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フーコーに3年抱かれ続ける俺のブログ

たまには、母親に礼を言いなよ

2010-06-13

ちょっとおどろいたこと

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 日曜日、高円寺の夕方、僕はとある場末のイベントに向かう途中だったのだが、偶然ある人と出会った。学生のときにとてもお世話になった、K久保さんである。一瞬目があってそらして、僕が「K久保さん?!」と声をかけると、「おお、なにやってんだよ〜」と言ってきた。


 「おまえちゃんと生きてるんだな〜」と何度も言われた。僕が高円寺に引っ越したことは言ってなかったので、かなり驚かれた。なんでこんなところにいるんだよ、と。前回会ったのは、およそ一年前である。K久保さんの家で、M田と破壊活動をするかのように飲み騒ぎ、朝になって寝たままのK久保さんを放置したままこっそり出ていったのが最後だと思う。


 そもそも、はじめて高円寺を訪れたのは、K久保さんの引越しの手伝いのときだった。そのときは、まさか自分がここに住むようになるなんて思いもしなかったけれど。


 せっかくの偶然の出会いにもかかわらず、僕は場末のイベントにどうしても行きたかったので、お茶の誘いもことわり、少し歩いてK久保さんと別れた。大学時代いちばんお世話になった先輩のひとりだ。とても残念なことだけど、今思うとこれがなにかの引き金だったのかもしれない。


 そのイベントは、高円寺の線路下、場末の居酒屋やバーが建ち並ぶなかにある、ちいさなスペースで行われた。文字通りのアングライベントである。正確にいえばアンダーレイルロードだが、線路下に潜るように入っていくことになるので、感覚的にはゴーイング・イントゥ・アンダーグラウンドである。


 イベントでは、まずガムテープの切れ端が配られた。


 それに名前を書いて服に貼れというのだ。まったくなんとも高円寺らしい、貧乏くささである。


 かの外山恒一が、東京にくるたびに滞在場所として選ぶ高円寺。この街は、かれの雰囲気によく似合う貧乏くささに満ちている。あの「素人の乱」ももちろん高円寺だ。


 こういうイベントに来るために俺は高円寺に住んでるんだぜ、と思いながら、ガムテープを服に貼りつけた。会場の中ではみんな、ガムテープの名札と、ごちゃごちゃといろんなことが書かれたA3の模造紙を、みんな服に貼りつけていた。なんとも立派な経費節約っぷりである。


 会場には椅子なんかない。みんな地べたに座る。


 ただ、スカートをはいてる客や、スーツを着ている客のために、壁際にいくつかの椅子が用意されている。全員はとても座れないので、何十人かで床に体育座りすることになる、そんな窮屈なイベントだ。いかにも高円寺らしい。イベントが始まる19時、そこにH山由紀夫前首相が現れた。


 観客から、おおっ、と歓声があがった。僕もけっこうびっくりした。ほんの10日ほど前まで、日本の代表をやっていた人間が、なぜか目の前にいるのだから。二十何年も生きてりゃそりゃ、総理大臣を生で見ることもあるだろう。すでに中学生のとき、モリヨシロウを、長崎の平和祈念式典で見たことがある。でも、高円寺のこのイベントで前首相を見ることになるというのは、あまりに思いがけないことだった。


 会場には一応、H山由紀夫のすわる椅子が用意されていたし、スタッフの一人が手でその椅子を促した。ところがH山氏は、その椅子をスルーして、ぼくのすぐ1メートルほど前方の地べたに、観客と同じように体育座りで腰かけたのである。


 それはちょっとびっくりするような光景だった。


 そんなもの、政治家のパフォーマンスだということはいくらでもできるが、実際に目の前でそういうものを見ると、やはりびっくりしてしまう。


 H山首相が来ると知っていたのは、イベントのスタッフだけで、観客はだれひとりとして知らなかった。


 会場のスクリーンに、裸踊りする男の映像が流れた。裸といっても上半身だけである。社会的なムーヴメントがいかにして起こるか、という趣旨の映像だった。


 一人の男が裸踊りをはじめて、しばらくの間まわりの人間に冷ややかな目で見られる。ところがそこに、二人目の男が加わる。二人目の男がきっかけとなって、三人目、四人目が加わり、しまいにはそこにいた何百人が、全員で踊りだす。あるものは服を着たまま、あるものは裸になって。


 映像の後、主催者が言った。

 「H山首相は、この裸踊りする一人目の男だったんですよ」


 そうかもしれない、とは思った。もちろん、沖縄の基地のこと、寄付税制改革のことを指して言っている。だれからも冷ややかな目で見られたひとりのパフォーマー、と。


 裸踊りには、何人かの人間があとに続いたけれど、結局国をあげてのムーヴメントにはならず、挫折した形となった。最後まで裸踊りを続けなかったことを責める声は多いし、そもそも彼の理念を少しも理解しようとしないまま誹謗中傷をひたすら繰り返した層も厚い。


 しかし僕は、H山前首相の体育座りする様を見て、この人は率先して裸踊りする気概のあった人なんだな、とは思った。


 盛り上がる会場で、H山由紀夫は言った。「みんなで脱ぎましょう」

 週刊文春なら、おもしろおかしく記事にする発言だろう。しかしこの場にそういうマスメディアの姿はなかった。彼はすべてから逃れて、一人でやって来た。

 H山由紀夫は、最後にこう言って去った。「私は高円寺だから来たのです。赤坂なら来なかった」


 日本のインドと呼ばれ、さまざまな文化が集まる街、高円寺はとてもおもしろい街だと、僕は思ったのだった。 

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