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天声人語

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2010年6月15日(火)付

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 いくらかの熱を帯びて顧みる日が、各世代にある。60代半ばから上には1960(昭和35)年6月15日もその一つだろう。半世紀前のきょう、日米安保条約の改定に反対する学生デモが国会構内に突入、警官隊との衝突で22歳の東大生樺(かんば)美智子さんが死んだ▼控えめだが芯のある女性だったという。全学連の活動家として、読書と集会に明け暮れる日々。そろそろ卒論を、と話していたそうだ。死に顔はほほえんでいるようだったと、肉親の手記にある▼新条約は成り、岸首相は退いた。続く池田内閣は所得倍増を掲げ、戦後は経済の季節へと移る。『樺美智子 聖少女伝説』(文芸春秋)を著した江刺昭子氏は、日本人の意識や生活は、皇太子妃と樺さんの「二人の美智子」から変わったと見る。一人は命を捨てて重い扉を開いたと▼雨上がりの午後、彼女が眠る多磨霊園を訪れた。墓碑に刻まれた高校時代の詩「最後に」は、こう結ばれる。〈でも私は/いつまでも笑わないだろう/いつまでも笑えないだろう/それでいいのだ/ただ許されるものなら/最後に/人知れずほほえみたいものだ〉▼学生運動は全共闘などに受け継がれたが、もはや大衆を熱くすることはなかった。片や、冷戦後も極東には緊張が残り、米軍はそこにいる。沖縄が示す通り、異常も長く続けば日常にすり替わる▼あの頃、幼子までが口ずさんだ〈安保反対〉の声は弱い。日米同盟を「国際的な共有財産」とたたえたのは、ほかならぬ全共闘世代、菅首相である。樺さん、まだほほえんでおられようか。

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