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		<title>Wikipedia - 利用者の投稿記録 [ja]</title>
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		<updated>2010-06-15T04:24:55Z</updated>
		<subtitle>出典: フリー百科事典『ウィキペディア（Wikipedia）』</subtitle>
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		<id>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88:%E5%A4%A7%E5%92%8C%E5%9E%8B%E6%88%A6%E8%89%A6</id>
		<title>ノート:大和型戦艦</title>
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				<updated>2008-11-09T13:22:17Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;小川義行: West 氏による単位に関する編集が、Wikipedia表記ガイドの単位の項目に違反している&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;大和の艦名の説明と大和（初代）は[[大和 (戦艦)]]の方が良くないですか？[[利用者:Lzz|Lzz]] 2005年11月3日 (木) 03:55 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== かなり疑問。 ==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;gt;&amp;gt;戦艦大和の歴代艦長ですら、その口径を正確には知らされなかったようである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これの出典は?艦長クラスが自艦の主砲口径を知らないというのは戦術上ありえない話だと思うのだが。 --2006年8月2日 (水) 15:43(UTC) [[利用者:GFcommander|GFcommander]]&lt;br /&gt;
*「戦術上ありえない話だと思うのだが」に激しく同意。艦長が知らなければ、砲撃の時砲撃時の距離を決められないですからこれはないでしょう。--[[利用者:A6M4|A6M4]] 2006年8月4日 (金) 21:37 (UTC)&lt;br /&gt;
**ところで、海軍の水兵がかぶる帽子に書いてある文字も、元は乗艦している艦が書いてあったが、防諜のため「大日本帝國海軍」と変更になったとのことですが、これも大和型が影響しているとの話を聞いたことがあるのですが。どなたか実際のところどうなのか知りませんでしょうか？--[[利用者:A6M4|A6M4]] 2006年8月4日 (金) 21:37 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ついでに、「最高'''傑作'''」という評価のソースか根拠も聞いてみたい気が。単にデカければＯＫなら、[[東京]]は最高傑作の[[都市]]、[[ブルジュ・ドバイ]]は最高傑作の[[高層ビル]]、[[東大寺]]金堂は最高傑作の[[木造建築]]・・・。文脈から判断するに、'''最終到達点'''のほうがあってるかも。--[[利用者:史跡めぐり|史跡めぐり]] 2007年7月26日 (木) 17:17 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
アメリカ戦略爆撃調査団が終戦直後に行った日本軍各指揮官に対する証言記録を纏めた（転載した）方から「栗田長官は知りませんでした」と供述していると言う話を聞きました。同じような供述は他の方にも見られるようですね。もっとも、まだ同人レベルなので記事に載せるのは早いと思いますが。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
それと、速力など一部の項目で「悪影響はほとんどなかった。以下で検証する。」等と断定調かつ「検証」と書かれていますが、wikipediaでの表現としてはどうかな？と思います。参考文献の学研本などは検証を目的にしてますし、良く言われることですから趣旨は分かりますが、独自研究に近いように見えますね。反例などを並べるに留めた方が良いのでは？少なくとも「検証する」の類は削った方が良いかと。2007年8月22日 (水) 22:30 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 「造船技術」の大幅な記載変更について ==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
以前の記述と比較していただくといいのですが、「大和型」に関わった現場技術者などは、その技術を民間で発揮しています。『造船官の記録』などでも語られているところです。「普通の…」という表現は、何が普通なのか一向に分かりません。建艦技術として「大和型」であろうが戦時標準船だろうが通底するものですから、これは「大和」、これは違うというのも非常にナンセンスな気がします。「大和型」建造がきっかけで変化したというものについては若干触れたつもりです。とりあえず根拠資料・参考文献とともに大幅な記載変更をしました。大量生産という点では「大和型」はまるきり縁のないものですし、「大和型」技術陣・現場担当者がのちに取り組むこととなる戦標船や二等輸送艦、蛟龍などの設計・建造のほうが関係が深いものとなります。いろんなかたがたのご意見を伺ってみたいです。--[[利用者:Yoshiro SAITO|Yoshiro SAITO]] 2006年8月8日 (火) 16:01 (UTC)&lt;br /&gt;
**基本的に大和建艦の為に導入もしくは開発された技術が他艦に比べて多かったために大和の建造は後世に影響を与えたといわれることが多いみたいですね。実際の所大和建造のために導入、開発された技術は多いわけですしあれだけの巨艦を建造したということ自体がモニュメント的存在であり当時の日本建艦技術の集大成であったことは確かで、それが例え当時の最新鋭の技術を使ったものだけではなかったにしろ自国で大型艦を作り始めるようになってからたかだか2~30年程度で世界に冠たる戦艦を作り上げたということだけで日本造船界の一つの歴史的区切りであったことは確かでしょう。ブロック工法が大和型の建造期間をいくばくか縮めたことは確かですし、溶接工法にしても大和建造当時は発展途中だった溶接技術を戦時標準船、松級などで実用化できたのも大和級に導入するために研究開発していたものが実を結んだと言えなくもありません。どちらにしろ、一般向けには大和によって変わったといったほうがわかりやすく、受けもいいですし、当たらずといえども遠からずといった面が無きにしも非ずですからそれはそれでいい気もします。ただ、[[Yoshiro SAITO|Yoshiro SAITO]]さんの指摘は御尤もだとは思うので、記載変更はそのままでいいのではないでしょうか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
**後、[[A6M4|A6M4]]さん、レイアウト変更ありがとうございます。おかげで大分見やすくなりましたね。--GF 2006年8月10日 (木) 13:16 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 大和級の対空兵装について ==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
現在出ている資料で確定証拠のあるものってあるんでしょうか?&lt;br /&gt;
特に最終時の兵装資料に関しては乏しい気がします。&lt;br /&gt;
武蔵は高角砲増設が間に合わず25mm3連装が代わりに付けられたというのが定説にはなっていますが、それすら間に合わなかったという資料もありましたし、&lt;br /&gt;
信濃に関しては噴進砲搭載の有無が議論になってますし、&lt;br /&gt;
大和も単装機銃をどれだけ増設していったのかという点で未だに確定情報というのを目にした記憶がないのですが。&lt;br /&gt;
どなたかご存じないでしょうか。&lt;br /&gt;
一応↓の文を書いてみたのですが、私の無知であると困るので本文には記載せずここに載せておきます。&lt;br /&gt;
問題ありましたら指摘していただけると幸いです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
** 大和型は空母に改装された信濃も含め竣工した3隻とも最終時の兵装が確定していない。主砲、副砲などそう簡単に移動できないものはともかく、対空装備に関しては泊地で追加搭載されたものがあったり、また元々機密保持に厳しい艦であったこともあり細かい兵装部分については生存者の証言をもってしても全容が把握し切れていない。従って現存する大和級兵装の各資料の元になっている各艦最終時の兵装に関する記述は最も信頼性の高い生存者(技術者も含む)証言に頼っている部分が多く、確たる証拠をもつ信頼性のある資料は皆無に近いものとなっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
--GF 2006年8月10日 (木) 19:30 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 61.194.57.37氏の記述について。 ==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
｢~の訂正｣という記事は事典としてはおかしいのでとりあえずコメントアウトしました。修正を加えるのであれば文章全体に修正を加えるべきであって、読者を混乱させる文章は事典としてはふさわしくないと思います。色々知っていらっしゃるみたいですから書かれるのは構いませんが他人が書いた文章を批判するように記事を書かれるのはあまりよくないと思いますよ。&lt;br /&gt;
もし、書いた記事に自信がないのであればノートで相談すべきだと思います。後、IP署名での書き込みはやめた方がよろしいかと存じます。&lt;br /&gt;
内容は普通に書かれていいと思うので書き方を変えられればよろしいのではないでしょうか?&lt;br /&gt;
--GF 2006年8月12日 (土) 12:38 (UTC)&lt;br /&gt;
== 一部転記の提案 ==&lt;br /&gt;
本項目「略歴」内のサマール沖海戦のレーダー（電探）に関する記述ですが。これは大和型と言うよりも、当時の日本艦艇に搭載した電探を書いていますから。本項目よりも[[レイテ沖海戦#10月25日 サマール沖海戦]]内に記述したほうが良いように思うのですがどうでしょうか。--[[利用者:A6M4|A6M4]] 2006年9月24日 (日) 13:51 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*略歴自体を各艦の項目に移行させてしまったほうがいいのかもしれませんね。まぁここまで大きくなるとサイズ縮小効果はあまり期待できませんが。--[[利用者:GFcommander|GF]] 2006年9月25日 (月) 11:49 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
略歴その他に関しては議論の余地があるかもしれませんが、今回の提案に反対ともとれる意見がなかったので転記しました。--[[利用者:A6M4|A6M4]] 2006年10月3日 (火) 12:47 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 副砲防御について ==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　副砲弾火薬庫誘爆について、本文ではそれなりの角度から当たらないと弾火薬庫に砲弾が侵入せず、誘爆しないといった印象を受ける表記がありましたが、実際のところそれは本当なのでしょうか？　実戦では当然副砲塔内に砲弾や装薬が装備されているだろうし、敵弾命中の際、砲塔内部のそれが誘爆して、その爆発で弾火薬庫誘爆、あるいは引火、爆発という事態もあると思うのですが。ひょっとしたら、実際は何かしらの対応がなされているなど、私の無知なだけかも知れませんが、もしそうならその対応も明記しておくべきだと思われます。どうでしょうか？ --2006年9月27日 (水) 15:09 59.147.177.50 氏による記述 (--[[利用者:GFcommander|GF]] 2006年9月27日 (水) 12:52 (UTC)による追記)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:装填装薬誘爆による弾薬庫誘爆も考えられなくもないですが、実際の所砲塔内弾薬爆発による弾薬庫誘爆って殆ど例がないですよね?例えば1942年に起きた日向の砲塔内爆発がいい例ですが、戦艦の主砲弾を発射するような弾薬の爆発で50名以上の死者を出していても即座に弾薬庫で誘爆を起こしたわけではなく弾薬庫注水で事なきを得てますし。基本的に揚弾筒の弾薬が誘爆したりして、弾薬庫内に爆風が侵入しても副砲弾の装薬なら爆発力もたかが知れてますし、弾薬庫内の装薬自体は装薬缶に入れられていますから直接熱量を受けるわけではないでしょう。だから即時連鎖誘爆というのは考えにくいのではないでしょうか?弾薬庫誘爆は事例では殆ど弾薬庫自体が火元になっている場合が多いです(巡戦フッドしかり、筑波しかり、陸奥しかり)。サボ島沖海戦で旗艦青葉が第3砲塔に直撃弾を食らって砲塔内の零式弾が誘爆したこともありましたがこの際も速やかな弾薬庫注水によって事なきを得てますしね。適切な弾薬庫注水さえあれば、弾薬庫に直撃されない限りは大丈夫だと思いますが。設計のほうでも砲塔直撃、誘爆は確実に考慮していると思いますし。とはいえ、絶対とは言い切れないのも確かですが。--[[利用者:GFcommander|GF]] 2006年9月27日 (水) 12:45 (UTC)&lt;br /&gt;
::だとすると、なぜあれだけ「副砲弱点説」が喧伝されるようになったのでしょうか。[[利用者:West|West]] 2006年9月27日 (水) 13:29 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:::最初の経緯は私も知りません。というより、いつ喧伝され始めたのかも知りません。もしかしたら1回目の三笠の爆沈事故(副砲弾薬庫爆発による沈没)も影響しているかもしれません。ただ、大和はあれだけの重防御を誇る中でヴァイタルパートで唯一の弱点とすれば副砲の砲塔自体の装甲というのは確かでしょう。私が昔から疑問なのは、何故あれだけの重防御を誇る戦艦を作っておきながらあのように艦中央部の重要位置(第一副砲塔など司令塔の目の前)に弱点とも思えるようなものを作ったか、ということです。色々と文献を見てみますと、確かに副砲を弱点とする説は多いですが、それは弾薬庫に直撃を受けたというのを想定している場合と、副砲に直撃を受けて誘爆で弾薬庫も誘爆して、且つ主砲弾薬庫にも火が回って・・・というものが多いです。但し、気になるのはこういう説が基本的に即時連鎖爆発を起こしている点です。確かに日本に関わらず弾薬庫の誘爆事件は多いのですが、誘爆で爆沈したというのは大体が主砲弾薬庫、それも戦艦の場合が多いのです。戦艦の主砲の場合は一つの装薬缶あたりの火薬量が大きいですから、一つ爆発しただけで連鎖爆発する可能性は高いですが、巡洋艦程度の主砲弾であった場合、装薬缶が一つ爆発した程度では装薬缶がしっかりと封をされている限り連鎖爆発はそうそう起きないようです。これは大正時代に起きた巡洋艦磐手の弾薬庫放火事件がそれを物語っています。(参照:著 吉村昭｢陸奥爆沈｣) 装薬自体は太平洋戦争時代でも大正時代でも同じ下瀬火薬を使っていたことは間違いありませんから大和の副砲程度の装薬缶が1つや2つ爆発した所で副砲弾薬庫の連鎖爆発が即時起こるとは考えにくいのではないでしょうか?勿論、敵戦艦の主砲弾が弾薬庫を直撃して～というのも考えられないことはないですが、例えばアメリカ戦艦の16インチ主砲Mk.8の徹甲弾の炸薬量は僅か18kg程度です。大和の副砲15.5cm徹甲弾に至っては僅か1.5kg程度です。大和の主砲徹甲弾でさえ炸薬量が35kgもないことを考えると、副砲塔を直撃した程度では弾薬庫にまでは火が回らんかと。ただ、大和爆沈時の大爆発は第4副砲塔弾薬庫付近に発生した火災に対する弾薬庫注水がされないままで転覆したためその火が引火して第3主砲弾薬庫が誘爆したのではないか、とも言われていますね。大和転覆時の大爆発は主砲弾が転覆により転がり落ちて信管が起動したとも言われていますから真偽は定かではないですがね。どちらにしろ、わざわざ副砲塔を直撃された程度でそこまで致命的な弱点となるような兵装を設計時に気づかず付けたとは考えにくいので、それなりの対策と成算があったとみてしかるべきなのではないでしょうか?--[[利用者:GFcommander|GF]] 2006年9月27日 (水) 14:43 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::::・・・と、ついでに色々調べていたら、他のサイトで検証、議論やっていた所がありましたので⇒ttp://www.warbirds.jp/ansq/2/B2000377.html　--[[利用者:GFcommander|GF]] 2006年9月27日 (水) 15:12 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:（コメント）副砲については議論があって、弱点論の論拠で有力なのが海底調査で大和の1番副砲の辺りで船体が真っ二つになっていた事。一方異を唱える説もあります。副砲の装甲が薄いのは被弾したとき爆発エネルギーを上に逃がして下にいかないようにする措置だったというのがその内容で、空母も翔鶴型は格納庫の横の外壁の一部をわざともろくしておいて急降下爆撃の被弾の際爆圧が上に行って甲板をめくり上げないようにしているのだそうです。副砲は発射速度や旋回速度が良好なのがメリットで、設計段階で想定されていた対戦艦戦における敵艦の主砲弾を受け止めるだけの装甲を副砲にも施すと副砲のメリットが死んでしまう事情もあったようです。以下は余談ですが副砲にも対空用三式弾が存在していた事と、サマール沖海戦では敵護衛空母の装甲が薄すぎて主砲が当たっても船体を突っ切ってしまい、うまく信管が敵艦内で作動せず、主砲はあまり役に立たなかったようです。大和の戦果は副砲の活躍によるものらしく、大和の生涯でも結構役に立った装備だったようです。--[[利用者:べっ甘七みつ･たけタカひろ|べっ甘七みつ･たけタカひろ]] 2007年3月19日 (月) 15:22 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
大和が副砲付近で船体が真っ二つになっていたのは事実ですが、では一般に言われる「副砲が原因」だったのか、そしてそれは「副砲の装甲が主砲並みなら防げたのか」については、検証が必要ではないかと思います。武蔵のケースで言うなら、大和型の水平装甲は敵艦爆の爆弾ではまったく貫通されなかったものの、爆風や熱が伝声管などを通して伝播し、機関室に被害を与えたりもしています。もし「爆撃や雷撃による命中弾によって発生した火災で、鉄が熱を伝え、弾薬庫の火薬が発火した」のだとすれば、これは大和型の弱点というよりは、軍艦全般の持つ宿命なのではないかと思います。例えば米戦艦なら、あるいは空母ならそういう事態はあり得ないのか、と言えば、あり得ると思う次第です。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
あと、サマール沖海戦で大和主砲弾が敵護衛空母を突き抜けたという説は広く言われているのですが、戦闘記録を見る限りでは、空母に砲弾を命中させていないので、その可能性はないようです。徹甲弾が有効でなかったことは事実ですが。2007年４月22日（日）1:15--59.157.176.1&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*海底調査でも大和の2つの副砲には重大な損傷はありません。爆弾が命中したのは後部艦橋であり、後部副砲は損傷を受けていません。また大和の船体が切断されたのは2番主砲塔の火薬庫の爆発でしょう（2番主砲塔基部に大きな損傷が認められています）。私は大和の副砲の防御が・・・という話は都市伝説としか思えません。--[[利用者:メルビル|メルビル]] 2008年6月13日 (金) 10:45 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*また全ての艦船の砲塔は、果たして十分な装甲がされていたでしょうか？ビスマルクの副砲はどうだったでしょうか？フランスのリシュリュー型の副砲も装甲： 110mm（前盾）、70mm（天蓋）、バーベット部：100mmしかありません。日本に限らず世界中の艦船（戦艦・巡洋艦・軽巡洋艦）で、爆弾ないし砲弾によって砲塔を破壊され、それによって火薬庫の爆発を起こして沈没したという事例があるのでしょうか？&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 査読以来を出してみませんか? ==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そろそろ出すネタも出尽くしてきたようなので、査読以来を出していいでしょうか?&lt;br /&gt;
もっと詳しい方がいればもっと充実した記事になるでしょうし。&lt;br /&gt;
もっと見やすくなるかもしれません。&lt;br /&gt;
皆さんのご意見をお願いします。&lt;br /&gt;
--[[利用者:GFcommander|GF]] 2006年12月25日 (月) 13:31 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*まだまだ、記事に隙間があるのでその時期ではないと思います。それに、ここで投稿されてる人たち以上に記事の検証についてふさわしい人達もないと思いますが。--[[利用者:FUBUKI|FUBUKI]] 2008年1月24日 (木) 13:43 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 樫野の件 ==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
大和の機密保持が目的というより、樫野が砲塔運搬艦として建造されたことそのものが機密事項と言うべきですよ。&lt;br /&gt;
あくまでも樫野は呉で製造された18インチ砲&amp;amp;砲塔を運ぶための艦であって、大和型戦艦の機密保持と直接には関係ありません。&lt;br /&gt;
そのような特殊任務艦が存在すること＝新型戦艦に重大な機密がある、という間接的な影響はありますけどね。&amp;lt;small&amp;gt;この文は2007年3月11日(日)9:10（UTC）に[[特別:Contributions/221.190.133.100|221.190.133.100]]によって記載されました&amp;lt;/small&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*まずあなたのされた編集ですが、移動された「大和型にまつわる話」という節は冒頭に「ここでは大和型について言われる俗説について、その周辺の状況を解説し、誤解を防ぎ、より正確な情報を提供する目的で記す。」とあるようにあくまである事柄に対しての説明であり。46セント砲の説明中に樫野のことがあるのはその前の文と比べても明らかにつながりがないため差し戻させてもらいます。&amp;lt;br/&amp;gt;次に樫野に関してですが、大和建造が決定した第三次補充計画時に建造が決定しており。また、樫野は給兵艦にとって必要な砲弾の保護を持っておらず（完全に確認していませんからまだ記載していませんが）、大和型の主砲塔を運搬するためのみに建造され、またその運用についても明らかに機密保持といえる物であり文の位置は間違っておりません。--[[利用者:A6M4|A6M4]] 2007年3月12日 (月) 10:57 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 武蔵の主砲射撃方位盤故障について ==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
シブヤン海での武蔵の主砲射撃方位盤の故障は、直接的に対空射撃に影響した形跡はないでしょう。&lt;br /&gt;
むしろ、射撃方位盤の故障により発砲タイミングの指揮権が主砲射撃指揮所から各砲塔に移ったことが問題、とされています。&lt;br /&gt;
これは指揮所からの統一射撃の場合は、事前に警告ブザーを鳴らすことが出来た(ブザーのスイッチは主砲射撃指揮所にあったと言われているため)のに対して、&lt;br /&gt;
各砲塔の独立射撃の場合それが出来ない為、警告無しの発砲が行われてしまうからです。&lt;br /&gt;
この事と、生存者の証言から第二波空襲以降に警告無しの主砲発砲が行われたと言われているのではないでしょうか?&lt;br /&gt;
これを否定する文献は私は目にしていないのですが、宜しければ教えていただけますでしょうか?--[[利用者:GFcommander|GF]] 2007年3月18日 (日) 14:18 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
私が加筆した部分についてですが「警告なしの主砲発砲は一切行われなかった」という否定文脈ではないことにご注意頂ければと（主砲による～とされているが、実際には副砲による被害も大きかったのではないか、という趣旨です。実際に戦訓報告では「主砲副砲の」と書かれていますし）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また通説では「武蔵の主砲方位盤が故障したために、敵機が対空機銃の射程内に入っても警告なしの主砲射撃が行われた」とされています。しかしながら、九四式方位盤には対空方位盤としての機能がなく、主砲による対空戦闘は砲側の照準で砲塔ごとに実施するとされています。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
確かに主砲射撃指揮所は15.5メートル測距儀により、対空見張りを行ってはいますが、元々機材の能力として各砲単位で射撃を行っているわけですから「射撃方位盤の故障により発砲タイミングの指揮権が主砲射撃指揮所から各砲塔に移った」というのは、いささか解せないものがあります。主砲射撃指揮所で測距した結果を、砲塔に伝えられるなら、砲塔から射撃指揮所に「これより発砲する」旨を伝えることはできた、と考えるべきではないかと。爆撃による被害で方位盤が外れたとしても、それが原因で艦内の通信手段が断ち切られたとは考えられないのですが。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、レイテ沖海戦における大和の戦闘詳報には「本艦主砲も分散前の敵機に対して有効に使用できた」とあり、実際に最大100秒の長秒時時限信管が配備された結果、主砲による対空戦闘は35キロから実施できたとされています。それまでは20キロ程度の、高角砲射程外の敵機に対する射撃を想定していたのに対し「密集している敵機編隊に遠距離射撃を行う」ために、長秒時時限信管が導入されたわけですから、精々３キロ程度しかない機銃の射撃範囲に敵機が入ったさいにも、主砲発砲を行っていたというような通説は、消費砲弾数からしても、一面的ではないかと考える次第です。59.157.176.1　2007年3月19日 (月) 8:48&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
追記　主砲による対空射撃の目安です。敵機編隊の速度を400キロとした場合、（大和が動かなければ）１分間に6.66キロ大和型戦艦に近づくことができます（大和が全力で逃げれば、27ノット＝時速50キロ引かれますから、相対速度は350キロとなり、１分間で5.83キロになりますが）。で、大和型戦艦が戦闘詳報にある通り、35キロから射撃するとした場合、最大仰角での主砲発射速度は最速で38秒前後。余裕を見て１分間隔での射撃を行ったとしても、敵編隊と大和との距離は、第１撃：35キロ、第２撃：28.34キロ、第３撃：21.68キロです。21.68キロを基準としても、この距離では高角砲ですら届きませんから（副砲なら第３撃目の時点では届きます）、より射程の短い特設機銃に人員を配置する必要はありません。21.68キロから、機銃の射程内に敵機が届くまで３分弱。実際に実物大の大和映画セットを訪れたことがありますが、待避所から持ち場に駆けつけるのに、訓練されていれば３分もかからないように感じます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
もちろん、実戦では様々な要素変動を加味する必要がありますが、少なくとも２撃目までは機銃員に通告さえしていれば、余裕を持って待避させることができるように思います。そして、仮に第二次空襲で通告なし砲撃が行われたとしても、その時点での射撃数は９発のみ。そこで機銃に被害が出たなら、対策を行う余地はあるのではないかと。従って、報告された被害には「警告の余地がない発砲頻度の」副砲による爆風被害がかなりあるのではないかと、考える次第です。59.157.176.1　2007年3月19日 (月) 12:12&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ご返答ありがとうございます。さて、対空配置までに余裕があったとのことですが、当時、第一波から第二波までの間は約一時間半あったといわれています。&lt;br /&gt;
生存者の証言ではその間に戦闘食が配られたそうですが、各銃砲身の冷却や、負傷者の搬送、兵器の点検などで忙しく殆ど口に出来なかったとのことですので、恐らく殆どの人員が対空配置についたまま第二波を迎えたと考えられます。従って、その際に発砲があると確かに負傷者が多数出たとの意見も納得が出来ます。&lt;br /&gt;
ただ、ここでひとつ疑問であるのが、方位盤故障によりどこまで砲術長の権限が各砲塔長に渡されたかということです。独立射撃に切り替えた時点で恐らく発砲タイミングの権限も各砲塔に渡されたのではないか、というのが無警告発砲説の論拠だと思います。&lt;br /&gt;
主砲指揮所では照準、発砲指示が出来ない以上発砲タイミングを各砲塔で図っていたとすれば(照準と発砲タイミングが狂っているのでは意味がない)、然るにいちいち警告をしてもらうために主砲指揮所に伺いを立てていたのでは機を逸します。これは警告を出している間に数十秒は必要だからです。主砲射撃方位盤の故障により砲術長が統一射撃を諦め、各砲塔の独立射撃に切り替えたのは第二波からです。第一波でも主砲は射撃していますが、この際は主砲射撃指揮所からの統一射撃であったため、特に被害の記述はされていないことからこの時は事前警告があったと考えられます。しかし、第二波以降、独立射撃になってからは警告が行われたとは思えないのです。何故なら、各砲塔長の普段の任務は主砲射撃指揮所からの指令によって弾をこめて照準を合わせるだけだからです。警告、発砲に関しては主砲射撃指揮所が行っていますから、いざ、発砲タイミングの権限を渡された際、そして照準して発砲をする際に警告まで思い及ぶかどうか、かなり疑問の部分があります。この辺りから無警告発砲説は成り立っているのではないでしょうか?&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
後、どの文献で読んだかは失念しましたが、警告はあったが機銃、高角砲の発砲音でブザーが聞こえなかった、との記述を読んだ記憶がありますが、これは貴方の言うとおり、敵編隊が至近にいる状態での発砲は通常は考えられません。従って、無警告発砲があったとすれば第二波来襲時、もしくは第3波以降の断続的な空襲があった最中の出来事ではないでしょうか?--[[利用者:GFcommander|GF]] 2007年3月19日 (月) 14:38 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この件については、Wikipediaに記載できるほど確実な根拠が見いだせておりません（方位盤についても対空射撃を行えたという説や、即座に後部方位盤に切り替えて問題がなかったという説もあります）。当初から申し上げているように、私は無警告発砲がなかったというスタンスではありません。ただ半藤一利氏の「レイテ沖海戦」で描かれているような「百二十一挺の機銃は（主砲の爆風で）照準装置をへし折られた」とか「主砲の爆風は辺りの機銃台と味方の兵員を木の葉のように吹き飛ばして殺戮した」というような事実が存在したなら、レイテ戦後の戦闘詳報で「改善を要する部分」として特記されるはずであり（特設機銃が存在するのは大和も同じであり、半藤氏の記述が事実なら照準装置破損や機銃台破損などは武蔵と同じく起こったはず）、その指摘がないということは、事故が限定的なものだったのではないかと考える次第です。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ただ、主砲射撃は発令所での射撃緒元算出が必要なはずなので、砲が別々に射撃を行ったとしても、発射タイミングを把握している部署はあり、発令所から主砲射撃指揮所への通報は容易なので（射撃音がうるさすぎて、目視以外の通信手段は困難という記述もありますが……）、警告する努力は行っていたのではないか、とは考えます。どちらにせよ、無警告の主砲射撃による事故は例外的な事象であり、恒常的に発生するものではないように思います（大和でも報告されてはいるので、起こりえないというほどではないでしょうが）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお、無警告射撃があった場合のタイミングについては異存ありません。59.157.176.1　2007年3月21日 (水) 23:18&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 航空兵装について ==&lt;br /&gt;
水上急降下爆撃機である、十二試二座水偵と瑞雲が持つ意味合いを丸々削除されたようですが、これは大和型戦艦すらも「艦隊攻撃航空兵力」の一翼を担わせる予定だったという意味の記述であり、削除すると「弾着観測と偵察のため」だけに航空機を搭載したとした読めない内容となります。実際に瑞雲20機搭載計画は伊勢型航空戦艦と同様の位置づけとして進められた計画であり、史実の一環として記述したものです。復活を希望します--59.157.176.1 2007年3月20日 (火) 04:52 (UTC) [本文より転記]&lt;br /&gt;
:履歴を見ればおわかりになるはずですが、削除ではなく転記です。一応必要最小限と思われる部分は復帰させましたが、大和型戦艦のためだけに開発されたわけではないのですから詳細は各機材の記事に記述されるべきだと思います。&lt;br /&gt;
:なお、[[十二試二座水上偵察機]]（中島だけでなく愛知も試作しています）の記事はまだありませんので、必要とお考えでしたら一からお作りになるか、大和型戦艦の過去版あるいは[[瑞雲 (航空機)]]から分割なり一部転記なりしてください（'''履歴不継承にならないように御注意を'''）。[[利用者:West|West]] 2007年3月20日 (火) 18:01 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
記述の復帰をご了承頂き、どうもありがとうございます。お手数をおかけ致しました。大和型戦艦の航空兵装について記載する場合「どのような設計思想だったのか」について、基本的な部分は触れる必要はあるように思い、あのように書きました（例えばここでも46センチ砲について、設計思想が細かく記載されているわけですが、これと同じことでしょう）。機材の詳細については、各機材の項目に記載するのは筋だと思います。ただ、新しく項目を立ち上げるのは難しいですね。ページのフォーマットについて勉強してからに致します。--59.157.176.1 2007年3月21日 (水) 23:32&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 山本長官が詳細な説明を断られた件について ==&lt;br /&gt;
説明してもらえなかったのは何に関する詳細だったのでしょう。もし「正式な手続きを踏めば」性能に関してはすべて知ることが出来るが、書類には書かれていない現場の兵士の生の声を聞きたかったというような話であれば、今の書き方だと誤解を招きかねない気がします。[[利用者:West|West]] 2007年3月20日 (火) 18:01 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 空母との速力差について ==&lt;br /&gt;
軽空母、改装空母の記述を訂正されたようですが、さして行数が増えているわけでもないのに、瑞鳳型、龍鳳、神鷹、海鷹などの記述をわざわざ削る必要はないと思うのですが。根強く言われる「大和は空母護衛に使えない」への反証として「ほとんどの保有空母は大和型と大差なし」を記述しているのですから、元のままでいいように思います。もし「記述を短くすることが絶対に必要」とお考えなら、全日本空母のうち、大和型よりも速い空母と、ほぼ同速の空母、明らかに劣速の空母の隻数を記述するだけで充分であり、行数はより短くなりますが。--59.157.176.1 2007年3月21日 (水) 23:54&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== レイテ沖海戦での副砲による対空射撃の件 ==&lt;br /&gt;
（以下、記事本文より転記の上で加筆者および加筆日時を付記）&lt;br /&gt;
:＞同海戦で行われた大和型戦艦副砲の対空射撃は、計586発にも及んでおり、&lt;br /&gt;
:すぐ上の数字と違いますがどちらが正しいんでしょう？-- West 2007年3月6日 (火) 17:30 (UTC)&lt;br /&gt;
::レイテ沖海戦の全期間内で大和が発砲した副砲対空弾は諸説あるが合計383発。そして武蔵が発砲した副砲対空弾が203発なので、合計586発である。問題とされている数値は10月24日の「武蔵の副砲」と「大和の高角砲」の発砲頻度を比較したものであり、大和の“副砲”が784発発砲したわけではない。ちなみに余談だがレイテ沖海戦での高角砲発砲数は、大和が合計3,801発、武蔵が1,217発であり、合計5,018発発砲している。つまり、副砲が１門辺り48.8発（586発/12門)、高角砲が1門辺り139.3発（5,018発/36門）となる。ただし、大和の高角砲発砲弾数には、10月25日に行われたサマール沖海戦での対水上戦闘での発砲数が相当数含まれていることは確実であり（具体的に何発が水上戦闘で発砲したのはか不明。なお副砲は上記の586発とは別に、25日に対艦用砲弾を127発発砲している。これを合計して高角砲と比較するなら59.4発（713発/12門）となる）、純粋な対空砲弾発砲数の比較としては、24日が適当だと執筆者は考えるものである。無論、上記の解説は副砲が対空戦闘に重宝されたという記述が否定されるものではない。というか、サマール沖海戦後の戦闘詳報で有効だったと明記されている。-- 59.157.176.1 2007年6月18日 (月) 14:31 (UTC)&lt;br /&gt;
（転記終了）&lt;br /&gt;
コメントありがとうございます。これはこれで貴重な情報ですが、本文中のあの位置にこのままの形で置いておくにはちょっと長すぎるように思えたので転記しました。それと、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
＞開戦後には対空用砲弾として～&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
の文章は順序がおかしいような気がするのですが、「開」は「海」の誤字ではないですよね？[[利用者:West|West]] 2007年6月18日 (月) 17:30 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
＞Westさま。私は海戦後と表記したのですが、どなたかが開戦後に書き直されたようです。もちろん「レイテ沖海戦後」の意味なので、そのように直しておきました。59.157.176.1 2007年6月19日 (火) 18:29 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 砲弾の分割について ==&lt;br /&gt;
いずれも大和型戦艦専用に開発された砲弾ではないということなので、また三式弾については既に別記事になっていることもあり分割してはどうかと思います。&amp;lt;small&amp;gt;だいたい135kbというのは大きすぎないでしょうか。&amp;lt;/small&amp;gt;[[利用者:West|West]] 2007年6月29日 (金) 08:43 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そういうことであるなら、元々九一式徹甲弾という項目があること自体、おかしいということになると思うのですが。一般向け書籍では「大和の主砲弾＝九一式徹甲弾」ということになっているわけですが、実際には零式・三式通常弾と一式徹甲弾の組み合わせだと思われるわけで、その辺りの誤解も含めて解説したのですが。説明を簡略化して「零式・三式通常弾及び、九一式・一式徹甲弾を搭載していた」と書いてもいいのでしょうが、どのような砲弾なのか、普通の人にはさっぱりわからないと思います。リンクを張るにしても、三式通常弾だけということになりますし。あと、容量ですが、大きいと何か支障があるものなのでしょうか。零戦など、容量の大きなスレッドもあるようですが。その辺りはまったくわからないので、よろしければご教授ください。-- 59.157.176.1 2007年7月2日 (月)17:14 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
容量軽減のために、重複する記述や冗長な記述について簡略化し、文章を短くしました。-- 59.157.176.1 2007年7月2日 (月)20:11 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:逆に言えば九一式徹甲弾や三式弾を搭載していたのは大和型戦艦だけではないわけです。実際「零式・三式通常弾」の説明では大和型戦艦の記事なのに金剛型戦艦や利根型重巡での使用例が書かれていますから。&lt;br /&gt;
:＞説明を簡略化して「零式・三式通常弾及び、九一式・一式徹甲弾を搭載していた」&lt;br /&gt;
:正にそうしようと言っているのです。「どのような砲弾なのか」については別記事を読めばわかるようになります。&lt;br /&gt;
:記事容量が大きいことの問題としては、&lt;br /&gt;
:* 読む人が一番知りたいと思っていることが書かれている部分を見つけにくくなる&lt;br /&gt;
:* ウィキペディアは過去の版をすべて保存しているので（編集差分だけではなく、その版全体）大きな記事に対して細かい編集が繰り返されればそれだけサーバーの記録容量を圧迫する&lt;br /&gt;
:といったところでしょう。もちろん価値のある記述を削除する必要はありませんが、分割できるものであれば分割を考慮するべきです。[[利用者:West|West]] 2007年7月4日 (水) 14:34 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*（賛成）分割は妥当であると思います。こちらの記事の簡略化はそのように適切に行われれば問題ないでしょう。今後の記述は分割先の記事を主に行っていただければ、より一層ウィキペディアは充実すると思います。--[[利用者:ПРУСАКИН|ПРУСАКИН]] 2007年7月4日 (水) 16:02 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* 私も構いませんので、分割して頂ければと。-- 59.157.176.1 2007年7月5日 (木)12:48 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:一応分割しました。レーダー関連も分割できそうな気がしますが、もっと詳しい人にお任せします。&lt;br /&gt;
:あと、気がついたことを二点。&lt;br /&gt;
:*「煙路防御」の節の後半ですが、二つの文を無理矢理つないだようで微妙に意味がわかりません。&lt;br /&gt;
:*クイーンメリーは水中弾による浸水ではなく、水平装甲を貫通した砲弾による誘爆で沈んだようです。九一式徹甲弾開発のきっかけになったのは別の艦ではないでしょうか。[[利用者:West|West]] 2007年7月7日 (土) 09:58 (UTC)&lt;br /&gt;
:*クィーンメリーと水中弾については「日本の戦艦パーフェクトガイド」の184ページに巡洋戦艦クィーンメリーが主要区画内に受けた水中弾と明記されているため、いわゆる水平装甲や砲塔を貫通した誘爆沈没以前の被害の話だと考えられます。もっとも私はその記事の著者ではありませんので、その解説の原典は何だ、と聞かれてもわかりませんが。-- 59.157.176.1 2007年7月7日 (土)20:55 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:*あと余談ですが、日本海軍の水中徹甲弾は九一式からではなく、八八式からです。九一式の利点とは、八八式の水中弾効果に加えて、射程が数千ｍも伸びたということにあるのですが、通説では九一式が「画期的な水中徹甲弾」として開発された、のように語られているようですね。-- 59.157.176.1 2007年7月7日 (土)21:06 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 煙突の防御について ==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* 煙突については、通常型の戦艦は煙突の筒自体にある程度の直接防御を施しているのですが、大和型はこれを殆ど行わず、煙突の筒の根本に水平に蜂の巣甲板を設置しているのです。そのため、攻撃で煙突の筒に穴が空いたさいに、その穴から浸水する問題があるということです（蜂の巣甲板はその名の通り、穴が空いているので弾は防げても、水は防げないわけです）。実際に、中甲板にまで浸水被害が及んだ武蔵の場合は、ここから機関部への浸水被害があったそうです。とはいえ、中甲板に浸水する自体、艦がどうしようもなく傾斜している状況であり、これを「重大な欠点」とするなら、それはそれで間違いなのですが。-- 59.157.176.1 2007年7月7日 (土)20:55 (UTC)&lt;br /&gt;
* 水平装甲板に穴が開いている部分は煙突だけではありません。吸気孔や高角砲の陽弾器、乗員のハッチなど沢山あります。また艦の中央部に位置する煙路から浸水するというのは、もう沈没間際のことでしょう。他の方も指摘されているように、これは欠点でも弱点でもないと思いますが・・・。削除すべきではないでしょうか？--[[利用者:メルビル|メルビル]] 2008年6月19日 (木) 03:07 (UTC)&lt;br /&gt;
* あと＞通常型の戦艦は煙突の筒自体にある程度の直接防御を施しているのですが・・・というのは初耳です。どのような艦で何センチの装甲板で煙突を覆ったのでしょうか？通常水平装甲板から数十センチ～1メートル程度までしか装甲板は立ち上げないはずです。しれも目的は煙路に砲弾が飛び込むのを防ぐためであり、防水のためではありません。またそれでは高角度からの爆弾や砲弾に対しては全く無防御になるために蜂の巣装甲が発案されたわけです。仮にそれが防水に役立ったとしても吸気孔から浸水しますので、意味は無いでしょう。--[[利用者:メルビル|メルビル]] 2008年6月19日 (木) 03:22 (UTC)&lt;br /&gt;
煙路防御ですが、大和型でも煙突の根本部分に50ミリCNC部分があります。これは、傾斜時に煙突から機関部に進水することを防ぐ目的のものです（50ミリなのは、他の部位同様弾片防御目的です）。従来型の戦艦では煙突内部に断片防御格子が儲けられたり（つまり爆弾に対して無防御ではありません）、直接装甲が施されています。例えばネヴァダ級では、煙突基部に343ミリの装甲があります。同級は世界最初に煙路防御を施した戦艦ですが、以後の戦艦の多くに設けられています。ソースは「大和型戦艦」70～71ページ、「大和型戦艦２」173ページ、「アメリカの戦艦」114ページなど（いずれも学研）です。ちなみに同様な記述は、他誌でも見た記憶があります。あと、煙突基部は最上甲板ではなく、中甲板にあることを考えれば、「浸水するのは沈没間際のみで、全く欠点ではない」とするのも、正しくはないものと思います。-- 59.157.176.1 2008年9月1日 (月)18:52 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 第三主砲塔の記述について ==&lt;br /&gt;
''なお3番主砲塔に設計ミスがあり、3門同時に発砲すると、衝撃により砲塔がずれて回転できなくなるという説もある。''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この部分なのですがどこからの資料からの記載なのでしょうか。かなり調べましたがそのようなことを書いた物は結局見つからず。もしかしたらこれは[[最上 (重巡洋艦)]]の軽巡時代の公試試験の際に起こった第三砲塔の旋回不能が間違って記載されているのではないでしょうか。--[[利用者:A6M4|A6M4]] 2008年5月3日 (土) 12:41 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
意見が出なかったのでコメントアウトとさせてもらいました。引き続き資料を捜していますので見つかった方は出自をよろしくお願いします。--[[利用者:A6M4|A6M4]] 2008年5月19日 (月) 13:08 (UTC)&lt;br /&gt;
:あの文だけをコメントアウトしたのでは後に続く文章がやや意味不明になるので、やるならまとめてコメントアウトするべきではないでしょうか。[[利用者:West|West]] 2008年5月19日 (月) 16:03 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
公試のときに9門一斉射撃は必ず行われます。衝撃により砲塔がずれて回転できなるようなら、ドック入りをして、砲塔から装甲や砲身を除去して、懸架部分の補強作業が必要です。そのような大作業がされた記録はありません。--[[利用者:メルビル|メルビル]] 2008年6月19日 (木) 03:01 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== West 氏による単位に関する編集が、Wikipedia表記ガイドの単位の項目に違反している ==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85:West West]氏による編集[http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%A4%A7%E5%92%8C%E5%9E%8B%E6%88%A6%E8%89%A6&amp;amp;diff=prev&amp;amp;oldid=13529050#46cm.E7.A0.B2 2007年7月7日 (土) 07:05の版]の内、単位に関する編集の'''多く'''が、[[WP:JPE#単位|Wikipedia表記ガイドの単位の項目]]に違反する改悪となっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、この編集により、[http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%A4%A7%E5%92%8C%E5%9E%8B%E6%88%A6%E8%89%A6&amp;amp;diff=next&amp;amp;oldid=11069500#46.E3.82.BB.E3.83.B3.E3.83.81.E7.A0.B2 2007年3月6日 (火) 17:30の版]の編集において[http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85:West West]氏自身が設けたリンクを、リンク切れにしてしまっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「[http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85:West West]氏による編集[http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%A4%A7%E5%92%8C%E5%9E%8B%E6%88%A6%E8%89%A6&amp;amp;diff=prev&amp;amp;oldid=13529050#46cm.E7.A0.B2 2007年7月7日 (土) 07:05の版]の内、単位に関する編集の'''すべて'''が、[[WP:JPE#単位|Wikipedia表記ガイドの単位の項目]]に違反する改悪となっている」とは考えない理由は下記の通り。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
記&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[WP:JPE#単位|Wikipedia表記ガイドの単位の項目]]には「単位は片仮名・漢字で原則書きます。」と述べられている。&lt;br /&gt;
しかし、数字と単位記号の組み合わせが、純粋に数量を表しているのなら、単位記号は片仮名・漢字で表さず、アルファベットなどの単位記号を使ったほうが理にかなっていると考える--たとえば、物理・工学における数式内などにおいて用いる単位記号の付いた数字の場合。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
以上&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、数字とアルファベットなどの単位記号の組み合わせを、名詞の修飾語として用いることはしてはいけない表記だと考える。たとえば、「メートル法」を、「m 法」と書いても、読者は理解に苦しむであろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85:West West]氏による編集[http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%A4%A7%E5%92%8C%E5%9E%8B%E6%88%A6%E8%89%A6&amp;amp;diff=prev&amp;amp;oldid=13529050#46cm.E7.A0.B2 2007年7月7日 (土) 07:05の版]の内、'''センチを cm に変える'''ような単位に関する編集をしなければならないとするならば、'''8インチ砲を 8in 砲に変える'''編集もしなければならないということになるが、「8インチ砲」の方がはるかに読みやすいと考える。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお、広辞苑によると、「センチ」は、第二義においては「センチメートル」を表し、「キロ」も第二義において「キログラム」、「キロメートル」、「キロリットル」を表すので、それぞれ前者を後者の代わりに用いても文脈から判断が付く限りにおいては差し支えないと考える。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
--[[利用者:小川義行|ほわーりィばーど]] 2008年11月9日 (日) 13:22 (UTC)&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>小川義行</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88:%E5%9C%8B%E5%AD%B8%E9%99%A2%E5%A4%A7%E5%AD%B8</id>
		<title>ノート:國學院大學</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88:%E5%9C%8B%E5%AD%B8%E9%99%A2%E5%A4%A7%E5%AD%B8"/>
				<updated>2008-05-25T02:29:23Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;小川義行: 文章の脈絡を破綻している編集がある&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{Template:ProjectUnivInfo1}}&lt;br /&gt;
http://www.nikkei.co.jp/news/zinzi/20050823AS1D2307823082005.html 集英社 谷山尚義社長→山下秀樹社長&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 独自の調査の掲載はご遠慮下さい ==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
Wikipediaは百科事典となりますので[[Wikipedia:独自の調査|独自の調査]]はご遠慮下さい。独自の調査は[[Wikipedia:出典を明記する|出典を明記する]]することで回避できます。また、[[Wikipedia:ウィキプロジェクト 大学]]には既に合意された表現や掲載内容に関する事項が掲載されています。編集に当たっては一読頂きまして、合意内容を尊重して頂きたく、ご協力をお願い致します。--[[利用者:Akinoniji|秋の虹]] 2006年6月29日 (木) 12:26 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[皇學館大学]]との関係なども、書いて頂けると面白いと思いますが。--[[利用者:124.97.229.195|124.97.229.195]] 2006年9月4日 (月) 15:01 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==記事名==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「～大学」の、大学は一般名詞であるため、「國學院大學」ではなく、「國學院大学」でなければいけないんじゃないでしょうか？--[[利用者:yucjk|yucjk]] 2007年6月4日 (月) 12:50 (UTC)&lt;br /&gt;
:記事名は正式名称を使用しますから現在で問題ありません。--[[利用者:Akinoniji|秋の虹]] 2007年6月4日 (月) 07:12 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 文章の脈絡を破綻している編集がある ==&lt;br /&gt;
最初の2007年11月10日 (土) 08:55のIP59.134.107.183氏による投稿に対する、2008年4月26日 (土) 20:19のIP126.64.183.197氏による編集により、当初の投稿の文章の脈絡が破綻させられている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
小川義行&lt;br /&gt;
--[[利用者:小川義行|ほわーりィばーど]] 2008年5月25日 (日) 02:29 (UTC)&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>小川義行</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88:Mozilla_Thunderbird</id>
		<title>ノート:Mozilla Thunderbird</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88:Mozilla_Thunderbird"/>
				<updated>2008-05-23T16:18:30Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;小川義行: /* Wikipedia:表記ガイドの遵守について */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;== [[Wikipedia:表記ガイド]]の遵守について ==&lt;br /&gt;
[[利用者:Marine-Blue|Marine-Blue 氏]]の投稿による2008年3月10日 (月) 04:01の版の、「その結果2つめの子会社設立と言う結果にまとまり」は、[[Wikipedia:表記ガイド]]に違反しています。&lt;br /&gt;
Wikipedia へのすべての投稿者に[[Wikipedia:表記ガイド]]の遵守をここに促します。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
小川義行&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
--[[利用者:小川義行|ほわーりィばーど]] 2008年5月23日 (金) 10:47 (UTC)&lt;br /&gt;
: そのような場合は気づいた方が修正していただけないでしょうか。--[[利用者:Iwai.masaharu|iwaim]] 2008年5月23日 (金) 11:12 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 「そのような場合は気づいた方が修正していただけないでしょうか」に対する返事 ==&lt;br /&gt;
[http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%B9%E5%88%A5:Contributions/%E5%B0%8F%E5%B7%9D%E7%BE%A9%E8%A1%8C 利用者小川義行の投稿記録]にあるように、[[Wikipedia:表記ガイド]]に違反している表記に気がついたらそのつど訂正していました。&lt;br /&gt;
しかし、きりがないことに気がつきました。&lt;br /&gt;
また、[http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%B9%E5%88%A5:Contributions/%E5%B0%8F%E5%B7%9D%E7%BE%A9%E8%A1%8C 利用者小川義行の投稿記録]にあるように、利用者の中には、[[利用者‐会話:Musashino|Musashino氏]]や[[利用者‐会話:ウッでやんす高橋|ウッでやんす高橋氏]]のように、記事を投稿するのではなく、他人の投稿に対して[[Wikipedia:表記ガイド]]に反する改悪をしている利用者がいます。&lt;br /&gt;
これらの利用者には、[[Wikipedia:表記ガイド]]というものがあって、それに従うことが求められているということに気がつかせなければ、らちがあきません。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
訂正してあげたとしても、その部分もしくはその記事自体が削除されるようなことがあったら、訂正したことが徒労に終わることになります。&lt;br /&gt;
また、訂正してあげたとしても、そのことが人の目に留まる可能性は少ない。なぜなら多くの人は最新版しか見ないだろうから。&lt;br /&gt;
したがって、「[[Wikipedia:表記ガイド]]というものがあって、それに従うことが求められている」ということについて啓蒙するには、ノートを利用することがもっとも効果的であると考える次第です。&lt;br /&gt;
また、自分が犯した誤りは自分で訂正するのが当然だと考えます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[利用者‐会話:ウッでやんす高橋|ウッでやんす高橋氏の利用者‐会話]]をご覧になれば、これらの利用者の編集に対する訂正が、徒労に終わる可能性が高いことに気がつかれると思います。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
小川義行&lt;br /&gt;
--[[利用者:小川義行|ほわーりィばーど]] 2008年5月23日 (金) 16:18 (UTC)&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>小川義行</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88:Mozilla_Thunderbird</id>
		<title>ノート:Mozilla Thunderbird</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88:Mozilla_Thunderbird"/>
				<updated>2008-05-23T10:47:51Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;小川義行: Wikipedia:表記ガイドの遵守について&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;== [[Wikipedia:表記ガイド]]の遵守について ==&lt;br /&gt;
Marine-Blue 氏の投稿による2008年3月10日 (月) 04:01の版の、「その結果2つめの子会社設立と言う結果にまとまり」は、[[Wikipedia:表記ガイド]]に違反しています。&lt;br /&gt;
Wikipedia へのすべての投稿者に[[Wikipedia:表記ガイド]]の遵守をここに促します。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
小川義行&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
--[[利用者:小川義行|ほわーりィばーど]] 2008年5月23日 (金) 10:47 (UTC)&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>小川義行</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88:%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%9C</id>
		<title>ノート:トンボ</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88:%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%9C"/>
				<updated>2008-05-15T11:33:10Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;小川義行: IP利用者210.238.174.163氏による投稿・編集について&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;Doraです。この項目に貼ってある分類表が、トンボ亜目なのですが、これをトンボ目に変えて、本文もトンボ亜目以外のカワトンボ亜目（糸とんぼ、お羽黒とんぼ）も含む説明にしてみたいと思っているのですが、これに関してご意見をお願いします。私が考えていることは、&lt;br /&gt;
# 形態、生態、ヤゴの説明などを加えたいのですが、これらはカワトンボ亜目でも共通点が多いので重複を避けられます。&lt;br /&gt;
# とんぼの文化のところに、私が聞いて育った「お盆には先祖がお羽黒とんぼになって帰ってくるから採っちゃだめ」のようなのも入れたいと思いました。&lt;br /&gt;
ただし、代案として、1.は、生態などの共通項に関しては[[トンボ目]]の記事に書き、文化面は現行のまま トンボ亜目（トンボの記事）というように分けて書く方法も考えられます。また2.は、お羽黒とんぼのことを書きたいなら、カワトンボ亜目の記事を新たに作ればよい、という考えもあります。&amp;lt;br&amp;gt;つまり焦点は、日本の「とんぼ」の概念・文化は、「糸とんぼ」「お羽黒とんぼ」などを含むかどうか？これらを一緒に話題にする意味があるかどうか？になるかと思います。もし、その意味がなければ、「ただし、代案として」以下の方針で行ってみようと思います。&amp;lt;br&amp;gt;ちなみに、英語のDragon flyは、糸とんぼ、お羽黒とんぼ（Damsel flyと呼ばれる）を含まない概念みたいですので、こちらとの調整は必要になるかもしれません。[[利用者:Dora|Dora]] 2004年8月3日 (火) 17:22 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:分類表をつけた電気山羊です。「日本の「とんぼ」の概念・文化は、「糸とんぼ」「お羽黒とんぼ」などを含む」と思いました。私を含め、おそらくたいていの人はカワトンボ亜目もトンボと認識するのではないでしょうか（むしろ見分ける方が難しいかも :)）。ということで分類表はトンボ目にして良いと思いました（[[トンボ目]]はこの記事と統合でも構わないとも思います）。&lt;br /&gt;
:トンボ亜目にしたのは英語版を参照したためです。また「トンボはトンボ亜目またはトンボ目に属する昆虫の総称」とちょっと変な書き方になっているのは英語版を参照しつつ「トンボ目もトンボじゃないのかな」と思いながら書いたからです。これについては英語では dragon fly と damsel fly にわける旨を書けば良いと思いました。ご指摘ありがとうございました。[[利用者:Electric goat|電気山羊]] 2004年8月3日 (火) 18:06 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::Doraです。コメントありがとうございます。[[トンボ目]]の内容を[[トンボ]]にコピーペーストし、トンボ目はリダイレクト化する方針で行ってみようと思います。一週間以内ぐらい待って別の提案が出ないようなら作業してみます。&amp;lt;br&amp;gt;さて、記事の統合（コピーペースト）に伴う履歴の管理の方法について調べているところなのですが、[[Wikipedia:統合依頼|統合依頼のページ]]では履歴の扱いについて全く触れられておらず、[[Wikipedia:著作権|著作権のページ]]では、「/履歴」サブページを作成することと書いてあります（[[Wikipedia‐ノート:著作権|ノート]]ではこれをやめようという議論もあるようですが）。一方、最近は「/履歴」サブページをつくらずに、該当記事のノートに履歴を貼り付けてそれでOKとする場合（例:[[ノート:和歌山毒物カレー事件]]）などもあるようです。現時点で標準的な方法は、どういう方法なのでしょうか?どなたかご意見をお願いします。[[利用者:Dora|Dora]] 2004年8月5日 (木) 15:10 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:::履歴統合は著作権、GFDL とからんで難しいところのようですね。。お手数をおかけしてしまい申し訳ありません。さて、ご質問に対する回答にはなっていないかもしれませんが、私は本人の了承があれば履歴を厳密に残す必要はないかなと思っています。今回の場合、[[トンボ目]]の編集は私によるものがメインですし、必要なところだけコピーペーストし、単にリダイレクトにするだけで構わないと思っています。IP から編集された方にも尋ねた方が良いでしょうか？またペーストやリダイレクトの作業を私が行った方が著作権的に都合が良いならばそうしますので遠慮なくおっしゃってください。[[利用者:Electric goat|電気山羊]] 2004年8月5日 (木) 17:46 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::::＞お手数をおかけしてしまい&amp;lt;br&amp;gt;逆です逆です。こちらこそお手を煩わせてすみません。やはり履歴の取扱いは現状では難しいのですね。もしかして、現時点で最適な方法が決まっていないのかも。それでは、それを回避するため、お言葉に甘えて、電気山羊さん投稿分（トンボ目、初版）について、上記のとおりの再投稿（コピーペースト）をお願いしてよろしいでしょうか? 急ぎませんし、いつでも結構です。ありがとうございます。[[利用者:Dora|Dora]] 2004年8月7日 (土) 00:02 (UTC)&amp;lt;br&amp;gt;（追記）[[利用者‐会話:219.173.119.31|もう一人の著者]]に一応ご連絡しました。[[利用者:Dora|Dora]] 2004年8月7日 (土) 00:18 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:::::とりあえず分類表をトンボ目に換えました。あと interlang link なのですが、en と minnan がトンボにあったもので、その他がトンボ目からもってきたものとなっています。en のトンボ目のリンクは分類表につけてみました。正確な分類など間違っているおそれがありますので (^^;; 気付いたら訂正お願いいたします。トンボ目は一週間程みて何もなければリダイレクトに変更します。いわずもがなではありますが、遠慮なく加筆修正してください :) [[利用者:Electric goat|電気山羊]] 2004年8月7日 (土) 00:43 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::::::変更点、確認しました。ありがとうございます。[[利用者:Dora|Dora]] 2004年8月7日 (土) 13:57 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
----&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
貼付されている写真についてですが、シオカラトンボのヤゴとしているもの、ギンヤンマか何かのように見えます。ただ、自信がないのでどなたかご判断いただけませんか？あと、ヤゴは別項を立てたい気がします。形態的には親より多彩ですから。--[[利用者:Ｋｓ|Ｋｓ]] 2006年3月28日 (火) 00:34 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:おっしゃるようにギンヤンマ属ですね。ギン、クロスジ、オオのどれかで、おそらくはギンだろうとは思いますが、シオカラでないことは確かですね。姫路水族館に聞けば種まで分かるかも知れません。詳細を調べるより、まず間違いは気づいたらすぐ訂正するのがよいのでしょうか？[[利用者:125.100.25.58|125.100.25.58]] 2006年3月28日 (火) 11:00 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
----&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[利用者:Fooke]]氏による投稿の「メスを見つけると捕獲して頭部と胸部の境目付近をつかんで連結する」を、IP利用者210.238.174.163氏が「メスを見つけると首を確保して固定する」と編集しているのは妥当なのか？&lt;br /&gt;
疑問を持った理由は下記の通り：&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[昆虫類]]には、「成虫の体は、頭部、胸部、腹部の3つに分かれていて、胸部にのみ、足が生えている」とあり、「首」に関する記述はない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[昆虫の構造]]には、「昆虫は明瞭に頭、胸及び腹の三構造に分かれ、この三構造は体節が特定の器官を共有してまとまったものである」とあり、「首」に関する記述はない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
IP利用者210.238.174.163氏が下記の[[利用者:Ｋｓ]]氏の投稿につき不必要な編集を行ったことにより、「てにをは」をおかしくしてしまっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[利用者:Ｋｓ]]氏の投稿についても、「首」に関する件につき、上記の[[昆虫類]]と[[昆虫の構造]]の内容と齟齬があるという理由により、疑問がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[利用者:Ｋｓ]]氏の投稿：&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
首を雄の腹部後端に固定された雌は、自分の腹部後端を雄の腹部前端に触れて精子を受け取るのである。このとき、雄の腹部後端は雌の首に繋がり、雌の腹部後端は下を回って雄の腹部前端につながって、全体として一つの輪を作る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
IP利用者210.238.174.163氏による編集：&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
首を雄の腹部後端に固定された雌は、自分の腹部後端を雄の腹部前端で精子を受け取るのである。このとき、全体として一つの輪を作る。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
IP利用者210.238.174.163氏が[[利用者:Fooke]]氏による投稿の「オスメスが連結したまま」を「オスメスが数匹連結したまま」と編集した意図は何か？&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
オス1匹とメス1匹が連結するのではないのか？3匹以上のオスメスが連結することがありうるのか？&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
IP利用者210.238.174.163氏が[[利用者:Fooke]]氏による投稿の「移動するときは腹部の先端から水を噴出し」を「素早く移動するときは腹部の先端から水を噴出し」と編集しているが、「素早く」は、[[Wikipedia:表記ガイド]]に違反している。また、「すばやく」という言葉を加えた意図は何なのか？&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
IP利用者210.238.174.163氏が下記の[[利用者:Fooke]]氏による投稿につき編集を行ったことにより、「てにをは」をおかしくしてしまっている。しかも、「伸ばて」という誤植を犯している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[利用者:Fooke]]氏による投稿：&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
先端に大きなかぎが左右に開いてついていて、獲物をとらえる時は下くちびるに瞬間的に体液を送りこんで伸ばし、獲物をひっかけてしまう&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
IP利用者210.238.174.163氏による編集：&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
先端にかぎ状で左右に開き、獲物をとらえる時は下あごに瞬間的に体液を送りこんで伸ばてはさむ&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
IP利用者210.238.174.163氏による下記の投稿は要校正：&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、一方で飛翔に十分な空間の開けた場所なら半坪ほどのビオトープでも水草があればどこからか飛来して産卵することが期待できる。一度発生すると水草類の繁茂しすぎなどの環境悪化を見守れば毎年発生するので個体の回帰性もあると思われる。雄は縄張りを強く守り、他の雄や敵に執拗に追われた個体や雌が繁殖の水辺を求めて、能力に合わせて、イトトンボでも数百メートル飛翔移動すると考えられる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
IP利用者には連絡を取れない。管理者に依頼して、投稿ブロックをかければこのノートを見るように誘導することができるのではないか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
IP投稿は、投稿者に連絡を取れないので望ましくない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
小川義行&lt;br /&gt;
--[[利用者:小川義行|ほわーりィばーど]] 2008年5月15日 (木) 11:33 (UTC)&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>小川義行</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88:%E5%B8%B8%E7%A3%90%E7%B7%A9%E8%A1%8C%E7%B7%9A</id>
		<title>ノート:常磐緩行線</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88:%E5%B8%B8%E7%A3%90%E7%B7%A9%E8%A1%8C%E7%B7%9A"/>
				<updated>2008-05-12T11:11:17Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;小川義行: きょうすけ氏による下記の書き込みが、Mayo氏による下記の書き換えにより、リンクが切れてしまっている&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;常磐緩行線と[[常磐快速線]]の項目ですが、主な内容がこの区間の複々線化の経緯と問題点になっていることや、性質上、複々線ではない区間の取手～土浦間の解説等も含まれやすいという事等から、統合した上で、項目名を[[常磐快速線・緩行線]]、あるいは[[常磐線 (都市近郊区間)]]とした方がよいのではないかと思いますが、いかがでしょうか？--[[利用者:125.192.64.83|125.192.64.83]] 2006年3月26日 (日) 11:14 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:系統としては別ですから、快速・緩行の記事については従来通りの方が適当と考えます。都市近郊区間とすると、[[大都市近郊区間]]と混同する恐れもありますし、[[東日本旅客鉄道東京支社|東京支社]]や[[電車特定区間]]といっても、いまいちピンと来ない場合もあると思いますし。理想としてはや総武線のような感じ…本線・快速線・緩行線と、上手く記事が分かれていると思います。一概に全てを同一視はできませんが。複々線なども含めた沿革など、常磐線の路線全体に関することは[[常磐線]]に移設し、複々線区間の列車などの詳細については当該項目内で…とするなど、全体として情報の整理が必要でしょうね（既にそういう方向性もあるようですが）。例えば、快速線の記事に停車駅表をつければ、常磐線の記事には不要になりますし（取手以北で偕楽園以外に通過駅を有する普通列車はないですし）。[[利用者:220.111.58.169|220.111.58.169]] 2006年3月27日 (月) 21:57 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:実際、ほとんど別の路線に等しいので区間も途中から違いますので反対します。--[[利用者:城史|城史]] 2006年3月28日 (火) 02:29 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　「本線・快速線・緩行線を完全に分ける」状態を提案している「常磐線利用者その531」と申します。実際に「総武本線」のページを確認しましたが、微妙にゴチャゴチャしているような気がしますが・・・今の常磐線よりは分かりやすいですね。緩行線もキチっと三鷹まで載っておりますし、現状に沿った分かりやすい案内だと思います。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　さて早速ですが、私は上記の通り運転系統別に分ける案を出しております。理由としては「運転系統別に案内した方が分かりやすい」に尽きますが、一つのページに情報が集約しすぎるとゴチャゴチャして分かりづらくなり、ネット環境の面でも読み込みが遅くなります。上野～取手・我孫子～成田のみに情報は常磐快速線で、代々木上原～綾瀬～取手の情報は常磐緩行線で、取手以北ならびに取手以北に大きく影響する上野～取手の情報は常磐線で・・・という感じで分ければ非常に分かりやすいと思います。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　車両・行き先・停車駅（ここまでは一般の方も、目的地までの目安とする）・ダイヤ・信号系統といった鉄道に必要な物が何から何まで共通点が無い、共通点はせいぜい線路幅が1067mmである程度の常磐快速線・常磐緩行線を統合する具体的な理由はいったい何でしょうか？　（4月22日　10時35分　常磐線利用者その531）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（報告）動きが無いまま3ヶ月が経過したため、統合テンプレートを除去いたしました。（ちなみに私も快速・緩行線の統合には反対です）--[[User:Fuji-77|Fuji-77]] &amp;lt;small&amp;gt;([[User Talk:Fuji-77|talk]]|[[Special:Contributions/Fuji-77|hist]])&amp;lt;/small&amp;gt; 2006年7月1日 (土) 23:40 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 乗客のマナーという欄について ==&lt;br /&gt;
必要なのでしょうか?埼京線のような明らか痴漢などの犯罪が顕著じゃないのも関わらず恐らく同一人物が戻しているようです。いかがですか?--[[利用者:210.198.109.17|210.198.109.17]] 2007年1月17日 (水) 10:06 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　少なくとも、首都圏他路線に比べて悪い事は確かのようです。--[[とある柏市民]]{{unsigned-IPuser|61.198.166.157|2007年2月22日 (木) 15:51 (UTC)|[[利用者:Muyo master|Muyo master]] 2007年2月27日 (火) 16:12 (UTC)}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
他路線とは具体的に言うとどのような路線でしょうか?--[[利用者:Aky|Aky]] 2007年3月1日 (木) 12:37 (UTC)&lt;br /&gt;
*（コメント）常磐線の風評（緩行線はもとより快速線でも）はともかく、現状では明らかなPOV記述と取れ、また編集合戦が目に余る状態なので、[[Wikipedia:保護依頼|半保護依頼]]をさせていただきました。--[[利用者:七之輔|e56]][[特別:Contributions/七之輔|-]][[利用者‐会話:七之輔|129]] 2007年3月1日 (木) 14:00 (UTC)&amp;lt;small&amp;gt;（[[利用者:121.1.236.199]]氏に削除されたものを復活--[[利用者:継之助|継之助]] 2007年3月7日 (水) 05:24 (UTC)）&amp;lt;/small&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（報告）マナーの欄は全て削除した上で、代替として常磐線の欄に「問題点」部門を新たに作りました。{{unsigned-IPuser|121.1.236.199|2007年3月7日 (水) 07:20 |[[利用者:継之助|継之助]] 2007年3月7日 (水) 05:24 (UTC)}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[常磐線]]記事にこのような記述を移されても何の解決にもならないし、Wikipediaには不適切な記述である事には変わりはありません。結果として編集合戦の場所が常磐線記事に移っただけで、IPユーザーの執拗な記述差し戻しに伴い、向こうの記事も保護依頼を提出させていただきました。--[[利用者:Kiku-zou|Kiku-zou]] 2007年3月8日 (木) 12:03 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*（報告）同一内容のPOV転記が[[常磐快速線]]に転移しているため、同項目も保護依頼を行いました。--[[利用者:七之輔|e56]][[特別:Contributions/七之輔|-]][[利用者‐会話:七之輔|129]] 2007年3月8日 (木) 13:24 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
私もあまり不適切ではないと改めて思いましたため、保護・半保護のきっかけとなった記事「マナー関連」は全て削除しました。やはりマナーに関する話題は慎むべきだと思います。見てもいやだと言うイメージがわいてきますから。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
常磐線以外の路線にもこのような記事があったら、削除したほうが良いと思います。よって保護の解除をお願いしました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==新型車の情報について==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
常磐線各駅停車には新型車が導入されることが決定したため、早期の記事追加をお願いします。{{unsigned-IPuser|121.1.236.199|2007年3月7日 (水) 07:20 |[[利用者:継之助|継之助]] 2007年3月7日 (水) 05:24 (UTC)}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[JR東日本E233系電車|E233系]]については2008年の導入予定であり、まだ時間があるので追加を急ぐ必要はないと思います。--[[利用者:リバイバル1998|リバイバル1998]] 2007年3月8日 (木) 13:39 (UTC)&lt;br /&gt;
*それよりも、ICカード使用時の西日暮里接続の扱いの範囲を追記する必要がありますね…。現状、[[首都圏ICカード相互利用サービス]]に記載してあります。[[利用者:Mayo|mayo]] 2007年3月14日 (水) 08:40 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==運賃について==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*西日暮里接続もさることながら、千代田線・東西線大手町利用で取手～亀有間と高円寺～三鷹間を相互発着する場合の運賃についても述べる必要があると思うのですが、いかかでしょうか。2007年3月15日(木)16:43 (UTC)&lt;br /&gt;
**そうですね。この点についてはリーフレット等でも殆ど言及がないので、必要かと思います（大手町と茅場町に経路判別用の簡易器でもあるといいんですけどねぇ…）。あと、東武関連の通過連絡運輸は3月17日分を以って全廃らしいです。[[利用者:Mayo|mayo]] 2007年3月15日 (木) 10:03 (UTC)&lt;br /&gt;
**東京メトロは路線が複雑に絡み合っているため、大手町と茅場町に簡易器を設置したところで問題が解決しない気がします。 2007年3月15日(木)21:32 (UTC)&lt;br /&gt;
***保護が解除になったので、運賃計算に関する部分を加筆しました。&lt;br /&gt;
**:追記。改札を通らないことを前提にすると、大手町か茅場町のどちらかは必ず通ることになるんですよ…。なので、それで何とかなるんじゃないかな～…なんて思った次第ですが。[[利用者:Mayo|mayo]] 2007年4月10日 (火) 13:36 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 観点についての議論 ==&lt;br /&gt;
｢呼称について｣で、取手（旧下総国）までの各駅停車が「常磐線」を名乗るのはおかしいという指摘もある、とのことですが、これは個人的な意見に過ぎないのではないでしょうか。それを言うなら、高崎-横川間が｢信越本線｣を名乗るのもおかしいし、門司港-八代間が｢鹿児島本線｣を名乗るのもおかしい、となってきりがありません。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
Slimepleaseさんへ。京浜東北線は東海道本線と東北本線の通称です。[[京浜東北線]]のページを確認してください。それから、議論もしないで他人の記述を勝手に削除するのは避けてください。--[[利用者:菊地 英仁|菊地 英仁]] 2007年7月10日 (火) 07:53 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:ちゃんと文章を読みもせず、自分の主張と一致からというだけで非難を受けるのは極めて心外です。&lt;br /&gt;
:確かに京浜東北線は東海道本線・東北本線の電車線を走行する系統の通称ではありますが、「京浜東北線」はこれで独立した系統であり、'''両線に対する緩行線という意味合いでつけられた名称ではない'''筈です。複々線の形態も異なるわけですし、背景が全く異なるものを引き合いに出して「愛称をつけるべき」と言うのはどうにも不自然です。そもそも、地域の実情に合っていないのなら「京浜'''東北'''線」はどうなのでしょうか?&lt;br /&gt;
:それに、あの部分（と、[[常磐快速線|快速線]]の統一の功罪の部分）は以前はかなり長々と様々な主張があり、それが整理されて現状に落ち着いたのですし、何よりJRが緩行線に愛称をつけずに普通列車を「快速」とすることで取手以南の種別の相対性を保つことを選んだわけですから、また蒸し返すこともないのでは?[[利用者:Slimeplease|Slimeplease]] 2007年7月11日 (水) 15:47 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
確かにその通りです。[[利用者:Slimeplease|Slimeplease]]さんの意見に同意します。--[[利用者:菊地 英仁|菊地 英仁]] 2007年7月11日 (水) 22:17 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 路線カラーなどについてのリバートの件 ==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2007年10月28日現在、'''複々線化後'''の節に、下記の記述があります。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:もはやあらゆる意味で手遅れであり{{要出典}}、最終的に中距離電車の15両化、近郊形電車としては初のオール[[鉄道車両の座席|ロングシート]]車415系500・1500番台の投入、快速電車の15両化と泥縄的施策が続く。 ～中略～　更に計画の安直さ・お役所仕事ぶり{{要出典}}が浮き彫りになる事態が発生した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:～中略～　[[抵抗制御]]の国鉄車は、[[鉄道車両の台車|台車]]はコイルバネで乗り心地は悪い上に[[電動機|モーター]]から発する騒音は大きく、しかも　'''←乗客POV　営団は乗り心地や騒音を問題にしていたのか？'''　　[[発電ブレーキ]]のため大量の発熱を[[トンネル]]や駅構内に撒き散らすことになった。東西線では[[複線]]トンネルが大部分を占めていた上に換気口も多かった{{要出典}}が、[[単線]]トンネルが多く換気口が少ない{{要出典}}　'''単線トンネルで排熱に問題があったとの記載は複数の雑誌にありますが、換気口が少ないとの記述は見つかりませんでした。'''　ゆえに空気の流動が少ない千代田線では、トンネル内で[[抵抗器]]の冷却が充分にできず、電車の床に抵抗器から発生した熱が伝わり、車内は異常なまでの暑さになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:～中略～　利用者は「国鉄車が来たら見送り」をするものまでいたほどである{{要出典}}。これにより、トンネル内の発熱を抑えようとする営団の努力は水泡に帰してしまうことになった{{要出典}}　'''103系1000番台の所要本数は15本程度、対して営団車は25本程度。よって103系1000番台の割合は37％程度だが、水泡に帰すほどの勢力か？'''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
上記のように6点について出典を求めましたが（太字は私が加筆したコメント）、10月28日朝、IPユーザー 60.254.216.182　さんにより出典が示されることなく削除されました。また現在コメントとされているラインカラーの節についても、総武線205系と東西線のカラー変更に関する時系列の把握に事実と異なる部分があるなど問題があるため何箇所かコメントをつけたのですが、これもリバートにより消去されています。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
IPユーザー 60.254.216.182　さんのリバートについて、その真意を問いたいと思います。今週中にこちらに回答が無いか、もしくは出典が示されない場合は、記事の該当部分を要出典をつけた版に戻させていただきますので、何か異論がありましたらこちらできちんと議論をお願いします。[[利用者:Alt winmaerik|Alt_Winmaerik]] 2007年10月28日 (日) 01:03 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:1週間経ちましたが何ら異論が示されませんでしたので、該当部分のみをIPユーザー 60.254.216.182　さんがリバーとする前の版に戻します。[[利用者:Alt winmaerik|Alt_Winmaerik]] 2007年11月5日 (月) 04:03 (UTC)&lt;br /&gt;
:ちなみに原文では「取手以北の交流電化が不可能」な旨の記述がありましたが、地磁気に影響を与えない直流電化の手法については10年以上前から研究されており、いくつか課題があがっています。常磐線勝田電化当時に交流電化が選択されたのは事実ですが、現在でも技術的に不可能と断定するのは適切ではないでしょう。[[利用者:Alt winmaerik|Alt_Winmaerik]] 2007年11月5日 (月) 15:08 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2007年12月6日、122.134.100.213さんにより要出典部分について下記コメントが加えられ要出典タグが除去されました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
://東西線までは開削工法、建設時は駅での強制排気の他に自然通機構も存在。千代田線はシールド工法、全て強制換気のみ。営団が6000系以降電機子チョッパにこだわった理由&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
まず、ノートで議題を出している案件については、編集する前にノートの議論にご参加ください。また出典の提示を要求しているのですから出典を明記してください。読者は貴方の見解や意見を求めているわけではなく、確たる出典に基づいた記事を求めています。なお、千代田線のシールド区間は全体のごく一部です。発熱で問題となる単線トンネル区間でシールドなのは北千住～町屋間・湯島～新御茶ノ水間などに限られます。ご参考まで。[[利用者:Alt winmaerik|Alt_Winmaerik]] 2007年12月6日 (木) 13:57 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
もう一ヶ月近く経ちましたので、出典の無い記述を今週中にコメントアウトもしくは削除します。異議がある場合は出典の提示をお願いします。[[利用者:Alt winmaerik|Alt_Winmaerik]] 2008年1月4日 (金) 15:44 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:出典の提示が無かったため、検証可能性を満たさない記述を削除しました。[[利用者:Alt winmaerik|Alt_Winmaerik]] 2008年1月19日 (土) 10:05 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::出典の提示が無かったため、検証可能性を満たさない記述を削除のうえ、鉄道土木や地下鉄千代田線建設史などを参考に加筆しました。[[利用者:Alt winmaerik|Alt_Winmaerik]] 2008年1月31日 (木) 15:34 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==きょうすけ氏による下記の書き込みが、Mayo氏による下記の書き換えにより、リンクが切れてしまっている==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（[#通過連絡運輸の特例|後述]））も、（[#千代田線北千住～西日暮里間を経由する場合の特例|後述]））と書き換える必要があるのではないか？&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
記&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%B8%B8%E7%A3%90%E7%B7%A9%E8%A1%8C%E7%B7%9A&amp;amp;diff=next&amp;amp;oldid=6158740	常磐緩行線 - Wikipedia	2006年6月15日 (木) 03:23の版 きょうすけ&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%B8%B8%E7%A3%90%E7%B7%A9%E8%A1%8C%E7%B7%9A&amp;amp;diff=prev&amp;amp;oldid=11828426	常磐緩行線 - Wikipedia	2007年4月10日 (火) 13:24の版	Mayo &lt;br /&gt;
--[[利用者:小川義行|ほわーりィばーど]] 2008年3月30日 (日) 09:53 (UTC)&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>小川義行</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88:%E9%87%A7%E8%B7%AF%E5%B8%82</id>
		<title>ノート:釧路市</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88:%E9%87%A7%E8%B7%AF%E5%B8%82"/>
				<updated>2008-05-01T09:53:33Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;小川義行: /* IP58.93.186.160氏の投稿について */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;''この記事は一度削除されています。削除に関する議論は[[Wikipedia:削除依頼/{{{1|釧路市}}}]]をご覧ください。''&lt;br /&gt;
----&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 沿革について(1) ==&lt;br /&gt;
（原題：沿革に、下記を追加したいのですが、残念ながら判りません）&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
年月日が駄目なら年月、それでも駄目ならせめて年（西暦年、または元号年）だけでも御存知のお方、是非、加筆協力をお願いします。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::・　ほくそうデパート釧路店（くしろデパート斜め向かいの安藤印房の裏）　閉店撤退時期&lt;br /&gt;
::・　ＶＡＮミウラ　起業時期（大きな商業店舗では無いですが、名称・取り扱い製品がかつての世相に大きく連動しているので、掲載を望みます）&lt;br /&gt;
::・　ショッピングヤスモト（リビングヤスモト？）　開店時期&lt;br /&gt;
::・　ショッピングヤスモト　閉店時期&lt;br /&gt;
::・　丸三鶴屋　屋上閉鎖時期&lt;br /&gt;
::・　オリエンタルデパート　飲食店ビルに業態変更（オリエンタルプラザに改称）した時期&lt;br /&gt;
::・　ＹＥＳそうご電器　釧路進出時期&lt;br /&gt;
::・　旧北海道拓殖銀行　釧路支店　開行時期&lt;br /&gt;
::・　パステルタウン　完成時期&lt;br /&gt;
::・　釧路市立図書館（現建物）　改築完成時期&lt;br /&gt;
::・　地元スーパータイスイ　閉店時期&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::・　ＮＨＫテレビ（総合テレビ、教育テレビ）　釧路放送局　音声多重放送開始時期&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::・　市内各小中高の開校時期、閉校時期（例：私立　旧第一高校など）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::・　マクドナルド　釧路進出時期&lt;br /&gt;
::・　ロッテリア　釧路進出時期&lt;br /&gt;
::・　シェーキーズ　釧路進出・撤退時期&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 2005年6月29日 (水) 16:15 219.162.9.84（追記 Sir）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:::一切不要です。一般の店舗の出店・撤退を入れる必要性は微塵もありません。--[[利用者:Sir|Sir]] 2006年9月8日 (金) 23:19 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 沿革について(2) ==&lt;br /&gt;
（原題：沿革に特定の店舗の開店や閉店、釧路市の公共施設の開設時期、テレビ局の放送開始時期などについて記載がありますが）&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
これは百科事典として本当に必要なんでしょうか？コメントアウトしました。&lt;br /&gt;
上記の沿革に追加してほしい内容も必要ない事項ばかりです。[[利用者:Yamabig|Yamabig]] 2005年7月2日 (土) 05:11 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
私も同感です。'''しかも都合の悪い情報は隠し、少しでもよく見せようとするのが極めて悪質です。'''そして2CH（釧路スレッド）でやたらとこのよく見せかけたページへと誘導している。釧路を愛する気持ちは結構ですが、自分のHPを持つなどしてそこで大いにやって下さい。但し、「その他」のページは面白いのでここはこのままでもよいかと。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
私も同感です。市の歩みを紹介するならば別に新たに頁を作成した方がいいと思います。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
Maruichan2005年10月12日 (水) 19:13 (UTC)~&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:＞'''しかも都合の悪い情報は隠し、少しでもよく見せようとするのが極めて悪質'''&lt;br /&gt;
:そうでしょうか。９０年代初頭（記事の対象である都市の衰退期）あたりからは、むしろ閉店・撤退・倒産・廃業のオンパレードで、むしろそれら（他、市長による隣町選挙への介入・逮捕など）を淡々と寒々しく冷徹に書き連ねられた内容だと思えるんですが。--[[利用者:こたつ狼|こたつ狼]] 2005年10月14日 (金) 18:35 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
私もこの特定店舗の記載は不要だと思っていました。ただし　少しでもよく見せようという恣意的なものは一切感じません。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:&amp;gt;'''閉店・撤退・倒産・廃業のオンパレードで、むしろそれら（他、市長による隣町選挙への介入・逮捕など）を淡々と寒々しく冷徹に書き連ねられた内容だと思えるんですが。'''&lt;br /&gt;
:淡々と冷徹に連ねていることには賛成するのですが、「大手」とか「最大」といった言葉が恣意的さを助長している気がしてやみません。なお、現在、私が草案作成中の「釧路市の産業（[[利用者:Yiuchan/釧路市の産業]]）」では、個々の店舗の詳細には触れず、'''人口減少等による地元企業の相次ぐ撤退と、新しい商業の振興策やイオン等のショッピングモールの台頭'''といったような内容の文章にまとめて掲載しようと考えています。--[[利用者:Yiuchan|Yiuchan]] 2005年10月16日 (日) 23:57 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
説明不足だったかも知れません。&lt;br /&gt;
店舗の開店閉店の部分のことではなく、私は概要とか地理などの項目の説明について不満があるのです。では、疑問点を具体的に列挙していきたいと思います。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*1　「釧路は北海道東部の政治・経済の中心地」　帯広・北見とは経済圏が別。釧路は東北海道の中心地と言えるほどの勢力圏でないのが北海道内での常識だと思われます。釧路市の人口そのものは一番ですが周辺人口を足すと、帯広市の方が大きかったりします。北海道東部という分類方法もほとんど使われることがありません。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*2　「苫小牧市・室蘭市・石狩市と並び北海道で三番目の規模を誇る国際貨物取扱量」　国際貨物に限定している点が恣意的です。釧路港全体の貨物取扱量でみてみると釧路港は函館港よりも下です。しかも室蘭港・苫小牧港は「重要港湾」釧路港よりも上の格である「特定重要港湾」に指定されています。したがって「並んでいる」という記述には誇張を感じます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*3　「合併で過疎地に指定された→削除」　これは、地元の新聞やマスメディアでも大きく取り扱われている事項です。現在の版では「合併した自治体が過疎地だったため」とありますが、その理由ではありません。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*4　「鈴木宗男」　選挙区が釧路であるだけで、所以が深いというのはどうかと。　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*5　夏に一ヶ月程度飛んだだけの伊丹－釧路便を季節便として載せるのはどうかと。昨年は運行の実績もありませんし来年もどうなるか分かりません。普通季節便という場合はもう少し期間の長いものをさすことが一般的です。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*6　「苫小牧と並ぶ日本を代表する紙パルプのまち」　静岡県富士市のほうが大きなシェアでは。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*7　釧路市は、あたかも産業が盛んであるかのような記述が多いですが、釧路市の製造品出荷額は北海道内でも工業が盛んな苫小牧市・室蘭市には遠く及ばず函館市・千歳市以下です。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*8　合併で釧路市の人口密度も大きく下がりました〔147.9人／km²〕。正しくは、「北海道での都市人口二位で中核市でもある旭川市「477.44人／km²」に大きく引き離される）。」です。合併に関する記述が細かく書かれているのに、この部分だけ削除されないのは恣意的なのではないでしょうか。人口密度の記述を削除せずに、北海道で言えばどこの町村並みの人口密度かが知りたいです。&lt;br /&gt;
削除ということは、釧路にとって都合の悪いデータを消すことにほかなりません。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
早急な訂正を。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
とにかく、行き過ぎた釧路粉飾記述をやめて、ある程度は中立を守ってくださることを希望します。[[北海道]]の解説も多分この方が書かれたのでしょう。--Maruichan2005年10月17日 (月) 18:24 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== あって良いと思います ==&lt;br /&gt;
出身者にとっては非常に判り易いマチの歴史を示していると思いますし、非出身者にとっても、一つの地方都市の興隆を示すうってつけの指標になるのでは。こういう記録は、他の都市解説の頁でも増やしていくべきです。学術的な歴史ばかりだけでは駄目です。 -- ''署名がありませんが、この投稿は2005年7月5日 (火) 14:46 (UTC)の61.207.111.95(IP)さんによる投稿です。''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== これらの記事を残しておくことは ==&lt;br /&gt;
[[Wikipedia:ウィキペディアは何でないか]]に抵触しませんか？ローカルな特定の店舗名などについては[[Wikipedia:専門用語には解説を]]に則って新規項目を作る必要があると思います。しかし、あまりにマイナーな項目であるため、[[Wikipedia:ウィキペディアは何でないか]]内の'''ウィキペディアはナレッジ・ベースではありません'''に抵触すると思うのです。--しげちー 2005年9月19日 (月) 11:25 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 神田日勝 ==&lt;br /&gt;
釧路出身の画家です。鹿追町に晩年住んでおりました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 岩合光昭 ==&lt;br /&gt;
（原題：「出身の有名人・所縁の深い有名人」に加えられていた「岩合光昭」（写真家。東京生まれ）ですが）&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
ネットで検索をかけても、特に釧路市との接点（釧路市民だった時期が存在、発表した写真集等の出版物が釧路と関連、釧路に関連するイベントに協力等）が見つかりません。よく似た名前の写真家「岩合徳光」、こちらは釧路市生まれですが。コメント化しておきます。加えた方（この件で編集に共同参加された方）、この一文に気づかれましたら、宜しければ岩合光昭氏を「出身の有名人・所縁の深い有名人」の中に加えた理由を教えてください。 -- ''署名がありませんが、この投稿は2005年8月26日 (金) 04:16 (UTC)の222.147.4.99(IP)さんによる投稿です。''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
岩合光昭さんは岩合徳光さんのご子息です。両者とも著名な動物写真家です。--[[利用者:Hmr|Hmr]] 2005年12月17日 (土) 04:48 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 署名のお願い ==&lt;br /&gt;
（原題：ノートに投稿の際には最後に&amp;lt;nowiki&amp;gt;--~~~~&amp;lt;/nowiki&amp;gt;を入れていただけるようお願いします）&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
詳しくは[[Wikipedia:編集の仕方#署名]]や[[Wikipedia:ノートのページでは投稿に署名をする]]をお読み下さい。--[[利用者:210.159.150.33|210.159.150.33]] 2005年9月3日 (土) 05:58 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;nowiki&amp;gt;--~~~~&amp;lt;/nowiki&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== FMくしろについて ==&lt;br /&gt;
（原題：沿革から民放ＦＭ局市内放送開始・市内コミュニティーＦＭ放送開局（ＦＭくしろ）開局を何度も削除している方へ）&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
何故、そうされているのか、考えをお聞かせ願えませんか？&lt;br /&gt;
（同じくＦＭ放送である　ＮＨＫ－ＦＭ市内放送開始　及び　ＨＢＣラジオ（ＡＭ放送）市内放送開始・ＳＴＶラジオ（ＡＭ放送）市内放送開始は消去対象から外してる事からも、意図・目的・主張が全く見えてきてません。--[[利用者:219.162.6.200|219.162.6.200]] 2005年10月8日 (土) 01:02 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:このページで既に、百科事典的ではない項目を沿革に追加することに対して異論が出ています。投稿画面の下に明記されている「'''あなたの文章が他人によって自由に編集、配布されることを望まない場合は、投稿を控えて下さい。'''また、'''あなたは、あなたの関与したページなどがウィキペディアにおいて不適当と判断された場合（不適当と判断される理由があなたの関与によるものではない場合を含む）には削除されることに、予め同意を与えます。'''」をお読みになられた上で投稿なさったはずですよね。削除されたことに一方的に不満を表明して編集合戦に明け暮れるばかりでは、問題はいつまでも解決しません。異論に対して根拠をもって答えるよう努力してください。--{{User:Shota/sig}} 2005年10月9日 (日) 02:15 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:この項目は保護が見送られることになりましたが、編集合戦が再発しつつあります。記事の一部を削除なさる場合は、削除に相当する具体的な理由を可能な限り明らかにしてください。--{{User:Shota/sig}} 2005年10月9日 (日) 09:57 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:沿革がわかりにくいようであれば、行政史、経済史、メディア史など分けて並べてみてはいかがでしょうか。--{{User:Shota/sig}} 2005年10月9日 (日) 17:18 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
私個人としては沿革には「地方公共団体としての釧路市」の変遷と、それに付随して大きく人口増減にかかわった出来事ぐらいにするべきではないかと思っている立場ですが、無言で削除するのは、初心者ならまだしもこう続かれると不愉快に感じます。僕の意見としてはロールバックが続くのは面倒なので、このままメディア史の削除の件は、とりあえず放置して、以下の時点のバージョンをノートに記録しておきそこから、分割を進めていくのはどうでしょう。イタチゴッコはもうたくさんです。 --[[利用者:Yiuchan|Yiuchan]] 2005年10月12日 (水) 06:35 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*とうとう保護されたと思いきや、連続無言削除している人にとって都合の良い版で編集保護されてしまいましたね。これって、ちょっと納得が・・・。　--[[利用者:こたつ狼|こたつ狼]] 2005年10月12日 (水) 16:20 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*わかりづらい書き込みをした上に、その後、不本意な版で保護されてしまい、ちょっと責任を感じています。本当にみなさんごめんなさい。--[[利用者:Yiuchan|Yiuchan]] 2005年10月12日 (水) 23:42 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
**ここのノートは引き続き書けますし、新規記事作成も可能なので、引き続き（保護解除に備えて）沿革分離・独立（「釧路のメディア史」「釧路の経済（商業？）史」「釧路の行政史（こちらを現「釧路市」記事に残す事になるのでしょうか）」を進めていきましょう。各記事の具体案（原稿原型）をここで皆で出し合うとか。--[[利用者:こたつ狼|こたつ狼]] 2005年10月13日 (木) 01:21 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*「幻に終わった都市計画（官・民）、各種プロジェクト」にて、知らない間に削除（[http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E9%87%A7%E8%B7%AF%E5%B8%82&amp;amp;diff=2560766&amp;amp;oldid=2558386 削除された際の履歴？]）されていた項目を見つけました。以下、「幻に～」から気付かれぬまま削除された文です。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
** 民間での有志をつのり、市内二番目の[[コミュニティFM]]局「くしろコミュニティー放送」を設立・開局しようという運動があった。[[総務省]]北海道[[総合通信局]]にも免許申請されており、公式HP（現在、閉鎖中。[http://web.archive.org/web/20041026235411/www3.ocn.ne.jp/~m-ling/kushiro-cfm.html インターネットアーカイブ版HP]）などを通じ、引き続き参加者を募っていたが、2005年春頃より公式HP（[[2002年]]秋より更新停止状態）が閉鎖されたりと、このまま実現せず計画が流れる可能性も出てきた。--[[利用者:こたつ狼|こたつ狼]] 2005年10月31日 (月) 13:30 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 全体的な記事是正の提案 ==&lt;br /&gt;
釧路市の記事は読みづらく、読者の立場に立った記述がなされていないように感じられます。読者として投稿者の方には以下のことなどをして見やすくすると、他の読者も使いやすいように思われます。これらの意見についてご意見を募ります。意見がない場合は10月15日辺りに修正作業を始めたいと思います。ただし、私は少し門外漢なこともあり、できれば皆さんに協力をお願いします。&lt;br /&gt;
*'''いくつかの項目を別記事として掲載'''&lt;br /&gt;
**「''幻に終わった都市計画（官・民）、各種プロジェクト''」は、成功したプロジェクトと一緒に「''釧路市の都市計画''(仮)」として別記事とし、プロジェクトごとに掲載する。&lt;br /&gt;
**「''沿革''」は{{User:Shota/sig}}さんのおっしゃる通り、いくつかの分野の歴史に分割する。他の自治体の記事に倣って、行政史（市町村の変遷）に関することはこのまま「''釧路市'''」の記事として温存し、その他の記事を「''釧路市の歴史''」として、別の記事とする。&lt;br /&gt;
*'''リンク先の記事にもある内容の削除・移設'''&lt;br /&gt;
**「交通」の釧路空港に発着する便の就航機種等の表（''釧路空港''に記載あり）&lt;br /&gt;
**釧路港の各種データ（''釧路港''に記載あり）&lt;br /&gt;
以上、ご意見をお待ちしています。--[[利用者:Yiuchan|Yiuchan]] 2005年10月10日 (月) 02:48 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== re:全体的な記事是正の提案 ===&lt;br /&gt;
その案で良いと思います（Yiuchanさんの提案内容を支持します）。--[[利用者:61.119.159.179|61.119.159.179]] 2005年10月10日 (月) 14:35 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（賛成）セクションに便乗させていただきます。Yiuchanさんの提案に賛成です。それと文中で釧路ラーメンとくしろラーメンが混在しています。[[ラーメン]]には釧路ラーメンで赤リンクが張られています。他の地方ラーメンはすべて漢字ということもあり、どこかの企業の商標になっていなければ釧路ラーメンに統一し、別記事に移したほうがいいのではという気もします。--[[利用者:Sasara|Sasara]] 2005年10月11日 (火) 04:04 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:賛成くださりありがとうございます。釧路ラーメンの件、商標関係を調査して分けて掲載する方向でいきましょう。反対意見があまり出てこないようでしたら、少しずつ編集を進めていきましょう。編集の際、「編集内容の要約」欄に「ノート議論に基づく修正」などと入れていただけると幸いです。--[[利用者:Yiuchan|Yiuchan]] 2005年10月11日 (火) 23:45 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 上記と同様の問題 ===&lt;br /&gt;
[[北海道]]・[[帯広市]]・[[帯広空港]]・[[釧路空港]]の記述も同様であります。バランスが悪いのでは。 porosatu2005年10月11日 (火) 16:17 (UTC)[[利用者:Porosatu|Porosatu]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 沿革の再編について ===&lt;br /&gt;
では、ひとつずつ項を立てて総意を出していきましょう。沿革については、私の提案では、行政史をそのまま、その他を別記事にするということです。こうしたい理由は、「自治体」としての釧路市の埋没を回復したいからです。その他の商業施設やメディアの変遷については、そもそもいらないという意見の方もいるかもしれません。そういう意見を持っている方は、特に書き込みをください。よろしくお願いします。--[[利用者:Yiuchan|Yiuchan]] 2005年10月13日 (木) 13:14 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:まず全体的に[[Wikipedia:ウィキプロジェクト 日本の市町村]]を参考にしていただければ幸いです。プロジェクトいわく、沿革には自治体の変遷を記入するということで、開基、釧路村分村、町・区・市制施行から区域変更、合併あたりを基本に、市として重要な事柄だけにとどめたほうが良いと思われます。（挙げた以外にこれぞ！というのはあまり見つかりませんが）個人的に特記してもいいかなと思えるのは炭鉱と海港開港ですかね。経済などの項目で詳述できるならそのほうがいいかと。ただし事故は沿革に書くべきではないでしょう。--[[利用者:Sasara|Sasara]]([[利用者‐会話:Sasara|&amp;lt;small&amp;gt;T&amp;lt;/small&amp;gt;]]/[[特別:Contributions/Sasara|&amp;lt;small&amp;gt;C&amp;lt;/small&amp;gt;]]) 2005年10月14日 (金) 09:30 (UTC)&lt;br /&gt;
（下の項目とはちょっと別かなと思いましたので）[[利用者:Sasara/釧路市改訂草案]]で沿革まで書いています。かなりばっさり切ることになってしまいますので、切ってしまった分は別項目・別記事で活かしていけるようにしたいと思います。（今回の保護をチャンスにしましょう！）&lt;br /&gt;
*定義部の釧路が道東の政治経済の中心地というのには少々疑問を感じます。北見網走と帯広はそれぞれ別の商圏を持っていて、釧路がなければやっていけないほどではないと思うのですね。そのため疑いのない釧根地区の中心であると限定して書いています。&lt;br /&gt;
（下に飛びます）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　この意見には率直に疑問を生じます。商圏は広域ですから北見網走、十勝、釧路根室は異なるでしょうが、国、道の出先機関（裁判所、警察、金融機関、物流など）を考慮すると東北海道地域は釧路市を一つの核にしています。さらに釧路市を核に地方拠点都市がそれぞれ出先機関、密接な関係を維持し東北海道の経済域を構成しているというのがごく普通の捉え方だと感じています。『地域経済総覧』、『民力』では釧路根室管内を１都市圏域で考慮していますがこのことが東北海道の中心都市を意味するものではないと捉えられますが、釧路市が人口、経済規模で道東最大であるにも関わらず中心都市と標榜できないとすれば、そのことがむしろ恣意的だと感じます。（2005年10月16日 (日) 04:05、04:19のIPユーザさんの発言です。発言の際には[[Wikipedia:ノートのページでは投稿に署名をする|署名]]をお願いします。[[利用者:Sasara|Sasara]]([[利用者‐会話:Sasara|&amp;lt;small&amp;gt;T&amp;lt;/small&amp;gt;]]/[[特別:Contributions/Sasara|&amp;lt;small&amp;gt;C&amp;lt;/small&amp;gt;]]) 2005年10月16日 (日) 08:12 (UTC)）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:なるほど。行政は確かに釧路を核にしていますね。政治ではなく'''行政'''の中心であるということであれば賛成したいと思います。道東最大の人口・経済規模であると書くのも賛成です。ただ、経済の中心であるという書き方だと商圏も一緒であるような印象を受けてしまいました。'''商圏'''が異なることがわかるような書き方であれば、私は問題がないと考えています。（ちなみに北海道庁は[http://www.pref.hokkaido.jp/skikaku/sk-shyok/HP/keikakuindex.files/keikakuindex.html 第3次北海道長期総合計画]では別の地域圏として書いています）いかがでしょうか？[[利用者:Sasara|Sasara]]([[利用者‐会話:Sasara|&amp;lt;small&amp;gt;T&amp;lt;/small&amp;gt;]]/[[特別:Contributions/Sasara|&amp;lt;small&amp;gt;C&amp;lt;/small&amp;gt;]]) 2005年10月16日 (日) 08:12 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（上より続く）&lt;br /&gt;
*地理の削除部分は地理に置くべき内容ではなく、概要か経済の分野に置くべきではないかなと感じました。&lt;br /&gt;
*沿革ですが、大幅に削除しています。雄別線や釧路駅関係は[[釧路駅]]に移してもいいと思います。炭坑は個別記事の方に書かれているので関連項目や産業に書けば十分でしょう。&lt;br /&gt;
*医療の部分は市立釧路総合病院を、釧根地区の第3次救急病院ということで記しておけばよいのではないかと思います。&lt;br /&gt;
*公立高校は北海道○○高等学校で名称が統一されていたと思いましたが、釧路市立はそれに則っていないのでしょうか？ご存じの方の確認をお願いしたいです。&lt;br /&gt;
*名所関係は…色々重複していて、どれを削りどれを分けどれを残したものか困っています。&lt;br /&gt;
*プロジェクトは活かすには分割するしたほうがいいかもしれません。釧路市の中で活かすと冗長になりすぎる恐れが。&lt;br /&gt;
*それ以外はまだ手をつけてません。&lt;br /&gt;
かなり削っていますので、おそらく不満に思われる点はあると思いますが、直接編集せずにまずこのページで提案してから編集されるようにお願いします。他の釧路市の産業草案などを作られる方がいれば、[[Wikipedia:利用者ページ|利用者サブページ]]やノートサブページをご活用下さい。[[利用者:Sasara|Sasara]]([[利用者‐会話:Sasara|&amp;lt;small&amp;gt;T&amp;lt;/small&amp;gt;]]/[[特別:Contributions/Sasara|&amp;lt;small&amp;gt;C&amp;lt;/small&amp;gt;]]) 2005年10月15日 (土) 18:04 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
釧路は道東（北海道東部）の中心かどうか、ですが私は否だと思っております。商圏だけでなく&lt;br /&gt;
行政面を見ても中心とはいえないでしょう。何と言っても北海道は「支庁」の役割が圧倒的に大きく、都道府県の境界並みの役割を果たしています。また、この支庁による区切りは認知度も高くも政治的・行政的・心理的に大きな壁であるとといえ、北海道においては、この大きな壁がかなり機能しております。道東は、北東北とくくったときの、青森秋田岩手みたいな構図かもしれません。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
確かに地裁や警察は十勝釧路根室網走の4支庁を管轄してます。しかし、これ以外でこのような分類はほとんどされません。北海道庁も今後行われるであろう支庁改革では、道東を3分類しています。民間企業もそれぞれに営業所や支店を置くというケースがほとんどで、道東の経済の中心とは言い難いです。道外との物流の拠点としてはそこそこの役割を果たしているのにしろ、大部分を占める北海道内の物流では、決して中心として機能していません。道東は釧路ー道東各都市という物流形態ではなく、道央ー釧路、道央ー北見・網走と完全に分かれています。道東の中心というのであれば、これらの都市との交流がもっと多いはずですが、人の移動もモノの移動もほとんどないのが現状です。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ですから釧路市は'''道東の拠点都市のひとつ'''、という表現あたりが妥当だと思っております。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
Sasaraさんは、&lt;br /&gt;
&amp;gt;釧路市が人口、経済規模で道東最大であるにも関わらず中心都市と標榜できないとすれば、そのことがむしろ恣意的だと感じます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
とおっしゃっておられます。釧路市単独の人口は確かに道東最大かもしれませんが、ベッドタウンである隣接町村を含めれば帯広市は釧路市を大きく上回ります。経済規模も、何を基準としているかは分かりませんが釧路市が道東最大とは断定できないでしょう。北海道内では、釧路が道東の行政・経済の中心だという認識はほとんどなされません。帯広市（あるいは北見市）と同等の位置で見られていることが一般的です。釧路・根室地方の中心が釧路市であることに意義はありませんが、十勝・網走を入れると大きく事情は異なってきます。釧路は行政、人口、経済規模、北海道内での一般認識の面からも道東最大とは言いづらいですね。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そもそも北海道内は区切りはいつも曖昧です。十勝と上川が同じ観光圏として分類されることがありますしね。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
それ以外は、皆さんが提案されている内容に概ね賛成です。Maruichan2005年10月17日 (月) 19:53 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:Maruichanさんが引用された「&amp;gt;釧路市が人口、経済規模で道東最大であるにも関わらず中心都市と標榜できないとすれば、そのことがむしろ恣意的だと感じます。」の部分は私ではなく、IPユーザさんの発言[http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88%3A%E9%87%A7%E8%B7%AF%E5%B8%82&amp;amp;diff=3233708&amp;amp;oldid=3230512]です。発言の間にレスいただいたのでいびつな流れになっています。レイアウトを直してよいものか…。[[利用者:Sasara|Sasara]]([[利用者‐会話:Sasara|&amp;lt;small&amp;gt;T&amp;lt;/small&amp;gt;]]/[[特別:Contributions/Sasara|&amp;lt;small&amp;gt;C&amp;lt;/small&amp;gt;]]) 2005年10月18日 (火) 03:13 (UTC)&lt;br /&gt;
::さらに本題へのレスを。今回経済規模が最大、という意見に賛成したのは日銀資料[http://www3.boj.or.jp/kushiro/kouhyou/kushiro/getu/getu0509/hyou0509.pdf]を参照した時に、釧路根室と十勝でわけたためです。今回は釧路市のことなので、釧路市よりも帯広管内のほうが人口が多いというのはどうかと思います（比べるならば釧路市と帯広市であるべきでしょう）。行政も市町村・道・国のどれに目を向けるべきか迷いますね。北海道であれば確かに警察くらいしか広域に渡る業務はしてませんし、国であれば裁判所や開建だとか、そのくらいでしょうか。まとめると、人口が現段階で道東最大なのは事実だと思います。それ以外の経済規模・行政については確たる資料がなくあいまい。異議のないと思われるのは、前述したように「釧路根室地方の中心」であることですかね。[[利用者:Sasara|Sasara]]([[利用者‐会話:Sasara|&amp;lt;small&amp;gt;T&amp;lt;/small&amp;gt;]]/[[特別:Contributions/Sasara|&amp;lt;small&amp;gt;C&amp;lt;/small&amp;gt;]]) 2005年10月18日 (火) 03:34 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
再びMaruichanです。&lt;br /&gt;
経済規模の点ですが、これは釧路根室対十勝の話という話ですので、釧路市と帯広市の経済規模を比較するのは不適当でしょう。そして、私は釧路市より十勝管内（帯広管内と言い方はまずない）の方が人口が多いといったつもりはありません。都市圏人口をのことを言ったまでです。&lt;br /&gt;
「行政も市町村・道・国のどれに目を向けるべきか迷う」とありますが、先述の通り支庁を基準としてほとんどの行政の管轄は決定しているのです。ですから、迷う必要などありませんし、釧路に本部があり十勝や北見を統括しているものは、全体の中でもごくわずかです（地裁、日銀など）。日銀は小樽、札幌、函館、釧路など&lt;br /&gt;
明治当時の区分そのままなので、当時とは既に状況が大きく変わっています。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「まとめると」、って勝手にまとめられても困ります。釧路市が道東最大の人口を持っていることはその通りですが、決して道東の中心ではないということです。&lt;br /&gt;
また、「それ以外の経済規模・行政については確たる資料がなくあいまい。」という言い方はちょっと乱暴ですね。ちゃんと調べるには時間がかかりますよ。北海道民なら当たり前の認識なのですが、資料をわざわざ出さないと認められないという言い方は悔しいですね。経済規模の話に関しては、別の方の発言を受けてレスしたもので、私も「わかりませんが」といってあります。行政を曖昧に言ったことはありません。あらゆる官庁の分類を調べていけばわかりますよ。自分でお調べになってはいかがですか。&lt;br /&gt;
胆振管内の一番大きい都市は苫小牧ですが、支庁も出先もみんな室蘭にあります。&lt;br /&gt;
はたして人口が多いだけで中心都市を標榜できるでしょうか。&lt;br /&gt;
恐らく、「中心」という言葉に関して意見の相違があるのでしょう。中心を標榜できるのは、周辺都市や道東地域がどれだけ依存しているかということです。上でも述べたように各都市とも札幌との結びつき（依存）は強いですが、道東各都市が釧路に依存しているという分野は少ないはずです。特に紋別や遠軽まで行くと、釧路との交流は皆無です。旭川のほうに近いでしょう。&lt;br /&gt;
ですから、'''道東の拠点都市のひとつ'''ならいいと思ってます。釧路市が道東最大人口を抱えている都市ということもいいのです。&lt;br /&gt;
だからといって、道東の中心ではないと思います。経済・行政の中心都市とはいえません。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:まずノートの発言では「&amp;lt;nowiki&amp;gt;~~~~&amp;lt;/nowiki&amp;gt;」で署名をお願いします。「まとめると」というのは私の発言中の文でしょうか。ともするととりとめのなくなってしまいそうな私の発言の総括をしただけで、'''決して議論の総括ではありません'''。誤解を招かれたのでしたら失礼しました。[[利用者:Sasara|Sasara]]([[利用者‐会話:Sasara|&amp;lt;small&amp;gt;T&amp;lt;/small&amp;gt;]]/[[特別:Contributions/Sasara|&amp;lt;small&amp;gt;C&amp;lt;/small&amp;gt;]]) 2005年10月22日 (土) 03:02 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
すっかり忘れてました。失礼しました。[[利用者:Maruichan|Maruichan]] 2005年10月22日 (土) 20:28 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 「沿革」について ===&lt;br /&gt;
 （原題：「沿革」についてby [[利用者:Opponent|Opponent]] ）&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
そうですねぇ、Yiuchanさまのご意見でよさそうに思いますが、わたくしの意見は少し違います。「沿革」の部分の細かい記事内容に関しては、力作だと思って評価いたしましたが、問題はこの細かい記事内容が、どういう読者を想定しているのか、という点にあるような気がしてなりません。釧路市のことをほとんど知らない人が読者&amp;lt;del&amp;gt;だったとした&amp;lt;/del&amp;gt;&amp;lt;ins&amp;gt;な&amp;lt;/ins&amp;gt;ら、「これを全部読んで理解しろ」、と言われているみたいで、それでは百科事典として、ちょっと不親切ではないか、という気がいたします。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
箇条書き、というのがその致命的な欠陥になっていると思うんです。例えばですね、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* 1891年の「鳥取神社　創祀」という部分ですけれど、この鳥取神社というのが釧路市の沿革でどういう意味を持っているのかがわからなければ、読者にとっては単に知らない固有名詞でしかないわけです。釧路市出身の方なら御存知かも知れませんけれども、知らない人にとっては意味不明なんですね。（【釧路の文化】）&lt;br /&gt;
* 1936年と1949年、1983年に釧路市立郷土博物館の記述があります。この郷土博物館は、釧路市にとってどんな存在なんでしょう？　どんな存在だったんでしょう。今はどういう博物館になっていますか？　その位置づけというか意義、存在価値や変遷がわからなければ、意味不明ですよね？　記事の別の部分に書かれているならば、問題はありませんが、ここにしか出てこないのでは困ります。（【釧路の文化】）&lt;br /&gt;
* 同様に「くしろデパート」が、1964年、1968年、1970年、2003年と4回出てきます。これも同様、釧路市民にとって「くしろデパート」がどんな存在なのか（だったのか）が、&amp;lt;ins&amp;gt;読者には&amp;lt;/ins&amp;gt;まったくわからないんです。（【釧路の商業】）&lt;br /&gt;
* 市長の綿貫健輔さんも3回登場しますが、どういう施策をした（あるいはしなかった）のか、説明がなければ、どういう人物だったのか、わかりませんね。この市長さんは釧路市にとってどんな貢献をなさった（あるいはなさらなかった）のでしょうか。市長さんの名前を教わっても、それだけでは知らない人にとって無意味ですよね？（【釧路の政治】）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
とまあ、そういう断片的で固有名詞がたくさん出てきて、その説明がないため、釧路市のアウトラインが非常につかみにくくなっているわけです。これだけのデータがありながら、説明がないために、かえってわかりにくい記述になっているのではないでしょうか。カッコ内に挙げた分類分けで記述されていた方が、分かりよくなりませんか？&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
だからといって、そういう固有名詞を新たに項目（記事）として立てればいいのか、というと、そうではないと思います。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
つまり、釧路市を知らない人にアウトラインを説明するために、あれこれの固有名詞のうち、'''何が不可欠なのか'''、というあたりから練り直してみてはどうでしょう。最低限知っておいておくべき固有名詞を切り口に、その意義や存在価値を説きながら、釧路市の概略を'''文章で述べる'''、という作業をしないと、せっかくのデータが生きません。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これに比べ、「概要」は文章になっていますが、「沿革」と比較して少し貧弱すぎませんか？　概要と呼ぶためには、最低これだけは押さえておいてほしい、という部分をもう少し補強していただければありがたいと思います。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、産業の部分も、第一次産業の農業・水産業、工業、商業・サービス業、など項目分けして、その部分で沿革を書くという方法がありますね。特に、釧路と言えば、かつては飛ぶ鳥を落とす勢いの漁業が栄えた町ではありませんか。以前旅行した際、かつての盛り場だった建物が壊されずに、そのまま廃墟のようになっているのを見て胸が潰れるような切ない思いをしたことがありました。沿革を書くとすれば、その栄枯盛衰の経緯や理由を分析して、&amp;lt;ins&amp;gt;水産業の項目で&amp;lt;/ins&amp;gt;詳しく述べていただけると、ありがたいと思うんです。特に、水産業の町として栄えた歴史は非常に有名ですから、概要にもダイジェストを入れるべきではないかと思いました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
観光、祭り・イベントにしても、釧路を訪れる観光客にとって、どこが人気なのか、釧路市民おすすめの見どころはどこなのか、どういう施設があるのか、いちばんいい季節はいつごろか、行政が力を入れている目玉の観光にはどういうものがあるのか、これまで観光がどのような変遷を遂げたのか、経済効果はどうなのか、など切り口はたくさんあるはずです。そういった説明がほとんどなくて、観光地や祭り・イベントをただ箇条書きに並べただけでは、読む&amp;lt;del&amp;gt;方&amp;lt;/del&amp;gt;&amp;lt;ins&amp;gt;側&amp;lt;/ins&amp;gt;が困惑してしまうのではないでしょうか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そういった視点で、「沿革」の部分を文章化しながら、適切な項目に移動しつつ、各項目をふくらませていく。こういう作業をしていただければ、もう少し読みやすくなるのではないかという感想を持ちました。読者の身になって執筆していただければ、と思う次第です。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
もちろん、「沿革」の部分&amp;lt;del&amp;gt;は&amp;lt;/del&amp;gt;&amp;lt;ins&amp;gt;を&amp;lt;/ins&amp;gt;別項目（別記事）&amp;lt;del&amp;gt;を&amp;lt;/del&amp;gt;『上級編』として独立・保存することに異存はございません。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
以上、まとまりのない文章ですが、ご一考下さいませ。&amp;lt;br&amp;gt; - [[利用者:Opponent|Opponent]] 2005年10月14日 (金) 12:53 (UTC)&amp;lt;br&amp;gt; - [[利用者:Opponent|Opponent]] 2005年10月14日 (金) 14:47 (UTC)（修正）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:修正時に気付いたことをいくつか：&amp;lt;br&amp;gt;&amp;lt;br&amp;gt;　沿革の部分を「力作だ」と述べましたが、これだけのデータが揃っているわけですから、データが正確ならば豊かな記事を書く素材の宝庫になっています。そういう意味で、たいへんな力作だと思うんです。&amp;lt;br&amp;gt;&amp;lt;br&amp;gt;　「いちばんいい季節はいつごろか」と書いてて思い出しました。釧路と言えば霧の町ですよね。「夏季は南北からの暖気と冷気がぶつかり霧が発生しやすい」との記述は確かにありますが、これでは読み落としてしまうでしょう。何月頃だったか覚えていませんが、確か初夏の頃かな？　ものすごい濃霧で見通しが悪く、夏なのに肌寒く、新参者としてとても不思議な印象でした。小高い斜面から、全く視界のないはるか彼方から汽笛（霧笛？）が聞こえてきてミステリアスな雰囲気。土地の方に聞くと「○月ごろなら晴れ間がある」みたいな説明だったと思います。ページ内検索で「霧」の字は六ヶ所しかありません。土地の方ならば当たり前でしょうけれど、よそ者にとって、とても新鮮で印象に残る体験だったんです。「霧フェスティバル」「霧色ラーメン」「夜霧にむせぶ寅次郎」などの名称も、釧路名物「霧」が由来なんだと思うんですが、違いますか？　もしそうだとすれば、もう少し説明が必要なのでは？&amp;lt;br&amp;gt;&amp;lt;br&amp;gt;　もう一つ思い出、花咲ガニがすごく安くて、べらぼうに美味しかった。特産品もたくさんあるんでしょう？　こういう説明は箇条書きではなく、説明文で描写した方が印象的だと思いますよ。 - [[利用者:Opponent|Opponent]] 2005年10月14日 (金) 14:47 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:「花咲ガニ」は例としてあげられたと思いますが、産地が釧路だけでなく東北海道全体（根室市も）に及んでいるので、釧路市の特色として採り上げる（関連付ける）のはちょっと焦点がぼやけないか気になります。--[[利用者:こたつ狼|こたつ狼]] 2005年10月15日 (土) 02:08 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 「産業」の創設 ===&lt;br /&gt;
（原題：釧路市の産業の創設を提案）&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
Sasaraさんのご意見のように[[Wikipedia:ウィキプロジェクト 日本の市町村]]に沿っている記事とは言い難い沿革であると思います。また、Opponentさんの意見にはとても共感できました。機械的に日付順に書くので、ひとつひとつの事象が断片的になり、理解しづらいものになっているのですね。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''&amp;gt;「沿革」の部分を文章化しながら、適切な項目に移動しつつ、各項目をふくらませていく。（[[利用者:Opponent|Opponent]]）'''&lt;br /&gt;
:この方向で編集していくのがどうやらよさそうな気がします。そして、最終形として[[Wikipedia:ウィキプロジェクト 日本の市町村]]に添えるような体裁に整えていきませんか？手始めに'''「釧路市の産業」'''という記事を新たに作り、それに「沿革」の農林水産業、鉱工業、商業、メディアに関する箇条の抜粋と「産業」の項目全てをその記事に移設して、その後、新しい記事釧路市の産業で沿革の文書化等をしてみてはどうでしょうか？（ただし、保護直前に削除されてしまった沿革のいくつかのメディアに関する箇条を含める）近日中に私Yiuchanが、試作記事を作ってみます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''&amp;gt;釧路市を知らない人にアウトラインを説明するために、あれこれの固有名詞のうち、''何が不可欠なのか''、というあたりから練り直してみてはどうでしょう。（[[利用者:Opponent|Opponent]]）'''&lt;br /&gt;
:この示唆も重要ですが、今までの削除とrvtの繰り返しの件があるので、今はとりあえず分けることだけに専念した方がいいと思います。&lt;br /&gt;
:更なるご意見をお待ちします。--[[利用者:Yiuchan|Yiuchan]] 2005年10月15日 (土) 00:57 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::（条件付き賛成）最終的に作るのは賛成です。しかし元記事が保護中の間に新規記事を作ることは避けませんか？　上で書きましたが、利用者サブページを使って草案を作り、合意が形成できるまでは記事を作らないほうがよいのではないかと思います。（作るときも履歴の継承が必要だと思います、ご注意下さいませ）[[利用者:Sasara|Sasara]]([[利用者‐会話:Sasara|&amp;lt;small&amp;gt;T&amp;lt;/small&amp;gt;]]/[[特別:Contributions/Sasara|&amp;lt;small&amp;gt;C&amp;lt;/small&amp;gt;]]) 2005年10月15日 (土) 18:04 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
Sasaraさん、ご指摘ありがとうございます。サブページを使用させていただきます。私が作った草案「[[利用者:Yiuchan/釧路市の産業]]」は段階的に編集していきたいと思います。ただ、必ずしも正確とは言いがたい沿革の内容などが、編集中に多々発見されています（例：太平洋炭鑛のガス爆発事故の箇条が2つあり、どちらも死者数が同じ）。1つずつ分かる範囲で確かめながら編集していきます。よろしくお願いします。--[[利用者:Yiuchan|Yiuchan]] 2005年10月16日 (日) 23:57 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 「産業」草案完成 ===&lt;br /&gt;
（原題：釧路市の産業の草案完成）&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
2週間かかりましたが、「[[利用者:Yiuchan/釧路市の産業]]」の草案が完成しました。草案の内容につきまして皆さんにご確認をいただきたいと思います。よろしくお願いします。--[[利用者:Yiuchan|Yiuchan]] 2005年10月29日 (土) 05:13 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*すでにちゃんと話は進んでいっているようですが、一応一言。昨年末から忙しくなりまして、色々やるやるいいながらもそのままウィキブレークに入ってしまい申し訳ありませんでした。みなさんの手でよりよい記事になるように願っています--[[利用者:Sasara|Sasara]]([[利用者‐会話:Sasara|&amp;lt;small&amp;gt;T&amp;lt;/small&amp;gt;]]/[[特別:Contributions/Sasara|&amp;lt;small&amp;gt;C&amp;lt;/small&amp;gt;]]) 2006年4月12日 (水) 11:22 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 編集保護 ==&lt;br /&gt;
ここ1週間ほど編集合戦になっていたため編集保護しました。（どこかで文句を言われている気がしたので一応書き付けておきますが）特定の版に差し戻して保護をかけることは認められていませんので、見つけた時点の版で保護しました。ノートページで議論を行い合意を形成してください。--[[利用者:Brevam|Brev]][[user talk:Brevam|am]] 2005年10月12日 (水) 17:05 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 保護のタイミングについて ===&lt;br /&gt;
（原題：編集保護のタイミングについて）&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
相手はノートページでの議論参加を終始拒否（無視）しています。ノートページでの議論に参加せざるを得なくする為にも、（実質、差し戻しであっても）削除された部分をBrevamさん自身が復旧代行編集した上で保護をかけられても良かったのではないでしょうか。「都合良く、意図通りの内容で手出し出来ない状態になってくれたのだから」と、このままダンマリを決め込む様な気がします。--[[利用者:こたつ狼|こたつ狼]] 2005年10月12日 (水) 17:56 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
仮に編集保護が解除されたとしても、問題が全く解決するとは思いません。一般認識とかけ離れた、釧路市を過大に評価する恣意的な記述に私はきわめて強い不満を持っております。保護解除後に、「注意・このページは特定個人により改変され偏っている」とでも冒頭に表示がされるといいと思います。このままではウィキペディアそのものへの信頼が失われてしまいます。このような行為が、罪もない釧路市のイメージが悪くしていることに気がつかないのでしょうか。[[利用者:Maruichan|Maruichan]] 2005年10月13日 (木) 19:20 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 保護解除について ==&lt;br /&gt;
この保護についての議論ですが、相手方が出てこないまますでに話が止まっているように思います。保護を解除し、また荒らしが行われるようであれば[[Wikipedia:投稿ブロック]]を依頼するのはどうでしょうか。--[[利用者:ほくなん|ほくなん]] 2005年11月30日 (水) 15:57 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:下記は、問題の連続削除を行った人物の履歴とＩＰアドレス解析です（おおまかな抜粋ですが）。&lt;br /&gt;
*投稿ブロック依頼が必要になる場合の参考になるかは判りませんが（最後の削除者を除き、殆どはぷららネットワークスが使用ＩＳＰですね）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
①http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E9%87%A7%E8%B7%AF%E5%B8%82&amp;amp;diff=3204148&amp;amp;oldid=3203768&lt;br /&gt;
 【　210.237.246.122　】&lt;br /&gt;
 Network Information: [ネットワーク情報] &lt;br /&gt;
 a. [IPネットワークアドレス] 210.237.192.0/18 &lt;br /&gt;
 b. [ネットワーク名] ODN &lt;br /&gt;
 f. [組織名] オープンデータネットワーク(日本テレコム株式会社) &lt;br /&gt;
 g. [Organization] Open Data Network(JAPAN TELECOM CO.,LTD.) &lt;br /&gt;
 m. [管理者連絡窓口] YN234JP &lt;br /&gt;
 n. [技術連絡担当者] YN234JP &lt;br /&gt;
 p. [ネームサーバ] ns2.odn.ne.jp &lt;br /&gt;
 p. [ネームサーバ] ns4.odn.ne.jp &lt;br /&gt;
 [割当年月日] 1999/02/15 &lt;br /&gt;
 [最終更新] 2000/10/31 12:40:03(JST) &lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
 上位情報 &lt;br /&gt;
 ---------- &lt;br /&gt;
 日本テレコム株式会社 (JAPAN TELECOM CO.,LTD.) &lt;br /&gt;
 [割り振り] 210.237.128.0/17 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
②http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E9%87%A7%E8%B7%AF%E5%B8%82&amp;amp;diff=3192557&amp;amp;oldid=3192511&lt;br /&gt;
 【　60.42.33.12　】&lt;br /&gt;
 Network Information: [ネットワーク情報] &lt;br /&gt;
 a. [IPネットワークアドレス] 60.42.0.0/16 &lt;br /&gt;
 b. [ネットワーク名] PLALA &lt;br /&gt;
 f. [組織名] 株式会社ぷららネットワークス &lt;br /&gt;
 g. [Organization] Plala Networks Inc. &lt;br /&gt;
 m. [管理者連絡窓口] MN2905JP &lt;br /&gt;
 n. [技術連絡担当者] HS3694JP &lt;br /&gt;
 p. [ネームサーバ] dns1.plala.or.jp &lt;br /&gt;
 p. [ネームサーバ] dns2.plala.or.jp &lt;br /&gt;
 p. [ネームサーバ] ns-tk061.ocn.ad.jp &lt;br /&gt;
 [割当年月日] 2004/09/22 &lt;br /&gt;
 [最終更新] 2004/09/22 15:02:01(JST) &lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
 上位情報 &lt;br /&gt;
 ----------&lt;br /&gt;
 エヌ・ティ・ティ・コミュニケーションズ株式会社 (NTT COMMUNICATIONS CORPORATION) &lt;br /&gt;
 [割り振り] 60.32.0.0/12 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
③http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E9%87%A7%E8%B7%AF%E5%B8%82&amp;amp;diff=3180936&amp;amp;oldid=3180775&lt;br /&gt;
 【　58.89.24.90 　】&lt;br /&gt;
 Network Information: [ネットワーク情報] &lt;br /&gt;
 a. [IPネットワークアドレス] 58.89.0.0-58.89.193.255 &lt;br /&gt;
 b. [ネットワーク名] PLALA &lt;br /&gt;
 f. [組織名] 株式会社ぷららネットワークス &lt;br /&gt;
 g. [Organization] Plala Networks Inc. &lt;br /&gt;
 m. [管理者連絡窓口] MN2905JP &lt;br /&gt;
 n. [技術連絡担当者] HS3694JP &lt;br /&gt;
 p. [ネームサーバ] dns1.plala.or.jp &lt;br /&gt;
 p. [ネームサーバ] dns2.plala.or.jp &lt;br /&gt;
 [割当年月日] 2005/04/05 &lt;br /&gt;
 [最終更新] 2005/04/05 11:23:12(JST) &lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
 上位情報 &lt;br /&gt;
 ---------- &lt;br /&gt;
 エヌ・ティ・ティ・コミュニケーションズ株式会社 (NTT COMMUNICATIONS CORPORATION) &lt;br /&gt;
 [割り振り] 58.88.0.0/15&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
--[[利用者:こたつ狼|こたつ狼]] 2006年2月20日 (月) 06:20 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:それと、前から気付いてて気になっていたんですが、[[帯広市]]記事の沿革にて偶然なのか同じＩＳＰ利用者の方が、釧路記事連続改竄の特徴の一つであるＴＶＨ開局可能性について触れた箇所書きにて、釧路市記事の該当箇所では何度も「開局の可能性無し」と書き込まれていましたが、帯広市記事該当箇所では、全く逆に開局の可能性があるかの様な記述をされた形跡があります。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*疑ってはキリがありませんが、一応、一連の連続削除・改竄の動機として、隣接都市の評価を記事編集を通じて貶め、比較される機会が多い帯広市を相対的に評価が上がる様、工作を謀りたいが為の行動だったという仮説もあるのかも。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*（「そんな馬鹿な。そこまでするだろうか」という意見もごもっともですが、[http://travel2.2ch.net/chiri/ ２ちゃんねるの地理お国自慢板]とか一度でも見られたら、そういう目的で記事改竄に手を染める人も居てもおかしくないという事が判るかと思います）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
①http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%B8%AF%E5%BA%83%E5%B8%82&amp;amp;diff=3753511&amp;amp;oldid=3576434&lt;br /&gt;
 【　220.220.164.181　】&lt;br /&gt;
 Network Information: [ネットワーク情報] &lt;br /&gt;
 a. [IPネットワークアドレス] 220.220.0.0/16 &lt;br /&gt;
 b. [ネットワーク名] PLALA &lt;br /&gt;
 f. [組織名] 株式会社 ぷららネットワークス &lt;br /&gt;
 g. [Organization] Plala Networks Inc. &lt;br /&gt;
 m. [管理者連絡窓口] MN2905JP &lt;br /&gt;
 n. [技術連絡担当者] HS3694JP &lt;br /&gt;
 p. [ネームサーバ] dns1.plala.or.jp &lt;br /&gt;
 p. [ネームサーバ] dns2.plala.or.jp &lt;br /&gt;
 p. [ネームサーバ] ns-tk061.ocn.ad.jp &lt;br /&gt;
 [割当年月日] 2003/08/19 &lt;br /&gt;
 [最終更新] 2004/02/02 15:40:16(JST) &lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
 上位情報 &lt;br /&gt;
 ---------- &lt;br /&gt;
 エヌ・ティ・ティ・コミュニケーションズ株式会社 (NTT COMMUNICATIONS CORPORATION) &lt;br /&gt;
 [割り振り] 220.220.0.0/16 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
--[[利用者:こたつ狼|こたつ狼]] 2006年2月20日 (月) 06:49 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 本文が削除されている件について ==&lt;br /&gt;
（原題：本文記事が根こそぎ全部、バッサリ消えてますが）&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
新しく作り直されている最中なんでしょうか？--[[利用者:こたつ狼|こたつ狼]] 2006年2月7日 (火) 16:23 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
-本日、再度確認したところ、保護直後の版で復活してました。お騒がせしました。--[[利用者:こたつ狼|こたつ狼]] 2006年2月9日 (木) 02:18 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
もうそろそろ、編集保護を解除してはいかがでしょうか？[[利用者:Porosatu|Porosatu]] 2006年2月25日 (土) 09:29 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 半保護への保護解除依頼予告 ==&lt;br /&gt;
保護後の反応などもないことですし、とりあえず編集合戦になりそうなのは特定のIPユーザということですし、1週間程度様子を見て、反対意見がないようであれば''半保護'' (IP, 登録後すぐの新規ユーザの編集不可) に移行するよう、[[Wikipedia:保護解除依頼|保護解除依頼]]を出そうと思います。反対意見のある方はお早めに。--[[利用者:ほくなん|ほくなん]] 2006年3月21日 (火) 01:06 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 句読点について ==&lt;br /&gt;
（原題：閉じ括弧「　）　」の一つ前に「　。　」が一斉追加された事について）&lt;br /&gt;
ちょっと細かい指摘で申し訳ないのですが、括弧文の中の最終文末に「。」を一斉に追加挿入された方がいらっしゃる様です。（括弧の中の）文と文の境界（前の文の文末）に「。」を置くのは良いとしても、閉じ括弧の直前にまで「。」を記述してしまうのはどうなんでしょうか。辞書云々以前の問題（日本語の文章の書き方全般としての違和感）の様に思います。数も多く、いきなりそれを元に戻すと、編集合戦にもなりかねない事を危惧し、今回はとりあえずノートへの提議に留めておきます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*例1（「沿革」より）- 1919年4月10日（大正8年） 釧路唯一の地酒「福司」を製造・販売する合名会社敷島商会（1991年7月1日、福司酒造に改称。）が創業。 &lt;br /&gt;
*例2（「交通」より）- 太平洋石炭販売輸送　国内唯一の炭鉱鉄道（かつては城山駅～東釧路駅～入舟駅まで運行、現在は春採駅～知人駅まで運行。）&lt;br /&gt;
[http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E9%87%A7%E8%B7%AF%E5%B8%82&amp;amp;diff=5012835&amp;amp;oldid=5010839 おそらく最初の本件の更新履歴（2006年3月23日 (木) 14:00）]&lt;br /&gt;
--[[利用者:こたつ狼|こたつ狼]] 2006年6月21日 (水) 08:50 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 記事の削除について ==&lt;br /&gt;
（原題：どうやら記事が随所ばっさり削除（世界三大夕日に絡んだ記述・沿革随所・釧路にまつわる著作物など[http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E9%87%A7%E8%B7%AF%E5%B8%82&amp;amp;diff=7439431&amp;amp;oldid=7431790 （該当版間差分）]）されてます）&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''[http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85:Sir&amp;amp;action=history 編集に着手された方の他記事履歴]'''等で'''[http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85:Sir 同氏の編集方針・考え方]'''をある程度見定め対話出来ないか思案したものの、どうもそれは難しい感じ（他記事の修正コメントに見られる幾つかの挑発的な文言などより）です。[http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85%E2%80%90%E4%BC%9A%E8%A9%B1:Sir 同氏の対話ページ（こちらも参考に）] &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「幻に終わったプロジェクト」修正内容一つとっても、新幹線に関連しない記事まで、一見、関連下に見えてしまう様な構成にされてしまったりと、困ったものです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
他の住人の方の意見も交え、本件についての対処など討議をお願いいたします。--[[利用者:こたつ狼|こたつ狼]] 2006年9月2日 (土) 19:40 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:住人ではないのですが、記事を参照する立場から意見を書かせていただきます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:調べものをしていて、たまたま「ばっさり削除」される前の記事をgoogleのキャッシュで見たのですが、正直言って「なんじゃこりゃ。なんでも書きゃあいいってもんじゃないだろ」と感じてしまいました。大規模小売店舗などの出店や撤退、甲子園への出場といった内容は、都市の解説としてはいささか行き過ぎではないかと思います。都市の概要を得る上ではさしたる情報ではなく、逆に沿革を窺わせる重要な情報を埋もれさせてしまっていました。少なくとも「沿革」については、今の内容の方が見やすいと思います（削除された部分を復活させるのであれば、すでに議論に出ているように別記事にまとめるほうがいいと思います）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:同じように、「有名人」の項もやや冗長です。少々見辛かったので勝手ながら手を入れさせていただきましたが、「なぜここに書かねばならないのか」という内容が散見されます。例えば、「歌手」「漫画家」といった内容は書かれていた方がわかりやすいと思いますし、「『ゴジラ』や『ビルマの竪琴』などの映画音楽で特に知られる」「千円札のタンチョウの元写真を撮影」「日本人初のNHL選手」などの情報は有用ですが（「こんな人がいたのか」と参考になる）、本名やよみがななどは完全に余計です（その人の記事に書かれていれば済むこと）。特に、「はた万次郎」氏の項は酷すぎます。詳細な情報はご本人の項目に書かれるべきでしょう（削除しようかとも思いましたが、当該記事には書かれていない内容があるのでやむなく残しておきました）。情報の分散を防ぐためにも、説明は人となりがわかる最低限度のものにし、それ以上の記載についてはそれぞれの項目の充実を図るべきです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:しかし、なんでも削ればいいというものでもありません。例えば、「地理」の項から削除された「三大夕日」の件などは有用であると思います（ただし、このような情報は「観光」の中にあったほうがわかりやすいのでは）。また、「観光」「食文化」の中の説明も一部削除されていますが、幣舞橋が「北海道三大名橋」「釧路十景」である程度のことは書かれていてもいいと思いますし（彫刻の件は幣舞橋の項にあればいいと思います）、該当項目が存在しないものについては説明がないと逆に不親切です。また、ザンギが釧路発祥であるとか、鯨肉料理は調査捕鯨の拠点となったことから広まったなどという説明は、街の輪郭を描き出してくれて大変参考になります。&lt;br /&gt;
:（余談ですが、件の削除の際、名称の一部を誤って削除したり、ゴミが残ったりしている箇所があるようですね。）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:長々と書いてしまいましたが、すでに意見に出されているとおり、「不可欠な情報」のみが「整理して」書かれていることが、情報を参照しようとする側から見ると非常に重要です。--[[利用者:（五）|（五）]] 2006年9月3日 (日) 22:22 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:だいぶカットされたようですが、色々な事情があるんでしょうねえ。2006年9月7日 (木) 21:55 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::125.203.39.110（使用ISP:ぷららネットワークス）さん、ノート記述の最後には、必ず「&amp;lt;nowiki&amp;gt;--~~~~&amp;lt;/nowiki&amp;gt;」（署名）の記述をお願いします。　　　「だいぶカットされたようですが、色々な事情があるんでしょうねえ。」＜削除は誰でも自由に出来てしまうのがウィキペディア辞書の特徴です。--[[利用者:こたつ狼|こたつ狼]] 2006年9月8日 (金) 16:41 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 見出しや要約記載は簡潔に ==&lt;br /&gt;
雑談をしたいのであれば[[井戸端]]か個人の掲示板上でどうぞ。また、ノートの見出しや編集内容の要約部分にだらだらと文章を羅列するのは無駄以外の何者でもありません。見づらい部分は原題を残しつつ改変しました。--[[利用者:Sir|Sir]] 2006年9月8日 (金) 23:19 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 残念ですが ===&lt;br /&gt;
とうとう'''[http://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:%E6%8A%95%E7%A8%BF%E3%83%96%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%AF%E4%BE%9D%E9%A0%BC/Sir_1103 無期限の投稿ブロック]'''が執行されてしまいましたね。--[[利用者:こたつ狼|こたつ狼]] 2007年8月22日 (水) 13:02 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 沿革に炭鉱は必要か？ ==&lt;br /&gt;
炭鉱など、特定産業の沿革は、市の沿革に不適切と思う。 2006年9月21日 (木) 17:39 [[利用者:Ue|Ue]]（Sir追記）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== IP58.93.186.160氏の投稿について ==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2008年2月22日 (金) 04:32のIP58.93.186.160氏の「世界三大一覧バリ等、マニラ＜サントリーニ島」は、意図不明。&lt;br /&gt;
「一覧」という言葉にリンクを張ろうとでもしたのか？&lt;br /&gt;
IP投稿は本人に確認も取れないのでIP投稿は望ましくない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
58.93.186.160氏は投稿においてミスの多さも目立つ。利用者‐会話:58.93.186.160においてはるひ氏に2008年2月22日 (金) 05:40に、「「プレビューを実行」ボタンを活用されることをお勧めします」と注意されている。&lt;br /&gt;
[[サンドボックス]]も利用できるので、[[Help:サンドボックス]]を勉強して、[[Wikipedia:サンドボックス]]や[[Wikipedia‐ノート:サンドボックス]]も利用されたい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
小川義行&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
--[[利用者:小川義行|ほわーりィばーど]] 2008年5月1日 (木) 08:27 (UTC)&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>小川義行</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88:%E9%87%A7%E8%B7%AF%E5%B8%82</id>
		<title>ノート:釧路市</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88:%E9%87%A7%E8%B7%AF%E5%B8%82"/>
				<updated>2008-05-01T08:43:44Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;小川義行: /* IP58.93.186.160氏の投稿について */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;''この記事は一度削除されています。削除に関する議論は[[Wikipedia:削除依頼/{{{1|釧路市}}}]]をご覧ください。''&lt;br /&gt;
----&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 沿革について(1) ==&lt;br /&gt;
（原題：沿革に、下記を追加したいのですが、残念ながら判りません）&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
年月日が駄目なら年月、それでも駄目ならせめて年（西暦年、または元号年）だけでも御存知のお方、是非、加筆協力をお願いします。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::・　ほくそうデパート釧路店（くしろデパート斜め向かいの安藤印房の裏）　閉店撤退時期&lt;br /&gt;
::・　ＶＡＮミウラ　起業時期（大きな商業店舗では無いですが、名称・取り扱い製品がかつての世相に大きく連動しているので、掲載を望みます）&lt;br /&gt;
::・　ショッピングヤスモト（リビングヤスモト？）　開店時期&lt;br /&gt;
::・　ショッピングヤスモト　閉店時期&lt;br /&gt;
::・　丸三鶴屋　屋上閉鎖時期&lt;br /&gt;
::・　オリエンタルデパート　飲食店ビルに業態変更（オリエンタルプラザに改称）した時期&lt;br /&gt;
::・　ＹＥＳそうご電器　釧路進出時期&lt;br /&gt;
::・　旧北海道拓殖銀行　釧路支店　開行時期&lt;br /&gt;
::・　パステルタウン　完成時期&lt;br /&gt;
::・　釧路市立図書館（現建物）　改築完成時期&lt;br /&gt;
::・　地元スーパータイスイ　閉店時期&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::・　ＮＨＫテレビ（総合テレビ、教育テレビ）　釧路放送局　音声多重放送開始時期&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::・　市内各小中高の開校時期、閉校時期（例：私立　旧第一高校など）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::・　マクドナルド　釧路進出時期&lt;br /&gt;
::・　ロッテリア　釧路進出時期&lt;br /&gt;
::・　シェーキーズ　釧路進出・撤退時期&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 2005年6月29日 (水) 16:15 219.162.9.84（追記 Sir）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:::一切不要です。一般の店舗の出店・撤退を入れる必要性は微塵もありません。--[[利用者:Sir|Sir]] 2006年9月8日 (金) 23:19 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 沿革について(2) ==&lt;br /&gt;
（原題：沿革に特定の店舗の開店や閉店、釧路市の公共施設の開設時期、テレビ局の放送開始時期などについて記載がありますが）&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
これは百科事典として本当に必要なんでしょうか？コメントアウトしました。&lt;br /&gt;
上記の沿革に追加してほしい内容も必要ない事項ばかりです。[[利用者:Yamabig|Yamabig]] 2005年7月2日 (土) 05:11 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
私も同感です。'''しかも都合の悪い情報は隠し、少しでもよく見せようとするのが極めて悪質です。'''そして2CH（釧路スレッド）でやたらとこのよく見せかけたページへと誘導している。釧路を愛する気持ちは結構ですが、自分のHPを持つなどしてそこで大いにやって下さい。但し、「その他」のページは面白いのでここはこのままでもよいかと。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
私も同感です。市の歩みを紹介するならば別に新たに頁を作成した方がいいと思います。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
Maruichan2005年10月12日 (水) 19:13 (UTC)~&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:＞'''しかも都合の悪い情報は隠し、少しでもよく見せようとするのが極めて悪質'''&lt;br /&gt;
:そうでしょうか。９０年代初頭（記事の対象である都市の衰退期）あたりからは、むしろ閉店・撤退・倒産・廃業のオンパレードで、むしろそれら（他、市長による隣町選挙への介入・逮捕など）を淡々と寒々しく冷徹に書き連ねられた内容だと思えるんですが。--[[利用者:こたつ狼|こたつ狼]] 2005年10月14日 (金) 18:35 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
私もこの特定店舗の記載は不要だと思っていました。ただし　少しでもよく見せようという恣意的なものは一切感じません。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:&amp;gt;'''閉店・撤退・倒産・廃業のオンパレードで、むしろそれら（他、市長による隣町選挙への介入・逮捕など）を淡々と寒々しく冷徹に書き連ねられた内容だと思えるんですが。'''&lt;br /&gt;
:淡々と冷徹に連ねていることには賛成するのですが、「大手」とか「最大」といった言葉が恣意的さを助長している気がしてやみません。なお、現在、私が草案作成中の「釧路市の産業（[[利用者:Yiuchan/釧路市の産業]]）」では、個々の店舗の詳細には触れず、'''人口減少等による地元企業の相次ぐ撤退と、新しい商業の振興策やイオン等のショッピングモールの台頭'''といったような内容の文章にまとめて掲載しようと考えています。--[[利用者:Yiuchan|Yiuchan]] 2005年10月16日 (日) 23:57 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
説明不足だったかも知れません。&lt;br /&gt;
店舗の開店閉店の部分のことではなく、私は概要とか地理などの項目の説明について不満があるのです。では、疑問点を具体的に列挙していきたいと思います。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*1　「釧路は北海道東部の政治・経済の中心地」　帯広・北見とは経済圏が別。釧路は東北海道の中心地と言えるほどの勢力圏でないのが北海道内での常識だと思われます。釧路市の人口そのものは一番ですが周辺人口を足すと、帯広市の方が大きかったりします。北海道東部という分類方法もほとんど使われることがありません。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*2　「苫小牧市・室蘭市・石狩市と並び北海道で三番目の規模を誇る国際貨物取扱量」　国際貨物に限定している点が恣意的です。釧路港全体の貨物取扱量でみてみると釧路港は函館港よりも下です。しかも室蘭港・苫小牧港は「重要港湾」釧路港よりも上の格である「特定重要港湾」に指定されています。したがって「並んでいる」という記述には誇張を感じます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*3　「合併で過疎地に指定された→削除」　これは、地元の新聞やマスメディアでも大きく取り扱われている事項です。現在の版では「合併した自治体が過疎地だったため」とありますが、その理由ではありません。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*4　「鈴木宗男」　選挙区が釧路であるだけで、所以が深いというのはどうかと。　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*5　夏に一ヶ月程度飛んだだけの伊丹－釧路便を季節便として載せるのはどうかと。昨年は運行の実績もありませんし来年もどうなるか分かりません。普通季節便という場合はもう少し期間の長いものをさすことが一般的です。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*6　「苫小牧と並ぶ日本を代表する紙パルプのまち」　静岡県富士市のほうが大きなシェアでは。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*7　釧路市は、あたかも産業が盛んであるかのような記述が多いですが、釧路市の製造品出荷額は北海道内でも工業が盛んな苫小牧市・室蘭市には遠く及ばず函館市・千歳市以下です。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*8　合併で釧路市の人口密度も大きく下がりました〔147.9人／km²〕。正しくは、「北海道での都市人口二位で中核市でもある旭川市「477.44人／km²」に大きく引き離される）。」です。合併に関する記述が細かく書かれているのに、この部分だけ削除されないのは恣意的なのではないでしょうか。人口密度の記述を削除せずに、北海道で言えばどこの町村並みの人口密度かが知りたいです。&lt;br /&gt;
削除ということは、釧路にとって都合の悪いデータを消すことにほかなりません。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
早急な訂正を。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
とにかく、行き過ぎた釧路粉飾記述をやめて、ある程度は中立を守ってくださることを希望します。[[北海道]]の解説も多分この方が書かれたのでしょう。--Maruichan2005年10月17日 (月) 18:24 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== あって良いと思います ==&lt;br /&gt;
出身者にとっては非常に判り易いマチの歴史を示していると思いますし、非出身者にとっても、一つの地方都市の興隆を示すうってつけの指標になるのでは。こういう記録は、他の都市解説の頁でも増やしていくべきです。学術的な歴史ばかりだけでは駄目です。 -- ''署名がありませんが、この投稿は2005年7月5日 (火) 14:46 (UTC)の61.207.111.95(IP)さんによる投稿です。''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== これらの記事を残しておくことは ==&lt;br /&gt;
[[Wikipedia:ウィキペディアは何でないか]]に抵触しませんか？ローカルな特定の店舗名などについては[[Wikipedia:専門用語には解説を]]に則って新規項目を作る必要があると思います。しかし、あまりにマイナーな項目であるため、[[Wikipedia:ウィキペディアは何でないか]]内の'''ウィキペディアはナレッジ・ベースではありません'''に抵触すると思うのです。--しげちー 2005年9月19日 (月) 11:25 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 神田日勝 ==&lt;br /&gt;
釧路出身の画家です。鹿追町に晩年住んでおりました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 岩合光昭 ==&lt;br /&gt;
（原題：「出身の有名人・所縁の深い有名人」に加えられていた「岩合光昭」（写真家。東京生まれ）ですが）&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
ネットで検索をかけても、特に釧路市との接点（釧路市民だった時期が存在、発表した写真集等の出版物が釧路と関連、釧路に関連するイベントに協力等）が見つかりません。よく似た名前の写真家「岩合徳光」、こちらは釧路市生まれですが。コメント化しておきます。加えた方（この件で編集に共同参加された方）、この一文に気づかれましたら、宜しければ岩合光昭氏を「出身の有名人・所縁の深い有名人」の中に加えた理由を教えてください。 -- ''署名がありませんが、この投稿は2005年8月26日 (金) 04:16 (UTC)の222.147.4.99(IP)さんによる投稿です。''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
岩合光昭さんは岩合徳光さんのご子息です。両者とも著名な動物写真家です。--[[利用者:Hmr|Hmr]] 2005年12月17日 (土) 04:48 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 署名のお願い ==&lt;br /&gt;
（原題：ノートに投稿の際には最後に&amp;lt;nowiki&amp;gt;--~~~~&amp;lt;/nowiki&amp;gt;を入れていただけるようお願いします）&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
詳しくは[[Wikipedia:編集の仕方#署名]]や[[Wikipedia:ノートのページでは投稿に署名をする]]をお読み下さい。--[[利用者:210.159.150.33|210.159.150.33]] 2005年9月3日 (土) 05:58 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;nowiki&amp;gt;--~~~~&amp;lt;/nowiki&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== FMくしろについて ==&lt;br /&gt;
（原題：沿革から民放ＦＭ局市内放送開始・市内コミュニティーＦＭ放送開局（ＦＭくしろ）開局を何度も削除している方へ）&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
何故、そうされているのか、考えをお聞かせ願えませんか？&lt;br /&gt;
（同じくＦＭ放送である　ＮＨＫ－ＦＭ市内放送開始　及び　ＨＢＣラジオ（ＡＭ放送）市内放送開始・ＳＴＶラジオ（ＡＭ放送）市内放送開始は消去対象から外してる事からも、意図・目的・主張が全く見えてきてません。--[[利用者:219.162.6.200|219.162.6.200]] 2005年10月8日 (土) 01:02 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:このページで既に、百科事典的ではない項目を沿革に追加することに対して異論が出ています。投稿画面の下に明記されている「'''あなたの文章が他人によって自由に編集、配布されることを望まない場合は、投稿を控えて下さい。'''また、'''あなたは、あなたの関与したページなどがウィキペディアにおいて不適当と判断された場合（不適当と判断される理由があなたの関与によるものではない場合を含む）には削除されることに、予め同意を与えます。'''」をお読みになられた上で投稿なさったはずですよね。削除されたことに一方的に不満を表明して編集合戦に明け暮れるばかりでは、問題はいつまでも解決しません。異論に対して根拠をもって答えるよう努力してください。--{{User:Shota/sig}} 2005年10月9日 (日) 02:15 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:この項目は保護が見送られることになりましたが、編集合戦が再発しつつあります。記事の一部を削除なさる場合は、削除に相当する具体的な理由を可能な限り明らかにしてください。--{{User:Shota/sig}} 2005年10月9日 (日) 09:57 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:沿革がわかりにくいようであれば、行政史、経済史、メディア史など分けて並べてみてはいかがでしょうか。--{{User:Shota/sig}} 2005年10月9日 (日) 17:18 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
私個人としては沿革には「地方公共団体としての釧路市」の変遷と、それに付随して大きく人口増減にかかわった出来事ぐらいにするべきではないかと思っている立場ですが、無言で削除するのは、初心者ならまだしもこう続かれると不愉快に感じます。僕の意見としてはロールバックが続くのは面倒なので、このままメディア史の削除の件は、とりあえず放置して、以下の時点のバージョンをノートに記録しておきそこから、分割を進めていくのはどうでしょう。イタチゴッコはもうたくさんです。 --[[利用者:Yiuchan|Yiuchan]] 2005年10月12日 (水) 06:35 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*とうとう保護されたと思いきや、連続無言削除している人にとって都合の良い版で編集保護されてしまいましたね。これって、ちょっと納得が・・・。　--[[利用者:こたつ狼|こたつ狼]] 2005年10月12日 (水) 16:20 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*わかりづらい書き込みをした上に、その後、不本意な版で保護されてしまい、ちょっと責任を感じています。本当にみなさんごめんなさい。--[[利用者:Yiuchan|Yiuchan]] 2005年10月12日 (水) 23:42 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
**ここのノートは引き続き書けますし、新規記事作成も可能なので、引き続き（保護解除に備えて）沿革分離・独立（「釧路のメディア史」「釧路の経済（商業？）史」「釧路の行政史（こちらを現「釧路市」記事に残す事になるのでしょうか）」を進めていきましょう。各記事の具体案（原稿原型）をここで皆で出し合うとか。--[[利用者:こたつ狼|こたつ狼]] 2005年10月13日 (木) 01:21 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*「幻に終わった都市計画（官・民）、各種プロジェクト」にて、知らない間に削除（[http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E9%87%A7%E8%B7%AF%E5%B8%82&amp;amp;diff=2560766&amp;amp;oldid=2558386 削除された際の履歴？]）されていた項目を見つけました。以下、「幻に～」から気付かれぬまま削除された文です。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
** 民間での有志をつのり、市内二番目の[[コミュニティFM]]局「くしろコミュニティー放送」を設立・開局しようという運動があった。[[総務省]]北海道[[総合通信局]]にも免許申請されており、公式HP（現在、閉鎖中。[http://web.archive.org/web/20041026235411/www3.ocn.ne.jp/~m-ling/kushiro-cfm.html インターネットアーカイブ版HP]）などを通じ、引き続き参加者を募っていたが、2005年春頃より公式HP（[[2002年]]秋より更新停止状態）が閉鎖されたりと、このまま実現せず計画が流れる可能性も出てきた。--[[利用者:こたつ狼|こたつ狼]] 2005年10月31日 (月) 13:30 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 全体的な記事是正の提案 ==&lt;br /&gt;
釧路市の記事は読みづらく、読者の立場に立った記述がなされていないように感じられます。読者として投稿者の方には以下のことなどをして見やすくすると、他の読者も使いやすいように思われます。これらの意見についてご意見を募ります。意見がない場合は10月15日辺りに修正作業を始めたいと思います。ただし、私は少し門外漢なこともあり、できれば皆さんに協力をお願いします。&lt;br /&gt;
*'''いくつかの項目を別記事として掲載'''&lt;br /&gt;
**「''幻に終わった都市計画（官・民）、各種プロジェクト''」は、成功したプロジェクトと一緒に「''釧路市の都市計画''(仮)」として別記事とし、プロジェクトごとに掲載する。&lt;br /&gt;
**「''沿革''」は{{User:Shota/sig}}さんのおっしゃる通り、いくつかの分野の歴史に分割する。他の自治体の記事に倣って、行政史（市町村の変遷）に関することはこのまま「''釧路市'''」の記事として温存し、その他の記事を「''釧路市の歴史''」として、別の記事とする。&lt;br /&gt;
*'''リンク先の記事にもある内容の削除・移設'''&lt;br /&gt;
**「交通」の釧路空港に発着する便の就航機種等の表（''釧路空港''に記載あり）&lt;br /&gt;
**釧路港の各種データ（''釧路港''に記載あり）&lt;br /&gt;
以上、ご意見をお待ちしています。--[[利用者:Yiuchan|Yiuchan]] 2005年10月10日 (月) 02:48 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== re:全体的な記事是正の提案 ===&lt;br /&gt;
その案で良いと思います（Yiuchanさんの提案内容を支持します）。--[[利用者:61.119.159.179|61.119.159.179]] 2005年10月10日 (月) 14:35 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（賛成）セクションに便乗させていただきます。Yiuchanさんの提案に賛成です。それと文中で釧路ラーメンとくしろラーメンが混在しています。[[ラーメン]]には釧路ラーメンで赤リンクが張られています。他の地方ラーメンはすべて漢字ということもあり、どこかの企業の商標になっていなければ釧路ラーメンに統一し、別記事に移したほうがいいのではという気もします。--[[利用者:Sasara|Sasara]] 2005年10月11日 (火) 04:04 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:賛成くださりありがとうございます。釧路ラーメンの件、商標関係を調査して分けて掲載する方向でいきましょう。反対意見があまり出てこないようでしたら、少しずつ編集を進めていきましょう。編集の際、「編集内容の要約」欄に「ノート議論に基づく修正」などと入れていただけると幸いです。--[[利用者:Yiuchan|Yiuchan]] 2005年10月11日 (火) 23:45 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 上記と同様の問題 ===&lt;br /&gt;
[[北海道]]・[[帯広市]]・[[帯広空港]]・[[釧路空港]]の記述も同様であります。バランスが悪いのでは。 porosatu2005年10月11日 (火) 16:17 (UTC)[[利用者:Porosatu|Porosatu]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 沿革の再編について ===&lt;br /&gt;
では、ひとつずつ項を立てて総意を出していきましょう。沿革については、私の提案では、行政史をそのまま、その他を別記事にするということです。こうしたい理由は、「自治体」としての釧路市の埋没を回復したいからです。その他の商業施設やメディアの変遷については、そもそもいらないという意見の方もいるかもしれません。そういう意見を持っている方は、特に書き込みをください。よろしくお願いします。--[[利用者:Yiuchan|Yiuchan]] 2005年10月13日 (木) 13:14 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:まず全体的に[[Wikipedia:ウィキプロジェクト 日本の市町村]]を参考にしていただければ幸いです。プロジェクトいわく、沿革には自治体の変遷を記入するということで、開基、釧路村分村、町・区・市制施行から区域変更、合併あたりを基本に、市として重要な事柄だけにとどめたほうが良いと思われます。（挙げた以外にこれぞ！というのはあまり見つかりませんが）個人的に特記してもいいかなと思えるのは炭鉱と海港開港ですかね。経済などの項目で詳述できるならそのほうがいいかと。ただし事故は沿革に書くべきではないでしょう。--[[利用者:Sasara|Sasara]]([[利用者‐会話:Sasara|&amp;lt;small&amp;gt;T&amp;lt;/small&amp;gt;]]/[[特別:Contributions/Sasara|&amp;lt;small&amp;gt;C&amp;lt;/small&amp;gt;]]) 2005年10月14日 (金) 09:30 (UTC)&lt;br /&gt;
（下の項目とはちょっと別かなと思いましたので）[[利用者:Sasara/釧路市改訂草案]]で沿革まで書いています。かなりばっさり切ることになってしまいますので、切ってしまった分は別項目・別記事で活かしていけるようにしたいと思います。（今回の保護をチャンスにしましょう！）&lt;br /&gt;
*定義部の釧路が道東の政治経済の中心地というのには少々疑問を感じます。北見網走と帯広はそれぞれ別の商圏を持っていて、釧路がなければやっていけないほどではないと思うのですね。そのため疑いのない釧根地区の中心であると限定して書いています。&lt;br /&gt;
（下に飛びます）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　この意見には率直に疑問を生じます。商圏は広域ですから北見網走、十勝、釧路根室は異なるでしょうが、国、道の出先機関（裁判所、警察、金融機関、物流など）を考慮すると東北海道地域は釧路市を一つの核にしています。さらに釧路市を核に地方拠点都市がそれぞれ出先機関、密接な関係を維持し東北海道の経済域を構成しているというのがごく普通の捉え方だと感じています。『地域経済総覧』、『民力』では釧路根室管内を１都市圏域で考慮していますがこのことが東北海道の中心都市を意味するものではないと捉えられますが、釧路市が人口、経済規模で道東最大であるにも関わらず中心都市と標榜できないとすれば、そのことがむしろ恣意的だと感じます。（2005年10月16日 (日) 04:05、04:19のIPユーザさんの発言です。発言の際には[[Wikipedia:ノートのページでは投稿に署名をする|署名]]をお願いします。[[利用者:Sasara|Sasara]]([[利用者‐会話:Sasara|&amp;lt;small&amp;gt;T&amp;lt;/small&amp;gt;]]/[[特別:Contributions/Sasara|&amp;lt;small&amp;gt;C&amp;lt;/small&amp;gt;]]) 2005年10月16日 (日) 08:12 (UTC)）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:なるほど。行政は確かに釧路を核にしていますね。政治ではなく'''行政'''の中心であるということであれば賛成したいと思います。道東最大の人口・経済規模であると書くのも賛成です。ただ、経済の中心であるという書き方だと商圏も一緒であるような印象を受けてしまいました。'''商圏'''が異なることがわかるような書き方であれば、私は問題がないと考えています。（ちなみに北海道庁は[http://www.pref.hokkaido.jp/skikaku/sk-shyok/HP/keikakuindex.files/keikakuindex.html 第3次北海道長期総合計画]では別の地域圏として書いています）いかがでしょうか？[[利用者:Sasara|Sasara]]([[利用者‐会話:Sasara|&amp;lt;small&amp;gt;T&amp;lt;/small&amp;gt;]]/[[特別:Contributions/Sasara|&amp;lt;small&amp;gt;C&amp;lt;/small&amp;gt;]]) 2005年10月16日 (日) 08:12 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（上より続く）&lt;br /&gt;
*地理の削除部分は地理に置くべき内容ではなく、概要か経済の分野に置くべきではないかなと感じました。&lt;br /&gt;
*沿革ですが、大幅に削除しています。雄別線や釧路駅関係は[[釧路駅]]に移してもいいと思います。炭坑は個別記事の方に書かれているので関連項目や産業に書けば十分でしょう。&lt;br /&gt;
*医療の部分は市立釧路総合病院を、釧根地区の第3次救急病院ということで記しておけばよいのではないかと思います。&lt;br /&gt;
*公立高校は北海道○○高等学校で名称が統一されていたと思いましたが、釧路市立はそれに則っていないのでしょうか？ご存じの方の確認をお願いしたいです。&lt;br /&gt;
*名所関係は…色々重複していて、どれを削りどれを分けどれを残したものか困っています。&lt;br /&gt;
*プロジェクトは活かすには分割するしたほうがいいかもしれません。釧路市の中で活かすと冗長になりすぎる恐れが。&lt;br /&gt;
*それ以外はまだ手をつけてません。&lt;br /&gt;
かなり削っていますので、おそらく不満に思われる点はあると思いますが、直接編集せずにまずこのページで提案してから編集されるようにお願いします。他の釧路市の産業草案などを作られる方がいれば、[[Wikipedia:利用者ページ|利用者サブページ]]やノートサブページをご活用下さい。[[利用者:Sasara|Sasara]]([[利用者‐会話:Sasara|&amp;lt;small&amp;gt;T&amp;lt;/small&amp;gt;]]/[[特別:Contributions/Sasara|&amp;lt;small&amp;gt;C&amp;lt;/small&amp;gt;]]) 2005年10月15日 (土) 18:04 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
釧路は道東（北海道東部）の中心かどうか、ですが私は否だと思っております。商圏だけでなく&lt;br /&gt;
行政面を見ても中心とはいえないでしょう。何と言っても北海道は「支庁」の役割が圧倒的に大きく、都道府県の境界並みの役割を果たしています。また、この支庁による区切りは認知度も高くも政治的・行政的・心理的に大きな壁であるとといえ、北海道においては、この大きな壁がかなり機能しております。道東は、北東北とくくったときの、青森秋田岩手みたいな構図かもしれません。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
確かに地裁や警察は十勝釧路根室網走の4支庁を管轄してます。しかし、これ以外でこのような分類はほとんどされません。北海道庁も今後行われるであろう支庁改革では、道東を3分類しています。民間企業もそれぞれに営業所や支店を置くというケースがほとんどで、道東の経済の中心とは言い難いです。道外との物流の拠点としてはそこそこの役割を果たしているのにしろ、大部分を占める北海道内の物流では、決して中心として機能していません。道東は釧路ー道東各都市という物流形態ではなく、道央ー釧路、道央ー北見・網走と完全に分かれています。道東の中心というのであれば、これらの都市との交流がもっと多いはずですが、人の移動もモノの移動もほとんどないのが現状です。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ですから釧路市は'''道東の拠点都市のひとつ'''、という表現あたりが妥当だと思っております。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
Sasaraさんは、&lt;br /&gt;
&amp;gt;釧路市が人口、経済規模で道東最大であるにも関わらず中心都市と標榜できないとすれば、そのことがむしろ恣意的だと感じます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
とおっしゃっておられます。釧路市単独の人口は確かに道東最大かもしれませんが、ベッドタウンである隣接町村を含めれば帯広市は釧路市を大きく上回ります。経済規模も、何を基準としているかは分かりませんが釧路市が道東最大とは断定できないでしょう。北海道内では、釧路が道東の行政・経済の中心だという認識はほとんどなされません。帯広市（あるいは北見市）と同等の位置で見られていることが一般的です。釧路・根室地方の中心が釧路市であることに意義はありませんが、十勝・網走を入れると大きく事情は異なってきます。釧路は行政、人口、経済規模、北海道内での一般認識の面からも道東最大とは言いづらいですね。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そもそも北海道内は区切りはいつも曖昧です。十勝と上川が同じ観光圏として分類されることがありますしね。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
それ以外は、皆さんが提案されている内容に概ね賛成です。Maruichan2005年10月17日 (月) 19:53 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:Maruichanさんが引用された「&amp;gt;釧路市が人口、経済規模で道東最大であるにも関わらず中心都市と標榜できないとすれば、そのことがむしろ恣意的だと感じます。」の部分は私ではなく、IPユーザさんの発言[http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88%3A%E9%87%A7%E8%B7%AF%E5%B8%82&amp;amp;diff=3233708&amp;amp;oldid=3230512]です。発言の間にレスいただいたのでいびつな流れになっています。レイアウトを直してよいものか…。[[利用者:Sasara|Sasara]]([[利用者‐会話:Sasara|&amp;lt;small&amp;gt;T&amp;lt;/small&amp;gt;]]/[[特別:Contributions/Sasara|&amp;lt;small&amp;gt;C&amp;lt;/small&amp;gt;]]) 2005年10月18日 (火) 03:13 (UTC)&lt;br /&gt;
::さらに本題へのレスを。今回経済規模が最大、という意見に賛成したのは日銀資料[http://www3.boj.or.jp/kushiro/kouhyou/kushiro/getu/getu0509/hyou0509.pdf]を参照した時に、釧路根室と十勝でわけたためです。今回は釧路市のことなので、釧路市よりも帯広管内のほうが人口が多いというのはどうかと思います（比べるならば釧路市と帯広市であるべきでしょう）。行政も市町村・道・国のどれに目を向けるべきか迷いますね。北海道であれば確かに警察くらいしか広域に渡る業務はしてませんし、国であれば裁判所や開建だとか、そのくらいでしょうか。まとめると、人口が現段階で道東最大なのは事実だと思います。それ以外の経済規模・行政については確たる資料がなくあいまい。異議のないと思われるのは、前述したように「釧路根室地方の中心」であることですかね。[[利用者:Sasara|Sasara]]([[利用者‐会話:Sasara|&amp;lt;small&amp;gt;T&amp;lt;/small&amp;gt;]]/[[特別:Contributions/Sasara|&amp;lt;small&amp;gt;C&amp;lt;/small&amp;gt;]]) 2005年10月18日 (火) 03:34 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
再びMaruichanです。&lt;br /&gt;
経済規模の点ですが、これは釧路根室対十勝の話という話ですので、釧路市と帯広市の経済規模を比較するのは不適当でしょう。そして、私は釧路市より十勝管内（帯広管内と言い方はまずない）の方が人口が多いといったつもりはありません。都市圏人口をのことを言ったまでです。&lt;br /&gt;
「行政も市町村・道・国のどれに目を向けるべきか迷う」とありますが、先述の通り支庁を基準としてほとんどの行政の管轄は決定しているのです。ですから、迷う必要などありませんし、釧路に本部があり十勝や北見を統括しているものは、全体の中でもごくわずかです（地裁、日銀など）。日銀は小樽、札幌、函館、釧路など&lt;br /&gt;
明治当時の区分そのままなので、当時とは既に状況が大きく変わっています。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「まとめると」、って勝手にまとめられても困ります。釧路市が道東最大の人口を持っていることはその通りですが、決して道東の中心ではないということです。&lt;br /&gt;
また、「それ以外の経済規模・行政については確たる資料がなくあいまい。」という言い方はちょっと乱暴ですね。ちゃんと調べるには時間がかかりますよ。北海道民なら当たり前の認識なのですが、資料をわざわざ出さないと認められないという言い方は悔しいですね。経済規模の話に関しては、別の方の発言を受けてレスしたもので、私も「わかりませんが」といってあります。行政を曖昧に言ったことはありません。あらゆる官庁の分類を調べていけばわかりますよ。自分でお調べになってはいかがですか。&lt;br /&gt;
胆振管内の一番大きい都市は苫小牧ですが、支庁も出先もみんな室蘭にあります。&lt;br /&gt;
はたして人口が多いだけで中心都市を標榜できるでしょうか。&lt;br /&gt;
恐らく、「中心」という言葉に関して意見の相違があるのでしょう。中心を標榜できるのは、周辺都市や道東地域がどれだけ依存しているかということです。上でも述べたように各都市とも札幌との結びつき（依存）は強いですが、道東各都市が釧路に依存しているという分野は少ないはずです。特に紋別や遠軽まで行くと、釧路との交流は皆無です。旭川のほうに近いでしょう。&lt;br /&gt;
ですから、'''道東の拠点都市のひとつ'''ならいいと思ってます。釧路市が道東最大人口を抱えている都市ということもいいのです。&lt;br /&gt;
だからといって、道東の中心ではないと思います。経済・行政の中心都市とはいえません。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:まずノートの発言では「&amp;lt;nowiki&amp;gt;~~~~&amp;lt;/nowiki&amp;gt;」で署名をお願いします。「まとめると」というのは私の発言中の文でしょうか。ともするととりとめのなくなってしまいそうな私の発言の総括をしただけで、'''決して議論の総括ではありません'''。誤解を招かれたのでしたら失礼しました。[[利用者:Sasara|Sasara]]([[利用者‐会話:Sasara|&amp;lt;small&amp;gt;T&amp;lt;/small&amp;gt;]]/[[特別:Contributions/Sasara|&amp;lt;small&amp;gt;C&amp;lt;/small&amp;gt;]]) 2005年10月22日 (土) 03:02 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
すっかり忘れてました。失礼しました。[[利用者:Maruichan|Maruichan]] 2005年10月22日 (土) 20:28 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 「沿革」について ===&lt;br /&gt;
 （原題：「沿革」についてby [[利用者:Opponent|Opponent]] ）&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
そうですねぇ、Yiuchanさまのご意見でよさそうに思いますが、わたくしの意見は少し違います。「沿革」の部分の細かい記事内容に関しては、力作だと思って評価いたしましたが、問題はこの細かい記事内容が、どういう読者を想定しているのか、という点にあるような気がしてなりません。釧路市のことをほとんど知らない人が読者&amp;lt;del&amp;gt;だったとした&amp;lt;/del&amp;gt;&amp;lt;ins&amp;gt;な&amp;lt;/ins&amp;gt;ら、「これを全部読んで理解しろ」、と言われているみたいで、それでは百科事典として、ちょっと不親切ではないか、という気がいたします。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
箇条書き、というのがその致命的な欠陥になっていると思うんです。例えばですね、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* 1891年の「鳥取神社　創祀」という部分ですけれど、この鳥取神社というのが釧路市の沿革でどういう意味を持っているのかがわからなければ、読者にとっては単に知らない固有名詞でしかないわけです。釧路市出身の方なら御存知かも知れませんけれども、知らない人にとっては意味不明なんですね。（【釧路の文化】）&lt;br /&gt;
* 1936年と1949年、1983年に釧路市立郷土博物館の記述があります。この郷土博物館は、釧路市にとってどんな存在なんでしょう？　どんな存在だったんでしょう。今はどういう博物館になっていますか？　その位置づけというか意義、存在価値や変遷がわからなければ、意味不明ですよね？　記事の別の部分に書かれているならば、問題はありませんが、ここにしか出てこないのでは困ります。（【釧路の文化】）&lt;br /&gt;
* 同様に「くしろデパート」が、1964年、1968年、1970年、2003年と4回出てきます。これも同様、釧路市民にとって「くしろデパート」がどんな存在なのか（だったのか）が、&amp;lt;ins&amp;gt;読者には&amp;lt;/ins&amp;gt;まったくわからないんです。（【釧路の商業】）&lt;br /&gt;
* 市長の綿貫健輔さんも3回登場しますが、どういう施策をした（あるいはしなかった）のか、説明がなければ、どういう人物だったのか、わかりませんね。この市長さんは釧路市にとってどんな貢献をなさった（あるいはなさらなかった）のでしょうか。市長さんの名前を教わっても、それだけでは知らない人にとって無意味ですよね？（【釧路の政治】）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
とまあ、そういう断片的で固有名詞がたくさん出てきて、その説明がないため、釧路市のアウトラインが非常につかみにくくなっているわけです。これだけのデータがありながら、説明がないために、かえってわかりにくい記述になっているのではないでしょうか。カッコ内に挙げた分類分けで記述されていた方が、分かりよくなりませんか？&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
だからといって、そういう固有名詞を新たに項目（記事）として立てればいいのか、というと、そうではないと思います。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
つまり、釧路市を知らない人にアウトラインを説明するために、あれこれの固有名詞のうち、'''何が不可欠なのか'''、というあたりから練り直してみてはどうでしょう。最低限知っておいておくべき固有名詞を切り口に、その意義や存在価値を説きながら、釧路市の概略を'''文章で述べる'''、という作業をしないと、せっかくのデータが生きません。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これに比べ、「概要」は文章になっていますが、「沿革」と比較して少し貧弱すぎませんか？　概要と呼ぶためには、最低これだけは押さえておいてほしい、という部分をもう少し補強していただければありがたいと思います。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、産業の部分も、第一次産業の農業・水産業、工業、商業・サービス業、など項目分けして、その部分で沿革を書くという方法がありますね。特に、釧路と言えば、かつては飛ぶ鳥を落とす勢いの漁業が栄えた町ではありませんか。以前旅行した際、かつての盛り場だった建物が壊されずに、そのまま廃墟のようになっているのを見て胸が潰れるような切ない思いをしたことがありました。沿革を書くとすれば、その栄枯盛衰の経緯や理由を分析して、&amp;lt;ins&amp;gt;水産業の項目で&amp;lt;/ins&amp;gt;詳しく述べていただけると、ありがたいと思うんです。特に、水産業の町として栄えた歴史は非常に有名ですから、概要にもダイジェストを入れるべきではないかと思いました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
観光、祭り・イベントにしても、釧路を訪れる観光客にとって、どこが人気なのか、釧路市民おすすめの見どころはどこなのか、どういう施設があるのか、いちばんいい季節はいつごろか、行政が力を入れている目玉の観光にはどういうものがあるのか、これまで観光がどのような変遷を遂げたのか、経済効果はどうなのか、など切り口はたくさんあるはずです。そういった説明がほとんどなくて、観光地や祭り・イベントをただ箇条書きに並べただけでは、読む&amp;lt;del&amp;gt;方&amp;lt;/del&amp;gt;&amp;lt;ins&amp;gt;側&amp;lt;/ins&amp;gt;が困惑してしまうのではないでしょうか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そういった視点で、「沿革」の部分を文章化しながら、適切な項目に移動しつつ、各項目をふくらませていく。こういう作業をしていただければ、もう少し読みやすくなるのではないかという感想を持ちました。読者の身になって執筆していただければ、と思う次第です。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
もちろん、「沿革」の部分&amp;lt;del&amp;gt;は&amp;lt;/del&amp;gt;&amp;lt;ins&amp;gt;を&amp;lt;/ins&amp;gt;別項目（別記事）&amp;lt;del&amp;gt;を&amp;lt;/del&amp;gt;『上級編』として独立・保存することに異存はございません。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
以上、まとまりのない文章ですが、ご一考下さいませ。&amp;lt;br&amp;gt; - [[利用者:Opponent|Opponent]] 2005年10月14日 (金) 12:53 (UTC)&amp;lt;br&amp;gt; - [[利用者:Opponent|Opponent]] 2005年10月14日 (金) 14:47 (UTC)（修正）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:修正時に気付いたことをいくつか：&amp;lt;br&amp;gt;&amp;lt;br&amp;gt;　沿革の部分を「力作だ」と述べましたが、これだけのデータが揃っているわけですから、データが正確ならば豊かな記事を書く素材の宝庫になっています。そういう意味で、たいへんな力作だと思うんです。&amp;lt;br&amp;gt;&amp;lt;br&amp;gt;　「いちばんいい季節はいつごろか」と書いてて思い出しました。釧路と言えば霧の町ですよね。「夏季は南北からの暖気と冷気がぶつかり霧が発生しやすい」との記述は確かにありますが、これでは読み落としてしまうでしょう。何月頃だったか覚えていませんが、確か初夏の頃かな？　ものすごい濃霧で見通しが悪く、夏なのに肌寒く、新参者としてとても不思議な印象でした。小高い斜面から、全く視界のないはるか彼方から汽笛（霧笛？）が聞こえてきてミステリアスな雰囲気。土地の方に聞くと「○月ごろなら晴れ間がある」みたいな説明だったと思います。ページ内検索で「霧」の字は六ヶ所しかありません。土地の方ならば当たり前でしょうけれど、よそ者にとって、とても新鮮で印象に残る体験だったんです。「霧フェスティバル」「霧色ラーメン」「夜霧にむせぶ寅次郎」などの名称も、釧路名物「霧」が由来なんだと思うんですが、違いますか？　もしそうだとすれば、もう少し説明が必要なのでは？&amp;lt;br&amp;gt;&amp;lt;br&amp;gt;　もう一つ思い出、花咲ガニがすごく安くて、べらぼうに美味しかった。特産品もたくさんあるんでしょう？　こういう説明は箇条書きではなく、説明文で描写した方が印象的だと思いますよ。 - [[利用者:Opponent|Opponent]] 2005年10月14日 (金) 14:47 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:「花咲ガニ」は例としてあげられたと思いますが、産地が釧路だけでなく東北海道全体（根室市も）に及んでいるので、釧路市の特色として採り上げる（関連付ける）のはちょっと焦点がぼやけないか気になります。--[[利用者:こたつ狼|こたつ狼]] 2005年10月15日 (土) 02:08 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 「産業」の創設 ===&lt;br /&gt;
（原題：釧路市の産業の創設を提案）&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
Sasaraさんのご意見のように[[Wikipedia:ウィキプロジェクト 日本の市町村]]に沿っている記事とは言い難い沿革であると思います。また、Opponentさんの意見にはとても共感できました。機械的に日付順に書くので、ひとつひとつの事象が断片的になり、理解しづらいものになっているのですね。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''&amp;gt;「沿革」の部分を文章化しながら、適切な項目に移動しつつ、各項目をふくらませていく。（[[利用者:Opponent|Opponent]]）'''&lt;br /&gt;
:この方向で編集していくのがどうやらよさそうな気がします。そして、最終形として[[Wikipedia:ウィキプロジェクト 日本の市町村]]に添えるような体裁に整えていきませんか？手始めに'''「釧路市の産業」'''という記事を新たに作り、それに「沿革」の農林水産業、鉱工業、商業、メディアに関する箇条の抜粋と「産業」の項目全てをその記事に移設して、その後、新しい記事釧路市の産業で沿革の文書化等をしてみてはどうでしょうか？（ただし、保護直前に削除されてしまった沿革のいくつかのメディアに関する箇条を含める）近日中に私Yiuchanが、試作記事を作ってみます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''&amp;gt;釧路市を知らない人にアウトラインを説明するために、あれこれの固有名詞のうち、''何が不可欠なのか''、というあたりから練り直してみてはどうでしょう。（[[利用者:Opponent|Opponent]]）'''&lt;br /&gt;
:この示唆も重要ですが、今までの削除とrvtの繰り返しの件があるので、今はとりあえず分けることだけに専念した方がいいと思います。&lt;br /&gt;
:更なるご意見をお待ちします。--[[利用者:Yiuchan|Yiuchan]] 2005年10月15日 (土) 00:57 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::（条件付き賛成）最終的に作るのは賛成です。しかし元記事が保護中の間に新規記事を作ることは避けませんか？　上で書きましたが、利用者サブページを使って草案を作り、合意が形成できるまでは記事を作らないほうがよいのではないかと思います。（作るときも履歴の継承が必要だと思います、ご注意下さいませ）[[利用者:Sasara|Sasara]]([[利用者‐会話:Sasara|&amp;lt;small&amp;gt;T&amp;lt;/small&amp;gt;]]/[[特別:Contributions/Sasara|&amp;lt;small&amp;gt;C&amp;lt;/small&amp;gt;]]) 2005年10月15日 (土) 18:04 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
Sasaraさん、ご指摘ありがとうございます。サブページを使用させていただきます。私が作った草案「[[利用者:Yiuchan/釧路市の産業]]」は段階的に編集していきたいと思います。ただ、必ずしも正確とは言いがたい沿革の内容などが、編集中に多々発見されています（例：太平洋炭鑛のガス爆発事故の箇条が2つあり、どちらも死者数が同じ）。1つずつ分かる範囲で確かめながら編集していきます。よろしくお願いします。--[[利用者:Yiuchan|Yiuchan]] 2005年10月16日 (日) 23:57 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 「産業」草案完成 ===&lt;br /&gt;
（原題：釧路市の産業の草案完成）&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
2週間かかりましたが、「[[利用者:Yiuchan/釧路市の産業]]」の草案が完成しました。草案の内容につきまして皆さんにご確認をいただきたいと思います。よろしくお願いします。--[[利用者:Yiuchan|Yiuchan]] 2005年10月29日 (土) 05:13 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*すでにちゃんと話は進んでいっているようですが、一応一言。昨年末から忙しくなりまして、色々やるやるいいながらもそのままウィキブレークに入ってしまい申し訳ありませんでした。みなさんの手でよりよい記事になるように願っています--[[利用者:Sasara|Sasara]]([[利用者‐会話:Sasara|&amp;lt;small&amp;gt;T&amp;lt;/small&amp;gt;]]/[[特別:Contributions/Sasara|&amp;lt;small&amp;gt;C&amp;lt;/small&amp;gt;]]) 2006年4月12日 (水) 11:22 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 編集保護 ==&lt;br /&gt;
ここ1週間ほど編集合戦になっていたため編集保護しました。（どこかで文句を言われている気がしたので一応書き付けておきますが）特定の版に差し戻して保護をかけることは認められていませんので、見つけた時点の版で保護しました。ノートページで議論を行い合意を形成してください。--[[利用者:Brevam|Brev]][[user talk:Brevam|am]] 2005年10月12日 (水) 17:05 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 保護のタイミングについて ===&lt;br /&gt;
（原題：編集保護のタイミングについて）&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
相手はノートページでの議論参加を終始拒否（無視）しています。ノートページでの議論に参加せざるを得なくする為にも、（実質、差し戻しであっても）削除された部分をBrevamさん自身が復旧代行編集した上で保護をかけられても良かったのではないでしょうか。「都合良く、意図通りの内容で手出し出来ない状態になってくれたのだから」と、このままダンマリを決め込む様な気がします。--[[利用者:こたつ狼|こたつ狼]] 2005年10月12日 (水) 17:56 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
仮に編集保護が解除されたとしても、問題が全く解決するとは思いません。一般認識とかけ離れた、釧路市を過大に評価する恣意的な記述に私はきわめて強い不満を持っております。保護解除後に、「注意・このページは特定個人により改変され偏っている」とでも冒頭に表示がされるといいと思います。このままではウィキペディアそのものへの信頼が失われてしまいます。このような行為が、罪もない釧路市のイメージが悪くしていることに気がつかないのでしょうか。[[利用者:Maruichan|Maruichan]] 2005年10月13日 (木) 19:20 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 保護解除について ==&lt;br /&gt;
この保護についての議論ですが、相手方が出てこないまますでに話が止まっているように思います。保護を解除し、また荒らしが行われるようであれば[[Wikipedia:投稿ブロック]]を依頼するのはどうでしょうか。--[[利用者:ほくなん|ほくなん]] 2005年11月30日 (水) 15:57 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:下記は、問題の連続削除を行った人物の履歴とＩＰアドレス解析です（おおまかな抜粋ですが）。&lt;br /&gt;
*投稿ブロック依頼が必要になる場合の参考になるかは判りませんが（最後の削除者を除き、殆どはぷららネットワークスが使用ＩＳＰですね）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
①http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E9%87%A7%E8%B7%AF%E5%B8%82&amp;amp;diff=3204148&amp;amp;oldid=3203768&lt;br /&gt;
 【　210.237.246.122　】&lt;br /&gt;
 Network Information: [ネットワーク情報] &lt;br /&gt;
 a. [IPネットワークアドレス] 210.237.192.0/18 &lt;br /&gt;
 b. [ネットワーク名] ODN &lt;br /&gt;
 f. [組織名] オープンデータネットワーク(日本テレコム株式会社) &lt;br /&gt;
 g. [Organization] Open Data Network(JAPAN TELECOM CO.,LTD.) &lt;br /&gt;
 m. [管理者連絡窓口] YN234JP &lt;br /&gt;
 n. [技術連絡担当者] YN234JP &lt;br /&gt;
 p. [ネームサーバ] ns2.odn.ne.jp &lt;br /&gt;
 p. [ネームサーバ] ns4.odn.ne.jp &lt;br /&gt;
 [割当年月日] 1999/02/15 &lt;br /&gt;
 [最終更新] 2000/10/31 12:40:03(JST) &lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
 上位情報 &lt;br /&gt;
 ---------- &lt;br /&gt;
 日本テレコム株式会社 (JAPAN TELECOM CO.,LTD.) &lt;br /&gt;
 [割り振り] 210.237.128.0/17 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
②http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E9%87%A7%E8%B7%AF%E5%B8%82&amp;amp;diff=3192557&amp;amp;oldid=3192511&lt;br /&gt;
 【　60.42.33.12　】&lt;br /&gt;
 Network Information: [ネットワーク情報] &lt;br /&gt;
 a. [IPネットワークアドレス] 60.42.0.0/16 &lt;br /&gt;
 b. [ネットワーク名] PLALA &lt;br /&gt;
 f. [組織名] 株式会社ぷららネットワークス &lt;br /&gt;
 g. [Organization] Plala Networks Inc. &lt;br /&gt;
 m. [管理者連絡窓口] MN2905JP &lt;br /&gt;
 n. [技術連絡担当者] HS3694JP &lt;br /&gt;
 p. [ネームサーバ] dns1.plala.or.jp &lt;br /&gt;
 p. [ネームサーバ] dns2.plala.or.jp &lt;br /&gt;
 p. [ネームサーバ] ns-tk061.ocn.ad.jp &lt;br /&gt;
 [割当年月日] 2004/09/22 &lt;br /&gt;
 [最終更新] 2004/09/22 15:02:01(JST) &lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
 上位情報 &lt;br /&gt;
 ----------&lt;br /&gt;
 エヌ・ティ・ティ・コミュニケーションズ株式会社 (NTT COMMUNICATIONS CORPORATION) &lt;br /&gt;
 [割り振り] 60.32.0.0/12 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
③http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E9%87%A7%E8%B7%AF%E5%B8%82&amp;amp;diff=3180936&amp;amp;oldid=3180775&lt;br /&gt;
 【　58.89.24.90 　】&lt;br /&gt;
 Network Information: [ネットワーク情報] &lt;br /&gt;
 a. [IPネットワークアドレス] 58.89.0.0-58.89.193.255 &lt;br /&gt;
 b. [ネットワーク名] PLALA &lt;br /&gt;
 f. [組織名] 株式会社ぷららネットワークス &lt;br /&gt;
 g. [Organization] Plala Networks Inc. &lt;br /&gt;
 m. [管理者連絡窓口] MN2905JP &lt;br /&gt;
 n. [技術連絡担当者] HS3694JP &lt;br /&gt;
 p. [ネームサーバ] dns1.plala.or.jp &lt;br /&gt;
 p. [ネームサーバ] dns2.plala.or.jp &lt;br /&gt;
 [割当年月日] 2005/04/05 &lt;br /&gt;
 [最終更新] 2005/04/05 11:23:12(JST) &lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
 上位情報 &lt;br /&gt;
 ---------- &lt;br /&gt;
 エヌ・ティ・ティ・コミュニケーションズ株式会社 (NTT COMMUNICATIONS CORPORATION) &lt;br /&gt;
 [割り振り] 58.88.0.0/15&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
--[[利用者:こたつ狼|こたつ狼]] 2006年2月20日 (月) 06:20 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:それと、前から気付いてて気になっていたんですが、[[帯広市]]記事の沿革にて偶然なのか同じＩＳＰ利用者の方が、釧路記事連続改竄の特徴の一つであるＴＶＨ開局可能性について触れた箇所書きにて、釧路市記事の該当箇所では何度も「開局の可能性無し」と書き込まれていましたが、帯広市記事該当箇所では、全く逆に開局の可能性があるかの様な記述をされた形跡があります。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*疑ってはキリがありませんが、一応、一連の連続削除・改竄の動機として、隣接都市の評価を記事編集を通じて貶め、比較される機会が多い帯広市を相対的に評価が上がる様、工作を謀りたいが為の行動だったという仮説もあるのかも。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*（「そんな馬鹿な。そこまでするだろうか」という意見もごもっともですが、[http://travel2.2ch.net/chiri/ ２ちゃんねるの地理お国自慢板]とか一度でも見られたら、そういう目的で記事改竄に手を染める人も居てもおかしくないという事が判るかと思います）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
①http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%B8%AF%E5%BA%83%E5%B8%82&amp;amp;diff=3753511&amp;amp;oldid=3576434&lt;br /&gt;
 【　220.220.164.181　】&lt;br /&gt;
 Network Information: [ネットワーク情報] &lt;br /&gt;
 a. [IPネットワークアドレス] 220.220.0.0/16 &lt;br /&gt;
 b. [ネットワーク名] PLALA &lt;br /&gt;
 f. [組織名] 株式会社 ぷららネットワークス &lt;br /&gt;
 g. [Organization] Plala Networks Inc. &lt;br /&gt;
 m. [管理者連絡窓口] MN2905JP &lt;br /&gt;
 n. [技術連絡担当者] HS3694JP &lt;br /&gt;
 p. [ネームサーバ] dns1.plala.or.jp &lt;br /&gt;
 p. [ネームサーバ] dns2.plala.or.jp &lt;br /&gt;
 p. [ネームサーバ] ns-tk061.ocn.ad.jp &lt;br /&gt;
 [割当年月日] 2003/08/19 &lt;br /&gt;
 [最終更新] 2004/02/02 15:40:16(JST) &lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
 上位情報 &lt;br /&gt;
 ---------- &lt;br /&gt;
 エヌ・ティ・ティ・コミュニケーションズ株式会社 (NTT COMMUNICATIONS CORPORATION) &lt;br /&gt;
 [割り振り] 220.220.0.0/16 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
--[[利用者:こたつ狼|こたつ狼]] 2006年2月20日 (月) 06:49 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 本文が削除されている件について ==&lt;br /&gt;
（原題：本文記事が根こそぎ全部、バッサリ消えてますが）&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
新しく作り直されている最中なんでしょうか？--[[利用者:こたつ狼|こたつ狼]] 2006年2月7日 (火) 16:23 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
-本日、再度確認したところ、保護直後の版で復活してました。お騒がせしました。--[[利用者:こたつ狼|こたつ狼]] 2006年2月9日 (木) 02:18 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
もうそろそろ、編集保護を解除してはいかがでしょうか？[[利用者:Porosatu|Porosatu]] 2006年2月25日 (土) 09:29 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 半保護への保護解除依頼予告 ==&lt;br /&gt;
保護後の反応などもないことですし、とりあえず編集合戦になりそうなのは特定のIPユーザということですし、1週間程度様子を見て、反対意見がないようであれば''半保護'' (IP, 登録後すぐの新規ユーザの編集不可) に移行するよう、[[Wikipedia:保護解除依頼|保護解除依頼]]を出そうと思います。反対意見のある方はお早めに。--[[利用者:ほくなん|ほくなん]] 2006年3月21日 (火) 01:06 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 句読点について ==&lt;br /&gt;
（原題：閉じ括弧「　）　」の一つ前に「　。　」が一斉追加された事について）&lt;br /&gt;
ちょっと細かい指摘で申し訳ないのですが、括弧文の中の最終文末に「。」を一斉に追加挿入された方がいらっしゃる様です。（括弧の中の）文と文の境界（前の文の文末）に「。」を置くのは良いとしても、閉じ括弧の直前にまで「。」を記述してしまうのはどうなんでしょうか。辞書云々以前の問題（日本語の文章の書き方全般としての違和感）の様に思います。数も多く、いきなりそれを元に戻すと、編集合戦にもなりかねない事を危惧し、今回はとりあえずノートへの提議に留めておきます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*例1（「沿革」より）- 1919年4月10日（大正8年） 釧路唯一の地酒「福司」を製造・販売する合名会社敷島商会（1991年7月1日、福司酒造に改称。）が創業。 &lt;br /&gt;
*例2（「交通」より）- 太平洋石炭販売輸送　国内唯一の炭鉱鉄道（かつては城山駅～東釧路駅～入舟駅まで運行、現在は春採駅～知人駅まで運行。）&lt;br /&gt;
[http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E9%87%A7%E8%B7%AF%E5%B8%82&amp;amp;diff=5012835&amp;amp;oldid=5010839 おそらく最初の本件の更新履歴（2006年3月23日 (木) 14:00）]&lt;br /&gt;
--[[利用者:こたつ狼|こたつ狼]] 2006年6月21日 (水) 08:50 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 記事の削除について ==&lt;br /&gt;
（原題：どうやら記事が随所ばっさり削除（世界三大夕日に絡んだ記述・沿革随所・釧路にまつわる著作物など[http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E9%87%A7%E8%B7%AF%E5%B8%82&amp;amp;diff=7439431&amp;amp;oldid=7431790 （該当版間差分）]）されてます）&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''[http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85:Sir&amp;amp;action=history 編集に着手された方の他記事履歴]'''等で'''[http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85:Sir 同氏の編集方針・考え方]'''をある程度見定め対話出来ないか思案したものの、どうもそれは難しい感じ（他記事の修正コメントに見られる幾つかの挑発的な文言などより）です。[http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85%E2%80%90%E4%BC%9A%E8%A9%B1:Sir 同氏の対話ページ（こちらも参考に）] &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「幻に終わったプロジェクト」修正内容一つとっても、新幹線に関連しない記事まで、一見、関連下に見えてしまう様な構成にされてしまったりと、困ったものです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
他の住人の方の意見も交え、本件についての対処など討議をお願いいたします。--[[利用者:こたつ狼|こたつ狼]] 2006年9月2日 (土) 19:40 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:住人ではないのですが、記事を参照する立場から意見を書かせていただきます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:調べものをしていて、たまたま「ばっさり削除」される前の記事をgoogleのキャッシュで見たのですが、正直言って「なんじゃこりゃ。なんでも書きゃあいいってもんじゃないだろ」と感じてしまいました。大規模小売店舗などの出店や撤退、甲子園への出場といった内容は、都市の解説としてはいささか行き過ぎではないかと思います。都市の概要を得る上ではさしたる情報ではなく、逆に沿革を窺わせる重要な情報を埋もれさせてしまっていました。少なくとも「沿革」については、今の内容の方が見やすいと思います（削除された部分を復活させるのであれば、すでに議論に出ているように別記事にまとめるほうがいいと思います）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:同じように、「有名人」の項もやや冗長です。少々見辛かったので勝手ながら手を入れさせていただきましたが、「なぜここに書かねばならないのか」という内容が散見されます。例えば、「歌手」「漫画家」といった内容は書かれていた方がわかりやすいと思いますし、「『ゴジラ』や『ビルマの竪琴』などの映画音楽で特に知られる」「千円札のタンチョウの元写真を撮影」「日本人初のNHL選手」などの情報は有用ですが（「こんな人がいたのか」と参考になる）、本名やよみがななどは完全に余計です（その人の記事に書かれていれば済むこと）。特に、「はた万次郎」氏の項は酷すぎます。詳細な情報はご本人の項目に書かれるべきでしょう（削除しようかとも思いましたが、当該記事には書かれていない内容があるのでやむなく残しておきました）。情報の分散を防ぐためにも、説明は人となりがわかる最低限度のものにし、それ以上の記載についてはそれぞれの項目の充実を図るべきです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:しかし、なんでも削ればいいというものでもありません。例えば、「地理」の項から削除された「三大夕日」の件などは有用であると思います（ただし、このような情報は「観光」の中にあったほうがわかりやすいのでは）。また、「観光」「食文化」の中の説明も一部削除されていますが、幣舞橋が「北海道三大名橋」「釧路十景」である程度のことは書かれていてもいいと思いますし（彫刻の件は幣舞橋の項にあればいいと思います）、該当項目が存在しないものについては説明がないと逆に不親切です。また、ザンギが釧路発祥であるとか、鯨肉料理は調査捕鯨の拠点となったことから広まったなどという説明は、街の輪郭を描き出してくれて大変参考になります。&lt;br /&gt;
:（余談ですが、件の削除の際、名称の一部を誤って削除したり、ゴミが残ったりしている箇所があるようですね。）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:長々と書いてしまいましたが、すでに意見に出されているとおり、「不可欠な情報」のみが「整理して」書かれていることが、情報を参照しようとする側から見ると非常に重要です。--[[利用者:（五）|（五）]] 2006年9月3日 (日) 22:22 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:だいぶカットされたようですが、色々な事情があるんでしょうねえ。2006年9月7日 (木) 21:55 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::125.203.39.110（使用ISP:ぷららネットワークス）さん、ノート記述の最後には、必ず「&amp;lt;nowiki&amp;gt;--~~~~&amp;lt;/nowiki&amp;gt;」（署名）の記述をお願いします。　　　「だいぶカットされたようですが、色々な事情があるんでしょうねえ。」＜削除は誰でも自由に出来てしまうのがウィキペディア辞書の特徴です。--[[利用者:こたつ狼|こたつ狼]] 2006年9月8日 (金) 16:41 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 見出しや要約記載は簡潔に ==&lt;br /&gt;
雑談をしたいのであれば[[井戸端]]か個人の掲示板上でどうぞ。また、ノートの見出しや編集内容の要約部分にだらだらと文章を羅列するのは無駄以外の何者でもありません。見づらい部分は原題を残しつつ改変しました。--[[利用者:Sir|Sir]] 2006年9月8日 (金) 23:19 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 残念ですが ===&lt;br /&gt;
とうとう'''[http://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:%E6%8A%95%E7%A8%BF%E3%83%96%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%AF%E4%BE%9D%E9%A0%BC/Sir_1103 無期限の投稿ブロック]'''が執行されてしまいましたね。--[[利用者:こたつ狼|こたつ狼]] 2007年8月22日 (水) 13:02 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 沿革に炭鉱は必要か？ ==&lt;br /&gt;
炭鉱など、特定産業の沿革は、市の沿革に不適切と思う。 2006年9月21日 (木) 17:39 [[利用者:Ue|Ue]]（Sir追記）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== IP58.93.186.160氏の投稿について ==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2008年2月22日 (金) 04:32のIP58.93.186.160氏の「世界三大一覧バリ等、マニラ＜サントリーニ島」は、意図不明。&lt;br /&gt;
「一覧」という言葉にリンクを張ろうとでもしたのか？&lt;br /&gt;
IP投稿は本人に確認も取れないのでIP投稿は望ましくない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
58.93.186.160氏は投稿においてミスの多さも目立つ。利用者‐会話:58.93.186.160においてはるひ氏に2008年2月22日 (金) 05:40に、「「プレビューを実行」ボタンを活用されることをお勧めします」と注意されている。&lt;br /&gt;
[[サンドボックス]]も利用できるので、[[Help:サンドボックス]]を勉強して、[[Wikipedia:サンドボックス]]やWikipedia‐ノート:サンドボックス]]も利用されたい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
小川義行&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
--[[利用者:小川義行|ほわーりィばーど]] 2008年5月1日 (木) 08:27 (UTC)&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>小川義行</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88:%E9%AB%98%E7%94%B0%E3%81%B2%E3%82%8D%E3%81%8A</id>
		<title>ノート:高田ひろお</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88:%E9%AB%98%E7%94%B0%E3%81%B2%E3%82%8D%E3%81%8A"/>
				<updated>2008-05-01T08:39:55Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;小川義行: 58.93.186.160氏が北海道を北海道釧路市ではなく、北海道釧路市と改変した意図は何なのか？&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;2008年2月22日 (金) 03:18に、IP投稿で58.93.186.160氏は[[北海道]]を[[北海道釧路市]]と改変している。&lt;br /&gt;
[[北海道]][[釧路市]]ではなく、[[北海道釧路市]]とした意図は何なのか？&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
58.93.186.160氏は投稿においてミスの多さも目立つ。利用者‐会話:58.93.186.160においてはるひ氏に2008年2月22日 (金) 05:40に、「「プレビューを実行」ボタンを活用されることをお勧めします」と注意されている。&lt;br /&gt;
[[サンドボックス]]も利用できるから、[[Help:サンドボックス]]を勉強して、[[Wikipedia:サンドボックス]]や[[Wikipedia‐ノート:サンドボックス]]も利用されたい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
58.93.186.160氏のミスであると判断し、ノートでの意見は求めずに直接訂正しておく。&lt;br /&gt;
利用者‐会話:58.93.186.160における2008年2月22日 (金) 05:40のはるひ氏による注意に、05:4058.93.186.160氏は返事をしていないので。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
小川義行&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
--[[利用者:小川義行|ほわーりィばーど]] 2008年5月1日 (木) 08:39 (UTC)&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>小川義行</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88:%E9%87%A7%E8%B7%AF%E5%B8%82</id>
		<title>ノート:釧路市</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88:%E9%87%A7%E8%B7%AF%E5%B8%82"/>
				<updated>2008-05-01T08:27:53Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;小川義行: IP58.93.186.160氏の投稿について&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;''この記事は一度削除されています。削除に関する議論は[[Wikipedia:削除依頼/{{{1|釧路市}}}]]をご覧ください。''&lt;br /&gt;
----&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 沿革について(1) ==&lt;br /&gt;
（原題：沿革に、下記を追加したいのですが、残念ながら判りません）&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
年月日が駄目なら年月、それでも駄目ならせめて年（西暦年、または元号年）だけでも御存知のお方、是非、加筆協力をお願いします。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::・　ほくそうデパート釧路店（くしろデパート斜め向かいの安藤印房の裏）　閉店撤退時期&lt;br /&gt;
::・　ＶＡＮミウラ　起業時期（大きな商業店舗では無いですが、名称・取り扱い製品がかつての世相に大きく連動しているので、掲載を望みます）&lt;br /&gt;
::・　ショッピングヤスモト（リビングヤスモト？）　開店時期&lt;br /&gt;
::・　ショッピングヤスモト　閉店時期&lt;br /&gt;
::・　丸三鶴屋　屋上閉鎖時期&lt;br /&gt;
::・　オリエンタルデパート　飲食店ビルに業態変更（オリエンタルプラザに改称）した時期&lt;br /&gt;
::・　ＹＥＳそうご電器　釧路進出時期&lt;br /&gt;
::・　旧北海道拓殖銀行　釧路支店　開行時期&lt;br /&gt;
::・　パステルタウン　完成時期&lt;br /&gt;
::・　釧路市立図書館（現建物）　改築完成時期&lt;br /&gt;
::・　地元スーパータイスイ　閉店時期&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::・　ＮＨＫテレビ（総合テレビ、教育テレビ）　釧路放送局　音声多重放送開始時期&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::・　市内各小中高の開校時期、閉校時期（例：私立　旧第一高校など）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::・　マクドナルド　釧路進出時期&lt;br /&gt;
::・　ロッテリア　釧路進出時期&lt;br /&gt;
::・　シェーキーズ　釧路進出・撤退時期&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 2005年6月29日 (水) 16:15 219.162.9.84（追記 Sir）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:::一切不要です。一般の店舗の出店・撤退を入れる必要性は微塵もありません。--[[利用者:Sir|Sir]] 2006年9月8日 (金) 23:19 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 沿革について(2) ==&lt;br /&gt;
（原題：沿革に特定の店舗の開店や閉店、釧路市の公共施設の開設時期、テレビ局の放送開始時期などについて記載がありますが）&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
これは百科事典として本当に必要なんでしょうか？コメントアウトしました。&lt;br /&gt;
上記の沿革に追加してほしい内容も必要ない事項ばかりです。[[利用者:Yamabig|Yamabig]] 2005年7月2日 (土) 05:11 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
私も同感です。'''しかも都合の悪い情報は隠し、少しでもよく見せようとするのが極めて悪質です。'''そして2CH（釧路スレッド）でやたらとこのよく見せかけたページへと誘導している。釧路を愛する気持ちは結構ですが、自分のHPを持つなどしてそこで大いにやって下さい。但し、「その他」のページは面白いのでここはこのままでもよいかと。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
私も同感です。市の歩みを紹介するならば別に新たに頁を作成した方がいいと思います。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
Maruichan2005年10月12日 (水) 19:13 (UTC)~&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:＞'''しかも都合の悪い情報は隠し、少しでもよく見せようとするのが極めて悪質'''&lt;br /&gt;
:そうでしょうか。９０年代初頭（記事の対象である都市の衰退期）あたりからは、むしろ閉店・撤退・倒産・廃業のオンパレードで、むしろそれら（他、市長による隣町選挙への介入・逮捕など）を淡々と寒々しく冷徹に書き連ねられた内容だと思えるんですが。--[[利用者:こたつ狼|こたつ狼]] 2005年10月14日 (金) 18:35 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
私もこの特定店舗の記載は不要だと思っていました。ただし　少しでもよく見せようという恣意的なものは一切感じません。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:&amp;gt;'''閉店・撤退・倒産・廃業のオンパレードで、むしろそれら（他、市長による隣町選挙への介入・逮捕など）を淡々と寒々しく冷徹に書き連ねられた内容だと思えるんですが。'''&lt;br /&gt;
:淡々と冷徹に連ねていることには賛成するのですが、「大手」とか「最大」といった言葉が恣意的さを助長している気がしてやみません。なお、現在、私が草案作成中の「釧路市の産業（[[利用者:Yiuchan/釧路市の産業]]）」では、個々の店舗の詳細には触れず、'''人口減少等による地元企業の相次ぐ撤退と、新しい商業の振興策やイオン等のショッピングモールの台頭'''といったような内容の文章にまとめて掲載しようと考えています。--[[利用者:Yiuchan|Yiuchan]] 2005年10月16日 (日) 23:57 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
説明不足だったかも知れません。&lt;br /&gt;
店舗の開店閉店の部分のことではなく、私は概要とか地理などの項目の説明について不満があるのです。では、疑問点を具体的に列挙していきたいと思います。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*1　「釧路は北海道東部の政治・経済の中心地」　帯広・北見とは経済圏が別。釧路は東北海道の中心地と言えるほどの勢力圏でないのが北海道内での常識だと思われます。釧路市の人口そのものは一番ですが周辺人口を足すと、帯広市の方が大きかったりします。北海道東部という分類方法もほとんど使われることがありません。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*2　「苫小牧市・室蘭市・石狩市と並び北海道で三番目の規模を誇る国際貨物取扱量」　国際貨物に限定している点が恣意的です。釧路港全体の貨物取扱量でみてみると釧路港は函館港よりも下です。しかも室蘭港・苫小牧港は「重要港湾」釧路港よりも上の格である「特定重要港湾」に指定されています。したがって「並んでいる」という記述には誇張を感じます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*3　「合併で過疎地に指定された→削除」　これは、地元の新聞やマスメディアでも大きく取り扱われている事項です。現在の版では「合併した自治体が過疎地だったため」とありますが、その理由ではありません。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*4　「鈴木宗男」　選挙区が釧路であるだけで、所以が深いというのはどうかと。　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*5　夏に一ヶ月程度飛んだだけの伊丹－釧路便を季節便として載せるのはどうかと。昨年は運行の実績もありませんし来年もどうなるか分かりません。普通季節便という場合はもう少し期間の長いものをさすことが一般的です。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*6　「苫小牧と並ぶ日本を代表する紙パルプのまち」　静岡県富士市のほうが大きなシェアでは。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*7　釧路市は、あたかも産業が盛んであるかのような記述が多いですが、釧路市の製造品出荷額は北海道内でも工業が盛んな苫小牧市・室蘭市には遠く及ばず函館市・千歳市以下です。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*8　合併で釧路市の人口密度も大きく下がりました〔147.9人／km²〕。正しくは、「北海道での都市人口二位で中核市でもある旭川市「477.44人／km²」に大きく引き離される）。」です。合併に関する記述が細かく書かれているのに、この部分だけ削除されないのは恣意的なのではないでしょうか。人口密度の記述を削除せずに、北海道で言えばどこの町村並みの人口密度かが知りたいです。&lt;br /&gt;
削除ということは、釧路にとって都合の悪いデータを消すことにほかなりません。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
早急な訂正を。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
とにかく、行き過ぎた釧路粉飾記述をやめて、ある程度は中立を守ってくださることを希望します。[[北海道]]の解説も多分この方が書かれたのでしょう。--Maruichan2005年10月17日 (月) 18:24 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== あって良いと思います ==&lt;br /&gt;
出身者にとっては非常に判り易いマチの歴史を示していると思いますし、非出身者にとっても、一つの地方都市の興隆を示すうってつけの指標になるのでは。こういう記録は、他の都市解説の頁でも増やしていくべきです。学術的な歴史ばかりだけでは駄目です。 -- ''署名がありませんが、この投稿は2005年7月5日 (火) 14:46 (UTC)の61.207.111.95(IP)さんによる投稿です。''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== これらの記事を残しておくことは ==&lt;br /&gt;
[[Wikipedia:ウィキペディアは何でないか]]に抵触しませんか？ローカルな特定の店舗名などについては[[Wikipedia:専門用語には解説を]]に則って新規項目を作る必要があると思います。しかし、あまりにマイナーな項目であるため、[[Wikipedia:ウィキペディアは何でないか]]内の'''ウィキペディアはナレッジ・ベースではありません'''に抵触すると思うのです。--しげちー 2005年9月19日 (月) 11:25 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 神田日勝 ==&lt;br /&gt;
釧路出身の画家です。鹿追町に晩年住んでおりました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 岩合光昭 ==&lt;br /&gt;
（原題：「出身の有名人・所縁の深い有名人」に加えられていた「岩合光昭」（写真家。東京生まれ）ですが）&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
ネットで検索をかけても、特に釧路市との接点（釧路市民だった時期が存在、発表した写真集等の出版物が釧路と関連、釧路に関連するイベントに協力等）が見つかりません。よく似た名前の写真家「岩合徳光」、こちらは釧路市生まれですが。コメント化しておきます。加えた方（この件で編集に共同参加された方）、この一文に気づかれましたら、宜しければ岩合光昭氏を「出身の有名人・所縁の深い有名人」の中に加えた理由を教えてください。 -- ''署名がありませんが、この投稿は2005年8月26日 (金) 04:16 (UTC)の222.147.4.99(IP)さんによる投稿です。''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
岩合光昭さんは岩合徳光さんのご子息です。両者とも著名な動物写真家です。--[[利用者:Hmr|Hmr]] 2005年12月17日 (土) 04:48 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 署名のお願い ==&lt;br /&gt;
（原題：ノートに投稿の際には最後に&amp;lt;nowiki&amp;gt;--~~~~&amp;lt;/nowiki&amp;gt;を入れていただけるようお願いします）&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
詳しくは[[Wikipedia:編集の仕方#署名]]や[[Wikipedia:ノートのページでは投稿に署名をする]]をお読み下さい。--[[利用者:210.159.150.33|210.159.150.33]] 2005年9月3日 (土) 05:58 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;nowiki&amp;gt;--~~~~&amp;lt;/nowiki&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== FMくしろについて ==&lt;br /&gt;
（原題：沿革から民放ＦＭ局市内放送開始・市内コミュニティーＦＭ放送開局（ＦＭくしろ）開局を何度も削除している方へ）&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
何故、そうされているのか、考えをお聞かせ願えませんか？&lt;br /&gt;
（同じくＦＭ放送である　ＮＨＫ－ＦＭ市内放送開始　及び　ＨＢＣラジオ（ＡＭ放送）市内放送開始・ＳＴＶラジオ（ＡＭ放送）市内放送開始は消去対象から外してる事からも、意図・目的・主張が全く見えてきてません。--[[利用者:219.162.6.200|219.162.6.200]] 2005年10月8日 (土) 01:02 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:このページで既に、百科事典的ではない項目を沿革に追加することに対して異論が出ています。投稿画面の下に明記されている「'''あなたの文章が他人によって自由に編集、配布されることを望まない場合は、投稿を控えて下さい。'''また、'''あなたは、あなたの関与したページなどがウィキペディアにおいて不適当と判断された場合（不適当と判断される理由があなたの関与によるものではない場合を含む）には削除されることに、予め同意を与えます。'''」をお読みになられた上で投稿なさったはずですよね。削除されたことに一方的に不満を表明して編集合戦に明け暮れるばかりでは、問題はいつまでも解決しません。異論に対して根拠をもって答えるよう努力してください。--{{User:Shota/sig}} 2005年10月9日 (日) 02:15 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:この項目は保護が見送られることになりましたが、編集合戦が再発しつつあります。記事の一部を削除なさる場合は、削除に相当する具体的な理由を可能な限り明らかにしてください。--{{User:Shota/sig}} 2005年10月9日 (日) 09:57 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:沿革がわかりにくいようであれば、行政史、経済史、メディア史など分けて並べてみてはいかがでしょうか。--{{User:Shota/sig}} 2005年10月9日 (日) 17:18 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
私個人としては沿革には「地方公共団体としての釧路市」の変遷と、それに付随して大きく人口増減にかかわった出来事ぐらいにするべきではないかと思っている立場ですが、無言で削除するのは、初心者ならまだしもこう続かれると不愉快に感じます。僕の意見としてはロールバックが続くのは面倒なので、このままメディア史の削除の件は、とりあえず放置して、以下の時点のバージョンをノートに記録しておきそこから、分割を進めていくのはどうでしょう。イタチゴッコはもうたくさんです。 --[[利用者:Yiuchan|Yiuchan]] 2005年10月12日 (水) 06:35 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*とうとう保護されたと思いきや、連続無言削除している人にとって都合の良い版で編集保護されてしまいましたね。これって、ちょっと納得が・・・。　--[[利用者:こたつ狼|こたつ狼]] 2005年10月12日 (水) 16:20 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*わかりづらい書き込みをした上に、その後、不本意な版で保護されてしまい、ちょっと責任を感じています。本当にみなさんごめんなさい。--[[利用者:Yiuchan|Yiuchan]] 2005年10月12日 (水) 23:42 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
**ここのノートは引き続き書けますし、新規記事作成も可能なので、引き続き（保護解除に備えて）沿革分離・独立（「釧路のメディア史」「釧路の経済（商業？）史」「釧路の行政史（こちらを現「釧路市」記事に残す事になるのでしょうか）」を進めていきましょう。各記事の具体案（原稿原型）をここで皆で出し合うとか。--[[利用者:こたつ狼|こたつ狼]] 2005年10月13日 (木) 01:21 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*「幻に終わった都市計画（官・民）、各種プロジェクト」にて、知らない間に削除（[http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E9%87%A7%E8%B7%AF%E5%B8%82&amp;amp;diff=2560766&amp;amp;oldid=2558386 削除された際の履歴？]）されていた項目を見つけました。以下、「幻に～」から気付かれぬまま削除された文です。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
** 民間での有志をつのり、市内二番目の[[コミュニティFM]]局「くしろコミュニティー放送」を設立・開局しようという運動があった。[[総務省]]北海道[[総合通信局]]にも免許申請されており、公式HP（現在、閉鎖中。[http://web.archive.org/web/20041026235411/www3.ocn.ne.jp/~m-ling/kushiro-cfm.html インターネットアーカイブ版HP]）などを通じ、引き続き参加者を募っていたが、2005年春頃より公式HP（[[2002年]]秋より更新停止状態）が閉鎖されたりと、このまま実現せず計画が流れる可能性も出てきた。--[[利用者:こたつ狼|こたつ狼]] 2005年10月31日 (月) 13:30 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 全体的な記事是正の提案 ==&lt;br /&gt;
釧路市の記事は読みづらく、読者の立場に立った記述がなされていないように感じられます。読者として投稿者の方には以下のことなどをして見やすくすると、他の読者も使いやすいように思われます。これらの意見についてご意見を募ります。意見がない場合は10月15日辺りに修正作業を始めたいと思います。ただし、私は少し門外漢なこともあり、できれば皆さんに協力をお願いします。&lt;br /&gt;
*'''いくつかの項目を別記事として掲載'''&lt;br /&gt;
**「''幻に終わった都市計画（官・民）、各種プロジェクト''」は、成功したプロジェクトと一緒に「''釧路市の都市計画''(仮)」として別記事とし、プロジェクトごとに掲載する。&lt;br /&gt;
**「''沿革''」は{{User:Shota/sig}}さんのおっしゃる通り、いくつかの分野の歴史に分割する。他の自治体の記事に倣って、行政史（市町村の変遷）に関することはこのまま「''釧路市'''」の記事として温存し、その他の記事を「''釧路市の歴史''」として、別の記事とする。&lt;br /&gt;
*'''リンク先の記事にもある内容の削除・移設'''&lt;br /&gt;
**「交通」の釧路空港に発着する便の就航機種等の表（''釧路空港''に記載あり）&lt;br /&gt;
**釧路港の各種データ（''釧路港''に記載あり）&lt;br /&gt;
以上、ご意見をお待ちしています。--[[利用者:Yiuchan|Yiuchan]] 2005年10月10日 (月) 02:48 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== re:全体的な記事是正の提案 ===&lt;br /&gt;
その案で良いと思います（Yiuchanさんの提案内容を支持します）。--[[利用者:61.119.159.179|61.119.159.179]] 2005年10月10日 (月) 14:35 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（賛成）セクションに便乗させていただきます。Yiuchanさんの提案に賛成です。それと文中で釧路ラーメンとくしろラーメンが混在しています。[[ラーメン]]には釧路ラーメンで赤リンクが張られています。他の地方ラーメンはすべて漢字ということもあり、どこかの企業の商標になっていなければ釧路ラーメンに統一し、別記事に移したほうがいいのではという気もします。--[[利用者:Sasara|Sasara]] 2005年10月11日 (火) 04:04 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:賛成くださりありがとうございます。釧路ラーメンの件、商標関係を調査して分けて掲載する方向でいきましょう。反対意見があまり出てこないようでしたら、少しずつ編集を進めていきましょう。編集の際、「編集内容の要約」欄に「ノート議論に基づく修正」などと入れていただけると幸いです。--[[利用者:Yiuchan|Yiuchan]] 2005年10月11日 (火) 23:45 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 上記と同様の問題 ===&lt;br /&gt;
[[北海道]]・[[帯広市]]・[[帯広空港]]・[[釧路空港]]の記述も同様であります。バランスが悪いのでは。 porosatu2005年10月11日 (火) 16:17 (UTC)[[利用者:Porosatu|Porosatu]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 沿革の再編について ===&lt;br /&gt;
では、ひとつずつ項を立てて総意を出していきましょう。沿革については、私の提案では、行政史をそのまま、その他を別記事にするということです。こうしたい理由は、「自治体」としての釧路市の埋没を回復したいからです。その他の商業施設やメディアの変遷については、そもそもいらないという意見の方もいるかもしれません。そういう意見を持っている方は、特に書き込みをください。よろしくお願いします。--[[利用者:Yiuchan|Yiuchan]] 2005年10月13日 (木) 13:14 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:まず全体的に[[Wikipedia:ウィキプロジェクト 日本の市町村]]を参考にしていただければ幸いです。プロジェクトいわく、沿革には自治体の変遷を記入するということで、開基、釧路村分村、町・区・市制施行から区域変更、合併あたりを基本に、市として重要な事柄だけにとどめたほうが良いと思われます。（挙げた以外にこれぞ！というのはあまり見つかりませんが）個人的に特記してもいいかなと思えるのは炭鉱と海港開港ですかね。経済などの項目で詳述できるならそのほうがいいかと。ただし事故は沿革に書くべきではないでしょう。--[[利用者:Sasara|Sasara]]([[利用者‐会話:Sasara|&amp;lt;small&amp;gt;T&amp;lt;/small&amp;gt;]]/[[特別:Contributions/Sasara|&amp;lt;small&amp;gt;C&amp;lt;/small&amp;gt;]]) 2005年10月14日 (金) 09:30 (UTC)&lt;br /&gt;
（下の項目とはちょっと別かなと思いましたので）[[利用者:Sasara/釧路市改訂草案]]で沿革まで書いています。かなりばっさり切ることになってしまいますので、切ってしまった分は別項目・別記事で活かしていけるようにしたいと思います。（今回の保護をチャンスにしましょう！）&lt;br /&gt;
*定義部の釧路が道東の政治経済の中心地というのには少々疑問を感じます。北見網走と帯広はそれぞれ別の商圏を持っていて、釧路がなければやっていけないほどではないと思うのですね。そのため疑いのない釧根地区の中心であると限定して書いています。&lt;br /&gt;
（下に飛びます）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　この意見には率直に疑問を生じます。商圏は広域ですから北見網走、十勝、釧路根室は異なるでしょうが、国、道の出先機関（裁判所、警察、金融機関、物流など）を考慮すると東北海道地域は釧路市を一つの核にしています。さらに釧路市を核に地方拠点都市がそれぞれ出先機関、密接な関係を維持し東北海道の経済域を構成しているというのがごく普通の捉え方だと感じています。『地域経済総覧』、『民力』では釧路根室管内を１都市圏域で考慮していますがこのことが東北海道の中心都市を意味するものではないと捉えられますが、釧路市が人口、経済規模で道東最大であるにも関わらず中心都市と標榜できないとすれば、そのことがむしろ恣意的だと感じます。（2005年10月16日 (日) 04:05、04:19のIPユーザさんの発言です。発言の際には[[Wikipedia:ノートのページでは投稿に署名をする|署名]]をお願いします。[[利用者:Sasara|Sasara]]([[利用者‐会話:Sasara|&amp;lt;small&amp;gt;T&amp;lt;/small&amp;gt;]]/[[特別:Contributions/Sasara|&amp;lt;small&amp;gt;C&amp;lt;/small&amp;gt;]]) 2005年10月16日 (日) 08:12 (UTC)）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:なるほど。行政は確かに釧路を核にしていますね。政治ではなく'''行政'''の中心であるということであれば賛成したいと思います。道東最大の人口・経済規模であると書くのも賛成です。ただ、経済の中心であるという書き方だと商圏も一緒であるような印象を受けてしまいました。'''商圏'''が異なることがわかるような書き方であれば、私は問題がないと考えています。（ちなみに北海道庁は[http://www.pref.hokkaido.jp/skikaku/sk-shyok/HP/keikakuindex.files/keikakuindex.html 第3次北海道長期総合計画]では別の地域圏として書いています）いかがでしょうか？[[利用者:Sasara|Sasara]]([[利用者‐会話:Sasara|&amp;lt;small&amp;gt;T&amp;lt;/small&amp;gt;]]/[[特別:Contributions/Sasara|&amp;lt;small&amp;gt;C&amp;lt;/small&amp;gt;]]) 2005年10月16日 (日) 08:12 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（上より続く）&lt;br /&gt;
*地理の削除部分は地理に置くべき内容ではなく、概要か経済の分野に置くべきではないかなと感じました。&lt;br /&gt;
*沿革ですが、大幅に削除しています。雄別線や釧路駅関係は[[釧路駅]]に移してもいいと思います。炭坑は個別記事の方に書かれているので関連項目や産業に書けば十分でしょう。&lt;br /&gt;
*医療の部分は市立釧路総合病院を、釧根地区の第3次救急病院ということで記しておけばよいのではないかと思います。&lt;br /&gt;
*公立高校は北海道○○高等学校で名称が統一されていたと思いましたが、釧路市立はそれに則っていないのでしょうか？ご存じの方の確認をお願いしたいです。&lt;br /&gt;
*名所関係は…色々重複していて、どれを削りどれを分けどれを残したものか困っています。&lt;br /&gt;
*プロジェクトは活かすには分割するしたほうがいいかもしれません。釧路市の中で活かすと冗長になりすぎる恐れが。&lt;br /&gt;
*それ以外はまだ手をつけてません。&lt;br /&gt;
かなり削っていますので、おそらく不満に思われる点はあると思いますが、直接編集せずにまずこのページで提案してから編集されるようにお願いします。他の釧路市の産業草案などを作られる方がいれば、[[Wikipedia:利用者ページ|利用者サブページ]]やノートサブページをご活用下さい。[[利用者:Sasara|Sasara]]([[利用者‐会話:Sasara|&amp;lt;small&amp;gt;T&amp;lt;/small&amp;gt;]]/[[特別:Contributions/Sasara|&amp;lt;small&amp;gt;C&amp;lt;/small&amp;gt;]]) 2005年10月15日 (土) 18:04 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
釧路は道東（北海道東部）の中心かどうか、ですが私は否だと思っております。商圏だけでなく&lt;br /&gt;
行政面を見ても中心とはいえないでしょう。何と言っても北海道は「支庁」の役割が圧倒的に大きく、都道府県の境界並みの役割を果たしています。また、この支庁による区切りは認知度も高くも政治的・行政的・心理的に大きな壁であるとといえ、北海道においては、この大きな壁がかなり機能しております。道東は、北東北とくくったときの、青森秋田岩手みたいな構図かもしれません。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
確かに地裁や警察は十勝釧路根室網走の4支庁を管轄してます。しかし、これ以外でこのような分類はほとんどされません。北海道庁も今後行われるであろう支庁改革では、道東を3分類しています。民間企業もそれぞれに営業所や支店を置くというケースがほとんどで、道東の経済の中心とは言い難いです。道外との物流の拠点としてはそこそこの役割を果たしているのにしろ、大部分を占める北海道内の物流では、決して中心として機能していません。道東は釧路ー道東各都市という物流形態ではなく、道央ー釧路、道央ー北見・網走と完全に分かれています。道東の中心というのであれば、これらの都市との交流がもっと多いはずですが、人の移動もモノの移動もほとんどないのが現状です。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ですから釧路市は'''道東の拠点都市のひとつ'''、という表現あたりが妥当だと思っております。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
Sasaraさんは、&lt;br /&gt;
&amp;gt;釧路市が人口、経済規模で道東最大であるにも関わらず中心都市と標榜できないとすれば、そのことがむしろ恣意的だと感じます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
とおっしゃっておられます。釧路市単独の人口は確かに道東最大かもしれませんが、ベッドタウンである隣接町村を含めれば帯広市は釧路市を大きく上回ります。経済規模も、何を基準としているかは分かりませんが釧路市が道東最大とは断定できないでしょう。北海道内では、釧路が道東の行政・経済の中心だという認識はほとんどなされません。帯広市（あるいは北見市）と同等の位置で見られていることが一般的です。釧路・根室地方の中心が釧路市であることに意義はありませんが、十勝・網走を入れると大きく事情は異なってきます。釧路は行政、人口、経済規模、北海道内での一般認識の面からも道東最大とは言いづらいですね。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そもそも北海道内は区切りはいつも曖昧です。十勝と上川が同じ観光圏として分類されることがありますしね。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
それ以外は、皆さんが提案されている内容に概ね賛成です。Maruichan2005年10月17日 (月) 19:53 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:Maruichanさんが引用された「&amp;gt;釧路市が人口、経済規模で道東最大であるにも関わらず中心都市と標榜できないとすれば、そのことがむしろ恣意的だと感じます。」の部分は私ではなく、IPユーザさんの発言[http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88%3A%E9%87%A7%E8%B7%AF%E5%B8%82&amp;amp;diff=3233708&amp;amp;oldid=3230512]です。発言の間にレスいただいたのでいびつな流れになっています。レイアウトを直してよいものか…。[[利用者:Sasara|Sasara]]([[利用者‐会話:Sasara|&amp;lt;small&amp;gt;T&amp;lt;/small&amp;gt;]]/[[特別:Contributions/Sasara|&amp;lt;small&amp;gt;C&amp;lt;/small&amp;gt;]]) 2005年10月18日 (火) 03:13 (UTC)&lt;br /&gt;
::さらに本題へのレスを。今回経済規模が最大、という意見に賛成したのは日銀資料[http://www3.boj.or.jp/kushiro/kouhyou/kushiro/getu/getu0509/hyou0509.pdf]を参照した時に、釧路根室と十勝でわけたためです。今回は釧路市のことなので、釧路市よりも帯広管内のほうが人口が多いというのはどうかと思います（比べるならば釧路市と帯広市であるべきでしょう）。行政も市町村・道・国のどれに目を向けるべきか迷いますね。北海道であれば確かに警察くらいしか広域に渡る業務はしてませんし、国であれば裁判所や開建だとか、そのくらいでしょうか。まとめると、人口が現段階で道東最大なのは事実だと思います。それ以外の経済規模・行政については確たる資料がなくあいまい。異議のないと思われるのは、前述したように「釧路根室地方の中心」であることですかね。[[利用者:Sasara|Sasara]]([[利用者‐会話:Sasara|&amp;lt;small&amp;gt;T&amp;lt;/small&amp;gt;]]/[[特別:Contributions/Sasara|&amp;lt;small&amp;gt;C&amp;lt;/small&amp;gt;]]) 2005年10月18日 (火) 03:34 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
再びMaruichanです。&lt;br /&gt;
経済規模の点ですが、これは釧路根室対十勝の話という話ですので、釧路市と帯広市の経済規模を比較するのは不適当でしょう。そして、私は釧路市より十勝管内（帯広管内と言い方はまずない）の方が人口が多いといったつもりはありません。都市圏人口をのことを言ったまでです。&lt;br /&gt;
「行政も市町村・道・国のどれに目を向けるべきか迷う」とありますが、先述の通り支庁を基準としてほとんどの行政の管轄は決定しているのです。ですから、迷う必要などありませんし、釧路に本部があり十勝や北見を統括しているものは、全体の中でもごくわずかです（地裁、日銀など）。日銀は小樽、札幌、函館、釧路など&lt;br /&gt;
明治当時の区分そのままなので、当時とは既に状況が大きく変わっています。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「まとめると」、って勝手にまとめられても困ります。釧路市が道東最大の人口を持っていることはその通りですが、決して道東の中心ではないということです。&lt;br /&gt;
また、「それ以外の経済規模・行政については確たる資料がなくあいまい。」という言い方はちょっと乱暴ですね。ちゃんと調べるには時間がかかりますよ。北海道民なら当たり前の認識なのですが、資料をわざわざ出さないと認められないという言い方は悔しいですね。経済規模の話に関しては、別の方の発言を受けてレスしたもので、私も「わかりませんが」といってあります。行政を曖昧に言ったことはありません。あらゆる官庁の分類を調べていけばわかりますよ。自分でお調べになってはいかがですか。&lt;br /&gt;
胆振管内の一番大きい都市は苫小牧ですが、支庁も出先もみんな室蘭にあります。&lt;br /&gt;
はたして人口が多いだけで中心都市を標榜できるでしょうか。&lt;br /&gt;
恐らく、「中心」という言葉に関して意見の相違があるのでしょう。中心を標榜できるのは、周辺都市や道東地域がどれだけ依存しているかということです。上でも述べたように各都市とも札幌との結びつき（依存）は強いですが、道東各都市が釧路に依存しているという分野は少ないはずです。特に紋別や遠軽まで行くと、釧路との交流は皆無です。旭川のほうに近いでしょう。&lt;br /&gt;
ですから、'''道東の拠点都市のひとつ'''ならいいと思ってます。釧路市が道東最大人口を抱えている都市ということもいいのです。&lt;br /&gt;
だからといって、道東の中心ではないと思います。経済・行政の中心都市とはいえません。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:まずノートの発言では「&amp;lt;nowiki&amp;gt;~~~~&amp;lt;/nowiki&amp;gt;」で署名をお願いします。「まとめると」というのは私の発言中の文でしょうか。ともするととりとめのなくなってしまいそうな私の発言の総括をしただけで、'''決して議論の総括ではありません'''。誤解を招かれたのでしたら失礼しました。[[利用者:Sasara|Sasara]]([[利用者‐会話:Sasara|&amp;lt;small&amp;gt;T&amp;lt;/small&amp;gt;]]/[[特別:Contributions/Sasara|&amp;lt;small&amp;gt;C&amp;lt;/small&amp;gt;]]) 2005年10月22日 (土) 03:02 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
すっかり忘れてました。失礼しました。[[利用者:Maruichan|Maruichan]] 2005年10月22日 (土) 20:28 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 「沿革」について ===&lt;br /&gt;
 （原題：「沿革」についてby [[利用者:Opponent|Opponent]] ）&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
そうですねぇ、Yiuchanさまのご意見でよさそうに思いますが、わたくしの意見は少し違います。「沿革」の部分の細かい記事内容に関しては、力作だと思って評価いたしましたが、問題はこの細かい記事内容が、どういう読者を想定しているのか、という点にあるような気がしてなりません。釧路市のことをほとんど知らない人が読者&amp;lt;del&amp;gt;だったとした&amp;lt;/del&amp;gt;&amp;lt;ins&amp;gt;な&amp;lt;/ins&amp;gt;ら、「これを全部読んで理解しろ」、と言われているみたいで、それでは百科事典として、ちょっと不親切ではないか、という気がいたします。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
箇条書き、というのがその致命的な欠陥になっていると思うんです。例えばですね、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* 1891年の「鳥取神社　創祀」という部分ですけれど、この鳥取神社というのが釧路市の沿革でどういう意味を持っているのかがわからなければ、読者にとっては単に知らない固有名詞でしかないわけです。釧路市出身の方なら御存知かも知れませんけれども、知らない人にとっては意味不明なんですね。（【釧路の文化】）&lt;br /&gt;
* 1936年と1949年、1983年に釧路市立郷土博物館の記述があります。この郷土博物館は、釧路市にとってどんな存在なんでしょう？　どんな存在だったんでしょう。今はどういう博物館になっていますか？　その位置づけというか意義、存在価値や変遷がわからなければ、意味不明ですよね？　記事の別の部分に書かれているならば、問題はありませんが、ここにしか出てこないのでは困ります。（【釧路の文化】）&lt;br /&gt;
* 同様に「くしろデパート」が、1964年、1968年、1970年、2003年と4回出てきます。これも同様、釧路市民にとって「くしろデパート」がどんな存在なのか（だったのか）が、&amp;lt;ins&amp;gt;読者には&amp;lt;/ins&amp;gt;まったくわからないんです。（【釧路の商業】）&lt;br /&gt;
* 市長の綿貫健輔さんも3回登場しますが、どういう施策をした（あるいはしなかった）のか、説明がなければ、どういう人物だったのか、わかりませんね。この市長さんは釧路市にとってどんな貢献をなさった（あるいはなさらなかった）のでしょうか。市長さんの名前を教わっても、それだけでは知らない人にとって無意味ですよね？（【釧路の政治】）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
とまあ、そういう断片的で固有名詞がたくさん出てきて、その説明がないため、釧路市のアウトラインが非常につかみにくくなっているわけです。これだけのデータがありながら、説明がないために、かえってわかりにくい記述になっているのではないでしょうか。カッコ内に挙げた分類分けで記述されていた方が、分かりよくなりませんか？&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
だからといって、そういう固有名詞を新たに項目（記事）として立てればいいのか、というと、そうではないと思います。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
つまり、釧路市を知らない人にアウトラインを説明するために、あれこれの固有名詞のうち、'''何が不可欠なのか'''、というあたりから練り直してみてはどうでしょう。最低限知っておいておくべき固有名詞を切り口に、その意義や存在価値を説きながら、釧路市の概略を'''文章で述べる'''、という作業をしないと、せっかくのデータが生きません。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これに比べ、「概要」は文章になっていますが、「沿革」と比較して少し貧弱すぎませんか？　概要と呼ぶためには、最低これだけは押さえておいてほしい、という部分をもう少し補強していただければありがたいと思います。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、産業の部分も、第一次産業の農業・水産業、工業、商業・サービス業、など項目分けして、その部分で沿革を書くという方法がありますね。特に、釧路と言えば、かつては飛ぶ鳥を落とす勢いの漁業が栄えた町ではありませんか。以前旅行した際、かつての盛り場だった建物が壊されずに、そのまま廃墟のようになっているのを見て胸が潰れるような切ない思いをしたことがありました。沿革を書くとすれば、その栄枯盛衰の経緯や理由を分析して、&amp;lt;ins&amp;gt;水産業の項目で&amp;lt;/ins&amp;gt;詳しく述べていただけると、ありがたいと思うんです。特に、水産業の町として栄えた歴史は非常に有名ですから、概要にもダイジェストを入れるべきではないかと思いました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
観光、祭り・イベントにしても、釧路を訪れる観光客にとって、どこが人気なのか、釧路市民おすすめの見どころはどこなのか、どういう施設があるのか、いちばんいい季節はいつごろか、行政が力を入れている目玉の観光にはどういうものがあるのか、これまで観光がどのような変遷を遂げたのか、経済効果はどうなのか、など切り口はたくさんあるはずです。そういった説明がほとんどなくて、観光地や祭り・イベントをただ箇条書きに並べただけでは、読む&amp;lt;del&amp;gt;方&amp;lt;/del&amp;gt;&amp;lt;ins&amp;gt;側&amp;lt;/ins&amp;gt;が困惑してしまうのではないでしょうか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そういった視点で、「沿革」の部分を文章化しながら、適切な項目に移動しつつ、各項目をふくらませていく。こういう作業をしていただければ、もう少し読みやすくなるのではないかという感想を持ちました。読者の身になって執筆していただければ、と思う次第です。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
もちろん、「沿革」の部分&amp;lt;del&amp;gt;は&amp;lt;/del&amp;gt;&amp;lt;ins&amp;gt;を&amp;lt;/ins&amp;gt;別項目（別記事）&amp;lt;del&amp;gt;を&amp;lt;/del&amp;gt;『上級編』として独立・保存することに異存はございません。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
以上、まとまりのない文章ですが、ご一考下さいませ。&amp;lt;br&amp;gt; - [[利用者:Opponent|Opponent]] 2005年10月14日 (金) 12:53 (UTC)&amp;lt;br&amp;gt; - [[利用者:Opponent|Opponent]] 2005年10月14日 (金) 14:47 (UTC)（修正）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:修正時に気付いたことをいくつか：&amp;lt;br&amp;gt;&amp;lt;br&amp;gt;　沿革の部分を「力作だ」と述べましたが、これだけのデータが揃っているわけですから、データが正確ならば豊かな記事を書く素材の宝庫になっています。そういう意味で、たいへんな力作だと思うんです。&amp;lt;br&amp;gt;&amp;lt;br&amp;gt;　「いちばんいい季節はいつごろか」と書いてて思い出しました。釧路と言えば霧の町ですよね。「夏季は南北からの暖気と冷気がぶつかり霧が発生しやすい」との記述は確かにありますが、これでは読み落としてしまうでしょう。何月頃だったか覚えていませんが、確か初夏の頃かな？　ものすごい濃霧で見通しが悪く、夏なのに肌寒く、新参者としてとても不思議な印象でした。小高い斜面から、全く視界のないはるか彼方から汽笛（霧笛？）が聞こえてきてミステリアスな雰囲気。土地の方に聞くと「○月ごろなら晴れ間がある」みたいな説明だったと思います。ページ内検索で「霧」の字は六ヶ所しかありません。土地の方ならば当たり前でしょうけれど、よそ者にとって、とても新鮮で印象に残る体験だったんです。「霧フェスティバル」「霧色ラーメン」「夜霧にむせぶ寅次郎」などの名称も、釧路名物「霧」が由来なんだと思うんですが、違いますか？　もしそうだとすれば、もう少し説明が必要なのでは？&amp;lt;br&amp;gt;&amp;lt;br&amp;gt;　もう一つ思い出、花咲ガニがすごく安くて、べらぼうに美味しかった。特産品もたくさんあるんでしょう？　こういう説明は箇条書きではなく、説明文で描写した方が印象的だと思いますよ。 - [[利用者:Opponent|Opponent]] 2005年10月14日 (金) 14:47 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:「花咲ガニ」は例としてあげられたと思いますが、産地が釧路だけでなく東北海道全体（根室市も）に及んでいるので、釧路市の特色として採り上げる（関連付ける）のはちょっと焦点がぼやけないか気になります。--[[利用者:こたつ狼|こたつ狼]] 2005年10月15日 (土) 02:08 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 「産業」の創設 ===&lt;br /&gt;
（原題：釧路市の産業の創設を提案）&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
Sasaraさんのご意見のように[[Wikipedia:ウィキプロジェクト 日本の市町村]]に沿っている記事とは言い難い沿革であると思います。また、Opponentさんの意見にはとても共感できました。機械的に日付順に書くので、ひとつひとつの事象が断片的になり、理解しづらいものになっているのですね。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''&amp;gt;「沿革」の部分を文章化しながら、適切な項目に移動しつつ、各項目をふくらませていく。（[[利用者:Opponent|Opponent]]）'''&lt;br /&gt;
:この方向で編集していくのがどうやらよさそうな気がします。そして、最終形として[[Wikipedia:ウィキプロジェクト 日本の市町村]]に添えるような体裁に整えていきませんか？手始めに'''「釧路市の産業」'''という記事を新たに作り、それに「沿革」の農林水産業、鉱工業、商業、メディアに関する箇条の抜粋と「産業」の項目全てをその記事に移設して、その後、新しい記事釧路市の産業で沿革の文書化等をしてみてはどうでしょうか？（ただし、保護直前に削除されてしまった沿革のいくつかのメディアに関する箇条を含める）近日中に私Yiuchanが、試作記事を作ってみます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''&amp;gt;釧路市を知らない人にアウトラインを説明するために、あれこれの固有名詞のうち、''何が不可欠なのか''、というあたりから練り直してみてはどうでしょう。（[[利用者:Opponent|Opponent]]）'''&lt;br /&gt;
:この示唆も重要ですが、今までの削除とrvtの繰り返しの件があるので、今はとりあえず分けることだけに専念した方がいいと思います。&lt;br /&gt;
:更なるご意見をお待ちします。--[[利用者:Yiuchan|Yiuchan]] 2005年10月15日 (土) 00:57 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::（条件付き賛成）最終的に作るのは賛成です。しかし元記事が保護中の間に新規記事を作ることは避けませんか？　上で書きましたが、利用者サブページを使って草案を作り、合意が形成できるまでは記事を作らないほうがよいのではないかと思います。（作るときも履歴の継承が必要だと思います、ご注意下さいませ）[[利用者:Sasara|Sasara]]([[利用者‐会話:Sasara|&amp;lt;small&amp;gt;T&amp;lt;/small&amp;gt;]]/[[特別:Contributions/Sasara|&amp;lt;small&amp;gt;C&amp;lt;/small&amp;gt;]]) 2005年10月15日 (土) 18:04 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
Sasaraさん、ご指摘ありがとうございます。サブページを使用させていただきます。私が作った草案「[[利用者:Yiuchan/釧路市の産業]]」は段階的に編集していきたいと思います。ただ、必ずしも正確とは言いがたい沿革の内容などが、編集中に多々発見されています（例：太平洋炭鑛のガス爆発事故の箇条が2つあり、どちらも死者数が同じ）。1つずつ分かる範囲で確かめながら編集していきます。よろしくお願いします。--[[利用者:Yiuchan|Yiuchan]] 2005年10月16日 (日) 23:57 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 「産業」草案完成 ===&lt;br /&gt;
（原題：釧路市の産業の草案完成）&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
2週間かかりましたが、「[[利用者:Yiuchan/釧路市の産業]]」の草案が完成しました。草案の内容につきまして皆さんにご確認をいただきたいと思います。よろしくお願いします。--[[利用者:Yiuchan|Yiuchan]] 2005年10月29日 (土) 05:13 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*すでにちゃんと話は進んでいっているようですが、一応一言。昨年末から忙しくなりまして、色々やるやるいいながらもそのままウィキブレークに入ってしまい申し訳ありませんでした。みなさんの手でよりよい記事になるように願っています--[[利用者:Sasara|Sasara]]([[利用者‐会話:Sasara|&amp;lt;small&amp;gt;T&amp;lt;/small&amp;gt;]]/[[特別:Contributions/Sasara|&amp;lt;small&amp;gt;C&amp;lt;/small&amp;gt;]]) 2006年4月12日 (水) 11:22 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 編集保護 ==&lt;br /&gt;
ここ1週間ほど編集合戦になっていたため編集保護しました。（どこかで文句を言われている気がしたので一応書き付けておきますが）特定の版に差し戻して保護をかけることは認められていませんので、見つけた時点の版で保護しました。ノートページで議論を行い合意を形成してください。--[[利用者:Brevam|Brev]][[user talk:Brevam|am]] 2005年10月12日 (水) 17:05 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 保護のタイミングについて ===&lt;br /&gt;
（原題：編集保護のタイミングについて）&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
相手はノートページでの議論参加を終始拒否（無視）しています。ノートページでの議論に参加せざるを得なくする為にも、（実質、差し戻しであっても）削除された部分をBrevamさん自身が復旧代行編集した上で保護をかけられても良かったのではないでしょうか。「都合良く、意図通りの内容で手出し出来ない状態になってくれたのだから」と、このままダンマリを決め込む様な気がします。--[[利用者:こたつ狼|こたつ狼]] 2005年10月12日 (水) 17:56 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
仮に編集保護が解除されたとしても、問題が全く解決するとは思いません。一般認識とかけ離れた、釧路市を過大に評価する恣意的な記述に私はきわめて強い不満を持っております。保護解除後に、「注意・このページは特定個人により改変され偏っている」とでも冒頭に表示がされるといいと思います。このままではウィキペディアそのものへの信頼が失われてしまいます。このような行為が、罪もない釧路市のイメージが悪くしていることに気がつかないのでしょうか。[[利用者:Maruichan|Maruichan]] 2005年10月13日 (木) 19:20 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 保護解除について ==&lt;br /&gt;
この保護についての議論ですが、相手方が出てこないまますでに話が止まっているように思います。保護を解除し、また荒らしが行われるようであれば[[Wikipedia:投稿ブロック]]を依頼するのはどうでしょうか。--[[利用者:ほくなん|ほくなん]] 2005年11月30日 (水) 15:57 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:下記は、問題の連続削除を行った人物の履歴とＩＰアドレス解析です（おおまかな抜粋ですが）。&lt;br /&gt;
*投稿ブロック依頼が必要になる場合の参考になるかは判りませんが（最後の削除者を除き、殆どはぷららネットワークスが使用ＩＳＰですね）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
①http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E9%87%A7%E8%B7%AF%E5%B8%82&amp;amp;diff=3204148&amp;amp;oldid=3203768&lt;br /&gt;
 【　210.237.246.122　】&lt;br /&gt;
 Network Information: [ネットワーク情報] &lt;br /&gt;
 a. [IPネットワークアドレス] 210.237.192.0/18 &lt;br /&gt;
 b. [ネットワーク名] ODN &lt;br /&gt;
 f. [組織名] オープンデータネットワーク(日本テレコム株式会社) &lt;br /&gt;
 g. [Organization] Open Data Network(JAPAN TELECOM CO.,LTD.) &lt;br /&gt;
 m. [管理者連絡窓口] YN234JP &lt;br /&gt;
 n. [技術連絡担当者] YN234JP &lt;br /&gt;
 p. [ネームサーバ] ns2.odn.ne.jp &lt;br /&gt;
 p. [ネームサーバ] ns4.odn.ne.jp &lt;br /&gt;
 [割当年月日] 1999/02/15 &lt;br /&gt;
 [最終更新] 2000/10/31 12:40:03(JST) &lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
 上位情報 &lt;br /&gt;
 ---------- &lt;br /&gt;
 日本テレコム株式会社 (JAPAN TELECOM CO.,LTD.) &lt;br /&gt;
 [割り振り] 210.237.128.0/17 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
②http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E9%87%A7%E8%B7%AF%E5%B8%82&amp;amp;diff=3192557&amp;amp;oldid=3192511&lt;br /&gt;
 【　60.42.33.12　】&lt;br /&gt;
 Network Information: [ネットワーク情報] &lt;br /&gt;
 a. [IPネットワークアドレス] 60.42.0.0/16 &lt;br /&gt;
 b. [ネットワーク名] PLALA &lt;br /&gt;
 f. [組織名] 株式会社ぷららネットワークス &lt;br /&gt;
 g. [Organization] Plala Networks Inc. &lt;br /&gt;
 m. [管理者連絡窓口] MN2905JP &lt;br /&gt;
 n. [技術連絡担当者] HS3694JP &lt;br /&gt;
 p. [ネームサーバ] dns1.plala.or.jp &lt;br /&gt;
 p. [ネームサーバ] dns2.plala.or.jp &lt;br /&gt;
 p. [ネームサーバ] ns-tk061.ocn.ad.jp &lt;br /&gt;
 [割当年月日] 2004/09/22 &lt;br /&gt;
 [最終更新] 2004/09/22 15:02:01(JST) &lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
 上位情報 &lt;br /&gt;
 ----------&lt;br /&gt;
 エヌ・ティ・ティ・コミュニケーションズ株式会社 (NTT COMMUNICATIONS CORPORATION) &lt;br /&gt;
 [割り振り] 60.32.0.0/12 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
③http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E9%87%A7%E8%B7%AF%E5%B8%82&amp;amp;diff=3180936&amp;amp;oldid=3180775&lt;br /&gt;
 【　58.89.24.90 　】&lt;br /&gt;
 Network Information: [ネットワーク情報] &lt;br /&gt;
 a. [IPネットワークアドレス] 58.89.0.0-58.89.193.255 &lt;br /&gt;
 b. [ネットワーク名] PLALA &lt;br /&gt;
 f. [組織名] 株式会社ぷららネットワークス &lt;br /&gt;
 g. [Organization] Plala Networks Inc. &lt;br /&gt;
 m. [管理者連絡窓口] MN2905JP &lt;br /&gt;
 n. [技術連絡担当者] HS3694JP &lt;br /&gt;
 p. [ネームサーバ] dns1.plala.or.jp &lt;br /&gt;
 p. [ネームサーバ] dns2.plala.or.jp &lt;br /&gt;
 [割当年月日] 2005/04/05 &lt;br /&gt;
 [最終更新] 2005/04/05 11:23:12(JST) &lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
 上位情報 &lt;br /&gt;
 ---------- &lt;br /&gt;
 エヌ・ティ・ティ・コミュニケーションズ株式会社 (NTT COMMUNICATIONS CORPORATION) &lt;br /&gt;
 [割り振り] 58.88.0.0/15&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
--[[利用者:こたつ狼|こたつ狼]] 2006年2月20日 (月) 06:20 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:それと、前から気付いてて気になっていたんですが、[[帯広市]]記事の沿革にて偶然なのか同じＩＳＰ利用者の方が、釧路記事連続改竄の特徴の一つであるＴＶＨ開局可能性について触れた箇所書きにて、釧路市記事の該当箇所では何度も「開局の可能性無し」と書き込まれていましたが、帯広市記事該当箇所では、全く逆に開局の可能性があるかの様な記述をされた形跡があります。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*疑ってはキリがありませんが、一応、一連の連続削除・改竄の動機として、隣接都市の評価を記事編集を通じて貶め、比較される機会が多い帯広市を相対的に評価が上がる様、工作を謀りたいが為の行動だったという仮説もあるのかも。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*（「そんな馬鹿な。そこまでするだろうか」という意見もごもっともですが、[http://travel2.2ch.net/chiri/ ２ちゃんねるの地理お国自慢板]とか一度でも見られたら、そういう目的で記事改竄に手を染める人も居てもおかしくないという事が判るかと思います）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
①http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%B8%AF%E5%BA%83%E5%B8%82&amp;amp;diff=3753511&amp;amp;oldid=3576434&lt;br /&gt;
 【　220.220.164.181　】&lt;br /&gt;
 Network Information: [ネットワーク情報] &lt;br /&gt;
 a. [IPネットワークアドレス] 220.220.0.0/16 &lt;br /&gt;
 b. [ネットワーク名] PLALA &lt;br /&gt;
 f. [組織名] 株式会社 ぷららネットワークス &lt;br /&gt;
 g. [Organization] Plala Networks Inc. &lt;br /&gt;
 m. [管理者連絡窓口] MN2905JP &lt;br /&gt;
 n. [技術連絡担当者] HS3694JP &lt;br /&gt;
 p. [ネームサーバ] dns1.plala.or.jp &lt;br /&gt;
 p. [ネームサーバ] dns2.plala.or.jp &lt;br /&gt;
 p. [ネームサーバ] ns-tk061.ocn.ad.jp &lt;br /&gt;
 [割当年月日] 2003/08/19 &lt;br /&gt;
 [最終更新] 2004/02/02 15:40:16(JST) &lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
 上位情報 &lt;br /&gt;
 ---------- &lt;br /&gt;
 エヌ・ティ・ティ・コミュニケーションズ株式会社 (NTT COMMUNICATIONS CORPORATION) &lt;br /&gt;
 [割り振り] 220.220.0.0/16 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
--[[利用者:こたつ狼|こたつ狼]] 2006年2月20日 (月) 06:49 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 本文が削除されている件について ==&lt;br /&gt;
（原題：本文記事が根こそぎ全部、バッサリ消えてますが）&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
新しく作り直されている最中なんでしょうか？--[[利用者:こたつ狼|こたつ狼]] 2006年2月7日 (火) 16:23 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
-本日、再度確認したところ、保護直後の版で復活してました。お騒がせしました。--[[利用者:こたつ狼|こたつ狼]] 2006年2月9日 (木) 02:18 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
もうそろそろ、編集保護を解除してはいかがでしょうか？[[利用者:Porosatu|Porosatu]] 2006年2月25日 (土) 09:29 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 半保護への保護解除依頼予告 ==&lt;br /&gt;
保護後の反応などもないことですし、とりあえず編集合戦になりそうなのは特定のIPユーザということですし、1週間程度様子を見て、反対意見がないようであれば''半保護'' (IP, 登録後すぐの新規ユーザの編集不可) に移行するよう、[[Wikipedia:保護解除依頼|保護解除依頼]]を出そうと思います。反対意見のある方はお早めに。--[[利用者:ほくなん|ほくなん]] 2006年3月21日 (火) 01:06 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 句読点について ==&lt;br /&gt;
（原題：閉じ括弧「　）　」の一つ前に「　。　」が一斉追加された事について）&lt;br /&gt;
ちょっと細かい指摘で申し訳ないのですが、括弧文の中の最終文末に「。」を一斉に追加挿入された方がいらっしゃる様です。（括弧の中の）文と文の境界（前の文の文末）に「。」を置くのは良いとしても、閉じ括弧の直前にまで「。」を記述してしまうのはどうなんでしょうか。辞書云々以前の問題（日本語の文章の書き方全般としての違和感）の様に思います。数も多く、いきなりそれを元に戻すと、編集合戦にもなりかねない事を危惧し、今回はとりあえずノートへの提議に留めておきます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*例1（「沿革」より）- 1919年4月10日（大正8年） 釧路唯一の地酒「福司」を製造・販売する合名会社敷島商会（1991年7月1日、福司酒造に改称。）が創業。 &lt;br /&gt;
*例2（「交通」より）- 太平洋石炭販売輸送　国内唯一の炭鉱鉄道（かつては城山駅～東釧路駅～入舟駅まで運行、現在は春採駅～知人駅まで運行。）&lt;br /&gt;
[http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E9%87%A7%E8%B7%AF%E5%B8%82&amp;amp;diff=5012835&amp;amp;oldid=5010839 おそらく最初の本件の更新履歴（2006年3月23日 (木) 14:00）]&lt;br /&gt;
--[[利用者:こたつ狼|こたつ狼]] 2006年6月21日 (水) 08:50 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 記事の削除について ==&lt;br /&gt;
（原題：どうやら記事が随所ばっさり削除（世界三大夕日に絡んだ記述・沿革随所・釧路にまつわる著作物など[http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E9%87%A7%E8%B7%AF%E5%B8%82&amp;amp;diff=7439431&amp;amp;oldid=7431790 （該当版間差分）]）されてます）&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''[http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85:Sir&amp;amp;action=history 編集に着手された方の他記事履歴]'''等で'''[http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85:Sir 同氏の編集方針・考え方]'''をある程度見定め対話出来ないか思案したものの、どうもそれは難しい感じ（他記事の修正コメントに見られる幾つかの挑発的な文言などより）です。[http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85%E2%80%90%E4%BC%9A%E8%A9%B1:Sir 同氏の対話ページ（こちらも参考に）] &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「幻に終わったプロジェクト」修正内容一つとっても、新幹線に関連しない記事まで、一見、関連下に見えてしまう様な構成にされてしまったりと、困ったものです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
他の住人の方の意見も交え、本件についての対処など討議をお願いいたします。--[[利用者:こたつ狼|こたつ狼]] 2006年9月2日 (土) 19:40 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:住人ではないのですが、記事を参照する立場から意見を書かせていただきます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:調べものをしていて、たまたま「ばっさり削除」される前の記事をgoogleのキャッシュで見たのですが、正直言って「なんじゃこりゃ。なんでも書きゃあいいってもんじゃないだろ」と感じてしまいました。大規模小売店舗などの出店や撤退、甲子園への出場といった内容は、都市の解説としてはいささか行き過ぎではないかと思います。都市の概要を得る上ではさしたる情報ではなく、逆に沿革を窺わせる重要な情報を埋もれさせてしまっていました。少なくとも「沿革」については、今の内容の方が見やすいと思います（削除された部分を復活させるのであれば、すでに議論に出ているように別記事にまとめるほうがいいと思います）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:同じように、「有名人」の項もやや冗長です。少々見辛かったので勝手ながら手を入れさせていただきましたが、「なぜここに書かねばならないのか」という内容が散見されます。例えば、「歌手」「漫画家」といった内容は書かれていた方がわかりやすいと思いますし、「『ゴジラ』や『ビルマの竪琴』などの映画音楽で特に知られる」「千円札のタンチョウの元写真を撮影」「日本人初のNHL選手」などの情報は有用ですが（「こんな人がいたのか」と参考になる）、本名やよみがななどは完全に余計です（その人の記事に書かれていれば済むこと）。特に、「はた万次郎」氏の項は酷すぎます。詳細な情報はご本人の項目に書かれるべきでしょう（削除しようかとも思いましたが、当該記事には書かれていない内容があるのでやむなく残しておきました）。情報の分散を防ぐためにも、説明は人となりがわかる最低限度のものにし、それ以上の記載についてはそれぞれの項目の充実を図るべきです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:しかし、なんでも削ればいいというものでもありません。例えば、「地理」の項から削除された「三大夕日」の件などは有用であると思います（ただし、このような情報は「観光」の中にあったほうがわかりやすいのでは）。また、「観光」「食文化」の中の説明も一部削除されていますが、幣舞橋が「北海道三大名橋」「釧路十景」である程度のことは書かれていてもいいと思いますし（彫刻の件は幣舞橋の項にあればいいと思います）、該当項目が存在しないものについては説明がないと逆に不親切です。また、ザンギが釧路発祥であるとか、鯨肉料理は調査捕鯨の拠点となったことから広まったなどという説明は、街の輪郭を描き出してくれて大変参考になります。&lt;br /&gt;
:（余談ですが、件の削除の際、名称の一部を誤って削除したり、ゴミが残ったりしている箇所があるようですね。）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:長々と書いてしまいましたが、すでに意見に出されているとおり、「不可欠な情報」のみが「整理して」書かれていることが、情報を参照しようとする側から見ると非常に重要です。--[[利用者:（五）|（五）]] 2006年9月3日 (日) 22:22 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:だいぶカットされたようですが、色々な事情があるんでしょうねえ。2006年9月7日 (木) 21:55 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::125.203.39.110（使用ISP:ぷららネットワークス）さん、ノート記述の最後には、必ず「&amp;lt;nowiki&amp;gt;--~~~~&amp;lt;/nowiki&amp;gt;」（署名）の記述をお願いします。　　　「だいぶカットされたようですが、色々な事情があるんでしょうねえ。」＜削除は誰でも自由に出来てしまうのがウィキペディア辞書の特徴です。--[[利用者:こたつ狼|こたつ狼]] 2006年9月8日 (金) 16:41 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 見出しや要約記載は簡潔に ==&lt;br /&gt;
雑談をしたいのであれば[[井戸端]]か個人の掲示板上でどうぞ。また、ノートの見出しや編集内容の要約部分にだらだらと文章を羅列するのは無駄以外の何者でもありません。見づらい部分は原題を残しつつ改変しました。--[[利用者:Sir|Sir]] 2006年9月8日 (金) 23:19 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 残念ですが ===&lt;br /&gt;
とうとう'''[http://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:%E6%8A%95%E7%A8%BF%E3%83%96%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%AF%E4%BE%9D%E9%A0%BC/Sir_1103 無期限の投稿ブロック]'''が執行されてしまいましたね。--[[利用者:こたつ狼|こたつ狼]] 2007年8月22日 (水) 13:02 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 沿革に炭鉱は必要か？ ==&lt;br /&gt;
炭鉱など、特定産業の沿革は、市の沿革に不適切と思う。 2006年9月21日 (木) 17:39 [[利用者:Ue|Ue]]（Sir追記）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== IP58.93.186.160氏の投稿について ==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2008年2月22日 (金) 04:32のIP58.93.186.160氏の「世界三大一覧バリ等、マニラ＜サントリーニ島」は、意図不明。&lt;br /&gt;
「一覧」という言葉にリンクを張ろうとでもしたのか？&lt;br /&gt;
IP投稿は本人に確認も取れないのでIP投稿は望ましくない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
58.93.186.160氏は投稿においてミスの多さも目立つ。利用者‐会話:58.93.186.160においてはるひ氏に2008年2月22日 (金) 05:40に、「「プレビューを実行」ボタンを活用されることをお勧めします」と注意されている。&lt;br /&gt;
サンドボックスも利用できるので、Help:サンドボックスを勉強して、Wikipedia:サンドボックスやWikipedia‐ノート:サンドボックスも利用されたい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
小川義行&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
--[[利用者:小川義行|ほわーりィばーど]] 2008年5月1日 (木) 08:27 (UTC)&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>小川義行</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E7%94%B0%E3%81%B2%E3%82%8D%E3%81%8A</id>
		<title>高田ひろお</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E7%94%B0%E3%81%B2%E3%82%8D%E3%81%8A"/>
				<updated>2008-05-01T07:31:19Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;小川義行: 58.93.186.160氏による入力ミス?北海道釧路市を北海道釧路市に訂正&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''高田ひろお''' （'''たかだ ひろお'''、[[1947年]][[3月28日]]-）は[[作詞家]]、[[絵本作家]]、[[脚本家]]。[[北海道]][[釧路市]]出身。私立釧路第一高校卒業後上京[[日本大学]]法学部卒業。&lt;br /&gt;
元々絵本作家からスタート子供向け音楽の作詞を手がけるようになり、1974年作曲家佐藤寿一歌手子門&lt;br /&gt;
真人のコンビでおよげたいやきくんが300万枚を超えるミリオンセラーを獲得。現在もレコード、ＣＤの&lt;br /&gt;
売り上げでもこの記録は破られていない。&lt;br /&gt;
現在も絵本作家として数々の絵本を出版、日本の子供達の成長に欠かせない存在の人物である。&lt;br /&gt;
==主な作詞==&lt;br /&gt;
*「青い空はポケットさ」（歌：[[大杉久美子]]、作曲：[[菊池俊輔]]）&lt;br /&gt;
*「まる顔のうた」（歌：[[大山のぶ代]]、作曲：菊池俊輔）&lt;br /&gt;
*「[[およげ!たいやきくん]]」（歌：[[子門真人]]、作曲：[[佐瀬寿一]]）&lt;br /&gt;
*「[[パタパタママ]]」（歌：のこいのこ、作曲：佐瀬寿一）&lt;br /&gt;
*「てるてるぼうずがあるいたら」（歌：竹田のぶあき、作曲：佐瀬寿一）&lt;br /&gt;
*「おふろのかぞえうた」（歌：ビックリ・エレクトリック・カンパニー、作曲：茅蔵人（佐瀬寿一））&lt;br /&gt;
*「ジョキジョキ・テーラー」（歌：キド・アイ、作曲：茅蔵人（佐瀬寿一））&lt;br /&gt;
*「パンダうさぎコアラ」（歌：[[神崎ゆう子]]・[[坂田おさむ]]、作曲：[[乾裕樹]]）&lt;br /&gt;
*「パーマン・マーチ」（歌：[[三輪勝恵]]・[[大竹宏]]・[[増山江威子]]・[[肝付兼太]]、作曲：[[たかしまあきひこ]]）&lt;br /&gt;
*「牛ちゃんマンボ」（歌：[[山崎バニラ]]、作曲：佐瀬寿一）&lt;br /&gt;
*「男のポケット」（歌：[[天知茂]]、作曲：檀一郎）&lt;br /&gt;
*「鴎唄」（歌：[[森昌子]]、作曲：[[小林亜星]]） &lt;br /&gt;
*「燃えろ!吠えろ!タイガーマスク」（歌：[[古舘伊知郎]]、作曲：幸耕平）&lt;br /&gt;
*「人恋岬」（歌：[[南かなこ]]、作曲：[[弦哲也]]）&lt;br /&gt;
*「戦うために生まれた戦士」（歌：[[影山ヒロノブ]]、作曲：小林亜星）&lt;br /&gt;
*「てるてる坊主はオサムライ」（歌：[[小沢亜貴子]]、作曲：佐瀬寿一）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==主な絵本==&lt;br /&gt;
*『ながいおひげのえんちょうせんせい』&lt;br /&gt;
*『モービルタウン』&lt;br /&gt;
*『[[たこやきマントマン]]』&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:日本の作詞家|たかたひろお]]&lt;br /&gt;
[[Category:絵本作家|たかたひろお]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の脚本家|たかたひろお]]&lt;br /&gt;
[[Category:北海道出身の人物|たかたひろお]]&lt;br /&gt;
[[Category:1947年生|たかたひろお]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>小川義行</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88:%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%AB%E3%82%B9</id>
		<title>ノート:アンシュルス</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88:%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%AB%E3%82%B9"/>
				<updated>2008-04-24T07:15:35Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;小川義行: 「選択をさせよう」は、入力ミスではないか?&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;[[サン＝ジェルマン条約]]の5項目目にアンシュルスの記述があるが、こちらにはサン＝ジェルマン条約のことが述べられていないようである。識者による調整を求める。[[利用者:0null0|0null0]] 2008年4月19日 (土) 16:27 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2005年7月25日 (月) 04:13の水野白楓氏による版の、「選択をさせよう」は、入力ミスではないか?&lt;br /&gt;
小川義行&lt;br /&gt;
--[[利用者:小川義行|ほわーりィばーど]] 2008年4月24日 (木) 07:15 (UTC)&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>小川義行</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:%E5%9F%B7%E7%AD%86%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%86%E3%82%B9%E3%83%88/%E7%AC%AC%E5%9B%9B%E5%9B%9E%E5%9F%B7%E7%AD%86%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%86%E3%82%B9%E3%83%88</id>
		<title>Wikipedia:執筆コンテスト/第四回執筆コンテスト</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:%E5%9F%B7%E7%AD%86%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%86%E3%82%B9%E3%83%88/%E7%AC%AC%E5%9B%9B%E5%9B%9E%E5%9F%B7%E7%AD%86%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%86%E3%82%B9%E3%83%88"/>
				<updated>2008-03-31T16:13:31Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;小川義行: 分野A: エントリー&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''第四回執筆コンテスト'''（だいよんかいしっぴつコンテスト）を開催いたします。執筆コンテストについては、[[Wikipedia:執筆コンテスト]]をご参照下さい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
当コンテストの主旨は、未執筆のものや、スタブ程度のものをいかに成長、改善し、すばらしい記事にしあげるか、にあります。まだ書かれていないあんな記事やこんな記事を探すときには、[[Wikipedia:執筆依頼|執筆]]、[[Wikipedia:翻訳依頼|翻訳]]などの依頼や、[[Wikipedia:すべての言語版にあるべき項目の一覧|すべての言語版にあるべき項目の一覧]]や[[Wikipedia:日本語版への投稿が望まれている記事|日本語版への投稿が望まれている記事]]を見ると興味深いエントリが見つかるかもしれません。また、[[Wikipedia:加筆依頼|加筆依頼]]や[[Wikipedia:短いページ|短いページ]]、[[特別:Ancientpages|更新されていないページ]] の中にはスタブのまま長く更新されていないものもあるでしょう。あるいは関心のある分野の[[Wikipedia:スタブカテゴリ|スタブカテゴリ]]から探してみてもいいでしょう。これらの中にあなたの執筆を待っているページがあるかもしれません。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''現在、エントリーの受付並びに審査員・コメンテーターの募集を行っております。審査員の立候補は[[#審査員の立候補]]より、コメンテーターの立候補は[[#コメンテーターの立候補]]より、記事のエントリーは[[#エントリー記事]]から各分野ごとに受け付けております。'''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== ルール ==&lt;br /&gt;
* 原則は、[[Wikipedia:執筆コンテスト/コンテストルール]]に則る。&lt;br /&gt;
** エントリ可能な記事は、原則エントリ開始の2/29 24:00時点で未執筆またはリストやテンプレートを除き、3000byte以下（[http://linky.wikipedia.jp/utils/checksize サイズ計測]）とする。リダイレクト、その他は応談。&lt;br /&gt;
* 日時の管理はすべて[[協定世界時|UTC+9]]（日本標準時）で行う。以下の表記も全て日本標準時とする。&lt;br /&gt;
* エントリーをする者（エントリー者）は、'''ログインユーザー'''に限定する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 参加にあたって ==&lt;br /&gt;
ページ構成は、以下のようになっています。執筆者、審査員、コメンテーター、運営委員は、各ページをあらかじめチェックリストに入れるようお願いします。&lt;br /&gt;
* ルールや日程、執筆のエントリ、運営委員、審査員、コメンテーターへの立候補は、このページにて。&lt;br /&gt;
* 第四回のルール決定、質問などは「[[Wikipedia‐ノート:執筆コンテスト/第四回執筆コンテスト|このページのノート]]」にて。&lt;br /&gt;
* 審査員・コメンテーターによるコメント付与は「[[Wikipedia:執筆コンテスト/第四回執筆コンテスト/コメント]]」にて。&lt;br /&gt;
* 1次審査、最終審査は「[[Wikipedia:執筆コンテスト/第四回執筆コンテスト/選考]]」にて。 &lt;br /&gt;
* 選考終了後は「[[Wikipedia:執筆コンテスト/第四回執筆コンテスト/反省会]]」にて反省会を行う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== スケジュール ==&lt;br /&gt;
選考方法は、2段階選考賛成の意見が多かったので、スケジュールを以下のように確定します。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 運営委員の募集期間 ===&lt;br /&gt;
2008年3月1日 0:00まで（締切りました）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 記事エントリー期間 ===&lt;br /&gt;
'''&amp;lt;span style=&amp;quot;color:#FF6347&amp;quot;&amp;gt;★&amp;lt;/span&amp;gt;'''2008年3月1日 0:00から4月12日 0:00まで&lt;br /&gt;
; 執筆者&lt;br /&gt;
: 記事を[[#エントリー記事]]の各分野項目よりエントリーを行い、執筆を行ってください。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 審査員・コメンテーター立候補 ===&lt;br /&gt;
'''&amp;lt;span style=&amp;quot;color:#FF6347&amp;quot;&amp;gt;★&amp;lt;/span&amp;gt;'''2008年3月1日 0:00 から 2008年4月26日 0:00まで。&lt;br /&gt;
; 審査員・コメンテーター&lt;br /&gt;
: 審査員とコメンテーターのすることについては[[#審査員]]、[[#コメンテーター]]を御参照下さい。&lt;br /&gt;
: AからCの分野のどれを審査したいか、1つ以上を決め、[[#審査員の立候補]]、[[#コメンテーターの立候補]]より事前登録してください。もちろん、全分野を審査してもかまいません。また、審査員・コメンテータは、記事のエントリーをしても結構ですが、自らが投稿した分野では投票することはできません。ただし、当該分野の記事の質を高めるのに有益と考えられるので、'''ライバルコメント'''をすることは推奨されるものとします。&lt;br /&gt;
: 「''ライバルコメントとは同じ分野に投稿するライバル同士、切磋琢磨しあうコメントを積極的に付け合う事を指します。まちがっても攻撃的になってはいけません。''」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== コメント・ライバルコメント付与期間 ===&lt;br /&gt;
2008年4月12日 0:00 から 4月26日 0:00まで&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
次に行われる1次選考において、どの記事を推薦するかを決める大事な期間でもあります。&lt;br /&gt;
; 審査員、コメンテーター、執筆者&lt;br /&gt;
: コメント付与期間です。「[[Wikipedia:執筆コンテスト/第四回執筆コンテスト/コメント]]」で、この期間に積極的な意見交換を交わしてください。&lt;br /&gt;
; 運営委員&lt;br /&gt;
: 2008年4月12日 0:00の時点で、各々の分野について審査員・コメンテーターがノミネート（推薦）する投票数をルールに基づいて確定・発表してください。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 1次選考期間 ===&lt;br /&gt;
2008年4月27日 0:00 から 5月3日 0:00まで&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
審査員・コメンテーターによる投票。&lt;br /&gt;
; 審査員・コメンテーター&lt;br /&gt;
: 推薦理由をつけて最終選考にノミネートしたい記事に、投票してください。投票は、[[Wikipedia:執筆コンテスト/第四回執筆コンテスト/選考]]で行われます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 最終選考期間 ===&lt;br /&gt;
2008年5月3日 0:00 から 5月10日 0:00まで&lt;br /&gt;
; 運営委員&lt;br /&gt;
: 2008年5月10日 0:00の時点で、推薦された記事の中から、最終選考に付す記事を発表してください。&lt;br /&gt;
; 審査員&lt;br /&gt;
: 各分野で、ルールに基づいて、推奨する記事に得点をつけてください。また、可能な限り、理由もつけてください。&lt;br /&gt;
; コメンテーター&lt;br /&gt;
: ここからの選考に携わることはできません。審査員がこの期間に得点をつけるのを見守ってください。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 結果発表 ===&lt;br /&gt;
5月11日 0:00&lt;br /&gt;
; 運営委員&lt;br /&gt;
: 審査員の投票終了を確認した段階で、得点を集計し、結果を発表してください。終了後の感想や、次回への提言などは、[[Wikipedia:執筆コンテスト/第四回執筆コンテスト/反省会]]に書いてください。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 選考方法 ==&lt;br /&gt;
[[Wikipedia:秋の加筆コンクール|秋の加筆コンクール]]における選考方法に準拠する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 1次選考と最終選考 ===&lt;br /&gt;
==== 1次選考 ====&lt;br /&gt;
{| class=&amp;quot;wikitable&amp;quot;&lt;br /&gt;
! 一分野あたりのエントリー記事数 !!A1＝審査員が選ぶ記事数!!A2＝コメンテーターが選ぶ記事数!! B＝最終審査へ選出されるエントリー数(予定)&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 15以下 || 3 || 2 || 得点上位40%&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 16 - 20 || 4 || 2 || 得点上位40%&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 21 - 25 || 5 || 3 || 得点上位40%&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 26 - 30 || 6 || 3 || 得点上位10記事&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 31以上 || 7 || 4 || 得点上位10記事&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
審査員の1票を2点、コメンテータの1票を1点として獲得得点の上位から所定数のものを最終審査へ選出する。ボーダーライン上に同点の記事が多数存在する場合は、予定エントリー数を基準に多少増減される場合がある。具体的数字については4/22（'''1次審査終了日'''）一杯をもって、運営委員が衆議の上、決定する。&lt;br /&gt;
&amp;lt;!--より厳密には、ボーダーライン上に同点のものが多数あった場合には、その同点のものを含めて予定より多く選出する。但し、10を著しく超える場合には一次審査終了時点で運営委員が衆議の上、選出数を10以下に限る場合がある--&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 最終選考 ====&lt;br /&gt;
審査員が傾斜配点を行う投票数は、1次審査のエントリー数によって変動となる。&lt;br /&gt;
# エントリー数が25以下の場合には、選出された記事群の中から、3記事を選出する。その際、傾斜配点は、1位＝5、2位＝3、3位＝2とする。&lt;br /&gt;
# エントリー数が25を超えた場合には、選出された記事群の中から、5記事を選出する。その際、傾斜配点は、1位＝8、2位＝5、3位＝3、4位＝2、5位＝1とする。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 選考審査に用いる記事の基準日 ===&lt;br /&gt;
選考審査に用いる版として、2008年4月1日00:00直前の版とする。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== エントリー分野 ==&lt;br /&gt;
* A．人文・社会科学分野(歴史及び歴史学、地理・地誌、哲学、政治学、法学、経済学、経営学)&lt;br /&gt;
* B．自然科学分野（物理学、化学、天文学、工学、建築学、数学、気象学、生物学、医学、薬学、栄養学）&lt;br /&gt;
* C．文化・芸術分野（文学、音楽、スポーツ、美術、工芸、サブカルチャー）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''ただし、加筆の方向性によっては、投稿分野が変更される可能性があります'''。''(参考例：第参回執筆コンテストにおける[[コメット連続墜落事故]]、[[Wikipedia‐ノート:執筆コンテスト/第参回執筆コンテスト#「コメット連続墜落事故」のエントリー分野について|参照先]])''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 運営委員と審査員 ==&lt;br /&gt;
=== 運営委員 ===&lt;br /&gt;
運営委員は、今募集している審査員やコメンテーターと兼務することも可能です。&lt;br /&gt;
3/1になりましたので、募集を締め切りました。&lt;br /&gt;
#[[利用者:Tantal|Tantal]]&lt;br /&gt;
#[[利用者:Uma|Uma]]（微力ながら…）&lt;br /&gt;
#[[利用者:東 遥|東 遥]]（何やら人手不足の様ですので....海星不足ではございません）&lt;br /&gt;
#[[利用者:レイキャビク|レイキャビク]]（・・・遅かったかな？毎日ログインできる自信ないんですけど・・・。）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 審査員 ===&lt;br /&gt;
審査の中核を担う審査員の方には、担当分野の記事全部に目を通したうえで、一次選考、最終選考の両方への投票を御願い致します。大変な作業ですが、1分野だけでも結構です、奮っての立候補をお待ちしております。なお、審査員となるためには下記の条件を満たす事が求められます。&lt;br /&gt;
#2007/9/30までにユーザー登録が行われていること&lt;br /&gt;
#全名前空間での編集回数が100回以上&lt;br /&gt;
#記事空間編集回数50回以上&lt;br /&gt;
&amp;lt;!--&lt;br /&gt;
#*審査の中核を担う。&lt;br /&gt;
#*責任を持って当該分野の記事全部に目を通し審査を行う。&lt;br /&gt;
#*上記の資格を満たす必要がある。したがって、審査員に立候補する際にはWikimediaの''user edit&lt;br /&gt;
--&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
上記の資格を満たしているかどうかの判定を容易にするため、立候補はテンプレート（[[:Template:執筆コンテスト/審査員立候補]]）を使用します。立候補される方は[[#審査員の立候補]]のテーブルの &amp;lt;nowiki&amp;gt;|}&amp;lt;/nowiki&amp;gt; の前に次のように記述してください。&lt;br /&gt;
 &amp;lt;nowiki&amp;gt; {{&amp;lt;/nowiki&amp;gt;subst:執筆コンテスト/審査員立候補|'''投票者名'''|分野A|分野B|分野C &amp;lt;nowiki&amp;gt;}} &amp;lt;/nowiki&amp;gt;&lt;br /&gt;
以下はテンプレート利用時の注意事項です。&lt;br /&gt;
# 「投票者名」部分に &amp;lt;nowiki&amp;gt;~~~&amp;lt;/nowiki&amp;gt; や &amp;lt;nowiki&amp;gt;~~~~&amp;lt;/nowiki&amp;gt; は使用できません。また「投票者名」部分は省略できません。 &lt;br /&gt;
# 「分野A」から「分野C」はそれぞれの分野での審査員を行うものに○、行わないものに×を記述してください。また省略はできません。&lt;br /&gt;
# 立候補時刻の入力は不要です。自動的に記載されます。 &lt;br /&gt;
# 署名テンプレートは現状対応してません。&lt;br /&gt;
テンプレートに関する詳細や利用方法につきましては[[Wikipedia‐ノート:執筆コンテスト/第四回執筆コンテスト#立候補に対して|立候補に対して]]をご覧ください。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 審査員の立候補 ====&lt;br /&gt;
現在、立候補を受け付けております。立候補には[[#審査員]]にあるように、テンプレートを利用してください。&lt;br /&gt;
{| class=&amp;quot;wikitable&amp;quot;&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! User名 !! Wikipedia履歴 !! User Edit Counter !! 分野A !! 分野B !! 分野C !! 立候補時刻&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| [[利用者:Tantal|Tantal]] || &amp;lt;span class=&amp;quot;plainlinks&amp;quot; style=&amp;quot;font-size: small&amp;quot;&amp;gt;[http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E7%89%B9%E5%88%A5%3AContributions&amp;amp;limit=49&amp;amp;namespace=0&amp;amp;offset=20080229150000&amp;amp;target={{urlencode:Tantal}} Wikipedia履歴]&amp;lt;/span&amp;gt; || &amp;lt;span class=&amp;quot;plainlinks&amp;quot; style=&amp;quot;font-size: small&amp;quot;&amp;gt;[http://tools.wikimedia.de/~river/cgi-bin/count_edits?user={{urlencode:Tantal}}&amp;amp;dbname=jawiki_p User Edit Counter]&amp;lt;/span&amp;gt; || {{#if: ○ | ○ |×}} || {{#if: × | × |×}} ||{{#if: ○ | ○ |×}} || 2008年2月29日 (金) 22:38 (UTC)&lt;br /&gt;
 |-&lt;br /&gt;
| [[利用者:レイキャビク|レイキャビク]] || &amp;lt;span class=&amp;quot;plainlinks&amp;quot; style=&amp;quot;font-size: small&amp;quot;&amp;gt;[http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E7%89%B9%E5%88%A5%3AContributions&amp;amp;limit=49&amp;amp;namespace=0&amp;amp;offset=20080229150000&amp;amp;target={{urlencode:レイキャビク}} Wikipedia履歴]&amp;lt;/span&amp;gt; || &amp;lt;span class=&amp;quot;plainlinks&amp;quot; style=&amp;quot;font-size: small&amp;quot;&amp;gt;[http://tools.wikimedia.de/~river/cgi-bin/count_edits?user={{urlencode:レイキャビク}}&amp;amp;dbname=jawiki_p User Edit Counter]&amp;lt;/span&amp;gt; || {{#if:×|×|×}} || {{#if:○|○|×}} ||{{#if:× |× |×}} || 2008年3月1日 (土) 09:09 (UTC) &lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| [[利用者:らりた|らりた]] || &amp;lt;span class=&amp;quot;plainlinks&amp;quot; style=&amp;quot;font-size: small&amp;quot;&amp;gt;[http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E7%89%B9%E5%88%A5%3AContributions&amp;amp;limit=49&amp;amp;namespace=0&amp;amp;offset=20080229150000&amp;amp;target={{urlencode:投票者名}} Wikipedia履歴]&amp;lt;/span&amp;gt; || &amp;lt;span class=&amp;quot;plainlinks&amp;quot; style=&amp;quot;font-size: small&amp;quot;&amp;gt;[http://tools.wikimedia.de/~river/cgi-bin/count_edits?user={{urlencode:投票者名}}&amp;amp;dbname=jawiki_p User Edit Counter]&amp;lt;/span&amp;gt; || {{#if:○|○|×}} || {{#if:×|×|×}} ||{{#if:×|×|×}} || 2008年3月16日 (日) 13:40 (UTC)&lt;br /&gt;
 |-&lt;br /&gt;
| [[利用者:S kitahashi|S kitahashi]] || &amp;lt;span class=&amp;quot;plainlinks&amp;quot; style=&amp;quot;font-size: small&amp;quot;&amp;gt;[http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E7%89%B9%E5%88%A5%3AContributions&amp;amp;limit=49&amp;amp;namespace=0&amp;amp;offset=20080229150000&amp;amp;target={{urlencode:S kiahashi}} Wikipedia履歴]&amp;lt;/span&amp;gt; || &amp;lt;span class=&amp;quot;plainlinks&amp;quot; style=&amp;quot;font-size: small&amp;quot;&amp;gt;[http://tools.wikimedia.de/~river/cgi-bin/count_edits?user={{urlencode:S kiahashi}}&amp;amp;dbname=jawiki_p User Edit Counter]&amp;lt;/span&amp;gt; || {{#if:○|○|×}} || {{#if:×|×|×}} ||{{#if:○|○|×}} || 2008年3月21日 (金) 10:38 (UTC)&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| [[利用者:Uma|Uma]] || &amp;lt;span class=&amp;quot;plainlinks&amp;quot; style=&amp;quot;font-size: small&amp;quot;&amp;gt;[http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E7%89%B9%E5%88%A5%3AContributions&amp;amp;limit=49&amp;amp;namespace=0&amp;amp;offset=20080229150000&amp;amp;target={{urlencode:Uma}} Wikipedia履歴]&amp;lt;/span&amp;gt; || &amp;lt;span class=&amp;quot;plainlinks&amp;quot; style=&amp;quot;font-size: small&amp;quot;&amp;gt;[http://tools.wikimedia.de/~river/cgi-bin/count_edits?user={{urlencode:Uma}}&amp;amp;dbname=jawiki_p User Edit Counter]&amp;lt;/span&amp;gt; || {{#if:×|×|×}} || {{#if:○|○|×}} ||{{#if:○|○|×}} || 2008年3月22日 (土) 22:06 (UTC)&lt;br /&gt;
&amp;lt;!-- このコメントの直前に &amp;lt;nowiki&amp;gt;{{subst:執筆コンテスト/審査員立候補|投票者名|分野A|分野B|分野C}} を用いて署名してください &amp;lt;nowiki&amp;gt;--&amp;gt;&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== コメンテーター ===&lt;br /&gt;
コンテストにエントリーされた記事の中で気になるもの、コメントしたい物がありましたら、是非コメンテーターに立候補してください。既にユーザー登録済みであれば、どなたでも立候補・コメントいただけます。頂戴したコメントは選考の際の大切な参考資料になります。また、一次選考にも投票いただけます。&lt;br /&gt;
&amp;lt;!--&lt;br /&gt;
#*気負わずに参加して欲しい。&lt;br /&gt;
#*全ての記事に目を通すというよりは、気になる記事を集中的に見てコメントする。また、一次選考での投票を行う。&lt;br /&gt;
#*アカウントがあれば良い。&lt;br /&gt;
--&amp;gt;&lt;br /&gt;
==== コメンテーターの立候補 ====&lt;br /&gt;
現在、コメンテーターを募集しております。特にテンプレートはございませんので下記の表に利用者名と、分野ごとに引き受けるものに○、引き受けないものに×をお願いします。&lt;br /&gt;
{| class=&amp;quot;wikitable&amp;quot;&lt;br /&gt;
! User名 !! 分野A !! 分野B !! 分野C&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| [[利用者:Y tambe|Y tambe]] || × || ○ || ×&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| [[利用者:toki-ho|Toki-ho]] || ○ || × || ○&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| [[利用者:森造|森造]] || ○ || ○ || ○&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| [[利用者:Imuzak|Imuzak]] || × || ○ || ×&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== エントリー記事 ==&lt;br /&gt;
現在、エントリー記事を募集しております。エントリー記事は下記の表にそれぞれ分野ごとに追加してください。特にテンプレートはございません。時間、日付は日本時間 (JST) に統一します。不備があるものについては運営委員の方で修正いたします。&lt;br /&gt;
=== 分野A ===&lt;br /&gt;
{| class=&amp;quot;wikitable&amp;quot;&lt;br /&gt;
! 記事名 !! エントリー者 !! 2/29最終版 !! 2/29・バイト数 !! 4/11最終版 !! 4/11・バイト数 !! 記事の概要 !! エントリー者コメント&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|[[手形金額重複記載事件]] &lt;br /&gt;
|[[利用者:Carpkazu|Carpkazu]] &lt;br /&gt;
| 記事なし &lt;br /&gt;
| 0 &lt;br /&gt;
|　　&lt;br /&gt;
|&lt;br /&gt;
| チェックライターによる100万円と手書きによる100円が重複して記載された手形において、いずれの金額による支払いをすべきかが争われた民事訴訟事件。最高裁昭和61年7月10日判決で確定。 &lt;br /&gt;
| 事件自体、手形法の分野では著名ですが、一般的には知られざる事件です。この項目を通じて手形の落とし穴を判りやすく認識してもらえるように出来るようにします。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|[[京都大学芦生研究林]] &lt;br /&gt;
|[[利用者:彩雲館主人|彩雲館主人]] &lt;br /&gt;
| 記事なし &lt;br /&gt;
| 0 &lt;br /&gt;
|　　&lt;br /&gt;
|&lt;br /&gt;
| 京都府南丹市美山町にある京都大学の研究施設で、京都市内中心部から直線距離で50km足らずの距離にありながら、原生林をはじめ貴重な動植物が生息することで知られている。 &lt;br /&gt;
| 前身の京都大学芦生演習林時代から「京都（あるいは関西・近畿）の秘境」といわれ、割合広く知られている施設です。スケールが大きく、捉えにくい施設ではありますが、この記事を通じてその概要の一端をお伝えできたら、と思います。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|[[ブライスキャニオン国立公園]] &lt;br /&gt;
|[[利用者:Takahashi_J|Takahashi_J]] &lt;br /&gt;
| 記事なし &lt;br /&gt;
| 0 &lt;br /&gt;
|　　&lt;br /&gt;
|&lt;br /&gt;
| 米国の国立公園。日本ではラスベガスから行ける国立公園の一つとして有名。土柱が立ち並ぶ天下の奇勝。&lt;br /&gt;
| 米国とドイツでは秀逸な記事に選ばれています。生硬な翻訳には是非皆さんで手を加えて読みやすい文章にしてくださればと思います。地理、地質、生物、観光と幅広い分野にまたがる記事で、どこにエントリーすべきか迷いましたが、とりあえず分野Ａにしました。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|[[富岩運河]] &lt;br /&gt;
|[[利用者:ネプチューン|ネプチューン]] &lt;br /&gt;
| [{{fullurl:富岩運河|oldid=17593276}} 2008年1月26日 (土) 13:42]&lt;br /&gt;
| 1,243 &lt;br /&gt;
|　　&lt;br /&gt;
|&lt;br /&gt;
| 富山市中心部と富山港を結ぶ運河。戦前を中心に資材運搬に使われていました。現在は市民の憩いの場として富山市が再開発を進めています。最近、有名になった[[富山港線|富山ライトレール]]とほぼ平行に流れています。&lt;br /&gt;
| この記事を読んで富山市の歴史に興味を持ってくれるような記事にしたいと思います。昨年のバイト規定違反による失格の悔しさを今年にぶつけます。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|[[枢軸時代]]&lt;br /&gt;
|[[利用者:Greenland4|Greenland4]] &lt;br /&gt;
|記事なし&lt;br /&gt;
|0&lt;br /&gt;
|&lt;br /&gt;
|&lt;br /&gt;
|[[カール・ヤスパース]]が唱えた[[紀元前500年]]頃（広く年代幅をとれば紀元前800年-紀元前200年）におこった世界史的、文明史的な一大エポック。[[中国]]では[[諸子百家]]が活躍し、[[インド]]では[[ウパニシャッド]]や[[仏教]]、[[ジャイナ教]]が生まれて、[[イラン]]では[[ゾロアスター]]が独自の世界観を説き、パレスティナでは、[[エリヤ]]、[[イザヤ]]、[[エレミア]]などの預言者を生み、[[ギリシャ]]では、[[ホメロス]]や三大哲学者（[[ソクラテス]]・[[プラトン]]・[[アリストテレス]]）が生まれて、後世の諸[[哲学]]、諸[[宗教]]の源流となった。互いに影響を受けることなく、しかし、ほぼ同時代に展開された数世紀の[[思想史]]について、その概略を述べる。&lt;br /&gt;
|一度、まとめておきたいと思っていたので。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|[[シアバター]] &lt;br /&gt;
|[[利用者:Cathkidston|Cathkidston]] &lt;br /&gt;
| 記事なし &lt;br /&gt;
| 0 &lt;br /&gt;
|　　&lt;br /&gt;
|&lt;br /&gt;
| アフリカに分布するシアの木の実から作られる[[シアバター]]。保湿効果に注目した企業によって製品化が進んでいるが、貧困削減の手段としても注目されている。&lt;br /&gt;
| シアバターという製品について調べていると、経済や国際協力などの分野にまで話が及んでいくのが楽しかったのでwikipediaで記事を作ってみました。たくさんの人に関心を持ってもらえれば幸いです。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|[[帝国クライス]] &lt;br /&gt;
|[[利用者:汲平|汲平]] &lt;br /&gt;
| 記事なし &lt;br /&gt;
| 0 &lt;br /&gt;
|　　&lt;br /&gt;
|&lt;br /&gt;
| 16世紀以降の[[神聖ローマ帝国]]の統治システムの一つ。帝国を6ないし10のブロック（クライス）に分け、治安維持活動をブロック単位で行うようにしたシステム。&lt;br /&gt;
| ドイツの町記事を書いていると、たまに「○○クライスに属した」という記述があり、興味を持ったので勉強がてらまとめてみようと思います。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|[[マルタ包囲戦 (1565年)]] &lt;br /&gt;
|[[利用者:Magyon|Magyon]] &lt;br /&gt;
| 記事なし &lt;br /&gt;
| 0 &lt;br /&gt;
|　　&lt;br /&gt;
|&lt;br /&gt;
| 16世紀に[[マルタ島]]を舞台に起きた、[[マルタ騎士団]]及びスペイン帝国対[[オスマン帝国]]の戦闘。数でははるかに劣っていたヨーロッパ側が、オスマン帝国軍を敗退させた。&lt;br /&gt;
| 現在、[[国連教育科学文化機関|UNESCO]][[世界遺産]]に登録されているマルタの首都[[バレッタ]]が、建設に至るきっかけとなった戦いです。有名な戦いである割に、あまり中身が知られていないのが執筆の理由です。こなれていない翻訳部分があったら、加筆・補記していただいて読みやすくなっていけば嬉しいです。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|[[アフリカ史]] &lt;br /&gt;
|[[利用者:赤井彗星|赤井彗星]] &lt;br /&gt;
| [http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%82%A2%E3%83%95%E3%83%AA%E3%82%AB%E5%8F%B2&amp;amp;oldid=17903321 2008年2月9日 (土) 16:24] &lt;br /&gt;
| 3076&lt;br /&gt;
|　　&lt;br /&gt;
|&lt;br /&gt;
|[[アフリカ大陸]]における通史。&lt;br /&gt;
|現状をなんとかしたいという思いから、良い機会なので参加させて頂きます。間に合うかどうかもわからないし、初期サイズも微妙ですが（汗&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|[[学園前 (奈良市)]] &lt;br /&gt;
|[[利用者:excl-zoo|excl-zoo]] &lt;br /&gt;
| 記事なし &lt;br /&gt;
| 0 &lt;br /&gt;
|&lt;br /&gt;
|&lt;br /&gt;
| [[学園前駅 (奈良県)|学園前駅]]を核とする[[奈良県]]北西部の地域名。民間主導で人口約10万人を擁する[[ニュータウン]]が開発された。&lt;br /&gt;
| 参考文献が幼稚になりがちで執筆コンテストの趣旨にそぐわないかもしれませんが、ローカルな話題をどこまで記事化できるか試したく、また1月からの執筆を完成させる意味でエントリーしました。&amp;lt;br /&amp;gt;まとめ切れない場合は取り下げるかもしれません。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|[[ラドクリフ女子大学]] &lt;br /&gt;
|[[利用者:小川義行|ほわーりィばーど]] &lt;br /&gt;
| 記事なし &lt;br /&gt;
| 0 &lt;br /&gt;
|&lt;br /&gt;
|&lt;br /&gt;
| [[ラドクリフ女子大学]]の英語版の翻訳です。&lt;br /&gt;
| [[ヘレン・ケラー]]の1888年の写真が見つかったということが2008年3月6日に発表されたという記事により、[[ヘレン・ケラー]]がラドクリフ女子大学の卒業だと知りました。&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 分野B ===&lt;br /&gt;
{| class=&amp;quot;wikitable&amp;quot;&lt;br /&gt;
! 記事名 !! エントリー者 !! 2/29最終版 !! 2/29・バイト数 !! 4/11最終版 !! 4/11・バイト数 !! 記事の概要 !! エントリー者コメント&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|[[縞状鉄鉱床]] &lt;br /&gt;
|[[利用者:Miya.m|Miya.m]] &lt;br /&gt;
| 記事なし &lt;br /&gt;
| 0 &lt;br /&gt;
|　　&lt;br /&gt;
|&lt;br /&gt;
| 現在主に使われている鉄鉱石です &lt;br /&gt;
| 鉱石の話が古生物の活動と地球史上の大変化のお話に発展します&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|[[XB-42 (爆撃機)]] &lt;br /&gt;
|[[利用者:Carpkazu|Carpkazu]] &lt;br /&gt;
| 記事なし &lt;br /&gt;
| 0 &lt;br /&gt;
|　　&lt;br /&gt;
|&lt;br /&gt;
| アメリカ合衆国で第二次世界大戦中に開発していた試作爆撃機 &lt;br /&gt;
| 制式採用がされなかった試作機です。レシプロからジェットへの技術革新の時代に埋もれてしまった飛行機の開発物語です。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|[[タンパク質構造]] &lt;br /&gt;
|[[利用者:NoSaito|NoSaito]] &lt;br /&gt;
| 記事なし &lt;br /&gt;
| 0 &lt;br /&gt;
|　　&lt;br /&gt;
|&lt;br /&gt;
| タンパク質の構造について総論的にまとめた記事です&lt;br /&gt;
| 初版は英語版から翻訳しただけですが、今後詳しい本を借りてきて加筆していこうと思います。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|[[H5N1亜型]] &lt;br /&gt;
|[[利用者:Snow64|Snow64]]&lt;br /&gt;
| [http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=H5N1%E4%BA%9C%E5%9E%8B&amp;amp;oldid=18255083 2008年2月27日 (水) 23:59] &lt;br /&gt;
| 1981 &lt;br /&gt;
|　　&lt;br /&gt;
|&lt;br /&gt;
| 近いうちに確実に[[パンデミック]]（世界的大流行）を起こすと予想されている[[インフルエンザウイルス]]の亜型の一つ。&lt;br /&gt;
| 人類に未知の病原体が襲い掛かるというのは映画やテレビの中だけの話ではないのです。そんな凶悪なウイルスの実態に迫ります。ところで電顕で見るウイルスってかわいいですよね。&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 分野C ===&lt;br /&gt;
{| class=&amp;quot;wikitable&amp;quot;&lt;br /&gt;
! 記事名 !! エントリー者 !! 2/29最終版 !! 2/29・バイト数 !! 4/11最終版 !! 4/11・バイト数 !! 記事の概要 !! エントリー者コメント&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|[[調緒]] &lt;br /&gt;
|[[利用者:daich|daich]] &lt;br /&gt;
|  &lt;br /&gt;
| &lt;br /&gt;
|　　&lt;br /&gt;
|&lt;br /&gt;
|  　日本の代表的な伝統芸能「能」などで使用される楽器、大鼓、太鼓、小鼓で使用される紐のこと。&lt;br /&gt;
　日本古来の手法で&amp;quot;なわれた&amp;quot;ワラ縄のようなもの。皮を胴に締め付けて、それぞれの楽器にあった音色を出す役割をもつ。演奏中は大鼓、太鼓は締めて固定されたままだか、小鼓の場合は、音色を変化させるためにも使われる。３つの楽器によりそれぞれ、太さ、長さが違っており、色は「朱色」とよばる赤に近いオレンジ色を基本としている。本来の材質は麻糸を使用するのが、麻の強度の限界や、カスが舞台を汚すなど理由から合成繊維を使用した製品もある。&lt;br /&gt;
| 能楽という視点からの記事はすでにありますが、こうした、工芸品的な視点から能楽の一端を書くことはないようですから応募しました。投稿を重ねても、あまり長い記事にはならないでしょうが、後生に伝えるべき内容だと思います。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|[[カリュドーンの猪]] &lt;br /&gt;
|[[利用者:みっち|みっち]] &lt;br /&gt;
| 記事なし &lt;br /&gt;
| 0 &lt;br /&gt;
|　　&lt;br /&gt;
|&lt;br /&gt;
| ギリシア神話に登場する大猪で、狩りのためにギリシア各地から勇士が参集する一大イベントとなった。 &lt;br /&gt;
| 「[[アルゴナウタイ]]」と比べると小粒ですが、登場人物がかなり重なるところもあり、「続編」的に楽しめると思います。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
|[[ジャック・テイタム]] &lt;br /&gt;
|[[利用者:Tiyoringo|Tiyoringo]] &lt;br /&gt;
| 記事なし &lt;br /&gt;
| 0 &lt;br /&gt;
|　　&lt;br /&gt;
|&lt;br /&gt;
| NFLの歴史でも最も激しいハードヒッターの1人と見られている。アサシン(assassin)のニックネームで呼ばれ相手チームの選手からは恐れられた。第11回[[スーパーボウル]]ではヒットした相手のヘルメットを吹っ飛ばした。&lt;br /&gt;
| アメフトではどうしてもオフェンスの選手に目が行きがちですが、ディフェンスのスター選手の記事を作成してみようと思い執筆いたしました。&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:4かい}}&lt;br /&gt;
[[Category:執筆コンテスト]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>小川義行</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88:%E5%B8%B8%E7%A3%90%E7%B7%A9%E8%A1%8C%E7%B7%9A</id>
		<title>ノート:常磐緩行線</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88:%E5%B8%B8%E7%A3%90%E7%B7%A9%E8%A1%8C%E7%B7%9A"/>
				<updated>2008-03-30T09:53:09Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;小川義行: きょうすけ氏による下記の書き込みが、Mayo氏による下記の書き換えにより、リンクが切れてしまっている&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;常磐緩行線と[[常磐快速線]]の項目ですが、主な内容がこの区間の複々線化の経緯と問題点になっていることや、性質上、複々線ではない区間の取手～土浦間の解説等も含まれやすいという事等から、統合した上で、項目名を[[常磐快速線・緩行線]]、あるいは[[常磐線 (都市近郊区間)]]とした方がよいのではないかと思いますが、いかがでしょうか？--[[利用者:125.192.64.83|125.192.64.83]] 2006年3月26日 (日) 11:14 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:系統としては別ですから、快速・緩行の記事については従来通りの方が適当と考えます。都市近郊区間とすると、[[大都市近郊区間]]と混同する恐れもありますし、[[東日本旅客鉄道東京支社|東京支社]]や[[電車特定区間]]といっても、いまいちピンと来ない場合もあると思いますし。理想としてはや総武線のような感じ…本線・快速線・緩行線と、上手く記事が分かれていると思います。一概に全てを同一視はできませんが。複々線なども含めた沿革など、常磐線の路線全体に関することは[[常磐線]]に移設し、複々線区間の列車などの詳細については当該項目内で…とするなど、全体として情報の整理が必要でしょうね（既にそういう方向性もあるようですが）。例えば、快速線の記事に停車駅表をつければ、常磐線の記事には不要になりますし（取手以北で偕楽園以外に通過駅を有する普通列車はないですし）。[[利用者:220.111.58.169|220.111.58.169]] 2006年3月27日 (月) 21:57 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:実際、ほとんど別の路線に等しいので区間も途中から違いますので反対します。--[[利用者:城史|城史]] 2006年3月28日 (火) 02:29 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　「本線・快速線・緩行線を完全に分ける」状態を提案している「常磐線利用者その531」と申します。実際に「総武本線」のページを確認しましたが、微妙にゴチャゴチャしているような気がしますが・・・今の常磐線よりは分かりやすいですね。緩行線もキチっと三鷹まで載っておりますし、現状に沿った分かりやすい案内だと思います。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　さて早速ですが、私は上記の通り運転系統別に分ける案を出しております。理由としては「運転系統別に案内した方が分かりやすい」に尽きますが、一つのページに情報が集約しすぎるとゴチャゴチャして分かりづらくなり、ネット環境の面でも読み込みが遅くなります。上野～取手・我孫子～成田のみに情報は常磐快速線で、代々木上原～綾瀬～取手の情報は常磐緩行線で、取手以北ならびに取手以北に大きく影響する上野～取手の情報は常磐線で・・・という感じで分ければ非常に分かりやすいと思います。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　車両・行き先・停車駅（ここまでは一般の方も、目的地までの目安とする）・ダイヤ・信号系統といった鉄道に必要な物が何から何まで共通点が無い、共通点はせいぜい線路幅が1067mmである程度の常磐快速線・常磐緩行線を統合する具体的な理由はいったい何でしょうか？　（4月22日　10時35分　常磐線利用者その531）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（報告）動きが無いまま3ヶ月が経過したため、統合テンプレートを除去いたしました。（ちなみに私も快速・緩行線の統合には反対です）--[[User:Fuji-77|Fuji-77]] &amp;lt;small&amp;gt;([[User Talk:Fuji-77|talk]]|[[Special:Contributions/Fuji-77|hist]])&amp;lt;/small&amp;gt; 2006年7月1日 (土) 23:40 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 乗客のマナーという欄について ==&lt;br /&gt;
必要なのでしょうか?埼京線のような明らか痴漢などの犯罪が顕著じゃないのも関わらず恐らく同一人物が戻しているようです。いかがですか?--[[利用者:210.198.109.17|210.198.109.17]] 2007年1月17日 (水) 10:06 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　少なくとも、首都圏他路線に比べて悪い事は確かのようです。--[[とある柏市民]]{{unsigned-IPuser|61.198.166.157|2007年2月22日 (木) 15:51 (UTC)|[[利用者:Muyo master|Muyo master]] 2007年2月27日 (火) 16:12 (UTC)}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
他路線とは具体的に言うとどのような路線でしょうか?--[[利用者:Aky|Aky]] 2007年3月1日 (木) 12:37 (UTC)&lt;br /&gt;
*（コメント）常磐線の風評（緩行線はもとより快速線でも）はともかく、現状では明らかなPOV記述と取れ、また編集合戦が目に余る状態なので、[[Wikipedia:保護依頼|半保護依頼]]をさせていただきました。--[[利用者:七之輔|e56]][[特別:Contributions/七之輔|-]][[利用者‐会話:七之輔|129]] 2007年3月1日 (木) 14:00 (UTC)&amp;lt;small&amp;gt;（[[利用者:121.1.236.199]]氏に削除されたものを復活--[[利用者:継之助|継之助]] 2007年3月7日 (水) 05:24 (UTC)）&amp;lt;/small&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（報告）マナーの欄は全て削除した上で、代替として常磐線の欄に「問題点」部門を新たに作りました。{{unsigned-IPuser|121.1.236.199|2007年3月7日 (水) 07:20 |[[利用者:継之助|継之助]] 2007年3月7日 (水) 05:24 (UTC)}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[常磐線]]記事にこのような記述を移されても何の解決にもならないし、Wikipediaには不適切な記述である事には変わりはありません。結果として編集合戦の場所が常磐線記事に移っただけで、IPユーザーの執拗な記述差し戻しに伴い、向こうの記事も保護依頼を提出させていただきました。--[[利用者:Kiku-zou|Kiku-zou]] 2007年3月8日 (木) 12:03 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*（報告）同一内容のPOV転記が[[常磐快速線]]に転移しているため、同項目も保護依頼を行いました。--[[利用者:七之輔|e56]][[特別:Contributions/七之輔|-]][[利用者‐会話:七之輔|129]] 2007年3月8日 (木) 13:24 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
私もあまり不適切ではないと改めて思いましたため、保護・半保護のきっかけとなった記事「マナー関連」は全て削除しました。やはりマナーに関する話題は慎むべきだと思います。見てもいやだと言うイメージがわいてきますから。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
常磐線以外の路線にもこのような記事があったら、削除したほうが良いと思います。よって保護の解除をお願いしました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==新型車の情報について==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
常磐線各駅停車には新型車が導入されることが決定したため、早期の記事追加をお願いします。{{unsigned-IPuser|121.1.236.199|2007年3月7日 (水) 07:20 |[[利用者:継之助|継之助]] 2007年3月7日 (水) 05:24 (UTC)}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[JR東日本E233系電車|E233系]]については2008年の導入予定であり、まだ時間があるので追加を急ぐ必要はないと思います。--[[利用者:リバイバル1998|リバイバル1998]] 2007年3月8日 (木) 13:39 (UTC)&lt;br /&gt;
*それよりも、ICカード使用時の西日暮里接続の扱いの範囲を追記する必要がありますね…。現状、[[首都圏ICカード相互利用サービス]]に記載してあります。[[利用者:Mayo|mayo]] 2007年3月14日 (水) 08:40 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==運賃について==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*西日暮里接続もさることながら、千代田線・東西線大手町利用で取手～亀有間と高円寺～三鷹間を相互発着する場合の運賃についても述べる必要があると思うのですが、いかかでしょうか。2007年3月15日(木)16:43 (UTC)&lt;br /&gt;
**そうですね。この点についてはリーフレット等でも殆ど言及がないので、必要かと思います（大手町と茅場町に経路判別用の簡易器でもあるといいんですけどねぇ…）。あと、東武関連の通過連絡運輸は3月17日分を以って全廃らしいです。[[利用者:Mayo|mayo]] 2007年3月15日 (木) 10:03 (UTC)&lt;br /&gt;
**東京メトロは路線が複雑に絡み合っているため、大手町と茅場町に簡易器を設置したところで問題が解決しない気がします。 2007年3月15日(木)21:32 (UTC)&lt;br /&gt;
***保護が解除になったので、運賃計算に関する部分を加筆しました。&lt;br /&gt;
**:追記。改札を通らないことを前提にすると、大手町か茅場町のどちらかは必ず通ることになるんですよ…。なので、それで何とかなるんじゃないかな～…なんて思った次第ですが。[[利用者:Mayo|mayo]] 2007年4月10日 (火) 13:36 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 観点についての議論 ==&lt;br /&gt;
｢呼称について｣で、取手（旧下総国）までの各駅停車が「常磐線」を名乗るのはおかしいという指摘もある、とのことですが、これは個人的な意見に過ぎないのではないでしょうか。それを言うなら、高崎-横川間が｢信越本線｣を名乗るのもおかしいし、門司港-八代間が｢鹿児島本線｣を名乗るのもおかしい、となってきりがありません。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
Slimepleaseさんへ。京浜東北線は東海道本線と東北本線の通称です。[[京浜東北線]]のページを確認してください。それから、議論もしないで他人の記述を勝手に削除するのは避けてください。--[[利用者:菊地 英仁|菊地 英仁]] 2007年7月10日 (火) 07:53 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:ちゃんと文章を読みもせず、自分の主張と一致からというだけで非難を受けるのは極めて心外です。&lt;br /&gt;
:確かに京浜東北線は東海道本線・東北本線の電車線を走行する系統の通称ではありますが、「京浜東北線」はこれで独立した系統であり、'''両線に対する緩行線という意味合いでつけられた名称ではない'''筈です。複々線の形態も異なるわけですし、背景が全く異なるものを引き合いに出して「愛称をつけるべき」と言うのはどうにも不自然です。そもそも、地域の実情に合っていないのなら「京浜'''東北'''線」はどうなのでしょうか?&lt;br /&gt;
:それに、あの部分（と、[[常磐快速線|快速線]]の統一の功罪の部分）は以前はかなり長々と様々な主張があり、それが整理されて現状に落ち着いたのですし、何よりJRが緩行線に愛称をつけずに普通列車を「快速」とすることで取手以南の種別の相対性を保つことを選んだわけですから、また蒸し返すこともないのでは?[[利用者:Slimeplease|Slimeplease]] 2007年7月11日 (水) 15:47 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
確かにその通りです。[[利用者:Slimeplease|Slimeplease]]さんの意見に同意します。--[[利用者:菊地 英仁|菊地 英仁]] 2007年7月11日 (水) 22:17 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 路線カラーなどについてのリバートの件 ==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2007年10月28日現在、'''複々線化後'''の節に、下記の記述があります。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:もはやあらゆる意味で手遅れであり{{要出典}}、最終的に中距離電車の15両化、近郊形電車としては初のオール[[鉄道車両の座席|ロングシート]]車415系500・1500番台の投入、快速電車の15両化と泥縄的施策が続く。 ～中略～　更に計画の安直さ・お役所仕事ぶり{{要出典}}が浮き彫りになる事態が発生した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:～中略～　[[抵抗制御]]の国鉄車は、[[鉄道車両の台車|台車]]はコイルバネで乗り心地は悪い上に[[電動機|モーター]]から発する騒音は大きく、しかも　'''←乗客POV　営団は乗り心地や騒音を問題にしていたのか？'''　　[[発電ブレーキ]]のため大量の発熱を[[トンネル]]や駅構内に撒き散らすことになった。東西線では[[複線]]トンネルが大部分を占めていた上に換気口も多かった{{要出典}}が、[[単線]]トンネルが多く換気口が少ない{{要出典}}　'''単線トンネルで排熱に問題があったとの記載は複数の雑誌にありますが、換気口が少ないとの記述は見つかりませんでした。'''　ゆえに空気の流動が少ない千代田線では、トンネル内で[[抵抗器]]の冷却が充分にできず、電車の床に抵抗器から発生した熱が伝わり、車内は異常なまでの暑さになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:～中略～　利用者は「国鉄車が来たら見送り」をするものまでいたほどである{{要出典}}。これにより、トンネル内の発熱を抑えようとする営団の努力は水泡に帰してしまうことになった{{要出典}}　'''103系1000番台の所要本数は15本程度、対して営団車は25本程度。よって103系1000番台の割合は37％程度だが、水泡に帰すほどの勢力か？'''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
上記のように6点について出典を求めましたが（太字は私が加筆したコメント）、10月28日朝、IPユーザー 60.254.216.182　さんにより出典が示されることなく削除されました。また現在コメントとされているラインカラーの節についても、総武線205系と東西線のカラー変更に関する時系列の把握に事実と異なる部分があるなど問題があるため何箇所かコメントをつけたのですが、これもリバートにより消去されています。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
IPユーザー 60.254.216.182　さんのリバートについて、その真意を問いたいと思います。今週中にこちらに回答が無いか、もしくは出典が示されない場合は、記事の該当部分を要出典をつけた版に戻させていただきますので、何か異論がありましたらこちらできちんと議論をお願いします。[[利用者:Alt winmaerik|Alt_Winmaerik]] 2007年10月28日 (日) 01:03 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:1週間経ちましたが何ら異論が示されませんでしたので、該当部分のみをIPユーザー 60.254.216.182　さんがリバーとする前の版に戻します。[[利用者:Alt winmaerik|Alt_Winmaerik]] 2007年11月5日 (月) 04:03 (UTC)&lt;br /&gt;
:ちなみに原文では「取手以北の交流電化が不可能」な旨の記述がありましたが、地磁気に影響を与えない直流電化の手法については10年以上前から研究されており、いくつか課題があがっています。常磐線勝田電化当時に交流電化が選択されたのは事実ですが、現在でも技術的に不可能と断定するのは適切ではないでしょう。[[利用者:Alt winmaerik|Alt_Winmaerik]] 2007年11月5日 (月) 15:08 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2007年12月6日、122.134.100.213さんにより要出典部分について下記コメントが加えられ要出典タグが除去されました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
://東西線までは開削工法、建設時は駅での強制排気の他に自然通機構も存在。千代田線はシールド工法、全て強制換気のみ。営団が6000系以降電機子チョッパにこだわった理由&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
まず、ノートで議題を出している案件については、編集する前にノートの議論にご参加ください。また出典の提示を要求しているのですから出典を明記してください。読者は貴方の見解や意見を求めているわけではなく、確たる出典に基づいた記事を求めています。なお、千代田線のシールド区間は全体のごく一部です。発熱で問題となる単線トンネル区間でシールドなのは北千住～町屋間・湯島～新御茶ノ水間などに限られます。ご参考まで。[[利用者:Alt winmaerik|Alt_Winmaerik]] 2007年12月6日 (木) 13:57 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
もう一ヶ月近く経ちましたので、出典の無い記述を今週中にコメントアウトもしくは削除します。異議がある場合は出典の提示をお願いします。[[利用者:Alt winmaerik|Alt_Winmaerik]] 2008年1月4日 (金) 15:44 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:出典の提示が無かったため、検証可能性を満たさない記述を削除しました。[[利用者:Alt winmaerik|Alt_Winmaerik]] 2008年1月19日 (土) 10:05 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::出典の提示が無かったため、検証可能性を満たさない記述を削除のうえ、鉄道土木や地下鉄千代田線建設史などを参考に加筆しました。[[利用者:Alt winmaerik|Alt_Winmaerik]] 2008年1月31日 (木) 15:34 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
きょうすけ氏による下記の書き込みが、Mayo氏による下記の書き換えにより、リンクが切れてしまっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（[#通過連絡運輸の特例|後述]））も、（[#千代田線北千住～西日暮里間を経由する場合の特例|後述]））と書き換える必要があるのではないか？&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
記&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%B8%B8%E7%A3%90%E7%B7%A9%E8%A1%8C%E7%B7%9A&amp;amp;diff=next&amp;amp;oldid=6158740	常磐緩行線 - Wikipedia	2006年6月15日 (木) 03:23の版 きょうすけ&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%B8%B8%E7%A3%90%E7%B7%A9%E8%A1%8C%E7%B7%9A&amp;amp;diff=prev&amp;amp;oldid=11828426	常磐緩行線 - Wikipedia	2007年4月10日 (火) 13:24の版	Mayo &lt;br /&gt;
--[[利用者:小川義行|ほわーりィばーど]] 2008年3月30日 (日) 09:53 (UTC)&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>小川義行</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E5%B7%9D%E5%84%AA%E9%87%8C</id>
		<title>藤川優里</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E5%B7%9D%E5%84%AA%E9%87%8C"/>
				<updated>2008-03-15T05:49:56Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;小川義行: 季刊誌　楽園 2008年冬号 】のリンクの誤植を修正・脚注リンクの位置を修正&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{日本の地方議会議員|八戸市市議会市議会議員&amp;lt;br /&amp;gt;藤川ゆり|[[1980年]][[3月8日]]|青森県八戸市|[[帝京大学]][[文学部]][[心理学]]科卒業|学士|介護老人保健施設ひばりの里勤務|2世&amp;lt;br&amp;gt;父・市議会議員|八戸市市議会市議会議員|1回|自由民主クラブ|無|http://www.fujikawa-yuri.com/index.html 藤川ゆりオフィシャルサイト}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''藤川優里'''（ふじかわ ゆり、[[女性]]、[[1980年]][[3月8日]] -現在{{年数|1980|3|8}}歳）は、[[青森県]][[八戸市]][[市議会議員|議会議員]]（ [[保守]]系[[会派]]「自由民主クラブ」の会派に所属、民生常任委員会・環境先進都市推進特別委員会に在籍）。[[政治]]・[[選挙]]活動では'''藤川ゆり'''と名前を[[平仮名]]にする。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==人物==&lt;br /&gt;
=== 概略 ===&lt;br /&gt;
[[父親]]は[[津島雄二]][[代議士]]系の元八戸市[[市議会]]副議長の[[藤川友信]]（市議会議員を16年務めた。その後の[[青森県議会]][[議員]]選挙には2回とも落選）であり、 [[母親]]は父親の選挙において[[ウグイス#その他|うぐいす嬢]]を務めた。&lt;br /&gt;
2007年４月、[[父親]]の[[県議会]]選挙における二度目の落選がきっかけとなり&amp;lt;ref&amp;gt;『[[産経新聞]]』　2008年2月9日付&amp;lt;/ref&amp;gt;、八戸市[[市議会議員]]選挙の告示5日前に[[無所属]]で立候補し、同年[[4月22日]]、八戸市[[市議会議員]]選挙史上最高の6962票を獲得し、トップ当選を果たした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 初選挙 ===&lt;br /&gt;
=== 出馬の経緯 ===&lt;br /&gt;
大学卒業後は政治家の[[秘書]]になることを考えていたが、父は[[専業主婦]]になることを望んでいたという&amp;lt;ref name =umineko200707&amp;gt;[http://www.fujikawa-yuri.com/acreport_upfile/umineko_200707.pdf 八戸市議会議員　藤川優里さんに聞く]（八戸の月刊誌『うみねこ』2007年7月号）&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
2007年４月８日、県議会選挙での父の落選が決まり、重苦しい空気に包まれていた八戸市内の選挙事務所を兼ねた自宅において、支持者にお礼を述べると共に、「（２週間後に控えた）市議選市会議員に出たい」と突如訴え出る。両親共々反対したが、４月10日、[[土下座]]までして出馬を訴える娘の姿に父は折れ、その日の夕方、近くの写真店へ選挙ポスター用の写真を撮りに行ったという&amp;lt;ref name =sabkei20080210&amp;gt;『産経新聞』2008年2月10日付&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 選挙戦 ===&lt;br /&gt;
[[介護予防]]事業の推進、[[介護保険制度|介護保険]]料や介護サービスの利用料金の値下げや見直し、働くお母さん達のために[[病児保育]]の施設を作ることなどを訴える。&lt;br /&gt;
投票日は雨であったため、[[浮動票]]の低下を心配し、テレビのない自分の部屋で結果を待ったという&amp;lt;ref name =umineko200707/&amp;gt;。&lt;br /&gt;
定数36に対し47人が立候補したこの市会議員選挙において、2位の3665票の倍近い6962票を獲得し、トップ当選した。八戸市議選史上、最多得票であり、20歳代の女性候補者というのも八戸市議選では始めてであった&amp;lt;ref name =sabkei20080210/&amp;gt;。&lt;br /&gt;
それまで選挙に関心のなかった若者層が投票に行った影響もあり、12年ぶりに投票率が上昇した（55.95%）&amp;lt;ref name =sabkei20080210/&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 議員活動 ===&lt;br /&gt;
* 議員としての[[スローガン]]は「食づくり、人づくり、まちづくり」&amp;lt;ref name =official&amp;gt;藤川ゆりオフィシャルサイト&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
* 2007年12月12日、八戸市議会における初めての一般質問では「地方公共団体財政健全化法」、医療行政、[[福祉]]行政、[[災害]]対策などに関しての質問を行なった&amp;lt;ref&amp;gt;平成19年12月12日　八戸市議会定例会一般質問（[http://www.city.hachinohe.aomori.jp/ 八戸市公式ウェブサイト]）&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www2.city.hachinohe.aomori.jp/kaigiroku/CGI/voiweb.exe?ACT=203&amp;amp;KENSAKU=0&amp;amp;SORT=0&amp;amp;KTYP=2,3&amp;amp;KGTP=1,2&amp;amp;TITL_SUBT=%95%BD%90%AC%82P%82X%94N%82P%82Q%8C%8E%81@%92%E8%97%E1%89%EF%81%7C12%8C%8E12%93%FA-04%8D%86&amp;amp;SFIELD1=HTGN&amp;amp;SSPLIT1=+%2B%2F%21%28%29-&amp;amp;HUID=98530&amp;amp;KGNO=&amp;amp;FINO=1868&amp;amp;HATSUGENMODE=0&amp;amp;HYOUJIMODE=0&amp;amp;STYLE=0 藤川優里の一般質問　2007年12月12日]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
* [[調理]]体験型の食[[セミナー]]などを推進している[[消費者グループ]]、「[[たんぽぽの会]]に賛同し、食セミナーに参加している&amp;lt;ref name =official/&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.fujikawa-yuri.com/acreport_upfile/event200802.pdf 食育について　【 季刊誌　楽園 2008年冬号 】  ]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
* 「北東北若手議員の会」（通称“わらし塾”）に参加し、若手議員らとの連携作りに取り組んでいる&amp;lt;ref name =official/&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==  略歴 ==&lt;br /&gt;
* [[1980年]][[3月8日]] 誕生。&lt;br /&gt;
* [[1986年]]4月　[[八戸市立長者小学校]]入学&lt;br /&gt;
* [[1992年]]4月　[[八戸市立長者中学校]]入学.&lt;br /&gt;
* [[1995年]]4月　[[青森県立八戸東高等学校]]人文科（現在は「表現科」）入学&lt;br /&gt;
* [[1998年]]4月　[[帝京大学]][[文学部]]心理学科入学。&lt;br /&gt;
* [[2002年]]3月　[[フリーター]]として過ごす。&lt;br /&gt;
* [[2003年]]6月　八戸に戻る。&lt;br /&gt;
* [[2004年]]2月　介護老人保健施設「ひばりの里」入社&lt;br /&gt;
* [[2006年]]　 [[通信教育]]と東京への[[スクーリング]] （面接授業）で[[診療情報管理士]]の資格を取得。&lt;br /&gt;
* [[2007年]]4月　「ひばりの里」退社。&lt;br /&gt;
* 2007年4月23日　八戸市市会議員選挙で初当選。&lt;br /&gt;
* 2007年7月　　[[第21回参議院議員通常選挙]]で[[安倍晋三]]首相と共に自民党候補を応援。衆院議員、[[片山さつき]]と共に[[山崎力]]の応援演説を行う。&lt;br /&gt;
* 2007年12月12日　八戸市議会で初めての一般質問を行う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 趣味・特技 ==&lt;br /&gt;
* 習い事：[[バレエ]]・[[書道]]・[[珠算]]・[[水泳]]&lt;br /&gt;
* クラブ活動：[[吹奏楽]]部（小学校時代、[[クラリネット]]を担当）&lt;br /&gt;
* 趣味：[[写真]]撮影・[[登山]]・[[釣り]]・[[DVD]]鑑賞&amp;lt;ref name =official/&amp;gt;&lt;br /&gt;
== 嗜好 ==&lt;br /&gt;
* [[座右の銘]]：「[[花]]よりも花を咲かせる[[土]]になれ」{{要出典}}。&lt;br /&gt;
* 好きな花：[[ユリ]]&lt;br /&gt;
* 好きな色：白&lt;br /&gt;
* 好きな食べ物：生[[イチゴ|ストロベリー]][[ジュース]]&lt;br /&gt;
* 嫌いな食べ物：[[蒲鉾]]（かまぼこ）&lt;br /&gt;
* 好きなタレント：[[キルステン・ダンスト]] &lt;br /&gt;
* 感銘を受けた本：[[マリー・アントワネット]]の伝記&lt;br /&gt;
* 尊敬する人：両親&lt;br /&gt;
* 尊敬する政治家：[[津島雄二]]・[[三村申吾]]&lt;br /&gt;
* 恋人： 父・八戸市&lt;br /&gt;
* 理想の男性像：自信と実力のバランスが取れている前向きな男性&amp;lt;ref name =umineko200707/&amp;gt;&amp;lt;ref name =livedoornews&amp;gt;Livedoorトレビアンニュース　「[http://news.livedoor.com/article/detail/3483431/ 青森の美人議員 藤川優里（ゆり）に独占インタビュー！]」（[http://www.livedoor.com/ Livedoor]2008年1月28日10時00分閲覧）&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==エピソード==&lt;br /&gt;
* 優里という名前は、父がかつて秘書を務めていた衆院員議員、[[津島雄二]]の妻である[[津島園子]]（作家、[[太宰治]]（本名・津島修治）の長女）につけてもらったという&amp;lt;ref name =sabkei20080211&amp;gt;『[[産経新聞]]』2008年2月11日付&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* 学生時代に一年半ほど『[[CanCam]]』、『[[Ray (雑誌)|Ray]]』などのファッション誌の[[読者モデル]]をしていた&amp;lt;ref name =saizo200802&amp;gt;[http://www.cyzo.com/2008/02/post_371.html グラビアの次はDVD!?　萌え議員ついにアイドルデビューか？]（日刊サイゾー）&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref name =supermorning20080125&amp;gt;[[テレビ朝日]]系『[[スーパーモーニング]]』2008年1月25日放送&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* [[青森朝日放送]]が“今年の注目の人”としてテレビで取り上げたことをきっかけに、「[[美人]]で若い」と言うことから[[インターネット]]上（[[日本語]]）で人気が集まり、[[2008年]][[1月22日]]には、藤川の公式[[ウェブサイト]]に23万件ものアクセスが集中し、数時間あまり、アクセス不能となる事態となった&amp;lt;ref name =realtime&amp;gt;[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]系『[[NNN Newsリアルタイム]]』2008年1月25日放送&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
* 注目を浴びていることについては、「光栄に思っており、これを機に政治に興味を持つ人が増えてくれたら嬉しい」としている。ただ、[[容貌|ルックス]]が注目を集めていることについては、多くの人と同様に自分の外見や内面に[[劣等感|コンプレックス]]を持っており、「気が引ける」と述べている&amp;lt;ref name =umineko200707/&amp;gt;&lt;br /&gt;
* 東京の[[府中市 (東京都)|府中市]]で生活していた際、選挙カーに乗って自分の父を選挙応援する女性の姿に心を打たれ、自分も父の側にいてあげようと八戸に戻ることを決めたという。また、名前は覚えていないが、この親子に会ってお礼を言いたいとしている&amp;lt;ref name =supermorning20080125/&amp;gt;。&lt;br /&gt;
* 政治家としては異例だが、『[[週刊文春]]』（2008年3月6日号）の巻頭[[グラビアページ|グラビア]]に登場した。藤川の[[後援会]]会長によれば、これは[[アイドル]]的な活動ではなく、彼女を通して八戸市に対する認知度を高めるための、あくまで市議会議員としての活動の一環であるとしている&amp;lt;ref name =saizo200802/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚注 ==&lt;br /&gt;
&amp;lt;references/&amp;gt; &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
*[http://www.fujikawa-yuri.com/ 藤川ゆりオフィシャルサイト]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:ふしかわゆり}}&lt;br /&gt;
[[Category:青森県の政治家]]&lt;br /&gt;
[[Category:青森県出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:1980年生]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>小川義行</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%9F%E5%B2%90%E7%94%B0%E9%BA%97%E5%AD%90</id>
		<title>土岐田麗子</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%9F%E5%B2%90%E7%94%B0%E9%BA%97%E5%AD%90"/>
				<updated>2008-02-15T23:58:23Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;小川義行: 誤った表記を、「Wikipedia:表記ガイド」や「現代仮名遣い」などに従って、望ましい表記に訂正した。&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{女性モデル|&lt;br /&gt;
|モデル名=土岐田 麗子&lt;br /&gt;
|ふりがな=ときた れいこ&lt;br /&gt;
|別名=&lt;br /&gt;
|愛称=トッキー&lt;br /&gt;
|生年=1984&lt;br /&gt;
|生月=5&lt;br /&gt;
|生日=31&lt;br /&gt;
|出身地={{JPN}}・[[千葉県]]&lt;br /&gt;
|血液型=A型&lt;br /&gt;
|時点=[[2005年]]&lt;br /&gt;
|身長=157&lt;br /&gt;
|体重=&lt;br /&gt;
|バスト=80&lt;br /&gt;
|ウエスト=56&lt;br /&gt;
|ヒップ=80&lt;br /&gt;
|カップ=&lt;br /&gt;
|股下=&lt;br /&gt;
|靴=23.0&lt;br /&gt;
|身体備考=&lt;br /&gt;
|デビュー=&lt;br /&gt;
|ジャンル=[[ファッション]]&lt;br /&gt;
|モデル内容=一般&lt;br /&gt;
|活動備考=&lt;br /&gt;
|他の活動=&lt;br /&gt;
|その他=&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
'''土岐田麗子'''（ときた れいこ、[[1984年]][[5月31日]] - ）は、[[千葉県]]生まれの[[ファッションモデル]]。所属[[芸能事務所|事務所]]は[[ディスカバリー・エンターテインメント]]。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[趣味]]はショッピング。[[千葉経済大学附属高等学校]]商業科出身。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==経歴==&lt;br /&gt;
* 雑誌『[[Cawaii!]]』にてモデルデビュー。『Cawaii!』2月号では、その年に[[成人式]]を迎える「Cawaii! Girls」が[[振袖]]を着て表紙を飾るのが恒例になっている。[[2005年]][[2月]]号では、土岐田麗子と[[大石理紗]]が振袖を着て表紙を飾った。二人はこの号をもって『Cawaii!』を卒業した。&lt;br /&gt;
* 現在は、雑誌『[[JJ (雑誌)|JJ]]』にてモデルとして活躍中。&lt;br /&gt;
* [[2007年]][[7月23日]]に、初の[[冠番組]]「[[スピードワゴンと土岐田麗子の巻]]」（[[GyaO]]）が放送開始（同年8月27日に終了し「[[スピードワゴンのナマ出し]]」にリニューアル）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===エピソード===&lt;br /&gt;
*『[[踊る!さんま御殿!!]]』（2006年10月17日放送）に初出演した際、[[インパルス (お笑い)|インパルス]]・[[堤下敦]]に「好きです」と告白し、スタジオを驚かせた。[[明石家さんま]]によると以前から堤下のファンで、堤下と一緒ならOKということで出演を承諾したという&amp;lt;ref&amp;gt;『[[さんまのまんま]]』より&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
*その後、堤下と交際に発展し、それを2人とも公言している。一部では年内にも結婚する見込みと報じられたが&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web&lt;br /&gt;
| date = 2007-2-15&lt;br /&gt;
| year = 2007年&lt;br /&gt;
| month = 2月&lt;br /&gt;
| url =http://www.nikkansports.com/entertainment/p-et-tp0-20070215-156740.html&lt;br /&gt;
| title =ラブラブ激白「堤下さん夜会いたい」&lt;br /&gt;
| publisher = livedoor&lt;br /&gt;
| accessdate = 4月22日&lt;br /&gt;
| accessyear = 2007年&lt;br /&gt;
}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web&lt;br /&gt;
| date = 2007-4-22&lt;br /&gt;
| year = 2007年&lt;br /&gt;
| month = 4月&lt;br /&gt;
| url =http://www.nikkansports.com/entertainment/p-et-tp0-20070422-188022.html&lt;br /&gt;
| title =インパルス堤下が人気モデルと結婚&lt;br /&gt;
| publisher = livedoor&lt;br /&gt;
| accessdate = 4月20日&lt;br /&gt;
| accessyear = 2007年&lt;br /&gt;
}}&amp;lt;/ref&amp;gt;、当人は否定している。2008年1月21日に自身のブログ内にて交際していたインパルス・堤下と破局していたことを報告。本人曰く「友達に戻ります」との事。&lt;br /&gt;
*『JJ』モデルの条件は未婚者ということになっているので、土岐田が結婚する時は『JJ』モデルを引退する時である。&lt;br /&gt;
*『[[ダウンタウンDX]]』（2007年4月19日放送）で大食漢の堤下につられて体重が5kg増えたと告白。&lt;br /&gt;
*『[[はねるのトびら]]』（2007年7月4日放送）で堤下の相方の[[板倉俊之]]は土岐田について「堤下の彼女という話題で仕事を取ってる」と非難した。これは一種のネタとしての発言だが、交際発覚後にテレビへの露出が増えたのは事実である。&lt;br /&gt;
* 『[[スピードワゴンと土岐田麗子の巻]]』のオープニングコーナーで[[スピードワゴン]]の[[井戸田潤]]が堤下のことについていじったところスタッフに「交際に関することはあまり話さないで下さい」と注意を受けたと話しているが、土岐田自身は堤下との交際に関することを話される事をそこまで気にしていないようで同番組の第5回放送のオープニングコーナーで『街中で「堤下さん」と言われる』とネタにしている。本人も「スタッフさんが気にしすぎているだけみたい」と語っている。&lt;br /&gt;
* 土岐田の一番の相棒は、『Cawaii』で親しくなったモデルの[[青木亜希]]である。&lt;br /&gt;
* 「天才だと思う人物は？」との質問に対して、「ＪＪモデルの先輩、[[金子絵里]]さん！」と答えた。 &lt;br /&gt;
* 土岐田のマネージャー阿川友佳子（あがわゆかこ）は、身長168cmの元モデルである。 2007年、ＴＶ番組「ベリータ」「快感MAP」に登場した。&lt;br /&gt;
* 所属事務所ディスカバリー・エンターテインメントは、無料パソコンテレビ・[[GyaO]]と同じUSENグループなので、土岐田はGyaOに頻繁に出演している。&lt;br /&gt;
* 「GyaOうたブロ」にて、[[スキマスイッチ]]・[[aiko]]のカラオケを熱唱している。ちなみに、スキマスイッチのメンバーでアフロヘアーの髪型をしている男性の名前は、トキタ シンタロウ（常田真太郎）という。&lt;br /&gt;
* [[神戸コレクション]]をはじめとして関西での仕事が多いので、大阪のことを「第二のふるさと」とよんでいる&amp;lt;ref&amp;gt;[http://ameblo.jp/reiko-tokita/archive-1-200611.html 第二のふるさと]（2006年11月1日　アメーバ・ブログ）&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
* ラジオ番組『[[イマドキッC]]』での共演者・山里亮太（南海キャンディーズ）は、土岐田と同じ高校を卒業し、土岐田の元彼・堤下敦と同じ吉本興業に所属し、土岐田の愛用メガネと同じような赤いふちメガネをかけている・・・など土岐田と共通点が多い。&lt;br /&gt;
* スキルアップのため2007年11月4日にアロマテラピー検定試験２級を受験した。『イマドキッC』では、土岐田の奮起を促すため、不合格になった場合、土岐田に罰ゲームをしてもらうことになった。罰ゲームの内容は、山里亮太とのデートである。土岐田の手作り弁当を山里に食べさせ、山里と手をつないで散歩するという内容である。デート場所は、二人が卒業した高校が候補にあがっていた。そして、デートの模様をマスコミ各社に取材してもらう計画だった。12月16日（日）深夜の放送で合否結果が発表され、みごと合格していたので、山里とのデートは回避された。&lt;br /&gt;
* 『イマドキッC』（2007年7月15日深夜放送）にて、なだぎ武が紹介した[[脳内メーカー]]で土岐田を占ってみたところ、土岐田麗子の脳内は「食」と「休」で満たされていた。あまりの的中に出演者一同驚いていた。&lt;br /&gt;
*高校卒業時に料理学校に進学しようと思うくらい料理には興味があると語っている。&lt;br /&gt;
* 大好物は、白いご飯と貝類（エビ・ハマグリなど）である。　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 主な出演作品 ==&lt;br /&gt;
===ＴＶ===&lt;br /&gt;
* [[踊る!さんま御殿!!]] （[[日本テレビ放送網|日本テレビ系列]]、2006年）　&lt;br /&gt;
* [[ベリータ]] （[[毎日放送]]・関西ローカル、毎週木曜25時55分～26時25分、2006年 - ）&lt;br /&gt;
* [[私的チャイナビ]] （[[東京放送|TBS]]、2007年1月）&lt;br /&gt;
* [[でんねん〜試験にでる?大阪弁〜]] （[[スカイパーフェクTV!|SKY PerfecTV!]]・726ch、[[関西テレビ☆京都チャンネル]]、2007年）&lt;br /&gt;
* [[完全保存版!なにわグルメ「たこ焼きでんねん」]] （SKY PerfecTV!・726ch、関西テレビ☆京都チャンネル、2007年）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===ラジオ===&lt;br /&gt;
* [[UP'Sound RADIO]] （番組後半の「BLOGSTREET on Radio」というトークコーナーに出演。 約30のコミュニティーFM・有線にて放送。出演者のブログからも配信。2006年3月 - 9月） &lt;br /&gt;
* [[イマドキッC]] 日曜日 （[[MBSラジオ]]、毎週日曜24時05分～25時、2007年4月 - ）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===CM===&lt;br /&gt;
* [[Au (携帯電話)|au]]　shopping mall 『Back Stage Story』篇　（[[田中美保 (モデル)|田中美保]]、[[大桑マイミ]]と共演）&lt;br /&gt;
* [[レイ ウエディング]]　（サンケイリビング新聞社のブライダルマガジン、2007年）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===PV===&lt;br /&gt;
* [[竹仲絵里]] 「黄色い花-wedding Story-」　（ウェディングGyaOイメージソング、2007年）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== WEB ===&lt;br /&gt;
* ドラマ「[[道徳女子短大 エコ研]]」（[[GyaO]]ドラマ、第1話「セミ」2006年7月2日配信、第2話「39℃」8月2日配信、第3話「東京進出」9月2日配信。　全6話の配信予定だったが、3話で終了。　無料動画配信サイト「[[Dohhh UP!]]」、2007年8月24日配信。　出演は、[[ハロー!プロジェクト]]のメンバーと土岐田。）&lt;br /&gt;
* ドラマ「[[おじぎ30度]]」（無料動画配信サイト「[[Dohhh UP!]]」、2006年12月24日配信）&lt;br /&gt;
* アニメ「[[キムサウンドストーリー]]」（GyaOアニメ、第5話（2007年1月2日配信）から登場するレイコの声優。　また、Mac The Reiko というユニット名で、『パパじゃないくせに』を熱唱。） &lt;br /&gt;
* ランチタイム ナビゲーション MIDTOWN TV（GyaO、2007年3月26日 - 7月9日）&lt;br /&gt;
* [[MIDTOWN TV]]「[[スピードワゴンと土岐田麗子の巻]]」（GyaO、2007年7月23日 - 8月27日。上記番組をリニュアルしたもの）&lt;br /&gt;
* MIDTOWN TV「[[スピードワゴンのナマ出し]]」（GyaO、2007年9月3日 - 11月5日。上記番組をリニュアルしたもの）&lt;br /&gt;
* 「[[PLAY!AWA'S 〜美と笑いの大お見せ合いパーティ〜]]」（GyaOバラエティ、2007年）&lt;br /&gt;
* 「[[勝ち抜き!アイドル天国!!ヌキ天]]」（GyaOバラエティ、2007年11月14日 - ）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 舞台 ===&lt;br /&gt;
* [[おじぎ30度]]（新宿シアターアプル、2008年2月27日～3月2日）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==関連項目==&lt;br /&gt;
*[[千葉県出身の人物一覧]]&lt;br /&gt;
*[[Cawaii!]]&lt;br /&gt;
*[[JJ (雑誌)|JJ]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==外部リンク==&lt;br /&gt;
* [http://www.discovery-e.co.jp/entertainment/00306.html ディスカバリー・エンタテインメントによる公式プロフィール]&lt;br /&gt;
* [http://www.discovery-e.co.jp/member/index.html オフィシャルメンバーズサイト （土岐田麗子 Movie）]&lt;br /&gt;
* [http://ameblo.jp/reiko-tokita/ 土岐田麗子オフィシャルブログ トッキーのSTRAWBERRY TIME]　（GiRLSGATE）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚注 ==&lt;br /&gt;
&amp;lt;div class=&amp;quot;references-small&amp;quot;&amp;gt;&amp;lt;references /&amp;gt;&amp;lt;/div&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:1984年生|ときたれいこ]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本のファッションモデル|ときたれいこ]]&lt;br /&gt;
[[Category:JJモデル|ときたれいこ]]&lt;br /&gt;
[[Category:千葉県出身の人物|ときたれいこ]]&lt;br /&gt;
[[Category:GyaOジョッキー|ときたれいこ]]&lt;br /&gt;
[[Category:MIDTOWN TV|ときたれいこ]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>小川義行</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E7%9F%B3%E8%89%AF%E9%87%91</id>
		<title>大石良金</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E7%9F%B3%E8%89%AF%E9%87%91"/>
				<updated>2007-11-24T01:28:07Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;小川義行: 誤った表記を、「Wikipedia:表記ガイド」や「現代仮名遣い」などに従って、望ましい表記に訂正した。&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''大石 良金''' （おおいし　よしかね　（主税　ちから）、[[元禄]]元年（[[1688年]]） - [[元禄]]16年[[2月3日 (旧暦)|2月4日]]（[[1703年]][[3月20日]]））は、[[江戸時代]]の[[武士]]。[[赤穂浪士]]の一人。幼名は松之丞。[[播磨国]][[赤穂藩]][[家老]][[大石良雄|大石内蔵助良雄]]の嫡男。母は[[大石りく|りく]]。弟に[[大石吉之進|大石吉之進良以]]、[[大石大三郎|大石大三郎良武]]。また妹に[[大石くう]]と[[大石るり]]がいる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
元禄14年（[[1701年]]）3月14日、主君[[浅野長矩|浅野内匠頭]]が[[江戸城]][[松之大廊下]]で[[吉良義央|吉良上野介]]に刃傷に及び、浅野内匠頭が即日[[切腹]]、赤穂藩は[[改易]]となった時は元服前の部屋住みの身分だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[赤穂城]]を[[江戸幕府|幕府]]の収城使[[脇坂安照|脇坂淡路守安照]]に引き渡した後、主税の父の内蔵助は遠林寺において藩政残務処理にあたったが、この間の5月11日、主税は生母りくや弟吉之進、妹くうとるりの四人を連れてりくの実家但馬豊岡藩家老[[石束毎公|石束源五兵衛毎公]]の屋敷へ向かった。この豊岡滞在中に主税は毎公より脇差を与えられた。その後、7月に内蔵助が[[京都]][[山科区|山科]]へ移り住むと、りくや主税たちも山科へ移る。このとき内蔵助は[[浪人]]となった旧赤穂藩士たちから誓紙[[血判状]]を受けて、浅野家御家再興運動に尽力中であった。主税は、12月に元服して義盟に加わった。翌元禄15年（[[1702年]]）4月、内蔵助は妻りくを離別して幼い子どもたちとともに再び実家の[[豊岡市|豊岡]]へ帰したが、主税は山科に残り父と行動を共にする。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
7月、内匠頭の弟[[浅野長広|浅野大学]]の[[広島市|広島]][[広島藩|浅野宗家]]への永預けが決まり、浅野家再興が絶望的となると、内蔵助は吉良上野介への[[仇討ち]]を決意した。9月、主税は内蔵助に先立って江戸に下り、垣見左内と名乗って江戸市中に潜伏した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
12月15日未明。47人の赤穂浪士は吉良上野介の屋敷へ討ち入り、主税は裏門隊の大将を務めた。激闘の末に浪士たちは吉良上野介を討ち果たして、本懐を果たした。赤穂浪士一行は[[泉岳寺]]へ引き上げ浅野内匠頭の墓前に吉良上野介の首級を供え仇討ちを報告した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
幕府は赤穂浪士を4大名家にお預けとし、主税は[[堀部安兵衛]]、[[大高源五]]らとともに[[松平定直|松平隠岐守]]の屋敷へ預けられた。翌元禄16年（[[1703年]]）2月4日、幕府より赤穂浪士へ切腹が命じられ、主税は同家お預けの10人のうち最初に切腹を仰せ付かった。享年16。最年少の同志だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
主税は、当時としては大柄であり身長は172㎝前後あったという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==関連==&lt;br /&gt;
*[[元禄赤穂事件]]&lt;br /&gt;
*[[赤穂浪士]]&lt;br /&gt;
*[[忠臣蔵]]&lt;br /&gt;
*[[大石神社]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[category:赤穂浪士|おおいしよしかね]]&lt;br /&gt;
[[category:江戸時代の人物|おおいしよしかね]]&lt;br /&gt;
[[Category:1688年生|おおいしよしかね]]&lt;br /&gt;
[[Category:1703年没|おおいしよしかね]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>小川義行</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E5%8C%96%E6%94%BE%E9%80%81</id>
		<title>文化放送</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E5%8C%96%E6%94%BE%E9%80%81"/>
				<updated>2007-10-06T11:22:29Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;小川義行: 誤った表記を、「Wikipedia:表記ガイド」などに従って、望ましい表記に訂正した。&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{Otheruses|[[日本]]のラジオ局|[[大韓民国|韓国]]の同名の放送局|文化放送 (韓国)}}&lt;br /&gt;
{{日本のラジオ局|&lt;br /&gt;
英項名=Nippon Cultural Broadcasting|英名=Nippon Cultural Broadcasting inc.|&lt;br /&gt;
地域=&amp;lt;li&amp;gt;&lt;br /&gt;
[[関東地方|関東広域圏]]&amp;lt;br /&amp;gt;&lt;br /&gt;
（[[東京都]]・[[茨城県]]・[[栃木県]]・&amp;lt;br /&amp;gt;&lt;br /&gt;
[[群馬県]]・[[埼玉県]]・&amp;lt;br /&amp;gt;&lt;br /&gt;
[[千葉県]]・[[神奈川県]]）|系列=[[全国ラジオネットワーク|NRN]]|&lt;br /&gt;
略=NCB(QR)|愛称=文化放送|コールサイン=QR|&lt;br /&gt;
年=1952年|月日=3月31日|郵便番号=105-8002|都道府県=東京都|&lt;br /&gt;
本社=[[港区 (東京都)|港区]][[浜松町]]1丁目31番地&amp;lt;br /&amp;gt;[[文化放送メディアプラス]]|&lt;br /&gt;
演奏所=本社と同じ|都市名=東京（川口）|周波数=1134kHz|出力=100|中継局=‐|&lt;br /&gt;
リンク=http://www.joqr.co.jp/index.html|&lt;br /&gt;
特記事項=[[1956年]][[2月13日]]までは[[財団法人]]日本文化放送協会が運営。&amp;lt;br /&amp;gt;[[2006年]][[7月19日]]に東京都[[港区 (東京都)|港区]][[浜松町]]に[[本社]]移転|&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''株式会社文化放送'''（ぶんかほうそう）は[[関東広域圏]]を[[放送対象地域]]とする[[ラジオ放送局|ラジオ局]]である。[[英称]]は'''Nippon Cultural Broadcasting inc.'''。略称は英称の頭文字から'''NCB'''となっているが、現在ではほとんど用いられず、専ら[[識別信号|コールサイン]]より'''QR'''を使用している。局のキャッチコピーは「ダイジナコト」（[[2007年]]現在）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{基礎情報 会社|&lt;br /&gt;
社名 = 株式会社文化放送|&lt;br /&gt;
英文社名 = Nippon Cultural Broadcasting inc.|&lt;br /&gt;
ロゴ = |&lt;br /&gt;
種類 = [[株式会社]]|&lt;br /&gt;
市場情報 = |&lt;br /&gt;
略称 = NCB(QR)|&lt;br /&gt;
国籍 = |&lt;br /&gt;
郵便番号 = 105-8002|&lt;br /&gt;
本社所在地 = [[東京都]][[港区 (東京都)|港区]][[浜松町]]1丁目31番地&amp;lt;br /&amp;gt;[[文化放送メディアプラス]]|&lt;br /&gt;
電話番号 = 03-5403-1111（代表）|&lt;br /&gt;
設立 = [[1956年]]（昭和31年）[[2月14日]]|&lt;br /&gt;
業種 = [[:Category:日本の情報・通信業|情報・通信業]]|&lt;br /&gt;
事業内容 = 一般放送事業など|&lt;br /&gt;
代表者 = [[代表取締役]][[社長]] [[三木明博]]|&lt;br /&gt;
資本金 = 1億9,200万円（2004年3月31日現在）|&lt;br /&gt;
売上高 = 181億4,000万円（連結売上高、2004年3月期実績）|&lt;br /&gt;
従業員数 = 166人（2004年3月31日現在）|&lt;br /&gt;
決算期 = 毎年3月31日|&lt;br /&gt;
主要株主 = [[聖パウロ修道会]]29.5%、[[集英社]]16.8%、[[小学館]]、[[講談社]]、[[大日本印刷]]、[[光文社]]、[[集英社]]、[[東映]]、[[家の光協会]]など|&lt;br /&gt;
主要子会社 = キューアールシー、セントラルミュージック、文化放送キャリアパートナーズ、文化放送キャリアゲート、AG ONE、文化放送メディアブリッジ|&lt;br /&gt;
関係する人物 = [[渋沢敬三]]、[[水野成夫]]|&lt;br /&gt;
外部リンク = [http://www.joqr.co.jp/ http://www.joqr.co.jp/]|&lt;br /&gt;
特記事項 = [[1956年]][[2月13日]]までは[[財団法人]]日本文化放送協会が運営。翌日、同協会から事業継承。&amp;lt;br /&amp;gt;[[2006年]][[7月19日]]に東京都[[港区 (東京都)|港区]][[浜松町]]に[[本社]]移転|&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
[[画像:JOQR.JPG|thumb|240px|文化放送新社屋（文化放送メディアプラス）]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 概説 ==&lt;br /&gt;
元々は[[カトリック教会|カトリック]][[修道院]]「[[聖パウロ修道会]]」が、カトリックの布教を目的に、1951年に設立した財団法人「日本文化放送協会」であった。1956年に、現在の株式会社に改組。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[ニッポン放送]]と長く提携関係にあり、ニッポン放送とともに、[[ラジオネットワーク]]「[[全国ラジオネットワーク|NRN]]」の[[キー局]]を務めている。以前は[[旺文社]]が資本参加していたため、夜間を中心に、受験や英会話など教育系の番組が多かったが（その名残か、現在も[[民間放送教育協会]]に加盟している）、[[1995年]]を境に番組編成を転換し、現在では[[アニメ]]関連の情報番組など、アニメファンに向けた番組（[[アニラジ]]）が多くなっている（[[文化放送 アニメ&amp;amp;ゲームゾーン]]を参照）。また、[[テレビ東京]]グループのアニメ専門のCS放送局・[[アニメシアターX|エー・ティー・エックス]]にも出資している。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
プロ野球中継は在京民放AM局で唯一、[[西武ライオンズ]]のナイター中継を平日に放送しているのが、大きな特色である。土日は、[[読売ジャイアンツ]]戦を中心に放送している（詳細は[[文化放送ライオンズナイター]]、[[文化放送ホームランナイター]]の項を参照）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
自社オリジナルソングとして『QRソング』（作詞・[[野坂昭如]]　作曲・[[いずみたく]]）がある（詳細は『[[QRソング]]』の記事を参照の事）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ニッポン放送と共同出資で、[[フジテレビジョン]]を設立した経緯から、[[フジサンケイグループ]]の一員であるが、文化放送本体と関連会社などを含めた[[文化放送グループ]]は、フジサンケイグループに含めない場合もある。このため、ロゴマークは所謂「[[目玉マーク]]」を用いず、同社オリジナルの物を使用している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その一方で、かつては[[旺文社]]が文化放送株式の35%強を保有する大株主であり、同時に日本教育テレビ（NETテレビ、現在の[[テレビ朝日]]）の大株主でもあった事から、[[1978年]]にテレビ朝日専務の[[岩本政敏]]が文化放送の社長に就任し、以降、テレビ朝日との関係が生じる。旺文社との絶縁後は、フジテレビと復縁し、再び協調関係が生まれているが、テレビ朝日との間にも依然として、様々な面での交流が続いている。&amp;lt;!--（1980年代末期には夕方の番組「街ラジオ・夜はキラキラ寺チャンネル」等で、その日の「[[ニュースステーション]]」の内容を当時のキャスターであった[[小宮悦子]]（代役で、他のキャスターの場合あり）が出演し、告知するコーナーが存在した。90年代の一時期、テレビ朝日制作番組の宣伝が文化放送で頻繁に流れていた事もあったが、現在はフジテレビの番組宣伝も聴かれる様になった。）--&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、西武ライオンズの中継を通して、[[西武グループ]]との関わりがあり、[[2004年]]秋頃の西武鉄道株問題に係る一件では、[[堤義明]]の要請を受け、[[コクド]]（2006年[[プリンスホテル]]に吸収合併）より[[西武鉄道]]株式を購入していた。当初[[2003年]]の株式公開を目指していたが、[[2005年]]2月の[[ライブドア]]によるニッポン放送株取得・筆頭株主化という事例等から見送られた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[教会]]や[[聖堂]]を思わせる四谷（東京都新宿区若葉1丁目5番地）の旧社屋は文化放送開局以来の物で、教会を改築して、内部に聖堂や[[聖歌隊]]のスペースも有り、キリスト教（カトリック）放送局であった事の名残をうかがわせていたが、老朽化により、[[2006年]][[7月24日]]をもって、放送業務が浜松町の新社屋に移転した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 放送局概要 ==&lt;br /&gt;
* 本社演奏所　〒105-8002　[[東京都]][[港区 (東京都)|港区]][[浜松町]]1丁目31番地 [[文化放送メディアプラス]]&lt;br /&gt;
* [[周波数]] 1134kHz（[[AMステレオ放送]]）&lt;br /&gt;
* [[空中線電力|出力]] 100kW&lt;br /&gt;
* 開局 [[1952年]][[3月31日]]&lt;br /&gt;
* [[識別信号|コールサイン]] JOQR&lt;br /&gt;
* 代表取締役社長　三木明博&lt;br /&gt;
* 5:00起点の24時間放送&lt;br /&gt;
*: 日曜深夜2:00～月曜早朝5:00は放送休止。但し、スペシャルウィーク（聴取率調査期間）中は、日曜も24時間放送を行う事がある。また、どの放送局でも（たとえ24時間放送を行おうが）、毎日起点の午前5時前には区切りとして（コールサインや出力を言う）、オープニングがあるものだが、同局は月曜早朝5時の休止明けの放送開始時にしか、オープニングが無い。&lt;br /&gt;
*: 第1週の日曜深夜の放送終了（QRソング）後、[[緊急警報放送]]の試験信号放送を実施。&lt;br /&gt;
* 送信所　[[埼玉県]][[川口市]]赤井3-9-16&lt;br /&gt;
*:この場所は元々[[日本放送協会|NHK]]東京第一（[[NHK放送センター|JOAK]]）、第二放送局（[[NHK放送センター|JOAB]]）の送信所だった。敷地内には[[サクラ|桜]]の木が多数植えられており、春には花見客に開放される。また、社員も、新入社員を中心に利用する。　&lt;br /&gt;
*:出力が[[TBSラジオ&amp;amp;コミュニケーションズ|TBSラジオ]]・[[ニッポン放送]]と共に、民放AMラジオ局で最も大きく、関東以外でも、[[広域関東圏]]（[[福島県]]・[[山梨県]]・[[長野県]]・[[新潟県]]・[[静岡県]]）・[[愛知県]]などで終日受信可能。&lt;br /&gt;
*:夜間は、放送エリア内でも、[[大韓民国|韓国]]の[[韓国放送公社|KBS]]の[[KBS韓民族放送]]（出力500kw）と[[混信]]する地域がある。KBS韓民族放送は[[朝鮮民主主義人民共和国]]（北朝鮮）向けの公然宣伝放送局であり、[[中華人民共和国]]東北部や[[サハリン]]の韓国系住民も聴取者としているため、高出力の放送を行っている。また、西日本などでは、[[京都放送|KBS京都]]の周波数が隣接しているため、混信の可能性がある。[[南方諸島]]では、電波を[[電離層]]が反射して届く夜間のみの受信に限られる地域がある。[[秋田県]]の[[大潟村]]付近などの東北地方の一部では、夕方に比較的良好に受信可能。&lt;br /&gt;
*:また、浜松町送信所が非常用に設置されており、川口送信所が非常の際には出力1kWで送信される。&lt;br /&gt;
**送信空中線　136.69m支線式円管柱（施工[[電機資材工業]]）&lt;br /&gt;
**放送機　1993年更新時RM-2000シリーズ50kW×2（[[東芝]]）3kWユニット　3kW変調増幅器（MO）で終段には[[MOSFET]] 2SK1745×13本、3KW電力増幅器（PA）同2SK1745×4本、使用FET総数1320本&lt;br /&gt;
**[[STL (放送)|STL]]　出力100mW、2m鏡面（プレート）パラボラ、LINEはNTTデジタル回線（192kbps、コーデックは[[APT]]）&lt;br /&gt;
**電源　6600V2系統を受配電盤、一部を高圧受電盤にて200Vに変換（200V用は主に冷却用空調機向け）&lt;br /&gt;
**非常用電源　自家発電装置500KVA（[[クボタ]]）&lt;br /&gt;
**送信局舎　鉄筋コンクリート2階　1階は送信機、ダミー盤室、自家発電室、受電室、整合器室etc、2階はフィルター室、冷却用送風機etc&lt;br /&gt;
**備考　1993年まで管球式送信機4台[うち送信管9F45（[[東芝]]製）1本（150kW）使用を1台]。1993年に完全個体化に更新。3月29日に火入れ式を行い正式運営。この更新に合わせて、送信局舎も1階約212㎡、2階約94㎡[[戸田建設]]施工で増築した。アースも240本新たに張り巡らした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[画像:文化放送四谷旧社屋(2006).jpg|thumb|240px|文化放送四谷旧社屋（2006年撮影）]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 沿革 ==&lt;br /&gt;
* カトリック修道会「聖パウロ女子修道会」は、パウロ・マルセリーノ（パオロ・マルチェリーノ）神父（聖パウロ修道会日本管区長）の発案でマスメディアによるカトリックの布教を目的に[[放送局]]の設置を計画。[[電波法]]5条に抵触しないようマルセリーノ神父は[[帰化]]し「丸瀬利能」に改名。&lt;br /&gt;
* [[1948年]]12月 - [[逓信省]]電波局に、「財團法人セントポール放送協會」（「セントポール」は聖パウロの英語読み）の設立許可を申請。[[1949年]]には東京都新宿区若葉1丁目5番地の旧社屋の建築を開始。社屋には[[聖堂]]も設置された。&lt;br /&gt;
* [[1951年]]1月 - 電波管理委員会に「無線局免許申請書」を提出。電波管理委員会が[[宗教]]放送に難色を示したため、東京ラジオセンター、ラジオ東都との免許申請一本化が促された。[[2月13日]]「財団法人日本文化放送協会」と改称、[[4月21日]]予備免許交付。12月には[[埼玉県]][[川口市]]の送信所敷地内に[[修道院]]が設置された（[[1952年]]末閉鎖）。&lt;br /&gt;
* 1952年[[3月31日]] - 午前5時30分より全国9番目、東京で2番目の本放送開始。周波数1310kc、出力10kWだったが、1953年[[8月15日]]に1130kcに変更。民放には珍しく『[[大学受験ラジオ講座]]』などラジオ教育番組の放送が、教育出版で知られる[[旺文社]]がスポンサーとなって開始される。&lt;br /&gt;
* [[日本放送協会|NHK]]の[[レッドパージ]]組を大量採用した事が原因で放送開始直後から常に[[労働争議]]に悩まされ、これがもとで経営状態が悪化。聖パウロ修道会は経営から手を引くこととなった。代わって[[東京急行電鉄]]や旺文社等財界・出版界の出資による'''株式会社文化放送'''が[[1956年]]に設立され、[[2月14日]]事業が引き継がれた。時の[[経団連]]理事・国策パルプ社長（後の[[産経新聞]]社長・[[フジテレビジョン|フジテレビ]]初代社長）[[水野成夫]]が社長に就任。&lt;br /&gt;
* [[1956年]]6月22日 - [[日本フィルハーモニー交響楽団]]を結成。専属とする（[[1972年]][[6月30日]]に解団）。&lt;br /&gt;
* [[1957年]] - 東京地区のテレビ免許割り当てで、[[ニッポン放送]]と共同で[[フジテレビジョン]]を設立した。以来、ニッポン放送やフジテレビとの提携関係が現在まで続いており、[[1967年]]には[[フジサンケイグループ]]を合同で組織する。&lt;br /&gt;
* [[1965年]] - ニッポン放送などと共同で全国民放ラジオ31社を結ぶ[[全国ラジオネットワーク]]（NRN）発足。&lt;br /&gt;
:土曜・日曜でのナイター中継を本格的にスタート（当時は[[東海ラジオ放送]]（土日）、[[毎日放送]]（土）、[[朝日放送]]（日）、[[中国放送]]（裏送り）のネットワーク）。&lt;br /&gt;
:『真夜中のリクエストコーナー』スタート（現在の[[深夜放送]]の草分け）。&lt;br /&gt;
* [[1967年]][[4月3日]] - 24時間放送開始（東京キー局では、ニッポン放送に続いて、2局目）。&lt;br /&gt;
* [[1968年]] - 『[[新宿音楽祭]]』開始（フジテレビ共催。歌手の新人賞の一つ）。&lt;br /&gt;
* [[1968年]][[11月18日]] - 深夜放送『[[日野ミッドナイトグラフィティ 走れ!歌謡曲]]』開始。&lt;br /&gt;
* [[1969年]][[6月2日]] - 深夜放送『[[セイ!ヤング]]』開始。&lt;br /&gt;
* [[1973年]] - [[大相撲]]中継を復活。『[[大相撲熱戦十番]]』を放送（[[大阪放送|ラジオ大阪]]との共同制作）。&lt;br /&gt;
* [[1976年]] - 産業経済新聞社と東京急行電鉄の保有株式が旺文社に売却され、旺文社が大株主だった日本教育テレビ（NETテレビ、現在の[[テレビ朝日]]）に接近、フジサンケイグループ色が薄まる。&lt;br /&gt;
* [[1977年]] - 『[[日本大相撲トーナメント]]』（[[日本相撲協会]]・フジテレビ共催）開始。&lt;br /&gt;
* [[1978年]] - 当時の[[テレビ朝日]]専務の岩本政敏が文化放送の社長に就任し、文化放送とテレビ朝日との交流が本格的になる。&lt;br /&gt;
* [[1978年]][[11月23日]] - ITU（国際電気通信連合）の取り決めで周波数が9kHzステップへ移行。それに伴い、午前5時をもって、周波数を1134kHzに変更。&lt;br /&gt;
* [[1980年]][[10月6日]] - 夜ワイド『[[吉田照美のてるてるワイド|吉田照美の夜はこれから　てるてるワイド]]』開始。&lt;br /&gt;
* [[1982年]][[4月5日]] - 平日のナイター中継『[[文化放送ライオンズナイター]]』を開始（当初のタイトルは『ライオンズDJ』）。&lt;br /&gt;
* [[1987年]][[4月3日]] - 『[[吉田照美のてるてるワイド|吉田照美のふッかいあな]]』終了。&lt;br /&gt;
* [[1987年]][[4月6日]] - 昼ワイド『[[吉田照美のやる気MANMAN!]]』開始。&lt;br /&gt;
* [[1992年]][[3月15日]] - 午前9時から[[AMステレオ放送]]の本放送を開始。&lt;br /&gt;
* [[1994年]][[1月2日]]・[[1月3日|3日]] - 『第70回[[東京箱根間往復大学駅伝競走]]（箱根駅伝）』を放送。以後毎年放送される（[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]協力）。&lt;br /&gt;
* [[1995年]][[4月2日]] - 大株主の旺文社が、スポンサーの『大学受験ラジオ講座』が放送終了。&lt;br /&gt;
* [[1999年]][[6月10日]] - 時の記念日に時報の音がピ・ピ・ピ・ポーンから「[[QRソング]]」をアレンジした物へと変更される（ただし、現在でも野球中継の時間に流れる時報は従来のものである。また、浜松町移転後は午前5時から夕方6時にかけて時報音の後に鐘楼の音が付け加えられている）。&lt;br /&gt;
* [[2000年]][[12月1日]] - [[BSフジ]]の[[超短波放送]]チャンネルの一つ、同局が制作を担当する「[[BSQR489]]」の放送開始。&lt;br /&gt;
* [[2001年]] - 20%強保有していたフジテレビ株式の大部分を外部に売却し、その売却益で旺文社が持つ全ての自社株式を購入。直ちにこれを償却して、旺文社と絶縁。一層独自色が強まる（なお、残余金は浜松町新社屋の建設資金に充当された）。&lt;br /&gt;
* [[2003年]][[10月10日]] - [[デジタルラジオ推進協会]]が[[デジタルラジオ|地上デジタルラジオ]]の実験放送を開始。そのチャンネルの一つ、DigiQ+N 93 を[[エフエムナックファイブ|NACK5]]やテレビ朝日と共同で制作開始（テレビ朝日はその後撤退）。&lt;br /&gt;
* [[2005年]][[9月16日]] - [[ポッドキャスティング]]サービス、「[[Podcast QR]]」を開始。&lt;br /&gt;
* [[2006年]][[3月15日]] - [[秋葉原]]の「[[東京アニメセンター]]」に[[サテライトスタジオ]]を開設。&lt;br /&gt;
* 2006年[[3月31日]] - BSフジの超短波放送チャンネル撤退にともない、「BSQR489」の放送が終了。 &lt;br /&gt;
* 2006年[[7月19日]] - [[東日本旅客鉄道|JR]][[浜松町駅]]北口近くに新築した新社屋「[[文化放送メディアプラス]]」へ移転、2006年7月24日13時の『吉田照美のやる気MANMAN!』から新社屋での放送業務開始。新宿区若葉の旧社屋は解体。&lt;br /&gt;
*[[2007年]][[1月10日]] - 社内の機構改革により、アナウンサーがスポーツ中継の番組制作も担当するという、いわゆるアナデューサー形態を取る体制を発表。男性アナウンサー8人がアナウンス部からスポーツ部へ異動となった。それに伴い、それまでの番組ディレクターなどはスポーツ部を離れ他部へ異動となり、スポーツ部はスポーツアナウンサーだけで運営する部署となった。&lt;br /&gt;
* 2007年[[3月12日]] - DigiQ+N 93 にて、アニメ・ゲーム・声優関連の番組枠[[Voice of A&amp;amp;G Digital 超ラジ!]]を開始&lt;br /&gt;
* 2007年[[3月30日]] - 『吉田照美のやる気MANMAN!』終了。20年の歴史に幕。&lt;br /&gt;
* 2007年[[4月2日]] - DigiQ+N 93のステーションネームを、[[UNIQue the RADIO]]に変更&lt;br /&gt;
* 2007年[[9月3日]] - UNIQue the RADIOを大幅に改編し、アニメ・ゲーム・声優関連番組は専門のチャンネル[[超!A&amp;amp;G+]]に独立させる&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== キャッチコピーの変遷 ==&lt;br /&gt;
*～1984年頃 - 不明&lt;br /&gt;
*1984年頃～1987年頃 - 楽しさイメージ無限大、文化放送&lt;br /&gt;
*1987年頃～1989年頃 - 1134、イイザンス&lt;br /&gt;
*1989年頃～1990年頃 - アッと言わせる　文化放送&lt;br /&gt;
*1992年3月～1993年3月 - ステレオ文化放送&lt;br /&gt;
*1993年4月～1994年3月 - 不明&lt;br /&gt;
*1994年4月～1997年3月 - しあわせ、いっしょ。福ミミラジオ&lt;br /&gt;
*1997年4月～1999年3月 - 熱愛発覚&lt;br /&gt;
*1999年4月～2001年3月 - 新世紀ステーション　文化放送&lt;br /&gt;
*2001年4月～2002年3月 - 文化おもしろ革命ィ～ッ!&lt;br /&gt;
*2002年4月～2003年3月 - どっきん!?　文化放送&lt;br /&gt;
*2003年4月～2006年3月 - ファミリー!　文化放送&lt;br /&gt;
*2006年4月～2007年3月 - おつきあい　文化放送&lt;br /&gt;
*2007年4月～ - ダイジナコト　文化放送&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
基本的には、1960年に製作されたテーマソング『[[QRソング]]』のイメージが強く、キャッチコピーは定着しないまま、短命に終わる事が多い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1984年以前は『QRソング』に加え「報道の文化放送」というイメージが強かった。当時の平日の夜間時間帯は、教会側の意向で、ニュースや『[[大学受験ラジオ講座]]』『[[百万人の英語]]』といった報道や教育系の硬い番組が並び、深夜の『[[セイ!ヤング]]』へ繋がっていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお、ステーションキャラクターとして、「チャッタくん」があった（1997年4月より使用。『QRソング』冒頭の一節「聴い'''ちゃった'''」と「'''[[チャット]]'''」を掛け合わせた物。名称は公募で決定。あまり定着せず、現在は使用されていない）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 番組 ==&lt;br /&gt;
*一般番組は[[文化放送番組一覧]]、アニメ系番組は[[文化放送 アニメ&amp;amp;ゲームゾーン#番組一覧|文化放送 アニメ&amp;amp;ゲームゾーン]]をそれぞれ参照。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 在籍中のアナウンサー ==&lt;br /&gt;
※名前は通常の番組で使われているもの。ニックネームがある場合は「」で掲載。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== アナウンス部所属 ===&lt;br /&gt;
;男性 &lt;br /&gt;
* [[太田英明]]&lt;br /&gt;
* [[鈴木光裕]]（[[福島テレビ]]→[[東海ラジオ放送|東海ラジオ]]出身）&lt;br /&gt;
* [[砂山大輔]]（本名：砂山圭太郎、「K太郎」）&lt;br /&gt;
* [[竹内靖夫]]（アナウンス部長。「バンブー竹内」）&lt;br /&gt;
* [[寺島尚正]]&lt;br /&gt;
* [[野村邦丸]]（本名：野村邦夫、[[茨城放送]]出身）&lt;br /&gt;
;女性&lt;br /&gt;
* [[伊藤佳子]]（[[宮崎放送]]から）&lt;br /&gt;
* [[石川真紀]]&lt;br /&gt;
* [[遠藤里沙]]（[[秋田放送]]から）&lt;br /&gt;
* [[鈴木純子]]（[[エフエム群馬]]から）&lt;br /&gt;
* [[水谷加奈]]&lt;br /&gt;
* [[吉田涙子]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== スポーツ部所属 ===&lt;br /&gt;
;男性&lt;br /&gt;
* [[飯塚治]]&lt;br /&gt;
* [[上野智広]]&lt;br /&gt;
* [[扇一平]]&lt;br /&gt;
* [[斉藤一美]]&lt;br /&gt;
* [[菅野詩朗]]（スポーツ部長）&lt;br /&gt;
* [[高橋将市]]&lt;br /&gt;
* [[長谷川太]]（「長谷川のび太」）&lt;br /&gt;
* [[槇嶋範彦]]（[[新潟テレビ21]]出身）&lt;br /&gt;
* [[松島茂]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 報道制作部所属 ===&lt;br /&gt;
;男性&lt;br /&gt;
* [[白井静雄]]&lt;br /&gt;
;女性&lt;br /&gt;
* [[高橋小枝子]]&lt;br /&gt;
* [[野中直子]]&lt;br /&gt;
*[[鈴木浩子(文化放送アナウンサー）|鈴木浩子]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 在籍していたアナウンサー ==&lt;br /&gt;
=== 男性 ===&lt;br /&gt;
* [[玉置宏]]&lt;br /&gt;
* [[細田勝]]&lt;br /&gt;
* [[佐藤やすし]]（佐藤靖）&lt;br /&gt;
* [[桂竜也]]&lt;br /&gt;
* [[土居まさる]]（平川巌彦）&lt;br /&gt;
* [[月岡逸弥]]&lt;br /&gt;
* [[みのもんた]]（御法川法男）&lt;br /&gt;
* [[戸谷真人]]&lt;br /&gt;
* [[大野勢太郎]]（大野正）&lt;br /&gt;
* [[中田秀作]]&lt;br /&gt;
* [[小森法孝]]（→[[北日本放送]]へ移籍）&lt;br /&gt;
* [[坂信一郎]]&lt;br /&gt;
* [[梶原しげる|梶原茂]]（現・梶原しげる）&lt;br /&gt;
* [[吉田照美]]&lt;br /&gt;
* [[青柳秀侑]]（現・映画評論家）&lt;br /&gt;
* [[矢野吉彦]]&lt;br /&gt;
* [[倉林由男]]（→[[日本テレビ]]へ報道部記者として移籍）&lt;br /&gt;
* [[傳井靖]]　（→NHKへ記者として移籍）&lt;br /&gt;
* [[北川義隆]]&lt;br /&gt;
* [[西山弘道]]（現・フリー[[ジャーナリスト]]、平河総合戦略研究所理事）&lt;br /&gt;
* [[鈴木敏]]（すずきびん、本名 敏夫（としお）現在は報道部デスク・国会キャップ）&lt;br /&gt;
* [[高橋民夫]]（現在は報道部、都庁担当記者。）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 女性 ===&lt;br /&gt;
* [[岡田苑子]]&lt;br /&gt;
* [[落合恵子]]（作家、[[クレヨンハウス]]主宰）&lt;br /&gt;
* [[小俣雅子]]（フリーアナウンサー、エッセイスト）&lt;br /&gt;
* [[残間里江子]]（プロデューサー）&lt;br /&gt;
* [[玉井美穂子]]&lt;br /&gt;
* [[永野景子]]（報道部記者）&lt;br /&gt;
* [[成田敦子]]&lt;br /&gt;
* [[藤木千穂]]（営業部）&lt;br /&gt;
* [[中西啓子]]&lt;br /&gt;
* [[丹羽孝子]]&lt;br /&gt;
* [[佐原裕子]]&lt;br /&gt;
* [[橋本美紀]]&lt;br /&gt;
* [[鈴木寛子]]&lt;br /&gt;
* [[佐々木なほ子]]&lt;br /&gt;
* [[前場美保子]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== その他 ==&lt;br /&gt;
===報道制作部===&lt;br /&gt;
「ニュースパレード」を始めとするニュース報道を担当。&lt;br /&gt;
スクープも多い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1970年11月25日午前、三島由紀夫が市ヶ谷の陸上自衛隊駐屯地に立て篭り演説をしたが&lt;br /&gt;
、これを全部録音したのは、文化放送だけだった。&lt;br /&gt;
駆けつけた記者が、マイクを木の枝に縛りつけて録音したエピソードは伝説となっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
記者会見やインタビューの際、テレビに映る&lt;br /&gt;
黒地に「文化放送」と白く書かれたマイクはトレードマークである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
現在は報道担当記者らが、ほぼ毎日書き綴るブログが&lt;br /&gt;
他の報道機関からも評判となっている。&lt;br /&gt;
（文化放送報道部日記）&lt;br /&gt;
http://www.joqr.co.jp/blog/news/&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===時報===&lt;br /&gt;
*不明～1977年3月、1978年10月10日~1979年12月31日&lt;br /&gt;
:鐘の音にポーン。鐘の音は「ウエストミンスターの鐘」に似た音階だった。当時は同様な時報を[[アール・エフ・ラジオ日本|ラジオ関東]]でも行っていた。&lt;br /&gt;
*1977年4月～1978年10月9日&lt;br /&gt;
:ポーン音のみに。この頃の時報スポットには色々な鳥の声が流れてた。&lt;br /&gt;
*1980年1月1日～1998年6月9日&lt;br /&gt;
:ポッ、ポッ、ポッ、ポーンというノーマルなものに。現在はスポーツ中継や番組中に正時跨ぎする時のみに流れる。&lt;br /&gt;
*1998年6月10日～&lt;br /&gt;
:オルゴール風のいわゆる[[QRソング]]のメロディにポーン。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===CM===&lt;br /&gt;
*月曜5:00から土曜24:00まで（プロ野球などのスポーツ中継中は除く）の[[時報]]CMはスジャータの[[めいらくグループ]]が提供している。それ以外の時間は別のスポンサー（2007年5月現在日曜10：00はコトブキP-マン（ここだけポーン音のみ）11:00は[[本家ちちや]]（[[草津温泉]][[饅頭]]）12:00～14:00は[[新進食品工業]]）やスポンサーなしの時報が流れている。このスジャータの時報は他に[[北海道放送|HBCラジオ]]・[[東北放送|TBCラジオ]]・[[中部日本放送|CBCラジオ]]・[[MBSラジオ]]・[[RKBラジオ]]でも放送されている。&lt;br /&gt;
*[[埼玉県]]の企業・自治体のCMが在京ラジオ局では[[TBSラジオ&amp;amp;コミュニケーションズ|TBSラジオ]]に次いで多く放送されている。&lt;br /&gt;
*2005年10月以降は以前同局の平日夜ワイド番組内でスポットCMを流していた[[牛乳石鹸共進社]]（～1994年秋頃）のラジオCMが土曜日を除き毎日朝～夕方までの時間で流れている。（スポットCM。[[PT]]扱い。）なお放送時間はおおむね、日曜日のみ朝10時前後の1回。月曜日から金曜日は3～4回。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==='''「文化放送」を冠した放送局'''===&lt;br /&gt;
いずれもテレビ単営局であり、それぞれの局とは資本や人事面で直接の関係はない。&lt;br /&gt;
*[[北海道文化放送]]（[[FNN]]/[[フジネットワーク|FNS]]系列）&lt;br /&gt;
*[[長崎文化放送]]（[[All-nippon News Network|ANN]]系列）&lt;br /&gt;
過去には「北陸文化放送」（現・[[北陸放送]] - テレビは[[JNN]]、ラジオは[[Japan Radio Network|JRN]]・NRN系列）もあった。また、[[大阪放送]]（ラジオ大阪 - NRN系列の準キー局）も開局前に「大阪文化放送」を名乗っていた。国外では[[大韓民国|韓国]]に同名の[[文化放送 (韓国)|文化放送]]（MBC）（テレビ・ラジオ兼営）が存在する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[BSQR489]]&lt;br /&gt;
* [[BBQR]]&lt;br /&gt;
* [[Podcast QR]]&lt;br /&gt;
* [[UNIQue the RADIO]]&lt;br /&gt;
* [[超!A&amp;amp;G+]]&lt;br /&gt;
* [[文化放送メディアプラス]]&lt;br /&gt;
* [[西武ライオンズ]]&lt;br /&gt;
* [[ラジオきらっと]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== グループ・フジサンケイグループ・系列放送局 ==&lt;br /&gt;
''詳細については以下の項目を参照してください。''&lt;br /&gt;
*グループ各社に関して・・・「[[文化放送グループ]]」&lt;br /&gt;
*フジサンケイグループ各社に関して・・・「[[フジサンケイグループ]]」&lt;br /&gt;
*系列放送局各社に関して・・・[[全国ラジオネットワーク|NRN]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==関係している放送事業者==&lt;br /&gt;
この項では、文化放送と資本的関係はないものの業務的に関係のある放送事業者を挙げる。&lt;br /&gt;
===西武ライオンズ戦に関係する放送事業者===&lt;br /&gt;
* [[エフエムナックファイブ|NACK5]]&lt;br /&gt;
* [[テレビ埼玉]]（テレ玉/[[独立局]]&amp;amp;[[首都圏トライアングル]]）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===その他===&lt;br /&gt;
;ラジオ&lt;br /&gt;
* [[中部日本放送]]、[[ラジオ関西]]、[[RKB毎日放送]]（NRNには属していないが、複数の文化放送の番組をネットしている）&lt;br /&gt;
* [[K-JAPAN]]（[[ハワイ]]にある日本人向け放送局、複数の文化放送の番組をネットしている）&lt;br /&gt;
;テレビ&lt;br /&gt;
* [[テレビ朝日]]（元の名称は、日本教育テレビ（NET）。旺文社資本や教育局として開局した経緯など、共通点が多い）&lt;br /&gt;
* [[テレビ東京]]（[[AT-X]]の出資や一部アニラジと[[アップフロントグループ]]の[[ハロー!プロジェクト]]などを通じて関係あり。ただし、直接の資本関係はない）&lt;br /&gt;
* [[日本テレビ放送網|日本テレビ]]（箱根駅伝中継や各種イベントなどで、協力体制にある）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
* [http://www.joqr.co.jp/ 文化放送]&lt;br /&gt;
* [http://www.joqr.co.jp/bbqr/index.html BBQR]&lt;br /&gt;
{{NRN}}&lt;br /&gt;
{{民間放送教育協会}}&lt;br /&gt;
{{Radio-Kanto}}&lt;br /&gt;
[[Category:文化放送|*1]]&lt;br /&gt;
[[Category:フジサンケイグループ|ふんかほうそう]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本のAMラジオ局|ふんかほうそう]]&lt;br /&gt;
[[Category:東京都のマスメディア|ふんかほうそう]]&lt;br /&gt;
[[Category:関東地方のラジオ局|ふんかほうそう]]&lt;br /&gt;
[[Category:西武ライオンズ|ふんかほうそう]]&lt;br /&gt;
[[Category:箱根駅伝|ふんかほうそう]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[en:Nippon Cultural Broadcasting]]&lt;br /&gt;
[[ko:문화방송 (일본)]]&lt;br /&gt;
[[zh:株式會社文化放送‎]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>小川義行</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AC%E3%83%81%E3%83%A7%E3%82%A6</id>
		<title>ガチョウ</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AC%E3%83%81%E3%83%A7%E3%82%A6"/>
				<updated>2007-10-01T17:28:17Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;小川義行: 漢字の誤り“咀嚢”を“嗉嚢”と訂正した。スペルの誤り &amp;quot;krop&amp;quot; を &amp;quot;crop&amp;quot; と訂正した。&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;[[画像:GOOSE.JPG|thumb|250px|ガチョウ]]&lt;br /&gt;
'''ガチョウ'''（鵞鳥、英goose）は、カモ目カモ科ガン亜科の鳥。[[雁]]の仲間。家禽。仏名はオア（oie）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
野生の[[雁]]（ガン，かり）を飼いならして[[家禽]]化したもの。ガンと形は似ているが、体は大きく太っており、飛ぶ力は全くない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
肉用としてよりも、[[肝臓]]を肥大化させた[[フォアグラ]]のほうが有名である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== フィクション ==&lt;br /&gt;
[[アーサー・コナン・ドイル]]の[[シャーロック・ホームズ]]シリーズ[[青い紅玉]]にガチョウにはないはずの（餌袋と訳される）[[食道]]の嗉嚢（そのう）（英語、crop）がある設定になっており、ドイルがなぜそうしたのか議論になっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[セルマ・ラーゲルレーヴ]]作の童話、『[[ニルスのふしぎな旅]]』では、雁の群れに「お前、飛べないだろう」とバカにされたガチョウのモルテンが、空を飛び、トムテ（[[スウェーデン]]での[[妖精]][[ノーム]]の一種）により小人にされた主人公ニルスとともに、その雁の群れと[[渡り]]を行う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==関連項目==&lt;br /&gt;
*[[ガチョウ足行進]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{bird-stub}}&lt;br /&gt;
[[Category:カモ科]]&lt;br /&gt;
[[Category:家禽|かちよう]]&lt;br /&gt;
[[Category:水鳥|かちよう]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[de:Gänse]]&lt;br /&gt;
[[en:Goose]]&lt;br /&gt;
[[es:Ganso]]&lt;br /&gt;
[[fr:Oie]]&lt;br /&gt;
[[he:אווז]]&lt;br /&gt;
[[ko:거위]]&lt;br /&gt;
[[nds:Gans]]&lt;br /&gt;
[[nl:Gans (vogel)]]&lt;br /&gt;
[[pl:Gęśce]]&lt;br /&gt;
[[pt:Ganso]]&lt;br /&gt;
[[sr:Гуска]]&lt;br /&gt;
[[sv:Gås]]&lt;br /&gt;
[[zh:鹅]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>小川義行</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AC%E3%83%81%E3%83%A7%E3%82%A6</id>
		<title>ガチョウ</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AC%E3%83%81%E3%83%A7%E3%82%A6"/>
				<updated>2007-10-01T17:22:27Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;小川義行: Undo revision 15225381 by 小川義行 (会話)&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;[[画像:GOOSE.JPG|thumb|250px|ガチョウ]]&lt;br /&gt;
'''ガチョウ'''（鵞鳥、英goose）は、カモ目カモ科ガン亜科の鳥。[[雁]]の仲間。家禽。仏名はオア（oie）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
野生の[[雁]]（ガン，かり）を飼いならして[[家禽]]化したもの。ガンと形は似ているが、体は大きく太っており、飛ぶ力は全くない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
肉用としてよりも、[[肝臓]]を肥大化させた[[フォアグラ]]のほうが有名である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== フィクション ==&lt;br /&gt;
[[アーサー・コナン・ドイル]]の[[シャーロック・ホームズ]]シリーズ[[青い紅玉]]にガチョウにはないはずの（餌袋と訳される）[[食道]]の咀嚢（そのう）（英語、krop）がある設定になっており、ドイルがなぜそうしたのか議論になっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[セルマ・ラーゲルレーヴ]]作の童話、『[[ニルスのふしぎな旅]]』では、雁の群れに「お前、飛べないだろう」とバカにされたガチョウのモルテンが、空を飛び、トムテ（[[スウェーデン]]での[[妖精]][[ノーム]]の一種）により小人にされた主人公ニルスとともに、その雁の群れと[[渡り]]を行う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==関連項目==&lt;br /&gt;
*[[ガチョウ足行進]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{bird-stub}}&lt;br /&gt;
[[Category:カモ科]]&lt;br /&gt;
[[Category:家禽|かちよう]]&lt;br /&gt;
[[Category:水鳥|かちよう]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[de:Gänse]]&lt;br /&gt;
[[en:Goose]]&lt;br /&gt;
[[es:Ganso]]&lt;br /&gt;
[[fr:Oie]]&lt;br /&gt;
[[he:אווז]]&lt;br /&gt;
[[ko:거위]]&lt;br /&gt;
[[nds:Gans]]&lt;br /&gt;
[[nl:Gans (vogel)]]&lt;br /&gt;
[[pl:Gęśce]]&lt;br /&gt;
[[pt:Ganso]]&lt;br /&gt;
[[sr:Гуска]]&lt;br /&gt;
[[sv:Gås]]&lt;br /&gt;
[[zh:鹅]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>小川義行</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%92%E3%81%84%E7%B4%85%E7%8E%89</id>
		<title>青い紅玉</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%92%E3%81%84%E7%B4%85%E7%8E%89"/>
				<updated>2007-10-01T17:19:23Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;小川義行: 漢字の誤り“咀嚢”を“嗉嚢”と訂正した。スペルの誤り &amp;quot;krop&amp;quot; を &amp;quot;crop&amp;quot; と訂正した。&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{| style=&amp;quot;float:right;&amp;quot;&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|{{文学}}&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|{{シャーロック・ホームズ|1892年|シャーロック・ホームズの冒険|コミッショネアのピーターソン|不明。1889年?|青い紅玉の盗難事件}}&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
'''青い紅玉''' ('''The Adventure of the Blue Carbuncle'''、[[1892年]])は、[[アーサー・コナン・ドイル]]の[[シャーロック・ホームズシリーズ]]作品の1つ。「ブルーカーバンクル」を『青いガーネット』と訳されていることもある。「[[ストランド・マガジン]]」1892年1月号初出。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
第一短編集の[[シャーロック・ホームズの冒険]]に収録されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{netabare}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==あらすじ==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
年代は明記されていないが、[[ジョン・H・ワトスン|ワトソン]]が[[シャーロック・ホームズ|ホームズ]]と同居していないことから、ワトソンが結婚中の[[1889年]]に起こった事件であるという説が[[シャーロキアン|研究家]]の中では有力である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
クリスマスの朝、コミッショネア（退役軍人。翻訳によっては「便利屋」「配達夫」とも）のピーターソンが喧嘩の現場で拾ったという帽子と[[ガチョウ]]をホームズの元に届けてきた。ガチョウはピーターソンのものとなったが、その 餌袋（英語、crop、鳥の[[食道]]にある[[嗉嚢]](そのう)のこと。ここでは餌袋と訳されている）の中から、ある貴族が盗まれて[[懸賞金]]をかけている青い[[ガーネット]]が見つかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==矛盾点==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ピーターソンが拾った帽子からホームズが推理したことは、いくつもの点で論理的に成り立たない部分が見られる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、ガチョウには餌袋が存在しないのではないかということも、連載当時から議論となっていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
さらに、このガーネットが中国のアモイ川で発見されたとなっているが、中国ではガーネットは産出されず、また中国に[[アモイ]]という地名はあるがアモイ川なる川は存在しない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そして最大の問題は、紅玉（ガーネット）と呼ばれる宝石の中で、青色をしたものがその当時発見されていないことである（1990年代の後半[[タンザニア]]や[[マダガスカル]]の一部のガーネットは、蛍光灯のもとでは、ブルーを呈することが発見された）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
結局、「青い紅玉」というタイトルは作者コナン・ドイルの読者に対する洒落ではないかというのが、妥当な結論である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、日本語訳では紅玉と書いて「[[ルビー]]」と読ませることがあるが（『[[名探偵ホームズ]]』など）、ルビーは[[サファイア]]と組織が同じ鉱物で、赤いものをルビー、それ以外をサファイアと呼ぶ。つまり青いルビーは単なるサファイアである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:シャーロック・ホームズ|あおいこうきよく]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[en:The Adventure of the Blue Carbuncle]]&lt;br /&gt;
[[pl:Błękitny Karbunkuł]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>小川義行</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88:%E9%9D%92%E3%81%84%E7%B4%85%E7%8E%89</id>
		<title>ノート:青い紅玉</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88:%E9%9D%92%E3%81%84%E7%B4%85%E7%8E%89"/>
				<updated>2007-10-01T17:08:40Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;小川義行: /* “そ嚢”すなわち“餌袋（えぶくろ）”ではないのか */ 新しい節&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;== 漢字の誤り“咀嚢”を“嗉嚢”と訂正した。 ==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2005年2月23日 (水) 06:41の版において“咀嚢”を最初に入力したIzayohi氏およびその後の編集において“咀嚢”をそのままにしておいた諸氏は、その出典を述べられたい。&lt;br /&gt;
とりあえず KanjiDB  - bird's crop or craw (http://www.whiteknightlogic.net/kanjidb/kanji_pages/k8fb5f9.php) および KanjiDB  - bird's crop or craw (http://www.whiteknightlogic.net/kanjidb/kanji_pages/k8fb5f9.php) 、および KanjiDB 嚢 - pouch (http://www.whiteknightlogic.net/kanjidb/kanji_pages/kc7b9.php) にしたがって“嗉嚢”と訂正しておく。&lt;br /&gt;
ちなみに、“咀”の意味は、 KanjiDB 咀 - bite (http://www.whiteknightlogic.net/kanjidb/kanji_pages/kd2f2.php) によれば、       &amp;quot;bite&amp;quot; および &amp;quot;eat&amp;quot; すなわち“噛む”である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお、 google で検索したら krop 咀嚢 - Google 検索 (http://www.google.co.jp/search?as_q=krop+&amp;amp;hl=ja&amp;amp;num=100&amp;amp;btnG=Google+%E6%A4%9C%E7%B4%A2&amp;amp;as_epq=%E5%92%80%E5%9A%A2&amp;amp;as_oq=&amp;amp;as_eq=&amp;amp;lr=&amp;amp;as_ft=i&amp;amp;as_filetype=&amp;amp;as_qdr=all&amp;amp;as_occt=any&amp;amp;as_dt=i&amp;amp;as_sitesearch=&amp;amp;as_rights=) において15 件ヒットした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
このように誰かが犯した過ちが流用されて流布しているふしがある。ウィキペディア内にあるこれらの間違いをすべて訂正する必要がある。&lt;br /&gt;
--[[利用者:小川義行|小川義行]] 2007年10月1日 (月) 16:47 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== スペルの誤り &amp;quot;krop&amp;quot; を &amp;quot;crop&amp;quot; と訂正した。 ==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2005年2月23日 (水) 06:41の版において&amp;quot;krop&amp;quot; を最初に入力したIzayohi氏およびその後の編集において &amp;quot;krop&amp;quot; をそのままにしておいた諸氏は、その出典を述べられたい。&lt;br /&gt;
とりあえず KanjiDB  - bird's crop or craw (http://www.whiteknightlogic.net/kanjidb/kanji_pages/k8fb5f9.php) や   Crop (anatomy) - Wikipedia, the free encyclopedia (http://en.wikipedia.org/wiki/Crop_%28anatomy%29) や crop definition - Dictionary - MSN Encarta (http://encarta.msn.com/dictionary_/crop.html) や Cambridge Dictionaries Online - Cambridge University Press&lt;br /&gt;
(http://dictionary.cambridge.org/define.asp?key=18441&amp;amp;dict=CALD) にしたがって &amp;quot;crop&amp;quot; と訂正しておく。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお、 google で検索したら krop 咀嚢 - Google 検索 (http://www.google.co.jp/search?as_q=krop+&amp;amp;hl=ja&amp;amp;num=100&amp;amp;btnG=Google+%E6%A4%9C%E7%B4%A2&amp;amp;as_epq=%E5%92%80%E5%9A%A2&amp;amp;as_oq=&amp;amp;as_eq=&amp;amp;lr=&amp;amp;as_ft=i&amp;amp;as_filetype=&amp;amp;as_qdr=all&amp;amp;as_occt=any&amp;amp;as_dt=i&amp;amp;as_sitesearch=&amp;amp;as_rights=) において15 件ヒットし、 krop &amp;quot;そのう&amp;quot; - Google (http://www.google.co.jp/search?as_q=krop&amp;amp;hl=ja&amp;amp;num=100&amp;amp;btnG=Google+%E6%A4%9C%E7%B4%A2&amp;amp;as_epq=%E3%81%9D%E3%81%AE%E3%81%86&amp;amp;as_oq=&amp;amp;as_eq=&amp;amp;lr=&amp;amp;as_ft=i&amp;amp;as_filetype=&amp;amp;as_qdr=all&amp;amp;as_occt=any&amp;amp;as_dt=i&amp;amp;as_sitesearch=&amp;amp;as_rights=) において13 件ヒットし、&lt;br /&gt;
krop そ嚢 - Google 検索 (http://www.google.co.jp/search?as_q=krop&amp;amp;hl=ja&amp;amp;num=100&amp;amp;btnG=Google+%E6%A4%9C%E7%B4%A2&amp;amp;as_epq=%E3%81%9D%E5%9A%A2&amp;amp;as_oq=&amp;amp;as_eq=&amp;amp;lr=&amp;amp;as_ft=i&amp;amp;as_filetype=&amp;amp;as_qdr=all&amp;amp;as_occt=any&amp;amp;as_dt=i&amp;amp;as_sitesearch=&amp;amp;as_rights=) で3件エスペラント語に関するサイトがヒットしたが、間違えてエスペラント語を持ってきてはいないか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
このように誰かが犯した過ちが流用されて流布しているふしがある。ウィキペディア内にあるこれらの間違いをすべて訂正する必要がある。&lt;br /&gt;
--[[利用者:小川義行|小川義行]] 2007年10月1日 (月) 16:51 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== “そ嚢”すなわち“餌袋（えぶくろ）”ではないのか ==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2005年2月23日 (水) 06:41の版において Izayohi氏は、(餌袋ではなく、そ嚢と訳すべきでしょう) と述べているが、その&lt;br /&gt;
出典を述べられたい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
餌袋 そ嚢 - Google 検索 (http://www.google.co.jp/search?as_q=%E9%A4%8C%E8%A2%8B+%E3%81%9D%E5%9A%A2&amp;amp;hl=ja&amp;amp;num=100&amp;amp;btnG=Google+%E6%A4%9C%E7%B4%A2&amp;amp;as_epq=&amp;amp;as_oq=&amp;amp;as_eq=&amp;amp;lr=&amp;amp;as_ft=i&amp;amp;as_filetype=&amp;amp;as_qdr=all&amp;amp;as_occt=any&amp;amp;as_dt=i&amp;amp;as_sitesearch=&amp;amp;as_rights=) によれば、12件ほどヒットするのだが、それらのサイトにおいて、そ嚢は別名で餌袋（えぶくろ）と呼ぶとされているがいかがか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
Izayohi氏は、餌袋（えさぶくろ）と取っているのか。&lt;br /&gt;
--[[利用者:小川義行|小川義行]] 2007年10月1日 (月) 17:08 (UTC)&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>小川義行</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88:%E9%9D%92%E3%81%84%E7%B4%85%E7%8E%89</id>
		<title>ノート:青い紅玉</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88:%E9%9D%92%E3%81%84%E7%B4%85%E7%8E%89"/>
				<updated>2007-10-01T16:51:07Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;小川義行: /* スペルの誤り &amp;quot;krop&amp;quot; を &amp;quot;crop&amp;quot; と訂正した。 */ 新しい節&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;== 漢字の誤り“咀嚢”を“嗉嚢”と訂正した。 ==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2005年2月23日 (水) 06:41の版において“咀嚢”を最初に入力したIzayohi氏およびその後の編集において“咀嚢”をそのままにしておいた諸氏は、その出典を述べられたい。&lt;br /&gt;
とりあえず KanjiDB  - bird's crop or craw (http://www.whiteknightlogic.net/kanjidb/kanji_pages/k8fb5f9.php) および KanjiDB  - bird's crop or craw (http://www.whiteknightlogic.net/kanjidb/kanji_pages/k8fb5f9.php) 、および KanjiDB 嚢 - pouch (http://www.whiteknightlogic.net/kanjidb/kanji_pages/kc7b9.php) にしたがって“嗉嚢”と訂正しておく。&lt;br /&gt;
ちなみに、“咀”の意味は、 KanjiDB 咀 - bite (http://www.whiteknightlogic.net/kanjidb/kanji_pages/kd2f2.php) によれば、       &amp;quot;bite&amp;quot; および &amp;quot;eat&amp;quot; すなわち“噛む”である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお、 google で検索したら krop 咀嚢 - Google 検索 (http://www.google.co.jp/search?as_q=krop+&amp;amp;hl=ja&amp;amp;num=100&amp;amp;btnG=Google+%E6%A4%9C%E7%B4%A2&amp;amp;as_epq=%E5%92%80%E5%9A%A2&amp;amp;as_oq=&amp;amp;as_eq=&amp;amp;lr=&amp;amp;as_ft=i&amp;amp;as_filetype=&amp;amp;as_qdr=all&amp;amp;as_occt=any&amp;amp;as_dt=i&amp;amp;as_sitesearch=&amp;amp;as_rights=) において15 件ヒットした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
このように誰かが犯した過ちが流用されて流布しているふしがある。ウィキペディア内にあるこれらの間違いをすべて訂正する必要がある。&lt;br /&gt;
--[[利用者:小川義行|小川義行]] 2007年10月1日 (月) 16:47 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== スペルの誤り &amp;quot;krop&amp;quot; を &amp;quot;crop&amp;quot; と訂正した。 ==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2005年2月23日 (水) 06:41の版において&amp;quot;krop&amp;quot; を最初に入力したIzayohi氏およびその後の編集において &amp;quot;krop&amp;quot; をそのままにしておいた諸氏は、その出典を述べられたい。&lt;br /&gt;
とりあえず KanjiDB  - bird's crop or craw (http://www.whiteknightlogic.net/kanjidb/kanji_pages/k8fb5f9.php) や   Crop (anatomy) - Wikipedia, the free encyclopedia (http://en.wikipedia.org/wiki/Crop_%28anatomy%29) や crop definition - Dictionary - MSN Encarta (http://encarta.msn.com/dictionary_/crop.html) や Cambridge Dictionaries Online - Cambridge University Press&lt;br /&gt;
(http://dictionary.cambridge.org/define.asp?key=18441&amp;amp;dict=CALD) にしたがって &amp;quot;crop&amp;quot; と訂正しておく。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお、 google で検索したら krop 咀嚢 - Google 検索 (http://www.google.co.jp/search?as_q=krop+&amp;amp;hl=ja&amp;amp;num=100&amp;amp;btnG=Google+%E6%A4%9C%E7%B4%A2&amp;amp;as_epq=%E5%92%80%E5%9A%A2&amp;amp;as_oq=&amp;amp;as_eq=&amp;amp;lr=&amp;amp;as_ft=i&amp;amp;as_filetype=&amp;amp;as_qdr=all&amp;amp;as_occt=any&amp;amp;as_dt=i&amp;amp;as_sitesearch=&amp;amp;as_rights=) において15 件ヒットし、 krop &amp;quot;そのう&amp;quot; - Google (http://www.google.co.jp/search?as_q=krop&amp;amp;hl=ja&amp;amp;num=100&amp;amp;btnG=Google+%E6%A4%9C%E7%B4%A2&amp;amp;as_epq=%E3%81%9D%E3%81%AE%E3%81%86&amp;amp;as_oq=&amp;amp;as_eq=&amp;amp;lr=&amp;amp;as_ft=i&amp;amp;as_filetype=&amp;amp;as_qdr=all&amp;amp;as_occt=any&amp;amp;as_dt=i&amp;amp;as_sitesearch=&amp;amp;as_rights=) において13 件ヒットし、&lt;br /&gt;
krop そ嚢 - Google 検索 (http://www.google.co.jp/search?as_q=krop&amp;amp;hl=ja&amp;amp;num=100&amp;amp;btnG=Google+%E6%A4%9C%E7%B4%A2&amp;amp;as_epq=%E3%81%9D%E5%9A%A2&amp;amp;as_oq=&amp;amp;as_eq=&amp;amp;lr=&amp;amp;as_ft=i&amp;amp;as_filetype=&amp;amp;as_qdr=all&amp;amp;as_occt=any&amp;amp;as_dt=i&amp;amp;as_sitesearch=&amp;amp;as_rights=) で3件エスペラント語に関するサイトがヒットしたが、間違えてエスペラント語を持ってきてはいないか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
このように誰かが犯した過ちが流用されて流布しているふしがある。ウィキペディア内にあるこれらの間違いをすべて訂正する必要がある。&lt;br /&gt;
--[[利用者:小川義行|小川義行]] 2007年10月1日 (月) 16:51 (UTC)&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>小川義行</name></author>	</entry>

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		<id>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88:%E9%9D%92%E3%81%84%E7%B4%85%E7%8E%89</id>
		<title>ノート:青い紅玉</title>
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				<updated>2007-10-01T16:47:57Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;小川義行: 漢字の誤り“咀嚢”を“嗉嚢”と訂正した。&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;== 漢字の誤り“咀嚢”を“嗉嚢”と訂正した。 ==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2005年2月23日 (水) 06:41の版において“咀嚢”を最初に入力したIzayohi氏およびその後の編集において“咀嚢”をそのままにしておいた諸氏は、その出典を述べられたい。&lt;br /&gt;
とりあえず KanjiDB  - bird's crop or craw (http://www.whiteknightlogic.net/kanjidb/kanji_pages/k8fb5f9.php) および KanjiDB  - bird's crop or craw (http://www.whiteknightlogic.net/kanjidb/kanji_pages/k8fb5f9.php) 、および KanjiDB 嚢 - pouch (http://www.whiteknightlogic.net/kanjidb/kanji_pages/kc7b9.php) にしたがって“嗉嚢”と訂正しておく。&lt;br /&gt;
ちなみに、“咀”の意味は、 KanjiDB 咀 - bite (http://www.whiteknightlogic.net/kanjidb/kanji_pages/kd2f2.php) によれば、       &amp;quot;bite&amp;quot; および &amp;quot;eat&amp;quot; すなわち“噛む”である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお、 google で検索したら krop 咀嚢 - Google 検索 (http://www.google.co.jp/search?as_q=krop+&amp;amp;hl=ja&amp;amp;num=100&amp;amp;btnG=Google+%E6%A4%9C%E7%B4%A2&amp;amp;as_epq=%E5%92%80%E5%9A%A2&amp;amp;as_oq=&amp;amp;as_eq=&amp;amp;lr=&amp;amp;as_ft=i&amp;amp;as_filetype=&amp;amp;as_qdr=all&amp;amp;as_occt=any&amp;amp;as_dt=i&amp;amp;as_sitesearch=&amp;amp;as_rights=) において15 件ヒットした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
このように誰かが犯した過ちが流用されて流布しているふしがある。ウィキペディア内にあるこれらの間違いをすべて訂正する必要がある。&lt;br /&gt;
--[[利用者:小川義行|小川義行]] 2007年10月1日 (月) 16:47 (UTC)&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>小川義行</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AC%E3%83%81%E3%83%A7%E3%82%A6</id>
		<title>ガチョウ</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AC%E3%83%81%E3%83%A7%E3%82%A6"/>
				<updated>2007-10-01T16:30:52Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;小川義行: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;[[画像:GOOSE.JPG|thumb|250px|ガチョウ]]&lt;br /&gt;
'''ガチョウ'''（鵞鳥、英goose）は、カモ目カモ科ガン亜科の鳥。[[雁]]の仲間。家禽。仏名はオア（oie）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
野生の[[雁]]（ガン，かり）を飼いならして[[家禽]]化したもの。ガンと形は似ているが、体は大きく太っており、飛ぶ力は全くない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
肉用としてよりも、[[肝臓]]を肥大化させた[[フォアグラ]]のほうが有名である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== フィクション ==&lt;br /&gt;
[[アーサー・コナン・ドイル]]の[[シャーロック・ホームズ]]シリーズ[[青い紅玉]]にガチョウにはないはずの（餌袋と訳される）[[食道]]の嗉嚢（そのう）（英語、crop）がある設定になっており、ドイルがなぜそうしたのか議論になっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[セルマ・ラーゲルレーヴ]]作の童話、『[[ニルスのふしぎな旅]]』では、雁の群れに「お前、飛べないだろう」とバカにされたガチョウのモルテンが、空を飛び、トムテ（[[スウェーデン]]での[[妖精]][[ノーム]]の一種）により小人にされた主人公ニルスとともに、その雁の群れと[[渡り]]を行う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==関連項目==&lt;br /&gt;
*[[ガチョウ足行進]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{bird-stub}}&lt;br /&gt;
[[Category:カモ科]]&lt;br /&gt;
[[Category:家禽|かちよう]]&lt;br /&gt;
[[Category:水鳥|かちよう]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[de:Gänse]]&lt;br /&gt;
[[en:Goose]]&lt;br /&gt;
[[es:Ganso]]&lt;br /&gt;
[[fr:Oie]]&lt;br /&gt;
[[he:אווז]]&lt;br /&gt;
[[ko:거위]]&lt;br /&gt;
[[nds:Gans]]&lt;br /&gt;
[[nl:Gans (vogel)]]&lt;br /&gt;
[[pl:Gęśce]]&lt;br /&gt;
[[pt:Ganso]]&lt;br /&gt;
[[sr:Гуска]]&lt;br /&gt;
[[sv:Gås]]&lt;br /&gt;
[[zh:鹅]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>小川義行</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88:%E3%82%AC%E3%83%81%E3%83%A7%E3%82%A6</id>
		<title>ノート:ガチョウ</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88:%E3%82%AC%E3%83%81%E3%83%A7%E3%82%A6"/>
				<updated>2007-10-01T16:24:52Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;小川義行: /* 漢字の誤り“咀嚢”を“嗉嚢”と訂正した。 */ 新しい節&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;== スペルの誤り &amp;quot;krop&amp;quot; を &amp;quot;crop&amp;quot; と訂正した。 ==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2005年10月17日 (月) 23:38の版において&amp;quot;krop&amp;quot; を最初に入力したIzayohi氏およびその後の編集において &amp;quot;krop&amp;quot; をそのままにしておいた諸氏は、その出典を述べられたい。&lt;br /&gt;
とりあえず KanjiDB  - bird's crop or craw (http://www.whiteknightlogic.net/kanjidb/kanji_pages/k8fb5f9.php) や   Crop (anatomy) - Wikipedia, the free encyclopedia (http://en.wikipedia.org/wiki/Crop_%28anatomy%29) や crop definition - Dictionary - MSN Encarta (http://encarta.msn.com/dictionary_/crop.html) や Cambridge Dictionaries Online - Cambridge University Press&lt;br /&gt;
(http://dictionary.cambridge.org/define.asp?key=18441&amp;amp;dict=CALD) にしたがって &amp;quot;crop&amp;quot; と訂正しておく。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお、 google で検索したら krop 咀嚢 - Google 検索 (http://www.google.co.jp/search?as_q=krop+&amp;amp;hl=ja&amp;amp;num=100&amp;amp;btnG=Google+%E6%A4%9C%E7%B4%A2&amp;amp;as_epq=%E5%92%80%E5%9A%A2&amp;amp;as_oq=&amp;amp;as_eq=&amp;amp;lr=&amp;amp;as_ft=i&amp;amp;as_filetype=&amp;amp;as_qdr=all&amp;amp;as_occt=any&amp;amp;as_dt=i&amp;amp;as_sitesearch=&amp;amp;as_rights=) において15 件ヒットし、 krop &amp;quot;そのう&amp;quot; - Google (http://www.google.co.jp/search?as_q=krop&amp;amp;hl=ja&amp;amp;num=100&amp;amp;btnG=Google+%E6%A4%9C%E7%B4%A2&amp;amp;as_epq=%E3%81%9D%E3%81%AE%E3%81%86&amp;amp;as_oq=&amp;amp;as_eq=&amp;amp;lr=&amp;amp;as_ft=i&amp;amp;as_filetype=&amp;amp;as_qdr=all&amp;amp;as_occt=any&amp;amp;as_dt=i&amp;amp;as_sitesearch=&amp;amp;as_rights=) において13 件ヒットし、&lt;br /&gt;
krop そ嚢 - Google 検索 (http://www.google.co.jp/search?as_q=krop&amp;amp;hl=ja&amp;amp;num=100&amp;amp;btnG=Google+%E6%A4%9C%E7%B4%A2&amp;amp;as_epq=%E3%81%9D%E5%9A%A2&amp;amp;as_oq=&amp;amp;as_eq=&amp;amp;lr=&amp;amp;as_ft=i&amp;amp;as_filetype=&amp;amp;as_qdr=all&amp;amp;as_occt=any&amp;amp;as_dt=i&amp;amp;as_sitesearch=&amp;amp;as_rights=) で3件エスペラント語に関するサイトがヒットしたが、間違えてエスペラント語を持ってきてはいないか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
このように誰かが犯した過ちが流用されて流布しているふしがある。ウィキペディア内にあるこれらの間違いをすべて訂正する必要がある。&lt;br /&gt;
--[[利用者:小川義行|小川義行]] 2007年10月1日 (月) 15:40 (UTC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 漢字の誤り“咀嚢”を“嗉嚢”と訂正した。 ==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2005年10月17日 (月) 23:38の版において“咀嚢”を最初に入力したIzayohi氏およびその後の編集において“咀嚢”をそのままにしておいた諸氏は、その出典を述べられたい。&lt;br /&gt;
とりあえず KanjiDB  - bird's crop or craw (http://www.whiteknightlogic.net/kanjidb/kanji_pages/k8fb5f9.php) および KanjiDB  - bird's crop or craw (http://www.whiteknightlogic.net/kanjidb/kanji_pages/k8fb5f9.php) 、および KanjiDB 嚢 - pouch (http://www.whiteknightlogic.net/kanjidb/kanji_pages/kc7b9.php) にしたがって“嗉嚢”と訂正しておく。&lt;br /&gt;
ちなみに、“咀”の意味は、 KanjiDB 咀 - bite (http://www.whiteknightlogic.net/kanjidb/kanji_pages/kd2f2.php) によれば、 &amp;quot;bite&amp;quot; および &amp;quot;eat&amp;quot; すなわち“噛む”である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお、 google で検索したら krop 咀嚢 - Google 検索 (http://www.google.co.jp/search?as_q=krop+&amp;amp;hl=ja&amp;amp;num=100&amp;amp;btnG=Google+%E6%A4%9C%E7%B4%A2&amp;amp;as_epq=%E5%92%80%E5%9A%A2&amp;amp;as_oq=&amp;amp;as_eq=&amp;amp;lr=&amp;amp;as_ft=i&amp;amp;as_filetype=&amp;amp;as_qdr=all&amp;amp;as_occt=any&amp;amp;as_dt=i&amp;amp;as_sitesearch=&amp;amp;as_rights=) において15 件ヒットした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
このように誰かが犯した過ちが流用されて流布しているふしがある。ウィキペディア内にあるこれらの間違いをすべて訂正する必要がある。&lt;br /&gt;
--[[利用者:小川義行|小川義行]] 2007年10月1日 (月) 16:24 (UTC)&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>小川義行</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88:%E3%82%AC%E3%83%81%E3%83%A7%E3%82%A6</id>
		<title>ノート:ガチョウ</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88:%E3%82%AC%E3%83%81%E3%83%A7%E3%82%A6"/>
				<updated>2007-10-01T15:40:45Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;小川義行: スペルの誤り &amp;quot;krop&amp;quot; を &amp;quot;crop&amp;quot; と訂正した。&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;== スペルの誤り &amp;quot;krop&amp;quot; を &amp;quot;crop&amp;quot; と訂正した。 ==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2005年10月17日 (月) 23:38の版において&amp;quot;krop&amp;quot; を最初に入力したIzayohi氏およびその後の編集において &amp;quot;krop&amp;quot; をそのままにしておいた諸氏は、その出典を述べられたい。&lt;br /&gt;
とりあえず KanjiDB  - bird's crop or craw (http://www.whiteknightlogic.net/kanjidb/kanji_pages/k8fb5f9.php) や   Crop (anatomy) - Wikipedia, the free encyclopedia (http://en.wikipedia.org/wiki/Crop_%28anatomy%29) や crop definition - Dictionary - MSN Encarta (http://encarta.msn.com/dictionary_/crop.html) や Cambridge Dictionaries Online - Cambridge University Press&lt;br /&gt;
(http://dictionary.cambridge.org/define.asp?key=18441&amp;amp;dict=CALD) にしたがって &amp;quot;crop&amp;quot; と訂正しておく。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお、 google で検索したら krop 咀嚢 - Google 検索 (http://www.google.co.jp/search?as_q=krop+&amp;amp;hl=ja&amp;amp;num=100&amp;amp;btnG=Google+%E6%A4%9C%E7%B4%A2&amp;amp;as_epq=%E5%92%80%E5%9A%A2&amp;amp;as_oq=&amp;amp;as_eq=&amp;amp;lr=&amp;amp;as_ft=i&amp;amp;as_filetype=&amp;amp;as_qdr=all&amp;amp;as_occt=any&amp;amp;as_dt=i&amp;amp;as_sitesearch=&amp;amp;as_rights=) において15 件ヒットし、 krop &amp;quot;そのう&amp;quot; - Google (http://www.google.co.jp/search?as_q=krop&amp;amp;hl=ja&amp;amp;num=100&amp;amp;btnG=Google+%E6%A4%9C%E7%B4%A2&amp;amp;as_epq=%E3%81%9D%E3%81%AE%E3%81%86&amp;amp;as_oq=&amp;amp;as_eq=&amp;amp;lr=&amp;amp;as_ft=i&amp;amp;as_filetype=&amp;amp;as_qdr=all&amp;amp;as_occt=any&amp;amp;as_dt=i&amp;amp;as_sitesearch=&amp;amp;as_rights=) において13 件ヒットし、&lt;br /&gt;
krop そ嚢 - Google 検索 (http://www.google.co.jp/search?as_q=krop&amp;amp;hl=ja&amp;amp;num=100&amp;amp;btnG=Google+%E6%A4%9C%E7%B4%A2&amp;amp;as_epq=%E3%81%9D%E5%9A%A2&amp;amp;as_oq=&amp;amp;as_eq=&amp;amp;lr=&amp;amp;as_ft=i&amp;amp;as_filetype=&amp;amp;as_qdr=all&amp;amp;as_occt=any&amp;amp;as_dt=i&amp;amp;as_sitesearch=&amp;amp;as_rights=) で3件エスペラント語に関するサイトがヒットしたが、間違えてエスペラント語を持ってきてはいないか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
このように誰かが犯した過ちが流用されて流布しているふしがある。ウィキペディア内にあるこれらの間違いをすべて訂正する必要がある。&lt;br /&gt;
--[[利用者:小川義行|小川義行]] 2007年10月1日 (月) 15:40 (UTC)&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>小川義行</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E5%8F%A3%E5%AF%BF%E5%8F%B2</id>
		<title>江口寿史</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E5%8F%A3%E5%AF%BF%E5%8F%B2"/>
				<updated>2007-09-26T18:16:34Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;小川義行: 2006年9月7日 (木) 03:49のマクガイア氏自身による加筆時の表記の誤りを、Yahoo!辞書 - もの【物】や「Wikipedia:表記ガイド」などに従って表記を訂正した。&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{独自調査}}&lt;br /&gt;
{{修正}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{漫画}}&lt;br /&gt;
'''江口 寿史'''（'''えぐち ひさし'''、[[1956年]][[3月29日]] - ）は日本の[[漫画家]]、[[イラストレーター]]。妻は元[[アイドル]]の[[水谷麻里]]。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「[[Weeklyぴあ]]」にて『[[キャラ者]]』を連載中。（2006年9月現在）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 概要 ==&lt;br /&gt;
[[熊本県]][[水俣市]]に生まれ、[[千葉県]][[流山市]]に育つ。[[千葉県立柏高等学校]]卒。代表作に『[[ストップ!! ひばりくん!]]』、『[[すすめ!!パイレーツ]]』、『[[江口寿史の爆発ディナーショー]]』など。&lt;br /&gt;
[[1977年]]に、『恐るべき子どもたち』でヤングジャンプ賞（現在の十二傑新人漫画賞）入選、同年『8時半の決闘』で第6回[[赤塚賞]]準入選、[[1978年]]には『名探偵はいつもスランプ』で第6回愛読者賞を受賞、また[[1992年]]には『江口寿史の爆発ディナーショー』で[[文藝春秋漫画賞]]を受賞している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
本来[[サブカルチャー]]的なものであった[[漫画]]界の中でもさらにメインストリームから離れていった、サブカルチャー漫画の旗手的な存在で、[[大友克洋]]らとともにニューウェーブの一翼を担う。[[1995年]]には自ら編集長となって「COMIC CUE」を創刊。[[松本大洋]]、[[望月峯太郎]]、[[よしもとよしとも]]などの意欲的な作家を集めるとともに、[[魚喃キリコ]]、[[古屋兎丸]]などの若手漫画家の発掘・育成等も手がけている。「COMIC CUE」創刊時、[[南Q太]]を「若手女性漫画家の筆頭」に挙げている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
初期は平凡な少年漫画の絵柄で、画力も高いとは言えなかったが、『ひばりくん』の頃から絵の上達等が顕著になり、[[デニーズジャパン|デニーズ]]のメニュー[[イラストレーション|イラスト]]を担当した事によってイラストレーターとしての地位を確かな物とする。洗練された絵柄で可愛い女の子を描くとして定評がある。近年では漫画家としてよりもイラストレーターとしての知名度の方が高いのが実情であるが、本人にとってあくまで本業は漫画家のようである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
商業誌に連載漫画を寄稿しなくなって久しいが、その[[ギャグ]]の質と綺麗な絵には定評があり、今なお根強い熱狂的なファンを持つ。一方で未完や落稿の多さから、漫画家としての資質を疑う声も強く、強いアンチも存在する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==略歴==&lt;br /&gt;
1977年にヤングジャンプ賞入選作である『恐るべき子どもたち』で「[[週刊少年ジャンプ]]」誌上においてデビューを飾り、同年連載デビュー作である『すすめ!!パイレーツ』の連載を開始する。質の高いギャグによってデビュー作から絶大な人気を集め、当時「[[週刊少年チャンピオン]]」で絶大な人気を誇っていた『[[マカロニほうれん荘]]』の[[鴨川つばめ]]と並び称される事となる。なお『パイレーツ』の後期より扉絵の構図などに[[イラストレーション]]として見せる為の工夫が見られ始める。その後『[[ひのまる劇場]]』の連載を挟み、1981年より自身の最大のヒット作となる『ストップ!! ひばりくん!』の連載を開始する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この頃より、江口のギャグと並びもう1つの大きな特徴である、「極めて洗練された画風」を確立するにつれ筆の遅さが目立ち始め、また「白いワニ」に比喩される「真っ白な原稿」=「ネタ切れ」にも悩まされる様になる。結果漫画家に厳しい「ジャンプ」としては破格の優遇を受けながらも『ひばりくん』を中断し、未完のまま放り出してしまう。なおこの事を持って「ジャンプに潰された漫画家」の代表例として江口が挙げられる事が非常に多いが、実情は少し異なる（詳細は[[#消えた漫画家|後述]]）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
以降作品の発表の場を「[[フレッシュジャンプ]]」に移し、『[[寿五郎ショウ#日の丸劇場|江口寿史の日の丸劇場]]』（単行本は『[[寿五郎ショウ]]』として発売）の連載をはじめる。この作品によって以降の江口漫画の主流となる「一話完結のショートギャグ」というスタイルを確立する。『日の丸劇場』の連載終了の翌月より同誌において、作者唯一のストーリー物の連載作品『[[「エイジ」]]』の連載を開始。第一部が終了した時点でいったん筆を休め、翌月から再びギャグ連載である『ラブ&amp;amp;ピース』の連載を開始するもわずか2回で投げ出す。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この頃より活動の場を集英社に限定せずに、「[[漫画アクション|weekly漫画アクション]]」（[[双葉社]]）で『[[ケンとエリカ|エリカの星]]』、「[[ビッグコミックスピリッツ]]」（[[小学館]]）で『[[パパリンコ物語]]』と他社での連載を始めるが、いずれも途中で投げ出す。その中にあって[[1986年]]から『日の丸劇場』と同じ形式で「[[あすか (雑誌)|月刊ASUKA]]」（[[角川書店]]）で連載された『[[江口寿史のなんとかなるでショ!]]』だけは、落稿もわずか1回に止め、円満終了を迎える。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1988年]]より「アクション」において、『日の丸劇場』、『なんとかなるでショ!』と同様のスタイルで『[[江口寿史の爆発ディナーショー]]』を連載。[[1992年]]に本作の単行本によって文藝春秋漫画賞を受賞する。なお、この受賞の際に選評で新人扱いされたという逸話がある。&lt;br /&gt;
『寿五郎ショウ』、『なんとかなるでショ!』、『爆発ディナーショー』の3冊の単行本はその内容・タイトルの類似性から『'''ショー三部作'''』とまとめて呼ばれ、質の高い江口ギャグの一つの集大成として高い評価を得ている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1989年]]4月～9月には、FM東京系の深夜放送番組[[スーパーFMマガジン]]「NORU SORU」のパーソナリティーを務める。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1990年]]、交際を続けていた元[[アイドル]]の[[水谷麻里]]と結婚（江口は2度目）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この頃より、その画風、画力も広く認められる事となり、イラストレーターとしての仕事が増えて来る。イラストの仕事は漫画に比べ拘束時間が短い上に金額も高い為か、徐々に仕事の中心がイラストの方へと移って行く。[[1992年]]より5年間担当した[[デニーズ]]のメニューイラストは彼にイラストレーターとしての不動の位置を与え、皮肉にも漫画家としての知名度を上回らせる事となる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1995年に至っては「COMIC CUE」の編集の仕事があったとは言え、発表された漫画は合計でわずか14ページであり、漫画家として事実上廃業状態となる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、[[1998年]]より「アクション」誌上において『[[キャラ者]]』の連載を開始し、連載漫画家としての復帰を果たす。毎週1ページと短く休載も多いながらも、途中で投げ出される事なく続いており、掲載誌を「weelkyぴあ・関東版」（[[ぴあ]]）に移し2006年9月現在も連載中である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2003年]]より放映を開始したTVアニメ『[[無人惑星サヴァイヴ]]』にキャラクター原案で参加。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2004年]]12月より「[[イブニング]]」にて月1連載の「寿丼」が始まるも、3回にて休載。作者のHPでは体勢建て直し中との事であったが、イブニング編集部より連載終了が正式に公表されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==遅筆・放棄==&lt;br /&gt;
江口は遅筆な事で有名であるが、遅筆のエピソードとしては、「ジャンプ」の[[愛読者賞]]用の作品『POCKY』が、途中から[[ネーム (漫画)|ネーム]]状態のまま掲載されるというものがある。そして遅筆の結果、印刷に間に合わずに落稿する事も多く、こうした悪癖を見越し、当初から不定期掲載を謳った連載も多い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
さらには落稿をきっかけとしてそのまま続きを書かれずに、放棄される作品が多い事でも悪名高い。なお、無事に連載が終了されている作品の多くが一話完結方式で連載されていたものであり、逆に言えばいつでも最終回とする事ができた作品が多いのに対し、連載による継続したストーリー展開を必要とした作品については円満に終了された作品はほとんどない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
『月刊[[TVnavi]]』で、イラストエッセイ「TV旅」（月刊で1ページ）を連載する予定が創刊号からいきなり間に合わず殴り書きイラストを掲載し、創刊2号はイラストが載ったものの3号では休載してそのまま連載終了、という例がある。このことから、ページ数と関係なく原稿を落とすことが伺える。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===未完のまま放棄された作品===&lt;br /&gt;
* [[ストップ!! ひばりくん!]]&lt;br /&gt;
* [[「エイジ」]]&lt;br /&gt;
*ラブ &amp;amp; ピース&lt;br /&gt;
*[[ケンとエリカ#エリカの星|エリカの星]]&lt;br /&gt;
* [[パパリンコ物語]]&lt;br /&gt;
* [[ラッキーストライク (漫画)|ラッキーストライク]]&lt;br /&gt;
*セクシーくノ一&lt;br /&gt;
* [[うなじ (漫画)|うなじ]]&lt;br /&gt;
* 平成大江戸巷談 イレギュラー&lt;br /&gt;
* 寿丼&lt;br /&gt;
*[[ケンとエリカ#BOXERケン|BOXERケン]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;!--要状況確認&lt;br /&gt;
*とにかく若大将&lt;br /&gt;
*ご近所探検隊&lt;br /&gt;
*犬の日記&lt;br /&gt;
--&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==消えた漫画家==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
江口は「消えた漫画家」、「潰れた漫画家」と言った話題の際に頻繁に挙げられる漫画家の1人であり、なおかつ漫画を描いていなくてもイラストレーターとしての知名度はある事から「漫画を描かない漫画家」と呼ばれる事も多いが、実際は、途中で投げ出された連載が非常に多く、漫画自体殆どを描いていない時期がありながらも、2006年現在では現役で週刊連載を行っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;!--ただし、「消えた」・「潰れた」と感じた人が多くいたのも恐らく事実である。作家がその作品を投げ出すという行為は、その雑誌の読者から見れば当然「消えた」・「潰れた」と取るに十分な行動であり、いくら他誌で連載を続けていても両誌を読んでいる人間以外に取っては消えたのと同じである。それが「WJ」という最大発行部数を誇る漫画雑誌において看板を飾っていた人気作家によって行われたとなればその印象は非常に強いものとなる。--&amp;gt;&lt;br /&gt;
ただ、江口が投げ出した作品は、「WJ」の『ひばりくん』だけにとどまらず、「アクション」の『エリカの星』「スピリッツ」の『パパリンコ物語』とメジャーな雑誌の作品が多く、また一方でこの時期にきちんと連載を終了させた雑誌は「フレッシュジャンプ」というややマイナーな雑誌と、少女漫画誌「ASUKA」という今までとは読者層が全く異なる雑誌の物であった。こうしたきちんと連載を終えた漫画の掲載誌の読者が、それまでの江口作品の読者とあまり重ならなかった事が、「江口が消えた」と感じる人間を増加させるのに大きな要因となったものと思われる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、その中の、『ひばりくん』の連載が途中で投げ出された最大の原因は、ネタ切れである可能性が高い。これは長期休載後に、原稿を本編で埋められず楽屋ネタを頻繁に扱う様になり、さらにその中で原稿用紙が真っ白である事を自虐ネタとして使っている事から推察出来る。同時期に描かれた『日の丸劇場』の多くが高い評価を受けた良質なギャグ漫画であることから、おそらくこのネタ切れは『ひばりくん』の無理のある設定が足かせとなった結果であると思われる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 作品リスト ==&lt;br /&gt;
===漫画===&lt;br /&gt;
*&amp;lt;small&amp;gt;◎：連載作品（年度は連載開始年）&amp;lt;/small&amp;gt;&lt;br /&gt;
*&amp;lt;small&amp;gt;《収録短編集》■：GO AHEAD!!／□：寿五郎ショウ／◆：なんとかなるでショ!／◇：爆発ディナーショー／▼：お蔵出し／●：THIS IS ROCK!!／★：自選傑作集／▽：犬の日記､くさいはなし､その他の短篇／☆：青少年のための江口寿史入門／※：単行本未収録&amp;lt;/small&amp;gt;&lt;br /&gt;
*&amp;lt;small&amp;gt;連載作品についた□・★・☆については作中の何編かが収録されている事を示し、全編を収録している訳ではない&amp;lt;/small&amp;gt;&lt;br /&gt;
*&amp;lt;small&amp;gt;《短編集以外への収録短編》1：『すすめ!!パイレーツ』に収録／2：『ひのまる劇場』に収録／3：『なんとかなったワケ!』に収録／4：KAWADE夢ムック『総集編江口寿史』に収録&amp;lt;/small&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;table width=&amp;quot;100%&amp;quot;&amp;gt;&amp;lt;tr&amp;gt;&amp;lt;td valign=top width=&amp;quot;50%&amp;quot;&amp;gt;&lt;br /&gt;
;1977年&lt;br /&gt;
:*恐るべき子ども達■&lt;br /&gt;
:*8時半の決闘&amp;lt;sub&amp;gt;1&amp;lt;/sub&amp;gt;&lt;br /&gt;
:*プロレス風雲録&amp;lt;sub&amp;gt;2&amp;lt;/sub&amp;gt;&lt;br /&gt;
:*[[すすめ!!パイレーツ]]◎&lt;br /&gt;
:*2100年宇宙ベースボール■&lt;br /&gt;
;1978年&lt;br /&gt;
:*[[ひのまる劇場#名探偵はいつもスランプ|名探偵はいつもスランプ]]■&lt;br /&gt;
;1979年&lt;br /&gt;
:*桜の花サイタ?■&lt;br /&gt;
;1980年&lt;br /&gt;
:*GO AHEAD!!■&lt;br /&gt;
;1981年&lt;br /&gt;
:*[[ひのまる劇場]]◎&lt;br /&gt;
:*それからのパイレーツ&amp;lt;sub&amp;gt;1&amp;lt;/sub&amp;gt;&lt;br /&gt;
:*[[ストップ!! ひばりくん!]]◎&lt;br /&gt;
;1982年&lt;br /&gt;
:*SPACE PIRATES▼&lt;br /&gt;
;1983年&lt;br /&gt;
:*POCKY▼&lt;br /&gt;
:*日焼け注意報◇&lt;br /&gt;
:*[[寿五郎ショウ#日の丸劇場|江口寿史の日の丸劇場]]◎□▼★☆&lt;br /&gt;
;1984年&lt;br /&gt;
:*[[「エイジ」]]◎&lt;br /&gt;
:*寿五郎ショウ□★&lt;br /&gt;
:*マークII▼&lt;br /&gt;
;1985年&lt;br /&gt;
:*とにかく若大将◆&lt;br /&gt;
:*寿五郎の正直日記□&lt;br /&gt;
:*ラブ &amp;amp; ピース◎▼&lt;br /&gt;
:*[[ケンとエリカ#エリカの星|エリカの星]]◎&lt;br /&gt;
:*[[パパリンコ物語]]◎※&lt;br /&gt;
:*DOOR※&lt;br /&gt;
:*恋はガッツで◆&lt;br /&gt;
;1986年&lt;br /&gt;
:*[[江口寿史のなんとかなるでショ!#第一部 なんとかなるでショ!|江口寿史のなんとかなるでショ!]]◎◆☆&lt;br /&gt;
:*ジョージ・A・ロメオに捧ぐ◆&lt;br /&gt;
:*THIS IS ROCK!!◎●&lt;br /&gt;
:*恥・ず・か・し・い◇★&lt;br /&gt;
:*あぶないしりとり◆&lt;br /&gt;
;1987年&lt;br /&gt;
:*武蔵野日記▼&lt;br /&gt;
:*不治は日本一の病◆&lt;br /&gt;
:*だからいったじゃないの◆&lt;br /&gt;
:*うしろにだれかが立っている▽&lt;br /&gt;
:*江口寿史の正しい漫画のかき方教室▼&lt;br /&gt;
:*加山美香ちゃん（17歳）が晃司について語ってくれた二、三の事情●&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;/td&amp;gt;&amp;lt;td valign=top width=&amp;quot;50%&amp;quot;&amp;gt;&lt;br /&gt;
;1988年&lt;br /&gt;
:*未来はパール●&lt;br /&gt;
:*[[江口寿史の爆発ディナーショー]]◎◇★▽☆&lt;br /&gt;
:*ご近所探検隊◎●&lt;br /&gt;
:*百合▼&lt;br /&gt;
;1989年&lt;br /&gt;
:*Red Monkey Yellow Fish●&lt;br /&gt;
;1990年&lt;br /&gt;
:*イーぢゃないかっ!&amp;lt;sub&amp;gt;3&amp;lt;/sub&amp;gt;（『その後のわたしたち』▽）&lt;br /&gt;
:*バカッチ野球軍▼&lt;br /&gt;
:*KV-201XR◇★☆&lt;br /&gt;
:*立ち喰いソバ屋のケンちゃん▼&lt;br /&gt;
;1991年&lt;br /&gt;
:*命、果てるまで●&lt;br /&gt;
:*GOGO!! フリッパーズ●&lt;br /&gt;
:*岡村靖幸ライブレポート●&lt;br /&gt;
:*カサブタ君▼&lt;br /&gt;
:*日本フェ○○○振興会▼&lt;br /&gt;
:*[[ケンとエリカ#BOXERケン|BOXERケン]]◎&lt;br /&gt;
;1992年&lt;br /&gt;
:*ヌードラマ▼&lt;br /&gt;
:*最終家庭教師●&lt;br /&gt;
:*今月のお買い物◎&lt;br /&gt;
:*江口寿史のBAHO LIVE見聞録●&lt;br /&gt;
;1994年&lt;br /&gt;
:*犬の日記▽&lt;br /&gt;
:*Denny's Comic◎▽&lt;br /&gt;
:*BAHO HAPPENINGS▽&lt;br /&gt;
:*真夏の夜の夢▽&lt;br /&gt;
:*P男■&lt;br /&gt;
:*小山田系▽&lt;br /&gt;
:*くさいはなし▽&lt;br /&gt;
;1995年&lt;br /&gt;
:*民翁▽&lt;br /&gt;
:*絶食▽&lt;br /&gt;
;1996年&lt;br /&gt;
:*[[ラッキーストライク (漫画)|ラッキーストライク]]◎※&lt;br /&gt;
:*セクシーくの一◎▽&lt;br /&gt;
;1998年&lt;br /&gt;
:*サインはY▽&lt;br /&gt;
:*火の玉ボーイとワシ▽&lt;br /&gt;
:* [[キャラ者]]◎&lt;br /&gt;
:* [[うなじ (漫画)|うなじ]]◎&amp;lt;sub&amp;gt;4&amp;lt;/sub&amp;gt;&lt;br /&gt;
:*岡本綾☆&lt;br /&gt;
;2002年&lt;br /&gt;
:* 平成大江戸巷談 イレギュラー◎※&lt;br /&gt;
;2002年&lt;br /&gt;
:* イソノの嫁（[[漫画アクション]] No.39）※&lt;br /&gt;
;2004年&lt;br /&gt;
:* 寿丼◎※&lt;br /&gt;
:* ゲームする女（週刊[[ファミ通]]832号）※&lt;br /&gt;
&amp;lt;/td&amp;gt;&amp;lt;/tr&amp;gt;&amp;lt;/table&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====単行本====&lt;br /&gt;
ワイド版、文庫版などの同一内容の再販本は割愛&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;table width=&amp;quot;100%&amp;quot;&amp;gt;&amp;lt;tr&amp;gt;&amp;lt;td valign=top width=&amp;quot;50%&amp;quot;&amp;gt;&lt;br /&gt;
* [[すすめ!!パイレーツ]]&lt;br /&gt;
* [[ひのまる劇場]]&lt;br /&gt;
* GO AHEAD!!&lt;br /&gt;
* [[ストップ!! ひばりくん!]]&lt;br /&gt;
* [[「エイジ」]]&lt;br /&gt;
* [[寿五郎ショウ]] &lt;br /&gt;
* [[江口寿史のなんとかなるでショ!]]&lt;br /&gt;
* [[江口寿史の爆発ディナーショー]]&lt;br /&gt;
* 江口寿史のお蔵出し&lt;br /&gt;
* THIS IS ROCK!!&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;/td&amp;gt;&amp;lt;td valign=top width=&amp;quot;50%&amp;quot;&amp;gt;&lt;br /&gt;
* 日本漫画家大全・江口寿史自選傑作集&lt;br /&gt;
* [[ケンとエリカ]]&lt;br /&gt;
* 犬の日記､くさいはなし､その他の短編&lt;br /&gt;
* [[キャラ者]]&lt;br /&gt;
* 青少年のための江口寿史入門 A Young Person's to Eguchi Hisashi&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*なんとかなったワケ!&lt;br /&gt;
*江口寿史 JUMP WORKS&lt;br /&gt;
*文藝別冊 KAWADE夢ムック総集編江口寿史&lt;br /&gt;
* 江口寿史の正直日記&lt;br /&gt;
&amp;lt;/td&amp;gt;&amp;lt;/tr&amp;gt;&amp;lt;/table&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===デザイン===&lt;br /&gt;
&amp;lt;!--江口寿志は別人です!!混同しない様にご注意願います。--&amp;gt;&lt;br /&gt;
*[[デニーズジャパン|デニーズ]]のメニュー（現在は使用されていない）&lt;br /&gt;
* [[おたくの星座]]（キャラクターデザイン）&lt;br /&gt;
* [[オーロラクエスト おたくの星座 -In Another World-]]（キャラクターデザイン）&lt;br /&gt;
* [[老人Z]]（映画キャラクターデザイン）&lt;br /&gt;
* [[パーフェクトブルー|PERFECT BLUE]]（キャラクター原案）&lt;br /&gt;
* [[無人惑星サヴァイヴ]]（キャラクターデザイン）&lt;br /&gt;
* [[フィーバーガールズI]]（キャラクターデザイン、[[三共 (パチンコ)|三共]]製[[パチンコ]]台）&lt;br /&gt;
* [[30minutes]]・[[30minutes鬼]]（オープニングイラスト）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====イラスト集====&lt;br /&gt;
*NO MATTER&lt;br /&gt;
*ILLUSTRATION H&lt;br /&gt;
*EGUCHI HISASHI WORLD&lt;br /&gt;
*江口寿史ストリップショウH&lt;br /&gt;
*江口寿史スクラップブックE&lt;br /&gt;
*素顔 -美少女のいる風景-&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*江口寿史監修ポーズ集&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==影響を受けた漫画家==&lt;br /&gt;
*[[手塚治虫]]&lt;br /&gt;
*[[赤塚不二夫]]&lt;br /&gt;
*[[山上たつひこ]]&lt;br /&gt;
*[[ちばてつや]] - 特に『[[あしたのジョー]]』の影響は強く、様々な作品においてボクシングが描かれている。また初期の絵柄はちばの模倣から始まっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==逸話==&lt;br /&gt;
*[[佐野元春]]とは同じ早生まれということもあり、江口が最も好きな[[ミュージシャン]]でもある。また対談したこともあり、佐野から｢江口さんもきっと僕と同じように世の中と戦っているんだと思うよ｣と言われ、江口が答えられなかったエピソードがある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[ギャグ漫画]]&lt;br /&gt;
* [[ぶりっ子]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==外部リンク==&lt;br /&gt;
*[http://www.kotobuki-studio.com/index.html KOTOBUKI-STUDIO] - 公式サイト。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:江口寿史|*]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本のイラストレーター|えくち ひさし]]&lt;br /&gt;
[[Category:熊本県出身の人物|えくち ひさし]]&lt;br /&gt;
[[Category:1956年生|えくち ひさし]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[en:Hisashi Eguchi]]&lt;br /&gt;
[[ko:에구치 히사시]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>小川義行</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%98%E5%AF%86%E5%9F%BA%E5%9C%B0</id>
		<title>秘密基地</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%98%E5%AF%86%E5%9F%BA%E5%9C%B0"/>
				<updated>2007-09-19T06:20:13Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;小川義行: 2006年12月21日21:15における表記が同年1月4日13:08に“利用者ウッでやんす高橋氏”により改悪されていたのを「Wikipedia:表記ガイド」などに従って元に戻した。“最早”も“もはや”非標準&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''秘密基地'''（ひみつきち）とは[[スーパーヒーロー]]が登場する[[フィクション]]において拠点とする秘密の隠れ家、また、[[ヒーロー]]ではなく、逆に悪に[[カテゴライズ]]される者達の[[アジト]]を表す言葉としても用いられる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
現実世界では、軍事組織や諜報機関や秘密組織の秘密の活動拠点という意味で通俗的に指す。内部では、極秘技術の開発やスパイの拠点、などであるとされる。カモフラージュされた巨大な地下基地だったり、一般のオフィスが外部からわからないよう改造されているなどとするストーリーも多い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
もしくはそれらを模して[[子供]]たちが作る秘密の[[遊び場]]をさす言葉である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
フィクションにおける「秘密基地」の概念は、それぞれの作品の項目を参照されたし。&lt;br /&gt;
* [[ウルトラシリーズ]]&lt;br /&gt;
* [[仮面ライダーシリーズ]]&lt;br /&gt;
* [[スーパー戦隊シリーズ]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
子供の遊び場という意味での「秘密基地」は、必ずしも「秘密」であることにこだわらない。仲間内では大人や部外者、すなわち友達であったしても仲間という約束を取り交わしていない者へは、その存在や所在地を秘密にするという約束が交されることも少なくないが、大人からみれば単なる彼らが集まる場所ということが多い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
秘密基地となりえる場所は[[公園]]の隅や[[空き地]]などであるが、より「秘密基地」という、周囲には知られたくない気持ちを昇華すべく、[[廃墟]]となった建物や工事現場、資材置き場といった、いわゆる危険な場所であることもある。これは危険な場所に立ち入ってはならないというタブーを犯している、ある種の快感を満たすという意味もある。アメリカの少年冒険と仲間たちの友情をテーマにした映画[[スタンド・バイ・ミー]]では木の上に秘密基地があり、[[カードゲーム]]に興じたりする場面が描写されている。また同じく[[トム・ソーヤーの冒険]]では、洞窟の中に秘密基地を作る設定になっている。内部には金貨や武器弾薬や子供の玩具があり、かどわかした人質を幽閉するトムの未来の夢もある。たいていは、フィクションに登場するヒーローや悪の手先の秘密基地をモチーフとした場合が多い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[スーパー戦隊シリーズ]]をはじめとした[[スーパーヒーロー]]がしばしば採石場を思わせる場所で戦っていることなどが背景にあると考えられる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==関連項目==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* [[遊び]]&lt;br /&gt;
* [[こどもの文化]]&lt;br /&gt;
* [[secret base ～君がくれたもの～]]&lt;br /&gt;
* [[ajito]http://www.ajito-net.jp]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{stub}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:教育|ひみつきち]]&lt;br /&gt;
[[Category:社会|ひみつきち]]&lt;br /&gt;
[[Category:子供|ひみつきち]]&lt;br /&gt;
[[Category:コミュニケーション|ひみつきち]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>小川義行</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%98%E5%AF%86%E5%9F%BA%E5%9C%B0</id>
		<title>秘密基地</title>
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				<updated>2007-09-19T05:54:26Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;小川義行: Undo revision 14943564 by 小川義行 (会話)&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''秘密基地'''（ひみつきち）とは[[スーパーヒーロー]]が登場する[[フィクション]]において拠点とする秘密の隠れ家、また、[[ヒーロー]]ではなく、逆に悪に[[カテゴライズ]]される者達の[[アジト]]を表す言葉としても用いられる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
現実世界では、軍事組織や諜報機関や秘密組織の秘密の活動拠点という意味で通俗的に指す。内部では、極秘技術の開発やスパイの拠点、などであるとされる。カモフラージュされた巨大な地下基地だったり、一般のオフィスが外部からわからないよう改造されているなどとするストーリーも多い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
もしくはそれらを模して[[子供]]たちが作る秘密の[[遊び場]]をさす言葉である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
フィクションにおける「秘密基地」の概念は、それぞれの作品の項目を参照されたし。&lt;br /&gt;
* [[ウルトラシリーズ]]&lt;br /&gt;
* [[仮面ライダーシリーズ]]&lt;br /&gt;
* [[スーパー戦隊シリーズ]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
子供の遊び場という意味での「秘密基地」は、必ずしも「秘密」であることにこだわらない。仲間内では大人や部外者、すなわち友達であったしても仲間という約束を取り交わしていない者へは、その存在や所在地を秘密にするという約束が交されることも少なくないが、大人からみれば単なる彼らが集まる場所ということが多い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
秘密基地となりえる場所は[[公園]]の隅や[[空き地]]などであるが、より「秘密基地」という、周囲には知られたくない気持ちを昇華すべく、[[廃墟]]となった建物や工事現場、資材置き場といった、いわゆる危険な場所であることもある。これは危険な場所に立ち入ってはならないというタブーを犯している、ある種の快感を満たすという意味もある。アメリカの少年冒険と仲間たちの友情をテーマにした映画[[スタンド・バイ・ミー]]では木の上に秘密基地があり、[[カードゲーム]]に興じたりする場面が描写されている。また同じく[[トム・ソーヤーの冒険]]では、洞窟の中に秘密基地を作る設定になっている。内部には金貨や武器弾薬や子供の玩具があり、かどわかした人質を幽閉するトムの未来の夢もある。たいていは、フィクションに登場するヒーローや悪の手先の秘密基地をモチーフとした場合が多い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[スーパー戦隊シリーズ]]を始めとした[[スーパーヒーロー]]がしばしば採石場を思わせる場所で戦っていることなどが背景にあると考えられる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==関連項目==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* [[遊び]]&lt;br /&gt;
* [[こどもの文化]]&lt;br /&gt;
* [[secret base ～君がくれたもの～]]&lt;br /&gt;
* [[ajito]http://www.ajito-net.jp]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{stub}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:教育|ひみつきち]]&lt;br /&gt;
[[Category:社会|ひみつきち]]&lt;br /&gt;
[[Category:子供|ひみつきち]]&lt;br /&gt;
[[Category:コミュニケーション|ひみつきち]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>小川義行</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E5%8C%97%E8%A5%BF%E3%81%AB%E9%80%B2%E8%B7%AF%E3%82%92%E5%8F%96%E3%82%8C</id>
		<title>北北西に進路を取れ</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E5%8C%97%E8%A5%BF%E3%81%AB%E9%80%B2%E8%B7%AF%E3%82%92%E5%8F%96%E3%82%8C"/>
				<updated>2007-09-18T18:17:01Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;小川義行: Modeha氏による2004年1月14日 (水) 08:34の、Modeha氏ご自身による2004年1月14日 (水) 08:30の編集を、編集前の状態に戻した。根拠：英語版に倣った。North By NorthwestをNorth by Northwestに訂正。&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{anotheruse|アルフレッド・ヒッチコック監督、ケイリー・グラント主演の映画作品|かつて存在した日本のお笑いコンビの名|北北西に進路を取れ (お笑いコンビ)}}&lt;br /&gt;
{{Infobox Film|&lt;br /&gt;
| 作品名 = 北北西に進路を取れ&lt;br /&gt;
| 画像 = North by Northwest movie trailer screenshot (38).jpg&lt;br /&gt;
| 画像サイズ = &lt;br /&gt;
| 画像解説 =&lt;br /&gt;
| 監督 = [[アルフレッド・ヒッチコック]]&lt;br /&gt;
| 製作総指揮 =&lt;br /&gt;
| 製作 = アルフレッド・ヒッチコック&lt;br /&gt;
| 脚本 = [[アーネスト・レーマン]]&lt;br /&gt;
| 出演者 = [[ケーリー・グラント]]&amp;lt;br/&amp;gt;[[エヴァ・マリー・セイント]]&amp;lt;br/&amp;gt;[[ジェームズ・メイソン]]&amp;lt;br/&amp;gt;[[マーティン・ランドー]]&lt;br /&gt;
| 音楽 = [[バーナード・ハーマン]]&lt;br /&gt;
| 撮影 = ロバート・バークス&lt;br /&gt;
| 編集 = ジョージ・トマシーニ&lt;br /&gt;
| 配給 = [[MGM]]&lt;br /&gt;
| 公開 = 1959年8月6日 {{flagicon|USA}}&amp;lt;br /&amp;gt;1959年9月17日 {{flagicon|Japan}}&lt;br /&gt;
| 上映時間 = 136分&lt;br /&gt;
| 製作国 = [[アメリカ合衆国]]&lt;br /&gt;
| 言語 = [[英語]]&lt;br /&gt;
| 制作費 = $4,000,000&lt;br /&gt;
| 興行収入 = $13,275,000&lt;br /&gt;
| 前作 =&lt;br /&gt;
| 次作 =&lt;br /&gt;
| allcinema_id = 21445&lt;br /&gt;
| kinejun_id =&lt;br /&gt;
| amg_id =&lt;br /&gt;
| imdb_id = 0053125&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
『'''北北西に進路を取れ'''』（'''ほくほくせいにしんろをとれ'''、原題''North by Northwest''）は[[1959年]]製作の[[アメリカ映画]]。[[MGM]]映画提供。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== スタッフ ==&lt;br /&gt;
* '''製作・監督''' - [[アルフレッド・ヒッチコック]]&lt;br /&gt;
* '''脚本''' - アーネスト・レーマン&lt;br /&gt;
* '''撮影''' - ロバート・バークス&lt;br /&gt;
* '''音楽''' - [[バーナード・ハーマン]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== キャスト ==&lt;br /&gt;
* '''ロジャー''' - [[ケイリー・グラント]]&lt;br /&gt;
* '''イヴ''' - [[エヴァ・マリー・セイント]]&lt;br /&gt;
* '''タウンゼント''' - [[ジェームズ・メイソン]]&lt;br /&gt;
* '''殺し屋''' - [[マーティン・ランドー]]&lt;br /&gt;
* '''教授''' - [[レオ・G・キャロル]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== あらすじ ==&lt;br /&gt;
{{netabare}}&lt;br /&gt;
広告会社を経営するロジャー・ソーンヒル（[[ケーリー・グラント]]）は、ふとした偶然と勘違いの交錯で「ジョージ・キャプラン」という人物に間違えられ、謎の男達にとある山荘へ連れ去られる。そこで彼を待っていたのは、タウンゼントと名乗る紳士（[[ジェームズ・メイソン]]）だった。タウンゼントは、ロジャーにある仕事の依頼をするが、当のロジャーは何のことかさっぱり分からない。すると、これを仕事を拒否したと受け取ったタウンゼントは、ロジャーを泥酔させて車の運転をさせ、事故に見せかけて殺そうとする。九死に一生を得るロジャー。だが、これは彼の苦難のほんの序章に過ぎなかった。キャプランとは誰なのか。タウンゼントの目的は。常に生命の危機に晒されながらも、真相を探るため、全米を股にかけた彼の冒険が始まる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==ヒッチコック・サスペンスの集大成==&lt;br /&gt;
脚本はアーネスト・レーマンによるオリジナルで、ある男が「間違われる」ことをきっかけに大事件に巻き込まれ、自身のアイデンティティを探して冒険を繰り広げるというヒッチコック監督お得意のストーリーである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
前述の飲酒運転のシーン（スクリーンプロセス合成）は、現代のエフェクト慣れした眼から見るとやや興ざめだが、以後は目まぐるしい展開を見せる。国連ビル（撮影許可が下りなかったので外観はゲリラ撮影、内部はセット）での投擲ナイフによる殺人、[[20世紀特急|豪華列車]]でのロマンス、逃げ場のないトウモロコシ畑で執拗に主人公を迫う複葉機、4人の大統領の顔が刻まれた[[ラシュモア山]]でのクライマックスと、観客を飽きさせない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
前述の通り、この映画は監督が得意とする「巻き込まれ型サスペンス」であるが、他にも、主人公に対する警察など体制側の無理解、紳士然として魅力ある悪役、謎めいたブロンドのヒロイン、あえて意味をもたせない[[マクガフィン]]の使用法、随所にちりばめられたユーモア、「最小から最大へ、最大から最小へ」をキーワードにした大胆なカット構成、終盤に至る前に観客に謎を全て明かしてしまいラストのアクションに意識を集中させる構成など、ヒッチコックの映画に共通するパターンが全て詰め込まれ、最上の形で結実した集大成的作品である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
入り乱れる展開を予想させる[[ソウル・バス]]によるオープニングも印象深い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== エピソード ==&lt;br /&gt;
*タイトルの意味についてヒッチコックはこう語ったという。『正しい気象用語としては「North By Northwest」は間違いで「Northwest By North」が正しい。主人公はこの違いに気がつかないほど混乱してしまったんだ。』&lt;br /&gt;
*映画は、主人公とヒロインがキスをし、トンネルに突入する列車のシーンにカット替わりして終わる。これについてヒッチコックは、列車は男根の隠喩であり、自身の映画で最もわいせつなシーンだと語っている（ヒッチコック＝トリュフォー『映画術』）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==ヒッチコックの登場シーン==&lt;br /&gt;
{{Commons|Category:North by Northwest (1959 film)}}&lt;br /&gt;
オープニングタイトルの最後に、バスに乗り遅れる乗客として登場。かなり解りやすく映っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 吹き替え ==&lt;br /&gt;
* 1971年 テレ東版&lt;br /&gt;
** ケーリー・グラント：[[中村正]]&lt;br /&gt;
** エヴァ・マリー・セイント：[[北浜晴子]]&lt;br /&gt;
** ジェームズ・メイソン：[[横森久]]&lt;br /&gt;
** マーティン・ランドー：[[納谷六朗]]&lt;br /&gt;
** レオ・G・キャロル：[[真木恭介]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* 1980年 フジ版&lt;br /&gt;
** ケーリー・グラント：[[井上孝雄]]&lt;br /&gt;
** エヴァ・マリー・セイント：[[吉野佳子]]&lt;br /&gt;
** ジェームズ・メイソン：[[川合伸旺]]&lt;br /&gt;
** マーティン・ランドー：[[西沢利明]]&lt;br /&gt;
** レオ・G・キャロル：[[大木民夫]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{アルフレッド・ヒッチコック監督作品}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:ほくほくせいにしんろをとれ}}&lt;br /&gt;
[[Category:アメリカ合衆国の映画作品]]&lt;br /&gt;
[[Category:1959年の映画]]&lt;br /&gt;
[[Category:アルフレッド・ヒッチコックの監督映画]]&lt;br /&gt;
[[Category:サスペンス映画]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[de:Der unsichtbare Dritte]]&lt;br /&gt;
[[en:North by Northwest]]&lt;br /&gt;
[[es:North by Northwest]]&lt;br /&gt;
[[fi:Vaarallinen romanssi]]&lt;br /&gt;
[[fr:La Mort aux trousses]]&lt;br /&gt;
[[he:מזימות בינלאומיות]]&lt;br /&gt;
[[hr:Sjever-sjeverozapad]]&lt;br /&gt;
[[hu:Észak-Északnyugat]]&lt;br /&gt;
[[is:North by Northwest]]&lt;br /&gt;
[[it:Intrigo internazionale]]&lt;br /&gt;
[[nl:North by Northwest]]&lt;br /&gt;
[[no:Med hjertet i halsen]]&lt;br /&gt;
[[pl:Północ, północny zachód]]&lt;br /&gt;
[[pt:North by Northwest]]&lt;br /&gt;
[[simple:North by Northwest]]&lt;br /&gt;
[[sv:I sista minuten]]&lt;br /&gt;
[[zh:西北偏北]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>小川義行</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E5%8C%97%E8%A5%BF%E3%81%AB%E9%80%B2%E8%B7%AF%E3%82%92%E5%8F%96%E3%82%8C</id>
		<title>北北西に進路を取れ</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E5%8C%97%E8%A5%BF%E3%81%AB%E9%80%B2%E8%B7%AF%E3%82%92%E5%8F%96%E3%82%8C"/>
				<updated>2007-09-18T18:10:29Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;小川義行: Undo revision 14928454 by 小川義行 (会話)&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{anotheruse|アルフレッド・ヒッチコック監督、ケイリー・グラント主演の映画作品|かつて存在した日本のお笑いコンビの名|北北西に進路を取れ (お笑いコンビ)}}&lt;br /&gt;
{{Infobox Film|&lt;br /&gt;
| 作品名 = 北北西に進路を取れ&lt;br /&gt;
| 画像 = North by Northwest movie trailer screenshot (38).jpg&lt;br /&gt;
| 画像サイズ = &lt;br /&gt;
| 画像解説 =&lt;br /&gt;
| 監督 = [[アルフレッド・ヒッチコック]]&lt;br /&gt;
| 製作総指揮 =&lt;br /&gt;
| 製作 = アルフレッド・ヒッチコック&lt;br /&gt;
| 脚本 = [[アーネスト・レーマン]]&lt;br /&gt;
| 出演者 = [[ケーリー・グラント]]&amp;lt;br/&amp;gt;[[エヴァ・マリー・セイント]]&amp;lt;br/&amp;gt;[[ジェームズ・メイソン]]&amp;lt;br/&amp;gt;[[マーティン・ランドー]]&lt;br /&gt;
| 音楽 = [[バーナード・ハーマン]]&lt;br /&gt;
| 撮影 = ロバート・バークス&lt;br /&gt;
| 編集 = ジョージ・トマシーニ&lt;br /&gt;
| 配給 = [[MGM]]&lt;br /&gt;
| 公開 = 1959年8月6日 {{flagicon|USA}}&amp;lt;br /&amp;gt;1959年9月17日 {{flagicon|Japan}}&lt;br /&gt;
| 上映時間 = 136分&lt;br /&gt;
| 製作国 = [[アメリカ合衆国]]&lt;br /&gt;
| 言語 = [[英語]]&lt;br /&gt;
| 制作費 = $4,000,000&lt;br /&gt;
| 興行収入 = $13,275,000&lt;br /&gt;
| 前作 =&lt;br /&gt;
| 次作 =&lt;br /&gt;
| allcinema_id = 21445&lt;br /&gt;
| kinejun_id =&lt;br /&gt;
| amg_id =&lt;br /&gt;
| imdb_id = 0053125&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
『'''北北西に進路を取れ'''』（'''ほくほくせいにしんろをとれ'''、原題''North By Northwest''）は[[1959年]]製作の[[アメリカ映画]]。[[MGM]]映画提供。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== スタッフ ==&lt;br /&gt;
* '''製作・監督''' - [[アルフレッド・ヒッチコック]]&lt;br /&gt;
* '''脚本''' - アーネスト・レーマン&lt;br /&gt;
* '''撮影''' - ロバート・バークス&lt;br /&gt;
* '''音楽''' - [[バーナード・ハーマン]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== キャスト ==&lt;br /&gt;
* '''ロジャー''' - [[ケイリー・グラント]]&lt;br /&gt;
* '''イヴ''' - [[エヴァ・マリー・セイント]]&lt;br /&gt;
* '''タウンゼント''' - [[ジェームズ・メイソン]]&lt;br /&gt;
* '''殺し屋''' - [[マーティン・ランドー]]&lt;br /&gt;
* '''教授''' - [[レオ・G・キャロル]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== あらすじ ==&lt;br /&gt;
{{netabare}}&lt;br /&gt;
広告会社を経営するロジャー・ソーンヒル（[[ケーリー・グラント]]）は、ふとした偶然と勘違いの交錯で「ジョージ・キャプラン」という人物に間違えられ、謎の男達にとある山荘へ連れ去られる。そこで彼を待っていたのは、タウンゼントと名乗る紳士（[[ジェームズ・メイソン]]）だった。タウンゼントは、ロジャーにある仕事の依頼をするが、当のロジャーは何のことかさっぱり分からない。すると、これを仕事を拒否したと受け取ったタウンゼントは、ロジャーを泥酔させて車の運転をさせ、事故に見せかけて殺そうとする。九死に一生を得るロジャー。だが、これは彼の苦難のほんの序章に過ぎなかった。キャプランとは誰なのか。タウンゼントの目的は。常に生命の危機に晒されながらも、真相を探るため、全米を股にかけた彼の冒険が始まる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==ヒッチコック・サスペンスの集大成==&lt;br /&gt;
脚本はアーネスト・レーマンによるオリジナルで、ある男が「間違われる」ことをきっかけに大事件に巻き込まれ、自身のアイデンティティを探して冒険を繰り広げるというヒッチコック監督お得意のストーリーである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
前述の飲酒運転のシーン（スクリーンプロセス合成）は、現代のエフェクト慣れした眼から見るとやや興ざめだが、以後は目まぐるしい展開を見せる。国連ビル（撮影許可が下りなかったので外観はゲリラ撮影、内部はセット）での投擲ナイフによる殺人、[[20世紀特急|豪華列車]]でのロマンス、逃げ場のないトウモロコシ畑で執拗に主人公を迫う複葉機、4人の大統領の顔が刻まれた[[ラシュモア山]]でのクライマックスと、観客を飽きさせない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
前述の通り、この映画は監督が得意とする「巻き込まれ型サスペンス」であるが、他にも、主人公に対する警察など体制側の無理解、紳士然として魅力ある悪役、謎めいたブロンドのヒロイン、あえて意味をもたせない[[マクガフィン]]の使用法、随所にちりばめられたユーモア、「最小から最大へ、最大から最小へ」をキーワードにした大胆なカット構成、終盤に至る前に観客に謎を全て明かしてしまいラストのアクションに意識を集中させる構成など、ヒッチコックの映画に共通するパターンが全て詰め込まれ、最上の形で結実した集大成的作品である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
入り乱れる展開を予想させる[[ソウル・バス]]によるオープニングも印象深い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== エピソード ==&lt;br /&gt;
*タイトルの意味についてヒッチコックはこう語ったという。『正しい気象用語としては「North By Northwest」は間違いで「Northwest By North」が正しい。主人公はこの違いに気がつかないほど混乱してしまったんだ。』&lt;br /&gt;
*映画は、主人公とヒロインがキスをし、トンネルに突入する列車のシーンにカット替わりして終わる。これについてヒッチコックは、列車は男根の隠喩であり、自身の映画で最もわいせつなシーンだと語っている（ヒッチコック＝トリュフォー『映画術』）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==ヒッチコックの登場シーン==&lt;br /&gt;
{{Commons|Category:North by Northwest (1959 film)}}&lt;br /&gt;
オープニングタイトルの最後に、バスに乗り遅れる乗客として登場。かなり解りやすく映っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 吹き替え ==&lt;br /&gt;
* 1971年 テレ東版&lt;br /&gt;
** ケーリー・グラント：[[中村正]]&lt;br /&gt;
** エヴァ・マリー・セイント：[[北浜晴子]]&lt;br /&gt;
** ジェームズ・メイソン：[[横森久]]&lt;br /&gt;
** マーティン・ランドー：[[納谷六朗]]&lt;br /&gt;
** レオ・G・キャロル：[[真木恭介]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* 1980年 フジ版&lt;br /&gt;
** ケーリー・グラント：[[井上孝雄]]&lt;br /&gt;
** エヴァ・マリー・セイント：[[吉野佳子]]&lt;br /&gt;
** ジェームズ・メイソン：[[川合伸旺]]&lt;br /&gt;
** マーティン・ランドー：[[西沢利明]]&lt;br /&gt;
** レオ・G・キャロル：[[大木民夫]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{アルフレッド・ヒッチコック監督作品}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:ほくほくせいにしんろをとれ}}&lt;br /&gt;
[[Category:アメリカ合衆国の映画作品]]&lt;br /&gt;
[[Category:1959年の映画]]&lt;br /&gt;
[[Category:アルフレッド・ヒッチコックの監督映画]]&lt;br /&gt;
[[Category:サスペンス映画]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[de:Der unsichtbare Dritte]]&lt;br /&gt;
[[en:North by Northwest]]&lt;br /&gt;
[[es:North by Northwest]]&lt;br /&gt;
[[fi:Vaarallinen romanssi]]&lt;br /&gt;
[[fr:La Mort aux trousses]]&lt;br /&gt;
[[he:מזימות בינלאומיות]]&lt;br /&gt;
[[hr:Sjever-sjeverozapad]]&lt;br /&gt;
[[hu:Észak-Északnyugat]]&lt;br /&gt;
[[is:North by Northwest]]&lt;br /&gt;
[[it:Intrigo internazionale]]&lt;br /&gt;
[[nl:North by Northwest]]&lt;br /&gt;
[[no:Med hjertet i halsen]]&lt;br /&gt;
[[pl:Północ, północny zachód]]&lt;br /&gt;
[[pt:North by Northwest]]&lt;br /&gt;
[[simple:North by Northwest]]&lt;br /&gt;
[[sv:I sista minuten]]&lt;br /&gt;
[[zh:西北偏北]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>小川義行</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%98%E5%AF%86%E5%9F%BA%E5%9C%B0</id>
		<title>秘密基地</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%98%E5%AF%86%E5%9F%BA%E5%9C%B0"/>
				<updated>2007-09-18T17:47:53Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;小川義行: 2006年12月21日 (木) 21:15の版における表記が、2007年1月4日 (木) 13:08の版において“利用者ウッでやんす高橋氏”により改悪されていたのを、「Wikipedia:表記ガイド」などに従って、元の表記&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''秘密基地'''（ひみつきち）とは[[スーパーヒーロー]]が登場する[[フィクション]]において拠点とする秘密の隠れ家、また、[[ヒーロー]]ではなく、逆に悪に[[カテゴライズ]]される者達の[[アジト]]を表す言葉としても用いられる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
現実世界では、軍事組織や諜報機関や秘密組織の秘密の活動拠点という意味で通俗的に指す。内部では、極秘技術の開発やスパイの拠点、などであるとされる。カモフラージュされた巨大な地下基地だったり、一般のオフィスが外部からわからないよう改造されているなどとするストーリーも多い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
もしくはそれらを模して[[子供]]たちが作る秘密の[[遊び場]]をさす言葉である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
フィクションにおける「秘密基地」の概念は、それぞれの作品の項目を参照されたし。&lt;br /&gt;
* [[ウルトラシリーズ]]&lt;br /&gt;
* [[仮面ライダーシリーズ]]&lt;br /&gt;
* [[スーパー戦隊シリーズ]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
子供の遊び場という意味での「秘密基地」は、必ずしも「秘密」であることにこだわらない。仲間内では大人や部外者、すなわち友達であったしても仲間という約束を取り交わしていない者へは、その存在や所在地を秘密にするという約束が交されることも少なくないが、大人からみれば単なる彼らが集まる場所ということが多い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
秘密基地となりえる場所は[[公園]]の隅や[[空き地]]などであるが、より「秘密基地」という、周囲には知られたくない気持ちを昇華すべく、[[廃墟]]となった建物や工事現場、資材置き場といった、いわゆる危険な場所であることもある。これは危険な場所に立ち入ってはならないというタブーを犯している、ある種の快感を満たすという意味もある。アメリカの少年冒険と仲間たちの友情をテーマにした映画[[スタンド・バイ・ミー]]では木の上に秘密基地があり、[[カードゲーム]]に興じたりする場面が描写されている。また同じく[[トム・ソーヤーの冒険]]では、洞窟の中に秘密基地を作る設定になっている。内部には金貨や武器弾薬や子供の玩具があり、かどわかした人質を幽閉するトムの未来の夢もある。たいていは、フィクションに登場するヒーローや悪の手先の秘密基地をモチーフとした場合が多い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[スーパー戦隊シリーズ]]をはじめとした[[スーパーヒーロー]]がしばしば採石場を思わせる場所で戦っていることなどが背景にあると考えられる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==関連項目==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* [[遊び]]&lt;br /&gt;
* [[こどもの文化]]&lt;br /&gt;
* [[secret base ～君がくれたもの～]]&lt;br /&gt;
* [[ajito]http://www.ajito-net.jp]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{stub}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:教育|ひみつきち]]&lt;br /&gt;
[[Category:社会|ひみつきち]]&lt;br /&gt;
[[Category:子供|ひみつきち]]&lt;br /&gt;
[[Category:コミュニケーション|ひみつきち]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>小川義行</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E5%8C%97%E8%A5%BF%E3%81%AB%E9%80%B2%E8%B7%AF%E3%82%92%E5%8F%96%E3%82%8C</id>
		<title>北北西に進路を取れ</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E5%8C%97%E8%A5%BF%E3%81%AB%E9%80%B2%E8%B7%AF%E3%82%92%E5%8F%96%E3%82%8C"/>
				<updated>2007-09-18T02:55:37Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;小川義行: North By NorthwestをNorth by Northwestに訂正&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{anotheruse|アルフレッド・ヒッチコック監督、ケイリー・グラント主演の映画作品|かつて存在した日本のお笑いコンビの名|北北西に進路を取れ (お笑いコンビ)}}&lt;br /&gt;
{{Infobox Film|&lt;br /&gt;
| 作品名 = 北北西に進路を取れ&lt;br /&gt;
| 画像 = North by Northwest movie trailer screenshot (38).jpg&lt;br /&gt;
| 画像サイズ = &lt;br /&gt;
| 画像解説 =&lt;br /&gt;
| 監督 = [[アルフレッド・ヒッチコック]]&lt;br /&gt;
| 製作総指揮 =&lt;br /&gt;
| 製作 = アルフレッド・ヒッチコック&lt;br /&gt;
| 脚本 = [[アーネスト・レーマン]]&lt;br /&gt;
| 出演者 = [[ケーリー・グラント]]&amp;lt;br/&amp;gt;[[エヴァ・マリー・セイント]]&amp;lt;br/&amp;gt;[[ジェームズ・メイソン]]&amp;lt;br/&amp;gt;[[マーティン・ランドー]]&lt;br /&gt;
| 音楽 = [[バーナード・ハーマン]]&lt;br /&gt;
| 撮影 = ロバート・バークス&lt;br /&gt;
| 編集 = ジョージ・トマシーニ&lt;br /&gt;
| 配給 = [[MGM]]&lt;br /&gt;
| 公開 = 1959年8月6日 {{flagicon|USA}}&amp;lt;br /&amp;gt;1959年9月17日 {{flagicon|Japan}}&lt;br /&gt;
| 上映時間 = 136分&lt;br /&gt;
| 製作国 = [[アメリカ合衆国]]&lt;br /&gt;
| 言語 = [[英語]]&lt;br /&gt;
| 制作費 = $4,000,000&lt;br /&gt;
| 興行収入 = $13,275,000&lt;br /&gt;
| 前作 =&lt;br /&gt;
| 次作 =&lt;br /&gt;
| allcinema_id = 21445&lt;br /&gt;
| kinejun_id =&lt;br /&gt;
| amg_id =&lt;br /&gt;
| imdb_id = 0053125&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
『'''北北西に進路を取れ'''』（'''ほくほくせいにしんろをとれ'''、原題''North by Northwest''）は[[1959年]]製作の[[アメリカ映画]]。[[MGM]]映画提供。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== スタッフ ==&lt;br /&gt;
* '''製作・監督''' - [[アルフレッド・ヒッチコック]]&lt;br /&gt;
* '''脚本''' - アーネスト・レーマン&lt;br /&gt;
* '''撮影''' - ロバート・バークス&lt;br /&gt;
* '''音楽''' - [[バーナード・ハーマン]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== キャスト ==&lt;br /&gt;
* '''ロジャー''' - [[ケイリー・グラント]]&lt;br /&gt;
* '''イヴ''' - [[エヴァ・マリー・セイント]]&lt;br /&gt;
* '''タウンゼント''' - [[ジェームズ・メイソン]]&lt;br /&gt;
* '''殺し屋''' - [[マーティン・ランドー]]&lt;br /&gt;
* '''教授''' - [[レオ・G・キャロル]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== あらすじ ==&lt;br /&gt;
{{netabare}}&lt;br /&gt;
広告会社を経営するロジャー・ソーンヒル（[[ケーリー・グラント]]）は、ふとした偶然と勘違いの交錯で「ジョージ・キャプラン」という人物に間違えられ、謎の男達にとある山荘へ連れ去られる。そこで彼を待っていたのは、タウンゼントと名乗る紳士（[[ジェームズ・メイソン]]）だった。タウンゼントは、ロジャーにある仕事の依頼をするが、当のロジャーは何のことかさっぱり分からない。すると、これを仕事を拒否したと受け取ったタウンゼントは、ロジャーを泥酔させて車の運転をさせ、事故に見せかけて殺そうとする。九死に一生を得るロジャー。だが、これは彼の苦難のほんの序章に過ぎなかった。キャプランとは誰なのか。タウンゼントの目的は。常に生命の危機に晒されながらも、真相を探るため、全米を股にかけた彼の冒険が始まる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==ヒッチコック・サスペンスの集大成==&lt;br /&gt;
脚本はアーネスト・レーマンによるオリジナルで、ある男が「間違われる」ことをきっかけに大事件に巻き込まれ、自身のアイデンティティを探して冒険を繰り広げるというヒッチコック監督お得意のストーリーである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
前述の飲酒運転のシーン（スクリーンプロセス合成）は、現代のエフェクト慣れした眼から見るとやや興ざめだが、以後は目まぐるしい展開を見せる。国連ビル（撮影許可が下りなかったので外観はゲリラ撮影、内部はセット）での投擲ナイフによる殺人、[[20世紀特急|豪華列車]]でのロマンス、逃げ場のないトウモロコシ畑で執拗に主人公を迫う複葉機、4人の大統領の顔が刻まれた[[ラシュモア山]]でのクライマックスと、観客を飽きさせない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
前述の通り、この映画は監督が得意とする「巻き込まれ型サスペンス」であるが、他にも、主人公に対する警察など体制側の無理解、紳士然として魅力ある悪役、謎めいたブロンドのヒロイン、あえて意味をもたせない[[マクガフィン]]の使用法、随所にちりばめられたユーモア、「最小から最大へ、最大から最小へ」をキーワードにした大胆なカット構成、終盤に至る前に観客に謎を全て明かしてしまいラストのアクションに意識を集中させる構成など、ヒッチコックの映画に共通するパターンが全て詰め込まれ、最上の形で結実した集大成的作品である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
入り乱れる展開を予想させる[[ソウル・バス]]によるオープニングも印象深い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== エピソード ==&lt;br /&gt;
*タイトルの意味についてヒッチコックはこう語ったという。『正しい気象用語としては「North By Northwest」は間違いで「Northwest By North」が正しい。主人公はこの違いに気がつかないほど混乱してしまったんだ。』&lt;br /&gt;
*映画は、主人公とヒロインがキスをし、トンネルに突入する列車のシーンにカット替わりして終わる。これについてヒッチコックは、列車は男根の隠喩であり、自身の映画で最もわいせつなシーンだと語っている（ヒッチコック＝トリュフォー『映画術』）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==ヒッチコックの登場シーン==&lt;br /&gt;
{{Commons|Category:North by Northwest (1959 film)}}&lt;br /&gt;
オープニングタイトルの最後に、バスに乗り遅れる乗客として登場。かなり解りやすく映っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 吹き替え ==&lt;br /&gt;
* 1971年 テレ東版&lt;br /&gt;
** ケーリー・グラント：[[中村正]]&lt;br /&gt;
** エヴァ・マリー・セイント：[[北浜晴子]]&lt;br /&gt;
** ジェームズ・メイソン：[[横森久]]&lt;br /&gt;
** マーティン・ランドー：[[納谷六朗]]&lt;br /&gt;
** レオ・G・キャロル：[[真木恭介]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* 1980年 フジ版&lt;br /&gt;
** ケーリー・グラント：[[井上孝雄]]&lt;br /&gt;
** エヴァ・マリー・セイント：[[吉野佳子]]&lt;br /&gt;
** ジェームズ・メイソン：[[川合伸旺]]&lt;br /&gt;
** マーティン・ランドー：[[西沢利明]]&lt;br /&gt;
** レオ・G・キャロル：[[大木民夫]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{アルフレッド・ヒッチコック監督作品}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:ほくほくせいにしんろをとれ}}&lt;br /&gt;
[[Category:アメリカ合衆国の映画作品]]&lt;br /&gt;
[[Category:1959年の映画]]&lt;br /&gt;
[[Category:アルフレッド・ヒッチコックの監督映画]]&lt;br /&gt;
[[Category:サスペンス映画]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[de:Der unsichtbare Dritte]]&lt;br /&gt;
[[en:North by Northwest]]&lt;br /&gt;
[[es:North by Northwest]]&lt;br /&gt;
[[fi:Vaarallinen romanssi]]&lt;br /&gt;
[[fr:La Mort aux trousses]]&lt;br /&gt;
[[he:מזימות בינלאומיות]]&lt;br /&gt;
[[hr:Sjever-sjeverozapad]]&lt;br /&gt;
[[hu:Észak-Északnyugat]]&lt;br /&gt;
[[is:North by Northwest]]&lt;br /&gt;
[[it:Intrigo internazionale]]&lt;br /&gt;
[[nl:North by Northwest]]&lt;br /&gt;
[[no:Med hjertet i halsen]]&lt;br /&gt;
[[pl:Północ, północny zachód]]&lt;br /&gt;
[[pt:North by Northwest]]&lt;br /&gt;
[[simple:North by Northwest]]&lt;br /&gt;
[[sv:I sista minuten]]&lt;br /&gt;
[[zh:西北偏北]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>小川義行</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%B3%E5%B0%BE%E9%89%B1%E6%AF%92%E4%BA%8B%E4%BB%B6</id>
		<title>足尾鉱毒事件</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%B3%E5%B0%BE%E9%89%B1%E6%AF%92%E4%BA%8B%E4%BB%B6"/>
				<updated>2007-09-14T01:07:19Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;小川義行: “2006年8月4日 (金) 06:41の版 (編集) ”における、“過誤による置換？”を、ひとつ前の“2006年8月4日 (金) 06:08の版 (編集)”の版の状態に戻した。&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''足尾鉱毒事件'''（あしおこうどくじけん）は、[[19世紀]]から[[20世紀]]の[[栃木県]]、[[群馬県]]で起きた[[足尾銅山]]の[[公害]]事件。明治時代後期に発生した日本の公害の原点である。原因企業は[[古河鉱業]]（現在の古河機械金属）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 経緯 ==&lt;br /&gt;
[[Image:AshioKodoku1.jpg|thumb|200px|煙害により崩落を続ける足尾の山（赤倉山麓） 2005年3月撮影]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 鉱山の近代化 ===&lt;br /&gt;
現在の栃木県日光市足尾地区では[[江戸時代]]から銅が産出していたが、その最盛期は江戸時代前期であり、幕末はほとんど廃山の状態で国有となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[明治維新]]後、民間に払い下げられ、[[1877年]]に[[古河市兵衛]]の経営となる。古河は鉱山発掘の近代化を進めると[[1885年]]までに大鉱脈が発見され、西欧の近代鉱山技術を導入し、日本最大の鉱山となり、年間生産量が数千トンと東アジア一の銅の産地となる。この銅は当時の日本の輸出品となった&amp;lt;ref&amp;gt;この時期の全国の銅生産量の1/4は足尾銅山が占めていた。&amp;lt;/ref&amp;gt;。しかし、精錬排煙や精製時に発生する鉱毒ガス（主成分は[[二酸化硫黄|亜硫酸ガス]]）と鉱毒（主成分は[[銅]][[イオン]]などの金属イオン）により、付近の環境は大きな被害を受けることとなる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 鉱毒公害の発生 ===&lt;br /&gt;
鉱毒ガスやそれによる[[酸性雨]]により[[足尾町]]（当時）近辺の山は禿山となった。木を失い土壌を喪失した土地は次々と崩れていった。この崩壊は[[2007年]]現在も続いている&amp;lt;ref&amp;gt;なお、19世紀にここで山火事があったことから、山が禿げたのは山火事が原因だという主張もある。&amp;lt;/ref&amp;gt;。崩れた土砂は[[渡良瀬川]]を流れ、下流で[[堆積]]した。このため、渡良瀬川は[[足利市]]付近で[[天井川]]となり、足尾の山林の荒廃とともに[[カスリーン台風]]襲来時は洪水の主原因となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
鉱毒による被害はまず、[[1885年]]、渡良瀬川の鮎の大量死という形で現れた。ただし、当時は原因が分かっておらず、これを8月12日に最初に報じた朝野新聞も、足尾銅山が原因かもしれないというような、あいまいな書き方をしている。同年10月31日、[[下野新聞]]が前年ごろから足尾の木が枯れ始めていることを報じ、これら2つが足尾銅山と公害を結びつける最初期の報道と考えられる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 被害の拡大 ===&lt;br /&gt;
[[画像:Shozo Tanaka.jpg|thumb|180px|田中正造]]&lt;br /&gt;
次に、渡良瀬川から取水する田園や、洪水後、足尾から流れた土砂が堆積した田園で、稲が立ち枯れるという被害が続出した。これに怒った農民らが数度に渡り蜂起した。[[田中正造]]はこのときの農民運動の中心人物として有名である。なお、この鉱毒被害の範囲は渡良瀬川流域だけにとどまらず、[[江戸川]]を経由し行徳方面、[[利根川]]を経由し[[霞ヶ浦]]方面まで拡大した。田畑への被害は、特に1890年8月と1896年7月21日、8月17日、9月8日の3度の大洪水で顕著となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1892年]]の[[古在由直]]らによる調査結果によれば、鉱毒の主成分は銅の化合物、[[亜酸化鉄]]、[[硫酸]]。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1901年には、足尾町に隣接する[[松木村]]が煙害のために廃村となった。このほか、松木村に隣接する久蔵村、仁田元村もこれに前後して同様に廃村となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[#対策|対策]]の節で述べる工事が1897年から1927年にかけて行われると、表だった鉱毒被害は減少した。しかし、渡良瀬川に流れる鉱毒がなくなったわけではなかった。他の地域と異なり、渡良瀬川から直接農業用水を取水していた群馬県[[山田郡 (群馬県)|山田郡]][[毛里田村]]（現太田市毛里田）とその周辺では、大正期以降、逆に鉱毒被害が増加したと言われる。1971年には毛里田で収穫された米からカドミウムが検出され出荷が停止された。古河鉱業はカドミウム被害は認めていないが、群馬県がこれを断定した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 閉山 ===&lt;br /&gt;
[[1973年]]までに足尾の銅は掘りつくされて閉山、公害は減少した。ただし、精錬所の操業は[[1980年代]]まで続き、鉱毒はその後も流されたとされる。1989年にJR[[足尾線]]で貨物が廃止になると、原料鉱石の搬入量が減少し、鉱毒はさらに減少したとされる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、どの時代も科学的な分析がほとんどされていないため、公害の内容はあまり明らかにはなっていない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
明確に分かっている鉱毒の量は、[[1972年]]度、環境庁が足尾町に設置した測定局における[[二酸化硫黄]]（[[亜硫酸ガ]]ス）濃度が、旧環境基準に適合していなかった。足尾町内1局の測定局のうち、1局が不適合で、都市内全測定局の値が不適合となったのは、測定局のある都市の中では、この年度、足尾町のみである（ただし当時の[[環境白書]]は、[[鉱毒]]被害とは明示していない）。[[1981年]]9月7日に足尾町の中才浄水場から排出された排水から、基準値の2倍、協定値の3倍の銅が検出されたというものがある。このほか、[[毛里田村]]鉱毒根絶期成同盟会などが独自に測定した値などがある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1899年]]の群馬栃木両県鉱毒事務所によると、鉱毒による死者・死産は推計で1064人。これは、鉱毒被害地の死者数から出生数を単純に減じたものである。[[松本隆海]]は、すべてが鉱毒が原因だとはいえないかもしれないが、当時の日本は出生数のほうが多いにもかかわらず、死者数のほうが多いのは、鉱毒に関連があるとしている（実際には、鉱毒が原因で貧困となり、栄養状態が悪化して死亡した者が多く含まれていると考えられるが、[[田中正造]]や松本はこれらも鉱毒による死者とすべきだとしている）。この数値は、田中正造の国会質問でも使用された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
鉱毒激甚地であった当時の[[安蘇郡]][[植野村]]字船津川地区（現[[佐野市]][[船津川町]]）の[[死産]]率は明らかに全国平均を超えていることも鉱毒事務所は指摘している。松本隆海は、『足尾鉱毒惨状画報』（[[1901年]]）で、安蘇郡界村字高山（現佐野市[[高山町]]、当時の人口約800人）で、5年間で兵役合格者がわずか2名しか出ておらず（適齢者は延べ50名）、しかも、その合格者のうち1名も入隊後10日で病気で除隊となったという逸話を紹介している。[[田口掬汀]]は、海老瀬村の鉱毒被害者向けの診療所の医師に聞いた話として、忙しくて統計はとっていないが、ひと月に2300名を越える患者を診断し、うち半数が眼病であったが、これは[[地質]]が及ぼす結果だろうとこの医師は推測していることを[[佐藤儀助]]編『亡国の縮図』（[[1902年]]）で紹介している。また、元谷中村村民の[[島田宗三]]は、自身の父と祖父は、鉱毒水を飲んで胃を冒されて死亡した、と主張している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 政府の鉱毒対策 ==&lt;br /&gt;
[[1891年]]からたびたび田中正造が国会で質問したにもかかわらず、政府は積極的には鉱毒対策を行わなかった。この時代は、1891年刊行の[[吾妻村 (栃木県)|吾妻村]]民らによる鉱毒の記録集『[[足尾銅山]]鉱毒・[[渡良瀬川]]沿岸事情』を発刊直後に発売禁止にするなど、[[言論封殺]]が主な対策であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 第一次 ===&lt;br /&gt;
[[1897年]]、鉱毒被害地の農民が大挙して東京に陳情（当時の表現では押出し）を行うなど、世論が高まると、同年3月、政府は[[足尾銅山鉱毒調査委員会]]を設置し、数度の[[鉱毒予防令]]を出した。特に大規模なものは[[1897年]]5月の第3回目の予防令で、古河側に、排水の[[濾過]]池・[[沈殿]]池と[[堆積場]]の設置、[[煙突]]への[[脱硫装置]]の設置を命令した。これらはどれもが数十日の期限付きで、一つでも遅れた場合には閉山するというものだった。古河側は当時珍しかった電灯などを活用し、24時間体制で工事を行った結果、すべての工事が期限内に間に合った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、これらの装置は、満足に役には立たなかった。政府は長年、この予防令による工事と、後述する渡良瀬川の改修工事（[[1927年]]竣工）で鉱毒問題は解決したとしてきたが、[[1993年]]、『[[環境白書]]』で、当時の対策が不十分で、根本的な解決とはならなかったことを認めた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
具体的には、濾過池・沈殿池は翌[[1898年]]には決壊し、再び下流に鉱毒が流れ出した。煙突の脱硫装置も、当時の技術レベルでは機能せず、効果は無いに等しかった。堆積場からの鉱石くずの流出は、既に[[1902年]]の第二次鉱毒調査委員会で指摘されている（しかし、第二次鉱毒調査委員会は特にそれを問題視することはなかった）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被害民の一部は、鉱毒予防工事の効果はないものとみなして再び反対運動に立ち上がり、3回目（[[1898年]]9月）と4回目（[[1900年]]2月）の大挙上京請願行動（押出し）を決行した。4回目の押出しでは、農民側と警察側が衝突して大勢の逮捕者が出た（[[川俣事件]]）。しかし、実はその翌年（[[1901年]]）の秋には、工事の効果が現れはじめ、新聞も農地がかなり回復していると報道した。たとえば、10月6日付の『東京朝日』には、「激甚被害地を除く他は極めて豊作」と出ている。ただし、これらの報道については、当時のマスコミのみの取材能力では、渡良瀬川沿岸全域を調査したとは考えられず、一部地域のみの情報を元にしたものであるという指摘がされている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
第一次鉱毒調査委員会はこれ以外に、鉱毒被害民に対し[[免租]]を行った。これは農民の要求を受け入れたものだが、この措置のおかげで選挙権を失うものが続出、誰も立候補できずに村長が選べない村も出るという弊害も生まれた（当時は一定額の直接税を納めないと選挙権が得られなかった）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 第二次 ===&lt;br /&gt;
[[田中正造]]の直訴後、学生が相次いで団体で足尾見学に向かうなど、世論の盛り上がりにあわてた政府は、[[1902年]]に第二次鉱毒調査委員会を設置した。同委員会は[[1903年]]に、[[1897年]]の予防令後は鉱毒は減少したと結論づけ、洪水を防ぐために渡良瀬川下流に鉱毒沈殿用の大規模な「遊水池」を作るべきとする報告書を提出した。しかし、第二次鉱毒調査委員会は、前述のとおり、予防令による工事で鉱毒は減少したとは結論づけたが、鉱毒が消滅したという調査結果はない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同調査会の結論は「作物に被害を与える銅分は、予防工事前の残留分で現業によるものは少ないとして[[古河鉱業]]の責任を解除した」（由井正臣『田中正造』）ものだったが、実際、[[1903年]]10月には「被害地の稲は豊作」になり、田中正造も「被害地豊作の実況」と題する演説をして歩いた（『田中正造全集・別巻』477頁）。&lt;br /&gt;
この演説で正造は、「豊作の原因は断じて工事の効果ではない。去年の大洪水による山崩れで、新しい土が被害農地にかぶさったためだ」と抗弁した。この説は[[2006年]]現在、国土交通省も支持している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、群馬県山田郡側の鉱毒被害は、この時代、逆に増加したといわれる。理由は不明だが、大正時代、[[製錬]]方法が浮遊選鉱法に変更されたことにより渡良瀬川を流れる鉱石くずの粒が細かくなり、浮遊したまま川を流れるようになったため、上流部の渡良瀬川右岸に多く流れ込んで堆積するようになったと考える研究者がいる。群馬県側の鉱毒被害および鉱毒反対運動については後述する。この時代、鉱毒が減ったような報道が多くされたのは、鉱毒発生当初は山田郡は鉱毒激甚地とはみなされていなかったため、マスコミが取材に訪れなかったためだと考える研究者がいる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
第二次鉱毒調査会の報告書を受け、栃木県、群馬県、[[埼玉県]]、[[茨城県]]の境に、鉱毒沈殿用の[[渡良瀬遊水地]]が作られた。当初、埼玉県側に作られる予定であったが、激しい反対のために栃木県側に予定が変更された。この土地は元々、農業を主な産業としていた栃木県下都賀郡[[谷中村]]であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
谷中村には田中正造が住み、公害運動の拠点となっていたことから、運動をつぶすための決定だといわれた。谷中村はこれに激しく抵抗し、隣の[[藤岡町]]との合併案を否決した。谷中村は[[1906年]]に強制廃村となり、藤岡町に合併された。また、渡良瀬川の河川工事もこの時代に行われた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1910年]]から[[1927年]]にかけ、谷中村を遊水地にし、渡良瀬川の流れの向きを変えるなど、大規模な河川工事が行われ、洪水は減少した。しかし、足尾の山から流出する土砂が下流で堆積するのは止まらなかった。また、下流地域での鉱毒被害が減っただけで、新たな鉱毒の流出が消滅したわけではなかった。政府が当時のこれらの対策が不十分であることを認めたのは、前述したとおり1993年であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 戦後 ===&lt;br /&gt;
[[1947年]]の[[カスリーン台風]]以降、政府は渡良瀬川全域に堤防を作った。この堤防工事は20年ほどかかった。堤防の竣工以後、渡良瀬川では大規模な洪水はない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
土砂の流出を防ぐため、1960年、足尾町に防砂ダムの[[足尾ダム]]（通称、三沢合流ダム）が作られた。容積500万[[立方メートル]]で、[[利根川]]水系の[[防砂ダム]]としては最大。また、日本でも最大級の防砂ダムだとされる。[[2003年]]現在の堆砂率は67%。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
土砂の流出防止と、鉱毒の沈殿を主目的にした多目的ダム、[[草木ダム]]が渡良瀬川上流の群馬県勢多郡[[東村 (群馬県勢多郡)|東村]]に作られた（[[1977年]]竣工）。このダムは当初、鉱毒対策をその目的の中に入れていなかったが、参議院議員[[近藤英一郎]]（当時）が商工委員会で質問を行った結果、このダムについては「水質保全に特に留意」することとされた経緯がある。鉱毒を下流に流さないようにするための半円筒形多段ローラーも採用された。このダムは常時水質検査が行われ、結果が随時公表されているが、そのような多目的ダムは日本にはほとんど存在しない。竣工が銅山の閉山後だったこともあり、[[水質]]検査では異常な値はあまり検出されていない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1976年]]7月30日、[[群馬県]]、[[栃木県]]、[[桐生市]]、[[太田市]]と[[古河鉱業]]の間で[[公害防止協定]]が締結された。ただし、後述する[[毛里田地区鉱毒根絶期成同盟会]]はこの協定への参加を拒否した。この協定に基づき、水質検査などが行われている。鉱毒被害地の農地の土地改良も、公害防止協定締結後に行われた（後述）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお、協定に基づく水質検査の結果、降雨時の堆積場からの水質が[[環境基準]]を超えていることがあることを群馬県が[[2005年]]に指摘している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 鉱毒反対運動 ==&lt;br /&gt;
=== 明治期 ===&lt;br /&gt;
鉱毒反対運動は、現在の栃木県[[佐野市]]と藤岡町で盛んであった。最初の運動は、[[1890年]]、栃木県足利郡吾妻村（現在の佐野市吾妻地区）会が足尾鉱山の操業停止を求める決議を採択した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
佐野出身の衆議院議員[[田中正造]]は[[1891年]]以降、たびたび国会で鉱毒の質問を行い、鉱毒の害は全国に知れ渡った。栃木県は鉱毒仲裁会をつくり、古河側が、1893年頃に農民に示談金を払い、1896年6月末までに対策を行って鉱毒をなくすという内容で示談を行わせた。これに対し、田中正造はこの示談を行わないよう運動を行った。しかし、1896年の大洪水でさらに鉱毒が拡大し、対策がなされていないことが判明すると、農民側は示談契約書を根拠に再度交渉を行った。このとき、古河側が農民に若干の示談金を与えるかわりに、それ以前、以後の鉱毒被害の請求権を放棄するという内容の永久示談に切り替えた。このため、この後には鉱毒問題はないという主張もされる。しかし、示談金の受け取りを拒否した農民もおり、鉱毒反対運動はこの後も続いた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
森長英三郎によれば、1893年の時限付き示談の内容は、古河市兵衛が農民8414人の被害地4360町96畝06歩に対し76602円96銭9厘を支払うというもので、1896年の永久示談は農民5127人の被害地2207町43畝14歩に対し30119円23銭2厘を払うというものであった。森長の概算によれば1893年の示談の平均は1反あたり1円75銭、1896年の示談の平均は1反あたり1円54銭である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
反対運動が最も盛んになったのは、[[1896年]]の洪水以降で、田中正造の主導の元、10月4日、群馬県邑楽郡[[渡瀬村 (群馬県)|渡瀬村]]（現在の館林市下早川田町）にある雲龍寺に、栃木・群馬両県の鉱毒事務所が作られた。ここは、被害農民の集結所となった。この後、東京への[[陳情]]に出かける農民と警官隊との衝突も起きた。このような陳情には当時名がついておらず、農民らは「押出し」と読んだ。布川了によれば、大規模な押出しは明治期に6回行われている（1897年3月2日、1897年3月24日、1898年9月26日、1900年2月13日、1902年2月19日、1902年3月2日）。&amp;lt;!---女押出を復帰。押出を4回とする説は、川俣事件以降押出は行われなかったと主張する者が広めたようです---&amp;gt;&amp;lt;!---（1897年3月2日、1897年3月24日、1898年9月26日、1900年2月13日。4回目の押し出しで活動家は皆逮捕された。これ以降の鉱毒反対運動は不可能だし、農地の回復で押し出しの必要もなかった。なぜ、定説に逆らってまで6回だと主張するのか。まともな人が書いているとはとても思えない。）---&amp;gt;&amp;lt;!---ではノートに書きます---&amp;gt;第3回押出しで、与党議員であった田中は農民等を説得して大部分を帰郷させたが、直後に政権が崩壊。田中は第4回押出しを行うための機関、鉱毒議会を現地栃木・群馬県で組織させた。押出しについては[[川俣事件]]も参照のこと。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;!---女押出を復帰。押出を4回とする説は、川俣事件以降押出は行われなかったと主張する者が広めたようです---&amp;gt;1896年には群馬県議会が足尾銅山の操業停止を求める議決（『鉱毒ノ儀ニ付建議』）を行った。一方、栃木県議会は1890年に足尾銅山の調査を求める議決を行っていたが、鉱毒被害地と足尾銅山双方の地元であるという事情から議会が紛糾し、1896年には鉱毒に関する議決は行わなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
当時、[[日清戦争]]・[[日露戦争]]のさなかであった政府としては、鉱山の操業を止める事はできず、反対運動を食い止めるため、政府は運動の盛んだった谷中村の廃村を決し、[[1907年]]強制破壊が行われる。その後、村民は主に隣の藤岡町や群馬県板倉町にあたる地域、下都賀郡の他の町村、古河町（現在の古河市）、那須郡、北海道常呂郡[[佐呂間町]]に移住させられた。この移住は強制ではなかった。また、元谷中村民以外も一緒に移住したが、実質的には元谷中村民救済の意味が強かった。なお、佐呂間町にある「栃木」という地名は、この移住の際につけられたものである。移住を拒否し、破壊された谷中村の自宅跡に住み続けた元村民もいる。ただし、1917年には全員が村を退去した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
鉱毒反対運動は、谷中村の廃村や、渡良瀬川の大工事による洪水の減少などによりしだいに弱まり、特に1902年以降、足利郡、梁田郡、安蘇郡、下都賀郡、邑楽郡の鉱毒被害地が豊作になると弱体化した。さらに運動の中心人物であった田中正造が1913年に没するとほぼ消滅した。しかし、群馬県山田郡の鉱毒被害は止まず、この地区ではこの後も鉱毒反対運動が続いた（後述）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 足尾町での運動 ===&lt;br /&gt;
煙害に困った足尾町赤倉地区の住民が[[1920年]]に煙害問題安定期成会を結成。古河鉱業と直接交渉を行った。しかし、土地柄、銅山との商取引で生計を立てている者が多く、運動は盛り上がらなかった。最終的に、銅山に全く依存していない数軒のみが賠償を受けることに成功したが、逆に町内の分断を招いた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 大正期・昭和期・平成期 ===&lt;br /&gt;
[[Image:OttoseiIwa.jpg|thumb|200px|オットセイ岩（手前）と源五郎沢堆積場（対岸奥）。間にわたらせ渓谷鉄道の線路がある。川は渡良瀬川]]&lt;br /&gt;
渡良瀬川から農業用水を取水していた中流右岸の待矢場両堰普通水利組合（現在の待矢場両堰土地改良区。主に群馬県山田郡、邑楽郡の町村に用水を供給していた）と三栗谷用水普通水利組合（現在の三栗谷用水土地改良区、主に足利郡右岸に用水を供給）は、古河側と永久示談を行わず、期限つきの示談交渉を数度に渡り延長する方式をとっていた。しかし、[[1902年]]、[[1904年]]に古河側は状況が変わったとして示談延長を停止。両組合は、賠償請求額を算出するためにそれぞれ独自にたびたび足尾の現地視察などを行った。[[1917年]]、待矢場両堰普通水利組合は、渡良瀬川には鉱毒はなくなっていないとする意見書を群馬県知事に提出した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1924年]]には干ばつがあり、これは、[[水源地]]の足尾の[[山林]]が荒廃して[[保水]]能力を失ったためだと考えた両組合は、それぞれ別個に活動を行い、[[1925年]]には群馬県側の農民ら数千人の署名が集められ、貴族院、衆議院、内務大臣、農務大臣宛てに請願書が提出される。この内容は主に、鉱害による損害賠償請求が行えるようにして欲しいというものだった（当時は原告に立証責任があったため、裁判で勝つ見込みがなかった）。この要望は[[1939年]]に実現した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一方、三栗谷用水は、鉱業取り締まりや鉱業法改正の嘆願書を内務・農林・商工大臣宛に提出。この嘆願書は[[1926年]]から[[1933年]]までほぼ毎年提出された。なお、この時代、両水利組合が共同で行った運動も若干ある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1936年]]に三栗谷用水は古河鉱業から事業資金の一部8万5千円を提供させ、取水口の改良工事を行い、それまでの渡良瀬川からの直接取水から、[[伏流水]]を主に取水する方式に変更した。この際、古河側は永久示談を要求。今後一切現金提供を求めないという条文が契約書に盛り込まれたが、工事は[[1950年]]の第4次工事まで続き、最終的に古河側は総工費3200万円の4%にあたる119万円を負担した。第4次工事で、用水本流上に中川鉱毒沈砂池（[[1948年]]竣工）が設けられ、下流部の鉱毒被害は激減した。しかし、最新の鉱毒防止装置の維持費は、その後も用水利用料増加という形で農民の負担となった。なお、事業そのものは[[1967年]]竣工の第5次まで続いたが、第5次工事には古河は金銭を負担していない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1938年]]、[[1939年]]には渡良瀬川で大洪水があり、鉱毒が再度農地に流れ込んだ。同年、渡良瀬川改修群馬期成同盟会が結成され、内務省に対して渡良瀬川の河川改修や水源地の涵養などを求める陳情が行われた。陳情は[[1940年]]までに22回行われた。1940年、政府はこの事業に予算をつけるが、第二次世界大戦のため、あまり大規模な改修は行われなかったらしいという推測もある。政府が渡良瀬川の大改修を行うのは戦後であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これ以降の時代は、国策である銅の増産に協力しない者は非国民であるという主張がされるようになり、鉱毒反対運動は一時下火になった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1945年、終戦となり、言論・集会への弾圧が行われなくなると、翌[[1946年]]、群馬県東部の渡良瀬川流域の農民が集まり、足尾銅山精錬所移転期成同盟会が結成された。この会はすぐに鉱害根絶同盟会と名称を変更し、古河鉱業と直接交渉を行った。周辺市町村は渡良瀬川改修群馬期成同盟会を沿岸鉱毒対策委員会と名称変更して鉱毒反対運動を続け、1953年、鉱害根絶同盟会は官製の対策委員会に吸収される形でいったん消滅した。対策委員会は古河鉱業から土地改良資金の20分の1（800万円）を受け取り解散した。800万円は、待矢場両堰土地改良区（水利組合が名称を変更したもの）の口座に入金された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これらの資金を基に、待矢場両堰も三栗谷用水と同様、伏流水を取水するための工事を行ったが、用水の規模が違いすぎ、伏流水のみでは必要量を確保できなかった。待矢場両堰はその後も渡良瀬川からの直接取水を続けた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、[[1958年]]5月30日、足尾町オットセイ岩付近にある源五郎沢堆積場が崩壊。崩れた鉱石くずが渡良瀬川を流れ、渡良瀬川から直接農業用水を取水していた群馬県山田郡毛里田村（現在の[[太田市]]毛里田）の田畑に流れ込んだ。この後この地で再び鉱毒反対運動がさかんになる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
6月11日には毛里田村の農民らが足尾を訪れるが、古河側は自身に責任はないという主張を繰り返した。しかし、[[日本国有鉄道|国鉄]]には、鉱石くずの流出で線路が流れたことに対して補償金を払っていたことが直後に判明。住民らが激怒し、7月10日、毛里田村期成同盟会（のちの毛里田地区期成同盟会）が結成され、これを受け、さらに8月2日、[[群馬県]][[桐生市]]、[[太田市]]、[[館林市]]、[[新田郡]]、[[山田郡 (群馬県)|山田郡]]、[[邑楽郡]]の農民が中心となって群馬県東毛三市三郡渡良瀬川鉱毒根絶期成同盟会が再度結成される。古河側は150万円の見舞金を提示したが、毛里田村民側は賠償金の一部としてでなければ受け取れないと拒否。また、この交渉過程で、[[1953年]]に土地改良資金を提供したときに、永久示談を行ったと古河側は主張。当時の契約書も提示された。この契約書に関しては、[[1966年]]、[[参議院]]商工委員会で[[鈴木一弘]]委員（当時）が有効性があるのかと問いただしたところ、農林省、通産省の担当者は、それぞれ、契約書に署名した水利組合理事長に独断でそのような契約を結ぶ権限があったか疑わしく、また、契約後も鉱毒被害が発生していることから、永久示談の成立には否定的な答弁を行っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この時期の鉱毒反対運動は、最大の被害地、毛里田村期成同盟会（のちの毛里田地区期成同盟会）が活動の中心となった。この後、バスを使った押出しが行われた。明治期のものと区別するため、昭和期のものは昭和の押出しと呼ばれる。同年設置された政府の水質審議会指定河川から渡良瀬川が除外されたことも運動を大きくする原因になった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1962年]]、[[水質]]審議会に渡良瀬川専門部会を設け、毛里田村期成同盟会会長が会長を辞職すれば、この会長を審議会委員に加えてよい、という内容の政治的な妥協がはかられたが、当初、毛里田村同盟会は同盟会の運動の分断を図ろうとするものだとして激しく抵抗した。また、そのような主張が認められるなら、同じく委員になっている[[古河鉱業]]の社長もその職を辞すべきだという主張もあった。しかし、会長はこれを受け入れ、会長を辞職した上で水質審議委員となった。しかし、この委員の意見はほとんど無視されたため、[[1964年]]10月5日、再び押出しが行われた。水質基準は[[経済企画庁]]の提案による銅0.06ppmという値で、[[1968年]]に決定された。毛里田地区期成同盟会（毛里田村期成同盟会が名称変更したもの）は、0.02ppmを主張したがこれは受け入れられなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この間、[[1966年]]9月ごろ、足尾町の天狗沢堆積場が決壊。再度、鉱毒が下流に流れた。しかし、古河側はこの事実を公表しなかった。期成同盟会の住民は、群馬県からの連絡でこの事実を知った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1971年]]に毛里田で収穫された米から[[カドミウム]]が検出され、直後、農民らは80年分の賠償金120億円を古河鉱業に請求した。[[1972年]]、[[群馬県]]は、米の汚染は足尾銅山の鉱毒が原因と断定。3月31日、農民971人が古河鉱業に賠償金総額39億円の支払いを求め群馬県[[公害審査会]]に[[調停]]を申請した。4月3日、県は毛里田地区の土壌汚染についても足尾銅山の鉱毒が原因と断定。1974年に、農地359.8haを土壌汚染対策地域農用地に指定した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1974年]]5月11日、群馬県公害審査会から事件の処理を引継いだ[[公害等調整委員会]]において調停が成立し、古河鉱業は15億5000万円を支払った。これは、古河側が鉱毒事件で責任を認めて賠償金（契約書上の文言は「補償金」）を支払った最初の出来事である。（それ以前の資金提供は常に「寄付金」「見舞金」「協力金」などの名目で、賠償金ではなかった）ただし、古河鉱業側は、銅の被害のみを認め、カドミウムについては認めなかった（農民側も、調停申請にはあえてカドミウム問題は提示せずに早期解決を目指したという理由もある）。このときの調停の内容に含まれていた土地改良は、1981年に始まり[[1999年]]に完了した。古河鉱業は土地改良事業費43億4000万円のうち51%を負担し、残りの大部分は国と群馬県が負担した（ごく一部を桐生市と太田市が負担）。土地改良には農民の金銭の負担はない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
毛里田地区の鉱毒反対運動は、どこからも主だった支援を受けず、農民の手弁当による活動であるところが他の同種の運動と大きく異なる。ただし、支援の申し出がなかったわけではなく、受け入れ体制が整わなかったのが支援を受けなかった理由であるという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
毛里田地区の調停成立直後の[[1974年]]11月18日、群馬県桐生市で桐生地区鉱毒対策委員会が設立され、農民444人が古河鉱業に対し交渉をもった。[[1975年]]11月18日和解が成立し、古河鉱業は銅などによる鉱毒被害を認め、2億3500万円を支払った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1974年]]10月25日、太田市韮川地区鉱毒根絶期成同盟会の農民546人が、13億円の賠償を古河鉱業に請求。[[1976年]]12月1日、和解が成立し、古河鉱業は1億1千万円を支払った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
毛里田地区で申請漏れになっていた住民が、公害等調整委員会に調停を申請。1977年12月、390万円で和解が成立した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1994年]]、毛里田地区鉱毒根絶期成同盟会と、韮川地区鉱毒根絶期成同盟会が合併。鉱毒根絶太田期成同盟会となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2000年]]、[[2003年]]、[[2004年]]に、群馬県は農用地土壌汚染対策指定地域を追加指定。これまでに指定され、まだ解除されていない農地も含め、[[2005年]]現在の対策指定地域は53.74haである。[[2000年]]以降の追加指定地は、大部分が[[1970年]]代の調査が不十分で調査洩れになっていた地域と考えられている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2004年]]、桐生市議会は、足尾町の中才浄水場に自動取水機の設置を求める要望書を採択した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Image:KoudokuKonzetsu.jpg|thumb|200px|毛里田地区の祈念鉱毒根絶碑。「土」の字をかたどっている。記念碑としなかったのは、鉱毒問題が解消していないため。[[1977年]]建立]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 植林・治山事業 ==&lt;br /&gt;
荒廃した足尾地区の森林を復元するため、1897年、当時の農商務省により足尾に植林が命じられ、以後、現在（2006年）に至るまで[[治山]]事業が続けられている。ただし、明治期と昭和初期には植林が行われなかった時代がそれぞれ数年ずつあった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
治山事業に要した費用（荒廃地復旧経費）は、前橋営林署（現在の関東森林管理局群馬森林管理署）によれば、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* [[1897年]]～[[1899年]]         31,111円&lt;br /&gt;
* [[1906年]]～[[1913年]]        405,917円&lt;br /&gt;
* [[1914年]]～[[1926年]]         99,590円&lt;br /&gt;
* [[1927年]]～[[1940年]]        163,484円&lt;br /&gt;
* [[1947年]]～[[1975年]] 1,659,574,000円&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
である（[[1976年]]以降も植林事業は行われている）。前橋営林署の治山事業は、国有林を対象に行われている。このほか、栃木県が1958年ごろから別に民有地に治山事業を行っている。栃木県が植林している民有地は、ほとんどが古河機械金属の所有地である。税金を投じて私有地への大規模な[[植林]]を行うことに批判もある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1988年に前橋営林署が足尾地区の治山事業に使用した金額は、2億9400万円であり、栃木県は5億8500万円を投じた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1999年に建設省が足尾地区の[[治山事業]]に投じた金額は、20億3000万円であり、栃木県は8億円、林野庁は2億5000万円を投じた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
このほか、古河鉱業は[[1960年]]に国有林復旧への協力金として政府に約360万円を支払った。これは[[1957年]]～[[1960年]]分として支払われ、これ以前の分については[[時効]]だという解釈がされた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 古河側の主張 ==&lt;br /&gt;
足尾鉱毒事件に関しては、主に被害者側の視点での記述が多いが、中立性を確保するため、古河側の主張も併記する。ただし、古河側が直接、[[鉱毒]]に関して言及している例は非常に少ない。古河側の直接的な文献で、鉱毒に関する言及が多い文書には、[[古河鉱業]]刊『創業100年史』（1976年）がある。なお、古河鉱業は鉱毒という語を用いず、「[[鉱害]]」という語を用いている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これによれば、[[1740年]]に既に[[渡良瀬川]]沿岸で鉱毒による免租願いが出されていることが当時の文献から確認でき、鉱毒は古河の経営になる前から存在したと主張している。また、当時は圧力があって文献では残っていないが、[[1821]]年に鉱毒被害があった、という研究も紹介している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
古河側の主張によれば、（第1次）鉱毒調査会による鉱毒防止令による工事と、[[大正時代]]までに行われた渡良瀬川の治水工事により、鉱毒は「一応の解決をみた」（『創業100年史』より）と述べている。この時代、待矢場両堰普通水利組合などが鉱毒に言及していたことについては記述がない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
源五郎沢堆積場崩壊事故後の毛里田地区鉱毒根絶期成同盟会との交渉については（それ以前から鉱毒問題に関しては）、「つねに前向きの姿勢で対処してきた」（『創業100年史』より）と述べている。古河側が時効の成立を主張したことなどについては言及がある。1974年の調停で、鉱毒問題については「終止符が打たれた」（『創業100年史』より）と述べているが、[[古河鉱業]]が[[カドミウム]][[汚染]]に関する責任を認めていないことについての言及はない（[[1976年]]に結ばれた公害防止協定への言及もないが、協定成立年とこの文献の発行年が同年であることから、編集に間に合わなかったという可能性もある）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 注釈 ==&lt;br /&gt;
&amp;lt;references/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 文献 ==&lt;br /&gt;
* 待矢場両堰普通水利組合『待矢場両堰々史』（1922年）&lt;br /&gt;
* 内水護『資料足尾鉱毒事件』（1971年）&lt;br /&gt;
* 古河鉱業『創業100年史』（1976年）&lt;br /&gt;
* 渡良瀬川鉱毒根絶毛里田期成同盟会『祈念鉱毒根絶の碑』（1977年）&lt;br /&gt;
* 東海林吉郎、菅井益郎『通史足尾鉱毒事件 1877-1984』（1984年）&lt;br /&gt;
* 佐野市郷土博物館『田中正造と足尾鉱毒』（1988年）&lt;br /&gt;
* 板橋信次郎『毛里田村を主とする鉱毒記録抜き書き』（1992年）&lt;br /&gt;
* 布川了『田中正造と足尾鉱毒事件を歩く』（1994年）ISBN 4-938640-61-9&lt;br /&gt;
* 待矢場両堰土地改良区『待矢場両堰土地改良区史』（1996年）&lt;br /&gt;
* 広瀬武 『公害の原点を後世に-入門・足尾鉱毒事件』（2001年）ISBN 4-88748-067-9&lt;br /&gt;
* 砂川幸雄『直訴は必要だったか』（勉誠出版、2004年）ISBN 4585053166&lt;br /&gt;
* 高崎哲郎『百折不撓―鉱毒の川はよみがえった』（2004年）ISBN 4-7972-2622-6&lt;br /&gt;
* 太田市『環境白書 平成16年度』（2004年）&lt;br /&gt;
* 田中正造大学出版部『救現』1号～9号（1986年～2005年）ISBN 4-88748-117-9（9号のもの）&lt;br /&gt;
* 群馬県『平成17年版 環境白書』（2005年）&lt;br /&gt;
* 渡良瀬川研究会『田中正造と足尾鉱毒事件研究』1号～14号（～2006年）ISBN 4-88748-146-2（14号のもの）&lt;br /&gt;
* 立松和平『毒――風聞・田中正造』毎日出版文化賞受賞（東京書籍、1997年）&lt;br /&gt;
* 林竹二『田中正造の生涯』毎日出版文化賞受賞（講談社新書）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 映画 ==&lt;br /&gt;
* 『鉱毒』（日本、1976年）&lt;br /&gt;
* 『鉱毒悲歌』（日本、1980年代ごろ）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[利根川東遷事業]]&lt;br /&gt;
* [[農用地の土壌の汚染防止等に関する法律]]&lt;br /&gt;
* [[環境基本法]]&lt;br /&gt;
* [[水質汚濁防止法]]&lt;br /&gt;
* [[土壌汚染対策法]]&lt;br /&gt;
* [[汚染者負担原則]]&lt;br /&gt;
* [[土壌汚染]]&lt;br /&gt;
* [[地下水汚染]]&lt;br /&gt;
* [[水俣病]]&lt;br /&gt;
* [[イタイイタイ病]]&lt;br /&gt;
* [[環境基準]]&lt;br /&gt;
* [[カドミウム]]&lt;br /&gt;
* [[田中正造記念館|足尾鉱毒事件田中正造記念館]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
* [http://www.kanto.kokuyurin.go.jp/works/santi-saigai/index.html 関東森林管理局 足尾の治山]&lt;br /&gt;
* [http://www.env.go.jp/kijun/ 環境基準について（環境省）]&lt;br /&gt;
* [http://www.ashio-midori.com/ NPO法人 足尾に緑を育てる会]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:あしおこうとくしけん}}&lt;br /&gt;
[[Category:環境用語]]&lt;br /&gt;
[[Category:公害]]&lt;br /&gt;
[[Category:明治時代の政治]]&lt;br /&gt;
[[Category:明治時代の事件]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[en:Ashio_Copper_Mine]]&lt;br /&gt;
[[nl:Vergiftigingsschandaal_van_de_Ashio-kopermijn]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>小川義行</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%B3%E5%B0%BE%E9%89%B1%E6%AF%92%E4%BA%8B%E4%BB%B6</id>
		<title>足尾鉱毒事件</title>
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				<updated>2007-09-14T00:59:07Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;小川義行: Undo revision 14839583 by 小川義行 (会話)&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''足尾鉱毒事件'''（あしおこうどくじけん）は、[[19世紀]]から[[20世紀]]の[[栃木県]]、[[群馬県]]で起きた[[足尾銅山]]の[[公害]]事件。明治時代後期に発生した日本の公害の原点である。原因企業は[[古河鉱業]]（現在の古河機械金属）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 経緯 ==&lt;br /&gt;
[[Image:AshioKodoku1.jpg|thumb|200px|煙害により崩落を続ける足尾の山（赤倉山麓） 2005年3月撮影]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 鉱山の近代化 ===&lt;br /&gt;
現在の栃木県日光市足尾地区では[[江戸時代]]から銅が産出していたが、その最盛期は江戸時代前期であり、幕末はほとんど廃山の状態で国有となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[明治維新]]後、民間に払い下げられ、[[1877年]]に[[古河市兵衛]]の経営となる。古河は鉱山発掘の近代化を進めると[[1885年]]までに大鉱脈が発見され、西欧の近代鉱山技術を導入し、日本最大の鉱山となり、年間生産量が数千トンと東アジア一の銅の産地となる。この銅は当時の日本の輸出品となった&amp;lt;ref&amp;gt;この時期の全国の銅生産量の1/4は足尾銅山が占めていた。&amp;lt;/ref&amp;gt;。しかし、精錬排煙や精製時に発生する鉱毒ガス（主成分は[[二酸化硫黄|亜硫酸ガス]]）と鉱毒（主成分は[[銅]][[イオン]]などの金属イオン）により、付近の環境は大きな被害を受けることとなる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 鉱毒公害の発生 ===&lt;br /&gt;
鉱毒ガスやそれによる[[酸性雨]]により[[足尾町]]（当時）近辺の山は禿山となった。木を失い土壌を喪失した土地は次々と崩れていった。この崩壊は[[2007年]]現在も続いている&amp;lt;ref&amp;gt;なお、19世紀にここで山火事があったことから、山が禿げたのは山火事が原因だという主張もある。&amp;lt;/ref&amp;gt;。崩れた土砂は[[渡良瀬川]]を流れ、下流で[[堆積]]した。このため、渡良瀬川は[[足利市]]付近で[[天井川]]となり、足尾の山林の荒廃とともに[[カスリーン台風]]襲来時は洪水の主原因となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
鉱毒による被害はまず、[[1885年]]、渡良瀬川の鮎の大量死という形で現れた。ただし、当時は原因が分かっておらず、これを8月12日に最初に報じた朝野新聞も、足尾銅山が原因かもしれないというような、あいまいな書き方をしている。同年10月31日、[[下野新聞]]が前年ごろから足尾の木が枯れ始めていることを報じ、これら2つが足尾銅山と公害を結びつける最初期の報道と考えられる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 被害の拡大 ===&lt;br /&gt;
[[画像:Shozo Tanaka.jpg|thumb|180px|田中正造]]&lt;br /&gt;
次に、渡良瀬川から取水する田園や、洪水後、足尾から流れた土砂が堆積した田園で、稲が立ち枯れるという被害が続出した。これに怒った農民らが数度に渡り蜂起した。[[田中正造]]はこのときの農民運動の中心人物として有名である。なお、この鉱毒被害の範囲は渡良瀬川流域だけにとどまらず、[[江戸川]]を経由し行徳方面、[[利根川]]を経由し[[霞ヶ浦]]方面まで拡大した。田畑への被害は、特に1890年8月と1896年7月21日、8月17日、9月8日の3度の大洪水で顕著となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1892年]]の[[古在由直]]らによる調査結果によれば、鉱毒の主成分は銅の化合物、[[亜酸化鉄]]、[[硫酸]]。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1901年には、足尾町に隣接する[[松木村]]が煙害のために廃村となった。このほか、松木村に隣接する久蔵村、仁田元村もこれに前後して同様に廃村となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[#対策|対策]]の節で述べる工事が1897年から1927年にかけて行われると、表だった鉱毒被害は減少した。しかし、渡良瀬川に流れる鉱毒がなくなったわけではなかった。他の地域と異なり、渡良瀬川から直接農業用水を取水していた群馬県[[山田郡 (群馬県)|山田郡]][[毛里田村]]（現太田市毛里田）とその周辺では、大正期以降、逆に鉱毒被害が増加したと言われる。1971年には毛里田で収穫された米からカドミウムが検出され出荷が停止された。古河鉱業はカドミウム被害は認めていないが、群馬県がこれを断定した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 閉山 ===&lt;br /&gt;
[[1973年]]までに足尾の銅は掘りつくされて閉山、公害は減少した。ただし、精錬所の操業は[[1980年代]]まで続き、鉱毒はその後も流されたとされる。1989年にJR[[足尾線]]で貨物が廃止になると、原料鉱石の搬入量が減少し、鉱毒はさらに減少したとされる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、どの時代も科学的な分析がほとんどされていないため、公害の内容はあまり明らかにはなっていない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
明確に分かっている鉱毒の量は、[[1972年]]度、環境庁が足尾町に設置した測定局における[[二酸化硫黄]]（[[亜硫酸ガ]]ス）濃度が、旧環境基準に適合していなかった。足尾町内1局の測定局のうち、1局が不適合で、都市内全測定局の値が不適合となったのは、測定局のある都市の中では、この年度、足尾町のみである（ただし当時の[[環境白書]]は、[[鉱毒]]被害とは明示していない）。[[1981年]]9月7日に足尾町の中才浄水場から排出された排水から、基準値の2倍、協定値の3倍の銅が検出されたというものがある。このほか、[[毛里田村]]鉱毒根絶期成同盟会などが独自に測定した値などがある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1899年]]の群馬栃木両県鉱毒事務所によると、鉱毒による死者・死産は推計で1064人。これは、鉱毒被害地の死者数から出生数を単純に減じたものである。[[松本隆海]]は、すべてが鉱毒が原因だとはいえないかもしれないが、当時の日本は出生数のほうが多いにもかかわらず、死者数のほうが多いのは、鉱毒に関連があるとしている（実際には、鉱毒が原因で貧困となり、栄養状態が悪化して死亡した者が多く含まれていると考えられるが、[[田中正造]]や松本はこれらも鉱毒による死者とすべきだとしている）。この数値は、田中正造の国会質問でも使用された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
鉱毒激甚地であった当時の[[安蘇郡]][[植野村]]字船津川地区（現[[佐野市]][[船津川町]]）の[[死産]]率は明らかに全国平均を超えていることも鉱毒事務所は指摘している。松本隆海は、『足尾鉱毒惨状画報』（[[1901年]]）で、安蘇郡界村字高山（現佐野市[[高山町]]、当時の人口約800人）で、5年間で兵役合格者がわずか2名しか出ておらず（適齢者は延べ50名）、しかも、その合格者のうち1名も入隊後10日で病気で除隊となったという逸話を紹介している。[[田口掬汀]]は、海老瀬村の鉱毒被害者向けの診療所の医師に聞いた話として、忙しくて統計はとっていないが、ひと月に2300名を越える患者を診断し、うち半数が眼病であったが、これは[[地質]]が及ぼす結果だろうとこの医師は推測していることを[[佐藤儀助]]編『亡国の縮図』（[[1902年]]）で紹介している。また、元谷中村村民の[[島田宗三]]は、自身の父と祖父は、鉱毒水を飲んで胃を冒されて死亡した、と主張している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 政府の鉱毒対策 ==&lt;br /&gt;
[[1891年]]からたびたび田中正造が国会で質問したにもかかわらず、政府は積極的には鉱毒対策を行わなかった。この時代は、1891年刊行の[[吾妻村 (栃木県)|吾妻村]]民らによる鉱毒の記録集『[[足尾銅山]]鉱毒・[[渡良瀬川]]沿岸事情』を発刊直後に発売禁止にするなど、[[言論封殺]]が主な対策であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 第一次 ===&lt;br /&gt;
[[1897年]]、鉱毒被害地の農民が大挙して東京に陳情（当時の表現では押出し）を行うなど、世論が高まると、同年3月、政府は[[足尾銅山鉱毒調査委員会]]を設置し、数度の[[鉱毒予防令]]を出した。特に大規模なものは[[1897年]]5月の第3回目の予防令で、古河側に、排水の[[濾過]]池・[[沈殿]]池と[[堆積場]]の設置、[[煙突]]への[[脱硫装置]]の設置を命令した。これらはどれもが数十日の期限付きで、一つでも遅れた場合には閉山するというものだった。古河側は当時珍しかった電灯などを活用し、24時間体制で工事を行った結果、すべての工事が期限内に間に合った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、これらの装置は、満足に役には立たなかった。政府は長年、この予防令による工事と、後述する渡良瀬川の改修工事（[[1927年]]竣工）で鉱毒問題は解決したとしてきたが、[[1993年]]、『[[環境白書]]』で、当時の対策が不十分で、根本的な解決とはならなかったことを認めた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
具体的には、濾過池・沈殿池は翌[[1898年]]には決壊し、再び下流に鉱毒が流れ出した。煙突の脱硫装置も、当時の技術レベルでは機能せず、効果は無いに等しかった。堆積場からの鉱石くずの流出は、既に[[1902年]]の第二次鉱毒調査委員会で指摘されている（しかし、第二次鉱毒調査委員会は特にそれを問題視することはなかった）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被害民の一部は、鉱毒予防工事の効果はないものとみなして再び反対運動に立ち上がり、3回目（[[1898年]]9月）と4回目（[[1900年]]2月）の大挙上京請願行動（押出し）を決行した。4回目の押出しでは、農民側と警察側が衝突して大勢の逮捕者が出た（[[川俣事件]]）。しかし、実はその翌年（[[1901年]]）の秋には、工事の効果が現れはじめ、新聞も農地がかなり回復していると報道した。たとえば、10月6日付の『東京朝日』には、「激甚被害地を除く他は極めて豊作」と出ている。ただし、これらの報道については、当時のマスコミのみの取材能力では、渡良瀬川沿岸全域を調査したとは考えられず、一部地域のみの情報を元にしたものであるという指摘がされている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
第一次鉱毒調査委員会はこれ以外に、鉱毒被害民に対し[[免租]]を行った。これは農民の要求を受け入れたものだが、この措置のおかげで選挙権を失うものが続出、誰も立候補できずに村長が選べない村も出るという弊害も生まれた（当時は一定額の直接税を納めないと選挙権が得られなかった）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 第二次 ===&lt;br /&gt;
[[田中正造]]の直訴後、学生が相次いで団体で足尾見学に向かうなど、世論の盛り上がりにあわてた政府は、[[1902年]]に第二次鉱毒調査委員会を設置した。同委員会は[[1903年]]に、[[1897年]]の予防令後は鉱毒は減少したと結論づけ、洪水を防ぐために渡良瀬川下流にたた大規模な「遊水池」を作るべきとする報告書を提出した。しかし、第二次鉱毒調査委員会は、前述のとおり、予防令による工事で鉱毒は減少したとは結論づけたが、鉱毒が消滅したという調査結果はない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同調査会の結論は「作物に被害を与える銅分は、予防工事前の残留分で現業によるものは少ないとして[[古河鉱業]]の責任を解除した」（由井正臣『田中正造』）ものだったが、実際、[[1903年]]10月には「被害地の稲は豊作」になり、田中正造も「被害地豊作の実況」と題する演説をして歩いた（『田中正造全集・別巻』477頁）。&lt;br /&gt;
この演説で正造は、「豊作の原因は断じて工事の効果ではない。去年の大洪水による山崩れで、新しい土が被害農地にかぶさったためだ」と抗弁した。この説は[[2006年]]現在、国土交通省も支持している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、群馬県山田郡側の鉱毒被害は、この時代、逆に増加したといわれる。理由は不明だが、大正時代、[[製錬]]方法が浮遊選鉱法に変更されたことにより渡良瀬川を流れる鉱石くずの粒が細かくなり、浮遊したまま川を流れるようになったため、上流部の渡良瀬川右岸に多く流れ込んで堆積するようになったと考える研究者がいる。群馬県側の鉱毒被害および鉱毒反対運動については後述する。この時代、鉱毒が減ったような報道が多くされたのは、鉱毒発生当初は山田郡は鉱毒激甚地とはみなされていなかったため、マスコミが取材に訪れなかったためだと考える研究者がいる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
第二次鉱毒調査会の報告書を受け、栃木県、群馬県、[[埼玉県]]、[[茨城県]]の境に、鉱毒沈殿用の[[渡良瀬遊水地]]が作られた。当初、埼玉県側に作られる予定であったが、激しい反対のために栃木県側に予定が変更された。この土地は元々、農業を主な産業としていた栃木県下都賀郡[[谷中村]]であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
谷中村には田中正造が住み、公害運動の拠点となっていたことから、運動をつぶすための決定だといわれた。谷中村はこれに激しく抵抗し、隣の[[藤岡町]]との合併案を否決した。谷中村は[[1906年]]に強制廃村となり、藤岡町に合併された。また、渡良瀬川の河川工事もこの時代に行われた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1910年]]から[[1927年]]にかけ、谷中村を遊水地にし、渡良瀬川の流れの向きを変えるなど、大規模な河川工事が行われ、洪水は減少した。しかし、足尾の山から流出する土砂が下流で堆積するのは止まらなかった。また、下流地域での鉱毒被害が減っただけで、新たな鉱毒の流出が消滅したわけではなかった。政府が当時のこれらの対策が不十分であることを認めたのは、前述したとおり1993年であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 戦後 ===&lt;br /&gt;
[[1947年]]の[[カスリーン台風]]以降、政府は渡良瀬川全域に堤防を作った。この堤防工事は20年ほどかかった。堤防の竣工以後、渡良瀬川では大規模な洪水はない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
土砂の流出を防ぐため、1960年、足尾町に防砂ダムの[[足尾ダム]]（通称、三沢合流ダム）が作られた。容積500万[[立方メートル]]で、[[利根川]]水系の[[防砂ダム]]としては最大。また、日本でも最大級の防砂ダムだとされる。[[2003年]]現在の堆砂率は67%。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
土砂の流出防止と、鉱毒の沈殿を主目的にした多目的ダム、[[草木ダム]]が渡良瀬川上流の群馬県勢多郡[[東村 (群馬県勢多郡)|東村]]に作られた（[[1977年]]竣工）。このダムは当初、鉱毒対策をその目的の中に入れていなかったが、参議院議員[[近藤英一郎]]（当時）が商工委員会で質問を行った結果、このダムについては「水質保全に特に留意」することとされた経緯がある。鉱毒を下流に流さないようにするための半円筒形多段ローラーも採用された。このダムは常時水質検査が行われ、結果が随時公表されているが、そのような多目的ダムは日本にはほとんど存在しない。竣工が銅山の閉山後だったこともあり、[[水質]]検査では異常な値はあまり検出されていない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1976年]]7月30日、[[群馬県]]、[[栃木県]]、[[桐生市]]、[[太田市]]と[[古河鉱業]]の間で[[公害防止協定]]が締結された。ただし、後述する[[毛里田地区鉱毒根絶期成同盟会]]はこの協定への参加を拒否した。この協定に基づき、水質検査などが行われている。鉱毒被害地の農地の土地改良も、公害防止協定締結後に行われた（後述）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお、協定に基づく水質検査の結果、降雨時の堆積場からの水質が[[環境基準]]を超えていることがあることを群馬県が[[2005年]]に指摘している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 鉱毒反対運動 ==&lt;br /&gt;
=== 明治期 ===&lt;br /&gt;
鉱毒反対運動は、現在の栃木県[[佐野市]]と藤岡町で盛んであった。最初の運動は、[[1890年]]、栃木県足利郡吾妻村（現在の佐野市吾妻地区）会が足尾鉱山の操業停止を求める決議を採択した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
佐野出身の衆議院議員[[田中正造]]は[[1891年]]以降、たびたび国会で鉱毒の質問を行い、鉱毒の害は全国に知れ渡った。栃木県は鉱毒仲裁会をつくり、古河側が、1893年頃に農民に示談金を払い、1896年6月末までに対策を行って鉱毒をなくすという内容で示談を行わせた。これに対し、田中正造はこの示談を行わないよう運動を行った。しかし、1896年の大洪水でさらに鉱毒が拡大し、対策がなされていないことが判明すると、農民側は示談契約書を根拠に再度交渉を行った。このとき、古河側が農民に若干の示談金を与えるかわりに、それ以前、以後の鉱毒被害の請求権を放棄するという内容の永久示談に切り替えた。このため、この後には鉱毒問題はないという主張もされる。しかし、示談金の受け取りを拒否した農民もおり、鉱毒反対運動はこの後も続いた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
森長英三郎によれば、1893年の時限付き示談の内容は、古河市兵衛が農民8414人の被害地4360町96畝06歩に対し76602円96銭9厘を支払うというもので、1896年の永久示談は農民5127人の被害地2207町43畝14歩に対し30119円23銭2厘を払うというものであった。森長の概算によれば1893年の示談の平均は1反あたり1円75銭、1896年の示談の平均は1反あたり1円54銭である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
反対運動が最も盛んになったのは、[[1896年]]の洪水以降で、田中正造の主導の元、10月4日、群馬県邑楽郡[[渡瀬村 (群馬県)|渡瀬村]]（現在の館林市下早川田町）にある雲龍寺に、栃木・群馬両県の鉱毒事務所が作られた。ここは、被害農民の集結所となった。この後、東京への[[陳情]]に出かける農民と警官隊との衝突も起きた。このような陳情には当時名がついておらず、農民らは「押出し」と読んだ。布川了によれば、大規模な押出しは明治期に6回行われている（1897年3月2日、1897年3月24日、1898年9月26日、1900年2月13日、1902年2月19日、1902年3月2日）。&amp;lt;!---女押出を復帰。押出を4回とする説は、川俣事件以降押出は行われなかったと主張する者が広めたようです---&amp;gt;&amp;lt;!---（1897年3月2日、1897年3月24日、1898年9月26日、1900年2月13日。4回目の押し出しで活動家は皆逮捕された。これ以降の鉱毒反対運動は不可能だし、農地の回復で押し出しの必要もなかった。なぜ、定説に逆らってまで6回だと主張するのか。まともな人が書いているとはとても思えない。）---&amp;gt;&amp;lt;!---ではノートに書きます---&amp;gt;第3回押出しで、与党議員であった田中は農民等を説得して大部分を帰郷させたが、直後に政権が崩壊。田中は第4回押出しを行うための機関、鉱毒議会を現地栃木・群馬県で組織させた。押出しについては[[川俣事件]]も参照のこと。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;!---女押出を復帰。押出を4回とする説は、川俣事件以降押出は行われなかったと主張する者が広めたようです---&amp;gt;1896年には群馬県議会が足尾銅山の操業停止を求める議決（『鉱毒ノ儀ニ付建議』）を行った。一方、栃木県議会は1890年に足尾銅山の調査を求める議決を行っていたが、鉱毒被害地と足尾銅山双方の地元であるという事情から議会が紛糾し、1896年には鉱毒に関する議決は行わなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
当時、[[日清戦争]]・[[日露戦争]]のさなかであった政府としては、鉱山の操業を止める事はできず、反対運動を食い止めるため、政府は運動の盛んだった谷中村の廃村を決し、[[1907年]]強制破壊が行われる。その後、村民は主に隣の藤岡町や群馬県板倉町にあたる地域、下都賀郡の他の町村、古河町（現在の古河市）、那須郡、北海道常呂郡[[佐呂間町]]に移住させられた。この移住は強制ではなかった。また、元谷中村民以外も一緒に移住したが、実質的には元谷中村民救済の意味が強かった。なお、佐呂間町にある「栃木」という地名は、この移住の際につけられたものである。移住を拒否し、破壊された谷中村の自宅跡に住み続けた元村民もいる。ただし、1917年には全員が村を退去した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
鉱毒反対運動は、谷中村の廃村や、渡良瀬川の大工事による洪水の減少などによりしだいに弱まり、特に1902年以降、足利郡、梁田郡、安蘇郡、下都賀郡、邑楽郡の鉱毒被害地が豊作になると弱体化した。さらに運動の中心人物であった田中正造が1913年に没するとほぼ消滅した。しかし、群馬県山田郡の鉱毒被害は止まず、この地区ではこの後も鉱毒反対運動が続いた（後述）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 足尾町での運動 ===&lt;br /&gt;
煙害に困った足尾町赤倉地区の住民が[[1920年]]に煙害問題安定期成会を結成。古河鉱業と直接交渉を行った。しかし、土地柄、銅山との商取引で生計を立てている者が多く、運動は盛り上がらなかった。最終的に、銅山に全く依存していない数軒のみが賠償を受けることに成功したが、逆に町内の分断を招いた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 大正期・昭和期・平成期 ===&lt;br /&gt;
[[Image:OttoseiIwa.jpg|thumb|200px|オットセイ岩（手前）と源五郎沢堆積場（対岸奥）。間にわたらせ渓谷鉄道の線路がある。川は渡良瀬川]]&lt;br /&gt;
渡良瀬川から農業用水を取水していた中流右岸の待矢場両堰普通水利組合（現在の待矢場両堰土地改良区。主に群馬県山田郡、邑楽郡の町村に用水を供給していた）と三栗谷用水普通水利組合（現在の三栗谷用水土地改良区、主に足利郡右岸に用水を供給）は、古河側と永久示談を行わず、期限つきの示談交渉を数度に渡り延長する方式をとっていた。しかし、[[1902年]]、[[1904年]]に古河側は状況が変わったとして示談延長を停止。両組合は、賠償請求額を算出するためにそれぞれ独自にたびたび足尾の現地視察などを行った。[[1917年]]、待矢場両堰普通水利組合は、渡良瀬川には鉱毒はなくなっていないとする意見書を群馬県知事に提出した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1924年]]には干ばつがあり、これは、[[水源地]]の足尾の[[山林]]が荒廃して[[保水]]能力を失ったためだと考えた両組合は、それぞれ別個に活動を行い、[[1925年]]には群馬県側の農民ら数千人の署名が集められ、貴族院、衆議院、内務大臣、農務大臣宛てに請願書が提出される。この内容は主に、鉱害による損害賠償請求が行えるようにして欲しいというものだった（当時は原告に立証責任があったため、裁判で勝つ見込みがなかった）。この要望は[[1939年]]に実現した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一方、三栗谷用水は、鉱業取り締まりや鉱業法改正の嘆願書を内務・農林・商工大臣宛に提出。この嘆願書は[[1926年]]から[[1933年]]までほぼ毎年提出された。なお、この時代、両水利組合が共同で行った運動も若干ある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1936年]]に三栗谷用水は古河鉱業から事業資金の一部8万5千円を提供させ、取水口の改良工事を行い、それまでの渡良瀬川からの直接取水から、[[伏流水]]を主に取水する方式に変更した。この際、古河側は永久示談を要求。今後一切現金提供を求めないという条文が契約書に盛り込まれたが、工事は[[1950年]]の第4次工事まで続き、最終的に古河側は総工費3200万円の4%にあたる119万円を負担した。第4次工事で、用水本流上に中川鉱毒沈砂池（[[1948年]]竣工）が設けられ、下流部の鉱毒被害は激減した。しかし、最新の鉱毒防止装置の維持費は、その後も用水利用料増加という形で農民の負担となった。なお、事業そのものは[[1967年]]竣工の第5次まで続いたが、第5次工事には古河は金銭を負担していない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1938年]]、[[1939年]]には渡良瀬川で大洪水があり、鉱毒が再度農地に流れ込んだ。同年、渡良瀬川改修群馬期成同盟会が結成され、内務省に対して渡良瀬川の河川改修や水源地の涵養などを求める陳情が行われた。陳情は[[1940年]]までに22回行われた。1940年、政府はこの事業に予算をつけるが、第二次世界大戦のため、あまり大規模な改修は行われなかったらしいという推測もある。政府が渡良瀬川の大改修を行うのは戦後であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これ以降の時代は、国策である銅の増産に協力しない者は非国民であるという主張がされるようになり、鉱毒反対運動は一時下火になった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1945年、終戦となり、言論・集会への弾圧が行われなくなると、翌[[1946年]]、群馬県東部の渡良瀬川流域の農民が集まり、足尾銅山精錬所移転期成同盟会が結成された。この会はすぐに鉱害根絶同盟会と名称を変更し、古河鉱業と直接交渉を行った。周辺市町村は渡良瀬川改修群馬期成同盟会を沿岸鉱毒対策委員会と名称変更して鉱毒反対運動を続け、1953年、鉱害根絶同盟会は官製の対策委員会に吸収される形でいったん消滅した。対策委員会は古河鉱業から土地改良資金の20分の1（800万円）を受け取り解散した。800万円は、待矢場両堰土地改良区（水利組合が名称を変更したもの）の口座に入金された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これらの資金を基に、待矢場両堰も三栗谷用水と同様、伏流水を取水するための工事を行ったが、用水の規模が違いすぎ、伏流水のみでは必要量を確保できなかった。待矢場両堰はその後も渡良瀬川からの直接取水を続けた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、[[1958年]]5月30日、足尾町オットセイ岩付近にある源五郎沢堆積場が崩壊。崩れた鉱石くずが渡良瀬川を流れ、渡良瀬川から直接農業用水を取水していた群馬県山田郡毛里田村（現在の[[太田市]]毛里田）の田畑に流れ込んだ。この後この地で再び鉱毒反対運動がさかんになる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
6月11日には毛里田村の農民らが足尾を訪れるが、古河側は自身に責任はないという主張を繰り返した。しかし、[[日本国有鉄道|国鉄]]には、鉱石くずの流出で線路が流れたことに対して補償金を払っていたことが直後に判明。住民らが激怒し、7月10日、毛里田村期成同盟会（のちの毛里田地区期成同盟会）が結成され、これを受け、さらに8月2日、[[群馬県]][[桐生市]]、[[太田市]]、[[館林市]]、[[新田郡]]、[[山田郡 (群馬県)|山田郡]]、[[邑楽郡]]の農民が中心となって群馬県東毛三市三郡渡良瀬川鉱毒根絶期成同盟会が再度結成される。古河側は150万円の見舞金を提示したが、毛里田村民側は賠償金の一部としてでなければ受け取れないと拒否。また、この交渉過程で、[[1953年]]に土地改良資金を提供したときに、永久示談を行ったと古河側は主張。当時の契約書も提示された。この契約書に関しては、[[1966年]]、[[参議院]]商工委員会で[[鈴木一弘]]委員（当時）が有効性があるのかと問いただしたところ、農林省、通産省の担当者は、それぞれ、契約書に署名した水利組合理事長に独断でそのような契約を結ぶ権限があったか疑わしく、また、契約後も鉱毒被害が発生していることから、永久示談の成立には否定的な答弁を行っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この時期の鉱毒反対運動は、最大の被害地、毛里田村期成同盟会（のちの毛里田地区期成同盟会）が活動の中心となった。この後、バスを使った押出しが行われた。明治期のものと区別するため、昭和期のものは昭和の押出しと呼ばれる。同年設置された政府の水質審議会指定河川から渡良瀬川が除外されたことも運動を大きくする原因になった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1962年]]、[[水質]]審議会に渡良瀬川専門部会を設け、毛里田村期成同盟会会長が会長を辞職すれば、この会長を審議会委員に加えてよい、という内容の政治的な妥協がはかられたが、当初、毛里田村同盟会は同盟会の運動の分断を図ろうとするものだとして激しく抵抗した。また、そのような主張が認められるなら、同じく委員になっている[[古河鉱業]]の社長もその職を辞すべきだという主張もあった。しかし、会長はこれを受け入れ、会長を辞職した上で水質審議委員となった。しかし、この委員の意見はほとんど無視されたため、[[1964年]]10月5日、再び押出しが行われた。水質基準は[[経済企画庁]]の提案による銅0.06ppmという値で、[[1968年]]に決定された。毛里田地区期成同盟会（毛里田村期成同盟会が名称変更したもの）は、0.02ppmを主張したがこれは受け入れられなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この間、[[1966年]]9月ごろ、足尾町の天狗沢堆積場が決壊。再度、鉱毒が下流に流れた。しかし、古河側はこの事実を公表しなかった。期成同盟会の住民は、群馬県からの連絡でこの事実を知った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1971年]]に毛里田で収穫された米から[[カドミウム]]が検出され、直後、農民らは80年分の賠償金120億円を古河鉱業に請求した。[[1972年]]、[[群馬県]]は、米の汚染は足尾銅山の鉱毒が原因と断定。3月31日、農民971人が古河鉱業に賠償金総額39億円の支払いを求め群馬県[[公害審査会]]に[[調停]]を申請した。4月3日、県は毛里田地区の土壌汚染についても足尾銅山の鉱毒が原因と断定。1974年に、農地359.8haを土壌汚染対策地域農用地に指定した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1974年]]5月11日、群馬県公害審査会から事件の処理を引継いだ[[公害等調整委員会]]において調停が成立し、古河鉱業は15億5000万円を支払った。これは、古河側が鉱毒事件で責任を認めて賠償金（契約書上の文言は「補償金」）を支払った最初の出来事である。（それ以前の資金提供は常に「寄付金」「見舞金」「協力金」などの名目で、賠償金ではなかった）ただし、古河鉱業側は、銅の被害のみを認め、カドミウムについては認めなかった（農民側も、調停申請にはあえてカドミウム問題は提示せずに早期解決を目指したという理由もある）。このときの調停の内容に含まれていた土地改良は、1981年に始まり[[1999年]]に完了した。古河鉱業は土地改良事業費43億4000万円のうち51%を負担し、残りの大部分は国と群馬県が負担した（ごく一部を桐生市と太田市が負担）。土地改良には農民の金銭の負担はない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
毛里田地区の鉱毒反対運動は、どこからも主だった支援を受けず、農民の手弁当による活動であるところが他の同種の運動と大きく異なる。ただし、支援の申し出がなかったわけではなく、受け入れ体制が整わなかったのが支援を受けなかった理由であるという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
毛里田地区の調停成立直後の[[1974年]]11月18日、群馬県桐生市で桐生地区鉱毒対策委員会が設立され、農民444人が古河鉱業に対し交渉をもった。[[1975年]]11月18日和解が成立し、古河鉱業は銅などによる鉱毒被害を認め、2億3500万円を支払った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1974年]]10月25日、太田市韮川地区鉱毒根絶期成同盟会の農民546人が、13億円の賠償を古河鉱業に請求。[[1976年]]12月1日、和解が成立し、古河鉱業は1億1千万円を支払った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
毛里田地区で申請漏れになっていた住民が、公害等調整委員会に調停を申請。1977年12月、390万円で和解が成立した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1994年]]、毛里田地区鉱毒根絶期成同盟会と、韮川地区鉱毒根絶期成同盟会が合併。鉱毒根絶太田期成同盟会となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2000年]]、[[2003年]]、[[2004年]]に、群馬県は農用地土壌汚染対策指定地域を追加指定。これまでに指定され、まだ解除されていない農地も含め、[[2005年]]現在の対策指定地域は53.74haである。[[2000年]]以降の追加指定地は、大部分が[[1970年]]代の調査が不十分で調査洩れになっていた地域と考えられている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2004年]]、桐生市議会は、足尾町の中才浄水場に自動取水機の設置を求める要望書を採択した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Image:KoudokuKonzetsu.jpg|thumb|200px|毛里田地区の祈念鉱毒根絶碑。「土」の字をかたどっている。記念碑としなかったのは、鉱毒問題が解消していないため。[[1977年]]建立]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 植林・治山事業 ==&lt;br /&gt;
荒廃した足尾地区の森林を復元するため、1897年、当時の農商務省により足尾に植林が命じられ、以後、現在（2006年）に至るまで[[治山]]事業が続けられている。ただし、明治期と昭和初期には植林が行われなかった時代がそれぞれ数年ずつあった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
治山事業に要した費用（荒廃地復旧経費）は、前橋営林署（現在の関東森林管理局群馬森林管理署）によれば、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* [[1897年]]～[[1899年]]         31,111円&lt;br /&gt;
* [[1906年]]～[[1913年]]        405,917円&lt;br /&gt;
* [[1914年]]～[[1926年]]         99,590円&lt;br /&gt;
* [[1927年]]～[[1940年]]        163,484円&lt;br /&gt;
* [[1947年]]～[[1975年]] 1,659,574,000円&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
である（[[1976年]]以降も植林事業は行われている）。前橋営林署の治山事業は、国有林を対象に行われている。このほか、栃木県が1958年ごろから別に民有地に治山事業を行っている。栃木県が植林している民有地は、ほとんどが古河機械金属の所有地である。税金を投じて私有地への大規模な[[植林]]を行うことに批判もある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1988年に前橋営林署が足尾地区の治山事業に使用した金額は、2億9400万円であり、栃木県は5億8500万円を投じた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1999年に建設省が足尾地区の[[治山事業]]に投じた金額は、20億3000万円であり、栃木県は8億円、林野庁は2億5000万円を投じた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
このほか、古河鉱業は[[1960年]]に国有林復旧への協力金として政府に約360万円を支払った。これは[[1957年]]～[[1960年]]分として支払われ、これ以前の分については[[時効]]だという解釈がされた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 古河側の主張 ==&lt;br /&gt;
足尾鉱毒事件に関しては、主に被害者側の視点での記述が多いが、中立性を確保するため、古河側の主張も併記する。ただし、古河側が直接、[[鉱毒]]に関して言及している例は非常に少ない。古河側の直接的な文献で、鉱毒に関する言及が多い文書には、[[古河鉱業]]刊『創業100年史』（1976年）がある。なお、古河鉱業は鉱毒という語を用いず、「[[鉱害]]」という語を用いている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これによれば、[[1740年]]に既に[[渡良瀬川]]沿岸で鉱毒による免租願いが出されていることが当時の文献から確認でき、鉱毒は古河の経営になる前から存在したと主張している。また、当時は圧力があって文献では残っていないが、[[1821]]年に鉱毒被害があった、という研究も紹介している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
古河側の主張によれば、（第1次）鉱毒調査会による鉱毒防止令による工事と、[[大正時代]]までに行われた渡良瀬川の治水工事により、鉱毒は「一応の解決をみた」（『創業100年史』より）と述べている。この時代、待矢場両堰普通水利組合などが鉱毒に言及していたことについては記述がない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
源五郎沢堆積場崩壊事故後の毛里田地区鉱毒根絶期成同盟会との交渉については（それ以前から鉱毒問題に関しては）、「つねに前向きの姿勢で対処してきた」（『創業100年史』より）と述べている。古河側が時効の成立を主張したことなどについては言及がある。1974年の調停で、鉱毒問題については「終止符が打たれた」（『創業100年史』より）と述べているが、[[古河鉱業]]が[[カドミウム]][[汚染]]に関する責任を認めていないことについての言及はない（[[1976年]]に結ばれた公害防止協定への言及もないが、協定成立年とこの文献の発行年が同年であることから、編集に間に合わなかったという可能性もある）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 注釈 ==&lt;br /&gt;
&amp;lt;references/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 文献 ==&lt;br /&gt;
* 待矢場両堰普通水利組合『待矢場両堰々史』（1922年）&lt;br /&gt;
* 内水護『資料足尾鉱毒事件』（1971年）&lt;br /&gt;
* 古河鉱業『創業100年史』（1976年）&lt;br /&gt;
* 渡良瀬川鉱毒根絶毛里田期成同盟会『祈念鉱毒根絶の碑』（1977年）&lt;br /&gt;
* 東海林吉郎、菅井益郎『通史足尾鉱毒事件 1877-1984』（1984年）&lt;br /&gt;
* 佐野市郷土博物館『田中正造と足尾鉱毒』（1988年）&lt;br /&gt;
* 板橋信次郎『毛里田村を主とする鉱毒記録抜き書き』（1992年）&lt;br /&gt;
* 布川了『田中正造と足尾鉱毒事件を歩く』（1994年）ISBN 4-938640-61-9&lt;br /&gt;
* 待矢場両堰土地改良区『待矢場両堰土地改良区史』（1996年）&lt;br /&gt;
* 広瀬武 『公害の原点を後世に-入門・足尾鉱毒事件』（2001年）ISBN 4-88748-067-9&lt;br /&gt;
* 砂川幸雄『直訴は必要だったか』（勉誠出版、2004年）ISBN 4585053166&lt;br /&gt;
* 高崎哲郎『百折不撓―鉱毒の川はよみがえった』（2004年）ISBN 4-7972-2622-6&lt;br /&gt;
* 太田市『環境白書 平成16年度』（2004年）&lt;br /&gt;
* 田中正造大学出版部『救現』1号～9号（1986年～2005年）ISBN 4-88748-117-9（9号のもの）&lt;br /&gt;
* 群馬県『平成17年版 環境白書』（2005年）&lt;br /&gt;
* 渡良瀬川研究会『田中正造と足尾鉱毒事件研究』1号～14号（～2006年）ISBN 4-88748-146-2（14号のもの）&lt;br /&gt;
* 立松和平『毒――風聞・田中正造』毎日出版文化賞受賞（東京書籍、1997年）&lt;br /&gt;
* 林竹二『田中正造の生涯』毎日出版文化賞受賞（講談社新書）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 映画 ==&lt;br /&gt;
* 『鉱毒』（日本、1976年）&lt;br /&gt;
* 『鉱毒悲歌』（日本、1980年代ごろ）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[利根川東遷事業]]&lt;br /&gt;
* [[農用地の土壌の汚染防止等に関する法律]]&lt;br /&gt;
* [[環境基本法]]&lt;br /&gt;
* [[水質汚濁防止法]]&lt;br /&gt;
* [[土壌汚染対策法]]&lt;br /&gt;
* [[汚染者負担原則]]&lt;br /&gt;
* [[土壌汚染]]&lt;br /&gt;
* [[地下水汚染]]&lt;br /&gt;
* [[水俣病]]&lt;br /&gt;
* [[イタイイタイ病]]&lt;br /&gt;
* [[環境基準]]&lt;br /&gt;
* [[カドミウム]]&lt;br /&gt;
* [[田中正造記念館|足尾鉱毒事件田中正造記念館]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
* [http://www.kanto.kokuyurin.go.jp/works/santi-saigai/index.html 関東森林管理局 足尾の治山]&lt;br /&gt;
* [http://www.env.go.jp/kijun/ 環境基準について（環境省）]&lt;br /&gt;
* [http://www.ashio-midori.com/ NPO法人 足尾に緑を育てる会]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:あしおこうとくしけん}}&lt;br /&gt;
[[Category:環境用語]]&lt;br /&gt;
[[Category:公害]]&lt;br /&gt;
[[Category:明治時代の政治]]&lt;br /&gt;
[[Category:明治時代の事件]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[en:Ashio_Copper_Mine]]&lt;br /&gt;
[[nl:Vergiftigingsschandaal_van_de_Ashio-kopermijn]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>小川義行</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%B3%E5%B0%BE%E9%89%B1%E6%AF%92%E4%BA%8B%E4%BB%B6</id>
		<title>足尾鉱毒事件</title>
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				<updated>2007-09-14T00:47:39Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;小川義行: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''足尾鉱毒事件'''（あしおこうどくじけん）は、[[19世紀]]から[[20世紀]]の[[栃木県]]、[[群馬県]]で起きた[[足尾銅山]]の[[公害]]事件。明治時代後期に発生した日本の公害の原点である。原因企業は[[古河鉱業]]（現在の古河機械金属）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 経緯 ==&lt;br /&gt;
[[Image:AshioKodoku1.jpg|thumb|200px|煙害により崩落を続ける足尾の山（赤倉山麓） 2005年3月撮影]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 鉱山の近代化 ===&lt;br /&gt;
現在の栃木県日光市足尾地区では[[江戸時代]]から銅が産出していたが、その最盛期は江戸時代前期であり、幕末はほとんど廃山の状態で国有となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[明治維新]]後、民間に払い下げられ、[[1877年]]に[[古河市兵衛]]の経営となる。古河は鉱山発掘の近代化を進めると[[1885年]]までに大鉱脈が発見され、西欧の近代鉱山技術を導入し、日本最大の鉱山となり、年間生産量が数千トンと東アジア一の銅の産地となる。この銅は当時の日本の輸出品となった&amp;lt;ref&amp;gt;この時期の全国の銅生産量の1/4は足尾銅山が占めていた。&amp;lt;/ref&amp;gt;。しかし、精錬排煙や精製時に発生する鉱毒ガス（主成分は[[二酸化硫黄|亜硫酸ガス]]）と鉱毒（主成分は[[銅]][[イオン]]などの金属イオン）により、付近の環境は大きな被害を受けることとなる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 鉱毒公害の発生 ===&lt;br /&gt;
鉱毒ガスやそれによる[[酸性雨]]により[[足尾町]]（当時）近辺の山は禿山となった。木を失い土壌を喪失した土地は次々と崩れていった。この崩壊は[[2007年]]現在も続いている&amp;lt;ref&amp;gt;なお、19世紀にここで山火事があったことから、山が禿げたのは山火事が原因だという主張もある。&amp;lt;/ref&amp;gt;。崩れた土砂は[[渡良瀬川]]を流れ、下流で[[堆積]]した。このため、渡良瀬川は[[足利市]]付近で[[天井川]]となり、足尾の山林の荒廃とともに[[カスリーン台風]]襲来時は洪水の主原因となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
鉱毒による被害はまず、[[1885年]]、渡良瀬川の鮎の大量死という形で現れた。ただし、当時は原因が分かっておらず、これを8月12日に最初に報じた朝野新聞も、足尾銅山が原因かもしれないというような、あいまいな書き方をしている。同年10月31日、[[下野新聞]]が前年ごろから足尾の木が枯れ始めていることを報じ、これら2つが足尾銅山と公害を結びつける最初期の報道と考えられる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 被害の拡大 ===&lt;br /&gt;
[[画像:Shozo Tanaka.jpg|thumb|180px|田中正造]]&lt;br /&gt;
次に、渡良瀬川から取水する田園や、洪水後、足尾から流れた土砂が堆積した田園で、稲が立ち枯れるという被害が続出した。これに怒った農民らが数度に渡り蜂起した。[[田中正造]]はこのときの農民運動の中心人物として有名である。なお、この鉱毒被害の範囲は渡良瀬川流域だけにとどまらず、[[江戸川]]を経由し行徳方面、[[利根川]]を経由し[[霞ヶ浦]]方面まで拡大した。田畑への被害は、特に1890年8月と1896年7月21日、8月17日、9月8日の3度の大洪水で顕著となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1892年]]の[[古在由直]]らによる調査結果によれば、鉱毒の主成分は銅の化合物、[[亜酸化鉄]]、[[硫酸]]。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1901年には、足尾町に隣接する[[松木村]]が煙害のために廃村となった。このほか、松木村に隣接する久蔵村、仁田元村もこれに前後して同様に廃村となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[#対策|対策]]の節で述べる工事が1897年から1927年にかけて行われると、表だった鉱毒被害は減少した。しかし、渡良瀬川に流れる鉱毒がなくなったわけではなかった。他の地域と異なり、渡良瀬川から直接農業用水を取水していた群馬県[[山田郡 (群馬県)|山田郡]][[毛里田村]]（現太田市毛里田）とその周辺では、大正期以降、逆に鉱毒被害が増加したと言われる。1971年には毛里田で収穫された米からカドミウムが検出され出荷が停止された。古河鉱業はカドミウム被害は認めていないが、群馬県がこれを断定した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 閉山 ===&lt;br /&gt;
[[1973年]]までに足尾の銅は掘りつくされて閉山、公害は減少した。ただし、精錬所の操業は[[1980年代]]まで続き、鉱毒はその後も流されたとされる。1989年にJR[[足尾線]]で貨物が廃止になると、原料鉱石の搬入量が減少し、鉱毒はさらに減少したとされる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、どの時代も科学的な分析がほとんどされていないため、公害の内容はあまり明らかにはなっていない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
明確に分かっている鉱毒の量は、[[1972年]]度、環境庁が足尾町に設置した測定局における[[二酸化硫黄]]（[[亜硫酸ガ]]ス）濃度が、旧環境基準に適合していなかった。足尾町内1局の測定局のうち、1局が不適合で、都市内全測定局の値が不適合となったのは、測定局のある都市の中では、この年度、足尾町のみである（ただし当時の[[環境白書]]は、[[鉱毒]]被害とは明示していない）。[[1981年]]9月7日に足尾町の中才浄水場から排出された排水から、基準値の2倍、協定値の3倍の銅が検出されたというものがある。このほか、[[毛里田村]]鉱毒根絶期成同盟会などが独自に測定した値などがある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1899年]]の群馬栃木両県鉱毒事務所によると、鉱毒による死者・死産は推計で1064人。これは、鉱毒被害地の死者数から出生数を単純に減じたものである。[[松本隆海]]は、すべてが鉱毒が原因だとはいえないかもしれないが、当時の日本は出生数のほうが多いにもかかわらず、死者数のほうが多いのは、鉱毒に関連があるとしている（実際には、鉱毒が原因で貧困となり、栄養状態が悪化して死亡した者が多く含まれていると考えられるが、[[田中正造]]や松本はこれらも鉱毒による死者とすべきだとしている）。この数値は、田中正造の国会質問でも使用された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
鉱毒激甚地であった当時の[[安蘇郡]][[植野村]]字船津川地区（現[[佐野市]][[船津川町]]）の[[死産]]率は明らかに全国平均を超えていることも鉱毒事務所は指摘している。松本隆海は、『足尾鉱毒惨状画報』（[[1901年]]）で、安蘇郡界村字高山（現佐野市[[高山町]]、当時の人口約800人）で、5年間で兵役合格者がわずか2名しか出ておらず（適齢者は延べ50名）、しかも、その合格者のうち1名も入隊後10日で病気で除隊となったという逸話を紹介している。[[田口掬汀]]は、海老瀬村の鉱毒被害者向けの診療所の医師に聞いた話として、忙しくて統計はとっていないが、ひと月に2300名を越える患者を診断し、うち半数が眼病であったが、これは[[地質]]が及ぼす結果だろうとこの医師は推測していることを[[佐藤儀助]]編『亡国の縮図』（[[1902年]]）で紹介している。また、元谷中村村民の[[島田宗三]]は、自身の父と祖父は、鉱毒水を飲んで胃を冒されて死亡した、と主張している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 政府の鉱毒対策 ==&lt;br /&gt;
[[1891年]]からたびたび田中正造が国会で質問したにもかかわらず、政府は積極的には鉱毒対策を行わなかった。この時代は、1891年刊行の[[吾妻村 (栃木県)|吾妻村]]民らによる鉱毒の記録集『[[足尾銅山]]鉱毒・[[渡良瀬川]]沿岸事情』を発刊直後に発売禁止にするなど、[[言論封殺]]が主な対策であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 第一次 ===&lt;br /&gt;
[[1897年]]、鉱毒被害地の農民が大挙して東京に陳情（当時の表現では押出し）を行うなど、世論が高まると、同年3月、政府は[[足尾銅山鉱毒調査委員会]]を設置し、数度の[[鉱毒予防令]]を出した。特に大規模なものは[[1897年]]5月の第3回目の予防令で、古河側に、排水の[[濾過]]池・[[沈殿]]池と[[堆積場]]の設置、[[煙突]]への[[脱硫装置]]の設置を命令した。これらはどれもが数十日の期限付きで、一つでも遅れた場合には閉山するというものだった。古河側は当時珍しかった電灯などを活用し、24時間体制で工事を行った結果、すべての工事が期限内に間に合った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、これらの装置は、満足に役には立たなかった。政府は長年、この予防令による工事と、後述する渡良瀬川の改修工事（[[1927年]]竣工）で鉱毒問題は解決したとしてきたが、[[1993年]]、『[[環境白書]]』で、当時の対策が不十分で、根本的な解決とはならなかったことを認めた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
具体的には、濾過池・沈殿池は翌[[1898年]]には決壊し、再び下流に鉱毒が流れ出した。煙突の脱硫装置も、当時の技術レベルでは機能せず、効果は無いに等しかった。堆積場からの鉱石くずの流出は、既に[[1902年]]の第二次鉱毒調査委員会で指摘されている（しかし、第二次鉱毒調査委員会は特にそれを問題視することはなかった）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被害民の一部は、鉱毒予防工事の効果はないものとみなして再び反対運動に立ち上がり、3回目（[[1898年]]9月）と4回目（[[1900年]]2月）の大挙上京請願行動（押出し）を決行した。4回目の押出しでは、農民側と警察側が衝突して大勢の逮捕者が出た（[[川俣事件]]）。しかし、実はその翌年（[[1901年]]）の秋には、工事の効果が現れはじめ、新聞も農地がかなり回復していると報道した。たとえば、10月6日付の『東京朝日』には、「激甚被害地を除く他は極めて豊作」と出ている。ただし、これらの報道については、当時のマスコミのみの取材能力では、渡良瀬川沿岸全域を調査したとは考えられず、一部地域のみの情報を元にしたものであるという指摘がされている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
第一次鉱毒調査委員会はこれ以外に、鉱毒被害民に対し[[免租]]を行った。これは農民の要求を受け入れたものだが、この措置のおかげで選挙権を失うものが続出、誰も立候補できずに村長が選べない村も出るという弊害も生まれた（当時は一定額の直接税を納めないと選挙権が得られなかった）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 第二次 ===&lt;br /&gt;
[[田中正造]]の直訴後、学生が相次いで団体で足尾見学に向かうなど、世論の盛り上がりにあわてた政府は、[[1902年]]に第二次鉱毒調査委員会を設置した。同委員会は[[1903年]]に、[[1897年]]の予防令後は鉱毒は減少したと結論づけ、洪水を防ぐために渡良瀬川下流に鉱毒沈殿用の大規模な「遊水池」を作るべきとする報告書を提出した。しかし、第二次鉱毒調査委員会は、前述のとおり、予防令による工事で鉱毒は減少したとは結論づけたが、鉱毒が消滅したという調査結果はない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同調査会の結論は「作物に被害を与える銅分は、予防工事前の残留分で現業によるものは少ないとして[[古河鉱業]]の責任を解除した」（由井正臣『田中正造』）ものだったが、実際、[[1903年]]10月には「被害地の稲は豊作」になり、田中正造も「被害地豊作の実況」と題する演説をして歩いた（『田中正造全集・別巻』477頁）。&lt;br /&gt;
この演説で正造は、「豊作の原因は断じて工事の効果ではない。去年の大洪水による山崩れで、新しい土が被害農地にかぶさったためだ」と抗弁した。この説は[[2006年]]現在、国土交通省も支持している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、群馬県山田郡側の鉱毒被害は、この時代、逆に増加したといわれる。理由は不明だが、大正時代、[[製錬]]方法が浮遊選鉱法に変更されたことにより渡良瀬川を流れる鉱石くずの粒が細かくなり、浮遊したまま川を流れるようになったため、上流部の渡良瀬川右岸に多く流れ込んで堆積するようになったと考える研究者がいる。群馬県側の鉱毒被害および鉱毒反対運動については後述する。この時代、鉱毒が減ったような報道が多くされたのは、鉱毒発生当初は山田郡は鉱毒激甚地とはみなされていなかったため、マスコミが取材に訪れなかったためだと考える研究者がいる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
第二次鉱毒調査会の報告書を受け、栃木県、群馬県、[[埼玉県]]、[[茨城県]]の境に、鉱毒沈殿用の[[渡良瀬遊水地]]が作られた。当初、埼玉県側に作られる予定であったが、激しい反対のために栃木県側に予定が変更された。この土地は元々、農業を主な産業としていた栃木県下都賀郡[[谷中村]]であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
谷中村には田中正造が住み、公害運動の拠点となっていたことから、運動をつぶすための決定だといわれた。谷中村はこれに激しく抵抗し、隣の[[藤岡町]]との合併案を否決した。谷中村は[[1906年]]に強制廃村となり、藤岡町に合併された。また、渡良瀬川の河川工事もこの時代に行われた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1910年]]から[[1927年]]にかけ、谷中村を遊水地にし、渡良瀬川の流れの向きを変えるなど、大規模な河川工事が行われ、洪水は減少した。しかし、足尾の山から流出する土砂が下流で堆積するのは止まらなかった。また、下流地域での鉱毒被害が減っただけで、新たな鉱毒の流出が消滅したわけではなかった。政府が当時のこれらの対策が不十分であることを認めたのは、前述したとおり1993年であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 戦後 ===&lt;br /&gt;
[[1947年]]の[[カスリーン台風]]以降、政府は渡良瀬川全域に堤防を作った。この堤防工事は20年ほどかかった。堤防の竣工以後、渡良瀬川では大規模な洪水はない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
土砂の流出を防ぐため、1960年、足尾町に防砂ダムの[[足尾ダム]]（通称、三沢合流ダム）が作られた。容積500万[[立方メートル]]で、[[利根川]]水系の[[防砂ダム]]としては最大。また、日本でも最大級の防砂ダムだとされる。[[2003年]]現在の堆砂率は67%。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
土砂の流出防止と、鉱毒の沈殿を主目的にした多目的ダム、[[草木ダム]]が渡良瀬川上流の群馬県勢多郡[[東村 (群馬県勢多郡)|東村]]に作られた（[[1977年]]竣工）。このダムは当初、鉱毒対策をその目的の中に入れていなかったが、参議院議員[[近藤英一郎]]（当時）が商工委員会で質問を行った結果、このダムについては「水質保全に特に留意」することとされた経緯がある。鉱毒を下流に流さないようにするための半円筒形多段ローラーも採用された。このダムは常時水質検査が行われ、結果が随時公表されているが、そのような多目的ダムは日本にはほとんど存在しない。竣工が銅山の閉山後だったこともあり、[[水質]]検査では異常な値はあまり検出されていない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1976年]]7月30日、[[群馬県]]、[[栃木県]]、[[桐生市]]、[[太田市]]と[[古河鉱業]]の間で[[公害防止協定]]が締結された。ただし、後述する[[毛里田地区鉱毒根絶期成同盟会]]はこの協定への参加を拒否した。この協定に基づき、水質検査などが行われている。鉱毒被害地の農地の土地改良も、公害防止協定締結後に行われた（後述）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお、協定に基づく水質検査の結果、降雨時の堆積場からの水質が[[環境基準]]を超えていることがあることを群馬県が[[2005年]]に指摘している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 鉱毒反対運動 ==&lt;br /&gt;
=== 明治期 ===&lt;br /&gt;
鉱毒反対運動は、現在の栃木県[[佐野市]]と藤岡町で盛んであった。最初の運動は、[[1890年]]、栃木県足利郡吾妻村（現在の佐野市吾妻地区）会が足尾鉱山の操業停止を求める決議を採択した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
佐野出身の衆議院議員[[田中正造]]は[[1891年]]以降、たびたび国会で鉱毒の質問を行い、鉱毒の害は全国に知れ渡った。栃木県は鉱毒仲裁会をつくり、古河側が、1893年頃に農民に示談金を払い、1896年6月末までに対策を行って鉱毒をなくすという内容で示談を行わせた。これに対し、田中正造はこの示談を行わないよう運動を行った。しかし、1896年の大洪水でさらに鉱毒が拡大し、対策がなされていないことが判明すると、農民側は示談契約書を根拠に再度交渉を行った。このとき、古河側が農民に若干の示談金を与えるかわりに、それ以前、以後の鉱毒被害の請求権を放棄するという内容の永久示談に切り替えた。このため、この後には鉱毒問題はないという主張もされる。しかし、示談金の受け取りを拒否した農民もおり、鉱毒反対運動はこの後も続いた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
森長英三郎によれば、1893年の時限付き示談の内容は、古河市兵衛が農民8414人の被害地4360町96畝06歩に対し76602円96銭9厘を支払うというもので、1896年の永久示談は農民5127人の被害地2207町43畝14歩に対し30119円23銭2厘を払うというものであった。森長の概算によれば1893年の示談の平均は1反あたり1円75銭、1896年の示談の平均は1反あたり1円54銭である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
反対運動が最も盛んになったのは、[[1896年]]の洪水以降で、田中正造の主導の元、10月4日、群馬県邑楽郡[[渡瀬村 (群馬県)|渡瀬村]]（現在の館林市下早川田町）にある雲龍寺に、栃木・群馬両県の鉱毒事務所が作られた。ここは、被害農民の集結所となった。この後、東京への[[陳情]]に出かける農民と警官隊との衝突も起きた。このような陳情には当時名がついておらず、農民らは「押出し」と読んだ。布川了によれば、大規模な押出しは明治期に6回行われている（1897年3月2日、1897年3月24日、1898年9月26日、1900年2月13日、1902年2月19日、1902年3月2日）。&amp;lt;!---女押出を復帰。押出を4回とする説は、川俣事件以降押出は行われなかったと主張する者が広めたようです---&amp;gt;&amp;lt;!---（1897年3月2日、1897年3月24日、1898年9月26日、1900年2月13日。4回目の押し出しで活動家は皆逮捕された。これ以降の鉱毒反対運動は不可能だし、農地の回復で押し出しの必要もなかった。なぜ、定説に逆らってまで6回だと主張するのか。まともな人が書いているとはとても思えない。）---&amp;gt;&amp;lt;!---ではノートに書きます---&amp;gt;第3回押出しで、与党議員であった田中は農民等を説得して大部分を帰郷させたが、直後に政権が崩壊。田中は第4回押出しを行うための機関、鉱毒議会を現地栃木・群馬県で組織させた。押出しについては[[川俣事件]]も参照のこと。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;!---女押出を復帰。押出を4回とする説は、川俣事件以降押出は行われなかったと主張する者が広めたようです---&amp;gt;1896年には群馬県議会が足尾銅山の操業停止を求める議決（『鉱毒ノ儀ニ付建議』）を行った。一方、栃木県議会は1890年に足尾銅山の調査を求める議決を行っていたが、鉱毒被害地と足尾銅山双方の地元であるという事情から議会が紛糾し、1896年には鉱毒に関する議決は行わなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
当時、[[日清戦争]]・[[日露戦争]]のさなかであった政府としては、鉱山の操業を止める事はできず、反対運動を食い止めるため、政府は運動の盛んだった谷中村の廃村を決し、[[1907年]]強制破壊が行われる。その後、村民は主に隣の藤岡町や群馬県板倉町にあたる地域、下都賀郡の他の町村、古河町（現在の古河市）、那須郡、北海道常呂郡[[佐呂間町]]に移住させられた。この移住は強制ではなかった。また、元谷中村民以外も一緒に移住したが、実質的には元谷中村民救済の意味が強かった。なお、佐呂間町にある「栃木」という地名は、この移住の際につけられたものである。移住を拒否し、破壊された谷中村の自宅跡に住み続けた元村民もいる。ただし、1917年には全員が村を退去した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
鉱毒反対運動は、谷中村の廃村や、渡良瀬川の大工事による洪水の減少などによりしだいに弱まり、特に1902年以降、足利郡、梁田郡、安蘇郡、下都賀郡、邑楽郡の鉱毒被害地が豊作になると弱体化した。さらに運動の中心人物であった田中正造が1913年に没するとほぼ消滅した。しかし、群馬県山田郡の鉱毒被害は止まず、この地区ではこの後も鉱毒反対運動が続いた（後述）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 足尾町での運動 ===&lt;br /&gt;
煙害に困った足尾町赤倉地区の住民が[[1920年]]に煙害問題安定期成会を結成。古河鉱業と直接交渉を行った。しかし、土地柄、銅山との商取引で生計を立てている者が多く、運動は盛り上がらなかった。最終的に、銅山に全く依存していない数軒のみが賠償を受けることに成功したが、逆に町内の分断を招いた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 大正期・昭和期・平成期 ===&lt;br /&gt;
[[Image:OttoseiIwa.jpg|thumb|200px|オットセイ岩（手前）と源五郎沢堆積場（対岸奥）。間にわたらせ渓谷鉄道の線路がある。川は渡良瀬川]]&lt;br /&gt;
渡良瀬川から農業用水を取水していた中流右岸の待矢場両堰普通水利組合（現在の待矢場両堰土地改良区。主に群馬県山田郡、邑楽郡の町村に用水を供給していた）と三栗谷用水普通水利組合（現在の三栗谷用水土地改良区、主に足利郡右岸に用水を供給）は、古河側と永久示談を行わず、期限つきの示談交渉を数度に渡り延長する方式をとっていた。しかし、[[1902年]]、[[1904年]]に古河側は状況が変わったとして示談延長を停止。両組合は、賠償請求額を算出するためにそれぞれ独自にたびたび足尾の現地視察などを行った。[[1917年]]、待矢場両堰普通水利組合は、渡良瀬川には鉱毒はなくなっていないとする意見書を群馬県知事に提出した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1924年]]には干ばつがあり、これは、[[水源地]]の足尾の[[山林]]が荒廃して[[保水]]能力を失ったためだと考えた両組合は、それぞれ別個に活動を行い、[[1925年]]には群馬県側の農民ら数千人の署名が集められ、貴族院、衆議院、内務大臣、農務大臣宛てに請願書が提出される。この内容は主に、鉱害による損害賠償請求が行えるようにして欲しいというものだった（当時は原告に立証責任があったため、裁判で勝つ見込みがなかった）。この要望は[[1939年]]に実現した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一方、三栗谷用水は、鉱業取り締まりや鉱業法改正の嘆願書を内務・農林・商工大臣宛に提出。この嘆願書は[[1926年]]から[[1933年]]までほぼ毎年提出された。なお、この時代、両水利組合が共同で行った運動も若干ある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1936年]]に三栗谷用水は古河鉱業から事業資金の一部8万5千円を提供させ、取水口の改良工事を行い、それまでの渡良瀬川からの直接取水から、[[伏流水]]を主に取水する方式に変更した。この際、古河側は永久示談を要求。今後一切現金提供を求めないという条文が契約書に盛り込まれたが、工事は[[1950年]]の第4次工事まで続き、最終的に古河側は総工費3200万円の4%にあたる119万円を負担した。第4次工事で、用水本流上に中川鉱毒沈砂池（[[1948年]]竣工）が設けられ、下流部の鉱毒被害は激減した。しかし、最新の鉱毒防止装置の維持費は、その後も用水利用料増加という形で農民の負担となった。なお、事業そのものは[[1967年]]竣工の第5次まで続いたが、第5次工事には古河は金銭を負担していない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1938年]]、[[1939年]]には渡良瀬川で大洪水があり、鉱毒が再度農地に流れ込んだ。同年、渡良瀬川改修群馬期成同盟会が結成され、内務省に対して渡良瀬川の河川改修や水源地の涵養などを求める陳情が行われた。陳情は[[1940年]]までに22回行われた。1940年、政府はこの事業に予算をつけるが、第二次世界大戦のため、あまり大規模な改修は行われなかったらしいという推測もある。政府が渡良瀬川の大改修を行うのは戦後であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これ以降の時代は、国策である銅の増産に協力しない者は非国民であるという主張がされるようになり、鉱毒反対運動は一時下火になった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1945年、終戦となり、言論・集会への弾圧が行われなくなると、翌[[1946年]]、群馬県東部の渡良瀬川流域の農民が集まり、足尾銅山精錬所移転期成同盟会が結成された。この会はすぐに鉱害根絶同盟会と名称を変更し、古河鉱業と直接交渉を行った。周辺市町村は渡良瀬川改修群馬期成同盟会を沿岸鉱毒対策委員会と名称変更して鉱毒反対運動を続け、1953年、鉱害根絶同盟会は官製の対策委員会に吸収される形でいったん消滅した。対策委員会は古河鉱業から土地改良資金の20分の1（800万円）を受け取り解散した。800万円は、待矢場両堰土地改良区（水利組合が名称を変更したもの）の口座に入金された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これらの資金を基に、待矢場両堰も三栗谷用水と同様、伏流水を取水するための工事を行ったが、用水の規模が違いすぎ、伏流水のみでは必要量を確保できなかった。待矢場両堰はその後も渡良瀬川からの直接取水を続けた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、[[1958年]]5月30日、足尾町オットセイ岩付近にある源五郎沢堆積場が崩壊。崩れた鉱石くずが渡良瀬川を流れ、渡良瀬川から直接農業用水を取水していた群馬県山田郡毛里田村（現在の[[太田市]]毛里田）の田畑に流れ込んだ。この後この地で再び鉱毒反対運動がさかんになる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
6月11日には毛里田村の農民らが足尾を訪れるが、古河側は自身に責任はないという主張を繰り返した。しかし、[[日本国有鉄道|国鉄]]には、鉱石くずの流出で線路が流れたことに対して補償金を払っていたことが直後に判明。住民らが激怒し、7月10日、毛里田村期成同盟会（のちの毛里田地区期成同盟会）が結成され、これを受け、さらに8月2日、[[群馬県]][[桐生市]]、[[太田市]]、[[館林市]]、[[新田郡]]、[[山田郡 (群馬県)|山田郡]]、[[邑楽郡]]の農民が中心となって群馬県東毛三市三郡渡良瀬川鉱毒根絶期成同盟会が再度結成される。古河側は150万円の見舞金を提示したが、毛里田村民側は賠償金の一部としてでなければ受け取れないと拒否。また、この交渉過程で、[[1953年]]に土地改良資金を提供したときに、永久示談を行ったと古河側は主張。当時の契約書も提示された。この契約書に関しては、[[1966年]]、[[参議院]]商工委員会で[[鈴木一弘]]委員（当時）が有効性があるのかと問いただしたところ、農林省、通産省の担当者は、それぞれ、契約書に署名した水利組合理事長に独断でそのような契約を結ぶ権限があったか疑わしく、また、契約後も鉱毒被害が発生していることから、永久示談の成立には否定的な答弁を行っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この時期の鉱毒反対運動は、最大の被害地、毛里田村期成同盟会（のちの毛里田地区期成同盟会）が活動の中心となった。この後、バスを使った押出しが行われた。明治期のものと区別するため、昭和期のものは昭和の押出しと呼ばれる。同年設置された政府の水質審議会指定河川から渡良瀬川が除外されたことも運動を大きくする原因になった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1962年]]、[[水質]]審議会に渡良瀬川専門部会を設け、毛里田村期成同盟会会長が会長を辞職すれば、この会長を審議会委員に加えてよい、という内容の政治的な妥協がはかられたが、当初、毛里田村同盟会は同盟会の運動の分断を図ろうとするものだとして激しく抵抗した。また、そのような主張が認められるなら、同じく委員になっている[[古河鉱業]]の社長もその職を辞すべきだという主張もあった。しかし、会長はこれを受け入れ、会長を辞職した上で水質審議委員となった。しかし、この委員の意見はほとんど無視されたため、[[1964年]]10月5日、再び押出しが行われた。水質基準は[[経済企画庁]]の提案による銅0.06ppmという値で、[[1968年]]に決定された。毛里田地区期成同盟会（毛里田村期成同盟会が名称変更したもの）は、0.02ppmを主張したがこれは受け入れられなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この間、[[1966年]]9月ごろ、足尾町の天狗沢堆積場が決壊。再度、鉱毒が下流に流れた。しかし、古河側はこの事実を公表しなかった。期成同盟会の住民は、群馬県からの連絡でこの事実を知った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1971年]]に毛里田で収穫された米から[[カドミウム]]が検出され、直後、農民らは80年分の賠償金120億円を古河鉱業に請求した。[[1972年]]、[[群馬県]]は、米の汚染は足尾銅山の鉱毒が原因と断定。3月31日、農民971人が古河鉱業に賠償金総額39億円の支払いを求め群馬県[[公害審査会]]に[[調停]]を申請した。4月3日、県は毛里田地区の土壌汚染についても足尾銅山の鉱毒が原因と断定。1974年に、農地359.8haを土壌汚染対策地域農用地に指定した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1974年]]5月11日、群馬県公害審査会から事件の処理を引継いだ[[公害等調整委員会]]において調停が成立し、古河鉱業は15億5000万円を支払った。これは、古河側が鉱毒事件で責任を認めて賠償金（契約書上の文言は「補償金」）を支払った最初の出来事である。（それ以前の資金提供は常に「寄付金」「見舞金」「協力金」などの名目で、賠償金ではなかった）ただし、古河鉱業側は、銅の被害のみを認め、カドミウムについては認めなかった（農民側も、調停申請にはあえてカドミウム問題は提示せずに早期解決を目指したという理由もある）。このときの調停の内容に含まれていた土地改良は、1981年に始まり[[1999年]]に完了した。古河鉱業は土地改良事業費43億4000万円のうち51%を負担し、残りの大部分は国と群馬県が負担した（ごく一部を桐生市と太田市が負担）。土地改良には農民の金銭の負担はない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
毛里田地区の鉱毒反対運動は、どこからも主だった支援を受けず、農民の手弁当による活動であるところが他の同種の運動と大きく異なる。ただし、支援の申し出がなかったわけではなく、受け入れ体制が整わなかったのが支援を受けなかった理由であるという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
毛里田地区の調停成立直後の[[1974年]]11月18日、群馬県桐生市で桐生地区鉱毒対策委員会が設立され、農民444人が古河鉱業に対し交渉をもった。[[1975年]]11月18日和解が成立し、古河鉱業は銅などによる鉱毒被害を認め、2億3500万円を支払った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1974年]]10月25日、太田市韮川地区鉱毒根絶期成同盟会の農民546人が、13億円の賠償を古河鉱業に請求。[[1976年]]12月1日、和解が成立し、古河鉱業は1億1千万円を支払った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
毛里田地区で申請漏れになっていた住民が、公害等調整委員会に調停を申請。1977年12月、390万円で和解が成立した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1994年]]、毛里田地区鉱毒根絶期成同盟会と、韮川地区鉱毒根絶期成同盟会が合併。鉱毒根絶太田期成同盟会となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2000年]]、[[2003年]]、[[2004年]]に、群馬県は農用地土壌汚染対策指定地域を追加指定。これまでに指定され、まだ解除されていない農地も含め、[[2005年]]現在の対策指定地域は53.74haである。[[2000年]]以降の追加指定地は、大部分が[[1970年]]代の調査が不十分で調査洩れになっていた地域と考えられている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2004年]]、桐生市議会は、足尾町の中才浄水場に自動取水機の設置を求める要望書を採択した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Image:KoudokuKonzetsu.jpg|thumb|200px|毛里田地区の祈念鉱毒根絶碑。「土」の字をかたどっている。記念碑としなかったのは、鉱毒問題が解消していないため。[[1977年]]建立]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 植林・治山事業 ==&lt;br /&gt;
荒廃した足尾地区の森林を復元するため、1897年、当時の農商務省により足尾に植林が命じられ、以後、現在（2006年）に至るまで[[治山]]事業が続けられている。ただし、明治期と昭和初期には植林が行われなかった時代がそれぞれ数年ずつあった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
治山事業に要した費用（荒廃地復旧経費）は、前橋営林署（現在の関東森林管理局群馬森林管理署）によれば、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* [[1897年]]～[[1899年]]         31,111円&lt;br /&gt;
* [[1906年]]～[[1913年]]        405,917円&lt;br /&gt;
* [[1914年]]～[[1926年]]         99,590円&lt;br /&gt;
* [[1927年]]～[[1940年]]        163,484円&lt;br /&gt;
* [[1947年]]～[[1975年]] 1,659,574,000円&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
である（[[1976年]]以降も植林事業は行われている）。前橋営林署の治山事業は、国有林を対象に行われている。このほか、栃木県が1958年ごろから別に民有地に治山事業を行っている。栃木県が植林している民有地は、ほとんどが古河機械金属の所有地である。税金を投じて私有地への大規模な[[植林]]を行うことに批判もある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1988年に前橋営林署が足尾地区の治山事業に使用した金額は、2億9400万円であり、栃木県は5億8500万円を投じた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1999年に建設省が足尾地区の[[治山事業]]に投じた金額は、20億3000万円であり、栃木県は8億円、林野庁は2億5000万円を投じた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
このほか、古河鉱業は[[1960年]]に国有林復旧への協力金として政府に約360万円を支払った。これは[[1957年]]～[[1960年]]分として支払われ、これ以前の分については[[時効]]だという解釈がされた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 古河側の主張 ==&lt;br /&gt;
足尾鉱毒事件に関しては、主に被害者側の視点での記述が多いが、中立性を確保するため、古河側の主張も併記する。ただし、古河側が直接、[[鉱毒]]に関して言及している例は非常に少ない。古河側の直接的な文献で、鉱毒に関する言及が多い文書には、[[古河鉱業]]刊『創業100年史』（1976年）がある。なお、古河鉱業は鉱毒という語を用いず、「[[鉱害]]」という語を用いている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これによれば、[[1740年]]に既に[[渡良瀬川]]沿岸で鉱毒による免租願いが出されていることが当時の文献から確認でき、鉱毒は古河の経営になる前から存在したと主張している。また、当時は圧力があって文献では残っていないが、[[1821]]年に鉱毒被害があった、という研究も紹介している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
古河側の主張によれば、（第1次）鉱毒調査会による鉱毒防止令による工事と、[[大正時代]]までに行われた渡良瀬川の治水工事により、鉱毒は「一応の解決をみた」（『創業100年史』より）と述べている。この時代、待矢場両堰普通水利組合などが鉱毒に言及していたことについては記述がない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
源五郎沢堆積場崩壊事故後の毛里田地区鉱毒根絶期成同盟会との交渉については（それ以前から鉱毒問題に関しては）、「つねに前向きの姿勢で対処してきた」（『創業100年史』より）と述べている。古河側が時効の成立を主張したことなどについては言及がある。1974年の調停で、鉱毒問題については「終止符が打たれた」（『創業100年史』より）と述べているが、[[古河鉱業]]が[[カドミウム]][[汚染]]に関する責任を認めていないことについての言及はない（[[1976年]]に結ばれた公害防止協定への言及もないが、協定成立年とこの文献の発行年が同年であることから、編集に間に合わなかったという可能性もある）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 注釈 ==&lt;br /&gt;
&amp;lt;references/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 文献 ==&lt;br /&gt;
* 待矢場両堰普通水利組合『待矢場両堰々史』（1922年）&lt;br /&gt;
* 内水護『資料足尾鉱毒事件』（1971年）&lt;br /&gt;
* 古河鉱業『創業100年史』（1976年）&lt;br /&gt;
* 渡良瀬川鉱毒根絶毛里田期成同盟会『祈念鉱毒根絶の碑』（1977年）&lt;br /&gt;
* 東海林吉郎、菅井益郎『通史足尾鉱毒事件 1877-1984』（1984年）&lt;br /&gt;
* 佐野市郷土博物館『田中正造と足尾鉱毒』（1988年）&lt;br /&gt;
* 板橋信次郎『毛里田村を主とする鉱毒記録抜き書き』（1992年）&lt;br /&gt;
* 布川了『田中正造と足尾鉱毒事件を歩く』（1994年）ISBN 4-938640-61-9&lt;br /&gt;
* 待矢場両堰土地改良区『待矢場両堰土地改良区史』（1996年）&lt;br /&gt;
* 広瀬武 『公害の原点を後世に-入門・足尾鉱毒事件』（2001年）ISBN 4-88748-067-9&lt;br /&gt;
* 砂川幸雄『直訴は必要だったか』（勉誠出版、2004年）ISBN 4585053166&lt;br /&gt;
* 高崎哲郎『百折不撓―鉱毒の川はよみがえった』（2004年）ISBN 4-7972-2622-6&lt;br /&gt;
* 太田市『環境白書 平成16年度』（2004年）&lt;br /&gt;
* 田中正造大学出版部『救現』1号～9号（1986年～2005年）ISBN 4-88748-117-9（9号のもの）&lt;br /&gt;
* 群馬県『平成17年版 環境白書』（2005年）&lt;br /&gt;
* 渡良瀬川研究会『田中正造と足尾鉱毒事件研究』1号～14号（～2006年）ISBN 4-88748-146-2（14号のもの）&lt;br /&gt;
* 立松和平『毒――風聞・田中正造』毎日出版文化賞受賞（東京書籍、1997年）&lt;br /&gt;
* 林竹二『田中正造の生涯』毎日出版文化賞受賞（講談社新書）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 映画 ==&lt;br /&gt;
* 『鉱毒』（日本、1976年）&lt;br /&gt;
* 『鉱毒悲歌』（日本、1980年代ごろ）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[利根川東遷事業]]&lt;br /&gt;
* [[農用地の土壌の汚染防止等に関する法律]]&lt;br /&gt;
* [[環境基本法]]&lt;br /&gt;
* [[水質汚濁防止法]]&lt;br /&gt;
* [[土壌汚染対策法]]&lt;br /&gt;
* [[汚染者負担原則]]&lt;br /&gt;
* [[土壌汚染]]&lt;br /&gt;
* [[地下水汚染]]&lt;br /&gt;
* [[水俣病]]&lt;br /&gt;
* [[イタイイタイ病]]&lt;br /&gt;
* [[環境基準]]&lt;br /&gt;
* [[カドミウム]]&lt;br /&gt;
* [[田中正造記念館|足尾鉱毒事件田中正造記念館]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
* [http://www.kanto.kokuyurin.go.jp/works/santi-saigai/index.html 関東森林管理局 足尾の治山]&lt;br /&gt;
* [http://www.env.go.jp/kijun/ 環境基準について（環境省）]&lt;br /&gt;
* [http://www.ashio-midori.com/ NPO法人 足尾に緑を育てる会]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:あしおこうとくしけん}}&lt;br /&gt;
[[Category:環境用語]]&lt;br /&gt;
[[Category:公害]]&lt;br /&gt;
[[Category:明治時代の政治]]&lt;br /&gt;
[[Category:明治時代の事件]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[en:Ashio_Copper_Mine]]&lt;br /&gt;
[[nl:Vergiftigingsschandaal_van_de_Ashio-kopermijn]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>小川義行</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%A1%E8%89%AF%E7%80%AC%E9%81%8A%E6%B0%B4%E5%9C%B0</id>
		<title>渡良瀬遊水地</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%A1%E8%89%AF%E7%80%AC%E9%81%8A%E6%B0%B4%E5%9C%B0"/>
				<updated>2007-09-13T15:55:51Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;小川義行: “利用者Musashino”により改悪されていた表記を含め、誤った表記を、「Wikipedia:表記ガイド」などに従って、望ましい表記に訂正した。&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{ダム|&lt;br /&gt;
| 画像=[[画像:WataraseYusuichi.jpg|300px]]&amp;lt;br /&amp;gt;航空写真&amp;lt;hr /&amp;gt;[[image:watarase_yusuichi_landsat.jpg|300px]]&amp;lt;br /&amp;gt;衛星写真&amp;lt;hr /&amp;gt;[[画像:watarase_yusuichi_map.png|300px|遊水地内の地図]]&amp;lt;br /&amp;gt;詳細図&lt;br /&gt;
| 所在地=左岸:&amp;lt;br /&amp;gt;[[栃木県]][[下都賀郡]][[藤岡町]]・[[野木町]]&amp;lt;br /&amp;gt;[[茨城県]][[古河市]]&amp;lt;br /&amp;gt;右岸:&amp;lt;br /&amp;gt;[[群馬県]][[邑楽郡]][[板倉町]]&amp;lt;br /&amp;gt;[[埼玉県]][[北埼玉郡]][[北川辺町]]&lt;br /&gt;
| 座標={{ウィキ座標2段度分秒|36|32|22|N|139|22|20|E|}}&lt;br /&gt;
| 河川=[[利根川]]水系[[渡良瀬川]]&lt;br /&gt;
| ダム湖=渡良瀬遊水地&amp;lt;br /&amp;gt;（谷中湖）&lt;br /&gt;
| ダム形式=[[固定堰]]・堤防&lt;br /&gt;
| 堤高=(6.5)&lt;br /&gt;
| 堤頂長=9,200.0 (2,200.0)&lt;br /&gt;
| 堤体積=18,000,000&lt;br /&gt;
| 総貯水容量=170,680,000 (26,400,000)&lt;br /&gt;
| 有効貯水容量=170,680,000 (26,400,000)&lt;br /&gt;
| 流域面積=8,588.0&lt;br /&gt;
| 湛水面積=3,300 (450.0)&lt;br /&gt;
| 利用目的=[[洪水調節]]・[[日本のダム#ダム諸元に関する表記|不特定利水]]・[[上水道]]&lt;br /&gt;
| 事業主体=[[国土交通省]][[関東地方整備局]]&lt;br /&gt;
| 電気事業者=－&lt;br /&gt;
| 発電所名（認可出力）=－&lt;br /&gt;
| 施工業者=&lt;br /&gt;
| 着工年=1905年&lt;br /&gt;
| 竣工年=1989年&lt;br /&gt;
| 備考=カッコ内は谷中湖の諸元&amp;lt;br /&amp;gt;竣工年は全事業の完成年&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
'''渡良瀬遊水地'''（わたらせゆうすいち）は、[[足尾鉱毒事件]]による鉱毒を沈殿させ無害化することを目的に渡良瀬川下流に作られた[[遊水池]]。[[渡良瀬川]]、[[思川 (利根川水系)|思川]]、[[巴波川]]の3つの川が合流する地点に作られている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
設置の表向きの名目は洪水防止目的で、鉱毒対策をうたってはいないが、1903年の政府の第二次鉱毒調査委員会が渡良瀬川下流部に遊水池を設置する案を提示したことを受けて造成されており、鉱毒対策目的であることは明白である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
法令上は、[[国土交通省]]が管轄する河川の内部になっている。現在は鉱毒は減少し、主に治水と利水のための地域になっている。ただし、減少したのは上流から新たに流れてくる鉱毒の量であって、遊水地の土壌には銅など鉱毒物質が現在（2005年）も多く含まれている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==地理==&lt;br /&gt;
領域は[[栃木県]]・[[群馬県]]・[[埼玉県]]・[[茨城県]]の4県にまたがるが、ほぼ全域が栃木県下都賀郡[[藤岡町]]に属する。残りの部分は栃木県[[小山市]]、栃木県[[下都賀郡]][[野木町]]、茨城県[[古河市]]、埼玉県[[北埼玉郡]][[北川辺町]]、群馬県[[邑楽郡]][[板倉町]]に属する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
内部の面積は33[[平方キロメートル|km&amp;amp;sup2;]]で、山手線の内側の面積の約半分である。[[ゴルフ場]]が造成されている場所があったり、ごく一部に旧建設省の許可を得て耕作が行われた場所があったりするが、建物はなく、若干の道路と橋のみがある。&lt;br /&gt;
最寄り駅は[[東武日光線]][[柳生駅]]、[[新古河駅]]および[[板倉東洋大前駅]]。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
内部に第1調節池、第2調節池、第3調節池があることになっているが、第1調節池以外は増水時以外実態がない。第1調節池はかつてお化け沼と呼ばれ、釣り人に親しまれたが、その後の造成により南部がコンクリート張りの'''谷中湖'''になった。渡良瀬川の西側が第1調節池である。第2調節池は巴波川の東で、第3調節池は渡良瀬川と巴波川の北側である。遊水地内の堤の一部はあえて低く作られた[[越流堤]]があり、増水時には調節池に向けてわざと水を流して一時的にため、下流での洪水を防ぐしくみになっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==沿革==&lt;br /&gt;
足尾鉱毒事件による被害が大きくなり、農民の鉱毒反対運動が盛り上がると、[[1905年]]、政府は栃木県下都賀郡[[谷中村]]全域を買収してこの地に鉱毒を沈殿する遊水池を作る計画を立てた。ただし、これは、鉱毒反対運動の中心地だった谷中村を廃村にすることにより、運動の弱体化を狙ったものであるという指摘が当時谷中村に住んでいた[[田中正造]]によって既になされている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
谷中村は全域が強制買収され、[[1906年]]、強制廃村となった。[[1907年]]までに立ち退かなかった村民宅は強制破壊された。ただし、一部の村民はその後も遊水池内に住み続けた。最後の村民は1917年2月25日ごろこの地を離れた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
政府は1912年から1918年にかけての工事でこの地を堤防で囲い、遊水池とした。ただし、この場所には通常は水はなく、洪水時に水が貯められる仕組みであった。同時期に川の付け替え工事も行われ、栃木・群馬県境をうねるように流れていた渡良瀬川は、藤岡町東側を流れるように変更された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この時代、遊水池の拡張も行われ、旧谷中村以外の[[下都賀郡]]部屋村（現藤岡町）、同野木村（現野木町）群馬県[[邑楽郡]][[海老瀬村]]（現板倉町）、茨城県[[猿島郡]]古河町（現古河市）の一部も遊水池の内部となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この後、調整池を作る計画があったが、[[第二次世界大戦]]により中断。[[1963年]]から[[1998年]]にかけて、全域を堤防で囲う工事が行われ、第1、第2、第3調節池の3地域に分けるほぼ現在の形となった。第1調整池は1970年、第2調整池は1972年、第3調整池は1997年完成。第1調整池内に[[1989年]]、第1貯水池である渡良瀬貯水池（谷中湖）が造成された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1970年代までは銃猟が規制されておらず、シーズンにはハンターが[[狩猟|猟]]を行っていた。1990年に栃木県側が銃猟禁止区域に設定され、その後、この地での銃猟は行われなくなった。遊水池内には[[東武鉄道]]が設置した有料猟場が存在した。この猟場は、栃木県内で最後の有料猟場であった。なお、漁は現在でも可能である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1988年、渡良瀬遊水地アクリメーションランド構想が発表され、[[ゴルフ場]]、[[キャンプ|オートキャンプ場]]などを設置した大型公園にする構想があった。しかし、反対運動や[[バブル景気]]の終了により、複数のゴルフ場と[[野球場]]・[[テニス|テニスコート]]などの運動場が整備されたのみで、オートキャンプ場などは着工されなかった。渡良瀬遊水地アクリメーション振興財団は、アクリメーションランド構想に基づく施設を管理運営するために設置された[[第三セクター]]である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==現在の遊水地==&lt;br /&gt;
遊水地内には道路があるため、水が貯まっている場所以外は内部に行くことは可能である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
谷中湖の北には藤岡町商工会、[[農業協同組合]]が出店を出しており、[[バーベキュー]]が行える場所もある。（平日や冬季を除く）ゴルフ場も複数存在する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
レンタサイクルは、[[道の駅きたかわべ]]、板倉東洋大前駅東、谷中湖北など4か所にある。（定休日あり。冬季、平日は営業していない場所もあり）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ただし、これらの利用されている地域は、渡良瀬遊水地のほんの一部であり、残りのほぼ全域は、未だ自然の豊かな[[ヨシ|葦原]]となっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[花火大会]]などの会場になっているほか、隅を[[電線路|高圧線]]がかすめる以外は電線もないため、[[熱気球]]や[[スカイダイビング]][[トライアスロンの大会]]などのスポーツも行われている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
元々は洪水対策目的の施設であり、降雨直後などは、全体が水びたしになる。利根川に流しきれない渡良瀬川の水をいったんこの地に貯め、利根川の水位が下がってから、徐々に遊水地内に貯めた水を放水する仕組みになっている。したがって、降雨時、降雨直後に遊水地内に立ち入るのは危険が伴う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===谷中湖===&lt;br /&gt;
谷中湖は湖底が[[コンクリート]]張りの[[人造湖]]であり、渇水時に東京地方に水を供給するための貯水池という位置付けがされている。したがって、[[首都圏]]の水がめである[[利根川水系8ダム]]の一つに数えられている。[[1976年]]着工、[[1989年]]竣工。落成直後の1990年夏、谷中湖から放水した時期に下流の水道水が臭いという苦情が殺到した。ただし、この騒ぎはその後生じていない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
釣りができ（入漁料が必要）、非動力船も利用できる。このため、この種の[[ウォータースポーツ]]が盛んであり、第59回国民体育大会（[[彩の国まごころ国体]]）でセーリング競技も開催された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
よく、渡良瀬遊水地とは谷中湖のことであると誤認されるが、谷中湖は渡良瀬遊水地内にある第1調節池の中にある貯水池である。また、全体の名前が渡良瀬遊水地で、谷中湖の名前が渡良瀬遊水池であると誤認されることもある。しかし、後述するとおり、渡良瀬遊水地と渡良瀬遊水池は同義である。なお、谷中湖には渡良瀬貯水池という呼称もある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===遺跡===&lt;br /&gt;
[[画像:Yanaka village.jpg|thumb|谷中村跡]]&lt;br /&gt;
谷中村役場跡地、雷電神社跡地などの遺跡が、谷中湖北にある。堤防の外側に、谷中村合同慰霊碑がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===年中行事===&lt;br /&gt;
※ほぼ毎年行われている行事を記載した。&lt;br /&gt;
*1月～4月 谷中湖干し上げ（異臭の原因になるプランクトンを死滅させるため、谷中湖の水をいったん空にする。この時期はウォータースポーツが行えない）2004年～&lt;br /&gt;
*3月下旬 ヨシ焼き&lt;br /&gt;
*4月上旬 藤岡町桜まつり&lt;br /&gt;
*4月上旬 バルーンレース、バルーンフェスティバル&lt;br /&gt;
*8月第1土曜日 [[古河花火大会]]&lt;br /&gt;
*11月 遊水地マラソン（1986年～2004年。2005年以降廃止）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
このほか、自然保護団体などが独自にこの地でイベントを行っている。ヨットレース、[[トライアスロン]]大会なども開催されることがあるが、毎年開催されるとは限らない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==自然==&lt;br /&gt;
人間の活動とは隔離されているため、[[野鳥]]が多く、[[昆虫類|昆虫]]・[[魚類]]なども採取される。希少な植物も多い。[[環境省]]の[[レッドデータブック (環境省)|レッド・データブック]]に掲載された[[絶滅危惧種]]も多く発見されている。このため、[[ラムサール条約]]指定湿原にすべきという意見もあるが、2006年現在、地元の藤岡町はこの地を本来目的である治水目的に利用することを希望しており、運動はあまり盛り上がっていない。2006年にはラムサール条約登録湿地を増やす議員の会が視察を行った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
渡良瀬遊水地アクリメーション振興財団によれば、レッド・データブック掲載植物は43種。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
貯水池以外のほぼ全域が葦原になっている。毎年3月にヨシズ生産農家らで組織される渡良瀬遊水地利用組合連合会がヨシ焼きを行っている。ヨシ焼きで春先に明るい光が当たることが、多くの絶滅危惧種が残っている理由の1つである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
谷中村村民を移転させる際、栃木県は旧村民に対し、ここでヨシやカヤなどを独占的に刈る権利を認めた。ただし、文書による確認はされなかった。その後、旧村民以外の藤岡町民らが、ここでヨシやカヤを刈る権利を設定。1920年から1921年にかけて、両者が遊水地で睨み合うという騒ぎに発展した（カヤ刈り事件、またはヨシ刈り事件と呼ばれる）。旧村民が[[弁護士]]に確認したところ、文書による証拠がなくても、当時の法令では元々旧村民に独占的な権利があることが判明。裁判でもこれが認められた。このため、現在でも近隣農家がこの地に育つヨシを刈り、ヨシズ作りが行われている。ただし、最近は安い中国産のヨシズに押され、生産は減少している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
民間や[[建設省]]（当時）の調べによると、土壌中の銅の濃度が作物の生育に障害が発生するといわれる125[[ppm]]を超えている地点がある。ただし、特定の地点で目立った植物の生育不良などは報告されていない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==開発==&lt;br /&gt;
この土地は広大なため、他用途への転用を主張する意見が何度かあがった。1952年には[[保安隊]]（[[陸上自衛隊]]の前身）の[[演習]]地に、1962年には[[アメリカ軍]]の演習場にする計画があったが、いずれも反対運動により実現しなかった。1990年には[[埼玉県]]がこの土地に[[空港]]を作るという構想を立てたことがある。しかし、周辺には旧地権者とその遺族が多く住むため、事実上、利用は不可能になっている。1972年の谷中湖造成時も激しい反対運動がおき、結果として丸く造る予定であったものがハート型に設計変更されるという事態も起きている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
第2調節池内に第2貯水池を造る計画があったが、特に野鳥観察家などからの反対が多く、着工されなかった。このため、当初「第1貯水池」と呼ばれるはずであった谷中湖は、「第1」が外れ、単に「渡良瀬貯水池」と呼ばれている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、2005年9月、[[国土交通省]]は第2貯水池着工の方針があることを表明。これに対し、周辺の自然保護団体などから反発する意見が出ている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==名称==&lt;br /&gt;
この地域にははっきりとした命名がされず、'''渡良瀬遊水池'''または'''渡良瀬遊水地'''と呼ばれた。20世紀初期の地図には何も記されないことが多く、最初に公的な地図上で現れた表記は単に'''遊水池'''であったとされる（昭和4年修正測図「古河」）。ただし、現在は後者の表記に統一されている。統一されたのは、1987年頃、アクリメーション構想が具体化した頃だとされる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお、昭和4年修正測図「古河」より前の1925年、[[内務省 (日本)|内務省]]の公文書『渡良瀬川改修工事概要』では、「遊水地」という表記が使用されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
表記が統一する前につけられた固有名詞に関しては、現在でも表記が混乱している。たとえば、渡良瀬遊水地を管轄する政府の機関は、国土交通省利根川上流河川事務所渡良瀬遊水池出張所だが、実際に管理運営をしているのは渡良瀬遊水地アクリメーション振興財団である。また、渡良瀬遊水地アクリメーション振興財団がある建造物の名前は遊水池会館である。出張所の名前は遊水池だが、国土交通省がこの地域を示すときは渡良瀬遊水地という名称が用いられる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一部のNPOなどは、渡良瀬遊水地という呼称を使うことに反対し、現在（2006年）も積極的に渡良瀬遊水池という語を用いている。これには、遊水池が設置された経緯を後世に伝えていこうとする意図がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
*[[遊水池]]&lt;br /&gt;
*[[国土交通省直轄ダム]]・[[関東地方整備局]]&lt;br /&gt;
*[[利根川水系8ダム]]&lt;br /&gt;
*[[足尾銅山鉱毒事件]]&lt;br /&gt;
*[[田中正造]]&lt;br /&gt;
*[[谷中村]]&lt;br /&gt;
*[[道の駅きたかわべ]]&lt;br /&gt;
*[[野焼き]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 参考文献 ==&lt;br /&gt;
*『藤岡町史 資料編 渡良瀬遊水地の自然』 藤岡町 2002年&lt;br /&gt;
*『新・渡良瀬遊水池』 渡良瀬遊水池を守る利根川流域住民協議会 2005年&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
* [http://www1.odn.ne.jp/~aan53170/wtrs/index.html 渡良瀬遊水地アクリメーション振興財団]&lt;br /&gt;
* [http://www.tonejo.go.jp/ 国土交通省関東地方整備局利根川上流河川事務所]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:わたらせゆうすいち}}&lt;br /&gt;
[[Category:湿原]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の湖]]&lt;br /&gt;
[[Category:栃木県のダム]]&lt;br /&gt;
[[Category:群馬県のダム]]&lt;br /&gt;
[[Category:栃木県の地理]]&lt;br /&gt;
[[Category:茨城県の地理]]&lt;br /&gt;
[[Category:群馬県の地理]]&lt;br /&gt;
[[Category:埼玉県の地理]]&lt;br /&gt;
[[Category:利根川水系]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>小川義行</name></author>	</entry>

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