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自分の人生を自分で決めるってこと

テーマ:人生
2010年06月15日 22時57分20秒

今、俺が望んでいること。

・自家用バスを持ちたい
・女性の肌に触れたい
・何かのグループに中でうち解けたい
・生きている実感を持ちたい
・誰かの役に立ちたい

そんなことが思い浮かぶ・・・

でも、一方で、オナニーで射精する瞬間にトンデモないことを思い浮かべたりもする。例えば、俺の思い通りになる女性がいて、極限まで辱めるのに、その女性は俺に存在を求めて何でも我慢するとか、なのに俺は思いっきり冷たくするとかダ。あまり具体的に書いたら、みんな引いちゃうんじゃないか?ってくらいだよ。

そういう方向から自分を見ると、俺の中の「本音と建前」がかなり隔たっているようにも思う。
社会人として受け容れられる俺と、受け容れられない妄想を抱く俺と、そのふたつが同居してる。

こういうのって当たり前なの?どうなの?
俺の場合、実は心の底には、女性への敵意みたいなものがあるんじゃないか、なんて思うよ。

それがなぜなのかは分からない。
育児を人任せにしたオフクロへの復讐心かもしれないし、愛情を求めるものなのかもしれないし、そんなことから生じた人間不信のなせるわざなのかもしれない。


昨日今日と土日の代休で、仕事は休みだった。
休みの日は、本当に誰とも口をきくことがないし、孤独だ。でも、それで寂しいとか、あまり思わない。

明日から、また仕事だ。
はっきり言ってもう、何か新しいことをやろうっていう熱意はなくなっちゃった。
その熱意は、アリバイ作りのためのもので、実は自分の希望ではなかったって気づいてしまったから・・・

だから、仕事をしてる「フリ」をするんだ。
サボってないように、時には部下を叱ったり、指導したりするフリをするの。
実際の気持ちとしては、「どーでもイー」んだよ。部下が育とうが育つまいが、会社の利益が上がろうが下がろうが・・・会社が倒産しようがどうしようが(退職金は気になるけど)、まぁイイんだよ。

俺の今のポジションにルーチンワークがまったくないから、なおさらなんだよね。
商品を企画するのが俺の部署の仕事。
だから、調べたり考えたりするのが仕事。
ゆえに、サボってても、見た目誰にも分からない。なので会社じゃ、興味の赴くままネットをさまよってるだけだ。で、しょっちゅうアメブロも見てる。

この、不完全燃焼みたいな、何だか分からない状況を苦しいと感じることもあった。実際、ここ何年も悩んだよ。「こんなことでイイんだろうか」ってね。同僚に相談したこともあったけど、大抵「そういうものじゃないですか?」くらいの答えだ。

でも最近、それまで知らなかった世界、例えばライブチャットとか大型二種とか、あるいはPTSDとかホロコーストとか、そんな別の世界から見たら、あらら…どうでもイイじゃん、なんて思えてくる。

でも、これって悪く言えば、ただのサボり。
良く言えば、価値観の作り直し?

生きてることが、何だか分からないのは以前と変わらないけど、見た目「怠惰」な方向に向かってるように思うよ。

それを「ダメじゃないか!!」と叱ってくれる人が存在しないんだよね。もし居たら「じゃぁ、どういう方向が正しいんですか?」って尋ねるけど、相手はきっと何も答えられないんだよ。

後は、自分で決めるしかない、ってことだね。

うーん・・・
唸るしかないよ・・・



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異性に「触らせてくれ」と求められたら?

テーマ:医療・健康
2010年06月14日 19時32分50秒

例の、頚椎の問題を発端に、

俺は最近、指圧やらカイロやら、いろんな人に俺の身体を触ってもらった。例外なく気持ちがイイ。

それと関係あるんじゃないかと思うんだけど、
今度は、俺が、誰かに触りたくなってしまった。
で、普段から誰とも距離を置く俺は、ちょっと困ってしまった。

相手が誰であろうと「触らせて」って言えないよ。

そして、俺は考えた。
家内の友人で、家内が亡くなった後も何度かウチに遊びに来てくれた、独身の女性がいる。
彼女に頼んでみようと思った。

でも、露骨に「カラダを触らせて」って、やっぱり言えない。
なので、最近カイロや指圧にかかって、そういう「腕が上がってる」ことを理由に、俺が彼女の肩や背中を「指圧させてもらう」ことにした。詐欺かも。

この提案は、間違いなく、独身女性にとっては「危ない」ものだし、実際反応も「うーん、そのウチね」みたいだったので、何度もしつこくお願いしちゃった。そしたら今朝「まったく~勝手なんだからぁ」と、彼女と同居?してる「ぬいぐるみ」から返信があったよ。
(意味分かる?彼女の本心とは距離を置いたところにいる「ぬいぐるみ」に「勝手なヤツだけど、来てもイイよ」と言わせてくれたんだね。)

なので、今日の午後、彼女のお宅にお邪魔して、1時間以上マッサージさせてもらった。

彼女の上着は素肌に半袖のシャツ一枚だったから、「存分に」素肌に触れたよ。

生きてる人間の素肌に触れるってのが、どれだけ心を穏やかにしてくれたか。

最後に仰向けになってもらって、頭と顔をマッサージさせてもらったんだけど、
その時に、彼女の瞼がピクリともしない、つまり俺を信頼し切ってるというのが分かって嬉しかったなぁ。
その「俺を信じ切ってくれてる」というのが大きいなぁ・・・

でも、特別に彼女に惹かれてるワケじゃないから、その先には進まない。
もし、進んじゃったら、二度と会えなくなりそうだし。

マッサージが終わった後、彼女は「気持ち良かった~!」と言ってくれた。
「特に頭のマッサージが良かった」そうです。

家内が生きてた頃は、毎晩家内の背中をさすったり、マッサージしたりしてたなぁ。

「触れ合い」って、たとえじゃなくて、実際に身体に触れ合うことなのかも、って思った。



老化の受け容れ方

テーマ:医療・健康
2010年06月13日 22時05分27秒

この前お知らせした、肩のしびれ。
整形外科で、その原因が背筋が曲がってることを指摘された。
そしてカイロプラクティックでも同じことを言われた。

それから、姿勢としびれの関係を一日中考えるようになってしまった…
あまり意識し過ぎると姿勢が固まっちゃって、凝りが酷くなるようにも思う…

がしかし、何とかしようと思って、頚椎への負担を少なくために、頚椎のサポータをamazonで買った。
でも、色々と角度を試している内に、両肩が前に丸まってしまってることにも気づいた。

その結果、さっきから↓こんな格好してます。

54歳男の八つ当たり

頚椎サポータにプラスして、三角巾で腕を後ろに引っ張ってマス。
せっかく大型二種免許取ったのに、こんな格好じゃ運転できないよね。

一週間後の6月20日に、この前より大きめのバスを借りて、箱根方面にドライブする予定。
それまでに何とかしなくちゃ!って少し焦ってる。

でも身体に問題があったら、抵抗できないね。

心の問題を抱える人は多いし、俺もそうだけど、身体は何とかなりそうな気がするんだよね。
でも、老化が原因としたら、無駄な抵抗なのかもネ。
受け止める努力をしてみるよ。

徐々に「出来ないこと」が増えていくんだろうな。
仕方ないよね。当然のことだ。



penpenさんのブログが週刊朝日で紹介された

テーマ:ブログ
2010年06月12日 22時17分16秒

数少ない、俺のブログの読者の一人でいてくださった、故penpenさんのブログが、週刊朝日に取り上げられることになった。急逝を知って、彼女のことを良く知らないのに、取り乱して自分のブログにも何か書いたと思う。

週刊朝日のサイトには、突然の訃報を告げてくださった、お嬢さん Eriさんの言葉もある。

週刊朝日のWebサイト

penpenさんのブログ


penpenさんが、アスペルガーであったか、なかったか、そんなことが無意味なことは彼女の漫画を見ればすぐに分かると思う。

彼女は、人間としての、優しさや寂しさ悲しさを、温かい絵に乗せて伝えてくださった。


発達障害やうつが流行る理由

テーマ:精神医療
2010年06月12日 11時47分54秒


アメブロで、ご自身をアスペルガー症候群として、その経験から得られた教訓を書いていらっしゃる女性がいる。
今回、そのブログが出版されることになったとかで、まぁ普通に考えればメデタイ話だ。
しかし(俺は以前から読ませて頂いてるのだが)、そのブログには腑に落ちないところが多々あった。
何故なのか、考えてみた。


俺は最近、幼少期の生育環境を重視するようになってる。特に、
「親に、自己欺瞞があれば、それは子供に継承される」
ということが重要だと思う。

自己欺瞞の多くは、親が子供に対して「お前のため、お前のことを愛せばこそ」と言いながら、実は世間体などの「親の期待」を隠しているケースだ。それは「厳しい躾」という形をとるかもしれないし、漠然とした雰囲気だけのこともあるだろう。あるいは「無視(ネグレクト)」という形もそうかもしれない。
おそらくは多くの場合、虐待などと認識されることのない程度の、しかし根の深い欺瞞だ。
そして、子供は本音を言えなくなる。

そのような環境に育った子供の多くが、同一性不安を持つに至る。つまり自分が何者であるのかが不明瞭になり不安を抱えるようになる、と俺は思う。
コミュニケーションに困難を覚え、周囲の人間を怖がるようになる。そのような状況に陥らせた当の親に対する不満を意識していれば、まだ良い方で救いもある。しかし多くの場合、周囲の「冷たく」感じられる人間よりも、(実際はもっと冷たい)「親」との関係に温かさを感じるようになる。

つまり、親の操作に屈服した結果、自分の本音が意識の奥に隠されてしまうのだ。
隠され、抑圧された本音は、それが隠されれば隠されるほど、破壊的な力を持って表面に出てこようとする。
それが、原因不明の感情の爆発であったり、自傷の衝動だったり、希死念慮だったり、各種の心身症的な身体症状や、抑うつ感情だったりする。これが重症の場合は、隠され抑圧された本音が別の人格を形成することすらある。多重人格、解離性同一性障害だ。

これは突飛な理論ではない。
PTSDは、戦闘、災害、レイプなどに関するものだが、長期にわたるトラウマ形成に至る機制は「複雑性PTSD」と呼ばれる。また、フロイト以降の精神分析理論では常識的なことでもある。


アスペルガーに限らず、発達障害という考え方、捉え方は、「親の責任」を隠蔽し続けるのに有効だ。だって、問題は「親のせい」ではなくて「生まれつき」ということになるでしょ。物事を言葉通りに受け止めたから、とか、誤解し易い性格が災いしたんだとか・・・

「それに気づいたから、問題にまっとうに対応できるようになった」、というのなら問題はない。
しかし、最初に紹介した女性の場合でいえば、まず、うつ病、強迫性障害、買物依存症、摂食障害などで苦しんだと自己紹介にある。ところが、それが「発達障害」という診断によって改善されたとは、どこにも書いてないんだよ。それよりも、自分の辿った苦境を是認する方向の日記ばかりだ。暗い過去を消し去り、あるいは敢えて隠そうとしているように感じられてならない。

要は「それで良かった」、「自分なりに頑張った」「乗り越えた」ということしか書いてない。ご本人は、「同じアスペルガー」の人に対しての「励まし」にするため「マイナス面は書かない」ともおっしゃってるが、それじゃぁ発達障害として悩んでいる人を突き放すだけじゃないか?とも思う。励まされるんだろうか。もし励ましを感じたとしたら、それは(俺の考えでは)親や教師や周囲の人間への敵意を隠蔽する後押しをするだけだと感じる。

もしも発達障害というものが存在するとして、その概念からは、「発達障害は、適応すると(心の)病気になる」という言葉があるくらいで、社会に無理に適応しようとすると本人が歪んでしまうものだ。だからこそ療育とか、環境側が患者に歩み寄る必要があるのだ。

知的障害のない自閉が、アスペルガーとか高機能広汎性発達障害とか呼ばれるが、「知的障害がある」ケースを考えてみれば分かりやすい。親や周囲の人間は、その子供が受け入れやすい方法を工夫するのが本筋であって、問題行動は、決してその子供の責任でもなく、かつ親の責任でもないとするだろう。それは多分正しい。
しかし、知的障害のない自閉というものを仮定してしまうと、そこに多くの他の障害、心に傷を負った多くの人たちが押し込まれてしまうのではないかという気がしてならない。

件の女性も、自身のブログに、親や先生から「努力が足りない」「もっと、ちゃんとやれ」といつも怒られた結果、オーバーワーク気味の努力を重ねることで、やっと、普通のことができるようになった、と書いている。
そういう、本意とも思えない経験が幼い子供の心にどう影響するか?「傷つく」と考えるのが順当ではないか?彼女は、それを自分の生まれつきの性格傾向のせいだと断じている。変わった子供だったから、親も教師も困っただろうし、彼らには何の責任もないと言っているように感じられる。このように、心ない親や教師の行為を正当化、合理化するのが、発達障害という、今流行りの幻想なのではないかと、俺は思う。

PTSDのような極端な(心的)外傷経験では、悲惨な経験を否定したり、忘れようとする気持ちが働く。記憶を失うことさえ珍しくない。そして、より緩慢な外傷体験でも、同様にその苦痛だった経験を否定したり、その経験を(行為者に代わって)正当化し、自分を納得させようとするのは良くあることのようだ。

前に一度、彼女に直接メッセージを送ったことがあった。「頑張り過ぎではないか?」と心配するとともに、「上手く行ったことだけ書くと、適応できずに苦しんでいる人は、余計傷つくのではないか」という内容だったと思う。それに対して、彼女からの返信では「アンハッピーエンドの結末のものも敢えて書くので大丈夫」というものだった。後日、その「アンハッピーエンド物語」を読ませて頂いたが、結局、表現されているのは「不遇な境遇の中でも最後まで諦めずに前向きに生きる」彼女の生き方だけだと感じた。つまり、アスペルガーという診断名に一度しがみついてしまうと、自分にできる工夫は表面的な処世術とか、生活の知恵のようなものに限定されてしまうのだ。もしも、心の奥底に根の深い問題を抱えていたとしても、それら一切が無視されるのだ


発達障害が流行る理屈を見たような気がする。
・深く考えるのはやめよう(悩まない)
・前向きに工夫しよう
・加害者(親や教師)は悪くない(知らなかっただけで罪はない)
つまり、八方丸く収まるのだ。

もうひとつの流行りである「うつ」にも同じことが言える。
・誰にでも罹る可能性のある心の風邪
・抗うつ薬を飲んで、十分に休養をとれば必ず治る
そして、心の傷をもたらした加害者の責任は問われない。

俺のブログに何度か書いたが、職場のパワハラ被害で半年も休職した女性が、新たに俺の部下として復職したが、彼女は医師から抗うつ薬を処方され、休養を指示され、自宅療養に専念したが、一向に良くならず、配置転換を希望した。そりゃそうだ、嫌な上司の居る元の職場に戻れば、具合が悪くなるのは当然でしょ。彼女のような人に「敵を許せ」とか「嫌なことは忘れろ」とか「社会に出たら、それくらいのことは我慢するのが当然」などと思う人も多かったらしい。彼女は負けず嫌いで、スキルもあり、「許せない」から気持ちが収まらないし、「忘れられない」からつらいし、「我慢できるようなものではない」から苦しいのだ。眠れないし、食欲もない、自分は社会に不要なダメ人間だと自分を責める気持ちが高まる。そして、ご主人に八つ当たりして、その衝動を抑えようとしてもコントロールできなくなる。そういう反応は病気ではなく、人間として自然な反応だと思う。

そういう至極まっとうな発想を排除し、隠蔽するのが、「発達障害」であり、「うつ」であると感じる。

ちなみに、俺は本物の「発達障害」が存在することや、本物の「うつ病」が存在することを否定してはいない。
ただ、安易に医者の言うとおり、あるいは自己判断で、そのように思い込むと、迷路にはまるようなものだと言っているのだ。

欺瞞に満ちた「プラス志向」は、人を追い詰める。
そして、プラス志向の人は、必ずしも能天気な性格の人だけがなるのではなく、追い詰められた悲壮な気持ちの人からも現れるのだと感じる。件のブログ主の女性がそのひとりと思う。家庭内で、本音を言うことを禁じられた「犠牲者」が、その加害者の肩を持つようなイメージだ。



引っ越すべきか??

テーマ:日常生活
2010年06月11日 21時51分38秒

俺が今住んでるところは、俺の収入に照らしたらかなり高かったけど、家内がすごく気に行って、8年前に買ったものだけど、
東京でも便利の良いマンションで、70平米くらいあるのね。

はっきり言って、一人暮らしじゃ使わない部屋もあって、無駄に住宅ローンを払ってるようにも思う。
無計画さが恥ずかしいけど、住宅ローンは後19年分も残ってる!

1年半前、家内は、この部屋のベランダから飛び降りて自死した。
俺はその部屋にずっと住んでる。

引っ越しを勧めてくれた人もいたけど、それは出来なかった。
それには、実は金銭的な理由もあって、住人が自死した住戸を売る場合には、そのことを告知しなければならないんだよね。

当然、自死があった住戸はかなり安くなる。
かつ、おおっぴらに「ワケあり物件!格安!」として広告するのは同じ建物に住んでる人に迷惑がかかる。つまり、他人の資産価値を下げてしまう可能性が大きいから、「ひっそりと」販売活動をしなけりゃならない。

家内の自死の直後、こんな(コミュニケーション能力のない)俺なのに、何人も我が家を訪ねてくれた。それは、直前まで俺が管理組合の理事長を(輪番制で)やってたからだと思う。その前の年は副理事長だった。住戸数も多いから、年間数万円だけど、手当も出る。
副理事長、理事長の間、このマンションでは、当然のことながら色んなトラブルが起きて、喧嘩の仲裁みたいなのが警察まで巻き込むことになって、刑事さんに相談に行ったり、組合総会の司会をしたり、

対人恐怖の俺には、信じられないくらい頑張った。

で、2年の任期が終わって同じ時期に理事だった奥様たちが「お疲れさま会」みたいなのを開いてくれた。そこに、まだ元気だった家内も一緒に出席して、家内は喋りっぱなしだった。

多分、このマンション売っても、安くしか売れないので、住宅ローンを完済できない。
貸す場合も、告知義務はあるので、家賃もかなり安くせざるを得ないらしい。

このことについて俺は、ずっと「思考停止」状態だった。
でも、放っておいたら困ることになるのかもしれない。
こういう損得勘定っていうの?そういうの考えるの苦手でさ。
どういう順序で考えたらイイのかもなかなか思いつかないんだよ。

ここに住まない場合の「選択肢」がイメージできないんだね、多分。
どうしたいとか、何かあれば考えるのかもしれない。

銀行のローンが75歳完済でローンを組めるっていうので、組んじゃったけど、そんな年まで返し続けられるワケないじゃん。返済不能で競売にかけられるか、自己破産するか?そんなことさえ、まったく考えてなかったなぁ・・・


「就学猶予」って知ってる?

テーマ:人生
2010年06月10日 20時30分54秒

今さっき、NHKの教育テレビで「就学猶予」というのを知った。

例えば、早産で小さく生まれ発達が遅い子供などが、小学校に入学するのを1年遅らせるという制度だ。

なぜ、そのような制度があり、注目されているのか。
要は、子供に精神的な負担が掛からないような心づかいだ。

それを見ていて思いだした。
俺は逆だった。
幼稚園のことだけど、当時通った幼稚園には2年保育というコースだけしかなかった。
ところが俺は、商家で邪魔にされたんだろう、1年早く、つまり普通なら4歳で入園するところを、3歳で幼稚園に放り出されたのだと思うよ。あるいは、親が、3歳年下の妹が生まれたので、手を掛けられないと思ったのかもしれない。

つまりね、とにかくさ、
幼稚園に入ったら、3歳の俺の周囲は全員1歳上!

ある程度の年になれば1歳の差なんて小さいけど、3歳と4歳じゃ、かなり違うんじゃないの?
俺がその時、劣等感持ったとしても不思議なことじゃないし、無理して頑張ってたっていう実感もあるよ。

そして2年経ったら、周囲の仲間は全員、俺より1年早く小学校に進むわけだ。

で、最後の1年は幼稚園の下級生だった子供たちと一緒になる。
知ってる子は全然いない。仲間は全員小学校に進んじゃったからね。
そういう意味では、卒園までの1年間は、また孤独だったかもしれない。

驚いたのはさ、
俺がそういう境遇にあったことを、まったく問題にしなかったこと。ついさっきまで!
今日の今日まで、2年保育に1年早く放り込まれたことに何の疑問も持たなかったんだよね。

たった一人だけ、時期はズレてたけど、同じように早めに入園したヤツとは、今でもつながってて、今度6月20日にもう少し大きなマイクロバスでドライブ!って知らせたら、一緒に行こうって言ってくれたよ。


中性脂肪のその後

テーマ:医療・健康
2010年06月09日 21時26分26秒

4月23日の日記に、

中性脂肪値が1,000を超えたって書いた。
そこにも書いたけど、俺の中性脂肪値の経過は

2009年 4月   122
2009年10月   145
2010年 4月 1,004 !!!
(単位はmg/dl)

もう6月なんだけど、5月11日に精神科で再検査してもらった結果が、昨日分かった(4週に1度の通院なので)。

2010年 5月   495(正常範囲は149までらしい)

半年で7倍に増えたのが、1ヶ月で半分以下になってる・・・
同じ1ヶ月の間に他の検査項目も改善されてたよ。

総コレステロール 317→268

その後もダイエットに励んでいるので、今は基準値に入っているかも。



まぁ、そんな検査結果は、あんまり心配してないし、どうでもイイんだけどさ
でもさぁ、体重ってなかなか減らないね・・・
もう少し腰回りを絞らないと、着るモノを買い替えなきゃならなくなるし、自分でも余分なモノが付いてる感じがするので、何とかしたい。

ちなみに、今日の夕飯は、大根おろし(4分の1本くらい、かなり大量)、しらす(100g、これも大量)、きゅうり(1本)、わかめ(50g)、かにかま(135g)、味付けに味の素ピュアセレクトローカロリー(マヨネーズ、30g)・・・

中くらいの丼に2杯分という「大量」なんだけど、カロリーはたったの400kcalくらいだと思う。(これにトマト1個と卵豆腐1パックくらいは食べるかも。でもプラス100kcalいかないでしょ)

昼ごはんだってお蕎麦屋さんで、大盛り蕎麦、多分500kcalくらいしか食べてない。

成人男性の消費カロリーって平均で1日2000kcalだっけ?その半分しか食べてないのに、体重が減らない。
まったく最近の夕飯はこんなものばかりなのに、体重減らないのは何故だ?
まっ、イイや・・・


話変わって、
今日、勤務先の事務所が引っ越した。

帰りに最寄り駅まで歩く途中に隅田川を渡るんだが、
↓建築中の東京スカイツリーが見えたよ

54歳男の八つ当たり

あんまり良く写ってないね・・・

で、ここは橋の上なんだけど、橋の反対側↓

54歳男の八つ当たり

定年まで、あと5年とちょっと。

昨日、精神科医に色々話した後「根本的な解決は可能だろうか」と疑問を投げかけたら、

「うーん、そうですねぇ・・・うーん、リタイアしてからなのかなぁ」だってさ

会社勤めで、一体俺は何をやってるんだろう。

本当にイヤなら、辞めた方がいいのにね。


いつの間にか54歳

テーマ:ブログネタ
2010年06月08日 19時38分33秒
いつの間にか○○よりも年上になっていた ブログネタ:いつの間にか○○よりも年上になっていた 参加中


人間、いつの間にか年をとるもんですね。

例えば10年ほど前、自分の年齢が、オヤジが亡くなった年齢(43歳)を越えたとき、
おぉ、まだ生きてる!と思ったなぁ。

で、今の54歳という年齢で考えてみたら、俺が結婚した時のオフクロの年齢だ!
披露宴では、着物姿で、母親然として、
丸テーブルに居て列席者に挨拶してた、あのオフクロと同じ歳?
あの、「年寄りの入り口に居た」オフクロと同じ?
ちょっと愕然とするね。

家内は、学年で言うと1学年上で、ほんのちょっと年上女房だった。
でも、亡くなったのが53歳だから、もう俺の方が年上になってる。

まったく関係ないけど、
吉田松陰っていう人、亡くなったのは29歳だか30歳なんだってね。
何をした人か知らないんだけどさ(汗)

幕末の志士とか言われてる人たちって、みんな若い内に凄いことをやってたみたいだね。

さっき、ベッドで横になりながらTVつけたら、菅直人新総理が「(幕末の志士にあやかって)騎兵隊内閣と読んでくれたら嬉しい」とか言ってたんで、吉田松陰を思い出した。

菅さん、(俺も人のこと言えないけど)話す内容が幼稚だし、頭の悪い人に見えたなぁ。
志(こころざし)なんかないんじゃないの?
反対勢力に攻められないように、気を遣いながら話してるのは分かったけど、
もしも、その気遣いが無用だったら、発言内容は、馬鹿丸出しになったように思う。
日本語の表現力?あるいは思考能力が足りないと感じたよ。中学生か高校生並み?

菅さん63歳なの?
ホント、人間、年じゃないね。

日本には大人が居なくなって、みんな「お子ちゃま」になったの?
人間誰でも、(精神分析では)精神的に追い詰められると「退行(幼児返り)」するって言われてる。
みんなで退行してるのかなぁ・・・

成熟した大人の人に会ってみたいものだよ。


カイロはお嫌いか?

テーマ:医療・健康
2010年06月07日 19時50分49秒

俺は10代から肩コリがひどくて、20代前半には既に指圧治療院のお世話になってた。

でも、指圧やマッサージだけで、カイロプラクティックなるものは、ずっと敬遠してた。
理由は、満足感が足りないってことだったと思う。
つまり施術する側が、沢山体力を使うのが指圧やマッサージで、
カイロは簡単だと思ったからだ。

その認識が変わったのが数年前、
ギックリ腰になって、ほとんど動けず、やっとの思いで近所のカイロ治療院に行ったときのこと。

ちなみに院長先生は、なんと25歳の女の子!それが良かったと言ってるんじゃないですよ。
(前院長が急にやめることになって、後を引き継いだとか。後で知ったけど、ご本人がカイロで長年の苦痛から救われてその道に入ったのだとか)
治療院は、4~5台の治療用のベッドがあって、助手が一人いたかな?

で、診察してもらったら院長先生はこうおっしゃる。

するめさんの場合、今は腰が痛いのでしょうが、それより私は首のことが気になる。だから腰より先に首の方を何とかしたい。宜しいでしょうか?

とね。

何でもイイからお願いしますとやってもらった。
その結果、どうなったと思う?

つい1時間まえまで、ちょっとした角度で「痛っ!!!痛たたた!!」となってた腰の痛みが、皆無になって、帰りはスキップしてたよ。
その上、次の日にクルマを運転して気づいたんだけど、例えば右に車線変更するときに首曲げて右側見るけど、首がいつもよりグリっと30度くらいは余分に回るようになったんで驚いた。

2~3度通ったかな?治ったから、行かなくなった。当然のことだね。


実は、ギックリ腰はその2年前にも一度やらかしていて、そのときは整形外科に行ったの。

整形外科の先生は、レントゲン撮って、コルセットとシップ薬と痛み止めを処方して、痛みは何も変らなかった。
だから不満を言ったら、胃腸などの消化器からきてるかもしれないということになって、胃カメラに、最後は大腸内視鏡!でも、それで治ったら文句もないけど、痛みはちっとも良くならないので、消化器内科の先生に訴えたら「少し便秘気味ですが下剤でも出しますか?」だって…、

それに、俺が色々と痛みの正体を探ろうと努力した結果分かった「腰が痛むとき、胃と腸の間あたりに何か響くような気がする」という意見には、先生は何て言ったと思う

「あっ、そこに臓器はないですから」

だよ。

それでやっと分かった。

・整形外科は骨とか椎間板とかを診るところ
・内科は臓器を診るところ
・そして、筋肉の関連を診る診療科は、西洋医学には存在しない!!

ってことがね。

だから、もし今度ギックリ腰になったら、西洋医学には頼らないって決めてたんだよね。

そして、二度目に、一回だけのカイロの施術で、嘘みたいに治っちゃったギックリ腰。



今日は、土日の代休だったので、先日来の頚椎に起因する肩の痺れが気になって、またカイロに行こうと思って調べたら、以前にお世話になった先生はお辞めになったというので、他の治療院を探して行ってきました。


カイロ・プラクティックとかって、怪しい治療院もあるだろうし、日本に国家資格がないし、認知されていない技術なんだと思う。

でも、最初のギックリ腰のときに、整形外科の医師が俺の腰をギュっと押さえて「どうですか?痛みは変わりますか?」って訊いたんだよ。で、確かに痛みは軽くなってた。「はい!」って答えたら、医師は「うん、マニピュレーションは効くんだなぁ」と独り言をつぶやいた。

後で、マニピュレーションって、しっかり調べたよ。

つまりは、カイロプラクティック的なもののことなんだ。整形外科の医者も、自分でやってみて認めざるを得ないんだと思う。しかし健康保険では認められてないし、儲からないから医者は手を出さないんだと思った。それより、ズラっと並んだ各種電気治療器や牽引で、看護師さんに指示して、沢山の患者をさばいて、保険点数を継続的に稼いだ方が経営としては効率的なんだと思った。

文章が長くなったけど、整形外科の医者が「治さずに末長いお付き合い」を目指すのと同様に、精神科医も主にクスリで「治さず末長いお付き合い」を目指しているのかなぁと思った。

誰だって、病気なら、さっさと治して、医者とおさらばしたいよね。
でも、彼らは治したくないんじゃないかって思うよ。



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