「自分は聞いたことがないし、ググッても出てこなかったから流行語じゃない!」
と嬉しそうに言っている人もたくさんいましたが、「だから『流行語』という表現は捏造だ」と非難するのは笑止千万です。
ネット上で叩かれまくって、ブログのコメント欄には毎日大量に悪意の塊をぶちまけられて、その頃の私はかなり疲弊していました。見なきゃいいのにコメント欄を覗いてしまって、その度に心の中で、
「テレビでタレントが使っている言葉だけが『流行語』だと思い込んでいるのは、どうなのかなあ……。自分の周りには首相の辞任をネタに言葉遊びで己の状況を揶揄できる人はいないとしても、いても不思議じゃないだろうってことが想像できないのかなあ……。グーグル様が世の中の全てを把握してるわけじゃないのになあ……。ああ、『流行語』の定義の違いなんてどうでもいいことをつつかれて、毎日毎日、こんな目に遭うなんて……」
そんなことをグルグルと考えながら、ヘコんだ気持ちを必死で鼓舞していたものです。
もっとも、「流行語」と言ったことが間違っていたとは思っていませんが、「おいおい、そりゃ大げさじゃないの」と突っ込まれれば、あっさり「えー、そうですか。うーん、そうかなあ。まあいいんじゃないですかね。エヘヘ」と頭をかくのは、全然やぶさかではありません。
「アベする」騒動は、今思えば、要はその程度の話です。私は、謝って済むことならさっさと謝るのを信条として生きてきました。それどころか、別に悪くないのに先手を打って謝って、相手を恐縮させてほくそえむといういやらしい趣味もあります。って、偉そうに言うようなことじゃありませんね。
しかし、この「アベする」が非難を受けたときは、ネット上で「石原、謝罪しろ!」「石原、謝罪はまだか!」と言われれば言われるほど、「絶対に謝るもんか」という決意が固くなっていきました。
たぶん、くだらない意地です。自分ではそのつもりはありませんが、自分を守るために都合よく理論武装している節もあるのかもしれません。