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■■ Japan On the Globe(502)■ 国際派日本人養成講座 ■■■■

  Common Sense: 気は優しくて力持ち 〜自衛隊海外支援奮闘記
    
            「サマワの人々は彼らが『古きニッポン』の子孫とし
            て、愛情と倫理に溢れた人々であることを見出した。」
■転送歓迎■ H19.06.24 ■ 33,814 Copies ■ 2,531,265 Views■


■1.「東洋・アジアを代表してどうか頑張ってきてください」■

     平成3(1991)年、湾岸戦争時にイラクがペルシャ湾に敷設し
    た機雷を除去するために、海上自衛隊の掃海部隊が派遣された。
    ペルシャ湾沿岸で採掘された原油は、巨大なタンカーで日本を
    含め世界各国に運ばれる。そこに敷設された機雷は、世界への
    エネルギー供給を脅かす存在であった。

     指揮官だった落合元海将補(当時、一等海佐)は、こう語っ
    ている。

         とにかくアジア各国は我々掃海部隊を大歓迎で迎えてく
        れましたよ。最初の寄港地フィリピンでもそうでしたし、
        またシンガポールでは軍の最高司令官から「東洋・アジア
        を代表してどうか頑張ってきてください。よろしくお願い
        します。そのための支援ならなんでもしますので遠慮なく
        言ってください」とまで言われたのです。またペナンでも、
        スリランカでも、そしてパキスタンでも同様の大歓迎を受
        けました。

         ところが、日本からFAXで送られてくる新聞記事に我
        々は目を疑いました。当時日本のマスコミが報じていたの
        は、我々が体験し、目の当たりにしているアジア各国の大
        歓迎ぶりとはまるで異なる「アジア各国の不安や対日警戒」
        なる虚構でした。結局、彼らはありもしないことを捏造し
        て国内で報道していたわけです。我々は船上でこの事実を
        知って、怒りを禁じ得ませんでした。

     当時、日本の一部マスコミは、自衛隊の海外派遣は「アジア
    各国の不安や対日警戒」を引き起こす、という理由で反対して
    いたのだから、こうした「不都合な真実」をありのままに報道
    するわけにはいかなかったのだろう。

■2.「皆さんは大きな誇りである」■

     しかし、初の海外派遣に、511名の隊員の士気はすこぶる
    高かったという。落合元海将補はこう振り返っている。

         派遣隊員の平均年齢は32.5歳でしたから、結婚適齢
        者が多かったんです。12月頃から準備して5〜6月には
        結婚を考えていたのでしょうが、部隊のペルシャ湾派遣が
        決まるや凛然として任務を引き受け、挙式を延期してまで
        この任務に参加した者もおりました。本当に頭が下がる思
        いでしたよ。

     娘の結婚式を欠席してこの派遣部隊に加わった年配の隊員は、
    結婚式が始まる時間に、掃海艇の後部甲板に立って祖国の方角
    に一礼していたという。

     掃海部隊は、ペルシャ湾の難所と言われる海域で、酷暑のな
    か、34個の機雷を処分して、各国のタンカーが安全に通行で
    きるようにした。一人の死傷者も出さずに、これだけの成果を
    上げたことは、各国海軍を驚かせた。

     海上自衛隊の掃海能力は世界一と言われている。大東亜戦争
    末期に米軍が日本周辺に蒔いた機雷を今日までに約7千個も除
    去してきた。殉職者も79名に上る。世界でこれほどの機雷除
    去の経験と技術を持つ部隊は、日本の海上自衛隊をおいてない。
    だからこそ、国際社会からペルシャ湾への掃海部隊派遣を求め
    られたのである。

■3.「皆さんは大きな誇りである」■

     日本は湾岸戦争で130億ドルもの拠出をしたが、金だけ出
    して血も汗も流さない姿勢は、国際社会で冷ややかに見られて
    いた。現地の在留邦人も肩身の狭い思いをしていた。

     ところが、日の丸を掲げた掃海部隊がやってくるや、アラブ
    諸国は歓呼して迎え、在留邦人の子どもたちも他国の子どもか
    らいじめられる事がなくなった、という。バーレーンでは在留
    日本人会が歓迎パーティーを開催して、「アラブの国で働く日
    本人にとって、皆さんは大きな誇りである」と挨拶した。

     掃海部隊が呉市の基地に帰還した際には、クウェートのアル
    シャリク駐日大使は呉まで出迎えて、こう述べた。[a]

         機雷掃海の任務を終え、帰国されたことに感謝します。
        初めて日本が海外に自衛隊を送ったことの意味は、湾岸各
        国だけでなく全世界が高く評価すると思います。
        
■4.「子供が病気になったと話すと必ず薬をくれる隊員がいた」■
    
     ペルシャ湾掃海部隊の成功から、自衛隊のPKO(国連平和
    維持活動)派遣への道が開かれた。翌平成4(1992)年8月に
    「国際協力(PKO)法」が成立し、その翌月には陸上自衛隊
    の施設大隊が、戦乱から立ち直って民主選挙を控えたカンボジ
    アへ派遣された。

     カンボジアは長く続いた内戦で、国道や橋梁が破壊されてい
    た。明石康氏が代表を努めるカンボジア暫定機構(UNTAC)
    に、海空陸自衛隊から総勢1800人以上が派遣された。その
    中心となった陸上自衛隊1200人は、1年間の任務期間中に
    道路100キロを修理し、橋梁約40を補修した。地元の人々
    は自衛隊を大歓迎し、「日本の侵略行為の兆候」などと反対す
    る者は一人も出なかった。

     当時のカンボジアは内戦の直後で、まだ危険な状態だった。
    実際にUNTACの選挙支援ボランティアとして活動していた
    中田厚仁さん、そして警察から派遣されていた高田警視の二人
    が命を落としている。そんな実情を無視して、野党の「自衛隊
    が現地にアジア侵略の不安を与えるのではないか」という「懸
    念」から武器としては小銃と拳銃しか携行できなかった。

     それでも陸上自衛隊の部隊の中には、PKOへの志願が定員
    の30倍に達した所もあった。[b]

        「日本の代表としてしっかり活躍したい。同じアジアの国
        の発展に協力できる事がうれしい」(陸二曹28才)

        「当初は両親にも反対されましたが、国際貢献のためだか
        らと必死に説得した。」(陸三曹30才)

     危険な地雷処理をしても、その手当は1時間で缶ジュース1
    本分、家族への電話代1分千円前後も自己負担。そんな中でも、
    明石代表が「カンボジアの民衆に愛され、この国の生活にとけ
    こもうとする努力は、とりわけ目立ち、胸を打つものがありま
    した」と評したほど、真摯な活動を続けた。[c]

     住民の一人は「私の家はとても貧しい。子供が病気になった
    と話すと必ず薬をくれる隊員がいた。わたしは、UNTACの
    中で日本が一番だと思っている」と語った。
    
■5.笑顔の「反自衛隊デモ」■

     カンボジアへの派遣が行われている最中の平成5(1993)年5
    月には、アフリカのモザンビークへ陸海空自衛官48名で編成
    された輸送中隊、および、司令部要員5名が派遣され、平成7
    (1995)年1月まで続けられた。

     平成8(1996)年には中東のイスラエル・シリア国境のゴラン
    高原に輸送隊が派遣され、6ヶ月毎に部隊交替を行いながら、
    現在も継続中である。イスラエル・シリア両軍に挟まれ、ゲリ
    ラ活動と毒蛇やサソリに脅かされながらの活動は過酷な任務だ
    が、現地の人々には心から歓迎されている。
    
         シリアやイスラエルの人々は、日本人に対して大変友好
        的で、町を歩いていると、よく「ヤパーニ、ヤパーニ(日
        本人、日本人)」と声を掛けてきて握手を求め、親愛の情
        を示そうとする。(太田明三等陸曹)[c]

     平成14(2002)年2月から16(2004)年6月まで実施された
    国連東チモール支援団への約2300人の陸上自衛隊員派遣は、
    PKO史上最大の規模であった。

     東チモールでは、日本の一部マスコミが「期待」していた
    「反自衛隊デモ」がついに起こった。デモの参加者は「自衛隊
    帰れ!」と英語で書いた横断幕を持っていたが、不思議なこと
    に、みな満面の笑顔だった。

     この光景を見た日本人ジャーナリストが真相を見破った。横
    断幕には「Japan Ground Self Defense Force(日本陸上自衛
    隊)」とあったが、地元の人は「Japan Army(日本陸軍)」と
    呼んでいて、「自衛隊」などという世界でも特異な名称は知ら
    ないはずだった。その横断幕は日本の左翼活動家が作り、地元
    民に渡したものだった。英語の分からない彼らは自衛隊を歓迎
    する横断幕だと騙されてデモ行進に使ったのである。

     ここまで姑息な策略をよくも考えついたものである。現地民
    衆が騙されたと知ったら、それこそ日本人への「不安と警戒」
    を与えるだろう。
    
■6.ただ被災民のために■

     自衛隊の国際支援活動としては、戦争・内戦の起こった地域
    での平和維持活動の他に、大規模な自然災害に見舞われた地域
    での救援活動がある。

     平成10(1998)年に、巨大なハリケーンによって壊滅的な被
    害を受けた中南米ホンジュラスへの部隊派遣がその皮切りだっ
    た。1ヶ月ほどの間に4千人を超える現地人の治療診察を行っ
    た。

     続いてトルコ北西部地震(平成11年)、インド地震(平成
    13年)、イラン南東部地震(平成15年)、インドネシア・
    スマトラ島沖大規模地震及びインド洋津波(平成16年)、パ
    キスタン大地震(平成17年)、インドネシア・ジャワ島大地
    震(平成18年)と、地球上で毎年のように起こる大災害に自
    衛隊は救援活動を展開してきた。

     インドネシア・スマトラ島沖大規模地震では、派遣地バンダ
    ・アチェで約3ヶ月に累計6千人を超える診療を行い、23百
    名近くに麻疹(はしか)のワクチンを接種した。防疫を行った
    地域は13万3800平米に及んだ。

     麻疹のワクチン注射まで行うのは、被災地の子どもたちを守
    ろうとする自衛隊ならではの真心のこもった活動である。こう
    した真心は、現地の人にもすぐに伝わる。5歳の子どもを連れ
    てきた父親は「日本の自衛隊がこんな所まで来て、子供のため
    に注射をしてくれて感謝している」と述べている。

     また防疫では、マラリアを媒介する蚊を駆除するための薬品
    散布を夕方や早朝の時間帯に行った。蚊が孵化する前の時間帯
    に駆除するのが効果的だから、というので、わざわざこういう
    時間帯を選んで、人知れず薬品散布を行う、という姿勢に、マ
    スコミや衆目を意識せずに、ただ被災者のためを思う純粋な気
    持ちが込められている。
    
■7.60余年ぶりに助けに来てくれた「日本軍」■

     インドネシアで自衛隊医療チームが臨時診療所を設けると、
    そのニュースはたちまち島中に伝播し、それまで他国軍の診療
    所で診察・治療を受けていた被災者が自衛隊の施設に押し寄せ
    た。「日本軍がやってきてくれた」とばかりに、患者数は日を
    おって増えていったという。

     診療にあたった医官の一人は、当時の模様をこう語っている。

         もちろん我々は一人でも多くの人々を救うために懸命に
        取り組みました。そしてそんな我々に地元の人々は心から
        感謝しているようでした。・・・独身の自衛隊員に「うち
        の娘をもらってほしい」と次々に申し出てくることもあり
        ました。とにかくインドネシアという国は歴史的な面から
        みてもたいへん親日的なのです。

     それもそのはずである。インドネシアはオランダの植民地と
    して3世紀半にわたって搾取されてきた。それを昭和17
    (1942)年3月にジャワ上陸した日本軍がわずか10日間でオラ
    ンダ軍を降伏させたのである。その際にはインドネシア人が積
    極的に日本軍の進軍を助けた。

     日本軍は3万5千人もの現地人将兵を育成して、今日のイン
    ドネシア国軍の基礎を作った。日本の敗戦後、再植民地化を狙う
    オランダ軍が襲ってきたが、2千人とも言われる日本軍将兵が
    現地に残って、ともに独立戦争を戦ったのである。[d,e]

     現地から見れば、その「日本軍」が60余年ぶりに再び助け
    に来てくれたのである。
    
■8.「日本軍を攻撃したら一族郎党を征伐する」■

     地元民への真心の籠もった支援を行う自衛隊の姿勢は、イラ
    クでもいかんなく発揮された。先遣隊の「ひげの隊長」佐藤正
    久1佐は族長たちから食事に招待された時は、現地の衣装をま
    とい、現地の人々と車座になって、右手で食べた。イラク人た
    ちはその姿勢を「我々の伝統文化を尊重してくれる」と非常に
    喜んだ。[f]

     ある有力な族長は「日本軍を攻撃したら一族郎党を征伐する」
    という布告を出した。佐藤1佐の帰国時には、別れを惜しむ部
    族長たちから、族長衣装と「サミュール(同胞)サトウ」とい
    うアラブ名まで贈られた。

     さらにサマワ住民約70名のデモ隊が「サマワ市民と自衛隊
    で安全な街を再建しよう」という垂れ幕を掲げて、自衛隊宿舎
    まで行進し、佐藤隊長に花束を贈った。

     こうして地元民の心をつかんだ自衛隊は、病院・学校・道路
    ・橋梁などの復旧・整備、医療・給水支援など、黙々と人道復
    興支援を行い、ますます地元民の信頼と感謝を勝ち得ていった。
    
■9.「『古きニッポン』の子孫として愛情と倫理に溢れた人々」■

     地元の新聞は、自衛隊の活動をこう評した。[g]

         日本国陸上自衛隊が県内に到着して数週間の内に、サマ
        ワの人々は彼らが『古きニッポン』の子孫として、愛情と
        倫理に溢れた人々であることを見出した。彼らは偉大なる
        文明を保持するとともに他の国家を尊重し、他国民の家庭
        や職業に敬意を払う立派な伝統を持っていたのだ。

     軍人は国民を守るために、時には自らの命を投げ出さねばな
    らない。それゆえに、その「愛情と倫理」はどこの国でも道義
    のお手本として敬せられる。

     細やかな心遣いをしながらも、世界各地で力強い支援を展開
    する自衛隊は、日本で俗に言う「気は優しくて力持ち」という
    表現がぴったりである。その姿勢は国際社会に生きる国際派日
    本人としての立派なお手本と言えよう。
                                         (文責:伊勢雅臣)

■リンク■
a. JOG(211) 湾岸戦争、日本の迷走
    湾岸戦争での最大の貢献をしたわが国が、なぜ、罵倒されね
   ばならなかったのか? 
b. JOG(032) カンボジアに命を捧げた日本人青年
    カンボジアでの自由選挙に命を捧げた青年ボランティア。 
c. JOG(220) 自衛隊PKO〜世界の称賛、朝日の懸念
    自衛隊のPKO活動を称賛する海外の声と懸念する朝日新聞
   との巨大な落差。
d. JOG(036) インドネシア国立英雄墓地に祀られた日本人たち
    多くの日本の青年たちがインドネシアを自由にするために独
   立の闘士たちと肩を並べて戦ってくれました。
e. JOG(193) インドネシアの夜明け
    インドネシア独立を担った人々が語る日本人との心の交流。 
f. JOG(378) サマーワに架けた友情の架け橋
    自衛隊のイラク支援活動によって得られた信頼と友情は「日
   本人の財産」
g. Wing(1277) 『古きニッポン』の子孫として、愛情と倫理に溢れ
   た人々  〜 自衛隊イラク復興支援 〜

■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。

1. 井上和彦「国防の真実 こんなに強い自衛隊」★★★、双葉社、H19

_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ おたより _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
■「気は優しくて力持ち 〜自衛隊海外支援奮闘記」
  に寄せられたおたより

                                             ノーラさんより
     私は1992年にクウェイトに居りましたが、湾岸戦争時にイラ
    クがペルシャ湾に敷設した機雷を除去する為、戦後海上自衛隊
    の掃海部隊が派遣され機雷除去作業に汗を流されていっらしゃ
    いました事、そしてクウェイトの海兵隊の人々は、その技術力
    の高さ、現地の人との協力的、友好的姿勢に感謝感激していま
    した。

     また湾岸危機前イラクを訪問しましたが、現地の人々から
    「イラクのインフラ整備をしてくれたのは日本人だ、彼らは欧
    米人と違って共に汗をかき、同じ昼飯を食べてくれた」と声を
    かけられ歓待されました。基本的に今もそうだと思います。

     イラク派遣が決まった時、マスコミは自衛隊の方々の神経を
    逆なでする様な報道を続けてきました。丁度クウェイトにいた
    のですが、サマーワの住民は日本の自衛隊に不満だと報道して
    いました。クウェイト人もイラク人も一同に、不満の声はあて
    にしていた仕事にありつけなかった事に腹を立てたごく一部の
    部族からであって、決してサマーワやイラク全国民を代表する
    ものではないと断言していました。

     こんな時こそ自衛隊の方々を支援する正しい報道を流すべき
    なのにと情けなく悲しかったです。派遣が決定し現に地域で活
    動を展開しているのですから、全国民が一致団結して応援すべ
    きです。どうして遠いイラクで任務を遂行して下さっているの
    か、それは日本と日本国民の為ではありませんか。

     自衛隊の方々、技術者の方々が築き上げた地域の人々との信
    頼関係は強固で、それ故私たち一般の日本人も歓迎される事を
    忘れてはならないと思います。

                                               えりさんより
     私は若い頃は随分と自虐史観を持っており、日本という国が
    大嫌いでした。きっと海の向こうには素晴らしい人たちが住ま
    う国があり、日本は努力してもそのような国にはなれないと信
    じていました。
    
     日本が嫌いでしたので国内旅行ではなく、海外へ脱出するか
    のような気持ちで放浪の様な旅をしていた時、いろんな国で日
    本人であるという理由だけで随分親切にしていただきました。
    
     その時、嫌いだと思っていた日本なのに、日本人であること
    が嬉しく誇りに思いました。そしてなぜ日本が嫌いになったの
    か考えてみたのですが理由はなく、「何となく」嫌いだったこ
    とに気が付き、自分なりに日本の歴史や海外との交流について
    文献に当たったりしました。そんな時にこちらのメルマガを知
    り、早速登録させていただきました。

     私の兄は自衛隊をしており、イラクへの復興支援に参加しま
    した。そんな兄の影響か従兄弟や親戚にも自衛官へ行く者が続
    きました。当初兄が自衛隊に入りたいと聞いたとき、とても恥
    かしい人間だと思ってしまいました。そのことで兄を傷つけて
    しまったのではないかと悔やんでいます。しかし今では崇高な
    任務を果たし、無事に帰国できたことを誇らしく思います。
    (昔の自分からは想像もできませんが)

     今では自信を持って言うことが出来ます。日本はとても素晴
    らしい国であり、素晴らしい人々が住まう土地です。こんな国
    に生まれ育った幸せを感謝しています。

                                               日僑さんより
     私、インドネシアにて十有余年仕事をさせて頂いておいりま
    すが、貴誌に記載されている通り、非常に親日的な国で日本人
    だと言う理由で嬉しく感じた事は多いですが、嫌な思いをした
    事はございません。

     しかし、華人はどうしても中華人民共和国からの情報を信じ
    ている事が多く、私が拙い語学で反論をしても、日本を代表す
    ると思われている高級紙(反日紙)?も同じ主張だと言われ悔
    しい思いをする事が多いです。華人は外人と接する事が多く、
    これがこの国の一般的な感情だと思われる事が残念に思われま
    す。マレーシアも同様に華人の意見が日本では多く紹介されて
    いる様に感じます。

     日本の新聞も公正な立場での記事を掲載せざる得ない様な世
    論を形成するする為にも、是非、貴誌に今後共、事実をご紹介
    頂ければ嬉しいです。

                                                 献さんより
     海外に出動するたびに、真摯に現地人と同じ目線で汗みどろ
    になって働く自衛官の姿は、大東亜戦争時、今村軍政下のイン
    ドネシアの青年将校たちを思わせるものです。

     米英と大きく国力の開きがあった当時でさえ、日本人には、
    率先して、アジアの独立に貢献しようという気持ちでまとまっ
    ていたわけですが、それは、人種差別と戦い欧米のブロック経
    済に対抗できる経済圏を構築しようという大義があったからで
    す。

     それに対して、大国となり大義を失った今は、内部での足の
    引っ張り合いに終始し、「反自衛隊デモ」を焚きつける人もい
    るわけですから、困ったものです。

     しかし、大国にとって国際貢献は明らかに大儀であるわけで
    すから、自衛隊の側も、今後は国際貢献活動の中で、逆に市民
    NPOを積極的に巻き込むなどしていくのもひとつの手かなと
    思います。

                                             ヤッコさんより
     約30年ほど前インドネシアに滞在していたときに、バンコッ
    ク駐在員の方が来宅しました。その方の話では、当時の田中首
    相がタイを訪問したときに反日運動が起こり、日本の新聞記者
    の取材を受け「それほど大きな騒ぎはなかった」と答えたとこ
    ろ、「それでは記事にならないから何か悪いことを話してくれ」
    と言われたそうです。今回の記事を拝読し、海外の厳しい環境
    の中で誠実に任務を全うする自衛隊の皆さまに感動すると共に、
    その話を思い出しました。
    
     日本人に愛国心が欠けていると言われるのは、いわゆる美談
    を報道しないマスコミにも大きな責任があるのではないかと思
    いました。

                                           ひであきさんより
     自衛隊の活躍を知り、胸が熱くなりました。
 
     このような活動や、草の根の誠実で善意による小さな活動の
    積み重ねこそが本当の外交であり、国益に結びつくものだと思
    います。

     かつての古きよき日本の話を読むと「昔はよかったのに、今
    はなぜひどくなってしまったんだろう」と思うこともしばしば
    なのですが、今回のような話を知ると、日本も捨てたもんじゃ
    ないじゃないと、勇気と自信を持つことができます。

                                               彰一さんより
     いつも心の糧になる記事を有り難うございます。

     今回の記事も、朝から目頭が熱くなりました。ここに挙げら
    れている自衛隊のみなさんが行っていることはまさに国防であ
    り、私たちや私たちの子孫の生活を守ることに繋がるのだと思
    います。前線で懸命に任務にあたっている隊員に敬意を表する
    とともに、こうした本当に伝えるべき事を伝える努力をしてい
    きたいと思いました。

                                                 寛志さんより
     いろいろな場所での自衛隊による国際貢献の話に触れている
    と、政治の世界・マスコミの世界での、彼らに対する「失礼・
    無礼・非礼」な振る舞い・言動の数々に怒りすら覚えますね。
    戦闘地域か非戦闘地域かなどと言いがかり・けちをつけるので
    はなく、現地での感謝をありのまま伝えたら、もっと心のこもっ
    た議論が国会の場でも進むのに・・・と残念にも思いました。

     インドネシアで感謝された「日本軍」。同じころフィリピン
    に上陸を試み亡くなったと伝えられる祖父のことを思います。
    彼のやろうとしていたことが、自分が子孫として誇れることで
    もあるように感じます。いつの日か、かなうならば現世を離れ
    た際に、祖父と語り合いたいことがまたひとつ見つかりました。
    今回も不思議に、読み進めながら目頭が熱くなるんです。どう
    してなんでしょうね?僕も「古きニッポン」の子孫だからでしょ
    うか? だとしたら、幸せです。


                                            匿名希望さんより
     自衛隊の人たちには本当に頭の下がる思いです。私は阪神大
    震災のころ学生で、当時、彼らが迅速に救出活動を行う姿や、
    雨の中黙々とお風呂を作っている姿を見て「謙虚なのに頼りに
    なるお兄さんたち」という印象を持ちました。各地で自衛隊を
    歓迎された現地の人たちの気持ち、すごくよく分かります。

     対照的に、生き埋めで助けを求めている人たちがいる上空を、
    爆音を響かせながら何基もヘリコプターを飛ばしているマスコ
    ミの方々は「無神経で迷惑な人たち」という印象を持ちました。

     その後ニュースで自衛隊の人たちが悪く言われているのを見
    聞きするたびに釈然としない思いを抱いてきましたが、今回こ
    ちらの記事を読み胸がすっとすると同時に、あの時抱いた印象
    は間違っていなかったのかと納得しました。

     今現在も黙々と活動して下さっている自衛隊の人たちに、会っ
    て直接お礼が言いたいです。国内外で困っている人たちのため
    に真摯に活動して下さり、本当にありがとうございます。

■ 編集長・伊勢雅臣より

     自衛隊を含め、軍隊とは「自己の命を国家国民のために捧げ
    る集団」であり、一国の公共意識の源泉です。それを貶めてい
    る所に、社会全体における公共意識の衰退の原因があるのでしょ
    う。

     今後とも、偏向したマスコミや教育が伝えない「国の誇り」
    をお伝えしていきたいと思います。  

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