暴力が当たり前と感じる事と、暴力を容認する事は別の話
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言葉が迷走するといけないので、先日書いた本音の「児童養護施設は暴力行為が起こっても驚かない」というのと「暴力を容認していない」という2つの気持ちが同時にある事をっきりさせておこうと思う。
職員も子ども達に対して体罰を行うような施設では、栃木の養護施設の記事 常に暴力性を帯びている。職員が子どもに暴力行為を行っている施設では、年長児童に年下児童を任せていると称して、少年らの暴力を目こぼしする場合もある。
そんな環境だから驚きはしない、でも暴力はいけない事だと伝え続ける必要はある。暴力が当たり前と感じる事と、暴力を容認する事は全く別の話だから。
でも、所謂自分がやられて嫌な事は人にしないというスタンダードが通る環境じゃなきゃ、非暴力の考えはなかなか通じない事が多い。暴力的環境で育ってきた少年達に「暴力はいけない」と指導しても、身に染み付いてしまっている感覚を変えるのは至難のワザだ。しかも保護処分として児童養護施設へ措置された彼らにきちんと知識を持って対応できる養護施設職員が配置されていない、だから職員も暴力で抑えようとする。
わたし自身、内面に暴力性を持っている。いつ身に付いたか分からないけれど、今ある平和に怒りのようなものを持つ時がある。心にある心象的な風景(原初的イメージ)と、今の生活はあまりに違いすぎて困惑している。わたしの世界じゃない、わたしの居るべき世界じゃない気がする。
誰も助けもなく動物的本能で逃げ出すような何かに追われている生活は一体どこへいったんだろうと感じる。そうでなくては自分の気持ちの持って行き場がないように感じる。
今平和な生活を破壊しないように努力している。平和な関わりを破壊しないように努力している。でもずっと平和な家庭生活に憧れている夫とは微妙に意識がズレる。
本来なら、平和を維持する為に120%もの力を出さなくても、もっと力を抜いて楽な気持ちで平和であればいいのかもしれない。小さな頃の最初のイメージが平和でのんびりとしたものであって欲しい。大人になってから、穏やかな生活を送る事ができない超刺激体質にならなくとも、もっと穏やかで優しい世界がどこかにあると思う。
だから非暴力という定義を勉強しなきゃいけない。養護施設で全部育つだけでその世界観をコピーする。大人になり、一般社会に適応し難いのは、その独特な感覚の為でもある。
| 整理中の課題&記事 | 18時05分 | comments:5 | trackbacks:0 | TOP↑
大笑いしたわ
Leiちゃん、
「バスが来ない」大笑いしたわ。
ネットで探したら、ここにもあったの。
http://flash-search.net/cgi/html/omosiroi.html
じかリンクしようとしたら、URLに禁止用語が使ってあるからダメなの。
| Maria | 2007/07/07 23:24 | URL | ≫ EDIT