電書フォーマット記事問題への「弁明」

2010年 6月 14日

本誌の「日の丸電書フォーマット」の記事は、すでに千人以上の方にお読みいただきました。その反響は、最新のWebツール(ECHO)で拾ってきたコメントの数からもうかがえるでしょう。筆者の鎌田を名指しで批判された方がいましたので、ここに「弁明」の機会を設けさせていただきました。このサイトの性格と編集方針をご理解いただければ幸いです。(鎌田)

本誌の編集方針と投稿受付について

「鎌田博樹 氏の電子書籍フォーマットに対する無理解がひどい」とご指名をいただいたのは、ブログ「オリノコ河水源の探検」で出版業界についての、なかなか興味深い情報、ご意見を提供されている方です(以下「オリノコ」氏とさせていただきます)。若い頃は南米三大河として「オリノコ河水源の探検」に行きたいと考えたことがあったので、なんとも奇遇です。生態系や文化の違う世界には好奇心が先行します。この歳では熱帯ワニに会いに行く気力も度胸もありませんが。

本サイトは基本的にオープンなもので、建設的なものである限り、どなたの投稿に対しても開かれています。多くのページを鎌田が執筆しているのも、まだ多くの方々のご支援を受け、あるいは逆に報酬を差上げられる状態には至っていないためです。EBook2.0 Forumがパブリックなもの(公的言論空間)で、鎌田の私的ブログではないことをご理解ください。

浅学菲才は自覚しておりますので、事実認識や判断において間違う可能性はつねに感じております。それは読者の「衆知」で正していきたいと願っています。楽観的でしょうが、疑問・異論を率直にぶつけ合うことを通じて知識・認識の共有に至るWeb 2.0の可能性(いわゆるwisdom of crowds)に期待しています。その気にさえなれば、Webは「つぶやき」や「落書き」以上のものにも使えるからです。

当面は取材に動ける状態になく、また「密着取材」や「夜討朝駆」の力を持った有能な職業的ジャーナリストのご協力も得られておりませんので、一次情報(公刊資料)二次情報(報道、論評)をもとにしております。読み違えの可能性はありますので、これも前項のように読者諸賢の厳しい目に期待しています。

議論が「建設的」であるためには、(1) 他人を尊重すること、(2) 事実の解明と理解に努力し、受け容れること、(3)  価値観の違いについては、読者の判断に委ねる、ことであると考えています。本誌は匿名者も尊重します。匿名・変名での投稿を受け付けない方法もありますが、日本の場合、会社や組織の中での言論の自由が尊重されない可能性もありますので、名乗りたくない以上、そういう事情がおありだと考えることにします。

以上を前置きとした上で、「オリノコ」氏のご指摘に感謝したいと思います。読んでコメントしていただくことは、筆者として嬉しいことです。残念なのは、「無理解」「ひどい」「勝手に妄想して批判」「日本語の読解力に問題」としたあげく「電子書籍ビジネスセミナーで儲けるのが仕事なんだろうけどね。受講する人はよくよく考えた方が良いだろう。」と「受講する人」の心配までされていることです。いやはや…楽しいですね。

フォーマットには何のこだわりもありません。機能、生産性、多様性、選択…の問題です。

自分が「無理解」で「ひどい」可能性はまったく否定しませんが、手順として、私は自分なりの事実認識価値観を明示した上でものを言っております。どこで間違えたか、何が違うのかをはっきりさせる必要があると思うからです。弊社の「研究講座」も同じ姿勢で運営されています。これは「懇談会」のような「傍聴」だけでなく、ご質問やお叱りも含めて討議できる機会として重視しているものです(オリノコ氏も名乗って(?)いただければ、ぜひご招待させていただきます)。ちなみに「EPUB」にこだわっているわけではないことは、本誌の一連の記事をよくお読みいただければ、お分かりいただけるでしょう。EPUBはE-Bookで必要なフォーマットの一部しかカバーしておらず、日本語組版機能が加わってもそれは変わりません。

E-Bookのフォーマットは日本語」以外にも山ほど必要なので、組合せがたいへんにならないよう、同じ機能を実現するものならできるだけ単純なほどいいというのが鎌田の考えです。とはいえ、文化というものは「わずかな違い」を重視するところに存在するわけですから、同じかどうかは鑑識眼を持つ人の声を尊重しなければなりません。コスト的合理性以外の価値判断があっても、それは尊重すべきでしょう。ただ、あれかこれかというトレードオフは少ないに越したことはないし、著者、出版社や読者を中心とした当事者が自由に選択できるほうがいいと考えています。ご指摘になっている「植村氏の資料」には、既存の書籍の(雑多な)元データをアウトプットとしてのXMDF形式に持っていくための「中間」フォーマットとしか読み取れなかったので、懸念を抱いたということです。それだけだとすると、懇談会の「公共性」に疑問が生じます。XMDFは必ず尊重されるべき規格ですが、これに一本化するのはちょっと。

筆者は無料のE-Bookをもっぱら読んでいますが、Freedbooksのような配信サイトでは、EPUB、Kindle、PDF、カスタムPDFという3(4)つのファイル形式でコンテンツが提供されています。EPUBとKindleは同じ、PDFは固定ページで、選ぶことができます。これは「ワンコンテンツ・マルチファイル」ですが、別に出版サイドが苦労しているようには見えませんね。EPUBやPDFなどは、ワープロやDTPソフトからダイレクトに「出力」できるわけで、ファイル形式などというのはその程度のものであることが理想ではないかと思います。もちろん別の考えもあることは否定しません。なぜシングルファイルでなければいけないんでしょうか。

個人的な遺恨がないとすれば、ここまでアツくなるのは、「オリノコ」氏が電子出版に真剣であるということだと思います。出版業界の方だと思われますが、それはすばらしいことです。ぜひ有益な電子出版活動を実践していかれることを期待します。また、これに懲りずに、筆者の「ひどい」「無理解」と「妄想」を具体的に正していただけることを期待しております。

プロセスを守ればコミュニケーションは生産的になります

その昔、アメリカ大西部の酒場=賭場には、「ガンベルトはお預かりします」と看板がさがっていたという話があります(喧嘩は素手で、という意味でしょう)が、議論のために重要だと思われることは、
1) 価値観(なぜ、誰のために、何を実現すべきか)の問題
2) 実現する手段(目ざすべき方向)
3) 手段を構成する技術的内容

をそれぞれ区別することです。本誌では、及ばずながらコンセプトやマニフェストなどで、あまりに多様な意味を持つ出版やテクノロジーを定義し、オープンな議論の場を提供しようと努力しております。たとえば、以下のような考え方が、いちがいに間違いであるとは言えません。筆者も池田信夫さんのように、競争はつねに合理的な選択に導くとか、グローバリゼーションは正しい、といった価値観は持ち合せておりませんので、徹底的に議論したいです(「朝ナマ」のような言いっぱなしや個人攻撃は、議論とはほど遠いものです)。消費税でも核武装でも教科書でも、社会のあらゆる問題はきちんと議論すべきだと思いますし、そうしたことから本に対する需要が生まれるわけで、必ず出版業界のためにもなります。電子出版も例外ではありません。

例えば、次のような「仮説」についての検討はぜひまともにやりたいと思います。

  • 日本の出版業界を守ることがすべてに優先される
  • 日本語と日本語処理は防壁であり、壁は高いほうがよい

筆者は、PCやマックの日本語化、アプリケーションやミドルウェアの標準化などに関係したことがあり、技術についてはそれなりに厳密であるつもりです。異質な技術的背景を持った人間が、ファーストコンタクトでどれだけズレた議論を始めるかについては、日本でも海外でもよく目にしていますから何が出てきてもまったく驚きません。それぞれが重視している価値について攻撃するとどうなるかも見てきました。

価値には個別なものと普遍的なものがあり、また手段がもたらす評価は、長期と短期に分けて厳密に行う必要があります。「5W1H」のコンテクストが明確になることで議論が建設的なものとなります。日本は「空気」の国です。よきにつけ、あしきにつけ、「空気」が人々の判断や行動に影響を与えます。しかし(第2次大戦前を除き)今ほどそれが危険な時代はありません。出版は(空気ではなく)知識のコミュニケーションの手段であるという高度な価値を持っている、というのが筆者の信念であり、非力ながら本誌も危機の時代の出版の一翼を担う自覚を持って行動していきたいと思います。ご理解とご支援をお願いするしだいです。(06/14/2010)

EBook2.0 Forum編集長
鎌田博樹

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