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旧中津江村 “親戚”カメルーンに熱い声援

日本―カメルーン戦のキックオフを前に、早くもカメルーン応援で盛り上がる大分・旧中津江村の子ども達
日本―カメルーン戦のキックオフを前に、早くもカメルーン応援で盛り上がる大分・旧中津江村の子ども達
Photo By スポニチ

 サッカーW杯02年日韓大会でカメルーン代表のキャンプ地となった大分県の旧中津江村(現日田市中津江村)では、2杯南アフリカ大会・日本―カメルーン戦で村民が「日本で唯一」のカメルーン応援に燃えた。

 人口約1100人の山村に8年前の熱気と興奮が戻った。

 約200人収容の中津江ホールではパブリックビューイングを実施。黄、赤、緑のカメルーンカラーの帽子をかぶったお年寄りたちで埋め尽くされ、立ち見が出た。日本代表の姿が映っても拍手はまばら。カメルーンチームの象徴「不屈のライオン」にちなんだ「アレ・レ・リオン(ライオン行け)!」の大声援がホール外まで響き渡った。

 村唯一の観光施設「地底博物館・鯛生(たいお)金山」にも小学生らが集まり、試合前から応援。こちらも「ニッポン!」コールではなく、「カメルーン!カメルーン!!」の大合唱。同館の長谷俊介所長(55)は「対戦相手が日本だって気持ちはぶれない。カメルーン代表は私らにとって親せき」と、声をからしてエールを送った。

 長谷さんは02年、キャンプ施設となった鯛生スポーツセンターの所長としてチームの世話役を務めた。引退したエムボマとは今も連絡を取り合い、現代表の主力に成長したエトオは日韓大会後も村を訪れている。村民たちにとって、カメルーンチームは今も、村の知名度を全国区に広めてくれた英雄だ。東京都世田谷区のカメルーン大使館からはレイモンド・カムガ参事官も訪れ「村に来るとあちこちにカメルーンの国旗がいっぱいで胸が熱くなる」と感謝した。

 会場では、カメルーンの必勝料理「ドレ」が振る舞われた。乾燥ホウレンソウを香辛料と煮込み、同国では大一番の前に食べる。材料は応援用に同国から取り寄せた。

 02年に県内唯一のカメルーン人だった留学生で、代表選手らの通訳を務めたレオネル・ケチェクメンさんは04年に交通事故のため25歳で亡くなった。この日は福岡県飯塚市に住む弟のビダルさん(26)が出席。村民たちとおそろいの「不屈のライオンTシャツ」を着て母国勝利を祈った。サッカーが縁の国際交流の灯を消したくなかったようだ。

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