Hatena::Diary

G.A.W. このページをアンテナに追加 RSSフィード

20100612

[]現場で指揮してた人間が、現場を離れた管理者になるために必要なこと

 俺の仕事はコンビニのオーナーだ。オーナーということは経営者だ。

 ま、別に法人化してるわけでなし、コンビニったって、要は個人商店しかないわけで、ならばオーナーが店主として現場に居座って、現場のリーダーをやってたって別にかまわない。

 しかしこのやりかただと問題がいくつかある。

 まず、自分が65歳とかになったときにどうするのか。

 次に、二店目、三店目と拡大していくときに、自分が現場から抜けざるを得ないときにどうするのか。これについては、俺自身にその気がなくても、本部からの要請を断りきれない場合があるし、なにより近場に競合ができそうになったときに、他チェーンに建てられるよりは、自分で店やったほうがまし、ということもありうる。

 最後に、オーナーの自由が利かない。俺は外回りの営業とか嫌いだし、そういうのは小売としては外道に近い商売だと思ってるが、かといって現実的には、やったほうが儲かるのは明らかだし、そうやって囲い込んだ客はストアロイヤリティとやらの高い客になりやすいなんてことはよくわかってる。そうでなくてとも、オーナーが現場べったりだと、いざ新しいことを始めようと思ったときに身動きが取れない。

 あともうひとつ。休み欲しい。温泉行きたい。車に100冊くらい本積んで、どこかの湯治宿にのんびり滞在して、bo-imi-tuga-ruする。F9を2回叩くとこんな変換になるのか。いま初めて知った。


 とまあ、39歳のおっさんはもう永久にボーイミーツガールとかは出現しない世界に住んでるので、ああ残りの人生すべて賢者タイムかなあとか思うんだがまあそれはそれとして、いろんな状況を考えたときに、オーナーが直接にシフトに入らず、常に体が遊んでる状態にしておくことはけっこう大事だと思った。

 幸いにしてオープン以来売上は地味に伸びつづけており、人件費的にもそれを許容できる状況になってきたと思う。

 というわけで、今日のテーマは「それまで現場でずっと陣頭指揮とってた人が、現場を離れて、店全体を管理するために必要なこと」を書いてみようと思う。

 ちなみにいままでのエントリと違うのは、俺はまだ現場を離れておらず、その準備段階にいるに過ぎない、ということだ。実際にやって成果が出たわけではなく「こういうロードマップが必要なんじゃないか」ということを書こうと思ってる。

 まあ、やることの手順はわかりきってるんで、そっちよりも、どちらかというと「現場を離れるリーダーの側の心がまえ」に力点を置いて考えることになるんだろうなーとか思ってます。

 あと長くなる。


 つーわけで、まず手順からだ。前提は「コンビニっていう20人程度の組織」であり、それまで完全に俺のワンマン運営だった店をどう変えていくか、ということになる。ここまではすでにある程度終えている。

 最初に着手したのは、作業の平準化。もちろんコンビニってマニュアル商売な部分はあるし、いろんなところがシステム化されてるんだけど、必ずしもそうなってない部分もある。接客用語から挨拶のタイミングからなにからを、厳密にマニュアル化する。本部のマニュアルを使うのがまあ手間かからないんだろうけど、そこはお客さんに合わせて発達してきた部分があるんで、店独自の解釈というのも含めて考える。うちはもともとこのへんはかなりできてたほうなんだけど、確認の意味も含めて徹底的にやる。

 なぜ平準化するかというと、これができてないと、次のステップでいろいろめんどくさいことになるから。

 次に権限の委譲ってことになるわけだけど、これたぶん、段階的にやってもうまくいかない。よく本部がいろんなオーナーに見せるサクセスストーリーなんかだと「発注を任せたことでアルバイトの意識が変わった」とかあるんだけど、俺、たぶん任せるのここじゃないと思う。

 じゃあなにかっていうと、新人教育だ。

 もっともこれには、うちの店特有の事情がある。っていうのは、うちは初日の説明大会なんかも含めて、OJTに至るまですべて俺が直接やってた。たぶんこれ、コンビニみたいな商売だと例外もいいところ。最低でも2週間、ふつうで1ヵ月はほぼ俺がつきっきりで教える。よく5年もこれやったなーと思う。

 で、新人を教育させるにあたって、教える内容が人ごとにばらつきがあるのは絶対にやばい。なにがやばいって、派閥ができる。つまりAさんとBさんの言うことが違うと、その下で学んでる人間がどっちを信じていいかわからん、ということになって、そんで、ほっとくと、どっちを信じるかの尺度について、内容の正しさではなく人間関係の力学を適用するようになる。細かい部分まで方針が一致してれば、まったくそういうことがなくなるというわけではないけれど、起きにくくはなる。なお、アルバイトに新人研修を任せるにあたって、いちばん有効な方法は「もう一度既存のアルバイト全員に、新人研修相当のことをやってやる」なのだが、さすがにこれは時間的に無理だった。要所を押さえて説明するくらいがせいぜい。

 もともと俺は、この組織における派閥化みたいなやつに過剰なくらい神経質で、それがいやなあまりに、決定権のすべてを自分の手に握ってたっていうのがある。逆にいえば決定権をアルバイトに持たせなければ、派閥化っていうのは発生しない。ここは自信もって言える。

 次に、オーナーとアルバイトの意志疎通の場をシステム化する。つまりミーティングとかいうやつだ。コンビニなんかだと、最近はあちこちで「そういうのやったほうがいいよ」っていうことになってるんだけど、俺はこれはやらない。理由は簡単で、俺そういうのすごい苦手だから。複数の人間相手に話すのがすごい下手。なので、話せるタイミングを狙ってふらっと店に現れて「最近どうよ」をやる。しかし俺は基本的に対人スキル相当に低い人なので、うちの奥さまを間諜としてあちこちの時間帯に放っておく。仕事の面では俺、人間関係の面ではうちの奥さまっていうチェックの分業ができるのは、まあ恵まれてるほう。

 あと、ミーティングとかで店の大方針とかを「仕事として」「部下に指示する」っていう方法をとれない以上、オーナーの意志は別の方法でアルバイトに浸透しなきゃいけない。幸いなことに俺には文章っていう補助ツールがある。ブログでこんなことやってるように、俺は文章書くのが好きだし、ある程度はそれをアルバイトにも読んでもらえる。伝言を全員が確実に読んで理解する、という方向に持ってくのは、そんなに苦労せずにできた。

 ちなみに、アルバイトからオーナーへの意志疎通の手段をシステム化することも大事。たとえば「ここのとこに伝言を貼っておいてください」とかでもいい。それに対して俺のサインがあれば、読んだよっていうことになる、と。こんなことはどこの店でもやってると思うんだけど「完全にシステム化して」「例外のない状態にする」というところまで徹底してる店はあんがい少ないはず。


 さて、ここまでのお膳立てはある程度はととのえた。

 しかしいまはまだ、店長を任せられるだけの人材がいる状況じゃない。いずれは俺が完全に店から外れるにしても、いまはまだそうじゃない。しかも俺自身、現場の指揮を離れて、もっと大枠での管理者になるのは初めての経験だ。

 そういうわけで、予防線を張っておいた。人材育成やら、店の通常オペレーション、たとえばカウンターFFの陳列数や販売目標なんかの設定、そのへんなんかはすべて任せきってしまうのに対して、逆に発注や棚割の決定はすべて夫婦でやることにした。いままではかなり任せてたんだけど。

 アルバイトに仕事を任せきるにあたって、いちばん怖いのは人の離反だ。俺に人を魅了するだけのカリスマみたいなものがありゃいいんだけど、残念ながら俺はそういうタイプじゃない。つーかほっとくと他人が近寄らないタイプ。なので「ある部分では、オーナーは厳然と店の管理を隅々までしている」ということを見せておいて、いざというときに「俺はこれだけのことをやっている」と断言できる状況を手放さない。しかしこのあいだタバコの発注飛ばした。ぜんぜんだめだ(付け加えておくと、たぶんコンビニにおいてオーナーが最後まで握ってる権限って、シフトの決定権じゃないかと思うんだけど、どうだろう。俺はこれ手放すつもりでいるけど)。

 しかし、いずれはそれすらも手放さなければならない。つまりだ。「オーナーがいちばん仕事できる」っていう状況では、自分が98歳とかになったときにどうしようもない。原理的にはそういうことだ。これはいつぞや言及した「永続する組織を作る」ということとも絡んでくる。

 まあ理念とかも必要なんだけど、俺はこのへんに関しては「自分の思想(おおげさにいえば、だ)を完全に理解してくれる人間」を一人ずつ作っていくしかないと思っている。5年10年の単位で人を育てることだ。もうなかば運任せみたいなもんだけど。ただ、そういう人材がいつかは現れると信じてやってくしかない。いい店作ってりゃいつかは現れる、と。ま、これも信仰みたいなもんだな。


 とまあ、ここまでが前置き。

 実は現場を離れることを目標にいろいろとやってきたんだけど、実はいちばん厄介な問題って、自分のほうのことじゃねえか、と思えてしかたないんだわ。

 つまり、信じきれないわけ。アルバイトとかを。

 もちろん、ある程度のレベルまではまちがいなく信用してる。たとえば発注を任せることができれば、俺が1週間くらい店あけて、湯治場に出かけてボーイミーツガールしたとしても問題はない。たぶんないだろう。俺のボーイミーツガールに対する執着はひどい。

 じゃあそれが1年となったら? もし俺が1年間店をあけて、小笠原諸島とかに行って現地の中学生の女の子と知り合ってイルカと一緒に泳いで君の海へ行く的なことになったらどうするのか(何人に通じると思ってるんですかそれ)。

 たぶん商売ってなんでもそうなんだけど、現状維持に陥ったら終わる。常に成長を志向してないと、変化がなくなる。変化なくなったら飽きられる。商品を売る人間は「ものを買うことは、いつも小さな喜びである」という視点を失ったら絶対にだめだ。そしてその小さな喜びは、変化しつづけることでしか与えられない。商品が変化すりゃいいってもんじゃない。店が変わり続けなきゃいけない。

 アルバイトにそこまで期待すんのかよ、って話なんだけど、たぶん現実的にできない。たとえどれだけ有能な後継者を作っても、決定的に信じきれない部分ってあるんじゃないかと思うわけ。

 信じきれない理由って、人間不信とかそんなもんじゃなくて、逆に自分に対する矜持みたいなもんだと思う。俺こそがすげえ、俺こそが必死にやってきた、だから俺が考える方向性では、だれも俺以上のことはできない。個人商店なんぞ、長いあいだ続けようと思ったら、少なくとも経営者にはそれだけの覚悟は必要だとは思うんだ。だけど、任せようと思った段階になって、その矜持が逆に邪魔になる。

 そこをどうするかって言ったら、まことにつまんない結論しか待ってないわけで、「やってみ」って背中押して、もう腹くくって任せるしかないんだわ。

 俺はまだとうていその段階に到達してないんだけど、そこはもう、そうするしかないんだと思う。心底そうするしかない。中途半端に「自分は我慢して任せることにした」とかになったら、たぶんすごい欲求不満溜まる。「自分だったらもっとうまくやる」って思っていらいらする。

 まだ実際にやってないんだから、ここから先はもう、妄想半分の考えでしかないんだけど、任せてみて、その結果に対して文句を言わず、いいところは認めてさらに伸びていく組織を作ろうと思ったら、たぶん必要なものはひとつだけだと思う。

 自分が完璧ではないことを認めること。すべての人間は、常になんらかの点において自分より優れており、それを見つけたときには感動することだと思う。

 なんかすごいうさんくさいんだけど、俺はそうやっていくしかないだろうなーって思う。特に俺は、自分の店ってものを「作品」とみなす傾向がすごく強い。芸術品のような店を作りたいと思う。そういう考えで動いてる人間って、往々にして芸術品なんぞ観賞する人間がいてなんぼだってことを忘れる。


 まあ、店なんて数字で動いてて、結果は数字で出て、最終的には店の利益っていう数字で俺が生活できたりするんだけどさ、数字の原動力になるものは数字じゃない。客っていう人間がいて、店員っていう人間がいて、人間と人間のあいだに、店っていうものやそこに陳列されている商品ってものがある。めちゃくちゃ広い意味ではまんなかに経済活動を置いた人間関係といえないこともないわけで、もし俺が現場を離れるならば、最終的にはその「人間関係」の観察者にならなければならないんだろう。

 もちろんいまだってそうしてるつもりだけど、それは俺が作った組織――というのは、俺自身と、俺の考えによって動いているアルバイトを含めて、トータルでは「俺」そのものだ――と、客が対峙しているに過ぎない。

 そうじゃなくて、そこから一歩、外に出ないといけない。たぶん、そうするしかない。


 以上、自戒の念をこめて。

 この場合の「自戒」は、それをしなければなにも始まらないスタート地点というくらいの意味だ。自戒したところで初めてスタートの号砲が鳴る。これは、そういう性質のものだと俺は思ってる。