況は君よりも理解しているつもりだ」
 本当にすまなそうな顔をしている彼に、私は答える。

 もちろん、人にあんな態度をとられて傷つかないわけがない。
 だが、それはある意味、当然のこととも言えるのだ。
 私が彼を好きになり、彼のそばにいる限りは。

 しかし、彼はその当然の理由に、全く気付いていないらしい。
 今も、私の言葉に不思議そうに首を傾げている。
 それが、衛宮士郎の長所の一つでもあるのだが……

 私の吐くため息を、どんな風にとったのか、彼は続けた。
「とにかくさ、これに懲りてなかったら、また来てくれよ。
 そのときは二人の機嫌も直ってるだろうし、みんなで夕飯でも食おう」
「……そうだな。ぜひまたお邪魔しよう」
 そんな晩餐が開かれることは無いだろう、と内心思いながら、私は話を合わせた。


 坂を下りきり、新都大橋にさしかかる。
 お互い、ポツリポツリと話すものの、会話は弾まない。

 もともと、私も衛宮もおしゃべりというタイプではないので、二人でいる時も多くを話すわけではない。
 寄り添って歩き、たまに手をつないだり腕を組んだりして、視線を交わし、微笑みあう。
 それで充分、満たされる。
 しかし今日は、そういった沈黙とも違う雰囲気が漂っていた。

 原因が私にあるのは分かっている。
 彼は、先ほどの間桐嬢やイリヤ嬢とのやりとりのせいだと思っているようで、口には出さずとも気を遣ってくれている。

 しかし、そうではないのだ。
 そのことについて、気にしていないと言ったら嘘になるが、仕方がないと割り切ってもいる。
 気にしているのは、別のこと。
 彼に対する、私の立ち位置についてだ。


 先ほどのやりとりの中で、彼は間桐嬢に対し、
『桜、おかえり』
 と言っていた。
 藤村教諭やイリヤ嬢も、ごく自然にあの屋敷に馴染んでいた。

 そして、彼への呼びかけ。
 教諭やイリヤ嬢、あの場にはいなかったが遠坂凛嬢も、彼のことを
『士郎』『シロウ』
 と呼んでいた。
 間桐嬢は彼を
『先輩』
 と呼んでいたが、それは私に対する『氷室先輩』などとは明らかに違う、親しみのこもった響きだった。
 それに対し、彼もごく自然な愛情で、彼女たちに答えていた。

 つまり、彼にとって彼女たちは《家族》なのだ。
 気兼ねなくくつろげ、笑いあえる関係なのだ。


 浅ましいことを考えている、と自分でも思う。
 要するに、私は彼女たちに嫉妬しているのだ。
 《衛宮士郎の恋人》という、自他共に認める立場をもらいながら、未だ他人でしかない自分に苛立っているのだ。

「なあ、……衛宮」
「ん?」
「……なんでもない」

 このやりとりも、何度目だろう。
 望んで、ねだって、それで与えられるものではないことは知っている。
 そもそも、何をもって《家族》と呼ぶのか、自分をどう扱って欲しいのか、それさえ自分で分からない。
 焦らなくとも良いではないか。
 今の関係を進めていけば、いずれ自然と彼の《家族》になれるはずだ。

 だが、私の心は満足してくれない。
 至高の物を手に入れたはずなのに、さらなる輝きを、幸せを欲している。それも今すぐ。なんて浅ましい女。
 でも、せめて、その入口へと続くものだけでも……
 つないだ手に力が入り、彼は不思議そうにこちらを見た。


 新都大橋を渡りきり、私の家があるマンションに着く。
「送ってくれてありがとう。……衛宮」
「こっちこそ、今日はドタバタしてごめんな、氷室」
「今度、機会があれば私の家にも上がってくれ……衛宮。
 父にも、改めて会って欲しい」
「そうだな。前に変な形でお会いしたっきりだからな。よろしくって伝えてくれ」

 ずるずると別れを引き延ばす。
 いつもならば、短くも情のこもった挨拶をして別れるのに、今日は、たった一言が言えないために、他愛ない言葉ばかり接いでいる。


「じゃあ、ちょっと早いけど、おやすみ氷室。明日また学校でな」
「ああ、お休み士郎。また明日」
 私の言葉に、彼はいつもの笑顔を見せながら、手を振って去っていく。

 ……その時、きっと私は泣きそうな顔をしていたに違いない。

 そして、交差点を曲がる直前、彼は


     ぴたり


と止まり、そのまま動かなくなった。
 5秒。10秒。
 時が止まったように硬直したあと、彼はいきなり振り向いて、全速力で駆け戻ってきた。

「なっ、ひ、氷室、いま、な、んて…!?」
「あ、ああいや、『お休み』と……」
 彼のあまりの勢いに、少々のけ反る。
「い、いやそれは聞こえたけど、そのあと!その、し、し…」
「……士郎?」
「―――!!!……!!」

 目をまん丸にし、口をぱくぱくさせ、無意味に手を振り回す士郎。
 ……これは……彼には悪いが、けっこう、おもしろいかもしれない……


「え、い、いや、その…な、なんで!?」
「……ダメか?」
 うつむきながら、上目遣いで訊いてみる。

 そう、これが私の第一歩。
 彼の《家族》が、彼のことを『士郎』『シロウ』と呼ぶのなら。
 私にもそう呼ぶ権利を与えてくれても良いのではないか。


 ありったけの勇気を振り絞った問いに、彼はぶんぶん首を振って答えてくれた。
「だ、ダメなんてことあるわけない!!
 ただ、ちょっと、その、不意打ちだったもんで……」
 あさっての方向を向いて、彼が頭を掻く。その顔は、夜目にも分かるくらい真っ赤だ。
 ……まあ、この頬の熱さからして、私の顔色も似たようなものなのだろうが。

「ならば……これからは、そう呼んでも良いか?その…士郎」
「あ、ああ。かまわない。…って言うか、正直言って、すごく嬉しい。……鐘」
「え?」


 瞬間。
 思考が止まった。
 彼は今、何と言った?

「その…そっちが俺のこと名前で呼んで、俺が氷室って言うのもヘンだろ?
 だから……鐘、でいいか?」

 ……誤算。
 私が彼のことをファーストネームで呼ぶのならば、その逆のことも当然考えるべきだったのだ。
 なのに、その可能性はきれいさっぱり、頭から抜け落ちていた。
 先ほどとは比べものにならないくらい顔が、いや、全身が熱くなる。


 しかし、彼は答を待っている。なんでもいいから、しゃべらなければ。
「も、もちろん、私だけが名前で呼ぶのは不公平だ。だ、から、私のことも、それで、いい……士郎」
「あ、ああ。じゃあ、……鐘…」
「士郎……」
「……」
「……」

 どこの、数十年前ラブコメマンガだ、と心の隅で冷静な突っ込みが入る。
 しかし、そんな囁きにも反応出来ないほど、私の頭は茹だっている。
 混乱し、恥ずかしくて……そして、例えようもなく、嬉しい。
 いつの間にか、私は真っ赤になりながら、満面の笑みを浮かべていた。


 お見合いのまま、何分が過ぎただろう。
 脇をゆっくりと過ぎる車のヘッドライトで、私たちはようやく我に返った。
「あ……じゃ、じゃあ、改めて、お休み、鐘。また明日、学校でな」
「……ああ、お休み、士郎。また明日」
 手を振って、今度こそ彼は去っていく。
 交差点を曲がるまで、振り向く回数がいつもより多かったのは、私の気のせいではないだろう。

「―――」
 息をついて、空を見上げる。
 新都の夜空は明るすぎて、星はあまり見えない。


「―― 士郎。」


 何度か、言葉の響きを舌に転がす。
 顔に浮かぶ笑みが消えない。消す気も無い。
 私は、無意味にハンドバッグを胸に抱え、
 マンションのエレベーターホールへと足を運んだ。





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 このストーリーは、「SS投稿掲示板Arcadia」で連載されている、

   『エンゲージを君と』(Nubewo 作)
    http://58.1.245.142/bbs/sst/sst.php?act=dump&cate=type-moon&all=1034&n=0&count=1

に触発され、書かれたものです。

 TYPE-MOON風に言えば、第十七話から分岐した、平行世界と考えていただければよろしいかと思います。

 『エンゲージ~』を下敷きにはしておりますが、
 今後書かれる、正編『エンゲージ~』第十七話以降とは、ストーリー的に《全く》関係は無く、
 その文責はすべて中村にあります。





[18987] クロスゲージ (『エンゲージを君と』異聞) (四)
Name: 中村成志◆01bb9a4a ID:76af8d97
Date: 2010/05/24 20:11



     クロスゲージ (『エンゲージを君と』異聞) (四)





「―――」
 息をついて、空を見上げる。
 深山町まで帰ると、夜空には星も多くなってくる。


「―― 鐘、か」
 何度目だろう、言葉の響きを舌に転がす。


 若い女の子にしては、地味というか渋い名前だな、とは思う。
 しかしこの響きは、一見老成しているが、清々しい少女そのもののあの娘に、とても似合っていた。
 そう言えば本人も、この名前を気に入っているって言ってたっけ。

『歳をとってから本領を発揮する名前なんて、気が利いているだろう』
 いかにも彼女らしい感想に、思い出し笑いをする。


 そんな物思いにふけりながら歩いてきたので、帰宅したのはけっこう遅い時間だった。
 みんなもう、夕飯は済ませただろうか。
「ただいまー」
 玄関を開けると、
「あ…おかえり」
 居間から、藤ねえの声。
 あれ?いつもなら桜やイリヤも、元気よく迎えてくれるんだけど。

 靴を脱いで居間に向かうと、藤ねえがぼんやりと座ってお茶を飲んでいた。
「藤ねえ、ひとりか?夕飯は?」
「あ、うん…みんなまだいるよ。ごはんはまだだけど」
「まだ?」

 おかしい。
 仮に俺が帰るのを待っていてくれたにしても、この時間なら夕食の準備くらいはしてありそうなものだ。
 だが、台所は使われた気配もない。
 今日の当番は……桜か。

「桜は?」
「え……うん…」
 どうも今日は、藤ねえまでおかしい。体調が悪いのかとも思ったが、顔色を見る限りそういうことでもなさそうだ。
 桜にしても、様子がおかしかったとは言え、夕飯の当番をすっぽかすほどには見えなかったのだが……


「まあいいや。なら、腹減ったろ。着替えたら、なんか作るから」
「あ、士郎…」
「ん?」
「……ううん、お姉ちゃんが口出すことじゃないね」
 そう言って、藤ねえは微笑んだ。

「?」
 その笑いに含まれた寂しげな影が気になったが、夕飯を食べながらでも話は聞けるだろう。
 とりあえず着替えよう。

 廊下へ出て、自室へ向かおうとすると、
「――桜?」
 離れの方から、桜が歩いてきた。
 大きな、ボストンバッグを抱えて。


「どうした桜?その荷物…」
 まるで、一週間の海外旅行にでも出かけるような大荷物だ。
 それに、外出着を着てコートまで羽織っている。
「どっか行くのか?こんな時間に?」
「……うちに帰ります」
 桜は、俺と目を合わさずに、言った。
「うち、って…間桐の屋敷か?」

 あそこには今、誰もいないはずだ。
 桜の兄の慎二は、半年前の聖杯戦争以来、行方不明という扱いになっている。
 他にお祖父さんがいたという話も聞いたが、その人も行方が分からないらしい。
 そんな所へ、こんな時間に大荷物抱えて、いったい何を……

「今日じゃないとダメなのか?もう遅いし、外はけっこう寒いぞ。明日にしたら……」
 やはり桜は前を向かず、黙っている。
「どうしても急な用なら、送ってくよ。その荷物、持つの大変だろ」
 そう言って、荷物を受けとろうと手を差し出したが、桜は動かなかった。
 代わりに、何かを思いきるように顔を上げて、


「先輩、長い間お世話になりました。お体を大切にして、幸せに暮らしてください」
「……え?」
「使わせていただいたお部屋は、できるだけ片付けました。
 少し私物が残っていますが、申し訳ありませんけど、適当に処分してください」

 何を、言っている?

「……待て、桜。どういうことだ?」
「ですから、うちに帰るんです。
 これまで先輩のご好意に甘えてきましたけど、私にはそんな資格なんて無いって、ようやく気付いたんです」
「資格…って、なんだ?
 いったい何を……」
「私なんかがこの家に通うことを許してくださって、本当に感謝してます。でも、ご迷惑をかけるのはもう止めたいんです。
 今まで、色々とお邪魔してすみませんでした」
「だから!さっきから何を言ってるんだ!?俺がいつ、桜を邪魔者扱いした!?
 俺と桜は家族で……!」
「私には家族なんていません!!」


 思わず声を荒げた俺に、それに倍する音量で桜は叫んだ。
「……」
 そして、横を向きながらうつむく。

「私の…私の家族は、兄さんとお爺さまだけです。
 その兄さんも、半年前……から行方不明で、お爺さまだって……
 …でも、もう誰もいなくても、あそこが私の家なんです。あそこだけが、私の帰れる場所なんです」
 うつむいた桜の目は、髪に隠れて見えない。

「……先輩。
 先輩と私は、ただの上級生と下級生です。
 それだけの間柄なのに、甘えたり、余計な事したりしてごめんなさい。
 もうここには来ませんから、安心してください。それじゃ」
 そして、俺の脇をすり抜けようとする桜の前に、俺は体ごと立ちふさがった。


「……どいてください」
「どけるわけないだろう」
 相変わらず目を合わせようとしない桜を、俺はまっすぐ見下ろした。

「理由を聞かせてくれ、桜」
「……理由なら、今、言いました」
「あんな訳の分からない理由なんて、理由になってない。
 いったいどうしたんだ、桜。
 お前がこの家を嫌いになったって言うんなら、しかたがない。
 でも、仮にも二年間、俺たちは家族だったじゃないか。少なくとも俺はそう思ってきたし、今でもそうだ。
 それを、理由も分からずにいきなり終わりにするって言われても、納得なんてできない」
 そのまま桜からの言葉を待つが、返事は無い。


「…ひょっとして、鐘……氷室のことか?」
 まさかとは思うが、他に理由が思い当たらない。
 思い返してみれば、夕方、鐘と会ったときから桜の様子はおかしかった。
 現に今、《鐘》という言葉を聞いたとたん、肩を大きく震わせた。

「桜に無断で、氷室を家に上げた事を怒ってるんなら、謝る。
 確かに、家族に無断で、あまり知らない人間を招くのは、無神経だった」
 桜は、まるで時が止まったかのように身動きしない。
「でも氷室も、見た目はクールで取っつきにくいけれど、中身はとってもいいヤツなんだ。
 あまり嫌わないで、仲良くしてやってくれないか」
 再び、桜が大きく震える。

 ……以前、鐘と何かあったのだろうか。この拒否反応は尋常じゃない。
「もし、どうしても無理だって言うんなら、無理強いはしない。
 今後、氷室をこの家に招くのも控える。
 だから……」
「本気でそんなこと言ってるの?」


「え?」
 すぐ近くから聞こえた第三者の声に振り返ると、俺の横にイリヤが立っていた。





    ----------------------------------------------------------



このストーリーは、「SS投稿掲示板Arcadia」で連載されている、

   『エンゲージを君と』(Nubewo 作)
     http://58.1.245.142/bbs/sst/sst.php?act=dump&cate=type-moon&all=1034&n=0&count=1

に触発され、書かれたものです。

 TYPE-MOON風に言えば、第十七話から分岐した、平行世界と考えていただければよろしいかと思います。

 『エンゲージ~』を下敷きにはしておりますが、
 今後書かれる、正編『エンゲージ~』第十七話以降とは、ストーリー的に《全く》関係は無く、
 その文責はすべて中村にあります。





[18987] クロスゲージ (『エンゲージを君と』異聞) (五)
Name: 中村成志◆01bb9a4a ID:76af8d97
Date: 2010/05/25 21:11



     クロスゲージ (『エンゲージを君と』異聞) (五)





「私には関係ないし、見てておもしろかったから、今まで傍観してたけど。
 シロウがあんまり馬鹿なこと言うもんだから、おもしろいの通り越して腹が立ってきたわ。
 もう一度訊くわ、シロウ。
 本当に、本気でそんなこと言ってるの?」
 イリヤは俺を、真っ直ぐに見上げてくる。

「……知ってるのかイリヤ?理由を…?」
 俺がそう言うと、イリヤは深いため息をつき、
 続いて、笑った。
 その笑みは、いつもの無邪気で小悪魔的な微笑みではなく。


「本当に気付いてないとしたら、あなたは真の意味での馬鹿だわ。
 もし、分かってて気付いてないふりをしているのなら、最低の屑男ね」

 冷酷と嘲弄。
 初めて出会ったころによく見た表情。
 《マスター イリヤスフィール・フォン・アインツベルン》の笑顔だった。


「シロウ。あなた、なぜサクラが二年間もここに通ってたと思ってるの?」
 なぜ、って……

 きっかけは、俺のケガだった。
 そのころ、桜とは知りあったばかりだったけど、なぜか桜は一人暮らしの俺を気遣って、家事の手伝いを申し出てくれた。
 大丈夫だと何度も言ったのだが、
『兄さんからも言われましたから』
 と、おどおどした表情ながらも、決して引こうとしなかった。
 ケガが治ってからも、この家が気に入ったのか、ほとんど毎日来てくれて、
 来るたびに桜は明るく、綺麗になっていって……


 イリヤは、そんな俺の言葉を フッ と鼻で笑った。
「年ごろの女の子が、たとえ誰に命令されたとしても、一人暮らしの男の家に二年間も通うと思う?」
「……え?」

「それだけじゃないわ。
 朝は家主が起きる前から来て、家事全般をこなして、朝夕の食事どころかお弁当まで作って。
 最後の半年間なんて、いっしょに住んでたのよ?
 それをあなた、全部《家族》なんて言葉で片付けるつもり?」

「イリヤさん!!」
 桜が、蒼白になって叫ぶ。
 しかしイリヤは、桜などいないかのように言葉を接いだ。

「それほどまでして尽くしたのに、当の男は全然気付かずに、どっから沸いて出たのか分からない女のコとくっついて。
 そのコがどっかに消えて、やれやれと思ってたら、半年経たないうちに別の女作って、自分の部屋に引っぱり込んでるんですものね。
 いくらサクラが温厚だからって、さすがにキレるわよ」

 普段の彼女からは想像も出来ない、口汚い言葉の羅列。
 しかし、その口調には、

「しかも何?
 挙げ句の果てに、その女と仲良くしろ、ですって?
 シロウ、私がサクラなら、とっくにあなたのこと殺してるわよ。
 いいえ、どんな女性でも、あなたのこと刺したくなるはずだわ。
 出て行くぐらいで済ませてくれる、サクラの優しさに感謝するのね」

 冷笑と嘲弄でも隠せない、紛れもない怒りが籠もっていた。


 言葉が、出ない。
 桜が……俺を…?

 思わず桜の方を見ると、彼女は唇を噛み、必死で全身の震えを抑えていた。

 桜……

 無意識に、声をかけようとして、


「片手落ちなんじゃない?イリヤ」
 また、別の声に遮られた。
 見ると、いつの間に帰ってきていたのか、遠坂が桜の背後に立っていた。

「なあに、リン?異論でもあるの?」
 イリヤの言葉に、遠坂は肩をすくめた。
「まさか。
 こいつの馬鹿さ加減については、100%同意見だわ。
 私が言ってるのは、桜の方よ。この子のことについても言わないと、片手落ちだってこと」
 そして、今のイリヤそっくりの笑みを浮かべて、髪を掻き上げる。


「姉……遠坂先輩…」
「桜。
 今、イリヤがあんたのこと盛大に弁護してくれたけど、私に言わせれば、あんたも士郎と五十歩百歩よ。
 二年間もここに通ってて、どう振る舞えば、士郎に気付かれずに済ませられるのかしら?
 私にはそっちの方がよっぽど不思議だわ」
 そして歩を進め、桜の隣に立つ。

「この際、この馬鹿の鈍感さは、言い訳にはならないわよ。
 現に、氷室さんは気付かせた。
 コイツと氷室さんが、いつごろから接触してたのか、詳しいことは知らないけれど、この秋以降なのは確かよ。
 その一ヶ月にも満たない期間で、彼女はコイツを振り向かせた。
 この馬鹿に気付かせるくらいですもの。きっと、10回は死ねるくらいの勇気を振り絞ったんでしょうね。
 それに比べて桜、あんたはこの二年間、何やってたの?」

 桜は一瞬、遠坂を睨み、何か言おうとしたが、すぐに力無く視線を外した。

「まあ、だいたい想像はつくわ。
 衛宮くんのそばにいると、あったかいのは事実だものね。
 おまけに、ことあるごとに家族だ妹だって、ちやほやしてくれるんだもの。
 いったん浸かったぬるま湯からは、出たくないわよねえ?」

 遠坂の叱責は、桜だけでなく、俺にも向けられている。

「イリヤは士郎に、あんたの想いを《家族》なんて言葉で片付けた、って言ってたけど、
 あんたの方こそ、その《家族》って言葉にどっぷりと浸かってたんじゃないの?」

 棘を隠そうともしない声が、なぜか真摯に響く。


「まあ、家族ごっこに飽きて出て行くっていうんなら、私は止めないけど。
 それにしても、うまいこと考えたもんよね。最高のタイミングだわ」
「「え……?」」
 桜と俺の声が重なる。

「だってそうじゃない。
 さっき藤村先生に聞いたけど、氷室さんが帰ったのって夕方なんでしょう?
 それが許せなくて出てくんなら、さっさと出て行けばいいじゃない。
 それを、士郎が帰ってくるまで何時間も待ってて、玄関で音がしたところで部屋を出る。
 当然、二人は廊下で鉢合わせ。
 振った男に対する、とびっきりの嫌がらせだわ」
「遠坂先輩!」

「あら、違った?じゃあ、こっちのほうかしら。
 廊下で会った士郎に、帰る帰るとだだをこねて、惚れた男の気を引く。
 やさしいやさしい衛宮くんは、当然、桜のことを放っておけずに引き止める。
 さんざん焦らしたあげくに、しぶしぶ残る形を取れば、この家は出て行かなくて済む上、あわよくば愛しの衛宮くんのハートを奪い返せるかも……」
「遠坂、お前!!」

 いくらなんでも、言って良いことと悪いことがある。
 そう思って、思わず声を荒げたが、

「黙ってなさい。今のアンタには発言権なんて無いことぐらい、自覚しなさい」
 氷のような視線で返された。


「リン、シロウの言うとおり、言い過ぎよ。いくら本当のことでも、言っちゃいけないことだってあるわ」

 一見、楽しそうに談笑する二人。しかし、

「イリヤにだけは言われたくないけどね。先に禁句全開で士郎のこと嬲ってたのは、あんたじゃない」

 その姿が、切ないほど痛々しく感じるのはなぜだろう。


「二人とも、そのへんにしておきなさい」
 後ろを振り返ると、居間の入口から藤ねえが出てくるところだった。

「イリヤちゃんも遠坂さんも、やさしいのは分かるけれど、これ以上は非難中傷になるわ。
 士郎にも桜ちゃんにも、あなたたちの心は伝わったはずよ」

 藤ねえは、暖かい微笑を浮かべながら、イリヤと遠坂を交互に見つめた。
 二人とも、少し頬を赤くして黙り込む。
 そんな二人を見てうなずいた藤ねえは、桜の前に立った。


「桜ちゃん、今日はもう遅いから。
 ここにいたくないって言うんなら、私の家に行きましょう?
 誰もいないおうちに帰るのは、やっぱり良くないと思うの」
 桜は、うつむいたまま動かない。が、

「ね?」
 藤ねえが、もう一度やさしく言って、促すように肩を抱くと、抵抗もせずに歩き始めた。

 藤ねえはうなずき、また微笑んで
「イリヤちゃんも、いいわね?」
「そうね。言いたいこと言って、気も晴れたし。
 代わりにお腹空いちゃった。タイガの家でご飯食べようっと」

 そう言うとイリヤは、俺に一瞥も与えずに、玄関の方へ走っていった。
 俺の横を、桜が通り過ぎる。やはり、俺の方を見ない。
 桜の肩を抱いた藤ねえは、すれ違いざま、心配そうに俺を見たが、結局何も言わなかった。


 どれくらい、廊下の真ん中に立っていただろう。
 ふと顔を上げると、遠坂が感情の読めない目で、こちらを見ていた。

「……」
 しばらく遠坂は、観察するように俺を見つめた後、
 やはり何も言わないで踵を返し、離れの自室へと去っていった。



 あとには、俺だけが残った。
 誰からも、声をかけられないまま。





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 このストーリーは、「SS投稿掲示板Arcadia」で連載されている、

   『エンゲージを君と』(Nubewo 作)
     http://58.1.245.142/bbs/sst/sst.php?act=dump&cate=type-moon&all=1034&n=0&count=1

に触発され、書かれたものです。

 TYPE-MOON風に言えば、第十七話から分岐した、平行世界と考えていただければよろしいかと思います。

 『エンゲージ~』を下敷きにはしておりますが、
 今後書かれる、正編『エンゲージ~』第十七話以降とは、ストーリー的に《全く》関係は無く、
 その文責はすべて中村にあります。





[18987] クロスゲージ (『エンゲージを君と』異聞) (六)
Name: 中村成志◆01bb9a4a ID:76af8d97
Date: 2010/05/27 20:52



     クロスゲージ (『エンゲージを君と』異聞) (六)





 気がついたら、縁側に座って庭を眺めていた。
 上着を着ているので寒くはないが、別にわざわざ着たわけではない。
 家に帰ってから今まで、上着を脱ぐという行為に頭が回らなかっただけだ。
 空を見上げると、闇はますます濃く、星は数を増している。

 さっきの桜たちとのやりとりを反すうしてみる。
 いや、反すうできるほど、頭の中は整理されていない。
 会話の一つひとつ、そのまた断片だけが、ランダムに浮きあがってくる。


(本当に気付いてないとしたら、あなたは真の意味での馬鹿だわ。
 もし、分かってて気付いてないふりをしているのなら、最低の屑男ね)

 桜が、俺のことを……
 しかも、ここに通い始めたときから、二年間もずっと。
 だが、言われてみれば、思い当たる節はいくらでもある。


 この家に来て、どうしても手伝いをすると言った、あの必死のまなざし。
 初めておにぎりを作り、それを交換したとき、やっと見せた笑顔。
 朝、土蔵で眠ってしまった俺を起こしてくれた、やさしい微笑み。
 聖杯戦争中、遠坂と共同生活することを告げた時の、あの決然とした態度。

(先輩、ボタン取れてましたから)
(先輩、お味噌汁のお味、これでどうでしょう?)
(先輩、無理しすぎです。体こわしちゃいますよ)
(先輩、これからも私に、たくさん色々教えてくださいね)

     先輩……先輩……先輩……


 これだけ溢れるほどに向けられた好意に、全く気づけなかった俺は、
 イリヤの言うとおり、《真の意味での馬鹿》なんだろう。


 ……いや。
 本当にそうか?
 俺は、心の底では、桜の気持ちにとっくに気づいてたんじゃないか?

 さっき、俺自身が言っていた。

(ケガが治ってからもほとんど毎日来てくれて、来るたびに桜は明るく、綺麗になっていって……)

 そう、どんどん明るく綺麗になっていく桜を、俺はまぶしい気持ちで眺めていた。
 笑顔を向けられ、胸が高鳴ったことも、二度や三度じゃない。
 そのたびに俺は、桜は家族だ、大事な妹なんだ、と自分に言い聞かせてきた。
 それはなぜだ?


(あんたの方こそ、その《家族》って言葉にどっぷりと浸かってたんじゃないの?)
(いったん浸かったぬるま湯からは、出たくないわよねえ?)

 遠坂の言葉がよみがえる。
 俺は、この平穏を壊したくなかったんじゃないのか。
 桜の気持ちを認め、それについて答を出すことによって、
 《ぬるま湯》が冷めて、または熱くなってしまうのを、怖れていたんじゃないか?
 たとえ無意識にでも、《家族》という言葉を盾にして、気付かないふりをしていたのなら……


(私には家族なんていません!!)

 桜の叫びが、頭に響く。


「俺は、《真の馬鹿で最低屑男》、ってことか」

 的確すぎて、自嘲の笑みさえ漏れない。


 もうひとつ、ショックだったことがある。
 遠坂の言葉。

(現に、氷室さんは気付かせた。
この馬鹿に気付かせるくらいですもの。きっと、10回は死ねるくらいの勇気を振り絞ったんでしょうね。)


 そうだ。
 付き合い始める前、いっしょに下校するようになって数週間。
 俺は鐘から寄せられる好意に、全く気付けなかった。

 最後の最後、
 新都大橋のたもとで、鐘が心と体をぶつけてきてくれたから、俺もそれに答えることが出来たが、
 そうでなければ、彼女との関係はそれっきりになっていたはずだ。

 俺の中では、日常によくある、ちょっとした刺激として片付けられ、
 今、最も愛しく想っている女性を永遠に手放す、いや、手に入れることを考えもせずに……


 殺意を覚える。
 自分の、馬鹿さ加減にだ。
 遠坂の言うとおり、鐘は《10回は死ねるくらいの勇気》を振り絞ったんだろう。
 桜にしても同じだ。この二年間、どんな気持ちで俺に接していたのか。


 『正義の味方』が聞いて呆れる。
 最も身近な、大切な人たちが、そんな思いをしているのに全く気付かず、あるいは見て見ぬふりをして……


     ぼーん


 居間の柱時計が、一回だけ鳴る。
 見ると、針は11時半を指していた。

 ああ、もうすぐ鍛錬の時間だな、と思って、それから苦笑した。
 この状況でも、日課の方に頭が行くかという自嘲。
 ここに座ってから、時計なんか何度も鳴っているだろうに、この一回にだけ反応した自分が、妙におかしい。

 しかし、とりあえず土蔵には行こう。
 混乱したこの頭で、何時間考えても結論は出ないだろうし、精神集中をして気分を切り替えてから……


「今やったら、死ぬわよ」


 腰を浮かしかけた俺に、声がかかった。
 声の方向を見ると、庭の隅に遠坂が立っていた。
 いつもの真紅の服は、闇にまぎれて若干黒ずんで見える。


「そんな状態で魔術行使なんかしてご覧なさい。
 魔力の暴走、制御の失敗、フィードバックに体は耐えきれず、神経と魔術回路はズタズタ、あっという間にあの世行きだわ」
「……」

 遠坂の言うとおりだ。
 魔術の行使には、最大限の注意と精神集中が伴う。
 それを欠いたまま行ったとすれば、術者に待っているのは《死》あるのみだ。
 そんな、初歩の初歩すら忘れてしまうくらい、俺は混乱していたらしい。

「まあ、私は別にいいんだけど。
 でも、あなたにはもう、泣いてくれる人が出来たんでしょう?
 それに、《あの子》のためにも、アンタは一人前にならなきゃいけないのよ。
 こんなバカなことで死なれたら、二人に会わせる顔が無いわ」

 そう言いながら、遠坂はこちらに近づいてくる。
 そして、流れるような動作で、俺の横に腰掛けた。


 確かに、俺が死んだら、鐘は泣いてくれるだろう。
 遠坂が、セイバーを大事に思ってくれているのも、以前のままだ。

 そんな遠坂の気遣いが、とても嬉しかった。





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 このストーリーは、「SS投稿掲示板Arcadia」で連載されている、

   『エンゲージを君と』(Nubewo 作)
     http://58.1.245.142/bbs/sst/sst.php?act=dump&cate=type-moon&all=1034&n=0&count=1

に触発され、書かれたものです。

 TYPE-MOON風に言えば、第十七話から分岐した、平行世界と考えていただければよろしいかと思います。

 『エンゲージ~』を下敷きにはしておりますが、
 今後書かれる、正編『エンゲージ~』第十七話以降とは、ストーリー的に《全く》関係は無く、
 その文責はすべて中村にあります。





[18987] クロスゲージ (『エンゲージを君と』異聞) (七)
Name: 中村成志◆01bb9a4a ID:76af8d97
Date: 2010/05/29 18:27



     クロスゲージ (『エンゲージを君と』異聞) (七)





「だいぶ参ってるみたいね」

 俺は無言でうなずく。正直、声を出すのも辛い。

「まあ、参ってくれなきゃ困るわ。
 これで、いつものようにのほほんとしてたら、私もイリヤも、本気であなたのこと殺してる」
 さばさばした口調で、遠坂が言う。

 ……遠坂、言ってることがさっきと違うぞ。
 苦笑するが、相変わらず声は出ない。


「で、結論は出た?」
「……わからない」
 やっと声が絞り出せた。

「考えが全然まとまらない。
 桜が俺にしてきてくれたこと、俺が桜にしてきたこと……そんなことばっかりが頭の中を巡って…。
 桜に、なんて言えばいいのか、どんな顔をして謝ったらいいのか……」
「ダメよ」
 煮え切らない俺の言葉を切りさくように、遠坂は言った。

「桜にアンタから何か言っちゃダメ。アンタにはもう、言うべき言葉は無いわ」
「……」


 そう、かもしれない。
 二年間も桜の想いに気付かず、あるいは見て見ぬふりをしてきたんだ。
 今さら俺に、彼女に言葉をかける資格など……
「そうじゃないわよ」
 遠坂は、俺の考えを読んだかのように、苦笑しながら続けた。


「確かに、資格うんぬん、ってのもあるかもしれないけどね。私が言ってるのは、言葉どおりのことよ。
 アンタには、桜にかけるべき言葉は残ってないの。
 アンタはもう、桜に答えたんだから」

 ……意味が、分からない。
 俺が、桜に、答えた…?


「士郎。
 アンタが氷室さんのことを好きになって、それが桜に分かった時点で、アンタは桜の気持ちに対して答えたことになるのよ。
 桜の想いに気付いていたかどうかは、この際、関係無いわ。
 今日、氷室さんといっしょにいる所をあの子に見せたことで、言葉より雄弁に答えたのよ。
 『俺は、桜より氷室を選んだんだ』って」
「……」

「この状況で、桜にかけるべき言葉があるとすればひとつだけよ。
 『氷室とは別れるから、俺と付き合ってくれ』
 どう、言える?」
「………」


 言えない。

 鐘と出会う以前であれば、あるいはそういうことも有り得たのかもしれない。
 だが、今、俺が一番愛し、大切に思っているのは、氷室鐘だ。
 たとえ桜であっても、この想いを違えることなど、出来ない。

 俺の表情を見て取った遠坂は、にっこり笑って言った。

「正解。
 だから、今アンタは動いちゃダメ。アンタはもうボールを投げたんだもの。
 桜がそれをどう受けとるか、それはあの子次第よ。
 そのまま放り捨てるか、投げ返してくるか……
 あの子からのリアクションがあるまで、アンタに出来ることは無いわ」

 きつい言葉をやさしい声で、ズバズバと、染み通るように語りかけてくる。

 確かに、遠坂の言うとおりだ。
 俺は、鐘を選んだ。
 桜の想いを知っていようがいまいが、この事実は変わらない。
 ならば、俺に出来ることは何もない。桜が出す答を、待つしかない。


 ……ある意味、何よりも辛い選択だ。
 俺の大切な人が、俺の馬鹿のせいで苦しんでいるのに、それを傍観することしか出来ないなんて。

「衛宮くんにはちょっとキツいかもね。まあ、乙女心を踏みにじったバツとして、観念しなさい」
 気を遣ってくれているんだろう。遠坂は、ことさらに明るい声で言った。
 そして、そのままの口調で、


「じゃあ、バツついでに、もう少し落ち込ませてあげましょうか。
 桜一人じゃない、って言ったら、どうする?」


「え?」
 振り向いたその先には、

「この家に通い詰めてたのは一人じゃないってこと。藤村先生も、イリヤも、……私も、ね」
 切なげに微笑む、遠坂の顔があった。


「想いの深さでは、桜が一番でしょうね。
 そもそも、みんながみんな恋愛感情って訳でもないし。
 藤村先生は、ほとんど弟としてアンタを愛してるし、イリヤもそれに近いのかな。少なくとも、恋人にしたいっていう気持ちは無いみたいね。
 でも、二人とも《家族》って言葉で割り切れるほどの感情ではないことも確かよ」
 遠坂は、夜空の星を見上げながら、淡々と続ける。

「遠坂……」
 無意識に声が出る。彼女は、それをどう受けとめたのか、


「私?
 んー、私はそうね、『あわよくば』ってところかな。
 アンタが氷室さんとくっつかないで、桜もあんまりモタモタしてるんだったら、動いてもいいかな、って思ってた」

 彼女は笑みを浮かべたまま、透きとおった目で、しばらく星を眺めていた。


 やがて、その眼差しのまま俺に目を移すと、
「だからアンタ、幸せになりなさい。
 これほどいい女たちを袖にして、氷室さんとくっついたんだもの。
 生半可な覚悟だったら、承知しないわよ」

「―――」
 俺は、無言でうなずいていた。


 俺なんかが、幸せになれるのかどうか、それは分からない。
 鐘と、これからどうなっていくのかも分からない。

 しかし、この誇り高き女性に、ここまで言わせたのだ。
 自分の馬鹿さ加減を自嘲している暇など無い。

 全力で進んでいく。

 遠坂に、いや、彼女たちに酬いる方法は、その一つしか思いつけなかった。


 遠坂は、もう一度にっこりと笑って、満足そうに頷いたあと、勢いよく立ち上がった。
「さあて、じゃあ言うべきことも言ったし、私も帰るわ。
 また明日ね」
「え?」
 思わず間抜けな声を出す。帰るって…今からか?

「おい、もう12時過ぎてるぞ。いくらなんでも遅すぎるんじゃないか?
 どうしても用があるって言うんなら、送って……」
 そこまで言って、これがさっきの桜との会話と同じであることに気付く。
 遠坂は、呆れた顔でこちらを見ていた。


「アンタねえ……
 やっぱりその性格、いっぺん死なないと直らないのかしら?」
「……なんでさ?」

「なんでさ、じゃないわよ。
 いい?
 私は今、アンタに告白して、振られたのよ?
 まあ、順番で言うと、振られてから告白したんだけど。
 その直後に、振られた相手に家まで送られるなんて、我慢出来ると思う?
 ましてや、同じ屋根の下で眠るなんて」
 出来の悪い生徒に根気よく言い聞かせるように、懇々と遠坂が諭す。

「あ……」
 確かに、そうだ。
 今の今まで、遠坂自身に教えられてきたのに、それが全く身に付いていない。


 再び深い自己嫌悪におちいる俺に、
「まあ、そんなわけだから、気持ちだけ頂いとくわ。
 実際、襲われても大抵の人間なら大丈夫だし、むしろ相手が気の毒ってもんよ」
 明るい声で、遠坂は言う。

 その口調には、俺への優しさと、若干の虚勢が混じっているように思えた。

「私もしばらく、ここに泊まるのは止すわ。桜にも悪いしね。
 あ、でも魔術講義はもちろん続けるわよ。明日までに、集中力戻しときなさい」
 じゃあねー、と手を振りながら、遠坂は門の方に歩いていく。


「遠坂」
 俺は、立ち上がって声をかけた。
「ん?」
 振り返った彼女は、もう半分、暗闇の中にいる。

「ありがとな」
 その一言に、万の想いをを込めたつもりだった。

「……馬鹿」
 赤い衣装は、苦笑を一つ残し、影の中へ消えていった。





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 このストーリーは、「SS投稿掲示板Arcadia」で連載されている、

   『エンゲージを君と』(Nubewo 作)
     http://58.1.245.142/bbs/sst/sst.php?act=dump&cate=type-moon&all=1034&n=0&count=1

に触発され、書かれたものです。

 TYPE-MOON風に言えば、第十七話から分岐した、平行世界と考えていただければよろしいかと思います。

 『エンゲージ~』を下敷きにはしておりますが、
 今後書かれる、正編『エンゲージ~』第十七話以降とは、ストーリー的に《全く》関係は無く、
 その文責はすべて中村にあります。





[18987] クロスゲージ (『エンゲージを君と』異聞) (八) 氷室の視点
Name: 中村成志◆01bb9a4a ID:76af8d97
Date: 2010/05/31 19:40


     クロスゲージ (『エンゲージを君と』異聞) (八) 氷室の視点





 いつもの交差点で、バスを降りる。
 寒いというほどではないが、早朝の空気は稟としており、冬が間近に来ていることを教えてくれる。

 学園へと通じる坂道は、運動部の早朝練習に向かう学生がちらほら見える程度で、閑散としている。
 もちろん、私もそのうちの一人だ。

 12月にある競技会に向け、陸上部でも最終調整に余念が無い。
 私にとっても、学園生活最後の大会だ。自ずと気合いも入る。


 ……いや、認めよう。
 足取りが軽いのは、気合いが入っているからばかりではない。

 衛宮……いや、士郎との、夕べのやりとり。
 一歩、前進することができた、という満足感が、そうさせているのだろう。

 間桐嬢やイリヤ嬢とのことなど、まだまだ不安要素も多いけれど、
 彼の《家族》となるための一歩を踏み出せたという嬉しさの方が、今は勝っていた。


 そんな充足感に浸りつつ坂道を登っていると、まさに、脳裏に描いていた人の後ろ姿を見つけた。

 珍しい。
 彼は、確かに他の生徒よりは早く登校するが、朝練がある私と同じ時間帯、ということは今まで無かった。

 かすかに疑問を抱きつつ、やはり想い人に朝から出会える喜びには勝てない。
 私は、さらに足取りも軽く、彼の背中に駆け寄った。


「おはよう、士…衛宮」

 士郎、と呼ぼうとしたが、少ないとは言え他生徒が周りにいる路上では、やはり呼びにくい。
 別に隠しているでも無し、堂々としていれば良いのだが、そこはそれ、やはり照れというものがあるのだ。

「…ああ、おはよう鐘……氷室」
 やはり私のファーストネームを呼び掛け、苗字に言い直した彼に、嬉しさと気恥ずかしさを覚える。

 しかし、振り返った彼の顔を見て、そんな気持ちは吹っ飛んだ。


「……」
 いつもの笑顔。
 ぶっきらぼうで、照れくさそうな、でも、なによりも暖かい表情。
 なにひとつ、変わってなどいないはずなのに、

「どうした?」

 そう問いかける彼からは、決定的に《生気》が抜け落ちていた。


 おそらく、顔見知り程度の者が見たら、普段と同じ、と言うだろう。
 いや、彼の友人であっても、いつもより元気が無いな、くらいにしか思わないに違いない。

 しかし、私には分かった。分かってしまった。

 今の彼には人間が、いや、生物が必ず持っているエネルギーが、ほとんど感じられない。


 もともと、衛宮士郎という人間には、どこか空虚な部分がある。
 しかしそれは決して、中身がない、ということではないのだ。
 彼の性格同様、表に出ることはあまりないが、普通の人間を圧倒するほどのエネルギー、
 《生気》と呼び変えても良い物が、その空虚な部分をも含めて、彼を満たしている。

 そんなエネルギーの大きさ、暖かさに触れた者のみがそれを理解し、彼に惹かれるのだ。


 なのに、今の彼からは、そのエネルギー、《生気》が、ごっそりと抜け落ちている。
 視覚ではいつもどおりに見える彼の顔色は、私には土気色に見え、
 普段と同じはずの肉付きは、蚤で削いだかのようにげっそりとやつれて見えた。

「……どうした?氷室」
 いつもと同じ(ように見える)笑顔で、士郎が再度問いかける。
 しかし、私に返事をする余裕はない。

 これが……彼か?
 夕べまで生気に満ち、私を満たしてくれた、衛宮士郎か?
 まるで、一晩で地獄巡りでもしてきたかのようではないか。


「……鐘?」
 三度目の彼の問いかけに、私はようやく我に返った。
 他の生徒たちが、坂道の真ん中で突っ立っている私たちを、不思議そうに眺めながら追い越してゆく。

 とりあえず、動こう。
 私は二、三度頭を振り、彼と並んで歩き出した。
 まだ、声は出ない。

 隣を歩く彼を見る。
 思い違いであれば、という私の願いは虚しかった。
 一見、普段どおりに見える彼の足取りは、まるで鉄球でも引きずっているかのように重かった。
 一歩踏み出すのもやっとなはずのその足を、鋼の意思で動かしているのだ。


「……どうしたんだ?」
 私は、やっと声を絞り出した。
 そんな状態なのに、なおも私のことを心配そうに見つめる、彼の視線に耐えきれなくなったのだ。

「……」
 今度は、彼の方がしばらく無言だった。
 だんだん、二人の歩みが遅くなる。
 それでも、学園は着実に近づき、校門まであと数十メートルの所まで来た時、


「……鐘には、わかっちゃうんだな」
 彼が、ポツリと呟いた。

「心配かけてゴメン。
 なんでもない、って誤魔化したかったんだけど、鐘相手じゃ無理みたいだ。
 でも、一口で説明できることじゃないんで、後でいいか?」
 確かに、もう校門に達している。
 今からでは、詳しい理由を聞く時間など無いだろう。

「……分かった。昼休みに美術室、でいいか?」
「……ああ。ほんと、ゴメンな」

 そして私たちは校門で別れた。
 私は陸上部室へ。
 彼は、教室か生徒会室にでも行くのだろう。

 本当はずっと付き添っていたかったのだが、場所が学校であれば、私たちにはそれぞれの本分がある。
 後ろ髪引かれる、とは正にこの事か。
 彼の背中が校舎内に消えるまで、私はずっとそれを見送っていた。


 午前中は、散々だった。
 朝練習では、アップ終了の号令に気付かず、一人で延々と走り続け、ダッシュの合図に反応せず立ちつくしていた。
 授業が始まっても、機械的にノートを取りはするものの、教科書は前時限のものを開いていたり、
 シャープペンシルをカチカチ押し続け、芯のすべてを机に撒いていたり。

 以前、士郎に振られた(と思い込んでいた)時より、まだひどい。
 あのときは、自分自身をコントロールすればよかった。
 しかし今回は、原因が私ではない。
 他の人の痛みを自分に感じ、それを制御する。
 そんな、生まれて初めての事態に、私は戸惑うばかりだった。


 やっと昼休みのチャイムが鳴り、私は美術室へと向かった。

 最近は昼食のローテーションが確立され、週に三回は蒔寺、由紀香と三人で。
 一回は士郎と二人で。
 残る一回は、我々三人に士郎を交えての食事となっていた。

 その順番で行けば、今日は三人での昼食なのだが、蒔寺たちに詫びて別行動を取らせてもらった。
 彼女たちも、普段とあまりに違う私の様子に戸惑っていたのだろう。
 すんなりと許してくれた。

「……なんか、あったのか?」
 蒔の字が、恐る恐る聞いてくる。
「……わからないんだ」
 私の答も煮え切らない。
「鐘ちゃん……だいじょうぶ?」
 由紀香も、心配そうな顔だ。
「……だと、いいんだが…」
 こんな返事では、余計に心配させてしまうだろうが、そう答えるほか無い。


 美術室は、相変わらず閑散としていた。
 油絵の具や粘土の匂いがして、食事には不向きの場所だからだろう。
 しかし、私には慣れ親しんだ匂いだし、彼も特に気にはならないという。
『オイルやグリースの匂いより、よっぽど上品だよ』
 そう言って笑ったのは、いつだったか。

 いつもならば、軽やかに滑るはずの引き戸が、今日はやけに重く感じられた。





    ----------------------------------------------------------



 このストーリーは、「SS投稿掲示板Arcadia」で連載されている、

   『エンゲージを君と』(Nubewo 作)
     http://58.1.245.142/bbs/sst/sst.php?act=dump&cate=type-moon&all=1034&n=0&count=1

に触発され、書かれたものです。

 TYPE-MOON風に言えば、第十七話から分岐した、平行世界と考えていただければよろしいかと思います。

 『エンゲージ~』を下敷きにはしておりますが、
 今後書かれる、正編『エンゲージ~』第十七話以降とは、ストーリー的に《全く》関係は無く、
 その文責はすべて中村にあります。





[18987] クロスゲージ (『エンゲージを君と』異聞) (八) 衛宮の視点
Name: 中村成志◆01bb9a4a ID:76af8d97
Date: 2010/06/02 19:41


     クロスゲージ (『エンゲージを君と』異聞) (八) 衛宮の視点





 昨夜は一睡もしなかった。
 眠れるとは思えなかったし、眠るつもりもなかった。

 昨夜の出来事。

 桜の言葉を。
 イリヤの、遠坂の、藤ねえの言葉を、何度も、できる限り正確に思い出し、脳裏に焼き付けた。

 想像以上に辛い作業だったが、どうしても俺にとって必要な事だったし、
 辛いと感じる余裕も、今の俺にはなかった。


 空が白み始めたので、少し早いが道場で日課の筋力トレーニングをした。
 何しろ、今夜も遠坂の魔術講義がある。
 集中力を取り戻すには、ルーティンワークが一番だ。

 軽くシャワーを浴び、朝食を作る。
 桜は、当然来ない。
 遠坂も、昨日宣言したとおり、来ない。
 藤ねえもイリヤも、いつもは朝飯をねだりに来るのに、やはり来なかった。
 それでも人数分作り、テーブルに並べ、しばらく待って誰も来ないことを確認した上で、5人分を冷蔵庫に仕舞った。

 いつもよりだいぶ早いが、他にすることもないので家を出る。
 坂を下り、交差点で曲がって、坂を登る。


 こんな時、魔術師というのは便利だ。
 たとえ一睡もしていなくても、昨日の昼から何も食べていなくても、魔力さえあれば、体力の低下をある程度はカバーしてくれる。
 まあ、当然そのあとは揺り戻しがあるのだが。

 少しだけ重い足を動かして坂を登っていると、後ろから声をかけられた。


「おはよう、士…衛宮」

 鐘の声だ。
 そうか、今の時間帯は、ちょうど運動部の連中が朝練に通う時刻なんだな。
 士郎、と呼び掛けて、苗字に言い直す声がかわいい。

「…ああ、おはよう鐘……氷室」
 やはりファーストネームを呼び掛け、苗字に言い直す。
 別にやましいところがあるわけでもないが、そこはそれ、照れというものがある。

 振り返り、視界に入った鐘の顔は、嬉しさと気恥ずかしさに染まっていたが、


「……」
 俺の顔を見るなり、彼女は絶句していた。


「どうした?」

 そう問いかけたが、返事がない。
 彼女の、白磁のような肌から、見る見る血の気が引いていく。
 浮かびかけていた笑みは凍りつき、視線は固定され、俺の声も届いていないようだ。

「……どうした?氷室」
 立ちくらみでもおこしたのだろうか。
 そんな心配を抱きつつ、笑顔で再度問いかける。
 しかし、やはり返事は無い。
 ほとんど恐怖に引きつったその表情は、

 まるで、地獄巡りをしている亡者でも見たかのような顔だった。


「……鐘?」
 三度目の問いかけに、鐘はようやく我に返ったようだった。
 他の生徒たちが、坂道の真ん中で突っ立っている俺たちを、不思議そうに眺めながら追い越してゆく。

 二、三度頭を振った鐘は、無言のまま俺の隣に並び、歩き始めた。
 俺もそれに続く。
 まだ、鐘は声を出してくれない。

 ちらちらと、こちらを伺う気配がする。
 まるで、直視したら俺が壊れてしまうとでも言うかのように。
 彼女の足取りが重い。
 今の俺などより、よほど辛そうだ。
 どうかしたのか?と声をかけようとして、


「……どうしたんだ?」
 鐘は、やっとしゃべってくれた。
 が、それは、無理に絞り出したような声だった。

「……」
 今度は、俺の声が出なくなった。


 まさか……
 気付いているのか?

 今朝、顔を洗うときも鏡で確認した。
 特にやつれてもいないし、顔色も普段と変わらない。
 魔力が足りているせいか、体調もそんなに悪くない。
 少し、体が重い程度だ。

 魔術師ならば、あるいは達人クラスの武道家なら気付くだろうが、
 一般人なら、いつもより元気が無いな、くらいにしか思わないに違いない。
 そう思っていたのに……


 だんだん、二人の歩みが遅くなる。
 それでも、学園は着実に近づき、校門まであと数十メートルの所まで来た時、


「……鐘には、わかっちゃうんだな」
 自然と、口からこぼれていた。

「心配かけてゴメン。
 なんでもない、って誤魔化したかったんだけど、鐘相手じゃ無理みたいだ。
 でも、一口で説明できることじゃないんで、後でいいか?」
 もう校門に達している。
 今からでは、詳しい理由を話す時間は無い。

「……分かった。昼休みに美術室、でいいか?」
「……ああ。ほんと、ゴメンな」

 そして俺たちは校門で別れた。
 俺は教室へ。
 彼女は陸上部室へ行くのだろう。

 別れる間際の、彼女の表情が辛かった。
 ずっと付き添っていたい、とその顔は語っていた。
 しかし、場所が学校であれば、俺たちにはそれぞれの生活がある。
 校舎内に入るまで、背中に彼女の視線をずっと感じていた。



「じゃあ、朝のホームルームはここまで。
 今日も一日、がんばろうねー」

 ホームルームを終え、藤ねえが教室から出て行く。
 俺は、それを追いかけた。

「藤村先生」
 廊下で俺が呼びかけると、藤ねえは驚きもせず振り返った。
 俺を待っていたかのような眼差しだった。

「なんですか、衛宮くん?」
 一応、学園内なので、双方とも少し改まった口調だ。
「ちょっと、お話が……」
 俺がそう言いかけると、藤ねえは微笑んで頷いた。
 そして、人目に付きにくい階段の踊り場まで移動する。


「桜ちゃんのこと?」
 周りに人がいないことを確かめてから、藤ねえは自分から切り出してくれた。
「―――」
 無言で、頷く。
「とりあえず、今日は休ませてるわ。
 安心しなさい、って言いたいところだけど、正直、ちょっと参ってるみたいね」

 やはり――
 俺が俯くと、藤ねえは俺の髪を くしゃり と撫でてきた。

「士郎に、気にするなって言っても無駄なのは分かってるけど。
 桜ちゃんのことは、私とイリヤちゃんに任せておきなさい。
 士郎から、なにか言ったりしちゃダメよ」
「―――ああ、分かってる。
 昨日、遠坂からも言われたよ」

 俺がそう答えると、藤ねえは満足そうに微笑んだ。
「そう。さすが、遠坂さんね。
 彼女の言うとおりよ。
 士郎には辛いだろうけど、今は待つことが桜ちゃんのためよ」

 分かっている。だが……


 俺が俯いたままでいると、藤ねえは急に、掌を爪に変え、俺の頭をガリガリと引っかき回してきた。
「い、痛て!痛てってば!
 何すんだよ藤ねえ!!」
「ほーら!!
 若い男の子がウジウジしてるんじゃない!
 大丈夫よ。
 桜ちゃんは、見た目よりずっと強い子だもの。
 きっと立ち直って、答を出してくれるわ」

 髪をかき回されながら聞く藤ねえの声は、ひまわりのように暖かく、やさしかった。

 やっと魔の手から逃れた俺は、しばらく頭皮を撫でた後、

「サンキュ、藤ねえ」
 横目で視線を合わせながら、愛する姉に礼を言った。


 やがて昼休みのチャイムが鳴る。

 美術室は、相変わらず閑散としていた。
 油絵の具や粘土の匂いがして、食事には不向きの場所だからだろう。
 しかし、機械いじりに慣れた俺には、特に気にならない。
 彼女も
『小さいころから嗅いでいた匂いだ。香水などより、よっぽど落ち着く』
 そう言って笑ったのは、いつだったか。

 いつもならば、軽やかに滑るはずの引き戸が、今日はやけに重く感じられた。





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 このストーリーは、「SS投稿掲示板Arcadia」で連載されている、

   『エンゲージを君と』(Nubewo 作)
     http://58.1.245.142/bbs/sst/sst.php?act=dump&cate=type-moon&all=1034&n=0&count=1

に触発され、書かれたものです。

 TYPE-MOON風に言えば、第十七話から分岐した、平行世界と考えていただければよろしいかと思います。

 『エンゲージ~』を下敷きにはしておりますが、
 今後書かれる、正編『エンゲージ~』第十七話以降とは、ストーリー的に《全く》関係は無く、
 その文責はすべて中村にあります。





[18987] クロスゲージ (『エンゲージを君と』異聞) (九) 氷室の視点
Name: 中村成志◆01bb9a4a ID:76af8d97
Date: 2010/06/04 19:32



     クロスゲージ (『エンゲージを君と』異聞) (九) 氷室の視点





 予想どおり、彼は先に来ていた。

 いつものように、作業台に二人並んで座る。
 二人きりの昼食のときは、いつも彼が弁当を作ってきてくれるのだが、今日は言わばイレギュラーだ。
 私は持参の弁当。彼は、購買部で買ったパンと牛乳。

 食事中、あまり会話が無いのは、いつものことだ。
 ときどき、思いついたことをポツリポツリとしゃべる。
 あとは、彼の隣に座って、ときどき視線を交わして微笑みあうだけで、充分だった。


 しかし、今日はそのわずかな会話さえも無い。
 彼は、機械的に食事を進めていく。
 味など感じていないのではないか。
 いや、まるで鉄塊を噛み、溶かした鉛を啜っているかのような苦行にすら感じられる。

 私も当然、食欲など無いが、箸が止まると、彼が心配そうな顔をしてこちらを見る。
 無理にでも食べるしかなかった。


 食事が終わっても無言は続いていた。
 こちらから切り出してもいいのだが、怖くて出来ない。
 何が彼をそんなに苦しめているのか、それも分からずに安易に声をかけるのは、ためらわれるのだ。

 だが、ひょっとしたら……


「……ゴメンな」
 ポツリと、彼が言った。

「説明する、なんて言っといて、ずっと黙ったままなんて。
 …でも、すごく説明しづらい、言葉にしにくいことなんだ」

 辛そうな、彼の声。
 一言、言葉を吐くために、全身の力を振り絞っているのがわかる。


「ここに来るまで、鐘になんて説明しようか、ずっと考えてた。
 でも、詳しく話そうとすると、いろんな人に迷惑がかかっちゃうんだ。
 だから、……曖昧にしか言えないことを、許して欲しい」

 彼が話すたび、自分の身が割かれるように痛む。
 これは、彼が感じている痛みの、何千分の一なのか。


「……簡単に言うと、俺の馬鹿さ加減のせいで、ある人を傷つけた。
 それだけなんだ。
 ……それしか、言えないんだ。
 だから……ゴメン…」

 もういい。
 しゃべることが、そんなに苦痛なら、話さなくていい。
 私は、自分が感じる痛みに耐えきれず、彼の右手を両掌で掴んでいた。



「……わたしの、せいなのか?」
 無意識に、言葉が出る。
「……」
 彼は、目を見開いて、私を見つめた。


 やっぱり。


 私も、今までずっと考えていた。

 夕べ、私の家の前で別れたときまでは、いつもどおりの彼だった。
 ならば、彼が家に帰ってから、何かがあったということになる。
 そして、その前に起きた、私と、彼の《家族》との邂逅。

 その二つを合わせ、少し想像力を働かせれば、結論は簡単に出る。

 しかし私は、その結論を出すのが怖かった。
 私自身が原因で、彼がこんなにも憔悴するという事実に、耐えきれなかったのだ。

 しかし、現実はやはりそのとおりだった。
 私という存在が、彼と彼の《家族》の絆を脅かし、そのことで彼は……


「違う」


 きっぱりとした声が、耳元で聞こえた。

 いつの間にか俯いていた私は、その声に顔を上げる。
 そこには、
 普段に近い生気に満ちた、彼の顔があった。

「確かに、鐘もこの事に少し関係してる。
 でも、断じて鐘のせいじゃない。
 それだけは、信じてくれ」


 何度か見た、表情。

 付き合ってくれ、と海浜公園で言ったとき。
 私を抱きしめ、『氷室、好きだ』と初めて言ってくれたとき。

 本当に大事なことを言う時、彼はいつもこの表情をしていた。


「問題は、俺自身の根っこに関わることなんだ。
 鐘は、その問題に巻き込まれただけだ。
 そのことについては、ほんとに申し訳なく思ってるけど……
 頼むから、俺のためにそんな顔をしないでくれ」

 ならば、信じて良いのだろうか。
 少なくとも彼は、私のせいではないと、本気で思っている、と。


「……わかった」
 私は、言った。

 私が原因ではない、と思って安心したわけではない。
 むしろ、彼がそう信じているが故に、確信はますます深まった。


 だが。
 彼がそう言ってくれる以上、私はそれに従う。

 昨日の、間桐嬢との邂逅のときと同じだ。
 ここで引いたら、彼を失ってしまう。
 今は両手で、私の両掌を包んでくれているこのぬくもりを、永遠に失ってしまう。

 その思いがどんなに狡く、浅ましくても。
 その想いの故に、どんなに彼を傷つけてしまったとしても。
 この手を放してしまう恐怖には、代えることはできなかった。


「……君の思いは分かった。
 なぜ、と問うのも止める。
 だから、私もひとつだけ言わせてくれ」
 私も、彼の両掌を包み返すように握った。

「我慢しないでくれ。
 少なくとも、私と二人きりのときに、無理に笑ったりしないでくれ。
 先ほど、君自身が言っていたろう?
 私のために、そんな顔をされるのは、……辛い」

 私はそう言って、握りしめた手に目を落とした。

 私の浅ましさへの代償。
 彼が、私のために苦しんでくれるというのならば、
 私は、少しでもそれを受けとめる皿になりたい。
 彼の苦しみが、私の器などをはるかに超えるものであったとしても、
 せめて、それくらいの自己満足はさせてほしかった。


「ありがとう」


 そんな、彼の言葉に、ふたたび視線を上げる。
 彼の顔からは、一瞬だけみなぎっていたあの生気は、消え失せていた。

 かわりに、何とも言えない目で、私を見つめてくる。
 笑っているような、泣き出しそうな、苦しんでいるような、愛しんでいるような。

 そんな目のまま、彼は私を抱きしめてくれた。


 ああ。

 結局、私の苦しみの方を、彼が受けとめてくれたんだ。


 そんな、やるせなさが胸に満ちてくるのを感じながら、
 午後の予鈴が鳴るまで、私は彼の胸に身を預けていた。





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 このストーリーは、「SS投稿掲示板Arcadia」で連載されている、

   『エンゲージを君と』(Nubewo 作)
     http://58.1.245.142/bbs/sst/sst.php?act=dump&cate=type-moon&all=1034&n=0&count=1

に触発され、書かれたものです。

 TYPE-MOON風に言えば、第十七話から分岐した、平行世界と考えていただければよろしいかと思います。

 『エンゲージ~』を下敷きにはしておりますが、
 今後書かれる、正編『エンゲージ~』第十七話以降とは、ストーリー的に《全く》関係は無く、
 その文責はすべて中村にあります。





[18987] クロスゲージ (『エンゲージを君と』異聞) (九) 衛宮の視点
Name: 中村成志◆01bb9a4a ID:76af8d97
Date: 2010/06/06 20:23



     クロスゲージ (『エンゲージを君と』異聞) (九) 衛宮の視点



 1分も待たずに、鐘が入ってきた。

 いつものように、作業台に二人並んで座る。
 二人きりの昼食のときは、いつも俺が弁当を作るのだが、今日は言わばイレギュラーだ。
 彼女は持参の弁当。俺は、購買部で買ったパンと牛乳。

 会話もなく、食事が進んでいく。
 当然のことだが、食欲など無い。


 しかし、俺が食べないでいると、彼女も食べづらいのだろう。
 弁当の中身を見つめてため息をつき、俺の視線に気付いてあわてて箸を動かす。
 さっきから、この繰り返しだ。

 俺は、全く味のしないパンを噛み、やけに粘っこい牛乳で喉に流し込んだ。


 食事が終わっても無言は続いていた。
 説明する、と言ったのは俺の方だ。
 だから、俺から切り出さなければならない。


 しかし、どう説明する?
 端折ろうと思って端折れる話じゃない。
 第一、少しでも端折ったりしたら、全く意味が無くなってしまう。

 ならば、一から十まで全部話すか。
 それこそ、不可能だ。
 恐ろしく長い話になる上、
 桜の想い、イリヤや遠坂の叱責、藤ねえの心遣い、
 いや、そもそもの俺たちの関係から、引いては俺が魔術師であることまで、話さなくてはならなくなる。

 特に、桜や遠坂たちの想いについては、絶対に話せない。
 たとえ、相手が鐘であろうとだ。
 それは、俺が勝手に話していい事じゃない。

 では、どうすれば。
 じっと、俺の言葉を待っている少女に、なんと言えば……


「……ゴメンな」
 自然と、声が出ていた。

「説明する、なんて言っといて、ずっと黙ったままなんて。
 …でも、すごく説明しづらい、言葉にしにくいことなんだ」

 さんざ焦らしておいて、そんなことしか言えない。
 そんな自分に対して、吐き気がする。


「ここに来るまで、鐘になんて説明しようか、ずっと考えてた。
 でも、詳しく話そうとすると、いろんな人に迷惑がかかっちゃうんだ。
 だから、……曖昧にしか言えないことを、許して欲しい」

 俺が言葉を発するたび、鐘は辛そうに顔を歪める。
 俺を責めているのか。
 好きだ、恋人だと心を重ね合わせておいて、大事なことは何一つ話してくれない相手に、失望しているのか。


「……簡単に言うと、俺の馬鹿さ加減のせいで、ある人を傷つけた。
 それだけなんだ。
 ……それしか、言えないんだ。
 だから……ゴメン…」

 馬鹿な話だ。
 説明にもなっていない。
 これで納得できる人間がいたら、お目にかかりたい。
 彼女も、細い肩を震わせて、俯いて……


 その、白く小さな両掌で、彼の右手を掴んできた。

「……わたしの、せいなのか?」

「……」


 いま、なんと言った?


 『私のせい』
 彼女は、確かにそう言った。
 悔恨と苦渋に満ちていた頭の中が、急速に透きとおっていく。

 まさか、彼女は、自分が原因で俺が苦しんでいる、と思っているのか?


 思えば昨日、いや、初めてのデートの時にも、彼女は言っていた。

『状況は君よりも理解しているつもりだ』

 今なら、その意味が分かる。
 彼女は、桜の想いに、とうの昔に気付いていたんだ。
 そして、それでも俺を選んでくれた。
 桜やイリヤの視線にも、じっと耐えてくれていたのだ。

 ならば、後は少し想像力を働かせれば分かる。
 夕べ、彼女と別れてから、俺に何があったか。
 俺の家で、俺が《家族》とどんな会話をしたか。

 自分の存在が、俺と俺の《家族》の絆を脅かしている。
 そう、彼女が思い込んでいるのだとすれば……


「違う」


 きっぱりと、俺は言った。
 自分でも驚くくらい、張りのある声だった。
 そのまま、彼女の両掌を、両手で握り返す。

「確かに、鐘もこの事に少し関係してる。
 でも、断じて鐘のせいじゃない。
 それだけは、信じてくれ」

 詳しいことは言えない。それは変わらない。
 しかし、この誤解だけは解かなくては。


 桜を傷つけた。
 イリヤにあんな表情をさせた。
 遠坂にあそこまで言わせた。
 藤ねえの心を痛めさせた。

 この上、俺の一番大切な、この少女まで傷つけてしまったら、
 衛宮士郎は本当に、生きる価値の無いジャンクになってしまう。


「問題は、俺自身の根っこに関わることなんだ。
 鐘は、その問題に巻き込まれただけだ。
 そのことについては、ほんとに申し訳なく思ってるけど……
 頼むから、俺のためにそんな顔をしないでくれ」

 そう。
 究極を言えば、桜の事さえ、きっかけなのだ。
 問題は、俺の根幹。
 俺自身を形作る、この歪みこそが、すべての発生源。

 この少女が、こんなにも辛そうな顔をする理由など、
 どこを探してもあるわけがない。


「……わかった」
 どれほど時が経っただろう。
 吐息のように、彼女は言った。


 ……信じて、くれたんだろうか?

 いや、彼女の目に、安堵の色は見えない。
 その表情は、未だ辛そうに歪んでいる。
 だが、先ほどまでのように、彼女は震えてはいなかった。

 その瞳が物語るのは――決意。


「……君の思いは分かった。
 なぜ、と問うのも止める。
 だから、私もひとつだけ言わせてくれ」
 そう言うと、彼女は再度、俺の手をやさしく包んでくれた。

「我慢しないでくれ。
 少なくとも、私と二人きりのときに、無理に笑ったりしないでくれ。
 先ほど、君自身が言っていたろう?
 私のために、そんな顔をされるのは、……辛い」

 彼女はそう言って、握りしめた手に目を落とした。


 ……彼女に包まれている、と、俺は感じた。
 握られた手から、彼女の想いが流れ込んでくる。
 俺を支える、と。
 俺の苦しみを減じることは出来なくても、せめてその苦しみを受けとめると。


 人と心を沿わせ、重ね合わせたのは、初めてではない。
 セイバーの時も、確かに俺たちは心を共有した。

 だが、今感じる暖かさは、それとも違う。
 頼っていいと。
 苦しいときは、苦しい顔をしていいのだと、その温もりは告げてくる。


「ありがとう」


 ほんとうに自然に、唇から言葉がこぼれ出た。
 彼女が顔を上げ、俺を見つめる。

 空っぽのはずの俺の体に、何かが満ちてくる。
 喜び、哀しみ、苦しみ、愛しさ……

 気付けば俺は、鐘を抱きしめていた。


 ああ。
 なんて、やすらかな。


     (オマエニ、ソンナシカクガアルノカ)


 そんな声を、今だけは心の奥に沈めながら、
 午後の予鈴が鳴るまで、俺は彼女のあたたかさに身を委ねていた。





    ----------------------------------------------------------



 このストーリーは、「SS投稿掲示板Arcadia」で連載されている、

   『エンゲージを君と』(Nubewo 作)
     http://58.1.245.142/bbs/sst/sst.php?act=dump&cate=type-moon&all=1034&n=0&count=1

に触発され、書かれたものです。

 TYPE-MOON風に言えば、第十七話から分岐した、平行世界と考えていただければよろしいかと思います。

 『エンゲージ~』を下敷きにはしておりますが、
 今後書かれる、正編『エンゲージ~』第十七話以降とは、ストーリー的に《全く》関係は無く、
 その文責はすべて中村にあります。





[18987] クロスゲージ (『エンゲージを君と』異聞) (十)
Name: 中村成志◆01bb9a4a ID:76af8d97
Date: 2010/06/08 21:02



     クロスゲージ (『エンゲージを君と』異聞) (十)





 それから数日間、表面上は、なにごとも無く過ぎた。

 彼と私は、いつものように登校し、滞りなく授業を受けた。
 私の部活動が終わるまで、彼は学校の備品修理などで時間をつぶし、
 アルバイトの有る無しにかかわらず、私を家まで送ってくれた。


 本当なら、部活動も休み、少しでも彼のそばにいたかったのだが、彼の方が承知しなかった。

「最後の競技会まで、もう日が無いんだろう?
 こんなことで練習を休んじゃダメだ。
 これで鐘が悔いを残したりしたら、俺は二度とお前に顔向けできなくなる」

 真摯な目で見つめられながら諭されると、俯くしかない。

「それに、今は普段どおりにした方がいい。
 詳しいことを話せなくて、ほんとに申し訳ないけれど、今、俺に出来ることは無いんだ。
 だったら、何が起きてもすぐに動けるように、生活のリズムは崩さない方がいい」

 彼に何があったのか、それは問わない約束をしている。
 彼がそう言う以上、普段どおりに過ごすのが一番なのだろう。

 ……その、《普段どおり》という注文が、今の私には一番難しいのだが。


 彼の方の態度は、一見、本当に普段どおりだった。
 口数もいつもと変わらず、ぶっきらぼうながらも他人の面倒をよく見、外見も行動も、おかしな所は何もなかった。

 だが、私の目には、彼が日一日とやつれていくのが、手に取るように見えた。
 他の人が気付かないのが、不思議なくらいだ。

 いや、異常を感じた人間も、わずかながらいた。


「なあ、氷室。
 最近、衛宮おかしくないか?
 なんか元気が無いって言うか、気が抜けてるって言うか……」

 私と同じ学級の、美綴綾子嬢が、休み時間に私に尋ねてきた。
 その時は、曖昧な返事をして誤魔化したのだが……

 そのことを士郎に言うと、彼は苦笑した。
 彼も、親友である柳洞一成に言われたのだという。

「衛宮。
 近ごろ、どうも覇気が無いと感じるのだが、体調でも悪いのではないか?
 疲れているのなら、生徒会の手伝いなど気にせず、帰って休んでくれ」

 油断してカゼでもひいたかな、って、誤魔化したんだけどな、と彼は笑う。

 笑い事などではないのだが、
 それにしてもさすが、武芸百般の女武道家、美綴綾子。
 そして、古刹柳洞寺の跡取り、柳洞一成。


 しかし、逆を言えば、彼等ほどの者でも、その程度にしか感じられないのだ。
 実際には彼は、いつ倒れてもおかしくない、
 いや、倒れていない方がおかしいくらい、憔悴しきっているというのに。


 食事はしっかり取っているのだろうか。
 夜はちゃんと眠れているのだろうか。
 辛いのならば、休んだらどうだと勧めたのも二回や三回ではない。

 だが、
「鐘が言うほど、体調は悪くないぞ。
 確かに、食欲はあんまり無いし、夜眠れないときもある。
 でも、体が少し重いかな、っていうくらいなんだ。
 休んだりする程じゃないよ」

 そう言って、彼はいつもの笑顔で私を見るのだ。


 あの、昼休みの美術室。

『少なくとも、私と二人きりのときに、無理に笑ったりしないでくれ』

 という私の願いに、彼も頷いてくれたはずなのに。

 やはり、私では無理なのか。
 彼にとって私は、小さすぎる器なのか。
 恋人だと自惚れてはいても、彼が感じる痛み、辛さを受けとめ、支えるのは、
 《家族》ではない私には、重すぎる荷なのだろうか。


 そう思い、ひそかに落ち込んでいたのだが、
 そばで彼を見ているうち、

『どうも、事はそれほど単純では無いらしい』

 そう思うようになってきた。


 彼は、私だから弱みを見せないのではなく、
 他の誰に対しても、同じような態度を取るのではないか。

 彼の《家族》である間桐嬢、遠坂嬢、いや、一番の信頼関係で結ばれているであろう藤村教諭に対してすら、
 このような状況の時、彼は笑顔を見せ、辛さを表には出さないのではないだろうか。


 さらに、もっと根本的な問題がある。
 彼は果たして、痛みを《痛み》として、認識しているのだろうか。

 なにも、小説などでよくある、《無痛覚症》の話をしているのではない。
 正しく言えば、彼は

『自分が感じている痛み、悲しみを、自分自身の《辛さ》として、変換できているのだろうか』


 《家族》との間に軋轢があり、それによって彼が苦しんでいることは理解できる。
 だが、彼を見る限り、自分が負った傷が元で苦しんでいるようには、どうしても見えない。

 むしろ、大事な人が傷ついたことで、その痛みが何倍にも増幅されて彼に投射され、
 それが彼を苛んでいるように見える。


 士郎らしい。

 その事実に思い当たったとき、私はまずそう思い、
 次に、恐ろしさに慄然とした。


 彼と《家族》との間にどんな会話があったのか、それは分からない。
 しかし、それが争いであったのなら、どちらか一方だけが傷つくことなどあり得ない。
 相手が傷ついたのなら、彼もそれ相応の傷を負ったはずなのだ。

 なのに彼は、自分の傷のことなど全く無視して、相手の痛みのために苦しんでいる。


 だが。
 いくら彼が自分の傷に目を向けなくても、彼の肉体は、その傷を鋭敏に感知している。
 そしてその傷は、放っておかれたまま、彼の体を、心を、確実に蝕んでいく。

 もし、彼に、その傷を《辛い》と感じる回路が存在していないとしたら……


 自分の傷を辛いと感じず、体をすり減らし、
 他人の傷に何より苦しみ、心をすり減らす。

 こんな事を繰り返していたら、衛宮士郎という存在は……



 そして、金曜日の朝。
 ついに、私は行動に出た。

『詮索はしない』
 という、彼との約束を破ってしまうことになるが、
 正直、何でも良いから動かないと、私の方がどうにかなってしまいそうだったのだ。


 やったことは一つだけ。
 朝練習の時、二年生の女子に、何気ない風を装って尋ねた。

「間桐さんですか?
 月曜日からずっと休んでますけど。
 なんでも、風邪をこじらせたとかで……」


 ……やはり。


 後輩との話題をさりげなく他へ移しながら、
 私は心に、苦い水が満ちるのを感じていた。





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 このストーリーは、「SS投稿掲示板Arcadia」で連載されている、

   『エンゲージを君と』(Nubewo 作)
     http://58.1.245.142/bbs/sst/sst.php?act=dump&cate=type-moon&all=1034&n=0&count=1

に触発され、書かれたものです。

 TYPE-MOON風に言えば、第十七話から分岐した、平行世界と考えていただければよろしいかと思います。

 『エンゲージ~』を下敷きにはしておりますが、
 今後書かれる、正編『エンゲージ~』第十七話以降とは、ストーリー的に《全く》関係は無く、
 その文責はすべて中村にあります。





[18987] クロスゲージ (『エンゲージを君と』異聞) (十一)
Name: 中村成志◆01bb9a4a ID:76af8d97
Date: 2010/06/10 18:41



     クロスゲージ (『エンゲージを君と』異聞) (十一)





「衛宮、お前なんかしたのか?」

 金曜日の昼、
 みんなで弁当を囲んでいるときに、蒔寺がいきなり切り出した。


『いつも通りに過ごそう』
 という彼の言葉どおり、ほぼ確立されている昼食のローテーションも、普段どおりにしていた。

 ただ、月曜日にイレギュラーで二人きりの食事をしたため、
 次に彼と昼食を共にしたのは、蒔寺、由紀香も交えた今日だった。

 あと数日で十二月だが、今日は天気も良く、久々に屋上で弁当を広げている。
 私が食べている弁当も士郎のお手製だが、正直、あまり味がしない。
 いや、月曜日から、何を食べても砂を噛んでいるようだ。

 彼も似たような状態らしく、いつもより一回りは小さい弁当箱を、ぽつぽつと突ついている。


「え?」
 士郎は、その弁当箱から顔を上げ、声の主を見つめた。

「え、じゃないよ。
 お前、氷室になんかしたんだろう?」
 眉をひそめ、挑みかかるような口調で、蒔寺が続ける。

「蒔?」
 私は、咎めるような声音で、彼女を制す。
 しかし、蒔寺はちらりとこちらを見たが、追求は止めなかった。


「今週になってから、ずっとメ鐘の様子がおかしいんだよ。
 集中力は無いは、会話は上の空だは、四六時中沈んでて、この二、三日で見る見るやつれちまった。
 おまけに、アタシらが何聞いても『何でもない』の一点張りだ。
 コイツがこんなになる原因は、お前以外に考えられない」

 士郎は、箸を置いて蒔寺の顔を見ていた。


「蒔の字、やめろ」
 私は、今度ははっきりと威嚇するような声を出した。

 なるほど、私の親友であるとはいえ、蒔寺は士郎とは付き合いが浅い。
 だから、今の士郎の状態が分からないのだろう。

 本当は、誰よりも沈み、やつれているのは、士郎自身なのに。
 私は、その苦しみの数千分の一を投射されているだけなのに。


 蒔寺は、私の眼光に一瞬ひるんだようだったが、
「いいや、止めないね。
 お前に聞いてもラチあかないから、コイツに聞いてるんだ。
 衛宮、答えろ。
 返答によっちゃ、アタシはお前を許さないぞ」

 ……彼女らしい、友情の表し方なのだろう。
 その心遣いは嬉しい。
 だが……

「蒔、もう一度言う。それ以上は止めろ。
 私のことで君を心配させたことは済まなく思う。
 だが、これは士郎とは何の関係もないことだ。
 もしこれ以上、士郎のことについて何か言うのなら……」

「いいよ、鐘」

 私と蒔寺の睨み合いに割って入ったのは、当の士郎だった。


「蒔寺、まず、お前に心配かけたことを謝る。
 確かにここ数日、鐘が落ち込んでるのは、俺のせいだ」
「士郎!」

 思わず叫ぶ私を、士郎が手で制する。

「俺が馬鹿なことやって、ちょっと参ってたもんだから、鐘がそれを心配してくれてるんだ。
 事情があって、詳しいことを鐘にも話せなくてさ。
 だから、余計に心配をかけてるんだと思う。
 それが、俺の未熟だって言うんなら、正にそのとおりだ。
 すまん」

 そうして、あぐらの姿勢のまま、蒔寺に深く頭を下げた。


 ここまで誠実に謝られるとは、蒔の字も思っていなかったのだろう。
 慌てたように、目を泳がせた。
「……い、いや。
 だ、だからって、だな……」


「もういいんじゃない?蒔ちゃん」
 振り返ると、今までずっと黙っていた由紀香が、何か諭すような目で蒔寺を見ていた。

 蒔の字が、救いを見つけたように黙る。


「衛宮くん、鐘ちゃん、ゴメンね。立ち入ったこと訊いちゃって。
 でも、蒔ちゃんもこの五日間、ほんとに心配してたんだよ。
 何か私たちに出来ることはないか、二人の役に立てることは無いかって」
「ゆ、由紀っち……」

 真っ赤になって慌てる蒔の字。

 ……二人の友情が、身に染みる。
 由紀香も、きっと蒔寺と同じくらい心配してくれたのだろう。


「でも、今の衛宮くんのお話聞いて、分かった。
 鐘ちゃんだけじゃなくて、衛宮くんもなんだか元気無いなって、ずっと思ってたんだけど、
 むしろ衛宮くんのほうが、ずっと苦しんでたんだね」

 ……由紀香も、気付いていたのか。
 士郎の状態について、ほとんどの人間が顧みもしない中、
 たとえ漠然とであっても、違和感を感じただけでもたいしたものだ。

「なんだよ由紀っち。
 結局、全然気付いてなかったのは、アタシだけってことか?
 そんなら、言ってくれりゃいいじゃんか」
 蒔寺がむくれる。

「違うよ。
 私だって今、衛宮くんや鐘ちゃんに聞いて、初めて思い当たったんだもの。
 それに、なんとなくだけど、私たちが深入りしちゃいけない事のような気がしたし……」
 そんな蒔の字を、由紀香はいつものようにあやす。
 それから、私たちに視線を向けて、


「鐘ちゃん。衛宮くん。
 今、私たちにできることは、何にもないみたいだけど。
 なにかあったら、いつでも言って?
 そのときは、何でもするから」

 ほにゃっと、いつもの暖かい微笑みを見せてくれる由紀香。
 その隣で、蒔の字も真っ赤な顔をして頭を掻いている。


「……ありがとな。蒔寺、三枝さん」
「…今は言えないが、事情を話せるときが来たら、きっと話す。
 それまで黙っている私たちを、許して欲しい」

 士郎といっしょに、二人に頭を下げる。
 正直、心が弱っていた時だけに、不覚にも涙が滲みそうになった。


「……だけど、鐘ちゃん」
「うん?」
 暖かいままの由紀香の声に、顔を上げる。

「いつの間にか、衛宮くんとお名前で呼び合うようになってたんだね」

「「………あ」」


 私たちは、二人揃ってバカみたいに口を開き、
 しばらくお互いを見つめあったあと、

「「………」」

 申し合わせたように、これ以上ないくらい真っ赤になった。





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 このストーリーは、「SS投稿掲示板Arcadia」で連載されている、

   『エンゲージを君と』(Nubewo 作)
     http://58.1.245.142/bbs/sst/sst.php?act=dump&cate=type-moon&all=1034&n=0&count=1

に触発され、書かれたものです。

 TYPE-MOON風に言えば、第十七話から分岐した、平行世界と考えていただければよろしいかと思います。

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 今後書かれる、正編『エンゲージ~』第十七話以降とは、ストーリー的に《全く》関係は無く、
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[18987] クロスゲージ (『エンゲージを君と』異聞) (十二)
Name: 中村成志◆01bb9a4a ID:76af8d97
Date: 2010/06/12 19:47



     クロスゲージ (『エンゲージを君と』異聞) (十二)





 陸上部の練習が終わり、いつものように彼と二人、家路につく。
 今日は、昼休みの一件があったせいか、普段より少しだけ空気が軽い気がする。

 しかし、問題は何も解決していない。

 彼と、彼の《家族》との葛藤。
 そして、もっと根本的なこと。
 彼が言うところの、『俺の根っこに関わる』問題。


 二番目の問題については、おそらくすぐには解決しないだろう。
 何しろ、これに取り組もうと思ったら、衛宮士郎という存在のあり方にまで遡らなければならないのだ。

 とりあえず、と言うほど軽くはないが、最初の問題。
 しかし、これも彼によれば、
 『今、俺に出来ることは何もない』
 という。
 ならば、私に出来ることは、さらに無いのだろう。

 なのに、私は……


「士郎……
 君に、謝らなければならない」
「え?」
 不思議そうに、彼がこちらを見る。

「私は、この問題について問うことはしない、と約束した。
 それは、下世話な詮索はしない、と言うことでもある。
 しかし……」
 彼への申し訳なさに、言葉が詰まる。

「今朝、陸上部の二年生に聞いた。
 間桐桜嬢が、月曜日から休んでいるということを」
「……」


 彼の《家族》。

 藤村教諭は、少なくとも見た目は普段どおりに教壇に立っていた。
 遠坂嬢とは同級であるため、毎日顔を合わせてはいたが、特に変わった様子は見受けられなかった。
 ……もっとも、二人とも内心の動揺を表に出すほど、未熟ではないだろうが。

 イリヤ嬢に関しては調べようがないが、初めて会った時の印象から、彼女が原因とも考えにくい気がする。

 となると、残るは一人。
 ある意味、初めから分かっていたことを確認しただけのことだった。


「……知って、どうかしようと思った訳ではなかった。
 ただ、耐えられなかったんだ。
 君の言葉を信じて、黙って君の隣にいる。
 ただそれだけのことに、私は耐えられなかった。
 ほんの小さな事でも良いから、客観的な事実が欲しかった」

 そして、その《客観的な事実》を知った後に味わったのは、以前にも増した苦しみだった。
 自分が原因であるという答の再確認。
 彼を裏切ったという悔恨。

 浅はかな女の独りよがり。
 それを、彼はいったい……


「……ゴメンな」
 呟くように、彼が言った。

 ……え?

 なぜ、彼が、謝る?


「鐘、前に俺の家に来たとき、言ってたもんな。
 状況は、俺より把握してるって。
 いや、その前からずっと言ってた」

 それは……確かにそうだ。
 およそ、恋する者ならば一目で分かるであろう、間桐嬢の熱い視線。
 それに、まったく気付いていない彼に、苛立ちすら感じたものだが……。

「鐘は、その時から気付いてたんだよな。
 今なら、俺もそれが分かる。
 なら、全部は無理にしても、そのことだけでもお前に話せば良かったんだ。
 なのに、そんな簡単なことにも頭が回らないで、それで鐘に余計なことさせて、傷つけて……」


     また、君は。


「少しでも自分が関わってることについて知りたいのは、人として当然の事だ。
 なのに俺は、別のことばっかり考えて、鐘のことは……」


     そうやって、他人のことばかりを。


「確かに、桜の想いに二年も気付けなかった。
 骨身に染みたはずなのに、また、こうやって、鐘のことに気付くことができなかったなんて。
 なんで俺って、こんなに進歩が……」

 それ以上は聞けなかった。
 私は彼の言葉をふさぐため、鞄を放り捨て、士郎の胸に飛び込んでいた。


「……鐘?」
 彼が、呆然とした声を出す。
 だが、そんな声さえ、もう聞きたくない。

 私は、自分の口を彼の唇に、思いきり押し当てた。


 一年でもっとも夜が長い季節。
 街はすでに闇に覆われていた。
 人通りはほとんどなく、我々が立っている所には、街灯の明かりもうっすらとしか届かない。

 しかし、そんなことはどうでもよかった。
 誰に見られようと構わない。
 今は、この男の言葉を断ち切ることが、私にとって最も重要だった。


 長い間、押し当てていた唇を離す。
 そして、彼の胴に両手を回し、硬い肩甲骨に額を押しつけ、私は言葉を絞り出した。


「もう、いいから。士郎」


 士郎は無言で、私の為すがままになっている。


「自分のために、泣かないと」


 瞬間。
 彼の全身が、大きく震えた。

 全力で抱きしめているため、彼がどんな顔をしているのかは分からない。
 しかし、私の表情は自分で分かる。

 私はきっと、大泣きをしているような顔だったろう。
 しかし、涙は出ない。
 そんな段階は、もうとっくに通り越していた。


 彼は長い間、そのままの姿勢で立っていたが、

「……」

 やがて無言で、私の髪に顔を埋めてくれた。





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 このストーリーは、「SS投稿掲示板Arcadia」で連載されている、

   『エンゲージを君と』(Nubewo 作)
     http://58.1.245.142/bbs/sst/sst.php?act=dump&cate=type-moon&all=1034&n=0&count=1

に触発され、書かれたものです。

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 その文責はすべて中村にあります。





[18987] クロスゲージ (『エンゲージを君と』異聞) (十三)
Name: 中村成志◆01bb9a4a ID:76af8d97
Date: 2010/06/14 19:03



     クロスゲージ (『エンゲージを君と』異聞) (十三)





 手をつないだまま、海浜公園に出る。
 あれから、彼も私も無言だった。

 私の思いは、彼に伝わっただろうか。
 いや、そもそも、何が私の思いなのか。

 自分でも自分の考えが分からない。
 しかし、つないだ手の温もりが、彼の気持ちを代弁してくれているように思えた。


 水銀灯の光りに照らされながら、プロムナードを歩く。
 いつもの道筋だ。
 そして、新都大橋の歩道に続く、登り口にさしかかろうとしたとき、
 彼が突然歩みを止めた。

「?」
 私も彼に倣い、その方向を見る。
 そこには。


 街灯の光が直接届かない薄暗がりに、
 紫の髪。臙脂のリボン。
 ピンクのカーディガンに、薄いコートを羽織った、

「桜……?」

 間桐桜嬢が、佇んでいた。



「……桜」

 士郎が、もう一度呟く。
 その一言には、ありとあらゆる感情が籠もっていた。

 私も、複雑な思いで、まだ薄暗がりにいる彼女を見つめる。

 自分のとった行動に、悔いは無い。
 私はどうしても、そうしなければならなかったのだから。
 しかしそれは、結果的にこの少女を傷つけたのだ。
 恋の倣いとは言え、そんな彼女を見るのは……


 だが。

 しずかに歩を進め、街灯の明かりの下に立った彼女の目を見たとたん、
 私のそんな感傷は吹っ飛んだ。

 思わず、士郎の手を握る掌に、力を込める。
 それは、おそらく《女》としての、本能的な行為だったろう。

「……?」
 彼が、不思議そうに私を見る。
 彼には、分からないのだろう。
 だが、ここにいるのは、恋に破れ、打ちひしがれた少女などではない。

 その瞳に宿るのは、決意。
 そして……


「すみません先輩。ちょっとお時間いただけますか?
 お話したいことがあるんですけど……」
 自分の前でも繋いだ手を離さない、そんな私たちに何を感じているのだろう。
 間桐嬢は、少なくとも表面上は穏やかな態度を崩さずに、そう言った。

「あ、ああ。
 もちろん、いいけど……」
 そう言った彼は、私の方を振り返る。

 確かに、これからの話は容易に想像が付く。
 仮にも恋人である、私の前で話すには、少々問題のある内容だろう。


 だから、ことさらに明るく言った。

「私は席を外そう。
 二人とも、積もる話もあるだろうしな。
 ここからなら、一人で帰っても問題無い。
 士郎、送ってくれてありがとう」
「え、鐘……?」

 訝しげな声を出す彼に笑いかけ、少々オーバーアクション気味に手を離す。

 もちろん、これはブラフだ。
 なぜなら……


「いえ、ご迷惑でなければ、氷室先輩もご一緒していただけないでしょうか?」

 彼女が、こう言うのは分かっていた。
 士郎と二人きりで話をしたいのならば、なにも今この時を選んで、待ち伏せをしなくても良いのだから。

「あ、いや…でも……」
 彼が、困惑したような顔で、私と彼女を交互に見つめる。

「私ならかまわないぞ、士郎。
 彼女は、私にも話があるようだしな」
「……いいのか、鐘?」

 ファーストネームで呼び合う私たちを前にしても、彼女の視線は揺るがない。


 そう。
 間桐嬢の瞳に宿るのは、決意。
 そして、挑戦。

 恋する女にとっては、もっとも馴染みのある光だった。


 彼女は静かに頭を下げると、私たちを先導するように、先に立って歩き始めた。

 なるほど、めったに人は通らないとは言え、ここは新都へと続く、一種の公道だ。
 こんな所で、これから始まるであろう微妙な話をするのは、うまくない。

 いくらも歩かず、間桐嬢が足を止めたのは、公園の少し奥まった場所だった。
 一応、歩道に面してはいるが、そこから半円形状に窪み、言わば簡易休憩所になっている。
 ベンチも一つ設置されていたが、もちろん誰も座らない。

 そこまで辿り着くと、彼女は静かにこちらを振り返った。
 そのまま、私たちを見つめる。


 私は、士郎から一歩後ろに下がり、二人を静観することにした。
 同席を促されたとは言え、今の時点では私は部外者に近い。
 まずは、彼ら同士で話し合うことが先決だろう。


 そして士郎と私は、間桐嬢が口を開くのを待った。





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 このストーリーは、「SS投稿掲示板Arcadia」で連載されている、

   『エンゲージを君と』(Nubewo 作)
     http://58.1.245.142/bbs/sst/sst.php?act=dump&cate=type-moon&all=1034&n=0&count=1

に触発され、書かれたものです。

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[18987] クロスゲージ (『エンゲージを君と』異聞) (十四)
Name: 中村成志◆01bb9a4a ID:76af8d97
Date: 2010/06/16 18:38



     クロスゲージ (『エンゲージを君と』異聞) (十四)





「……」
「………」

 話がある、と我々を誘った間桐桜嬢は、未だ口を開かない。
 士郎も、彼女の言葉をただ待っている。

 それも当然か。

 士郎は、間桐嬢に対し、負い目を抱いている。
 自分から話しかける資格など無いと、思い込んでいる。

 間桐嬢も、並々ならぬ決意であるとは言え、
 この場に立っているだけで、相当にエネルギーを消耗しているのだろう。

 しかし、このままではいつまで経っても話が進まない。


 仕方がない。
 塩を贈るか。

 とは言っても、私に出来ることは、きっかけの水を向けることだけ。

「間桐さん?」

 促すように、問いかける。
 さて、この一言が、私にとって吉と出るか凶と出るか。

 私の言葉に、間桐嬢は頷く。
 私に向けられた視線に、感謝の意が込められていたと見るのは、自惚れか。


「衛宮先輩。
 最初に、いろいろなことについて、お詫びします。

 今日、こんな所で待っていたこと。
 あの時、ひどいことを先輩に言ってしまったこと。
 あれから今まで、連絡もしなかったこと。

 本当に、すみませんでした」

 そう言って、彼女は深く頭を下げる。

 それに対し、士郎はただ、首を横に振るだけだった。
 まだ、自分は彼女に話しかけることは出来ない、と思っているのか。


「その上で、厚かましいことは分かってますけど、聞いてください。
 私、今から先輩にいくつかお願い事をします。
 叶えてくれ、なんて言いません。
 でも、最後まで聞いていていただけますか?」

「……分かった、桜」
 彼が、大きく頷く。
 この場所に来て、初めて発した彼の声は、この上なく誠実だった。

 間桐嬢は嬉しそうに微笑み、それから大きく深呼吸した。
 両掌を組み、胸に当てる。


「じゃあ、ひとつ目のお願いです。
 氷室先輩と別れて、私とお付き合いしていただけませんか?」


 ……これはまた……

 願い、と言うには、あまりに直球過ぎる物言いだ。
 しかも、当の私を目の前にして。

 二年間培ってきた、彼への信頼に寄るものなのか。
 それとも、玉砕覚悟の体当たりか。

 ……いや、違う。
 彼女の目の光は……


「それはできない、桜」

 間桐嬢の願いが直球なら、士郎の答も迷い無きフルスイングだった。


「あれから、俺もずっと考えてた。
 《家族》なんて言葉で、お前をずっと閉じこめてたけど、
 俺にとってお前は、きっとそれ以上の存在だったんだと思う」
 間桐嬢の目をじっと見つめながら、士郎は続ける。

「でも、今俺が愛しているのは、鐘だ。
 氷室鐘が、俺にとって、一番大切な存在なんだ。
 桜、たとえお前であっても、この気持ちに嘘はつけない」


 ……喜びが、湧き起こってくる。

 二人きりのとき、『好きだ』とは何回か聞いたが、第三者の前で、きっぱり言ってくれたのは初めてだ。
 それも、私にとって恋敵である女性の前で。

 浅ましい女と言われようが、この喜びを消すことは出来なかった。


 しかし、彼は辛そうに顔を歪めている。
 当然だ。
 自分が大切にしている人の気持ちを、否定したのだから。
 彼らしい苦悩だが、それは……


「はい、わかりました」

 満面の笑みを浮かべた、間桐嬢の顔によって、かき消された。


「……桜?」

 あっけにとられる士郎。
 まあ、普通の反応だろうが、一歩後ろで双方の姿を見ていた私には分かる。

 あの願い事を口にしたとき、間桐嬢の目に期待の色は無かった。
 いや、あるいは多少は滲んでいたのかもしれないが、それよりも遙かに光るものがあった。

 それは、あえて言葉に直せば《決着》。
 今までの自分の想い、自分の立場、自分そのものに対する、区切りと言うべきもの。
 言わば道程標(マイルストーン)を設置し、新たな一歩を踏み出すための行い。


「今、先輩の恋人になることはあきらめます。
 氷室先輩といっしょにいる先輩を見てて、私の入り込む隙間なんて無いって、分かってましたし」
「……」

 目を白黒させながら、頭を掻く士郎。
 今まで、死にそうなほどに悩んだ分だけ、ギャップも大きいのだろう。

 しかし、その驚き故に、言葉の裏に隠された意味には気付かないようだ。
 いや、それは普段の彼であっても同じことか。


 ……《今》は、あきらめます、と来たか。


 ふと思ったのだが。
 彼女と私は、案外似ているのではないだろうか。

 物事を深く考えすぎる点。
 思考ばかりで、なかなか行動に移さない点。
 一度行動に移すと、徹底的に突っ走る点。
 策謀を巡らしながらも、行動は意外に単純、という点でも同じだ。

 ちなみに、極秘に入手した情報によると、スリーサイズも私と近似値であるという。
 ……どちらが勝っているか、士郎の前では言わないが。


「じゃあ、ひとつ目はこれでお終いです。
 二つ目のお願い、よろしいですか?」

 明るく笑っていた間桐嬢の顔が、表情はそのまま、目の光だけ真剣さを帯びる。
 士郎も私も、改めて背筋を伸ばした。





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 このストーリーは、「SS投稿掲示板Arcadia」で連載されている、

   『エンゲージを君と』(Nubewo 作)
     http://58.1.245.142/bbs/sst/sst.php?act=dump&cate=type-moon&all=1034&n=0&count=1

に触発され、書かれたものです。

 TYPE-MOON風に言えば、第十七話から分岐した、平行世界と考えていただければよろしいかと思います。

 『エンゲージ~』を下敷きにはしておりますが、
 今後書かれる、正編『エンゲージ~』第十七話以降とは、ストーリー的に《全く》関係は無く、
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